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2008-01-09 00:01
環境問題の本質は、経済成長と開発、人口爆発です。
 これらを止めて縮小し、安定で持続可能なレベルにならなければ、個別の環境問題を技術で解決しても、根本解決にはなりません。ずっとこのブログが訴えてきたテーマです。

 ところで、経済を縮小し、人口を減らせば、そうしない国と比べ相対的に、いわゆる「国力」は低下します。・・他の国から征服される心配がなければそれが一番いいのですが、国力を下げた国は、軍事的、経済的に征服される恐れがあります。

 古来、歴史的に、国力のない国は、軍事的、経済的に強い国に征服されてきました。
 アメリカインディアンやインディオ、アポリジニなどの人々は、完全に持続可能な社会を作って生活していましたが、ヨーロッパの白人に征服され、ひどい仕打ちを受け、最悪の場合絶滅させられて来ました。

 江戸時代に鎖国していた日本も、ペリーの黒船に脅されて開国し、征服されないようにと国力をつけてきました。日露戦争などでは初めてヨーロッパの列強を破りましたが、第二次世界大戦では、物量作戦のアメリカに敗れ去りました。それ以来日本はアメリカの属国的扱いを受けています。・・・そう、環境破壊がより大きい物量作戦が出来る国の方が、戦争で勝ってしまうのです。

 現在の世界最強の覇権国家、大国アメリカは最悪の環境破国家です。その覇権を奪おうとする人口最大の大国中国も、その環境破壊最悪の地位とともにアメリカから覇権を奪取する勢いです。 

 環境問題を根本から解決しようと、人口を減らし経済を縮小し、環境破壊の技術を封印し、開発を止めれば、国力が落ち、他国に軍事的、経済的に征服されてしまいます。
その意味でも、まだどの国も本質的な環境問題と向き合っていません


 この問題を解決するには、世界が一つの国家になるか、そのような意識を持って、国連などがこの問題に全力で対処するべきでしょうが、悲しいかな、世界が一つの価値観に沿って動くために世界を引っ張る覇権国家は、アメリカや中国のような強大な大国・・・経済優先で人口多数の国家でしょう。
国連でもアメリカが最も発言力があります。
つまり、持続可能とは正反対な国家が覇権国家になっています。

 
 全体として人口を減らして物的生活水準を下げなければ(特に軍需産業の縮小)、世界は絶滅するけれど、人口を減らして、物的生活水準を下げた国は滅ぼされてしまうというパラドックスがあるのです。

 これは何も国家間でなくとも、共同体や個人にもあてはまる事です。
つまり、自由競争の勝利者と呼ばれる人々やその会社、共同体は、強く、大抵環境破壊レベルも大きいのです。

・・こう考えると人類の滅亡は、当然の帰着点で、避けることが出来ないのかも知れません。

 
 実はこのパラドックスに関して、かなり以前から危惧考察してますが、しっかりした解決への見解は見い出してません。・・性善説を基にした理想論になってしまいます。しかし、環境問題の解決にあたって、これは避けて通れない問題でしょう。
 
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【2008/01/09 00:01】 | 都市/文明 トラックバック(0) |


rita
現在の経済成長がアブラを燃やすこととほぼ同義であることを考えると,ピーク以降の時代、経済は否応無しに縮小せざるを得ないと思います。人口の増加(=食料の増産)もほぼ、アブラの消費と軌を一にしてきました。
経済が失速し、世界の食料備蓄が2ヶ月分を切る、そういう事態がアブラのピークに端を発し、玉突きの結果かと思われます。言い換えれば、経済や人口は放っておいても縮小していくでしょう。地球という観点から見れば、いずれ、持続可能なところへ落ち着くだろう。それは必然。
問題は、いかにピーク以降の道のりを降りていくか、ということではないでしょうか。何しろ、人類と来たら上ることばかり考えてきたから、右膝下がりの思考法がわからない。


意図的に縮小するか、破局するかの違い。
雑草Z
 はじめまして rita さん。若干今回の記事の内容に対しては呼応してないコメントに感じますが、このブログの主題ともいえる主張に対するコメント有難う御座います。

>経済や人口は放っておいても縮小していくでしょう。

 はその通りだと思いますが、オイル埋蔵量もまだ沢山あり、枯渇までは何十年もあります。市場経済に任せて放って置くと、縮小は、制御不能の破局の形で現れるでしょう。経済は仕方ないとしても、それまでに破壊される環境もさらに増え、その場合の人口の減り方は悲惨な状況でしょう。飢え死に、殺し合い、人類が棲みにくい環境による死亡・・。その破局の衝撃を小さく抑える為にも、本格的破局による崩壊が始まる前に、経済も人口も意図的に縮小していければいいのですが、経済成長に洗脳された現在社会の人々に、そういうコンセンサスはなかなか得られそうにありません。
 ・・ならば、破局が早く始まったほうが、被害のレベルも相対的に大きくなく、人類に生き残るチャンスはあるのかも知れません。安全な下降はかなり難しいものになりそうです。
 
 


mao
毎日更新を楽しみにしています。1日飛ばしの更新日(?)に更新されていない日はちょっとがっかりしています(笑)。このブログと、石油ピークについての論述ブログである以下のブログも参考にしながら、理想的な社会を考え、それを行動に移すことを希望とできればなぁと思っています。
http://oilpeak.exblog.jp/

石油ピークブログの2008/1/18の記述と同じ事をたまたま私が口走ったことがありました。すなわち日本の経済成長の減衰は「もったいない意識」の芽生え(再生?)が原因している可能性があるという見方です。楽観論といわれればそれまでですが、それを信じて発展させていくことには希望が持てるのではないでしょうか。

以下、私の持続可能な社会の作り方の妄想を語ります。あくまで妄想なのでいくらでも欠点はあると思いますが、ひとつの希望的方針としては面白いのでは無いでしょうか???

経済的・物質的に弱い国は滅ぼされてきたというのも事実ですが、情報化が発達した現在、世界からの目があるので大国であっても下手に小国を滅ぼすことは難しい気もします。事実人口数百万人の安定した国もあるわけですから。とはいえならずもの国家も存在します。国力に見合った国防力があれば外部からの侵略には怯えなくても良い気がします。

外部からの侵略が無いとすると、衣食住に必要な材料、エネルギーを自活することに注力します。関税の引き上げなどの政策を打てばそういう方向に誘導するこは可能でしょう。また、失業して暮らせないという状況をなくすために小農を推進させ自給農家を増やします。農業をしたくない人もいるでしょうから、そういう方には、一例としてリサイクル業界を担っていただく。リサイクルには賛否両論あり私も一部には否定的な意見を持っていますが、国際的な「円」の価値が落ちると、鉄・アルミなどの原料輸入が高くなります。そうすると自転車・ラジオなども基幹的なものまで作れなくなるので、リサイクルにより今ある資源を活用するのは妥当に思います。少し話がそれますが、家電や電子機器類に含まれる金属量を見ると日本には金が6800トンで世界の埋蔵量の16%。銀は6万トン、インジウムは1700トンで、それぞれ世界の埋蔵量の23%、61%に及ぶらしいです。これをリサイクルしない手は無い(?)
意外と安心して暮らせる低エネルギーで持続可能な社会が可能だったりしないでしょうか。

このようになんとなくできそうな(もう少ししっかりとした)プランを政治家が作ってくれると、日本人にはそういうことを実現する能力があると思うのですが楽観的すぎますでしょうかね…。

つっこみどころ満載(?)な内容ですが内容に責任は持ちません(笑)

P.S.
参議院インターネット審議中継で2007年分は検索できず、見られなくなってしまったのですね。時間があるときに川田龍平さんの勇姿を見ようと思っていたのでショック…。過去にいくつかは見て、薬害エイズのみならず環境問題でも良い質問されていたので、楽しみにしていたのに。

この手の長尺のコメントいいですねえ。
雑草Z
    mao さん

 今年初のコメントは、今までで一番長尺になりましたね。内容もこれまでで一番気合が入っているようです。
 更新を楽しみにして戴き、本当に有難う御座います。頗る嬉しく感じます。 
 当方の<雑草の言葉>の更新日は、今年から、毎月4で割って1余る日、言い方を変えれば、奇数番目の奇数日、即ち、
1,5,9,・・29日にすることにしました。
 すると、一ヶ月に8回しか、記事をかけません。書きたいことはまだまだ次々ありますが、<雑草の言葉>にばかり時間をかけずに、他のことにも時間をかけようと考えたからです。まあ、どうしてももっと更新したいときは、偶数番目の奇数日・・日付を4で割って3余る日に号外を出そうかとも考えてます。当分この方針で更新するつもりです。

×××× ×××× ××××

>石油ピークブログの2008/1/18の記述

読ませて戴きました。
この記事に関する限り私と大体同じ考え方だと思いました。

>浪費社会の限界を国民が悟りだした

と言うには程遠い浪費の量ですが・・私も楽観論は持ちたいですね・・。

>あくまで妄想なのでいくらでも欠点はあると思いますが、ひとつの希望的方針としては面白い

 面白く読ませて戴きました。現実が酷すぎる分、このような方策は、理想論的になってしまうのは仕方がありません。私もそうなってしまいます。でも大筋の流れとしては、素敵な方針だと思いますし、
>小農を推進させ自給農家を増やします。
とか
私の考えとオーバーラップしている部分も多々あります。

>小国を滅ぼすことは難しい気もします。

そのとおりでしょうね。しかし、グローバル化で経済的な征服はしやすくなってるわけです。

>日本人にはそういうことを実現する能力がある

 日本人に限らず人間はそういう能力は、あると思いますが、欲望がそれを阻止するわけで、その富裕層の限りない欲望との戦いが大変なわけですね。・・そんな欲望ぐらいで人間が存亡の危機にあるわけですから、悲しいものがあります。

>農業をしたくない人もいるでしょうから、そういう方には、一例としてリサイクル業界を担っていただく。

ここがmaoさんの一番オリジナルな部分に感じます。大変面白い案だと思いました。

 みんながmaoさんの言うところの 
>持続可能な社会の作り方の妄想
を持つほどに環境問題をしっかり考えていれば、細部で意見の食い違いがあろうとも、人間社会も捨てたもんじゃないですね。
 読み応えの多い長尺のコメント本当に有難う御座いました。


P.S. ・・

川田龍平氏は、メルマガを発行しています。
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民主国家間では
ハイパーポン太
 少なくとも、民主国家間では戦争は起こっていないんですよ。私の知る限りでは。独裁国家対民主国家、独裁国家同士の戦争は確かにありましたが。
 こうしてみると、戦争を起こす最大の要因は一部の権力者、独裁者なのかもしれません。だから、国力を低下させる前に、まず周辺国家の民主化を促進し、なおかつ独裁体制が再び起こらないような仕組みにしなければならない。そのうえで相対的に武力を低下させ、それで緩やかに融合させた方がいいのかな?
 もちろん、ミャンマーやキューバに見られるような、開発独裁も時には必要ですが、それもやり過ぎると取り返しがつかないことになる。誤解されないか心配ですが、実はあのアドルフ・ヒトラーも、前半においては優れた指導者だったと言われております。だが、末路は自他ともに破滅。
 まあ、1000年位先の話となりそうですが、それまで人類が生き延びられるかは、保証の限りではないです。
 ついでに言うと、今の国連に「世界政府」みたいな能力は期待できません。中国のような独裁国家が拒否権を発動し、国連決議などいくらでも恣意的に無視できるんですから。そんな国が常任理事国というだけで、その資格などありません。

民主国家・・・?
かんちゃん
ハイパーポン太様。
下記の点に疑問があります。

>民主国家間では戦争は起こっていないんですよ。私の知る>限りでは。独裁国家対民主国家、独裁国家同士の戦争は確かにありましたが。

第一次世界大戦、太平洋戦争、ベトナム戦争などはこの規定ではくくりきれないのでは?

>ミャンマーやキューバに見られるような、開発独裁も時には必要ですが、

キューバは開発独裁とはいえないでしょう。
開発独裁とは70年代の韓国・朴政権、インドネシアのスカルノースカルト政権、フィリピンのマルコス政権、チリのピノチェト政権等が代表的なもので、アメリカや日本といった先進資本主義国家が自国の権益保護のためにODAや無償資金援助、武器の無償援助などで支えられた政治体制だと思うのですが。
キューバは政治的にはカストロによる独裁体制で、政治、思想、信条、情報の自由は保障されているとはいえませんが、大国主義におもねることなく自主独立の工夫した国家運営はされているのではないでしょうか。
開発独裁は必要とは思いません。恣意的な開発、工業化がもたらすすさまじい環境破壊や国民間の経済格差の拡大、民主化運動による多数の犠牲者の発生は容認できるものではありません。


不勉強で申し訳ない。
ハイパーポン太
 かんちゃん様
 不勉強で申し訳ないです。キューバに関しては、開発独裁にはならないという指摘は、まことにおっしゃる通りだと思います。
>キューバは政治的にはカストロによる独裁体制で、政治、思想、信条、情報の自由は保障されているとはいえませんが、大国主義におもねることなく自主独立の工夫した国家運営はされているのではないでしょうか。
 この点において、私はカストロを評価しているわけです。少なくとも、経済は確かに苦しいが安定した国家体制は作り上げた。例えば、キューバの有機農業なども、いまでは一部の研究者の間で評価すべきという声も上がっているし、識字率向上だって、それまでのバティスタ政権ではありえなかったことだと聞いております。まあ独裁者と言われればそれはそうですと言わざるを得ないけど。ただ、これを開発独裁のカテゴリーに入れたのは間違いだったと反省いたします。

 ただ、開発独裁が不要とするのは、いささか疑問ですけどね。たとえば、アウンサン・スー・チー。なんだか、民主化のシンボルのように語られていますけど、彼女自身、ただ父親が「建国の父」とされているだけで、教育だってほとんどイギリスで受けたようなもの。おそらく、ミャンマー人としてアイデンティティーは薄いんじゃないですか?要するに、政治家としての実績もなく、ミャンマー人としての自覚にも薄い。能力は全くの不透明。おそらく、彼女の過去の発言や人格などから、どうにも理想や理念ばかりが先走り、かえって経済をひっかきまわしてミャンマーを混乱させるんではないかと思えてしょうがないのですが。
 結局、民主主義を根付かせるには、やはりある程度国内情勢を安定させ、そして経済基盤もそれなりの土台を築きあげておかないと失敗すると思います。そのビジョンがスー・チーの発言や態度から、いまひとつ見えてこない。だから、今のところ、ああいう軍政も必要悪ではないかと思えるわけです。
 もちろん、将来的には民主化してほしいです。いや、民主化するでしょう。経済が発展してくれば、民衆は自分たちの意見を反映してくれる政権を求めるようになるでしょうから。これは、多くの人々の願いでしょう。私も、それを願っています。
 たとえは悪いですが、ある意味ナチスだって前半期は開発独裁に近いものだったでしょう。ヨーロッパの中で「最も理性的」と言われ、もっとも民主的なワイマール憲法をもっていた国家でさえ、ヒトラーのような男を必要とした。実際、ヒトラーはわずか数年で、あのめちゃくちゃな経済を再生させたわけです。もちろん、一方で彼はユダヤ人への迫害を行い、非道の限りも尽くしましたが、負の部分だけでは語れない一面もあるんではないでしょうか?
  
