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2015-01-23 00:01
経済成長はどのような時代にどのように行われて来たかを具体的に歴史に学ぶことは、大きな意味がある事でしょう。経済成長を半永久的に続ける事が不可能である事を多くの人が理解できるでしょうし、経済成長は、社会にとって決して好ましい事とは言えないという事もわかる筈だと考えておりました。
だから、いつか日本と世界の経済成長の歴史をそれぞれまとめて記事にしようと考えておりましたが、自分自身、経済成長の歴史をよく知りませんでした。特に日本の場合、経済成長が著しかったのは「高度経済成長時代」である事は知っていても、それ以前の事は余り知りませんでした。簡潔にまとまっている書物やサイトも見付けられませんでした。


そんな折、昨年の暮れに、日本の経済成長の歴史をごく簡潔に短くわかり易くまとめた記事を見つけました。
<爽風上々の日記>2014-12-31 【2014年まとめ 経済成長に振り回される】です。

以下、この記事から部分的に抜粋して転載致します。(ちなみに、もとの記事の日本の経済成長の部分のみを抜粋させて頂きましたが、この記事は他の部分も秀逸な洞察で、全体を通して読む価値があると思います。)

(以下抜粋転載)
(日本において)経済成長が盛んで景気の良かったと言えるのはどのような時代だったのでしょう。まず江戸時代の新田開発が盛んな時代があげられます。これは人々の労働と努力と言えますが、見方を変えれば自然というものを収奪しただけのことかもしれません。新田となった場所の元の自然に住んでいた生物は概ね死滅しました。
明治時代になり殖産興業という名の元で工業化が進みますが、これは裏ではアジア各国からの農業産物などの輸入というもので支えられてきました。それで食糧も増えて人口の増加にもつながりました。より確実にできるように植民地化を進めた過程で列強との摩擦が増し戦争になりましたが、この辺の事情は西欧列強の経済成長の経緯と重なります。資源供給国からの収奪で成長できただけのことと言えます。

敗戦後、復興の延長のように高度経済成長期が訪れますが、これも他の国々と同様に「安価な石油に支えられた工業化」による成長でした。石油だけではなく鉄やコンクリートなどの資源もその時代を支えている限りでは無限のように思えるものでした。私はこれは「エネルギー資源からの収奪による成長」であったと考えます。人類史上極めて稀な事態だったと考えています。おそらく後の世から見れば一瞬の幻と感じられるでしょう。
最後の経済成長はバブル経済だったのでしょうが、身分不相応と言うべき円高水準になったためにアブク銭が出回り(まさにバブル)これまた一瞬の夢の時代が到来し去っていきました。これもその後の経過を見たときに感じられるのは「後世からの収奪」だったのでしょう。あれからの20年という時代のあるべき利益をすべて一瞬にまとめて受けたようなものでした。

このように見れば「安定的な経済成長」などと言うものは幻にすぎず、それを求める限り何らかの歪みが出てくるのは当然でしょう。

(以上、抜粋転載)


以上を読めば、昔から経済成長は他からの収奪によって為されて来た事がわかるでしょう。つまり、自然、他の生物、他の地域、他の民族、地下資源、そして後の世代・・・・からの収奪です。最後のバブル時代は、既に収奪する相手がいなくなり、実体のないバブルを作り出しました。そしてそれは、後世に引き継ぐべき資源や環境から大きな収奪を行い、代わりに後世に借金を引き継がせました。これは、正に後世からの収奪と言えるでしょう。では、後世からの収奪によってバブルと言う見掛けの経済成長をしてしまった後の現代社会は、どこから収奪して経済成長が出来ると言うのでしょうか? バブル以降の財政出動による景気刺激策はことごとく失敗して日本の借金を増やしただけです。日本の経済成長の歴史の流れを見れば、この手の政策は既に通用しなくなっている事は火を見るよりも明らかでしょう。・・それこそ残された方法は、他国と戦争して、資源を収奪する事にでもなりませんでしょうか?? (実際は戦争に勝てるかどうかも分からないし、勝っても既に収奪するものが無いかも知れません。戦争を行えば、多くの国民が犠牲になる事は間違いありません。)

借金で調達した国のお金を公共工事でばら撒いて経済を刺激して、経済成長する事によって税収を(消費税増税で)増やし、財政再建を果たして膨大な借金を返そうとする政策・・・が如何に愚かで不可能である事がおわかりでしょう。
だから勿論アベノミクスなんて失敗する事は目に見えているでしょう。・・・世紀の愚策です。仮に成功したとしたら、生態系が破壊され、更に過酷な状況になるでしょう・・・。つまり、アベノミクスはやらないことが最善策です。
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【2015/01/23 00:01】 | Economic Fascism トラックバック(0) |

