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2010-10-23 00:01
~電化社会の人間性への影響~

人間の生活はどのようにできているか。改めて考え直してみると結構複雑で大変な問題を抱えていると気づきます。
それでは、一日の生活を考えてみましょうか。外での仕事のことを考えると複雑になり過ぎるので、仮に専業主婦の女性としてみます。
まず、目覚まし時計が鳴って目を覚ます。
家族の朝食の準備、(一応和食党とします)ご飯は炊飯器で夜にタイマーを入れておいたのができている。味噌汁の具になるものを冷蔵庫の中から出す。
IH調理器で鍋に湯を沸かし味噌汁作成。同様にアジの干物を冷蔵庫から出して焼く。
家族を起こして朝食。テレビを見ながら。段々暑くなってきたのでクーラーを入れる。
朝食が終わったら家族が出勤するのを送り出す。
食器の片付けは食器洗浄機に放り込んで終わり。その後、洗濯に取り掛かる。
衣類を洗濯機に放り込んだら、掃除の開始。掃除が終わった頃には洗濯も終わっているので干す。
この辺まで終わるとだいたい10時過ぎになるので、一段落でテレビを見ながらお茶を飲む。優雅です。
昼は一人なので、適当にあり合わせで食事を済ます。
午後は夕食用をメインに買い物に出かける。安いものを探すので、結構何軒も店を周り時間もかかる。
帰ってきたら乾いた洗濯ものを取りこんで、片づけ。アイロンがけも済ませてしまう。
その後、夕食の支度。
そうこうしているうちに家族が帰宅。夕食がすんだら順番に風呂に入る。電気温水器でふんだんにお湯が使える。
テレビを見たり、インターネットを見たり、子供などは友達へのメールに夢中。
遅くならないように適当な時間に就寝。暑いのでタイマーでクーラーをつけておく。
~こんなところでしょうか。
通常の現代日本人の家庭生活と思いますが、隅々まで電化製品が入り込んでいるのが分かります。

50年前の日本人の家庭ではどうだったでしょうか。まだクーラーやテレビは言うに及ばず、ほとんどの家庭には冷蔵庫、洗濯機もありませんでした。一応、ラジオと電灯だけはあったものとしましょうか。ガスも使えたことにしましょう。(薪で煮炊きをした当時のことは私も知りません)
朝はゼンマイ式の目覚ましで目を覚ます。時間はかなり早め。
家族の朝食の準備、(当然和食のみ)米を洗い、ガスで炊く。炊きあがるまでの間に味噌汁を作る。冷蔵庫は無いので入れられるのは乾物だけ。
干物はなんとか前日夕方に買っておいたものが食べられるので焼く。
家族を起こして朝食。ラジオを聴きながら。暑くなってきても仕方がないのでそのまま。扇風機もまだありませんでした。
朝食が終わったら家族が出勤するのを送り出す。
洗濯を始めるが、大変なので汚れのひどいものだけ。そうでもないものは毎日は洗えない。たらいに洗濯板を使い石鹸をつけてごしごしと力を入れる。
洗濯が終わるまで相当時間がかかる。
終わり次第掃除もするが、箒を使い、雑巾で拭く。これも体力勝負。
している間に早くも昼。あり合わせで昼食を済ます。
午後は買い物へ。買い置きができないのでその日に食べられる分だけ買ってくる。
あわただしく洗濯を取りこんだらすぐに夕食の準備。
風呂も手すきな時に沸かす準備をしておく。ガスになっていて本当に良かった。
夕方には家族が帰宅。夕食、風呂。
ラジオを皆で聞いたら就寝。暑くて寝苦しくても仕方ない。
~本当に昔の家事は大変だったろうと思います。これで子供の世話まであったらすごいものです。とてもこれを終わらせてからパートでも外に仕事に行くなどと言うことはできません。

しかし、昔も裕福な人たちはこのような苦労をしないで済んでいました。50年前の日本でいえば「お手伝いさん」を雇うという手です。それ以前の日本では「下男下女」です。もっと前や他の国では「奴隷」を使う場合もありました。そういう人達は現代の日本人と同じような(まあ冷房や冷蔵庫はありませんが)生活を楽しむことはできたのですが、もちろんそれをするためには多額の費用が必要でした。またいくら金持ちであっても、無人島の一人暮らしではできず、そういった人間が居なければできないことです。そういった本当に「贅沢」(他人の人生を自由に使う)をすることはごく一部の人達にしかできなかったのです。