 あと、戦争についてですが、これについては、もう一度よく調べなおしてきます。不勉強で申し訳ない。よく考えてみたら、民主国家対民主国家とか、独裁国家対民主国家といったように、簡単に分けられるわけありませんね、ベトナム戦争とか、太平洋戦争とかは。
 本当に不勉強で申し訳ないです。

開発独裁・・・う~ん
かんちゃん
ハイパーポン太様
よく勉強されているご様子ですね。お若い方なのでしょうか?
開発独裁に関してさらに言わしてもらうなら、おっしゃるとおりアウンサン・スー・チー氏という人はどういう人物かマスコミ報道からは判断しかねるところもあります。エリートといえる方なのでしょうね。政治的手腕は未知数です。昨年起きた民主化デモの中心を担った僧侶たちの迫害に対して何の行動も起こさなかったのはとても不可解です。保身を図られたのでしょうか。自宅軟禁というのは迫害を受けているとも言えるし、だから行動が出来ないんだという言い訳にもなりえるわけですから。他国の人間が無責任なことはいえませんが、自身を省みず街頭に立つべきだったと思います。自らを民主化のリーダーと認ずるのであればこそです。殺されていたかもしれません。が、国民と世界に対して政治姿勢がはっきりと提示できたと思われます。(誠に無責任で高慢な言い方で申し訳ありません)
にもかかわらず、開発独裁に関しては頷可できません。
以前韓国に旅行した際、案内をしていただいた人から朴政権時代を懐かしむ声を聞きました。そういう評価の仕方もあるのも事実です。ですが他に道はなかったのだといえるのでしょうか。韓国は「途上国」?から「先進国並み」?といえるところまで経済発展?をしており、政治的自由度もかなり高い国になりました。でも60年代から90年代にかけて民主化運動に関わった多くの人が亡くなったり、耐え難い苦しみを受けたりしました。痛ましいことだと思います。
韓国のある詩人が言っています。
「目の前に目指す山がある。ある人は出来るだけ平坦な道を選び、またある人は険しい道を選んだとします。でもどれが正し道であったかは頂上に立ってはじめて分かるのです。」
けして険しい道を選ぶことが正しい道だとはいえないかもしれませんが、独裁政治である以上民主化を求める名も無い人々の犠牲が要求され、多大な国民的エネルギーが消費されるのは間違いないことです。

もちろん…
ハイパーポン太
 もちろん、こういった独裁体制が行ってきた悪事は、どこかで糾弾されなければなりません。これはけじめです。いや、それ以前の道徳論だと言われれば、そうなんでしょうが。
 私も、個人的な感情論から言えば、独裁体制などなくてもいいと思っているのです。すべての国が民主化され、政治的な自由が確立されるのはいつか…。そんなことを夢想したこともあります。まあ、本当に感情論なのですが。
 これは、独裁体制における一つの特徴なのですが、実に効率的な一面があるということです。もちろん、金正日のような馬鹿な指導者も中にはおりますが、独裁体制というのは民衆の意思を権力により統一してしまえるから、速やかに一つの国家目標に向けて行動を起こしやすい。また、仮に失敗があったとしても、国民に指導者を糾弾する権利はないから、指導者側としては、これまたスピーディーに政策変更を行える。民主国家なら…マスコミが騒ぎたて、民衆は面白おかしくお茶の間で愚痴をこぼす。しかし、実効性のある政策をすぐに打ち出せるものがいるかといえば、そうではない。少なくとも、効率的という点においては、独裁体制の方が(もちろん、指導者の資質の問題もありますが)優れている。
 だから、ヒトラーも速やかに経済の立て直しを行うことができた。彼は独裁者だから、憲法に違反しようと自分の周りが反対しようと、全く気にする必要もなかった。彼の思う通りに経済政策を行うことができた。その当時のマルクの魔術師と呼ばれたシャハト(だったと思います、ちょっと記憶があいまい)とともに、二人三脚で、あっという間に国を再興させたのです。数百万単位の失業者が、あっという間に1/10以下になったのもこのためです。アメリカも、恐慌による失業者増大のため、ニューディール政策などを行ったりしたのですが、当初見込んでいた半分の成果も出せなかった…というような話を聞いたことがあります。教科書なんかでは、大成功と教えられることもあったかもしれないが。
 結局、民主国家であるがゆえに、一部の指導者が完全にすべてをコントロールするということはあり得ない。自分の言うことを聞かないからと言って、すぐに追放すれば済むというわけでもない。だから、当時の大統領の思惑の、半分もやりたいことができなかったらしいです。
 まあ、長々と偉そうにしゃべってしまいましたが、結局のところ、独裁体制なんて厄介なものが必要悪となりうるのは、それだけ我々が不完全である証かもしれませんね。いつか、このような残酷な政治体制なしでも、人類は自分たちの生活をコントロールし、なおかつ地球との共存共栄の道を作り出せれば、これに越したことはないんですが、まだ我々には時間が必要なのでしょう。
 だから、1000年くらいの時間がかかると申し上げたのです。

効率ですか・・・
かんちゃん
>少なくとも、効率的という点においては、独裁体制の方が(もちろん、指導者の資質の問題もありますが)優れている。

政治に効率を求めるのはいかがなものでしょう。
私たちの国でもかつて大政翼賛会に始まり国家総動員法を経験していますが、行き着いた先に待っていたものは何だったでしょうか。
民主主義は手間の掛かる制度ですがそれゆえに大切なものと考えます。
ナチス体制を一面ではありますが評価されていますね。
あなたが言われるように経済は復興したのは事実ですが、その裏には連合国から課せられた賠償金の支払いを拒否したことがあったのです。下世話な言い方をすれば借金の棒引きを要求して居直ったわけです。しかも経済復興の牽引となったのは兵器産業ではなかったですか。ワーゲン社、ダイムラー社、クルプ社、シーメンス社、ハインケルン社等々。
揚げ足を取るわけではありませんが確かにナチスは効率的でした。アウシュビッなどの強制収用所では効率よくユダヤ人を処理していますね。(余談ですが、ユダヤ人の死体を処理した焼却炉は特許を取ったとか取らなかったとか)
最後に。開発独裁には軍という暴力装置が後ろ盾となっていることを忘れないでください。開発独裁の独裁者はほとんどの場合軍人です。この人たちに異議申し立てをするのは命を捨てて掛からねばならないのです。



部屋主不在のうちに議論が進んでますね
雑草Z
 この、<雑草の言葉>が始まって以来、私、雑草 不在のまま他の方々で議論が進んだのは初めての経験です(笑)
 いえいえ、失礼だ!と言ってるのではなく歓迎いたしてます。
 かんちゃんさんはもとより、ハイパーポン太さんもマスコミ等に惑わされない独自の見識をお持ちの方のようです。
 お二人のご意見ともに、非常に参考になり、面白く読ませて戴きました。

 実は私も、ここにも何度かコメント下さった事のある
TheorySurgery氏のブログ <The Black Crowes>で
<環境問題を考える>の近藤邦明氏と部屋主不在の激しい議論の応酬をした事があります。
http://feliscatus.blog77.fc2.com/blog-entry-54.html#comment

だから、どうぞお続け下さい。

 ハイパーポン太さんのはじめのコメント
>少なくとも、民主国家間では戦争は起こっていないんですよ。

に対して、かんちゃんさんが、私以上に素晴らしいご返答をされて、なるほどと納得しながら読ませて戴きましたが(かんちゃんさんが国際情勢にこんなに明るい方と言うことが垣間見られました。)
それとは別の観点から私のご返事もちょっと書かせて戴きます・・・。

 先ず、本文に書いているように、軍事的な事でなくとも、経済的に征服され得る事があるということです。こんな事いくらでも起こってます。いわゆる先進国が途上国に対して、経済的にがんじがらめにしている例は枚挙に暇がありません。戦争による征服の可能性に限定している訳ではありません。

 次に、「独裁国家対民主国家の戦争」と言う図式は、アメリカの戦争の合理化のプロパガンダの片棒を担いだステレオタイプ的発言に感じます。
第二次世界大戦後もアメリカは、10年の間隔も置かずに、直接、間接に絶えず戦争を仕掛けていますが、それを
「独裁国家対民主国家の戦争」と思われるのでしょうか?
 分別のつく人ならばアメリカ人でも、その戦争は、アメリカによる経済支配体制の強化などの意図が強いと感じると思います。逆に、国内から起こった革命を除いて、明らかに「独裁国家対民主国家の戦争」が第二次世界大戦後あったのでしょうか?どの戦争をさしていますか?


 後のほうの「開発独裁」(私はこの言葉聴き慣れていません)の議論ですが、私もかんちゃんさん同様、開発独裁は容認出来ません。ハイパーポン太さんの言うところの 
独裁体制における実に効率的な一面
は、言いたいことは良くわかります。
 独裁体制が有効な場合があるにしても、経済発展のためには政治的安定が必要であるとして行う独裁体制による「開発独裁」は、いい事などありません。格差と腐敗と環境破壊を生みます。それこそ、未開のままのほうがどんなにいいか・・・でも、未開のままでいようとすると本文の記事の言うようなパラドックスが存在するのです・・・・・。

 議論の腰を折ったかも知れませんが、ここで中断せずに、また議論を続けてください。私も時々参加させて戴きます。

   
 

うーん、難しい?
ハイパーポン太
 議論というのは、実は私、慣れていないので、いささか感情的な部分もあるかもしれません。その点は反省いたします。私もまだまだ不勉強の身。かなり拙い部分もあるかと思いますが、よろしくお願いいたします。
  
 一部、ナチスを評価している部分もあるとのかんちゃん様から指摘がありましたが、そもそも絶対的な空くおかそういうものがない以上、どんな体制であれ、評価すべきところは評価すべきというのが私のスタンスです。それが結果的に、ヒトラー擁護のように思われたとしても。
 こんな話があります。確か、「痛快!憲法学」という本だったかと思いますが、著者の小室氏がユダヤ人の友人に、「もし私が、ヒトラーがユダヤ人を抹殺しようとしたことは、まことに素晴らしいことであった、と著作に書いたら、あなたはどうしますか(もちろん、小室氏自身はそんなことは考えておりません)」と尋ねたところ、そのユダヤ人は以下のように述べたと。
「我々にとって許せないことは、ガス室はなかったという主張である。これは歴史的事実に反するからだ。しかし、あなたが言うようなものは、それは個人の評価や考え方だから、それに批判をすることはあっても、出版停止させるようなことはしない」と語っておりました。
 基本的に、私もこのスタンスを取りたい(あるいは、私だけがそう思い込んでいるだけなのかもしれませんが)のです。たとえ、その体制がどれだけ残虐性、犯罪を帯びていたとしても、やはり評価するべき点は評価するべきです。これはナチス擁護論とは次元の違う話だと思います。
 ちなみに、小室氏も「痛快!憲法学」でもヒトラーの経済再生を「天才的」と評価しているし、「中国 地球人類の難題」井沢元彦氏も、やはり「奇跡」であると評しております。
 もちろん、その陰でヒトラーは非道の限りを尽くしたわけですし、彼が拡張したアウトバーンにしても、もともとはヨーロッパ中に戦車を円滑に送り込むために必要不可欠だったものでしょうから、ドイツの経済再生も、もちろん戦争に利用されたといえばそうでしょう。
 ここで私が思うのは、結局、ナチスをソフトランディングというか、その危険性を抑え、あれほどの大戦火になる前に緩やかに民主化させられなかったのか、ということです。少なくとも、ヒトラー肯定派も否定派も、前半期のヒトラーは、確かに優れた指導者だった、という点におては意見が一致しているらしいです。肯定派も否定派も一致しているということは、多分それが客観的な評価と言っても差支えないと思います。重要な転機点はミュンヘン会談だったのではないか。あの時、ヒトラーは周辺国家に脅しをかけてズデーテン獲得を成し遂げているわけですが、この様子を見て、チャーチルは「なぜあんな馬鹿な要求をのんだのか」と、ひどく憤慨したようですね。
 チャーチルの言い分では、たとえヒトラーが脅しをかけようが、そんなことはできないとはっきり断ればよかった。逆にこの割譲がヒトラーを勇気づけ、ポーランド侵攻へのきっかけになったのだ、と。そして「平和主義者が戦争を生んだ」とまで批判しているのです。要するに、安易に独裁者の脅しに乗って、彼のわがままに付き合ったばかりに、途方もない破壊が訪れたということです。
 まあ、いまさらいっても仕方がないことなのかもしれないが、少なくとも、ここでかじ取りを間違っていなければ、もしかしたらナチス体制だってある程度はソフトランディングさせられたのではないか?いや、仮にミュンヘン会談でヒトラーを無視しても、確かに戦争は起こったのかもしれないが、それでもあれほどの大戦争にはならなかったのではないか、どうもそういう気がしてならないのです。要するに、独裁国家ばかりではなく、その周辺国の対応の仕方にも非はあるのではないかと思います。
 一番悪いのは、そりゃあヒトラーでしょう。これは誰もが認めるところですが、不幸にもこういう独裁者を近くにもってしまった周辺国も、やはり責任があるのです。望むとのぞまざると。
 開発独裁に関する「腐敗」や「環境破壊」は確かにごもっともですが、残念ながら、我々が活動する以上「環境破壊」は起こりえるし、「腐敗」も、やはり付きまとうでしょう。要はそれが全体としてどの程度であるかということですが、まあこればかりはミャンマーに行ってみないと何とも言えません。ただし、スー・チーに現在のミャンマーを任せて大丈夫か?いや、それ以前に、スー・チーも実は欧米諸国に体よく利用されているだけなのではないか?そういう疑問もあります。スー・チーを利用して、欧米諸国が「経済的侵略」をたくらんでいると、言えなくもないのです。
 それに、「開発独裁」よりも「未開」の方がいいというのも、いささか許容できませんね。まるであのマルクス主義のご先祖ともいうべきルソーの「人間不平等起源論」を連想してしまいます。あれは人類は未開な野蛮人(彼は自然人と表現しております)の方がよかったと言っておりますし。
 民主国家対独裁国家という表現で、アメリカのプロパガンダ的と言われれば確かにそう認めざるを得ないところもありますが(この部分、私自身は不勉強でした)、しかし、独裁を不要、悪と切り捨ててしまうのも、どこかアメリカのプロパガンダ臭を感じてしまいます。

