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2015-01-11 00:01

他の目的で・・・自動車優先で歩行者への配慮がない除雪作業の現状を非難する為に・・・今年の1月5日(月)の初出勤は、天気が良ければ、足で雪道を歩いて歩行者への配慮の無い除雪の実態を写真に収めてここに載せようと考えました。

徒歩出勤は初めてです。最短距離はほぼバス通り沿いで13.2kmです。どのくらい時間がかかるか判りませんでしたが、大体2時間半前後と読みました。朝晴れていたら、5時半頃に家を出ようと計画しました。勿論こんな事で背水の陣で最後まで歩く積りは無かったので、道が積雪の為に歩行困難だったり、雪が多めに降ってきたり、吹雪いたり、遅刻しそうになったり疲れたりしたら、無理せずに直ぐに路線バスに乗り込もうと、通勤で使える時間帯のバス時刻表を歩きながら見れるように紙に写して小さなクリアケースに入れて持参致しました。ここのところずっと、あまり利用されなくなった路線バスにも拘らず、朝の通勤通学時間帯ですので、30分に1本くらいの割合で、使えそうなバスが4本在りました。バス停は平均して500m毎位にありました。街がない田んぼの中でも、1km未満の間隔でした。・・・と、言うことでバスのフォロー体制は万全でした(笑)・・・但し、吹雪いた時に屋根の無い停留所で長時間バスを待つのは大変ですし、歩行者が歩く余地がなくて、危険な場所もあるかと思いましたが、兎も角予定時刻を少し遅れて出発しました。この日の歩行者の道の環境は思ったよりはまともで、時々写真を撮りながら歩いていたら、時間もどんどん経過してペースが遅くなりました。そして、除雪の不備よりも歩く事に興味が移りました。何かあったら乗ろうと計画していたバスは4台ともやり過ごし、遅れを取り戻す為に途中何度か走りましたが、結局最短13.2kmを歩き通しました。通勤でこれだけの距離を歩いたのは初めてです。山登りでもない限り、徒歩で一日に10km以上歩くことは稀です。大抵の現代人はそうではないでしょうか?
冬の東北の朝は日が昇るのも遅いのですが、雪道は明るく、ライト無しで歩けました。
前置きが長くなりましたが、通勤路を歩き通して考えるところがありますので、今回は自治体の除雪行政の批判は止めて(後の機会に置いておいて)交通手段としての徒歩と言う事について書かせて頂きます。


石川英輔氏の大江戸シリーズにも記載されていましたが、昔の人・・江戸時代の人は、片道十数kmの道のりくらいは平気で歩いたと言います。自動車など無かった江戸時代の庶民は馬で移動する事も余りなかったでしょうから、必然的に徒歩が主な移動手段だったでしょう。通勤でも仕事でも徒歩が主ですから、普通に暮らしていても、一日数kmは楽に歩いていた事でしょう。職場が遠い・・・と言っても現在のように数十km通勤なんて事はほぼ無かったでしょう。飛脚は別格としても、行商人も魚や野菜の入った重い桶などを担いで一日十kmは軽く歩いて仕事をしていたでしょう。

封建時代の日本人は土地に縛られて移動の自由が無かったと見られがちですが、江戸時代は平和が長く続き、多くの人が歩いて旅して回ったそうです。伊勢には、北は奥州、南は九州から毎年沢山の人が御参りに訪れ、遷宮の年(1830年)には500万人(当時の日本の人口3000万人の六分の一)が伊勢に訪れたと言う記録も残っているそうです。つまり、一日数十kmを数十日間歩き続ける旅をする人が沢山いたと言う事です。旅するのが大変だったろう・・・と思うよりも、江戸時代は、そんな連続数十日間も旅する余裕があった事と、治安が良かった事とを感心します。
徒歩のエネルギーは人力です。人力は、元を辿れば食糧、植物に行き着き、植物のエネルギー源は光合成による太陽エネルギーです。食料は基本的にその年に植物が光合成で貯めた太陽エネルギーですから、人力を使うと言う事は毎年地上に降り注ぐ太陽光の一部のストックの利用と言う事になりましょう。生態系を豊かにする事はあれ、生態系を破壊する事はないエネルギーの使い方です。

