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2010-04-05 00:03
前回【悪い冗談】に書いたように
幼いころ身近にあった自然が破壊されてしまった・・・と言う経験は多くの人がしています。驚く事は、どの世代も経験している事です。つまり80代の人も60代の人も40代の人も20代の人も、子供の頃はもっと自然に恵まれていた・・・と感じているのです。
以前、10代や20代の人が、「子供の頃は自然に恵まれていた」・・と言うのを聞くとちょっと違和感がありました。・・・「君が子供の頃はもうとっくに自然は破壊されていただろうに」・・・。でも彼らの言った事は当たっていたのです。もっと上の世代から見れば、10年前はもう環境破壊されてしまったと見えても、それから現在に至る10年間で、更に環境破壊は進んだのです。逆に言うと、どの世代の人も、自分が子供の頃よりも、もっと上の世代の人が子供の頃はもっと自然に恵まれていたのです。つまり、環境破壊は年々進んでいて、局所的によくなった場所があたとしても、全体的には年々悪化しているのです。

子供の頃、親や上の世代の人から聞いた自然は生き物の宝庫で魅力的でした。川を裸足で歩くと魚を踏んづけてしまいそうで困った、雨の日は川からウナギが道にでて這っていた・・・そんな話を聞いて、そんなだった時代に戻って見てみたい・・・と思ったものです。
自分が幼い頃は、ホタルが庭まで飛んできました。田んぼの横の小川を網で救うと、フナやアブラハヤが沢山掬えました。子供にそんな身近な大自然を体験させてやりたいと思いました。
・・・現在10代20代の若者も、自分が小学生の頃は、身近に自然がもっと沢山残っていた・・と、確かに認識しているのです。20代の人々が子供の頃はもう既に自然はかなり破壊されて人工物に置き換わっていた・・と思っていたら、さにあらず、どの世代も自分の子供の頃よりも自然は無くなった・・と感じているのです。つまり自然は年々破壊されているのです。非常に危惧すべき事態です。もうそんな余裕はないでしょう。
せめてこれからは、現代の子供たちが大人になった時、「子供の頃はまだ自然が残っていた・・・」と懐かしむ状況にだけはしたくありません。・・・残念ながら世界中ではそんな状況がもうしばらくは続くでしょうが・・・自然もこれ以上破壊されたら再生能力の限界を超えてしまいます。・・・再生能力の限界を超えてしまったように見える場所も各地に現れています。
勿論人間も、つづれ織りのように繋がった生態系に含まれるのです。生態系の破壊は人間社会の崩壊に繋がるのです。
自然破壊はもうこれ以上進めてはなりません。自然に優先する価値のある開発など、どこにも存在しません。
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【2010/04/05 00:03】 | 生態系 トラックバック(5) |


yamakaji
はじめまして。絶滅危惧の動物について調べているyamakajiと申します。
自然が年々減っているということは、一般の人々の間でも自明のことのように言われていますが、果たしてそうでしょうか。彼らが接していた自然は人の干渉によって作り出された二次的なものであり、現在の日本では森林が伐採され、川や海岸がコンクリートでおおわれていくのと反比例し、人が手入れをしなくなった二次的自然が、植生の遷移という自然の働きによって原生林への道を歩み始めています。「人間の干渉という点だけを考えれば、それが少なくなった日本の植生は有史以来最も豊かだ」という植物学者もいます。ノスタルジーだけに立脚して自然を語ることは、自然を取り戻すことにはつながりません。一つ一つの環境と生物の変遷を腰を据えて見つめ、それが社会のどの動きと関連があるのか考えない限り、企業がコントロールしている里山ブームやエコブームに踊らされるだけで終わるでしょう。

今のところ、自明と言っていいと思います。
雑草Z
    yamakajiさん

 はじめまして。丁度いいタイミングでのコメント内容です。

>彼らが接していた自然は人の干渉によって作り出された二次的なもの

 人工の箱庭的自然と言う意味ではなく、人間と自然の共存は必要な事です。人間は自然の一部ですから生態系の循環に同化しなければならないでしょう。そう言う意味で全て人工的な都市は持続不可能で、どんな都市でも里山的自然との調和は必要な事です。

>人が手入れをしなくなった二次的自然が、植生の遷移という自然の働きによって原生林への道を歩み始めています。

 それは明るい兆しですね。しかし、残念ながら地域的にそのような場所もあるだけの事で、中国を見てもアフリカを見ても世界中を考えれば、破壊されている地域の面積のほうが遥かに多い事は明白だと思います。・・多くのデータもあります。


>「人間の干渉という点だけを考えれば、それが少なくなった日本の植生は有史以来最も豊かだ」という植物学者もいます。

 そう言う方もいるでしょうが、それは限られた地域でのお話でしょう。日本全体で考えればそのような事はないでしょう。昔と比べ、1人あたりの人間の環境負荷も、人口も遥かに増えた現在、生態系を循環しない地下資源や化学物質も地上にばら撒かれています。勿論解釈の仕方にも依りますが、日本の一部が原生林に戻っているとしても、ずっとそれ以上に日本の企業は海外の森林を伐採してきました。フィリピン、インドネシア、マレーシア・・・と次々に東南アジアの国々の木を切り尽くしてその後寒帯林の木を切って輸入して来ました。日本の小さな植生を守って(・・それはそれで大切な事ですが・・)海外のより大きな面積を伐採してきました。
 日本国内でも、最近やっと止まってきましたが、旧緑資源の広域林道の原生林などの破壊を知っていますか?現場を何度も観ていますが、あれだけ急速に破壊されてきたのよりも早く原生林が回復しているとは思えません。この道は森の中を縦貫していますので地図にさえしっかり示されていない可能性もあります。・・つまり、まだ原生林としてカウントされている可能性もあると言う事です。道路拡張やダム建設、河川工事等で破壊されている以上に自然が回復しているとは言う事は無理でしょう。

>反比例し・・原生林への道を歩み始めています。

では意味が矛盾しています。


>絶滅危惧の動物について調べている

との事ですが、絶滅を回避しているとでも言う事でしょうか?
 地域的には絶滅してしまったり激減してしまった種を沢山知っています。・・多くの人がそうでしょう。そして地球的にも最近も次々に絶滅している種の報告がなされています。

>企業がコントロールしている里山ブームやエコブームに踊らされるだけで終わるでしょう。

 かなり短絡的な発想です。他の記事などを見て頂けると分かりますが、決してそのような議論にはなりません。

  

 生態系の破壊が環境問題の本質です。それが世界的に回復している・・・と言う事であればそんなに嬉しい事は御座いません。是非とも、自然は年々回復して地球の自然は豊かになっている・・と言う事を信じるに足る根拠があればお示しください。
 世界が無理なら日本全体でもいいです。

   +++ +++ +++ +++++ +


 路傍の石ころさん、比較対象の丁度いいコメントが来ましたね。
 


鼻勝
おひさしぶりです。
うちの近辺のド田舎は河川敷辺りの開発? が、進んできてしまい、
御犬様の散歩の際に、防風林として有効だった竹林とか軒並み切り落とされ消えました。
田舎の自己再生能力? が減っていきそうですわ。

論点が全くすれ違っています
路傍の石ころ
 わたくしは、コメント欄から去ったのですが、「路傍の石ころさん、比較対象の丁度いいコメントが来ましたね。」などと仰り長い袖を引っ張るので(?)また出てきました。

 細かいことですが比較対照では? yamakajiさんはせっかく少数派の貴重な見方を提示されているのに、やや意味の通らない不用意な表現が混ざっていて、分かりにくい点があります。それで、おこがましいのですが評論家になったつもりで、yamakajiさんのお説に補足説明を加えながら、雑草さんのお説とを比較対照してみたいと思います。 まづ、yamakajiさんの仰ることはこうだと思います。文言を増やして分かりやすく敷衍したいと思います。長くてすみません。

         ……………………………………………………………………………

 かつての日本は自然が豊かだったと言われています。しかし、必ずしもそうではありません。80歳の老人が若い時に見ていた自然は、自然が豊かなと形容されますが、それは本来の自然ではないのです。
 太古の昔、たとえば縄文時代を考えてみましょう。そのころは人口も少なく、採集や狩猟で生活していました。道具と言っても原始的なものしかなく、遺跡などから推測して掘立柱の小屋程度のものとか、丸木船とかはあったでしょうが、それに使用する木材はしれたものです。大規模な森林伐採など無縁の時代でした。また古代人にとっては、自然は畏敬して崇めるものであって、収奪するとか破壊するとかはありえませんでした。
 そのため縄文時代には、日本列島は北から南までうっそうとした自然林に覆われていました。南のほうではシイ・カシなどの常緑の照葉樹林が広がり、北の方では夏緑樹林のブナ等の原生林が、また高い山や北海道ではシラビソ等の針葉樹林が覆い尽くしていました。もしタイムマシンがあって、縄文時代の上空を日本列島を縦断して飛んだら、見渡す限りの樹海が続いていることに驚くでしょう。
 この大樹海が日本列島の、真の本来の自然です。日本は雨量が多く樹木がよく育ちます。それで草本類は樹木に押されていました。樹木の育ちにくい痩せ尾根とか岩角地とか、あるいは「ギャップ」と言って老木が台風などで倒れて森林に出来た空隙に、細々と草が生えていました。このような姿が日本の本当の自然なのです。
 ところが、時代が下がって、農耕が始まり手っとり早い方法として焼畑が伝来し、また弥生時代になり稲作も始まりました。それで森林破壊が始まりました。青銅も伝わり鉄器の使用や精錬とか鋳造もはじまりました。それには火力が必要で、木炭が使われましたが木炭製造のため森林が切られました。もちろん炊事や暖房は薪しかない時代なので、どんどんと森林が伐採されるようになりました。
 歴史時代になって人口も指数関数的に増加しました。推定で奈良時代は人口800万とか1000万人とか言われ、江戸時代には3000万人程度とか言われています。人口が増えると、製鉄用にも家を建てるにも炊事・暖房にもどんどんと木が切られます。ちょっとした都市の周辺の山々はみな丸坊主です。昔の絵巻物などの絵画を見ると、山々の絵は細かな山の襞(ひだ)が克明に描かれています。そうです、山に木がないのです。
 このように本来の日本列島の自然つまり森林は、江戸時代ぐらいに奥山をのぞいてあらかた切り尽くされてしまいました。自然を護ろうなど言っても本来の自然はとっくの昔に破壊されているのです。本来の森林が残ったのは奥山と寺社林ぐらいのものなのです。
 その本来の森林が伐採された後には、陽光がさすので細々と生きていた草本がわが世の天下到来だと進出してきます。また陽樹といわれる種類の樹木の種が飛んできて生えてきます。マツが典型的な例です。マツの種子は軽くて風で飛びます。マツはそれまでヤセ尾根とか海岸の潮をかぶるようなところにしか生きられませんでした。原生林を作っていたのは陰樹と呼ばれる種類の木でした。つまり生える樹木の種類が違ってきたのです。もちろん本来の木の切り株からひこばえも生えてきます。
 このように本来の植生(潜在植生)が破壊されて、そのあとに形成される植生は、一般的に「代償植生」と言います。草地の場合もありますが森林になっていれば「二次林」と呼んでいます。この二次林が切られては、また生え、また切られては生えということを歴史時代の後半くりかえしているのです。「森林が破壊されている」と多くの人々が叫んでいますが、明治時代には山々ははげ山だらけなのです。証拠の写真がたくさん撮られています。森林破壊は昔の方がひどかったのです。残念ながら、この事実を多くの人は知りません。
 日本の自然は何百年に渡って徹底的に利用されてきました。まきや、たきぎに、また木炭用に、二次林の落葉落枝や下草まで堆肥用に熊手で採られました。およそ20~30年程度で伐採されました。山々は複数の区画に分けられて、今年はここを伐採し、来年は次のここというふうにして移動していきます。それで20~30年で一巡です。たくさんの区画があれば伐採後の二次林の回復程度はまちまちです。
 ですから昔の山々はパッチワーク状の風景でした。これが自然を護ろうと言っている人たちの自然の姿です。本来のものとは全く異なります。昔は里山もかなり奥のほうも、山々は「自然」ではありません。畑です。柴や木炭や堆肥材料を採るための徹底的に管理された「畑」つまり人為だったのです。
 ところが異変が起こったのは昭和30年代です。
 「燃料革命」が起こりました。薪や木炭から、石油やガスや電気へと燃料がパラダイム・シフトしたのです。生活様式も激変しました。山々は大事な「畑」から価値のない「雑木林」になりました。山々は捨てられました。山には誰も用はなくなりました。誰も山には入らなくなりました。
 そうすると、自然の偉大な摂理である「遷移」という現象の時計の針が動き出したのです。時計の針はすでに40年の経過を告げています。山々では年々樹木が生長しています。すでに陽樹から陰樹へと移りかけているところもあります。自然林に近づいているところもあります。本当の意味でのバイオマス(生物量とか生体量とか訳します)がどんどん蓄積されています。かつては20~30年で伐採されていた二次林が、30年を超えて生長しているのです。
 日本の山々の植生は「極相林」へと向けて力強く育っています。多くの植物の研究者が、「歴史上いまが最も日本列島の植生が豊かで山々が緑に覆われている」と言っています。日本地図をよくご覧ください。日本は山国です。平野は国の面積の2割しかありません。ヒトが住めるのは丘陵地帯や山裾を入れても、最大限3割です。 7割は山なのです。
 その7割の約半分が植林という用材を栽培する「畑」ですが、残りの半分の広大な面積で、力強く二次林が極相林に向けて生育しているのです。これはまさに、何百年とヒトが干渉し破壊してきた自然が本来の自然に還っていると言えるのです。

           …………………………………………………………………………

 yamakajiさんの仰っているのはこう言う当たり前のことなんですよ。植物の専門家だけでなく、調査に参加している熱心なアマチュアもみんな、このことには気づいています。
 日本の植生の歴史年代における変遷を捉えて、現在の山々の植生の状況を客観的に述べているだけなんですよ。客観的な事実を認識するのは大切です。植生調査をしている人々は「歴史を見る目」という視点で現状認識しているのです。yamakajiさんの見方はそっくりそのまま私の見方でもあります。
 
 雑草さんは、林道による破壊とか、外国から木材を輸入しているとか仰るのは、それはまた別の話なのですよ。論点が違うんです。自然の破壊とかは、そういう論点の議論として、たとえば 「破壊的な林道を是とするか非とするか」 の議題で論じるべきもので、おそらくyamakajiさんも私も雑草さんもここに来られる多くのかたも、意見はほぼ一致すると思いますよ。
 自然現象として起こる遷移の様子から学術的に見えることと、破壊や開発による人為現象をいっしょくたにしているので論点のすれ違いが生じているのです。

 それと絶滅危惧生物を調べるとか調査するとかいうのは、基礎データの作成なんです。護るべき自然は何か、その指標として絶滅危惧生物があるのです。それを調査したり、研究したりするのは、あくまでも基礎データをまとめているのです。何を護るべきか明らかにしなければ、やみくもに保護活動しても的外れになります。ちなみに私の観察・調査したこともわずかですが県版や近畿版のレッド・データ・ブックに反映されています。
 雑草さんの仰っている「絶滅を回避しているとでも言う事でしょうか?」というのは、環境活動家の言いがかりみたいなものです。基礎データの収集・作成と、環境を護る活動とは、別のものなのですよ。yamakajiさんは「調べている」と仰っているだけです。調べることが絶滅を回避することにつながるのか、とそういう言いがかりは変ですよ。

わたしは本当にこれをもちまして失礼いたします。ながながとすみません。
本当に、いろいろと、ありがとうございました。

 


 

あの頃 熊ん蜂は傍にいた・・
団塊おやじの遺言
最近思い出す事は・・昔川原や野山に寝そべっていると耳元に大きな音 密を採りに来る太った白と黒のブ~ンと大きな羽音を鳴らし びっくり飛び起きる! 当たり前に居た くまん蜂君の飛行だ  野山には必ず居た当たり前の昆虫です 草の香り そよぐ風 そして蜜蜂や様々な昆虫が居る 川にも様々な魚がいたよね 戦後生まれの私 子供の頃はおやつの無い時代 でも野山の木々には何かしらの実を見つけ 川からは小魚を採り立派なご飯のおかずに 山菜や川の恵み 八目うなぎやドジョウや小魚
が自然には溢れていた 貧乏は当たり前の世の中でしたね
何よりも自然には生き物や食べられる物が溢れていました 都会は兎も角 野山には人々を生かす力に満ち溢れて居た様な??
マグロやステーキは無かったが 生きるのには充分の恵みを私は自然から確かに受け取りました 戦後と今の社会情勢は比べるべきも無いが 豊かさとは何かを考えています


 


路傍の石ころ
追記です。

 まず、昔は自然が一杯で山々は豊かな緑で覆われていたと思いこんでいませんか?

 それは単に、そうに違いないと根拠なく信じている幻想なのです。歴史上、日本の森林が最も荒廃したのは明治時代の中期です。薪炭用や窯業用などで各地の森林が過度に伐採されました。特にひどかったのは瀬戸内海の中国地方側や、近畿の中央部や、濃尾平野周辺、関東の一部などで、山の表土が流れ去り、はげ山が広がりました。地質的には風化しやすい花崗岩の山は乾燥が著しく、はげ山化が進みました。はげ山でもかろうじて生育できるのがアカマツです。アカマツの分布の拡大を見て、有名な 『赤松亡国論』 が登場したのは明治33年です。
 太平洋ベルト地帯を中心にして日本各地に天井川 (てんじょうがわ) が存在しています。川の川床が周囲の平野よりも高いものを言いますが、その成因は上流の森林破壊です。大量の土砂が流出して川床に堆積するのです。川床が上昇すると堤防も高くする必要があるということで、後背の平野より川自体が高くなりました。ここで日本の森林荒廃やはげ山の成立要因を研究した素晴らしい書物を紹介しましょう。

千葉徳爾著, 『増補改訂 はげ山の研究』, 株式会社そしえて, 1991, です。環境問題の名著です。

 これは地理学・歴史学・生態学の3領域にまたがる学際的な研究書です。入手困難で、高価ですし、チョイチョイと読める本ではないのでお薦めはできませんが、大きな図書館 (国会図書館など) で閲覧できる機会があればぜひ目を通してください。巻頭に古い白黒の写真を3葉提示しています。この写真を見るだけでも考えさせられます。昔は、森林が豊かだったなどという幻想は、それこそ木っ端みじんに吹き飛びますよ。

 森林の各地での広範囲な伐採、薪炭を得るための日常的な伐採は、ずーっと昭和30年代まで続くのですが、その後は伐採は終息しています。先に申した通り燃料革命により薪炭が要らなくなったからです。いま全国の広大な面積で二次林が順調に生育しています。
 『理科年表』の平成21年版の環境部の65ページに、「全国植生自然度」という項目があります。これによると、国の面積に対する自然度ごとのパーセンテージをしめしています。 (旧版の引用で恐縮です。22年版は買いそびれました)
 自然林が17.9%、自然林に近い二次林が5.3%、二次林が18.6%、植林地が24.8%です。これらを合計すると66.6%で、これが日本の森林率ということになります。自然林は定常的な極相に達している森林なので、これ以上生育することはありません。しかし二次林は伐採されなくなったので、どんどん育っています。二次林は国土面積の23.9%ですから、ものすごい広さですよ。
 植林も間伐とか枝打ちの管理の手薄などありますが、順調よく育っています。次の資料は 『林業白書』 の参考付表です。1の林業関係基本指標のなかの⑥の森林蓄積という項目をぜひご覧ください。
http://www.rinya.maff.go.jp/j/kikaku/hakusyo/20hakusho/pdf/s_2.pdf
昭和55年に森林蓄積が25億立方メートルでした。それが平成19年には44億立方メートルに増加しています。30年弱で7割ほどの増加ですね。これは植林も二次林も順調よく生育し、毎年幹が太りバイオマスを増やしているためなのです。これは日本列島全体の広大な森林で起こっている現象です。

 植物の研究者が、「日本の植生は有史以来最も豊かだ」 と言っているのは、調査研究をもとにして裏付ける資料がきちんとあり、それで言っているのです。こんなことは植物調査に参加している人は素人でも皆知っています。ただ、言っても信じてもらえないから黙っているだけなのです。

 yamakajiさんのコメントは端的に表現しているので、理解しにくいのではないかと思います。しかし、yamakajiさんは客観的な事実を言っているだけで、けっして間違ってはいません。

>現在の日本では森林が伐採され、川や海岸がコンクリートでおおわれていくのと反比例し、人が手入れをしなくなった二次的自然が、植生の遷移という自然の働きによって原生林への道を歩み始めています。

 これは特に分かりにくかったと思います。反比例などの言葉を不用意に使っています。彼は(たぶん男性の方でしょう)こう言おうとした筈です。まことに僭越ながら翻訳してみます。

「現在の日本では、身近なところでは森林が伐採されて、自然がどんどんと破壊されています。また、川や海岸がコンクリートで覆われて小動物のすみかが奪われ、やはり自然が破壊されています。けれども、すこし目を転じると意外なことが見えてきます。ヒトの生活・生産環境から少し離れると、ヒトが入ることの途絶えた二次的自然があります。たとえば、二次林と言われる森林では薪炭用に木を切らなくなりました。すると遷移という自然の法則が働いて、原生林(極相林)に向けて、森林は力強く生長しているのです」

>企業がコントロールしている里山ブーム

 これは、企業というよりも、行政とかNPOなどが 「里山が荒れている」 などと叫んで整備事業を各地でやっています。そのために補助金という税金をかすめ取っています。そして必要もない遊歩道をつけたり、東屋(あずまや)を建てたり、つまらないことをしています。里山は荒れているのではありません。遷移が進行して自然に戻っているだけなのです。 なにが本質的なことか、本当にはなにが起こっているのかよく見据えないと、利権屋たちが喜ぶだけなのです。
 こういうことを述べているのだと、拡張すると解釈できます。

長くなったので、箇条書きにまとめます。

●yamakajiさんは、日本の二次林で起こっている自然現象を述べているだけです。
●その主張の核心は、二次林は生長し森林が豊になっていることです。
●その自然現象を理解しないと、インチキ環境運動にふりまわされる。

それに対して、雑草さんのお返事は、
●二次林で進行している自然現象の当否については疑っておられる。というか答えていない。
●人為現象の林道の自然破壊・木材の輸入・ダム工事・河川改修など、論点のすり替え・拡散を一生   懸命なさって、yamakajiさんのコメントを全否定されています。

 私の考えは、
●二次林が生長し森林が原生林に向けて育っているのは、学術的に正しい。
●しかし自然度が1・2・3のヒトの活動領域での、生物の生息環境の悪化は確かである。
●その悪化の人為原因は生息環境の物理的破壊、それと家庭排水などの垂れ流しが主たるもの。
●この2点を改善すれば見違えるように良くなる。
●林道は森林破壊を引き起こしているのは事実である。しかし、破壊面積は国土の24%の広大な面積  の二次林全体からすると、微々たるものである。
●林道破壊が大きく見えるのは心理効果。1000人の群衆の中に奇抜な服装の人が30人いたら、2割ぐ  らいいるように見える。実体は3%。目立つものは大きく見える。
●しかし破壊的林道を是とするのではない。断固として反対する。

 大変ながながと失礼しました。


研究者でもないのでおこがましいのですが
guyver1092
 近年、日本に生息するいろいろな生物が絶滅危惧種として認定されていると認識していましたのでyamakaji氏のコメントを読んで意外に思いました。その他、異様に頭の大きなツキノワグマを狩ったら餓死寸前のツキノワグマだったとか、近海漁業が振るわないのは山が痩せてしまったからだとかの議論も読んだことがあります。
  路傍の石ころ様、できれば、これらの真偽および合理的理由を説明してくださるとうれしいです。

 雑草Z様。自然と人間にとって好ましい豊かな生態系は別々に定義したほうがよいかもしれません。気候帯によっては原生林よりも人間の定期的干渉のある森(学問的に何と呼ぶのかは知りませんが)のほうが生態系が豊かだとも聞いたことがあります。

>田舎の自己再生能力
雑草Z
    鼻勝さん

 御久し振りのコメント有難う御座います。

>河川敷辺りの開発?

私の近辺でも進んでいますが、本当に酷いものですね。

>田舎の自己再生能力? が減っていきそうですわ。

そうですね。・・里山が持っている自己再生能力ですね。


>野山には必ず居た当たり前の昆虫
雑草Z
    団塊おやじの遺言さん

 御久し振りのコメント有難う御座います。

 里山に当たり前のようにいた昆虫や魚・・・動物が年々減っているのは悲しい事ですね。

>八目うなぎやドジョウや小魚

ドジョウやぼやっこ(・・アブラハヤの方言・)メダカやフナなどは身近に観ていましたが、ヤツメウナギは観た事がなくて、自然の川に泳いでいるところを見てみたいと思っているところです。
 
 人間の入らない地域の自然が保たれる事も大切ですが、里山の生態系が保たれる事も大切ですね。

 心の和むコメント有難う御座います。




 

 

淡々と的を得ていますね。
雑草Z
    guyver1092さん

 短いコメントの中に、非常に濃い内容が込められたコメントです。議論の応酬の本質を掴んでます。恐れ入りました。

>自然と人間にとって好ましい豊かな生態系は別々に定義したほうがよいかもしれません。

そうですね。鋭い御指摘です。今回の自分の記事をよみ返した時、タイトルが

生態系は年々貧しくなっている

とかしたほうが、 yamakaji さんや 路傍の石ころ さんのような記事の主題と違った御自分達の拘りの論の展開の場にならなかったのかな・・・と思っています。この記事で、『自然』と言う概念の定義、捉え方をはっきり示していなかったなと思いました。
 しかし、それはそれで、瓢箪から駒的な展開なのかな・・とも思います。

 兎も角 guyver1092 さんのこのコメントは鋭い一石を投じて下さいました。有難う御座います。シンプルで的を得ています。 

 

個人の拘りは御自由ですが・・
雑草Z
    路傍の石ころさん

 長い2つのコメントの中には大変参考になる部分もありました。有難う御座います。

>細かいことですが比較対照では?

「比較の対象」・・と言う意味です。まあ、「比較対照」でもいいですね。

それは兎も角、
 今回の記事【自然は年々減っている】と
 前回の記事【悪い冗談】読見返してみましたが、
guyver1092さん へのお返事にも書いたとおり、『自然』と言う言葉の意味の曖昧さや定義をしっかりしなかった事が問題だったかな?・・とは思いましたが、そこのところ以外、特に訂正する必要は無いと思いました。


 最近帰宅が遅かったりですので(・・仕事が忙しいと言う訳ではありません・・)一つ一つお答えしたいところですが、他の記事へのコメントもありますので簡単にお答えします。
 一言で言えば、路傍の石ころさんへのお答えも、全て4/5の yamakaji さんへのお返事で殆どお答えしていると思います。何も論点をすり替えたり誤魔化したりしていません。論点がすれ違っているとすれば、それは、私の記事への yamakajiさんや 路傍の石ころさんのコメントのほうではないかなと思います。

 確かに日本の植生と言う意味ではかなり回復した部分はあるのだと認識します。・・・戦国時代まで植生は荒れて、江戸時代に徳川幕府の政策や魚の油の利用などで、森林はかなり回復したと私は認識していました。・・槌田敦さんの幾つかの本や、ジャレド・ダイアモンドの「文明崩壊」などで読んだ記憶があります。明治時代以降も生態系が荒らされたでしょうが、そのピークが明治時代・・と言うのは森林の木などの植生に限った事ではないでしょうか?確かに大きな木の茂る天然林の生態系は非常に豊かですが、天然林が生態系の全てではありません。・・地上の生態系全体と言う意味では現在のほうが遥かに破壊されているでしょう。・・それに、石油文明になったと言っても、森林破壊が進まなかった日本は特殊な例である事は前のコメントに書いたとおりです。


>>企業がコントロールしている里山ブーム

>これは、企業というよりも、行政とかNPOなどが 「里山が荒れている」 などと叫んで整備事業を各地でやっています。そのために補助金という税金をかすめ取っています。そして必要もない遊歩道をつけたり、東屋(あずまや)を建てたり、つまらないことをしています。里山は荒れているのではありません。

仰る通りだと思います。路傍の石ころさんは<雑草の言葉>の記事を前々から読んで下さっていますので、私も同様に考えている事は御存じですよね?・・ただ、その後の

>里山は荒れているのではありません。遷移が進行して自然に戻っているだけなのです。

には私は異論があります。遷移が進行しているところも

>「里山が荒れている」 などと叫んで整備事業を各地でやって

もっと荒らしているのです。つまり、整備事業などによって生態系は壊され、自然破壊は進んでいると言えましょう。・・・ちょっと残念なのは、私がyamakajiさんへのお返事で

>かなり短絡的な発想です。他の記事などを見て頂けると分かりますが、決してそのような議論にはなりません。

と書いた事は、<雑草の言葉>を読みこまれている路傍の石ころさんなら当然、私がそんな里山ブームやエコブームに踊らされる筈がない事はお分かりだと思っていましたのに、このようなコメントを下さった事です。

>yamakajiさんは、日本の二次林で起こっている自然現象を述べているだけです。

との事ですが、それがこの記事へのコメントではおかしいでしょう?記事の内容とは関係のない自論を展開しているのなら失礼な話です。そうではなくて

>自然が年々減っているということは、一般の人々の間でも自明のことのように言われていますが、果たしてそうでしょうか。

と言う事から始まって反論をされたので、それは一部であって、世界的には年々自然は減っている・・・と言う事は自明でいいでしょう・・・と言う事を色々な角度で説明しました。

 木を使わなくなったから森が天然林に戻っている・・・と言う部分も私も実際この目で確かめましたが(・・一般に言われているように・・百年近くもかからなくても、結構早く戻るものです・・)それ以上に不要な工事等で大きく荒らされています・。そして、木の代わりに使っている石油はもっと大きな自然破壊をしています。


>人為現象の林道の自然破壊・木材の輸入・ダム工事・河川改修など、論点のすり替え・拡散を一生   懸命なさって、yamakajiさんのコメントを全否定されています。

全体では回復しているとは言えない・・と言ったのです。こちらの記事の主題に対して、全体を述べずに一部の自然の回復の事のみを論点にするほうが「すり替え」ではないでしょうか?

