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2006-09-09 23:47
ゴミ問題の根本的解決法は ”Produce less” しかない。
 よく言われる4つのRのうち、Refuse が 最も大切 。そして Reduce も極端に実行しなければならない。極端とは今の10分の1以下と言う事。以上2つを極端に実行する必要があり、それが”Produce less”。その後に Reuse がきて、Recycle はホントにホントに最後のごくわずかの対処療法。

 Recycle は、かなりエネルギーを使う。資源として回収するのに運搬するエネルギー、また、資源に戻す為に解体したり溶かしたりするエネルギー。かといって、資源に戻すのではなくゴミなんかで別のものを作るのは、やらないよりはましな程度。例えば牛乳パックでリサイクル工作と言って、さらに塗料や接着剤を使う。そして出来てもしばらくするとゴミになる場合が多い。勿論同じ工作をするなら、新しい材料ではなくゴミを使った方がいい。しかし、作らないのが一番よい。

 何か今の日本を見ていると、4つのRの最も最後に来るリサイクルに熱心で、さも素晴らしいゴミ対策の様に宣伝して運動し、その前の3つのRは、経済に逆効果と言う事で、あまり考えられていない。「ゴミの減量」も「生産の減量」無くしては無理な事が誰にだって明白。リサイクルすら考えない意識の低い民族だから、先ず「リサイクル」と言うのでは間に合わない。


 さて、私に、「Produce less が唯一の方法。」と言った、当時のドイツの学生。今でも私同様変わり者扱いされているかもしれないけれど、こう言う意識をもった若者が指数関数的に増えてくれるのが私の希望である。それが、ゴミ問題だけでなく、全ての環境問題の解決に繋がる。私は、青少年にこういう現状に対する知識を持たせる事が大切であると考え、微力ながら、実行している。

 今マスコミがもてはやしている青年実業家など一人もいらない。いや、いらないどころか、そんな青年実業家達が人類の滅亡へのカウントダウンを速めている。

 Produce less は、かなり大きな構造改革になるであろう。いつかそうしなければならないのは明らかであるが、本当は、環境問題が『公害』と呼ばれていた1970年代から始めるべき事であった。子供の頃、そう言う対策はしっかり論議され始めていると思っていた。それから、30年以上も過ぎて、Point Of No Return も迫っている。(まだ、過ぎていないと考えよう!)全ての政治政策で、すぐに実行すべき事である。

 『人類は、便利な事を覚えてしまったら、もう元へは戻れない』なんてのはかなりの詭弁。それは、環境問題を甘く見ているからに過ぎない。例えば、ダイオキシンで日本が汚染されて(事実ダイオキシン汚染は抜群に世界一だけど)これ以上都市部に住む事は不可能です。住んでいたらすぐに死にます。山間部に避難する人は、込み合うので、住む人々の環境確保の為、自動車やパソコン等文明的なものを全て持ち込まず、移住しても家は建てない事・・・って言われても、大多数の人はパニックを起こしながら、都市部に残らずにほとんど移住するに違いない。。今の話は極端のようだけれど、こう言う措置をしなければならない時がきっと来る。
 これは、予言者の言葉ではなくて、普通に考えれば当然の結果。信用置けないなら、普通に信頼の置ける国連なんかのデータを見てみれば、当然予測がつく。ベルリンの壁の崩壊が予測がつかなかったとしても、これは明らかだ。さらに、こう言う措置で今の話との違いは、No Way Out って事だ。つまり、山奥や海外に逃げれば済むと言う話ではない。そんな逃げ場などない。この地球が壊れるのだから逃げ場なし。勿論宇宙なんてSFだけの世界。加害者も被害者もみんな滅んでしまう。

 具体的にどんな生産を減らすかについては、『ほとんど』なんだけれど、『物』の生産に限らずサービスの生産もほとんど減らさなければならない。世の中は『需要』を無理に作り出しているだけで、ほとんどなくていいものばかり。と言うか、それを作っているばかりに、人類は破滅に向かっている。『痛みを伴った改革』というのは、こう言うところでやるべきだ。
 具体的にそれぞれの生産に対して、しだいに述べていきたいと思う。いま、誰もクレームつけていない芸術やスポーツについても。そういう領域をタブー化したり神聖化してはならない。
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【2006/09/09 23:47】 | Produce less トラックバック(0) |


mao
いつも過去の記事へのコメントですみません。最新の記事を読みつつ、ふと思った時にコメントを書かせていただいています。
Produce lessは良いことだと思いますが、生産するのは製造業の企業の社員です。社員はそこでお金をもらって生計をたてているわけですから、会社で「もったいないので生産量を減らしましょう」とは言えないでしょう。私はProduce lessを実現できるもっとも簡単な手段は、消費者が買わないことだと思っています。消費者は買わなくても上司に怒られるわけではありませんから。なかなか雑草Z様がご提示された消費量1/10にすることは私から見ると仙人の域かもと思ってしまいますが、今あるものを長く、平均の倍の期間を目標に使うようにしようと思います。たとえば乗用車は11.1×2=22.2年。カラーテレビは9.4×2=18.8年。パソコンは4.6×2=9.2年。という風に。少しお茶を濁した対策かもしれませんが、具体的な対策を個人が打つことが大切だと思うので。雑草Z様のご指摘は、そもそも車に乗るな、テレビを買うなということでしょうけど正直辛いかも…。環境問題は言うは安し行うは難しと思う今日このごろです。