当方は、最近自転車生活を送っていますので、数km~十数kmの道のりは自転車で行くのが億劫ではありません。しかし、徒歩はかなり億劫で、1kmくらいの道のりでも面倒に感じます。
しかし、【ビル・トッテン氏】は自宅から京都駅までのおよそ8kmを速足で歩くそうです。(普通に歩いたのでは体力が付かないと考えているのでしょう。)
私も自転車の使えない冬場は、数kmくらいは徒歩を心掛けたいと思います。
流石に片道2時間半の13kmの道のりを毎日通勤で使えば、時間の使い過ぎと感じますから、ごくたまに(冬場に数回(1回)というところでしょうか?)片道のみ歩いて、もう片道はバスを利用しようと思います。

当方は、マイカー通勤に反対です。自動車を一人で運転して通勤する事はエネルギーの浪費と考えます。通勤は徒歩や自転車、若しくは電車やバスなどの公共交通機関で通勤できる範囲内にすべきです。自分も含め殆どの人は自家用車通勤するだけの価値のある仕事をしていないと思います。
自家用車ではありませんが、車を使うほどの仕事をしているのは、救急車だとか消防車だとか緊急車両だけと考えられるかも知れません。・・・しかし、それらの使用でさえ、自動車社会によって引き起こされる交通事故の犠牲者と比べて価値があるのか・・?と考えます。道路を消防車とか救急車しか利用しないとしても、その為に道路を作る事による犠牲(生態系の破壊など)のほうが長い目で見れば遥かに大きいのではないでしょうか?
私の家にも自家用車はありますが、出来るだけ使いません。しかし、自家用車を持っていて出来るだけ使用を控える・・・なんて事では甘いと思います。ハイブリッドカーでも軽自動車でも駄目でしょう。(軽自動車を最小限に使う・・・と言うのが一番「まし」でしょう。)自家用車を持たない事が重要だと思います。その意味で最近の若者の自動車離れは非常にいい傾向、歓迎すべき事と感じております。

余談ですが、日本の国を動かしていると自認している人々も自動車通勤する価値は無いと考えます。それどころか彼等に限って、自動車通勤する価値は全く無いと考えます。彼等は是非とも徒歩出勤して欲しいと考えます。例えば現総理大臣が徒歩通勤して、公務に支障をきたせば、それだけアベノミクスのような愚策の決定や施行が先延ばしになり、やがて出来なくなり、日本にとっては非常に良い結果をもたらすでしょう。もしかしたら、それによって国家破綻を回避できるやも知れません。安倍首相をはじめとして、現政権の議員、官僚達はみんな徒歩通勤して、是非とも公務に支障をきたして欲しいものです。徒歩通勤するだけで、少しは社会の害になる事を減らせるでしょう。
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【2015/01/11 00:01】 | 一寸日常生活 トラックバック(0) |

とほとほ
爽風上々
13km通勤徒歩というのはすごいですね。私もよく散歩はしますが、通常で5kmほど。10kmを越えると身体のあちこちががっくりしてきて限度がわかります。

1日あたりの徒歩旅行の旅程でもだいたい30km程度のようです。それを1日かけて歩くので、休憩と昼食を除き8時間で時速5kmといったところのようです。
当地でも年に一度のウォーキング大会があり最長コースは40kmというのがあるようですが、とても挑戦はできません。これまでも10kmコースまでの参加で、今年もその予定です。