 本文にも

>環境破壊は年々進んでいて、局所的によくなった場所があたとしても、全体的には年々悪化しているのです。

と、はっきり言及しています。

路傍の石ころさんや yamakaji さんが、海や山で一部の自然が回復している場所がある・・・と言う事に拘るのは御自由ですが、それをここで問題にするのはお門違いです。全体として自然は破壊されている事を言っているのであって、それは路傍の石ころさんも御認めになるところかと思います。
「全ての場所で自然が壊されている」と言う内容の記事への反論ならば分かりますが、そうじゃないのにいつもその方向へ強引に議論を持って行こうとしているように感じます。
【悪い冗談】へのコメントもそうです。
議論がかみ合わないとすればそれが原因かと思います。

・・と、言う事で、長い裾を引っ張って失礼いたしました。もう引っ張るのは止めますね。



サツマイモや袋栽培の御指導有難う御座いました。感謝しております。その御指導が途切れるとすれば残念です。 


路傍の石ころ
雑草さん

 まずは謝罪いたします。先に申しましたように、人様のブログのコメントは手短にすべきものです。それを逸脱して長文を送りつけて、申し訳ございませんでした。
 また、自論なりは自分のブログでするものですね。或いはそれが可能な紙媒体とか掲示板でもいいかもしれません。が人様のブログで自論の開陳は慎むべきものですね。それを逸脱しまして、申し訳ございませんでした。貴ブログをずいぶんお汚ししまして、すみませんでした。謝罪致します。

 少し言い訳をお許しください。実はしばらく前から、自然に対しての認識が、雑草さんとわたくしとではかなり相違しているなと感じていました。それで、そろそろ立ち去る潮どきかな思っていました。それでこれで去りますという意味のことを何回か書きました。そのつど雑草さんがまあ待てと引き止めるようなことがありました。 しかし静かに立ち去らなかったことに非もあるので、その点はお詫び申しあげます。すみませんでした。ずるずると居ましたので、次第に持論の展開というふうになってしまいました。たいへん失礼なことになりすみませんでした。

それで、自然についての認識の相違が歴然としてしまいましたね……。 (苦笑)

>全体として自然は破壊されている事を言っているのであって、それは路傍の石ころさんも御認めになるところかと思います。

と仰って下さるのは有難いのですが、私はそうではないのですよ。
日本の自然は、大まかに言って、悪化しているのが4割、そう変わっていないのが3割、緩やかに回復が2割と考えています。それとそもそも自然など既に存在していないところが1割、存在していないものは悪化のしようもないと考えています。 全体は著しいモザイク状だと認識しています。
遠い外国の自然はどうかについては、見たこともないので、私にはまったく分かりません。

 ま、ホント、ざっくばらんなことを言えば、10人寄ればいろいろな考えがあるんですね。実社会でもネットでもヒトという種は離合集散を繰り返すんですね……。
 各地の風力発電反対運動をしている人たちも、ごたがい連携して共闘しはじめたとたん、早くも意見の相違でいくつかのセクトみたいなものに分かれ始めています……。

 それとサツマイモ等は、聞かれるから饒舌に語りすぎたということはしましたが、人様を指導したなどという意識はありません。私は営農指導員ではございませんからその能力はありません。もし振り回したことになるのでしたら、その点は謝罪いたします。すみませんでした。

 いろいろと、申し訳ございませんでした。
 また、いろいろと、ありがとうございました。

希望
雑草Z
    路傍の石ころさん

 路傍の石ころさんの長いコメントに関しましては、何度か言及してますように、迷惑ではありません。迷惑どころか、しっかり論理的に自論を展開されていると思っておりました。内容的にも参考になる事が沢山ありました。
 ここの上の二つのコメント[4月6日付]も、記事の内容のコメントとしては逸脱していると思いつつ、一つの論文としては、よくもまあ、これだけ理路整然と書けるものだと感心して読んでおりました。こんなコメント欄にこれだけの事を書くのは大変な労力であったと思います。有難う御座いました。だからその事では一切謝罪しないで下さいませ。路傍の石ころさんの長いコメントには感謝しております。

 記事の内容から外れて他の方向に話題が行ってしまった事はこれまでにも何度もあります。そう言う話
 ・・・つまり
"日本の植生に関しては、段々減っているのではなく、それどころか
>「歴史上いまが最も日本列島の植生が豊かで山々が緑に覆われている」"

と言う話を ”記事の内容への反論” と言う形ではなく話しましょう・・・と言うのであれば興味深いお話でありますのでここで論じる事はやぶさかでは御座いません。それを
>瓢箪から駒
と表現させて頂きました。
はじめの yamakajiさんへのお返事の最後に

>生態系の破壊が環境問題の本質です。それが世界的に回復している・・・と言う事であればそんなに嬉しい事は御座いません。是非とも、自然は年々回復して地球の自然は豊かになっている・・と言う事を信じるに足る根拠があればお示しください。

と、書いたのは、皮肉ではなく、本心です。世界中から自然破壊のリポートが報じられ、自然回復のニュースは、路傍の石ころさんも御指摘のように、行政やNPO法人などの、あんまり好ましくない報告であったりです。私自身、自然破壊の現場ばかり目についています。だから、路傍の石ころさんのおっしゃるように自然回復されている場所が沢山あるならば、嬉しい限りです。

 ただ、それが他のもっと大きな自然の犠牲の上に成り立っているのであれば話は別かと考えます。

兎も角
>緩やかに回復が2割と考えています。

は、私にとって新鮮な論です。その辺の事はもう少しお聞きしたいと思っていました。

guyver1092さん が路傍の石ころさんに尋ねていた[4/6コメント]

>異様に頭の大きなツキノワグマを狩ったら餓死寸前のツキノワグマだったとか、近海漁業が振るわないのは山が痩せてしまったからだとかの議論

の真偽および合理的理由の説明は私もお聞きしたいところです。


>実はしばらく前から、自然に対しての認識が、雑草さんとわたくしとではかなり相違しているなと感じていました。

これは、コメント欄に明らかに現れていましたね。意見の相違の後に、これで立ち去る と言う意味の事をかかれておりましたから・・・しかし、路傍の石ころさんの御自分の目で確かめた実践の伴ったお話は非常に魅力的で、もっとコメントを読みたく思い、御引き留め致して居りました。ここにコメントを下さる重要なレギュラーメンバーのお一人になっていらっしゃっいました。


 実はネットで古本で購入した槌田敦さんの
「エントロピーとエコロジー」を読んでいたら、
槌田敦さんも御自分でサツマイモを作られていたらしいです。彼は
 余剰の食料生産が権力構造を作っている
と考えています。彼の著作物にしばしば出てくる主張です。
だから、職業としての農業ではなくて、自給的兼業的農業を理想としています。(・・この事に関しては記事にしてみたいと考えてます。・・)
 そう言う意味でも路傍の石ころさんのサツマイモ栽培や袋栽培のお話は非常に参考になります。農業指導員の指導などは受けたくはありません。だから、振り回された・・と言うのではなくて、重い腰を上げてもうその気になって、おススメの本も購入し計画している・・と言う事です。有難う御座います。

 路傍の石ころさんも私も主義主張はかなり確固としたものを持ってますので、あまり動じない・・と言う事も確かだと思います。

 全否定して去る・・・というのではありませんから、興味のある記事にはまたコメント下されば幸いです。いつでも期待しております。

 






路傍の石ころ
雑草さん
guyver1092さん

 去ったと言いながら、また出てくるのは言動不一致のいい加減な人間のすることですが、お二人様に聞かれたという形になった点があるので、最後に、それについてお返事をいたしたく存じます。書き逃げにするというのもイヤですし。

>異様に頭の大きなツキノワグマを狩ったら餓死寸前のツキノワグマだったとか、近海漁業が振るわないのは山が痩せてしまったからだとかの議論

との問いかけですが、私の考えを申したいと存じます。

●ツキノワグマについて
 
 このことは初めて聞きました。情報源は何でしょうか。新聞記事? 雑誌・同好会誌・学会誌などの記事でしょうか? 出所が非常に重要だと考えます。逆に出典をお聞きしたいと思います。あらゆる情報は、だれかが、何らかの意図や思惑を持って流すものです。だれが何のために、どんな方法でそのニュースや情報を流すのか考える必要がある、というのが情報に接する私の基本的な姿勢です。
 誰といっても、マスコミであったり、研究者であったり、何かの運動家であったり、普通の庶民であったり、いろいろです。目的もいろいろで、世論を誘導しようとしたり、研究者が研究成果を誇示したり、単にその成果を社会に還元するだけということもあるし、はたまた普通の庶民の単なる話題や噂話に過ぎないもので、特に目的はないということもありましょう。

 ネットで検索してみましたが、私が捜した範囲ではそれらしいものが見当たりませんでした……。このツキノワグマの話の情報元と話の確実性をまず突き止める必要があると思います。でなければ軽々しく言及できません。

それで、私はこの件に関して情報を持っていませんから、わかりません。 しかし分からないという前提のもとで、勝手な推測をしてみます。あくまでも推測です。

まずこのツキノワグマは3点が重要ですね。1は、頭が異様に大きい。2は、狩りをされてしとめられたということ。3は、餓死寸前であったこと。
 これから分かることは情報元は明らかに狩猟をしているハンターだということです。ハンターが新聞社に話したという可能性が高そうですね。
 
 1の頭が異様に大きいといっても、クマの生態を研究している専門家が調べて言っているのですか? 生物に関する体重とか身長とか身体サイズに関するデータは、ほとんどが正規分布します。正規分布する現象ならば標準偏差の2倍の現象は5%ほど出現しますし、3倍の現象も起こり得ます。標準偏差の3倍の偏差を持つ個体を見たら、普通には異様に見えることでしょう。私も長年自然観察を積んでいるのですが、別の種かと思えるほど異様に葉が大きいサカキであるとかイタドリであるとか、いろいろと変なものを沢山見てきました。
 生物の世界では、異様に大きいとか、あるいは異様に小さいとか、それもその個体の身体全体がそうであったり、部分的にそうであったりという現象は、むしろ必ず起こります。
 そして、異様かどうかは研究者とか獣医師とかが判断すべき話であります。もし研究者が異様と判定したばあい、その原因を考察するということになります。原因もいろいろではないかと思います。たんにそのツキノワグマの個体のみに起こった奇形にすぎない可能性もありますし、その地域のツキノワグマの集団全体に頻発したものならば、何らかの環境要因があるかもわかりません。しかし高度な専門知識をもつ研究者の調査をまたなければ、素人(マスコミも)が軽々しくこれが原因だなどと言うべきではありません。

 2の餓死寸前であったということも、簡単に原因が特定できません。詳しい調査が必要かと思います。その個体がたんに怪我や老衰で十分に餌が摂れないことも、自然界のきびしい環境で身ひとつで生きている動物では、ごく普通のことですよ。また冬眠から醒めた春のツキノワグマは何カ月も飲まず食わずなのでやせ細っています。猟師さんならばやせ細ったクマをしとめて 「こりゃあ、餓死寸前やないか」 などと言ったかもしれません。重要なことは、その個体のみに起こったことなのか、その地域に棲む集団全体に起こった現象か、ですね。後者であれば、餌不足が考えられますね。
 一般的に言って、ツキノワグマの生息分布地域はブナ帯(冷温帯)です。西日本では標高の高いところにいます。秋にブナの実やサルナシの実を食べて冬眠に備えて太ります。ところが自然界は恵みもありますが、非情なきびしさもあります。クマの好む木の実は、表年と裏年がありまして豊凶を繰り返しています。とくにブナはその傾向が著しい木の実なんですよ。クマが里に下りて庭先のカキの実をとることが多い年は、ブナの実が裏年です。そういう大きな理由がまず考えられます。
 それから林野庁が、いまでも植林をつづけています。ツキノワグマがえさ場にしていた天然林を伐採して植林すれば、ツキノワグマは生活できなくなりますね。そういう理由も考えられます。植林を、是とするか非とするかは非常に難しい問題です……。私はその答を持っていません。

●近海漁業の不振について

 これは自信をもって断言します。乱獲です。これが最大にして大部分の理由です。
 農業は栽培です。採集ではありません。漁業は何だと思いますか? 採集ですよ。自然のものを採るだけです。山菜を採るのとまったく同じことをやっています。もちろん養殖もありますが、その餌は採集されたものです。近年はさすがにこれではまずいと稚魚を育てて放流もしていますが、ごく一部の魚種でしているだけでその量も少なく、やはり漁業の本質的な方法は、「採集」です。そこが農業と根本的に異なるところです。
 特に沿岸漁業は海面の表層も、深層も、大きな網を2艘の漁船で一網打尽にして大小の魚を網目漏らさず摂りつくしています。沿岸漁業の現場を見たことがありますか? 海が荒れない限り土曜日(漁業者の定休日です)以外は、毎日毎日大きな網で日本中の沿岸で、獲りまくっているのです。
 私は 「採集漁業」 が続いていること自体を、よくまあ魚資源が枯渇しないものだと不思議にさえ思います。私は同級生にも、知人にも、漁師さんや漁業組合の人がいます。酒を酌み交わして彼らの本音を聞くこともあります。 彼らは言いますよ。

「毎日毎日、漁に出て、根こそぎ獲っとったら、そりゃあ魚はおらんようになるわな。とくに底引き網漁はやばいわな。海底をかき回すもんな」
 
 底引き網で、海底の泥や砂をかきまわし、底にすむ魚種の生息環境や産卵場所を破壊しているのは、漁師さん自身であるということを、漁師さん自身が語っています。ただし、やばいことをやっているという認識をもっているためか、表向きはあまり言わない話ですが……。

 それから回遊魚などの魚種により、大発生(異常繁殖)したり、逆に個体数が激減したりを数十年というサイクルで繰り返している魚がいろいろあるということが、分かってきているようです。いろいろ研究が進められているようです。理由もいろいろ説明されていますが、まだまだ仮説の段階のようですね。

 山が痩せたのが原因と短絡的に結びつけない方がいいと思います。魚付林ということが良くいわれますが、私がいろいろ資料を読んだりした範囲では、まともな研究者は魚付林なんてほとんど言っていないと感じました。説得力のある理論的説明もなさそうです。
 そもそも陸上の水に溶ける物質は、地質年代的な時間のなかで、めぼしいものは海に流れ去っています。海は濃厚なスープです。金やウランなどの重金属まで大量の海水の中に溶けて、膨大に存在していることは申すまでもありませんね。拡散しているので取り出せないのは残念ですが。むしろ、陸地のほうが 「出し殻」 ではないかと思います。
 ただ確実に言えることは、山がはげ山になると大雨で大量の土砂が海に流れ込み、海が茶色に濁り、魚の産卵場である岩礁地帯の海藻がやられます。その結果魚も減るということはあります。わたしの島でも山を削って宅地造成したら泥水が流入して、養殖ワカメの大被害が発生して、大きな問題になったこともあります。今度はその近くで風力発電の林道が作られたので、漁師さんたちがカンカンに怒っています。
 山が痩せるのが原因ではなく、泥水の海への流入が問題であろうかと思います。

 いつも思うのですが、マスコミの環境問題とりわけ動植物に関しての記事の程度の低さや、先入観や思惑を持っていて、世論をある方向に誘導しようとしているのじゃないかという報道に、あきれています。

 槌田先生にもおかしなところがあります。鳥類が海の魚を食べて、陸上で糞をして、物質が循環しているという意味のおバカなことを主張しています。生態系は循環していることを強調したいがための、頭の中で考えた幻想です。どんな鳥も生活する場所は棲み分けています。海岸に棲むウミウが内陸に飛んで行って糞をすることはないし、内陸の沼に棲む水鳥とか山に棲む鳥類が、わざわざ海にまで飛んで魚を捕り、帰ってきて糞をするなどありえません。槌田先生は自然観察をしていないという馬脚を表しているのはとても残念です。わたしは、確かな調査や研究による資料にもとづいて、徹底的な自然観察による推論が、より説得力を持つと信じています。

以上、たいへん長くなりましたが、お二人様から聞かれるというかたちになったので、お返事させていただきました。

いろいろと、ありがとうございました。

追伸
 蛇足ですが、自給自足を目指される場合の品種選びは、貯蔵性が重要です。サツマイモも少量作るのならすぐに食べてしまうでしょうが、大量に栽培された場合には、翌年の収獲まで食べ繋ぐことになります。最大限1年間保存する必要がでてきます。プロの農協や流通業者なら最適の温度・湿度に保つ巨大な冷蔵庫を持っています。しかし自給栽培ではそんなものありませんから、せっかくの収穫物を貯蔵中に腐らせてしまいます。それで味よりも貯蔵性が、品種選びの基準にされるのがいいです。
 関東地方で多く作られる 「ベニアズマ」 は、自給栽培では貯蔵中にかならず腐らせてモッタイナイことになります。関西の主力品種の 「高系14号」 が栽培しやすく貯蔵性抜群の品種です。これがおすすめです。乾燥させないよう冬の寒さに充てないよう保存すれば素人でも1年保存ができます。食味もけっこう美味いですよ。私は農協や農業試験場の営農指導員ではありませんが、このことは八方手をつくしていろんな品種の種イモを入手して栽培・貯蔵試験のようなことを自らやっています。自信を持って、「高系14号」 をおすすめいたします。
 苗というかたちで入手するのが困難なばあいは、イモを入手して自分で育苗するということにならざるを得ないです。イモの入手はインターネットが強力な手段になります。生産物のイモをネット販売したい農家は一杯いますから……。

これをもちまして、失礼いたします。
 

ツキノワグマ
guyver1092
差し替えてください。

 ありがとうございます。ツキノワグマについては、週刊誌で読みました。近年人工造林により、クマの食料となる植物が減ったというような書き出しだったと思いますが、異様に頭の大きなクマを狩ったら(狩ったハンターはあまりもの痩せ方にかわいそうになったと書いてありました。)実は異様に痩せており、体長は普通なのに体重が30キロしかなかったという記事でした。ちなみにその記事の中で、ツキノワグマも絶滅危惧種になっているとはじめて知りました。しかしこれは週刊誌なので、記事のすべてが真実とは考えていませんので、真偽のほどという質問になりました。
 漁業についてはどこで読んだかは覚えていません。おっしゃるように魚付林の記事だったのは確かです。
 昔真珠養殖業者に聞いた話ですが、昔に比べ、真珠が弱くなったとのことでした。具体的には、真珠を2年入れておけなくなったとのことでした。できたころの海は、もっとどろっと(プランクトンが豊富で)していたそうです。 この話を聞く限り、乱獲だけではないように思えます。

 ちなみに海鳥についてですが私の地元で、1キロほど内陸に大きなコロニーを作っていたのを知っています。槌田氏は路傍の石ころ様の言うようなことは言っていなかったと記憶しています。子育ては陸でするので、糞は陸にする。それを肥料に植物が育ち、虫が発生する、その虫をもう少し内陸に巣を作る鳥が食べ・・・というように、何段階にも分けて山に運ばれるとの意見でした。

 一番重要なことを忘れていました。生態系が回復しているのになぜ、絶滅危惧種が日本で増えているのでしょうか。生態系が回復しているのであれば、絶滅危惧種が増えるはずがないと思うのですが。


路傍の石ころ
guyver1092様

槌田先生の説の批判は、あまりにも要約して申したので誤解をまねきましたようです。
仰るように海鳥は陸地の崖などに営巣地があり、そこで子育てをしています。その点はわたしもよく承知いたしています。ですが、海鳥の営巣地は海岸に沿った臨海地です。内陸部からほど遠いのですよ。

>子育ては陸でするので、糞は陸にする。それを肥料に植物が育ち、虫が発生する、その虫をもう少し内陸に巣を作る鳥が食べ・・・というように、何段階にも分けて山に運ばれるとの意見でした

ということの何段階にも分けてという部分がとても成立しないのです。食物連鎖を考えても、「栄養段階」という用語は御存じですよね。下位段階の動物のもつエネルギーが、上位段階の動物に受け継がれていくのはごくわずかです。生物学の教科書では、たいてい10分の1という数字で説明しています。さらに上位の動物に受け継がれるのは10分の1、2段下位から考えると100分の1です。受け継がれる物質も同じです。つまり、指数関数的に最初の段階の物質もエネルギーもどんどんと希薄化していくのですよ。
 最初の海鳥の糞、 植物、 虫、 少し内陸の鳥、 糞を吸収した植物、 さらに内陸の鳥、と繰り返すと限りなく伝わる物質は希薄化するのです。この指数関数は、底が1より小ですから限りなくゼロに近づいていきます。生物学的(生態学)にも絶対に成り立たない無理な説です。やはり物質が循環することを強調したいがための、こじつけ理論であることは明白です。
 
>一番重要なことを忘れていました。生態系が回復しているのになぜ、絶滅危惧種が日本で増えているのでしょうか。生態系が回復しているのであれば、絶滅危惧種が増えるはずがないと思うのですが。

 私は先に申した通り宗教法人をやっているものでして、研究者ではありませんが、研究者に替わってお答えします。まずはごもっともな疑問です。そう思われるのは無理もないでしょう。

 自然は冷酷な側面があります。自然が回復すれば、絶滅種は増加いたします。
 とくに植物で絶滅種が急増することでしょう。ここが一般の常識と自然の摂理が異なるところです。理由は、森林が育つと林床に太陽の光が入らなくなるからです。草であるとか背の低い木は、よほどの耐陰性のあるものしか残りません。つまり陽光の奪い合いという競争に敗れるのです。自然は、一皮むけばすさまじいばかりの熾烈な競争の世界です。競争に敗れたものは、絶滅するほかありません。日本に自生する植物は樹木よりも草本のはうが倍ほどの数です。その草は陽光の奪い合い競争では、圧倒的に弱者です。自然が回復すればするほど絶滅種が増えます。

 庭に植える、オモトという植物を御存じですか。これは耐陰性がとても高い草です。こんなものは絶滅の心配は全くありません。

 綺麗な花の咲くカタクリはご存知ですか。これは耐陰性は弱い植物です。しかし、夏緑樹林(落葉樹)の下に生えます。春に誰よりも早く芽を出します。そして花を咲かせ果実を実らせます。カタクリの上空を覆っている落葉樹が葉を茂らせるころになると枯れます。つまり落葉樹の葉が茂るまでのわずか1か月ほどのあいだで、1年間の生活を終えるのです。あとの長い間は地下の球根のようなもので、休眠しています。このような戦略で生き残るものもあります。
 
 自然の摂理と言うか法則は、常識とは全く逆のことがたくさんあります。じつは自然観察したり、調査に参加したりしている人たちの間では、こんなことは常識なんですよ。

 じつは、自然を護ろうなんて言っても本当に難しいのです。人間が立ち入らなければ森はどんどん生長して、やがて見事な原生林になります。原生林は貴重ですよね。 ところが原生林の陰で消える草が沢山でるのですが、草も貴重ですよね。
 貴重な草を助けるために、原生林を切るとするならば、原生林は破壊したということになりますよね。

 これが自然保護の難しさです。現実にこんな矛盾みたいなことは沢山起こっています。この矛盾をどうするかは、専門家でもいろいろな考えがあります。いうなれば正解のない問題なのです。私の考えでは、森林が育って絶滅危惧の植物が消えたとしても、それは厳しい自然の掟・摂理・法則でありますから、ほうっておくというか、静かに見守るしかない、という意見です。
 そうではないという意見も、もちろんあります。

guyver1092 さんはこの矛盾というか背反現象をどうお考えになりますか。環境問題を考えるなどといっても、そこまで考えて議論しなければならないのです。本当に難しいものですよ。
 


路傍の石ころ
雑草様
guyver1092様

 槌田先生の珍説ですが、鳥類が海の物質を内陸部に還元させる働きがあるかどうかの可能性ですが、渡り鳥が海で魚を捉えて食べ、飛んでいく途中で内陸部で糞を落とすということを考えてみましたが、これも無理そうですね。
 あと、川と海を往来する魚がいますね。サケ・カラフトマス・アユ・降海型のヤマメやアマゴ。これらが海でしっかり餌を食べ、川の上流(つまり内陸部)で動物に食べられ糞をするというのなら、可能性はありそうです。北海道のヒグマは川でサケを捕り食べますから、大いに可能性はありそうです。糞をするだけでなく、食べ残しをちらかします。しかし物質循環する量はどれぐらいでしょうかね? これこそ定量的な調査が期待したいところです。
 でも最も物質循環の担い手になりうるのはヒトでしょうね。ヒトは海の魚をたくさん食べるので、糞は田んぼや畑でしましょう。

>昔真珠養殖業者に聞いた話ですが、昔に比べ、真珠が弱くなったとのことでした。具体的には、真珠を2年入れておけなくなったとのことでした。できたころの海は、もっとどろっと(プランクトンが豊富で)していたそうです。 この話を聞く限り、乱獲だけではないように思えます。

guyver1092様 のこの問いかけにお返事していませんでした。おそらく環境が悪化して水質が落ちるとか汚染物質がながれこんだとかと、仰りたいのかなと感じました。

 おそらく逆ですよ。環境対策をしっかりとやって、下水道が普及するとか、汚水の排出規制が厳しくなるとか、農地が耕作放棄されて肥料が投入されなくなったとか、が原因の可能性が高いのでは?

