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2008-02-21 00:03
 最近、環境問題は世界的な規模で考えなければならなくなりました。かつて、1970年代頃までのように、公害という局地的なものではなく、地球規模の環境問題に発展してきました。食糧問題、廃棄物の問題、異常気象、人口問題、森林、生態系・・・
これらは地球規模で見なければ全体像が見えません。
 
 だから環境問題は、完全に個人レベルでは、身近なエコ・・・マイ箸、マイバッグ、節約、省エネ・・・しか語られないのでしょうか?
 グローバルな問題に関して、一般庶民は対策も考えられないのでしょうか?

 地球規模の考察は確かに必要です。地球全体で繋がっているからこそ、グローバルに考えるべき問題も確かに存在します。・・オゾン層破壊、異常気象、水産資源・・・

 しかし、地球規模の問題でも、小さな地域だけの考察でも十分の場合、もしくは小さな地域を考察した方が地球規模でも考えやすい場合が結構あるのではないでしょうか?個人、地域レベルの話を地球規模の話に持って行ける筈です。

 基本は、地域ごとに持続可能な生活をしていくことを考えるのです。
 独立小地域が全て、他の地域に環境付加をかけずに、かつそのコミュニティ内で持続可能な生活を営んでいれば、昔のように地球規模での考察は必要ないでしょう。

 例えば食糧問題
世界の食糧生産の総量がどのくらいで、人口が何人だからどのくらいの生産が必要だとか言う話になるから、個人レベルでデータを用意できないし、考察も専門家任せになりますが、国家よりもずっと小さい小コミュニティ・・・小地域が、自給自足していればいいのです。小地域で地産地消すればいいのです。小地域だったら個人レベルでも必要な農地の広さも判断出来るし、論じることも出来ましょう。


 エネルギー問題も同様 
 よそからエネルギーを持って来る事を考えずに、地域でまかなえるエネルギーを使うのです。地域でまかなえないエネルギーは使うなって事が原則です。勿論有害なエネルギーは使うべきではありませんが、自分の地域で処理するつもりで、使う。と・・・
自分の地域で核廃棄物を受け取ってまで、原発をしたい自治体はまず出ないでしょう。補助金もつかないわけですし・・・

 その廃棄物問題
 集めて人のいない所に持って行くと言う発想だから、廃棄物がたまり過ぎたのです。どこでも廃棄物を引き取りたい自治体なんてないのです。・・・だからといって、人の少ない僻地に捨てるという発想は最悪でしょう。・・・そういう土地こそ、生態系が豊かで、水や空気も浄化しているのです。先進国の産業廃棄物を発展途上国に持って行って捨てるという発想も、ただの廃棄物の押しつけです。窮した苦肉の策でしょう。・・・捨て場がないなら廃棄するな!廃棄するなら作るな!が原則でしょう。
 グローバル化による国際分業と申しますが、塩素系化学物質や放射性核廃棄物のように、絶対に生態系に循環しない廃棄物をよその国に押し付けるのは、大きくモラルにも反するでしょう。


 はじめから地球全体の事を考慮するのは危険です。グローバルに考えると言うことは、ややもすると、環境問題を個人レベルで考えられない手に負えない物とし、政府や大企業、多国籍企業の都合のいいように扱われてしまうリスクがあります。事実現在はそう言う事だらけです。

 食料供給も、エネルギー供給も廃棄物処理も、先ずは個人レベルで個人の周りの小さなコミュニティーで考える事が基本でしょう。
 人間一人当たり、単位面積あたりで考えて、それで地球規模を類推する事は可能です。
 

その妨げになるのがグローバリズムという国際間の色々な交流です。国際分業、国際貿易・・・みんな持続可能な社会の構築の妨げになっています。・・・あるコミュニティが危機になった時は、援助するという意味では大切ですが、特別な危機の場合以外は、グローバルな物資の交流は、環境問題を先送りして、地球規模まで膨らましてしまうのです。勿論大崩壊も地球規模でやってくるのです。

 現在のグローバル化は環境問題の先送りと環境付加の押し付けあいを助長しています。
 環境問題の基本は、地域ごとの持続可能性で考えることです。
 グローバルな視点も大切ですが、ほとんどの問題は、ローカルな視点でも十分に考えられるのです。そして地域ごとに考える事こそ基本です。
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【2008/02/21 00:03】 | Economic Fascism トラックバック(0) |

自立のための鎖国
田中敬三
食料についてですが、中島正さんの『農家が教える自給農業のはじめ方』には、1人5aの畑で自給ができる、とあります。で、〔5a×日本人の人口〕分の可耕地は、日本にはあるんだそうで、分配さえうまくやれば、日本は100%の食料自給が可能、ということになります。単純計算ですけど。

班田収授法で、6歳以上の国民に貸し与えられた田んぼ(口分田)は、男良民に約2.4a、女良民に約1.6a、奴(ぬ)=男の奴隷に約0.8a、婢(ひ)=女の奴隷に約0.53aだったそうです。少ないですね。おそらく、田んぼとは別に、畑があって、そこで働かされていたのでしょう。
「貸し与える」と言っても、年貢はとられるのですから、「働かされる」との境界は、あいまいです。そのへんが現代で言えば、楽しみでやる畑仕事と、一部の産業界や政治家、教育関係者らが言う「徴農」との境界と、重なるわけです。

農業者は、圧倒的に「働かされる」という側面が強いのに、「自分の畑だ」という意識を持たされて、自発的に服従するしくみに、はめ込まれています。だもんで、わたしみたいに、「楽しくなければ畑でない」なんてちゃらんぽらんなことを言う人間に対して、敵意むき出しになる人、多いです。こういうの、わたしは、「小地主根性」と呼んでいるんですけど。「ごやごちゃ言わんで、働け」と言うのは、100%地主か地主の代理人です。

何にしても、日本人で、農業をやりたいと希望する人が多数派になるとは思えないので、自給的農業を目指す人が土地を見つけられなくて困る、という事態には、今後もならないだろうと思います。

エネルギーについても、廃棄物についても、雑草さんのおっしゃるとおりだと思います。
各国が鎖国をすれば、かなりの問題は解決すると思います。鎖国して、民族自決にして、それでどうにもならなかったら、それがその国の運命だと思って、あきらめるしかないでしょう。少なくとも、外国人が勝手な価値観で引っかき回すよりは、ましです。
飢餓の問題も、その原因には手をつけないで、自国の余った農産物を「援助だ」と言って送るだけでは、ますます自立できなくなります。貧しい国に金を貸して、ますます依存させるような開発をやらせるのは、やめるべきです。返済を迫ったり、利子をとったりするなど、問題外です。

それと、ジェット機は、ぜひ禁止にしてほしい、と思います。オゾン層を破壊するんですよね?ジェット機って。

自立の為の鎖国に賛成です。
雑草Z
    [太字]田中敬三 さん

 今こそ日本も鎖国をして、自給自足を目指すべきでしょうね。突然は無理でも、数年かけてそうするべきです。そういう荒治療しないと、将来、食料が入って来なくなったときに、パニックになるでしょう。農水省のように、10年で、食料自給率を45%に上げるなどというふざけた事を云ってるようでは、話になりません。10年後にどこの国が日本に食料を輸出してくれるでしょうか?日本に飢餓が来る日も近いと感じてしまいます。

 キューバも、換金作物のサトウキビなどを作っていたのにソ連の崩壊と共に、アメリカに海上封鎖され、鎖国状態にされ、食糧不足の危機に立たされましたが、カストロ政権の頑張りで乗り切り、それによって自給自足の出来る社会に生まれ変わりました。

>自給的農業を目指す人

が増えて欲しいものですね。そういう人に農地が使える制度を確立するべきですね。

>自国の余った農産物を「援助だ」と言って送るだけでは、ますます自立できなくなります。貧しい国に金を貸して、ますます依存させるような開発をやらせるのは、やめるべきです。

 は、正におっしゃる通りだと思います。ODAの実態は、酷いものです。金儲けと経済支配の為の援助ですね。

 
 ジェット機の撒く排気ガスのほうがCO2よりもずっと温暖化の原因になるのではないかと、槌田敦さんは言っておられます。

 食糧自給に関して非常に参考になるコメント有難う御座います。

江戸化しなさい。
ハイパーポン太
 江戸社会は、実は高度な循環型社会であったという話を聞いたことがあります。先人の知恵を借りるのも悪くないんじゃない?と思います。完全な循環型社会は無理なんですけどね、でも見習うべきところは多数あると思う。
 だから、江戸化社会(もちろん、将軍様指導の幕藩体制をやれと言っているわけじゃない)を目指すというのならば、鎖国は賛成ですね。というか、食料自給率は、やはり上げておくべきだと思いますよ、私は。どこの先進国だって、万が一に備えて食料自給率の向上に努めているわけだし。下手すれば、いつ北朝鮮を笑いものにできなくなるかもしれない状況なんですから、日本は。食料自給率が低いと、「将軍様」の国の仲間入りになっちゃうかも。
 かの国を見習って(笑)工作員の育成や麻薬や偽ドル札の製造技術を学んでも、仕方がありません。

日本は北朝鮮よりも食料自給率は悪いのです
雑草Z
    ハイパーポン太 さん

 日本より食料自給率の悪い国は、ルワンダなど最近まで紛争をしていた貧しいごく一部の国だけです。(まあバチカン市国とかもだと思いますが・・)だから、現在日本に食料が全く入ってこなくなったら北朝鮮よりも悪い状態になる可能性は大ですね。

×××× ×××× ×××× ××××

 『鎖国』という言葉を使っている事からも、記事の内容からもお分かりのように田中敬三さんのコメントは、江戸時代の鎖国も踏まえてのコメントである事は明らかです。
 食料に限らず何でも自給自足出来た江戸時代は持続可能な社会のお手本によくされますね。このブログでも何度か触れていたと思います。その意味で、現代日本よりずっと優れていました。田中さんはその辺お詳しいかと思います。

それは知らんかった…。
ハイパーポン太
 あの「将軍様」の国で行われている「主体農法」というアホな農業政策(密植すれば収穫量が上がると錯覚している)を見ていると、とてもではないが、食料自給率が日本以上とは思えませんでした。しかし、北朝鮮よりも自給率が低いというのは、笑い話にもなりませんね。いい加減、持続可能型社会を目指して政治家の皆さんも活動してほしいんですが。少しキューバに勉強しに行け(笑)。有機農業である程度成果が出ているから。

日本の食糧政策はあまりにとほほです。
雑草Z
 早晩、日本に食料は入って来なくなるでしょう。その時にキューバみたく耐えて自給自足を達成出来るか・・・?ってやるしかないわけです。だから今から備えるべきです。
田中敬三 さんのおっしゃるように、自給的有機農業をやる人間が増えるのが望ましいと思います。

 私が調べてみたいと思っている事は、日本と北朝鮮の食糧自給率の出し方です。一人当たりの必要なカロリーの量も、北朝鮮のほうが必要最小限に抑えてあって少なめに考えられているのでは?・・って言うよりも日本の食料自給率は、捨てられた分も消費したとカウントしているんのかも知れません。・・だから、日本の実質の自給率は少しは上がるのではないかと(捨てて無駄にする事は、ほめられた事ではありませんが・・・)カロリーベースでも自給率の計算の仕方は、調べてもなかなか載っていません。

 まあ、それでも中国の農薬入りの食品をバッシングしているより、自国の自給率を高める努力を一刻も早くすべきでしょう。  


sitb
江戸時代化は確かに必要だと思いますが、今の人口では不可能だと思います。今できてかつ効果がありそうなことは世界の人口を減らすことだと思います。
そのために、鎖国ではなく世界政府作って人口政策をしたほうがいいと思います。
まあ、無理でしょうね・・・。人一人の価値は国ごとに違いますから。

人口問題は環境問題の中心です。
雑草Z
 日本の現在の人口でも

>分配さえうまくやれば、日本は100%の食料自給が可能

と言う事が、上の田中敬三さんのコメントに書いてあります。私もそれは不可能ではないと考えます。、
 しかし、環境負荷の小さい自給的有機、自然農業をしても、やはり1億以上の人口を養うには、森林伐採など大きな環境負荷を伴うでしょう。
 
 だから、人口は減らさなければなりません。江戸時代並みの3000万人くらいの人口がいいのかもしれません。

 現在の少子化のペースで人口を減らすのでもペースが遅すぎると考えますが、日本は少子化対策と称して少子化を止めようとしているから愚の骨頂です。だから、鎖国でもすれば、勿論、人口を減らさなければならなくなります。勿論工業優先から農林水産優先になるでしょう。
 そういう意味でも鎖国をしたほうがいいと議論しているのです。・・・勿論現実問題として、クリアしなければならない問題が沢山有ります。

sitbさんの言うように、世界で人口抑制を推進していく事も必要になるでしょう。

 このような事についてはこのブログで散々描いています。
カテゴリー【食料と人口】などを見てください。
 


sitb
コメントありがとうございます。

カテゴリー【食料と人口】見てみます。

世界政府に反対します
田中敬三
sitbさんの

> そのために、鎖国ではなく世界政府作って人口政策をしたほうがいいと思います。

というご意見について、「鎖国を!」と言い出した責任者として、一言言わせてください。

世界政府っていうのは、内政干渉を国内問題に矮小化する運動です。別の言い方をすれば、強い国が弱い国を全部併呑する性格を持つ運動です。で、「低開発国の人口を減らせ!」というのは、低開発国から地力やヴァーチャル・ウォーターや労働力を収奪しているわたしたち高開発国の利益を維持させようとする、エゴイスティックな主張なのです。

人口というのは、現状でも、食料の配分のし方によってコントロールされているのですよ。穀物商社の都合で、人口をふやせだ、へらせだと、いじりまわすのはやめてほしいと思います。また、利害者の息のかかった情報操作にのせられて、他国の人口をどうしろだのと、軽率な発言をするのも、どうかと思います。
低開発国で、人びとの貧しさや無知につけこんで、荒っぽい断種手術や、避妊薬の皮下への埋め込みがおこなわれていますが、子どもを産み育てる男女にとって、自発的でない人口抑制策は、すべて犯罪的であると、わたしは感じます。
戦争を起こして人口を減らせ、などと言うのは、論外です。

ですから、プランテーションは引き上げてもらって、自給的な農業に転換してもらって、あとの国の運営は、その国の人たちに任せなさいと、そういう意味で「鎖国を!」と言ったわけです。
かの国のことは、かの国の人たちにまかせる、というのが、一番いいのです。かの国のひとちにまかせて、うまくいかなかったら、それは、その国の運命ですから、しょうがありません。それでも、他国の勝手な都合、勝手な価値観でいじくりまわすよりは、はるかにましなのです。

かの国の人たちが自治をすることができるように、わたしたちは、かの国から収奪することをやめなければなりません。
日本で生産できる農作物は、国産品でまかないましょうよ。バナナやコーヒーやチョコレートなんか、食べなくたっていいじゃないですか。

あとですね、日本国内で食料自給がむずかしい最大の理由は、農地が足りないからではなくて、農業をやろうとする人が圧倒的に少ないからです。
耕作放棄地は、いくらでもあるのですから、自給することの大切さに気づいた人から、田舎へ引っ越していって、自分の家族が食べる分ぐらいの食料生産をはじめればいいのです。政府は、このような自給的な小規模農業をはじめたい人に、農地を使わせることを、許可するべきだと思います(現在は、きびしく制約されています)。


sitb
>田中敬三さん
丁寧なコメントありがとうございます。

なんと言うか、ここにコメントされてる方々の価値観にはすごく共感できます。

知識も僕より圧倒的に多いみたいです。

コメントしながら、問題意識が強くなったのですが、良く分からないと言うのが正直なところです。

考えるだけじゃなく何か行動することで見えるものというのもあるのでしょうか?

花より団子?
おかっぱ頭
 小さな事に気を取られて大きな事が見えていない、という事よくありますが、環境問題は現在地球規模になり、深刻さが増せば増すほど逆に個人の力ではどうする事も出来ないのではないかという、何か他力本願のような意識が無きにしもあらず、なのではないかと思います。成長の名の下に破壊を推し進めている当事者達も、事が長引き複雑化する程、責任の所在もうやむやになり、悪化の一途を辿っていると思います。
そういう時こそむしろ足元を見つめる事、大切ですよね。
 食に限って言えば、田畑が無いから何も出来ないと言うのは違うと思います。それこそ植木鉢1つの土から物事は動いて行くのではないかと。
 公園や道端など「花いっぱい運動」なるものを行っている地域を沢山見かけますが、最近この土の使い方が勿体無いなと感じるようになりました。鮮やかな彩りに却って人工的な物を感じますし、枯れておしまいですよね。
代わりに野菜の苗を植えてみたらどうでしょう?勿論各家庭でも積極的に!簡単な物からでいいと思います。
野菜の花は可憐で美しいですし、収穫の喜びも体験出来ます。地域で育て、収穫し、食する。とても素敵な事に思えます。
 近年都市部の小中学校でも、校庭の隅に畑を作り野菜を育て、給食の食材にしている所が増えているとか。広がって行って欲しいと思います。

世界政府でなくとも、人口抑制の合意を
雑草Z
田中敬三さん そして、sitbさん

 田中敬三さんの<世界政府に反対します>のコメント内容
には大筋で賛成いたします。なかなか本質を突いた議論だと思います。

>プランテーションは引き上げてもらって、自給的な農業に転換してもらって、あとの国の運営は、その国の人たちに任せなさいと、そういう意味で「鎖国を!」

の通りだと思います。

 世界政府とは現在の国連が常任理事国、特にアメリカの自国の利益の為に動いているのをもっとずっと強固にした感じでしょう。
 まあ、でもこれは国と地方自治の関係のようなもので、世界の大筋の合意と言うものは必要になるかと思います。
 つまり【人類存亡のパラドックス・・・だから人類は滅びる。】http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-262.html
で述べたように、各国が鎖国しても、強い国は、軍事的、経済的にいつ占領にやって来るかもしれません。だから地方自治(=国の自治)を認める必要最小限の世界政府みたいな組織の合意(=何らかの抑止力)は必要でしょう。

 それから、
>自発的でない人口抑制策は、すべて犯罪的である

は、賛成しかねます。どの程度を自発と呼ぶかにもよりますが、自然に任せると、食料などのキャパいっぱいいっぱいに人口は増えるものですから、危険です。
 世界の先住民の多くや江戸時代の人々などは、人口増加の危険性を十分承知で、色んな人口抑制策をしていたようです。それらそれぞれを自発性と考えるか、強制と考えるかによっても違いますが、人口抑止策は、
動物の中で一人勝ちの人間には必要な自制措置でしょう。

 自然に任せては、めいっぱい増えて、餓死・・と言う事になる危険性がかなり高いと思います。実際に、現在もそういう国や地域は沢山あります。どこかの若い新知事のように子沢山を誇り、少子化対策するのは愚の骨頂と考えます。・・こういうのが目先の対策の典型でしょう。

 やはり、一人の女性が一生に産む子供の数は制限する方向に行かざるを得ないと思います。

 産まれてから餓死するとか、戦争になる前に産むなと言う事です。60億の人口は十分に圧力があります。
CO2削減なんて事より切迫した問題です。

 環境問題は、全ての人口の環境負荷の総計ですから。 

団子の花?
雑草Z
    おかっぱ頭さん

>環境問題は現在地球規模になり、深刻さが増せば増すほど逆に個人の力ではどうする事も出来ないのではないかという、何か他力本願のような意識が無きにしもあらず

 そう、その表現こそが、私が上の記事を書いた動機付けとしてぴったりの理由ですね。上の本記事の最初のほうにこの文を挿入したいですね。宜しいでしょうか?(笑)

>それこそ植木鉢1つの土から物事は動いて行くのではないか

 ソ連が崩壊してキューバが危機に立たされたとき、この発想で頑張って、カストロ政権下のキューバは食糧自給自足を達成したのです。大切な発想です。

 私も今年は 田中敬三 さんと おかっぱ頭 さんに啓発されて、作物を少々作ってみようかと思います。・・・自然農法の基本、田中さんが命名するところの「植えっぱなし農法」・・果実の樹などを植えっぱなしにして・・勝手に実がなってくれる・・は既に実践していますが(笑)。・・

 今年は小さな畑作でも取り組もうかと・・・実はつい先日、町の「農業に関する相談会」とか言うのに顔を出しました。お年寄りばかりで相談内容も違う感じがしたので、抜け出そうかと思ったら、「あんたは何の相談だい?」って他の相談に来ていた方に聞かれたので、「将来的に小さな農地をお借りして、自分で食べるものくらい作ってみたいと・・」と答えました。すると、そこに来ていたみんなが、
「そういう人が必要だ。ここに来ている他の相談者はみんな農業のやり手がいない農地をもてあましているものだらけ・・ただ同然でも土地はお貸しします」・・・と。
 これはこの上の田中敬三 さんのコメント

>日本国内で食料自給がむずかしい最大の理由は、農地が足りないからではなくて、農業をやろうとする人が圧倒的に少ないからです。

に呼応してますね・・。(笑)


 おかっぱ頭 さんのコメントに戻りますが、

>公園や道端など「花いっぱい運動」なるものを行っている地域を沢山見かけますが、最近この土の使い方が勿体無いなと感じる

は、私も全く以って同感です。除草剤で他の草を除草してから花を植えるなんてとんでも御座いません。ならば、雑草を生えっぱなしにさせておいたほうがよっぽどいいでしょう。
 そして、

>花より団子

で、野菜の苗など食べられる食物を植えるのに賛成です。
誰が手入れするとか、誰が食べる権利があるとか、ちょっと考えなければなりませんが(笑)

>地域で育て、収穫し、食する。

 いいですねぇ!是非ともそういう事したいですね。早速、町に提案したいですね。土建行政でなく、そういう行政がいいですね。出来れば鉢植えでなく、直接地面に植えたいですね。つまり、道の両端くらいは土を残して欲しいですね。

>野菜の花は可憐で美しい

私もそう思います。花いっぱい運動の大きな単一の花なんて見る気がしませんが、野菜や雑草の小さな花は、可憐で美しいものが多いし、今の子供達にはそちらのほうが新鮮でしょう。食べられる植物の花は「団子の花」ってとこですね。(笑)

学校帰りに道端で

>収穫の喜びも体験

なんて素敵ですね。

  私が育った岩手県の田舎では、通学路は田んぼや畑や林や農家沿いの細い土の道でした。途中に桑の木があって、帰りに口を真っ黒にして食べましたし、栗の木もあって2,3回拾ってくると母が栗ご飯を炊いてくれました。あとで考えると誰かの土地のものだったかも知れませんが・・・小学校帰りに収穫できるのは頗る魅力的でした。
 こういう地域にしたいものですね。

自給第一
田中敬三
雑草Zさん、

人口が爆発的に増加したのは、自然法則ではありませんよ。自然状態では、食料―生物―天敵の相互作用で、一定のバランスで安定するものなのです。現在、人口が爆発的に増加しているのは、自給的食料獲得をする社会が壊されて、ドーピング生産された食料をあてがわれる社会に変質させられた地域です。
開発・開拓のイデオロギーを押し付けられた人びとは、自己完結した自給者から、消費者・労働力という、他に依存しなければ生きていけない、不完全な存在におとしめられました。
で、自給的社会では、長年かけて、自然圧のバランスに適応した、人口調整の文化を形成してしてきました。それに対して、開発・開拓イデオロギーの植民地経営では、人口調節のやり方が、めちゃくちゃぞんざいです。つまり、飢餓が発生するにまかせています。
そして、その飢餓さえも、さらなる開発の口実につかわれます。緑の革命を思い出してください。結果は、塩類集積などで多くの耕作地は放棄され、砂漠化に拍車がかかりました。

低開発国の人口は、現在でも調整されている、と言うことができます。穀物商社の利益が最大になるように、穀物の価格が調整されているからです。
そんな中で、断種手術や長期有効な避妊薬の皮下への埋め込みなどの人口抑制策が、人類の希望であるかのように言うのは、本質的な問題から目をそらさせる役目をはたすことになります。ちょうど、実用化されるかどうかわからないような「新エネルギー」が、まるで人類の救世主であるかのような幻想を、得意顔で言いまわっている人たちと同じようなものです。

「人口爆発」という概念のルーツ、『成長の限界』を発表したローマクラブをいう組織が、どのようなスポンサーによって運営されているか、考えてみてください。そのような人びとに感情移入しても、しょうがないんじゃないかと、わたしは感じます。
シカゴの穀物価格に合わせて、産む子どもが多いの何のとけちをつけられて、為政者のポーズとしての人口抑制策で体を傷つけられる、まずしい人たちの気持ちも、想像してみてほしいです。そんな、たいしてカロリーを消費していない人たちを減らすよりも……(以下自粛)。

人類の危機に、安易な特効薬はありません。でも、どっちへ行ったらいいのか、そのおおまかな方向は分かっています。それは、開発・開拓をやめさせ、森林を回復させ、プランテーションをやめさせ、自給的な食料獲得のやり方を復興させることです。

自給的な食料獲得はここの主張でもあります(笑)
雑草Z
    田中敬三 さん

 表現が誤解を招いたようですが、

>自給的社会では、長年かけて、自然圧のバランスに適応した、人口調整の文化を形成してしてきました。

 そのとおりだと思います。当方は、

>自然に任せると、食料などのキャパいっぱいいっぱいに人口は増える

 と書いたのは、まさに緑の革命など食糧増産して生存環境がよくなれば、人口も増えるということです。だから同じ事をいってると思います。
詳しくは、
【食料増産の前に人口止めよ】とか【緑の革命がもたらしたもの】その他カテゴリー【食料と人口】に書きました。その上で敢えて、動物の中で一人勝ちの人間には自制措置が必要だと申しております。
 それもカテゴリー【食料と人口】に書きました。
http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-category-8.html

 所用のため一旦ここで続く・・にさせて戴きます。
この部分の議論は、面白いかと思いますが、案外かなりの部分で同じ主張している気がいたします。
今回の田中敬三 さんのコメントのタイトル

>自給第一

 もこれまでこのブログで繰り返し主張してきた部分です。

 上のおかっぱ頭さん へのご返事の部分も田中さんのことに触れていますので、お読みいただければ幸いです。
 ではとりあえず、一旦終えます。

しつこくて、ごめんなさい
田中敬三
わたしが言いたいのは、人口爆発は自然現象ではない、ということです。自給的食料獲得の社会を破壊されたことによる、人災なのです。低開発国の食料は、自給しなくなったことによって、増加しました。つまり、人口爆発は、人為的に引き起こされた現象なのです。

今現在、生きるか死ぬかの境界線上にいる人たちは、世界に億単位でいます。で、そういう人たちをかかえる国は、食料の自給をしていなくて、外国から穀物を買っています。
穀物は投機の対象でして、これを寡占する商社は、ちょっと倉庫に隠すだけで、倍ぐらいの値段にすることなんか、簡単にできるのです。値段を倍にされたら、半分の量しか買えません。生きるか死ぬかの境界線上にいる人たちは、死ぬしかないのです。

低開発国の人口は、穀物の値段によってコントロールされています。低開発国における人口は、プランテーションや工場の労働力として、あるいは、食料および工業製品の消費者として、場合によっては兵力として、必要とされています。
安定して人口を供給するために、飢餓は存在します。温泉のお湯をきれいに保つために、かけ流しにするようなものです。

世界の総人口が100億ぐらいあっても、それで持続可能ならば、それでいいではないか、という議論もあると思います。でも、その人口をコントロールする方法が飢餓では、スマートではない。それで、人口抑制策を、という話の流れになったわけです。

わたしが「自給第一」と言う理由は、一つには、人口抑制策というのは暴力だ、という認識があります。自分たちの意思でふえたわけでもないのに、なんで危険な手術を受けなくてはいけないのですか。
たとえばインドに行って、インド人に向かって、「すでに世界の6人に1人はインド人です。これ以上インド人ふえると、将来、食べものの奪い合いで戦争になるといけませんから、今のうちに玉を抜いてください」って、言えますか?

自給的食料獲得の社会では、もっと少ない人口でバランスがとれていたのですから、そういう社会にもどせばいいのです。そのためには、プランテーションに引きあげてもらう必要がありますし、森林が回復する必要もありますし、人びとが、自給的な生活技術をとりもどす必要もあります。
そういった社会変革の結果として、ある水準で人口が安定してくるのだと思います。もちろん、飢餓もへってくると思います。

人口抑制策は、社会を変えるための、あるいは人類の危機を回避するための、有効な方法でもなければ、倫理的に優れた方法でもありません。それぞれの国が、それぞれに自給を目指す、というのが、グローバルな視点から考えたときの、一番いい方法なのです。

しつこくても構いませんが・・ステレオタイプの想定での議論はお門違いです
雑草Z
    田中敬三 さんの
 02/27(Wed)の2つのコメントに対してお返事致します。
人口爆発は、いわゆる先進国から先に始まって、それらの先進国と接触した、彼らが勝手に未開国と呼ぶ地域に広がりました。

上にご紹介した【食料増産の前に人口止めよ】にも

>先住民が原始的な生活をしている分には、人口爆発はありませんでした。
 >事実、そのような国が植民地化された事や、自国の経済の為に利用してやろうと言う先進国との接触が人口爆発の原因でしょう

と、はっきり言及していますが、読んで戴けなかったようですね?。 

>人口爆発は自然現象ではない、ということです。自給的食料獲得の社会を破壊されたことによる、人災なのです。

などという事は踏まえた上での議論です。
よくあるステレオタイプの「貧困が人口爆発の原因」みたいな典型的な、先進国の身勝手な議論はしておりません。
 
>人口抑制策というのは暴力だ、という認識

 は、先進国が途上国に行っている事に対するものでしょう?
私は、人口増加率が小さくなってきた先進国は、実は、途上国よりも先に人口爆発したから、そちらこそ減らせ・・・と主張しているのです。勿論、先進国と接触して、人口爆発している途上国も自ら止めるべきです。
 田中さんの議論は私の議論に対する反論ではなく、よくある、「人口爆発している最中の途上国の人口を抑制せよ・・・」というステレオタイプの議論に対する反論ではありませんか?それを先進国を含めた全体の人口を抑制せよという私の論の反論に使っているのです。一面的な反論です。

 このブログは以前より、国家よりも小さな地域での食料自給を主張しています。それも、化学肥料や農薬のドーピングのない農業でです。(ドーピングという言葉もずっと以前より使っています・・・農業などに対するドーピングという言葉は、私のオリジナルだと思っています・・・他に使っていた方はいるかも知れませんが・・・笑)だから、自給率100%を超えるという、いわゆる先進国でも、ドーピングがあるからこそもっと人口を減らすべきだと考えています。

 先に述べているように、環境負荷、エコロジカル・フットプリントは、
〔環境負荷の全人口の総和〕です。・・言い方を変えれば
 〔一人当たりの環境負荷の平均〕×〔人口〕です。現在持続可能なレベルを超えています。

 私は自然法則とは書いてませんが、

>食糧増産して生存環境がよくなれば、人口も増える

田中さんは、これを否定するわけですか?いわゆる先進国の人口爆発はこれが原因だと思いますよ。 
 日本の明治維新後の人口爆発もこの典型ではないですか?

 各国に食糧自給を任せるのは私も基本だと言っています。しかし、人口爆発して、人口圧が高まると他の地域から搾取しようとするでしょう。ゲルマン民族の大移動も、寒冷化による食糧不足で南下したのです。
 仮にこれから先、日本が食料自給自足を達成しても、中国が工業優先策を続けて食料不足になったら、食料を奪いに日本に攻めてくるかも知れません。アメリカより国力つけるかも知れないし・・・

田中さんはしつこく

>荒っぽい断種手術や、避妊薬の皮下への埋め込み

とおっしゃっておられますが、そんな事は言ってもいないし、必要もありません。人口抑制策は先進国自ら行えといっているのです。中国の一人っ子政策のように・・・まあ、これは不完全でしたが、日本の少子化対策=少子化を防ぐ・・のほうが愚策です。
 いわゆる先進国は安全な避妊方法など沢山あります。
 勿論その上で、田中さんも言うように、先進国が勝手に途上国と呼んでいる国に対して

>開発・開拓をやめさせ、森林を回復させ、プランテーションをやめさせ、自給的な食料獲得のやり方を復興させる

 事でしょう。
人口が増えすぎて人口圧が強くなれば、残酷な人口抑制策も表れてくるでしょう・・・その前に意図的に人口を抑制せよ・・・と主張しているわけです。

自然の摂理を感知している、飽食をしない昔の先住民ならいざ知らず、現在の世界の人間は、余裕があっても人口は増えます。途上国のように生活が苦しくて増えている例もありますが、食糧が豊富にあって生存環境がよくても、人口は増えるのです。そこを「自然増加する」と表現したわけです。
かつてのヨーロッパ、アメリカ、日本・・・それから現在のBRICs諸国の人口爆発は、それが原因だし、これは生物の増加の基本要因です。・・否定は出来ません。田中さんは、途上国の人口爆発だけに目を向けているのではありませんか?・・だから議論の食い違いと申しております。

何度も申しますし、以前にこのブログでも何度も言及していますが、

>それぞれの国が、それぞれに自給を目指す

は、同意するところです。

 しかし、基本的に人口圧は、大きな環境問題だから、人口が多い事を賛美するべき事ではないし、これから沢山の人口が地上に存在する為には、時間をずらせ!と主張しているのです。

【より多くの人間が地上に住む方法】http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-263.html
生物学的に一人勝ちしている人類は、孤島で増えすぎたねずみのように食料不足と環境悪化で滅びてしまう危険性が高いから、理性で人口抑制すべきだと言っているのです。

人口を減らせば問題が解決する、と思うのは幻想
田中敬三
わたしも、どこの国の人口を減らすか、という議論は、したくありません。アメリカ人はインド人の20倍のエネルギーを消費していますから、インド人を減らすよりも、アメリカ人を減らしたほうが、自然環境のためには、効率がいいでしょうとか、食料で言えば、菜食の人よりも、肉食の人を減らしたほうが、効率がいいでしょうとか……てなことを言っているのではないのです。人口爆発というのは、人為的につくられている現象なのですから、それに乗せられて、食べものが足りなくなるだの、何だのとわわげばさわぐほど、そういう現象をつくる人たちの思うツボだと思うのですよ。

アメリカの民主党が原発容認に傾いたり、いわゆる「エコ」な新産業が興ってきたりして、その流れで、アル・ゴアやIPCCやその亜流みたいな人たちが温暖化二酸化炭素原因説を流しているんだと思うんですけど、それと同じように、人口爆発というのも、ただ食べるだけの人間ではなくて、自動車とか家電製品なんかも消費してくれるような層が拡大してくれることを望むような産業界が、ローマ・クラブなどをとおして流している戦略的情報なのではないかと、わたしは思うのです。タイミング的には、「成長の限界」の発表より、緑の革命のほうが10年ぐらい早いですから、ある意味、ローマ・クラブのほうがあと追いかもしれませんが、緑の革命の失敗を見定めてから、おもむろに言い出した、という面もあるかもしれません。

伝統的な自給的食料獲得の社会を壊されて、開発・開拓の思想に罹患した国では、人口は、現実的には食料(増やす)と飢餓(減らす)の加減でしか調整できなくなっています。そして、食料は、穀物メジャーが握っています。穀物メジャーは、低開発国への食料援助を積極的におこなっています。買うにしても、もらうにしても、穀物メジャー様の思いどおり、なのです。そうやってつくられているのが、現在の世界の人口バランスです。
穀物メジャーは穀物メジャーの都合で、世界の人口を調節していますが、自動車や家電製品なんかの、産業界の中でも、別様の利害を持つグループは、底辺をすぼめて、購買力のある層の人口比率を高くしてほしい、と思うかもしれません。で、そういうグループが、人口抑制策のようなことを思いつくのかもしれません。このへんは、わたしの勝手な想像で、間違っているかもしれません。

実効性のある人口抑制策は、必ず暴力的になります。現にある飢餓が、まさに人口抑制策そのものですし、そしてそれは、圧倒的な暴力です。人口を減らせば問題が解決する、という発想が、的をはずしているのだと思います。いじわるな言い方をすれば、人口抑制策こそが人道的だ、とかいう議論は、人々の目を本質的問題からそらさせるワナなのではないか、とも言えるのです。人口抑制策は何の問題も解決しません。人びとの苦しみを苦しみをまさせるだけです。諸問題は、根本原因にさかのぼって解決しなくてはいけないと思います。
雑草Zさんは、わたしの言い方をステレオタイプだとおっしゃいますが、人口抑制策で抑制される人たちと言うのは、国で言えば低開発国ですし、一国の中の階層で言えば、貧しく弱い階層の人たちで、その逆ではありません。人間の価値を差別することには、根拠がありませんが、こういう議論をする多くの人びとの中に、差別意識が厳然としてあることは、事実です。

根本の問題とは何かと言えば、それは、自国民であれ、他国民であれ、他人に強制して食料をつくらせている、自給の逆、つまり、「他給」という生き方が間違っている、ということです。だから、何よりも目指すべきは「自給第一」なのでして、それを実現させていくためにも、森林を復活させて、砂漠化を減速させなければなりませんし、かつてあった伝統的な自給的食料獲得の社会から学び、それを現代的な形で復活させていくことが必要なのだと思います。それが成功したあかつきに、人口は、持続可能な一定のバランスで安定していくのだと思います。
わたしが言いたいことをまとめて言うと、「人口抑制策なんか考えたって、何の役にも立たないし、かえって問題の本質から注意がそれるので、よくないよ」ということです。方法論の実効性の問題です。

「時間をずらして生きる」というのが、よく分からないのですが、分かりやすく言うと、どういうことですか。

人口過剰は環境問題の根本の1つです
雑草Z
    田中敬三さん

 私がステレオタイプの想定と申しましたのは、田中さんが

>わたしも、どこの国の人口を減らすか、という議論は、したくありません。

と、おっしゃっていても同時に

>わたしの言い方をステレオタイプだとおっしゃいますが、人口抑制策で抑制される人たちと言うのは、国で言えば低開発国ですし

と言っているように、
「発展途上国の無知と貧困が人口爆発の原因」
という事を主張しているステレオタイプの相手を想定して、一生懸命反論しているように感じるからです。
 私は始めからその手の主張はしていませんので、そのことに対して、同じ総論を繰り返しされても議論は進展いたしません。
 田中さんご自身の「自給第一」という主張は、ステレオタイプのご意見ではなく、素晴らしいご意見です。これから普及して欲しい(ある意味新しい)ご意見です。私も同感です。
 つまり、ステレオタイプというのは、田中さんのご意見ではなく、田中さんが反論されている仮想の相手の主張(私の主張ではありません)です。

  * * * *

 混乱と議論の停滞を避けるため、論点を番号をつけて書きますから、そのこと一つ一つに関して、ご返事コメント下さい。

 その前に、

>「時間をずらして生きる」という

の御説明致します。
 一度に沢山の人口が地上に現れたら、破局だから、地上に出現している人間の数は、少なく抑え、少子化して、少ない人口で世代を末永く繋ぐ・・・って事です。

 貼り付けておいた
【より多くの人間が地上に住む方法】に簡潔明瞭に書いておきましたが、見て下さらなかったのでしょうか?
(よく、長ったらしい参照URLを貼り付けるだけで何の説明もしない失礼な方がいますが・・そうはしなかった積もりです。私は簡単に概要もかいて、貼り付けた積もりです・・・カテゴリー【食料と人口】のほかの部分もそうなのですが・・・だから、田中さんの仮想相手とは、違うと言う部分が伝わらないのかとも思いますが、・・・番号をつけて書きますから、田中さんもそれぞれに、しっかりお答えくださいね。)


 さて、項目を絞って議論いたしましょう。


①自給を目指すという事について
 大賛成です。異論ありません。田中さんと同じように繰り返しになりますが、ここのブログの主題の一つです。
国単位ではなく、もっと小さなコミュニティー単位で自給自足を目指すべきです。一度も反対していません。これを基本に政策をすすめるべきだと考えます。



②過剰な人口、人口爆発という問題に関して

西暦元年頃の世界の人口は、現在の日本の人口と同じくらいの1億ほどと推測されています。産業革命が起こった頃1800年あたりで、10億・・それが、現在は60億を越えます。十分脅威的な数字です。
 この人口圧によって、絶滅したり激減した他の生物は本当に数え切れません。森林も、人間が農耕を始める以前より半減したと推定されています。

>森林を復活させて、砂漠化を減速

 させるためには、人口を増やさず、減らしてから安定化する必要があります。日本のように、「少子化は大変だ!子供を産めよ増やせよ!」と言う政策はかなりの愚かな政府の対策です。例えば


環境負荷、エコロジカル・フットプリントは、 〔環境負荷の全人口の総和〕

という事に関し、ご意見を書いて下さい。間違っているでしょうか?