今は一昔前に使用人にさせていたことを電化製品にさせることができます。まあタダではありませんが、人に給料を払うことを思えばはるかに安価にできます。実際にほとんどの人が程度に差はありますが実施可能と言えます。さらに電気には人ではできないこと、例えば氷と同じ位の温度にしたり、部屋を涼しくしたり、別世界の風景を見たり、遠く離れた人と話したりすることができます。

昔の王侯貴族の生活が広く普通の人間にもできるようになり、どう変わったのでしょうか。家事労働に対する重みが極端に軽くなりました。それまでは専従として家事に縛り付けてられていた女性たちが解放されました。もちろん現在でも質の良い家事を行なうことは電気仕掛けでは不可能で、専業主婦の方々も決して存在価値が無いわけではありません。
しかし、なんとか暮らしていければ良いやと言う程度の生活でしたらなんとでもなります。

その結果、女性の社会進出が進みほとんどの主婦が兼業化しました。ただし、出産と子育てはまだ機械化は無理なのでその段階の女性が家庭に戻ることが問題化しています。キャリアの中断、正社員から非正規雇用へ、託児施設の問題等、社会として考えるべき問題が山積みです。それも関係し、労働対価のデフレが進みました。兼業主婦層は安い賃金でも働きたいと言う欲求が強いため、全体として賃金が下がっていきます。それが兼業主婦の配偶者層にも広がってしまい、結局一家の収入を賄うためにはいやでも主婦が働きに出ることが必須になりつつあります。(この辺の筋道、逆と思っていませんか?)
そのため、家庭に残る主婦は社会からの疎外感を植えつけられるようになってしまい、ますますこの動きは加速されます。NHKの連続テレビ小説の視聴率が下がり続けているのが話題になりますが、ドラマの出来の良し悪しは関係なく、それを見る視聴者が居なくなったのが主因です。

女性が一人の人間として社会に出て行けば、そこでの人間関係は家庭とは独立しており、それをうまくやりくりすることが必要になります。これまでは家庭内で家族の中だけで人間関係を築けばよかったのが、はるかに複雑になります。
結局、パートやアルバイトでも働きにでれば個人として生きて行ける能力(金を稼ぐ能力、それにまつわるもろもろの能力)を厭でも身に着けざるを得ず、それを身につけてしまえば結果的に一人でも生きていけることにはなります。それで配偶者や家族に嫌気がさせば離婚に至るのも簡単な話で、離婚率が上昇するのは当然でしょう。
機械を使いこなして生活していけば他人に対する依存の必要度も薄れます。家族ばらばらというのも避けられない事態でしょう。結婚生活についてのいろいろと大変な話を耳にするようになれば無理に結婚しなくてもいいかと思う若者が多くなるのも当然でしょう。

なお、家族といっても50年前だったらせいぜい3世代プラスアルファ程度でしょうが、もっと前の時代になると一つの家に同居する家族(使用人と言う他人も含め)はもっと大きな範囲のものでした。これはそれだけ人間が集まらなければ生活できなかったためと言えます。
最初に上げた50年前の例の程度であれば、一家で一人の主婦が働けば5-6人までくらいならば賄えたかもしれません。しかしさらに昔の水道もない、ガスもないと言う状況であればその要員も必要となり、家事に費やす人数が多くなり一家の範囲も広くなければいけなかったわけです。
それが段々と少なくなっていき、ちょっと前の「核家族」と言われた段階を通り過ぎ、とうとう一人一人の段階まで来てしまっただけのことかもしれません。便利になったから家族がバラバラになってしまった。それだけのことでしょう。

しかしご安心ください。電気が安かったのはほんの一時の地球の気紛れと言える条件のためです。今の電力事情では発電は石油・天然ガス・石炭・原子力がほぼ拮抗し、水力がわずかな割合を占め、太陽光発電・風力が冗談程度の発電量を示していますが、石油も供給減少が予想され、天然ガスもそれに続きピークを過ぎます。
石炭はまだある程度は存在するものの、エネルギー源がそれだけと言うことになると購買競争となり価格高騰につながります。原子力はある程度は続きますが、ウランも供給能力に限界があります。