 たしか熊野に赴任された意味のことを、おっしゃっていませんでしたか? この真珠養殖の場所は志摩半島? 賢島の湾あたりですか。あのあたりなら、昔三重県にいたこともあるので土地勘があります。
 湾とか入江は奥深くリアス式海岸ですよね。基本的には外洋に面したところで、外洋は窒素とかリンとか少なく、どちらかといえば貧栄養です。
 むかしはプランクトンが多く、どろっとしていたということなので、陸上の田畑に肥料が大量にほどこされたり、糞が肥料としてまかれたり、下水道がなかったりして、窒素など栄養分が湾に流れ込んでいたのでは? 富栄養化したらプランクトンは大発生して、時には赤潮となります。
 真珠養殖の貝の生育には富栄養化しているほうが良かったにもかかわらず、エコ・エコ・エコと騒いで環境対策を進めることにより、湾の水質がきれいになってしまった、(つまり貧栄養化してしまった)可能性が高いのだろうと想像します。つまり、「水清ければ魚棲まず」という現象ですね。
イワナの棲む川の上流は澄んでいて魚はあまりいません。中流、下流となるほど水は汚れてきて、コイやナマズやウグイなど一杯います。もちろん汚れ過ぎてはダメですが、適度に汚れるというのは必要なのです。
 以上はわたしの勝手な想像でしたが、その真珠養殖の貝に病気が蔓延しているとか、ほかの原因もあると思います。水産試験場などが調査しているのじゃないでしょうか? そういうのに当たられましたか? 真珠養殖業者から聞いた話ということですが、じゃあ一体原因は何だろうかとせっかく疑問を持たれたのですから、ご自分でどんどん資料に当たられることをお勧めいたします。

 乱獲だと申したのは、これは漁業組合も水産試験場も水産学の研究者も、言いたがらないある種のタブーみたいなものなので、私が代わりに言ってやったという感じです。乱獲を唱えると、じゃあしばらく禁漁だとなるので言えないのです。ま、言わなくても、漁の解禁期間の短縮とか、漁の時間制限や漁獲割り当ての縮小などの規制をひかざるを得なくなっています。こまかなことを言えば埋め立てによる藻場という魚の産卵場の破壊とか、理由は一杯ありますよ。

 とにかく川や海は適度に汚れている方が魚が多くいることは、動かしがたい事実です。これも普通の常識と全く異なることで、本当に環境問題は難しいものです。
証拠をお見せしましょう。
http://seto-eicweb.pa.cgr.mlit.go.jp/env/env_006.html
この国土交通省の外郭団体のサイトを見てください。ここには瀬戸内海のデータがたくさんあります。瀬戸内海の漁獲高の経年推移のグラフがあります。よくご覧ください。1970~1985年ぐらいが漁獲高が多く、その後には次第細りに減っています。
http://seto-eicweb.pa.cgr.mlit.go.jp/env/env_007.html
次に赤潮発生件数の推移をよくごらんください。1976年がピークで300件、しばらく多い状況が続き、1986年ぐらいから100件ぐらいで横ばいです。

赤潮発生数と漁獲高とは相関関係があります。

 山国のかたは御存じないと思うので、説明させてください。瀬戸内海という閉鎖性の海域が、水質がもっとも悪化したのは1970年前後の10年ほどです。現在ではけっしてありません。私が中学生から高校生のころです。オイルショックの前ごろで、日本が高度経済成長していたころです。工場や家庭から何の処理もなされず排水が垂れ流されていました。海の汚染・汚濁が著しく、大阪湾の奥のほうなんかはドブの海で悪臭がしていました。 
 そのころは瀬戸内海は富栄養化して、赤潮が大発生していました。件数だけでなく規模も大きかったのです。これではまずいと行政も動き対策を講じました。それで水質はしだいに改善していきました。現在では1970年ごろと比べるとかなり海がきれいになっています。海がきれいになると赤潮の発生が件数が少なくなるとともに、規模も小さくなっています。赤潮は海の水質の指標です。

言わんとすることはもう分かると思います。水質が悪く赤潮が大発生していたほうが漁獲量が多いのです。環境対策を徹底して、水質が良くてきれいな海の方が漁獲量がへるのです。
 たぶんエコを標榜している方には、とても信じてもらえない話と思いますが、これはデータに基づいた動かしがたい事実です。私も瀬戸内海の変化を40年以上みています。環境が一番悪化したのは大分まえであって、現在ではありません。

 やはり昔の人の洞察はすごいものがあります。「水清ければ魚棲まず」これを裏付けるデータです。
 
 「水は適度に汚れているほうがいい。森林は適度に破壊されたほうがいい。(絶滅危惧種にギャップ地を供給するため)そのほうが生物は豊かである。」というのも、理解しにくいと思いますが真実なのです。
 また、これが、私が環境活動家を信用しない理由です。かれらはこんなことを何も分かっていないんですよ。まったく、宗教のお題目を盲目的に唱えているだけなんですから……。
環境運動は宗教化していますね。宗教人の私が言うのはヘンですが……。

自説の開陳ではなく、知られざる事実の開陳でございました。

雑草様
いろいろと、すみませんでした。
また、いろいろ、ありがとうございました。
失礼いたします。



正規分布近似
雑草Z
    路傍の石ころさん・・というわけでは御座いませんが

 また幾つか長いお返事のコメントを3つ頂きましたので、それらについて、お返事差し上げたい内容が沢山ありますが、まず一つだけ記事の内容にもコメントの議論にも全く関係のない事を書かせて頂きます。


 熊の頭の大きさについてですが、guyver1092さんが再度お答えされたところによりますと、個体としての異常である事を言ってるわけではありませんね。
 だから、その問題はそれで解決ですが、路傍の石ころさんが統計的手法を色々解説して下さいましたので、正規分布に関する私の自論を述べさせていただきます。

 私は統計は好きです。数学を専門とする人の中には往々にして統計を軽んじる人が沢山いますが、統計こそ一般に非常によく使う有用な数学でしょう。しかしその使われ方が結構いい加減であると常日頃感じています。世の中に統計学による誤魔化しも溢れています。

 正規分布に近似させる検定は好きな方です。
 「標準偏差の2倍、3倍・・」なんて表現が思いがけずここで出てきて嬉しくなりました。・・2σ、3σ・・因みに標準偏差って、正規分布(ガウス曲線)では平均値から変曲点までの間隔に丁度なる・・・って御存知でしたか?それが標準偏差を最もイメージし易いと思います。

 それはさておき、厳密に言って、自然界に正規分布するものなんて(・・殆ど・・)存在しない・・・と言うのが私の自論です。連続分布と離散分布の違い・・・と言う事ではありません。

 本来、正規分布は、平均値の両側に無限にデータ領域がなければなりませんが、実際の正規分布にあてはめる大きさのデータは、マイナスの値がありません。0より大きい正の数から始まります。つまり平均値の左側(小さい方)の値は限界があります。それに対して、平均値の右側(大きい値)は、(実際のデータが存在するしないの如何にかかわりなく、可能性として)無限大まで伸びています。だから、左右対称の正規分布曲線になる筈が御座いません。小さい値のデータ領域もマイナス無限大までなければ正確な正規分布は無理です。
 それから、0より大きな正の数から始まる自然界の物事の大きさや個数は、リニアなものなど殆どなく、倍数の世界です。等差数列の世界ではなく、等比数列の世界です。指数関数の世界です。
 それなのに生のデータの横軸を等差数列的に目盛っても、正規分布する筈が御座いません。
 平均値の周りの値の分布があまり偏差が大きくないうちは、正規分布で近似している訳です。

 本来は各値の対数値を取れば、(・・もしくは、横軸のメモリを対数で取れば同じ事です・・)
それが正規分布すると考えます。対数正規分布と言うものです。それによって0(より大きい正の値)から始まるデータも、マイナス無限大からプラス無限大としての値として扱えます!
 対数をとったのでは、データの偏差が小さくなりすぎてばらつきが見られないのではないか・・・と言う危惧されるかもしれませんが、小数点以下の数値の表示を大きくする、グラフで言えば、目盛りの間隔を大きくとる・・・と言う事で済みますから、本質にはなんの影響もありません。

 一般に使われている正規分布による近似でも、大小の関係が入れ違ったりはしませんので、近似としては使えますが、偏差の感覚がかなり矛盾しているのです。

 わかりやすい例で言えば、偏差が同じσの値でも、平均より、+σ の偏差を持ったデータと、-σの偏差を持ったデータの偏差が同じと言う事が、一般の正規分布近似検定の致命的な欠点です。勿論、-σのほうの偏差のほうが偏差はもっと大きく考えて然るべきです。

 さらにわかり易い具体的例で言いますと
 ある動物の成体の大きさの平均が2mだとします。標準偏差を0.5mとします。
それに対して、1mと、3mの成体があれば、両方とも偏差は同じ1mで、それぞれ-2σ、+2σですが、珍しさ、異常さと言う意味では、1mの成体のほうが大きい筈です。そのようにデータを扱う為には対数をとって使うべきなのです。

 だから、この正規分布近似だけでも、世の中の統計データ処理はいい加減なものばかりです。対数をとらずに正規分布近似を使って平気で異常さを論じる学者がいるとすれば、専門家だから信頼に足るとは言えないでしょう。

 世の中の使用法が適正でないと感じている正規分布が出て来たので、記事の内容と全く関係のないコメント書いてみました。



 出掛ける用事等がありますので、他のコメントに対するお返事等は、後で改めて書きます。
 

絶滅種、絶滅危惧種について
雑草Z
路傍の石ころさん

 先ずは、サツマイモに関して

>自給自足を目指される場合の品種選び

有難う御座います。貯蔵性が重要なのですね。

>「高系14号」 が栽培しやすく貯蔵性抜群の品種です。これがおすすめです

よくわかるようにお薦め頂きまして本当に有難う御座います。栽培の際には「高系14号」(・・サツマイモの種は全く分かりません・・)を見つけたいと思います。入手の方法のアドバイスまでも重ね重ね有難う御座います。



 さて、3つの長いコメントの内容の一つ一つにお答えしたいところですが、記事の内容に最も関連している絶滅危惧種、種の絶滅に関連のところを中心にお返事致します。

 
 路傍の石ころさんは日本の植物に関してのみ言及されていますが、私は絶滅危惧種や絶滅してしまった生物に関しては、動物しか思い浮かびませんので、先ずは動物に関して考えてみますと、

>自然が回復すれば、絶滅種は増加いたします。

は、あまり当てはまらないのではないでしょうか?・・少なくとも、有名な例は殆ど思いつきません。

 アメリカのリョコウバトも乱獲が原因です。気候変動などが原因とされていたマンモスも最近は乱獲が原因とされ、証拠も多々見つかってます。
 かつて日本の里山には普通にいた、メダカ、タガメ、ゲンゴロウ・・なども、現在日本では絶滅危惧種になってしまいました。これらは川にダムを作ったりコンクリートで固めるなどの開発や有害化学物質のたれ流しが原因でしょう。つまり、動物に関しては乱獲や開発が主因と言えるでしょう。
 
 植物などでも、乱獲や開発が主因の一つとはいえるのではないでしょうか・・・海外でもその例は色々あるでしょう。

 路傍の石ころさんは 「自然が回復する事」のみ原因として言及されていますが、何故それが主因だとお考えですか?


>私の考えでは、森林が育って絶滅危惧の植物が消えたとしても、それは厳しい自然の掟・摂理・法則でありますから、ほうっておくというか、静かに見守るしかない、という意見です。

私もこのあたりは大体似たような考えですが、そうではない人為的原因・・・乱獲や開発による絶滅、種の激減こそ問題にすべきで、ほうっておくべき事ではないと考えますが、如何でしょう?。


>川や海は適度に汚れている方が魚が多くいることは、動かしがたい事実です。

これには「人工物質以外の有機物で汚れている」という条件が必要ですね。化学物質などで汚染されている場合は明らかに魚の生息環境は悪くなります。


>水質が悪く赤潮が大発生していたほうが漁獲量が多いのです。環境対策を徹底して、水質が良くてきれいな海の方が漁獲量がへるのです。
  
この辺に関しても江戸時代の東京湾の事を考えても明らかですね。繰り返しますが
水質汚染対策は、化学物質による汚染を主に考えるべきでしょう。
 そうでなくとも、水質のいい、悪いは、生物の作る普通の有機物質による汚染とそうではない生態系を破壊する化学物質等による汚染とを区別すべきだと考えます。


>たぶんエコを標榜している方には、とても信じてもらえない話と思いますが、

 御自分が今まで相手にされた環境活動家の方々が軽率で似非エコだったのかも知れませんね。(・・確かにそう言う方も多いと思います・・。)
 大変失礼な言い方ですが、路傍の石ころさんは、そのようなステレオタイプの「似非環境活動家」を想定して、それを相手にここで自論をまくし立てていらっしゃるように感じます。しかし、路傍の石ころさんが仮想敵と考えている環境活動家達は、私たちとは違った人達でしょう。もし私や guyver1092 さんをそう言う輩と一緒だと思って得々と論じているのであれば、これまでの記事やコメントの議論は何だったのでしょうね?・・脱力です。

>自説の開陳ではなく、知られざる事実の開陳でございました。

色々御説明して下さって有難う御座います。私も槌田敦さんも、おそらくguyver1092さんも、ここの常連さんはみんな大体考えている事だと思います。内容は私も大筋で一致する考え方です。だから、このあたりは路傍の石ころさんと私の考え方に大きな違いはないと考えます。
 


 因みに現在叫ばれている「エコ」って言葉は嘘っぽいいやらしさを感じるものばかりですが、本来の「エコロジー」と言う言葉は、しっかりした意味を持っています。その事については4/17の記事でアップ予約しています。

環境対策
雑草Z
    guyver1092さん 
    路傍の石ころさん

guyver1092さんの

>この話を聞く限り、乱獲だけではないように思えます

に関して、路傍の石ころさんは

>おそらく環境が悪化して水質が落ちるとか汚染物質がながれこんだとかと、仰りたいのかなと感じました。

>おそらく逆ですよ。環境対策をしっかりとやって、下水道が普及するとか、汚水の排出規制が厳しくなるとか、農地が耕作放棄されて肥料が投入されなくなったとか、が原因の可能性が高いのでは?

これこそ、路傍の石ころさんの想定の大違いの部分です。

下水道の普及とか汚水の排出規制(・・これも有毒な化学物質は規制して然りです・・)とかをまともな環境対策とは考えていません。ここの過去記事にも何度か言及しています。
そう言う事も含めてしっかり「環境の悪化」と考えています。guyver1092さんもそうだと思います。

路傍の石ころさんもそれが原因だと考えていらっしゃる訳です。そこまで考えて、環境の変化(・・環境の悪化・・)と考えられるでしょう。だから、乱獲以外にも海岸をコンクリートで固めた事や農薬等の流入なども十分に主要な原因と考えられるでしょう。


  +++    ++++++     +    ++++++++

 余談です。
 路傍の石ころさんが、自然に対する認識が私と違っていて気に入らないから来ない・・・と言うのは致し方のない事です。しかし・・「これで最後」・・のお積りのコメントでも、こちらと相違のある意見なり認識を書かれた場合、こちらも質問とか反論とかする場合が多いわけですから、議論が続く可能性が大いにあるわけです。それにこちらの質問等に答えて下さる・・・と言うのはありがたい事です。
 路傍の石ころさんが返事の必要が無いと思ったら、そこで止めて頂ければ済む話です。何度も何度も「これにて失礼します」とか繰り返す必要はないのではないでしょうか?
 環境対策などに対する考え方も特に対立はないと考えています。考え方の一致する部分の多い、話の深い常連の方が去るのは寂しい事です。多くの事を教えて頂き感謝しております。

因みに・・・
 
 guyver1092 さんも微妙に私と意見の相違があると思います。長い間コメントを頂いて guyver1092さんが関心が無い記事も多少予想が出来るようになりました。予約の時点で、guyver1092 さんは興味が無く決してコメントを下さらないであろうという記事も月に1度は予測がつきます(笑)。そう言う事があって当たり前であり、大筋では考え方が一致していると思います。いい関係が築かれていると感じます。

 


路傍の石ころ
雑草様

 対数正規分布近似での統計データ処理すべきであるとの分かりやすい解説ありがとうございました。植物学者の研究も相当いいかげんなものがまかり通っていそうですね。

>動物に関しては乱獲や開発が主因と言えるでしょう
 全くおっしゃる通りですね。その両方の要因で絶滅した典型的な例が、ニホンカワウソですね。毛皮を採るための狩猟(乱獲)と生息地の川を改修などコンクリートで固めて(開発と同類でしょうか)絶滅しましたね。たぶん。

>植物などでも、乱獲や開発が主因の一つとはいえるのではないでしょうか
 おっしゃる通りです。観賞価値のある植物は乱獲で絶滅寸前ですね。サギソウ、アツモリソウ、フクジュソウ……、枚挙にいとまがないほど多数のものが、乱獲でそう遠くない将来絶滅しそうですね。
 湿地や沼などの水辺の植物はほとんどすべてが絶滅危惧種といってもいいですね。化学物質の流入ももちろんありますが、土建業者がやたらと埋め立て(開発)したがります。

>乱獲や開発による絶滅、種の激減こそ問題にすべきでほうっておくべき事ではないと考えますが、如何でしょう?。
 全くその通りで、動植物愛好家や販売業者の乱獲は許すべからざることで、厳しく取り締まる必要がありますね。自然の大切さについての教育や啓もう活動も必要ですね。開発もゼロにするのは無理にしても、不必要な開発や過度な開発は断固として反対しなければなりませんね。その啓もう活動には雑草様のブログが貢献しそうです。

>水質汚染対策は、化学物質による汚染を主に考えるべきでしょう。
 全く仰る通りです。水質汚染に関しては、COD(化学的酸素要求量)ばかりが問題にされます。しかしこれは水の中の有機物の量を言っているだけですね。勘ぐれば化学物質の汚染を触れないで誤魔化す作戦かも? 学者やお役人がCODばかり問題にするのをおかしいな、じゃあ化学物質や有害物資の汚染はどうなっているんだよ、という違和感はございました。

>「似非環境活動家」を想定して、
 ハイ。想定ではありません。実社会でそういう活動家を現実に相手にいたしておりました。(と過去形ですが)もう縁を切りました。環境活動からは3月末で足を洗いました。
雑草様が「似非環境活動家」に類する方と思ったことは、けっしてございません。教祖様と思ったことはありますが……。

といふことで、なんだか雑草様とそんなに大きな考えの相違がないことが分かりました。私は植物ばかり見ていたので、なにか錯覚していたのかもしれません。もう植物の調査会は足を洗います。

いろいろと本当にありがとうございました。雑草様の過去の記事をよく読んで出直します。(読んでいない記事が沢山ありますから……、というよりも読んでいない方がはるかに多いと思います)気易くコメントをして、たいへん失礼をいたしました。お許しくださいませ。こんどコメントすることがもしあるとするならば、気易くではなく重たい気持ちでしたいと存じます。


雑草Z
    路傍の石ころさん

 お返事有難う御座います。

 私は、生物全般に関心を持っていますが、植物には疎く動物のほうが詳しいようです。幼い頃より身近な小動物は好きで馴染んで観察してある程度名前なども知っていました。絶滅してしまった生物や絶滅危惧種も殆ど動物の事しか知りませんでした。
 だから、路傍の石ころさんから教えて頂いた植物の知識は大変貴重です。日本の植物の絶滅危惧種も、殆ど知りませんでしたので、例を挙げる事も出来ませんでした。
だから
>観賞価値のある植物は乱獲で絶滅
>湿地や沼などの水辺の植物はほとんどすべてが絶滅危惧種

は非常に参考になりました。植物については路傍の石ころさんや上々さんに沢山教えて頂きました。それで日本の植生に大きな関心を持ちました。これからも教えて頂ければ幸いです。
・・だから、植物の調査会から足を洗う・・・なんて仰らないで下さいませ。それはそれで大変意義のある会だと思います。

>水質汚染に関しては、COD(化学的酸素要求量)ばかりが問題にされます。・・・・・・学者やお役人がCODばかり問題にするのをおかしいな、じゃあ化学物質や有害物資の汚染はどうなっているんだよ、という違和感はございました。

なるほど、そう言う事ですね。私は

>水質汚染対策は、化学物質による汚染を主に考えるべきでしょう。

と言っておきながら、その点よく調べていませんでした。路傍の石ころさんのこれらのコメントで、構造が見えて来ました。有難う御座います。


>水質が悪く赤潮が大発生していたほうが漁獲量が多いのです

私もそうではないかと思いつつも、実際海の事はよく知らないし赤潮もよく観た事もないし、誰も言わない事なので確信が持てませんでした。海の富栄養化も程度があるから簡単には言及出来ないと思いつつも、生態系が受け付けない化学物質と違って、生物が栄養分として使って浄化も出来るではないか・・・と。そこを路傍の石ころさんはよくぞ言って下さいました。拍手です。はっきりそう言及されたのを始めて目にしました。誤った洗脳を解くいいきっかけです。


>想定ではありません。実社会でそういう活動家を現実に相手にいたしておりました。

そうでしょうね。そのような方も多いのでしょうね。失礼しました。生活の一部を投げ打って環境の為に活動している方は素晴らしいとは思いますが、政府や自治体や環境を商売にしている団体に所属している似非環境活動家も沢山いますね。


>雑草様の過去の記事をよく読んで出直します。

いえ、過去の記事を読む必要はありません。参考記事がありましたらその都度御紹介いたします。
 サイトの主がそこの過去記事を読んでいるのを前提に議論する・・・なんて高飛車です。・・・そんな不遜な事は申しません。その一つの記事を受けてコメントして頂くのが基本です。私の書き方が誤解の原因ですね。お詫びいたします。

 重たい気持ちではなく気易くコメント下さいませ。路傍の石ころさんのコメントは十分に重みがあります。これ以上重くなりましたら、お返事にも更に時間がかかってしまいます。


>なんだか雑草様とそんなに大きな考えの相違がないことが分かりました。


 私も最近、一つ前の記事のコメント欄やここのコメント欄のはじめの方などで路傍の石ころさんを誤解してしまったようです。ここのコメント欄の後のほうで色々話しているうちにその点がはっきり分かってきて良かったと思います。誤解によって、路傍の石ころさんが考えていない事まで拡大して反論してしまったようです。失礼致しました。
 あんまり見解の相違が無い事が確認出来て良かったと思います。勿論、見解の相違があればいつでもまた御指摘下さい。

 また、新しい記事でも、関心のある内容でしたらコメント頂ければ幸いです。

自然が減ってるというのは事実では?
BEM
皆さんのコメントを読んで良くお調べになっていると感服しきりです(^^;
ざっと読んでもなかなか分らないこともあり、また読んでみなければと思います。

その中へとても意見など言えるものではありませんが、雑草Zさんの記事は事実として今目の前に広がっているのではないでしょうか。

北海道でも終戦前後で禿げ山になってしまって、その後植林によって木が増えた場所も沢山あることは確かで、一時的には今より森林伐採が大量に行われた時期もあるでしょうね。

しかし動植物を考えると、私の田舎や雑草Zさんのように大都市でない場所でも数十年前にいた昆虫が極端に減っていることは確かだと思います。

田舎でさえ30年前はうるさいくらいいたカエルや八つ目ウナギ、秋になると道路に這い出てきたオケラ。ガムシなんて今はもう見ることはできません。

この記事では取り上げられていませんが、農薬、化学肥料は森林伐採、ダムや護岸工事の河川改修以上に大きな原因だったのではと思います。
農場も5年、10年の単位で農薬の影響を排除できるようですから、山や川も開発をやめることで再生できるのではないでしょうか。

身近に体験している自然破壊
雑草Z
    BEMさん

 本文にも書きましたように、里山がかなり破壊されてしまった後に生まれたと思っていた10代、20代の人達でさえ、自分達が幼い頃はもっと自然に恵まれていた・・・と感じているという事を何度も直接聞いた事が、この記事を書こうと思ったきっかけです。

 現在世界中に生きている人の多くが、自分が実際に見てきた自然が、以前よりも破壊されている・・と感じていると思います。その逆の人は少ないでしょう。

 経済的な理由などで、日本の一部の植生が、原生林に戻って生態系が回復している事をもって、自然は年々減っているとは言えない・・・と言う反論のコメントにはお門違いであると思いましたので、その旨お返事致しました。
 BEMさんも

>雑草Zさんの記事は事実として今目の前に広がっているのではないでしょうか。

と、感じている通りだと思います。

 仰るように、農薬や化学物質による汚染も大きな原因ですね。

>田舎でさえ30年前はうるさいくらいいたカエルや八つ目ウナギ、秋になると道路に這い出てきたオケラ。ガムシなんて今はもう見ることはできません。

非常に悲しい事ですね。個人的には、実際自然の中で見た事が無い八つ目ウナギがうようよいる小川を見てみたいものです。
 
 開発と言う名の自然破壊を全て止めるべきですね。



日本近海の水質に関して推測i
guyver1092
 路傍の石ころ様、英虞湾の水質については
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2010041090091128.html
の記事によると、富栄養を通り越した過栄養(槌田氏の表現です)が原因のような気がします。
 過去の上々氏の肥料の話から考えると、ひょっとして海水中の有機物の中に炭素分が多すぎるのではないでしょうか。陸上の土壌と同じで、有機物の中に炭素が過剰に入っていると、腐敗するのではないでしょうか。腐敗菌が多い中では、弱って当たり前のような気がします。干潟があると、有機物を食べる動物が多く住み、炭素分を取り除いてくれているから海には適正な養分が補給されているのではないでしょうか。
 上々氏の意見も聞かせていただければ嬉しいです。

富栄養化
上々
ちょっとこの手の話は不得意なんで見物をしておりましたが、富栄養化について。
海水の富栄養化は基本的にはNPK(窒素リンカリ)を指すものと思っております。
有機物の炭素も入る可能性はありますが、NPKだけでもいずれプランクトンや海草の異常増加につながり、それらの有機物が増加しますので、同様に赤潮青潮の原因になると思います。

それらの栄養分は流出肥料だけでなく、下水の排水などに由来しますので、流れ込む河川が多いほどその海域の富栄養化につながります。
ただし、外海に面している所は水が入れ換わりますので、栄養分が大量に流れ込んだとしても薄められるのですが、英虞湾のように流入河川が少なくても外海の海水との交換が少なくなれば富栄養化は徐々に進行するのではないでしょうか。

過剰な肥料施肥で、無機物のNPKが水溶性となり流れ込んだり、下水処理排水の中の無機物が流れ込む影響です。

なお、干潟となり動植物が増えてもそれが外へ持ち出されないと冨栄養の解消にはならないのではないでしょうか。

カキの養殖については栄養が多い方が成長は良くなります。ただし、流入河川上に住人が多い場合は排泄物の流入も避けられませんので汚染もあります。
細菌の場合は出荷前に清浄海水で洗浄ということもあるようですが、ノロウイルスの場合は洗浄しても落とせませんので、ノロ感染の原因になります。

上々様
guyver1092
 ありがとうございます。土と水とでは違うのですね。そういえば、水に流して有機物を浄化しようとすると、BODを下げるのにたくさんの水が必要だと何かで読んだ気がします。

>富栄養を通り越した過栄養
雑草Z
    guyver1092さん

 最近の guyver1092さんのコメントは、議論を本来あるべき本質的な方向へ軌道修正して下さいますね。

 槌田氏の表現と言う

>富栄養を通り越した過栄養

ってどの本のどの辺りに書かれていたか教えて頂きますか?
槌田敦さんらしい分かりやすい表現ですが、あまり記憶に残っていませんでした。

 確かに過栄養状態はかなり好ましくはない・・とは思いますが、徐々に生物が過栄養状態の栄養を分解できるでしょうし、上手くやれば、生態系を育む事も出来ると思います。

 過栄養状態よりも、化学物質による汚染のほうが深刻な環境問題であるでしょうね。

Re:富栄養化
雑草Z
    上々さん

>海水の富栄養化は基本的にはNPK

つまり海でも山でもNPKが基本と言う事ですね。・・言われてみれば「なるほど」・・ですね。

>NPKだけでもいずれプランクトンや海草の異常増加につながり

なるほど、N,P,K はそれぞれ無機物のままでも富栄養化と言うのですね??