ご紹介御礼
爽風上々
拙記事をご紹介くださいましてありがとうございます。
素人の直感だけで書いたようなものですので、専門家から見れば穴だらけでしょうが、意外に真実はそこらにあるのではないかと思っています。

収奪できるフロンティアもなくなり、エネルギーもふんだんに使うことができなくなった現在はパイは増やしようもなくせいぜいゼロサムゲームしかできないようです。
(本当はマイナスサムだと思いますが)
その中で経済成長というものは他からの強奪に他なりません。これまでの中国の成長というものは正に日本など他国からの強奪というべきものでしょう。それも陰が差してきたようです。



日本の経済成長の歴史
雑草Z
    爽風上々さん

 こちらこそ、記事を掲載させて戴いて有難う御座います。本文にも記したように、私は世界の・・と言うよりも西欧諸国の経済成長は、大航海時代や産業革命による他国や地下資源からの収奪と言う事は賭けたと思いますが、日本の経済成長に関しては高度経済成長期以前は、良く分からなかったので、こんなに簡潔にすっきりとまとめる事は出来ませんでした。だから自分の勉強にもなりました。その意味でも有難う御座います。

>現在はパイは増やしようもなくせいぜいゼロサムゲームしかできないようです。(本当はマイナスサムだと思いますが)

そうですね。だから日本の借金は増えているし(別な理由もありますが、それは次に書きます。)富の不公平分配による格差が広がっていますね。
 成長の限界による崩壊の兆しは世界中で始まっています。本格的な崩壊が積を切ったように始まるのが怖いですね。

経済成長とは
爽風上々
経済成長というものに疑問を持ったのは、初めは「年○○%成長」というのがどういうことなのか、誰もわかっていないように見えたことでした。

成長が続くということは、たとえば2%であれば翌年には1.02になりますがその翌年には1.02×1.02=1.0404となります。1年なら1.02×2=1.04と大差がないようですが、何年も先になると大きな差になります。
これは預金の複利計算と同じことですが、指数関数というもので、期間が長くなるほど先の上昇率は大きくなります。
年2%だと、20年で1.5倍、35年で約2倍となります。

GDPの成長はエネルギー消費や資材などの消費量と直結しています。2倍になったときにエネルギーが2倍供給できると考えられるでしょうか。

そのために、経済成長というものが大きかった時代の最後はどこも大混乱に陥っているようです。
結局「持続的な経済成長」などというものは言葉の中身の完全な矛盾であるということでしょう。

ならばどうするか、適正な規模であれば全く成長の無い定常状態で継続できるのですが、現在の経済はすでに適正規模を大きく越えています。定常状態でもいずれは破綻するでしょう。少しでも早く縮小することが破綻を避ける道です。

Re:経済成長とは
雑草Z
人間(生物)の感覚は対数感覚的ですから、指数関数的でなければ、色々な伸びを実感出来ないでしょう。リニアな1次関数的伸びと言うのは人間のお遊び(数学)の世界のものかも知れません。指数関数的増加に対して生物の対数関数的感覚が、自然の実体とも言えましょう。

>少しでも早く縮小することが破綻を避ける道です。

この辺りは、共通認識の部分です。指数関数的な増加は、理学系の基本だと思いますが、わからない人も多いんでしょう。現代人の経済成長志向は、それが儲けの本質である金融業、銀行が仕掛けているとも考えられます。そのようなシステムで世界は動いているので、そこにメスを入れなければならないと考えています。

執拗過ぎる経済成長主張
爽風上々
私自身も長いこと勤め人をしていましたので、決まったサラリーの中で生活をしてきましたが、企業がなぜ利潤を上げなければいけないかということまではあまり考えたこともありませんでした。

企業の会計では雇用者の賃金まですべて固定費として計上し、それらすべてを払った残りが利潤としその中から出資者に対する配当を払います。その要求が強くなればできるだけ固定費を圧縮し配当にあてる費用を捻出しなければなりません。

経済成長を求めるだけならまだしも、現在の政策では物価上昇すら求めています。これは名目の上での企業の売り上げを上昇させ、決算での利益を上げて配当に当てる費用を増加させるだけのものに見えます。
雇用者の賃金を上げるという目的に使われるならまだましなのですが、それよりも配当が重視されているような風潮に感じます。

