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2015-06-29 00:01
最近読んでいた本に「超国家企業」と言う表現が何度も出て来ました。最初は「多国籍企業」の別表現だな、「多国籍企業」で十分なのに紛らわしいな・・・と思いながら読み進めました。・・・私に限らず、殆どの人が「多国籍(大)企業」と「超国家企業」を同じ意味で使っていることと思います。
・・・その洞察は、それはそれで妥当かと思いますが、何度かこの表現を目にしたとき、「超国家企業」は「多国籍企業」の進化形(凶悪化形)とも言え、これまでここ<雑草の言葉>の記事で私が「多国籍企業」と表現して来たものは21世紀の現在は「超国家企業」と表現した方がよりニュアンスが伝わる・・・と感じるようになりました。何故「超国家企業」と言う表現を敢えて使ったかが見えて来たからです。だから以後、これまで「多国籍企業」と表現していたものを「超国家企業」と表現する事にしようと思います。

先ず「超国家企業」を連呼していた件の本;『衰退する現代社会の危機』に従って「超国家企業」を定義致します。
超国家企業とは、多国籍企業の21世紀に進化・変異した形態であり、21世紀の新しい称号です。アメリカの調査会社「FORBES2000」にランクインされている2000社を念頭に置いているとの事です。
20世紀に「多国籍企業」として台頭してきました。
これら超国家企業2000社は、2008年~2009年の金融危機以降も売り上げの数%を毎年利益として上げて、年々肥え太っています。
超国家企業2000社といわゆる先進国群(アメリカ・日本・ヨーロッパ・オーストラリア)と比べる興味深い(恐ろしい)表が件の書物に載っています。それによると2007年の超国家企業2000社の売上高は30兆ドルで先進国群は36兆ドルでほぼ同レベルに達しています。そして、超国家企業2000社の総資産は119兆ドルですが、先進国群はマイナスです。(国家負債40兆ドル以上)。その結果、財政収支は、超国家企業2000社は2.4兆ドル/年 に対し、先進国群は、-2兆ドル/年 です。即ち、年々超国家企業の利益は増え続け、先進国家群は負債を抱えて格差は広がるばかりです。国家の負債は、肥え太っている超国家企業への「資金援助」による部分が大きいのですから、開いた口が塞がりません。各国政府は様々なバブル崩壊に際して、超国家企業(特に「超国家金融企業」)に救済名目などで財政を投入し、さらには法人税減税まで行ってきました。即ち、国家は、体よく(国民の預金の保護、失業の回避等)国民の税金を超国家企業に投入して、自らは赤字財政で苦しんで、デフォルトの危機にさえ瀕しているのです。
改めて「超国家企業」と言う名を考えてみます。「国家の経済力を超えた大きな経済力」と言う意味以外に「国家と言う枠を超えた権力」と言う意味も見出せます。即ち、彼らには「国家の中の企業」と言う意識は薄くなって(若しくは皆無になって・・・アメリカの多国籍企業が典型例・・)国家から独立した存在のように振る舞うようになったのです。超国家企業は、「多国籍企業」が主体ですから、国民・国家の福祉・繁栄に寄与する気は無く、自らの利益を追及しているのです。利益は労働者には還元せず、海外移転、海外投資に回し、労働者はどんどんリストラや非正規化して賃金を引き下げています。労働者は単なる資本の一形態とみなしているのです。それなのに国家は超国家企業に奉仕しているのです。「泥棒に追い銭」。政治家の多くが超国家企業の傀儡・エージェントで、超国家企業は、世界中の国家を隷属化しようとしているのです。


(長くなりそうなのでここで一端切りまして<続く>とさせていただきます。・・・「超国家企業」の問題は、西欧の大航海時代の植民地化と同じように大問題化しつつありますので、いくつかテーマを設けて論じていきたいと思います。)


参考文献:
衰退する現代社会の危機  松久 寛 監修  中西 香著  日刊工業新聞社
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【2015/06/29 00:01】 | Economic Fascism トラックバック(0) |

御用商人
爽風上々
超国家企業といっても政治と無関係なわけではなく、政治を最大限利用して利益を上げます。
このような存在と言うものはかつての封建国家や独裁国家でもあり、日本では御用商人、政商などと呼ばれていました。
政権から莫大な上納金を要求されもしましたが、それ以上に特権を得て暴利を貪っていたわけです。

ところが、一応民主国家となった各国でもその勢いはまったく衰えるどころか、国を超えて世界を股にかけるようになりました。
当然ながら政治もその企業に隷従しているかのようになっています。
その政権が民主的選挙によって維持されているというのも、選挙民を誘導する力によるものなのでしょう。
アメリカの共和党、日本の自民党はあからさまな企業隷従政党ですが、両国の民主党、日本の維新などもまったくそれから自由であるわけでもなく、かえってひどいかもしれません。

法人税も下げる一方ですが、どの国でも「他国と比べて法人税が高いと企業が逃げ出す」と言っているのにはお笑いです。

御用商人と言っていた時代にはまだ政治の方が一応は上位に立っていたのでしょうが、今ではその序列も危うくなりました。政権中枢などといっても、巨大企業から見れば使いっ走りのようなものになっているのかもしれません。

Re:御用商人
雑草Z
>超国家企業といっても政治と無関係なわけではなく、政治を最大限利用して利益を上げます。

はい、その通りでしょう。記事本文に
>国家から独立した存在のように振る舞うようになった
と書いたから誤解されたのかもしれませんが、これは、国家の下にいた存在から、経済力も権力も国家と対等以上の関係になったと言う意味です。それが21世紀の超国家企業であると・・。
 ただ、20世紀以前にもあった事かも知れません。陰謀論では、ロスチャイルドなどの財閥が資金を提供した国が戦争で勝って、財閥の資産を大きく増やしたとか、戦争自体も彼等の思惑で起こされた・・と言われていますし、それを否定出来ない要素はあるでしょう。・・・ただそれが「裏」の顔だったのが、21世紀の超企業国家は、次第に表舞台で堂々と国の支配を始めたようにも見えます。気付いた時にはもう遅い・・・と言う事だけは避けたいものです。

>御用商人と言っていた時代にはまだ政治の方が一応は上位に立っていたのでしょうが、今ではその序列も危うくなりました。政権中枢などといっても、巨大企業から見れば使いっ走りのようなものになっているのかもしれません。

の御洞察通りだと思います。

国家の御主人さま
guyver1092
 水野氏の本にも、企業は国家の上位にあるという主張がされれていましたが、他にも同様の見方をする人もいると言うことですね。
 うまい表現と思います。私も買ってみることにします。

Re:国家の御主人さま
雑草Z
『衰退する現代社会の危機』の、「超国家企業」の説明部分に、
「水野和夫氏は超国家企業を『21世紀最大の勝利者』と呼んだ」と紹介されていて、その理由も説明されています。
つまり、著者、中西香氏は、「資本主義の終焉と歴史の危機」を読んで、それを受けて本書の記述を行っています。

本書は、昨年、ある集会で、監修の方から戴いた本ですが、最近読んで、予想以上に面白い内容でした。機会があれば、ここに書評を書いてみたいと思います。guyver1092さんも「資本主義の終焉と歴史の危機」の書評を書い戴けませんか?この書物には関心を持っています。著者の肩書き(元証券会社チーフエコノミスト)だけ見ると、読みたくないような感じですが(笑)guyver1092さんも中西香さんも評価が高いようですので、私も読んでみたいと思っております。


Re:Re:国家の御主人さま
guyver1092
 そうなのですか。やはり、現代の人類経度いのあり方に疑問を持つ者の考えはここに収斂するのでしょうね。
 以前にも少しふれた記事を書いたと思いますが、水野氏の書評考えてみます。

Re:Re:Re:国家の御主人さま
雑草Z
21世紀は国家を企業が隷属化すると言う酷い方向へ進んでいます。この流れを変えなければなりませんね。一方、これが資本主義経済の行き着くところとも言えますね。

『衰退する現代社会の危機』には
「現行システムは制度疲労を起こしている」と書かれていました。一理はあるかと思いますが、私は資本主義制度は、出発当初から、理の無い不公正なシステムだったと思います。この結果はかなり予測できた筈です。

超国家企業に対処するには
爽風上々
超国家企業と言うものに対応するには超国家といえる国家、すなわち世界連合国家というものができなければ根本的な解決にはなりません。
まあほぼ無理でしょう。その前にエネルギー枯渇や環境悪化で人類文明も尽きてしまいそうです。