 
 +  +++    +++++      +++++++

上々さん、一週間ぶりくらいのコメント、有難う御座います。
 guyver1092 さんの質問によって、上々さんからコメント頂けた感じです。

 年度初めの雑用などでお忙しかったのか、記事へのコメントも頂けなかったので、心配しておりました。

栄養とは
上々
ここで言う富栄養化の栄養とは植物(藻類・プランクトンも含む光合成生物)に対する栄養と言う意味で、有機物ではなく無機のNPK(特にNP)を指します。
したがって、陸上であっても土壌中の栄養分と言う意味で、富栄養化と言うことはあり得ます。有機物肥料であっても植物が吸収する時は無機体になります。

一旦海や河川湖沼などの水圏に流入した栄養分は水の循環で運び去られない限りその場にとどまります。
プランクトンや海草がそれを使って成長しても枯死して分解すればまた水中の栄養分になります。
その過程で分解菌などが赤潮青潮の原因となります。

また干潟となって水辺植物や動物が繁茂したとしてもそれが圏外に取り去られない限りはまた分解して同じことになります。

このように、閉鎖的な水圏は栄養分流入に関してはわずかずつでも環境破壊につながることになります。

ただし、湖沼では流出河川の無い完全な閉鎖水圏がありえますが、海ではかなり入れ替わりにくいと言っても完全閉鎖はないのではないかと思いますが、詳しくは知りません。
諫早湾のように人為的に閉鎖という場合もありますし、流入河川の水量が少なく海流の影響も少ない湾状の地形の所は栄養分が溜まってしまえば下がりにくいのかもしれません。

****
若干忙しくはなっていますが、それほどではありません。
話題が口を挟みにくいものだったので黙っていました。
どちらも一理あるかとは思いますが、私は生態系も大事だが、人類の生存の方により興味があるという立場です。

植物にとっての栄養
雑草Z
    上々さん

 私は、生物と言うと動物の事を先に想起する事が多いです。人間も動物で、「栄養」と言うとどうしてもタンパク質や炭水化物などの有機物を想定してしまいます。
 植物の栄養と言えば、あくまで 
>無機のNPK
 なのですね。

>閉鎖的な水圏は栄養分流入に関してはわずかずつでも環境破壊につながることになります。

なるほど、その事についてはよく調べてみる必要があると思いました。・・・そう考えると「富栄養を通り越した過栄養」を緩和する為には 干潟などの植物や貝などをどんどん採って他の場所へ持って行って食べる事も干潟にとっていい事なのかもしれませんね・・・それこそ、人間が生態系の一部として循環に寄与している証ですね・・・そのような部分は積極的に関与して行ってもいいのかも知れませんね。


  +  +++    +++++      +++++++

>私は生態系も大事だが、人類の生存の方により興味があるという立場です。

 私も人類を離れた生物の生存環境のみを保護する方法を考察する積りは殆どありません。環境問題は人類の生存環境の問題であり、それが生態系の問題へと直結しているものでしょう。

 人類は生物の一種であり、生態系から離れて存在する事は出来ません。生態系の一部として上手く同化して生きていく方法を探るべきでしょう。いつからか・・・それほど遠くない過去から・・・人類は科学の力で、自然とは別の「人工」でやって行ける・・・と勘違いしたあたりから環境問題も悪化したのではないでしょうか?





下水処理
上々
排水を処理しても無機NPは残ると書きましたが、一応現在は脱窒、脱リンを行なう工程・装置はあるようです。
いずれも水溶性の窒素・リン化合物を生物的にか、化学的にか沈殿させ固形化させて取り除くものと思われます。
とはいえやはり総量が大きくなれば排出量も増えると考えられますし、農業排水などで下水に入らないものは処理できません。

なお、富栄養化が問題となっているのは国内ではやはり大都市下流の瀬戸内海・東京湾・伊勢湾等のようですが、小規模な所では他にもありそうです。

瀬戸内海も流入量が少なければ毎日大規模な水の入れ替え(鳴門の渦潮がその反映です)がありますが、それ以上の流入があれば栄養分が多くなります。

栄養分は多すぎれば水質悪化になりますが、適度であればプランクトンの増殖と魚類の増殖につながり、「豊饒の海」の基になります。貧栄養海域は「魚も住めない」海ということです。
過ぎたるは及ばざるがごとしの適例です。

海域の魚類や水辺植物に栄養分を吸収させて収穫し、減らすというのはそれらの収穫物を圏外に運べれば良いですが、その場で食べたり、燃やしたりしてもまた元に戻りそうです。
やはり流入量をなんとかして下げること、適当な海流を確保できるような構造でしょうか。

Re:下水処理
雑草Z
    上々さん

>富栄養化が問題となっているのは国内ではやはり大都市下流の瀬戸内海・東京湾・伊勢湾等

これらの大都市下流の地域での化学物質による汚染はどんな状態でしょう?
 人工化学物質の下水処理はどのようになされるのでしょう?排出の段階でフィルター等で除去するのでしょうが、一端ばら撒かれてしまった人工化学物質は、生態系に取り入れられて分解するわけではないでしょうから、自然分解しにくいものなら半永久的に汚染物質となりますね。プラスチックやビニールなど、石油化学物質は大抵そうでしょう。このような物質による自然環境の汚染は極めて厳しい環境問題の現状でしょう。


>海域の魚類や水辺植物に栄養分を吸収させて収穫し、減らすというのはそれらの収穫物を圏外に運べれば良いですが

他ならぬ人間の利用ですから、かなりの部分が他に持って行っての利用になるでしょうね。・・でも折角過剰な栄養を外に持って行っても利用せずに人工化学物質と一緒にされて廃棄されては持続可能な社会にはなれないでしょう。
 栄養に関してはその場に還した方がいいのではないか?・・・と考えてしまうので、判断は難しいところでしょう。

物質分解
上々
汚染の影響は分解し、生体に取り入れられる時にもっともひどく出ます。
象徴的なのは重金属などです。

分解されず、吸収もされないものは堆積して邪魔にはなりますが、有害性は低いものです。

合成化学物質でも分解されるものは徐々に減少していきます。

水域で特に問題となる無機物質の増加は、とにかく自然に流出できる量以上のものを入れないようにするのが一番ですが、人間が増えている以上食料は持ちこまねばならず、食べたものは出すのでその処理で無機物質をできるだけ減らせるかどうかですが、かなりの手間とエネルギーがかかるでしょう。

持続可能というならば、その場で生産された食品だけで生きていける人口しか養えないという究極の「地産地消」が限界です。

>究極の「地産地消」
雑草Z
    上々さん

>汚染の影響は分解し、生体に取り入れられる時にもっともひどく出ます。

これは、濃縮という意味だけではなく、重金属などの原子、分子の状態の事ですね?



>持続可能というならば、その場で生産された食品だけで生きていける人口しか養えないという究極の「地産地消」が限界

以前上々さん達と論じた人口レベル(・・現在より一桁程度少ないほうが理想的である事など・・)などのお話も、こ
のレベルの持続可能性まで考慮に入お話ですよね。河川や海は流入分があるから、それだけでは語れませんが、それでも上々さんの仰るところの

>究極の「地産地消」

を基本に食料政策を考えていくべきかと思います。 

過栄養
guyver1092
 最初に見た 本はどれか覚えていないのですが、「エコロジー神話の功罪」のp204~205にも記述があります。

路傍の石ころさん!!
雑草Z
    路傍の石ころさん
 
 コメントプロテクト掛っていない事をいい事に
御自分のコメントを沢山削除されましたね?
私などのお返事しか残っていないところが沢山あります。・・・その結果コメントの呼応関係が滅茶苦茶です。

 あなたの長いコメントに対して、時間をかけてお答えしてきたのに、御自分に都合の悪いコメントを削除するなんて酷くありませんか?
 今、私はあなたに怒ってます。

 これまでの路傍の石ころさんのしっかりしたコメントも色褪せます。あれほど、しっかり議論して私もいいコメントだと思っていたのに、いきなりこれは無いでしょう。
ここのブログを荒らしているのですか??

残りのコメントは削除しないで下さい。

 以後、このような事は絶対になさらないで下さい。
あなたのなされた行為によって、このサイトを閉鎖しようかと考えています。

「過栄養」の記述ヶ所
雑草Z
    guyver1092さん

 調べて頂き有難う御座います。
確かに
>「エコロジー神話の功罪」のp204~205にも
記述がありした。

 私も鉛筆で横線引いてチェックしてました(笑)

記憶が薄れていたようです。これを機に「エコロジー神話の功罪」も読みなおしてみようかと思いました。繰り返して読んでもなかなか読み応えのある本ですね。・・・槌田敦さんの本は全部読み甲斐ありますね。
 

 槌田敦さんの書物は金太郎飴状態で、かなり重複している部分もありますが、その重複している部分が彼の重要な主張ですね。

guyver1092さんの御指摘によって新たな発見もあって嬉しく思います。 


地産地消もう一度
上々
「究極の地産地消」は食料政策ではなく、人口政策です。

昔、江戸時代は食料流通が貧弱であったため(政治体制もありますが)他の地域では食料が余っていても、地方によって不作のため餓死者が出ることもありました。
またその時代に戻そうと言うのですから、全く非人道的であり、実現性のかけらもない話なんですが、これをしなければ環境が守りにくいということなんです。

一応技術としては排水中の無機物質を析出させ取り除くこともできますが、相当エネルギーを使うはずです。

なお、食料が集まり水域が栄養過多になる日本の話ばかりをしていますが、食料を移出する海外の生産地では土壌中の栄養がどんどん減少しているはずです。
それを肥料で補っていくのも肥料原料の先行きを考えれば難しくなります。

食料の生産地に人間が移り住むと言うのができればかなり緩和されるはずなんですが。

Re:地産地消もう一度
雑草Z
    上々さん

 そうですね。人口が安定して、他の地域との食料などの物資のやり取りがなくてもやって行ける事が、究極の・・理想的な地産地消でしょうね。

>全く非人道的であり、実現性のかけらもない話なんですが、これをしなければ環境が守りにくいということなんです。

 上々さんのように、このような冷徹な深く掘りこんだ議論の出来る政治家、為政者が現在世界に必要だと思います。
人口をどんどん増やし、他の地域からの食料を当てにする・・・というのはかなり対症療法的であり食料人口問題を深刻なものにしますね・・・実際その方向に進んでいます。

>食料の生産地に人間が移り住むと言うのができればかなり緩和される

その通りでしょうが、既に人口が多過ぎて、それだけでは無理でしょうね。やはり人口は縮小せざるを得ないでしょう。
折角減少している日本の人口減少を止めて、子供を増やす・・・という少子化対策は世紀の愚策でしょう。

移住
上々
食料生産地に移住と言う話は、無機の植物栄養分に関しての話だけで、その他のことは考慮していません。念のため。

肥料原料の枯渇の他に、水資源の減少も問題でして、北アメリカでは地下水を使い過ぎているようです。
現在の農業生産地でも人を十分に養っていける余力があるかどうか、不透明でしょう。

食料自給率のからくりもあちこちで話題になっていますが、今の見かけ上の自給率低下の要因の大きなものは飼料用作物(トウモロコシ)輸入らしいので、肉類の消費を少なくできればそれだけでかなり上がります。

一つ一つ、できるところから、「肉をあまり食べない」(特に牛肉)でもやっていきますか。
ちなみに私は現在かなりそれに近い状態で、たまに食べても鶏肉程度ですが。

Re:移住
雑草Z
    上々さん

>食料生産地に移住と言う話は、無機の植物栄養分に関しての話だけで

そうですか。無機の植物の栄養分・・・とは、原子に換算して・・という意味でしょうか?それとも無機質で存在している物質・・という意味でしょうか・・・

>北アメリカでは地下水を使い過ぎているようです。現在の農業生産地でも人を十分に養っていける余力があるかどうか、不透明

アメリカ(合衆国)などでは、かなりシビアな問題のようですね。化石水を使っているから、確実にその化石水である地下水は枯渇するでしょうね。・・・だから今のままの農業の在り方では、その農地は遠くない将来に不毛の地となり、砂漠化すると考えられていますね。

 農業政策に限らず世界の様々な政策はこのような付焼刃的な対症療法のオンパレードですね。


>食料自給率のからくりもあちこちで話題になっていますが

日本の農業も非常に大きな部分を石油に頼っているから、石油に頼っている部分も自給率から差し引けば自給率はもっともっと低くなる・・・という話もありますが、その点も考慮すれば、日本の食料自給率はもっと下がる・・・という話もあります。どうなのでしょうかね??


>できるところから、「肉をあまり食べない」(特に牛肉)でもやっていきますか。

日本人もすっかりアメリカナイズされて、(牛)肉を沢山食べるようになってしまいましたね!?


>できるところから、「肉をあまり食べない」(特に牛肉)でもやっていきますか。

そうですね。肉は結構食べていますが、無くても大丈夫ですね。鳥肉だけでも十分に美味しいですね。日本の食文化もアメリカ離れすべき時はもうとっくにやってきてますね。

植物栄養他
上々
ちょっと余計なことを書いてしまい、混乱させたようで済みません。
植物は基本的にはほとんど無機物のみを栄養として吸収します。
有機物を肥料として与えても分解して無機体になったものを使います。
有機物を入れる理由は微生物や微小動物の栄養とするためです。
植物にとっては有機質肥料でもNPKの無機質肥料でも変わりはありません。
(若干は低分子有機物も吸収すると言う話もありますが)

Nは分解が進めば空気中に出ますが、特にPはそのままでは溜まると言うことです。その場で循環するのが良いのでしょうが、食料の移出入がそれに伴ってPKも移動してしまうことになります。

食糧自給率は石油が無くなれば全く調べるどころの話ではないと思いますが、一応、さらに低下するのは確実と思います。まあ輸入もできなくなれば自給率はかえって上がるかもしれませんが、その時何を食べるのかです。
農水省が以前に言っていたように、ほとんど肉類は食べられなくなってしまうでしょう。

「昔は良かった」というのは間違いと言う話もありますが、昔は魚をふんだんに食べていたわけでもありません。
一部の海に近い地域はともかく、大部分の日本ではそれほど口に入らなかったと思います。
肉も魚も食べられなければ、栄養は悪くなります。

究極の地産地消への移行・・
雑草Z
    上々さん

>植物は基本的にはほとんど無機物のみを栄養として吸収します。


そうでしたね。それは以前も御指摘された部分ですし、私も【本来のエコロジーとは】2010-04-17
の記事でも書いている部分です。

>有機物を入れる理由は微生物や微小動物の栄養とするためです。

でしたね。そして、生態系の循環を考える場合は、そこまで考えなければなりませんから、循環まで考慮した
>「究極の地産地消」
では、有機物の成分としての元素の量・・・という事を考慮するべきかもしれませんね。空気中に大量にあり、固定細菌で生態系にも取り入れる事が出来るNは置いといても、P,
Kは原子の量として、究極の地産地消を考えた場合、その地域に一定量存在しなければならないでしょうね。


>輸入もできなくなれば自給率はかえって上がるかもしれませんが、その時何を食べるのかです。

そうですね。やはり植物(穀物、野菜)中心になるでしょうね。
 そして、「その時何を食べるか」という事以前に、石油のドーピングを抜いた食料自給率を上げていくべきですね。
 農業で言えば有機農法や自然農法という事に自ずとなってきましょうか?


>「昔は良かった」というのは間違いと言う話もありますが、

どうなのでしょうかね?・・色々な観点がありますね。話は飛躍しますが、昔は地球全体としての環境破壊の恐怖に脅える必要はありませんでしたね。「昔は悪かった、世界はどんどん良い方向へ進んでいる」とは言えませんしね。

変換効率
上々
穀物を食べさせて食用の肉を作り出す場合、牛で11倍、豚で倍、鶏で4倍の穀物が要るそうです。
穀物自体の生産量が減れば当然畜産に回せる量は少なくなるので、肉類の価格は高騰しあまり食べることはできなくなるでしょうが、これも経済競争ですので、強者は多く、弱者は少なくとなるでしょう。
畜産に回る穀物と直接人間が食べる穀物も競合しますので、トウモロコシの価格があがって、メキシコなどで暴動がおこると言う、この前もあったような事態が頻発するでしょう。

まあ、鶏肉を少しずつ食べるというところでしょうか。
魚も現在は養殖にしろ漁にしろ大量の石油を使っているので、それが高くなればあまり取れなくなります。(この事態もつい最近ありました)

イナゴやザザ虫を食べるためにも、無農薬栽培になりますか。

あまり昔の良し悪しを言っても仕方ありませんが、あえて言えば「昔も悪かったし、将来も悪そう。今が一番良いけれどそれは石油のおかげ」でしょう。

肉食
雑草Z
    上々さん

 食物連鎖に於いては、上位の生物、つまり、食べる方の生物は食べられる方の生物に対して、十分の一以下レベルでエネルギーは減っていく・・・と思っていました。だから、牛で11倍の穀物・・というのはそんなものかとも思いますが、鶏で4倍・・・というのは意外です。非常に効率がよく感じてしまいます。
>豚で倍
は、○倍・・・の数字の書き落としですか?・まさか2倍という事ではないでしょう?・・そんなに効率がいいとは思えません。


>畜産に回る穀物と直接人間が食べる穀物も競合しますので、

他の人を飢えさせても肉を食べたい・・というのが人間の本質なのでしょうか?・・・それともそこまで実際に気付かないシステム上の問題でしょうか?

>イナゴやザザ虫を食べるためにも、無農薬栽培になりますか。

そうですね。昆虫はかなり食べられますね。東南アジアでは普通によく食べているようですね。
 私はイナゴは何度も食べた事があり、好きですが、「ザザムシ」はどんな虫を指すかも知りませんでしたし、食べた事もないと思います。


>あえて言えば「昔も悪かったし、将来も悪そう。今が一番良いけれどそれは石油のおかげ」でしょう。
 

なかなか鋭い御指摘ですね。つまり、石油のエネルギーのおかげで現代人は、一瞬の(物質的)幸福を享受している・・・という事ですね。・・「石油」という人類誕生以前からの貯蓄を勝手に使いまくってるだけですね。未来の人々には「環境汚染」という付けを回しているだけですね。

 個人的には、現代より数十年前のほうが良かった部分が沢山あるように思います。第2次世界大戦は経験しなくてよかったですが・・。

見直し不足
上々
書き散らしてすぐに投稿するので、見直しもろくにしておらず、申し訳ありません。
豚の変換効率は7倍です。

私の両親の出身は昆虫食で有名な長野県南部で、ザザ虫というのは川の石の裏に住むような虫のようです。
その他に、地バチの幼虫や、カイコの蛹なども食べるようですが、私が実際に食べたことがあるのはイナゴだけです。

昔、母の実家に行った時に叔母にこれくらい食べられなきゃいかんと無理やり食べさせられました。
まあ皮は固いけれどエビのようなものですね。

他の国の人を飢えさせても肉を食べる、というのは今までも、今でも実際にそうですね。
アフリカなどで飢える人がいると食糧援助とか言って送ればそれで免罪と思っている人がほとんどでしょう。
送る物が無くなればはじめて気がつくのでしょうか。

昆虫食・・等
雑草Z
    上々さん

 豚で7倍、鶏で4倍・・・という数字は結構驚きです。豚も鶏も体温を保ったり、自分の活動のエネルギーにも使い、排泄物にもエネルギーが残っている筈ですのに、食べた穀物の、それぞれ、7分の1、4分の1 のエネルギーが残っているって、生物の変換効率は素晴らしいなと感じます。(・・この「変換効率」が、カロリーベースなのか、質量ベースなのかはわかりませんが・・・。)


 長野県南部は昆虫食で有名なのですか!・・・私は昆虫がかわいそうだとは感じるものの、昆虫食には抵抗がないので、今度長野県南部を訪れて、色々昆虫食を試したいですね。・・・「昆虫食の会」のような団体もありますよね。

 上々さんもイナゴは食べた事がおありでしたか。・・私は高校時代、生物研究部が作ってくれた赤とんぼなどの天ぷらなども美味しく食べた記憶があります。

>アフリカなどで飢える人がいると食糧援助とか言って送ればそれで免罪と思っている人がほとんどでしょう。

アフリカが飢えるのは、欧米諸国などがプランテーションでコーヒー豆などの嗜好品を作らせて、穀物を作らせないのも大きな原因なのに、その、自給的農業をさせずにプランテーション化している現実には目をつぶって、小麦などの食料援助をするやり方は酷いですね。

  * ***    *****     ******



 上々さんのコメントは、新たな発見も多く、楽しみにしておりますので、ちょっとした書き落としなどは、後からでも訂正して頂ければ気になりません。これからも宜しくお願いします。

昆虫はどうも
上々
イナゴはまだ良いんですが、それ以外は見ただけでだめです。

長野は今はそこそこ発展していますが、昔は農業には不向きで生産力がない土地柄でした。
魚もそれほど川では取れず、タンパク源がなかったんでしょう。
道路開発もマイナス面もありますが、30数年前に中央高速が開通し、名古屋から2時間足らずで行けるようになった時は夢のようなものでした。
その後はどこの店にも海の魚の刺身が並べられるようになりました。
その当時は、親戚の家のどこに行ってもその頃最高のごちそうであった刺身を出してくれました。
「日本列島改造論」を肌で感じた頃です。

肉類の変換効率の差は飼育期間の長さの違いと大いに関わっているものと思います。
まあ、牛は牧草で育てればあまり低効率は関係ないのですが、穀物飼料で育てているのが誤りかもしれません。
したがって、たぶんほとんど牧草を食べさせている、オーストラリアやアメリカの話と、日本の牛は違うのかもしれません。

昆虫食、肉食。
雑草Z
    上々さん

 大きく分類すると、昆虫はエビやカニと同じ節足動物ですから、幼少の頃から食べる習慣があれば、抵抗は無いのでしょうね。・・まあ、エビやカニほど美味しい昆虫がいるとは思えませんが・・。ザザ虫もネットで見てみましたが、食べてみないと、いけるかどうかはわかりませんね。

>肉類の変換効率の差は飼育期間の長さの違いと大いに関わっている

なるほど、そうでしょうね。それにしても鶏の4分の1は驚きの値です。・・・ブロイラーの鶏のことでしょうかね。

 上々さんの仰る通り、牛を人間の食料と競合する穀物飼料で育てるのは良くないと思います。やはり牧草で育てるべきだとは思いますが、過放牧では牧草地も草が根絶やしにされる危険もありますね。牧草地を作るために森林が伐採されているのも問題です。オーストラリアなどでも過放牧による森林破壊などはかなりシビアな問題だった筈です。やはり上々さんのおっしゃるように、肉食、特に牛肉は減らすべきでしょうね。牛は乳牛を中心にしたほうがいいのかもしれません。そして、乳牛を最終的に食べる・・でしょうか。豚には昔のように残飯を食べさせれば、残飯も片付くし、肉も食べられるから、悪くないかもしれません。鶏も卵をとって最後に食べる・・・でしょうか?・・・昔普通に行われていた方法のほうが優れてますね。

 川や湖や沼も用水路とか排水路とかでばかり考えるのは愚かです。多くの生物が棲みやすい環境の確保が大切ですね。川魚等の水生動物も大切な蛋白源です。川の生態系の破壊についてはしょっちゅう心を痛めてます。川や沼にも豊かな生態系を育みたいものです。



肉食
上々
子供の頃か、もう少し年がいった頃に、動物を擬人化した漫画を見て、ライオンとウサギなどが仲良く暮らしているので、「ライオンは何を食べるのかな」と不思議に思ったものですが。

人間も雑食性とはいえ、やはり肉を食べるのが栄養摂取としては効果的であるのは間違いなく、現代の日本人の体位向上と病気に対する抵抗力増強はやはり肉食が進んだからだとは思います。

とはいえ、生産が困難になり、肉の供給が無くなってくれば仕方がありませんね。我慢してカイコの蛹やザザ虫を食べれるようにならなければ。
しかし、それも人口が多くなっているので、取り合いになるでしょう。農薬も殺虫剤は不要になりそうです。

やはり人口問題
雑草Z
    上々さん

 肉食というと、やはり喰う喰われるの関係、自然の厳しい掟を想起しますね。
 それにしても、食物連鎖の一番上にいる人間がこれだけ多いのは異常ですね。一体、人間より数の多い哺乳類、鳥類っているのでしょうか?・・・人間が食べる豚、鶏、・はかなり多いでしょうね。人間と、人間が食べる動物だけ異常に多いのも、生態系としてはかなり問題でしょう。生態系もほぼ定常安定系になる事が好ましいでしょうが、人間の活動により、大きくバランスを崩してかなり不安定でしょう。
 少子化などによる人口縮小政策をとらなければ、大変な事態を招くでしょうね。
 科学の時代と言いつつ、行き当たりばったりの対症療法的政策ばかり行っている人間社会は、理性が欠如しているのでしょうか?



 

人間の理性
上々
人間に理性があるかどうかと言うと、部分的にはあると言うべきでしょう。
自分自身を省みても常に理性的に物を考えられているかと言うとそうでもありません。
本能的な欲望に捉われている時もあり、金銭欲、名誉欲、その他の社会的な欲望に捉われている時もあり、割合で言ってどのくらいでしょうか。

これは個人により相当差があり、客観的に見て私自身は結構理性的な時間が長い方と思いますが、それでもこの程度。
周囲を見回すと、ほぼ100%欲望だけと言う人が多いようにも見えます。
ここで偉そうなことをあれこれ言っていても、私も酒に酔っていたり、怒りに取りつかれていたら、何をするか自分でも自信はありません。

歴史上でも思想的に大きな影響を与えた哲学者・宗教家でも相当そのような欲望にさいなまれた時間もあったはずですが、幸いにというか、著作だけしか残っていなければその他の点は目につかないかもしれません。
その点、現代の思想家はすぐに私生活まで探られてかなりやりにくいでしょう。

ただし、個人では理性的な時間と非理性的な時間が交互に(割合はいろいろでも)訪れていたとしてもトータルな人間社会が理性的かどうかはまた別問題です。

どうやら欲望が実現できる機会が増えるほど社会全体として理性を無くしていくようです。
アメリカや日本の現状など見れば、その思いが強くなります。

社会的理性
雑草Z
    上々さん

 今回のコメントは、いつもと違ってかなり情緒的なものですが、何だか頗る共感してしまいます。
 私も色々な欲望があり、いつも理性的に考えている訳ではありません。感情的な部分は沢山ありますね。

>歴史上でも思想的に大きな影響を与えた哲学者・宗教家でも相当そのような欲望にさいなまれた時間もあったはずですが、幸いにというか、著作だけしか残っていなければその他の点は目につかないかもしれません

その通りだと思います。次第に理想化されていったのでしょう。いわゆる「カリスマ」は、空間的に、または時間的に遠い存在だからそのカリスマ性を保てるのであって、身近にいれば「ただの人」なのかも知れませんね。

>欲望が実現できる機会が増えるほど社会全体として理性を無くしていくようです。

的確な洞察だと思います。アメリカ、日本だけではなく、中国も、インドも・・多くの国でそんな状態でしょう。


>トータルな人間社会が理性的かどうかはまた別問題です。

 そこの部分を私は問題にした積りですが、人間が理性的でない部分が相当あったとしても、社会として物事を決めるときは、理性で考えなければならない・・と思うのですが、そこでも利己的なエゴむき出しになる場面が多く、社会的理性が機能していないのか?・・と、思ってしまいます。


社会的理性
上々
(たまには、ちょっと哲学的なところもあるんだと言うことを見せたかっただけですが)

個人では理性的な面がかなりあっても社会を動かすのは理性ではないのが大半でしょう。
欲望だけの政策が支持されるのは、選挙民が選挙をする時には理性が働いていないからです。

私も理性を働かせているつもりですが、その下にある意識はやはり形を変えた欲望なのかもしれません。
なんとか人類の未来を少しでも悲惨なものから救いたいと言うのは欲望と言えば欲望でしょうか。

なんだか思考が堂々巡りになりそうです。
やっぱり哲学には向いていないか。

理性と欲望
雑草Z
    上々さん

>個人では理性的な面がかなりあっても社会を動かすのは理性ではないのが大半

なるほど!・・そうですね!社会的理性に多大な期待をするのは無理なのかもしれませんね。自分が漠然と社会に感じていた、理性と欲望の関係の事を明文化すると、こういう事になるのだな・・・と納得しました。
 上々さんの哲学的な部分、と言うか、情緒的な部分の感覚が私の壺に嵌ります。考え方が非常に近いと感じます。


>人類の未来を少しでも悲惨なものから救いたいと言うのは欲望と言えば欲望でしょうか。

そうですね。そこまでも「欲望」と捉えてしまうと(否定は出来ませんが・・)かなり認識の問題と言うか、哲学的な話になってしまうでしょうね。・・これを「公共的欲望」とでも呼んで、「エゴイスティックな物欲」と区別しないと社会問題の議論は出来ないでしょうね。

>思考が堂々巡りになりそうです。

哲学・・ってそんなものが大半なのではないでしょうか?・・などと言ったら哲学者に対する侮辱かな?