それが資本主義というものなのでしょう。あくまでも出資者の利益を最重視するというのが資本第一主義です。それを達成するためであれば何もかも崩してもよいのでしょう。

しかし、それが不可能であるということは再三申し上げている通りです。縮小しつつある経済であっても出資者への配当はなくなるわけではありません。それで満足していれば良いものを、欲を出してさらなる配当を求めるから世界が乱れていくわけです。

誰が世界の敵かということも段々と明らかになってきたように思います。

Re:執拗過ぎる経済成長主張
雑草Z
資本主義なんてものを多くの人が容認するのはおかしな話です。資本家[Capitalist]の社会[Society]で、資本家から見れば労働者も資本の一つです。完全に人間の差別だと思います。財閥、資本家の御用政府、御用学者は、自由経済と資本主義を同じものだとしてプロパガンダしていますがそれは詐欺的プロパガンダでしょう。一歩譲っても、資本主義は自由経済の特殊な一形態としか言えないでしょう。まして自由主義と資本主義が一体の訳がありませんが、共産主義に対する言葉として、わざと「Freedom」と言う言葉を使い、自分達の特権を維持しようとしているのでしょう。私はこれを「抱き合わせの自由経済」と言っています。

>誰が世界の敵かということも段々と明らかになってきたように思います。

金融業(銀行)と資本家は表裏一体と言えましょう。


地球という入れ物の制限
guyver1092
 地球の大きさによる制限を人類は分かっていないですね。豊かな生態系という人類にとってタダに見える物を消費して経済成長を行ったれけですが、現在、生態系の致命的な縮小により、地球規模の文明崩壊の危機にひんしています。豊かな生態系が何よりも大切であることが分からないのでは、破滅を回避することは不可能でしょうね。

Re:地球という入れ物の制限
雑草Z
確かに地球と言う入れ物の大きさは、ある意味大き過ぎて分っていませんね。「ある意味」と言うのは、人間の感覚と比べて・・・と言う意味です。確かに大航海時代までは、(西洋人から見て)「未開の地」が果てしなくあり、現在もその価値観のままの「高度経済成長時代の遺物」が残っているわけです。日本で言えばアベノミクスを推進する人々が典型例でしょう。
 しかし、槌田敦さんや石川英輔氏が江戸時代の事を書いた書物を読みますと、当時の人々の中にも沢山「成長の限界」を肌で感じていたようですね。だからシビアな人口間引き等を行っていたのでしょう。これは「文明崩壊」に載っていた海外の島国(名はどこか忘れました。)でも同じです。つまり、一定の土地に定住してきた民族は、「成長の限界」を肌で感じ取っていたのではないでしょうか?・・・「グローバル化」なんて言葉に騙される現代人は理性を失ったと言えましょうか・・?・でもまた最近「成長の限界」を感知している若者が増えたとも感じています・・・。

自由とは
爽風上々
フランスのテロ事件でも、「表現の自由」の問題が大きくクローズアップされてきているようです。
日本でも「ヘイトスピーチ」の問題が絡んできますが、完全な「表現の自由」というものはありえないように感じます。

同じような問題は「自由経済」というものの中にも潜んでいます。何をやっても自由というような「自由経済」というものは、理想論の中ではあるかもしれませんが、実態では弊害の大きさがわかるばかりです。
自由というものはあくまでも他に迷惑をかけない程度に制限されなければなりません。どこまでも自由などというものを認めれば、強者が完全支配まで突き進むばかりです。

しかし、それまでの歴史であまりにも自由を制限するようなことが起こってきたために、自由こそ最大の目的という風潮ができたことも間違いありません。
そこのところを整理して考えるためには、「弱者の自由」と「強者の自由」をはっきりと分けて考えるところから始まるのでしょう。これを一律に議論することはすべて「強者への迎合」と考えるべきなのかもしれません。

Re:自由とは
雑草Z
>自由というものはあくまでも他に迷惑をかけない程度に制限されなければなりません。

そして、公正でなければモラルハザードを引き起こしますね。今の資本主義経済こそまさしく不公正のステレオタイプでしょう。

だから、
>何をやっても自由というような「自由経済」

は理想では無く、弱肉強食の無情なものでしょうね。
よく、社会主義、共産主義は、運営する人々が優等生で無ければ悲惨なものになると言われますが、資本主義も同様、若しくはそれ以上に酷くなるでしょう。

果たして現在のほうが過去よりも自由なのでしょうか?