電力供給は無くなりはしないものの、かなりの電気料金高騰につながる可能性が強いと言うことです。そうなれば普通の家庭でふんだんに電化製品を使うわけにはいかなくなります。省電力製品はできますが、段々と一般家庭の家電製品は減っていくでしょう。そうなれば家事労働にかける時間も増えて行き、誰かがそれを担当しなければならなくなります。家族の役割と言うものが復活して行くでしょう。
そううまく行くでしょうか?電気料金の高騰化の速度次第かと考えられます。下手をすると家族復活の前にかなりの人間が死に絶えてしまう事態もあり得ると思います。
電気料金が10倍になった時にどういう生活をしていくか、本気で想像してみる必要があるかもしれません。

最後にこういった罠を仕掛けたかのような「電化社会」、それこそが本当の「電化社会の罠」なのかもと思います。


* *** ***** ******* ********* ***********


 以上、ここのサイトに沢山のコメントを頂いている HN 上々 さんに執筆して頂いた記事です。
 内容は、「人手を代替する電化製品」についてだけです。
テレビ・パソコン・インターネット等、情報関連の電化製品についてはまったく取り上げておりませんが、そちらにも大きな問題点があります。その問題点についてもまたの機会に書いて頂けるかもしれません。
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【2010/10/23 00:01】 | Economic Fascism トラックバック(0) |


団塊おやじの遺言
レベルの高い皆さん考えに必死で見ている私・・
多少頭から煙が出て来て来る問題も・・判り易く 
    ありがとうございます

今の世の中 生活は便利になっているのか?
大型店舗が商店を駆逐し 気づくと周りにはシャツター商店街が
買い物は車が無ければ難しく年寄りや体の弱い人たちには生活が難しくなって来ている様な・・
大手の若手の社員たちもマニュアル化され、まるで個性の無い社員を創りだそうとしている
なんだか今の世の中 ロボットの社会へ向かっている様な??
生きる為の必要な物資を揃えなければ生活の出来ない社会に

昔は近所に魚屋や八百屋・豆腐屋が在り配達してくれたよね~ 
そして家族が一緒にご飯を食べ 皆で銭湯に行ったりね・・
そうそう・・醤油や米や油が切れたのでチョット貸してとお隣さんが・・
良く来たもんだな~人の付き合いは 今とは違うよね
こんな今の社会は 人の絆が無い 個性が無い 面白く無い

人間の社会の豊かさは人との絆から まずは我が家からお隣さんへ・・

雑草さんコメントのレベルが低くて ご免ね~ 

どこまで脱電化するか・・
雑草Z
改めて、現代人は、電気によって便利になったとともに、如何に極端に電気に依存しているかを感じました。最近のエネルギー開発は電力確保が主な目的です。その為の原子力なんて愚の骨頂です。原子力は直ちに封印すべきです。

 もうこれ以上の電化の必要がない段階まで来ています。オール電化住宅や電気自動車など過剰ドーピングの状態です。

 オイルピークによる石油の高騰、供給不足などにより望む望まざるに関らず、現在のような大量電力消費時代は幕を閉じる訳ですから、早くから省電力化、脱電力化を進めなければならないでしょう。電源確保の以前に、不必要な電気の使用をストップする事から始めるべきでしょう。
 

近所の店
上々
団塊おやじさんの指摘された、近所の店というのが無くなってしまったのは「車社会の罠」の方ですね。
今から20年以上前に価格破壊と言う掛け声で安売り店が大規模に各地に進出して行きました。これらの店は仕入れの改革とか、店に金をかけないと言うことはありましたが、自動車で来店する客を広範囲に集めると言うことが共通しています。
徒歩や自転車程度で来られる客の人数は町の真中と言えどそれほど大したものではありません。
それが車利用ということで場合によっては数十キロも先から来店してくれれば対象人口は格段に増加しますので、安売りしても販売量でカバーできるわけです。

そのあおりで近所の数百人を対象としているような小規模商店は軒並み潰れて行きました。販売量が少なくても最低店主一家が食べて行かなければならないのである程度の利潤を乗せなければやっていけません。
販売価格が高くなるのも仕方がないことですが、それが歩いて行けるところに店のある価値と思えば当然かもしれません。

これも自動車移動が当然では無くなる社会になった時は崩れ去ります。まあ商人は機を見るに敏ですから、車に乗らない人相手の商店はすぐに復活していくでしょう。

現に、熊本県の我が家のある町では郊外の大規模スーパーは売り上げが伸び悩んでいますが、街中に比較的小規模の食料品専門のスーパーが何軒か開店してきています。
都会でも駅前のスーパー等が復権という兆しもあるようです。
もう一歩進めば個人商店の何でも屋も出てくるかもしれません。コンビニがそれに近い業態になってきていますが、コンビーニエンスの看板を下ろさなければやりにくいでしょう。