すいません、連続投稿で。
ハイパーポン太
 すみません、連続投稿になり申し訳ない。ただ、言い忘れていた部分があるので。

>政治に効率を求めるのはいかがなものでしょう。
私たちの国でもかつて大政翼賛会に始まり国家総動員法を経験していますが、行き着いた先に待っていたものは何だったでしょうか。
民主主義は手間の掛かる制度ですがそれゆえに大切なものと考えます。
ナチス体制を一面ではありますが評価されていますね。
あなたが言われるように経済は復興したのは事実ですが、その裏には連合国から課せられた賠償金の支払いを拒否したことがあったのです。下世話な言い方をすれば借金の棒引きを要求して居直ったわけです。しかも経済復興の牽引となったのは兵器産業ではなかったですか。ワーゲン社、ダイムラー社、クルプ社、シーメンス社、ハインケルン社等々。
揚げ足を取るわけではありませんが確かにナチスは効率的でした。アウシュビッなどの強制収用所では効率よくユダヤ人を処理していますね。(余談ですが、ユダヤ人の死体を処理した焼却炉は特許を取ったとか取らなかったとか)
最後に。開発独裁には軍という暴力装置が後ろ盾となっていることを忘れないでください。開発独裁の独裁者はほとんどの場合軍人です。この人たちに異議申し立てをするのは命を捨てて掛からねばならないのです。

 以上、かんちゃん様からの引用です。
 アウシュビッツの死体処理作業の効率化と政治の効率化は、いっしょくたにしてしまっていいものなのでしょうか。私は、あくまでも政治上の効率性を言っているわけです。あれは政治活動の一環に…(まあガス室に避けるナチス人員とか、輸送車とか、そういう損失なども含めれば、成果上の一環となりえるのだろうが)。
 それに政治にはやはり効率性は必要なんじゃないですか。まあ、それがヒトラーの独裁者の登場に結びついている一面もありますが、結局、日本のような平和な国ならまあ話し合いで少しずつというのも悪くはないですが、他の国ならそうもいかない現実がある。少なくとも、今のところは。
 もちろん効率性絶対マンセーというのならば、それは賛同しかねます。国ではありませんが、今の企業のリストラやアメリカ式経営のやり方を見ていればそうおもいますが、かといって、効率が悪くてもいいといえるのは、やはり安定した国か、もしくは周囲にさほど脅威となるものがない国なんじゃないですか。

議論のための議論はそろそろ・・・
かんちゃん
ハイパーポン太様
今一度あなたの言われていることを整理してみましょう。
1独裁体制も効率という観点からすると評価できる。
2経済的安定のないところに民主主義は成立しない。
この2点にどうやら集約できるかと思われます。
1に関して。効率的なのは当たり前でしょう。
軍という暴力装置を意のままにし、議会を骨抜きにし、側近を身内又はお気に入り又は同志で固めるているわけですから、面倒な手続きや話し合いは必要ない。朝決めたことが夕方には達成できこもとも可能でしょう。成功はプロパガンダに散々利用し、失敗や間違いを犯したところで誰も恐ろしくて批判はしない。効率をよしとするのであれば、それはそのまま独裁体制そのものをよしとするのですよ。
2に関して。開発独裁に特徴的に見られるのは富の偏在とどうしようもない経済格差です。「先進国」からつぎ込まれる資金によって無秩序な資源の開発や工業化が図られ、土地や生活基盤を奪われた多くの人が貧困にあえぎ、一方、体制とその存在に寄生している人たちは膨大な利益を得る。前者の人々が自分たちの権利や富の公平な分配を求め異議申し立てを行うのは当然でしょう。この行為が民主化ではないでしょうか。ですから、開発独裁自体がこのようなものである限りまず経済基盤の確立次に民主主義の図式ははなはだ非現実的です。
何度も申し上げるようですが民主主義は手間の掛かるものです。この場合の手間とは多様な議論と少数意見や立場の弱い人の存在を保障することでしょう。

先に書きました韓国の詩人は15年間政治犯として服役された後、獄中での不自由な生活のためか出所後わずか数年で亡くなられました。48歳の若さです。この人の詩集は日本でも発行されており、私の友人もその編集に関わっています。
大きく政治を議論することも大切ですが、現実にはかけがえのない人の命が無残に扱われているのも政治なのです。
ハイパーポン太様。勉強して「知識」を得ることは大事ですが「知識」だけが逆立ちして歩いているような議論はそろそろおしまいにしましょう。
・・・ね。

連続投稿歓迎致します。
雑草Z
    ハイパーポン太 さん

 こちらこそ宜しくお願い致します。
最近、今までよく知らなかった、大量虐殺で知られるカンボジアのポルポトも、はじめは理想主義に燃えていた事を知り、やってきたことも評価出来る部分もあると思うようになりました。
 ヒトラーはそれよりも酷いとは思いますが、全て完全否定でなく、少しは評価できる面もあるかも知れません。第二次世界大戦前後は、連合国側からは、日本もナチスと同じように見られていた部分もあるでしょう。だから、
>独裁を不要、悪と切り捨ててしまうのも、どこかアメリカのプロパガンダ臭を感じてしまいます。

 には共感出来る部分もかなりあります。しかし、かんちゃん氏の言うように
>経済の復興
と云う部分は全く評価しません。
「開発独裁」よりも「未開」の方がいいというのは、私の主張の大きな部分です。
開発=破滅への環境破壊

という図式は私の主張です。
 例えば、最近オーストラリアの新大統領が、移住したヨーロッパ人がアボリジニにして来た行為について謝罪することが話題になっています。

 未開という言葉は、自分を文明人だと云っている人達の勝手なレッテルで、アボリジニは別に開発を望んでいなかったのに、無理やり開発されて不幸になりました。・・・
開発=よい事
という、ここ数百年ほどの図式は、西洋人が征服して支配する為の洗脳であったと思います。元々の原住民の文化を破壊し、キリスト教を広めようという極めて思い上がった発想です。

 そして何より、これまで行われてきた開発は、持続可能な社会の成立を妨げています。
 
 ここのサイトは、環境問題のサイトですが、大きな目的の一つは、反経済成長です。
 現在主流の経済発展という概念自体価値観を持たないどころか、それが諸悪の根源と考えております。

ハイパーポン太さんの歴史や社会の洞察は素晴らしいものが沢山あると思いますが、環境問題に対する認識は、世間の多くの方々同様まだ浅いと感じます。現在既に、成長の限界に近づいていますし、スループットは20世紀末に限界を超えているのです。 

しかし、知識も重要なわけです。
ハイパーポン太
 感情論としては、私も天安門事件で民主化活動家を弾圧した中国共産党や、かつての韓国の軍政、そしてミャンマーの軍政も、許すことはできません。しかし、心では許せないと思っていても、「感情論だけでは判断してはならない」私のスタンスでしょうか。
 開発独裁で、富の偏在があるとしても、民主国家だって格差が進行している以上(いや、アメリカなどを見れば、もしかしたら開発独裁国家以上に)、大っぴらにそれで批判することはできないと思います。
 一応、インドネシアのかつてのスハルトの例もありますし、全く非現実的ともいえないかもしれないですね。独裁から民主主義への移行というのも。韓国は…かつての軍政のトップが射殺されたから、これはちょっと違うだろうが。
 
>先に書きました韓国の詩人は15年間政治犯として服役された後、獄中での不自由な生活のためか出所後わずか数年で亡くなられました。48歳の若さです。この人の詩集は日本でも発行されており、私の友人もその編集に関わっています。
大きく政治を議論することも大切ですが、現実にはかけがえのない人の命が無残に扱われているのも政治なのです。

 これは自分の心としては「許せない」ですし、このような不幸な人物を生み出した独裁者も断罪されるべきものと考えております。
 しかし、政治や経済を語るときには、そういう感情論だけではどうしても処理しきれないものなのです。悲しいかな。
 また、知識が先走っているという指摘に関しては、私自身そうなのかなと反省いたしますが、どうしてもこういう話をするときには知識を優先させてしまうのは、私の癖みたいなものなのですかね。
 結局、現地に行ったって、きちんと内情を確認できるわけではない、しかも、歴史ともなればなおさら…となれば、やはり知識に頼らざるを得ないんですよ。だから、おっしゃる通り、独裁者の周りがゲッベルスみたいな連中だけになって、国内でも富の格差がある。それは現実だが、ではだからと言って開発独裁を不要と断言してしまうのは、あまりにも乱暴ではないかと思うわけです。どんな物事にもプラスもあればマイナスもあります。単純な道徳論や、善悪だけでは語れない部分があるのです。そして、その国家を取り巻く状況や時代背景なども視野に入れなければなりません。となると、やはり「知識」に頼るところが多くなる。だから、知識選考というのであれば、それは反省いたしますが、なるべくこういう議論は感情論よりも、知識を優先させた方がいいのではないか、というのが私の考えです。

 かんちゃん様はご友人が、かつての韓国の政治犯の詩集の出版に携わっていたようですが、それゆえそういった独裁体制の残虐性や非人道性にはお詳しいと思います。私以上に詳しいことでしょう。
 ですが、その詩集ですら、独裁体制下のおける一面しか写しだしていない。確かにそういうものに接する機会が多ければ、独裁体制に対する反発や批判は多くなると思いますが、かといって、全く負の部分ばかりだったといえるかといえば、そうでもない。賛否両論があってこその客観的な評価となる。そして、迫害される立場お人間が書いた本は、確かに事実ではあろうが、それは迫害された側からみた側面にすぎないのです。
 もちろん、自分で書いておいてなんですが、上の(今まで私が書いた)文章は、私自身気持の上では否定したいです。でも、安易にそうはできない現実があるんですね。だから、むしろ私は「独裁など不要」と言い切ってしまえる人間の方がうらやましいですよ。私はどうもそこまでは言えない。だから、議論というか、気持ち的な意見としては、「独裁なんかいらない」というのが、私の立場ですが、しかし知識に重点を置いた理性論としては「現実的にはそうもいかない」というのも私の立場です。ですから、感情論としてはかんちゃん様と同じ立場なわけで、別に論争しようというわけではない。ただ、私の文章に不快なところがあったとすれば、それは謝罪いたしますが、そこのところは理解していただければと思います。

 勘違いされないようここで私のスタンスを確認させていただきますが、私は独裁を「必要悪となることもある」と言っているだけで、「独裁の方が効率的だから、そちらの方が良い」と言っているわけではありません。
 しかも、「必要悪である」と断言しているのではなくて、「必要悪となることもある」ですから、そこも間違えないでいただきたい。
 いずれにしろ、その政権の評価は後世の人間が決めることでしょう。その時代の当事者よりも、後世の人間が資料の中から客観的に分析し、結論を出していく。その繰り返しです。
 

また連続投稿になってしまった…。
ハイパーポン太
 管理人様がおっしゃっているポルポト政権ですが、ポルポトは青年期は極めてまじめな青年で、彼を知る人は、とてもあのような恐ろしいことができる人だとは思えなかったといっているわけです。
 
 では、何が彼をあそこまでやらせたのか。ポルポトは、フランス留学時代にルソーの「人間不平等起源論」に心酔し、都市文明を憎悪するようになったと一説では言われております。まあ、確実に言えることは、彼はフランス革命のロベスピエールや共産主義で有名なマルクスなどと同様に、「ルソー教」の信者であったということです。だから、彼は首都から人民を追放し、農業地へ無理やり移住させて、農業主体の貨幣のいらない「楽園」を築き上げようとした。
 
 しかし、国内のインテリ層を虐殺したおかげで(眼鏡をかけているだけで、外国のスパイとされた例もある)、国内の教育、文化は完全に停滞(小学校の教師ですら、インテリ層として虐殺された)、もしくは破壊され、人民は完全奴隷状態と化した。
 
 結局、自然主体といえば聞こえはいいですが、無理な農業開拓により国土は疲弊し、医者や教師まで抹殺したことで、医療や教育はもはやないも同然。飢饉と疫病が蔓延し、一時期はあの北朝鮮よりもひどい状況に陥ったという話です。人口800万人のうち、たった4年間で200万人もの人民が「非正常死」したわけですから、破壊の規模や悪質さはヒトラーのユダヤ虐殺や毛沢東の文化大革命に匹敵すると考えられます。
 