強者の自由
爽風上々
現代の世界は「強者が何をやっても自由」というものに支配されているようです。
とはいえ、良く考えてみるとこれまでもずっとそうだったのかも知れませんが。それが、過去の世界では力と力の闘いで強いものが勝ち、敗者を徹底的に痛めつけていた(過去の世界では皆殺し、奴隷化なども行われていたわけです)が現代ではそこまで露骨なことはしなくなっただけのことかもしれません。

しかし、殺されなくても奴隷にされなくても、まったく収入の道を閉ざされてしまえばどうしようもありません。

今の各地での暴力の噴出はこのような経済的闘いの敗者が最後の反抗を企てているものです。その矛先は勝者のように見えるアメリカなどに向かっていますが、残念ながらその相手が良く分かっていないためか、アメリカの一般人まで間違えて犠牲者にしています。
アメリカ人のほとんどはこのような経済戦争の敗者ですが、外から見るとわかりにくいのでしょう。
それに宗教の眼鏡がかかるとさらに目が曇ってしまいます。本当はアメリカなどの大企業と大金持が敵なのに、キリスト教全体が敵と錯覚させられているのがイスラム過激派のように見えます。

それはさておき、そのような「強者の自由」が正義であるというのは伝統的なヨーロッパ文化のものかもしれません。(実はイスラム帝国でも、モンゴル帝国でも最盛時にはそのような正義があったはずであり、必ずしもヨーロッパの専売ではありませんが、現在では西欧文明と重なってしまいます)
したがって、彼らの精神の奥底にそれを絶対視する思想があるのかもしれません。

そこから出てくるものが、「規制緩和は絶対の善」であるとか、「自由な市場経済が最良」といった考え方になるものと思います。

これまでの不自由な経済活動の中ではそれも一面の正義を持っていたのかもしれませんが、行き過ぎた情報技術の発達で一気に金を手にするということも可能になってしまい、歯止めがなくなりました。
元々、そのような「自由が正義」といった乱暴な論理は成り立っていないのですが、それがさらに暴走できる環境が整ってしまったのでしょう。

これまで、「環境破壊」や「資源の欠乏」から来る人類の危機についてはいろいろと考えてきましたが、今は「経済闘争の勝者と敗者の暴力闘争」がより早い「人類文明の危機」になりそうになってしまいました。
「環境破壊」「資源欠乏」を救うのは人類の英知であろうと思っていましたが、それよりはるかに次元の低い「人類の欲望」で危機が迫っています。

Re:強者の自由  とは・・
雑草Z
>矛先は勝者のように見えるアメリカなどに向かっていますが、>アメリカの一般人まで間違えて犠牲者にしています。
>アメリカ人のほとんどはこのような経済戦争の敗者ですが
>本当はアメリカなどの大企業と大金持が敵

そうですね。湾岸諸国に派遣された兵士の多くは、貧困などの理由で半ば仕方なく兵士にさせられた「経済的弱者」で、ある意味同じ境遇の者同士で殺し合いさせられています。

>残念ながらその相手が良く分かっていないため

は、金融財閥の資本家たちの陰謀でしょうね。敵のすり替えです。つまり、軍需産業を筆頭に、強欲な大金持ちが更なるお金儲けの為のゲームを行っているのですが、そのゲームの駒として貧乏人をつかって、お互いリスクは彼等にに負わせると言うとんでもなく卑劣な手法でしょう。
 日本も含めた原発産業も同じ手法と言えるでしょう。

>「規制緩和は絶対の善」であるとか、「自由な市場経済が最良」といった考え方

これも頭の弱い人達はそう思わされるでしょうが、強欲なサイコパス達ははじめから「善悪」の基準は無く、ただ、自分が得すかどうか、儲ける為の方便と割り切っている事でしょう。

彼等は「強者」と言うよりも、自分の利益の為には他の人を犠牲にしても構わないと言う強欲なサイコパスだと思います。実力がある人は沢山いますが、その中でそのような他人の犠牲をいとわないサイコパスがのし上がって「強者」に見えるのでしょう。そんな理不尽な「自由」を許しているのが「自由社会」の負の一面でしょう。

>「経済闘争の勝者と敗者の暴力闘争」がより早い「人類文明の危機」になりそうになってしまいました。
>それよりはるかに次元の低い「人類の欲望」で危機が迫っています。

なるほど、そうも言えるかも知れませんが、元々

>「環境破壊」や「資源の欠乏」から来る人類の危機

も、主としてそのようなモラル無き強欲な人々、サイコパスが作り出したものだと認識しております。




可哀想なアメリカ人、日本人も
爽風上々
アメリカを中心にしたほんの一部の富裕層、大企業に世界の富が独占されたあおりで、日本人が殺害されました。一般のアメリカ人も多くが危険にさらされています。