 生物学的に、天敵がいなくて、食料が十分にあって、快適な環境であれば、個体数は、激増するのは、明らかだと思います。それを
『人類のひとり勝ち状態』
と表現しましたが、それで人口爆発した部分は、歴史的に大きいでしょう。欧米の人口増加はまさにそれが原因でしょう。明治維新から高度経済成長時代を通しての日本の人口爆発についても、そういう要素が大きいでしょう。


>世界の総人口が100億ぐらいあっても、それで持続可能ならば、それでいいではないか、という議論

このことも以前言及していますが、限界に挑んでどうするんでしょう??

>人口抑制策なんか考えたって、何の役にも立たない

これは非常に危険な、同意出来ないご意見です。それこそ、増えすぎたら人間を殺せ・・・という話になってしまいます。
 人口が多い事は歓迎される事ではない、人口の過剰は環境問題の大きな部分だ
という認識を世界の人々が、持たなければなりません。

>自給的食料獲得の社会では、もっと少ない人口でバランスがとれていたのですから、そういう社会にもどせばいい

その通りです。全く同意です。



③成長の限界について

書物の内容に関わらず、成長の限界は、存在するでしょう。地球のキャパを考えずに無限の成長など、人口でも経済でも有り得なません。

>ローマ・クラブなどをとおして流している戦略的情報

陰謀説がお好きですね!?。ちなみに田中さんはその
「成長の限界」を読まれましたか?(全部でなくとも、一部でも)読まれてからの反論ではなくて、陰謀説かなんかを読んでの受け売りに感じますが・・・。
・・何故なら
 私は流石に1972年に出た「成長の限界」は、古くて読む気がしませんでしたが、そのおよそ20年後の1992年に出された、同じメンバーによる(アップ-デート改訂版と呼ぶべき)「限界を超えて」は、最近読みました。30年後のアップ-デート版と呼ぶべきほうも途中まで読んでいます。
データもしっかり厳選して、考察も表面的な数値を見たものではありません。かなりしっかり分析、洞察が慎重にされています。

 人口の部分に関しては、ステレオタイプの・・「しっかりした教育と貧困の解消によって増加が止まる方向に・・」みたいな事も多少述べてあって軽率に感じました・・私はそんな対策では甘いと感じます。

 ローマクラブの別な意向があったかどうかはわかりませんが、この本の執筆者達は、それに左右されずに、表向きの目的どおり、しっかり成長の限界を論じています。・・まあ、アメリカ人の最先進国に住んでいる人間特有の甘さみたいなものは、多少、ふしぶしに感じられました・・・コンピュータシミュレーションの限界、有効性についてはかなり厳しく論じていて、未来は予測出来ないとしっかり述べた上で、パターンを示すに留まっています。そこは正直で好ましいと思います・・・しかし、そのパターンを示すのにコンピュータシミュレーションは必要ないように感じました。

「成長の限界」に関しては、そのうちこのブログの記事にしようかとも思います。・・・ロンボルグの「環境危機を煽ってはいけない」と同じくらいの厚さで値段は半分くらいです。(笑)。内容の厚さは、100倍以上ですね(笑)ロンボルグは立ち読みでも時間の無駄ですから・・。確か、「環境危機を煽ってはいけない」を買おうかと大きな書店に出向いたときに、その内容のあまりのお粗末さに、買う気が失せましたが、そのとき近くに置いてあった「成長の限界」をぺらぺら立ち読みして、いかがわしいと色眼鏡で見ていた部分に反して、正確でしっかりした素晴らしい内容に、読んでみようと買いました。・・一部を除き、期待通り・・期待以上の内容でした。名著と呼ばせて戴きましょう。

  * * * *
 

長くなったので、以上の3点だけに絞ります。
①は、同意する部分かと思いますが
②、③については、しっかり御返事(反論など)下さい。
他に田中さんが私にしっかり答えて欲しい部分があれば、同じように書いてください。議論を進展させましょう。





雑草Zさん、
田中敬三
論点を整理してくださって、ありがとうございます。順番に考えていきましょう。

その前に、「時間をずらして生きる」というとこについてのご説明、ありがとうございます。何となく分かりました。
リンク先の記事は、以前読んで覚えていました。理解できないままでいました。

では、順番に。

>(1)「自給を目指すという事について」

ここは、同意見です。

>(2)「過剰な人口、人口爆発という問題に関して」

>>森林を復活させて、砂漠化を減速

> させるためには、人口を増やさず、減らす必要があります。日本のように、「少子化は大変だ!子供を産めよ増やせよ!」と言うのはかなりの愚か者の言動です。

「増えないほうがいい」と言うのは、単なる「思い」です。「減らせ」と言うのは、行動の要求です。この二つは、かなり違うと思います。「減らせ」とあおれば、ステレオタイプな情緒が育っていくのは、とめられません。発言には注意が必要です。ぜひ、どの国のどのような人たちをどのように減らすのか、具体的に語っていただきたいです。

わたし、何度も言ってますけども、人口は、食料供給と飢餓とによって、すでにコントロールされているのです。今でも減らそうと思えば、食料供給を減らすことによって、人口は簡単に減ります。飢餓以外に、実効性のある人口抑制策って、どんなのがありますか。

計算の苦手な田中が言うのですから、あんまり当てになりませんが、人類の存続に関して、ある種の破局は避けられないと思います。そしてその破局をなるべく軽く済ませるための方法として、わたしは、食料の自給を推進することを第一にしたいと思います。それと同時に、自然とともに調和的に生きてきた文明から学んで、その学びを生かしていくことが必要だと思います。

>○明治維新から高度経済成長時代を通しての日本の人口爆発についてはどうお考えですか?

開発・開拓・拡張のイデオロギーに罹患した結果だと思います。

>>環境負荷、エコロジカル・フットプリントは、
>〔環境負荷の全人口の総和〕です

異論ありません。

>○生物学的に、天敵がいなくて、食料が十分にあって、快適な環境であれば、個体数は、激増するのは、明らかだと思います。それで人口爆発した部分についてのコメント返しがありませんが?

人間は、本能に従って生きているのではありません。民族ごとに文化を持っていて、長い時間をかけて、自然と調和する生き方をつくりあげてきました。多くの民族は、そういう文化に従って生きてきたのです。そういう伝統文化を壊して、人間を単純な生物学的存在におとしめてしまう、特異な文化が発生したために、種の存続の危機までを招くことになりました。この特異な文化は、伝染して、増殖する性質を持っています。……ってのが、わたしの文化観です。

>>世界の総人口が100億ぐらいあっても、それで持続可能ならば、それでいいではないか、という議論

>このことも以前言及していますが、限界に挑んでどうするんですか??

挑んでも、しょうがないです。わたしが挑もうとしているのではないです。議論としては、そういう言い方もできる、ということです。

>>人口抑制策なんか考えたって、何の役にも立たない

>これはかなり危険です。それこそ、増えすぎた人間を殺せという話になってしまいます。世界の人々が、人口が多い事は歓迎される事ではないという認識は持たなければなりません。

逆でしょう? 人口抑制策こそが、まさに「増えすぎた人間を殺せという話」です。そして事実、飢餓と言う形で、これまで抑制されてきたのですし、今も抑制されているのですし、これからも抑制されていくのだろうと思います。残念ですが。
増やすも減らすも思いのままの人口を、減らすことによって問題が解消するかのように幻想をふりまくのは、自給的文化の復興という、真の解決策から目をそらさせる役割りをもってしまうだろう、ということです。

>>自給的食料獲得の社会では、もっと少ない人口でバランスがとれていたのですから、そういう社会にもどせばいい

>その通りです。全く同意です。

そうでしょう? であれば、自給第一、第二以降はなし、ということで、人口抑制策なんて、考えるだけ無駄でないんですか。

>(3)成長の限界について

>成長の限界は、存在するでしょう。地球のキャパを考えずに無限の成長など、人口でも経済でもありえません。

それはそうです。

>>ローマ・クラブなどをとおして流している戦略的情報

>陰謀説がお好きですね!?。ちなみに田中さんはその 「成長の限界」を読まれましたか?(全部でなくとも、一部でも)読まれてからの反論ではなくて、陰謀説かなんかを読んでの受け売りに見えます。

ローマ・クラブの陰謀説って、知らないです。わたしが言ったのは、わたしのオリジナルのアイデアです。
ただ、

オリベッティ社の副社長で石油王としても知られるアウレリオ・ベッチェイ博士が、資源・人口・軍備拡張・経済・環境破壊などの全地球的な問題対処するために設立した民間のシンクタンクで、世界各国の科学者・経済人・教育者・各種分野の学識経験者など100人からなる。(「ウィキペディア」)

ということを知るだけで、このクラブが偏向しているということぐらい、たいがいの人には察しがつくと思います。
思想には、それが生み出される背景がありますし、支持者がありますし、調査・宣伝のための金を出す人がいます。たとえば、人口論で言えば、マルサスなんかも、背景を考えて、批判的に読むべきだと思います。

「成長の限界」は、読んでいません。その趣旨については、いろいろなところで耳にしています。

②過剰な人口・・だけが議論の余地がありますね
雑草Z
    田中敬三 さん

先ず
>「時間をずらして生きる」

に関してもう一度具体例で書かせて戴きますが、これから
1兆の人口が地上に現れる場合、一度に沢山の子供が生まれ、一挙に一兆の人口が地上に同時に出現しようとしたら、破局です。
 そのかわりに地上に同時に存在する人間は10億人前後で、死んだ人数分だけ地上に現れるように生まれて、無茶をしなければ、長い時間をかけて、一兆の人口は地上に存在できる・・という事です。


②「過剰な人口、人口爆発という問題に関して」

>どの国のどのような人たちをどのように減らすのか、具体的に語っていただきたいです。

 全ての国、もっと小さな自治体の人口が、それぞれのエコロジカル・フットプリントが、持続的に再生可能な範囲以内に(限界ではなく、余裕を持って)増えないという範囲です。
 人口を減らす方法は勿論産児制限でしょう。普通に人口抑制策と言えば、産児制限の事だと思いますよ。

>人類の存続に関して、ある種の破局は避けられないと思います。

そう思います。これもこのブログにしつこく書いている部分です。

>そしてその破局をなるべく軽く済ませるための方法として、わたしは、食料の自給を推進することを第一にしたいと思います。

 同意する部分です。食料だけでなく、全ての資源、廃棄場所について、小地域ごとに自給自足すべきです。

>人口は、食料供給と飢餓とによって、すでにコントロールされているのです。

 餓死は辛いです。毎年何億人も餓死するのを放任できません。餓死せずとも飢餓でも十分に辛く非人道的です。産児制限のほうがずっと楽です。飢餓を減らすためにも産児制限を!!という事です。

>増えすぎた人間を殺せという話

 は、飢餓でもおなじでしょう。飢餓もある意味殺された事になる場合が多いでしょう。

産児制限と言えば、どうして、

>荒っぽい断種手術や、避妊薬の皮下への埋め込み

しか想定されないのでしょうか?

 先ず、前提条件として、過剰な人口は、環境に圧力を生むよくない事だ・・という認識をみんな持つべきでしょう。

産児制限には色んな方法があります。中国の一人っ子政策もありますし、先住民達のちょっと手荒な方法もあります。
 物理的な避妊もありますし、法律を作る事も出来ます。
3人以上産んだら罰則を与えるとか

・・田中さんは、

>自発的でない人口抑制策は、すべて犯罪的であると、わたしは感じます。

と言いますが、餓死したり、人口圧から戦争が起こって殺し合いするよりも遥かにいいでしょう。
 現在の日本のように、5人も6人も子供を産んだり、排卵誘発剤で一度に何人もの子供を作るのを「お国の為」とプロパガンダしているのは、第二次世界大戦以前の富国強兵策を想起いたします。

 まとめとして言えば、飢餓やそのための餓死は、非常に辛い事です。人道的ではありません。自分も餓死など致したくありません。人口抑制は産児制限でしっかりすべきです。

 私に限らず人口抑制策と言えば普通、あくまで、生まれる前に制限して、生まれた人間の人権は尊重しよう・・と言う事でしょう。

>人間は、本能に従って生きているのではありません。

食べたり、生殖機能というのはかなり生物的な部分です。

実際先進国をはじめとした人口爆発は、

>天敵がいなくて、食料が十分にあって、快適な環境

だから増えたと事実を言っているのです。

>民族ごとに文化を持っていて、長い時間をかけて、自然と調和する生き方をつくりあげてきました。

 それが破壊されて、破局に向けて人口が増え始めたのです。自給自足は原則として非常に有効な手段であると思います。しかし、それがわからない人間には出産制限をして戴くべきです。みんな食料や他の資源を分け合って生きている状態で、金持ちだけ、資源を占有するのは許されないのと同じ理由で、金持ちだけ沢山子供を持ってもいいと言う事にはなりませんが、現在の世界ではそれに類する事も起こりつつあります。

>人間を単純な生物学的存在におとしめてしまう、特異な文化が発生したために、種の存続の危機までを招くことになりました。この特異な文化は、伝染して、増殖する性質を持っています。……ってのが、わたしの文化観です。

後半はあっていますが、前半はちょっと違います。

>天敵がいなくて、食料が十分にあって、快適な環境

ならば人口は増えるものです。その結果起こる重大な危機を文化的に忘れた人類に飢餓や餓死を持って体得してもらおうと言う発想はかなり残酷です。自然の摂理の感覚を失った人々には、社会の理性で産児制限すべきです。



②成長の限界について

>このクラブが偏向しているということぐらい、たいがいの人には察しがつくと思います。

>その趣旨については、いろいろなところで耳にしています。

それだけが根拠ですね?!。私も田中さんほどではありませんでしたが、読む前は多少胡散臭さを感じていました。しかし、実際読んで、上のコメントに書いた通りです。名著と言う評価です。
 田中さんも読んで下さいとは申しませんが、立ち読みでもいいから、これ以上は内容を知らなければ批判は出来ないでしょうから、この部分の議論も御仕舞いですね。

>自動車とか家電製品なんかも消費してくれるような層が拡大してくれることを望むような産業界が、ローマ・クラブなどをとおして流している戦略的情報なのではないかと

 実際読んだ人間として、そんな内容ではない事だけは断っておきます。上のような事だけで、(ほとんど根拠もなく、少しも読まずに)ここまで想像して書くのは如何なものでしょう・・?




 つまりあとは②だけが論点と言う事で宜しいですか?
始めの
>「時間をずらして生きる」
に関しての書き直しも、②に関連付けて述べた積もりです。

わたしからの回答です
田中敬三
>先ず
>>「時間をずらして生きる」

>に関してもう一度具体例で書かせて戴きますが、これから
1>兆の人口が地上に現れる場合、一度に沢山の子供が生まれ、一挙に一兆の人口が地上に同時に出現しようとしたら、破局です。
> そのかわりに地上に同時に存在する人間は10億人前後で、死んだ人数分だけ地上に現れるように生まれて、無茶をしなければ、長い時間をかけて、一兆の人口は地上に存在できる・・という事です。


すべての命がどこかにひかえていて、少しずつ地上に存在するようになっている、という考え方ですね。
そういう考え方がいけないとは言いませんが、わたしは霊魂の存在を信じないので、ついていけないです。ごめんなさい。


>(2)「過剰な人口、人口爆発という問題に関して」

>>どの国のどのような人たちをどのように減らすのか、具体的に語っていただきたいです。

> 全ての国、もっと小さな自治体の人口が、それぞれのエコロジカル・フットプリントが、持続的に再生可能な範囲以内に(限界ではなく、余裕を持って)増えないという範囲です。
> 人口を減らす方法は勿論産児制限でしょう。普通に人口抑制策と言えば、産児制限の事だと思いますよ。


人口が「過剰」になったのは、開発・開拓・拡張の病に罹患したせいです。「過剰」になった根本の原因を取り除くというならまだしも、強制的に産児制限をするなんて、横暴です。それに、「すべての国で」なんて、どうしてそうやって、内政干渉をしたがるんでしょうか。どういう基準で産児制限したら、「すべての国」の人たちが納得できると言うのでしょうか。
「産児制限」という発想自体が、牧畜民族的で、森の民や田んぼの民や海の民には、なじまないと思います。人間は家畜ではありません。


>>>人口は、食料供給と飢餓とによって、すでにコントロールされているのです。

>> 餓死は辛いです。毎年何億人も餓死するのを放任できません。餓死せずとも飢餓でも十分に辛く非人道的です。産児制限のほうがずっと楽です。飢餓を減らすためにも産児制限を!!という事です。


わたしは、「自給的食料獲得の社会では、もっと少ない人口でバランスがとれていたのですから、そういう社会にもどせばいいのです」と言ったのです。飢餓がいいことだなんて言っていません。飢餓を人口抑制策として機能させているわたしたちの社会を変革するのは、容易なことではない、ということを言いたかったのです。
わたしたちがしたほうがいいのは、産児制限なんかではなくて、自然の許容量をこえない、小さな社会を運営する知恵を、自給的食料獲得の社会から学ぶことです。ですから、自給第一なのです。
仮に、強制して人口が減らせたとして、それで食料やエネルギーの危機が回避できたとすると、人口が増えた根本原因が温存さてしまいます。社会は病んだまま、強制的人口抑制策をとり続けなければならなくなります。
よい意味での「人道」を追求するなら、プランテーションを廃止させ、少ない人口でバランスがとれていた、昔の自給的食料獲得の社会を復活できるように、援助することでしょう。
産児制限は、しばしば「人道」の名のもとにおこなわれますが、わたしには少しも「人道」だとは思えません。


>>増えすぎた人間を殺せという話

> は、飢餓でもおなじでしょう。飢餓もある意味殺された事になる場合が多いでしょう。


ですから、わたしは、飢餓がいいなんて言ってませんから。


>産児制限と言えば、どうして、

>>荒っぽい断種手術や、避妊薬の皮下への埋め込み

>しか想定されないのでしょうか?


現実にそういう「産児制限」がおこなわれているのですから、そのように想定するのは、自然なことです。
本人が望んでいない人たちに対して実施される人口抑制策は、暴力的にならざるを得ません。人口抑制策に賛同しない人たちにコンドームを配ったり、禁欲を説いたりしても、効果はありません。
↓いくつか、ウェブ上の記事を拾ってみました。インド・中国・ペルーなんかの例が出ています。ひどい話が多くて、「本当か?」と疑いたくなりますが、これらの記事が全部うそ、ということはないと思います。


インドの人口政策に思う。経口避妊ピルは、不妊手術より「ちょっとだけ」マシ
http://www.cafeglobe.com/lifestyle/sexuality/020522.html

インドにおける人口抑制政策
http:/
/shiba.iis.u-tokyo.ac.jp/member/old/yamamoto/food/india.html

東京新聞:強引人口抑制策で暴動 中国農村ルポ 罰金払えぬと略奪 不妊手術を強要
http://b.hatena.ne.jp/entry/4814592

さらなるウイグル族への出生抑制策、強制堕胎、不妊手術に発展の可能性も。
http://kok2.no-blog.jp/tengri/2006/02/post_dbc6.html

家族計画と白人性-強制された近代家族-
http:/
/www.let.osaka-u.ac.jp/seiyousi/whiteness/page19.html

中国、少数民族を強制連行避妊手術
http://temple.iza.ne.jp/blog/entry/186723/

フジモリ大統領の強制避妊策の責任を追及する女性議員
http://www.news.janjan.jp/world/0607/0607167939/1.php

国連人口基金への拠出拒否の論理
http:/
/www.mochida.net/report02/08bushtandoku2.htm


> 先ず、前提条件として、過剰な人口は、環境に圧力を生むよくない事だ・・という認識をみんな持つべきでしょう。

>産児制限には色んな方法があります。中国の一人っ子政策もありますし、先住民達のちょっと手荒な方法もあります。
> 物理的な避妊もありますし、法律を作る事も出来ます。
>3人以上産んだら罰則を与えるとか


こういう発想が「エコ・ファシズム」なんじゃありませんか?


>・・田中さんは、

>>自発的でない人口抑制策は、すべて犯罪的であると、わたしは感じます。

>と言いますが、餓死したり、人口圧から戦争が起こって殺し合いするよりも遥かにいいでしょう。
> 現在の日本のように、5人も6人も子供を産んだり、排卵誘発剤で一度に何人もの子供を作るのを「お国の為」とプロパガンダしているのは、第二次世界大戦以前の富国強兵策を想起いたします。


自発的にやるのでしたら、何をやってもいいですが、お願いですから、ほかの人に強制しないでほしいです。
イスラム教シーア派が、「個人の家庭の事情で避妊するのは認めるが、国による人口抑制は認めない」と宣言した、という記事を見たことがありますが、健全な感覚だと思います。わたし、シーア派を見直しました。


> まとめとして言えば、飢餓やそのための餓死は、非常に辛い事です。人道的ではありません。自分も餓死など致したくありません。人口抑制は産児制限でしっかりすべきです。

> 私に限らず人口抑制策と言えば普通、あくまで、生まれる前に制限して、生まれた人間の人権は尊重しよう・・と言う事でしょう。


飢餓がいやなのは、だれだってそうです。だから、根本原因である、開発・開拓・拡張のイデオロギーを解体しましょうと、わたしは呼びかけています。産児制限は、苦しみを増させるだけで、意味がありません。現実の人口構成のシステムは、食料供給と飢餓とによって、バランスが保たれているのですから。増やすのも減らすのも、どうにでもなるのですから。念のために繰り返しますが、わたしは、こういうシステムがいいと言っているのではないのですよ。産児制限は困難であるし、社会の病を温存してしまうので、よくないのです。そういうやり方ではなくて、少ない人口でバランスがとれていた、昔の自給的食料獲得の社会を復活させようとする方向に運動していってはどうでしょうか、と言っているのです。


>>人間は、本能に従って生きているのではありません。

>食べたり、生殖機能というのはかなり生物的な部分です。


岸田秀さんがよく「人間は本能が壊れた生き物だ」と言うのと同じ意味で言っています。つまり、人間の社会的活動は、本能としてあらかじめ遺伝情報に組み込まれているのではない、ということです。社会がどのぐらいの人口で運営されるか、ということは、ほかの本能で生きている動物のように、食料と天敵によって単純に規定されるのではない、ということです。
人間は文化を持っています。文化には、たくさんの知恵が詰まっています。自然を壊さないで、つつましく、美しく生きてきた民族の文化から、大いに学ぶべきです。そういう文化は、かなり破壊されていますけれども、まだ残っていて、伝えている方がたがいらっしゃいます。


>実際先進国をはじめとした人口爆発は、

>>天敵がいなくて、食料が十分にあって、快適な環境

>だから増えたと事実を言っているのです。


人間は文化を持った生き物だ、ということを、さっき言いました。ほかの動物とは違うのです。自然の中で、つつましく、美しく生きてきた諸民族がいるのです。どうせ文化を学ぶならば、開発・開拓・拡張のイデオロギーに犯された、がさつで醜い民族からではなくて、もっといい民族から学ぶべきです。人間の文化をないがしろにして、他の、本能で生きている動物と同一視するような発想は、わたしは肯定できません。


>>民族ごとに文化を持っていて、長い時間をかけて、自然と調和する生き方をつくりあげてきました。

> それが破壊されて、破局に向けて人口が増え始めたのです。自給自足は原則として非常に有効な手段であると思います。しかし、それがわからない人間には出産制限をして戴くべきです。みんな食料や他の資源を分け合って生きている状態で、金持ちだけ、資源を占有するのは許されないのと同じ理由で、金持ちだけ沢山子供を持ってもいいと言う事にはなりませんが、現在の世界ではそれに類する事も起こりつつあります。


金持ちに対してでも、貧乏人に対してでも、産児制限を強制するのは、よくないと思います。
食料が足りなくなって、エネルギーが足りなくなって、水や空気が汚れたときに、生き残るのは、金持ちのほうだと予想します。あまり愉快な予想ではありませんが、そうなりそうな気がします。できれば、いろいろな民族、いろいろな文化が残ってほしいと、わたしは思います。だからこそ、根本的な原因にさかのぼって、治療したほうがいいと思うのです。その方向に力を集中するべきです。


>>人間を単純な生物学的存在におとしめてしまう、特異な文化が発生したために、種の存続の危機までを招くことになりました。この特異な文化は、伝染して、増殖する性質を持っています。……ってのが、わたしの文化観です。

>後半はあっていますが、前半はちょっと違います。

>>天敵がいなくて、食料が十分にあって、快適な環境

>ならば人口は増えるものです。その結果起こる重大な危機を文化的に忘れた人類に飢餓や餓死を持って体得してもらおうと言う発想はかなり残酷です。自然の摂理の感覚を失った人々には、社会の理性で産児制限すべきです。


「天敵がいなくて、食料が十分にあって、快適な環境ならば人口は増えるもの」というのは、本能で生きている動物について言えることで、文化を持っている人間には、そうでない道を歩むことができます。
飢餓については、前にも言いましたが、わたしはそれをいいことだとは思っていません。ただ、開発・開拓・拡張のイデオロギーに犯されたわたしたちの、現実の社会は、食料と飢餓によって人口を制御しています。人口を増やすも減らすも自由にやれるシステムの中で、産児制限などは、やっても意味がありません。なぜ意味のないことをやろうとするのか、と言えば、それは、手品師のトリックと同じです。左手のカードを見せて、見ている人たちがそちらに気をとられているすきに、右手で「種」を仕込むのです。「環境問題の切り札は人口抑制だ」というアドバルーンをあげていれば、本当の原因(開発・開拓・拡張のイデオロギー)を隠すことができる、と思っているのです。


>(2)成長の限界について

>>このクラブが偏向しているということぐらい、たいがいの人には察しがつくと思います。

>>その趣旨については、いろいろなところで耳にしています。

>それだけが根拠ですね?!。私も田中さんほどではありませんでしたが、読む前は多少胡散臭さを感じていました。しかし、実際読んで、上のコメントに書いた通りです。名著と言う評価です。
> 田中さんも読んで下さいとは申しませんが、立ち読みでもいいから、これ以上は内容を知らなければ批判は出来ないでしょうから、この部分の議論も御仕舞いですね。


人生は短いですから、質の悪い本を読んで時間を無駄にしたくはありません。「読まない人とは議論ができない」と言って、雑草Zさんが逃げるのならば、別に、わたしは追っかけはしません。というか、雑草Zさんの上のコメントを見たら、ますます読みたくなくなりました。


>>自動車とか家電製品なんかも消費してくれるような層が拡大してくれることを望むような産業界が、ローマ・クラブなどをとおして流している戦略的情報なのではないかと?
>> 実際読んだ人間として、そんな内容ではない事だけは断っておきます。上のような事だけで、(ほとんど根拠もなく、少しも読まずに)ここまで想像して書くのは如何なものでしょう・・?


わたしは、「成長の限界」は読んでいませんが、「成長の限界」やローマ・クラブについて、世間の常識程度の知識はあります。「人口爆発」は、いろいろな口実につかわれてきました。緑の革命なんかもそうです。食料が足りなくなる、エネルギーが足りなくなる、といった「あおり」が、何の目的でおこなわれるか、それについて、想像で言ったのが、上の発言です。素人ですから、間違っているかもしれません(玄人でも間違うかもしれませんし…)。でも、このブログは、素人が想像で発言してはいけない場所なのですか。でしたら、今後は書き込みしません。

「人口爆発」は口実か?
雑草Z
    田中敬三 さん

 またまた、
「時間をずらして生きる」

 について、書きますね。書き直しによって、逆に誤解が増えたようですから。

>すべての命がどこかにひかえていて、少しずつ地上に存在するようになっている、という考え方

では、ありません。どうして「霊魂の存在」
の話になるのでしょうか?書き方が悪かったみたいですね。
非常に単純な事を書いた積もりです。かいた通りそのままなのですが・・・。

 ただ単に、これから先、地上に沢山の人間が生存する方法を述べているだけです。人数の事を言っているだけです。
 同時に1兆人の人間は地上に存在出来なくても、10億人ずつ時をずらして(=世代を変えて)時間をかければ、1兆人以上存在出来る・・・と。その人間の魂が同じだとかそういう事ではありません。
持続可能な世の中とは、人口圧の少ない人口で、世代を受け継いでいく、環境負荷の少ない社会だと。(時間をずらしても1兆人になるまで世界を維持するのもかなり大変かと思いますが・・)

 霊魂を信じるアイヌなど先住民のことを否定する積もりは毛頭御座いませんが、霊魂の話とは全く関係ありません。 


 さて、
②過剰な人口、人口爆発 についてです。

上の「時間をずらして生きる」と言う事が、私の目標とするところです。田中さんの「自給自足」(勿論私の意見でもあります)も、人口の安定と言う意味で同じと考えられます。
 そこには、人口爆発は存在してはいけないと言う事です。先ず 
>「人口爆発」という概念のルーツ、『成長の限界』を発表したローマクラブをいう組織が、どのようなスポンサーによって運営されているか、考えてみてください。そのような人びとに感情移入しても、しょうがないんじゃないかと、

と、書かれていますが、人類はそんなに愚かなのでしょうか?つまり、「人口爆発」という概念が、「成長の限界」が発表される1972年までなかったのか?と言うところです。
 「人口爆発」という概念が、、「成長の限界」ではじめて出てきたのだとしたら、酷いもんだと思います。
 誰に感情移入とか言う問題ではなくて、「人口爆発」という問題が存在しない、と考えるほうが愚かです。上のコメントにも書いたように、人間は、他の生物や森林などの犠牲の上に人口爆発してきました。・・その事実を認めないのですか?
 過去の社会、江戸時代の日本も、色々なところの先住民も、人口抑制策は行われています。個人の判断とも言えなくはありませんが、社会の圧力と考えるべきでしょう。最近大虐殺のあったルワンダも、人口圧が原因の一つですが、殺し合いにならないようにと、色んな人口抑制策がなされていました。

「緑の革命」は、生物学的にも人口爆発を助長したのです。
人口爆発を容認する代わりに、人口抑制策を施すべきでした。・・そうならなかったのは先進国・・特にアメリカのご都合でしょう。

 ここでの議論は、理想論としての事だと思うのですが、田中さんは、現実の人口抑制策の酷い例を持ち出します。現実例を持ち出すなら、持続可能な自給自足社会が破壊されたのは、先進国が征服したからでしょう。これからも、各国自給自足の方向に向かわなければ、破局を避けることは出来ない事は、一致するところですね。しかし、そうすると、自給自足していない国、自給自足では飽き足らない国から征服されるわけです。・・・それこそ歴史が証明しているでしょう。
 幾つかの国が自給自足に戻っても、人口爆発を野放しにして、食料がなくなったら、ゲルマン民族の大移動のように、食料を求めて、移動するでしょう。
 民族自決・・は大切でも、実際アラブでも、アフリカでも、国の民族自決は、その国の富める強いものが行っている部分も否定できません。食料自給を個人毎にやる事が理想ですが、いざとなれば国の強者に没収されます。・・・このあたりは田中さんも同意するところでしょう。
 私も田中さんが繰り返しかかれている自給自足の大切さについては、同意しています。
 

 さて、論点を拡散しないように絞りますが、結局、田中さんも私も、理想論として、自給自足の社会に移行する事に関しては、はじめから一致していると考えます。・・この部分に関しては、お互いのサイトでお互いしつこく主張しているところです。

 そこで、現在の持続不可能な社会から、持続可能な社会に移行するにあたって、現在
 エコロジカル・フットプリント
 <人口>×<一人当たりの環境負荷>

がオーバーした社会では、減らさなければならないわけです。式からも、現実も、いわゆる先進国のほうがずっと減らさなければならないわけです。<一人当たりの環境負荷>を減らす事は勿論ですが、人口も減らさざるを得ないでしょう。
 それが人口抑制策、産児制限だと言っているのです。

 田中さんのおっしゃるように

>できれば、いろいろな民族、いろいろな文化が残ってほしいと、わたしは思います。だからこそ、根本的な原因にさかのぼって、治療したほうがいいと思うのです。その方向に力を集中するべきです。

 大賛成です。で、現在オーバーしている人口を持続可能なレベルまで下げるにはどうするか?と言う話です。
 産児制限をしなければ、生まれてきた子供を餓死させよ・・と言う議論になります。

>「過剰」になった根本の原因を取り除くというならまだしも、強制的に産児制限をするなんて、横暴です。

 繰り返しますが、そこは十分に踏まえたうえでの議論です。

 どうして何度も断っても、そういうステレオタイプの相手を想定して反論するのですか?

>人口を減らせば問題が解決する、と思うのは幻想

 人口を減らせば問題が解決するとそれだけで議論している人はあんまりいないと思いますが、人口増加を抑制し、余裕のある人数で安定させる事も必要条件の一つです。

 議論は、現在オーバーしている人口をどうするか?
または、人口をどうやって安定させるのか?
という事です。そこについてコメント下さい。
 自給自足の社会でも、人口調節はなされています。
 飢餓とか出産抑制などでしょう。
 飢餓よりも出産抑制がいいと言ってるのです。

総論では同じ意見ではないかと思います。


 * * * *

>人生は短いですから、質の悪い本を読んで時間を無駄にしたくはありません。

全く賛成です。だから読む必要はないと明記しています。

>「読まない人とは議論ができない」と言って、雑草Zさんが逃げるのならば、別に、わたしは追っかけはしません。

人間の感じ方は面白いですね。・・意思の疎通に欠ける・・というやつでしょうか?・・私は逃げたのではなく、あなたを深追いしないでさりげに議論を終わらせるように書いた積もりでした。はっきり申し上げれば、田中さんを逃がしてあげた積もりです。・・・あなたは、これ以上書くことはない・・と勝手に思ったもので・・・まだ議論足りなかったのですね?・・ぶしつけな書き方でした。大変失礼しました。存分に議論下さい。続けましょう。お門違いにならない内容ならいつでもお受けいたします。

 私自身は、読む前は、ちょっと胡散臭いと思っていたくらいで、他の情報はありませんでした。「成長の限界」と言う事は、極めて理性的なことで、当然の事だけども、経済成長優先の時代にこういう事を世に出した事は評価出来るとも考えていました。

 

と、言う事で、
  
③成長の限界について

も議題に復活と言う事で宜しいですか??

 

「人口爆発」は人為的につくられています
田中敬三
> またまた、
>「時間をずらして生きる」

> について、書きますね。


発想の構造は、基本的には前回とかわっていないと思います。総数が決まっているというからには、その元になる「何か」が存在しているものと想像されます。それを「霊魂」と呼ぶかどうかは別としても。

なぜ人類が発生する総数が決まっているのですか?
誰かが決めたのですか?
その1兆人の中には、ピテカントロプスとかネアンデルタール人とかは入るんですか?
人類の祖先をずーっとたどっていくと、もっと原始的な生物にたどりつくと思うのですけど、どのへんからその1兆人の数に含められるようになるのですか。
ゴリラやチンパンジーは、その1兆人に含まれないのですか。
この考え方は、雑草Zさんのオリジナルですか。


>>「人口爆発」という概念のルーツ、『成長の限界』を発表したローマクラブをいう組織が、どのようなスポンサーによって運営されているか、考えてみてください。そのような人びとに感情移入しても、しょうがないんじゃないかと、

>と、書かれていますが、人類はそんなに愚かなのでしょうか?つまり、「人口爆発」という概念が、「成長の限界」が発表される1972年までなかったのか?と言うところです。
> 「人口爆発」という概念が、、「成長の限界」ではじめて出てきたのだとしたら、酷いもんだと思います。
 誰に感情移入とか言う問題ではなくて、「人口爆発」という問題が存在しない、と考えるほうが愚かです。上のコメントにも書いたように、人間は、他の生物や森林などの犠牲の上に人口爆発してきました。・・その事実を認めないのですか?