今でも法人税の少しでも安いところに本社機能を移転という策が取られています。ぬらぬらと動くアメーバのようなイメージですが、向こうもそれだけの生き残り策は取るでしょう。

現在の国の枠組みの中でできることは、その国の中での活動には完全に制約を掛けることだけです。
その国の中の行動はすべて国の法律に基づき規制し、その国で儲けた利益には十分に課税するということはしていかなければならないでしょう。
そのように行動する国が増えていけば超国家企業をつぶすまではできないにしてもかなり制限はできるでしょう。

ただし、今のような企業の言うがままの政権が世界の国々のほとんどを占めているようでは期待薄です。
これには政権維持のための資金スポンサーが企業であること、そして金さえ掛ければ簡単に政権を取れるような「民主国家」であることが理由となっています。
結局、国民それぞれの意識にかかっているのですが。

Re:超国家企業に対処するには
雑草Z
 今回の爽風上々さんのコメント通りで、 残念ながら、肥大化した超国家企業を排除するのは非常に困難ですね。

>その前にエネルギー枯渇や環境悪化で人類文明も尽きてしまいそうです。

は、私も同じ危惧をしていることは、ここのサイトにも繰り返し述べております。

>その国の中の行動はすべて国の法律に基づき規制し、その国で儲けた利益には十分に課税するということはしていかなければならないでしょう。

現代の西欧式資本主義ではそれもかなり可能でしょうが、米国式資本主義は最悪で(超国家企業に取り込まれています)、日本は米国に追随させられています。安部政権はそのステレオタイプで、TPPは、その仕上げ・・・ってところでしょう。

ただ、ヨーロッパでは、経済成長洗脳から解け始めた人も多く、脱成長の方向へ舵を切るのも遠くないかも知れません。急展開もあり得ると思います。

頑固親爺は生きている
団塊親爺の遺言
 私は皆さんの様な聡明な頭脳は持ち合わせておりませが・・毎日近所に来る
豆腐屋の親爺 今日、絹ごし豆腐と揚げを買いました 値段はその辺のスーパー依りは遥かに高いかも・・
230円 味は納得・・の味です 本物を売る姿勢は善し

  人生に於いて 自分の信念を貫く生き方

世の中に流される人生は厭です 正しいと想う事を貫く生き方

今の儲ければ良いの社会は続きません 食べて幸せを感じ
生きる喜びの無い食事は 楽しく無いのです

大量生産 大量消費に逆らい薬剤拒否の親爺も居る事を
お忘れ無く・・化学薬剤で造る食べ物は全て毒である

 それに気づかなければ 悲惨な人生が待っています 



Re:頑固親爺は生きている
雑草Z
    団塊親爺の遺言さま、当方も、最近、個人店が作っている豆腐に嵌っています。

>本物を売る姿勢は善し

ですね。最近豆腐屋さんを志す人が増えて来たのも嬉しく思います。

>大量生産 大量消費に逆らい薬剤拒否の親爺も居る事を
お忘れ無く

私もお仲間に入れて下さい。これも反グローバリゼイション、反TPPの一つの姿と言えますね。

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2015-06-23 00:01
週末にちょっとした仕事でビジネスホテルに連泊してきました。ホテルに泊まる度にいつも湧きあがる同じ思いを、記させて戴きます。
今回の部屋は13階にありました。いつもエレベーターは使わずに階段を探すのですが、今回のホテル(全国チェーン)の階段は非常用だけでした。非常用でも普段も使える階段があれば使うのですが、今回のホテルの非常階段は、屋外に付いていて、内側からロックされていて階段側からは中に入れない仕組みでした。更に内側から出るときもプラスチックのカバーを外さないと開けられない仕組みで「非常時以外使用しないで下さい・」と書かれていました。確かに外から勝手に入られたら不用心ですが、だったら普段用に屋内に階段があればいいのです。階の移動は全てエレベーターで移動しなければならなかったので、13階から14階に行くのに、階段があれば1回上るだけなのに、エレベーターの上行きボタンを押すとわざわざ1回からエレベーターが上って来た事もありました。エレベーターは反対側にエレベータ-と同じくらいの重さの重りが付いているとは言いますが、それでも非常にエネルギーの無駄です。そうやってエネルギーを浪費をする事を何とも思わずに、運動不足だからとスポーツクラブに通っている輩も沢山いるんでしょう・・・。

最近は、エコだとか省エネだとか言うようになって、部屋の備え付けの備品類も、無駄を減らす努力はしているようですが、まだまだ・・に感じます・・・と言うよりも、現在の日本では、これ以上省エネ、省資源を実行すると、「サービスが悪い」と言いだす客も多いのでしょう。例えば、髭剃り用のカミソリ。初日に使って次の日も使おうと考えて置いて置くと、ホテルに帰ると新品に取り換えられています。2,3日なんだから同じもので十分なのに新品に取り換えられるのです。私は、新品に取り換えられるのが嫌なので、使用したものを捨てられないように隠して出掛けます。いいカミソリなら、ホテルで使ったのを持ち帰って家で数週間使えます。それに対し、歯ブラシは直ぐにブラシがぐしゃぐしゃになってしまう粗悪品が多く、自分で用意した携帯ケースのものを使い、ホテルの据え付けを使わない事が多いです。まあ、朝晩2回しか使わないのであれば、あんな粗悪品でも仕方ないのかとも思います。
エアコンも最近は、客が入室してから自分でつけるようになってきました。・・いい傾向です。しかしビジネスホテル以外のホテルや旅館などは、いまだに客が入室する前から付いていて「適温」に調整してあるホテルが多くあります。そうして無ければ「気遣いの足りない旅館だ」と悪い印象を持つ客が多いのでしょうか。・・・私は逆に、入る前から冷房や、暖房をつけている旅館には、いい印象を持てません。二度と使いたくないと感じます。
(・・思い出しましたが、栃木県のお気に入りの「北温泉」は、標高が高い場所にあり、3月始めでも氷点下の寒さですが、部屋に暖房は炬燵しか無く、震えながら酒を酌み交わして談笑しました。それ故に「お気に入り」です。(江戸時代の旅籠っぽい感じも好きです。)

ホテルの話しに戻ります。兎も角、ホテルは、非常に無駄な浪費ばかりしていると言う事です。しかし、そう感じる私のほうが稀少な存在で、今の日本人の多くはそんな事よりも過剰なサービスを歓迎するのでしょうか?・・後輩に聞いてみたら、「いやあ、ホテルはホントに勿体ない事ばかりしていますよね。例えば・・・」と言う返事が返って来て、ちょっと安心しました。バブル世代より後の世代(悟り世代??)は、「勿体ない」と言う意識を持っている人が多いのかも知れません。

仕事の内容も、別にしなくてもいい浪費に感じます。(まあ、私が行かなければ他の者が代わって行くだけでしょうが。)日本中のビジネスホテルの大半の宿泊客は、「自己満足」の、若しくは本人も役に立つとは思っていないけれど生活のための仕事だからと割り切ってしている(単なる浪費、環境破壊の)仕事の為に泊まっているように思います。まあ、こんな事を書くと「心の病だ」と言われるかも知れませんが、私は逆に、こんなホテルの無駄を無駄と感じないのであれば、それこそ現代の病、感覚が壊れていると思うのです・・。
ホテルに泊まる度に現代社会の資源浪費を痛感します。ホテルは現代社会の浪費の象徴と感じるのは私だけでしょうか?
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【2015/06/23 00:01】 | 都市/文明 トラックバック(0) |

ホテル非常階段
guyver1092
 非常階段が内部にないのは、部屋の数を最大にするためでしょう。階段を作らなかった分、部屋数を増やすことが出来るので、その分良く儲かるのでしょう。
 昔は、ホテルは豪華な場所とのイメージを持っていました。豪華な場所では、貧乏くさいのは禁止なのでしょうね。この場合の天秤は、一時の満足と、文明崩壊を秤にかけ、一時の満足を取ったのでしょうね。

浪費の象徴
東京珈琲
ホテルは修学旅行で泊まったくらいなので実際にはあまり分からないですが無駄が多いのですね。
エレベータ、エスカレータもそうですが僕は自動販売機が浪費だなと思います。昼夜休まず稼動し続け、売っているアルミ缶やペットボトルも無駄なものです。
使い捨てになりやすい100円ショップの商品なども見過ごせません。
連立するコンビニエンスストアも必要あるでしょうか。
歯ブラシなんかも柄と頭部を分解できるような設計にして頭部だけでも販売するとか、そういった配慮を企業側に求めます。物を長期間使うということをもっと考えるべきです。
少し考えただけでも沢山ある無駄なものですが、気づいた人から不買したり利用しないようにしていくしかありません。