 農業は確かに大事ですが、それを極端に推し進めた結果がこのありさまです。私の理想としては、都市と農業(文明と自然が共存した)のバランスが取れている社会なんですが、ポルポトのやり方は、ルソー尊師の教えにしたがい、ただやみくもに自然崇拝を推し進めたために、人民の愚民化、耕地の荒廃、さては都市のゴーストタウン化を促進し、いまだカンボジアにはポルポトの悪影響が残っていると聞きます。最近ようやく持ち直したようですが。

 要は文明崇拝も自然崇拝も、やり過ぎるとろくなことにはならないということです。資本主義も、やり過ぎると格差と環境破壊で立ち行かなくなる時が来る。かといって社会主義も、官僚化が進み過ぎて内部崩壊する時が必ず来る。
 自然か文明か、資本主義か社会主義か、民主主義か独裁か、といった二元論では、どうしても世界を維持することはできなくなるでしょう。時としては、資本主義の中にも社会主義的要素を取り入れるとか、都市の中にも自然を増やすとか、そういった臨機応変さも必要となってくるはずです。
「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」
 これに尽きると思います。

 「未開」に関してですが、まあ確かに白人の押しつけがましさには辟易しますが、それでも、ある程度の文化レベルというか(これも「文明国人」の驕りなのかもしれないが)そういったものに達する必要はあるんじゃないかなぁと思います。それを白人たちが人種差別の下に暴力的に行ったという面は、糾弾されるべきだとしても、それでも何らかの効果はあったのかなぁと。こればかりは私個人の考え方なので、なんとも言えません。

>ある程度の文化レベル
雑草Z
 自ら文明人と名乗っている物量主義者達が、
「未開」と呼ぶ人たちを「文明化する」という発想は、驕り以外の何ものでもないでしょう。彼らが望むのならばいざ知らず、ほとんど無理やりですから。

彼らにも素晴らしい文化は存在するのに、

>ある程度の文化レベルというかそういったものに達する必要

 という発想は、彼らの文化を認めないという事でしょうか?彼らの文化は、十分持続可能なレベルで、現在の崩壊へ進むレベルより遥かに優れているとも考えられます。そして何より、それを続けたかったのです。
「文明化」ではなく「物量化」じゃないでしょうか?キリスト教の押し付け込みの。
 この物量文化は麻薬みたいな中毒性があって、その快適さに慣れると、戻りたくなくなるという破局への道も出来るのです。
 ハイパーポン太さんの社会に対する認識は、多くの財界人などよりも洞察も深いと感じます。現代社会では私の発想よりも遥かに受け入れられるものでしょう。しかし、それは、現在の効力の少ない環境対策と同様、破局への道から逃れる有効な方法だとはあまり考えられせん。
 私の社会に対する提言は、地球のキャパを考慮した(未知の部分が多く、アバウトにならざるを得ないのですが・・)持続可能という観点中心です。ここのブログはそういう観点で描いていますので、二元論というならば、
>自然か文明か・・・
とかではなく、
持続可能か不可能か
と云う観点です。そういう意味で「未開を開発する」という発想を否定します。


やはり難しい…?
ハイパーポン太
 でも、私としては、「物量化」もある程度は必要だったのではないかと思います。もちろん、イギリスなどの植民地政策や、オーストラリアのアボリジニ迫害は、糾弾されるべきです。
 が、いまだに呪術師が重病人相手にまじないを施して、それで病気が治ると錯覚している種族がいるのを見ると、やはり、彼らもある程度の「物質的なもの」に関する知識が必要ではないかと思います。
 もちろん、白人連中は自分たちの欲望のためにこういった植民地政策を推し進めたのは事実でしょう。その結果、多くの文化が破壊されたのも事実です。
 ただ、これはインドの話なんですが、こういう信じられない話が21世紀にもあるものだなぁと思ったことがあります。インドのとある村で、ある一家が処刑されたのですが、その理由がなんと、魔法を使って村(12人が原因不明の疫病により死亡)に疫病をもたらしたから、というのが最大の理由らしい。
 まあ、これは「文化」とは言えないですが、しかしこういった「迷信」で魔女狩りみたいなことが起こっているという現実をみると、やはり物量的と言われても、多少なりとも、何らかの教育を施した方がいいのではないかと思えるわけです。
 そういう意味で、私は「何らかの効果はあったのかなぁ」と、極めてあいまいな表現ですが、書いたわけです。
 文化も大事ですが、それが迷信に結びつくと、このようなわけのわからない事件につながります。文化破壊をよしとは致しませんが、それでもやはり「物質的、物量的な(あるいは科学的)」な教育や知識も、もっていてしかるべきかと思います。そのうえで彼らの文化も保護する。この点は、確かに白人連中には欠けていたと思います。
 
 私の発言がどうしてもこちらのブログの趣旨とずれがちな発言が多いという点では反省いたします。
 持続可能か、不可能かという二元論ならば、そりゃあ持続可能論を支持します(笑)。

文明化は非常に危険です。
雑草Z
    ハイパーポン太さん

 エコロジカル・フットプリントhttp://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-244.html
の観点から考えると
世界中の人々が米国人のような暮らしをはじめたら、地球が約5個以上なければならないなどと言われています。
それなのに、「文明化」の名の元の「物量化」は愚かな行為でしょう。持続可能なレベルを超えているわけですから、自ら先進国としての優越感を持っている人々が、彼らを「文明化」して、生産者、消費者などとして利用しておいて、今度は、これだけの数の人間が地上に同居するのは不可能だから死んでくれ・・・ってな事にならないとも限りません。

>呪術師が重病人相手にまじないを施して、それで病気が治ると錯覚している種族

はそれはそれで否定すべきでないと思います。
 そこを文明化して人口爆発を招き、もっとずっと深刻な飢餓や殺し合いを招いた事は記憶に新しい史実です。それどころではなく、この文明化によって、彼らの住んでいる地域の自然の恵みも破壊され、自給的な生活も出来なくなったのです。

 魔女狩りみたいなことは、その名の通り、当時の文明国ヨーロッパで実際に起こった事ですし、また別のお話でしょう。

×××× ×××× ×××× ×××× ××××

>こちらのブログの趣旨とずれがちな発言

という事については、気を遣われなくて結構です。ここのサイトは仲良し倶楽部ではありませんから・・。
 ハイパーポン太さんのコメントはこちらのサイトの趣旨と全く違うわけでも御座いません。十分に御返事するのに値する内容です。もっとバリバリの頭の固い経済成長主義者からコメント来た事も有りますが、彼とのような不毛な議論にはならないでしょう。
 勿論スパムコメントの類は削除しますし、あまりにお門違いなコメントは適当にあしらうか、相手にしない旨そのまま伝えてます。

×××× ×××× ×××× ×××× ××××
 
 ところで、ハイパーポン太さんは、近代史や世界情勢にもお詳しいようですが、そういう事を専門にされていた(る)のですか? 得意とする分野はどんなジャンルでしょうか?
当方は、現在こんな文明論に近いことを多く描いていますが、文明論は、最近のマイブームです。歴史は不得意です(笑)。かつての専門は物理系でした。 
 

いや、実際にはそれほどでもない…。
ハイパーポン太
 実際のところ、私の知識なんて大したことはありません。また、専門家にすらなれない半端ものです。職を転々とし、つい最近まで職業訓練を受けていただらしのない半端ものですよ。

 歴史や世界情勢というよりも、例えば漫画やゲームの登場人物を分析し、カテゴライズしたりとか、WIKIに投稿したりとか、そういう作業が好きではありますね。ただ、いわゆるオタクのように、美少女人形を集めるとか、そこまではいっておりません。

 うーん、文明化は破滅への道ですか…。しかし、やはり私としては、今死にかけている人間を、呪術師がまじないかけて必死に治そうとしているのを見ると、やはりある程度教育は必要かな?と思えるんですよね、それがいらぬお節介であったとしても。
 それに、こういった方々の中にだって、先進国並の教育を受けたいと考えている人々も多いわけです。
 以前、とあるアフリカの(確かベナン共和国だったと思いますが)子供たちが、日本に留学していたベナン人が祖国に持ち帰った教科書に、かじりついていたシーンがあるんですよ。それを見て、ああ、彼らにももっと知る権利もあるし、当然きちんとした施設で学ばせる必要もある、と思ったことがあります。
 実際、周辺にはまともな学校さえ存在しないような地域です。しかし、彼らに、「お前らの地域が文明化すると、地球のキャパシティが持たないから、そのままでいろ」とはさすがに言えない。もしかしたら、その子供の中には、教育次第ですごく伸びる奴もいるかもしれない。そう考えると、やはりある程度教育は必要だろう、さすがにまじないや迷信だけに頼るような文化ではいかんだろうと思うようになったのです。
 ただ、これはあくまでも私の感情論です。管理人様のおっしゃるような地球のキャパシティまで考えたら、文明化を推し進めるのも危険ですが、しかし、自分だけ文明の恩恵にあずかっていて、あんたらは未開人のままでいろというのはさすがに言えないです。

・・解決策・・
雑草Z
    ハイパーポン太さん

 大航海時代のような、望んでもいないのにキリスト教と文明化の押し売りには大反対の私ですが、相手が望んだ場合の文明化、 今回のコメントの最後の結論

>自分だけ文明の恩恵にあずかっていて、あんたらは未開人のままでいろというのはさすがに言えないです。

 は私も同感です。でも、もう既に限界を超えている地球のキャパシティまで考えたら、途上国と呼ばれる国の人々を、少なくとも(多くとも?)現在の欧米レベルまで物質レベルを上げる事は危険極まりないだけでなく、物理的に無理でしょう。
 そのことについては以前触れています。
【『発展途上国』という言葉】http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-6.html
対策まではこちらです↓
【「途上国」を開発する事の意味】
http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-237.html

 ひと言で言うと、選択の余地はなく
先進諸国が、物質、エネルギー的な生活水準を下げて途上国に合わせるしかないということです。

 それが嫌なら、人口を極端に減らすしかありません。
地球の環境負荷は
個人が起こす環境負荷の全人口の総和ですから・・・

 ×××× ×××× ×××× ××××

 職業を点々とすることは、悪いことではないでしょう。今の日本のシステムでは自分にとって不利で不公平だというところでしょうか。?環境負荷の面で言えば、贅沢品をどんどん浪費する金持ちを悪と呼ぶべきでしょう。 
これからも宜しくお願いいたします。 

先進国を引き下げるというよりも…。
ハイパーポン太
 世界全体が平均的な(極端な差がない)文化レベルに達することが望ましい…という言い方をすれば、マルクス主義の亜種となってしまいますが、しかし、やはりある程度遅れている地域にはやはり多少なりとも発展を、進み過ぎた地域には何らかの引き下げを、というのが基本的な未来像ですかね。
 だから、途上国レベルまで先進国を引き下げるのではなく、途上国と先進国の極端な差異があまり見られないくらいに平衡化する。こんな感じでしょうか。
 結局、あるレベルまでは資本主義的な経済発展も必要だった。しかし、それだけでは地球のキャパシティは持たなくなる時が(それが10年先か100年先かは不明)必ず来るので、やはりどこか抑制ないし退行も必要。
 
 最近ラビ・バトラが主張している「プラウト主義」なども(ついでに言うと、ラビ・バトラも輪廻転生の肯定者です。まあ、もともとはインドの経済学者で、その後、アメリカのとある大学の教授になったわけですから)基本的な考え方はそれに近いものでしょう。まあ、2010年までに、日本を中心としてプラウト主義が広まるとするのは、かなり無理がある主張ではありますが。私としては、プラウト主義(ないしは、それを発展させた経済学)は、今世紀前半に、ゆっくりと時間をかけてじわじわと浸透してくるのではないかと思っております。ラビ・バトラは、最終的には富裕層と庶民層の貯蓄の差が、最大でも2倍程度に収まるようにする、と語っておりますし、いまのところ、まずは10倍差を目指すというのが彼の主張ですね。
 基本的に、ラビ・バトラの経済学については私は肯定派です。もちろん、彼の経済学はあくまでも一つの考え方であり、それがそのまま今の世界に通じるとは考えておりませんが、いずれにしても、今のままでは地球のキャパシティは持たなくなるでしょうから。
 確か、2月に最新巻が出ているはずですので、暇と金があったら読みます。
 

アバウトにはそんなところでしょうか?
雑草Z
    ハイパーポン太さん

 持続可能な社会に移行する為の措置・・・と言う意味では、まだまだ色々あるでしょうが、経済レベルと言うか、物質レベルという事に関しては、今回ハイパーポン太さんが述べたような事に、一つの方策としてアバウトに賛成です。
そういう部分では、
>マルクス主義の亜種
と言われるのも容認するかと・・・まあ、私としてはカストロ路線と言ったほうがいいですが・・・(キューバは、ソ連と親しくしていても、はじめの社会主義路線は独自路線だったらしいです。)
 ちょっと細かい事を言わせて戴くと、

>ある程度遅れている地域にはやはり多少なりとも発展を、

と言う事は、いつも危険性を孕んでいます。そこには、昔ながらの自然農法や狩猟生活を楽しんでいた方も沢山いて、自給自足でのんびりした生活を楽しんでいる方もいるのに、
入り込んできた「先進国」の人々とつるんで自己の利益を貪る奴が存在して、その先進国の侵入者とつるんだ人間だけの希望で
遅れている地域  だから  発展を
という構図が存在しますから、

熱帯の楽園で勤めに出勤する必要もなく、気楽に家族と生活している部族を「文明化」するのはやめて欲しいものです。
たとえ、
>死にかけている人間を、呪術師がまじないかけて必死に治そうとして
も、信じる力が多少なりとも治癒に繋がるだろうし、薬付けの延命処置より悪いとはいえないかと・・・人口爆発もないし・・・