人口増加の現象は実在します。しかし、それは自然現象ではなくて、「開発・開拓・拡張に駆り立てる心の病」に犯された人たちのせいで、人為的に起こされた現象です。自然現象ではありませんから、「開発・開拓・拡張に駆り立てる心の病」に犯された人たちが破壊してきた、「安定した人口で、自然と調和して、平和に暮らす社会」の文化に学んで、新しい社会をつくっていくことで、これにブレーキをかけることができる可能性があります。

森林をつぶして、畑や牧草地を開拓する、ということは、この「開発・開拓・拡張に駆り立てる心の病」に犯された人たちがやったことです。そうやって食料が増産されて、人口も増えていきました。そして、「人口が増えたから、もっと食料を増産しなければいけない」と言って、食料増産→人口増のサイクルに入っていきます。自分たちが破壊してきた「安定した人口で、自然と調和して、平和に暮らす社会」にもどる、という選択を拒否して。

マルサスや、緑の革命や、ローマ・クラブが間違っているのは、「安定した人口で、自然と調和して、平和に暮らす社会」にもどる、という真の解決策を隠して、人口爆発が自然の法則であるかのように宣伝することです。そういう宣伝から出てくる結論は、食料増産か、人口抑制です。どちらに重きを置くかは別として。
食料増産と人口抑制で人口のバランスをとるシステムをつくったのは、「開発・開拓・拡張に駆り立てる心の病」に犯された人たち自身ですよ。自分たちが合目的的につくりあげた社会の当然の成り行きを指摘して、自分たちの考え方を正当化しているのです。こういうのをマッチポンプと言います。


>「緑の革命」は、生物学的にも人口爆発を助長したのです。
>人口爆発を容認する代わりに、人口抑制策を施すべきでした。・・そうならなかったのは先進国・・特にアメリカのご都合でしょう。


人口抑制は、問題の解決策にはなりません。雑草Zさん、「開発・開拓・拡張に駆り立てる心の病」に、そうとう洗脳されていますね。
マルサスの『人口論』にしても、ローマ・クラブの「成長の限界」にしても、本は選んで読んだほうがいいと思います。批判するつもりで読みはじめても、ミイラとりがミイラになるように、いつの間にか洗脳されてしまう、ということは、よくあることです。


> ここでの議論は、理想論としての事だと思うのですが、田中さんは、現実の人口抑制策の酷い例を持ち出します。現実例を持ち出すなら、持続可能な自給自足社会が破壊されたのは、先進国が征服したからでしょう。これからも、各国自給自足の方向に向かわなければ、破局を避けることは出来ない事は、一致するところですね。しかし、そうすると、自給自足していない国、自給自足では飽き足らない国から征服されるわけです。・・・それこそ歴史が証明しているでしょう。
> 幾つかの国が自給自足に戻っても、人口爆発を野放しにして、食料がなくなったら、ゲルマン民族の大移動のように、食料を求めて、移動するでしょう。
> 民族自決・・は大切でも、実際アラブでも、アフリカでも、国の民族自決は、その国の富める強いものが行っている部分も否定できません。食料自給を個人毎にやる事が理想ですが、いざとなれば国の強者に没収されます。・・・このあたりは田中さんも同意するところでしょう。


征服される可能性があっても、自分たちが食べるものをつくるのをやめるわけにはいきません。自給する立場から言えば、つくらなければ食べられないのですから。
とにかく今は、侵略されていませんから、わたしは自給します。侵略される前に、少しでも自給的社会を広げておくほうが、侵略をしにくくする力になると思います。それでも侵略されたらどうするかは、そのときになって考えても、遅すぎないと思います。

自給的食料獲得の社会では、社会心理的な意味での拡張衝動がありませんから、人口も、ある一定の水準で落ち着くはずです。もちろん、強制的な人口抑制策なしに、です。人口圧も低いですから、飢餓も少なくなっていくはずです。


> そこで、現在の持続不可能な社会から、持続可能な社会に移行するにあたって、現在
> エコロジカル・フットプリント
> <人口>×<一人当たりの環境負荷>

>がオーバーした社会では、減らさなければならないわけです。式からも、現実も、いわゆる先進国のほうがずっと減らさなければならないわけです。<一人当たりの環境負荷>を減らす事は勿論ですが、人口も減らさざるを得ないでしょう。
> それが人口抑制策、産児制限だと言っているのです。


人口を減らそうとする必要はありません。「開発・開拓・拡張に駆り立てる心の病」が癒えていけば、人口は少しずつ減っていって、ある一定の水準で安定するはずです。


>>できれば、いろいろな民族、いろいろな文化が残ってほしいと、わたしは思います。だからこそ、根本的な原因にさかのぼって、治療したほうがいいと思うのです。その方向に力を集中するべきです。

> 大賛成です。で、現在オーバーしている人口を持続可能なレベルまで下げるにはどうするか?と言う話です。
> 産児制限をしなければ、生まれてきた子供を餓死させよ・・と言う議論になります。


こういうたとえ話はどうでしょうか。激流に流されている人たちがいるとしましょう。そのときに、泳いで流れに逆らおうとするのは、賢明でしょうか。どんなに懸命に泳いでも、ちっともさかのぼれないことでしょう。それだけの力があるならば、ある程度流されながら、川岸にたどり着こうと努力したほうがいいのではありませんか。岸辺を歩いてさかのぼるほうが、はるかに疲労が少ないはずです。
圧倒的に人口を膨張させられて、その制御法としては、もはや飢餓しか現実的にはありえない状況の中で、産児制限をするのは、激流を泳いでさかのぼろうとするようなものです。そんなことをやるぐらいならば、「開発・開拓・拡張に駆り立てる心の病」から抜け出して、つまり、川岸にたどり着いて、川辺を歩いてさかのぼるほうが、ずっと合理的です。ですからわたしは、「根本的な原因を治療する方向に力を集中したほうがいい」と言ったのです。ここで言う「治療」とは、「開発・開拓・拡張に駆り立てる心の病」を解体して、「安定した人口で、自然と調和して、平和に暮らしていた社会」の文化に学びながら、自給的食料獲得の社会をつくっていくことです。
こういう一種の社会変革を、上から一気におこなおうと考えると、それは限りなく不可能ということになります。しかし、中島正さんの「みの虫革命」のように、一人一人の、自給の大切さに気づいた人たちから、自給的生活をはじめていって、それが広がっていく、というように、下からじわじわ進めていくやり方をすれば、実現の可能性があるように、わたしには思われます。

自発的でない人口抑制策は、暴力的にならざるを得ません。それは、飢餓に加えて、新しい苦しみを加えることにしかなりません。


>>「過剰」になった根本の原因を取り除くというならまだしも、強制的に産児制限をするなんて、横暴です。

> 繰り返しますが、そこは十分に踏まえたうえでの議論です。

> どうして何度も断っても、そういうステレオタイプの相手を想定して反論するのですか?


現実におこなわれている実効性のある人口抑制策で、暴力的でないものがあったら、教えていただきたいのですけど。
現実を見ないで、机上の人口論をぶつのは、無責任です。「環境問題の切り札は、人口抑制策だ」というスローガンが、政策として執行される現場で、どれほど痛ましい犠牲を生んでいるか、想像してみてください。

自分が世界の支配者になったつもりで、政策を発想するのではなくて、一人の生活者という立場で、どのように生きたらいいか、という発想で考えてみてはどうでしょうか。一人の生活者として発想する人が増えるほうが、社会はいい方向へ進むような気が、わたしにはします。


> 人口を減らせば問題が解決するとそれだけで議論している人はあんまりいないと思いますが、人口増加を抑制し、余裕のある人数で安定させる事も必要条件の一つです。

> 議論は、現在オーバーしている人口をどうするか?
>または、人口をどうやって安定させるのか?
>という事です。そこについてコメント下さい。
> 自給自足の社会でも、人口調節はなされています。
> 飢餓とか出産抑制などでしょう。
> 飢餓よりも出産抑制がいいと言ってるのです。


生産量、消費量、そういう「数字」にたよったシミュレーションは、限界があります。文化的要素を無視しているからです。「開発・開拓・拡張に駆り立てる心の病」に犯される前の、「安定した人口で、自然と調和して、平和に暮らす社会」の文化に学んで、どうしてそういう社会が「安定した人口」を保てたかを考えることが、優先されるべきだと思います。

冷静に考えてください。具体的に、どの国の、どのような人たちに、どのような方法で産児制限をすれば、飢餓をなくすことができますか。「ステレオタイプだ」と反発しないで、文字どおり、どういうふうに産児制限をすれば、飢餓をなくすことができるか、本気で考えてみてください。物理的に無理だと思いますよ。結果として、とんでもなく苦しみを増すことになるだけだと思いますよ。
「開発・開拓・拡張に駆り立てる心の病」を解体することに力を集中するべきだ、というのは、そういうことです。飢餓がないほうがいいのは、当たり前で、それが人口抑制策なんかで解決するなら、とうの昔に解決しています。実際には、問題を解決できない方法が、解決できる方法であるかのように、はるか昔から言われ続けてきました。なぜでしょう。「開発・開拓・拡張に駆り立てる心の病」に犯された社会は、人口制御の方法として、飢餓を必要としているからです。飢餓をなくしたくないのですよ。
「環境問題の切り札は、人口抑制策だ」というスローガンは、真の問題(「開発・開拓・拡張に駆り立てる心の病」)を隠すための目くらましだと、わたしは思っています。

新しい考え方を引き出していただき、ありがとうございます
田中敬三
「時間をずらして生きる」の話から。

「より多くの人間がこれから地上に住む方法」って、ようするに、種として、太く短く生きるのではなくて、ほそく長く生きましょう、ってことですか。やっと分かりました。生まれてくる人間の総数が多いほうがいい、という発想が、わたしには奇妙に感じられるのですよね。だったら、「太く長く」が一番いいことになりますでしょう?
生まれてくる人間の総数の概念を持ち出すことによって、人類の終末を意識させて、そこはかとない不安感をかもし出す効果があるのでしょう。ですが、環境問題を考えるときには、もっとリアルなシミュレーションをしてみせて、どういう未来を望みますか?と訴えたほうが、説得力があるように、わたしは思います。
それと、「時間をずらして生きる」の考え方が、人口抑制策にリンクして使われる場合、じつに奇妙ななぐさめの言葉になるのですよね。どのぐらい太くとか、どのぐらい長くとかいったことは、社会の運営次第でどうにでもなることで、太さと長さを掛け合わせた総数が、何か意味のある数字なのか、よく分からないのですが、そのよく分からない数字を意識させて、人口抑制策を受入れさせようとするのは、ごまかされているような気がして、はっきり言って、不快です。
それから、すでに指摘しましたが、人間が生まれてくる「元になる何か」を想定する考え方は、霊魂の考え方の変形ですし、撤回されたようですが、生まれてくる人間の総数を固定的に想定することは、運命論の変形で、どちらもわたしには信じられません。


>(い)>人口増加の現象は実在します。しかし、それは自然現象ではなくて 

> 田中さんの定義するところの自然増加について、教えてください。曖昧でなく・・

> 書き方が「自然増」だろうが、そうでなかろうが、食料と環境がよければ一般に人口は増えます。
> そこに、「人間は他の動物とは違うから・・」と言うのならば、それこそ自然増ではないのでは?


引用されたわたしの文の文脈を読んでください。わたしは、雑草Zさんが「人口爆発」と呼んでいたことを、「人口増加」と言い換えただけです。どうして言い換えたかというと、「人口爆発」という言葉には、情緒的に「あおる」性質が含まれているので、冷静に考えてほしいという気持ちを込めて、言い換えました。ですから、最初の問いへの答えは、「雑草Zさんが「人口爆発」と呼んでいたもののことです」です。

自然の許容力に対する人口比は、「安定した人口で、自然と調和して、平和に暮らす社会」では低く、「開発・開拓・拡張に駆り立てる病に犯された社会」では高くなります。この「自然の許容力に対する人口比」の低さこそが、まさに「安定した人口で、自然と調和して、平和に暮らす社会」が「安定した人口で、自然と調和して、平和に暮らす社会」でいられる理由なのです。
「書き方が「自然増」だろうが、そうでなかろうが、食料と環境がよければ一般に人口は増えます」というのは、「開発・開拓・拡張に駆り立てる病に犯された社会」には当てはまりますが、「安定した人口で、自然と調和して、平和に暮らす社会」には当てはまりません。「安定した人口で、自然と調和して、平和に暮らす社会」は、「自然の許容力に対する人口比」を低く保つ知恵にあふれた文化を持っているからです。
文化を持った人間を、本能に従って生きる人間以外の動物と同じように扱おうとするのが、「開発・開拓・拡張に駆り立てる病に犯された社会」の構成員の精神の特徴です。なぜそのように、人間をおとしめようとするのかと言えば、自分たちが本能に従って生きる人間以外の動物に近い性質を持っているから、人間ならばみんな自分たちと同じようなものだろう、という発想しかできないからです。
ですから、「食料と環境がよければ一般に人口は増えます」というのは、間違いです。


>(ろ)>「安定した人口で、自然と調和して、平和に暮らす社会」の文化に学んで、新しい社会をつくっていくことで、これにブレーキをかけることができる可能性があります。

> 私もそれは大賛成ですが、そこにも人口抑制は働いています。古代国家・・・例えばメソポタミアとか・・人口の増え過ぎで滅びた国家は沢山あります。安定した社会では、人口抑制策がなされていないと考えるのはかなり軽率です。そこでは、子供が沢山生まれないと思っているのですか?赤ちゃんの死亡率が高いからいいのですか?


メソポタミアなどの古代国家は、「開発・開拓・拡張に駆り立てる病に犯された社会」です。都市を形成する社会、言い換えれば、食料生産をする農民と食料生産をしない都市住民が分化する社会は、明らかに「開発・開拓・拡張に駆り立てる病」に犯されています。
わたしがそこから学んだほうがいいと思っている「安定した人口で、自然と調和して、平和に暮らす社会」というのは、自給的社会です。都市が形成される以前の、いわゆる「未開社会」です。
すでに、純粋な「未開社会」は失われているでしょうし、学ぶがわのわたしたちも、すでに「開発・開拓・拡張に駆り立てる病」に犯されているわけですから、ただ模倣してうまくいく、ということはないでしょう。ですから、残されている「未開社会」から、その社会が「安定した人口で、自然と調和して、平和に暮らせている」理由、原理のようなものを抽出して、わたしたちの生活に適応させていく作業が必要になってくると思います。


>(は)>マルサスや、緑の革命や、ローマ・クラブが間違っているのは 、

> 緑の革命は確かに食料増産ですが、マルサスは、 「人口は幾何級数(等比数列)的に増えるが食料増産は等差数列的(ここ根拠ないと思いますが)に増える」・・と言っているように、食糧増産の愚かさを論じています。
>「成長の限界」も同様です。人口圧は食糧増産ではまかなえず、かえって逆効果です。人口抑制策と食糧増産を一緒にしないで下さい。どちらかといえば反対の政策です。
> 因みに私は、マルサスを評価していません。


「開発・開拓・拡張に駆り立てる病」は、自然の許容力に対する人口比を高く保つことを要求します。そのために食料を増産しようとします。しかし、「開発・開拓・拡張に駆り立てる病」は、必ず食料の配分に偏りを持たせようとしますから、必ず飢餓は発生します。人口の制御の方法として、食料増産と飢餓という形での人口抑制は、必ずセットになってあらわれます。ですから、食料増産と飢餓は、同じ「開発・開拓・拡張に駆り立てる病」の、ちょっと角度をかえて見た見え方にすぎません。
「必ず食料の配分に偏りを持たせる」について言えば、マルサスは飢餓を「自然淘汰」だと言いました。つまりこれは、劣った固体が切り捨てられていく、という差別的な考え方で、この発言は、飢餓の要因である「必ず食料の配分に偏りを持たせる」ことについて、罪悪感を薄める役割りをはたしました。


>(に)>マルサスの『人口論』にしても、ローマ・クラブの「成長の限界」にしても、本は選んで読んだほうがいいと思います。批判するつもりで読みはじめても、ミイラとりがミイラになるように、いつの間にか洗脳されてしまう、ということは、よくあることです。

>随分穿った見方致しますね。私は子供の頃より人口爆発を憂えています。「成長の限界」を読んだのは、去年、今年の話です。人口爆発を甘く見る本は信用いたしません。
ローマ・クラブはわかりませんが、「成長の限界」は評価しています。スポンサーが駄目なら本人達も駄目だろう・・という感情論はわかりますが、内容が田中さんの言ってるのとは全く違うし、もっとしっかり洞察しています。まあ、以前のコメントにも書いたように、評価できない部分もあります。
> 批判する為にこんな厚い本は買いません。
私は実際に書店で立ち読みしていいと思って買いました。(これが「成長の限界」のアップ-デート版であることすらわからずに、内容のよさで買いました。)

>内容も著者も知らずに

>>本は選んで読んだほうがいいと思います。
> 
>と、言うのはかなり軽率というべきでしょう。内容のどこが駄目かも的外れです。・・ここまでかくとあなたの・・・が疑われますよ。


雑草Zさんがとりあげたわたしの発言は、ローマ・クラブについて述べたものです。「成長の限界」について述べたものではありません(確認してください!)。ですから、 「内容が田中さんの言ってるのとは全く違う」という非難は、的外れです。
わたしは「成長の限界」は読んだことはありませんが、「成長の限界」やローマ・クラブについては、いろいろな情報源から見聞きして、世間の常識程度の知識は持っているつもりです。その知識によって、ローマ・クラブについて述べたのが、雑草Zさんがとりあげた部分です。雑草Zさんは「成長の限界」のアップデート版をお読みになって、わたしよりもくわしく内容を知っていらっしゃるのですから、わたしの態度についてではなくて、わたしが言ったこと自体について、具体的な再批判をしてほしいです。
わたしは、「人口爆発」を甘く見ているのではなくて、食料増産と飢餓とによって人口が制御されている、という、「開発・開拓・拡張に駆り立てる病に犯された社会」の大きな構造を指摘しているにすぎません。
マルサスやローマ・クラブがたれ流す言説を受けて、食料増産と飢餓とによって人口が制御されている「開発・開拓・拡張に駆り立てる病に犯された社会」にあっては、まったく有害無益の人口抑制策が必要だと感じるようになったとすれば、それは「洗脳された」と呼ぶにふさわしいと思います。


>(ほ)>自給的食料獲得の社会では、社会心理的な意味での拡張衝動がありませんから、人口も、ある一定の水準で落ち着くはずです。

>自給的食料獲得の社会はわかりますが、人口調節・・産児制限などはその社会でなされていないと思うのですか?・・かなり表面的ですね。その根拠は?


文化による自発的な調整を「人口調節」と呼ぶとすれば、それはあるのでしょう。しかし、「安定した人口で、自然と調和して、平和に暮らす社会」では、「開発・開拓・拡張に駆り立てる病に犯された社会」でときに見られるような、人びとの意思に反した、暴力的な人口抑制策は、おこなわれません。
「食料の配分の偏り」も少なくなりますから、飢餓も少なくなります。「開発・開拓・拡張に駆り立てる病に犯された社会」では、原理的に「食料の配分の偏り」をなくすことができませんから、人口抑制策などいくらやっても、飢餓をなくすことはできません。人口抑制策は、激流の中を、泳いでさかのぼろうとするようなものです。苦しみを増させるだけです。


>(へ)>人口を減らそうとする必要はありません。「開発・開拓・拡張に駆り立てる心の病」が癒えていけば、人口は少しずつ減っていって、ある一定の水準で安定するはずです。

>どういう理由で少しずつ減っていくか教えてください。飢餓、産児制限、どちらもないとお思いですか?江戸時代にも人口抑制策があった事を認めないのですか?


「安定した人口で、自然と調和して、平和に暮らす社会」では、文化による自発的な調整があるので、飢餓や産児制限は、必要ありません。
江戸時代は、都市と農村が分化した、きびしい身分社会ですから、そのままお手本にすることはできません。


>(と)>圧倒的に人口を膨張させられて、その制御法としては、もはや飢餓しか現実的にはありえない状況の中で、産児制限をするのは、激流を泳いでさかのぼろうとするようなものです。

>その例えは、適切だと思いませんが、その例えで言う「産児制限」とは、激流の元のダムを閉じるになるでしょうから、十分に効果はあります。


食料増産と飢餓とによって人口を制御している「開発・開拓・拡張に駆り立てる病に犯された社会」の実態を、あまりにも甘く認識しすぎています。世界の栄養不足人口は8億5000万人で、総人口の12%を占めます。インドの人口抑制策は失敗したようですし、中国の人口抑制策は、ますます暴力的になっているようです。人口抑制策で飢餓を減らせる、なんていうのは、完全な幻想です。
もちろん、「食料の配分の偏り」をなくせれば、あしたにでも、飢餓はなくなります。雑草Zさんにそれができるならば、どうぞぜひやってください。


>(ち)>こういう一種の社会変革を、上から一気におこなおうと考えると、それは限りなく不可能ということになります。

> 自給自足の社会変革も一気におこなおうと考えると、それは限りなく不可能と言う事は同じです。プランテーションが引き上げてもそこの原住民の多くは、換金食物を育てるわけですから。

> どちらの変革も徐々にだし、個人の意思と社会のコンセンサスが必要でしょう。


そうですね。


>(り)実効性のある人口抑制策で、暴力的でないものがあったら、教えていただきたいのですけど。

> 避妊や晩婚など沢山あるでしょう。実際も、政府の方針でなくとも晩婚や非婚、避妊具によって少子化していますよ。
>日本の人口はまだ多すぎると思いますから、もっと産児制限すべきです。自給自足できずに少子化に歯止めを!!と言ってるのは愚かです。


世界規模で考えれば、「実効性のある人口抑制策で、暴力的でないもの」はないと思います。
「避妊や晩婚」は、自発的なものであれば、暴力とは言えないと思います。ただ、日本の人口増加の鈍りは、社会不安ととなり合わせのようなところがあるので、あまり幸福なことではないように思えます。

あと、余計なお世話かもしれませんが、「日本の人口はまだ多すぎる」とか「もっと産児制限すべきです」とかいった口調は、支配者のそれです。わたしは、一生活者として、そのような口調で言われる立場のものですので、もし自分の口からこのような言葉が出たら、と想像してみると、激しい違和感を感じます。
「安定した人口で、自然と調和して、平和に暮らす社会」をつくるのが、第一。人口は、社会がいいほうに変化していくにつれて、ゆっくりと、適切な数に落ち着いていくのだと思います。


>(ぬ)最後に繰り返しますが、私はこのブログにもはっきり書いているように、「開発・開拓・拡張・成長」反対派です。田中さんよりもはっきりしつこく書いています。
>その上で 人口爆発と経済成長は、セットの環境問題の本質と言っています。

>人口爆発を憂えたり、人口抑制を主張する事が、「開発・開拓・拡張・成長」派だという田中さんの主張は、かなり無茶苦茶です。それはオリジナルですか?誰か他に同じ考え方の人がいるのでしょうか? 


人口増加は、自然現象ではありません。「開発・開拓・拡張に駆り立てる病」に犯された人たちが増加させ、食料増産と飢餓とによって、現在のバランスに保っているものです。そして、人口抑制策は、苦しみを増させるだけで、飢餓をなくすことには役に立ちません。それなのになぜ、たびたびその主張がなされるかというと、一つには、「開発・開拓・拡張に駆り立てる病」に犯された人たちが増加させ、食料増産と飢餓とによって、現在のバランスに保っている事態を自然現象のように誤解させて、真の原因を隠し、真の問題解決へ向わないようにする陰謀なのですし、またもう一つには、人口抑制策という口実によって、弱い民族をさらに傷めつけようとする策略でもあるのです。

このような、全然無茶苦茶ではない、理路整然とした考え方は、今回、雑草Zさんとのやりとりの中で思いついたものです。つまり、オリジナルです。今現在のわたしには、しごく当然だと思われる考え方なのですが、いろいろ思い返してみて、このように言っている人は、ほかにはいないように思います。

ディープ・エコロジー
雑草Z
    田中敬三 さん

 御返事有難う御座います。
 今回田中さんがおっしゃたような考え方は、私や、持続可能な社会を目指す原始社会を目指す方には心の底にある思想だと思います。
 「生産縮小して、貨幣経済を捨ててある程度原子生活に戻るべきだ・・・」などと同僚などと議論した事が何度かありますが、彼らから決まって返ってくる言葉は、
「人間が便利さを覚えたら、過去には戻れない・・」
「科学による人類の進歩を全て否定するつもりか?」
「お前先に原始生活してみせて・・・」
 のような感じです。
どれも田中さんのおっしゃるところの
「開発・開拓・拡張に駆り立てる病」に犯された人たちの言葉だと思いますが、こういう意見が世の中の主流ですから、
田中さんのおっしゃるところの社会を実現するのは並大抵の事では無理・・・というか、夢の絵空事・・といわれるでしょう。でも、私もその手の考えは大賛成です。
 私はまだ、読んだ事がありませんが、
ディープ・エコロジー という考え方だと思います。
こういうお考えの方が増える事を嬉しく思います。

 因みに田中さんの目指す社会は、コメントを読むと農耕社会より前の、狩猟採取時代に見えますが・・・
 
 もっとコメント返ししたいところですが、仕事に参りますのでここまでに。

 そうそう、「成長の限界」は、田中さんのおっしゃる
「開発・開拓・拡張に駆り立てる病」に犯された人たちから、沢山の反論を受け、攻撃を受けたり、無視を決め込まれたりしたと思います。
 著者の一人がエコビレッジのような自給自足のモデル社会を実践していたようです。
 


わたしは「ディープ・エコロジー」というものなのですか。調べてみます。
田中敬三
> 因みに田中さんの目指す社会は、コメントを読むと農耕社会より前の、狩猟採取時代に見えますが・・・


森林が十分に回復すれば、狩猟採取のほうが、安定した社会になるでしょうね。労働時間も少なくてすむらしいですし。もっとも、砂漠化が進行している現状では、限りなく困難ですが。


> そうそう、「成長の限界」は、田中さんのおっしゃる 「開発・開拓・拡張に駆り立てる病」に犯された人たちから、沢山の反論を受け、攻撃を受けたり、無視を決め込まれたりしたと思います。


学者さんは、一所懸命、スポンサーが喜ぶような作文をしますが、ビジネスの世界は、あっちがもかれば、こっちはそんをする、ということが多いですから、生産や消費についての考え方を発表して、みんなに喜ばれる、ということは、むずかしいのだと思います。


> 著者の一人がエコビレッジのような自給自足のモデル社会を実践していたようです。


そういう人も、いてもいいのではないでしょうか。

コミュニケーション・ブレイクダウン
雑草Z
    田中敬三さん

「時間をずらして生きる」の話の私の意図する事を伝える努力は止めましょう。今度こそ・・・と思いましたが、駄目ですね。論旨にないけど、その背後にある(とあなたが勝手に想像する)内容をどうしても付け加えたいようです。・・・それが伝わらない理由でしょう。

>人間が生まれてくる「元になる何か」を想定する考え方は、霊魂の考え方の変形ですし、

>撤回されたようですが、

撤回するも何も始めから霊の話などしていないと何度断った事やら。私が違いますと言って何をかんぐる必要がありましょう?私が信じていないものを勝手に作って、シャドーボクシングされても、困ります・・・といいたいところですが、困るというよりも田中さんに理解してもらおうと努力しなければ済むお話です。・・・まさか、冷やかしで話を混乱させているわけではないでしょう??

 まあ、ここにもう一度書いてみましょうか。


 限られた地域の山に住んでいる人間が、そのキャパを超えて人口増加したら、そこの木は切りつくされて、食料もなくなり、滅んでしまいます。
 しかし、少ないゆとりのある人数で質素に自然と調和して生活すれば、切った木と同じ(以上)の木が育って、食料も再生されて、持続可能な社会になれるのです。ついでに他の生物も激減させたり絶滅させたり致しません。

だから、

>太さと長さを掛け合わせた総数

は一定ではありません。太さ(あまりいい表現じゃないですね→実際生きている人口)が自然の再生速度を下回れば、自然の再生可能な食料などのみ利用している分には、半永久的に人類は生きていける事が可能・・という事です。これが持続可能な社会の基本でしょう。


そういう人口抑制策は、田中さんからは、許せないのでしょう。許せないから、私が

>「開発・開拓・拡張に駆り立てる病」に犯されている



 
 始めのオリジナルの記事【より多くの人間が地上に住む方法】http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-263.html

 からこのような事を一貫して述べてまして、それを質問されて説明する過程で、誤解を受ける書き方をしたのだなと、何度も書き直しましたが、その度に、全く意図しない事を言われるのは、心外です。

・・・と言って、今度は納得ですか?・・・とはお聞きしません。

 あなたは、私を
霊的なものを信じている、人口爆発を煽って、人口抑制策を主張する
>「開発・開拓・拡張に駆り立てる病」に犯された人

というレッテルを貼ってそれに従って物事を考えているようですので、他が目に入らないようです。



>食料増産と飢餓という形での人口抑制は、必ずセット

これは地球が無限と考えた場合でしょう。
地球の有限性を考えた場合、寧ろ逆の概念になります。
何度も、私にステレオタイプの経済主義者を想定されて熱い思いを語ってもお門違いです。

でも、私は人口抑制主義者だから、田中さんから見れば、ステレオタイプの
>「開発・開拓・拡張に駆り立てる病」に犯された人
なのでしょうね。だから、そういうお答えしか返ってこない・・・


始めの質問
(い)田中さんの定義するところの自然増加について、教えてください。

のお答えが
>最初の問いへの答えは、「雑草Zさんが「人口爆発」と呼んでいたもののことです

つまり、自然増加という概念は、一般に人口爆発と呼ぶものという事ですか?
あなたの今までの議論と全く逆でしょう。単純ミスでしょうか?


 ディープ・エコロジーは、今のところ思いつく持続可能な方法ですので、他の有効な方法がない限り、ディープ・エコロジーの一つに落ち着くべきかと以前より考えております。
 田中さんのおっしゃるディープ・エコロジーも可能な人口のマキシマムは、せいぜい10億だと思います。そこまで人口を減らすのにも産児制限が必要だといっているのです。


一つ一つに突っ込みどころは満載でまだまだ反論はありますが、
あなたの、レッテル貼りには、通じないようですので、この辺でやめておきます。




田中敬三
>>人間が生まれてくる「元になる何か」を想定する考え方は、霊魂の考え方の変形ですし、

>>撤回されたようですが、

>撤回するも何も始めから霊の話などしていないと何度断った事やら。私が違いますと言って何をかんぐる必要がありましょう?私が信じていないものを勝手に作って、シャドーボクシングされても、困ります・・・といいたいところですが、困るというよりも田中さんに理解してもらおうと努力しなければ済むお話です。・・・まさか、冷やかしで話を混乱させているわけではないでしょう??


冷やかしなんかではありません。非常に大切なことを議論しているのです。

生まれてくる人の総数というのは、どうにでもなるのに、なぜそれを問題にするのですか。雑草Zさんが生まれてくる人の総数について語るということは、雑草Zさんは生まれてくる人の総数を実体化している、つまり、どの辺がはじまりか分かりませんが、人類のはじまりから、どのぐらい未来か分かりませんが、人類の消滅までを通して、生まれてくる人をずらっとならべて数を数える、ということを思い浮かべているわけですよね? 、この総数というのは、何の意味もないと、わたしは思います。
過去に生まれた人の数は、推測するなんて、科学的に言って、不可能と言っていいぐらいに困難です。未来に生まれる人の数に関しては、未来を見通せる人もなければ、予想のしようもありません。こんなわけの分からない「総数」を、雑草Zさんは、わたしに思い浮かべさせようとしているのですよ。実体のないものを実体があるように思い浮かべさせようとしているのです。そして、この人類の総数という、わけの分からない数字を想像させて、人口抑制策の被害をこうむる人たちをなぐさめよう、というか、ちょろまかそうとしているだけではないのですか。不快です。

人間の数を数えるためには、一人一人が個物として分離していなければなりません。空想上の人びとを数えるためには、数えられる人たちの一人一人の本質を想定しなくてはなりません。たとえば、首と体が切れている場合、これを二人とは数えません。本質が脳にあるか、心臓にあるか知りませんが、とにかく、一人一本質があると想定しなくては、実体のない空想上の人びとを数えることはできません。この、人間の本質のことを、一般には「霊魂」と呼びます。「いのち」でも「人格」でも、宗教臭の少ない語に言いかえるのは、自由です。

「撤回されたようですが」というのは、「人類の総数があらかじめ一定数に決められている」という考え方のことで、今述べた「総数」の意味なし具合とは、ずれていますので、これを霊魂の話に結び付けて憤慨するのは、誤解です。


> 限られた地域の山に住んでいる人間が、そのキャパを超えて人口増加したら、そこの木は切りつくされて、食料もなくなり、滅んでしまいます。
> しかし、少ないゆとりのある人数で質素に自然と調和して生活すれば、切った木と同じ(以上)の木が育って、食料も再生されて、持続可能な社会になれるのです。ついでに他の生物も激減させたり絶滅させたり致しません。

>だから、

>>太さと長さを掛け合わせた総数

>は一定ではありません。太さ(あまりいい表現じゃないですね→実際生きている人口)が自然の再生速度を下回れば、自然の再生可能な食料などのみ利用している分には、半永久的に人類は生きていける事が可能・・という事です。これが持続可能な社会の基本でしょう。


こういう説明ならば、よく分かります。


>そういう人口抑制策は、田中さんからは、許せないのでしょう。許せないから、私が

>>「開発・開拓・拡張に駆り立てる病」に犯されている

>と
> 
> 始めのオリジナルの記事【より多くの人間が地上に住む方法】http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-263.html

> からこのような事を一貫して述べてまして、それを質問されて説明する過程で、誤解を受ける書き方をしたのだなと、何度も書き直しましたが、その度に、全く意図しない事を言われるのは、心外です。

>・・・と言って、今度は納得ですか?・・・とはお聞きしません。

> あなたは、私を
>霊的なものを信じている、人口爆発を煽って、人口抑制策を主張する
>>「開発・開拓・拡張に駆り立てる病」に犯された人

>というレッテルを貼ってそれに従って物事を考えているようですので、他が目に入らないようです。


何か、被害妄想になってませんか。
わたしが言っているのは、人口抑制策は意味がないし、倫理的でもない、ということなんですけど。


>>食料増産と飢餓という形での人口抑制は、必ずセット

>これは地球が無限と考えた場合でしょう。
>地球の有限性を考えた場合、寧ろ逆の概念になります。
>何度も、私にステレオタイプの経済主義者を想定されて熱い思いを語ってもお門違いです。


わたしは、食料増産と飢餓によって人口が制御されている、という、現状の世界の大きな構造について説明したつもりです。圧倒的な食料生産と、圧倒的な飢餓にはさまれて、世界の人口は推移しています。
わたしは、雑草Zさんが、人口抑制策がいいことだというイデオロギーに洗脳されている、とは思っていますが、「テレオタイプの経済主義者」だとは、思っていません。ですから、人口抑制策が効果を生んでいないことや、暴力的におこなわれていることや、わたしが想像する、人口抑制策を宣伝する人たちの、隠された意図などを語ってきました。
わたしが言っていることが間違っているのでしたら、どこがどう間違っているか、教えてください。


>始めの質問
>(い)田中さんの定義するところの自然増加について、教えてください。

>のお答えが
>>最初の問いへの答えは、「雑草Zさんが「人口爆発」と呼んでいたもののことです

>つまり、自然増加という概念は、一般に人口爆発と呼ぶものという事ですか?
>あなたの今までの議論と全く逆でしょう。単純ミスでしょうか?


「自然増加という概念は、一般に人口爆発と呼ぶものという事」ではなくて、雑踏Zさんが引用したわたしの文にある「自然増加」という語は、雑草Zさんが「人口爆発」と言っていたものを言いかえたものだ、ということです。なぜ、そのように言いかえたかは、そのあとの文で説明してあります。ミスではありません。


> ディープ・エコロジーは、今のところ思いつく持続可能な方法ですので、他の有効な方法がない限り、ディープ・エコロジーの一つに落ち着くべきかと以前より考えております。
> 田中さんのおっしゃるディープ・エコロジーも可能な人口のマキシマムは、せいぜい10億だと思います。そこまで人口を減らすのにも産児制限が必要だといっているのです。


わたしは、世界中の人が自給するようになることは、遠い将来の夢としては、思い浮かべますが、近い将来では、そのようなことになるとは、まったく想定していません。自給の大切さに気づいた人から、少しずつ、ゆっくりと、自給的生活に切りかえていけばいいと、考えています。
それから、産児制限によって人口を減らすことは、不可能だと思います。また、そのような人口抑制策は、倫理的でないと思います。その理由は、すでに何度も述べましたので、繰り返しません。


>一つ一つに突っ込みどころは満載でまだまだ反論はありますが、
>あなたの、レッテル貼りには、通じないようですので、この辺でやめておきます。


わたしは、雑草Zさんが、人口抑制策がいいことだというイデオロギーに洗脳されている、とは思っていますが、「テレオタイプの経済主義者」だとは、思っていません。わたしのどの文が、わたしが雑草Zさんを「テレオタイプの経済主義者」だというレッテルと張っていると思われたのでしょうか。具体的な文をあげて、指摘してください。

わたしは、雑草Zさんが、ご自身の信念で人口抑制策がいいことだと主張なさるのは、別に何とも思っていません。世の中の異論にいちいちツッコミを入れていたら、身がもちません。ただ、わたしはこの「雑草の言葉」は、冷静に議論をできるところだと思っていたので、自分の考えを述べてみました。ここがそういうところでないのならば、黙っています。

コミュニケーション・ブレイクダウン2
雑草Z
    田中敬三 さん

 ここのところいつも思いもよらないコメントが来ますね。毎回、脱力感がありましたが、そろそろ慣れてきました。

>「撤回されたようですが」というのは、「人類の総数があらかじめ一定数に決められている」という考え方のことで、

いいですか?

>「人類の総数があらかじめ一定数に決められている」

撤回も何もこんな事も思ったこともないし、記事に書いてもいません。ただ、あなたがそう誤解されたようなので、そんな事を意図していないと明記しましたが、それが、「撤回」ですか??

 全く私が意図していない事で反論されても、私が答える必要はありません。あなたの理想とするステレオタイプのご意見を言う方を見つけて、思う存分バトルしてください。
 霊を信じるとか、人類の総数があらかじめ決まっていると思っている方と。私だって、そんな方はへんだと思いますが、まあ相手にしないでしょうね。

 因みにそこのマシンガンのような一人相撲の反論は、かなり的を得てる部分もあると思いますよ。その手の議論は、子供のとき、色々考えるものでしょう。・・子供にも矛盾を指摘されるような軽率な何の根拠もないと思っている事を主張いたしましょうか?

 あなたが、自分で思い込みの相手に対して、とうとうと、書いているのでシャドウ・ボクシングと書かせて戴きました。日本語で言うと「独り相撲」でしょうか?
 今までの全部のコメント、記事に、「人類の総数があらかじめ一定数に決められている」とは一度も書いてません。

なんで、自分が主張した事もなく、そんな無茶苦茶な主張をしましょうか?
 議論が進展しないどころか、迷宮に入り込んでしまいます。


>「ステレオタイプの経済主義者」だとは、思っていません。

てですね。
①「安定した人口で、自然と調和して、平和に暮らす社会」をつくるのが第一・・見たいな事は、共通理解として同意しました。でもそれは、経済成長主義者には通じない事でしょう。または認めないところでしょう。

 その、自然と調和した生き方を考察した事がある人なら、わかり切った基本的なことを何度も繰り返すのは、私が理解してないと考えているからでしょう?つまり、あなたのコメントは経済成長主義者への口調と同じだという事です。
 


>ただ、わたしはこの「雑草の言葉」は、冷静に議論をできるところだと思っていたので


ご自分で冷静と思っても、シャドウ・ボクシング(独り相撲)の繰り返しは禁止です。辟易です。議論が進展致しません。

 あなたはある部分で冷静な方かもしれませんが、固定概念の思い込みが激し過ぎませんか?。先入観が間違っている可能性を考えられないのですか?そうでなければ一部の文章の読解力が著しく欠如いたしております。(または、裏読みし過ぎるのでしょうか?)まあ、なんでもいいですけど、私が主張してない事を私に長々と反論するのはお門違いです。

 交通整理して、あなたの主張が、科学的にも史実でもかなり不確実な事を前提に話を進めている事をご指摘しようと思っていましたが、そこまで行き着くどころか、逆行してますので止めます。時間の無駄です。

と、言う事で御仕舞いの獅子舞。田中さんは、素晴らしい思想もお持ちのようですが、コミュニケーション・ブレイクダウンしているから議論できません。


 田中さんの自給的な生き方は、素晴らしいと思います。尊重致します。


「地上に生まれる人の数」には意味がありません
田中敬三
長めのタイトルをコピペして入れたのがよくなかったのでしょうか。表示がへんになってしまったようです。

要点だけを繰り返しますね。
雑草Zさんがこだわっている「地上に生まれてくる人の数」には、意味がないです。
ピテカントロプスは数にはいるのか、とか聞いたりして、その無意味さに気づいてほしかったのですけれど…。

>「人類の総数があらかじめ一定数に決められている」

これは、地上に生まれてくる人の数を1兆人として、説明していたことを受けています。わたしが、何で1兆人に決められているのか、と質問したあとで、固定数でなくてもいいと言ったのです。そのことを「撤回」と表現しました。

「タイムシェアリング」がどうの言ってらしたあたりから、雑草Zさんは、自分の頭の中にある考えを文にするときに、はしょりすぎなのです。書いている本人は、頭の中で補っているから、分かるように書いているつもりになっているのです。分からない文を書いておいて、読んだ人の読解力がない、なんて言うのは、ものすごく失礼です。


コミュニケーション・ブレイクダウン3
雑草Z
    田中敬三 さん


 最近はあなたからのありがたいコメントしか来なくなりましたね!残念です。

>雑草Zさんは、自分の頭の中にある考えを文にするときに、はしょりすぎなのです。書いている本人は、頭の中で補っているから、分かるように書いているつもりになっているのです。

 そこまでお分かりだったら、私の意図するところをわかるでしょう?
私もそう思ったから、何度も色んな表現で言い換えました。
撤回ではなく同じ内容の換言です。

私の何回目かの説明の

> 限られた地域の山に住んでいる人間が、そのキャパを超えて人口増加したら、そこの木は切りつくされて、食料もなくなり、滅んでしまいます。
> しかし、少ないゆとりのある人数で質素に自然と調和して生活すれば、切った木と同じ(以上)の木が育って、食料も再生されて、持続可能な社会になれるのです。ついでに他の生物も激減させたり絶滅させたり致しません。

に対して田中さんは

>こういう説明ならば、よく分かります。

と合意したではないですか?