慣れ・・習慣
雑草Z
>とほとほ

とは、上手いタイトルですね。

当方は、自転車生活は慣れていますが、徒歩は面倒で、500mくらいでも殆ど自転車にしますが、雪国では冬場は自転車に乗れません。(時々乗ってる人を見かけますが・・)
ビルトッテンさんは8kmを速足で歩きますし、江戸時代の人は10kmくらいは普通に歩いていたようですので、自分も途中でバスに乗ってもいいや・・・て感じで歩いたら、結構楽しく歩けました。一度歩けば自信もつきます。忘れる前にまた歩いて習慣化したいと思います。でも、

>私もよく散歩はしますが、通常で5kmほど。

と言う爽風上々さんの歩く量のほうがずっと多いと思います。当方は夏場は大抵自転車ですし、冬場は3月までにあと一回徒歩通勤してみようかな…ってくらいです。
普段よりは東京に行ったときのほうがよほど歩きますね。数駅分歩きます。

東京
爽風上々
以前はよく東京などにも出て行ったものですが、都会は田舎よりよほど歩く距離が長いですね。
車に乗るにも駐車場があまり無く、あっても遠かったりまたタクシー乗り場も離れておりそれくらいなら歩いた方が早いやと思ってよく歩いたものです。

田舎の方が目的地寸前まで車で近づけたりするので歩く必要がなく、足も弱るようです。家内の親が年老いてまったく歩くことがなくなり、衰えがひどくなりました。
自分の母親も同年代なのですが、こちらは東京ではないもののその郊外でどこに行くにもバスを使ってその先は歩かないと買い物もできないと言うことで身体は衰えながらも結構歩くようです。

やはり人間は歩くことが必要なようです。

都会と田舎の歩く距離
雑草Z
>都会は田舎よりよほど歩く距離が長い

そうですね。自家用車が普及してから、田舎のほうが断然自家用車依存が高くなり、歩かなくなったでしょうね。田舎では一家に一台では無く複数台・・大人の数だけ車があるなんて家も珍しくなくなって来ましたね。良くない傾向です。だからこそ、若者の車離れは好ましく思いますが、それも都会のほうが強い傾向でしょうね。田舎では通勤に車を使うのが一般になりました。【化石燃料の罪】で送風上々さんが危惧されているように、「自動車社会」になってしまった為の弊害は非常に大きいと思います。

通勤手段
guyver1092
 通勤手段は、徒歩や自転車、若しくは電車やバスなどの公共交通機関以外にも、少なくとも原付までは許せると考えます。理由は、公共交通機関の定期代と原付の燃料代を比べると、燃料代のほうが安いからです。計算したところ、原付本体価格を含めても、三万キロぐらいでトントンになりました。化石燃料の消費はほぼ金額に比例するとの事なので、原付は公共交通機関より少しましなのではと思います。
 むろん、徒歩、自転車がずっと省資源的ですね。

歴史にifは禁物
爽風上々
どうもまたあの記事に近づきそうで申し訳ないですね。

「歴史にifは禁物」とは良く言われることですが、歴史そのものにはそれは言えるとしても、歴史を現代や未来のために使おうとするならフルに”if”を使うことが必要です。私も常々その想像を行なうことで現象の本質に迫ることができると考え思いをめぐらせています。

そこで今回のIFは「もしも内燃機関が発明されなければ」です。石油などの化石燃料を燃やすことや合成化学原料としての使用はできても、内燃機関の発明が無かったとしたら自動車の繁栄は簡単なことではなかったでしょう。
もちろん、実際に検討されたように蒸気機関を使った自動車と言うものが発展したかもしれませんし、そのうちには電気自動車や水素自動車が発明されたかもしれませんが、その進展の速度はきわめて遅いものだったでしょう。

そうだったとしたら、ここまで社会の変化というものは進行しなかったのではないかと思います。
自動車と言うものが個人の移動を自由にし、それが社会の人間のつながりというものを破壊する方向で変革してしまったと言うならば、それが無かったとしたらここまでの変化は無かっただろうという想像です。