ホテルのウラ。
でなしNo.146
>こんなホテルの無駄を無駄と感じないのであれば、それこそ現代の病、感覚が壊れていると思うのです・・。

同感です。
私が大学生の時、ホテルで主に結婚式場のアルバイトをしたのですが、あまりの浮世離れした消費ぶりに唖然としました。

式が終わってテーブルの料理をガンガン回収してバケツに放り込む作業は「食べ物を大切にしろ」と教わった私には精神的に重労働でしたね笑

とにかく、もったいないという精神状態では続けていられないので、あまり長くは続けませんでした。

以前に比べて、無駄な消費を悪とする流れが生まれてきていると思いますが、まだまだですね。

社会がバブルを知っている世代から、その後の世代、そして先送りされた様々な負債を理不尽に背負う世代に移ったら「無駄な消費を嫌う」雰囲気が醸成されると思います。

それまで社会があれば、ですけれども。

Re:ホテル非常階段
雑草Z
>非常階段が内部にないのは、部屋の数を最大にするためでしょう。

なるほど、そう言う訳だったのですか!?・・・しかし、内部に階段の無い高層ビル・・・って怖いですね。
階の移動の基本は階段です。

>この場合の天秤は、一時の満足と、文明崩壊を秤にかけ、一時の満足を取ったのでしょうね。

ホテルに限らず、それが現代社会の「選択」ですね。そしてそれが諸悪の根源・・・。

Re:浪費の象徴
雑草Z
>自動販売機が浪費だなと思います。昼夜休まず稼動し続け、売っているアルミ缶やペットボトルも無駄なものです。

全くその通りですね。日本の自販機だけで原発数基分の電力を使っていると言いますから、狂っています。自販機は禁止にすべきです。

>そういった配慮を企業側に求めます。物を長期間使うということをもっと考えるべきです。

 東京珈琲さん、お久し振りのコメント有難う御座います。
若い世代(『悟り世代』でしょうか?)がこのような感覚を持っている事は、非常に頼もしい事だと思います。

Re:ホテルのウラ。
雑草Z
>「食べ物を大切にしろ」と教わった私には精神的に重労働でした
>もったいないという精神状態では続けていられないので、あまり長くは続けませんでした。


このまともな感覚こそ非常に大切ですね。物の浪費を奨励する戦後のアメリカ指導や広告代理店によって日本民族の多くが浪費者に変えられましたね。バブルを懐かしむ世代には嫌悪を感じます。

>以前に比べて、無駄な消費を悪とする流れが生まれてきていると思いますが、

世の中を破滅から戻せるかもしれないこの流れは非常に大切です。その流れに逆行しようと消費を煽る現政府や大企業、広告代理店は潰れ無ければならないと考えます。出なければ社会、地球が潰れます。

>先送りされた様々な負債を理不尽に背負う世代

そう言う「悟り世代」の出現はいい流れかなと考えていますが、社会に従順過ぎても、強欲な輩にいいように利用されてしまいますね。

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2015-06-19 00:00
『迷信』とは、合理的・科学的では無いと考えられる事を信じる事・・と説明されています。
 更にWikipedia 等には「一般的には社会生活をいとなむのに実害があり、道徳に反するような知識や俗信など」とあります。

昔から迷信の例は枚挙に暇が御座いません。その中にはかなり迷惑なものもありますが、逆に迷信によって保たれた生態系もあるのです。例えば、ある場所の木を切ると祟りがある・・・と言う迷信によって、その地域の木は伐採を免れ、森の生態系は維持されている・・・と言う地域もありました。その「迷信」を作った人は、生態系の事をしっかり考えて、「有効な」迷信を作り出す、賢い策士だったと考えます・・。

さて、現代人は、迷信家は昔の人や未開の地の人に多いと考えがちです。科学の発展した現代では非科学的な迷信を信じる人が少なくなった・・・と漠然と考え、「迷信」を信じている人達を「遅れている」と言います。

しかし本当にそうでしょうか?
現代も科学的根拠に乏しい、後の世の人から「どうしようもない迷信」と評価されそうな物事で溢れかえっています。
質が悪いのは、それらの実質「迷信」が「迷信的」と認識されていない事でしょう。

その代表例が「経済成長」です。GDPの増加で定義される「経済成長」によって、高度経済成長時代から、様々な問題が一挙に解決するような事が言われてきました。社会福祉の問題も、貧困の問題も、挙げ句に環境問題さえ、「経済成長」が解決する・・・と言う輩はいまだに沢山いますし。「経済成長」志向はいまだに社会の主流なのです。しかし、GDPの増加で定義される「経済成長」はそれらの大きな問題を解決しないどころか、更に拡大してきました。「経済成長信仰」こそ現代の最悪の迷信でしょう。

その「経済成長信仰」と関連があることで、現代社会で、ポジティヴな素晴らしい意味を持つと考えられている概念が沢山あります。「進歩」、「発展」、「開発」・・・等がそれです。現代社会では、どの言葉も好ましい概念のように扱われる事が主です。(最近ようやく「開発」にはネガティヴは響きを感じ取る人が増えて来たように思います。)

しかし、これらの概念が好ましいと考えられるようになったのは、それこそ20世紀くらいから・・現代になってからではないでしょうか?・・・と言うよりも現代以前は「進歩」や「発展」「開発」等と言う概念は頻繁に使われなかったのではないかと考えます。

大胆な仮想を書かせて戴きます。「経済成長」は当然として「進歩」「発展」「開発」のような言葉も、この時代(20世紀後半から21世紀はじめ)の迷信(のようなもの)であった・・・と評価される時代が来ると考えています。これらの概念がセットとなって、環境を破壊して来たのです。これらの概念を変えない限り文明崩壊、破局は今世紀中にやってくるでしょう。
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【2015/06/19 00:00】 | 都市/文明 トラックバック(0) |

科学と迷信
爽風上々
迷信というものが正体を暴かれるというのは、たいてい科学的な検討をされてのことですが、迷信にも一部の真実というのも科学の目で見てのことでしょう。

経済学というのが科学かどうかというのは怪しいものですが、「経済成長」というのが科学的なものかどうかというのは非常に疑わしいものです。
経済成長は一般庶民にはほとんど関係のないものだということもようやくわかってきたのかもしれませんが、成長しなければやっていけないのは資本投下の見返りとして配当を受け取る資本家であるということです。
その資本家の立場から言えば経済成長は必須でしょう。そうでなければ誰かの取り分を侵害して配当をひねり出さなければなりません。まあその状態になっているのが最近の日本経済です。

そうしてみると、経済成長を「迷信」というのも半ば当たっていて、半ば嘘が混じっているのかもしれません。
迷信というよりは詐欺です。

江戸時代以前でも経済成長というものはあったと考えれらます。新田開発というものは経済の拡大という意味ではそれにあたるものだったでしょう。
しかし、大幅なものはやはり日本では明治以降の技術革命によるものだったのでしょう。
してみると、やはり経済成長には化石燃料エネルギーを用いる科学技術の発展との関係が密接に関わっていたように思います。
それが無ければできなかったかというとそうでもないのですが、この圧倒的な進展のスピードというものはエネルギー依存の科学技術の発達と不可分です。

儲け主体の技術開発であったために、極度の環境破壊を引き起こしましたが、では儲けを極限まで低めて環境温存を図っていたらどうでしょう。環境は守っての開発というものも不可能ではなかったでしょうが、ではそれで良かったでしょうか。
やはりそれでもダメと言うのが私の考えです。
環境を温存してもエネルギー依存の文明では必ず破綻するというのが避けられないからだということdす。

もちろん、現在の文明は環境を守ってはいませんので、その意味でも続けることができないのですが。

自然に学ぶ
団塊親爺の遺言
 今の文明は進化どころか崩壊へ・・
一昔前にはホタルや様々な生きものや木の実に溢れていました

コンクリートやアスファルトに覆い尽くされた今の生活
全国で生態系が壊され 毛虫の大発生 毛虫たちの天敵が居なくなり 
この様なおぞましい光景がそちらこちらで見うけられる様になりました 
人間は大量の化学薬剤で対抗し益々生態系が壊される事態に 
さぞかし蜜蜂たちも他の虫たちも減った事でしょうね・・