>分からない文を書いておいて、読んだ人の読解力がない、なんて言うのは、ものすごく失礼です。

ってわかってて、ご自分が都合のいいように解釈して、言いがかりをつけて来るほうがよっぽど失礼というものでしょう。

>何で1兆人に決められているのか、と質問したあとで、固定数でなくてもいいと言った

あのですね。もの事を比べるときは、同じ条件を考慮するでしょう。1兆人は、地上に現れるのは不可能だけど。10億人ずつだったら、累計で一兆に達するのも可能だと言ったまでです。それでは分かりにくい表現なら、と別な言い回しにしたのです。

>要点だけを繰り返しますね。
>雑草Zさんがこだわっている「地上に生まれてくる人の数」には、意味がないです。
>ピテカントロプスは数にはいるのか、とか聞いたりして、その無意味さに気づいてほしかったのですけれど…。

こんな幼稚な議論で話すほうが失礼ですよ。

>ピテカントロプスは数にはいるのか

の手の境界論は、子供がよく考える話です。十分に理解しています。しかし、私は最初の
http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-263.html

>これから先、地上に、無限とは言わないまでも、より多くの人間が半無限的に存在する為の必要条件を考えて見ます。

と、書いています。過去に存在した数の事に言及してませんから、ピテカントロプスは関係ないし、
 
>その無意味さに気づいてほしかったのですけれど…。

こんな稚拙な論理にこのような事を書くほうが馬鹿にしていますよ。

因みに数を問題にしてもいません。そこは、やはり田中さんがおっしゃったようにはしょりすぎだと思ったので、何回も換言いたしました人間社会が永続する為の必要条件という意味です。


  本筋の議論ならいざしらず、
なんどもなんども「おまえがこういう考えだろう」と、意図してない事を次から次に言って来て、それに必死に、
病気を治してあげるの類の言葉を言うほうが、失礼というものでしょう。

>人をだます宗教家と、本質的には、同じなんです。
>その時代ごとにいる人数はすくなくても、長く生きれば、総数は同じになるから、さびしがることはないよ、っていうなぐさめでしょう?

こんな事意図していると思うのは、読解力がないのでなければ、言いがかりです。

自分のご意見は考える分には勝手ですが、他の人が主張していない事を、そう言う意図だったろうと言ったら議論になりません。私に嘘の自白の強要を迫るおつもりですか?

>ま、いいですよ、お立場上、言いにくいこともあるのかもしれませんから、田中との議論は決裂したことにでもしてください。

言いにくい事は上に何度かいいました。自由な議論に入る前に、あなたのシャドウ・ボクシングでおわったので、
「議論は決裂」というよりも、コミュニケーション・ブレイクダウンでしょうね。まあ、あとこの手の不毛な議論をしないので済むならば、どちらでもいいですね!!


 繰り返しますが、田中さんの自給自足を目指すという趣旨には賛同いたしております。
では、さようなら!


ブレイク 追伸
雑草Z
    田中敬三さん

3月5日のコメントと3月6日のコメントを繋げたようですが
その際、強調文字の解除がしてないようなので、その後のコメントもみんな強調文字になってしまっています。
すみませんが記号
・/strong>  とか  ・/div>
あたりを削除するなりして強調文字を解除して下さい。
直らない場合、概等するコメントを削除をする形になります。
 宜しくお願いします。


「地上に生まれてくる人の数」にこだわらないならば、ノー・プロブレムです
田中敬三
「地上に生まれてくる人の数」がどうでもよくて、数を問題にしていない、というのであれば、わたしには何も問題ありません。

>>人をだます宗教家と、本質的には、同じなんです。
>>その時代ごとにいる人数はすくなくても、長く生きれば、総数は同じになるから、さびしがることはないよ、っていうなぐさめでしょう?

>こんな事意図していると思うのは、読解力がないのでなければ、言いがかりです。

「地上に生まれてくる人の数」に意味があると言うのでしたら、どうして、それが、人をだます宗教家と本質的には同じであるか、ということを、もう少していねいにご説明する用意はあります。
わたしが、「言った本人が意図していない」という意味での「誤解」をしたのかもしれませんが、なぜそういう、「言った本人が意図しない解釈」をしたかを、わたしは説明しました。ですからこそ、雑草Zさんは、何度も言いかえをして、わたしが納得できる表現にいたったのではありませんか。
考えるという行為は、本質的に対話です。自分ひとりで考えていても、それは仮想の聞き手に語りかけることで成り立つ対話なのです。まして他人が読んでいるのですから、「言った本人が意図ない解釈」が出てくるのは当たり前で、それを侮辱と受けとるのは間違いです。むしろ、文章の不完全さを修復するヒントをもらった、というふうに受けとるべきでしょう。

それから、わたしの読解力は、もしかしたら弱いかもしれませんが、ないわけではありません。

ローマ・クラブについてや人口抑制策については、「さようなら!」ということらしいので、わたしは自分のブログでゆっくり考えることにします。

Re:ブレイク 追伸
田中敬三
トップページのコメント更新に出ていないので、きょう、初めて気づきました。

わたし、コメントをつなげたりしていません。
直し方なんて、分かりません。Pass かけてないし。
fc2 は、ブログの管理者がコメントを直せないのですか?

太字が見にくくていやなら、コピーしてアップしなおすとか、やり方はどうにでもなるのではありませんか。
わたしに要求されても困ります。

削除したければ削除すればいいでしょう。

強調解除
雑草Z
    田中敬三 さん

 コメントつなげていないのはわかりました。
2008/03/05(Wed) 23:54 のコメントの、強調解除していないと思われるので、コメントばかりかそれ以前の記事全てが強調になってしまったという事です。
2008/03/05(Wed) 23:54 のコメントの、始めの部分の強調解除して下さい。
やり方がどうにでもならないので、(それはFC2のバグだと思いますが)田中さんに頼みました。
ブログの管理者が人のコメントは直せないようになっていると思います。削除は可能ですが。そこを削除した場合、話が繋がらなくなるので、田中さんの意向を聞きました。

わたしのほうからも解除できません
田中敬三
「編集」をクリックしてみましたが、編集ウィンドウが開きません。Pass をかけていないから、投稿者本人にも編集できないのだと思います。

「強調」も、わたしが本文にかけたのではなくて、タイトルの「強調」が押し流されているんだと思います。

そのままでも、太字で読みにくいというだけですから、それでもいいと、わたしは思いますが、どうしても体裁よくしたいというならば、コピーととったあとで、該当コメントを削除して、コピーを元にコメントをつくり直す、という方法ではどうでしょうか。投稿日付はずれることになりますが、コメントのならべ方が同じにできるなら、さして気にならないと思いますが。管理者が任意の位置にコメントを挿入することは、できるのでしょう? Name のところに「田中敬三」と入れて、つくり直せないのですか?

過去の記事すべて太字では困りますので
雑草Z
田中敬三 さん
>長めのタイトルをコピペして入れた

で文字制御が完結しなかったので制御トラブルが発生したと考えられますので(違っていた場合、すみません)
該当部分の記事の削除させていたします。
>2008/03/05(Wed) 23:54
でもだめなら
>2008/03/06(Thu) 06:30
の部分となります。
いいでしょうか?
スパム・コメントの類ではないと思いますので、一応了解とりますね。
田中さんのおっしゃるような再生ができない場合も想定して、消えてしまうのが心外な場合、そちらでもコピペ等で、バックアップしておいてください。

よく分かりませんが、削除は雑草Zさんのご随意に
田中敬三
>スパム・コメントの類ではないと思いますので

というのが、どういう意味だか分かりません。
なぜわたしがパックアップしなくてはいけないかも、分かりません。

まあ、何であれ、わたしは、

>削除したければ削除すればいいでしょう。

と言いました。この気持ちは、かわりません。


雑草Z
    田中敬三 さん

 この部分に関しては大体誤解が解けたようなので良かったと思います。本筋でない事で水掛け論を致しても仕方ありません。

>なぜそういう、「言った本人が意図しない解釈」をしたかを、わたしは説明しました。

との事ですが、あなたはその説明と言うよりも寧ろ、確認もせずに間違った解釈のまま、それに対する反論を壊れたレコードのようにとうとうと述べていただけですよ。だから、「シャドウ・ボクシング」と呼ばせて戴きました。不毛な議論でした。


 でも、わかって戴けたようなのでいいです。本当にそう解釈したのなら当方も「失礼」と言う言い方は失礼でしたね。

 今回の議論で大筋で相反するのは人口問題の事でしょう。
でも、その前段階で終わりましたね。
しっか説明致すまでに至りませんでしたが、まあいいでしょう。

 自然と調和した生き方を目指すと言う意味では大きく同じ目的でしょうから。
田中さんがご自分のサイトでゆっくり考えるのに賛成です。

「言った本人が意図しない解釈」=間違った解釈、ではない
田中敬三
雑草Zさん、また余計なことを言ってますね。

「言った本人が意図しない解釈」=間違った解釈、ではありません。タイムシェアリングとか、地上に生まれる人の数とか、そういう不完全な考え方をわたしが指摘して、すっきり分かりやすい表現に言いかえることができたのではないのですか。

わたしは、雑草Zさんが、人口抑制策の是非について議論したがってないと感じたから、自分のサイトで考える、と言ったのです。
ここで続けていいのならば、続けますよ。これは、シャドウボクシングではありません。あなたがリングにあがらないだけです。

そうですね。余計な事をいいましたね。
雑草Z
田中敬三 さん

 あなたとの議論は、不毛なのでお互いやっても仕方ないと思いますが、もともと人口問題の議論の筈が、話が別の方向に拡散してしまいました。
話が拡散しないように人口問題に絞って、
ピテカントロプスが数に入るか・・とかの幼稚な論法でなく
まともな議論するのであればお相手いたしましょう。

でも、結論は平行線で終わりそうですけどね・・。

では、ゆっくり、続けましょう
田中敬三
ぼちぼちと、対話を続けることにしましょう。

>ピテカントロプスが数に入るか・・とかの幼稚な論法でなく

これは、「地上に生まれる人の数」が意味がない、ということを分かってもらうための、思考実験のようなものです。幼稚なのではなくて、本質的なのです。
たとえば、この「地上に生まれる人の数」で言えば、人が生まれるのは地上に決まっているのに、ずいぶん奇妙な言い方をするなあと、わたしなら思うわけです。で、この人はもしかして、地上以外のところにも人がいる、と考えているのではないか、という「読み」が出てくるわけです。

「より多くの人間が地上に住む方法」という記事には、こうあります。

> 人間が持続可能な限度以内の人数でタイムシェアリング・・・つまり、時を別にして存在するという事です。同時に地上に存在する人間の数を持続可能な範囲内にとどめ、持続可能な人口以内で、永続的に世代を引き継いでいくのです。生まれる時代をずらすのです。少子家族で世代を持続させるという極めて単純な考え方が、最も理に適っているでしょう。

「生まれる時代をずらすのです」という表現に注目してください。これは、どの時代に生まれようかと、どこか地上以外のところに待機しているように読めます。
こういう、ある種の「裏読み」を、「言った本人が意図していない解釈だ」と、あなたは怒るのです。わたしは、「地上に生まれる人の数」みたいな表現をしていると、霊魂を想定しているように読めてしまいますよ、と指摘しているのです。霊魂を想定していないのならば、こういう誤解を生みかねないような表現は、つかわないほうがいいのです。

人間はおろかですから、戦争はなくなりそうもありませんし、飢餓もなくなりそうもありません。わたしは、人口抑制策も、「人口を減らせば、世界の諸問題は解決していく」という、間違った考え方から導かれた、世界にさらなる苦しみを与える政策だと、思っています。

もちろん、人口が少ないほうが、環境負荷が少ないのは、おっしゃるとおりです。世界の人口は少ないほうが、すごしやすいであろうことは、間違いありません。だからと言って、強制的な人口抑制策が許されていいことにはなりません。
実際の人口抑制策がどのようにひどいものであるかを、わたしは、インドや中国での例をあげて、説明しました。わたしのブログでも、再説しました。↓

栽培生活blog 「人口抑制策批判 その1」
http://saibai.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_54b6.html

イスラム教シーア派が、「個人が家庭の事情で避妊をするのは認めるが、国家による人口抑制策は認めない」と宣言した話題を紹介しましたが、わたしは、この感覚が、とても健全だと感じます。
個人の意思に反する人口抑制策は、暴力です。

「地上に生まれる人の数」という表現を変形して、「地上から飢餓が原因で死んでいく人の数」を考えてみましょう。わたしの考えでは、飢餓はコストのかからない人口コントロールの原理として、社会的に必要とされていますから、人口を抑制しても、飢餓はなくならないでしょうし、「地上から飢餓が原因で死んでいく人の数」も減らないでしょう。
飢餓は飢餓として存在し続け、人口抑制策による苦しみは、それを実施することによって、飢餓の苦しみとは別に、オプションとして付け加えられる苦しみになるのです。

どんなに環境が悪化しても生き残る、少数の人たちはいるだろうと、わたしは予想します。しかし、そうやって人類が生き残る、ということは、人口抑制策で今、現前のわたしやわたしのパートナーや、同じ民族同胞たちが傷つけられることの慰めにはなりません。
数字の操作だけで観念的に政策を構想するのはやめて、その政策が実施されたときに、末端の現場ではどういう現象が起きるかを、しっかり想像してほしいものだと思います。現場で起きる苦しみに責任を持てないならば、恐ろしいを発言を軽がるしくするのは、やめたほうがいいと思います。

すでに言いましたが、「人口抑制策」というアドバルーンは、人類の苦しみの、真の原因、真の解決策を隠すための策謀だと、わたしは思っています。

あと、もうひとつ。
対話というのは、いっしょにより完全な考え方を追究していくことで、ボクシングのように、勝ち負けを決めるためのものではないと思います。

テーマは拡散せずに一つずつ
雑草Z
    田中敬三さん

>対話というのは、いっしょにより完全な考え方を追究していくことで、ボクシングのように、勝ち負けを決めるためのものではないと思います。

その通りですね。その方向でいきましょう。

大きく人口問題についてのみ話題を絞りたいのですが、

>これは、「地上に生まれる人の数」が意味がない、ということを分かってもらうための、思考実験のようなものです。幼稚なのではなくて、本質的なのです。

この手の論法を使うのはやめましょう。本質でもなんでもない屁理屈好きな子供のようなレトリックです。本題に入れないでしょう。
 お互い生まれてくる人数の事を問題にしていたのではない事は同意いましたね。問題を逆行させてもしかたありません。

 それに、私が過去に地上に現れた人間の数を問題にしていない事は納得の上でそこはおいて置いても、
ただ単に議論として過去に地上に現れた人間の数とかは推測してもいい筈です。

それぞれの主張とは別に、

 本題の前に一つだけ確認しておきます。この手のレトリックばかり使うのは不毛です。 

意見の一致を見たからと言って、そこにいたる議論を「ちゃら」にすることはできません
田中敬三
>この手の論法を使うのはやめましょう。本質でもなんでもない屁理屈好きな子供のようなレトリックです。本題に入れないでしょう。


「そのような意図で言ったのではありません」ったって、そういうふうに読めるのですから、そこを正す必要はあるでしょう?
「言った本人が意図しない解釈」という意味に限定すれば、わたしは「誤解」しているのかもしれませんが、「言った本人が意図しない解釈」ができるような言い方をしているんですから、その責任はとってもらわなくてはいけません。
「わたしはそのような意図で言ったのではありません」ですむなら、「誤解」したほうが悪いというのであれば、何でもあり、になって、対話なんてできません。詐欺のたぐいは、やりたい放題になります。

過去にどれだけ人が生まれていようと、これからどれだけ人が生まれようと、それが多かろうと少なかろうと、そんなことは、現前する人びとの苦しみには何の関係もありません。だから、「生まれる人の数には意味がない」と、わたしは言ったのです。そしたら、雑草Zさんが「人の数にはこだわらない」と言ったので、そのへんで手を打とうと思って、「ノー・プロブレム」にしたのです。

「ピテカントロプスやネアンデルタール人は、生まれてきた人の数に入るのですか」という質問は、「生まれる人の数」という概念の無意味さをはっきりさせる、とてもよい思考実験です。こういう質問をばかにするものではありませんよ。
大人になると、こういう本質に触れるような質問を思いつきにくくなる、ということは、あるかもしれません。その意味で「幼稚」と感じるのかもしれません。しかし、子どものほうが真理を直観的につかんでしまうことは、よくあることで、そういうのを大人が一方的に押さえつけてしまうのは、不幸なことだと思います。
よって、屁理屈ではありませんし、こういう分かりやすい質問を思いついたときには、わたしはまた言うとおもいます。


> お互い生まれてくる人数の事を問題にしていたのではない事は同意いましたね。問題を逆行させてもしかたありません。


わたしが指摘した結果、問題にしないことになったのです。その順序、因果関係を確認しただけです。もとの表現では、数に意味があるようにしか、わたしには読めませんでした。


> それに、私が過去に地上に現れた人間の数を問題にしていない事は納得の上でそこはおいて置いても、
ただ単に議論として過去に地上に現れた人間の数とかは推測してもいい筈です。


いいですけど、そのようなことをする「意図」を、わたしは推測させていただきます。こういうことは、大切なんです。
たとえば、「成長の限界」でも、何でもいいですけど、データのとりかたとか、計算の仕方とかが合っているから、「正しい」と考えるのは、一面的なのです。そういう諸データを、そのような形に集積することによって、それを読む人たちに、一定の方向性を持った考え方をうながすとすれば、その考え方が正しいかどうかを、あらためて吟味しなくてはいけないのです。データが正しければ、それによって導かれる考え方も正しいと、単純には言えないのです。採用されないデータも、用意しようと思えば、いくらでも用意できるわけで、その集積のし方によっては、全く反対の方向の考え方にさえ、読む人を導くことができるのです。
あと、数え方として、それこそ「ピテカントロプスは数に入れるの?」的な疑問は、出てきます。どのへんから人間として扱うのか、ということです。はじまりをはっきりさせなければ、数は数えられません。


>本題の前に一つだけ確認しておきます。この手のレトリックばかり使うのは不毛です。


不毛だとは思いません。思考の枠組みを拡大する、創造的な方法だと思います。

なんか読むのがつらくなってきました
スモールイズビューティフル
田中さん、もうやめませんか?

あなたは、他人同士で交わす言葉が、お互いに寸分たがわずに理解しあえると思っているのですか?

そんなことはありえないことは、よく考えれば分かるはずです。

その上で、人は他人と会話するとき、自分はこう解釈したけど、もしかしたら違っているかもしれない、
ということを心の片隅に置きながら会話するものではないですか?

それを、自分はこう解釈したからといって、相手に責任を取れというのは、あまりよろしい態度とは思えませんが。

勿論、内容によっての違いはありますが、
少なくとも今回のやり取りを見ている限り、
私はあのコメントを田中さんのような解釈はしなかったですよ。

私には本題から外れている部分の言葉尻を取り上げて、いつまでもほじくり返しているようにしか見えないですが。

上記のこと、あなたの意図したことと違うとしたら、どう思いますか。




では、ちゃんと説明致しましょう
雑草Z
    スモールイズビューティフルさん

 ブレイクのコメント、有難う御座います。
 短い文に濃縮されたストラテジーはお見事です。私の何倍も説得力がありますね。

 意図した通りに解釈して下さると思ってかいた記事です。勿論
【より多くの人間が地上に住む方法】と言うタイトルは、どんどん人口が増えて一挙に地上に出現したら、それが実際は、最も人類が短命に終わり、出現する人類の数も最も少ししか生存出来ない愚行だよ・・と言う事を強調する為のレトリックです。
 そこを田中さんに曲解されたわけです。


* ****  ****  ****  ****  *


田中敬三さん

>「ピテカントロプスやネアンデルタール人は、生まれてきた人の数に入るのですか」という質問は、「生まれる人の数」という概念の無意味さをはっきりさせる、とてもよい思考実験です。


とても良い思考実験じゃなくて、とても幼稚な愚かな議論です。
あなたがあまりにしつこいので
この手の境界論がどれだけ愚かな議論か説明致しましょう。
どこが境界だか分からないから、数えられないと言うのは、一見至極当然な論理です。そんな事田中さんにご説明されなくても分かっていますが、それを言ったら、子供の屁理屈になると言ったのです。

あなたのその屁理屈なら
例えば
「世の中の人はみんなハゲだ」とか逆に
「世の中の人はみんな毛が沢山生えている」
どっちも説明出来ます。

 毛が1本だけの人はハゲですね。毛が2本だけの人もハゲですよね。・・・
一般に毛がn本ある人がハゲだとしたら、それより1本だけ毛が多い人も、勿論ハゲですね。・・この議論を繰り返せば、数学的帰納法によって、いくら髪の毛がある人もハゲになるのです。まあ数学的帰納法と言うよりは、数学的詭弁法とでも言うべきですね。

・・・こんな事を議論に持ち込むのは如何なものでしょう?
 田中さんは、この手の議論を持ち出して、過去に存在した人類の数を論じるのは無意味だと言ったのです。
 ・・ピテカントロプスは入るのか?ゴリラは入るのか?・・と。
そして、あげくのはてに、「この思考実験で無意味さに気付いて欲しい」などと・・・鬼の首でも取ったようにしつこく言うから、相手にしたくなかったのです。無意味と言うべきはその幼稚な思考実験です。この手の議論を考えるときには、境界線上についてはどこかで線をひくなりして、割り切らなければならないでしょう。それが主題じゃないのだから。

 私は、田中さんの

>かつてあった伝統的な自給的食料獲得の社会

に戻る事に賛同していますが、この理想的な社会だって、田中さんのような境界レトリック〔この言葉私が勝手に命名しました〕を使えば、
ピテカントロプスの社会はどうか?、ゴリラの社会は?って話になるじゃないですか!!

さらに私の

>生物学的に、天敵がいなくて、食料が十分にあって、快適な環境であれば、個体数は、激増するのは、明らかだと思います。

に対して

>人間は、本能に従って生きているのではありません。民族ごとに文化を持っていて、長い時間をかけて、自然と調和する生き方をつくりあげてきました。

にも、ピテカントロプスの文化は?ゴリラの文化は?ってな話になるでしょう。

ピテカントロプスよりも人間らしく理性がついてきて、さらに悪知恵がついて

>開発・開拓・拡張の病に罹患した

これは、農耕民族からですか?手工業からですか?産業革命からですか?っても質問出来ますね?!!


でも、そんな愚かな突っ込みは入れません。議論にならないし、ただ議論で相手をやり込めたい愚かな手法だとわかっているからです。
 たぶんその手の屁理屈を言おうと思えば私のほうがあなたより遥かに理路整然と(?笑)言えるでしょう。でもそんな事は致しません。
 そういう禁じ手で、相手をやり込めようとするのは、愚かで品性を疑われましょう。

   ×××× ×××× ×××× ××××

 まあ、田中さんのおっしゃるように、ここでの議論はボクシングのように相手を打ち負かすのが目的ではありません。
 主張も、人口政策以外は大体一致していますし・・。私は田中さんの自給を目指す方向は賛同いたしますし、ちょっと理想化し過ぎている嫌いはありますが、

>かつてあった伝統的な自給的食料獲得の社会

を目指すディープエコロジーもいいと思います。

今回の議論で、参考になった田中さんの意見も沢山ありました。
これまで私の書き方にも無礼があった事をお詫び致します。

スモールイズビューティフルさん
田中敬三

>あなたは、他人同士で交わす言葉が、お互いに寸分たがわずに理解しあえると思っているのですか?

>そんなことはありえないことは、よく考えれば分かるはずです。


全くそのとおりだと思います。


>その上で、人は他人と会話するとき、自分はこう解釈したけど、もしかしたら違っているかもしれない、 ということを心の片隅に置きながら会話するものではないですか?

>それを、自分はこう解釈したからといって、相手に責任を取れというのは、あまりよろしい態度とは思えませんが。


前段は、そのとおりだと思います。
後段は、わたしの主張は単純で、人口抑制策は暴力だからやめるべきだ、ということです。そして、人口抑制策を擁護するのもやめるべきだ、ということです。
「地上に生まれる人の数」には、何の意味もありません。なのに、人口抑制策にからむ文脈でこのことが語られる「意図」は何でしょうか。それは、「地上に生まれる人の数」が、ごまかしのなぐさめの言葉だからなのです。

このようなわたしの考えが間違っていると分かれば、わたしは、この考え方をとりさげて、スモールイズビューティフルさんのおっしゃるように、「もうやめ」にします。
ただその「間違っている」というのが、雑草Zさんの主観による判断ではなくて、わたしも納得できる判断であれば、です。

ということで、わたしの主張の中心と、今回の話題との、切っても切れない関係を説明しましたが、まだ、「本題から外れている部分の言葉尻を取り上げて、いつまでもほじくり返している」ように思われますか。

雑草Zさん
田中敬三

わたしは、「地上に生まれる人の数」には意味がない、と言い続けています。今回、雑草Zさんが「ピテカントロプス」は屁理屈だ、という説明をされたやり方は、まさにそのまんま、この「地上に生まれる人の数」を考えることの無意味さを証明していると思います。
人類のはじめをどこかに決めて、そこから生まれてきた人の数を概算できたとして、あるいは、将来人類が滅びるまでの間に生まれるであろう人の数を予測できたとして、その数が何の意味を持つのか、ということです。
何でそんなそんな、夢のような、つかみ所のない数を思い浮かべさせようと、必死になっているのですか、人口抑制策にからむ文脈で、そのような無意味な数を思い浮かばせようとするその「意図」は、ごまかしのなぐさめなのではないですか、というのが、わたしの主張です。
これに、答えてください。
雑草Zさんの「言った本人の意図」ではなくて、わたしを納得させられるように答えてください。

「ピテカントロプス」は、屁理屈でも、「禁じ手」でもありません。意味のある数であるならば、これこれの時代から人類と定義して、現在までは○○○○億人生まれています、と答えればいいだけです。で、その○○○○億人という数字が、どういう意味を持つのか、この数字が、この2倍でも2分の1でもなくて、この○○○○億人であることの意味を、雑草Zさんが人口抑制策を擁護する文脈の中でこの数字を思い浮かべさせる意味を、説明できるのであれば、説明してほしいのです。

「こだわらない」と言うので、もう触れないつもりでいましたのに、蒸し返したのは、雑草Zさんのほうですよ。

人類は、水を汚し、空気を汚し、森林を破戒し、砂漠化を進め、無数の生き物を絶滅させてきました。人類が早く滅んだほうが、生き物全体の幸福のためには、いいのではないか、という意見もあります。しかし、わたしは、生き物たちには申し訳ないですが、人類が更生するチャンスを与えてほしいと、お願いしたい気持ちでいます。

ちょっと、さそい水
田中敬三

話の流れが異端審問みたいになっている気がします。イメージが貧困になって、ついてきにくくなっている気がします。
「インチキ宗教みたい」と言ったので、かたくなになっているのかもしれません。
もう少し気持ちをゆるめて考えてみたいと思います。イメージのいい宗教にたとえてみようと思います。

日本で最多の信者数をかかえる仏教教団である浄土真宗という宗教があります。ここでは、念仏と言って、「南無阿弥陀仏」と唱えます。浄土真宗は、決して現世利益を説く宗教ではありませんが、この「南無阿弥陀仏」を唱えると、不思議と気持ちが楽になって、生きていこうという気力がもらえる気がします。
「南無阿弥陀仏」というのは、南無というのが、元はナマスとかナモーとかいう語で、帰依するとか、仏様にお任せする、とかいう意味です。次の阿弥陀というのが、仏様の名前で、元はアミターユス、すなわち無限の寿命、またはアミターバ、すなわち無限の光=限りない智慧と慈悲、という意味です。接頭語のアミ(am-)っていうのは、英語の「un-」と同じで、否定の意味、限りが「ない」ということをあらわします。
わたしたちの寿命は限りがあるけれど、阿弥陀仏のように限りがなければ、どんな問題も解決してくれる、わたしたちの思考能力には限りがあるけれども、阿弥陀仏のように限りなく頭がよくて、限りなくやさしい慈しみの心をもっていれば、どんな問題も解決してくれる、自分はちっぽけな限界の中で苦しんでいるけれども、無限の仏様にお任せすれば、きっといいようにしてくれる、無限に比べれば、自分の苦しみなんて、ないようなものだ……と感じられるようになるのが、念仏のキモであろうと、わたしは解釈しています。

「地上に生まれる人の数」も、たくさんの人を思い浮かべることによって、自分の子どもが「抑制」されたって、人類は、ずーっとつながっているのだから、悲しく思うことはないんだよと、あなたのところに生まれたかもしれない子どもが生まれなくさせられても、もしかしたら、その子は次の時代にブラジルに生まれて、有名なサッカーの選手になって、あこがれの的になるかもしれませんし、もしかしたら、そのまた次の時代に、どこかの国の優れた医学研究者になって、人びとを病気の苦しみから救うことになるかもしれません。そうやって「時間をずらして生きる」ことによって、人類全体が幸せになれるんだから、あなたたちの子どもが生まれなくさせられても、悲しむことはないのですよ、と。そういうなぐさめの理論みたいなものなのかなあと、わたしは想像したのです。

どうでしょうか、「地上に生まれる人の数」の、このような宗教的効用という解釈は。ありそうな気がするのですが。
宗教はみんな悪い、と決めつけなければ、こういう発想は受けいれられるのではないですか。

強調文字だと、感情も強調されるのですかね?(笑)
スモールイズビューティフル



どうも、言葉の意図がうまく伝わらないようですね。ネットのもどかしさでしょうか?

言葉を足します。

田中さんの主張されている、暴力的な人口抑制に対して、
雑草さんは、良い、とは一言もいっていないし、
それを擁護する意図もないといってるし。
違いましたか?


前回私の書いた「本題」とは、雑草さんの議論しようとしている「本題」です。
田中さんがまた議論しようとしている、暴力的な人口抑制策云々の話ではありません。

いいですか、ここは雑草さんのブログなのですよ。
何か、そこを勘違いされているんじゃないですか?

あなたにはどうしても話が通じませんね。
雑草Z
    田中敬三 さん

>雑草Zさんが「ピテカントロプス」は屁理屈だ、という説明をされたやり方は、まさにそのまんま、この「地上に生まれる人の数」を考えることの無意味さを証明していると思います。

ってそのつもり・・似非証明のつもりで書きました。この手の屁理屈の境界論なら「地上に生まれる人の数」も、あなたの他の主張も否定できると言うインチキ証明法を書いたのですよ。

 話を全く理解出来ないあなたとこれ以上議論するのは時間の無駄です。
 ちなみにこれは詭弁であってまともな証明ではないと言う事を言っているのです。それで「証明している」と思っている田中さんとは、議論するだけ時間の無駄です。


 話が混乱して何を書いているか分かっていませんね?言葉のキャッチボールが崩れています。そちらが投げた滅茶苦茶なボールをこちらが受けて投げ返すと、あなたは受け取らずに新しいボールを投げてくるので議論が指数関数的に拡散するだけです。
 相手にするだけ受け手のないボールが増えるだけですので終わりにしましょう。
この手の不毛な議論には付き合わないと書いた筈です。

 

スモールイズビューティフルさん
田中敬三

>田中さんの主張されている、暴力的な人口抑制に対して、
>雑草さんは、良い、とは一言もいっていないし、
>それを擁護する意図もないといってるし。
>違いましたか?


そうですね。しかし、何らかの人口抑制策は必要だとは言っています。そういう発言は、現場でどういうことが起きているかを知ってから言ってほしいです。


>前回私の書いた「本題」とは、雑草さんの議論しようとしている「本題」です。
>田中さんがまた議論しようとしている、暴力的な人口抑制策云々の話ではありません。


テーマについてのとらえ方がずれているのですね。それは、話しながら調整するしかないのではないですか。


>いいですか、ここは雑草さんのブログなのですよ。
>何か、そこを勘違いされているんじゃないですか?


承知しています。スモールイズビューティフルさんは、どうしろというのですか。
雑草Zさんがわたしと議論したくないならば、そう言ってもらえれば、これ以上コメントしません。スモールイズビューティフルさんは、それ以上の、何をしろと言うのですか。

わたしは、わたしの主張が、雑草Zさんが以前言ったように「無茶苦茶」じゃないことを、説明しているだけです。ある程度は、対話はかみ合っていると、わたしのほうでは思っています。

「地上に生まれる人の数」にこだわらないと言うのならば、わたしは、この件にはこれ以上触れません。そうなりかけているのに、雑草Zさんが、「でも……」と、余計な一言を付け加えるから、元に戻ってしまうのです。

終わりにします
田中敬三

「終わりにしよう」とのことなので、終わりにします。

「ピテカントロプス」うんぬんについて、分かっていないのは、雑草Zさんのほうですので、最後にそれだけ説明しておきます。

わたしは、ピテカントロプスと人類の境界線が曖昧だから、数が決められないから、「地上に生まれる人の数」の概念も無効だ、と主張しているのではありません。どこから人類とするかによって、大きく増えも減りもする数に、何か意味があるのですか、ということを言っていたのです。

社会のありようと、人口について考察することは、とても大切なことです。しかし、時代も、民族も、すべてごちゃ混ぜの総数を計算して出したとしても、その数字には、何の意味もありません。


今日立ち読みしたロック雑誌に書いてあったこと
雑草Z
 人は、自分のレヴェルでしか他人を判断出来ない。
分かりやすいキーワードの言葉尻を捉えて攻撃する
・・・よくある話である。



スモールイズビューティフル
田中さんへ

>>いいですか、ここは雑草さんのブログなのですよ。
>>何か、そこを勘違いされているんじゃないですか?

遠慮して、具体的な話はしませんでしたが、
伝わらないようなので、

また、言葉を足します。

本人が、意図していない内容にもかかわらず、
自分の言いたい主張に強引に持っていこうとする態度や
「ちょっと、さそい水」のように、
異常に長い文章を書き込むことなどは
自分のブログならまだしも、
人のブログでやるのは失礼じゃないですか、
といっているのです。


>スモールイズビューティフルさんは、どうしろというのですか。

一番最初のコメントに書いたように

もうやめませんか?

