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2006-11-19 00:54
 数年前まで在宅看護を受けていた父は、最近は介護施設に入りっぱなしです。毎週末にそこに子供と洗濯物の交換等にいきます。(近くなので勿論自転車で・・)はじめは面倒でしたが、今は毎週の習慣となっています。昨日も、日中に行って来たところです。
 老人介護施設は老人ホームのように老人達が生活していますが、老人ホームとの違いは、介護施設ですので、自分で歩いて生活するには不自由な方ばかりです。色々なことを忘れてしまって、あまりホームシックにもならず、家に帰りたいという方も少ないように感じます。

 それは兎も角、この施設の人たちが集まる広間の大きなTVで、時折、ニュース番組などで、諫早湾干拓だとか不正株取り引きの裁判だとか沖縄普天間基地移設問題とかやっているのを目にします。
 不思議な感覚です。ここにいる人達も昔はこんなことであくせくしたのでしょうか?老人ホームに入らなくとも、人は年老いると、幼少時代のように活動範囲も思考範囲も狭まります。広大な敷地も豪邸も株券も権力も必要ありません。ただのんびり余生を暮らせれば十分でしょう。淋しいことと感じるかも知れませんが、これを淋しいと感じることが現代人の捕らわれなのかもしれません。それで十分ですし、それが自然の摂理です。それなのに社会をわざと複雑に見せ、世の中をかき乱す無茶苦茶な人間達の営みのニュースをやっているのです。
 人間は年老いるからこそ若いうちに大きな花火を打ち上げたいのかも知れません。しかしとんでもない暴発をする花火を打ち上げる人々が沢山います。人の虚栄心や功名心を否定するつもりは御座いません。しかし、高々100年足らずの人生の為に自然が何億年もかけて作り上げた完璧な系を破壊し、ダムや原発や基地など巨大事業をして、戦争を仕掛けて人々の生活をかき乱して不幸に陥れ、何をしたいのでしょうか?こんな環境破壊をしてまで、栄華を極めるという目的、満足するという価値観は、自然の一部である人間の本質ではないような気がします。高々数百年の歴史の経済成長と云う価値観の中でそれが人生の目的と思い込んでしまった人々が増えてきたのでしょうか?こんなとんでもない事をした人々も年老いて、今までやってきた事が必要なくなるのでしょう・・というより始めから必要なかったのです。しかし後には大きな負の遺産が残されるのです。動物として持ち合わせている自然のバランス感覚が鈍り、等身大の自分達の姿が見えなかったのでしょう。彼らは他の人々の営みを邪魔して、時には絶って、自分の人生を総括せずに亡くなっていくのでしょうか?
 昔は老人ホームにペーソス等を感じていましたが、最近は、老人介護施設を訪れる度に、自然の摂理から外れたとんでもない愚かな事をし続ける経済界などが存在している事が不思議に感じます。
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【2006/11/19 00:54】 | 雑談 トラックバック(0) |
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