Re:近所の店
雑草Z
>熊本県の我が家のある町では郊外の大規模スーパーは売り上げが伸び悩んでいますが、街中に比較的小規模の食料品専門のスーパーが何軒か開店してきています。

へえ~っ・・・そんな潮流が出始めているのですね。言われてみれば確かにそのような例は見た事があります。どういう理由なのでしょうかね?私の住んでいる福島県の会津地方では、いまだに田舎の昔ながらのよろず屋が頑張っている例も結構ありますが、経営は大変になってきているようです。

>コンビニがそれに近い業態になってきています

確かにコンビニが地元のよろずやの現代版ですね。ただ、全国一律で同じチェーン店なら金太郎飴状態で、店による個性差があまりないですね。

>コンビーニエンスの看板を下ろさなければやりにくいでしょう。

これはどう云う理由によるものでしょうか?



団塊おやじの遺言さんのおっしゃるように

>人間の社会の豊かさは人との絆から まずは我が家からお隣さんへ・・

ですね。それが古き良き時代の”過去”になってしまわないで欲しいものです。



逆説
guyver1092
>結局一家の収入を賄うためにはいやでも主婦が働きに出ることが必須になりつつあります。(この辺の筋道、逆と思っていませんか?)

 現代の合理的思考により導き出されたあることを行うと、次から次へと、いろいろ問題が発生するというアレですね。石川英輔氏の本でも読んだことがあります。氏は現代文明は個々のみを見ると合理的ですが、社会全体でみるとどうにも非合理で仕方がないと言っています。
 この核家族化は、不動産の値上がりにも影響を与えていると読んだことがあります。核家族化して、家の数がそれまでより多く必要になったことを理由として土地神話ができたとか。
 他にも、農業就労者を工場労働者に変えるためとか、農業用水を工業用水に振り替えるためとか。




ご意見御礼
上々
いろいろご意見ありがとうございます。

私の家のあるのは熊本県南部の都市ですが、大資本スーパーの進出で、よろずや的な商店は言うに及ばず、地元資本の中小スーパーも閉店するところが多くなっていました。
最近の街中スーパーは地元資本ではなく大手傘下ですが、業態を変えているようです。また地元スーパーでも今まで生き残っているところは息を吹き返すかもしれません。

コンビニの看板というのはどこでも同一の商品を買えること、また日に数回の納品で常にフレッシュな食品を買えることということです。これを降ろせば、実際に経営している人もほとんど以前からの商店主ですし、そのまま昔のよろず屋に移行できます。その方が良い場合もあるかもしれません。

家の居住環境は、昔と比べれば大型化しており、ウサギ小屋が○○小屋(ちょっと適当な動物名が思い当りません)に拡大したのかもしれません。都会の真ん中ではまだ狭いところが多いでしょうが、都会でも郊外や地方に行けばかなり大きな家があります。外国と比べればまだまだでしょうが、少しずつ広くなっていると思います。その少しの拡大も集まれば大変な面積拡大になり、都市規模の拡大につながります。
これが結局自動車の必然性にもつながってくるわけです。