そこまでのIFを想像してみれば、なぜ自動車が人間社会を変化させたかが理解しやすいと思います。

Re:通勤手段
雑草Z
なるほど、原付は電車やバスよりも費用対効果が良さげですか!・・・ならば、50ccカーも良さげですね。燃費はどのくらいなのでしょう?
 ただ、公共交通機関が定時に走るものだとした場合、それに更に一人乗ろうとバスや電車の燃費の増加は微々たるものですから、そういう意味ではバスや電車のほうがいいですね・・・・「必ず運行するもの」と仮定した場合で、それを言ったら飛行機も同じになってしまいますが(笑)・・・実際地方の赤字路線やバスは乗客も少なく、そこまで考慮した燃費は自家用車よりも悪いかも知れません。でも、先ずはみんなで公共交通機関を利用する方向に持って行くべきだと思います。

Re:歴史にifは禁物
雑草Z
>歴史を現代や未来のために使おうとするならフルに”if”を使うことが必要です。私も常々その想像を行なうことで現象の本質に迫ることができると考え思いをめぐらせています。

なるほど!そういうifの使い方は非常に有効ですね。

>「もしも内燃機関が発明されなければ」

は考えたことが無かったので、非常に参考になりました。
その場合、スターリングの台頭はあったでしょうか?

>そこまでのIFを想像してみれば、なぜ自動車が人間社会を変化させたかが理解しやすい

このコメントを読んで私も納得致しました。



燃費
guyver1092
 50ccカーは重さの分だけ原付よりも燃費は悪いでしょうね。ちなみに私の原付は夏場の最高の燃費がリッターあたり56km、冬場は47kmほどです。同僚は私のより2~3kmほど悪いそうです。
 公共交通機関は定員いっぱいに近付けば近付くほど1人当たりの燃料は少なくなるでしょうね。ただ、余裕のない現代社会では自家用の交通手段の高い自由度が好まれるのでしょう。
 高度経済成長までは、買い物等は半径数百メートル以内で事足りたそうで、現代とは社会情勢が違いますね。逆から考えれは、たとえば江戸時代のように行商が発達した社会なら外出の必要が大幅に減り、公共交通機関の必要も減るでしょうね。

Re:燃費
雑草Z
原付の燃費、お知らせ頂き有難う御座います。普通自動車の数倍はいいわけですね。50ccカーも軽量化は出来ると思いますが、原付並みでは難しいでしょうか?・・・その分、流線形にして風圧を低くすれば、原付並みの燃費は確保できそうな気がします。
いつも思う事は、自家用車は運ばれるもの(人、荷物)に対して、本体が重過ぎますね。自動車のする仕事の大半は、車体自身を運ぶのに使われますね。
日本で発表される燃費はかなり眉唾ですが、現在、軽自動車でもかなり燃費のいい車が販売になっているようですね。

>たとえば江戸時代のように行商が発達した社会なら外出の必要が大幅に減り、公共交通機関の必要も減るでしょうね。

ある意味、江戸時代のほうが気楽で便利だったかも知れませんね。( guyver1092 さんも、石川英輔氏の『大江戸シリーズ』からの知識でしょうか?)


徒歩社会のサイズ
爽風上々
鬼平犯科帳などを読んでいると江戸の中では馬を使うことは稀でほとんど徒歩ですが、江戸のサイズがどれほどかというと大体半径4km以内だったようです。
それも日本橋あたりを中心に新宿や目黒、巣鴨などのほとんど郊外までの距離ですので、町の中心だけを見ればもっとコンパクトだったのでしょう。
それでも何か事件があったときにその通報をするにも走って、それから火付け盗賊改が出動するのも走っていけば何時間もかかってしまいますが。

まあ普通に歩いていける範囲内に生活に必要なほとんどのものが揃っていたとして、2-3km以内に固まっていることが条件でしょうか。
その中で、仕事、教育、役所や銀行、買い物、病院があること。とすると今の一つの町もいくつかに分割されなければならないかもしれません。