昔、狼が居た時は自然界はコントロールされていた

先人たちが、此処より下に住居を造るべからず

自然に学ばず、成長しない私たち 進歩とか便利さのみに活きて来た世界
 
   病気は減ったか 争い事は無く成ったのか・・

益々、酷い世界へ・・金の懸かる生き方を強制される生き方は
本当に正しいのか・・? 暑さ寒さにも住居を成るべく地下へとか・・
暴風雨からも護られ省エネ生活も出来る 屋根の上では菜園造り 
米糠と貝と岩だけで今年も病害虫の被害無しの豊作の我が家 
もう一度今の生活方式を疑う生き方はどうだろう・・

Re:科学と迷信
雑草Z
>経済学というのが科学かどうかというのは怪しいものですが

爽風上々さんも、経済学が科学じゃないのではと考えてることをうれしく感じます。そう、経済学はまやかしばかりです。まあ、カール・ポランニーとか日本の室田武さんとかは、素晴らしい経済学者だと思いますし、彼らの経済学こそ社会科学の一つと認めますが・・。

>経済成長は一般庶民にはほとんど関係のないものだということもようやくわかってきたのかもしれませんが、成長しなければやっていけないのは資本投下の見返りとして配当を受け取る資本家であるということです。

この事実こそ普及したいものです。お互い微力ながら流布しましょう。

>迷信というよりは詐欺です。

そう言われれば、身も蓋もないですが(笑)全くその通りです。

>環境は守っての開発というものも不可能ではなかったでしょうが、ではそれで良かったでしょうか。 やはりそれでもダメと言うのが私の考えです。

ここが爽風上々さんと私の明白な相違点であることはお互い以前より認識しているところですが、

>環境は守っての開発というものも不可能ではなかった

その為には石油を使わないことが必須条件で、経済規模はその程度にしかならなかったわけですから、そもそも爽風上々さんの懸念されるエネルギー問題は起こりません。

だから、環境負荷の問題とエネルギー問題を切り離しては考えにくいと思います。

Re:自然に学ぶ
雑草Z
>今の文明は進化どころか崩壊へ・・

全く酷いものですね。

>一昔前にはホタルや様々な生きものや木の実に溢れていました

私も団塊親爺の遺言さんと同じように、その時代まで戻ってやり直し・・・工業化もせず経済も成長もせずに、定常安定系を目指す・・・ができたらどんなにいいかと考えます。

>自然に学ばず、成長しない私たち 進歩とか便利さのみに活きて来た世界

そうやって経済成長を推進してきた連中は非常に薄っぺらいですね。人類を苦しみの方向へ導いています。

>金の懸かる生き方を強制される生き方

これが経済成長の本当の姿ですね。悲しいくらい愚かで酷いものです。

>もう一度今の生活方式を疑う生き方はどうだろう・・

根本的に変えないと駄目ですね。


環境温存の延命策
爽風上々
人類が生き延びるためにはどのような策を取ったとしても環境は犠牲になると考えなければなりません。
食料を得るということ自体がすでに環境の改変になるので、無傷の環境ということはありえなくなります。

ましてや、快適な生活などというものを求めればさらにその影響は大きくなります。
「環境に配慮した快適な生活」などというものも迷信でしかないというのも避けられない事実でしょう。

さて、話を経済学に戻しますが、迷信も200年も続けば真実としか見えないでしょう。10年程度でも続けばそれが不変のもののように思えるのですから、近代から現代のすべての時代で最強の体制として君臨した資本主義は動かすことのできない真実であり、すべての経済学はその細部を解析するだけの学問として成り立ってしまっても仕方のないことでしょう。
その根本に間違いがあるとなれば、それに群がって汁を吸ってきた人々は存在価値がなくなります。そのようなことは全力を尽くして阻止しようとすることでしょう。
そのような死に物狂いの力はバカにできる物ではありません。
結局、それを揺るがすような確実な現象が証拠として現れなければ変われないものなのでしょう。

Re:環境温存の延命策
雑草Z
>人類が生き延びるためにはどのような策を取ったとしても環境は犠牲になると考えなければなりません。

今度は極端な話になりましたね?

先のコメント

>儲けを極限まで低めて環境温存を図っていたらどうでしょう。環境は守っての開発というものも不可能ではなかったでしょうが

との整合性が判りません。

>食料を得るということ自体がすでに環境の改変になるので、無傷の環境ということはありえなくなります。

環境の改変が即、環境破壊と言えば極論になると思います、生態系をしっかり確保していれば、いわゆる環境汚染や環境破壊と一緒にする必要はないでしょう。

>迷信も200年も続けば真実としか見えないでしょう。10年程度でも続けばそれが不変のもののように思えるのですから、

そうですね。そこが大きな問題です。たかが10年、200年なのですが。 仕方が無い・・と言うのは科学ではありませんね。単に飽和するまで、末期までの過渡期の条件付きの「限られた真実」なのですが・・・。

>それに群がって汁を吸ってきた人々は存在価値がなくなります。そのようなことは全力を尽くして阻止しようとすることでしょう。

ここは仰る通りです。その連中が現代社会を酷い方向へ導いています。

>結局、それを揺るがすような確実な現象が証拠として現れなければ変われないもの

原発事故のように実証が現れても、認めようとしませんでしたが、21世紀は、恐怖の証拠としてカタストロフが次々現れ、認めざるを得なくなるでしょう。・・・しかし安倍さんを見てると、それでも認めないんでしょうね。



こんばんは

自分の中の常識が覆されました。開発や進歩がネガティヴな意味合いを持っているなんて、思ったこともありませんでした。

米粉美味しいですよね。

そういえば昨日は誕生日だったんですよ。
雑草Zさんの誕生日はいつですか?
ハンドルネームで呼ぶのは、不思議な感じがします。

環境破壊
爽風上々
半ば意識はしているのですが、「環境」という言葉をいくつものレベルで使い分けていますので、分かりにくくしてしまいました。

人間が現れる前のまったく手つかずの状態が「自然環境」とするならば、そこに少しでも人間が住むようになればその数にしたがって環境は改変されたでしょう。それを「環境破壊」と呼ぶこともできますし、その意味で私が使っていることもあります。

また、よく不動産屋が使っているような「高級住宅街のすばらしい住環境」などといった意味での「環境」という意味でも使ってしまうのは、自分自身が「快適環境」にこれまでずっと慣れ親しんでしまったために無意識に出てしまうのかもしれません。

そのため、このいくつかのコメントの中でもその両方の意味が混在しています。
「人が住むだけで壊れる環境」というのは前者の究極の自然環境の意味ですし、「環境を守っての開発」はもちろん後者に近い(イコールではありませんが)意味で使っています。

自分でも混乱しますので、外から見れば分かりにくかったのは申し訳ありませんでした。



関連して
guyver1092
 関連して、現代の迷信をもう一つ紹介します。それは、「技術革新に限界はない」です。この技術革新が無限であるとの迷信は、無限の経済成長を信じるためには、どうしても必要なようです。水野和夫氏の「資本主義の終焉と歴史の危機」に記述されたことが誤りであるとの主張のブログ等では、必ず技術革新により無限の経済成長は成ると書かれています。

Re:こんばんは
雑草Z
>自分の中の常識が覆されました。開発や進歩がネガティヴな意味合いを持っているなんて、

「開発」や「進歩」、「発展」事体、広い意味を持った概念ですが、現在頻繁に使われている用法・・目的語等を付けて「土地開発」、「工業、技術、経済の進歩」「地域の発展」と言った概念は、ネガティヴな意味に考えられる時代が来るであろうと言う事です。

現在の社会の常識は、多くが洗脳であり、何らかの目的に意図的に誘導されている場合も多いと思います。社会の「常識」は疑ってかかるべ木でしょう。

さん 初のコメント有難う御座いました。これからも宜しく。

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2015-06-11 00:01
以前、記事【追われる生活】2012-11-11の書き出しに、以下のことを書きました。
『多くの現代人(以前、こ日本人)は、生まれてから暫くの間、幼少の頃までは、余裕のある生活・・・時間がたっぷりあって、色々な新しい事に興味関心を持って飽きるまでやる事が出来た時期があったのではないでしょうか?
それが、小学校、中学校、高校と進むにつれて追われる生活に変わって来ます。勉強に追われ、部活動に追われ・・・。・・そして、社会人になれば仕事に追われます。その『追われる生活』は年を取って退職するまで続きます。・・・・・完全にドロップアウトしない限りは、「何かに追われる」感じは拭えないまま退職まで突き進む人が多いのではないでしょうか?』
この記事に対しここの常連のguyver1092さんから、以下のようなコメントを頂きました。
『(前略)・・・人間はかなり近い時代までその日暮らしが当たり前だったそうです。貨幣経済が発達するに従って生活設計が考えられるようになりました。・・・(以下略)』


歴史的に考察すれば、他の動物と同様に、当初、原始人はみんなその日暮らしだったと考えられます。食料の余剰生産と、食料の保存技術によって、食料を生産しなくてもいい層が出現し、その中の一部が、他の人に食糧生産をさせて、「その日暮らし」から脱して、支配者になっていきます。このように考えると、その日暮らしを脱した人間は、他人から搾取するずるい人間だったと言えるかも知れません。

私のイメージでの、「その日暮らし」は、日々無計画にその日その日を惰性的に漠然と生きている・・・と言うイメージが強かったのですが、辞書で引いてみると「定職が無く、日雇いなどの日給で生活すること、その日の収入で細々と生活すること」と言う意味が最初に出てきます。
つまりその日暮らしは大きく2種類定義されます。
1. その日の収入で、その日をやっと暮らして行くこと。食べるだけがやっとの生活・・・経済的に貧しいイメージ(英語で言うところのHand to mouth life)
2. 将来の展望も無く、目的も計画もなく、その日その日を赴くままに流されて過ごすこと・・・時間を浪費するイメージ、フーテンの寅さんのイメージでしょうか?(英語で、Improvident life? Or ,Wasting life?)