しかし、彼らの跋扈を許している政府というものは実は多くの国民が選挙で選んでいる「民主主義」政府なのです。
アメリカでは毎回巨額の金を使う選挙で、共和党民主党という大して差もない二大政党から「究極の選択」をするだけのことをしているのですが、その多くは経済闘争の敗者の国民が投票しています。
これは日本でも変わらず、まったく自分たちのためにならない大企業・富裕者よりの政策を実施するだけの政党(自民党ですが、野党もほとんど似たり寄ったりです)に投票する人が多数です。

自分たちのための政策を行う政府を作れないのが悪いと言えばすべての有権者が悪いのでしょう。

弱者のために財政を使い、富裕層からは税金をたっぷりと取る。とくに為替取引のようなものには、ビルトッテンさんが繰り返し言っているように「トービン税」というものを取れば良いんです。さらに大企業の利益には多額の税をかけること。それを実施できるような政府を作ることが、ひいては全世界の平和にもつながるわけです。

可哀想なアメリカ人・日本人と書きましたが、実は「愚かな」というべきでした。

Re:可哀想なアメリカ人、日本人も
雑草Z
さもアメリカがデモクラシーの最先端を言っているような言い方をして、日本はアメリカの悪い部分を追いかけていますね。
御用学者が提唱したであろうトリクルダウン理論だとかを真似て、累進課税を緩和し、大企業、大富豪の税率を低くして来ました。

>ビルトッテンさんが繰り返し言っているように「トービン税」というものを取れば良いんです。

私もそれに賛成です。そして、この次の記事に書いたように、紙幣は中央銀行が発行するのではなく、政府が発行するべきだと思います。中央銀行の行員や株主がシニョレッジの恩恵を受けると言うのは非常に理不尽です。国際金融マフィアの陰謀でしょう。

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コメント
この記事へのコメント
ご紹介御礼
拙記事をご紹介くださいましてありがとうございます。
素人の直感だけで書いたようなものですので、専門家から見れば穴だらけでしょうが、意外に真実はそこらにあるのではないかと思っています。

収奪できるフロンティアもなくなり、エネルギーもふんだんに使うことができなくなった現在はパイは増やしようもなくせいぜいゼロサムゲームしかできないようです。
(本当はマイナスサムだと思いますが)
その中で経済成長というものは他からの強奪に他なりません。これまでの中国の成長というものは正に日本など他国からの強奪というべきものでしょう。それも陰が差してきたようです。

2015/01/24(Sat) 14:30 | URL  | 爽風上々 #-[ 編集]
日本の経済成長の歴史
    爽風上々さん

 こちらこそ、記事を掲載させて戴いて有難う御座います。本文にも記したように、私は世界の・・と言うよりも西欧諸国の経済成長は、大航海時代や産業革命による他国や地下資源からの収奪と言う事は賭けたと思いますが、日本の経済成長に関しては高度経済成長期以前は、良く分からなかったので、こんなに簡潔にすっきりとまとめる事は出来ませんでした。だから自分の勉強にもなりました。その意味でも有難う御座います。

>現在はパイは増やしようもなくせいぜいゼロサムゲームしかできないようです。(本当はマイナスサムだと思いますが)

そうですね。だから日本の借金は増えているし(別な理由もありますが、それは次に書きます。)富の不公平分配による格差が広がっていますね。
 成長の限界による崩壊の兆しは世界中で始まっています。本格的な崩壊が積を切ったように始まるのが怖いですね。
2015/01/24(Sat) 22:39 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
経済成長とは
経済成長というものに疑問を持ったのは、初めは「年○○%成長」というのがどういうことなのか、誰もわかっていないように見えたことでした。

成長が続くということは、たとえば2%であれば翌年には1.02になりますがその翌年には1.02×1.02=1.0404となります。1年なら1.02×2=1.04と大差がないようですが、何年も先になると大きな差になります。
これは預金の複利計算と同じことですが、指数関数というもので、期間が長くなるほど先の上昇率は大きくなります。
年2%だと、20年で1.5倍、35年で約2倍となります。

GDPの成長はエネルギー消費や資材などの消費量と直結しています。2倍になったときにエネルギーが2倍供給できると考えられるでしょうか。

そのために、経済成長というものが大きかった時代の最後はどこも大混乱に陥っているようです。
結局「持続的な経済成長」などというものは言葉の中身の完全な矛盾であるということでしょう。