>ラビ・バトラ

>主張している「プラウト主義」
も知りませんが、その考え方には賛成です。
>最終的には富裕層と庶民層の貯蓄の差が、最大でも2倍程度に収まるようにする、と語っておりますし、いまのところ、まずは10倍差を目指すというのが彼の主張ですね。

も大筋で大賛成です。私はその前に、『収入打ち止め制度』と言うのを考えています。金持ちの収入はある一定額を超えたら全部税金に没収という・・・近々記事としてアップしましょうか?・・・その時はコメント宜しくお願い致します。



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コメント
この記事へのコメント
現在の経済成長がアブラを燃やすこととほぼ同義であることを考えると,ピーク以降の時代、経済は否応無しに縮小せざるを得ないと思います。人口の増加(=食料の増産)もほぼ、アブラの消費と軌を一にしてきました。
経済が失速し、世界の食料備蓄が2ヶ月分を切る、そういう事態がアブラのピークに端を発し、玉突きの結果かと思われます。言い換えれば、経済や人口は放っておいても縮小していくでしょう。地球という観点から見れば、いずれ、持続可能なところへ落ち着くだろう。それは必然。
問題は、いかにピーク以降の道のりを降りていくか、ということではないでしょうか。何しろ、人類と来たら上ることばかり考えてきたから、右膝下がりの思考法がわからない。
2008/01/22(Tue) 06:43 | URL  | rita #-[ 編集]
意図的に縮小するか、破局するかの違い。
 はじめまして rita さん。若干今回の記事の内容に対しては呼応してないコメントに感じますが、このブログの主題ともいえる主張に対するコメント有難う御座います。

>経済や人口は放っておいても縮小していくでしょう。

 はその通りだと思いますが、オイル埋蔵量もまだ沢山あり、枯渇までは何十年もあります。市場経済に任せて放って置くと、縮小は、制御不能の破局の形で現れるでしょう。経済は仕方ないとしても、それまでに破壊される環境もさらに増え、その場合の人口の減り方は悲惨な状況でしょう。飢え死に、殺し合い、人類が棲みにくい環境による死亡・・。その破局の衝撃を小さく抑える為にも、本格的破局による崩壊が始まる前に、経済も人口も意図的に縮小していければいいのですが、経済成長に洗脳された現在社会の人々に、そういうコンセンサスはなかなか得られそうにありません。
 ・・ならば、破局が早く始まったほうが、被害のレベルも相対的に大きくなく、人類に生き残るチャンスはあるのかも知れません。安全な下降はかなり難しいものになりそうです。
 
 
2008/01/22(Tue) 22:14 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
毎日更新を楽しみにしています。1日飛ばしの更新日(?)に更新されていない日はちょっとがっかりしています(笑)。このブログと、石油ピークについての論述ブログである以下のブログも参考にしながら、理想的な社会を考え、それを行動に移すことを希望とできればなぁと思っています。
http://oilpeak.exblog.jp/

石油ピークブログの2008/1/18の記述と同じ事をたまたま私が口走ったことがありました。すなわち日本の経済成長の減衰は「もったいない意識」の芽生え(再生?)が原因している可能性があるという見方です。楽観論といわれればそれまでですが、それを信じて発展させていくことには希望が持てるのではないでしょうか。

以下、私の持続可能な社会の作り方の妄想を語ります。あくまで妄想なのでいくらでも欠点はあると思いますが、ひとつの希望的方針としては面白いのでは無いでしょうか???

経済的・物質的に弱い国は滅ぼされてきたというのも事実ですが、情報化が発達した現在、世界からの目があるので大国であっても下手に小国を滅ぼすことは難しい気もします。事実人口数百万人の安定した国もあるわけですから。とはいえならずもの国家も存在します。国力に見合った国防力があれば外部からの侵略には怯えなくても良い気がします。

外部からの侵略が無いとすると、衣食住に必要な材料、エネルギーを自活することに注力します。関税の引き上げなどの政策を打てばそういう方向に誘導するこは可能でしょう。また、失業して暮らせないという状況をなくすために小農を推進させ自給農家を増やします。農業をしたくない人もいるでしょうから、そういう方には、一例としてリサイクル業界を担っていただく。リサイクルには賛否両論あり私も一部には否定的な意見を持っていますが、国際的な「円」の価値が落ちると、鉄・アルミなどの原料輸入が高くなります。そうすると自転車・ラジオなども基幹的なものまで作れなくなるので、リサイクルにより今ある資源を活用するのは妥当に思います。少し話がそれますが、家電や電子機器類に含まれる金属量を見ると日本には金が6800トンで世界の埋蔵量の16%。銀は6万トン、インジウムは1700トンで、それぞれ世界の埋蔵量の23%、61%に及ぶらしいです。これをリサイクルしない手は無い(?)
意外と安心して暮らせる低エネルギーで持続可能な社会が可能だったりしないでしょうか。

このようになんとなくできそうな(もう少ししっかりとした)プランを政治家が作ってくれると、日本人にはそういうことを実現する能力があると思うのですが楽観的すぎますでしょうかね…。

つっこみどころ満載(?)な内容ですが内容に責任は持ちません(笑)

P.S.
参議院インターネット審議中継で2007年分は検索できず、見られなくなってしまったのですね。時間があるときに川田龍平さんの勇姿を見ようと思っていたのでショック…。過去にいくつかは見て、薬害エイズのみならず環境問題でも良い質問されていたので、楽しみにしていたのに。
2008/01/24(Thu) 11:26 | URL  | mao #-[ 編集]
この手の長尺のコメントいいですねえ。
    mao さん

 今年初のコメントは、今までで一番長尺になりましたね。内容もこれまでで一番気合が入っているようです。
 更新を楽しみにして戴き、本当に有難う御座います。頗る嬉しく感じます。 
 当方の<雑草の言葉>の更新日は、今年から、毎月4で割って1余る日、言い方を変えれば、奇数番目の奇数日、即ち、
1,5,9,・・29日にすることにしました。
 すると、一ヶ月に8回しか、記事をかけません。書きたいことはまだまだ次々ありますが、<雑草の言葉>にばかり時間をかけずに、他のことにも時間をかけようと考えたからです。まあ、どうしてももっと更新したいときは、偶数番目の奇数日・・日付を4で割って3余る日に号外を出そうかとも考えてます。当分この方針で更新するつもりです。

×××× ×××× ××××

>石油ピークブログの2008/1/18の記述

読ませて戴きました。
この記事に関する限り私と大体同じ考え方だと思いました。

>浪費社会の限界を国民が悟りだした

と言うには程遠い浪費の量ですが・・私も楽観論は持ちたいですね・・。

>あくまで妄想なのでいくらでも欠点はあると思いますが、ひとつの希望的方針としては面白い

 面白く読ませて戴きました。現実が酷すぎる分、このような方策は、理想論的になってしまうのは仕方がありません。私もそうなってしまいます。でも大筋の流れとしては、素敵な方針だと思いますし、
>小農を推進させ自給農家を増やします。
とか
私の考えとオーバーラップしている部分も多々あります。

>小国を滅ぼすことは難しい気もします。

そのとおりでしょうね。しかし、グローバル化で経済的な征服はしやすくなってるわけです。

>日本人にはそういうことを実現する能力がある

 日本人に限らず人間はそういう能力は、あると思いますが、欲望がそれを阻止するわけで、その富裕層の限りない欲望との戦いが大変なわけですね。・・そんな欲望ぐらいで人間が存亡の危機にあるわけですから、悲しいものがあります。

>農業をしたくない人もいるでしょうから、そういう方には、一例としてリサイクル業界を担っていただく。

ここがmaoさんの一番オリジナルな部分に感じます。大変面白い案だと思いました。

 みんながmaoさんの言うところの 
>持続可能な社会の作り方の妄想
を持つほどに環境問題をしっかり考えていれば、細部で意見の食い違いがあろうとも、人間社会も捨てたもんじゃないですね。
 読み応えの多い長尺のコメント本当に有難う御座いました。


P.S. ・・

川田龍平氏は、メルマガを発行しています。
川田龍平メルマガ:生きるって楽しいと思える日本へ。
     http://ryuheikawada.jp/
     http://ryuheikawada.jp/mag.html
ご意見・ご感想・お問い合わせ:
      office@ryuheikawada.jp
川田龍平公式ブログ
     http://ryuheikawada.seesaa.net/




    
2008/01/24(Thu) 22:46 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
民主国家間では
 少なくとも、民主国家間では戦争は起こっていないんですよ。私の知る限りでは。独裁国家対民主国家、独裁国家同士の戦争は確かにありましたが。
 こうしてみると、戦争を起こす最大の要因は一部の権力者、独裁者なのかもしれません。だから、国力を低下させる前に、まず周辺国家の民主化を促進し、なおかつ独裁体制が再び起こらないような仕組みにしなければならない。そのうえで相対的に武力を低下させ、それで緩やかに融合させた方がいいのかな?
 もちろん、ミャンマーやキューバに見られるような、開発独裁も時には必要ですが、それもやり過ぎると取り返しがつかないことになる。誤解されないか心配ですが、実はあのアドルフ・ヒトラーも、前半においては優れた指導者だったと言われております。だが、末路は自他ともに破滅。
 まあ、1000年位先の話となりそうですが、それまで人類が生き延びられるかは、保証の限りではないです。
 ついでに言うと、今の国連に「世界政府」みたいな能力は期待できません。中国のような独裁国家が拒否権を発動し、国連決議などいくらでも恣意的に無視できるんですから。そんな国が常任理事国というだけで、その資格などありません。
2008/02/06(Wed) 22:42 | URL  | ハイパーポン太 #-[ 編集]
民主国家・・・?
ハイパーポン太様。
下記の点に疑問があります。

>民主国家間では戦争は起こっていないんですよ。私の知る>限りでは。独裁国家対民主国家、独裁国家同士の戦争は確かにありましたが。

第一次世界大戦、太平洋戦争、ベトナム戦争などはこの規定ではくくりきれないのでは?

>ミャンマーやキューバに見られるような、開発独裁も時には必要ですが、

キューバは開発独裁とはいえないでしょう。
開発独裁とは70年代の韓国・朴政権、インドネシアのスカルノースカルト政権、フィリピンのマルコス政権、チリのピノチェト政権等が代表的なもので、アメリカや日本といった先進資本主義国家が自国の権益保護のためにODAや無償資金援助、武器の無償援助などで支えられた政治体制だと思うのですが。
キューバは政治的にはカストロによる独裁体制で、政治、思想、信条、情報の自由は保障されているとはいえませんが、大国主義におもねることなく自主独立の工夫した国家運営はされているのではないでしょうか。
開発独裁は必要とは思いません。恣意的な開発、工業化がもたらすすさまじい環境破壊や国民間の経済格差の拡大、民主化運動による多数の犠牲者の発生は容認できるものではありません。
2008/02/07(Thu) 10:14 | URL  | かんちゃん #-[ 編集]
不勉強で申し訳ない。
 かんちゃん様
 不勉強で申し訳ないです。キューバに関しては、開発独裁にはならないという指摘は、まことにおっしゃる通りだと思います。
>キューバは政治的にはカストロによる独裁体制で、政治、思想、信条、情報の自由は保障されているとはいえませんが、大国主義におもねることなく自主独立の工夫した国家運営はされているのではないでしょうか。
 この点において、私はカストロを評価しているわけです。少なくとも、経済は確かに苦しいが安定した国家体制は作り上げた。例えば、キューバの有機農業なども、いまでは一部の研究者の間で評価すべきという声も上がっているし、識字率向上だって、それまでのバティスタ政権ではありえなかったことだと聞いております。まあ独裁者と言われればそれはそうですと言わざるを得ないけど。ただ、これを開発独裁のカテゴリーに入れたのは間違いだったと反省いたします。

 ただ、開発独裁が不要とするのは、いささか疑問ですけどね。たとえば、アウンサン・スー・チー。なんだか、民主化のシンボルのように語られていますけど、彼女自身、ただ父親が「建国の父」とされているだけで、教育だってほとんどイギリスで受けたようなもの。おそらく、ミャンマー人としてアイデンティティーは薄いんじゃないですか?要するに、政治家としての実績もなく、ミャンマー人としての自覚にも薄い。能力は全くの不透明。おそらく、彼女の過去の発言や人格などから、どうにも理想や理念ばかりが先走り、かえって経済をひっかきまわしてミャンマーを混乱させるんではないかと思えてしょうがないのですが。
 結局、民主主義を根付かせるには、やはりある程度国内情勢を安定させ、そして経済基盤もそれなりの土台を築きあげておかないと失敗すると思います。そのビジョンがスー・チーの発言や態度から、いまひとつ見えてこない。だから、今のところ、ああいう軍政も必要悪ではないかと思えるわけです。
 もちろん、将来的には民主化してほしいです。いや、民主化するでしょう。経済が発展してくれば、民衆は自分たちの意見を反映してくれる政権を求めるようになるでしょうから。これは、多くの人々の願いでしょう。私も、それを願っています。
 たとえは悪いですが、ある意味ナチスだって前半期は開発独裁に近いものだったでしょう。ヨーロッパの中で「最も理性的」と言われ、もっとも民主的なワイマール憲法をもっていた国家でさえ、ヒトラーのような男を必要とした。実際、ヒトラーはわずか数年で、あのめちゃくちゃな経済を再生させたわけです。もちろん、一方で彼はユダヤ人への迫害を行い、非道の限りも尽くしましたが、負の部分だけでは語れない一面もあるんではないでしょうか?
  