曰く「人間は他の動物とは違ってパンのみでは生きられない。生まれたからには人間として何らかの足跡を残すべきだ・・・」

その日暮らしといえば、「蟻とキリギリス」のキリギリスのイメージでしょうか。その日暮らしに関して現代社会の価値観はネガティヴです。何も目標を持たず淡々と日々を過ごしていく事に、多くの人がネガティヴな評価を下します。(ただ、最近はその評価も変わってきました・・・)

「その日暮らし」に対し「長期的な目標を持って、それに向かって邁進する」事に現代社会は大きな価値を与えます。
しかし、その「大きな長期目標を持って、それに向かって邁進してきた人々」が環境問題を深刻にしてきた張本人ではないでしょうか??
その目標が、「大金を儲ける」であったり「自然を開発する」であったり、「(何らかの分野で)世界一になる」であったり・・・様々な「目標」;言い換えると「野望」・・・によって環境は破壊され続けてきました。勿論「その日暮らし」の人々も環境を破壊してきたし、社会を駄目にしてきた部分も沢山あるでしょう。特に2番目の意味で「目標や理想も無く、毎日遊んで暮らしている怠惰な資産家(・・やその家族・・)は、一人当たりの環境破壊のレベルも非常に大きいでしょう。
「目標」を持った野心家達が、多くの「その日暮らし」の労働者を雇い、彼らの生活を良くする為という名目で、自らの野心達成の道具として使い、環境を破壊してきた・・・と言う構図が考えられます。
典型的な例を挙げてみます。
いわゆる「未開の地」でその日暮らしをしてきた原住民は、環境破壊をあまりしていませんでした。殆ど循環型生活に近い「持続可能な生活」を営んでいたと考えられます。そこに入り込んだ「先進国」の野心家たちが、彼らを「文明化」と言う名の下に、自分の欲望の為に利用して、「未開の地」を開発し、環境破壊が一気に進みました。その後、原住民も生活の為にその「開発作業」に従事し、環境破壊の片棒を担ぐようになるのです。


第一の意味でのその日暮らし・・・・細々と日々の食料を得る生活・・・を人類全てが営んでいれば、環境問題もここまで大事にはならなかった筈です。その日暮らしを否定し、「大きな長期目標」を持って「自己実現」してきた輩たちが、現代の環境問題を深刻にしてきたのです。
(自家用飛行機で遊びまわるように)資産家がお金を浪費して遊んで暮すというのは論外ですが、そうではない意味において、その日暮らしは、卑下すべき生活ではないと考えます。ただ、理性ではそう考えても、現実にはその日暮らしにはネガティヴな反応をしてしまいます。まして自分のこととなると許せない部分もあるでしょう。(達観出来ないと言うべきでしょうか??)。

興味深い事は、高度経済成長が終わり、その後のバブルもはじけて暫く経った現在、「その日暮らし」は、れっきとした一つの生き方、価値観として、認められるようになってきたように感じます。目標に向かってあくせく働いて、社会の歯車になり、結果として社会の害悪になるよりは「その日暮らしのほうが遥かにいい」・・・と言う考え方の人が増えてきたように感じるこの頃です。それは環境にとっては望ましい方向でしょう。「経済成長」を推進するよりは、慎ましい「その日暮らし」へのシフトのほうが遥かにまともだと言う事です。

注意すべきは、お金が無いことにより、目標を持った野心家の欲望実現の為に利用されないように気を付けなければなりません。
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(少しだけのときは片方、かなりのときは両方)

【2015/06/11 00:01】 | 思想・価値観 トラックバック(0) |

食料の生産性
爽風上々
ちょっと話題の本筋からはずれるかもしれませんが、食料生産の効率について一言。

食料生産者一人が何人の食料を作り出すかということは、歴史と地域により大差があるのですが、生産力が上がるに従い余剰食糧が発生し、それが不労階層を生み階級化が進んだというのは事実でしょう。
それが先進文明地域では古代文明の発生期にあたり、遅れたところでは現在でもそのままということもあります。

日本では江戸時代でも人口の8割が農民とも言われていますので、生産力はさほど高くはなかったのでしょう。そのような社会では階層の分化も緩やかになり、極度の富の集中ということも難しいと考えられます。

なお、以前の奴隷制度の話の時も触れようかとも思ったのですが、実は農業生産力の低い社会では農業生産を奴隷にさせても成立しません。奴隷も食事はしなければならないので、いくら奴隷をたくさん所有しても余剰生産が少ないからです。
奴隷制度の高度に発達した古代ローマは小麦の生産力が非常に高かったものと考えられます。

食料生産に携わらなければならない人間が少なくなると確かにその人たちの仕事が必要となります。
工業になるのか、商業になるのか、サービス業になるのか、どちらにしても環境破壊につながりそうです。
してみると食料の余剰生産というものがあるということがかえってマイナスに働くことになります。悲しい話ですが、人間の性質というものがそのようにできているのでしょう。

かといって人為的に生産性を下げることは難しいところです。
しかし、現在の食料の生産力というものは石油をはじめとするエネルギーに依存しているということがあります。これが減衰したらどうなるか。食料の生産性も落ちるということです。こんなに恐ろしいことはないと思っているのですが、まだしばらくは来ないというのも事実です。
以前から言っているように、「10年先なら困るけれど、100年先なら関係ない」では困るのですが。

Re:食料の生産性
雑草Z
>ちょっと話題の本筋からはずれるかもしれませんが、

いえ、ストライクです。この手の議論をしたかったのです。

>食料生産の効率について一言。

非常に参考になりました。

>余剰食糧が不労階層を生み階級化が進んだというのは事実

この議論ですね。

>日本では江戸時代でも人口の8割が農民とも言われていますので、生産力はさほど高くはなかったのでしょう。

ただ、稲作の生産性は、麦より遥かに高く、当時の(当時からのヨーロッパの農業大国)フランスなどと比べても、江戸のほうが食料供給は上手くいっていたようです。石川英輔氏の「大江戸省エネ事情」にありました。思うに昔の日本人の性質にも因ったのではないでしょうか?・・・つまり西欧の白人ほど、支配欲や搾取欲が無かったのではないでしょうか?

と、言いつつ
>食料の余剰生産というものがあるということがかえってマイナスに働くことになります。悲しい話ですが、人間の性質というものがそのようにできているのでしょう。

は賛同致します。おっしゃる通りだと考えます。そしてなお且つ

>人為的に生産性を下げることは難しいところです

もその通りでしょう。でもやはり食糧生産への石油投入は早急に止めるべきですね。

>まだしばらくは来ないというのも事実です。
>「10年先なら困るけれど、100年先なら関係ない」

石油が高騰するのはまだ10年以上先かもしれませんが、環境負荷や人口圧、耕地の限界などにより、10年以内に深刻な食糧危機がやって来る可能性も低くないと見ますが・・・どうでしょう?