Re:逆説
雑草Z
>現代文明は個々のみを見ると合理的ですが、社会全体でみるとどうにも非合理で仕方がない

なるほど、そういう事は現代社会には沢山ありますね。・・でも、個々のみ見ても物凄い不合理もあって、どこが「合理社会」かわからない部分もありますね。

核家族化は結局経済成長の為であったと考えられますね。
でも、土地神話が崩れたように、経済成長神話が崩れるのも時間の問題でしょうね。

   * **   ****    *****
『逆説』って面白いですね。
guyver1092さんなら色々面白い逆説の例を知っていそうですね。


電化の歴史
岩蔵テルテル
こんばんは。お久しぶりです。

大学の文系科目に「電気技術史」という授業があったのですが、そこで日本の電化について面白い話がありましたので紹介します。

日本での電気技術導入は明治時代で、はじめは都会の電灯から始まりました。このころは発電所は複数、小規模、そして都会にあり、「電力会社」ではなく「電灯会社」と呼ばれていました。その後、電灯ネットワークは徐々に拡大、そして高電圧送電の発達により、大規模火力発電所や山間部の水力発電所が建造されるようになり、国内各地に電灯が普及していきました。
しかし、電灯の電気需要はほとんど夜間のみだから、大規模火力発電などでは経営効率を上げるため昼間の電気需要を掘り起こす必要がありました。電灯会社が電力会社に「進化」しようとしたのです。
そこで、当時は「動くものにモーター、熱が必要なものに電熱線」と、それまでの日常道具ありとあらゆるものを電化製品として開発されていきました。初めは扇風機や電熱こたつ等の簡単なものでしたが、次第に高度なものが造られました。
洗濯機は、それまでの洗濯が「外からの汚れを落とす」という美観目的であったのを「内からの汚れを落とす」という衛生目的に変化させました。
電気炊飯器は、発売当初は「主婦たるものが寝ている間にご飯が炊ける道具を欲するなど恥ずべきもの」としてなかなか受け入れられなかったそうです。
このような電化製品の庶民、特に都市部中間層への浸透には大正から昭和の官民による生活改善運動が大きく関わっているようです。これには「時間厳守で効率的な仕事を」「西洋文明に親しめ」「家族だんらんを楽しめ」等がありましたが、その中に「電化製品で文明的で衛生的な生活」をすることが推奨、宣伝されました。これは都市化や女性社会進出が進む中での新しい秩序作りの一環だったのでしょう。
その後、戦争で技術進歩は少し停滞しますがすぐに高度成長に入り今に至っています。
結局、電化製品の普及は人間が便利な生活を求めて言った結果ではなく、技術の進歩に合わせて引きづられるように起きてきたもののようです。
洗濯機はそれまで洗濯していなかった服を洗濯するようにし、炊飯器はご飯が簡単に炊ける分の食卓のおかずの種類を増やすことになり、掃除機により今までより頻繁に掃除することになりました。電化製品は主婦の家事労働を簡単にしましたが、種類や頻度を増やし、労働時間は今も昔も大して変らないみたいです。

そしてここからは私の感想ですが、現在は電化の波第2段階のようです。集積回路技術の進歩で今までの電化製品ありとあらゆるものにマイコンをつけてユビキタスとやらにしてみたり、家中オール電化にしたり、自動車を内燃機関から電化したり。これらは原発の夜間余剰電力を利用させるための気がしてなりません。歴史は繰り返しているようです。。。

長いコメント失礼しましたm(_ _)m

Re:電化の歴史
雑草Z
 電化の歴史もしっかりとそのような観点から見ると面白いですね。

>発電所は複数、小規模、そして都会

という程度がいいのかも知れません。

>昼間の電気需要を掘り起こす必要
>「動くものにモーター、熱が必要なものに電熱線」
>官民による生活改善運動
>電化製品の普及は人間が便利な生活を求めて行った結果ではなく、技術の進歩に合わせて引きづられるように起きてきたもの

経済成長戦略そのままですね。面白い歴史のお話有難う御座います。このような内容の長いコメントなら歓迎です。

>これらは原発の夜間余剰電力を利用させるための気がしてなりません。

その通りでしょう。フットワークの重い原発の出力は変えるのが大変ですから、いつでもほぼ定量の発電をすることになり、その利用として色々考えだされている事は明らかですね。本末転倒もいいところです。原発ほど人間の愚行を思い知るものも無いですね。

電化あれこれ
上々
岩蔵テルテル様
本編文責の上々です。ご意見ありがとうございます。
電化の進行が急激なためか、その過程を知るのは私達50代が最後かと思いますが、それでも電気炊飯器普及の際に主婦の方々が抵抗したと言うのは知りませんでした。
まあその当時の主婦層は私の母の世代よりもっと年上で、祖母の世代でしょうから、そういうこともあったかもしれません。明治生まれだったですから。

さて、電化が進んでも家事労働が減らないかどうかは、家庭により様々かと思います。電化機器の助けを借りて家事が高度化している家庭もあるかと思います。洗濯もそういえば昔はそれほど毎回していませんでした。母なども汚れがひどくなければ洗わず、あまり洗濯しすぎると生地が傷むとか言ってましたが、大変だっただけかもしれません。
ただし、現代の共働き家庭などではほとんど手抜き家事が横行しているところもあるようです。そういった家庭は電化製品が使えなくなれば一気に立ち行かなくなりますが、当分は大丈夫でしょう。