 あと、戦争についてですが、これについては、もう一度よく調べなおしてきます。不勉強で申し訳ない。よく考えてみたら、民主国家対民主国家とか、独裁国家対民主国家といったように、簡単に分けられるわけありませんね、ベトナム戦争とか、太平洋戦争とかは。
 本当に不勉強で申し訳ないです。
2008/02/07(Thu) 11:12 | URL  | ハイパーポン太 #-[ 編集]
開発独裁・・・う~ん
ハイパーポン太様
よく勉強されているご様子ですね。お若い方なのでしょうか?
開発独裁に関してさらに言わしてもらうなら、おっしゃるとおりアウンサン・スー・チー氏という人はどういう人物かマスコミ報道からは判断しかねるところもあります。エリートといえる方なのでしょうね。政治的手腕は未知数です。昨年起きた民主化デモの中心を担った僧侶たちの迫害に対して何の行動も起こさなかったのはとても不可解です。保身を図られたのでしょうか。自宅軟禁というのは迫害を受けているとも言えるし、だから行動が出来ないんだという言い訳にもなりえるわけですから。他国の人間が無責任なことはいえませんが、自身を省みず街頭に立つべきだったと思います。自らを民主化のリーダーと認ずるのであればこそです。殺されていたかもしれません。が、国民と世界に対して政治姿勢がはっきりと提示できたと思われます。(誠に無責任で高慢な言い方で申し訳ありません)
にもかかわらず、開発独裁に関しては頷可できません。
以前韓国に旅行した際、案内をしていただいた人から朴政権時代を懐かしむ声を聞きました。そういう評価の仕方もあるのも事実です。ですが他に道はなかったのだといえるのでしょうか。韓国は「途上国」?から「先進国並み」?といえるところまで経済発展?をしており、政治的自由度もかなり高い国になりました。でも60年代から90年代にかけて民主化運動に関わった多くの人が亡くなったり、耐え難い苦しみを受けたりしました。痛ましいことだと思います。
韓国のある詩人が言っています。
「目の前に目指す山がある。ある人は出来るだけ平坦な道を選び、またある人は険しい道を選んだとします。でもどれが正し道であったかは頂上に立ってはじめて分かるのです。」
けして険しい道を選ぶことが正しい道だとはいえないかもしれませんが、独裁政治である以上民主化を求める名も無い人々の犠牲が要求され、多大な国民的エネルギーが消費されるのは間違いないことです。
2008/02/07(Thu) 13:10 | URL  | かんちゃん #-[ 編集]
もちろん…
 もちろん、こういった独裁体制が行ってきた悪事は、どこかで糾弾されなければなりません。これはけじめです。いや、それ以前の道徳論だと言われれば、そうなんでしょうが。
 私も、個人的な感情論から言えば、独裁体制などなくてもいいと思っているのです。すべての国が民主化され、政治的な自由が確立されるのはいつか…。そんなことを夢想したこともあります。まあ、本当に感情論なのですが。
 これは、独裁体制における一つの特徴なのですが、実に効率的な一面があるということです。もちろん、金正日のような馬鹿な指導者も中にはおりますが、独裁体制というのは民衆の意思を権力により統一してしまえるから、速やかに一つの国家目標に向けて行動を起こしやすい。また、仮に失敗があったとしても、国民に指導者を糾弾する権利はないから、指導者側としては、これまたスピーディーに政策変更を行える。民主国家なら…マスコミが騒ぎたて、民衆は面白おかしくお茶の間で愚痴をこぼす。しかし、実効性のある政策をすぐに打ち出せるものがいるかといえば、そうではない。少なくとも、効率的という点においては、独裁体制の方が(もちろん、指導者の資質の問題もありますが)優れている。
 だから、ヒトラーも速やかに経済の立て直しを行うことができた。彼は独裁者だから、憲法に違反しようと自分の周りが反対しようと、全く気にする必要もなかった。彼の思う通りに経済政策を行うことができた。その当時のマルクの魔術師と呼ばれたシャハト(だったと思います、ちょっと記憶があいまい)とともに、二人三脚で、あっという間に国を再興させたのです。数百万単位の失業者が、あっという間に1/10以下になったのもこのためです。アメリカも、恐慌による失業者増大のため、ニューディール政策などを行ったりしたのですが、当初見込んでいた半分の成果も出せなかった…というような話を聞いたことがあります。教科書なんかでは、大成功と教えられることもあったかもしれないが。
 結局、民主国家であるがゆえに、一部の指導者が完全にすべてをコントロールするということはあり得ない。自分の言うことを聞かないからと言って、すぐに追放すれば済むというわけでもない。だから、当時の大統領の思惑の、半分もやりたいことができなかったらしいです。
 まあ、長々と偉そうにしゃべってしまいましたが、結局のところ、独裁体制なんて厄介なものが必要悪となりうるのは、それだけ我々が不完全である証かもしれませんね。いつか、このような残酷な政治体制なしでも、人類は自分たちの生活をコントロールし、なおかつ地球との共存共栄の道を作り出せれば、これに越したことはないんですが、まだ我々には時間が必要なのでしょう。
 だから、1000年くらいの時間がかかると申し上げたのです。
2008/02/07(Thu) 20:18 | URL  | ハイパーポン太 #-[ 編集]
効率ですか・・・
>少なくとも、効率的という点においては、独裁体制の方が(もちろん、指導者の資質の問題もありますが)優れている。

政治に効率を求めるのはいかがなものでしょう。
私たちの国でもかつて大政翼賛会に始まり国家総動員法を経験していますが、行き着いた先に待っていたものは何だったでしょうか。
民主主義は手間の掛かる制度ですがそれゆえに大切なものと考えます。
ナチス体制を一面ではありますが評価されていますね。
あなたが言われるように経済は復興したのは事実ですが、その裏には連合国から課せられた賠償金の支払いを拒否したことがあったのです。下世話な言い方をすれば借金の棒引きを要求して居直ったわけです。しかも経済復興の牽引となったのは兵器産業ではなかったですか。ワーゲン社、ダイムラー社、クルプ社、シーメンス社、ハインケルン社等々。
揚げ足を取るわけではありませんが確かにナチスは効率的でした。アウシュビッなどの強制収用所では効率よくユダヤ人を処理していますね。(余談ですが、ユダヤ人の死体を処理した焼却炉は特許を取ったとか取らなかったとか)
最後に。開発独裁には軍という暴力装置が後ろ盾となっていることを忘れないでください。開発独裁の独裁者はほとんどの場合軍人です。この人たちに異議申し立てをするのは命を捨てて掛からねばならないのです。

2008/02/07(Thu) 22:07 | URL  | かんちゃん #-[ 編集]
部屋主不在のうちに議論が進んでますね
 この、<雑草の言葉>が始まって以来、私、雑草 不在のまま他の方々で議論が進んだのは初めての経験です(笑)
 いえいえ、失礼だ!と言ってるのではなく歓迎いたしてます。
 かんちゃんさんはもとより、ハイパーポン太さんもマスコミ等に惑わされない独自の見識をお持ちの方のようです。
 お二人のご意見ともに、非常に参考になり、面白く読ませて戴きました。

 実は私も、ここにも何度かコメント下さった事のある
TheorySurgery氏のブログ <The Black Crowes>で
<環境問題を考える>の近藤邦明氏と部屋主不在の激しい議論の応酬をした事があります。
http://feliscatus.blog77.fc2.com/blog-entry-54.html#comment

だから、どうぞお続け下さい。

 ハイパーポン太さんのはじめのコメント
>少なくとも、民主国家間では戦争は起こっていないんですよ。

に対して、かんちゃんさんが、私以上に素晴らしいご返答をされて、なるほどと納得しながら読ませて戴きましたが(かんちゃんさんが国際情勢にこんなに明るい方と言うことが垣間見られました。)
それとは別の観点から私のご返事もちょっと書かせて戴きます・・・。

 先ず、本文に書いているように、軍事的な事でなくとも、経済的に征服され得る事があるということです。こんな事いくらでも起こってます。いわゆる先進国が途上国に対して、経済的にがんじがらめにしている例は枚挙に暇がありません。戦争による征服の可能性に限定している訳ではありません。

 次に、「独裁国家対民主国家の戦争」と言う図式は、アメリカの戦争の合理化のプロパガンダの片棒を担いだステレオタイプ的発言に感じます。
第二次世界大戦後もアメリカは、10年の間隔も置かずに、直接、間接に絶えず戦争を仕掛けていますが、それを
「独裁国家対民主国家の戦争」と思われるのでしょうか?
 分別のつく人ならばアメリカ人でも、その戦争は、アメリカによる経済支配体制の強化などの意図が強いと感じると思います。逆に、国内から起こった革命を除いて、明らかに「独裁国家対民主国家の戦争」が第二次世界大戦後あったのでしょうか?どの戦争をさしていますか?


 後のほうの「開発独裁」(私はこの言葉聴き慣れていません)の議論ですが、私もかんちゃんさん同様、開発独裁は容認出来ません。ハイパーポン太さんの言うところの 
独裁体制における実に効率的な一面
は、言いたいことは良くわかります。
 独裁体制が有効な場合があるにしても、経済発展のためには政治的安定が必要であるとして行う独裁体制による「開発独裁」は、いい事などありません。格差と腐敗と環境破壊を生みます。それこそ、未開のままのほうがどんなにいいか・・・でも、未開のままでいようとすると本文の記事の言うようなパラドックスが存在するのです・・・・・。

 議論の腰を折ったかも知れませんが、ここで中断せずに、また議論を続けてください。私も時々参加させて戴きます。

   
 
2008/02/07(Thu) 22:15 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
うーん、難しい?
 議論というのは、実は私、慣れていないので、いささか感情的な部分もあるかもしれません。その点は反省いたします。私もまだまだ不勉強の身。かなり拙い部分もあるかと思いますが、よろしくお願いいたします。
  
 一部、ナチスを評価している部分もあるとのかんちゃん様から指摘がありましたが、そもそも絶対的な空くおかそういうものがない以上、どんな体制であれ、評価すべきところは評価すべきというのが私のスタンスです。それが結果的に、ヒトラー擁護のように思われたとしても。
 こんな話があります。確か、「痛快!憲法学」という本だったかと思いますが、著者の小室氏がユダヤ人の友人に、「もし私が、ヒトラーがユダヤ人を抹殺しようとしたことは、まことに素晴らしいことであった、と著作に書いたら、あなたはどうしますか(もちろん、小室氏自身はそんなことは考えておりません)」と尋ねたところ、そのユダヤ人は以下のように述べたと。
「我々にとって許せないことは、ガス室はなかったという主張である。これは歴史的事実に反するからだ。しかし、あなたが言うようなものは、それは個人の評価や考え方だから、それに批判をすることはあっても、出版停止させるようなことはしない」と語っておりました。
 基本的に、私もこのスタンスを取りたい(あるいは、私だけがそう思い込んでいるだけなのかもしれませんが)のです。たとえ、その体制がどれだけ残虐性、犯罪を帯びていたとしても、やはり評価するべき点は評価するべきです。これはナチス擁護論とは次元の違う話だと思います。
 ちなみに、小室氏も「痛快!憲法学」でもヒトラーの経済再生を「天才的」と評価しているし、「中国 地球人類の難題」井沢元彦氏も、やはり「奇跡」であると評しております。
 もちろん、その陰でヒトラーは非道の限りを尽くしたわけですし、彼が拡張したアウトバーンにしても、もともとはヨーロッパ中に戦車を円滑に送り込むために必要不可欠だったものでしょうから、ドイツの経済再生も、もちろん戦争に利用されたといえばそうでしょう。
 ここで私が思うのは、結局、ナチスをソフトランディングというか、その危険性を抑え、あれほどの大戦火になる前に緩やかに民主化させられなかったのか、ということです。少なくとも、ヒトラー肯定派も否定派も、前半期のヒトラーは、確かに優れた指導者だった、という点におては意見が一致しているらしいです。肯定派も否定派も一致しているということは、多分それが客観的な評価と言っても差支えないと思います。重要な転機点はミュンヘン会談だったのではないか。あの時、ヒトラーは周辺国家に脅しをかけてズデーテン獲得を成し遂げているわけですが、この様子を見て、チャーチルは「なぜあんな馬鹿な要求をのんだのか」と、ひどく憤慨したようですね。
 チャーチルの言い分では、たとえヒトラーが脅しをかけようが、そんなことはできないとはっきり断ればよかった。逆にこの割譲がヒトラーを勇気づけ、ポーランド侵攻へのきっかけになったのだ、と。そして「平和主義者が戦争を生んだ」とまで批判しているのです。要するに、安易に独裁者の脅しに乗って、彼のわがままに付き合ったばかりに、途方もない破壊が訪れたということです。
 まあ、いまさらいっても仕方がないことなのかもしれないが、少なくとも、ここでかじ取りを間違っていなければ、もしかしたらナチス体制だってある程度はソフトランディングさせられたのではないか?いや、仮にミュンヘン会談でヒトラーを無視しても、確かに戦争は起こったのかもしれないが、それでもあれほどの大戦争にはならなかったのではないか、どうもそういう気がしてならないのです。要するに、独裁国家ばかりではなく、その周辺国の対応の仕方にも非はあるのではないかと思います。
 一番悪いのは、そりゃあヒトラーでしょう。これは誰もが認めるところですが、不幸にもこういう独裁者を近くにもってしまった周辺国も、やはり責任があるのです。望むとのぞまざると。
 開発独裁に関する「腐敗」や「環境破壊」は確かにごもっともですが、残念ながら、我々が活動する以上「環境破壊」は起こりえるし、「腐敗」も、やはり付きまとうでしょう。要はそれが全体としてどの程度であるかということですが、まあこればかりはミャンマーに行ってみないと何とも言えません。ただし、スー・チーに現在のミャンマーを任せて大丈夫か?いや、それ以前に、スー・チーも実は欧米諸国に体よく利用されているだけなのではないか?そういう疑問もあります。スー・チーを利用して、欧米諸国が「経済的侵略」をたくらんでいると、言えなくもないのです。
 それに、「開発独裁」よりも「未開」の方がいいというのも、いささか許容できませんね。まるであのマルクス主義のご先祖ともいうべきルソーの「人間不平等起源論」を連想してしまいます。あれは人類は未開な野蛮人(彼は自然人と表現しております)の方がよかったと言っておりますし。
 民主国家対独裁国家という表現で、アメリカのプロパガンダ的と言われれば確かにそう認めざるを得ないところもありますが(この部分、私自身は不勉強でした)、しかし、独裁を不要、悪と切り捨ててしまうのも、どこかアメリカのプロパガンダ臭を感じてしまいます。
2008/02/08(Fri) 08:55 | URL  | ハイパーポン太 #-[ 編集]
すいません、連続投稿で。
 すみません、連続投稿になり申し訳ない。ただ、言い忘れていた部分があるので。