ということです。
でも、終わりなそうですので、
私もあとはROMに戻ります。


2008/03/05(Wed) 23:54の田中敬三氏のコメント(削除分コピー)
削除分コピー
1兆の人口が地上に現れる場合、一度に沢山の子供が生まれ、一挙に一兆の人口が地上に同時に出現しようとしたら、破局です。そのかわりに地上に同時に存在する人
「時間をずらして生きる」
については、
「なぜ生まれてくる総数を問題にするのか」
ということを、ずっと聞いているんですけど。
そこが問題の本質なんですよ。1兆人かどうかでなくて。
ようするに、平たい言葉で言えば、
その時代ごとにいる人数はすくなくても、長く生きれば、総数は同じになるから、さびしがることはないよ、っていうなぐさめでしょう?
それをわたしは、ちょろまかしだと言っているんじゃないですか。意味のない数字のもてあそび。数字の魔術に弱い人は、何か意味があるかのような気分になってくるのかもしれません。
それは、霊魂の話をして、人をだます宗教家と、本質的には、同じなんです。何度も聞かされているうちに、そんなものがあるような気がしてくる。いやですねえ。

産児制限というのは、わたしの子どもが生まれなくさせられることなんですよ。へたしたら、自分のパートナーが手術の失敗で死ぬかもしれないんですよ。人類がどのくらい長く生き延びられるかなんてこととは、関係ないでしょう。そういう切実さが、あなたには分からないのですか。
産児制限によって、民族の誇りが、今、傷つけられるのですよ。何の意味のない、間違った考え方によって――人口抑制策が、まったく意味がないことだ、ということは、繰り返し書きましたから、読み返してください。

>その、自然と調和した生き方を考察した事がある人なら、わかり切った基本的なことを何度も繰り返すのは、私が理解してないと考えているからでしょう?つまり、あなたのコメントは経済成長主義者への口調と同じだという事です。

たとえば、どんな言葉が、気に障ったのですか?
人口抑制策がよいことだ、などといった間違った考え方を批判するには、すでに同意している地点に戻って、考えの道筋を確認する必要がありますでしょう? そういう手順をすっとばしたら、感情的な水掛け論にしかなりません。

ま、いいですよ、お立場上、言いにくいこともあるのかもしれませんから、田中との議論は決裂したことにでもしてください。


遅れましたが、コピーして削除しました。・・
雑草Z
 強調解除されなかったのでそれより下にあるコメントも記事も強調文字になってしまったのでその原因となった田中さんのコメント1つ削除しました。
 田中さんは、まともな意見を持ってらっしゃる方なのに、ここでのコメントは、ほとんどシャドウボクシングに終始なさっていました。
最後のコメントも、それを象徴してました。

>わたしは、ピテカントロプスと人類の境界線が曖昧だから、数が決められないから、「地上に生まれる人の数」の概念も無効だ、と主張しているのではありません。どこから人類とするかによって、大きく増えも減りもする数に、何か意味があるのですか、ということを言っていたのです。

は、お門違いとしか言いようがありません。
元になる記事では過去に生まれた人数を問題していません。もし、過去に地上に生まれた人数を問題にするとしても、どこかで線を引いても、同じ基準だったら比べる事は可能です。
最後まで、独りよがりなコメントでした。
 でも、あと来ないとの事なので、御仕舞の獅子舞。お互い時間の浪費ですからね。 

ROMと言わずに・・
雑草Z
    スモールイズビューティフルさん

 ROMと言わずに、また鋭いコメント色々下さい。楽しみにしています。 

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コメント
この記事へのコメント
自立のための鎖国
食料についてですが、中島正さんの『農家が教える自給農業のはじめ方』には、1人5aの畑で自給ができる、とあります。で、〔5a×日本人の人口〕分の可耕地は、日本にはあるんだそうで、分配さえうまくやれば、日本は100%の食料自給が可能、ということになります。単純計算ですけど。

班田収授法で、6歳以上の国民に貸し与えられた田んぼ(口分田)は、男良民に約2.4a、女良民に約1.6a、奴(ぬ)=男の奴隷に約0.8a、婢(ひ)=女の奴隷に約0.53aだったそうです。少ないですね。おそらく、田んぼとは別に、畑があって、そこで働かされていたのでしょう。
「貸し与える」と言っても、年貢はとられるのですから、「働かされる」との境界は、あいまいです。そのへんが現代で言えば、楽しみでやる畑仕事と、一部の産業界や政治家、教育関係者らが言う「徴農」との境界と、重なるわけです。

農業者は、圧倒的に「働かされる」という側面が強いのに、「自分の畑だ」という意識を持たされて、自発的に服従するしくみに、はめ込まれています。だもんで、わたしみたいに、「楽しくなければ畑でない」なんてちゃらんぽらんなことを言う人間に対して、敵意むき出しになる人、多いです。こういうの、わたしは、「小地主根性」と呼んでいるんですけど。「ごやごちゃ言わんで、働け」と言うのは、100%地主か地主の代理人です。

何にしても、日本人で、農業をやりたいと希望する人が多数派になるとは思えないので、自給的農業を目指す人が土地を見つけられなくて困る、という事態には、今後もならないだろうと思います。

エネルギーについても、廃棄物についても、雑草さんのおっしゃるとおりだと思います。
各国が鎖国をすれば、かなりの問題は解決すると思います。鎖国して、民族自決にして、それでどうにもならなかったら、それがその国の運命だと思って、あきらめるしかないでしょう。少なくとも、外国人が勝手な価値観で引っかき回すよりは、ましです。
飢餓の問題も、その原因には手をつけないで、自国の余った農産物を「援助だ」と言って送るだけでは、ますます自立できなくなります。貧しい国に金を貸して、ますます依存させるような開発をやらせるのは、やめるべきです。返済を迫ったり、利子をとったりするなど、問題外です。

それと、ジェット機は、ぜひ禁止にしてほしい、と思います。オゾン層を破壊するんですよね?ジェット機って。
2008/02/21(Thu) 02:45 | URL  | 田中敬三 #-[ 編集]
自立の為の鎖国に賛成です。
    [太字]田中敬三 さん

 今こそ日本も鎖国をして、自給自足を目指すべきでしょうね。突然は無理でも、数年かけてそうするべきです。そういう荒治療しないと、将来、食料が入って来なくなったときに、パニックになるでしょう。農水省のように、10年で、食料自給率を45%に上げるなどというふざけた事を云ってるようでは、話になりません。10年後にどこの国が日本に食料を輸出してくれるでしょうか?日本に飢餓が来る日も近いと感じてしまいます。

 キューバも、換金作物のサトウキビなどを作っていたのにソ連の崩壊と共に、アメリカに海上封鎖され、鎖国状態にされ、食糧不足の危機に立たされましたが、カストロ政権の頑張りで乗り切り、それによって自給自足の出来る社会に生まれ変わりました。

>自給的農業を目指す人

が増えて欲しいものですね。そういう人に農地が使える制度を確立するべきですね。

>自国の余った農産物を「援助だ」と言って送るだけでは、ますます自立できなくなります。貧しい国に金を貸して、ますます依存させるような開発をやらせるのは、やめるべきです。

 は、正におっしゃる通りだと思います。ODAの実態は、酷いものです。金儲けと経済支配の為の援助ですね。

 
 ジェット機の撒く排気ガスのほうがCO2よりもずっと温暖化の原因になるのではないかと、槌田敦さんは言っておられます。

 食糧自給に関して非常に参考になるコメント有難う御座います。
2008/02/21(Thu) 21:14 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
江戸化しなさい。
 江戸社会は、実は高度な循環型社会であったという話を聞いたことがあります。先人の知恵を借りるのも悪くないんじゃない?と思います。完全な循環型社会は無理なんですけどね、でも見習うべきところは多数あると思う。
 だから、江戸化社会(もちろん、将軍様指導の幕藩体制をやれと言っているわけじゃない)を目指すというのならば、鎖国は賛成ですね。というか、食料自給率は、やはり上げておくべきだと思いますよ、私は。どこの先進国だって、万が一に備えて食料自給率の向上に努めているわけだし。下手すれば、いつ北朝鮮を笑いものにできなくなるかもしれない状況なんですから、日本は。食料自給率が低いと、「将軍様」の国の仲間入りになっちゃうかも。
 かの国を見習って(笑)工作員の育成や麻薬や偽ドル札の製造技術を学んでも、仕方がありません。
2008/02/21(Thu) 22:46 | URL  | ハイパーポン太 #-[ 編集]
日本は北朝鮮よりも食料自給率は悪いのです
    ハイパーポン太 さん

 日本より食料自給率の悪い国は、ルワンダなど最近まで紛争をしていた貧しいごく一部の国だけです。(まあバチカン市国とかもだと思いますが・・)だから、現在日本に食料が全く入ってこなくなったら北朝鮮よりも悪い状態になる可能性は大ですね。

×××× ×××× ×××× ××××

 『鎖国』という言葉を使っている事からも、記事の内容からもお分かりのように田中敬三さんのコメントは、江戸時代の鎖国も踏まえてのコメントである事は明らかです。
 食料に限らず何でも自給自足出来た江戸時代は持続可能な社会のお手本によくされますね。このブログでも何度か触れていたと思います。その意味で、現代日本よりずっと優れていました。田中さんはその辺お詳しいかと思います。
2008/02/22(Fri) 20:57 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
それは知らんかった…。
 あの「将軍様」の国で行われている「主体農法」というアホな農業政策(密植すれば収穫量が上がると錯覚している)を見ていると、とてもではないが、食料自給率が日本以上とは思えませんでした。しかし、北朝鮮よりも自給率が低いというのは、笑い話にもなりませんね。いい加減、持続可能型社会を目指して政治家の皆さんも活動してほしいんですが。少しキューバに勉強しに行け(笑)。有機農業である程度成果が出ているから。
2008/02/22(Fri) 21:32 | URL  | ハイパーポン太 #-[ 編集]
日本の食糧政策はあまりにとほほです。
 早晩、日本に食料は入って来なくなるでしょう。その時にキューバみたく耐えて自給自足を達成出来るか・・・?ってやるしかないわけです。だから今から備えるべきです。
田中敬三 さんのおっしゃるように、自給的有機農業をやる人間が増えるのが望ましいと思います。

 私が調べてみたいと思っている事は、日本と北朝鮮の食糧自給率の出し方です。一人当たりの必要なカロリーの量も、北朝鮮のほうが必要最小限に抑えてあって少なめに考えられているのでは?・・って言うよりも日本の食料自給率は、捨てられた分も消費したとカウントしているんのかも知れません。・・だから、日本の実質の自給率は少しは上がるのではないかと(捨てて無駄にする事は、ほめられた事ではありませんが・・・)カロリーベースでも自給率の計算の仕方は、調べてもなかなか載っていません。

 まあ、それでも中国の農薬入りの食品をバッシングしているより、自国の自給率を高める努力を一刻も早くすべきでしょう。  
2008/02/22(Fri) 23:01 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
江戸時代化は確かに必要だと思いますが、今の人口では不可能だと思います。今できてかつ効果がありそうなことは世界の人口を減らすことだと思います。
そのために、鎖国ではなく世界政府作って人口政策をしたほうがいいと思います。
まあ、無理でしょうね・・・。人一人の価値は国ごとに違いますから。
2008/02/24(Sun) 04:15 | URL  | sitb #-[ 編集]
人口問題は環境問題の中心です。
 日本の現在の人口でも

>分配さえうまくやれば、日本は100%の食料自給が可能

と言う事が、上の田中敬三さんのコメントに書いてあります。私もそれは不可能ではないと考えます。、
 しかし、環境負荷の小さい自給的有機、自然農業をしても、やはり1億以上の人口を養うには、森林伐採など大きな環境負荷を伴うでしょう。
 
 だから、人口は減らさなければなりません。江戸時代並みの3000万人くらいの人口がいいのかもしれません。

 現在の少子化のペースで人口を減らすのでもペースが遅すぎると考えますが、日本は少子化対策と称して少子化を止めようとしているから愚の骨頂です。だから、鎖国でもすれば、勿論、人口を減らさなければならなくなります。勿論工業優先から農林水産優先になるでしょう。
 そういう意味でも鎖国をしたほうがいいと議論しているのです。・・・勿論現実問題として、クリアしなければならない問題が沢山有ります。

sitbさんの言うように、世界で人口抑制を推進していく事も必要になるでしょう。

 このような事についてはこのブログで散々描いています。
カテゴリー【食料と人口】などを見てください。
 
2008/02/24(Sun) 13:08 | URL  | 雑草Z #hEYYToNU[ 編集]
コメントありがとうございます。

カテゴリー【食料と人口】見てみます。
2008/02/24(Sun) 18:06 | URL  | sitb #-[ 編集]
世界政府に反対します
sitbさんの

> そのために、鎖国ではなく世界政府作って人口政策をしたほうがいいと思います。

というご意見について、「鎖国を!」と言い出した責任者として、一言言わせてください。

世界政府っていうのは、内政干渉を国内問題に矮小化する運動です。別の言い方をすれば、強い国が弱い国を全部併呑する性格を持つ運動です。で、「低開発国の人口を減らせ!」というのは、低開発国から地力やヴァーチャル・ウォーターや労働力を収奪しているわたしたち高開発国の利益を維持させようとする、エゴイスティックな主張なのです。

人口というのは、現状でも、食料の配分のし方によってコントロールされているのですよ。穀物商社の都合で、人口をふやせだ、へらせだと、いじりまわすのはやめてほしいと思います。また、利害者の息のかかった情報操作にのせられて、他国の人口をどうしろだのと、軽率な発言をするのも、どうかと思います。
低開発国で、人びとの貧しさや無知につけこんで、荒っぽい断種手術や、避妊薬の皮下への埋め込みがおこなわれていますが、子どもを産み育てる男女にとって、自発的でない人口抑制策は、すべて犯罪的であると、わたしは感じます。
戦争を起こして人口を減らせ、などと言うのは、論外です。

ですから、プランテーションは引き上げてもらって、自給的な農業に転換してもらって、あとの国の運営は、その国の人たちに任せなさいと、そういう意味で「鎖国を!」と言ったわけです。
かの国のことは、かの国の人たちにまかせる、というのが、一番いいのです。かの国のひとちにまかせて、うまくいかなかったら、それは、その国の運命ですから、しょうがありません。それでも、他国の勝手な都合、勝手な価値観でいじくりまわすよりは、はるかにましなのです。

かの国の人たちが自治をすることができるように、わたしたちは、かの国から収奪することをやめなければなりません。
日本で生産できる農作物は、国産品でまかないましょうよ。バナナやコーヒーやチョコレートなんか、食べなくたっていいじゃないですか。

あとですね、日本国内で食料自給がむずかしい最大の理由は、農地が足りないからではなくて、農業をやろうとする人が圧倒的に少ないからです。
耕作放棄地は、いくらでもあるのですから、自給することの大切さに気づいた人から、田舎へ引っ越していって、自分の家族が食べる分ぐらいの食料生産をはじめればいいのです。政府は、このような自給的な小規模農業をはじめたい人に、農地を使わせることを、許可するべきだと思います(現在は、きびしく制約されています)。
2008/02/24(Sun) 22:31 | URL  | 田中敬三 #-[ 編集]
>田中敬三さん
丁寧なコメントありがとうございます。

なんと言うか、ここにコメントされてる方々の価値観にはすごく共感できます。

知識も僕より圧倒的に多いみたいです。

コメントしながら、問題意識が強くなったのですが、良く分からないと言うのが正直なところです。

考えるだけじゃなく何か行動することで見えるものというのもあるのでしょうか?
2008/02/24(Sun) 23:43 | URL  | sitb #-[ 編集]
花より団子?
 小さな事に気を取られて大きな事が見えていない、という事よくありますが、環境問題は現在地球規模になり、深刻さが増せば増すほど逆に個人の力ではどうする事も出来ないのではないかという、何か他力本願のような意識が無きにしもあらず、なのではないかと思います。成長の名の下に破壊を推し進めている当事者達も、事が長引き複雑化する程、責任の所在もうやむやになり、悪化の一途を辿っていると思います。
そういう時こそむしろ足元を見つめる事、大切ですよね。
 食に限って言えば、田畑が無いから何も出来ないと言うのは違うと思います。それこそ植木鉢1つの土から物事は動いて行くのではないかと。
 公園や道端など「花いっぱい運動」なるものを行っている地域を沢山見かけますが、最近この土の使い方が勿体無いなと感じるようになりました。鮮やかな彩りに却って人工的な物を感じますし、枯れておしまいですよね。
代わりに野菜の苗を植えてみたらどうでしょう?勿論各家庭でも積極的に!簡単な物からでいいと思います。
野菜の花は可憐で美しいですし、収穫の喜びも体験出来ます。地域で育て、収穫し、食する。とても素敵な事に思えます。
 近年都市部の小中学校でも、校庭の隅に畑を作り野菜を育て、給食の食材にしている所が増えているとか。広がって行って欲しいと思います。
2008/02/25(Mon) 22:41 | URL  | おかっぱ頭 #N.vW.TCs[ 編集]
世界政府でなくとも、人口抑制の合意を
田中敬三さん そして、sitbさん

 田中敬三さんの<世界政府に反対します>のコメント内容
には大筋で賛成いたします。なかなか本質を突いた議論だと思います。

>プランテーションは引き上げてもらって、自給的な農業に転換してもらって、あとの国の運営は、その国の人たちに任せなさいと、そういう意味で「鎖国を!」

の通りだと思います。

 世界政府とは現在の国連が常任理事国、特にアメリカの自国の利益の為に動いているのをもっとずっと強固にした感じでしょう。
 まあ、でもこれは国と地方自治の関係のようなもので、世界の大筋の合意と言うものは必要になるかと思います。
 つまり【人類存亡のパラドックス・・・だから人類は滅びる。】http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-262.html
で述べたように、各国が鎖国しても、強い国は、軍事的、経済的にいつ占領にやって来るかもしれません。だから地方自治(=国の自治)を認める必要最小限の世界政府みたいな組織の合意(=何らかの抑止力)は必要でしょう。

 それから、
>自発的でない人口抑制策は、すべて犯罪的である

は、賛成しかねます。どの程度を自発と呼ぶかにもよりますが、自然に任せると、食料などのキャパいっぱいいっぱいに人口は増えるものですから、危険です。
 世界の先住民の多くや江戸時代の人々などは、人口増加の危険性を十分承知で、色んな人口抑制策をしていたようです。それらそれぞれを自発性と考えるか、強制と考えるかによっても違いますが、人口抑止策は、
動物の中で一人勝ちの人間には必要な自制措置でしょう。

 自然に任せては、めいっぱい増えて、餓死・・と言う事になる危険性がかなり高いと思います。実際に、現在もそういう国や地域は沢山あります。どこかの若い新知事のように子沢山を誇り、少子化対策するのは愚の骨頂と考えます。・・こういうのが目先の対策の典型でしょう。

 やはり、一人の女性が一生に産む子供の数は制限する方向に行かざるを得ないと思います。

 産まれてから餓死するとか、戦争になる前に産むなと言う事です。60億の人口は十分に圧力があります。
CO2削減なんて事より切迫した問題です。

 環境問題は、全ての人口の環境負荷の総計ですから。 
2008/02/26(Tue) 23:45 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
団子の花?
    おかっぱ頭さん

>環境問題は現在地球規模になり、深刻さが増せば増すほど逆に個人の力ではどうする事も出来ないのではないかという、何か他力本願のような意識が無きにしもあらず

 そう、その表現こそが、私が上の記事を書いた動機付けとしてぴったりの理由ですね。上の本記事の最初のほうにこの文を挿入したいですね。宜しいでしょうか?(笑)

>それこそ植木鉢1つの土から物事は動いて行くのではないか

 ソ連が崩壊してキューバが危機に立たされたとき、この発想で頑張って、カストロ政権下のキューバは食糧自給自足を達成したのです。大切な発想です。

 私も今年は 田中敬三 さんと おかっぱ頭 さんに啓発されて、作物を少々作ってみようかと思います。・・・自然農法の基本、田中さんが命名するところの「植えっぱなし農法」・・果実の樹などを植えっぱなしにして・・勝手に実がなってくれる・・は既に実践していますが(笑)。・・

 今年は小さな畑作でも取り組もうかと・・・実はつい先日、町の「農業に関する相談会」とか言うのに顔を出しました。お年寄りばかりで相談内容も違う感じがしたので、抜け出そうかと思ったら、「あんたは何の相談だい?」って他の相談に来ていた方に聞かれたので、「将来的に小さな農地をお借りして、自分で食べるものくらい作ってみたいと・・」と答えました。すると、そこに来ていたみんなが、
「そういう人が必要だ。ここに来ている他の相談者はみんな農業のやり手がいない農地をもてあましているものだらけ・・ただ同然でも土地はお貸しします」・・・と。
 これはこの上の田中敬三 さんのコメント

>日本国内で食料自給がむずかしい最大の理由は、農地が足りないからではなくて、農業をやろうとする人が圧倒的に少ないからです。

に呼応してますね・・。(笑)


 おかっぱ頭 さんのコメントに戻りますが、

>公園や道端など「花いっぱい運動」なるものを行っている地域を沢山見かけますが、最近この土の使い方が勿体無いなと感じる

は、私も全く以って同感です。除草剤で他の草を除草してから花を植えるなんてとんでも御座いません。ならば、雑草を生えっぱなしにさせておいたほうがよっぽどいいでしょう。
 そして、

>花より団子

で、野菜の苗など食べられる食物を植えるのに賛成です。
誰が手入れするとか、誰が食べる権利があるとか、ちょっと考えなければなりませんが(笑)

>地域で育て、収穫し、食する。

 いいですねぇ!是非ともそういう事したいですね。早速、町に提案したいですね。土建行政でなく、そういう行政がいいですね。出来れば鉢植えでなく、直接地面に植えたいですね。つまり、道の両端くらいは土を残して欲しいですね。

>野菜の花は可憐で美しい

私もそう思います。花いっぱい運動の大きな単一の花なんて見る気がしませんが、野菜や雑草の小さな花は、可憐で美しいものが多いし、今の子供達にはそちらのほうが新鮮でしょう。食べられる植物の花は「団子の花」ってとこですね。(笑)

学校帰りに道端で

>収穫の喜びも体験

なんて素敵ですね。

  私が育った岩手県の田舎では、通学路は田んぼや畑や林や農家沿いの細い土の道でした。途中に桑の木があって、帰りに口を真っ黒にして食べましたし、栗の木もあって2,3回拾ってくると母が栗ご飯を炊いてくれました。あとで考えると誰かの土地のものだったかも知れませんが・・・小学校帰りに収穫できるのは頗る魅力的でした。
 こういう地域にしたいものですね。
2008/02/27(Wed) 00:48 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
自給第一
雑草Zさん、

人口が爆発的に増加したのは、自然法則ではありませんよ。自然状態では、食料―生物―天敵の相互作用で、一定のバランスで安定するものなのです。現在、人口が爆発的に増加しているのは、自給的食料獲得をする社会が壊されて、ドーピング生産された食料をあてがわれる社会に変質させられた地域です。
開発・開拓のイデオロギーを押し付けられた人びとは、自己完結した自給者から、消費者・労働力という、他に依存しなければ生きていけない、不完全な存在におとしめられました。
で、自給的社会では、長年かけて、自然圧のバランスに適応した、人口調整の文化を形成してしてきました。それに対して、開発・開拓イデオロギーの植民地経営では、人口調節のやり方が、めちゃくちゃぞんざいです。つまり、飢餓が発生するにまかせています。
そして、その飢餓さえも、さらなる開発の口実につかわれます。緑の革命を思い出してください。結果は、塩類集積などで多くの耕作地は放棄され、砂漠化に拍車がかかりました。

低開発国の人口は、現在でも調整されている、と言うことができます。穀物商社の利益が最大になるように、穀物の価格が調整されているからです。
そんな中で、断種手術や長期有効な避妊薬の皮下への埋め込みなどの人口抑制策が、人類の希望であるかのように言うのは、本質的な問題から目をそらさせる役目をはたすことになります。ちょうど、実用化されるかどうかわからないような「新エネルギー」が、まるで人類の救世主であるかのような幻想を、得意顔で言いまわっている人たちと同じようなものです。

「人口爆発」という概念のルーツ、『成長の限界』を発表したローマクラブをいう組織が、どのようなスポンサーによって運営されているか、考えてみてください。そのような人びとに感情移入しても、しょうがないんじゃないかと、わたしは感じます。
シカゴの穀物価格に合わせて、産む子どもが多いの何のとけちをつけられて、為政者のポーズとしての人口抑制策で体を傷つけられる、まずしい人たちの気持ちも、想像してみてほしいです。そんな、たいしてカロリーを消費していない人たちを減らすよりも……(以下自粛)。

人類の危機に、安易な特効薬はありません。でも、どっちへ行ったらいいのか、そのおおまかな方向は分かっています。それは、開発・開拓をやめさせ、森林を回復させ、プランテーションをやめさせ、自給的な食料獲得のやり方を復興させることです。
2008/02/27(Wed) 13:18 | URL  | 田中敬三 #-[ 編集]
自給的な食料獲得はここの主張でもあります(笑)
    田中敬三 さん

 表現が誤解を招いたようですが、

>自給的社会では、長年かけて、自然圧のバランスに適応した、人口調整の文化を形成してしてきました。

 そのとおりだと思います。当方は、

>自然に任せると、食料などのキャパいっぱいいっぱいに人口は増える

 と書いたのは、まさに緑の革命など食糧増産して生存環境がよくなれば、人口も増えるということです。だから同じ事をいってると思います。
詳しくは、
【食料増産の前に人口止めよ】とか【緑の革命がもたらしたもの】その他カテゴリー【食料と人口】に書きました。その上で敢えて、動物の中で一人勝ちの人間には自制措置が必要だと申しております。
 それもカテゴリー【食料と人口】に書きました。
http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-category-8.html

 所用のため一旦ここで続く・・にさせて戴きます。
この部分の議論は、面白いかと思いますが、案外かなりの部分で同じ主張している気がいたします。
今回の田中敬三 さんのコメントのタイトル

>自給第一

 もこれまでこのブログで繰り返し主張してきた部分です。

 上のおかっぱ頭さん へのご返事の部分も田中さんのことに触れていますので、お読みいただければ幸いです。
 ではとりあえず、一旦終えます。
2008/02/27(Wed) 18:43 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
しつこくて、ごめんなさい
わたしが言いたいのは、人口爆発は自然現象ではない、ということです。自給的食料獲得の社会を破壊されたことによる、人災なのです。低開発国の食料は、自給しなくなったことによって、増加しました。つまり、人口爆発は、人為的に引き起こされた現象なのです。

今現在、生きるか死ぬかの境界線上にいる人たちは、世界に億単位でいます。で、そういう人たちをかかえる国は、食料の自給をしていなくて、外国から穀物を買っています。
穀物は投機の対象でして、これを寡占する商社は、ちょっと倉庫に隠すだけで、倍ぐらいの値段にすることなんか、簡単にできるのです。値段を倍にされたら、半分の量しか買えません。生きるか死ぬかの境界線上にいる人たちは、死ぬしかないのです。

低開発国の人口は、穀物の値段によってコントロールされています。低開発国における人口は、プランテーションや工場の労働力として、あるいは、食料および工業製品の消費者として、場合によっては兵力として、必要とされています。
安定して人口を供給するために、飢餓は存在します。温泉のお湯をきれいに保つために、かけ流しにするようなものです。

世界の総人口が100億ぐらいあっても、それで持続可能ならば、それでいいではないか、という議論もあると思います。でも、その人口をコントロールする方法が飢餓では、スマートではない。それで、人口抑制策を、という話の流れになったわけです。

わたしが「自給第一」と言う理由は、一つには、人口抑制策というのは暴力だ、という認識があります。自分たちの意思でふえたわけでもないのに、なんで危険な手術を受けなくてはいけないのですか。
たとえばインドに行って、インド人に向かって、「すでに世界の6人に1人はインド人です。これ以上インド人ふえると、将来、食べものの奪い合いで戦争になるといけませんから、今のうちに玉を抜いてください」って、言えますか?

自給的食料獲得の社会では、もっと少ない人口でバランスがとれていたのですから、そういう社会にもどせばいいのです。そのためには、プランテーションに引きあげてもらう必要がありますし、森林が回復する必要もありますし、人びとが、自給的な生活技術をとりもどす必要もあります。
そういった社会変革の結果として、ある水準で人口が安定してくるのだと思います。もちろん、飢餓もへってくると思います。

人口抑制策は、社会を変えるための、あるいは人類の危機を回避するための、有効な方法でもなければ、倫理的に優れた方法でもありません。それぞれの国が、それぞれに自給を目指す、というのが、グローバルな視点から考えたときの、一番いい方法なのです。
2008/02/27(Wed) 20:07 | URL  | 田中敬三 #-[ 編集]
しつこくても構いませんが・・ステレオタイプの想定での議論はお門違いです
    田中敬三 さんの
 02/27(Wed)の2つのコメントに対してお返事致します。
人口爆発は、いわゆる先進国から先に始まって、それらの先進国と接触した、彼らが勝手に未開国と呼ぶ地域に広がりました。

上にご紹介した【食料増産の前に人口止めよ】にも

>先住民が原始的な生活をしている分には、人口爆発はありませんでした。
 >事実、そのような国が植民地化された事や、自国の経済の為に利用してやろうと言う先進国との接触が人口爆発の原因でしょう

と、はっきり言及していますが、読んで戴けなかったようですね?。 

>人口爆発は自然現象ではない、ということです。自給的食料獲得の社会を破壊されたことによる、人災なのです。

などという事は踏まえた上での議論です。
よくあるステレオタイプの「貧困が人口爆発の原因」みたいな典型的な、先進国の身勝手な議論はしておりません。
 
>人口抑制策というのは暴力だ、という認識

 は、先進国が途上国に行っている事に対するものでしょう?
私は、人口増加率が小さくなってきた先進国は、実は、途上国よりも先に人口爆発したから、そちらこそ減らせ・・・と主張しているのです。勿論、先進国と接触して、人口爆発している途上国も自ら止めるべきです。
 田中さんの議論は私の議論に対する反論ではなく、よくある、「人口爆発している最中の途上国の人口を抑制せよ・・・」というステレオタイプの議論に対する反論ではありませんか?それを先進国を含めた全体の人口を抑制せよという私の論の反論に使っているのです。一面的な反論です。

 このブログは以前より、国家よりも小さな地域での食料自給を主張しています。それも、化学肥料や農薬のドーピングのない農業でです。(ドーピングという言葉もずっと以前より使っています・・・農業などに対するドーピングという言葉は、私のオリジナルだと思っています・・・他に使っていた方はいるかも知れませんが・・・笑)だから、自給率100%を超えるという、いわゆる先進国でも、ドーピングがあるからこそもっと人口を減らすべきだと考えています。

 先に述べているように、環境負荷、エコロジカル・フットプリントは、
〔環境負荷の全人口の総和〕です。・・言い方を変えれば
 〔一人当たりの環境負荷の平均〕×〔人口〕です。現在持続可能なレベルを超えています。

 私は自然法則とは書いてませんが、

>食糧増産して生存環境がよくなれば、人口も増える

田中さんは、これを否定するわけですか?いわゆる先進国の人口爆発はこれが原因だと思いますよ。 
 日本の明治維新後の人口爆発もこの典型ではないですか?

 各国に食糧自給を任せるのは私も基本だと言っています。しかし、人口爆発して、人口圧が高まると他の地域から搾取しようとするでしょう。ゲルマン民族の大移動も、寒冷化による食糧不足で南下したのです。
 仮にこれから先、日本が食料自給自足を達成しても、中国が工業優先策を続けて食料不足になったら、食料を奪いに日本に攻めてくるかも知れません。アメリカより国力つけるかも知れないし・・・

田中さんはしつこく

>荒っぽい断種手術や、避妊薬の皮下への埋め込み

とおっしゃっておられますが、そんな事は言ってもいないし、必要もありません。人口抑制策は先進国自ら行えといっているのです。中国の一人っ子政策のように・・・まあ、これは不完全でしたが、日本の少子化対策=少子化を防ぐ・・のほうが愚策です。
 いわゆる先進国は安全な避妊方法など沢山あります。
 勿論その上で、田中さんも言うように、先進国が勝手に途上国と呼んでいる国に対して

>開発・開拓をやめさせ、森林を回復させ、プランテーションをやめさせ、自給的な食料獲得のやり方を復興させる

 事でしょう。
人口が増えすぎて人口圧が強くなれば、残酷な人口抑制策も表れてくるでしょう・・・その前に意図的に人口を抑制せよ・・・と主張しているわけです。

自然の摂理を感知している、飽食をしない昔の先住民ならいざ知らず、現在の世界の人間は、余裕があっても人口は増えます。途上国のように生活が苦しくて増えている例もありますが、食糧が豊富にあって生存環境がよくても、人口は増えるのです。そこを「自然増加する」と表現したわけです。
かつてのヨーロッパ、アメリカ、日本・・・それから現在のBRICs諸国の人口爆発は、それが原因だし、これは生物の増加の基本要因です。・・否定は出来ません。田中さんは、途上国の人口爆発だけに目を向けているのではありませんか?・・だから議論の食い違いと申しております。

何度も申しますし、以前にこのブログでも何度も言及していますが、

>それぞれの国が、それぞれに自給を目指す

は、同意するところです。

 しかし、基本的に人口圧は、大きな環境問題だから、人口が多い事を賛美するべき事ではないし、これから沢山の人口が地上に存在する為には、時間をずらせ!と主張しているのです。

【より多くの人間が地上に住む方法】http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-263.html
生物学的に一人勝ちしている人類は、孤島で増えすぎたねずみのように食料不足と環境悪化で滅びてしまう危険性が高いから、理性で人口抑制すべきだと言っているのです。
2008/02/29(Fri) 20:57 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
人口を減らせば問題が解決する、と思うのは幻想
わたしも、どこの国の人口を減らすか、という議論は、したくありません。アメリカ人はインド人の20倍のエネルギーを消費していますから、インド人を減らすよりも、アメリカ人を減らしたほうが、自然環境のためには、効率がいいでしょうとか、食料で言えば、菜食の人よりも、肉食の人を減らしたほうが、効率がいいでしょうとか……てなことを言っているのではないのです。人口爆発というのは、人為的につくられている現象なのですから、それに乗せられて、食べものが足りなくなるだの、何だのとわわげばさわぐほど、そういう現象をつくる人たちの思うツボだと思うのですよ。

アメリカの民主党が原発容認に傾いたり、いわゆる「エコ」な新産業が興ってきたりして、その流れで、アル・ゴアやIPCCやその亜流みたいな人たちが温暖化二酸化炭素原因説を流しているんだと思うんですけど、それと同じように、人口爆発というのも、ただ食べるだけの人間ではなくて、自動車とか家電製品なんかも消費してくれるような層が拡大してくれることを望むような産業界が、ローマ・クラブなどをとおして流している戦略的情報なのではないかと、わたしは思うのです。タイミング的には、「成長の限界」の発表より、緑の革命のほうが10年ぐらい早いですから、ある意味、ローマ・クラブのほうがあと追いかもしれませんが、緑の革命の失敗を見定めてから、おもむろに言い出した、という面もあるかもしれません。

伝統的な自給的食料獲得の社会を壊されて、開発・開拓の思想に罹患した国では、人口は、現実的には食料(増やす)と飢餓(減らす)の加減でしか調整できなくなっています。そして、食料は、穀物メジャーが握っています。穀物メジャーは、低開発国への食料援助を積極的におこなっています。買うにしても、もらうにしても、穀物メジャー様の思いどおり、なのです。そうやってつくられているのが、現在の世界の人口バランスです。
穀物メジャーは穀物メジャーの都合で、世界の人口を調節していますが、自動車や家電製品なんかの、産業界の中でも、別様の利害を持つグループは、底辺をすぼめて、購買力のある層の人口比率を高くしてほしい、と思うかもしれません。で、そういうグループが、人口抑制策のようなことを思いつくのかもしれません。このへんは、わたしの勝手な想像で、間違っているかもしれません。

実効性のある人口抑制策は、必ず暴力的になります。現にある飢餓が、まさに人口抑制策そのものですし、そしてそれは、圧倒的な暴力です。人口を減らせば問題が解決する、という発想が、的をはずしているのだと思います。いじわるな言い方をすれば、人口抑制策こそが人道的だ、とかいう議論は、人々の目を本質的問題からそらさせるワナなのではないか、とも言えるのです。人口抑制策は何の問題も解決しません。人びとの苦しみを苦しみをまさせるだけです。諸問題は、根本原因にさかのぼって解決しなくてはいけないと思います。
雑草Zさんは、わたしの言い方をステレオタイプだとおっしゃいますが、人口抑制策で抑制される人たちと言うのは、国で言えば低開発国ですし、一国の中の階層で言えば、貧しく弱い階層の人たちで、その逆ではありません。人間の価値を差別することには、根拠がありませんが、こういう議論をする多くの人びとの中に、差別意識が厳然としてあることは、事実です。

根本の問題とは何かと言えば、それは、自国民であれ、他国民であれ、他人に強制して食料をつくらせている、自給の逆、つまり、「他給」という生き方が間違っている、ということです。だから、何よりも目指すべきは「自給第一」なのでして、それを実現させていくためにも、森林を復活させて、砂漠化を減速させなければなりませんし、かつてあった伝統的な自給的食料獲得の社会から学び、それを現代的な形で復活させていくことが必要なのだと思います。それが成功したあかつきに、人口は、持続可能な一定のバランスで安定していくのだと思います。
わたしが言いたいことをまとめて言うと、「人口抑制策なんか考えたって、何の役にも立たないし、かえって問題の本質から注意がそれるので、よくないよ」ということです。方法論の実効性の問題です。

「時間をずらして生きる」というのが、よく分からないのですが、分かりやすく言うと、どういうことですか。
2008/03/01(Sat) 01:35 | URL  | 田中敬三 #-[ 編集]
人口過剰は環境問題の根本の1つです
    田中敬三さん

 私がステレオタイプの想定と申しましたのは、田中さんが

>わたしも、どこの国の人口を減らすか、という議論は、したくありません。

と、おっしゃっていても同時に

>わたしの言い方をステレオタイプだとおっしゃいますが、人口抑制策で抑制される人たちと言うのは、国で言えば低開発国ですし

と言っているように、
「発展途上国の無知と貧困が人口爆発の原因」
という事を主張しているステレオタイプの相手を想定して、一生懸命反論しているように感じるからです。
 私は始めからその手の主張はしていませんので、そのことに対して、同じ総論を繰り返しされても議論は進展いたしません。
 田中さんご自身の「自給第一」という主張は、ステレオタイプのご意見ではなく、素晴らしいご意見です。これから普及して欲しい(ある意味新しい)ご意見です。私も同感です。
 つまり、ステレオタイプというのは、田中さんのご意見ではなく、田中さんが反論されている仮想の相手の主張(私の主張ではありません)です。

  * * * *

 混乱と議論の停滞を避けるため、論点を番号をつけて書きますから、そのこと一つ一つに関して、ご返事コメント下さい。

 その前に、

>「時間をずらして生きる」という

の御説明致します。
 一度に沢山の人口が地上に現れたら、破局だから、地上に出現している人間の数は、少なく抑え、少子化して、少ない人口で世代を末永く繋ぐ・・・って事です。

 貼り付けておいた
【より多くの人間が地上に住む方法】に簡潔明瞭に書いておきましたが、見て下さらなかったのでしょうか?
(よく、長ったらしい参照URLを貼り付けるだけで何の説明もしない失礼な方がいますが・・そうはしなかった積もりです。私は簡単に概要もかいて、貼り付けた積もりです・・・カテゴリー【食料と人口】のほかの部分もそうなのですが・・・だから、田中さんの仮想相手とは、違うと言う部分が伝わらないのかとも思いますが、・・・番号をつけて書きますから、田中さんもそれぞれに、しっかりお答えくださいね。)


 さて、項目を絞って議論いたしましょう。


①自給を目指すという事について
 大賛成です。異論ありません。田中さんと同じように繰り返しになりますが、ここのブログの主題の一つです。
国単位ではなく、もっと小さなコミュニティー単位で自給自足を目指すべきです。一度も反対していません。これを基本に政策をすすめるべきだと考えます。



②過剰な人口、人口爆発という問題に関して

西暦元年頃の世界の人口は、現在の日本の人口と同じくらいの1億ほどと推測されています。産業革命が起こった頃1800年あたりで、10億・・それが、現在は60億を越えます。十分脅威的な数字です。
 この人口圧によって、絶滅したり激減した他の生物は本当に数え切れません。森林も、人間が農耕を始める以前より半減したと推定されています。

>森林を復活させて、砂漠化を減速

 させるためには、人口を増やさず、減らしてから安定化する必要があります。日本のように、「少子化は大変だ!子供を産めよ増やせよ!」と言う政策はかなりの愚かな政府の対策です。例えば


環境負荷、エコロジカル・フットプリントは、 〔環境負荷の全人口の総和〕

という事に関し、ご意見を書いて下さい。間違っているでしょうか?

 生物学的に、天敵がいなくて、食料が十分にあって、快適な環境であれば、個体数は、激増するのは、明らかだと思います。それを
『人類のひとり勝ち状態』
と表現しましたが、それで人口爆発した部分は、歴史的に大きいでしょう。欧米の人口増加はまさにそれが原因でしょう。明治維新から高度経済成長時代を通しての日本の人口爆発についても、そういう要素が大きいでしょう。


>世界の総人口が100億ぐらいあっても、それで持続可能ならば、それでいいではないか、という議論

このことも以前言及していますが、限界に挑んでどうするんでしょう??

