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2014-03-29 00:01
『成長の限界』は1972年に書かれた古い書物ですが、環境問題に関する興味深い記述を発見することができます。その中でも最も印象深かった一節を紹介いたします。

それは成長から均衡状態への以降するための実際的手段を考察している部分で、本書p167 にある記述です。
システムにいくつかの簡単な安定化のためのフィードバック・メカニズムを導入する示唆として2つの例が示されています。
はじめの例は
「汚染と資源枯渇という社会的コストは製品の価格に反映されるべきである」
という、現在よく言われている至極当然の事です。(残念ながら殆ど実行されてはいませんが・・・)
そして次にある一節が非常にインパクトがありました。
「河川の使用者は取水口を放水口の下流に設けるべきである」
最初、読み間違いかと思って読み直ししましたがやはりそう書かれていました。そして、最初に一瞬感じた違和感とは反対に、これこそ、究極の汚水対策、汚染水を環境中に放出しない為の自己責任の在り方であると思いました。1972年に書かれた内容にも関わらず、汚水放出防止の為の対策で、このような提案や示唆をそれまで私は見たことも聞いたこともありませんでした。
現在、汚水処理対策の一般的方法では、汚水は取水口のある河川とは別の下水道に流して処理します。しかし結局、処理後は河川の下流域に放水することになるでしょう。別系統のままでも、最終的には海で合流することになります。この下水処理後の水をもう一度直ぐに同じ使用者が使うことは殆どないでしょう。
それに対し、この古くて新しい提案では、取水口を排水口の下流に設けるのです。排水口に流れ出た水は、上流から流れてきた水と合流して、薄まることにはなりますが、兎も角、自分(の企業)で排水した「処理済み」の水をまた取水口から取り入れて直ぐに自分(の企業)で使うことになるのです。これは究極の自己責任の取り方でしょう。この水の利用者である企業が、工業用水として使っているのであれば、この下流の取水口から取り入れた水を、更に飲み水にも使うべきでしょう。
いくら企業が、「排水は安全で飲んでも大丈夫」と言っても、下流の排水口から流して自分達が使わないのであれば、信用出来ないでしょう。実際に下流で環境汚染が発生した例は枚挙に暇が御座いません。病気まで発生した例も多々あります。しかし、このように取水口を排水口の下に設け、そこから取り入れた水を同じ企業で飲料水にも使っているのならば、その企業の「処理」には十分に信頼を置けるでしょう。企業は、汚水をしっかり処理するでしょうし、それ以前に、はじめからあまり汚染しないように使用するでしょう。
ここまで徹底してやることはなかなか難しい事かも知れませんが、そこまでの覚悟がないのであるならば、企業は水を使用すべきではないとすべきでしょう。このようなことを原則にすることは、環境を守る為には必要なことでしょう。

日本の原子力発電所は水冷式で、みんな海岸沿いに建てられて、海の水で冷却しています。毎日大量の海水を取り入れて冷却水に使っている彼らが、この冷却水の排水を海に流しても安全だと言い張るならばこの冷却水の排水を取り入れて、上水として自ら飲めばいいのです。・・・ただし、現場の被爆労働者ではなく、安全なコントロールセンターにいる正社員や役職者、経営陣が飲料水にすべきでしょう。そのような覚悟がないのならば、原発の冷却水として海の水を使うべきではない・・と言うのが本筋でしょう。

河川の使用者は、下流の使用者に対して最大限に配慮すべきです。そのための非常に有効な方法が、この「河川水の使用者は、取水口を排水口の下流に設けるべきである」でしょう。そして、このことは河川水の使用のみでなく、汚染対策の一般的原則として広く応用され得る事です。
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【2014/03/29 00:01】 | ゴミ・廃棄物 トラックバック(0) |

江戸時代
guyver1092
 記事を読んで、以前読んだ本の記憶がよみがえってきました。
 内容は、「江戸時代の人がなぜ、当たり前のように省資源省エネルギーの生活に舵を切った理由は何か」です。当時の日本では、侵略して他人の資源を強奪するという選択が不可能となった中で、狭い範囲の資源を使って生きるしかなく、その中での自分のした結果が、自分の目に明らかに見えたからだと書かれていたように記憶しています。すなわち、取水口が、放水口の下流にあったと言うことだと思います。
 現代社会では、社会の規模がとてつもなく大きくなっており、自分の行動の結果が自分の目に見えると言うことはないと思いますが、現代の情報伝達技術、情報処理技術からすれば、その結果を知ることは可能です。人類の指導者、マスコミ等がこの因果関係を国民に知らしめないということは、彼らの目的が、人類文明の破壊と消去であると言われても反論できないと考えます。