米の生産性
爽風上々
米の生産性は「単位面積当たり」では非常に高いものですが、同様に「単位面積当たり」の労働力も格段に多く必要ですので、「就労人員あたり」の生産性では低くなります。
ヨーロッパでは昔から家畜の使用も多かったのでさらにその差は広がるでしょう。

逆に言うと、それだけの人員をかけてもその人々が食べていくだけの生産力もあったということです。したがって、世界的に見ても非常に多い人口密度となりました。

ただし、日本の農業生産性が低かったとしてもそれは社会的な要請によるものかもしれず、第二次大戦後の高度成長期には農村から都会への労働力移動が大規模に起こったのですが、その間、さほど農業生産性が向上したとも思えないのですが生産量が減ったとも言えません。結局、江戸時代から昭和初期までは農村の労働力が都会に出ても職がないという事情で農村に留まらざるを得なかっただけで、あまり日本の農業生産性というものとは関係がなかったのかもしれません。

日本の農業人口はもはや200万人以下ということです。日本の食料自給率は40%と低いものですが、これをわずか200万人で賄っているというのは相当な生産性ということもできます。
1億3000万人の40%といえば5200万人ですが、その食料を200万人で賄うということは、26倍の生産性ということになります。
もちろん、これは石油などの化石エネルギーの補助を受けてのことですから、なくなれば激減でしょう。

それがどの程度か、人手だけかければできるのか、問題は多いと思います。ともかく、そのような状況になれば現在のような失業者問題は解消するのは間違いないでしょう。

Re:米の生産性
雑草Z
>米の生産性は「単位面積当たり」では非常に高いものですが、同様に「単位面積当たり」の労働力も格段に多く必要ですので、「就労人員あたり」の生産性では低くなります。

知りませんでした。教えて戴き、有難う御座います。米をやってこそ、農業、家庭菜園レベルを越えられる・・・と考えていましたし、米をやっている方から、「米は簡単だ。田植えをすればあとは自然に伸びていくからやってみな・・」みたいな事を言われていましたが、小さな面積での畑作さえ面倒に感じているこの頃です。米は当分挑戦しない方が良さげです。

>日本の農業人口はもはや200万人以下ということです。

これは危機的状況ですね。最近若い人の就農も増えていきますが、日本の農業潰しのTPPが心配です。

>人手だけかければできるのか、問題は多いと思います。ともかく、そのような状況になれば現在のような失業者問題は解消するのは間違いないでしょう。

小農が増えて、半○半農と言うライフスタイルが定着すればいいと思いますが、日本政府は国際競争力をつける為に大規模農業政策を取ってますね。現代の大規模農業は石油漬け農業で無ければ維持出来ません。これでは、半○半農と言うライフスタイルは構築できません。農業に関しては、国際競争力なんて事よりも、先ずは国の自給自足体制を作る事が最重要と考えています。

政府の政策は文明崩壊を推進しているとしか思えません。「持続可能な社会」なんて新たなビジネス創出としか考えていないようです。

農業あれこれ
爽風上々
米が生産性が低いということではなく、あくまでも人手がかかるということです。
逆に言えば同一面積で養うことができる人数が多いということです。決して稲作が劣っているといことではなく、食糧作物としては最良のものでしょう。
味も良く、最近読んだ本にあったように、「生活レベルの向上とともに麦食から米食に変わった国は多いが、米から麦に変わったのは日本だけ」だそうです。

米が手がかからないというのは、あくまでも現在の機械化・除草剤農法であるからでしょう。田の草取りで腰が曲がるまでになったのはそう昔の話ではないことは雑草Zさんなら良くご存じでしょう。

農業を産業として成り立たせるためには国際競争力がなければならないというのも現在のところは逃れられぬ現実です。しかし、これはあくまでも現在の現実であり、明日の現実は何になるのかを分かっている人はいません。
燃料の高騰が起こるだけで崩壊する「現実」です。そんなもの、何が「現実」なんでしょう。「まぼろし」と言うべきでしょう。

農業を産業としてとらえずに、生活の基本としてとらえられるようになれば日本も変わってきます。家庭菜園を必ずやるような社会、もちろんそれだけの土地も必要ですが、東京集中でなければ可能かもしれません。実際、我が家も自宅だけでは無理ですが家内の実家も含めれば二家族の野菜はかなり供給できます。
まあ米はちょっと無理でしょうが。

俺に 構うな・・
団塊親爺の遺言
 これは私の家内に言う 言葉です

日々の人生・・

人の人生は 人それぞれですが 尊重します

仕事で 疲れて 帰って来た時 何をしたいのか・・

私の人生と 家内の人生は 全く違います・・

俺に 構うなよ・・ 俺も 構わない・・

私は 帰って来た時には 自分の好きな事をして過ごす

人は 生きる事を 保障されてはいません

活きる事は 食べる事 どの様なものを食べますか・・

内の奴も やっと無農薬の食べ物の理解が・・

支配するのは どっち・・



真に持つべき長期的目標
guyver1092
「大きな長期目標」を持って「自己実現」するのも、正しい目標なら大いに自己実現するべきですね。
 私は、文明崩壊を避けるため、枯渇性資源の消失を予測し、更新性資源の範囲で生きる文明への転換を図る目標ならば賛成します。

Re:農業あれこれ
雑草Z
>同一面積で養うことができる人数が多いということです。決して稲作が劣っているといことではなく、食糧作物としては最良のものでしょう。

はい、更に稲作栽培は、連作障害も無く、水で流すので地下水のくみ上げなどによる塩害も無く、理想的な穀物栽培だと思っておりました。

>田の草取りで腰が曲がるまでになったのはそう昔の話ではないことは雑草Zさんなら良くご存じでしょう。

腰が曲がった原因が田の草取りが主因だとは知りませんでした。水を張りっぱなしにした稲作では田の草取りも必要なく、結構楽かな・・・と考えていました。
実は、東京から福島県にIターンして、自給的有機無農薬農業(ほぼ自然農業に近い)を人力でやっている方と知り合いで、
かなり以前に取材に行った事もあります。残念ながら、東京第一原発に比較的近い村だった為に、3.11以降は石川県の金沢に引っ越されました。私同様3.11以前から原発に反対されていた方でした。
 ...そんなこんなで「いつかは稲作」と考えておりましたが、甘かったかも知れません。
>「単位面積当たり」の労働力も格段に多く必要

ならば、暫くは挑戦しません。まあ、他にも有機無農薬稲作をやっている方は何人か知っているので、「手間のかからない稲作」を探ろうかと思います。
兎も角、園芸にかける時間を他に使いたくなったので暫くは、園芸は縮小して、手間暇かけずにこじんまりやる積りです。

>「生活レベルの向上とともに麦食から米食に変わった国は多いが、米から麦に変わったのは日本だけ」

そうでしたか・・・。これまた初耳の情報です。日本の風土に合った優れた稲作歯は大切ですね。麦に変わったのも戦後のアメリカの意向ですね。日本ではやはり麦では無く稲作にすべきですね。

>農業を産業としてとらえずに、生活の基本としてとらえられるようになれば日本も変わってきます。

これって、基本中の基本の筈ですよね!?欧米の国々もそこのところは良く分かってますね。そして、それらの国々の「意向、戦略」でアジアやアフリカの国々の農業は、嗜好品などの換金作物中心に変えられました。つくづく欧米の支配志向の白人は質が悪いですね。

兎も角どの家庭も自分の家で食べる物の多くを自分で栽培するような社会で無ければ脆いでしょうね。『半○半農』です。

Re:
雑草Z
>俺に 構うなよ・・ 俺も 構わない・・

独立独歩でいいですね。私はものぐさな面がありますから、日々の雑用を全部やってくれるような パートナーもいいな・・・と思ってます(笑)

>支配するのは どっち・・

奥深い表現です。
現政権は、農業やるにも大規模で無ければ参入させないとか、機密保護法で直ぐ逮捕しようとしたり、マスコミに圧力をかけたり、挙げ句に国民をアメリカ財閥の侵略戦場に送ろうとしている・・・そこまでされる筋合いか・・・と怒っています。現政権は早急に倒さなければ、日本は崩壊ですね。

Re:真に持つべき長期的目標
雑草Z
guyver1092さんが正論です。全くおっしゃる通り・・・
 この記事を書いたのは、現実には
「大きな長期目標」を持って「自己実現」している人の自己実現の野望の殆どは、社会を良くない方向、環境破壊の方向に進めた・・・と言う事です。

然るに、例えば現政権を見るに、本当の理想的な意味での長期展望は全くなく、目先の人参に向かって自己実現している、実体は「その日暮らし」なのかも知れません。最近の状況は正に行き当たりばったりの支離滅裂その日対応です。彼等に日本は任せられません。guyver1092さんがいつもおっしゃるところの
「政府の政策は文明崩壊を推進しているとしか思えません。」
特に現政権ではひしひしと感じます。

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2015-06-05 00:01
~夢は要らない。希望があれば~