>たまには、ちょっと

こんな話もいいですね。上々さんの別な一面をちらりと垣間見た感じです。いつもとはまた違った味わいのある読み応えのあるコメント、有難う御座います。


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この記事へのコメント
はじめまして。絶滅危惧の動物について調べているyamakajiと申します。
自然が年々減っているということは、一般の人々の間でも自明のことのように言われていますが、果たしてそうでしょうか。彼らが接していた自然は人の干渉によって作り出された二次的なものであり、現在の日本では森林が伐採され、川や海岸がコンクリートでおおわれていくのと反比例し、人が手入れをしなくなった二次的自然が、植生の遷移という自然の働きによって原生林への道を歩み始めています。「人間の干渉という点だけを考えれば、それが少なくなった日本の植生は有史以来最も豊かだ」という植物学者もいます。ノスタルジーだけに立脚して自然を語ることは、自然を取り戻すことにはつながりません。一つ一つの環境と生物の変遷を腰を据えて見つめ、それが社会のどの動きと関連があるのか考えない限り、企業がコントロールしている里山ブームやエコブームに踊らされるだけで終わるでしょう。
2010/04/05(Mon) 01:09 | URL  | yamakaji #-[ 編集]
今のところ、自明と言っていいと思います。
    yamakajiさん

 はじめまして。丁度いいタイミングでのコメント内容です。

>彼らが接していた自然は人の干渉によって作り出された二次的なもの

 人工の箱庭的自然と言う意味ではなく、人間と自然の共存は必要な事です。人間は自然の一部ですから生態系の循環に同化しなければならないでしょう。そう言う意味で全て人工的な都市は持続不可能で、どんな都市でも里山的自然との調和は必要な事です。

>人が手入れをしなくなった二次的自然が、植生の遷移という自然の働きによって原生林への道を歩み始めています。

 それは明るい兆しですね。しかし、残念ながら地域的にそのような場所もあるだけの事で、中国を見てもアフリカを見ても世界中を考えれば、破壊されている地域の面積のほうが遥かに多い事は明白だと思います。・・多くのデータもあります。


>「人間の干渉という点だけを考えれば、それが少なくなった日本の植生は有史以来最も豊かだ」という植物学者もいます。

 そう言う方もいるでしょうが、それは限られた地域でのお話でしょう。日本全体で考えればそのような事はないでしょう。昔と比べ、1人あたりの人間の環境負荷も、人口も遥かに増えた現在、生態系を循環しない地下資源や化学物質も地上にばら撒かれています。勿論解釈の仕方にも依りますが、日本の一部が原生林に戻っているとしても、ずっとそれ以上に日本の企業は海外の森林を伐採してきました。フィリピン、インドネシア、マレーシア・・・と次々に東南アジアの国々の木を切り尽くしてその後寒帯林の木を切って輸入して来ました。日本の小さな植生を守って(・・それはそれで大切な事ですが・・)海外のより大きな面積を伐採してきました。
 日本国内でも、最近やっと止まってきましたが、旧緑資源の広域林道の原生林などの破壊を知っていますか?現場を何度も観ていますが、あれだけ急速に破壊されてきたのよりも早く原生林が回復しているとは思えません。この道は森の中を縦貫していますので地図にさえしっかり示されていない可能性もあります。・・つまり、まだ原生林としてカウントされている可能性もあると言う事です。道路拡張やダム建設、河川工事等で破壊されている以上に自然が回復しているとは言う事は無理でしょう。

>反比例し・・原生林への道を歩み始めています。

では意味が矛盾しています。


>絶滅危惧の動物について調べている

との事ですが、絶滅を回避しているとでも言う事でしょうか?
 地域的には絶滅してしまったり激減してしまった種を沢山知っています。・・多くの人がそうでしょう。そして地球的にも最近も次々に絶滅している種の報告がなされています。

>企業がコントロールしている里山ブームやエコブームに踊らされるだけで終わるでしょう。

 かなり短絡的な発想です。他の記事などを見て頂けると分かりますが、決してそのような議論にはなりません。

  

 生態系の破壊が環境問題の本質です。それが世界的に回復している・・・と言う事であればそんなに嬉しい事は御座いません。是非とも、自然は年々回復して地球の自然は豊かになっている・・と言う事を信じるに足る根拠があればお示しください。
 世界が無理なら日本全体でもいいです。

   +++ +++ +++ +++++ +


 路傍の石ころさん、比較対象の丁度いいコメントが来ましたね。
 
2010/04/05(Mon) 02:29 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
おひさしぶりです。
うちの近辺のド田舎は河川敷辺りの開発? が、進んできてしまい、
御犬様の散歩の際に、防風林として有効だった竹林とか軒並み切り落とされ消えました。
田舎の自己再生能力? が減っていきそうですわ。
2010/04/05(Mon) 16:31 | URL  | 鼻勝 #NJsiWxd2[ 編集]
論点が全くすれ違っています
 わたくしは、コメント欄から去ったのですが、「路傍の石ころさん、比較対象の丁度いいコメントが来ましたね。」などと仰り長い袖を引っ張るので(?)また出てきました。

 細かいことですが比較対照では? yamakajiさんはせっかく少数派の貴重な見方を提示されているのに、やや意味の通らない不用意な表現が混ざっていて、分かりにくい点があります。それで、おこがましいのですが評論家になったつもりで、yamakajiさんのお説に補足説明を加えながら、雑草さんのお説とを比較対照してみたいと思います。 まづ、yamakajiさんの仰ることはこうだと思います。文言を増やして分かりやすく敷衍したいと思います。長くてすみません。

         ……………………………………………………………………………

 かつての日本は自然が豊かだったと言われています。しかし、必ずしもそうではありません。80歳の老人が若い時に見ていた自然は、自然が豊かなと形容されますが、それは本来の自然ではないのです。
 太古の昔、たとえば縄文時代を考えてみましょう。そのころは人口も少なく、採集や狩猟で生活していました。道具と言っても原始的なものしかなく、遺跡などから推測して掘立柱の小屋程度のものとか、丸木船とかはあったでしょうが、それに使用する木材はしれたものです。大規模な森林伐採など無縁の時代でした。また古代人にとっては、自然は畏敬して崇めるものであって、収奪するとか破壊するとかはありえませんでした。
 そのため縄文時代には、日本列島は北から南までうっそうとした自然林に覆われていました。南のほうではシイ・カシなどの常緑の照葉樹林が広がり、北の方では夏緑樹林のブナ等の原生林が、また高い山や北海道ではシラビソ等の針葉樹林が覆い尽くしていました。もしタイムマシンがあって、縄文時代の上空を日本列島を縦断して飛んだら、見渡す限りの樹海が続いていることに驚くでしょう。
 この大樹海が日本列島の、真の本来の自然です。日本は雨量が多く樹木がよく育ちます。それで草本類は樹木に押されていました。樹木の育ちにくい痩せ尾根とか岩角地とか、あるいは「ギャップ」と言って老木が台風などで倒れて森林に出来た空隙に、細々と草が生えていました。このような姿が日本の本当の自然なのです。
 ところが、時代が下がって、農耕が始まり手っとり早い方法として焼畑が伝来し、また弥生時代になり稲作も始まりました。それで森林破壊が始まりました。青銅も伝わり鉄器の使用や精錬とか鋳造もはじまりました。それには火力が必要で、木炭が使われましたが木炭製造のため森林が切られました。もちろん炊事や暖房は薪しかない時代なので、どんどんと森林が伐採されるようになりました。
 歴史時代になって人口も指数関数的に増加しました。推定で奈良時代は人口800万とか1000万人とか言われ、江戸時代には3000万人程度とか言われています。人口が増えると、製鉄用にも家を建てるにも炊事・暖房にもどんどんと木が切られます。ちょっとした都市の周辺の山々はみな丸坊主です。昔の絵巻物などの絵画を見ると、山々の絵は細かな山の襞(ひだ)が克明に描かれています。そうです、山に木がないのです。
 このように本来の日本列島の自然つまり森林は、江戸時代ぐらいに奥山をのぞいてあらかた切り尽くされてしまいました。自然を護ろうなど言っても本来の自然はとっくの昔に破壊されているのです。本来の森林が残ったのは奥山と寺社林ぐらいのものなのです。
 その本来の森林が伐採された後には、陽光がさすので細々と生きていた草本がわが世の天下到来だと進出してきます。また陽樹といわれる種類の樹木の種が飛んできて生えてきます。マツが典型的な例です。マツの種子は軽くて風で飛びます。マツはそれまでヤセ尾根とか海岸の潮をかぶるようなところにしか生きられませんでした。原生林を作っていたのは陰樹と呼ばれる種類の木でした。つまり生える樹木の種類が違ってきたのです。もちろん本来の木の切り株からひこばえも生えてきます。
 このように本来の植生(潜在植生)が破壊されて、そのあとに形成される植生は、一般的に「代償植生」と言います。草地の場合もありますが森林になっていれば「二次林」と呼んでいます。この二次林が切られては、また生え、また切られては生えということを歴史時代の後半くりかえしているのです。「森林が破壊されている」と多くの人々が叫んでいますが、明治時代には山々ははげ山だらけなのです。証拠の写真がたくさん撮られています。森林破壊は昔の方がひどかったのです。残念ながら、この事実を多くの人は知りません。
 日本の自然は何百年に渡って徹底的に利用されてきました。まきや、たきぎに、また木炭用に、二次林の落葉落枝や下草まで堆肥用に熊手で採られました。およそ20~30年程度で伐採されました。山々は複数の区画に分けられて、今年はここを伐採し、来年は次のここというふうにして移動していきます。それで20~30年で一巡です。たくさんの区画があれば伐採後の二次林の回復程度はまちまちです。
 ですから昔の山々はパッチワーク状の風景でした。これが自然を護ろうと言っている人たちの自然の姿です。本来のものとは全く異なります。昔は里山もかなり奥のほうも、山々は「自然」ではありません。畑です。柴や木炭や堆肥材料を採るための徹底的に管理された「畑」つまり人為だったのです。
 ところが異変が起こったのは昭和30年代です。
 「燃料革命」が起こりました。薪や木炭から、石油やガスや電気へと燃料がパラダイム・シフトしたのです。生活様式も激変しました。山々は大事な「畑」から価値のない「雑木林」になりました。山々は捨てられました。山には誰も用はなくなりました。誰も山には入らなくなりました。
 そうすると、自然の偉大な摂理である「遷移」という現象の時計の針が動き出したのです。時計の針はすでに40年の経過を告げています。山々では年々樹木が生長しています。すでに陽樹から陰樹へと移りかけているところもあります。自然林に近づいているところもあります。本当の意味でのバイオマス(生物量とか生体量とか訳します)がどんどん蓄積されています。かつては20~30年で伐採されていた二次林が、30年を超えて生長しているのです。
 日本の山々の植生は「極相林」へと向けて力強く育っています。多くの植物の研究者が、「歴史上いまが最も日本列島の植生が豊かで山々が緑に覆われている」と言っています。日本地図をよくご覧ください。日本は山国です。平野は国の面積の2割しかありません。ヒトが住めるのは丘陵地帯や山裾を入れても、最大限3割です。 7割は山なのです。
 その7割の約半分が植林という用材を栽培する「畑」ですが、残りの半分の広大な面積で、力強く二次林が極相林に向けて生育しているのです。これはまさに、何百年とヒトが干渉し破壊してきた自然が本来の自然に還っていると言えるのです。

           …………………………………………………………………………

 yamakajiさんの仰っているのはこう言う当たり前のことなんですよ。植物の専門家だけでなく、調査に参加している熱心なアマチュアもみんな、このことには気づいています。
 日本の植生の歴史年代における変遷を捉えて、現在の山々の植生の状況を客観的に述べているだけなんですよ。客観的な事実を認識するのは大切です。植生調査をしている人々は「歴史を見る目」という視点で現状認識しているのです。yamakajiさんの見方はそっくりそのまま私の見方でもあります。
 
 雑草さんは、林道による破壊とか、外国から木材を輸入しているとか仰るのは、それはまた別の話なのですよ。論点が違うんです。自然の破壊とかは、そういう論点の議論として、たとえば 「破壊的な林道を是とするか非とするか」 の議題で論じるべきもので、おそらくyamakajiさんも私も雑草さんもここに来られる多くのかたも、意見はほぼ一致すると思いますよ。
 自然現象として起こる遷移の様子から学術的に見えることと、破壊や開発による人為現象をいっしょくたにしているので論点のすれ違いが生じているのです。

 それと絶滅危惧生物を調べるとか調査するとかいうのは、基礎データの作成なんです。護るべき自然は何か、その指標として絶滅危惧生物があるのです。それを調査したり、研究したりするのは、あくまでも基礎データをまとめているのです。何を護るべきか明らかにしなければ、やみくもに保護活動しても的外れになります。ちなみに私の観察・調査したこともわずかですが県版や近畿版のレッド・データ・ブックに反映されています。
 雑草さんの仰っている「絶滅を回避しているとでも言う事でしょうか?」というのは、環境活動家の言いがかりみたいなものです。基礎データの収集・作成と、環境を護る活動とは、別のものなのですよ。yamakajiさんは「調べている」と仰っているだけです。調べることが絶滅を回避することにつながるのか、とそういう言いがかりは変ですよ。

わたしは本当にこれをもちまして失礼いたします。ながながとすみません。
本当に、いろいろと、ありがとうございました。

 


 
2010/04/06(Tue) 00:19 | URL  | 路傍の石ころ #js83eNAU[ 編集]
あの頃 熊ん蜂は傍にいた・・
最近思い出す事は・・昔川原や野山に寝そべっていると耳元に大きな音 密を採りに来る太った白と黒のブ~ンと大きな羽音を鳴らし びっくり飛び起きる! 当たり前に居た くまん蜂君の飛行だ  野山には必ず居た当たり前の昆虫です 草の香り そよぐ風 そして蜜蜂や様々な昆虫が居る 川にも様々な魚がいたよね 戦後生まれの私 子供の頃はおやつの無い時代 でも野山の木々には何かしらの実を見つけ 川からは小魚を採り立派なご飯のおかずに 山菜や川の恵み 八目うなぎやドジョウや小魚
が自然には溢れていた 貧乏は当たり前の世の中でしたね
何よりも自然には生き物や食べられる物が溢れていました 都会は兎も角 野山には人々を生かす力に満ち溢れて居た様な??
マグロやステーキは無かったが 生きるのには充分の恵みを私は自然から確かに受け取りました 戦後と今の社会情勢は比べるべきも無いが 豊かさとは何かを考えています


 
2010/04/06(Tue) 19:33 | URL  | 団塊おやじの遺言 #-[ 編集]
追記です。

 まず、昔は自然が一杯で山々は豊かな緑で覆われていたと思いこんでいませんか?

 それは単に、そうに違いないと根拠なく信じている幻想なのです。歴史上、日本の森林が最も荒廃したのは明治時代の中期です。薪炭用や窯業用などで各地の森林が過度に伐採されました。特にひどかったのは瀬戸内海の中国地方側や、近畿の中央部や、濃尾平野周辺、関東の一部などで、山の表土が流れ去り、はげ山が広がりました。地質的には風化しやすい花崗岩の山は乾燥が著しく、はげ山化が進みました。はげ山でもかろうじて生育できるのがアカマツです。アカマツの分布の拡大を見て、有名な 『赤松亡国論』 が登場したのは明治33年です。
 太平洋ベルト地帯を中心にして日本各地に天井川 (てんじょうがわ) が存在しています。川の川床が周囲の平野よりも高いものを言いますが、その成因は上流の森林破壊です。大量の土砂が流出して川床に堆積するのです。川床が上昇すると堤防も高くする必要があるということで、後背の平野より川自体が高くなりました。ここで日本の森林荒廃やはげ山の成立要因を研究した素晴らしい書物を紹介しましょう。

千葉徳爾著, 『増補改訂 はげ山の研究』, 株式会社そしえて, 1991, です。環境問題の名著です。

 これは地理学・歴史学・生態学の3領域にまたがる学際的な研究書です。入手困難で、高価ですし、チョイチョイと読める本ではないのでお薦めはできませんが、大きな図書館 (国会図書館など) で閲覧できる機会があればぜひ目を通してください。巻頭に古い白黒の写真を3葉提示しています。この写真を見るだけでも考えさせられます。昔は、森林が豊かだったなどという幻想は、それこそ木っ端みじんに吹き飛びますよ。

 森林の各地での広範囲な伐採、薪炭を得るための日常的な伐採は、ずーっと昭和30年代まで続くのですが、その後は伐採は終息しています。先に申した通り燃料革命により薪炭が要らなくなったからです。いま全国の広大な面積で二次林が順調に生育しています。
 『理科年表』の平成21年版の環境部の65ページに、「全国植生自然度」という項目があります。これによると、国の面積に対する自然度ごとのパーセンテージをしめしています。 (旧版の引用で恐縮です。22年版は買いそびれました)
 自然林が17.9%、自然林に近い二次林が5.3%、二次林が18.6%、植林地が24.8%です。これらを合計すると66.6%で、これが日本の森林率ということになります。自然林は定常的な極相に達している森林なので、これ以上生育することはありません。しかし二次林は伐採されなくなったので、どんどん育っています。二次林は国土面積の23.9%ですから、ものすごい広さですよ。
 植林も間伐とか枝打ちの管理の手薄などありますが、順調よく育っています。次の資料は 『林業白書』 の参考付表です。1の林業関係基本指標のなかの⑥の森林蓄積という項目をぜひご覧ください。
http://www.rinya.maff.go.jp/j/kikaku/hakusyo/20hakusho/pdf/s_2.pdf
昭和55年に森林蓄積が25億立方メートルでした。それが平成19年には44億立方メートルに増加しています。30年弱で7割ほどの増加ですね。これは植林も二次林も順調よく生育し、毎年幹が太りバイオマスを増やしているためなのです。これは日本列島全体の広大な森林で起こっている現象です。

 植物の研究者が、「日本の植生は有史以来最も豊かだ」 と言っているのは、調査研究をもとにして裏付ける資料がきちんとあり、それで言っているのです。こんなことは植物調査に参加している人は素人でも皆知っています。ただ、言っても信じてもらえないから黙っているだけなのです。

 yamakajiさんのコメントは端的に表現しているので、理解しにくいのではないかと思います。しかし、yamakajiさんは客観的な事実を言っているだけで、けっして間違ってはいません。

>現在の日本では森林が伐採され、川や海岸がコンクリートでおおわれていくのと反比例し、人が手入れをしなくなった二次的自然が、植生の遷移という自然の働きによって原生林への道を歩み始めています。

 これは特に分かりにくかったと思います。反比例などの言葉を不用意に使っています。彼は(たぶん男性の方でしょう)こう言おうとした筈です。まことに僭越ながら翻訳してみます。

「現在の日本では、身近なところでは森林が伐採されて、自然がどんどんと破壊されています。また、川や海岸がコンクリートで覆われて小動物のすみかが奪われ、やはり自然が破壊されています。けれども、すこし目を転じると意外なことが見えてきます。ヒトの生活・生産環境から少し離れると、ヒトが入ることの途絶えた二次的自然があります。たとえば、二次林と言われる森林では薪炭用に木を切らなくなりました。すると遷移という自然の法則が働いて、原生林(極相林)に向けて、森林は力強く生長しているのです」

>企業がコントロールしている里山ブーム

 これは、企業というよりも、行政とかNPOなどが 「里山が荒れている」 などと叫んで整備事業を各地でやっています。そのために補助金という税金をかすめ取っています。そして必要もない遊歩道をつけたり、東屋(あずまや)を建てたり、つまらないことをしています。里山は荒れているのではありません。遷移が進行して自然に戻っているだけなのです。 なにが本質的なことか、本当にはなにが起こっているのかよく見据えないと、利権屋たちが喜ぶだけなのです。
 こういうことを述べているのだと、拡張すると解釈できます。

長くなったので、箇条書きにまとめます。

●yamakajiさんは、日本の二次林で起こっている自然現象を述べているだけです。
●その主張の核心は、二次林は生長し森林が豊になっていることです。
●その自然現象を理解しないと、インチキ環境運動にふりまわされる。

それに対して、雑草さんのお返事は、
●二次林で進行している自然現象の当否については疑っておられる。というか答えていない。
●人為現象の林道の自然破壊・木材の輸入・ダム工事・河川改修など、論点のすり替え・拡散を一生   懸命なさって、yamakajiさんのコメントを全否定されています。

 私の考えは、
●二次林が生長し森林が原生林に向けて育っているのは、学術的に正しい。
●しかし自然度が1・2・3のヒトの活動領域での、生物の生息環境の悪化は確かである。
●その悪化の人為原因は生息環境の物理的破壊、それと家庭排水などの垂れ流しが主たるもの。
●この2点を改善すれば見違えるように良くなる。
●林道は森林破壊を引き起こしているのは事実である。しかし、破壊面積は国土の24%の広大な面積  の二次林全体からすると、微々たるものである。
●林道破壊が大きく見えるのは心理効果。1000人の群衆の中に奇抜な服装の人が30人いたら、2割ぐ  らいいるように見える。実体は3%。目立つものは大きく見える。
●しかし破壊的林道を是とするのではない。断固として反対する。

 大変ながながと失礼しました。
2010/04/06(Tue) 21:04 | URL  | 路傍の石ころ #js83eNAU[ 編集]
研究者でもないのでおこがましいのですが
 近年、日本に生息するいろいろな生物が絶滅危惧種として認定されていると認識していましたのでyamakaji氏のコメントを読んで意外に思いました。その他、異様に頭の大きなツキノワグマを狩ったら餓死寸前のツキノワグマだったとか、近海漁業が振るわないのは山が痩せてしまったからだとかの議論も読んだことがあります。
  路傍の石ころ様、できれば、これらの真偽および合理的理由を説明してくださるとうれしいです。

 雑草Z様。自然と人間にとって好ましい豊かな生態系は別々に定義したほうがよいかもしれません。気候帯によっては原生林よりも人間の定期的干渉のある森(学問的に何と呼ぶのかは知りませんが)のほうが生態系が豊かだとも聞いたことがあります。
2010/04/06(Tue) 23:04 | URL  | guyver1092 #-[ 編集]
>田舎の自己再生能力
    鼻勝さん

 御久し振りのコメント有難う御座います。

>河川敷辺りの開発?

私の近辺でも進んでいますが、本当に酷いものですね。

>田舎の自己再生能力? が減っていきそうですわ。

そうですね。・・里山が持っている自己再生能力ですね。
2010/04/06(Tue) 23:35 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
>野山には必ず居た当たり前の昆虫
    団塊おやじの遺言さん

 御久し振りのコメント有難う御座います。

 里山に当たり前のようにいた昆虫や魚・・・動物が年々減っているのは悲しい事ですね。

>八目うなぎやドジョウや小魚

ドジョウやぼやっこ(・・アブラハヤの方言・)メダカやフナなどは身近に観ていましたが、ヤツメウナギは観た事がなくて、自然の川に泳いでいるところを見てみたいと思っているところです。
 
 人間の入らない地域の自然が保たれる事も大切ですが、里山の生態系が保たれる事も大切ですね。

 心の和むコメント有難う御座います。




 

 
2010/04/06(Tue) 23:49 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
淡々と的を得ていますね。
    guyver1092さん

 短いコメントの中に、非常に濃い内容が込められたコメントです。議論の応酬の本質を掴んでます。恐れ入りました。

>自然と人間にとって好ましい豊かな生態系は別々に定義したほうがよいかもしれません。

そうですね。鋭い御指摘です。今回の自分の記事をよみ返した時、タイトルが

生態系は年々貧しくなっている

とかしたほうが、 yamakaji さんや 路傍の石ころ さんのような記事の主題と違った御自分達の拘りの論の展開の場にならなかったのかな・・・と思っています。この記事で、『自然』と言う概念の定義、捉え方をはっきり示していなかったなと思いました。
 しかし、それはそれで、瓢箪から駒的な展開なのかな・・とも思います。

 兎も角 guyver1092 さんのこのコメントは鋭い一石を投じて下さいました。有難う御座います。シンプルで的を得ています。 

 
2010/04/07(Wed) 00:15 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
個人の拘りは御自由ですが・・
    路傍の石ころさん

 長い2つのコメントの中には大変参考になる部分もありました。有難う御座います。

>細かいことですが比較対照では?

「比較の対象」・・と言う意味です。まあ、「比較対照」でもいいですね。

それは兎も角、
 今回の記事【自然は年々減っている】と
 前回の記事【悪い冗談】読見返してみましたが、
guyver1092さん へのお返事にも書いたとおり、『自然』と言う言葉の意味の曖昧さや定義をしっかりしなかった事が問題だったかな?・・とは思いましたが、そこのところ以外、特に訂正する必要は無いと思いました。


 最近帰宅が遅かったりですので(・・仕事が忙しいと言う訳ではありません・・)一つ一つお答えしたいところですが、他の記事へのコメントもありますので簡単にお答えします。
 一言で言えば、路傍の石ころさんへのお答えも、全て4/5の yamakaji さんへのお返事で殆どお答えしていると思います。何も論点をすり替えたり誤魔化したりしていません。論点がすれ違っているとすれば、それは、私の記事への yamakajiさんや 路傍の石ころさんのコメントのほうではないかなと思います。

 確かに日本の植生と言う意味ではかなり回復した部分はあるのだと認識します。・・・戦国時代まで植生は荒れて、江戸時代に徳川幕府の政策や魚の油の利用などで、森林はかなり回復したと私は認識していました。・・槌田敦さんの幾つかの本や、ジャレド・ダイアモンドの「文明崩壊」などで読んだ記憶があります。明治時代以降も生態系が荒らされたでしょうが、そのピークが明治時代・・と言うのは森林の木などの植生に限った事ではないでしょうか?確かに大きな木の茂る天然林の生態系は非常に豊かですが、天然林が生態系の全てではありません。・・地上の生態系全体と言う意味では現在のほうが遥かに破壊されているでしょう。・・それに、石油文明になったと言っても、森林破壊が進まなかった日本は特殊な例である事は前のコメントに書いたとおりです。


>>企業がコントロールしている里山ブーム

>これは、企業というよりも、行政とかNPOなどが 「里山が荒れている」 などと叫んで整備事業を各地でやっています。そのために補助金という税金をかすめ取っています。そして必要もない遊歩道をつけたり、東屋(あずまや)を建てたり、つまらないことをしています。里山は荒れているのではありません。

仰る通りだと思います。路傍の石ころさんは<雑草の言葉>の記事を前々から読んで下さっていますので、私も同様に考えている事は御存じですよね?・・ただ、その後の

>里山は荒れているのではありません。遷移が進行して自然に戻っているだけなのです。

には私は異論があります。遷移が進行しているところも

>「里山が荒れている」 などと叫んで整備事業を各地でやって

もっと荒らしているのです。つまり、整備事業などによって生態系は壊され、自然破壊は進んでいると言えましょう。・・・ちょっと残念なのは、私がyamakajiさんへのお返事で

>かなり短絡的な発想です。他の記事などを見て頂けると分かりますが、決してそのような議論にはなりません。

と書いた事は、<雑草の言葉>を読みこまれている路傍の石ころさんなら当然、私がそんな里山ブームやエコブームに踊らされる筈がない事はお分かりだと思っていましたのに、このようなコメントを下さった事です。

>yamakajiさんは、日本の二次林で起こっている自然現象を述べているだけです。

との事ですが、それがこの記事へのコメントではおかしいでしょう?記事の内容とは関係のない自論を展開しているのなら失礼な話です。そうではなくて

>自然が年々減っているということは、一般の人々の間でも自明のことのように言われていますが、果たしてそうでしょうか。

と言う事から始まって反論をされたので、それは一部であって、世界的には年々自然は減っている・・・と言う事は自明でいいでしょう・・・と言う事を色々な角度で説明しました。

 木を使わなくなったから森が天然林に戻っている・・・と言う部分も私も実際この目で確かめましたが(・・一般に言われているように・・百年近くもかからなくても、結構早く戻るものです・・)それ以上に不要な工事等で大きく荒らされています・。そして、木の代わりに使っている石油はもっと大きな自然破壊をしています。


>人為現象の林道の自然破壊・木材の輸入・ダム工事・河川改修など、論点のすり替え・拡散を一生   懸命なさって、yamakajiさんのコメントを全否定されています。

全体では回復しているとは言えない・・と言ったのです。こちらの記事の主題に対して、全体を述べずに一部の自然の回復の事のみを論点にするほうが「すり替え」ではないでしょうか?