そのブロックを結ぶのが路面電車(富山市のような)、さらにいくつかのブロックがまとまった都市(今の意味の都市とは違いますが)を相互に結ぶのが都市間鉄道といったものになると思います。

Re:徒歩社会のサイズ
雑草Z
>江戸のサイズがどれほどかというと大体半径4km以内

「山手線の内側」くらいのイメージでしょうね。端から端まで歩くのも大したことないですね。

>町の中心だけを見ればもっとコンパクト

東京の市街地は第二次世界大戦直前まででもかなりコンパクトで、ちょっと歩くとすぐ林や田んぼがあった・・・と生粋の東京っ子の知人が言っておりました。
江戸に限らず地方の都市も、市街地はみんなそんなものだったでしょうね。

 自家用車の普及で、今じゃ、小さな地方都市ですら買い物などの日常の用事でも普通に10kmくらい自動車で移動しますね。旧市街地はシャッター街になってしまうし・・・非常なエネルギーの浪費です。

>ブロックを結ぶのが路面電車(富山市のような)、さらにいくつかのブロックがまとまった都市(今の意味の都市とは違いますが)を相互に結ぶのが都市間鉄道といったものになると思います。

省エネ・ローカル化の都市計画の概要は出来上がっていますね!

Re:Re:燃費
guyver1092
 江戸時代は、おそらく人類が最も太陽エネルギーを有効に使っていた時代なのではないでしょうか。もっとも有効に使いつつ、資源の分配を行った結果が、行商の発達という気がします。「江戸の真実」というムックで読んだと思いますが、江戸の庶民の70%が雑業者(その日によって売るものが違い、現代風の分類のしにくい存在で長屋でその日暮らしの者)だったそうです。彼らは翌日の仕入れのお金を残して全て飲み食いに使ってしまい、その日暮らしだったそうです。
 私の知識は、石川氏のものと江戸の真実によります。行商については、石川氏の本によります。

Re:Re:Re:Re:燃費
雑草Z
>江戸時代は、おそらく人類が最も太陽エネルギーを有効に使っていた時代なのではないでしょうか。もっとも有効に使いつつ、資源の分配を行った結果が、行商の発達という気がします。

これまたguyver1092らしい非常にユニークな洞察ですね。なるほど、太陽エネルギーと言う事は意識していなくても、省エネ(それも意識していませんんね。)と言う事で、行商になったわけですね。納得です。

>江戸の庶民の70%が雑業者(その日によって売るものが違い、現代風の分類のしにくい存在で長屋でその日暮らしの者)だったそうです。

これまた凄いお話です。専業のほうが能率がいいみたいですが、臨機応変に仕事を変えると言うのも有効ですね。特に江戸時代は有効だったでしょうね。

>彼らは翌日の仕入れのお金を残して全て飲み食いに使ってしまい、その日暮らしだったそうです。

このような生活は、現代では疎んじられますが(・・・蟻とキリギリスの「キリギリス」と見なされそうですが・・)お金を貯め込む事が目的の強欲な金融資本家達によって破局への道を道連れにされている現代のほうが遥かに愚かだと思えます。
 色々、目から鱗の情報、有難う御座いました。

>「江戸の真実」というムック

も探してみます。


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コメント
この記事へのコメント
とほとほ
13km通勤徒歩というのはすごいですね。私もよく散歩はしますが、通常で5kmほど。10kmを越えると身体のあちこちががっくりしてきて限度がわかります。

1日あたりの徒歩旅行の旅程でもだいたい30km程度のようです。それを1日かけて歩くので、休憩と昼食を除き8時間で時速5kmといったところのようです。
当地でも年に一度のウォーキング大会があり最長コースは40kmというのがあるようですが、とても挑戦はできません。これまでも10kmコースまでの参加で、今年もその予定です。
2015/01/11(Sun) 21:22 | URL  | 爽風上々 #-[ 編集]
慣れ・・習慣
>とほとほ