 現代社会では「夢と希望」と言うように、『夢』と『希望』はひとくくりで語られる事が多々ありますが、かなり違った概念かと思います。
『夢』とは、将来実現したらいいなと思う願望のこと(実現性が高いかどうかは関係ありません。)
一方『希望』を『夢』と差別化を明白にして定義すれば、「将来に対する期待。先行きの明るい見通し。」となりましょう。


簡単に言えば、『夢』とは、実現性があろうが無かろうが、「願望」です。別の言い方をすれば「野望」でしょう。「自己実現の目標」になる場合もありましょう。現代社会では、よく若者に「夢を持て」と言いますが、『夢』を持つことは、必ずしも本人にとっていいことではありませんし、まして社会が良くなることと個人が夢を持つことの相関関係はないのではないでしょうか?(勿論、調べてみたわけではありませんが。。。) 「社会に大きく貢献し、社会を良くする。」と言った夢でさえ、現実に社会を良くするかどうかは極めて怪しいでしょう。それは、多くの政治家を例に出すまでもない事でしょう。(・・・と言うか、現代の政治家の多くが、「社会を良くする」と選挙で言いまくったとしても、本当にそんな志を持って政治家になったかどうかは怪しいものです。単に権力や利権、名声を手に入れようと考えただけかも知れません。)
「夢を持つ」とは、近代~現代に確立した極めて現代的今風な価値観ではないかと考えます。つまり、眠っている間に見る『夢』を「願望」の意味でも使うようになったのは、近年になってのことではないでしょうか?「願望」の意味で「夢」が一般になったのは、近代になってからだと思うのですが、誰かお分かりの方がいれば教えてください。
そして、現代人は『夢』に縛られ、自分の、そして他人の『夢』に苦しめられていると思うのです。

それに対し、『希望』は、人間に必要なものだと考えます。希望があればこそ、人間は生きる力が湧き、人生は楽しいし、充実します。希望は人間の活力の元、生きる糧、と言えましょう。
夢が無くても希望があれば生きていけます。しかし逆に、夢があっても希望が無ければ、生きることは苦しいし、自殺する可能性も大いにあるでしょう。
そう、人間には希望があれば、夢は要らないのです。



さて、ここまでは、ちょっと哲学的な価値観を書きましたが、ここから視点を変えて、社会、環境の側面から、夢と希望を論じてみます。
夢は、漠然とした個人の「願望」で留まっている間は、社会に対してほとんど影響はないでしょうが、個人が一旦「夢」を現実のものとしようと努力を始めると、社会に影響を及ぼします。夢の実現の為に努力する人々を現代社会は褒め称えます。
それに対して私は、「夢の実現」とは、「周りを巻き込んだ自己満足」と考えます。それが社会の役に立つ場合もあるでしょうが、環境破壊など、社会に悪影響を及ぼす場合のほうが遥かに多いと思います。環境も多くの人間の『夢』によって破壊されていると考えるのです。
文明が始まって以来、人間は多くの「夢」の実現の為に環境、文明、社会を破壊して来たのです。新大陸の発見、様々な化学物質の発明、原子力の平和利用、遺伝子組み換え・・・・
批判を覚悟で書かせて頂けば、現代の末期症状の環境問題は、多くの人々の大小さまざまな「夢の実現」の過程でもたらされたものだと考えています。だから、「夢の実現」は文明崩壊に通じると考えています。
「原子力の平和利用」などという狂った輩の『夢』、自己実現のための嘘っぱちのプロパガンダに踊らさなければ・・・人類は、今日のように放射能の恐怖に怯えることはありませんでした。

・・・と、ここまで「夢」にネガティヴなことを書き連ねさせて戴きましたが、言いたい事は、「夢の実現」と言うことは、それだけでは立派なことでも褒め称えるべき事でもないという事です。その「結果」が社会に(長期的視野で)良好な状態をもたらすのであれば、褒め称えればいい・・・と言うだけで、社会貢献との相関関係は、正の相関関係と言うよりも負の相関関係になるのではと考えるのです。
現代人は『夢』に大きな価値を置き過ぎなのです。「夢の実現」には、誇大な価値があるように洗脳されているのです。現代社会の精神的刷り込みだと考えます。

だから敢えて言います。

「個人の欲望の夢によって環境が破壊されてきた・・」
「夢は要らない、希望こそ生きる糧」
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(少しだけのときは片方、かなりのときは両方)

【2015/06/05 00:01】 | 思想・価値観 トラックバック(0) |

私の人生は人のお役に経つのか?
団塊親爺の遺言
 私たちが産れ もの心が付いた時には何代にも続く金貸したちの体制が敷かれ その流れの中でしか生きられ無い

末っ子の私は小学校へ上がる迄は田舎の叔母の処に預けられた
畑仕事の忙しい大人たちを後目に私は野山や小川で独り遊び
野山では木の実を小川では泥鰌や鮒等と遊び 厳冬の時期には
家の傍の松の木を丸太の棒で叩くと眠っていた雀たちがバラバラと落ちて来た 大人たちはそれらをストーブの上で焼き食べていたが私は可哀そうで食べられなかった 夏の夜は何時も家の前で焚火をし蛾等の虫が火に集まり害虫対策をしていたのを想い出します そんなある日にドラム缶に真っ青な液体が在りそれが
農薬=毒物で近寄るなと教えられました

次の日には小川から生き物の姿は見られません・・
焚火もしなくなり毒物を撒く時代に 人糞から化学肥料へ
土は痩せ 岩や石だらけの畑に成り経費が懸かり生活を維持
出来ずに農家を止める跡取りの姿は憐れでした

現在、それらの農薬も効果が無く成り全国で毛虫や病害虫が
大発生の現状の原因は生態系を壊し深刻な問題を起こす事で
更に薬剤で儲けようとする金貸しグループ 二人に一人は癌に
成る世界を産み出しています

神様や仏様が居るかどうかは判りませんが こんな私が発見した
病害虫だけが堆肥化する天然粉が全国から問い合わせが在り
昔の様に蛍や様々な生き物たちの居る自然回帰の一歩に成る様な・・
今年の毛虫大発生には打つ手は無いそうですが 天然粉が活躍しています 
嘘の様な 夢と希望の持てる話で申し訳ありません 
我が家の12年目の無農薬栽培(プランター)の果樹類たちが
大豊作の様相~やはり善い事には夢と希望が少し在っても・・
まあジジィの云う事 許されよ

  夢は今の大企業をギャフンと云わせる事

  希望は昔の生態系を取り戻し本物の味を取り戻す事



昔ながらの醸造技術がある、そして…
ST
先祖が培ってきたスピリッツもあるのですョ。日本は、バイオアルコールや藻オイルの研究は捨てちゃって、飲用アルコールの分を例えば「糠やフスマ、おからを使った発酵による肥料生産」に全面的に切り替えるとかすればいい…
その生産の際消費するエネルギーは純国産の再生エネルギーで賄う様にする…
とかも実現出来ないでしょうかね…今後はその手の方向に資本を注ぎ込むべきだと考えています。「人間も生物」なのですから…


Re:私の人生は人のお役に経つのか?
雑草Z
    団塊親爺の遺言さん

色々なエピソードを添えたコメント、興味深く読ませて戴きました。
 一見、記事の主題とは違ったコメントのタイトルですが、このタイトルこそ、この記事の本質を上手く突いたタイトルです。お見事です。
 そう、多くの人達の夢、特に資本家や開発に取りつかれた人達の夢が、環境を破壊し、生態系を壊して来ました。彼等の人生は、「お金儲け」に成功して夢を実現したのかも知れませんが、社会の役に立つどころか、社会の害悪、社会に悲惨な結果をもたらしました。

>もの心が付いた時には何代にも続く金貸したちの体制が敷かれその流れの中でしか生きられ無い

その事に気付かずに幼少時代を過ごし、大人になって暫くしてその事実に気が付いてその酷さに唖然としたものです。

>そんなある日にドラム缶に真っ青な液体が在りそれが
農薬=毒物で近寄るなと教えられました 次の日には小川から生き物の姿は見られません・・

酷いものですね。第二次世界大戦中に毒ガスを作っていた企業が、生き残り、更に儲ける為に作った代物が農薬であって、農業に使うべきものではありませんでした。

>土は痩せ 岩や石だらけの畑に成り経費が懸かり生活を維持
出来ずに農家を止める跡取りの姿は憐れでした

農事行政や農協が化学会社に踊らされて、農家が騙されたと言う構図でしょうね。

>夢は今の大企業をギャフンと云わせる事

こう言う夢なら素晴らしいですね。
大企業は裏から卑劣な手で来ますからお気を付けて下さいませ。一人ではなかなか立ち向かえませんね。その意味で「大きな夢」ですね。

>希望は昔の生態系を取り戻し本物の味を取り戻す事

私も希望は同じです。(味の事は良く分かりませんが・・・)百年前の生態系に戻れればこんなに嬉しい事はありません。  

Re:昔ながらの醸造技術がある、そして…
雑草Z
    STさん

これまた、記事との関連が良く分からないコメントですが(・・・ 上の団塊親爺の遺言さまのコメントに対するコメントですね?)内容は面白く、興味深いものでした。

>バイオアルコールや藻オイルの研究は捨てちゃって、

大賛成です。

>「糠やフスマ、おからを使った発酵による肥料生産」に全面的に切り替えるとかすればいい…

これ、素晴らしいアイディアですね。こう言う「夢」こそ社会は必要としているし、十分に実現出来る技術ですね。

>その生産の際消費するエネルギーは純国産の再生エネルギーで賄う様にする…

>今後はその手の方向に資本を注ぎ込むべきだと考えています。

これまた大賛成です。このような企業(起業)こそ、現代社会に必要ですね。人類が生き残る為に必要な21世紀の企業(起業)です。
ST さん、起業しませんか?

