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2014-10-29 00:01
ここのサイトの大きな主題は脱経済成長です。
経済成長志向の愚かさについてはここのサイトでしつこく論じてきましたが、会計基準や法律の側面から論じた事は殆どありませんでした。私の着想になかったからです。これから何度かに渡り、経済成長志向の原因やその対処法について、ここの常連の HN guyver1092氏に 法律、会計基準の面から論じて戴きます。私の切り口とは大きく異なった側面からの記事となります。

先ずは、その原因についてです。

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 現代日本はバブル崩壊後、成長のために工夫すればするほど人々の生活は苦しくなり、一方でごく一部の富裕層がますます富んでゆくという二極分化が進んでいます。起死回生を願って国民に選ばれた安倍内閣の三本の矢の内、異次元の金融緩和により円安を実現しましたが、人々の思うような、輸出増大よる景気のV字回復という幻想はもろくも崩れ去りました。
そもそも資本主義とはどのようなものでしょうか。資本主義は、貨幣的に見れば資本の拡大再生産を目指すシステムであり、商品的に見れば、より多くの物を消費させるためのシステムです。この原則からすれば、有限の面積の、有限の資源しかない地球上で、無限に経済成長することは不可能です。無理に経済成長しようとすれば、どのような事態が予測できるでしょうか。古くはローマクラブ、最近ではNASAが予想を行っていますが、両者とも結論は同じで、文明崩壊です。
   【現代文明は崩壊の道を辿っている NASA出資の研究結果

 なぜ、人類は対策を取ろうとしないのでしょうか? むろん、様々な人、さまざまな団体が破滅の到来を警告していますが、大企業、行政の中で文明崩壊へ至る破滅への道からの離脱を目標に掲げ、活動しているとの情報は聞いたことがありません。現在行われている程度の活動では、文明崩壊回避は、不可能に近いものを感じます。
 私はこの原因を、人類が己の法律に自滅を規定しているからだと考えます。常識から考えて、そんなバカなことをするはずがないとだれもが思うでしょう。確かに人類破滅法だとか、文明崩壊法等があるわけではありません。しかし、考えてみてください。現代社会の税法をはじめとする会計関連の基準は、経済成長を促す様々な方策が規定されており、この仕組み上で経済活動する限り、拡大再生産をしようと考えていなくても、活動の結果は経済成長を目指してしまうのです。
 私は、この税制を含む会計基準が全ての法律の基礎に置かれており、経済成長を阻害すると支配者が考える法律はすべて作りかえられ、あるいは骨抜きにされていると考えています。ですから、文明崩壊の回避を与党の政治家に期待をしても、無駄というものです。では、官僚はどうでしょうか。ほとんどの官僚は権限が決まっており、行政に己の考えを反映させることはできません。また、考えを行政に反映できる立場の者も、国策という方針の中で政策を立案しなければそれこそ首になってしまいます。そうなると法律に基づき、文明崩壊の方針を回避するために遺された手段は、裁判及び選挙です。裁判について、裁判官は法律に基づき判決を書かなければなりません。法律的に考えて理論的でなくてはいけないのです。そして、法律の根本にあるのは経済成長志向です。結果は文明崩壊を推進する政策がほとんど勝ちます。今までの原発裁判を見れば明らかですね。ただ、最近ひょっとしたらその流れが変わったかもしれない結果も出ています。上級審の結果が注目されます。  【大飯原発3・4号機差し止め請求裁判

 選挙については、理屈上立法府を選ぶわけですから、自滅が記述されている会計基準関連の法律を変えると主張する政党を政権等にすることが出来れば、自滅を回避できるでしょう。残念ながらこれについては、少なくとも現在の日本人は、法律に自滅が記述されている事を理解できていないと感じます。理解できなければ、文明崩壊回避は不可能ということになります。
 現代の会計基準は、余剰を作り出し、それを投資して利潤を得、資本の自己増殖をするよう設計されています。また、バブル崩壊後は低下した経済成長率を上昇させるため、投資減税などの政策も行われています。
このような仕組みに従う限り、この社会で生きる人々は、消費する資源を経済成長するのに合わせ増やしていくことになります。会計基準に従う限り、経済成長は永遠に続けなければならず、人々はより多くの資源の消費を強制されることになります。しかし、再度言いますが現実の地球の大きさは有限です。地上にある資源・エネルギーも当然有限です。経済成長は、地球の大きさという物理的な制限を必ず受けるのです。そして、心ある人は、経済成長の限界が目前といってよいぐらいまで迫っていると警告しています。成長の限界は古代文明でもたびたびおこっており、限界に達した文明は崩壊し、人口の激減、文化の消滅等が起こっています。会計基準に従い経済活動するということは、文明崩壊を目指すことに他ならないのです。

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【2014/10/29 00:01】 | Economic Fascism トラックバック(0) |