ならばどうするか、適正な規模であれば全く成長の無い定常状態で継続できるのですが、現在の経済はすでに適正規模を大きく越えています。定常状態でもいずれは破綻するでしょう。少しでも早く縮小することが破綻を避ける道です。
2015/01/25(Sun) 08:34 | URL  | 爽風上々 #-[ 編集]
Re:経済成長とは
人間(生物)の感覚は対数感覚的ですから、指数関数的でなければ、色々な伸びを実感出来ないでしょう。リニアな1次関数的伸びと言うのは人間のお遊び(数学)の世界のものかも知れません。指数関数的増加に対して生物の対数関数的感覚が、自然の実体とも言えましょう。

>少しでも早く縮小することが破綻を避ける道です。

この辺りは、共通認識の部分です。指数関数的な増加は、理学系の基本だと思いますが、わからない人も多いんでしょう。現代人の経済成長志向は、それが儲けの本質である金融業、銀行が仕掛けているとも考えられます。そのようなシステムで世界は動いているので、そこにメスを入れなければならないと考えています。
2015/01/25(Sun) 15:11 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
執拗過ぎる経済成長主張
私自身も長いこと勤め人をしていましたので、決まったサラリーの中で生活をしてきましたが、企業がなぜ利潤を上げなければいけないかということまではあまり考えたこともありませんでした。

企業の会計では雇用者の賃金まですべて固定費として計上し、それらすべてを払った残りが利潤としその中から出資者に対する配当を払います。その要求が強くなればできるだけ固定費を圧縮し配当にあてる費用を捻出しなければなりません。

経済成長を求めるだけならまだしも、現在の政策では物価上昇すら求めています。これは名目の上での企業の売り上げを上昇させ、決算での利益を上げて配当に当てる費用を増加させるだけのものに見えます。
雇用者の賃金を上げるという目的に使われるならまだましなのですが、それよりも配当が重視されているような風潮に感じます。

それが資本主義というものなのでしょう。あくまでも出資者の利益を最重視するというのが資本第一主義です。それを達成するためであれば何もかも崩してもよいのでしょう。

しかし、それが不可能であるということは再三申し上げている通りです。縮小しつつある経済であっても出資者への配当はなくなるわけではありません。それで満足していれば良いものを、欲を出してさらなる配当を求めるから世界が乱れていくわけです。

誰が世界の敵かということも段々と明らかになってきたように思います。
2015/01/25(Sun) 21:02 | URL  | 爽風上々 #-[ 編集]
Re:執拗過ぎる経済成長主張
資本主義なんてものを多くの人が容認するのはおかしな話です。資本家[Capitalist]の社会[Society]で、資本家から見れば労働者も資本の一つです。完全に人間の差別だと思います。財閥、資本家の御用政府、御用学者は、自由経済と資本主義を同じものだとしてプロパガンダしていますがそれは詐欺的プロパガンダでしょう。一歩譲っても、資本主義は自由経済の特殊な一形態としか言えないでしょう。まして自由主義と資本主義が一体の訳がありませんが、共産主義に対する言葉として、わざと「Freedom」と言う言葉を使い、自分達の特権を維持しようとしているのでしょう。私はこれを「抱き合わせの自由経済」と言っています。

>誰が世界の敵かということも段々と明らかになってきたように思います。

金融業(銀行)と資本家は表裏一体と言えましょう。
2015/01/26(Mon) 22:09 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
地球という入れ物の制限
 地球の大きさによる制限を人類は分かっていないですね。豊かな生態系という人類にとってタダに見える物を消費して経済成長を行ったれけですが、現在、生態系の致命的な縮小により、地球規模の文明崩壊の危機にひんしています。豊かな生態系が何よりも大切であることが分からないのでは、破滅を回避することは不可能でしょうね。
2015/01/26(Mon) 22:16 | URL  | guyver1092 #-[ 編集]
Re:地球という入れ物の制限
確かに地球と言う入れ物の大きさは、ある意味大き過ぎて分っていませんね。「ある意味」と言うのは、人間の感覚と比べて・・・と言う意味です。確かに大航海時代までは、(西洋人から見て)「未開の地」が果てしなくあり、現在もその価値観のままの「高度経済成長時代の遺物」が残っているわけです。日本で言えばアベノミクスを推進する人々が典型例でしょう。
 しかし、槌田敦さんや石川英輔氏が江戸時代の事を書いた書物を読みますと、当時の人々の中にも沢山「成長の限界」を肌で感じていたようですね。だからシビアな人口間引き等を行っていたのでしょう。これは「文明崩壊」に載っていた海外の島国(名はどこか忘れました。)でも同じです。つまり、一定の土地に定住してきた民族は、「成長の限界」を肌で感じ取っていたのではないでしょうか?・・・「グローバル化」なんて言葉に騙される現代人は理性を失ったと言えましょうか・・?・でもまた最近「成長の限界」を感知している若者が増えたとも感じています・・・。
2015/01/26(Mon) 23:13 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
自由とは
フランスのテロ事件でも、「表現の自由」の問題が大きくクローズアップされてきているようです。
日本でも「ヘイトスピーチ」の問題が絡んできますが、完全な「表現の自由」というものはありえないように感じます。

