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2007-10-03 00:01
 『日本は天然資源の乏しい国で、日本が国際社会の競争の中で生き残って行くためには、これまでどおり人的資源を育成するしかありません。』
と言う、もっともらしい論理
が21世紀になった今日でもまことしやかに語られています。。
 でも、その論理は本当に21世紀の日本でも通用するのでしょうか?

 ちょっと本題とは外れますが、先ず、『人的資源』と言う言葉が気になります。これって再生可能な森林資源のように、人間をその言葉通り『資源』として扱っているようです。再生可能と言えば聞こえはいいですが、「使い捨てにしても代わりがある」というニュアンスも感じます。まるで企業の経営者の所有物か、傭兵、奴隷のような表現でもあります。
 同じような表現で『人材資源』と言うのもありますが、派遣会社のような響きがあります・・・。
『人材』も『人的資源』も、人間を使い捨てにするような響きがします。自分を支配者と考える資本家からの発想のような語感です。

 まあ。そのような語感は置いといても、この論理こそ、人類の持続の可能性をぐっと低めた、悪しきグローバリゼーションの考え方に直結するものでしょう。

 こんな事が言われたはじめたのはきっと20世紀になってからの事でしょう・・。第二次世界大戦後の高度経済成長の時代になってからでしょうか?
 こんな表現を初めて聞いた子供の頃は、なるほどそうなんだと納得したものですが、納得してしまうところがグローバリズムのマインドコントロールです。

 20世紀後半にそんな発想を否定しなかったから、世界、特にアジアにおける日本の傍若無人のやりたい放題が始まったのではないでしょうか?そして東南アジアなどの発展途上国と呼ばれる国々の自然環境を悲惨な状態まで破壊していったのです。

 グローバリズムは、『国際分業』、『正当な競争』と言う一見合理的な発想を根拠としているようですが、実際は持続可能な社会の形成の妨げとなる自然の世界の根本原理を理解しない愚か者の発想です。

 世界各国が自由競争の国際競争中心にやっていれば、環境負荷は増える一方です。『発展途上国』と言う言葉は嫌らしい言葉ですが、その名の通り、途上国ですから次第に工業化されてきますし、今後、日本が工業のアドバンテージをキープするのは至難の業ですし、そんなことに躍起になっているうちに、環境汚染は進む一方です。
 日本は、たとえ天然資源が乏しくとも・・・まだ森林は世界有数の保有国なのですから・・・自給自足の出来る国に戻るべきです。人口が多すぎて無理と言うのなら、無理でなくなるまで人口を減らすべきなのです。
 『人材の育成』の名の下に、企業戦士をどんどん育てていくような教育は、日本に限らず世界中で早く終わりにさせなければ、人類の歴史が終焉を迎えるでしょう。
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【2007/10/03 00:01】 | 社会・経済 トラックバック(0) |
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