政府レベルでやるべきでしょう。
雑草Z
    maoさん

 まだ、誰もコメント下さらなかったころの初期の記事へ遡ってのコメントも大歓迎です。まあ、この頃はちょっと間違った事も書いているのですけれど・・・

 経済成長は、前年度比何%で示すように、指数関数的指標です。(社会の殆どの現象・)

>消費量1/10にすることは私から見ると仙人の域

とおっしゃいますが、未開の人々(もう世界にいなくなってきましたが、)は、日本の1/100以下ですし・・・貨幣経済がない場所では、1/1000以下と考える事も出来るでしょう。
 それではぴんと来なければ、今から50年以上前の日本の消費レベルは、1/50ほどでした。1950年頃です。・・1/10レベルなら、1970年代でしょうか?・・・それは仙人レベルでなんかありゃしません。十分に浪費レベルです。まあ、消費レベルと経済レベルは、必ずしも正比例でないとしてもそれが簡単でかなり相関関係の深い指標でしょう。
 現在の浪費レベル、過剰競争の元での浪費は酷いもので、個人の消費レベルを半分に抑えるなんていとも簡単でしょう。それが出来ないのは、経済優先の社会だからです。
 
 確かに企業の主体性に、生産縮小は望むべくもありません。maoさんのおっしゃるように、消費者の意識改革も必要でしょう。
 でもそれだけではやっぱり無理でしょうから、政府がそういう対策をすべきです。今の殆どの国の政府は産業界の傀儡ですからそれは望むべくもありませんが、現在の世界が破局への道を辿っている事とその恐ろしさをしっかり認識すれば、そうせざるを得ない事がわかるでしょう。しっかり立ち止まって現状認識すれば明らかなのですが・・。
 
 私の提案は、出来る出来ないではなく・・・物理的には十分に出来ますが・・・やらなければ破局から、やるしかないという事です。

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この記事へのコメント
いつも過去の記事へのコメントですみません。最新の記事を読みつつ、ふと思った時にコメントを書かせていただいています。
Produce lessは良いことだと思いますが、生産するのは製造業の企業の社員です。社員はそこでお金をもらって生計をたてているわけですから、会社で「もったいないので生産量を減らしましょう」とは言えないでしょう。私はProduce lessを実現できるもっとも簡単な手段は、消費者が買わないことだと思っています。消費者は買わなくても上司に怒られるわけではありませんから。なかなか雑草Z様がご提示された消費量1/10にすることは私から見ると仙人の域かもと思ってしまいますが、今あるものを長く、平均の倍の期間を目標に使うようにしようと思います。たとえば乗用車は11.1×2=22.2年。カラーテレビは9.4×2=18.8年。パソコンは4.6×2=9.2年。という風に。少しお茶を濁した対策かもしれませんが、具体的な対策を個人が打つことが大切だと思うので。雑草Z様のご指摘は、そもそも車に乗るな、テレビを買うなということでしょうけど正直辛いかも…。環境問題は言うは安し行うは難しと思う今日このごろです。
2008/02/17(Sun) 20:42 | URL  | mao #-[ 編集]
政府レベルでやるべきでしょう。
    maoさん

 まだ、誰もコメント下さらなかったころの初期の記事へ遡ってのコメントも大歓迎です。まあ、この頃はちょっと間違った事も書いているのですけれど・・・

 経済成長は、前年度比何%で示すように、指数関数的指標です。(社会の殆どの現象・)

>消費量1/10にすることは私から見ると仙人の域

とおっしゃいますが、未開の人々(もう世界にいなくなってきましたが、)は、日本の1/100以下ですし・・・貨幣経済がない場所では、1/1000以下と考える事も出来るでしょう。
 それではぴんと来なければ、今から50年以上前の日本の消費レベルは、1/50ほどでした。1950年頃です。・・1/10レベルなら、1970年代でしょうか?・・・それは仙人レベルでなんかありゃしません。十分に浪費レベルです。まあ、消費レベルと経済レベルは、必ずしも正比例でないとしてもそれが簡単でかなり相関関係の深い指標でしょう。
 現在の浪費レベル、過剰競争の元での浪費は酷いもので、個人の消費レベルを半分に抑えるなんていとも簡単でしょう。それが出来ないのは、経済優先の社会だからです。
 
 確かに企業の主体性に、生産縮小は望むべくもありません。maoさんのおっしゃるように、消費者の意識改革も必要でしょう。
 でもそれだけではやっぱり無理でしょうから、政府がそういう対策をすべきです。今の殆どの国の政府は産業界の傀儡ですからそれは望むべくもありませんが、現在の世界が破局への道を辿っている事とその恐ろしさをしっかり認識すれば、そうせざるを得ない事がわかるでしょう。しっかり立ち止まって現状認識すれば明らかなのですが・・。
 
 私の提案は、出来る出来ないではなく・・・物理的には十分に出来ますが・・・やらなければ破局から、やるしかないという事です。
2008/02/17(Sun) 22:31 | URL  | 雑草Z #-[ 編集]
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