電化製品のIT化については高機能化もありますが、だいたいは不要な機能ではないかと思います。使いどころを探してあちこちに手を出しているような。

石油社会は先細りなのは確かですが、電化社会はまだまだ続きそうです。その続け方というのは本気で考えて行かなければいけないはずです。

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コメント
この記事へのコメント
レベルの高い皆さん考えに必死で見ている私・・
多少頭から煙が出て来て来る問題も・・判り易く 
    ありがとうございます

今の世の中 生活は便利になっているのか?
大型店舗が商店を駆逐し 気づくと周りにはシャツター商店街が
買い物は車が無ければ難しく年寄りや体の弱い人たちには生活が難しくなって来ている様な・・
大手の若手の社員たちもマニュアル化され、まるで個性の無い社員を創りだそうとしている
なんだか今の世の中 ロボットの社会へ向かっている様な??
生きる為の必要な物資を揃えなければ生活の出来ない社会に

昔は近所に魚屋や八百屋・豆腐屋が在り配達してくれたよね~ 
そして家族が一緒にご飯を食べ 皆で銭湯に行ったりね・・
そうそう・・醤油や米や油が切れたのでチョット貸してとお隣さんが・・
良く来たもんだな~人の付き合いは 今とは違うよね
こんな今の社会は 人の絆が無い 個性が無い 面白く無い

人間の社会の豊かさは人との絆から まずは我が家からお隣さんへ・・

雑草さんコメントのレベルが低くて ご免ね~ 
2010/10/24(Sun) 16:51 | URL  | 団塊おやじの遺言 #-[ 編集]
どこまで脱電化するか・・
改めて、現代人は、電気によって便利になったとともに、如何に極端に電気に依存しているかを感じました。最近のエネルギー開発は電力確保が主な目的です。その為の原子力なんて愚の骨頂です。原子力は直ちに封印すべきです。

 もうこれ以上の電化の必要がない段階まで来ています。オール電化住宅や電気自動車など過剰ドーピングの状態です。

 オイルピークによる石油の高騰、供給不足などにより望む望まざるに関らず、現在のような大量電力消費時代は幕を閉じる訳ですから、早くから省電力化、脱電力化を進めなければならないでしょう。電源確保の以前に、不必要な電気の使用をストップする事から始めるべきでしょう。
 
2010/10/25(Mon) 06:54 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
近所の店
団塊おやじさんの指摘された、近所の店というのが無くなってしまったのは「車社会の罠」の方ですね。
今から20年以上前に価格破壊と言う掛け声で安売り店が大規模に各地に進出して行きました。これらの店は仕入れの改革とか、店に金をかけないと言うことはありましたが、自動車で来店する客を広範囲に集めると言うことが共通しています。
徒歩や自転車程度で来られる客の人数は町の真中と言えどそれほど大したものではありません。
それが車利用ということで場合によっては数十キロも先から来店してくれれば対象人口は格段に増加しますので、安売りしても販売量でカバーできるわけです。

そのあおりで近所の数百人を対象としているような小規模商店は軒並み潰れて行きました。販売量が少なくても最低店主一家が食べて行かなければならないのである程度の利潤を乗せなければやっていけません。
販売価格が高くなるのも仕方がないことですが、それが歩いて行けるところに店のある価値と思えば当然かもしれません。

これも自動車移動が当然では無くなる社会になった時は崩れ去ります。まあ商人は機を見るに敏ですから、車に乗らない人相手の商店はすぐに復活していくでしょう。

現に、熊本県の我が家のある町では郊外の大規模スーパーは売り上げが伸び悩んでいますが、街中に比較的小規模の食料品専門のスーパーが何軒か開店してきています。
都会でも駅前のスーパー等が復権という兆しもあるようです。
もう一歩進めば個人商店の何でも屋も出てくるかもしれません。コンビニがそれに近い業態になってきていますが、コンビーニエンスの看板を下ろさなければやりにくいでしょう。
2010/10/25(Mon) 10:49 | URL  | 上々 #-[ 編集]
Re:近所の店
>熊本県の我が家のある町では郊外の大規模スーパーは売り上げが伸び悩んでいますが、街中に比較的小規模の食料品専門のスーパーが何軒か開店してきています。

へえ~っ・・・そんな潮流が出始めているのですね。言われてみれば確かにそのような例は見た事があります。どういう理由なのでしょうかね?私の住んでいる福島県の会津地方では、いまだに田舎の昔ながらのよろず屋が頑張っている例も結構ありますが、経営は大変になってきているようです。

>コンビニがそれに近い業態になってきています

確かにコンビニが地元のよろずやの現代版ですね。ただ、全国一律で同じチェーン店なら金太郎飴状態で、店による個性差があまりないですね。

>コンビーニエンスの看板を下ろさなければやりにくいでしょう。

これはどう云う理由によるものでしょうか?