とは、上手いタイトルですね。

当方は、自転車生活は慣れていますが、徒歩は面倒で、500mくらいでも殆ど自転車にしますが、雪国では冬場は自転車に乗れません。(時々乗ってる人を見かけますが・・)
ビルトッテンさんは8kmを速足で歩きますし、江戸時代の人は10kmくらいは普通に歩いていたようですので、自分も途中でバスに乗ってもいいや・・・て感じで歩いたら、結構楽しく歩けました。一度歩けば自信もつきます。忘れる前にまた歩いて習慣化したいと思います。でも、

>私もよく散歩はしますが、通常で5kmほど。

と言う爽風上々さんの歩く量のほうがずっと多いと思います。当方は夏場は大抵自転車ですし、冬場は3月までにあと一回徒歩通勤してみようかな…ってくらいです。
普段よりは東京に行ったときのほうがよほど歩きますね。数駅分歩きます。
2015/01/11(Sun) 23:58 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
東京
以前はよく東京などにも出て行ったものですが、都会は田舎よりよほど歩く距離が長いですね。
車に乗るにも駐車場があまり無く、あっても遠かったりまたタクシー乗り場も離れておりそれくらいなら歩いた方が早いやと思ってよく歩いたものです。

田舎の方が目的地寸前まで車で近づけたりするので歩く必要がなく、足も弱るようです。家内の親が年老いてまったく歩くことがなくなり、衰えがひどくなりました。
自分の母親も同年代なのですが、こちらは東京ではないもののその郊外でどこに行くにもバスを使ってその先は歩かないと買い物もできないと言うことで身体は衰えながらも結構歩くようです。

やはり人間は歩くことが必要なようです。
2015/01/12(Mon) 21:14 | URL  | 爽風上々 #-[ 編集]
都会と田舎の歩く距離
>都会は田舎よりよほど歩く距離が長い

そうですね。自家用車が普及してから、田舎のほうが断然自家用車依存が高くなり、歩かなくなったでしょうね。田舎では一家に一台では無く複数台・・大人の数だけ車があるなんて家も珍しくなくなって来ましたね。良くない傾向です。だからこそ、若者の車離れは好ましく思いますが、それも都会のほうが強い傾向でしょうね。田舎では通勤に車を使うのが一般になりました。【化石燃料の罪】で送風上々さんが危惧されているように、「自動車社会」になってしまった為の弊害は非常に大きいと思います。
2015/01/13(Tue) 00:07 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
通勤手段
 通勤手段は、徒歩や自転車、若しくは電車やバスなどの公共交通機関以外にも、少なくとも原付までは許せると考えます。理由は、公共交通機関の定期代と原付の燃料代を比べると、燃料代のほうが安いからです。計算したところ、原付本体価格を含めても、三万キロぐらいでトントンになりました。化石燃料の消費はほぼ金額に比例するとの事なので、原付は公共交通機関より少しましなのではと思います。
 むろん、徒歩、自転車がずっと省資源的ですね。
2015/01/13(Tue) 20:09 | URL  | guyver1092 #-[ 編集]
歴史にifは禁物
どうもまたあの記事に近づきそうで申し訳ないですね。

「歴史にifは禁物」とは良く言われることですが、歴史そのものにはそれは言えるとしても、歴史を現代や未来のために使おうとするならフルに”if”を使うことが必要です。私も常々その想像を行なうことで現象の本質に迫ることができると考え思いをめぐらせています。

そこで今回のIFは「もしも内燃機関が発明されなければ」です。石油などの化石燃料を燃やすことや合成化学原料としての使用はできても、内燃機関の発明が無かったとしたら自動車の繁栄は簡単なことではなかったでしょう。
もちろん、実際に検討されたように蒸気機関を使った自動車と言うものが発展したかもしれませんし、そのうちには電気自動車や水素自動車が発明されたかもしれませんが、その進展の速度はきわめて遅いものだったでしょう。