>人口抑制策なんか考えたって、何の役にも立たない

これは非常に危険な、同意出来ないご意見です。それこそ、増えすぎたら人間を殺せ・・・という話になってしまいます。
 人口が多い事は歓迎される事ではない、人口の過剰は環境問題の大きな部分だ
という認識を世界の人々が、持たなければなりません。

>自給的食料獲得の社会では、もっと少ない人口でバランスがとれていたのですから、そういう社会にもどせばいい

その通りです。全く同意です。



③成長の限界について

書物の内容に関わらず、成長の限界は、存在するでしょう。地球のキャパを考えずに無限の成長など、人口でも経済でも有り得なません。

>ローマ・クラブなどをとおして流している戦略的情報

陰謀説がお好きですね!?。ちなみに田中さんはその
「成長の限界」を読まれましたか?(全部でなくとも、一部でも)読まれてからの反論ではなくて、陰謀説かなんかを読んでの受け売りに感じますが・・・。
・・何故なら
 私は流石に1972年に出た「成長の限界」は、古くて読む気がしませんでしたが、そのおよそ20年後の1992年に出された、同じメンバーによる(アップ-デート改訂版と呼ぶべき)「限界を超えて」は、最近読みました。30年後のアップ-デート版と呼ぶべきほうも途中まで読んでいます。
データもしっかり厳選して、考察も表面的な数値を見たものではありません。かなりしっかり分析、洞察が慎重にされています。

 人口の部分に関しては、ステレオタイプの・・「しっかりした教育と貧困の解消によって増加が止まる方向に・・」みたいな事も多少述べてあって軽率に感じました・・私はそんな対策では甘いと感じます。

 ローマクラブの別な意向があったかどうかはわかりませんが、この本の執筆者達は、それに左右されずに、表向きの目的どおり、しっかり成長の限界を論じています。・・まあ、アメリカ人の最先進国に住んでいる人間特有の甘さみたいなものは、多少、ふしぶしに感じられました・・・コンピュータシミュレーションの限界、有効性についてはかなり厳しく論じていて、未来は予測出来ないとしっかり述べた上で、パターンを示すに留まっています。そこは正直で好ましいと思います・・・しかし、そのパターンを示すのにコンピュータシミュレーションは必要ないように感じました。

「成長の限界」に関しては、そのうちこのブログの記事にしようかとも思います。・・・ロンボルグの「環境危機を煽ってはいけない」と同じくらいの厚さで値段は半分くらいです。(笑)。内容の厚さは、100倍以上ですね(笑)ロンボルグは立ち読みでも時間の無駄ですから・・。確か、「環境危機を煽ってはいけない」を買おうかと大きな書店に出向いたときに、その内容のあまりのお粗末さに、買う気が失せましたが、そのとき近くに置いてあった「成長の限界」をぺらぺら立ち読みして、いかがわしいと色眼鏡で見ていた部分に反して、正確でしっかりした素晴らしい内容に、読んでみようと買いました。・・一部を除き、期待通り・・期待以上の内容でした。名著と呼ばせて戴きましょう。

  * * * *
 

長くなったので、以上の3点だけに絞ります。
①は、同意する部分かと思いますが
②、③については、しっかり御返事(反論など)下さい。
他に田中さんが私にしっかり答えて欲しい部分があれば、同じように書いてください。議論を進展させましょう。



2008/03/02(Sun) 10:12 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
雑草Zさん、
論点を整理してくださって、ありがとうございます。順番に考えていきましょう。

その前に、「時間をずらして生きる」というとこについてのご説明、ありがとうございます。何となく分かりました。
リンク先の記事は、以前読んで覚えていました。理解できないままでいました。

では、順番に。

>(1)「自給を目指すという事について」

ここは、同意見です。

>(2)「過剰な人口、人口爆発という問題に関して」

>>森林を復活させて、砂漠化を減速

> させるためには、人口を増やさず、減らす必要があります。日本のように、「少子化は大変だ!子供を産めよ増やせよ!」と言うのはかなりの愚か者の言動です。

「増えないほうがいい」と言うのは、単なる「思い」です。「減らせ」と言うのは、行動の要求です。この二つは、かなり違うと思います。「減らせ」とあおれば、ステレオタイプな情緒が育っていくのは、とめられません。発言には注意が必要です。ぜひ、どの国のどのような人たちをどのように減らすのか、具体的に語っていただきたいです。

わたし、何度も言ってますけども、人口は、食料供給と飢餓とによって、すでにコントロールされているのです。今でも減らそうと思えば、食料供給を減らすことによって、人口は簡単に減ります。飢餓以外に、実効性のある人口抑制策って、どんなのがありますか。

計算の苦手な田中が言うのですから、あんまり当てになりませんが、人類の存続に関して、ある種の破局は避けられないと思います。そしてその破局をなるべく軽く済ませるための方法として、わたしは、食料の自給を推進することを第一にしたいと思います。それと同時に、自然とともに調和的に生きてきた文明から学んで、その学びを生かしていくことが必要だと思います。

>○明治維新から高度経済成長時代を通しての日本の人口爆発についてはどうお考えですか?

開発・開拓・拡張のイデオロギーに罹患した結果だと思います。

>>環境負荷、エコロジカル・フットプリントは、
>〔環境負荷の全人口の総和〕です

異論ありません。

>○生物学的に、天敵がいなくて、食料が十分にあって、快適な環境であれば、個体数は、激増するのは、明らかだと思います。それで人口爆発した部分についてのコメント返しがありませんが?

人間は、本能に従って生きているのではありません。民族ごとに文化を持っていて、長い時間をかけて、自然と調和する生き方をつくりあげてきました。多くの民族は、そういう文化に従って生きてきたのです。そういう伝統文化を壊して、人間を単純な生物学的存在におとしめてしまう、特異な文化が発生したために、種の存続の危機までを招くことになりました。この特異な文化は、伝染して、増殖する性質を持っています。……ってのが、わたしの文化観です。

>>世界の総人口が100億ぐらいあっても、それで持続可能ならば、それでいいではないか、という議論

>このことも以前言及していますが、限界に挑んでどうするんですか??

挑んでも、しょうがないです。わたしが挑もうとしているのではないです。議論としては、そういう言い方もできる、ということです。

>>人口抑制策なんか考えたって、何の役にも立たない

>これはかなり危険です。それこそ、増えすぎた人間を殺せという話になってしまいます。世界の人々が、人口が多い事は歓迎される事ではないという認識は持たなければなりません。

逆でしょう? 人口抑制策こそが、まさに「増えすぎた人間を殺せという話」です。そして事実、飢餓と言う形で、これまで抑制されてきたのですし、今も抑制されているのですし、これからも抑制されていくのだろうと思います。残念ですが。
増やすも減らすも思いのままの人口を、減らすことによって問題が解消するかのように幻想をふりまくのは、自給的文化の復興という、真の解決策から目をそらさせる役割りをもってしまうだろう、ということです。

>>自給的食料獲得の社会では、もっと少ない人口でバランスがとれていたのですから、そういう社会にもどせばいい

>その通りです。全く同意です。

そうでしょう? であれば、自給第一、第二以降はなし、ということで、人口抑制策なんて、考えるだけ無駄でないんですか。

>(3)成長の限界について

>成長の限界は、存在するでしょう。地球のキャパを考えずに無限の成長など、人口でも経済でもありえません。

それはそうです。

>>ローマ・クラブなどをとおして流している戦略的情報

>陰謀説がお好きですね!?。ちなみに田中さんはその 「成長の限界」を読まれましたか?(全部でなくとも、一部でも)読まれてからの反論ではなくて、陰謀説かなんかを読んでの受け売りに見えます。

ローマ・クラブの陰謀説って、知らないです。わたしが言ったのは、わたしのオリジナルのアイデアです。
ただ、

オリベッティ社の副社長で石油王としても知られるアウレリオ・ベッチェイ博士が、資源・人口・軍備拡張・経済・環境破壊などの全地球的な問題対処するために設立した民間のシンクタンクで、世界各国の科学者・経済人・教育者・各種分野の学識経験者など100人からなる。(「ウィキペディア」)

ということを知るだけで、このクラブが偏向しているということぐらい、たいがいの人には察しがつくと思います。
思想には、それが生み出される背景がありますし、支持者がありますし、調査・宣伝のための金を出す人がいます。たとえば、人口論で言えば、マルサスなんかも、背景を考えて、批判的に読むべきだと思います。

「成長の限界」は、読んでいません。その趣旨については、いろいろなところで耳にしています。
2008/03/02(Sun) 17:01 | URL  | 田中敬三 #-[ 編集]
②過剰な人口・・だけが議論の余地がありますね
    田中敬三 さん

先ず
>「時間をずらして生きる」

に関してもう一度具体例で書かせて戴きますが、これから
1兆の人口が地上に現れる場合、一度に沢山の子供が生まれ、一挙に一兆の人口が地上に同時に出現しようとしたら、破局です。
 そのかわりに地上に同時に存在する人間は10億人前後で、死んだ人数分だけ地上に現れるように生まれて、無茶をしなければ、長い時間をかけて、一兆の人口は地上に存在できる・・という事です。


②「過剰な人口、人口爆発という問題に関して」

>どの国のどのような人たちをどのように減らすのか、具体的に語っていただきたいです。

 全ての国、もっと小さな自治体の人口が、それぞれのエコロジカル・フットプリントが、持続的に再生可能な範囲以内に(限界ではなく、余裕を持って)増えないという範囲です。
 人口を減らす方法は勿論産児制限でしょう。普通に人口抑制策と言えば、産児制限の事だと思いますよ。

>人類の存続に関して、ある種の破局は避けられないと思います。

そう思います。これもこのブログにしつこく書いている部分です。

>そしてその破局をなるべく軽く済ませるための方法として、わたしは、食料の自給を推進することを第一にしたいと思います。

 同意する部分です。食料だけでなく、全ての資源、廃棄場所について、小地域ごとに自給自足すべきです。

>人口は、食料供給と飢餓とによって、すでにコントロールされているのです。

 餓死は辛いです。毎年何億人も餓死するのを放任できません。餓死せずとも飢餓でも十分に辛く非人道的です。産児制限のほうがずっと楽です。飢餓を減らすためにも産児制限を!!という事です。

>増えすぎた人間を殺せという話

 は、飢餓でもおなじでしょう。飢餓もある意味殺された事になる場合が多いでしょう。

産児制限と言えば、どうして、

>荒っぽい断種手術や、避妊薬の皮下への埋め込み

しか想定されないのでしょうか?

 先ず、前提条件として、過剰な人口は、環境に圧力を生むよくない事だ・・という認識をみんな持つべきでしょう。

産児制限には色んな方法があります。中国の一人っ子政策もありますし、先住民達のちょっと手荒な方法もあります。
 物理的な避妊もありますし、法律を作る事も出来ます。
3人以上産んだら罰則を与えるとか

・・田中さんは、

>自発的でない人口抑制策は、すべて犯罪的であると、わたしは感じます。

と言いますが、餓死したり、人口圧から戦争が起こって殺し合いするよりも遥かにいいでしょう。
 現在の日本のように、5人も6人も子供を産んだり、排卵誘発剤で一度に何人もの子供を作るのを「お国の為」とプロパガンダしているのは、第二次世界大戦以前の富国強兵策を想起いたします。

 まとめとして言えば、飢餓やそのための餓死は、非常に辛い事です。人道的ではありません。自分も餓死など致したくありません。人口抑制は産児制限でしっかりすべきです。

 私に限らず人口抑制策と言えば普通、あくまで、生まれる前に制限して、生まれた人間の人権は尊重しよう・・と言う事でしょう。

>人間は、本能に従って生きているのではありません。

食べたり、生殖機能というのはかなり生物的な部分です。

実際先進国をはじめとした人口爆発は、

>天敵がいなくて、食料が十分にあって、快適な環境

だから増えたと事実を言っているのです。

>民族ごとに文化を持っていて、長い時間をかけて、自然と調和する生き方をつくりあげてきました。

 それが破壊されて、破局に向けて人口が増え始めたのです。自給自足は原則として非常に有効な手段であると思います。しかし、それがわからない人間には出産制限をして戴くべきです。みんな食料や他の資源を分け合って生きている状態で、金持ちだけ、資源を占有するのは許されないのと同じ理由で、金持ちだけ沢山子供を持ってもいいと言う事にはなりませんが、現在の世界ではそれに類する事も起こりつつあります。

>人間を単純な生物学的存在におとしめてしまう、特異な文化が発生したために、種の存続の危機までを招くことになりました。この特異な文化は、伝染して、増殖する性質を持っています。……ってのが、わたしの文化観です。

後半はあっていますが、前半はちょっと違います。

>天敵がいなくて、食料が十分にあって、快適な環境

ならば人口は増えるものです。その結果起こる重大な危機を文化的に忘れた人類に飢餓や餓死を持って体得してもらおうと言う発想はかなり残酷です。自然の摂理の感覚を失った人々には、社会の理性で産児制限すべきです。



②成長の限界について

>このクラブが偏向しているということぐらい、たいがいの人には察しがつくと思います。

>その趣旨については、いろいろなところで耳にしています。

それだけが根拠ですね?!。私も田中さんほどではありませんでしたが、読む前は多少胡散臭さを感じていました。しかし、実際読んで、上のコメントに書いた通りです。名著と言う評価です。
 田中さんも読んで下さいとは申しませんが、立ち読みでもいいから、これ以上は内容を知らなければ批判は出来ないでしょうから、この部分の議論も御仕舞いですね。

>自動車とか家電製品なんかも消費してくれるような層が拡大してくれることを望むような産業界が、ローマ・クラブなどをとおして流している戦略的情報なのではないかと

 実際読んだ人間として、そんな内容ではない事だけは断っておきます。上のような事だけで、(ほとんど根拠もなく、少しも読まずに)ここまで想像して書くのは如何なものでしょう・・?




 つまりあとは②だけが論点と言う事で宜しいですか?
始めの
>「時間をずらして生きる」
に関しての書き直しも、②に関連付けて述べた積もりです。
2008/03/02(Sun) 18:27 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
わたしからの回答です
>先ず
>>「時間をずらして生きる」

>に関してもう一度具体例で書かせて戴きますが、これから
1>兆の人口が地上に現れる場合、一度に沢山の子供が生まれ、一挙に一兆の人口が地上に同時に出現しようとしたら、破局です。
> そのかわりに地上に同時に存在する人間は10億人前後で、死んだ人数分だけ地上に現れるように生まれて、無茶をしなければ、長い時間をかけて、一兆の人口は地上に存在できる・・という事です。


すべての命がどこかにひかえていて、少しずつ地上に存在するようになっている、という考え方ですね。
そういう考え方がいけないとは言いませんが、わたしは霊魂の存在を信じないので、ついていけないです。ごめんなさい。


>(2)「過剰な人口、人口爆発という問題に関して」

>>どの国のどのような人たちをどのように減らすのか、具体的に語っていただきたいです。

> 全ての国、もっと小さな自治体の人口が、それぞれのエコロジカル・フットプリントが、持続的に再生可能な範囲以内に(限界ではなく、余裕を持って)増えないという範囲です。
> 人口を減らす方法は勿論産児制限でしょう。普通に人口抑制策と言えば、産児制限の事だと思いますよ。


人口が「過剰」になったのは、開発・開拓・拡張の病に罹患したせいです。「過剰」になった根本の原因を取り除くというならまだしも、強制的に産児制限をするなんて、横暴です。それに、「すべての国で」なんて、どうしてそうやって、内政干渉をしたがるんでしょうか。どういう基準で産児制限したら、「すべての国」の人たちが納得できると言うのでしょうか。
「産児制限」という発想自体が、牧畜民族的で、森の民や田んぼの民や海の民には、なじまないと思います。人間は家畜ではありません。


>>>人口は、食料供給と飢餓とによって、すでにコントロールされているのです。

>> 餓死は辛いです。毎年何億人も餓死するのを放任できません。餓死せずとも飢餓でも十分に辛く非人道的です。産児制限のほうがずっと楽です。飢餓を減らすためにも産児制限を!!という事です。


わたしは、「自給的食料獲得の社会では、もっと少ない人口でバランスがとれていたのですから、そういう社会にもどせばいいのです」と言ったのです。飢餓がいいことだなんて言っていません。飢餓を人口抑制策として機能させているわたしたちの社会を変革するのは、容易なことではない、ということを言いたかったのです。
わたしたちがしたほうがいいのは、産児制限なんかではなくて、自然の許容量をこえない、小さな社会を運営する知恵を、自給的食料獲得の社会から学ぶことです。ですから、自給第一なのです。
仮に、強制して人口が減らせたとして、それで食料やエネルギーの危機が回避できたとすると、人口が増えた根本原因が温存さてしまいます。社会は病んだまま、強制的人口抑制策をとり続けなければならなくなります。
よい意味での「人道」を追求するなら、プランテーションを廃止させ、少ない人口でバランスがとれていた、昔の自給的食料獲得の社会を復活できるように、援助することでしょう。
産児制限は、しばしば「人道」の名のもとにおこなわれますが、わたしには少しも「人道」だとは思えません。


>>増えすぎた人間を殺せという話

> は、飢餓でもおなじでしょう。飢餓もある意味殺された事になる場合が多いでしょう。


ですから、わたしは、飢餓がいいなんて言ってませんから。


>産児制限と言えば、どうして、

>>荒っぽい断種手術や、避妊薬の皮下への埋め込み

>しか想定されないのでしょうか?


現実にそういう「産児制限」がおこなわれているのですから、そのように想定するのは、自然なことです。
本人が望んでいない人たちに対して実施される人口抑制策は、暴力的にならざるを得ません。人口抑制策に賛同しない人たちにコンドームを配ったり、禁欲を説いたりしても、効果はありません。
↓いくつか、ウェブ上の記事を拾ってみました。インド・中国・ペルーなんかの例が出ています。ひどい話が多くて、「本当か?」と疑いたくなりますが、これらの記事が全部うそ、ということはないと思います。


インドの人口政策に思う。経口避妊ピルは、不妊手術より「ちょっとだけ」マシ
http://www.cafeglobe.com/lifestyle/sexuality/020522.html

インドにおける人口抑制政策
http:/
/shiba.iis.u-tokyo.ac.jp/member/old/yamamoto/food/india.html

東京新聞:強引人口抑制策で暴動 中国農村ルポ 罰金払えぬと略奪 不妊手術を強要
http://b.hatena.ne.jp/entry/4814592

さらなるウイグル族への出生抑制策、強制堕胎、不妊手術に発展の可能性も。
http://kok2.no-blog.jp/tengri/2006/02/post_dbc6.html

家族計画と白人性-強制された近代家族-
http:/
/www.let.osaka-u.ac.jp/seiyousi/whiteness/page19.html

中国、少数民族を強制連行避妊手術
http://temple.iza.ne.jp/blog/entry/186723/

フジモリ大統領の強制避妊策の責任を追及する女性議員
http://www.news.janjan.jp/world/0607/0607167939/1.php

国連人口基金への拠出拒否の論理
http:/
/www.mochida.net/report02/08bushtandoku2.htm


> 先ず、前提条件として、過剰な人口は、環境に圧力を生むよくない事だ・・という認識をみんな持つべきでしょう。

>産児制限には色んな方法があります。中国の一人っ子政策もありますし、先住民達のちょっと手荒な方法もあります。
> 物理的な避妊もありますし、法律を作る事も出来ます。
>3人以上産んだら罰則を与えるとか


こういう発想が「エコ・ファシズム」なんじゃありませんか?


>・・田中さんは、

>>自発的でない人口抑制策は、すべて犯罪的であると、わたしは感じます。

>と言いますが、餓死したり、人口圧から戦争が起こって殺し合いするよりも遥かにいいでしょう。
> 現在の日本のように、5人も6人も子供を産んだり、排卵誘発剤で一度に何人もの子供を作るのを「お国の為」とプロパガンダしているのは、第二次世界大戦以前の富国強兵策を想起いたします。


自発的にやるのでしたら、何をやってもいいですが、お願いですから、ほかの人に強制しないでほしいです。
イスラム教シーア派が、「個人の家庭の事情で避妊するのは認めるが、国による人口抑制は認めない」と宣言した、という記事を見たことがありますが、健全な感覚だと思います。わたし、シーア派を見直しました。


> まとめとして言えば、飢餓やそのための餓死は、非常に辛い事です。人道的ではありません。自分も餓死など致したくありません。人口抑制は産児制限でしっかりすべきです。

> 私に限らず人口抑制策と言えば普通、あくまで、生まれる前に制限して、生まれた人間の人権は尊重しよう・・と言う事でしょう。


飢餓がいやなのは、だれだってそうです。だから、根本原因である、開発・開拓・拡張のイデオロギーを解体しましょうと、わたしは呼びかけています。産児制限は、苦しみを増させるだけで、意味がありません。現実の人口構成のシステムは、食料供給と飢餓とによって、バランスが保たれているのですから。増やすのも減らすのも、どうにでもなるのですから。念のために繰り返しますが、わたしは、こういうシステムがいいと言っているのではないのですよ。産児制限は困難であるし、社会の病を温存してしまうので、よくないのです。そういうやり方ではなくて、少ない人口でバランスがとれていた、昔の自給的食料獲得の社会を復活させようとする方向に運動していってはどうでしょうか、と言っているのです。


>>人間は、本能に従って生きているのではありません。

>食べたり、生殖機能というのはかなり生物的な部分です。


岸田秀さんがよく「人間は本能が壊れた生き物だ」と言うのと同じ意味で言っています。つまり、人間の社会的活動は、本能としてあらかじめ遺伝情報に組み込まれているのではない、ということです。社会がどのぐらいの人口で運営されるか、ということは、ほかの本能で生きている動物のように、食料と天敵によって単純に規定されるのではない、ということです。
人間は文化を持っています。文化には、たくさんの知恵が詰まっています。自然を壊さないで、つつましく、美しく生きてきた民族の文化から、大いに学ぶべきです。そういう文化は、かなり破壊されていますけれども、まだ残っていて、伝えている方がたがいらっしゃいます。


>実際先進国をはじめとした人口爆発は、

>>天敵がいなくて、食料が十分にあって、快適な環境

>だから増えたと事実を言っているのです。


人間は文化を持った生き物だ、ということを、さっき言いました。ほかの動物とは違うのです。自然の中で、つつましく、美しく生きてきた諸民族がいるのです。どうせ文化を学ぶならば、開発・開拓・拡張のイデオロギーに犯された、がさつで醜い民族からではなくて、もっといい民族から学ぶべきです。人間の文化をないがしろにして、他の、本能で生きている動物と同一視するような発想は、わたしは肯定できません。


>>民族ごとに文化を持っていて、長い時間をかけて、自然と調和する生き方をつくりあげてきました。

> それが破壊されて、破局に向けて人口が増え始めたのです。自給自足は原則として非常に有効な手段であると思います。しかし、それがわからない人間には出産制限をして戴くべきです。みんな食料や他の資源を分け合って生きている状態で、金持ちだけ、資源を占有するのは許されないのと同じ理由で、金持ちだけ沢山子供を持ってもいいと言う事にはなりませんが、現在の世界ではそれに類する事も起こりつつあります。


金持ちに対してでも、貧乏人に対してでも、産児制限を強制するのは、よくないと思います。
食料が足りなくなって、エネルギーが足りなくなって、水や空気が汚れたときに、生き残るのは、金持ちのほうだと予想します。あまり愉快な予想ではありませんが、そうなりそうな気がします。できれば、いろいろな民族、いろいろな文化が残ってほしいと、わたしは思います。だからこそ、根本的な原因にさかのぼって、治療したほうがいいと思うのです。その方向に力を集中するべきです。


>>人間を単純な生物学的存在におとしめてしまう、特異な文化が発生したために、種の存続の危機までを招くことになりました。この特異な文化は、伝染して、増殖する性質を持っています。……ってのが、わたしの文化観です。

>後半はあっていますが、前半はちょっと違います。

>>天敵がいなくて、食料が十分にあって、快適な環境

>ならば人口は増えるものです。その結果起こる重大な危機を文化的に忘れた人類に飢餓や餓死を持って体得してもらおうと言う発想はかなり残酷です。自然の摂理の感覚を失った人々には、社会の理性で産児制限すべきです。


「天敵がいなくて、食料が十分にあって、快適な環境ならば人口は増えるもの」というのは、本能で生きている動物について言えることで、文化を持っている人間には、そうでない道を歩むことができます。
飢餓については、前にも言いましたが、わたしはそれをいいことだとは思っていません。ただ、開発・開拓・拡張のイデオロギーに犯されたわたしたちの、現実の社会は、食料と飢餓によって人口を制御しています。人口を増やすも減らすも自由にやれるシステムの中で、産児制限などは、やっても意味がありません。なぜ意味のないことをやろうとするのか、と言えば、それは、手品師のトリックと同じです。左手のカードを見せて、見ている人たちがそちらに気をとられているすきに、右手で「種」を仕込むのです。「環境問題の切り札は人口抑制だ」というアドバルーンをあげていれば、本当の原因(開発・開拓・拡張のイデオロギー)を隠すことができる、と思っているのです。


>(2)成長の限界について

>>このクラブが偏向しているということぐらい、たいがいの人には察しがつくと思います。

>>その趣旨については、いろいろなところで耳にしています。

>それだけが根拠ですね?!。私も田中さんほどではありませんでしたが、読む前は多少胡散臭さを感じていました。しかし、実際読んで、上のコメントに書いた通りです。名著と言う評価です。
> 田中さんも読んで下さいとは申しませんが、立ち読みでもいいから、これ以上は内容を知らなければ批判は出来ないでしょうから、この部分の議論も御仕舞いですね。


人生は短いですから、質の悪い本を読んで時間を無駄にしたくはありません。「読まない人とは議論ができない」と言って、雑草Zさんが逃げるのならば、別に、わたしは追っかけはしません。というか、雑草Zさんの上のコメントを見たら、ますます読みたくなくなりました。


>>自動車とか家電製品なんかも消費してくれるような層が拡大してくれることを望むような産業界が、ローマ・クラブなどをとおして流している戦略的情報なのではないかと?
>> 実際読んだ人間として、そんな内容ではない事だけは断っておきます。上のような事だけで、(ほとんど根拠もなく、少しも読まずに)ここまで想像して書くのは如何なものでしょう・・?


わたしは、「成長の限界」は読んでいませんが、「成長の限界」やローマ・クラブについて、世間の常識程度の知識はあります。「人口爆発」は、いろいろな口実につかわれてきました。緑の革命なんかもそうです。食料が足りなくなる、エネルギーが足りなくなる、といった「あおり」が、何の目的でおこなわれるか、それについて、想像で言ったのが、上の発言です。素人ですから、間違っているかもしれません(玄人でも間違うかもしれませんし…)。でも、このブログは、素人が想像で発言してはいけない場所なのですか。でしたら、今後は書き込みしません。
2008/03/02(Sun) 23:29 | URL  | 田中敬三 #-[ 編集]
「人口爆発」は口実か?
    田中敬三 さん

 またまた、
「時間をずらして生きる」

 について、書きますね。書き直しによって、逆に誤解が増えたようですから。

>すべての命がどこかにひかえていて、少しずつ地上に存在するようになっている、という考え方

では、ありません。どうして「霊魂の存在」
の話になるのでしょうか?書き方が悪かったみたいですね。
非常に単純な事を書いた積もりです。かいた通りそのままなのですが・・・。

 ただ単に、これから先、地上に沢山の人間が生存する方法を述べているだけです。人数の事を言っているだけです。
 同時に1兆人の人間は地上に存在出来なくても、10億人ずつ時をずらして(=世代を変えて)時間をかければ、1兆人以上存在出来る・・・と。その人間の魂が同じだとかそういう事ではありません。
持続可能な世の中とは、人口圧の少ない人口で、世代を受け継いでいく、環境負荷の少ない社会だと。(時間をずらしても1兆人になるまで世界を維持するのもかなり大変かと思いますが・・)

 霊魂を信じるアイヌなど先住民のことを否定する積もりは毛頭御座いませんが、霊魂の話とは全く関係ありません。 


 さて、
②過剰な人口、人口爆発 についてです。

上の「時間をずらして生きる」と言う事が、私の目標とするところです。田中さんの「自給自足」(勿論私の意見でもあります)も、人口の安定と言う意味で同じと考えられます。
 そこには、人口爆発は存在してはいけないと言う事です。先ず 
>「人口爆発」という概念のルーツ、『成長の限界』を発表したローマクラブをいう組織が、どのようなスポンサーによって運営されているか、考えてみてください。そのような人びとに感情移入しても、しょうがないんじゃないかと、

と、書かれていますが、人類はそんなに愚かなのでしょうか?つまり、「人口爆発」という概念が、「成長の限界」が発表される1972年までなかったのか?と言うところです。
 「人口爆発」という概念が、、「成長の限界」ではじめて出てきたのだとしたら、酷いもんだと思います。
 誰に感情移入とか言う問題ではなくて、「人口爆発」という問題が存在しない、と考えるほうが愚かです。上のコメントにも書いたように、人間は、他の生物や森林などの犠牲の上に人口爆発してきました。・・その事実を認めないのですか?
 過去の社会、江戸時代の日本も、色々なところの先住民も、人口抑制策は行われています。個人の判断とも言えなくはありませんが、社会の圧力と考えるべきでしょう。最近大虐殺のあったルワンダも、人口圧が原因の一つですが、殺し合いにならないようにと、色んな人口抑制策がなされていました。

「緑の革命」は、生物学的にも人口爆発を助長したのです。
人口爆発を容認する代わりに、人口抑制策を施すべきでした。・・そうならなかったのは先進国・・特にアメリカのご都合でしょう。

 ここでの議論は、理想論としての事だと思うのですが、田中さんは、現実の人口抑制策の酷い例を持ち出します。現実例を持ち出すなら、持続可能な自給自足社会が破壊されたのは、先進国が征服したからでしょう。これからも、各国自給自足の方向に向かわなければ、破局を避けることは出来ない事は、一致するところですね。しかし、そうすると、自給自足していない国、自給自足では飽き足らない国から征服されるわけです。・・・それこそ歴史が証明しているでしょう。
 幾つかの国が自給自足に戻っても、人口爆発を野放しにして、食料がなくなったら、ゲルマン民族の大移動のように、食料を求めて、移動するでしょう。
 民族自決・・は大切でも、実際アラブでも、アフリカでも、国の民族自決は、その国の富める強いものが行っている部分も否定できません。食料自給を個人毎にやる事が理想ですが、いざとなれば国の強者に没収されます。・・・このあたりは田中さんも同意するところでしょう。
 私も田中さんが繰り返しかかれている自給自足の大切さについては、同意しています。
 

 さて、論点を拡散しないように絞りますが、結局、田中さんも私も、理想論として、自給自足の社会に移行する事に関しては、はじめから一致していると考えます。・・この部分に関しては、お互いのサイトでお互いしつこく主張しているところです。

 そこで、現在の持続不可能な社会から、持続可能な社会に移行するにあたって、現在
 エコロジカル・フットプリント
 <人口>×<一人当たりの環境負荷>

がオーバーした社会では、減らさなければならないわけです。式からも、現実も、いわゆる先進国のほうがずっと減らさなければならないわけです。<一人当たりの環境負荷>を減らす事は勿論ですが、人口も減らさざるを得ないでしょう。
 それが人口抑制策、産児制限だと言っているのです。

 田中さんのおっしゃるように

>できれば、いろいろな民族、いろいろな文化が残ってほしいと、わたしは思います。だからこそ、根本的な原因にさかのぼって、治療したほうがいいと思うのです。その方向に力を集中するべきです。

 大賛成です。で、現在オーバーしている人口を持続可能なレベルまで下げるにはどうするか?と言う話です。
 産児制限をしなければ、生まれてきた子供を餓死させよ・・と言う議論になります。

>「過剰」になった根本の原因を取り除くというならまだしも、強制的に産児制限をするなんて、横暴です。

 繰り返しますが、そこは十分に踏まえたうえでの議論です。

 どうして何度も断っても、そういうステレオタイプの相手を想定して反論するのですか?

>人口を減らせば問題が解決する、と思うのは幻想

 人口を減らせば問題が解決するとそれだけで議論している人はあんまりいないと思いますが、人口増加を抑制し、余裕のある人数で安定させる事も必要条件の一つです。

 議論は、現在オーバーしている人口をどうするか?
または、人口をどうやって安定させるのか?
という事です。そこについてコメント下さい。
 自給自足の社会でも、人口調節はなされています。
 飢餓とか出産抑制などでしょう。
 飢餓よりも出産抑制がいいと言ってるのです。

総論では同じ意見ではないかと思います。


 * * * *

>人生は短いですから、質の悪い本を読んで時間を無駄にしたくはありません。

全く賛成です。だから読む必要はないと明記しています。

>「読まない人とは議論ができない」と言って、雑草Zさんが逃げるのならば、別に、わたしは追っかけはしません。

人間の感じ方は面白いですね。・・意思の疎通に欠ける・・というやつでしょうか?・・私は逃げたのではなく、あなたを深追いしないでさりげに議論を終わらせるように書いた積もりでした。はっきり申し上げれば、田中さんを逃がしてあげた積もりです。・・・あなたは、これ以上書くことはない・・と勝手に思ったもので・・・まだ議論足りなかったのですね?・・ぶしつけな書き方でした。大変失礼しました。存分に議論下さい。続けましょう。お門違いにならない内容ならいつでもお受けいたします。

 私自身は、読む前は、ちょっと胡散臭いと思っていたくらいで、他の情報はありませんでした。「成長の限界」と言う事は、極めて理性的なことで、当然の事だけども、経済成長優先の時代にこういう事を世に出した事は評価出来るとも考えていました。

 

と、言う事で、
  
③成長の限界について

も議題に復活と言う事で宜しいですか??

 
2008/03/03(Mon) 09:19 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
「人口爆発」は人為的につくられています
> またまた、
>「時間をずらして生きる」

> について、書きますね。


発想の構造は、基本的には前回とかわっていないと思います。総数が決まっているというからには、その元になる「何か」が存在しているものと想像されます。それを「霊魂」と呼ぶかどうかは別としても。

なぜ人類が発生する総数が決まっているのですか?
誰かが決めたのですか?
その1兆人の中には、ピテカントロプスとかネアンデルタール人とかは入るんですか?
人類の祖先をずーっとたどっていくと、もっと原始的な生物にたどりつくと思うのですけど、どのへんからその1兆人の数に含められるようになるのですか。
ゴリラやチンパンジーは、その1兆人に含まれないのですか。
この考え方は、雑草Zさんのオリジナルですか。


>>「人口爆発」という概念のルーツ、『成長の限界』を発表したローマクラブをいう組織が、どのようなスポンサーによって運営されているか、考えてみてください。そのような人びとに感情移入しても、しょうがないんじゃないかと、

>と、書かれていますが、人類はそんなに愚かなのでしょうか?つまり、「人口爆発」という概念が、「成長の限界」が発表される1972年までなかったのか?と言うところです。
> 「人口爆発」という概念が、、「成長の限界」ではじめて出てきたのだとしたら、酷いもんだと思います。
 誰に感情移入とか言う問題ではなくて、「人口爆発」という問題が存在しない、と考えるほうが愚かです。上のコメントにも書いたように、人間は、他の生物や森林などの犠牲の上に人口爆発してきました。・・その事実を認めないのですか?


人口増加の現象は実在します。しかし、それは自然現象ではなくて、「開発・開拓・拡張に駆り立てる心の病」に犯された人たちのせいで、人為的に起こされた現象です。自然現象ではありませんから、「開発・開拓・拡張に駆り立てる心の病」に犯された人たちが破壊してきた、「安定した人口で、自然と調和して、平和に暮らす社会」の文化に学んで、新しい社会をつくっていくことで、これにブレーキをかけることができる可能性があります。

森林をつぶして、畑や牧草地を開拓する、ということは、この「開発・開拓・拡張に駆り立てる心の病」に犯された人たちがやったことです。そうやって食料が増産されて、人口も増えていきました。そして、「人口が増えたから、もっと食料を増産しなければいけない」と言って、食料増産→人口増のサイクルに入っていきます。自分たちが破壊してきた「安定した人口で、自然と調和して、平和に暮らす社会」にもどる、という選択を拒否して。

マルサスや、緑の革命や、ローマ・クラブが間違っているのは、「安定した人口で、自然と調和して、平和に暮らす社会」にもどる、という真の解決策を隠して、人口爆発が自然の法則であるかのように宣伝することです。そういう宣伝から出てくる結論は、食料増産か、人口抑制です。どちらに重きを置くかは別として。
食料増産と人口抑制で人口のバランスをとるシステムをつくったのは、「開発・開拓・拡張に駆り立てる心の病」に犯された人たち自身ですよ。自分たちが合目的的につくりあげた社会の当然の成り行きを指摘して、自分たちの考え方を正当化しているのです。こういうのをマッチポンプと言います。


>「緑の革命」は、生物学的にも人口爆発を助長したのです。
>人口爆発を容認する代わりに、人口抑制策を施すべきでした。・・そうならなかったのは先進国・・特にアメリカのご都合でしょう。


人口抑制は、問題の解決策にはなりません。雑草Zさん、「開発・開拓・拡張に駆り立てる心の病」に、そうとう洗脳されていますね。
マルサスの『人口論』にしても、ローマ・クラブの「成長の限界」にしても、本は選んで読んだほうがいいと思います。批判するつもりで読みはじめても、ミイラとりがミイラになるように、いつの間にか洗脳されてしまう、ということは、よくあることです。


> ここでの議論は、理想論としての事だと思うのですが、田中さんは、現実の人口抑制策の酷い例を持ち出します。現実例を持ち出すなら、持続可能な自給自足社会が破壊されたのは、先進国が征服したからでしょう。これからも、各国自給自足の方向に向かわなければ、破局を避けることは出来ない事は、一致するところですね。しかし、そうすると、自給自足していない国、自給自足では飽き足らない国から征服されるわけです。・・・それこそ歴史が証明しているでしょう。
> 幾つかの国が自給自足に戻っても、人口爆発を野放しにして、食料がなくなったら、ゲルマン民族の大移動のように、食料を求めて、移動するでしょう。
> 民族自決・・は大切でも、実際アラブでも、アフリカでも、国の民族自決は、その国の富める強いものが行っている部分も否定できません。食料自給を個人毎にやる事が理想ですが、いざとなれば国の強者に没収されます。・・・このあたりは田中さんも同意するところでしょう。


征服される可能性があっても、自分たちが食べるものをつくるのをやめるわけにはいきません。自給する立場から言えば、つくらなければ食べられないのですから。
とにかく今は、侵略されていませんから、わたしは自給します。侵略される前に、少しでも自給的社会を広げておくほうが、侵略をしにくくする力になると思います。それでも侵略されたらどうするかは、そのときになって考えても、遅すぎないと思います。

自給的食料獲得の社会では、社会心理的な意味での拡張衝動がありませんから、人口も、ある一定の水準で落ち着くはずです。もちろん、強制的な人口抑制策なしに、です。人口圧も低いですから、飢餓も少なくなっていくはずです。


> そこで、現在の持続不可能な社会から、持続可能な社会に移行するにあたって、現在
> エコロジカル・フットプリント
> <人口>×<一人当たりの環境負荷>

>がオーバーした社会では、減らさなければならないわけです。式からも、現実も、いわゆる先進国のほうがずっと減らさなければならないわけです。<一人当たりの環境負荷>を減らす事は勿論ですが、人口も減らさざるを得ないでしょう。
> それが人口抑制策、産児制限だと言っているのです。


人口を減らそうとする必要はありません。「開発・開拓・拡張に駆り立てる心の病」が癒えていけば、人口は少しずつ減っていって、ある一定の水準で安定するはずです。


>>できれば、いろいろな民族、いろいろな文化が残ってほしいと、わたしは思います。だからこそ、根本的な原因にさかのぼって、治療したほうがいいと思うのです。その方向に力を集中するべきです。

> 大賛成です。で、現在オーバーしている人口を持続可能なレベルまで下げるにはどうするか?と言う話です。
> 産児制限をしなければ、生まれてきた子供を餓死させよ・・と言う議論になります。


こういうたとえ話はどうでしょうか。激流に流されている人たちがいるとしましょう。そのときに、泳いで流れに逆らおうとするのは、賢明でしょうか。どんなに懸命に泳いでも、ちっともさかのぼれないことでしょう。それだけの力があるならば、ある程度流されながら、川岸にたどり着こうと努力したほうがいいのではありませんか。岸辺を歩いてさかのぼるほうが、はるかに疲労が少ないはずです。
圧倒的に人口を膨張させられて、その制御法としては、もはや飢餓しか現実的にはありえない状況の中で、産児制限をするのは、激流を泳いでさかのぼろうとするようなものです。そんなことをやるぐらいならば、「開発・開拓・拡張に駆り立てる心の病」から抜け出して、つまり、川岸にたどり着いて、川辺を歩いてさかのぼるほうが、ずっと合理的です。ですからわたしは、「根本的な原因を治療する方向に力を集中したほうがいい」と言ったのです。ここで言う「治療」とは、「開発・開拓・拡張に駆り立てる心の病」を解体して、「安定した人口で、自然と調和して、平和に暮らしていた社会」の文化に学びながら、自給的食料獲得の社会をつくっていくことです。
こういう一種の社会変革を、上から一気におこなおうと考えると、それは限りなく不可能ということになります。しかし、中島正さんの「みの虫革命」のように、一人一人の、自給の大切さに気づいた人たちから、自給的生活をはじめていって、それが広がっていく、というように、下からじわじわ進めていくやり方をすれば、実現の可能性があるように、わたしには思われます。

自発的でない人口抑制策は、暴力的にならざるを得ません。それは、飢餓に加えて、新しい苦しみを加えることにしかなりません。


>>「過剰」になった根本の原因を取り除くというならまだしも、強制的に産児制限をするなんて、横暴です。

> 繰り返しますが、そこは十分に踏まえたうえでの議論です。

> どうして何度も断っても、そういうステレオタイプの相手を想定して反論するのですか?