経済成長洗脳だけではなかったのですね。
雑草Z
 現代社会の経済成長志向は「経済成長があらゆる問題を解決する」と言う狂った洗脳によるものだと考えていましたが、そればかりでは無かったのですね。今のところ少数派である経済成長を是としない人々さえも、現在の法律に従って、若しくは会計基準に照らし合わせて不利にならないように活動していくと、経済成長に貢献するようなシステム荷っていると言う事ですね。
 とんでもないシステムです。主に財界、大手金融投資家達が政治家と癒着して作っていった法律でしょうか。

 目から鱗の記事でした。

Re:経済成長洗脳だけではなかったのですね。
guyver1092
 会計基準とは慣習法だそうですので、長年にわたって少しづづ改良(?)されてきたのでしょう。公平に分配するためですから、大手かどうかは分かりませんが投資家の欲望同士の調整の為でしょうね。慣習法であるので、政治家がどう絡んでいるかは私にはわかりません。

http://www2.plala.or.jp/dogcat/kinndai%20kaikei.htm

 私としては、これが文明の暴走の本体ではないかと考えています。普通に生きようとしただけで、文明ごと自分を滅ぼそうと言うおぞましいシステムですね。
 

Re:Re:経済成長洗脳だけではなかったのですね。
雑草Z
御紹介のページは、腰を入れて読まなければ内容がよく分かりませんが、
>長年にわたって少しづづ改良

されて、投資家に有利に帰られて来たという事でしょうか?
資本主義そのものが、金が余っている者が投資で更に財産を増やす為の不公平な社会ですね。

>「近代」とは、宗教的暗黒時代から開放され、

とはとても思えません。また別のもっととんでもない暗黒時代に突入したと感じます。

>文明ごと自分を滅ぼそうと言うおぞましいシステム

であると私も思います。

Re:Re:Re:経済成長洗脳だけではなかったのですね。
guyver1092
 おっしゃる様に資本主義そのものが投資家の為の者ですので、会計基準についても、投資家に有利に改良してきたというよりも、投資家同士の公平を考えていて、労働者は眼中になかったのではないでしょうか。

>「近代」とは、宗教的暗黒時代から開放され、

 宗教は私は嫌いですが、宗教にある権力者に対する歯止めの部分を宗教的暗黒と感じたのでしょうね。

>また別のもっととんでもない暗黒時代に突入したと感じます。

 私もそう思います。


Re:Re:Re:Re:経済成長洗脳だけではなかったのですね。
雑草Z
>宗教にある権力者に対する歯止めの部分を宗教的暗黒と感じたのでしょうね。

なるほど、宗教が権力者の行動を規制して、歯止めの役割をしていたわけですね。権力者はそれを「宗教的暗黒」と感じていたわけで、その歯止めから解放された権力者が、横暴な事をやり放題になってきているのが現代ですね。
暗い過去よりも現代のほうが素晴らしい・・・と言うプロパガンダは、新たな権力者によって為される洗脳ですね。
 丁度明治維新のときのプロパガンダ・・・江戸時代は暗く、明治の文明開化は素晴らしい・・・のようなものでしょうね。
資本家の為の資本主義社会ほど酷い社会は、過去に例を見ないかも知れませんね。

暗黒時代
guyver1092
 人権という意味で、現代社会は過去のどの時代よりも人身売買が盛んだそうです。人間も立派な商品として消費される、過去に例を見ないひどい社会ですね。
 この上更に、国民が自分の意思で戦争したくなるように、国民を貧困に陥れようと画策しているように感じます。

Re:暗黒時代
雑草Z
>人権という意味で、現代社会は過去のどの時代よりも人身売買が盛んだそうです

これはちょっと意外な驚きですが、言われてみれば、その可能性が高そうです。

>人間も立派な商品として消費される

資本主義社会では、労働者も人材資源と呼ばれ、企業経営上の意味では資本家からは、資材と同等に扱われますから、確かに消費財ですね。

>この上更に、国民が自分の意思で戦争したくなるように、国民を貧困に陥れようと画策している

アメリカはかなり以前から既にそうなっているし、日本も現政権はそのような方向に向かっていますね。非常に軽率で場当たり的な旧態依然とした政権です。
 そして、日米に限らず、世界中の多くの国でこの方向に向けようとしている勢力が暗躍しているようです。

残念ながら現代は確かに暗黒時代ですね。
・・・その大きな原因の一つが会計法にあるとは、以前の私同様多くの人が気付かないでしょうね。拡散の必要性を感じます。

「エンデの遺言」もその一つでしょう。そして、今回のguyver1092 さんの記事も。

Re:Re:暗黒時代
guyver1092
 どこで読んだのかは覚えていませんが、ネット上にも歴史上最多との記事がありました。
http://democracynow.jp/video/20090909-4

 貧困になると、今日生きることが精いっぱいになって、平たく言えば、ばかになるようですね。プラス、教育によりモノを考えず、他人の言うことを鵜呑みにするよう教育していますから、たちが悪いですね。
 私が会計基準に記載されていると気がついたヒントは、槌田氏の補助金行政批判でした。「補助金だけでここまで歪むか?」との疑問から、会計に記述されている事に気がつきました。世界で最初に気がついたと主張する気はありませんが、少なくとも、私の知る限りネット上にはありませんでした。