そうだったとしたら、ここまで社会の変化というものは進行しなかったのではないかと思います。
自動車と言うものが個人の移動を自由にし、それが社会の人間のつながりというものを破壊する方向で変革してしまったと言うならば、それが無かったとしたらここまでの変化は無かっただろうという想像です。

そこまでのIFを想像してみれば、なぜ自動車が人間社会を変化させたかが理解しやすいと思います。
2015/01/13(Tue) 20:47 | URL  | 爽風上々 #-[ 編集]
Re:通勤手段
なるほど、原付は電車やバスよりも費用対効果が良さげですか!・・・ならば、50ccカーも良さげですね。燃費はどのくらいなのでしょう?
 ただ、公共交通機関が定時に走るものだとした場合、それに更に一人乗ろうとバスや電車の燃費の増加は微々たるものですから、そういう意味ではバスや電車のほうがいいですね・・・・「必ず運行するもの」と仮定した場合で、それを言ったら飛行機も同じになってしまいますが(笑)・・・実際地方の赤字路線やバスは乗客も少なく、そこまで考慮した燃費は自家用車よりも悪いかも知れません。でも、先ずはみんなで公共交通機関を利用する方向に持って行くべきだと思います。
2015/01/14(Wed) 06:44 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
Re:歴史にifは禁物
>歴史を現代や未来のために使おうとするならフルに”if”を使うことが必要です。私も常々その想像を行なうことで現象の本質に迫ることができると考え思いをめぐらせています。

なるほど!そういうifの使い方は非常に有効ですね。

>「もしも内燃機関が発明されなければ」

は考えたことが無かったので、非常に参考になりました。
その場合、スターリングの台頭はあったでしょうか?

>そこまでのIFを想像してみれば、なぜ自動車が人間社会を変化させたかが理解しやすい

このコメントを読んで私も納得致しました。

2015/01/14(Wed) 06:46 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
燃費
 50ccカーは重さの分だけ原付よりも燃費は悪いでしょうね。ちなみに私の原付は夏場の最高の燃費がリッターあたり56km、冬場は47kmほどです。同僚は私のより2~3kmほど悪いそうです。
 公共交通機関は定員いっぱいに近付けば近付くほど1人当たりの燃料は少なくなるでしょうね。ただ、余裕のない現代社会では自家用の交通手段の高い自由度が好まれるのでしょう。
 高度経済成長までは、買い物等は半径数百メートル以内で事足りたそうで、現代とは社会情勢が違いますね。逆から考えれは、たとえば江戸時代のように行商が発達した社会なら外出の必要が大幅に減り、公共交通機関の必要も減るでしょうね。
2015/01/14(Wed) 21:02 | URL  | guyver1092 #-[ 編集]
Re:燃費
原付の燃費、お知らせ頂き有難う御座います。普通自動車の数倍はいいわけですね。50ccカーも軽量化は出来ると思いますが、原付並みでは難しいでしょうか?・・・その分、流線形にして風圧を低くすれば、原付並みの燃費は確保できそうな気がします。
いつも思う事は、自家用車は運ばれるもの(人、荷物)に対して、本体が重過ぎますね。自動車のする仕事の大半は、車体自身を運ぶのに使われますね。
日本で発表される燃費はかなり眉唾ですが、現在、軽自動車でもかなり燃費のいい車が販売になっているようですね。

>たとえば江戸時代のように行商が発達した社会なら外出の必要が大幅に減り、公共交通機関の必要も減るでしょうね。

ある意味、江戸時代のほうが気楽で便利だったかも知れませんね。( guyver1092 さんも、石川英輔氏の『大江戸シリーズ』からの知識でしょうか?)
2015/01/15(Thu) 06:30 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
徒歩社会のサイズ
鬼平犯科帳などを読んでいると江戸の中では馬を使うことは稀でほとんど徒歩ですが、江戸のサイズがどれほどかというと大体半径4km以内だったようです。
それも日本橋あたりを中心に新宿や目黒、巣鴨などのほとんど郊外までの距離ですので、町の中心だけを見ればもっとコンパクトだったのでしょう。
それでも何か事件があったときにその通報をするにも走って、それから火付け盗賊改が出動するのも走っていけば何時間もかかってしまいますが。