現実におこなわれている実効性のある人口抑制策で、暴力的でないものがあったら、教えていただきたいのですけど。
現実を見ないで、机上の人口論をぶつのは、無責任です。「環境問題の切り札は、人口抑制策だ」というスローガンが、政策として執行される現場で、どれほど痛ましい犠牲を生んでいるか、想像してみてください。

自分が世界の支配者になったつもりで、政策を発想するのではなくて、一人の生活者という立場で、どのように生きたらいいか、という発想で考えてみてはどうでしょうか。一人の生活者として発想する人が増えるほうが、社会はいい方向へ進むような気が、わたしにはします。


> 人口を減らせば問題が解決するとそれだけで議論している人はあんまりいないと思いますが、人口増加を抑制し、余裕のある人数で安定させる事も必要条件の一つです。

> 議論は、現在オーバーしている人口をどうするか?
>または、人口をどうやって安定させるのか?
>という事です。そこについてコメント下さい。
> 自給自足の社会でも、人口調節はなされています。
> 飢餓とか出産抑制などでしょう。
> 飢餓よりも出産抑制がいいと言ってるのです。


生産量、消費量、そういう「数字」にたよったシミュレーションは、限界があります。文化的要素を無視しているからです。「開発・開拓・拡張に駆り立てる心の病」に犯される前の、「安定した人口で、自然と調和して、平和に暮らす社会」の文化に学んで、どうしてそういう社会が「安定した人口」を保てたかを考えることが、優先されるべきだと思います。

冷静に考えてください。具体的に、どの国の、どのような人たちに、どのような方法で産児制限をすれば、飢餓をなくすことができますか。「ステレオタイプだ」と反発しないで、文字どおり、どういうふうに産児制限をすれば、飢餓をなくすことができるか、本気で考えてみてください。物理的に無理だと思いますよ。結果として、とんでもなく苦しみを増すことになるだけだと思いますよ。
「開発・開拓・拡張に駆り立てる心の病」を解体することに力を集中するべきだ、というのは、そういうことです。飢餓がないほうがいいのは、当たり前で、それが人口抑制策なんかで解決するなら、とうの昔に解決しています。実際には、問題を解決できない方法が、解決できる方法であるかのように、はるか昔から言われ続けてきました。なぜでしょう。「開発・開拓・拡張に駆り立てる心の病」に犯された社会は、人口制御の方法として、飢餓を必要としているからです。飢餓をなくしたくないのですよ。
「環境問題の切り札は、人口抑制策だ」というスローガンは、真の問題(「開発・開拓・拡張に駆り立てる心の病」)を隠すための目くらましだと、わたしは思っています。
2008/03/03(Mon) 19:58 | URL  | 田中敬三 #-[ 編集]
新しい考え方を引き出していただき、ありがとうございます
「時間をずらして生きる」の話から。

「より多くの人間がこれから地上に住む方法」って、ようするに、種として、太く短く生きるのではなくて、ほそく長く生きましょう、ってことですか。やっと分かりました。生まれてくる人間の総数が多いほうがいい、という発想が、わたしには奇妙に感じられるのですよね。だったら、「太く長く」が一番いいことになりますでしょう?
生まれてくる人間の総数の概念を持ち出すことによって、人類の終末を意識させて、そこはかとない不安感をかもし出す効果があるのでしょう。ですが、環境問題を考えるときには、もっとリアルなシミュレーションをしてみせて、どういう未来を望みますか?と訴えたほうが、説得力があるように、わたしは思います。
それと、「時間をずらして生きる」の考え方が、人口抑制策にリンクして使われる場合、じつに奇妙ななぐさめの言葉になるのですよね。どのぐらい太くとか、どのぐらい長くとかいったことは、社会の運営次第でどうにでもなることで、太さと長さを掛け合わせた総数が、何か意味のある数字なのか、よく分からないのですが、そのよく分からない数字を意識させて、人口抑制策を受入れさせようとするのは、ごまかされているような気がして、はっきり言って、不快です。
それから、すでに指摘しましたが、人間が生まれてくる「元になる何か」を想定する考え方は、霊魂の考え方の変形ですし、撤回されたようですが、生まれてくる人間の総数を固定的に想定することは、運命論の変形で、どちらもわたしには信じられません。


>(い)>人口増加の現象は実在します。しかし、それは自然現象ではなくて 

> 田中さんの定義するところの自然増加について、教えてください。曖昧でなく・・

> 書き方が「自然増」だろうが、そうでなかろうが、食料と環境がよければ一般に人口は増えます。
> そこに、「人間は他の動物とは違うから・・」と言うのならば、それこそ自然増ではないのでは?


引用されたわたしの文の文脈を読んでください。わたしは、雑草Zさんが「人口爆発」と呼んでいたことを、「人口増加」と言い換えただけです。どうして言い換えたかというと、「人口爆発」という言葉には、情緒的に「あおる」性質が含まれているので、冷静に考えてほしいという気持ちを込めて、言い換えました。ですから、最初の問いへの答えは、「雑草Zさんが「人口爆発」と呼んでいたもののことです」です。

自然の許容力に対する人口比は、「安定した人口で、自然と調和して、平和に暮らす社会」では低く、「開発・開拓・拡張に駆り立てる病に犯された社会」では高くなります。この「自然の許容力に対する人口比」の低さこそが、まさに「安定した人口で、自然と調和して、平和に暮らす社会」が「安定した人口で、自然と調和して、平和に暮らす社会」でいられる理由なのです。
「書き方が「自然増」だろうが、そうでなかろうが、食料と環境がよければ一般に人口は増えます」というのは、「開発・開拓・拡張に駆り立てる病に犯された社会」には当てはまりますが、「安定した人口で、自然と調和して、平和に暮らす社会」には当てはまりません。「安定した人口で、自然と調和して、平和に暮らす社会」は、「自然の許容力に対する人口比」を低く保つ知恵にあふれた文化を持っているからです。
文化を持った人間を、本能に従って生きる人間以外の動物と同じように扱おうとするのが、「開発・開拓・拡張に駆り立てる病に犯された社会」の構成員の精神の特徴です。なぜそのように、人間をおとしめようとするのかと言えば、自分たちが本能に従って生きる人間以外の動物に近い性質を持っているから、人間ならばみんな自分たちと同じようなものだろう、という発想しかできないからです。
ですから、「食料と環境がよければ一般に人口は増えます」というのは、間違いです。


>(ろ)>「安定した人口で、自然と調和して、平和に暮らす社会」の文化に学んで、新しい社会をつくっていくことで、これにブレーキをかけることができる可能性があります。

> 私もそれは大賛成ですが、そこにも人口抑制は働いています。古代国家・・・例えばメソポタミアとか・・人口の増え過ぎで滅びた国家は沢山あります。安定した社会では、人口抑制策がなされていないと考えるのはかなり軽率です。そこでは、子供が沢山生まれないと思っているのですか?赤ちゃんの死亡率が高いからいいのですか?


メソポタミアなどの古代国家は、「開発・開拓・拡張に駆り立てる病に犯された社会」です。都市を形成する社会、言い換えれば、食料生産をする農民と食料生産をしない都市住民が分化する社会は、明らかに「開発・開拓・拡張に駆り立てる病」に犯されています。
わたしがそこから学んだほうがいいと思っている「安定した人口で、自然と調和して、平和に暮らす社会」というのは、自給的社会です。都市が形成される以前の、いわゆる「未開社会」です。
すでに、純粋な「未開社会」は失われているでしょうし、学ぶがわのわたしたちも、すでに「開発・開拓・拡張に駆り立てる病」に犯されているわけですから、ただ模倣してうまくいく、ということはないでしょう。ですから、残されている「未開社会」から、その社会が「安定した人口で、自然と調和して、平和に暮らせている」理由、原理のようなものを抽出して、わたしたちの生活に適応させていく作業が必要になってくると思います。


>(は)>マルサスや、緑の革命や、ローマ・クラブが間違っているのは 、

> 緑の革命は確かに食料増産ですが、マルサスは、 「人口は幾何級数(等比数列)的に増えるが食料増産は等差数列的(ここ根拠ないと思いますが)に増える」・・と言っているように、食糧増産の愚かさを論じています。
>「成長の限界」も同様です。人口圧は食糧増産ではまかなえず、かえって逆効果です。人口抑制策と食糧増産を一緒にしないで下さい。どちらかといえば反対の政策です。
> 因みに私は、マルサスを評価していません。


「開発・開拓・拡張に駆り立てる病」は、自然の許容力に対する人口比を高く保つことを要求します。そのために食料を増産しようとします。しかし、「開発・開拓・拡張に駆り立てる病」は、必ず食料の配分に偏りを持たせようとしますから、必ず飢餓は発生します。人口の制御の方法として、食料増産と飢餓という形での人口抑制は、必ずセットになってあらわれます。ですから、食料増産と飢餓は、同じ「開発・開拓・拡張に駆り立てる病」の、ちょっと角度をかえて見た見え方にすぎません。
「必ず食料の配分に偏りを持たせる」について言えば、マルサスは飢餓を「自然淘汰」だと言いました。つまりこれは、劣った固体が切り捨てられていく、という差別的な考え方で、この発言は、飢餓の要因である「必ず食料の配分に偏りを持たせる」ことについて、罪悪感を薄める役割りをはたしました。


>(に)>マルサスの『人口論』にしても、ローマ・クラブの「成長の限界」にしても、本は選んで読んだほうがいいと思います。批判するつもりで読みはじめても、ミイラとりがミイラになるように、いつの間にか洗脳されてしまう、ということは、よくあることです。

>随分穿った見方致しますね。私は子供の頃より人口爆発を憂えています。「成長の限界」を読んだのは、去年、今年の話です。人口爆発を甘く見る本は信用いたしません。
ローマ・クラブはわかりませんが、「成長の限界」は評価しています。スポンサーが駄目なら本人達も駄目だろう・・という感情論はわかりますが、内容が田中さんの言ってるのとは全く違うし、もっとしっかり洞察しています。まあ、以前のコメントにも書いたように、評価できない部分もあります。
> 批判する為にこんな厚い本は買いません。
私は実際に書店で立ち読みしていいと思って買いました。(これが「成長の限界」のアップ-デート版であることすらわからずに、内容のよさで買いました。)

>内容も著者も知らずに

>>本は選んで読んだほうがいいと思います。
> 
>と、言うのはかなり軽率というべきでしょう。内容のどこが駄目かも的外れです。・・ここまでかくとあなたの・・・が疑われますよ。


雑草Zさんがとりあげたわたしの発言は、ローマ・クラブについて述べたものです。「成長の限界」について述べたものではありません(確認してください!)。ですから、 「内容が田中さんの言ってるのとは全く違う」という非難は、的外れです。
わたしは「成長の限界」は読んだことはありませんが、「成長の限界」やローマ・クラブについては、いろいろな情報源から見聞きして、世間の常識程度の知識は持っているつもりです。その知識によって、ローマ・クラブについて述べたのが、雑草Zさんがとりあげた部分です。雑草Zさんは「成長の限界」のアップデート版をお読みになって、わたしよりもくわしく内容を知っていらっしゃるのですから、わたしの態度についてではなくて、わたしが言ったこと自体について、具体的な再批判をしてほしいです。
わたしは、「人口爆発」を甘く見ているのではなくて、食料増産と飢餓とによって人口が制御されている、という、「開発・開拓・拡張に駆り立てる病に犯された社会」の大きな構造を指摘しているにすぎません。
マルサスやローマ・クラブがたれ流す言説を受けて、食料増産と飢餓とによって人口が制御されている「開発・開拓・拡張に駆り立てる病に犯された社会」にあっては、まったく有害無益の人口抑制策が必要だと感じるようになったとすれば、それは「洗脳された」と呼ぶにふさわしいと思います。


>(ほ)>自給的食料獲得の社会では、社会心理的な意味での拡張衝動がありませんから、人口も、ある一定の水準で落ち着くはずです。

>自給的食料獲得の社会はわかりますが、人口調節・・産児制限などはその社会でなされていないと思うのですか?・・かなり表面的ですね。その根拠は?


文化による自発的な調整を「人口調節」と呼ぶとすれば、それはあるのでしょう。しかし、「安定した人口で、自然と調和して、平和に暮らす社会」では、「開発・開拓・拡張に駆り立てる病に犯された社会」でときに見られるような、人びとの意思に反した、暴力的な人口抑制策は、おこなわれません。
「食料の配分の偏り」も少なくなりますから、飢餓も少なくなります。「開発・開拓・拡張に駆り立てる病に犯された社会」では、原理的に「食料の配分の偏り」をなくすことができませんから、人口抑制策などいくらやっても、飢餓をなくすことはできません。人口抑制策は、激流の中を、泳いでさかのぼろうとするようなものです。苦しみを増させるだけです。


>(へ)>人口を減らそうとする必要はありません。「開発・開拓・拡張に駆り立てる心の病」が癒えていけば、人口は少しずつ減っていって、ある一定の水準で安定するはずです。

>どういう理由で少しずつ減っていくか教えてください。飢餓、産児制限、どちらもないとお思いですか?江戸時代にも人口抑制策があった事を認めないのですか?


「安定した人口で、自然と調和して、平和に暮らす社会」では、文化による自発的な調整があるので、飢餓や産児制限は、必要ありません。
江戸時代は、都市と農村が分化した、きびしい身分社会ですから、そのままお手本にすることはできません。


>(と)>圧倒的に人口を膨張させられて、その制御法としては、もはや飢餓しか現実的にはありえない状況の中で、産児制限をするのは、激流を泳いでさかのぼろうとするようなものです。

>その例えは、適切だと思いませんが、その例えで言う「産児制限」とは、激流の元のダムを閉じるになるでしょうから、十分に効果はあります。


食料増産と飢餓とによって人口を制御している「開発・開拓・拡張に駆り立てる病に犯された社会」の実態を、あまりにも甘く認識しすぎています。世界の栄養不足人口は8億5000万人で、総人口の12%を占めます。インドの人口抑制策は失敗したようですし、中国の人口抑制策は、ますます暴力的になっているようです。人口抑制策で飢餓を減らせる、なんていうのは、完全な幻想です。
もちろん、「食料の配分の偏り」をなくせれば、あしたにでも、飢餓はなくなります。雑草Zさんにそれができるならば、どうぞぜひやってください。


>(ち)>こういう一種の社会変革を、上から一気におこなおうと考えると、それは限りなく不可能ということになります。

> 自給自足の社会変革も一気におこなおうと考えると、それは限りなく不可能と言う事は同じです。プランテーションが引き上げてもそこの原住民の多くは、換金食物を育てるわけですから。

> どちらの変革も徐々にだし、個人の意思と社会のコンセンサスが必要でしょう。


そうですね。


>(り)実効性のある人口抑制策で、暴力的でないものがあったら、教えていただきたいのですけど。

> 避妊や晩婚など沢山あるでしょう。実際も、政府の方針でなくとも晩婚や非婚、避妊具によって少子化していますよ。
>日本の人口はまだ多すぎると思いますから、もっと産児制限すべきです。自給自足できずに少子化に歯止めを!!と言ってるのは愚かです。


世界規模で考えれば、「実効性のある人口抑制策で、暴力的でないもの」はないと思います。
「避妊や晩婚」は、自発的なものであれば、暴力とは言えないと思います。ただ、日本の人口増加の鈍りは、社会不安ととなり合わせのようなところがあるので、あまり幸福なことではないように思えます。

あと、余計なお世話かもしれませんが、「日本の人口はまだ多すぎる」とか「もっと産児制限すべきです」とかいった口調は、支配者のそれです。わたしは、一生活者として、そのような口調で言われる立場のものですので、もし自分の口からこのような言葉が出たら、と想像してみると、激しい違和感を感じます。
「安定した人口で、自然と調和して、平和に暮らす社会」をつくるのが、第一。人口は、社会がいいほうに変化していくにつれて、ゆっくりと、適切な数に落ち着いていくのだと思います。


>(ぬ)最後に繰り返しますが、私はこのブログにもはっきり書いているように、「開発・開拓・拡張・成長」反対派です。田中さんよりもはっきりしつこく書いています。
>その上で 人口爆発と経済成長は、セットの環境問題の本質と言っています。

>人口爆発を憂えたり、人口抑制を主張する事が、「開発・開拓・拡張・成長」派だという田中さんの主張は、かなり無茶苦茶です。それはオリジナルですか?誰か他に同じ考え方の人がいるのでしょうか? 


人口増加は、自然現象ではありません。「開発・開拓・拡張に駆り立てる病」に犯された人たちが増加させ、食料増産と飢餓とによって、現在のバランスに保っているものです。そして、人口抑制策は、苦しみを増させるだけで、飢餓をなくすことには役に立ちません。それなのになぜ、たびたびその主張がなされるかというと、一つには、「開発・開拓・拡張に駆り立てる病」に犯された人たちが増加させ、食料増産と飢餓とによって、現在のバランスに保っている事態を自然現象のように誤解させて、真の原因を隠し、真の問題解決へ向わないようにする陰謀なのですし、またもう一つには、人口抑制策という口実によって、弱い民族をさらに傷めつけようとする策略でもあるのです。

このような、全然無茶苦茶ではない、理路整然とした考え方は、今回、雑草Zさんとのやりとりの中で思いついたものです。つまり、オリジナルです。今現在のわたしには、しごく当然だと思われる考え方なのですが、いろいろ思い返してみて、このように言っている人は、ほかにはいないように思います。
2008/03/04(Tue) 05:04 | URL  | 田中敬三 #-[ 編集]
ディープ・エコロジー
    田中敬三 さん

 御返事有難う御座います。
 今回田中さんがおっしゃたような考え方は、私や、持続可能な社会を目指す原始社会を目指す方には心の底にある思想だと思います。
 「生産縮小して、貨幣経済を捨ててある程度原子生活に戻るべきだ・・・」などと同僚などと議論した事が何度かありますが、彼らから決まって返ってくる言葉は、
「人間が便利さを覚えたら、過去には戻れない・・」
「科学による人類の進歩を全て否定するつもりか?」
「お前先に原始生活してみせて・・・」
 のような感じです。
どれも田中さんのおっしゃるところの
「開発・開拓・拡張に駆り立てる病」に犯された人たちの言葉だと思いますが、こういう意見が世の中の主流ですから、
田中さんのおっしゃるところの社会を実現するのは並大抵の事では無理・・・というか、夢の絵空事・・といわれるでしょう。でも、私もその手の考えは大賛成です。
 私はまだ、読んだ事がありませんが、
ディープ・エコロジー という考え方だと思います。
こういうお考えの方が増える事を嬉しく思います。

 因みに田中さんの目指す社会は、コメントを読むと農耕社会より前の、狩猟採取時代に見えますが・・・
 
 もっとコメント返ししたいところですが、仕事に参りますのでここまでに。

 そうそう、「成長の限界」は、田中さんのおっしゃる
「開発・開拓・拡張に駆り立てる病」に犯された人たちから、沢山の反論を受け、攻撃を受けたり、無視を決め込まれたりしたと思います。
 著者の一人がエコビレッジのような自給自足のモデル社会を実践していたようです。
 
2008/03/04(Tue) 06:47 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
わたしは「ディープ・エコロジー」というものなのですか。調べてみます。
> 因みに田中さんの目指す社会は、コメントを読むと農耕社会より前の、狩猟採取時代に見えますが・・・


森林が十分に回復すれば、狩猟採取のほうが、安定した社会になるでしょうね。労働時間も少なくてすむらしいですし。もっとも、砂漠化が進行している現状では、限りなく困難ですが。


> そうそう、「成長の限界」は、田中さんのおっしゃる 「開発・開拓・拡張に駆り立てる病」に犯された人たちから、沢山の反論を受け、攻撃を受けたり、無視を決め込まれたりしたと思います。


学者さんは、一所懸命、スポンサーが喜ぶような作文をしますが、ビジネスの世界は、あっちがもかれば、こっちはそんをする、ということが多いですから、生産や消費についての考え方を発表して、みんなに喜ばれる、ということは、むずかしいのだと思います。


> 著者の一人がエコビレッジのような自給自足のモデル社会を実践していたようです。


そういう人も、いてもいいのではないでしょうか。
2008/03/04(Tue) 10:21 | URL  | 田中敬三 #-[ 編集]
コミュニケーション・ブレイクダウン
    田中敬三さん

「時間をずらして生きる」の話の私の意図する事を伝える努力は止めましょう。今度こそ・・・と思いましたが、駄目ですね。論旨にないけど、その背後にある(とあなたが勝手に想像する)内容をどうしても付け加えたいようです。・・・それが伝わらない理由でしょう。

>人間が生まれてくる「元になる何か」を想定する考え方は、霊魂の考え方の変形ですし、

>撤回されたようですが、

撤回するも何も始めから霊の話などしていないと何度断った事やら。私が違いますと言って何をかんぐる必要がありましょう?私が信じていないものを勝手に作って、シャドーボクシングされても、困ります・・・といいたいところですが、困るというよりも田中さんに理解してもらおうと努力しなければ済むお話です。・・・まさか、冷やかしで話を混乱させているわけではないでしょう??

 まあ、ここにもう一度書いてみましょうか。


 限られた地域の山に住んでいる人間が、そのキャパを超えて人口増加したら、そこの木は切りつくされて、食料もなくなり、滅んでしまいます。
 しかし、少ないゆとりのある人数で質素に自然と調和して生活すれば、切った木と同じ(以上)の木が育って、食料も再生されて、持続可能な社会になれるのです。ついでに他の生物も激減させたり絶滅させたり致しません。

だから、

>太さと長さを掛け合わせた総数

は一定ではありません。太さ(あまりいい表現じゃないですね→実際生きている人口)が自然の再生速度を下回れば、自然の再生可能な食料などのみ利用している分には、半永久的に人類は生きていける事が可能・・という事です。これが持続可能な社会の基本でしょう。


そういう人口抑制策は、田中さんからは、許せないのでしょう。許せないから、私が

>「開発・開拓・拡張に駆り立てる病」に犯されている



 
 始めのオリジナルの記事【より多くの人間が地上に住む方法】http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-263.html

 からこのような事を一貫して述べてまして、それを質問されて説明する過程で、誤解を受ける書き方をしたのだなと、何度も書き直しましたが、その度に、全く意図しない事を言われるのは、心外です。

・・・と言って、今度は納得ですか?・・・とはお聞きしません。

 あなたは、私を
霊的なものを信じている、人口爆発を煽って、人口抑制策を主張する
>「開発・開拓・拡張に駆り立てる病」に犯された人

というレッテルを貼ってそれに従って物事を考えているようですので、他が目に入らないようです。



>食料増産と飢餓という形での人口抑制は、必ずセット

これは地球が無限と考えた場合でしょう。
地球の有限性を考えた場合、寧ろ逆の概念になります。
何度も、私にステレオタイプの経済主義者を想定されて熱い思いを語ってもお門違いです。

でも、私は人口抑制主義者だから、田中さんから見れば、ステレオタイプの
>「開発・開拓・拡張に駆り立てる病」に犯された人
なのでしょうね。だから、そういうお答えしか返ってこない・・・


始めの質問
(い)田中さんの定義するところの自然増加について、教えてください。

のお答えが
>最初の問いへの答えは、「雑草Zさんが「人口爆発」と呼んでいたもののことです

つまり、自然増加という概念は、一般に人口爆発と呼ぶものという事ですか?
あなたの今までの議論と全く逆でしょう。単純ミスでしょうか?


 ディープ・エコロジーは、今のところ思いつく持続可能な方法ですので、他の有効な方法がない限り、ディープ・エコロジーの一つに落ち着くべきかと以前より考えております。
 田中さんのおっしゃるディープ・エコロジーも可能な人口のマキシマムは、せいぜい10億だと思います。そこまで人口を減らすのにも産児制限が必要だといっているのです。


一つ一つに突っ込みどころは満載でまだまだ反論はありますが、
あなたの、レッテル貼りには、通じないようですので、この辺でやめておきます。

2008/03/04(Tue) 20:35 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
>>人間が生まれてくる「元になる何か」を想定する考え方は、霊魂の考え方の変形ですし、

>>撤回されたようですが、

>撤回するも何も始めから霊の話などしていないと何度断った事やら。私が違いますと言って何をかんぐる必要がありましょう?私が信じていないものを勝手に作って、シャドーボクシングされても、困ります・・・といいたいところですが、困るというよりも田中さんに理解してもらおうと努力しなければ済むお話です。・・・まさか、冷やかしで話を混乱させているわけではないでしょう??


冷やかしなんかではありません。非常に大切なことを議論しているのです。

生まれてくる人の総数というのは、どうにでもなるのに、なぜそれを問題にするのですか。雑草Zさんが生まれてくる人の総数について語るということは、雑草Zさんは生まれてくる人の総数を実体化している、つまり、どの辺がはじまりか分かりませんが、人類のはじまりから、どのぐらい未来か分かりませんが、人類の消滅までを通して、生まれてくる人をずらっとならべて数を数える、ということを思い浮かべているわけですよね? 、この総数というのは、何の意味もないと、わたしは思います。
過去に生まれた人の数は、推測するなんて、科学的に言って、不可能と言っていいぐらいに困難です。未来に生まれる人の数に関しては、未来を見通せる人もなければ、予想のしようもありません。こんなわけの分からない「総数」を、雑草Zさんは、わたしに思い浮かべさせようとしているのですよ。実体のないものを実体があるように思い浮かべさせようとしているのです。そして、この人類の総数という、わけの分からない数字を想像させて、人口抑制策の被害をこうむる人たちをなぐさめよう、というか、ちょろまかそうとしているだけではないのですか。不快です。

人間の数を数えるためには、一人一人が個物として分離していなければなりません。空想上の人びとを数えるためには、数えられる人たちの一人一人の本質を想定しなくてはなりません。たとえば、首と体が切れている場合、これを二人とは数えません。本質が脳にあるか、心臓にあるか知りませんが、とにかく、一人一本質があると想定しなくては、実体のない空想上の人びとを数えることはできません。この、人間の本質のことを、一般には「霊魂」と呼びます。「いのち」でも「人格」でも、宗教臭の少ない語に言いかえるのは、自由です。

「撤回されたようですが」というのは、「人類の総数があらかじめ一定数に決められている」という考え方のことで、今述べた「総数」の意味なし具合とは、ずれていますので、これを霊魂の話に結び付けて憤慨するのは、誤解です。


> 限られた地域の山に住んでいる人間が、そのキャパを超えて人口増加したら、そこの木は切りつくされて、食料もなくなり、滅んでしまいます。
> しかし、少ないゆとりのある人数で質素に自然と調和して生活すれば、切った木と同じ(以上)の木が育って、食料も再生されて、持続可能な社会になれるのです。ついでに他の生物も激減させたり絶滅させたり致しません。

>だから、

>>太さと長さを掛け合わせた総数

>は一定ではありません。太さ(あまりいい表現じゃないですね→実際生きている人口)が自然の再生速度を下回れば、自然の再生可能な食料などのみ利用している分には、半永久的に人類は生きていける事が可能・・という事です。これが持続可能な社会の基本でしょう。


こういう説明ならば、よく分かります。


>そういう人口抑制策は、田中さんからは、許せないのでしょう。許せないから、私が

>>「開発・開拓・拡張に駆り立てる病」に犯されている

>と
> 
> 始めのオリジナルの記事【より多くの人間が地上に住む方法】http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-263.html

> からこのような事を一貫して述べてまして、それを質問されて説明する過程で、誤解を受ける書き方をしたのだなと、何度も書き直しましたが、その度に、全く意図しない事を言われるのは、心外です。

>・・・と言って、今度は納得ですか?・・・とはお聞きしません。

> あなたは、私を
>霊的なものを信じている、人口爆発を煽って、人口抑制策を主張する
>>「開発・開拓・拡張に駆り立てる病」に犯された人

>というレッテルを貼ってそれに従って物事を考えているようですので、他が目に入らないようです。


何か、被害妄想になってませんか。
わたしが言っているのは、人口抑制策は意味がないし、倫理的でもない、ということなんですけど。


>>食料増産と飢餓という形での人口抑制は、必ずセット

>これは地球が無限と考えた場合でしょう。
>地球の有限性を考えた場合、寧ろ逆の概念になります。
>何度も、私にステレオタイプの経済主義者を想定されて熱い思いを語ってもお門違いです。


わたしは、食料増産と飢餓によって人口が制御されている、という、現状の世界の大きな構造について説明したつもりです。圧倒的な食料生産と、圧倒的な飢餓にはさまれて、世界の人口は推移しています。
わたしは、雑草Zさんが、人口抑制策がいいことだというイデオロギーに洗脳されている、とは思っていますが、「テレオタイプの経済主義者」だとは、思っていません。ですから、人口抑制策が効果を生んでいないことや、暴力的におこなわれていることや、わたしが想像する、人口抑制策を宣伝する人たちの、隠された意図などを語ってきました。
わたしが言っていることが間違っているのでしたら、どこがどう間違っているか、教えてください。


>始めの質問
>(い)田中さんの定義するところの自然増加について、教えてください。

>のお答えが
>>最初の問いへの答えは、「雑草Zさんが「人口爆発」と呼んでいたもののことです

>つまり、自然増加という概念は、一般に人口爆発と呼ぶものという事ですか?
>あなたの今までの議論と全く逆でしょう。単純ミスでしょうか?


「自然増加という概念は、一般に人口爆発と呼ぶものという事」ではなくて、雑踏Zさんが引用したわたしの文にある「自然増加」という語は、雑草Zさんが「人口爆発」と言っていたものを言いかえたものだ、ということです。なぜ、そのように言いかえたかは、そのあとの文で説明してあります。ミスではありません。


> ディープ・エコロジーは、今のところ思いつく持続可能な方法ですので、他の有効な方法がない限り、ディープ・エコロジーの一つに落ち着くべきかと以前より考えております。
> 田中さんのおっしゃるディープ・エコロジーも可能な人口のマキシマムは、せいぜい10億だと思います。そこまで人口を減らすのにも産児制限が必要だといっているのです。


わたしは、世界中の人が自給するようになることは、遠い将来の夢としては、思い浮かべますが、近い将来では、そのようなことになるとは、まったく想定していません。自給の大切さに気づいた人から、少しずつ、ゆっくりと、自給的生活に切りかえていけばいいと、考えています。
それから、産児制限によって人口を減らすことは、不可能だと思います。また、そのような人口抑制策は、倫理的でないと思います。その理由は、すでに何度も述べましたので、繰り返しません。


>一つ一つに突っ込みどころは満載でまだまだ反論はありますが、
>あなたの、レッテル貼りには、通じないようですので、この辺でやめておきます。


わたしは、雑草Zさんが、人口抑制策がいいことだというイデオロギーに洗脳されている、とは思っていますが、「テレオタイプの経済主義者」だとは、思っていません。わたしのどの文が、わたしが雑草Zさんを「テレオタイプの経済主義者」だというレッテルと張っていると思われたのでしょうか。具体的な文をあげて、指摘してください。

わたしは、雑草Zさんが、ご自身の信念で人口抑制策がいいことだと主張なさるのは、別に何とも思っていません。世の中の異論にいちいちツッコミを入れていたら、身がもちません。ただ、わたしはこの「雑草の言葉」は、冷静に議論をできるところだと思っていたので、自分の考えを述べてみました。ここがそういうところでないのならば、黙っています。
2008/03/04(Tue) 23:33 | URL  | 田中敬三 #-[ 編集]
コミュニケーション・ブレイクダウン2
    田中敬三 さん

 ここのところいつも思いもよらないコメントが来ますね。毎回、脱力感がありましたが、そろそろ慣れてきました。

>「撤回されたようですが」というのは、「人類の総数があらかじめ一定数に決められている」という考え方のことで、

いいですか?

>「人類の総数があらかじめ一定数に決められている」

撤回も何もこんな事も思ったこともないし、記事に書いてもいません。ただ、あなたがそう誤解されたようなので、そんな事を意図していないと明記しましたが、それが、「撤回」ですか??

 全く私が意図していない事で反論されても、私が答える必要はありません。あなたの理想とするステレオタイプのご意見を言う方を見つけて、思う存分バトルしてください。
 霊を信じるとか、人類の総数があらかじめ決まっていると思っている方と。私だって、そんな方はへんだと思いますが、まあ相手にしないでしょうね。

 因みにそこのマシンガンのような一人相撲の反論は、かなり的を得てる部分もあると思いますよ。その手の議論は、子供のとき、色々考えるものでしょう。・・子供にも矛盾を指摘されるような軽率な何の根拠もないと思っている事を主張いたしましょうか?

 あなたが、自分で思い込みの相手に対して、とうとうと、書いているのでシャドウ・ボクシングと書かせて戴きました。日本語で言うと「独り相撲」でしょうか?
 今までの全部のコメント、記事に、「人類の総数があらかじめ一定数に決められている」とは一度も書いてません。

なんで、自分が主張した事もなく、そんな無茶苦茶な主張をしましょうか?
 議論が進展しないどころか、迷宮に入り込んでしまいます。


>「ステレオタイプの経済主義者」だとは、思っていません。

てですね。
①「安定した人口で、自然と調和して、平和に暮らす社会」をつくるのが第一・・見たいな事は、共通理解として同意しました。でもそれは、経済成長主義者には通じない事でしょう。または認めないところでしょう。

 その、自然と調和した生き方を考察した事がある人なら、わかり切った基本的なことを何度も繰り返すのは、私が理解してないと考えているからでしょう?つまり、あなたのコメントは経済成長主義者への口調と同じだという事です。
 


>ただ、わたしはこの「雑草の言葉」は、冷静に議論をできるところだと思っていたので


ご自分で冷静と思っても、シャドウ・ボクシング(独り相撲)の繰り返しは禁止です。辟易です。議論が進展致しません。

 あなたはある部分で冷静な方かもしれませんが、固定概念の思い込みが激し過ぎませんか?。先入観が間違っている可能性を考えられないのですか?そうでなければ一部の文章の読解力が著しく欠如いたしております。(または、裏読みし過ぎるのでしょうか?)まあ、なんでもいいですけど、私が主張してない事を私に長々と反論するのはお門違いです。

 交通整理して、あなたの主張が、科学的にも史実でもかなり不確実な事を前提に話を進めている事をご指摘しようと思っていましたが、そこまで行き着くどころか、逆行してますので止めます。時間の無駄です。

と、言う事で御仕舞いの獅子舞。田中さんは、素晴らしい思想もお持ちのようですが、コミュニケーション・ブレイクダウンしているから議論できません。


 田中さんの自給的な生き方は、素晴らしいと思います。尊重致します。
2008/03/05(Wed) 22:19 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
「地上に生まれる人の数」には意味がありません
長めのタイトルをコピペして入れたのがよくなかったのでしょうか。表示がへんになってしまったようです。

要点だけを繰り返しますね。
雑草Zさんがこだわっている「地上に生まれてくる人の数」には、意味がないです。
ピテカントロプスは数にはいるのか、とか聞いたりして、その無意味さに気づいてほしかったのですけれど…。

>「人類の総数があらかじめ一定数に決められている」

これは、地上に生まれてくる人の数を1兆人として、説明していたことを受けています。わたしが、何で1兆人に決められているのか、と質問したあとで、固定数でなくてもいいと言ったのです。そのことを「撤回」と表現しました。

「タイムシェアリング」がどうの言ってらしたあたりから、雑草Zさんは、自分の頭の中にある考えを文にするときに、はしょりすぎなのです。書いている本人は、頭の中で補っているから、分かるように書いているつもりになっているのです。分からない文を書いておいて、読んだ人の読解力がない、なんて言うのは、ものすごく失礼です。
2008/03/06(Thu) 06:30 | URL  | 田中敬三 #-[ 編集]
コミュニケーション・ブレイクダウン3
    田中敬三 さん


 最近はあなたからのありがたいコメントしか来なくなりましたね!残念です。

>雑草Zさんは、自分の頭の中にある考えを文にするときに、はしょりすぎなのです。書いている本人は、頭の中で補っているから、分かるように書いているつもりになっているのです。

 そこまでお分かりだったら、私の意図するところをわかるでしょう?
私もそう思ったから、何度も色んな表現で言い換えました。
撤回ではなく同じ内容の換言です。

私の何回目かの説明の

> 限られた地域の山に住んでいる人間が、そのキャパを超えて人口増加したら、そこの木は切りつくされて、食料もなくなり、滅んでしまいます。
> しかし、少ないゆとりのある人数で質素に自然と調和して生活すれば、切った木と同じ(以上)の木が育って、食料も再生されて、持続可能な社会になれるのです。ついでに他の生物も激減させたり絶滅させたり致しません。

に対して田中さんは

>こういう説明ならば、よく分かります。

と合意したではないですか?