団塊おやじの遺言さんのおっしゃるように

>人間の社会の豊かさは人との絆から まずは我が家からお隣さんへ・・

ですね。それが古き良き時代の”過去”になってしまわないで欲しいものです。

2010/10/25(Mon) 20:58 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
逆説
>結局一家の収入を賄うためにはいやでも主婦が働きに出ることが必須になりつつあります。(この辺の筋道、逆と思っていませんか?)

 現代の合理的思考により導き出されたあることを行うと、次から次へと、いろいろ問題が発生するというアレですね。石川英輔氏の本でも読んだことがあります。氏は現代文明は個々のみを見ると合理的ですが、社会全体でみるとどうにも非合理で仕方がないと言っています。
 この核家族化は、不動産の値上がりにも影響を与えていると読んだことがあります。核家族化して、家の数がそれまでより多く必要になったことを理由として土地神話ができたとか。
 他にも、農業就労者を工場労働者に変えるためとか、農業用水を工業用水に振り替えるためとか。


2010/10/25(Mon) 22:59 | URL  | guyver1092 #-[ 編集]
ご意見御礼
いろいろご意見ありがとうございます。

私の家のあるのは熊本県南部の都市ですが、大資本スーパーの進出で、よろずや的な商店は言うに及ばず、地元資本の中小スーパーも閉店するところが多くなっていました。
最近の街中スーパーは地元資本ではなく大手傘下ですが、業態を変えているようです。また地元スーパーでも今まで生き残っているところは息を吹き返すかもしれません。

コンビニの看板というのはどこでも同一の商品を買えること、また日に数回の納品で常にフレッシュな食品を買えることということです。これを降ろせば、実際に経営している人もほとんど以前からの商店主ですし、そのまま昔のよろず屋に移行できます。その方が良い場合もあるかもしれません。

家の居住環境は、昔と比べれば大型化しており、ウサギ小屋が○○小屋(ちょっと適当な動物名が思い当りません)に拡大したのかもしれません。都会の真ん中ではまだ狭いところが多いでしょうが、都会でも郊外や地方に行けばかなり大きな家があります。外国と比べればまだまだでしょうが、少しずつ広くなっていると思います。その少しの拡大も集まれば大変な面積拡大になり、都市規模の拡大につながります。
これが結局自動車の必然性にもつながってくるわけです。
2010/10/26(Tue) 10:43 | URL  | 上々 #-[ 編集]
Re:逆説
>現代文明は個々のみを見ると合理的ですが、社会全体でみるとどうにも非合理で仕方がない

なるほど、そういう事は現代社会には沢山ありますね。・・でも、個々のみ見ても物凄い不合理もあって、どこが「合理社会」かわからない部分もありますね。

核家族化は結局経済成長の為であったと考えられますね。
でも、土地神話が崩れたように、経済成長神話が崩れるのも時間の問題でしょうね。

   * **   ****    *****
『逆説』って面白いですね。
guyver1092さんなら色々面白い逆説の例を知っていそうですね。
2010/10/26(Tue) 21:44 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
電化の歴史
こんばんは。お久しぶりです。