同じような問題は「自由経済」というものの中にも潜んでいます。何をやっても自由というような「自由経済」というものは、理想論の中ではあるかもしれませんが、実態では弊害の大きさがわかるばかりです。
自由というものはあくまでも他に迷惑をかけない程度に制限されなければなりません。どこまでも自由などというものを認めれば、強者が完全支配まで突き進むばかりです。

しかし、それまでの歴史であまりにも自由を制限するようなことが起こってきたために、自由こそ最大の目的という風潮ができたことも間違いありません。
そこのところを整理して考えるためには、「弱者の自由」と「強者の自由」をはっきりと分けて考えるところから始まるのでしょう。これを一律に議論することはすべて「強者への迎合」と考えるべきなのかもしれません。
2015/01/28(Wed) 21:32 | URL  | 爽風上々 #-[ 編集]
Re:自由とは
>自由というものはあくまでも他に迷惑をかけない程度に制限されなければなりません。

そして、公正でなければモラルハザードを引き起こしますね。今の資本主義経済こそまさしく不公正のステレオタイプでしょう。

だから、
>何をやっても自由というような「自由経済」

は理想では無く、弱肉強食の無情なものでしょうね。
よく、社会主義、共産主義は、運営する人々が優等生で無ければ悲惨なものになると言われますが、資本主義も同様、若しくはそれ以上に酷くなるでしょう。

果たして現在のほうが過去よりも自由なのでしょうか?
2015/01/29(Thu) 23:32 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
強者の自由
現代の世界は「強者が何をやっても自由」というものに支配されているようです。
とはいえ、良く考えてみるとこれまでもずっとそうだったのかも知れませんが。それが、過去の世界では力と力の闘いで強いものが勝ち、敗者を徹底的に痛めつけていた(過去の世界では皆殺し、奴隷化なども行われていたわけです)が現代ではそこまで露骨なことはしなくなっただけのことかもしれません。

しかし、殺されなくても奴隷にされなくても、まったく収入の道を閉ざされてしまえばどうしようもありません。

今の各地での暴力の噴出はこのような経済的闘いの敗者が最後の反抗を企てているものです。その矛先は勝者のように見えるアメリカなどに向かっていますが、残念ながらその相手が良く分かっていないためか、アメリカの一般人まで間違えて犠牲者にしています。
アメリカ人のほとんどはこのような経済戦争の敗者ですが、外から見るとわかりにくいのでしょう。
それに宗教の眼鏡がかかるとさらに目が曇ってしまいます。本当はアメリカなどの大企業と大金持が敵なのに、キリスト教全体が敵と錯覚させられているのがイスラム過激派のように見えます。

それはさておき、そのような「強者の自由」が正義であるというのは伝統的なヨーロッパ文化のものかもしれません。(実はイスラム帝国でも、モンゴル帝国でも最盛時にはそのような正義があったはずであり、必ずしもヨーロッパの専売ではありませんが、現在では西欧文明と重なってしまいます)
したがって、彼らの精神の奥底にそれを絶対視する思想があるのかもしれません。

そこから出てくるものが、「規制緩和は絶対の善」であるとか、「自由な市場経済が最良」といった考え方になるものと思います。

これまでの不自由な経済活動の中ではそれも一面の正義を持っていたのかもしれませんが、行き過ぎた情報技術の発達で一気に金を手にするということも可能になってしまい、歯止めがなくなりました。
元々、そのような「自由が正義」といった乱暴な論理は成り立っていないのですが、それがさらに暴走できる環境が整ってしまったのでしょう。