まあ普通に歩いていける範囲内に生活に必要なほとんどのものが揃っていたとして、2-3km以内に固まっていることが条件でしょうか。
その中で、仕事、教育、役所や銀行、買い物、病院があること。とすると今の一つの町もいくつかに分割されなければならないかもしれません。

そのブロックを結ぶのが路面電車(富山市のような)、さらにいくつかのブロックがまとまった都市(今の意味の都市とは違いますが)を相互に結ぶのが都市間鉄道といったものになると思います。
2015/01/16(Fri) 08:30 | URL  | 爽風上々 #-[ 編集]
Re:徒歩社会のサイズ
>江戸のサイズがどれほどかというと大体半径4km以内

「山手線の内側」くらいのイメージでしょうね。端から端まで歩くのも大したことないですね。

>町の中心だけを見ればもっとコンパクト

東京の市街地は第二次世界大戦直前まででもかなりコンパクトで、ちょっと歩くとすぐ林や田んぼがあった・・・と生粋の東京っ子の知人が言っておりました。
江戸に限らず地方の都市も、市街地はみんなそんなものだったでしょうね。

 自家用車の普及で、今じゃ、小さな地方都市ですら買い物などの日常の用事でも普通に10kmくらい自動車で移動しますね。旧市街地はシャッター街になってしまうし・・・非常なエネルギーの浪費です。

>ブロックを結ぶのが路面電車(富山市のような)、さらにいくつかのブロックがまとまった都市(今の意味の都市とは違いますが)を相互に結ぶのが都市間鉄道といったものになると思います。

省エネ・ローカル化の都市計画の概要は出来上がっていますね!
2015/01/17(Sat) 10:06 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
Re:Re:燃費
 江戸時代は、おそらく人類が最も太陽エネルギーを有効に使っていた時代なのではないでしょうか。もっとも有効に使いつつ、資源の分配を行った結果が、行商の発達という気がします。「江戸の真実」というムックで読んだと思いますが、江戸の庶民の70%が雑業者(その日によって売るものが違い、現代風の分類のしにくい存在で長屋でその日暮らしの者)だったそうです。彼らは翌日の仕入れのお金を残して全て飲み食いに使ってしまい、その日暮らしだったそうです。
 私の知識は、石川氏のものと江戸の真実によります。行商については、石川氏の本によります。
2015/01/19(Mon) 22:18 | URL  | guyver1092 #-[ 編集]
Re:Re:Re:Re:燃費
>江戸時代は、おそらく人類が最も太陽エネルギーを有効に使っていた時代なのではないでしょうか。もっとも有効に使いつつ、資源の分配を行った結果が、行商の発達という気がします。

これまたguyver1092らしい非常にユニークな洞察ですね。なるほど、太陽エネルギーと言う事は意識していなくても、省エネ(それも意識していませんんね。)と言う事で、行商になったわけですね。納得です。

>江戸の庶民の70%が雑業者(その日によって売るものが違い、現代風の分類のしにくい存在で長屋でその日暮らしの者)だったそうです。

これまた凄いお話です。専業のほうが能率がいいみたいですが、臨機応変に仕事を変えると言うのも有効ですね。特に江戸時代は有効だったでしょうね。

>彼らは翌日の仕入れのお金を残して全て飲み食いに使ってしまい、その日暮らしだったそうです。

このような生活は、現代では疎んじられますが(・・・蟻とキリギリスの「キリギリス」と見なされそうですが・・)お金を貯め込む事が目的の強欲な金融資本家達によって破局への道を道連れにされている現代のほうが遥かに愚かだと思えます。
 色々、目から鱗の情報、有難う御座いました。

>「江戸の真実」というムック

も探してみます。
2015/01/20(Tue) 06:25 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
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