 本文にも

>環境破壊は年々進んでいて、局所的によくなった場所があたとしても、全体的には年々悪化しているのです。

と、はっきり言及しています。

路傍の石ころさんや yamakaji さんが、海や山で一部の自然が回復している場所がある・・・と言う事に拘るのは御自由ですが、それをここで問題にするのはお門違いです。全体として自然は破壊されている事を言っているのであって、それは路傍の石ころさんも御認めになるところかと思います。
「全ての場所で自然が壊されている」と言う内容の記事への反論ならば分かりますが、そうじゃないのにいつもその方向へ強引に議論を持って行こうとしているように感じます。
【悪い冗談】へのコメントもそうです。
議論がかみ合わないとすればそれが原因かと思います。

・・と、言う事で、長い裾を引っ張って失礼いたしました。もう引っ張るのは止めますね。



サツマイモや袋栽培の御指導有難う御座いました。感謝しております。その御指導が途切れるとすれば残念です。 
2010/04/07(Wed) 01:23 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
雑草さん

 まずは謝罪いたします。先に申しましたように、人様のブログのコメントは手短にすべきものです。それを逸脱して長文を送りつけて、申し訳ございませんでした。
 また、自論なりは自分のブログでするものですね。或いはそれが可能な紙媒体とか掲示板でもいいかもしれません。が人様のブログで自論の開陳は慎むべきものですね。それを逸脱しまして、申し訳ございませんでした。貴ブログをずいぶんお汚ししまして、すみませんでした。謝罪致します。

 少し言い訳をお許しください。実はしばらく前から、自然に対しての認識が、雑草さんとわたくしとではかなり相違しているなと感じていました。それで、そろそろ立ち去る潮どきかな思っていました。それでこれで去りますという意味のことを何回か書きました。そのつど雑草さんがまあ待てと引き止めるようなことがありました。 しかし静かに立ち去らなかったことに非もあるので、その点はお詫び申しあげます。すみませんでした。ずるずると居ましたので、次第に持論の展開というふうになってしまいました。たいへん失礼なことになりすみませんでした。

それで、自然についての認識の相違が歴然としてしまいましたね……。 (苦笑)

>全体として自然は破壊されている事を言っているのであって、それは路傍の石ころさんも御認めになるところかと思います。

と仰って下さるのは有難いのですが、私はそうではないのですよ。
日本の自然は、大まかに言って、悪化しているのが4割、そう変わっていないのが3割、緩やかに回復が2割と考えています。それとそもそも自然など既に存在していないところが1割、存在していないものは悪化のしようもないと考えています。 全体は著しいモザイク状だと認識しています。
遠い外国の自然はどうかについては、見たこともないので、私にはまったく分かりません。

 ま、ホント、ざっくばらんなことを言えば、10人寄ればいろいろな考えがあるんですね。実社会でもネットでもヒトという種は離合集散を繰り返すんですね……。
 各地の風力発電反対運動をしている人たちも、ごたがい連携して共闘しはじめたとたん、早くも意見の相違でいくつかのセクトみたいなものに分かれ始めています……。

 それとサツマイモ等は、聞かれるから饒舌に語りすぎたということはしましたが、人様を指導したなどという意識はありません。私は営農指導員ではございませんからその能力はありません。もし振り回したことになるのでしたら、その点は謝罪いたします。すみませんでした。

 いろいろと、申し訳ございませんでした。
 また、いろいろと、ありがとうございました。
2010/04/07(Wed) 22:02 | URL  | 路傍の石ころ #js83eNAU[ 編集]
希望
    路傍の石ころさん

 路傍の石ころさんの長いコメントに関しましては、何度か言及してますように、迷惑ではありません。迷惑どころか、しっかり論理的に自論を展開されていると思っておりました。内容的にも参考になる事が沢山ありました。
 ここの上の二つのコメント[4月6日付]も、記事の内容のコメントとしては逸脱していると思いつつ、一つの論文としては、よくもまあ、これだけ理路整然と書けるものだと感心して読んでおりました。こんなコメント欄にこれだけの事を書くのは大変な労力であったと思います。有難う御座いました。だからその事では一切謝罪しないで下さいませ。路傍の石ころさんの長いコメントには感謝しております。

 記事の内容から外れて他の方向に話題が行ってしまった事はこれまでにも何度もあります。そう言う話
 ・・・つまり
"日本の植生に関しては、段々減っているのではなく、それどころか
>「歴史上いまが最も日本列島の植生が豊かで山々が緑に覆われている」"

と言う話を ”記事の内容への反論” と言う形ではなく話しましょう・・・と言うのであれば興味深いお話でありますのでここで論じる事はやぶさかでは御座いません。それを
>瓢箪から駒
と表現させて頂きました。
はじめの yamakajiさんへのお返事の最後に

>生態系の破壊が環境問題の本質です。それが世界的に回復している・・・と言う事であればそんなに嬉しい事は御座いません。是非とも、自然は年々回復して地球の自然は豊かになっている・・と言う事を信じるに足る根拠があればお示しください。

と、書いたのは、皮肉ではなく、本心です。世界中から自然破壊のリポートが報じられ、自然回復のニュースは、路傍の石ころさんも御指摘のように、行政やNPO法人などの、あんまり好ましくない報告であったりです。私自身、自然破壊の現場ばかり目についています。だから、路傍の石ころさんのおっしゃるように自然回復されている場所が沢山あるならば、嬉しい限りです。

 ただ、それが他のもっと大きな自然の犠牲の上に成り立っているのであれば話は別かと考えます。

兎も角
>緩やかに回復が2割と考えています。

は、私にとって新鮮な論です。その辺の事はもう少しお聞きしたいと思っていました。

guyver1092さん が路傍の石ころさんに尋ねていた[4/6コメント]

>異様に頭の大きなツキノワグマを狩ったら餓死寸前のツキノワグマだったとか、近海漁業が振るわないのは山が痩せてしまったからだとかの議論

の真偽および合理的理由の説明は私もお聞きしたいところです。


>実はしばらく前から、自然に対しての認識が、雑草さんとわたくしとではかなり相違しているなと感じていました。

これは、コメント欄に明らかに現れていましたね。意見の相違の後に、これで立ち去る と言う意味の事をかかれておりましたから・・・しかし、路傍の石ころさんの御自分の目で確かめた実践の伴ったお話は非常に魅力的で、もっとコメントを読みたく思い、御引き留め致して居りました。ここにコメントを下さる重要なレギュラーメンバーのお一人になっていらっしゃっいました。


 実はネットで古本で購入した槌田敦さんの
「エントロピーとエコロジー」を読んでいたら、
槌田敦さんも御自分でサツマイモを作られていたらしいです。彼は
 余剰の食料生産が権力構造を作っている
と考えています。彼の著作物にしばしば出てくる主張です。
だから、職業としての農業ではなくて、自給的兼業的農業を理想としています。(・・この事に関しては記事にしてみたいと考えてます。・・)
 そう言う意味でも路傍の石ころさんのサツマイモ栽培や袋栽培のお話は非常に参考になります。農業指導員の指導などは受けたくはありません。だから、振り回された・・と言うのではなくて、重い腰を上げてもうその気になって、おススメの本も購入し計画している・・と言う事です。有難う御座います。

 路傍の石ころさんも私も主義主張はかなり確固としたものを持ってますので、あまり動じない・・と言う事も確かだと思います。

 全否定して去る・・・というのではありませんから、興味のある記事にはまたコメント下されば幸いです。いつでも期待しております。

 



2010/04/08(Thu) 07:06 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
雑草さん
guyver1092さん

 去ったと言いながら、また出てくるのは言動不一致のいい加減な人間のすることですが、お二人様に聞かれたという形になった点があるので、最後に、それについてお返事をいたしたく存じます。書き逃げにするというのもイヤですし。

>異様に頭の大きなツキノワグマを狩ったら餓死寸前のツキノワグマだったとか、近海漁業が振るわないのは山が痩せてしまったからだとかの議論

との問いかけですが、私の考えを申したいと存じます。

●ツキノワグマについて
 
 このことは初めて聞きました。情報源は何でしょうか。新聞記事? 雑誌・同好会誌・学会誌などの記事でしょうか? 出所が非常に重要だと考えます。逆に出典をお聞きしたいと思います。あらゆる情報は、だれかが、何らかの意図や思惑を持って流すものです。だれが何のために、どんな方法でそのニュースや情報を流すのか考える必要がある、というのが情報に接する私の基本的な姿勢です。
 誰といっても、マスコミであったり、研究者であったり、何かの運動家であったり、普通の庶民であったり、いろいろです。目的もいろいろで、世論を誘導しようとしたり、研究者が研究成果を誇示したり、単にその成果を社会に還元するだけということもあるし、はたまた普通の庶民の単なる話題や噂話に過ぎないもので、特に目的はないということもありましょう。

 ネットで検索してみましたが、私が捜した範囲ではそれらしいものが見当たりませんでした……。このツキノワグマの話の情報元と話の確実性をまず突き止める必要があると思います。でなければ軽々しく言及できません。

それで、私はこの件に関して情報を持っていませんから、わかりません。 しかし分からないという前提のもとで、勝手な推測をしてみます。あくまでも推測です。

まずこのツキノワグマは3点が重要ですね。1は、頭が異様に大きい。2は、狩りをされてしとめられたということ。3は、餓死寸前であったこと。
 これから分かることは情報元は明らかに狩猟をしているハンターだということです。ハンターが新聞社に話したという可能性が高そうですね。
 
 1の頭が異様に大きいといっても、クマの生態を研究している専門家が調べて言っているのですか? 生物に関する体重とか身長とか身体サイズに関するデータは、ほとんどが正規分布します。正規分布する現象ならば標準偏差の2倍の現象は5%ほど出現しますし、3倍の現象も起こり得ます。標準偏差の3倍の偏差を持つ個体を見たら、普通には異様に見えることでしょう。私も長年自然観察を積んでいるのですが、別の種かと思えるほど異様に葉が大きいサカキであるとかイタドリであるとか、いろいろと変なものを沢山見てきました。
 生物の世界では、異様に大きいとか、あるいは異様に小さいとか、それもその個体の身体全体がそうであったり、部分的にそうであったりという現象は、むしろ必ず起こります。
 そして、異様かどうかは研究者とか獣医師とかが判断すべき話であります。もし研究者が異様と判定したばあい、その原因を考察するということになります。原因もいろいろではないかと思います。たんにそのツキノワグマの個体のみに起こった奇形にすぎない可能性もありますし、その地域のツキノワグマの集団全体に頻発したものならば、何らかの環境要因があるかもわかりません。しかし高度な専門知識をもつ研究者の調査をまたなければ、素人(マスコミも)が軽々しくこれが原因だなどと言うべきではありません。

 2の餓死寸前であったということも、簡単に原因が特定できません。詳しい調査が必要かと思います。その個体がたんに怪我や老衰で十分に餌が摂れないことも、自然界のきびしい環境で身ひとつで生きている動物では、ごく普通のことですよ。また冬眠から醒めた春のツキノワグマは何カ月も飲まず食わずなのでやせ細っています。猟師さんならばやせ細ったクマをしとめて 「こりゃあ、餓死寸前やないか」 などと言ったかもしれません。重要なことは、その個体のみに起こったことなのか、その地域に棲む集団全体に起こった現象か、ですね。後者であれば、餌不足が考えられますね。
 一般的に言って、ツキノワグマの生息分布地域はブナ帯(冷温帯)です。西日本では標高の高いところにいます。秋にブナの実やサルナシの実を食べて冬眠に備えて太ります。ところが自然界は恵みもありますが、非情なきびしさもあります。クマの好む木の実は、表年と裏年がありまして豊凶を繰り返しています。とくにブナはその傾向が著しい木の実なんですよ。クマが里に下りて庭先のカキの実をとることが多い年は、ブナの実が裏年です。そういう大きな理由がまず考えられます。
 それから林野庁が、いまでも植林をつづけています。ツキノワグマがえさ場にしていた天然林を伐採して植林すれば、ツキノワグマは生活できなくなりますね。そういう理由も考えられます。植林を、是とするか非とするかは非常に難しい問題です……。私はその答を持っていません。

●近海漁業の不振について

 これは自信をもって断言します。乱獲です。これが最大にして大部分の理由です。
 農業は栽培です。採集ではありません。漁業は何だと思いますか? 採集ですよ。自然のものを採るだけです。山菜を採るのとまったく同じことをやっています。もちろん養殖もありますが、その餌は採集されたものです。近年はさすがにこれではまずいと稚魚を育てて放流もしていますが、ごく一部の魚種でしているだけでその量も少なく、やはり漁業の本質的な方法は、「採集」です。そこが農業と根本的に異なるところです。
 特に沿岸漁業は海面の表層も、深層も、大きな網を2艘の漁船で一網打尽にして大小の魚を網目漏らさず摂りつくしています。沿岸漁業の現場を見たことがありますか? 海が荒れない限り土曜日(漁業者の定休日です)以外は、毎日毎日大きな網で日本中の沿岸で、獲りまくっているのです。
 私は 「採集漁業」 が続いていること自体を、よくまあ魚資源が枯渇しないものだと不思議にさえ思います。私は同級生にも、知人にも、漁師さんや漁業組合の人がいます。酒を酌み交わして彼らの本音を聞くこともあります。 彼らは言いますよ。

「毎日毎日、漁に出て、根こそぎ獲っとったら、そりゃあ魚はおらんようになるわな。とくに底引き網漁はやばいわな。海底をかき回すもんな」
 
 底引き網で、海底の泥や砂をかきまわし、底にすむ魚種の生息環境や産卵場所を破壊しているのは、漁師さん自身であるということを、漁師さん自身が語っています。ただし、やばいことをやっているという認識をもっているためか、表向きはあまり言わない話ですが……。

 それから回遊魚などの魚種により、大発生(異常繁殖)したり、逆に個体数が激減したりを数十年というサイクルで繰り返している魚がいろいろあるということが、分かってきているようです。いろいろ研究が進められているようです。理由もいろいろ説明されていますが、まだまだ仮説の段階のようですね。

 山が痩せたのが原因と短絡的に結びつけない方がいいと思います。魚付林ということが良くいわれますが、私がいろいろ資料を読んだりした範囲では、まともな研究者は魚付林なんてほとんど言っていないと感じました。説得力のある理論的説明もなさそうです。
 そもそも陸上の水に溶ける物質は、地質年代的な時間のなかで、めぼしいものは海に流れ去っています。海は濃厚なスープです。金やウランなどの重金属まで大量の海水の中に溶けて、膨大に存在していることは申すまでもありませんね。拡散しているので取り出せないのは残念ですが。むしろ、陸地のほうが 「出し殻」 ではないかと思います。
 ただ確実に言えることは、山がはげ山になると大雨で大量の土砂が海に流れ込み、海が茶色に濁り、魚の産卵場である岩礁地帯の海藻がやられます。その結果魚も減るということはあります。わたしの島でも山を削って宅地造成したら泥水が流入して、養殖ワカメの大被害が発生して、大きな問題になったこともあります。今度はその近くで風力発電の林道が作られたので、漁師さんたちがカンカンに怒っています。
 山が痩せるのが原因ではなく、泥水の海への流入が問題であろうかと思います。

 いつも思うのですが、マスコミの環境問題とりわけ動植物に関しての記事の程度の低さや、先入観や思惑を持っていて、世論をある方向に誘導しようとしているのじゃないかという報道に、あきれています。

 槌田先生にもおかしなところがあります。鳥類が海の魚を食べて、陸上で糞をして、物質が循環しているという意味のおバカなことを主張しています。生態系は循環していることを強調したいがための、頭の中で考えた幻想です。どんな鳥も生活する場所は棲み分けています。海岸に棲むウミウが内陸に飛んで行って糞をすることはないし、内陸の沼に棲む水鳥とか山に棲む鳥類が、わざわざ海にまで飛んで魚を捕り、帰ってきて糞をするなどありえません。槌田先生は自然観察をしていないという馬脚を表しているのはとても残念です。わたしは、確かな調査や研究による資料にもとづいて、徹底的な自然観察による推論が、より説得力を持つと信じています。

以上、たいへん長くなりましたが、お二人様から聞かれるというかたちになったので、お返事させていただきました。

いろいろと、ありがとうございました。

追伸
 蛇足ですが、自給自足を目指される場合の品種選びは、貯蔵性が重要です。サツマイモも少量作るのならすぐに食べてしまうでしょうが、大量に栽培された場合には、翌年の収獲まで食べ繋ぐことになります。最大限1年間保存する必要がでてきます。プロの農協や流通業者なら最適の温度・湿度に保つ巨大な冷蔵庫を持っています。しかし自給栽培ではそんなものありませんから、せっかくの収穫物を貯蔵中に腐らせてしまいます。それで味よりも貯蔵性が、品種選びの基準にされるのがいいです。
 関東地方で多く作られる 「ベニアズマ」 は、自給栽培では貯蔵中にかならず腐らせてモッタイナイことになります。関西の主力品種の 「高系14号」 が栽培しやすく貯蔵性抜群の品種です。これがおすすめです。乾燥させないよう冬の寒さに充てないよう保存すれば素人でも1年保存ができます。食味もけっこう美味いですよ。私は農協や農業試験場の営農指導員ではありませんが、このことは八方手をつくしていろんな品種の種イモを入手して栽培・貯蔵試験のようなことを自らやっています。自信を持って、「高系14号」 をおすすめいたします。
 苗というかたちで入手するのが困難なばあいは、イモを入手して自分で育苗するということにならざるを得ないです。イモの入手はインターネットが強力な手段になります。生産物のイモをネット販売したい農家は一杯いますから……。

これをもちまして、失礼いたします。
 
2010/04/08(Thu) 18:50 | URL  | 路傍の石ころ #js83eNAU[ 編集]
ツキノワグマ
差し替えてください。

 ありがとうございます。ツキノワグマについては、週刊誌で読みました。近年人工造林により、クマの食料となる植物が減ったというような書き出しだったと思いますが、異様に頭の大きなクマを狩ったら(狩ったハンターはあまりもの痩せ方にかわいそうになったと書いてありました。)実は異様に痩せており、体長は普通なのに体重が30キロしかなかったという記事でした。ちなみにその記事の中で、ツキノワグマも絶滅危惧種になっているとはじめて知りました。しかしこれは週刊誌なので、記事のすべてが真実とは考えていませんので、真偽のほどという質問になりました。
 漁業についてはどこで読んだかは覚えていません。おっしゃるように魚付林の記事だったのは確かです。
 昔真珠養殖業者に聞いた話ですが、昔に比べ、真珠が弱くなったとのことでした。具体的には、真珠を2年入れておけなくなったとのことでした。できたころの海は、もっとどろっと(プランクトンが豊富で)していたそうです。 この話を聞く限り、乱獲だけではないように思えます。

 ちなみに海鳥についてですが私の地元で、1キロほど内陸に大きなコロニーを作っていたのを知っています。槌田氏は路傍の石ころ様の言うようなことは言っていなかったと記憶しています。子育ては陸でするので、糞は陸にする。それを肥料に植物が育ち、虫が発生する、その虫をもう少し内陸に巣を作る鳥が食べ・・・というように、何段階にも分けて山に運ばれるとの意見でした。

 一番重要なことを忘れていました。生態系が回復しているのになぜ、絶滅危惧種が日本で増えているのでしょうか。生態系が回復しているのであれば、絶滅危惧種が増えるはずがないと思うのですが。
2010/04/08(Thu) 21:51 | URL  | guyver1092 #-[ 編集]
guyver1092様

槌田先生の説の批判は、あまりにも要約して申したので誤解をまねきましたようです。
仰るように海鳥は陸地の崖などに営巣地があり、そこで子育てをしています。その点はわたしもよく承知いたしています。ですが、海鳥の営巣地は海岸に沿った臨海地です。内陸部からほど遠いのですよ。

>子育ては陸でするので、糞は陸にする。それを肥料に植物が育ち、虫が発生する、その虫をもう少し内陸に巣を作る鳥が食べ・・・というように、何段階にも分けて山に運ばれるとの意見でした

ということの何段階にも分けてという部分がとても成立しないのです。食物連鎖を考えても、「栄養段階」という用語は御存じですよね。下位段階の動物のもつエネルギーが、上位段階の動物に受け継がれていくのはごくわずかです。生物学の教科書では、たいてい10分の1という数字で説明しています。さらに上位の動物に受け継がれるのは10分の1、2段下位から考えると100分の1です。受け継がれる物質も同じです。つまり、指数関数的に最初の段階の物質もエネルギーもどんどんと希薄化していくのですよ。
 最初の海鳥の糞、 植物、 虫、 少し内陸の鳥、 糞を吸収した植物、 さらに内陸の鳥、と繰り返すと限りなく伝わる物質は希薄化するのです。この指数関数は、底が1より小ですから限りなくゼロに近づいていきます。生物学的(生態学)にも絶対に成り立たない無理な説です。やはり物質が循環することを強調したいがための、こじつけ理論であることは明白です。
 
>一番重要なことを忘れていました。生態系が回復しているのになぜ、絶滅危惧種が日本で増えているのでしょうか。生態系が回復しているのであれば、絶滅危惧種が増えるはずがないと思うのですが。

 私は先に申した通り宗教法人をやっているものでして、研究者ではありませんが、研究者に替わってお答えします。まずはごもっともな疑問です。そう思われるのは無理もないでしょう。

 自然は冷酷な側面があります。自然が回復すれば、絶滅種は増加いたします。
 とくに植物で絶滅種が急増することでしょう。ここが一般の常識と自然の摂理が異なるところです。理由は、森林が育つと林床に太陽の光が入らなくなるからです。草であるとか背の低い木は、よほどの耐陰性のあるものしか残りません。つまり陽光の奪い合いという競争に敗れるのです。自然は、一皮むけばすさまじいばかりの熾烈な競争の世界です。競争に敗れたものは、絶滅するほかありません。日本に自生する植物は樹木よりも草本のはうが倍ほどの数です。その草は陽光の奪い合い競争では、圧倒的に弱者です。自然が回復すればするほど絶滅種が増えます。

 庭に植える、オモトという植物を御存じですか。これは耐陰性がとても高い草です。こんなものは絶滅の心配は全くありません。

 綺麗な花の咲くカタクリはご存知ですか。これは耐陰性は弱い植物です。しかし、夏緑樹林(落葉樹)の下に生えます。春に誰よりも早く芽を出します。そして花を咲かせ果実を実らせます。カタクリの上空を覆っている落葉樹が葉を茂らせるころになると枯れます。つまり落葉樹の葉が茂るまでのわずか1か月ほどのあいだで、1年間の生活を終えるのです。あとの長い間は地下の球根のようなもので、休眠しています。このような戦略で生き残るものもあります。
 
 自然の摂理と言うか法則は、常識とは全く逆のことがたくさんあります。じつは自然観察したり、調査に参加したりしている人たちの間では、こんなことは常識なんですよ。

 じつは、自然を護ろうなんて言っても本当に難しいのです。人間が立ち入らなければ森はどんどん生長して、やがて見事な原生林になります。原生林は貴重ですよね。 ところが原生林の陰で消える草が沢山でるのですが、草も貴重ですよね。
 貴重な草を助けるために、原生林を切るとするならば、原生林は破壊したということになりますよね。

 これが自然保護の難しさです。現実にこんな矛盾みたいなことは沢山起こっています。この矛盾をどうするかは、専門家でもいろいろな考えがあります。いうなれば正解のない問題なのです。私の考えでは、森林が育って絶滅危惧の植物が消えたとしても、それは厳しい自然の掟・摂理・法則でありますから、ほうっておくというか、静かに見守るしかない、という意見です。
 そうではないという意見も、もちろんあります。

guyver1092 さんはこの矛盾というか背反現象をどうお考えになりますか。環境問題を考えるなどといっても、そこまで考えて議論しなければならないのです。本当に難しいものですよ。
 
2010/04/08(Thu) 23:35 | URL  | 路傍の石ころ #js83eNAU[ 編集]
雑草様
guyver1092様

 槌田先生の珍説ですが、鳥類が海の物質を内陸部に還元させる働きがあるかどうかの可能性ですが、渡り鳥が海で魚を捉えて食べ、飛んでいく途中で内陸部で糞を落とすということを考えてみましたが、これも無理そうですね。
 あと、川と海を往来する魚がいますね。サケ・カラフトマス・アユ・降海型のヤマメやアマゴ。これらが海でしっかり餌を食べ、川の上流(つまり内陸部)で動物に食べられ糞をするというのなら、可能性はありそうです。北海道のヒグマは川でサケを捕り食べますから、大いに可能性はありそうです。糞をするだけでなく、食べ残しをちらかします。しかし物質循環する量はどれぐらいでしょうかね? これこそ定量的な調査が期待したいところです。
 でも最も物質循環の担い手になりうるのはヒトでしょうね。ヒトは海の魚をたくさん食べるので、糞は田んぼや畑でしましょう。

>昔真珠養殖業者に聞いた話ですが、昔に比べ、真珠が弱くなったとのことでした。具体的には、真珠を2年入れておけなくなったとのことでした。できたころの海は、もっとどろっと(プランクトンが豊富で)していたそうです。 この話を聞く限り、乱獲だけではないように思えます。

guyver1092様 のこの問いかけにお返事していませんでした。おそらく環境が悪化して水質が落ちるとか汚染物質がながれこんだとかと、仰りたいのかなと感じました。

 おそらく逆ですよ。環境対策をしっかりとやって、下水道が普及するとか、汚水の排出規制が厳しくなるとか、農地が耕作放棄されて肥料が投入されなくなったとか、が原因の可能性が高いのでは?