大学の文系科目に「電気技術史」という授業があったのですが、そこで日本の電化について面白い話がありましたので紹介します。

日本での電気技術導入は明治時代で、はじめは都会の電灯から始まりました。このころは発電所は複数、小規模、そして都会にあり、「電力会社」ではなく「電灯会社」と呼ばれていました。その後、電灯ネットワークは徐々に拡大、そして高電圧送電の発達により、大規模火力発電所や山間部の水力発電所が建造されるようになり、国内各地に電灯が普及していきました。
しかし、電灯の電気需要はほとんど夜間のみだから、大規模火力発電などでは経営効率を上げるため昼間の電気需要を掘り起こす必要がありました。電灯会社が電力会社に「進化」しようとしたのです。
そこで、当時は「動くものにモーター、熱が必要なものに電熱線」と、それまでの日常道具ありとあらゆるものを電化製品として開発されていきました。初めは扇風機や電熱こたつ等の簡単なものでしたが、次第に高度なものが造られました。
洗濯機は、それまでの洗濯が「外からの汚れを落とす」という美観目的であったのを「内からの汚れを落とす」という衛生目的に変化させました。
電気炊飯器は、発売当初は「主婦たるものが寝ている間にご飯が炊ける道具を欲するなど恥ずべきもの」としてなかなか受け入れられなかったそうです。
このような電化製品の庶民、特に都市部中間層への浸透には大正から昭和の官民による生活改善運動が大きく関わっているようです。これには「時間厳守で効率的な仕事を」「西洋文明に親しめ」「家族だんらんを楽しめ」等がありましたが、その中に「電化製品で文明的で衛生的な生活」をすることが推奨、宣伝されました。これは都市化や女性社会進出が進む中での新しい秩序作りの一環だったのでしょう。
その後、戦争で技術進歩は少し停滞しますがすぐに高度成長に入り今に至っています。
結局、電化製品の普及は人間が便利な生活を求めて言った結果ではなく、技術の進歩に合わせて引きづられるように起きてきたもののようです。
洗濯機はそれまで洗濯していなかった服を洗濯するようにし、炊飯器はご飯が簡単に炊ける分の食卓のおかずの種類を増やすことになり、掃除機により今までより頻繁に掃除することになりました。電化製品は主婦の家事労働を簡単にしましたが、種類や頻度を増やし、労働時間は今も昔も大して変らないみたいです。

そしてここからは私の感想ですが、現在は電化の波第2段階のようです。集積回路技術の進歩で今までの電化製品ありとあらゆるものにマイコンをつけてユビキタスとやらにしてみたり、家中オール電化にしたり、自動車を内燃機関から電化したり。これらは原発の夜間余剰電力を利用させるための気がしてなりません。歴史は繰り返しているようです。。。

長いコメント失礼しましたm(_ _)m
2010/10/28(Thu) 00:34 | URL  | 岩蔵テルテル #mQop/nM.[ 編集]
Re:電化の歴史
 電化の歴史もしっかりとそのような観点から見ると面白いですね。

>発電所は複数、小規模、そして都会

という程度がいいのかも知れません。

>昼間の電気需要を掘り起こす必要
>「動くものにモーター、熱が必要なものに電熱線」
>官民による生活改善運動
>電化製品の普及は人間が便利な生活を求めて行った結果ではなく、技術の進歩に合わせて引きづられるように起きてきたもの

経済成長戦略そのままですね。面白い歴史のお話有難う御座います。このような内容の長いコメントなら歓迎です。

>これらは原発の夜間余剰電力を利用させるための気がしてなりません。

その通りでしょう。フットワークの重い原発の出力は変えるのが大変ですから、いつでもほぼ定量の発電をすることになり、その利用として色々考えだされている事は明らかですね。本末転倒もいいところです。原発ほど人間の愚行を思い知るものも無いですね。
2010/10/28(Thu) 21:51 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
電化あれこれ
岩蔵テルテル様
本編文責の上々です。ご意見ありがとうございます。
電化の進行が急激なためか、その過程を知るのは私達50代が最後かと思いますが、それでも電気炊飯器普及の際に主婦の方々が抵抗したと言うのは知りませんでした。
まあその当時の主婦層は私の母の世代よりもっと年上で、祖母の世代でしょうから、そういうこともあったかもしれません。明治生まれだったですから。

さて、電化が進んでも家事労働が減らないかどうかは、家庭により様々かと思います。電化機器の助けを借りて家事が高度化している家庭もあるかと思います。洗濯もそういえば昔はそれほど毎回していませんでした。母なども汚れがひどくなければ洗わず、あまり洗濯しすぎると生地が傷むとか言ってましたが、大変だっただけかもしれません。
ただし、現代の共働き家庭などではほとんど手抜き家事が横行しているところもあるようです。そういった家庭は電化製品が使えなくなれば一気に立ち行かなくなりますが、当分は大丈夫でしょう。

電化製品のIT化については高機能化もありますが、だいたいは不要な機能ではないかと思います。使いどころを探してあちこちに手を出しているような。

石油社会は先細りなのは確かですが、電化社会はまだまだ続きそうです。その続け方というのは本気で考えて行かなければいけないはずです。
2010/10/29(Fri) 08:32 | URL  | 上々 #-[ 編集]
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