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2007-07-05 23:05
昔、川で泳ぐのが危険だなんて、何故騒ぎ立てたのだろう。水泳のレースなら、プールの方がいいに違いないが、泳いで遊ぶなら、プールより海が面白い。そして、海より川の方が断然面白い。
 学校にプールが完備されはじめたのは、いつ頃だろう?若しかしたら、これもゼネコンなどのプロパガンダだったかも知れない。そりゃあ、プールで泳ぐよりは、川で泳ぐ方が危険だろうけれど、川で泳ぐ事を学校教育でなされていたら、川も今ほど汚染されず、魚も沢山いて、今でもいたるところで泳げるくらいにきれいでメダカもそこここで見られたかも知れない。 
     
 私が岩手県に転校した時、小学校にプールはなく、小学校で川に連れて行かれて泳いだのを覚えている。子供心にもプールでなく川で泳ぐのは、凄いことだと思った。まだ、しっかり泳げる前だったから、流れがあって泳ぎにくい感じはしたけれど、頗る面白かった。
 小学校高学年になって、プールを作ろうと運動がおこって、寄付金まで集めてプールが出来上がった。普通の都会の学校と同じくなって、それはそれで面白かった。川で泳いだことはそれほど恋しいとは思わなかった。・・・その頃は、プールに水カマキリがよく入ってきたのがやけに印象深い。・・・急な流れや深いところがあって危険な事と、農薬などで汚染されていることで、川で泳ぐのは、都会並に禁止された。・・・・そういう流れに乗らない郡上八幡とかは、 素晴らしい!・


 私も、川で泳がなくなった。・・・流れは魅力だったが、農薬や化学薬品で汚染された川では泳ぎたくないと思った・・・。

 私が育った岩手県一関市の萩荘(はぎしょう)地区には、北上川の支流の磐井川が流れていた。小さい頃は福島県の砂や砂利の下流のような川を見て育った私にとって、岩場が多く、野趣溢れる磐井川は素晴らしいところであった。父も磐井川が好きで、よく父と自転車で出かけた。その他友達と行ったり、一人で行ったりしていた。化石が取れる場所があり、化石取りにはかなり嵌った・・・磐井川のこの化石がとれた場所を釜ヶ渕と云う。
 釜ヶ渕には遊泳禁止の看板が立ててあった。
丁度一番危なそうな場所だ。岩場が、川の下流に向かって何メートルも長く張り出していて、その下流側が恐ろしく深い。一見底なしのような深さだ。それだけではない。その川に張り出した岩場の下に穴が入り込んでいる。・・・かつて溺れ死んだ少年が、その岩場の下から出てきたなんて話も残っていた・・・。


 非常に深い渕である。近くの高専(工業高等専門学校)から、実験などの汚い廃液が流れ込んでいた。農薬だって無節操に使われていた時代だと思う。
 高校生以上になって、釜ヶ渕で泳ぎたいと思った。禁止されていたから逆らってみたいのではなく、本当に魅力的な冒険であった。恐ろしいと同時に非常に面白そうな場所であった。はじめは一人で、後に高校時代の友達二人を加えて3人で泳いだ。はじめは、突き出た岩場と下流の岸の間を横断した。だんだん慣れて来たら、底まで潜る為に漬け物石くらいの石を持って、突き出た岩場から深い渕に飛び込んだ。耳がキーンと鳴った。漬け物石から手を離すと水面に飛び出た。スリルと恐怖が同居して面白かった。意外と浅く、すぐ底まで着けた。・・・深さは3~5mくらいか?突き出た岩場の下の穴にも入ってみたが、流石にちょっと入っただけで引き返した。


×××××××××××××××××××××××××××××× 
 ある日、数人の小学生も浅瀬で水遊びや魚救いをやっていた。渕の深みで泳いでいたのは我々3人だけだったと思う。小学生が急に騒ぎはじめた。足の立たない深みで水から頭を出してみると、川岸の薮の中から、緑の小人みたいなものが飛び出して来て、我々が泳いでいる渕に飛び込んだ。何だぁ~あって、あっけにとられていると、飛び込んだ緑の生物が私からほんの数メートルの所から頭を水の上に出した。赤ちゃんぐらいの顔の大きさで、逆三角形の形で顔中緑色。私と目が合うと、おじぎのように頭をこっちに向けて垂れた。・・・こちらに向けた頭の上は、ゼリーのような質感であった。・・・これが、河童の皿だろうか?
 「河童だ!河童だ!」水辺の小学生たちが騒ぎはじめた。・・・その生物・・河童?は水に深く潜り込むと、突き出た岩場の下に入り込んだ穴の下に消えて行った。我々3人は、恐ろしくなり急いで水からあがった。それから小学生たちと岸の上からその「河童」を探したが、二度と姿を現さなかった。・・・  
 水の上で小学生の最年長らしき子供は、
「ここで溺れ死んだ人は、みんな河童に足を引きずり込まれて、尻子玉(しりこだま)を抜かれて死んだ」
とか、「岩場の下の穴はずっと続いていて、薮の中に出口がある」
とか、おじいちゃんから聞いた話とか言って、盛んにしゃべっていた・・・・。日が暮れたので、興奮冷めや
らぬまま、おのおの土産話を持って、帰路についた・・・・
××××××××××××××××××××××××××××××