 たしか熊野に赴任された意味のことを、おっしゃっていませんでしたか? この真珠養殖の場所は志摩半島? 賢島の湾あたりですか。あのあたりなら、昔三重県にいたこともあるので土地勘があります。
 湾とか入江は奥深くリアス式海岸ですよね。基本的には外洋に面したところで、外洋は窒素とかリンとか少なく、どちらかといえば貧栄養です。
 むかしはプランクトンが多く、どろっとしていたということなので、陸上の田畑に肥料が大量にほどこされたり、糞が肥料としてまかれたり、下水道がなかったりして、窒素など栄養分が湾に流れ込んでいたのでは? 富栄養化したらプランクトンは大発生して、時には赤潮となります。
 真珠養殖の貝の生育には富栄養化しているほうが良かったにもかかわらず、エコ・エコ・エコと騒いで環境対策を進めることにより、湾の水質がきれいになってしまった、(つまり貧栄養化してしまった)可能性が高いのだろうと想像します。つまり、「水清ければ魚棲まず」という現象ですね。
イワナの棲む川の上流は澄んでいて魚はあまりいません。中流、下流となるほど水は汚れてきて、コイやナマズやウグイなど一杯います。もちろん汚れ過ぎてはダメですが、適度に汚れるというのは必要なのです。
 以上はわたしの勝手な想像でしたが、その真珠養殖の貝に病気が蔓延しているとか、ほかの原因もあると思います。水産試験場などが調査しているのじゃないでしょうか? そういうのに当たられましたか? 真珠養殖業者から聞いた話ということですが、じゃあ一体原因は何だろうかとせっかく疑問を持たれたのですから、ご自分でどんどん資料に当たられることをお勧めいたします。

 乱獲だと申したのは、これは漁業組合も水産試験場も水産学の研究者も、言いたがらないある種のタブーみたいなものなので、私が代わりに言ってやったという感じです。乱獲を唱えると、じゃあしばらく禁漁だとなるので言えないのです。ま、言わなくても、漁の解禁期間の短縮とか、漁の時間制限や漁獲割り当ての縮小などの規制をひかざるを得なくなっています。こまかなことを言えば埋め立てによる藻場という魚の産卵場の破壊とか、理由は一杯ありますよ。

 とにかく川や海は適度に汚れている方が魚が多くいることは、動かしがたい事実です。これも普通の常識と全く異なることで、本当に環境問題は難しいものです。
証拠をお見せしましょう。
http://seto-eicweb.pa.cgr.mlit.go.jp/env/env_006.html
この国土交通省の外郭団体のサイトを見てください。ここには瀬戸内海のデータがたくさんあります。瀬戸内海の漁獲高の経年推移のグラフがあります。よくご覧ください。1970~1985年ぐらいが漁獲高が多く、その後には次第細りに減っています。
http://seto-eicweb.pa.cgr.mlit.go.jp/env/env_007.html
次に赤潮発生件数の推移をよくごらんください。1976年がピークで300件、しばらく多い状況が続き、1986年ぐらいから100件ぐらいで横ばいです。

赤潮発生数と漁獲高とは相関関係があります。

 山国のかたは御存じないと思うので、説明させてください。瀬戸内海という閉鎖性の海域が、水質がもっとも悪化したのは1970年前後の10年ほどです。現在ではけっしてありません。私が中学生から高校生のころです。オイルショックの前ごろで、日本が高度経済成長していたころです。工場や家庭から何の処理もなされず排水が垂れ流されていました。海の汚染・汚濁が著しく、大阪湾の奥のほうなんかはドブの海で悪臭がしていました。 
 そのころは瀬戸内海は富栄養化して、赤潮が大発生していました。件数だけでなく規模も大きかったのです。これではまずいと行政も動き対策を講じました。それで水質はしだいに改善していきました。現在では1970年ごろと比べるとかなり海がきれいになっています。海がきれいになると赤潮の発生が件数が少なくなるとともに、規模も小さくなっています。赤潮は海の水質の指標です。

言わんとすることはもう分かると思います。水質が悪く赤潮が大発生していたほうが漁獲量が多いのです。環境対策を徹底して、水質が良くてきれいな海の方が漁獲量がへるのです。
 たぶんエコを標榜している方には、とても信じてもらえない話と思いますが、これはデータに基づいた動かしがたい事実です。私も瀬戸内海の変化を40年以上みています。環境が一番悪化したのは大分まえであって、現在ではありません。

 やはり昔の人の洞察はすごいものがあります。「水清ければ魚棲まず」これを裏付けるデータです。
 
 「水は適度に汚れているほうがいい。森林は適度に破壊されたほうがいい。(絶滅危惧種にギャップ地を供給するため)そのほうが生物は豊かである。」というのも、理解しにくいと思いますが真実なのです。
 また、これが、私が環境活動家を信用しない理由です。かれらはこんなことを何も分かっていないんですよ。まったく、宗教のお題目を盲目的に唱えているだけなんですから……。
環境運動は宗教化していますね。宗教人の私が言うのはヘンですが……。

自説の開陳ではなく、知られざる事実の開陳でございました。

雑草様
いろいろと、すみませんでした。
また、いろいろ、ありがとうございました。
失礼いたします。

2010/04/09(Fri) 18:07 | URL  | 路傍の石ころ #js83eNAU[ 編集]
正規分布近似
    路傍の石ころさん・・というわけでは御座いませんが

 また幾つか長いお返事のコメントを3つ頂きましたので、それらについて、お返事差し上げたい内容が沢山ありますが、まず一つだけ記事の内容にもコメントの議論にも全く関係のない事を書かせて頂きます。


 熊の頭の大きさについてですが、guyver1092さんが再度お答えされたところによりますと、個体としての異常である事を言ってるわけではありませんね。
 だから、その問題はそれで解決ですが、路傍の石ころさんが統計的手法を色々解説して下さいましたので、正規分布に関する私の自論を述べさせていただきます。

 私は統計は好きです。数学を専門とする人の中には往々にして統計を軽んじる人が沢山いますが、統計こそ一般に非常によく使う有用な数学でしょう。しかしその使われ方が結構いい加減であると常日頃感じています。世の中に統計学による誤魔化しも溢れています。

 正規分布に近似させる検定は好きな方です。
 「標準偏差の2倍、3倍・・」なんて表現が思いがけずここで出てきて嬉しくなりました。・・2σ、3σ・・因みに標準偏差って、正規分布(ガウス曲線)では平均値から変曲点までの間隔に丁度なる・・・って御存知でしたか?それが標準偏差を最もイメージし易いと思います。

 それはさておき、厳密に言って、自然界に正規分布するものなんて(・・殆ど・・)存在しない・・・と言うのが私の自論です。連続分布と離散分布の違い・・・と言う事ではありません。

 本来、正規分布は、平均値の両側に無限にデータ領域がなければなりませんが、実際の正規分布にあてはめる大きさのデータは、マイナスの値がありません。0より大きい正の数から始まります。つまり平均値の左側(小さい方)の値は限界があります。それに対して、平均値の右側(大きい値)は、(実際のデータが存在するしないの如何にかかわりなく、可能性として)無限大まで伸びています。だから、左右対称の正規分布曲線になる筈が御座いません。小さい値のデータ領域もマイナス無限大までなければ正確な正規分布は無理です。
 それから、0より大きな正の数から始まる自然界の物事の大きさや個数は、リニアなものなど殆どなく、倍数の世界です。等差数列の世界ではなく、等比数列の世界です。指数関数の世界です。
 それなのに生のデータの横軸を等差数列的に目盛っても、正規分布する筈が御座いません。
 平均値の周りの値の分布があまり偏差が大きくないうちは、正規分布で近似している訳です。

 本来は各値の対数値を取れば、(・・もしくは、横軸のメモリを対数で取れば同じ事です・・)
それが正規分布すると考えます。対数正規分布と言うものです。それによって0(より大きい正の値)から始まるデータも、マイナス無限大からプラス無限大としての値として扱えます!
 対数をとったのでは、データの偏差が小さくなりすぎてばらつきが見られないのではないか・・・と言う危惧されるかもしれませんが、小数点以下の数値の表示を大きくする、グラフで言えば、目盛りの間隔を大きくとる・・・と言う事で済みますから、本質にはなんの影響もありません。

 一般に使われている正規分布による近似でも、大小の関係が入れ違ったりはしませんので、近似としては使えますが、偏差の感覚がかなり矛盾しているのです。

 わかりやすい例で言えば、偏差が同じσの値でも、平均より、+σ の偏差を持ったデータと、-σの偏差を持ったデータの偏差が同じと言う事が、一般の正規分布近似検定の致命的な欠点です。勿論、-σのほうの偏差のほうが偏差はもっと大きく考えて然るべきです。

 さらにわかり易い具体的例で言いますと
 ある動物の成体の大きさの平均が2mだとします。標準偏差を0.5mとします。
それに対して、1mと、3mの成体があれば、両方とも偏差は同じ1mで、それぞれ-2σ、+2σですが、珍しさ、異常さと言う意味では、1mの成体のほうが大きい筈です。そのようにデータを扱う為には対数をとって使うべきなのです。

 だから、この正規分布近似だけでも、世の中の統計データ処理はいい加減なものばかりです。対数をとらずに正規分布近似を使って平気で異常さを論じる学者がいるとすれば、専門家だから信頼に足るとは言えないでしょう。

 世の中の使用法が適正でないと感じている正規分布が出て来たので、記事の内容と全く関係のないコメント書いてみました。



 出掛ける用事等がありますので、他のコメントに対するお返事等は、後で改めて書きます。
 
2010/04/10(Sat) 10:54 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
絶滅種、絶滅危惧種について
路傍の石ころさん

 先ずは、サツマイモに関して

>自給自足を目指される場合の品種選び

有難う御座います。貯蔵性が重要なのですね。

>「高系14号」 が栽培しやすく貯蔵性抜群の品種です。これがおすすめです

よくわかるようにお薦め頂きまして本当に有難う御座います。栽培の際には「高系14号」(・・サツマイモの種は全く分かりません・・)を見つけたいと思います。入手の方法のアドバイスまでも重ね重ね有難う御座います。



 さて、3つの長いコメントの内容の一つ一つにお答えしたいところですが、記事の内容に最も関連している絶滅危惧種、種の絶滅に関連のところを中心にお返事致します。

 
 路傍の石ころさんは日本の植物に関してのみ言及されていますが、私は絶滅危惧種や絶滅してしまった生物に関しては、動物しか思い浮かびませんので、先ずは動物に関して考えてみますと、

>自然が回復すれば、絶滅種は増加いたします。

は、あまり当てはまらないのではないでしょうか?・・少なくとも、有名な例は殆ど思いつきません。

 アメリカのリョコウバトも乱獲が原因です。気候変動などが原因とされていたマンモスも最近は乱獲が原因とされ、証拠も多々見つかってます。
 かつて日本の里山には普通にいた、メダカ、タガメ、ゲンゴロウ・・なども、現在日本では絶滅危惧種になってしまいました。これらは川にダムを作ったりコンクリートで固めるなどの開発や有害化学物質のたれ流しが原因でしょう。つまり、動物に関しては乱獲や開発が主因と言えるでしょう。
 
 植物などでも、乱獲や開発が主因の一つとはいえるのではないでしょうか・・・海外でもその例は色々あるでしょう。

 路傍の石ころさんは 「自然が回復する事」のみ原因として言及されていますが、何故それが主因だとお考えですか?


>私の考えでは、森林が育って絶滅危惧の植物が消えたとしても、それは厳しい自然の掟・摂理・法則でありますから、ほうっておくというか、静かに見守るしかない、という意見です。

私もこのあたりは大体似たような考えですが、そうではない人為的原因・・・乱獲や開発による絶滅、種の激減こそ問題にすべきで、ほうっておくべき事ではないと考えますが、如何でしょう?。


>川や海は適度に汚れている方が魚が多くいることは、動かしがたい事実です。

これには「人工物質以外の有機物で汚れている」という条件が必要ですね。化学物質などで汚染されている場合は明らかに魚の生息環境は悪くなります。


>水質が悪く赤潮が大発生していたほうが漁獲量が多いのです。環境対策を徹底して、水質が良くてきれいな海の方が漁獲量がへるのです。
  
この辺に関しても江戸時代の東京湾の事を考えても明らかですね。繰り返しますが
水質汚染対策は、化学物質による汚染を主に考えるべきでしょう。
 そうでなくとも、水質のいい、悪いは、生物の作る普通の有機物質による汚染とそうではない生態系を破壊する化学物質等による汚染とを区別すべきだと考えます。


>たぶんエコを標榜している方には、とても信じてもらえない話と思いますが、

 御自分が今まで相手にされた環境活動家の方々が軽率で似非エコだったのかも知れませんね。(・・確かにそう言う方も多いと思います・・。)
 大変失礼な言い方ですが、路傍の石ころさんは、そのようなステレオタイプの「似非環境活動家」を想定して、それを相手にここで自論をまくし立てていらっしゃるように感じます。しかし、路傍の石ころさんが仮想敵と考えている環境活動家達は、私たちとは違った人達でしょう。もし私や guyver1092 さんをそう言う輩と一緒だと思って得々と論じているのであれば、これまでの記事やコメントの議論は何だったのでしょうね?・・脱力です。

>自説の開陳ではなく、知られざる事実の開陳でございました。

色々御説明して下さって有難う御座います。私も槌田敦さんも、おそらくguyver1092さんも、ここの常連さんはみんな大体考えている事だと思います。内容は私も大筋で一致する考え方です。だから、このあたりは路傍の石ころさんと私の考え方に大きな違いはないと考えます。
 


 因みに現在叫ばれている「エコ」って言葉は嘘っぽいいやらしさを感じるものばかりですが、本来の「エコロジー」と言う言葉は、しっかりした意味を持っています。その事については4/17の記事でアップ予約しています。
2010/04/10(Sat) 18:31 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
環境対策
    guyver1092さん 
    路傍の石ころさん

guyver1092さんの

>この話を聞く限り、乱獲だけではないように思えます

に関して、路傍の石ころさんは

>おそらく環境が悪化して水質が落ちるとか汚染物質がながれこんだとかと、仰りたいのかなと感じました。

>おそらく逆ですよ。環境対策をしっかりとやって、下水道が普及するとか、汚水の排出規制が厳しくなるとか、農地が耕作放棄されて肥料が投入されなくなったとか、が原因の可能性が高いのでは?

これこそ、路傍の石ころさんの想定の大違いの部分です。

下水道の普及とか汚水の排出規制(・・これも有毒な化学物質は規制して然りです・・)とかをまともな環境対策とは考えていません。ここの過去記事にも何度か言及しています。
そう言う事も含めてしっかり「環境の悪化」と考えています。guyver1092さんもそうだと思います。

路傍の石ころさんもそれが原因だと考えていらっしゃる訳です。そこまで考えて、環境の変化(・・環境の悪化・・)と考えられるでしょう。だから、乱獲以外にも海岸をコンクリートで固めた事や農薬等の流入なども十分に主要な原因と考えられるでしょう。


  +++    ++++++     +    ++++++++

 余談です。
 路傍の石ころさんが、自然に対する認識が私と違っていて気に入らないから来ない・・・と言うのは致し方のない事です。しかし・・「これで最後」・・のお積りのコメントでも、こちらと相違のある意見なり認識を書かれた場合、こちらも質問とか反論とかする場合が多いわけですから、議論が続く可能性が大いにあるわけです。それにこちらの質問等に答えて下さる・・・と言うのはありがたい事です。
 路傍の石ころさんが返事の必要が無いと思ったら、そこで止めて頂ければ済む話です。何度も何度も「これにて失礼します」とか繰り返す必要はないのではないでしょうか?
 環境対策などに対する考え方も特に対立はないと考えています。考え方の一致する部分の多い、話の深い常連の方が去るのは寂しい事です。多くの事を教えて頂き感謝しております。

因みに・・・
 
 guyver1092 さんも微妙に私と意見の相違があると思います。長い間コメントを頂いて guyver1092さんが関心が無い記事も多少予想が出来るようになりました。予約の時点で、guyver1092 さんは興味が無く決してコメントを下さらないであろうという記事も月に1度は予測がつきます(笑)。そう言う事があって当たり前であり、大筋では考え方が一致していると思います。いい関係が築かれていると感じます。

 
2010/04/10(Sat) 19:39 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
雑草様

 対数正規分布近似での統計データ処理すべきであるとの分かりやすい解説ありがとうございました。植物学者の研究も相当いいかげんなものがまかり通っていそうですね。

>動物に関しては乱獲や開発が主因と言えるでしょう
 全くおっしゃる通りですね。その両方の要因で絶滅した典型的な例が、ニホンカワウソですね。毛皮を採るための狩猟(乱獲)と生息地の川を改修などコンクリートで固めて(開発と同類でしょうか)絶滅しましたね。たぶん。

>植物などでも、乱獲や開発が主因の一つとはいえるのではないでしょうか
 おっしゃる通りです。観賞価値のある植物は乱獲で絶滅寸前ですね。サギソウ、アツモリソウ、フクジュソウ……、枚挙にいとまがないほど多数のものが、乱獲でそう遠くない将来絶滅しそうですね。
 湿地や沼などの水辺の植物はほとんどすべてが絶滅危惧種といってもいいですね。化学物質の流入ももちろんありますが、土建業者がやたらと埋め立て(開発)したがります。

>乱獲や開発による絶滅、種の激減こそ問題にすべきでほうっておくべき事ではないと考えますが、如何でしょう?。
 全くその通りで、動植物愛好家や販売業者の乱獲は許すべからざることで、厳しく取り締まる必要がありますね。自然の大切さについての教育や啓もう活動も必要ですね。開発もゼロにするのは無理にしても、不必要な開発や過度な開発は断固として反対しなければなりませんね。その啓もう活動には雑草様のブログが貢献しそうです。

>水質汚染対策は、化学物質による汚染を主に考えるべきでしょう。
 全く仰る通りです。水質汚染に関しては、COD(化学的酸素要求量)ばかりが問題にされます。しかしこれは水の中の有機物の量を言っているだけですね。勘ぐれば化学物質の汚染を触れないで誤魔化す作戦かも? 学者やお役人がCODばかり問題にするのをおかしいな、じゃあ化学物質や有害物資の汚染はどうなっているんだよ、という違和感はございました。

>「似非環境活動家」を想定して、
 ハイ。想定ではありません。実社会でそういう活動家を現実に相手にいたしておりました。(と過去形ですが)もう縁を切りました。環境活動からは3月末で足を洗いました。
雑草様が「似非環境活動家」に類する方と思ったことは、けっしてございません。教祖様と思ったことはありますが……。

といふことで、なんだか雑草様とそんなに大きな考えの相違がないことが分かりました。私は植物ばかり見ていたので、なにか錯覚していたのかもしれません。もう植物の調査会は足を洗います。

いろいろと本当にありがとうございました。雑草様の過去の記事をよく読んで出直します。(読んでいない記事が沢山ありますから……、というよりも読んでいない方がはるかに多いと思います)気易くコメントをして、たいへん失礼をいたしました。お許しくださいませ。こんどコメントすることがもしあるとするならば、気易くではなく重たい気持ちでしたいと存じます。
2010/04/11(Sun) 01:07 | URL  | 路傍の石ころ #js83eNAU[ 編集]
    路傍の石ころさん

 お返事有難う御座います。

 私は、生物全般に関心を持っていますが、植物には疎く動物のほうが詳しいようです。幼い頃より身近な小動物は好きで馴染んで観察してある程度名前なども知っていました。絶滅してしまった生物や絶滅危惧種も殆ど動物の事しか知りませんでした。
 だから、路傍の石ころさんから教えて頂いた植物の知識は大変貴重です。日本の植物の絶滅危惧種も、殆ど知りませんでしたので、例を挙げる事も出来ませんでした。
だから
>観賞価値のある植物は乱獲で絶滅
>湿地や沼などの水辺の植物はほとんどすべてが絶滅危惧種

は非常に参考になりました。植物については路傍の石ころさんや上々さんに沢山教えて頂きました。それで日本の植生に大きな関心を持ちました。これからも教えて頂ければ幸いです。
・・だから、植物の調査会から足を洗う・・・なんて仰らないで下さいませ。それはそれで大変意義のある会だと思います。

>水質汚染に関しては、COD(化学的酸素要求量)ばかりが問題にされます。・・・・・・学者やお役人がCODばかり問題にするのをおかしいな、じゃあ化学物質や有害物資の汚染はどうなっているんだよ、という違和感はございました。

なるほど、そう言う事ですね。私は

>水質汚染対策は、化学物質による汚染を主に考えるべきでしょう。

と言っておきながら、その点よく調べていませんでした。路傍の石ころさんのこれらのコメントで、構造が見えて来ました。有難う御座います。


>水質が悪く赤潮が大発生していたほうが漁獲量が多いのです

私もそうではないかと思いつつも、実際海の事はよく知らないし赤潮もよく観た事もないし、誰も言わない事なので確信が持てませんでした。海の富栄養化も程度があるから簡単には言及出来ないと思いつつも、生態系が受け付けない化学物質と違って、生物が栄養分として使って浄化も出来るではないか・・・と。そこを路傍の石ころさんはよくぞ言って下さいました。拍手です。はっきりそう言及されたのを始めて目にしました。誤った洗脳を解くいいきっかけです。


>想定ではありません。実社会でそういう活動家を現実に相手にいたしておりました。

そうでしょうね。そのような方も多いのでしょうね。失礼しました。生活の一部を投げ打って環境の為に活動している方は素晴らしいとは思いますが、政府や自治体や環境を商売にしている団体に所属している似非環境活動家も沢山いますね。


>雑草様の過去の記事をよく読んで出直します。

いえ、過去の記事を読む必要はありません。参考記事がありましたらその都度御紹介いたします。
 サイトの主がそこの過去記事を読んでいるのを前提に議論する・・・なんて高飛車です。・・・そんな不遜な事は申しません。その一つの記事を受けてコメントして頂くのが基本です。私の書き方が誤解の原因ですね。お詫びいたします。

 重たい気持ちではなく気易くコメント下さいませ。路傍の石ころさんのコメントは十分に重みがあります。これ以上重くなりましたら、お返事にも更に時間がかかってしまいます。


>なんだか雑草様とそんなに大きな考えの相違がないことが分かりました。


 私も最近、一つ前の記事のコメント欄やここのコメント欄のはじめの方などで路傍の石ころさんを誤解してしまったようです。ここのコメント欄の後のほうで色々話しているうちにその点がはっきり分かってきて良かったと思います。誤解によって、路傍の石ころさんが考えていない事まで拡大して反論してしまったようです。失礼致しました。
 あんまり見解の相違が無い事が確認出来て良かったと思います。勿論、見解の相違があればいつでもまた御指摘下さい。

 また、新しい記事でも、関心のある内容でしたらコメント頂ければ幸いです。
2010/04/11(Sun) 12:24 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
自然が減ってるというのは事実では?
皆さんのコメントを読んで良くお調べになっていると感服しきりです(^^;
ざっと読んでもなかなか分らないこともあり、また読んでみなければと思います。

その中へとても意見など言えるものではありませんが、雑草Zさんの記事は事実として今目の前に広がっているのではないでしょうか。

北海道でも終戦前後で禿げ山になってしまって、その後植林によって木が増えた場所も沢山あることは確かで、一時的には今より森林伐採が大量に行われた時期もあるでしょうね。

しかし動植物を考えると、私の田舎や雑草Zさんのように大都市でない場所でも数十年前にいた昆虫が極端に減っていることは確かだと思います。

田舎でさえ30年前はうるさいくらいいたカエルや八つ目ウナギ、秋になると道路に這い出てきたオケラ。ガムシなんて今はもう見ることはできません。

この記事では取り上げられていませんが、農薬、化学肥料は森林伐採、ダムや護岸工事の河川改修以上に大きな原因だったのではと思います。
農場も5年、10年の単位で農薬の影響を排除できるようですから、山や川も開発をやめることで再生できるのではないでしょうか。
2010/04/11(Sun) 22:05 | URL  | BEM #hszQL7r.[ 編集]
身近に体験している自然破壊
    BEMさん

 本文にも書きましたように、里山がかなり破壊されてしまった後に生まれたと思っていた10代、20代の人達でさえ、自分達が幼い頃はもっと自然に恵まれていた・・・と感じているという事を何度も直接聞いた事が、この記事を書こうと思ったきっかけです。

 現在世界中に生きている人の多くが、自分が実際に見てきた自然が、以前よりも破壊されている・・と感じていると思います。その逆の人は少ないでしょう。

 経済的な理由などで、日本の一部の植生が、原生林に戻って生態系が回復している事をもって、自然は年々減っているとは言えない・・・と言う反論のコメントにはお門違いであると思いましたので、その旨お返事致しました。
 BEMさんも

>雑草Zさんの記事は事実として今目の前に広がっているのではないでしょうか。

と、感じている通りだと思います。

 仰るように、農薬や化学物質による汚染も大きな原因ですね。

>田舎でさえ30年前はうるさいくらいいたカエルや八つ目ウナギ、秋になると道路に這い出てきたオケラ。ガムシなんて今はもう見ることはできません。

非常に悲しい事ですね。個人的には、実際自然の中で見た事が無い八つ目ウナギがうようよいる小川を見てみたいものです。
 
 開発と言う名の自然破壊を全て止めるべきですね。

2010/04/12(Mon) 07:01 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
日本近海の水質に関して推測i
 路傍の石ころ様、英虞湾の水質については
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2010041090091128.html
の記事によると、富栄養を通り越した過栄養(槌田氏の表現です)が原因のような気がします。
 過去の上々氏の肥料の話から考えると、ひょっとして海水中の有機物の中に炭素分が多すぎるのではないでしょうか。陸上の土壌と同じで、有機物の中に炭素が過剰に入っていると、腐敗するのではないでしょうか。腐敗菌が多い中では、弱って当たり前のような気がします。干潟があると、有機物を食べる動物が多く住み、炭素分を取り除いてくれているから海には適正な養分が補給されているのではないでしょうか。
 上々氏の意見も聞かせていただければ嬉しいです。
2010/04/12(Mon) 21:51 | URL  | guyver1092 #-[ 編集]
富栄養化
ちょっとこの手の話は不得意なんで見物をしておりましたが、富栄養化について。
海水の富栄養化は基本的にはNPK(窒素リンカリ)を指すものと思っております。
有機物の炭素も入る可能性はありますが、NPKだけでもいずれプランクトンや海草の異常増加につながり、それらの有機物が増加しますので、同様に赤潮青潮の原因になると思います。

それらの栄養分は流出肥料だけでなく、下水の排水などに由来しますので、流れ込む河川が多いほどその海域の富栄養化につながります。
ただし、外海に面している所は水が入れ換わりますので、栄養分が大量に流れ込んだとしても薄められるのですが、英虞湾のように流入河川が少なくても外海の海水との交換が少なくなれば富栄養化は徐々に進行するのではないでしょうか。

過剰な肥料施肥で、無機物のNPKが水溶性となり流れ込んだり、下水処理排水の中の無機物が流れ込む影響です。

なお、干潟となり動植物が増えてもそれが外へ持ち出されないと冨栄養の解消にはならないのではないでしょうか。

カキの養殖については栄養が多い方が成長は良くなります。ただし、流入河川上に住人が多い場合は排泄物の流入も避けられませんので汚染もあります。
細菌の場合は出荷前に清浄海水で洗浄ということもあるようですが、ノロウイルスの場合は洗浄しても落とせませんので、ノロ感染の原因になります。
2010/04/13(Tue) 08:32 | URL  | 上々 #-[ 編集]
上々様
 ありがとうございます。土と水とでは違うのですね。そういえば、水に流して有機物を浄化しようとすると、BODを下げるのにたくさんの水が必要だと何かで読んだ気がします。
2010/04/14(Wed) 19:46 | URL  | guyver1092 #-[ 編集]
>富栄養を通り越した過栄養
    guyver1092さん

 最近の guyver1092さんのコメントは、議論を本来あるべき本質的な方向へ軌道修正して下さいますね。

 槌田氏の表現と言う

>富栄養を通り越した過栄養

ってどの本のどの辺りに書かれていたか教えて頂きますか?
槌田敦さんらしい分かりやすい表現ですが、あまり記憶に残っていませんでした。

 確かに過栄養状態はかなり好ましくはない・・とは思いますが、徐々に生物が過栄養状態の栄養を分解できるでしょうし、上手くやれば、生態系を育む事も出来ると思います。

 過栄養状態よりも、化学物質による汚染のほうが深刻な環境問題であるでしょうね。
2010/04/14(Wed) 22:42 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
Re:富栄養化
    上々さん

>海水の富栄養化は基本的にはNPK

つまり海でも山でもNPKが基本と言う事ですね。・・言われてみれば「なるほど」・・ですね。

>NPKだけでもいずれプランクトンや海草の異常増加につながり

なるほど、N,P,K はそれぞれ無機物のままでも富栄養化と言うのですね??

 
 +  +++    +++++      +++++++

上々さん、一週間ぶりくらいのコメント、有難う御座います。
 guyver1092 さんの質問によって、上々さんからコメント頂けた感じです。

 年度初めの雑用などでお忙しかったのか、記事へのコメントも頂けなかったので、心配しておりました。
2010/04/14(Wed) 23:06 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
栄養とは
ここで言う富栄養化の栄養とは植物(藻類・プランクトンも含む光合成生物)に対する栄養と言う意味で、有機物ではなく無機のNPK(特にNP)を指します。
したがって、陸上であっても土壌中の栄養分と言う意味で、富栄養化と言うことはあり得ます。有機物肥料であっても植物が吸収する時は無機体になります。

一旦海や河川湖沼などの水圏に流入した栄養分は水の循環で運び去られない限りその場にとどまります。
プランクトンや海草がそれを使って成長しても枯死して分解すればまた水中の栄養分になります。
その過程で分解菌などが赤潮青潮の原因となります。

また干潟となって水辺植物や動物が繁茂したとしてもそれが圏外に取り去られない限りはまた分解して同じことになります。

このように、閉鎖的な水圏は栄養分流入に関してはわずかずつでも環境破壊につながることになります。

ただし、湖沼では流出河川の無い完全な閉鎖水圏がありえますが、海ではかなり入れ替わりにくいと言っても完全閉鎖はないのではないかと思いますが、詳しくは知りません。
諫早湾のように人為的に閉鎖という場合もありますし、流入河川の水量が少なく海流の影響も少ない湾状の地形の所は栄養分が溜まってしまえば下がりにくいのかもしれません。

****
若干忙しくはなっていますが、それほどではありません。
話題が口を挟みにくいものだったので黙っていました。
どちらも一理あるかとは思いますが、私は生態系も大事だが、人類の生存の方により興味があるという立場です。
2010/04/15(Thu) 10:40 | URL  | 上々 #-[ 編集]
植物にとっての栄養
    上々さん

 私は、生物と言うと動物の事を先に想起する事が多いです。人間も動物で、「栄養」と言うとどうしてもタンパク質や炭水化物などの有機物を想定してしまいます。
 植物の栄養と言えば、あくまで 
>無機のNPK
 なのですね。

>閉鎖的な水圏は栄養分流入に関してはわずかずつでも環境破壊につながることになります。

なるほど、その事についてはよく調べてみる必要があると思いました。・・・そう考えると「富栄養を通り越した過栄養」を緩和する為には 干潟などの植物や貝などをどんどん採って他の場所へ持って行って食べる事も干潟にとっていい事なのかもしれませんね・・・それこそ、人間が生態系の一部として循環に寄与している証ですね・・・そのような部分は積極的に関与して行ってもいいのかも知れませんね。


  +  +++    +++++      +++++++

>私は生態系も大事だが、人類の生存の方により興味があるという立場です。

 私も人類を離れた生物の生存環境のみを保護する方法を考察する積りは殆どありません。環境問題は人類の生存環境の問題であり、それが生態系の問題へと直結しているものでしょう。

 人類は生物の一種であり、生態系から離れて存在する事は出来ません。生態系の一部として上手く同化して生きていく方法を探るべきでしょう。いつからか・・・それほど遠くない過去から・・・人類は科学の力で、自然とは別の「人工」でやって行ける・・・と勘違いしたあたりから環境問題も悪化したのではないでしょうか?