>政治に効率を求めるのはいかがなものでしょう。
私たちの国でもかつて大政翼賛会に始まり国家総動員法を経験していますが、行き着いた先に待っていたものは何だったでしょうか。
民主主義は手間の掛かる制度ですがそれゆえに大切なものと考えます。
ナチス体制を一面ではありますが評価されていますね。
あなたが言われるように経済は復興したのは事実ですが、その裏には連合国から課せられた賠償金の支払いを拒否したことがあったのです。下世話な言い方をすれば借金の棒引きを要求して居直ったわけです。しかも経済復興の牽引となったのは兵器産業ではなかったですか。ワーゲン社、ダイムラー社、クルプ社、シーメンス社、ハインケルン社等々。
揚げ足を取るわけではありませんが確かにナチスは効率的でした。アウシュビッなどの強制収用所では効率よくユダヤ人を処理していますね。(余談ですが、ユダヤ人の死体を処理した焼却炉は特許を取ったとか取らなかったとか)
最後に。開発独裁には軍という暴力装置が後ろ盾となっていることを忘れないでください。開発独裁の独裁者はほとんどの場合軍人です。この人たちに異議申し立てをするのは命を捨てて掛からねばならないのです。

 以上、かんちゃん様からの引用です。
 アウシュビッツの死体処理作業の効率化と政治の効率化は、いっしょくたにしてしまっていいものなのでしょうか。私は、あくまでも政治上の効率性を言っているわけです。あれは政治活動の一環に…(まあガス室に避けるナチス人員とか、輸送車とか、そういう損失なども含めれば、成果上の一環となりえるのだろうが)。
 それに政治にはやはり効率性は必要なんじゃないですか。まあ、それがヒトラーの独裁者の登場に結びついている一面もありますが、結局、日本のような平和な国ならまあ話し合いで少しずつというのも悪くはないですが、他の国ならそうもいかない現実がある。少なくとも、今のところは。
 もちろん効率性絶対マンセーというのならば、それは賛同しかねます。国ではありませんが、今の企業のリストラやアメリカ式経営のやり方を見ていればそうおもいますが、かといって、効率が悪くてもいいといえるのは、やはり安定した国か、もしくは周囲にさほど脅威となるものがない国なんじゃないですか。
2008/02/08(Fri) 10:17 | URL  | ハイパーポン太 #-[ 編集]
議論のための議論はそろそろ・・・
ハイパーポン太様
今一度あなたの言われていることを整理してみましょう。
1独裁体制も効率という観点からすると評価できる。
2経済的安定のないところに民主主義は成立しない。
この2点にどうやら集約できるかと思われます。
1に関して。効率的なのは当たり前でしょう。
軍という暴力装置を意のままにし、議会を骨抜きにし、側近を身内又はお気に入り又は同志で固めるているわけですから、面倒な手続きや話し合いは必要ない。朝決めたことが夕方には達成できこもとも可能でしょう。成功はプロパガンダに散々利用し、失敗や間違いを犯したところで誰も恐ろしくて批判はしない。効率をよしとするのであれば、それはそのまま独裁体制そのものをよしとするのですよ。
2に関して。開発独裁に特徴的に見られるのは富の偏在とどうしようもない経済格差です。「先進国」からつぎ込まれる資金によって無秩序な資源の開発や工業化が図られ、土地や生活基盤を奪われた多くの人が貧困にあえぎ、一方、体制とその存在に寄生している人たちは膨大な利益を得る。前者の人々が自分たちの権利や富の公平な分配を求め異議申し立てを行うのは当然でしょう。この行為が民主化ではないでしょうか。ですから、開発独裁自体がこのようなものである限りまず経済基盤の確立次に民主主義の図式ははなはだ非現実的です。
何度も申し上げるようですが民主主義は手間の掛かるものです。この場合の手間とは多様な議論と少数意見や立場の弱い人の存在を保障することでしょう。

先に書きました韓国の詩人は15年間政治犯として服役された後、獄中での不自由な生活のためか出所後わずか数年で亡くなられました。48歳の若さです。この人の詩集は日本でも発行されており、私の友人もその編集に関わっています。
大きく政治を議論することも大切ですが、現実にはかけがえのない人の命が無残に扱われているのも政治なのです。
ハイパーポン太様。勉強して「知識」を得ることは大事ですが「知識」だけが逆立ちして歩いているような議論はそろそろおしまいにしましょう。
・・・ね。
2008/02/08(Fri) 21:59 | URL  | かんちゃん #-[ 編集]
連続投稿歓迎致します。
    ハイパーポン太 さん

 こちらこそ宜しくお願い致します。
最近、今までよく知らなかった、大量虐殺で知られるカンボジアのポルポトも、はじめは理想主義に燃えていた事を知り、やってきたことも評価出来る部分もあると思うようになりました。
 ヒトラーはそれよりも酷いとは思いますが、全て完全否定でなく、少しは評価できる面もあるかも知れません。第二次世界大戦前後は、連合国側からは、日本もナチスと同じように見られていた部分もあるでしょう。だから、
>独裁を不要、悪と切り捨ててしまうのも、どこかアメリカのプロパガンダ臭を感じてしまいます。

 には共感出来る部分もかなりあります。しかし、かんちゃん氏の言うように
>経済の復興
と云う部分は全く評価しません。
「開発独裁」よりも「未開」の方がいいというのは、私の主張の大きな部分です。
開発=破滅への環境破壊

という図式は私の主張です。
 例えば、最近オーストラリアの新大統領が、移住したヨーロッパ人がアボリジニにして来た行為について謝罪することが話題になっています。

 未開という言葉は、自分を文明人だと云っている人達の勝手なレッテルで、アボリジニは別に開発を望んでいなかったのに、無理やり開発されて不幸になりました。・・・
開発=よい事
という、ここ数百年ほどの図式は、西洋人が征服して支配する為の洗脳であったと思います。元々の原住民の文化を破壊し、キリスト教を広めようという極めて思い上がった発想です。

 そして何より、これまで行われてきた開発は、持続可能な社会の成立を妨げています。
 
 ここのサイトは、環境問題のサイトですが、大きな目的の一つは、反経済成長です。
 現在主流の経済発展という概念自体価値観を持たないどころか、それが諸悪の根源と考えております。

ハイパーポン太さんの歴史や社会の洞察は素晴らしいものが沢山あると思いますが、環境問題に対する認識は、世間の多くの方々同様まだ浅いと感じます。現在既に、成長の限界に近づいていますし、スループットは20世紀末に限界を超えているのです。 
2008/02/08(Fri) 22:30 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
しかし、知識も重要なわけです。
 感情論としては、私も天安門事件で民主化活動家を弾圧した中国共産党や、かつての韓国の軍政、そしてミャンマーの軍政も、許すことはできません。しかし、心では許せないと思っていても、「感情論だけでは判断してはならない」私のスタンスでしょうか。
 開発独裁で、富の偏在があるとしても、民主国家だって格差が進行している以上(いや、アメリカなどを見れば、もしかしたら開発独裁国家以上に)、大っぴらにそれで批判することはできないと思います。
 一応、インドネシアのかつてのスハルトの例もありますし、全く非現実的ともいえないかもしれないですね。独裁から民主主義への移行というのも。韓国は…かつての軍政のトップが射殺されたから、これはちょっと違うだろうが。
 
>先に書きました韓国の詩人は15年間政治犯として服役された後、獄中での不自由な生活のためか出所後わずか数年で亡くなられました。48歳の若さです。この人の詩集は日本でも発行されており、私の友人もその編集に関わっています。
大きく政治を議論することも大切ですが、現実にはかけがえのない人の命が無残に扱われているのも政治なのです。

 これは自分の心としては「許せない」ですし、このような不幸な人物を生み出した独裁者も断罪されるべきものと考えております。
 しかし、政治や経済を語るときには、そういう感情論だけではどうしても処理しきれないものなのです。悲しいかな。
 また、知識が先走っているという指摘に関しては、私自身そうなのかなと反省いたしますが、どうしてもこういう話をするときには知識を優先させてしまうのは、私の癖みたいなものなのですかね。
 結局、現地に行ったって、きちんと内情を確認できるわけではない、しかも、歴史ともなればなおさら…となれば、やはり知識に頼らざるを得ないんですよ。だから、おっしゃる通り、独裁者の周りがゲッベルスみたいな連中だけになって、国内でも富の格差がある。それは現実だが、ではだからと言って開発独裁を不要と断言してしまうのは、あまりにも乱暴ではないかと思うわけです。どんな物事にもプラスもあればマイナスもあります。単純な道徳論や、善悪だけでは語れない部分があるのです。そして、その国家を取り巻く状況や時代背景なども視野に入れなければなりません。となると、やはり「知識」に頼るところが多くなる。だから、知識選考というのであれば、それは反省いたしますが、なるべくこういう議論は感情論よりも、知識を優先させた方がいいのではないか、というのが私の考えです。

 かんちゃん様はご友人が、かつての韓国の政治犯の詩集の出版に携わっていたようですが、それゆえそういった独裁体制の残虐性や非人道性にはお詳しいと思います。私以上に詳しいことでしょう。
 ですが、その詩集ですら、独裁体制下のおける一面しか写しだしていない。確かにそういうものに接する機会が多ければ、独裁体制に対する反発や批判は多くなると思いますが、かといって、全く負の部分ばかりだったといえるかといえば、そうでもない。賛否両論があってこその客観的な評価となる。そして、迫害される立場お人間が書いた本は、確かに事実ではあろうが、それは迫害された側からみた側面にすぎないのです。
 もちろん、自分で書いておいてなんですが、上の(今まで私が書いた)文章は、私自身気持の上では否定したいです。でも、安易にそうはできない現実があるんですね。だから、むしろ私は「独裁など不要」と言い切ってしまえる人間の方がうらやましいですよ。私はどうもそこまでは言えない。だから、議論というか、気持ち的な意見としては、「独裁なんかいらない」というのが、私の立場ですが、しかし知識に重点を置いた理性論としては「現実的にはそうもいかない」というのも私の立場です。ですから、感情論としてはかんちゃん様と同じ立場なわけで、別に論争しようというわけではない。ただ、私の文章に不快なところがあったとすれば、それは謝罪いたしますが、そこのところは理解していただければと思います。

 勘違いされないようここで私のスタンスを確認させていただきますが、私は独裁を「必要悪となることもある」と言っているだけで、「独裁の方が効率的だから、そちらの方が良い」と言っているわけではありません。
 しかも、「必要悪である」と断言しているのではなくて、「必要悪となることもある」ですから、そこも間違えないでいただきたい。
 いずれにしろ、その政権の評価は後世の人間が決めることでしょう。その時代の当事者よりも、後世の人間が資料の中から客観的に分析し、結論を出していく。その繰り返しです。
 
2008/02/08(Fri) 22:39 | URL  | ハイパーポン太 #-[ 編集]
また連続投稿になってしまった…。
 管理人様がおっしゃっているポルポト政権ですが、ポルポトは青年期は極めてまじめな青年で、彼を知る人は、とてもあのような恐ろしいことができる人だとは思えなかったといっているわけです。
 
 では、何が彼をあそこまでやらせたのか。ポルポトは、フランス留学時代にルソーの「人間不平等起源論」に心酔し、都市文明を憎悪するようになったと一説では言われております。まあ、確実に言えることは、彼はフランス革命のロベスピエールや共産主義で有名なマルクスなどと同様に、「ルソー教」の信者であったということです。だから、彼は首都から人民を追放し、農業地へ無理やり移住させて、農業主体の貨幣のいらない「楽園」を築き上げようとした。
 
 しかし、国内のインテリ層を虐殺したおかげで(眼鏡をかけているだけで、外国のスパイとされた例もある)、国内の教育、文化は完全に停滞(小学校の教師ですら、インテリ層として虐殺された)、もしくは破壊され、人民は完全奴隷状態と化した。
 
 結局、自然主体といえば聞こえはいいですが、無理な農業開拓により国土は疲弊し、医者や教師まで抹殺したことで、医療や教育はもはやないも同然。飢饉と疫病が蔓延し、一時期はあの北朝鮮よりもひどい状況に陥ったという話です。人口800万人のうち、たった4年間で200万人もの人民が「非正常死」したわけですから、破壊の規模や悪質さはヒトラーのユダヤ虐殺や毛沢東の文化大革命に匹敵すると考えられます。
 
 農業は確かに大事ですが、それを極端に推し進めた結果がこのありさまです。私の理想としては、都市と農業(文明と自然が共存した)のバランスが取れている社会なんですが、ポルポトのやり方は、ルソー尊師の教えにしたがい、ただやみくもに自然崇拝を推し進めたために、人民の愚民化、耕地の荒廃、さては都市のゴーストタウン化を促進し、いまだカンボジアにはポルポトの悪影響が残っていると聞きます。最近ようやく持ち直したようですが。

 要は文明崇拝も自然崇拝も、やり過ぎるとろくなことにはならないということです。資本主義も、やり過ぎると格差と環境破壊で立ち行かなくなる時が来る。かといって社会主義も、官僚化が進み過ぎて内部崩壊する時が必ず来る。
 自然か文明か、資本主義か社会主義か、民主主義か独裁か、といった二元論では、どうしても世界を維持することはできなくなるでしょう。時としては、資本主義の中にも社会主義的要素を取り入れるとか、都市の中にも自然を増やすとか、そういった臨機応変さも必要となってくるはずです。
「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」
 これに尽きると思います。