 この話をすると、何故かみんな疑いもなく信じた。特に釜ヶ渕の神秘的な景色を知っている者は、
 「あそこならさもありなん」
て思ったからではないであろうか?
 私は、かなり遊び心はあって、イタズラ好きだが、虚言僻はない。
でも当時この話を聞かせた奴はみんな信じたので、いい気になって、いくつかの場面で何人かの人間にこの話をした。
 去年、家族と丁度近くを通りかかったとき、懐かしくなって、家族にもその風景を見せたいと釜が渕に行ってみた。釜ヶ渕のある河原に下りようと思ったら、降り口が閉鎖されていた。別な降り口もなくなっていた。降り口を探したが見つからず、釜ヶ渕にたどり着けないどころか、上から見ることさえ出来なかった。
 日暮れで時間もなかったので、仕方なく帰った。
色々開発が進んで、地理が変わっていた。不法投棄でもされていたら残念だ。
 どうなったか是非とも近いうちに確かめたい。
こう云う魑魅魍魎とした話って、信じないけど面白い!

 ちなみに、このカッパの話を聞いて、初めて嘘だと発言した者は・・・話を聞いている途中に彼は突然思いあたる事があって、私に次のように言い放った。

 「その時一緒に泳いでいた高校の友達って俺達の事か・・あんときのことだべ?・・じゃあ、作り話か!?(笑)しょうもねえ!!!」
 
 
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【2007/07/05 23:05】 | 思い出 トラックバック(0) |

雑草Zさん、こんばんは。
TF(霧島)
いつもどうもです。

カテゴリー「思いで」の中にありましたよ。(笑)

そうですか、萩荘は、宮城県に近いほうなんですね。。。
変わっていたのは、厳美渓の手前あたりですね。
バイパスみたいな立派の道路ができていて、
鉄筋コンクリート造りの大きな旅館、かんぽの宿
なんかができていましたね。

こちらこそ、宜しくお願いします。それでは。



萩荘
雑草Z
    TF(霧島)さん

 
 コメント有難う御座います。カテゴリー「思いで」の古い記事まで読んで戴いて恐縮です。

「萩荘」と言う言葉に吃驚!反応してしまいました。郷愁を感じる地名です。

萩荘は、一関市の南西部です。丁度厳美地区と東西に続く境界線を接しその南部に在ります。
 私が住んでいた頃は、県道だった457号線が通り、一関市内から出て宮城県の岩ヶ崎へ抜けます。分岐して栗駒ダムの方へ行く道です。
 市内から厳美渓への手前だったら、赤萩(あこうぎ)地区ではないでしょうか?

町も発展しないで昔のままであって欲しいものです。
 ・・・なんかローカルな懐かしい響きのお話です。

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この記事へのコメント
雑草Zさん、こんばんは。
いつもどうもです。

カテゴリー「思いで」の中にありましたよ。(笑)

そうですか、萩荘は、宮城県に近いほうなんですね。。。
変わっていたのは、厳美渓の手前あたりですね。
バイパスみたいな立派の道路ができていて、
鉄筋コンクリート造りの大きな旅館、かんぽの宿
なんかができていましたね。

こちらこそ、宜しくお願いします。それでは。

2008/05/30(Fri) 22:31 | URL  | TF(霧島) #7N7Co19A[ 編集]
萩荘
    TF(霧島)さん

 
 コメント有難う御座います。カテゴリー「思いで」の古い記事まで読んで戴いて恐縮です。

「萩荘」と言う言葉に吃驚!反応してしまいました。郷愁を感じる地名です。

萩荘は、一関市の南西部です。丁度厳美地区と東西に続く境界線を接しその南部に在ります。
 私が住んでいた頃は、県道だった457号線が通り、一関市内から出て宮城県の岩ヶ崎へ抜けます。分岐して栗駒ダムの方へ行く道です。
 市内から厳美渓への手前だったら、赤萩(あこうぎ)地区ではないでしょうか?

町も発展しないで昔のままであって欲しいものです。
 ・・・なんかローカルな懐かしい響きのお話です。
2008/05/31(Sat) 10:45 | URL  | 雑草Z #SAV8FvZY[ 編集]
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