2010/04/15(Thu) 23:01 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
下水処理
排水を処理しても無機NPは残ると書きましたが、一応現在は脱窒、脱リンを行なう工程・装置はあるようです。
いずれも水溶性の窒素・リン化合物を生物的にか、化学的にか沈殿させ固形化させて取り除くものと思われます。
とはいえやはり総量が大きくなれば排出量も増えると考えられますし、農業排水などで下水に入らないものは処理できません。

なお、富栄養化が問題となっているのは国内ではやはり大都市下流の瀬戸内海・東京湾・伊勢湾等のようですが、小規模な所では他にもありそうです。

瀬戸内海も流入量が少なければ毎日大規模な水の入れ替え(鳴門の渦潮がその反映です)がありますが、それ以上の流入があれば栄養分が多くなります。

栄養分は多すぎれば水質悪化になりますが、適度であればプランクトンの増殖と魚類の増殖につながり、「豊饒の海」の基になります。貧栄養海域は「魚も住めない」海ということです。
過ぎたるは及ばざるがごとしの適例です。

海域の魚類や水辺植物に栄養分を吸収させて収穫し、減らすというのはそれらの収穫物を圏外に運べれば良いですが、その場で食べたり、燃やしたりしてもまた元に戻りそうです。
やはり流入量をなんとかして下げること、適当な海流を確保できるような構造でしょうか。
2010/04/16(Fri) 08:53 | URL  | 上々 #-[ 編集]
Re:下水処理
    上々さん

>富栄養化が問題となっているのは国内ではやはり大都市下流の瀬戸内海・東京湾・伊勢湾等

これらの大都市下流の地域での化学物質による汚染はどんな状態でしょう?
 人工化学物質の下水処理はどのようになされるのでしょう?排出の段階でフィルター等で除去するのでしょうが、一端ばら撒かれてしまった人工化学物質は、生態系に取り入れられて分解するわけではないでしょうから、自然分解しにくいものなら半永久的に汚染物質となりますね。プラスチックやビニールなど、石油化学物質は大抵そうでしょう。このような物質による自然環境の汚染は極めて厳しい環境問題の現状でしょう。


>海域の魚類や水辺植物に栄養分を吸収させて収穫し、減らすというのはそれらの収穫物を圏外に運べれば良いですが

他ならぬ人間の利用ですから、かなりの部分が他に持って行っての利用になるでしょうね。・・でも折角過剰な栄養を外に持って行っても利用せずに人工化学物質と一緒にされて廃棄されては持続可能な社会にはなれないでしょう。
 栄養に関してはその場に還した方がいいのではないか?・・・と考えてしまうので、判断は難しいところでしょう。
2010/04/16(Fri) 21:22 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
物質分解
汚染の影響は分解し、生体に取り入れられる時にもっともひどく出ます。
象徴的なのは重金属などです。

分解されず、吸収もされないものは堆積して邪魔にはなりますが、有害性は低いものです。

合成化学物質でも分解されるものは徐々に減少していきます。

水域で特に問題となる無機物質の増加は、とにかく自然に流出できる量以上のものを入れないようにするのが一番ですが、人間が増えている以上食料は持ちこまねばならず、食べたものは出すのでその処理で無機物質をできるだけ減らせるかどうかですが、かなりの手間とエネルギーがかかるでしょう。

持続可能というならば、その場で生産された食品だけで生きていける人口しか養えないという究極の「地産地消」が限界です。
2010/04/17(Sat) 08:31 | URL  | 上々 #-[ 編集]
>究極の「地産地消」
    上々さん

>汚染の影響は分解し、生体に取り入れられる時にもっともひどく出ます。

これは、濃縮という意味だけではなく、重金属などの原子、分子の状態の事ですね?



>持続可能というならば、その場で生産された食品だけで生きていける人口しか養えないという究極の「地産地消」が限界

以前上々さん達と論じた人口レベル(・・現在より一桁程度少ないほうが理想的である事など・・)などのお話も、こ
のレベルの持続可能性まで考慮に入お話ですよね。河川や海は流入分があるから、それだけでは語れませんが、それでも上々さんの仰るところの

>究極の「地産地消」

を基本に食料政策を考えていくべきかと思います。 
2010/04/17(Sat) 12:41 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
過栄養
 最初に見た 本はどれか覚えていないのですが、「エコロジー神話の功罪」のp204~205にも記述があります。
2010/04/17(Sat) 19:00 | URL  | guyver1092 #-[ 編集]
路傍の石ころさん!!
    路傍の石ころさん
 
 コメントプロテクト掛っていない事をいい事に
御自分のコメントを沢山削除されましたね?
私などのお返事しか残っていないところが沢山あります。・・・その結果コメントの呼応関係が滅茶苦茶です。

 あなたの長いコメントに対して、時間をかけてお答えしてきたのに、御自分に都合の悪いコメントを削除するなんて酷くありませんか?
 今、私はあなたに怒ってます。

 これまでの路傍の石ころさんのしっかりしたコメントも色褪せます。あれほど、しっかり議論して私もいいコメントだと思っていたのに、いきなりこれは無いでしょう。
ここのブログを荒らしているのですか??

残りのコメントは削除しないで下さい。

 以後、このような事は絶対になさらないで下さい。
あなたのなされた行為によって、このサイトを閉鎖しようかと考えています。
2010/04/18(Sun) 10:20 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
「過栄養」の記述ヶ所
    guyver1092さん

 調べて頂き有難う御座います。
確かに
>「エコロジー神話の功罪」のp204~205にも
記述がありした。

 私も鉛筆で横線引いてチェックしてました(笑)

記憶が薄れていたようです。これを機に「エコロジー神話の功罪」も読みなおしてみようかと思いました。繰り返して読んでもなかなか読み応えのある本ですね。・・・槌田敦さんの本は全部読み甲斐ありますね。
 

 槌田敦さんの書物は金太郎飴状態で、かなり重複している部分もありますが、その重複している部分が彼の重要な主張ですね。

guyver1092さんの御指摘によって新たな発見もあって嬉しく思います。 
2010/04/18(Sun) 11:30 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
地産地消もう一度
「究極の地産地消」は食料政策ではなく、人口政策です。

昔、江戸時代は食料流通が貧弱であったため(政治体制もありますが)他の地域では食料が余っていても、地方によって不作のため餓死者が出ることもありました。
またその時代に戻そうと言うのですから、全く非人道的であり、実現性のかけらもない話なんですが、これをしなければ環境が守りにくいということなんです。

一応技術としては排水中の無機物質を析出させ取り除くこともできますが、相当エネルギーを使うはずです。

なお、食料が集まり水域が栄養過多になる日本の話ばかりをしていますが、食料を移出する海外の生産地では土壌中の栄養がどんどん減少しているはずです。
それを肥料で補っていくのも肥料原料の先行きを考えれば難しくなります。

食料の生産地に人間が移り住むと言うのができればかなり緩和されるはずなんですが。
2010/04/19(Mon) 10:33 | URL  | 上々 #-[ 編集]
Re:地産地消もう一度
    上々さん

 そうですね。人口が安定して、他の地域との食料などの物資のやり取りがなくてもやって行ける事が、究極の・・理想的な地産地消でしょうね。

>全く非人道的であり、実現性のかけらもない話なんですが、これをしなければ環境が守りにくいということなんです。

 上々さんのように、このような冷徹な深く掘りこんだ議論の出来る政治家、為政者が現在世界に必要だと思います。
人口をどんどん増やし、他の地域からの食料を当てにする・・・というのはかなり対症療法的であり食料人口問題を深刻なものにしますね・・・実際その方向に進んでいます。

>食料の生産地に人間が移り住むと言うのができればかなり緩和される

その通りでしょうが、既に人口が多過ぎて、それだけでは無理でしょうね。やはり人口は縮小せざるを得ないでしょう。
折角減少している日本の人口減少を止めて、子供を増やす・・・という少子化対策は世紀の愚策でしょう。
2010/04/19(Mon) 21:54 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
移住
食料生産地に移住と言う話は、無機の植物栄養分に関しての話だけで、その他のことは考慮していません。念のため。

肥料原料の枯渇の他に、水資源の減少も問題でして、北アメリカでは地下水を使い過ぎているようです。
現在の農業生産地でも人を十分に養っていける余力があるかどうか、不透明でしょう。

食料自給率のからくりもあちこちで話題になっていますが、今の見かけ上の自給率低下の要因の大きなものは飼料用作物(トウモロコシ)輸入らしいので、肉類の消費を少なくできればそれだけでかなり上がります。

一つ一つ、できるところから、「肉をあまり食べない」(特に牛肉)でもやっていきますか。
ちなみに私は現在かなりそれに近い状態で、たまに食べても鶏肉程度ですが。
2010/04/20(Tue) 10:17 | URL  | 上々 #-[ 編集]
Re:移住
    上々さん

>食料生産地に移住と言う話は、無機の植物栄養分に関しての話だけで

そうですか。無機の植物の栄養分・・・とは、原子に換算して・・という意味でしょうか?それとも無機質で存在している物質・・という意味でしょうか・・・

>北アメリカでは地下水を使い過ぎているようです。現在の農業生産地でも人を十分に養っていける余力があるかどうか、不透明

アメリカ(合衆国)などでは、かなりシビアな問題のようですね。化石水を使っているから、確実にその化石水である地下水は枯渇するでしょうね。・・・だから今のままの農業の在り方では、その農地は遠くない将来に不毛の地となり、砂漠化すると考えられていますね。

 農業政策に限らず世界の様々な政策はこのような付焼刃的な対症療法のオンパレードですね。


>食料自給率のからくりもあちこちで話題になっていますが

日本の農業も非常に大きな部分を石油に頼っているから、石油に頼っている部分も自給率から差し引けば自給率はもっともっと低くなる・・・という話もありますが、その点も考慮すれば、日本の食料自給率はもっと下がる・・・という話もあります。どうなのでしょうかね??


>できるところから、「肉をあまり食べない」(特に牛肉)でもやっていきますか。

日本人もすっかりアメリカナイズされて、(牛)肉を沢山食べるようになってしまいましたね!?


>できるところから、「肉をあまり食べない」(特に牛肉)でもやっていきますか。

そうですね。肉は結構食べていますが、無くても大丈夫ですね。鳥肉だけでも十分に美味しいですね。日本の食文化もアメリカ離れすべき時はもうとっくにやってきてますね。
2010/04/20(Tue) 21:21 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
植物栄養他
ちょっと余計なことを書いてしまい、混乱させたようで済みません。
植物は基本的にはほとんど無機物のみを栄養として吸収します。
有機物を肥料として与えても分解して無機体になったものを使います。
有機物を入れる理由は微生物や微小動物の栄養とするためです。
植物にとっては有機質肥料でもNPKの無機質肥料でも変わりはありません。
(若干は低分子有機物も吸収すると言う話もありますが)

Nは分解が進めば空気中に出ますが、特にPはそのままでは溜まると言うことです。その場で循環するのが良いのでしょうが、食料の移出入がそれに伴ってPKも移動してしまうことになります。

食糧自給率は石油が無くなれば全く調べるどころの話ではないと思いますが、一応、さらに低下するのは確実と思います。まあ輸入もできなくなれば自給率はかえって上がるかもしれませんが、その時何を食べるのかです。
農水省が以前に言っていたように、ほとんど肉類は食べられなくなってしまうでしょう。

「昔は良かった」というのは間違いと言う話もありますが、昔は魚をふんだんに食べていたわけでもありません。
一部の海に近い地域はともかく、大部分の日本ではそれほど口に入らなかったと思います。
肉も魚も食べられなければ、栄養は悪くなります。
2010/04/21(Wed) 11:50 | URL  | 上々 #-[ 編集]
究極の地産地消への移行・・
    上々さん

>植物は基本的にはほとんど無機物のみを栄養として吸収します。


そうでしたね。それは以前も御指摘された部分ですし、私も【本来のエコロジーとは】2010-04-17
の記事でも書いている部分です。

>有機物を入れる理由は微生物や微小動物の栄養とするためです。

でしたね。そして、生態系の循環を考える場合は、そこまで考えなければなりませんから、循環まで考慮した
>「究極の地産地消」
では、有機物の成分としての元素の量・・・という事を考慮するべきかもしれませんね。空気中に大量にあり、固定細菌で生態系にも取り入れる事が出来るNは置いといても、P,
Kは原子の量として、究極の地産地消を考えた場合、その地域に一定量存在しなければならないでしょうね。


>輸入もできなくなれば自給率はかえって上がるかもしれませんが、その時何を食べるのかです。

そうですね。やはり植物(穀物、野菜)中心になるでしょうね。
 そして、「その時何を食べるか」という事以前に、石油のドーピングを抜いた食料自給率を上げていくべきですね。
 農業で言えば有機農法や自然農法という事に自ずとなってきましょうか?


>「昔は良かった」というのは間違いと言う話もありますが、

どうなのでしょうかね?・・色々な観点がありますね。話は飛躍しますが、昔は地球全体としての環境破壊の恐怖に脅える必要はありませんでしたね。「昔は悪かった、世界はどんどん良い方向へ進んでいる」とは言えませんしね。
2010/04/21(Wed) 21:32 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
変換効率
穀物を食べさせて食用の肉を作り出す場合、牛で11倍、豚で倍、鶏で4倍の穀物が要るそうです。
穀物自体の生産量が減れば当然畜産に回せる量は少なくなるので、肉類の価格は高騰しあまり食べることはできなくなるでしょうが、これも経済競争ですので、強者は多く、弱者は少なくとなるでしょう。
畜産に回る穀物と直接人間が食べる穀物も競合しますので、トウモロコシの価格があがって、メキシコなどで暴動がおこると言う、この前もあったような事態が頻発するでしょう。

まあ、鶏肉を少しずつ食べるというところでしょうか。
魚も現在は養殖にしろ漁にしろ大量の石油を使っているので、それが高くなればあまり取れなくなります。(この事態もつい最近ありました)

イナゴやザザ虫を食べるためにも、無農薬栽培になりますか。

あまり昔の良し悪しを言っても仕方ありませんが、あえて言えば「昔も悪かったし、将来も悪そう。今が一番良いけれどそれは石油のおかげ」でしょう。
2010/04/22(Thu) 08:23 | URL  | 上々 #-[ 編集]
肉食
    上々さん

 食物連鎖に於いては、上位の生物、つまり、食べる方の生物は食べられる方の生物に対して、十分の一以下レベルでエネルギーは減っていく・・・と思っていました。だから、牛で11倍の穀物・・というのはそんなものかとも思いますが、鶏で4倍・・・というのは意外です。非常に効率がよく感じてしまいます。
>豚で倍
は、○倍・・・の数字の書き落としですか?・まさか2倍という事ではないでしょう?・・そんなに効率がいいとは思えません。


>畜産に回る穀物と直接人間が食べる穀物も競合しますので、

他の人を飢えさせても肉を食べたい・・というのが人間の本質なのでしょうか?・・・それともそこまで実際に気付かないシステム上の問題でしょうか?

>イナゴやザザ虫を食べるためにも、無農薬栽培になりますか。

そうですね。昆虫はかなり食べられますね。東南アジアでは普通によく食べているようですね。
 私はイナゴは何度も食べた事があり、好きですが、「ザザムシ」はどんな虫を指すかも知りませんでしたし、食べた事もないと思います。


>あえて言えば「昔も悪かったし、将来も悪そう。今が一番良いけれどそれは石油のおかげ」でしょう。
 

なかなか鋭い御指摘ですね。つまり、石油のエネルギーのおかげで現代人は、一瞬の(物質的)幸福を享受している・・・という事ですね。・・「石油」という人類誕生以前からの貯蓄を勝手に使いまくってるだけですね。未来の人々には「環境汚染」という付けを回しているだけですね。

 個人的には、現代より数十年前のほうが良かった部分が沢山あるように思います。第2次世界大戦は経験しなくてよかったですが・・。
2010/04/22(Thu) 22:40 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
見直し不足
書き散らしてすぐに投稿するので、見直しもろくにしておらず、申し訳ありません。
豚の変換効率は7倍です。

私の両親の出身は昆虫食で有名な長野県南部で、ザザ虫というのは川の石の裏に住むような虫のようです。
その他に、地バチの幼虫や、カイコの蛹なども食べるようですが、私が実際に食べたことがあるのはイナゴだけです。

昔、母の実家に行った時に叔母にこれくらい食べられなきゃいかんと無理やり食べさせられました。
まあ皮は固いけれどエビのようなものですね。

他の国の人を飢えさせても肉を食べる、というのは今までも、今でも実際にそうですね。
アフリカなどで飢える人がいると食糧援助とか言って送ればそれで免罪と思っている人がほとんどでしょう。
送る物が無くなればはじめて気がつくのでしょうか。
2010/04/23(Fri) 08:21 | URL  | 上々 #-[ 編集]
昆虫食・・等
    上々さん

 豚で7倍、鶏で4倍・・・という数字は結構驚きです。豚も鶏も体温を保ったり、自分の活動のエネルギーにも使い、排泄物にもエネルギーが残っている筈ですのに、食べた穀物の、それぞれ、7分の1、4分の1 のエネルギーが残っているって、生物の変換効率は素晴らしいなと感じます。(・・この「変換効率」が、カロリーベースなのか、質量ベースなのかはわかりませんが・・・。)


 長野県南部は昆虫食で有名なのですか!・・・私は昆虫がかわいそうだとは感じるものの、昆虫食には抵抗がないので、今度長野県南部を訪れて、色々昆虫食を試したいですね。・・・「昆虫食の会」のような団体もありますよね。

 上々さんもイナゴは食べた事がおありでしたか。・・私は高校時代、生物研究部が作ってくれた赤とんぼなどの天ぷらなども美味しく食べた記憶があります。

>アフリカなどで飢える人がいると食糧援助とか言って送ればそれで免罪と思っている人がほとんどでしょう。

アフリカが飢えるのは、欧米諸国などがプランテーションでコーヒー豆などの嗜好品を作らせて、穀物を作らせないのも大きな原因なのに、その、自給的農業をさせずにプランテーション化している現実には目をつぶって、小麦などの食料援助をするやり方は酷いですね。

  * ***    *****     ******



 上々さんのコメントは、新たな発見も多く、楽しみにしておりますので、ちょっとした書き落としなどは、後からでも訂正して頂ければ気になりません。これからも宜しくお願いします。
2010/04/23(Fri) 21:22 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
昆虫はどうも
イナゴはまだ良いんですが、それ以外は見ただけでだめです。

長野は今はそこそこ発展していますが、昔は農業には不向きで生産力がない土地柄でした。
魚もそれほど川では取れず、タンパク源がなかったんでしょう。
道路開発もマイナス面もありますが、30数年前に中央高速が開通し、名古屋から2時間足らずで行けるようになった時は夢のようなものでした。
その後はどこの店にも海の魚の刺身が並べられるようになりました。
その当時は、親戚の家のどこに行ってもその頃最高のごちそうであった刺身を出してくれました。
「日本列島改造論」を肌で感じた頃です。

肉類の変換効率の差は飼育期間の長さの違いと大いに関わっているものと思います。
まあ、牛は牧草で育てればあまり低効率は関係ないのですが、穀物飼料で育てているのが誤りかもしれません。
したがって、たぶんほとんど牧草を食べさせている、オーストラリアやアメリカの話と、日本の牛は違うのかもしれません。
2010/04/24(Sat) 09:23 | URL  | 上々 #-[ 編集]
昆虫食、肉食。
    上々さん

 大きく分類すると、昆虫はエビやカニと同じ節足動物ですから、幼少の頃から食べる習慣があれば、抵抗は無いのでしょうね。・・まあ、エビやカニほど美味しい昆虫がいるとは思えませんが・・。ザザ虫もネットで見てみましたが、食べてみないと、いけるかどうかはわかりませんね。

>肉類の変換効率の差は飼育期間の長さの違いと大いに関わっている

なるほど、そうでしょうね。それにしても鶏の4分の1は驚きの値です。・・・ブロイラーの鶏のことでしょうかね。

 上々さんの仰る通り、牛を人間の食料と競合する穀物飼料で育てるのは良くないと思います。やはり牧草で育てるべきだとは思いますが、過放牧では牧草地も草が根絶やしにされる危険もありますね。牧草地を作るために森林が伐採されているのも問題です。オーストラリアなどでも過放牧による森林破壊などはかなりシビアな問題だった筈です。やはり上々さんのおっしゃるように、肉食、特に牛肉は減らすべきでしょうね。牛は乳牛を中心にしたほうがいいのかもしれません。そして、乳牛を最終的に食べる・・でしょうか。豚には昔のように残飯を食べさせれば、残飯も片付くし、肉も食べられるから、悪くないかもしれません。鶏も卵をとって最後に食べる・・・でしょうか?・・・昔普通に行われていた方法のほうが優れてますね。

 川や湖や沼も用水路とか排水路とかでばかり考えるのは愚かです。多くの生物が棲みやすい環境の確保が大切ですね。川魚等の水生動物も大切な蛋白源です。川の生態系の破壊についてはしょっちゅう心を痛めてます。川や沼にも豊かな生態系を育みたいものです。

2010/04/24(Sat) 18:06 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
肉食
子供の頃か、もう少し年がいった頃に、動物を擬人化した漫画を見て、ライオンとウサギなどが仲良く暮らしているので、「ライオンは何を食べるのかな」と不思議に思ったものですが。

人間も雑食性とはいえ、やはり肉を食べるのが栄養摂取としては効果的であるのは間違いなく、現代の日本人の体位向上と病気に対する抵抗力増強はやはり肉食が進んだからだとは思います。

とはいえ、生産が困難になり、肉の供給が無くなってくれば仕方がありませんね。我慢してカイコの蛹やザザ虫を食べれるようにならなければ。
しかし、それも人口が多くなっているので、取り合いになるでしょう。農薬も殺虫剤は不要になりそうです。
2010/04/25(Sun) 09:34 | URL  | 上々 #-[ 編集]
やはり人口問題
    上々さん

 肉食というと、やはり喰う喰われるの関係、自然の厳しい掟を想起しますね。
 それにしても、食物連鎖の一番上にいる人間がこれだけ多いのは異常ですね。一体、人間より数の多い哺乳類、鳥類っているのでしょうか?・・・人間が食べる豚、鶏、・はかなり多いでしょうね。人間と、人間が食べる動物だけ異常に多いのも、生態系としてはかなり問題でしょう。生態系もほぼ定常安定系になる事が好ましいでしょうが、人間の活動により、大きくバランスを崩してかなり不安定でしょう。
 少子化などによる人口縮小政策をとらなければ、大変な事態を招くでしょうね。
 科学の時代と言いつつ、行き当たりばったりの対症療法的政策ばかり行っている人間社会は、理性が欠如しているのでしょうか?



 
2010/04/26(Mon) 06:50 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
人間の理性
人間に理性があるかどうかと言うと、部分的にはあると言うべきでしょう。
自分自身を省みても常に理性的に物を考えられているかと言うとそうでもありません。
本能的な欲望に捉われている時もあり、金銭欲、名誉欲、その他の社会的な欲望に捉われている時もあり、割合で言ってどのくらいでしょうか。

これは個人により相当差があり、客観的に見て私自身は結構理性的な時間が長い方と思いますが、それでもこの程度。
周囲を見回すと、ほぼ100%欲望だけと言う人が多いようにも見えます。
ここで偉そうなことをあれこれ言っていても、私も酒に酔っていたり、怒りに取りつかれていたら、何をするか自分でも自信はありません。

歴史上でも思想的に大きな影響を与えた哲学者・宗教家でも相当そのような欲望にさいなまれた時間もあったはずですが、幸いにというか、著作だけしか残っていなければその他の点は目につかないかもしれません。
その点、現代の思想家はすぐに私生活まで探られてかなりやりにくいでしょう。

ただし、個人では理性的な時間と非理性的な時間が交互に(割合はいろいろでも)訪れていたとしてもトータルな人間社会が理性的かどうかはまた別問題です。

どうやら欲望が実現できる機会が増えるほど社会全体として理性を無くしていくようです。
アメリカや日本の現状など見れば、その思いが強くなります。
2010/04/26(Mon) 10:42 | URL  | 上々 #-[ 編集]
社会的理性
    上々さん

 今回のコメントは、いつもと違ってかなり情緒的なものですが、何だか頗る共感してしまいます。
 私も色々な欲望があり、いつも理性的に考えている訳ではありません。感情的な部分は沢山ありますね。

>歴史上でも思想的に大きな影響を与えた哲学者・宗教家でも相当そのような欲望にさいなまれた時間もあったはずですが、幸いにというか、著作だけしか残っていなければその他の点は目につかないかもしれません

その通りだと思います。次第に理想化されていったのでしょう。いわゆる「カリスマ」は、空間的に、または時間的に遠い存在だからそのカリスマ性を保てるのであって、身近にいれば「ただの人」なのかも知れませんね。

>欲望が実現できる機会が増えるほど社会全体として理性を無くしていくようです。

的確な洞察だと思います。アメリカ、日本だけではなく、中国も、インドも・・多くの国でそんな状態でしょう。


>トータルな人間社会が理性的かどうかはまた別問題です。

 そこの部分を私は問題にした積りですが、人間が理性的でない部分が相当あったとしても、社会として物事を決めるときは、理性で考えなければならない・・と思うのですが、そこでも利己的なエゴむき出しになる場面が多く、社会的理性が機能していないのか?・・と、思ってしまいます。
2010/04/26(Mon) 21:21 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
社会的理性
(たまには、ちょっと哲学的なところもあるんだと言うことを見せたかっただけですが)

個人では理性的な面がかなりあっても社会を動かすのは理性ではないのが大半でしょう。
欲望だけの政策が支持されるのは、選挙民が選挙をする時には理性が働いていないからです。

私も理性を働かせているつもりですが、その下にある意識はやはり形を変えた欲望なのかもしれません。
なんとか人類の未来を少しでも悲惨なものから救いたいと言うのは欲望と言えば欲望でしょうか。

なんだか思考が堂々巡りになりそうです。
やっぱり哲学には向いていないか。
2010/04/27(Tue) 09:24 | URL  | 上々 #-[ 編集]
理性と欲望
    上々さん

>個人では理性的な面がかなりあっても社会を動かすのは理性ではないのが大半

なるほど!・・そうですね!社会的理性に多大な期待をするのは無理なのかもしれませんね。自分が漠然と社会に感じていた、理性と欲望の関係の事を明文化すると、こういう事になるのだな・・・と納得しました。
 上々さんの哲学的な部分、と言うか、情緒的な部分の感覚が私の壺に嵌ります。考え方が非常に近いと感じます。


>人類の未来を少しでも悲惨なものから救いたいと言うのは欲望と言えば欲望でしょうか。

そうですね。そこまでも「欲望」と捉えてしまうと(否定は出来ませんが・・)かなり認識の問題と言うか、哲学的な話になってしまうでしょうね。・・これを「公共的欲望」とでも呼んで、「エゴイスティックな物欲」と区別しないと社会問題の議論は出来ないでしょうね。

>思考が堂々巡りになりそうです。

哲学・・ってそんなものが大半なのではないでしょうか?・・などと言ったら哲学者に対する侮辱かな?

>たまには、ちょっと

こんな話もいいですね。上々さんの別な一面をちらりと垣間見た感じです。いつもとはまた違った味わいのある読み応えのあるコメント、有難う御座います。
2010/04/27(Tue) 20:21 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
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