知性
guyver1092
 夢も希望も、その実現を図った結果に何が起きるかを予見できる知性が必要ですね。
 強欲な現代人に、このような知性を求めるのは酷かもしれませんが。

夢も希望も
爽風上々
夢も希望もありませんというのが決まり文句の芸人もいました。
また、「I have a dreame」という言葉で演説をしたマルチン・ルーサー・キングJrも記憶に残ります。

このような類似した言葉の微妙な語感の差というものは決まったものではなく、個人により違いはあるものですが、私の場合は「夢」よりも「希望」という言葉の方により強い「実現のための意思」というものを感じてしまいます。

しかし、「夢」といいながら無理やり実現の道をたどったものもあります。「夢の超特急」などというものも現実に日本各地を走り回るようになりました。

そこを踏まえて私の「夢と希望」をお示ししておきます。

私の「希望」はこれから来るであろう大激動で苦しみ嘆く人々をできるだけ少なくしたいということです。そのために、自分ながら微力すぎて情けないほどですが、ブログでの発信を心がけています。

私の「夢」は社会が完全に循環型エネルギーだけで運用できる定常社会になること。これは実現性はほとんど無いことを自覚しています。これには今は自分ではできることは事実上ありません。自分自身でも化石エネルギーで安楽な生活を送っているのが事実であり、それをすぐに捨てる気にもなりません。
それでありながら、定常社会を夢見るのはまさに「夢」です。

愚か者が資本を独占するという異常…
ST
これを打破するには…とにかく私は資本無しの清貧状態なので。
ファンド化して多くの賛同者から資本を集めるしか手がない。
更に賛同者の中でも特に協力して頂ける方を募らないとなぁ…

アイデアなら色々浮かぶのですが実際起業となると問題山積。
特に循環型エネルギーはちと躓き気味だし、農業も停滞中…

何より「本当の知性」を持った人を探し出すのが困難な状態。
全世界が白痴状態に近いのですからねぇ、又「日本も然り」…

まずは「雑草の言葉」の様なブログが増え、閲覧者が増えないとなぁ… 私独特で抱えている大問題は難問中の難問ですしね。

ぶっちゃけ言うとそれが清貧の最大の原因なので最優先課題…
課題と夢が叶う一石二鳥のアイデアもなかなか無いのが実情、
でも「瓢箪から駒」ってのもあるから努力は続けたいですネ。

起業を考えるのそれからしか出来なそう、その上今50代だし…


Re:夢も希望も、その実現を図った結果に何が起きるかを予見できる知性が必要ですね。
雑草Z
>夢も希望も、その実現を図った結果に何が起きるかを予見できる知性が必要ですね。

そうですね。特に 個人が『夢』を持つ事は、社会にとってはいい事でも悪い事でも無く、その実現を図ったとき。社会にもたらされるものでその評価は決まりますね。

しかし、多くの夢が実現性が低かろうとも『自己実現』の範疇であり、その個人のエゴが、環境問題を引き起こして来た・・・と言うのが記事の要旨です。
『希望』は、実現したい『望み』と言う意味では無く、例えば『生きる希望』、『明日への希望』のように、『心の支え』の意味で書いたのですが、皆さんには伝わらなかったようです。

兎も角、 guyver1092 さんのおっしゃる通り、

>実現を図った結果に何が起きるかを予見できる知性が必要

と言うのがこの記事の結論ですね。本文のまとめよりしっくりくるかもしれません。結論をしっかり上手くまとめて頂き感謝します。

Re:夢も希望も
雑草Z
>類似した言葉の微妙な語感の差というものは決まったものではなく、個人により違いはあるものですが、私の場合は「夢」よりも「希望」という言葉の方により強い「実現のための意思」というものを感じてしまいます。

『希望』を「物事が実現する事を待ち望むこと。」と言う(第一義的)意味と考えれば、爽風上々さんのおっしゃる通りだと思います。ネットで検索しても「実現可能な事に対する望みが『希望』で実現不可能、または可能性が低い望みが『夢』と出て来ました。ここにコメント下さった方はみんなそんな意味で捉えたようです。私は、上のguyver1092さんのコメントへのお返事にも書いたように、「明日への希望」「生きる希望」のような、「将来の明るい見通し」、「こころの支え」の意味で使わせて戴きましたが、伝わらなかったようです。でも、ここは哲学や文学表現のサイトではないので、その解釈で議論しても大した意味はありませんね(笑・・苦笑かな?・・・)


さて、爽風上々さんの今回のコメントの主題、
>そこを踏まえて私の「夢と希望」
について

>私の「希望」はこれから来るであろう大激動で苦しみ嘆く人々をできるだけ少なくしたいということ

以前上々さんが、
「将来の世界崩壊で、苦しむ方々の慟哭が、かなりリアルに感知出来る(・・想像出来る・・)」
のような事を書かれていたのが、非常に印象深く記憶に刻み込まれています。私も同じ未来を予測していますが、爽風上々さんに言われると、現実感が増します。

>ブログでの発信

などで効果があるのは「正当な恐怖心」を持つように、悲惨な現実を包み隠さず示す事だと思います。

>私の「夢」は社会が完全に循環型エネルギーだけで運用できる定常社会になること。

定常社会にならなければ「崩壊してお仕舞い」を迎える事になりましょうから、

>実現性はほとんど無いことを自覚

してても、「実現」を目指すべきなんでしょうね。

私は出来る範囲で、化石エネルギーなどのエネルギー浪費からは離れるようにしています。自転車通勤(ときに徒歩)エアコンを使わない。真夏でも真冬でも暖房の中心は体温としてエアコンは使わない。風呂の水の再利用(洗濯&畑の水)。・・・それをお薦めとして、多くの人にも発信していますが、自己満足の範疇かも知れません。

Re:愚か者が資本を独占するという異常…
雑草Z
なかなか本質を突いた意味深なコメントタイトルです。

実は似たようなタイトルで記事を書きたいとかなり前から考えていました。近々書こうと思います。

>ファンド化して多くの賛同者から資本を集めるしか手がない。

否、他にも方法はあるかも知れませんよ。

>「雑草の言葉」の様なブログが増え、閲覧者が増えないとなぁ…

それは望むところですが、当サイトは、3.11以降ある時期から、(某広告代理店等によって)逆SEO対策され、更に偽サイトまで作られたので、このままでは閲覧者を増やすのは難しいです。

>それが清貧の最大の原因なので最優先課題…
課題と夢が叶う一石二鳥のアイデアもなかなか無いのが実情、

何か色々ご苦労されていらっしゃるようですね?私とも共通するところが色々あるようです。

私は現在の仕事は早期退職しようかとも考えています。これを御縁に、まあ、話しだけで終わるかも知れませんが、ご一緒に起業のアイディアその他考えてみませんか?
もしかしてひょっとして少しでも
「瓢箪から駒」
って事もないとは断言出来ませんし・・・。
このコメント欄のHNの「雑草Z」のところにアドレス入れて置きますから、宜しければ是非メール下さい。
若しくは非公開(秘密)でコメント戴いても構いません。その際は、アドレスも入れて下さいませ。

>「瓢箪から駒」ってのもあるから努力は続けたいですネ。

いい発想、心掛けですね。そう、未来予測なんてどうなるか誰も分かりません。STさんがおっしゃるところの
>「瓢箪から駒」ってのもあるから
と考える事がまさしく今回の記事で私が言いたかったところの『希望』です。



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