これまで、「環境破壊」や「資源の欠乏」から来る人類の危機についてはいろいろと考えてきましたが、今は「経済闘争の勝者と敗者の暴力闘争」がより早い「人類文明の危機」になりそうになってしまいました。
「環境破壊」「資源欠乏」を救うのは人類の英知であろうと思っていましたが、それよりはるかに次元の低い「人類の欲望」で危機が迫っています。
2015/01/30(Fri) 15:38 | URL  | 爽風上々 #-[ 編集]
Re:強者の自由  とは・・
>矛先は勝者のように見えるアメリカなどに向かっていますが、>アメリカの一般人まで間違えて犠牲者にしています。
>アメリカ人のほとんどはこのような経済戦争の敗者ですが
>本当はアメリカなどの大企業と大金持が敵

そうですね。湾岸諸国に派遣された兵士の多くは、貧困などの理由で半ば仕方なく兵士にさせられた「経済的弱者」で、ある意味同じ境遇の者同士で殺し合いさせられています。

>残念ながらその相手が良く分かっていないため

は、金融財閥の資本家たちの陰謀でしょうね。敵のすり替えです。つまり、軍需産業を筆頭に、強欲な大金持ちが更なるお金儲けの為のゲームを行っているのですが、そのゲームの駒として貧乏人をつかって、お互いリスクは彼等にに負わせると言うとんでもなく卑劣な手法でしょう。
 日本も含めた原発産業も同じ手法と言えるでしょう。

>「規制緩和は絶対の善」であるとか、「自由な市場経済が最良」といった考え方

これも頭の弱い人達はそう思わされるでしょうが、強欲なサイコパス達ははじめから「善悪」の基準は無く、ただ、自分が得すかどうか、儲ける為の方便と割り切っている事でしょう。

彼等は「強者」と言うよりも、自分の利益の為には他の人を犠牲にしても構わないと言う強欲なサイコパスだと思います。実力がある人は沢山いますが、その中でそのような他人の犠牲をいとわないサイコパスがのし上がって「強者」に見えるのでしょう。そんな理不尽な「自由」を許しているのが「自由社会」の負の一面でしょう。

>「経済闘争の勝者と敗者の暴力闘争」がより早い「人類文明の危機」になりそうになってしまいました。
>それよりはるかに次元の低い「人類の欲望」で危機が迫っています。

なるほど、そうも言えるかも知れませんが、元々

>「環境破壊」や「資源の欠乏」から来る人類の危機

も、主としてそのようなモラル無き強欲な人々、サイコパスが作り出したものだと認識しております。


2015/01/31(Sat) 16:40 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
可哀想なアメリカ人、日本人も
アメリカを中心にしたほんの一部の富裕層、大企業に世界の富が独占されたあおりで、日本人が殺害されました。一般のアメリカ人も多くが危険にさらされています。

しかし、彼らの跋扈を許している政府というものは実は多くの国民が選挙で選んでいる「民主主義」政府なのです。
アメリカでは毎回巨額の金を使う選挙で、共和党民主党という大して差もない二大政党から「究極の選択」をするだけのことをしているのですが、その多くは経済闘争の敗者の国民が投票しています。
これは日本でも変わらず、まったく自分たちのためにならない大企業・富裕者よりの政策を実施するだけの政党(自民党ですが、野党もほとんど似たり寄ったりです)に投票する人が多数です。

自分たちのための政策を行う政府を作れないのが悪いと言えばすべての有権者が悪いのでしょう。

弱者のために財政を使い、富裕層からは税金をたっぷりと取る。とくに為替取引のようなものには、ビルトッテンさんが繰り返し言っているように「トービン税」というものを取れば良いんです。さらに大企業の利益には多額の税をかけること。それを実施できるような政府を作ることが、ひいては全世界の平和にもつながるわけです。

可哀想なアメリカ人・日本人と書きましたが、実は「愚かな」というべきでした。
2015/02/01(Sun) 09:43 | URL  | 爽風上々 #-[ 編集]
Re:可哀想なアメリカ人、日本人も
さもアメリカがデモクラシーの最先端を言っているような言い方をして、日本はアメリカの悪い部分を追いかけていますね。
御用学者が提唱したであろうトリクルダウン理論だとかを真似て、累進課税を緩和し、大企業、大富豪の税率を低くして来ました。

>ビルトッテンさんが繰り返し言っているように「トービン税」というものを取れば良いんです。

私もそれに賛成です。そして、この次の記事に書いたように、紙幣は中央銀行が発行するのではなく、政府が発行するべきだと思います。中央銀行の行員や株主がシニョレッジの恩恵を受けると言うのは非常に理不尽です。国際金融マフィアの陰謀でしょう。
2015/02/01(Sun) 19:48 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
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