 「未開」に関してですが、まあ確かに白人の押しつけがましさには辟易しますが、それでも、ある程度の文化レベルというか(これも「文明国人」の驕りなのかもしれないが)そういったものに達する必要はあるんじゃないかなぁと思います。それを白人たちが人種差別の下に暴力的に行ったという面は、糾弾されるべきだとしても、それでも何らかの効果はあったのかなぁと。こればかりは私個人の考え方なので、なんとも言えません。
2008/02/08(Fri) 23:41 | URL  | ハイパーポン太 #-[ 編集]
>ある程度の文化レベル
 自ら文明人と名乗っている物量主義者達が、
「未開」と呼ぶ人たちを「文明化する」という発想は、驕り以外の何ものでもないでしょう。彼らが望むのならばいざ知らず、ほとんど無理やりですから。

彼らにも素晴らしい文化は存在するのに、

>ある程度の文化レベルというかそういったものに達する必要

 という発想は、彼らの文化を認めないという事でしょうか?彼らの文化は、十分持続可能なレベルで、現在の崩壊へ進むレベルより遥かに優れているとも考えられます。そして何より、それを続けたかったのです。
「文明化」ではなく「物量化」じゃないでしょうか?キリスト教の押し付け込みの。
 この物量文化は麻薬みたいな中毒性があって、その快適さに慣れると、戻りたくなくなるという破局への道も出来るのです。
 ハイパーポン太さんの社会に対する認識は、多くの財界人などよりも洞察も深いと感じます。現代社会では私の発想よりも遥かに受け入れられるものでしょう。しかし、それは、現在の効力の少ない環境対策と同様、破局への道から逃れる有効な方法だとはあまり考えられせん。
 私の社会に対する提言は、地球のキャパを考慮した(未知の部分が多く、アバウトにならざるを得ないのですが・・)持続可能という観点中心です。ここのブログはそういう観点で描いていますので、二元論というならば、
>自然か文明か・・・
とかではなく、
持続可能か不可能か
と云う観点です。そういう意味で「未開を開発する」という発想を否定します。
2008/02/09(Sat) 11:43 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
やはり難しい…?
 でも、私としては、「物量化」もある程度は必要だったのではないかと思います。もちろん、イギリスなどの植民地政策や、オーストラリアのアボリジニ迫害は、糾弾されるべきです。
 が、いまだに呪術師が重病人相手にまじないを施して、それで病気が治ると錯覚している種族がいるのを見ると、やはり、彼らもある程度の「物質的なもの」に関する知識が必要ではないかと思います。
 もちろん、白人連中は自分たちの欲望のためにこういった植民地政策を推し進めたのは事実でしょう。その結果、多くの文化が破壊されたのも事実です。
 ただ、これはインドの話なんですが、こういう信じられない話が21世紀にもあるものだなぁと思ったことがあります。インドのとある村で、ある一家が処刑されたのですが、その理由がなんと、魔法を使って村(12人が原因不明の疫病により死亡)に疫病をもたらしたから、というのが最大の理由らしい。
 まあ、これは「文化」とは言えないですが、しかしこういった「迷信」で魔女狩りみたいなことが起こっているという現実をみると、やはり物量的と言われても、多少なりとも、何らかの教育を施した方がいいのではないかと思えるわけです。
 そういう意味で、私は「何らかの効果はあったのかなぁ」と、極めてあいまいな表現ですが、書いたわけです。
 文化も大事ですが、それが迷信に結びつくと、このようなわけのわからない事件につながります。文化破壊をよしとは致しませんが、それでもやはり「物質的、物量的な(あるいは科学的)」な教育や知識も、もっていてしかるべきかと思います。そのうえで彼らの文化も保護する。この点は、確かに白人連中には欠けていたと思います。
 
 私の発言がどうしてもこちらのブログの趣旨とずれがちな発言が多いという点では反省いたします。
 持続可能か、不可能かという二元論ならば、そりゃあ持続可能論を支持します(笑)。
2008/02/09(Sat) 13:33 | URL  | ハイパーポン太 #-[ 編集]
文明化は非常に危険です。
    ハイパーポン太さん

 エコロジカル・フットプリントhttp://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-244.html
の観点から考えると
世界中の人々が米国人のような暮らしをはじめたら、地球が約5個以上なければならないなどと言われています。
それなのに、「文明化」の名の元の「物量化」は愚かな行為でしょう。持続可能なレベルを超えているわけですから、自ら先進国としての優越感を持っている人々が、彼らを「文明化」して、生産者、消費者などとして利用しておいて、今度は、これだけの数の人間が地上に同居するのは不可能だから死んでくれ・・・ってな事にならないとも限りません。

>呪術師が重病人相手にまじないを施して、それで病気が治ると錯覚している種族

はそれはそれで否定すべきでないと思います。
 そこを文明化して人口爆発を招き、もっとずっと深刻な飢餓や殺し合いを招いた事は記憶に新しい史実です。それどころではなく、この文明化によって、彼らの住んでいる地域の自然の恵みも破壊され、自給的な生活も出来なくなったのです。

 魔女狩りみたいなことは、その名の通り、当時の文明国ヨーロッパで実際に起こった事ですし、また別のお話でしょう。

×××× ×××× ×××× ×××× ××××

>こちらのブログの趣旨とずれがちな発言

という事については、気を遣われなくて結構です。ここのサイトは仲良し倶楽部ではありませんから・・。
 ハイパーポン太さんのコメントはこちらのサイトの趣旨と全く違うわけでも御座いません。十分に御返事するのに値する内容です。もっとバリバリの頭の固い経済成長主義者からコメント来た事も有りますが、彼とのような不毛な議論にはならないでしょう。
 勿論スパムコメントの類は削除しますし、あまりにお門違いなコメントは適当にあしらうか、相手にしない旨そのまま伝えてます。

×××× ×××× ×××× ×××× ××××
 
 ところで、ハイパーポン太さんは、近代史や世界情勢にもお詳しいようですが、そういう事を専門にされていた(る)のですか? 得意とする分野はどんなジャンルでしょうか?
当方は、現在こんな文明論に近いことを多く描いていますが、文明論は、最近のマイブームです。歴史は不得意です(笑)。かつての専門は物理系でした。 
 
2008/02/09(Sat) 16:39 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
いや、実際にはそれほどでもない…。
 実際のところ、私の知識なんて大したことはありません。また、専門家にすらなれない半端ものです。職を転々とし、つい最近まで職業訓練を受けていただらしのない半端ものですよ。

 歴史や世界情勢というよりも、例えば漫画やゲームの登場人物を分析し、カテゴライズしたりとか、WIKIに投稿したりとか、そういう作業が好きではありますね。ただ、いわゆるオタクのように、美少女人形を集めるとか、そこまではいっておりません。

 うーん、文明化は破滅への道ですか…。しかし、やはり私としては、今死にかけている人間を、呪術師がまじないかけて必死に治そうとしているのを見ると、やはりある程度教育は必要かな?と思えるんですよね、それがいらぬお節介であったとしても。
 それに、こういった方々の中にだって、先進国並の教育を受けたいと考えている人々も多いわけです。
 以前、とあるアフリカの(確かベナン共和国だったと思いますが)子供たちが、日本に留学していたベナン人が祖国に持ち帰った教科書に、かじりついていたシーンがあるんですよ。それを見て、ああ、彼らにももっと知る権利もあるし、当然きちんとした施設で学ばせる必要もある、と思ったことがあります。
 実際、周辺にはまともな学校さえ存在しないような地域です。しかし、彼らに、「お前らの地域が文明化すると、地球のキャパシティが持たないから、そのままでいろ」とはさすがに言えない。もしかしたら、その子供の中には、教育次第ですごく伸びる奴もいるかもしれない。そう考えると、やはりある程度教育は必要だろう、さすがにまじないや迷信だけに頼るような文化ではいかんだろうと思うようになったのです。
 ただ、これはあくまでも私の感情論です。管理人様のおっしゃるような地球のキャパシティまで考えたら、文明化を推し進めるのも危険ですが、しかし、自分だけ文明の恩恵にあずかっていて、あんたらは未開人のままでいろというのはさすがに言えないです。
2008/02/09(Sat) 21:18 | URL  | ハイパーポン太 #-[ 編集]
・・解決策・・
    ハイパーポン太さん

 大航海時代のような、望んでもいないのにキリスト教と文明化の押し売りには大反対の私ですが、相手が望んだ場合の文明化、 今回のコメントの最後の結論

>自分だけ文明の恩恵にあずかっていて、あんたらは未開人のままでいろというのはさすがに言えないです。

 は私も同感です。でも、もう既に限界を超えている地球のキャパシティまで考えたら、途上国と呼ばれる国の人々を、少なくとも(多くとも?)現在の欧米レベルまで物質レベルを上げる事は危険極まりないだけでなく、物理的に無理でしょう。
 そのことについては以前触れています。
【『発展途上国』という言葉】http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-6.html
対策まではこちらです↓
【「途上国」を開発する事の意味】
http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-237.html

 ひと言で言うと、選択の余地はなく
先進諸国が、物質、エネルギー的な生活水準を下げて途上国に合わせるしかないということです。

 それが嫌なら、人口を極端に減らすしかありません。
地球の環境負荷は
個人が起こす環境負荷の全人口の総和ですから・・・

 ×××× ×××× ×××× ××××

 職業を点々とすることは、悪いことではないでしょう。今の日本のシステムでは自分にとって不利で不公平だというところでしょうか。?環境負荷の面で言えば、贅沢品をどんどん浪費する金持ちを悪と呼ぶべきでしょう。 
これからも宜しくお願いいたします。 
2008/02/09(Sat) 23:38 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
先進国を引き下げるというよりも…。
 世界全体が平均的な(極端な差がない)文化レベルに達することが望ましい…という言い方をすれば、マルクス主義の亜種となってしまいますが、しかし、やはりある程度遅れている地域にはやはり多少なりとも発展を、進み過ぎた地域には何らかの引き下げを、というのが基本的な未来像ですかね。
 だから、途上国レベルまで先進国を引き下げるのではなく、途上国と先進国の極端な差異があまり見られないくらいに平衡化する。こんな感じでしょうか。
 結局、あるレベルまでは資本主義的な経済発展も必要だった。しかし、それだけでは地球のキャパシティは持たなくなる時が(それが10年先か100年先かは不明)必ず来るので、やはりどこか抑制ないし退行も必要。
 
 最近ラビ・バトラが主張している「プラウト主義」なども(ついでに言うと、ラビ・バトラも輪廻転生の肯定者です。まあ、もともとはインドの経済学者で、その後、アメリカのとある大学の教授になったわけですから)基本的な考え方はそれに近いものでしょう。まあ、2010年までに、日本を中心としてプラウト主義が広まるとするのは、かなり無理がある主張ではありますが。私としては、プラウト主義(ないしは、それを発展させた経済学)は、今世紀前半に、ゆっくりと時間をかけてじわじわと浸透してくるのではないかと思っております。ラビ・バトラは、最終的には富裕層と庶民層の貯蓄の差が、最大でも2倍程度に収まるようにする、と語っておりますし、いまのところ、まずは10倍差を目指すというのが彼の主張ですね。
 基本的に、ラビ・バトラの経済学については私は肯定派です。もちろん、彼の経済学はあくまでも一つの考え方であり、それがそのまま今の世界に通じるとは考えておりませんが、いずれにしても、今のままでは地球のキャパシティは持たなくなるでしょうから。
 確か、2月に最新巻が出ているはずですので、暇と金があったら読みます。
 
2008/02/11(Mon) 12:57 | URL  | ハイパーポン太 #-[ 編集]
アバウトにはそんなところでしょうか?
    ハイパーポン太さん

 持続可能な社会に移行する為の措置・・・と言う意味では、まだまだ色々あるでしょうが、経済レベルと言うか、物質レベルという事に関しては、今回ハイパーポン太さんが述べたような事に、一つの方策としてアバウトに賛成です。
そういう部分では、
>マルクス主義の亜種
と言われるのも容認するかと・・・まあ、私としてはカストロ路線と言ったほうがいいですが・・・(キューバは、ソ連と親しくしていても、はじめの社会主義路線は独自路線だったらしいです。)
 ちょっと細かい事を言わせて戴くと、

>ある程度遅れている地域にはやはり多少なりとも発展を、

と言う事は、いつも危険性を孕んでいます。そこには、昔ながらの自然農法や狩猟生活を楽しんでいた方も沢山いて、自給自足でのんびりした生活を楽しんでいる方もいるのに、
入り込んできた「先進国」の人々とつるんで自己の利益を貪る奴が存在して、その先進国の侵入者とつるんだ人間だけの希望で
遅れている地域  だから  発展を
という構図が存在しますから、

熱帯の楽園で勤めに出勤する必要もなく、気楽に家族と生活している部族を「文明化」するのはやめて欲しいものです。
たとえ、
>死にかけている人間を、呪術師がまじないかけて必死に治そうとして
も、信じる力が多少なりとも治癒に繋がるだろうし、薬付けの延命処置より悪いとはいえないかと・・・人口爆発もないし・・・

>ラビ・バトラ

>主張している「プラウト主義」
も知りませんが、その考え方には賛成です。
>最終的には富裕層と庶民層の貯蓄の差が、最大でも2倍程度に収まるようにする、と語っておりますし、いまのところ、まずは10倍差を目指すというのが彼の主張ですね。

も大筋で大賛成です。私はその前に、『収入打ち止め制度』と言うのを考えています。金持ちの収入はある一定額を超えたら全部税金に没収という・・・近々記事としてアップしましょうか?・・・その時はコメント宜しくお願い致します。

2008/02/11(Mon) 18:55 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
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