Re:江戸時代
雑草Z
    guyver1092さん

 流石、読書量が豊富で多くの引き出しを持っていらっしゃいますね。

>狭い範囲の資源を使って生きるしかなく、その中での自分のした結果が、自分の目に明らかに見えたからだと書かれていたように記憶しています。

なるほど、それを

>すなわち、取水口が、放水口の下流にあったと言うことだ

と、捉え得るという事がことの本質ですね。さらに言及すれば、自分の行動の結果が自分の目に見えて、即自分に跳ね返ってきたという事ですね。そこから考えれば、

>現代社会では、社会の規模がとてつもなく大きくなっており、自分の行動の結果が自分の目に見えると言うことはない

と言う事は、由々しき問題ですね。

>人類の指導者、マスコミ等がこの因果関係を国民に知らしめないということは、彼らの目的が、人類文明の破壊と消去であると言われても反論できないと考えます。

本当におかしな話ですね。その場限りの快楽主義のようでもあります。

小さなイースター島では、自分のした結果が、自分の目に明らかに見えたでしょうけれど、ああなってしまったのは、何故でしょうね?・・日本よりも愚かだったのでしょうか?
・・・まあ、現代日本も今のところ同じ末路を辿る道を選択しているわけですが・・・。(もっと悪い崩壊を辿りそうで恐ろしいですね?)


小さなイースター島
guyver1092
 文明崩壊下巻p226あたりから、回答と思われることが書かれていますね。自分の目に明らかに見えていても、危機と認識できない場合があるそうです。毎年の変化が、ごくわずかで、老人が、子供のころを思い出して、やっと変化していることが分かる程度のスピードでの変化だと、危機と認識できないのではないかと推測しています。根拠として、ジャレド氏自身のモンタナの氷河後退についての地元住民と自分の認識の違いを上げています。地元民は毎年の事で、そのようなものだと認識しており、後退しているとの認識はなかったそうですが、ジャレド氏はかなりの過去の記憶を基に考えているので、認識できたそうです。
 それに対し、過去の日本については、森林の消失のスピードが急速で、将軍が危機として認識できたのではと推測しています。ちなみに文明崩壊では、振袖火事とは書かれていないようですが、私は振袖火事の再建のために目に見えるスピードで森林が消失したのではと考えています。

Re:小さなイースター島
雑草Z
    guyver1092 さま

>文明崩壊下巻p226あたりから、回答と思われること

読み直してみました。過去に2~3回読んだと思いますが、すっかり忘れていました。それもなんと、しっかりイースター島の失敗例と江戸の成功例を比較していましたね(汗)

イースター島より遥かに大きな日本のほうが森林消失のスピードが急速だったというのは疑問でしたが、guyver1092さんご想像の

>振袖火事の再建のために目に見えるスピードで森林が消失した

というのは、結構説得力があるかと思いました。将軍の目に止まらない山奥では無く、江戸の大火とそれに伴う森林の消失なら、将軍も心を痛める事でしょう。
guyver1092さんの最初のコメントのように

>現代社会では、社会の規模がとてつもなく大きくなっており、自分の行動の結果が自分の目に見えると言うことはないと思いますが、現代の情報伝達技術、情報処理技術からすれば、その結果を知ることは可能です。

の筈ですね。映像としても情報としても多くの政治家に伝わっている筈なのに、森林消失などの環境問題に対して対応が遅過ぎますし甘過ぎます。それよりも経済優先・・・って本当に狂気の沙汰だと感じています。