>分からない文を書いておいて、読んだ人の読解力がない、なんて言うのは、ものすごく失礼です。

ってわかってて、ご自分が都合のいいように解釈して、言いがかりをつけて来るほうがよっぽど失礼というものでしょう。

>何で1兆人に決められているのか、と質問したあとで、固定数でなくてもいいと言った

あのですね。もの事を比べるときは、同じ条件を考慮するでしょう。1兆人は、地上に現れるのは不可能だけど。10億人ずつだったら、累計で一兆に達するのも可能だと言ったまでです。それでは分かりにくい表現なら、と別な言い回しにしたのです。

>要点だけを繰り返しますね。
>雑草Zさんがこだわっている「地上に生まれてくる人の数」には、意味がないです。
>ピテカントロプスは数にはいるのか、とか聞いたりして、その無意味さに気づいてほしかったのですけれど…。

こんな幼稚な議論で話すほうが失礼ですよ。

>ピテカントロプスは数にはいるのか

の手の境界論は、子供がよく考える話です。十分に理解しています。しかし、私は最初の
http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-263.html

>これから先、地上に、無限とは言わないまでも、より多くの人間が半無限的に存在する為の必要条件を考えて見ます。

と、書いています。過去に存在した数の事に言及してませんから、ピテカントロプスは関係ないし、
 
>その無意味さに気づいてほしかったのですけれど…。

こんな稚拙な論理にこのような事を書くほうが馬鹿にしていますよ。

因みに数を問題にしてもいません。そこは、やはり田中さんがおっしゃったようにはしょりすぎだと思ったので、何回も換言いたしました人間社会が永続する為の必要条件という意味です。


  本筋の議論ならいざしらず、
なんどもなんども「おまえがこういう考えだろう」と、意図してない事を次から次に言って来て、それに必死に、
病気を治してあげるの類の言葉を言うほうが、失礼というものでしょう。

>人をだます宗教家と、本質的には、同じなんです。
>その時代ごとにいる人数はすくなくても、長く生きれば、総数は同じになるから、さびしがることはないよ、っていうなぐさめでしょう?

こんな事意図していると思うのは、読解力がないのでなければ、言いがかりです。

自分のご意見は考える分には勝手ですが、他の人が主張していない事を、そう言う意図だったろうと言ったら議論になりません。私に嘘の自白の強要を迫るおつもりですか?

>ま、いいですよ、お立場上、言いにくいこともあるのかもしれませんから、田中との議論は決裂したことにでもしてください。

言いにくい事は上に何度かいいました。自由な議論に入る前に、あなたのシャドウ・ボクシングでおわったので、
「議論は決裂」というよりも、コミュニケーション・ブレイクダウンでしょうね。まあ、あとこの手の不毛な議論をしないので済むならば、どちらでもいいですね!!


 繰り返しますが、田中さんの自給自足を目指すという趣旨には賛同いたしております。
では、さようなら!
2008/03/06(Thu) 21:58 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
ブレイク 追伸
    田中敬三さん

3月5日のコメントと3月6日のコメントを繋げたようですが
その際、強調文字の解除がしてないようなので、その後のコメントもみんな強調文字になってしまっています。
すみませんが記号
・/strong>  とか  ・/div>
あたりを削除するなりして強調文字を解除して下さい。
直らない場合、概等するコメントを削除をする形になります。
 宜しくお願いします。
2008/03/06(Thu) 22:39 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
「地上に生まれてくる人の数」にこだわらないならば、ノー・プロブレムです
「地上に生まれてくる人の数」がどうでもよくて、数を問題にしていない、というのであれば、わたしには何も問題ありません。

>>人をだます宗教家と、本質的には、同じなんです。
>>その時代ごとにいる人数はすくなくても、長く生きれば、総数は同じになるから、さびしがることはないよ、っていうなぐさめでしょう?

>こんな事意図していると思うのは、読解力がないのでなければ、言いがかりです。

「地上に生まれてくる人の数」に意味があると言うのでしたら、どうして、それが、人をだます宗教家と本質的には同じであるか、ということを、もう少していねいにご説明する用意はあります。
わたしが、「言った本人が意図していない」という意味での「誤解」をしたのかもしれませんが、なぜそういう、「言った本人が意図しない解釈」をしたかを、わたしは説明しました。ですからこそ、雑草Zさんは、何度も言いかえをして、わたしが納得できる表現にいたったのではありませんか。
考えるという行為は、本質的に対話です。自分ひとりで考えていても、それは仮想の聞き手に語りかけることで成り立つ対話なのです。まして他人が読んでいるのですから、「言った本人が意図ない解釈」が出てくるのは当たり前で、それを侮辱と受けとるのは間違いです。むしろ、文章の不完全さを修復するヒントをもらった、というふうに受けとるべきでしょう。

それから、わたしの読解力は、もしかしたら弱いかもしれませんが、ないわけではありません。

ローマ・クラブについてや人口抑制策については、「さようなら!」ということらしいので、わたしは自分のブログでゆっくり考えることにします。
2008/03/06(Thu) 22:55 | URL  | 田中敬三 #-[ 編集]
Re:ブレイク 追伸
トップページのコメント更新に出ていないので、きょう、初めて気づきました。

わたし、コメントをつなげたりしていません。
直し方なんて、分かりません。Pass かけてないし。
fc2 は、ブログの管理者がコメントを直せないのですか?

太字が見にくくていやなら、コピーしてアップしなおすとか、やり方はどうにでもなるのではありませんか。
わたしに要求されても困ります。

削除したければ削除すればいいでしょう。
2008/03/08(Sat) 08:00 | URL  | 田中敬三 #-[ 編集]
強調解除
    田中敬三 さん

 コメントつなげていないのはわかりました。
2008/03/05(Wed) 23:54 のコメントの、強調解除していないと思われるので、コメントばかりかそれ以前の記事全てが強調になってしまったという事です。
2008/03/05(Wed) 23:54 のコメントの、始めの部分の強調解除して下さい。
やり方がどうにでもならないので、(それはFC2のバグだと思いますが)田中さんに頼みました。
ブログの管理者が人のコメントは直せないようになっていると思います。削除は可能ですが。そこを削除した場合、話が繋がらなくなるので、田中さんの意向を聞きました。
2008/03/08(Sat) 11:51 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
わたしのほうからも解除できません
「編集」をクリックしてみましたが、編集ウィンドウが開きません。Pass をかけていないから、投稿者本人にも編集できないのだと思います。

「強調」も、わたしが本文にかけたのではなくて、タイトルの「強調」が押し流されているんだと思います。

そのままでも、太字で読みにくいというだけですから、それでもいいと、わたしは思いますが、どうしても体裁よくしたいというならば、コピーととったあとで、該当コメントを削除して、コピーを元にコメントをつくり直す、という方法ではどうでしょうか。投稿日付はずれることになりますが、コメントのならべ方が同じにできるなら、さして気にならないと思いますが。管理者が任意の位置にコメントを挿入することは、できるのでしょう? Name のところに「田中敬三」と入れて、つくり直せないのですか?
2008/03/08(Sat) 13:56 | URL  | 田中敬三 #-[ 編集]
過去の記事すべて太字では困りますので
田中敬三 さん
>長めのタイトルをコピペして入れた

で文字制御が完結しなかったので制御トラブルが発生したと考えられますので(違っていた場合、すみません)
該当部分の記事の削除させていたします。
>2008/03/05(Wed) 23:54
でもだめなら
>2008/03/06(Thu) 06:30
の部分となります。
いいでしょうか?
スパム・コメントの類ではないと思いますので、一応了解とりますね。
田中さんのおっしゃるような再生ができない場合も想定して、消えてしまうのが心外な場合、そちらでもコピペ等で、バックアップしておいてください。
2008/03/08(Sat) 15:02 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
よく分かりませんが、削除は雑草Zさんのご随意に
>スパム・コメントの類ではないと思いますので

というのが、どういう意味だか分かりません。
なぜわたしがパックアップしなくてはいけないかも、分かりません。

まあ、何であれ、わたしは、

>削除したければ削除すればいいでしょう。

と言いました。この気持ちは、かわりません。
2008/03/08(Sat) 22:09 | URL  | 田中敬三 #-[ 編集]
    田中敬三 さん

 この部分に関しては大体誤解が解けたようなので良かったと思います。本筋でない事で水掛け論を致しても仕方ありません。

>なぜそういう、「言った本人が意図しない解釈」をしたかを、わたしは説明しました。

との事ですが、あなたはその説明と言うよりも寧ろ、確認もせずに間違った解釈のまま、それに対する反論を壊れたレコードのようにとうとうと述べていただけですよ。だから、「シャドウ・ボクシング」と呼ばせて戴きました。不毛な議論でした。


 でも、わかって戴けたようなのでいいです。本当にそう解釈したのなら当方も「失礼」と言う言い方は失礼でしたね。

 今回の議論で大筋で相反するのは人口問題の事でしょう。
でも、その前段階で終わりましたね。
しっか説明致すまでに至りませんでしたが、まあいいでしょう。

 自然と調和した生き方を目指すと言う意味では大きく同じ目的でしょうから。
田中さんがご自分のサイトでゆっくり考えるのに賛成です。
2008/03/08(Sat) 22:31 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
「言った本人が意図しない解釈」=間違った解釈、ではない
雑草Zさん、また余計なことを言ってますね。

「言った本人が意図しない解釈」=間違った解釈、ではありません。タイムシェアリングとか、地上に生まれる人の数とか、そういう不完全な考え方をわたしが指摘して、すっきり分かりやすい表現に言いかえることができたのではないのですか。

わたしは、雑草Zさんが、人口抑制策の是非について議論したがってないと感じたから、自分のサイトで考える、と言ったのです。
ここで続けていいのならば、続けますよ。これは、シャドウボクシングではありません。あなたがリングにあがらないだけです。
2008/03/09(Sun) 09:50 | URL  | 田中敬三 #-[ 編集]
そうですね。余計な事をいいましたね。
田中敬三 さん

 あなたとの議論は、不毛なのでお互いやっても仕方ないと思いますが、もともと人口問題の議論の筈が、話が別の方向に拡散してしまいました。
話が拡散しないように人口問題に絞って、
ピテカントロプスが数に入るか・・とかの幼稚な論法でなく
まともな議論するのであればお相手いたしましょう。

でも、結論は平行線で終わりそうですけどね・・。
2008/03/09(Sun) 10:45 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
では、ゆっくり、続けましょう
ぼちぼちと、対話を続けることにしましょう。

>ピテカントロプスが数に入るか・・とかの幼稚な論法でなく

これは、「地上に生まれる人の数」が意味がない、ということを分かってもらうための、思考実験のようなものです。幼稚なのではなくて、本質的なのです。
たとえば、この「地上に生まれる人の数」で言えば、人が生まれるのは地上に決まっているのに、ずいぶん奇妙な言い方をするなあと、わたしなら思うわけです。で、この人はもしかして、地上以外のところにも人がいる、と考えているのではないか、という「読み」が出てくるわけです。

「より多くの人間が地上に住む方法」という記事には、こうあります。

> 人間が持続可能な限度以内の人数でタイムシェアリング・・・つまり、時を別にして存在するという事です。同時に地上に存在する人間の数を持続可能な範囲内にとどめ、持続可能な人口以内で、永続的に世代を引き継いでいくのです。生まれる時代をずらすのです。少子家族で世代を持続させるという極めて単純な考え方が、最も理に適っているでしょう。

「生まれる時代をずらすのです」という表現に注目してください。これは、どの時代に生まれようかと、どこか地上以外のところに待機しているように読めます。
こういう、ある種の「裏読み」を、「言った本人が意図していない解釈だ」と、あなたは怒るのです。わたしは、「地上に生まれる人の数」みたいな表現をしていると、霊魂を想定しているように読めてしまいますよ、と指摘しているのです。霊魂を想定していないのならば、こういう誤解を生みかねないような表現は、つかわないほうがいいのです。

人間はおろかですから、戦争はなくなりそうもありませんし、飢餓もなくなりそうもありません。わたしは、人口抑制策も、「人口を減らせば、世界の諸問題は解決していく」という、間違った考え方から導かれた、世界にさらなる苦しみを与える政策だと、思っています。

もちろん、人口が少ないほうが、環境負荷が少ないのは、おっしゃるとおりです。世界の人口は少ないほうが、すごしやすいであろうことは、間違いありません。だからと言って、強制的な人口抑制策が許されていいことにはなりません。
実際の人口抑制策がどのようにひどいものであるかを、わたしは、インドや中国での例をあげて、説明しました。わたしのブログでも、再説しました。↓

栽培生活blog 「人口抑制策批判 その1」
http://saibai.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_54b6.html

イスラム教シーア派が、「個人が家庭の事情で避妊をするのは認めるが、国家による人口抑制策は認めない」と宣言した話題を紹介しましたが、わたしは、この感覚が、とても健全だと感じます。
個人の意思に反する人口抑制策は、暴力です。

「地上に生まれる人の数」という表現を変形して、「地上から飢餓が原因で死んでいく人の数」を考えてみましょう。わたしの考えでは、飢餓はコストのかからない人口コントロールの原理として、社会的に必要とされていますから、人口を抑制しても、飢餓はなくならないでしょうし、「地上から飢餓が原因で死んでいく人の数」も減らないでしょう。
飢餓は飢餓として存在し続け、人口抑制策による苦しみは、それを実施することによって、飢餓の苦しみとは別に、オプションとして付け加えられる苦しみになるのです。

どんなに環境が悪化しても生き残る、少数の人たちはいるだろうと、わたしは予想します。しかし、そうやって人類が生き残る、ということは、人口抑制策で今、現前のわたしやわたしのパートナーや、同じ民族同胞たちが傷つけられることの慰めにはなりません。
数字の操作だけで観念的に政策を構想するのはやめて、その政策が実施されたときに、末端の現場ではどういう現象が起きるかを、しっかり想像してほしいものだと思います。現場で起きる苦しみに責任を持てないならば、恐ろしいを発言を軽がるしくするのは、やめたほうがいいと思います。

すでに言いましたが、「人口抑制策」というアドバルーンは、人類の苦しみの、真の原因、真の解決策を隠すための策謀だと、わたしは思っています。

あと、もうひとつ。
対話というのは、いっしょにより完全な考え方を追究していくことで、ボクシングのように、勝ち負けを決めるためのものではないと思います。
2008/03/09(Sun) 14:37 | URL  | 田中敬三 #-[ 編集]
テーマは拡散せずに一つずつ
    田中敬三さん

>対話というのは、いっしょにより完全な考え方を追究していくことで、ボクシングのように、勝ち負けを決めるためのものではないと思います。

その通りですね。その方向でいきましょう。

大きく人口問題についてのみ話題を絞りたいのですが、

>これは、「地上に生まれる人の数」が意味がない、ということを分かってもらうための、思考実験のようなものです。幼稚なのではなくて、本質的なのです。

この手の論法を使うのはやめましょう。本質でもなんでもない屁理屈好きな子供のようなレトリックです。本題に入れないでしょう。
 お互い生まれてくる人数の事を問題にしていたのではない事は同意いましたね。問題を逆行させてもしかたありません。

 それに、私が過去に地上に現れた人間の数を問題にしていない事は納得の上でそこはおいて置いても、
ただ単に議論として過去に地上に現れた人間の数とかは推測してもいい筈です。

それぞれの主張とは別に、

 本題の前に一つだけ確認しておきます。この手のレトリックばかり使うのは不毛です。 
2008/03/09(Sun) 23:31 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
意見の一致を見たからと言って、そこにいたる議論を「ちゃら」にすることはできません
>この手の論法を使うのはやめましょう。本質でもなんでもない屁理屈好きな子供のようなレトリックです。本題に入れないでしょう。


「そのような意図で言ったのではありません」ったって、そういうふうに読めるのですから、そこを正す必要はあるでしょう?
「言った本人が意図しない解釈」という意味に限定すれば、わたしは「誤解」しているのかもしれませんが、「言った本人が意図しない解釈」ができるような言い方をしているんですから、その責任はとってもらわなくてはいけません。
「わたしはそのような意図で言ったのではありません」ですむなら、「誤解」したほうが悪いというのであれば、何でもあり、になって、対話なんてできません。詐欺のたぐいは、やりたい放題になります。

過去にどれだけ人が生まれていようと、これからどれだけ人が生まれようと、それが多かろうと少なかろうと、そんなことは、現前する人びとの苦しみには何の関係もありません。だから、「生まれる人の数には意味がない」と、わたしは言ったのです。そしたら、雑草Zさんが「人の数にはこだわらない」と言ったので、そのへんで手を打とうと思って、「ノー・プロブレム」にしたのです。

「ピテカントロプスやネアンデルタール人は、生まれてきた人の数に入るのですか」という質問は、「生まれる人の数」という概念の無意味さをはっきりさせる、とてもよい思考実験です。こういう質問をばかにするものではありませんよ。
大人になると、こういう本質に触れるような質問を思いつきにくくなる、ということは、あるかもしれません。その意味で「幼稚」と感じるのかもしれません。しかし、子どものほうが真理を直観的につかんでしまうことは、よくあることで、そういうのを大人が一方的に押さえつけてしまうのは、不幸なことだと思います。
よって、屁理屈ではありませんし、こういう分かりやすい質問を思いついたときには、わたしはまた言うとおもいます。


> お互い生まれてくる人数の事を問題にしていたのではない事は同意いましたね。問題を逆行させてもしかたありません。


わたしが指摘した結果、問題にしないことになったのです。その順序、因果関係を確認しただけです。もとの表現では、数に意味があるようにしか、わたしには読めませんでした。


> それに、私が過去に地上に現れた人間の数を問題にしていない事は納得の上でそこはおいて置いても、
ただ単に議論として過去に地上に現れた人間の数とかは推測してもいい筈です。


いいですけど、そのようなことをする「意図」を、わたしは推測させていただきます。こういうことは、大切なんです。
たとえば、「成長の限界」でも、何でもいいですけど、データのとりかたとか、計算の仕方とかが合っているから、「正しい」と考えるのは、一面的なのです。そういう諸データを、そのような形に集積することによって、それを読む人たちに、一定の方向性を持った考え方をうながすとすれば、その考え方が正しいかどうかを、あらためて吟味しなくてはいけないのです。データが正しければ、それによって導かれる考え方も正しいと、単純には言えないのです。採用されないデータも、用意しようと思えば、いくらでも用意できるわけで、その集積のし方によっては、全く反対の方向の考え方にさえ、読む人を導くことができるのです。
あと、数え方として、それこそ「ピテカントロプスは数に入れるの?」的な疑問は、出てきます。どのへんから人間として扱うのか、ということです。はじまりをはっきりさせなければ、数は数えられません。


>本題の前に一つだけ確認しておきます。この手のレトリックばかり使うのは不毛です。


不毛だとは思いません。思考の枠組みを拡大する、創造的な方法だと思います。
2008/03/10(Mon) 01:13 | URL  | 田中敬三 #-[ 編集]
なんか読むのがつらくなってきました
田中さん、もうやめませんか?

あなたは、他人同士で交わす言葉が、お互いに寸分たがわずに理解しあえると思っているのですか?

そんなことはありえないことは、よく考えれば分かるはずです。

その上で、人は他人と会話するとき、自分はこう解釈したけど、もしかしたら違っているかもしれない、
ということを心の片隅に置きながら会話するものではないですか?

それを、自分はこう解釈したからといって、相手に責任を取れというのは、あまりよろしい態度とは思えませんが。

勿論、内容によっての違いはありますが、
少なくとも今回のやり取りを見ている限り、
私はあのコメントを田中さんのような解釈はしなかったですよ。

私には本題から外れている部分の言葉尻を取り上げて、いつまでもほじくり返しているようにしか見えないですが。

上記のこと、あなたの意図したことと違うとしたら、どう思いますか。


2008/03/10(Mon) 21:02 | URL  | スモールイズビューティフル #-[ 編集]
では、ちゃんと説明致しましょう
    スモールイズビューティフルさん

 ブレイクのコメント、有難う御座います。
 短い文に濃縮されたストラテジーはお見事です。私の何倍も説得力がありますね。

 意図した通りに解釈して下さると思ってかいた記事です。勿論
【より多くの人間が地上に住む方法】と言うタイトルは、どんどん人口が増えて一挙に地上に出現したら、それが実際は、最も人類が短命に終わり、出現する人類の数も最も少ししか生存出来ない愚行だよ・・と言う事を強調する為のレトリックです。
 そこを田中さんに曲解されたわけです。


* ****  ****  ****  ****  *


田中敬三さん

>「ピテカントロプスやネアンデルタール人は、生まれてきた人の数に入るのですか」という質問は、「生まれる人の数」という概念の無意味さをはっきりさせる、とてもよい思考実験です。


とても良い思考実験じゃなくて、とても幼稚な愚かな議論です。
あなたがあまりにしつこいので
この手の境界論がどれだけ愚かな議論か説明致しましょう。
どこが境界だか分からないから、数えられないと言うのは、一見至極当然な論理です。そんな事田中さんにご説明されなくても分かっていますが、それを言ったら、子供の屁理屈になると言ったのです。

あなたのその屁理屈なら
例えば
「世の中の人はみんなハゲだ」とか逆に
「世の中の人はみんな毛が沢山生えている」
どっちも説明出来ます。

 毛が1本だけの人はハゲですね。毛が2本だけの人もハゲですよね。・・・
一般に毛がn本ある人がハゲだとしたら、それより1本だけ毛が多い人も、勿論ハゲですね。・・この議論を繰り返せば、数学的帰納法によって、いくら髪の毛がある人もハゲになるのです。まあ数学的帰納法と言うよりは、数学的詭弁法とでも言うべきですね。

・・・こんな事を議論に持ち込むのは如何なものでしょう?
 田中さんは、この手の議論を持ち出して、過去に存在した人類の数を論じるのは無意味だと言ったのです。
 ・・ピテカントロプスは入るのか?ゴリラは入るのか?・・と。
そして、あげくのはてに、「この思考実験で無意味さに気付いて欲しい」などと・・・鬼の首でも取ったようにしつこく言うから、相手にしたくなかったのです。無意味と言うべきはその幼稚な思考実験です。この手の議論を考えるときには、境界線上についてはどこかで線をひくなりして、割り切らなければならないでしょう。それが主題じゃないのだから。

 私は、田中さんの

>かつてあった伝統的な自給的食料獲得の社会

に戻る事に賛同していますが、この理想的な社会だって、田中さんのような境界レトリック〔この言葉私が勝手に命名しました〕を使えば、
ピテカントロプスの社会はどうか?、ゴリラの社会は?って話になるじゃないですか!!

さらに私の

>生物学的に、天敵がいなくて、食料が十分にあって、快適な環境であれば、個体数は、激増するのは、明らかだと思います。

に対して

>人間は、本能に従って生きているのではありません。民族ごとに文化を持っていて、長い時間をかけて、自然と調和する生き方をつくりあげてきました。

にも、ピテカントロプスの文化は?ゴリラの文化は?ってな話になるでしょう。

ピテカントロプスよりも人間らしく理性がついてきて、さらに悪知恵がついて

>開発・開拓・拡張の病に罹患した

これは、農耕民族からですか?手工業からですか?産業革命からですか?っても質問出来ますね?!!


でも、そんな愚かな突っ込みは入れません。議論にならないし、ただ議論で相手をやり込めたい愚かな手法だとわかっているからです。
 たぶんその手の屁理屈を言おうと思えば私のほうがあなたより遥かに理路整然と(?笑)言えるでしょう。でもそんな事は致しません。
 そういう禁じ手で、相手をやり込めようとするのは、愚かで品性を疑われましょう。

   ×××× ×××× ×××× ××××

 まあ、田中さんのおっしゃるように、ここでの議論はボクシングのように相手を打ち負かすのが目的ではありません。
 主張も、人口政策以外は大体一致していますし・・。私は田中さんの自給を目指す方向は賛同いたしますし、ちょっと理想化し過ぎている嫌いはありますが、

>かつてあった伝統的な自給的食料獲得の社会

を目指すディープエコロジーもいいと思います。

今回の議論で、参考になった田中さんの意見も沢山ありました。
これまで私の書き方にも無礼があった事をお詫び致します。
2008/03/10(Mon) 23:04 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
スモールイズビューティフルさん

>あなたは、他人同士で交わす言葉が、お互いに寸分たがわずに理解しあえると思っているのですか?

>そんなことはありえないことは、よく考えれば分かるはずです。


全くそのとおりだと思います。


>その上で、人は他人と会話するとき、自分はこう解釈したけど、もしかしたら違っているかもしれない、 ということを心の片隅に置きながら会話するものではないですか?

>それを、自分はこう解釈したからといって、相手に責任を取れというのは、あまりよろしい態度とは思えませんが。


前段は、そのとおりだと思います。
後段は、わたしの主張は単純で、人口抑制策は暴力だからやめるべきだ、ということです。そして、人口抑制策を擁護するのもやめるべきだ、ということです。
「地上に生まれる人の数」には、何の意味もありません。なのに、人口抑制策にからむ文脈でこのことが語られる「意図」は何でしょうか。それは、「地上に生まれる人の数」が、ごまかしのなぐさめの言葉だからなのです。

このようなわたしの考えが間違っていると分かれば、わたしは、この考え方をとりさげて、スモールイズビューティフルさんのおっしゃるように、「もうやめ」にします。
ただその「間違っている」というのが、雑草Zさんの主観による判断ではなくて、わたしも納得できる判断であれば、です。

ということで、わたしの主張の中心と、今回の話題との、切っても切れない関係を説明しましたが、まだ、「本題から外れている部分の言葉尻を取り上げて、いつまでもほじくり返している」ように思われますか。
2008/03/11(Tue) 00:02 | URL  | 田中敬三 #-[ 編集]
雑草Zさん

わたしは、「地上に生まれる人の数」には意味がない、と言い続けています。今回、雑草Zさんが「ピテカントロプス」は屁理屈だ、という説明をされたやり方は、まさにそのまんま、この「地上に生まれる人の数」を考えることの無意味さを証明していると思います。
人類のはじめをどこかに決めて、そこから生まれてきた人の数を概算できたとして、あるいは、将来人類が滅びるまでの間に生まれるであろう人の数を予測できたとして、その数が何の意味を持つのか、ということです。
何でそんなそんな、夢のような、つかみ所のない数を思い浮かべさせようと、必死になっているのですか、人口抑制策にからむ文脈で、そのような無意味な数を思い浮かばせようとするその「意図」は、ごまかしのなぐさめなのではないですか、というのが、わたしの主張です。
これに、答えてください。
雑草Zさんの「言った本人の意図」ではなくて、わたしを納得させられるように答えてください。

「ピテカントロプス」は、屁理屈でも、「禁じ手」でもありません。意味のある数であるならば、これこれの時代から人類と定義して、現在までは○○○○億人生まれています、と答えればいいだけです。で、その○○○○億人という数字が、どういう意味を持つのか、この数字が、この2倍でも2分の1でもなくて、この○○○○億人であることの意味を、雑草Zさんが人口抑制策を擁護する文脈の中でこの数字を思い浮かべさせる意味を、説明できるのであれば、説明してほしいのです。

「こだわらない」と言うので、もう触れないつもりでいましたのに、蒸し返したのは、雑草Zさんのほうですよ。

人類は、水を汚し、空気を汚し、森林を破戒し、砂漠化を進め、無数の生き物を絶滅させてきました。人類が早く滅んだほうが、生き物全体の幸福のためには、いいのではないか、という意見もあります。しかし、わたしは、生き物たちには申し訳ないですが、人類が更生するチャンスを与えてほしいと、お願いしたい気持ちでいます。
2008/03/11(Tue) 00:54 | URL  | 田中敬三 #-[ 編集]
ちょっと、さそい水

話の流れが異端審問みたいになっている気がします。イメージが貧困になって、ついてきにくくなっている気がします。
「インチキ宗教みたい」と言ったので、かたくなになっているのかもしれません。
もう少し気持ちをゆるめて考えてみたいと思います。イメージのいい宗教にたとえてみようと思います。

日本で最多の信者数をかかえる仏教教団である浄土真宗という宗教があります。ここでは、念仏と言って、「南無阿弥陀仏」と唱えます。浄土真宗は、決して現世利益を説く宗教ではありませんが、この「南無阿弥陀仏」を唱えると、不思議と気持ちが楽になって、生きていこうという気力がもらえる気がします。
「南無阿弥陀仏」というのは、南無というのが、元はナマスとかナモーとかいう語で、帰依するとか、仏様にお任せする、とかいう意味です。次の阿弥陀というのが、仏様の名前で、元はアミターユス、すなわち無限の寿命、またはアミターバ、すなわち無限の光=限りない智慧と慈悲、という意味です。接頭語のアミ(am-)っていうのは、英語の「un-」と同じで、否定の意味、限りが「ない」ということをあらわします。
わたしたちの寿命は限りがあるけれど、阿弥陀仏のように限りがなければ、どんな問題も解決してくれる、わたしたちの思考能力には限りがあるけれども、阿弥陀仏のように限りなく頭がよくて、限りなくやさしい慈しみの心をもっていれば、どんな問題も解決してくれる、自分はちっぽけな限界の中で苦しんでいるけれども、無限の仏様にお任せすれば、きっといいようにしてくれる、無限に比べれば、自分の苦しみなんて、ないようなものだ……と感じられるようになるのが、念仏のキモであろうと、わたしは解釈しています。

「地上に生まれる人の数」も、たくさんの人を思い浮かべることによって、自分の子どもが「抑制」されたって、人類は、ずーっとつながっているのだから、悲しく思うことはないんだよと、あなたのところに生まれたかもしれない子どもが生まれなくさせられても、もしかしたら、その子は次の時代にブラジルに生まれて、有名なサッカーの選手になって、あこがれの的になるかもしれませんし、もしかしたら、そのまた次の時代に、どこかの国の優れた医学研究者になって、人びとを病気の苦しみから救うことになるかもしれません。そうやって「時間をずらして生きる」ことによって、人類全体が幸せになれるんだから、あなたたちの子どもが生まれなくさせられても、悲しむことはないのですよ、と。そういうなぐさめの理論みたいなものなのかなあと、わたしは想像したのです。

どうでしょうか、「地上に生まれる人の数」の、このような宗教的効用という解釈は。ありそうな気がするのですが。
宗教はみんな悪い、と決めつけなければ、こういう発想は受けいれられるのではないですか。
2008/03/11(Tue) 02:52 | URL  | 田中敬三 #-[ 編集]
強調文字だと、感情も強調されるのですかね?(笑)



どうも、言葉の意図がうまく伝わらないようですね。ネットのもどかしさでしょうか?

言葉を足します。

田中さんの主張されている、暴力的な人口抑制に対して、
雑草さんは、良い、とは一言もいっていないし、
それを擁護する意図もないといってるし。
違いましたか?


前回私の書いた「本題」とは、雑草さんの議論しようとしている「本題」です。
田中さんがまた議論しようとしている、暴力的な人口抑制策云々の話ではありません。

いいですか、ここは雑草さんのブログなのですよ。
何か、そこを勘違いされているんじゃないですか?
2008/03/11(Tue) 20:16 | URL  | スモールイズビューティフル #-[ 編集]
あなたにはどうしても話が通じませんね。
    田中敬三 さん

>雑草Zさんが「ピテカントロプス」は屁理屈だ、という説明をされたやり方は、まさにそのまんま、この「地上に生まれる人の数」を考えることの無意味さを証明していると思います。

ってそのつもり・・似非証明のつもりで書きました。この手の屁理屈の境界論なら「地上に生まれる人の数」も、あなたの他の主張も否定できると言うインチキ証明法を書いたのですよ。

 話を全く理解出来ないあなたとこれ以上議論するのは時間の無駄です。
 ちなみにこれは詭弁であってまともな証明ではないと言う事を言っているのです。それで「証明している」と思っている田中さんとは、議論するだけ時間の無駄です。


 話が混乱して何を書いているか分かっていませんね?言葉のキャッチボールが崩れています。そちらが投げた滅茶苦茶なボールをこちらが受けて投げ返すと、あなたは受け取らずに新しいボールを投げてくるので議論が指数関数的に拡散するだけです。
 相手にするだけ受け手のないボールが増えるだけですので終わりにしましょう。
この手の不毛な議論には付き合わないと書いた筈です。

 
2008/03/11(Tue) 20:50 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
スモールイズビューティフルさん

>田中さんの主張されている、暴力的な人口抑制に対して、
>雑草さんは、良い、とは一言もいっていないし、
>それを擁護する意図もないといってるし。
>違いましたか?


そうですね。しかし、何らかの人口抑制策は必要だとは言っています。そういう発言は、現場でどういうことが起きているかを知ってから言ってほしいです。


>前回私の書いた「本題」とは、雑草さんの議論しようとしている「本題」です。
>田中さんがまた議論しようとしている、暴力的な人口抑制策云々の話ではありません。


テーマについてのとらえ方がずれているのですね。それは、話しながら調整するしかないのではないですか。


>いいですか、ここは雑草さんのブログなのですよ。
>何か、そこを勘違いされているんじゃないですか?


承知しています。スモールイズビューティフルさんは、どうしろというのですか。
雑草Zさんがわたしと議論したくないならば、そう言ってもらえれば、これ以上コメントしません。スモールイズビューティフルさんは、それ以上の、何をしろと言うのですか。

わたしは、わたしの主張が、雑草Zさんが以前言ったように「無茶苦茶」じゃないことを、説明しているだけです。ある程度は、対話はかみ合っていると、わたしのほうでは思っています。

「地上に生まれる人の数」にこだわらないと言うのならば、わたしは、この件にはこれ以上触れません。そうなりかけているのに、雑草Zさんが、「でも……」と、余計な一言を付け加えるから、元に戻ってしまうのです。
2008/03/11(Tue) 20:52 | URL  | 田中敬三 #-[ 編集]
終わりにします

「終わりにしよう」とのことなので、終わりにします。

「ピテカントロプス」うんぬんについて、分かっていないのは、雑草Zさんのほうですので、最後にそれだけ説明しておきます。

わたしは、ピテカントロプスと人類の境界線が曖昧だから、数が決められないから、「地上に生まれる人の数」の概念も無効だ、と主張しているのではありません。どこから人類とするかによって、大きく増えも減りもする数に、何か意味があるのですか、ということを言っていたのです。

社会のありようと、人口について考察することは、とても大切なことです。しかし、時代も、民族も、すべてごちゃ混ぜの総数を計算して出したとしても、その数字には、何の意味もありません。
2008/03/11(Tue) 21:01 | URL  | 田中敬三 #-[ 編集]
今日立ち読みしたロック雑誌に書いてあったこと
 人は、自分のレヴェルでしか他人を判断出来ない。
分かりやすいキーワードの言葉尻を捉えて攻撃する
・・・よくある話である。
2008/03/11(Tue) 21:13 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
田中さんへ

>>いいですか、ここは雑草さんのブログなのですよ。
>>何か、そこを勘違いされているんじゃないですか?

遠慮して、具体的な話はしませんでしたが、
伝わらないようなので、

また、言葉を足します。

本人が、意図していない内容にもかかわらず、
自分の言いたい主張に強引に持っていこうとする態度や
「ちょっと、さそい水」のように、
異常に長い文章を書き込むことなどは
自分のブログならまだしも、
人のブログでやるのは失礼じゃないですか、
といっているのです。


>スモールイズビューティフルさんは、どうしろというのですか。

一番最初のコメントに書いたように

もうやめませんか?

ということです。
でも、終わりなそうですので、
私もあとはROMに戻ります。
2008/03/11(Tue) 21:36 | URL  | スモールイズビューティフル #-[ 編集]
2008/03/05(Wed) 23:54の田中敬三氏のコメント(削除分コピー)
1兆の人口が地上に現れる場合、一度に沢山の子供が生まれ、一挙に一兆の人口が地上に同時に出現しようとしたら、破局です。そのかわりに地上に同時に存在する人
「時間をずらして生きる」
については、
「なぜ生まれてくる総数を問題にするのか」
ということを、ずっと聞いているんですけど。
そこが問題の本質なんですよ。1兆人かどうかでなくて。
ようするに、平たい言葉で言えば、
その時代ごとにいる人数はすくなくても、長く生きれば、総数は同じになるから、さびしがることはないよ、っていうなぐさめでしょう?
それをわたしは、ちょろまかしだと言っているんじゃないですか。意味のない数字のもてあそび。数字の魔術に弱い人は、何か意味があるかのような気分になってくるのかもしれません。
それは、霊魂の話をして、人をだます宗教家と、本質的には、同じなんです。何度も聞かされているうちに、そんなものがあるような気がしてくる。いやですねえ。

産児制限というのは、わたしの子どもが生まれなくさせられることなんですよ。へたしたら、自分のパートナーが手術の失敗で死ぬかもしれないんですよ。人類がどのくらい長く生き延びられるかなんてこととは、関係ないでしょう。そういう切実さが、あなたには分からないのですか。
産児制限によって、民族の誇りが、今、傷つけられるのですよ。何の意味のない、間違った考え方によって――人口抑制策が、まったく意味がないことだ、ということは、繰り返し書きましたから、読み返してください。

>その、自然と調和した生き方を考察した事がある人なら、わかり切った基本的なことを何度も繰り返すのは、私が理解してないと考えているからでしょう?つまり、あなたのコメントは経済成長主義者への口調と同じだという事です。

たとえば、どんな言葉が、気に障ったのですか?
人口抑制策がよいことだ、などといった間違った考え方を批判するには、すでに同意している地点に戻って、考えの道筋を確認する必要がありますでしょう? そういう手順をすっとばしたら、感情的な水掛け論にしかなりません。

ま、いいですよ、お立場上、言いにくいこともあるのかもしれませんから、田中との議論は決裂したことにでもしてください。
2008/03/13(Thu) 21:30 | URL  | 削除分コピー #SAV8FvZY[ 編集]
遅れましたが、コピーして削除しました。・・
 強調解除されなかったのでそれより下にあるコメントも記事も強調文字になってしまったのでその原因となった田中さんのコメント1つ削除しました。
 田中さんは、まともな意見を持ってらっしゃる方なのに、ここでのコメントは、ほとんどシャドウボクシングに終始なさっていました。
最後のコメントも、それを象徴してました。

>わたしは、ピテカントロプスと人類の境界線が曖昧だから、数が決められないから、「地上に生まれる人の数」の概念も無効だ、と主張しているのではありません。どこから人類とするかによって、大きく増えも減りもする数に、何か意味があるのですか、ということを言っていたのです。

は、お門違いとしか言いようがありません。
元になる記事では過去に生まれた人数を問題していません。もし、過去に地上に生まれた人数を問題にするとしても、どこかで線を引いても、同じ基準だったら比べる事は可能です。
最後まで、独りよがりなコメントでした。
 でも、あと来ないとの事なので、御仕舞の獅子舞。お互い時間の浪費ですからね。 
2008/03/13(Thu) 21:53 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
ROMと言わずに・・
    スモールイズビューティフルさん

 ROMと言わずに、また鋭いコメント色々下さい。楽しみにしています。 
2008/03/14(Fri) 21:51 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
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