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この記事へのコメント
江戸時代
 記事を読んで、以前読んだ本の記憶がよみがえってきました。
 内容は、「江戸時代の人がなぜ、当たり前のように省資源省エネルギーの生活に舵を切った理由は何か」です。当時の日本では、侵略して他人の資源を強奪するという選択が不可能となった中で、狭い範囲の資源を使って生きるしかなく、その中での自分のした結果が、自分の目に明らかに見えたからだと書かれていたように記憶しています。すなわち、取水口が、放水口の下流にあったと言うことだと思います。
 現代社会では、社会の規模がとてつもなく大きくなっており、自分の行動の結果が自分の目に見えると言うことはないと思いますが、現代の情報伝達技術、情報処理技術からすれば、その結果を知ることは可能です。人類の指導者、マスコミ等がこの因果関係を国民に知らしめないということは、彼らの目的が、人類文明の破壊と消去であると言われても反論できないと考えます。
2014/03/30(Sun) 21:09 | URL  | guyver1092 #-[ 編集]
Re:江戸時代
    guyver1092さん

 流石、読書量が豊富で多くの引き出しを持っていらっしゃいますね。

>狭い範囲の資源を使って生きるしかなく、その中での自分のした結果が、自分の目に明らかに見えたからだと書かれていたように記憶しています。

なるほど、それを

>すなわち、取水口が、放水口の下流にあったと言うことだ

と、捉え得るという事がことの本質ですね。さらに言及すれば、自分の行動の結果が自分の目に見えて、即自分に跳ね返ってきたという事ですね。そこから考えれば、

>現代社会では、社会の規模がとてつもなく大きくなっており、自分の行動の結果が自分の目に見えると言うことはない

と言う事は、由々しき問題ですね。

>人類の指導者、マスコミ等がこの因果関係を国民に知らしめないということは、彼らの目的が、人類文明の破壊と消去であると言われても反論できないと考えます。

本当におかしな話ですね。その場限りの快楽主義のようでもあります。

小さなイースター島では、自分のした結果が、自分の目に明らかに見えたでしょうけれど、ああなってしまったのは、何故でしょうね?・・日本よりも愚かだったのでしょうか?
・・・まあ、現代日本も今のところ同じ末路を辿る道を選択しているわけですが・・・。(もっと悪い崩壊を辿りそうで恐ろしいですね?)
2014/03/31(Mon) 23:18 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
小さなイースター島
 文明崩壊下巻p226あたりから、回答と思われることが書かれていますね。自分の目に明らかに見えていても、危機と認識できない場合があるそうです。毎年の変化が、ごくわずかで、老人が、子供のころを思い出して、やっと変化していることが分かる程度のスピードでの変化だと、危機と認識できないのではないかと推測しています。根拠として、ジャレド氏自身のモンタナの氷河後退についての地元住民と自分の認識の違いを上げています。地元民は毎年の事で、そのようなものだと認識しており、後退しているとの認識はなかったそうですが、ジャレド氏はかなりの過去の記憶を基に考えているので、認識できたそうです。
 それに対し、過去の日本については、森林の消失のスピードが急速で、将軍が危機として認識できたのではと推測しています。ちなみに文明崩壊では、振袖火事とは書かれていないようですが、私は振袖火事の再建のために目に見えるスピードで森林が消失したのではと考えています。
2014/04/02(Wed) 21:47 | URL  | guyver1092 #-[ 編集]
Re:小さなイースター島
    guyver1092 さま

>文明崩壊下巻p226あたりから、回答と思われること

読み直してみました。過去に2~3回読んだと思いますが、すっかり忘れていました。それもなんと、しっかりイースター島の失敗例と江戸の成功例を比較していましたね(汗)

イースター島より遥かに大きな日本のほうが森林消失のスピードが急速だったというのは疑問でしたが、guyver1092さんご想像の

>振袖火事の再建のために目に見えるスピードで森林が消失した

というのは、結構説得力があるかと思いました。将軍の目に止まらない山奥では無く、江戸の大火とそれに伴う森林の消失なら、将軍も心を痛める事でしょう。
guyver1092さんの最初のコメントのように

>現代社会では、社会の規模がとてつもなく大きくなっており、自分の行動の結果が自分の目に見えると言うことはないと思いますが、現代の情報伝達技術、情報処理技術からすれば、その結果を知ることは可能です。

の筈ですね。映像としても情報としても多くの政治家に伝わっている筈なのに、森林消失などの環境問題に対して対応が遅過ぎますし甘過ぎます。それよりも経済優先・・・って本当に狂気の沙汰だと感じています。

2014/04/03(Thu) 00:00 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
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