なぜ税法や会計基準関連で。
でなしNo.146
税法や会計基準が経済成長を促すように作られているとのことで、会計基準については不勉強であまりわからないのですが、税法については要点は「国として強くなる」という目的が根っこにあると考えています。

国として強くなるという意味を税の視点からざっくりまとめると、「多くの税収を恒久的(よる多くなるように)に上げること」と言い換えることができると思います。

他の多くの税収を上げる国には理論上はなかなか勝てないので、生き残るためには税収をより多く上げるという点は国としては落とせないポイントなのでしょう。

経済学の中で部分最適と全体不適合ということが昔から問題になっていますが、国レベルでみれば、それぞれの国が税収の増大(部分最適)を狙うおかげで地球が耐えられないレベルの活動が行われている(全体不適合)という見方もできます。

こう考えると人類が直面している環境問題は、欲望と理性との戦いの結果の集積が表出している、と言えると思いました。

Re:Re:Re:暗黒時代
雑草Z
>私が会計基準に記載されていると気がついたヒントは、槌田氏の補助金行政批判でした。

私も槌田敦氏の補助金行政批判を読んで全くその通りだと思いましたが、

>「補助金だけでここまで歪むか?」との疑問から、会計に記述されている事に気がつきました。

と言う事には全く気付きませんでした。

>世界で最初に気がついたと主張する気はありませんが、少なくとも、私の知る限りネット上にはありませんでした。

これは凄い発見だと思います。ここの記事に使わせて戴いて恐縮です。この偉大な記事を拡散したいものです。



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2014-10-19 18:56
警察に密着取材して、取り締まりの現場の様子を放送するドキュメントTV番組が流行っています。警察に限らず、現場の活躍の様子を実際に取材して報道する事はかなり意味のある事でしょう。大抵のフィクションよりは興味深く見ることが出来、実情も知ることが出来ます。
先日も、違法賭博場の現場を取り締まる警官の活躍がTV番組で流されていました。カフェバーとかナイトクラブのような場所で会員制の違法カジノが開かれていて、それを警察が内偵して違法行為の確証を得て突入する・・・と言った内容です。「正義の警察」が「悪の違法賭博場」を取り締まるドキュメントです。警官達もTV局の取材を受けて、張り切っていいところを見せているのかも知れません。
しかし、この手の番組には違和感があります。
違法賭博は確かにいいものではないでしょうが、違法賭博は儲かる者も損する者も原則としてその賭博に参加している内輪の人々の世界です。外の世界に迷惑がかかるわけではありません。(勿論、いかさまもあるでしょうし、間接的には回りにも迷惑をかけるでしょう・・・)競馬・競輪・競艇、パチンコ・・・合法賭博でも同じような事が毎日沢山行われています。(公営ギャンブルは儲けが社会事業に使われると言う点は違います・・。)
 この手の違法ギャンブルは、小悪の部類でしょう。あんな大げさに大勢で押し掛けて取り締まるのならもっと巨悪に立ち向かって欲しいと感じてしまいます。
世の中には、違法カジノよりも遥かに額も大きく、世の中に対する影響も非常に大きな・・・経済を大きく動かす・・・合法賭博場が存在します。それは金融市場です。現在の金融市場は完全に巨大なカジノです。違法賭博場との大きな違いは、合法である事です。そして、賭けの対象が、さいころやルーレットの目、トランプのカードでは無く、株であったり現実の企業であったり為替であったり農作物であったりするところです。即ち、彼等の賭けによって、企業で働く人々の給与に影響が出たり、為替相場が変動して農作物の値段が不安定になるのです。最近ではデフォルトなど国家を破算に導く事も珍しく無くなって来ています。そしてその不安定さを利用して、金融投資家が利益を得ているのです。隠れてこそこそ行われている違法賭博と違って、投資と言う名の巨額のギャンブルが堂々と合法的に行われているのです。そして、投資家達のギャンブルによって、ギャンブルをしない労働者が汗水流して得たお金をも搾取されているのです。これこそ悪質なギャンブルと言えましょう。この巨悪に比べれば、クラブでこそこそと行われている会員制違法賭博など「プチ悪」でしょう。

違法賭博場を摘発している警察官たち、TVの取材陣達はこの事を認識しているのでしょうか?彼が行っている取り締まりは、「プチ悪」の取り締まりであって、本当の巨悪には手を出しません。「プチ悪」を取り締まる事によって、庶民に法治国家はしっかりと機能していると思い込ませ、「悪」を懲らしめていると言う正義感をくすぐっているだけかも知れません。いわゆる庶民の「ガス抜き」に過ぎないのです。・・・それを知っていて、虚しく感じている警察官も中にはいるのでしょうか?
勿論、悪の芽は早い段階で摘み採っておく事も大切でしょうから、違法賭博場の取り締まりも否定はしませんが、警察は常に国家権力の犬であり、国家権力と癒着した巨大権力には立ち向かわないと言う事を再認識してしまいました。
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【2014/10/19 18:56】 | Economic Fascism トラックバック(0) |

カジノ
爽風上々
公認のカジノを作ろうかという時期に違法カジノは取り締まりというのは面白い話です。
もちろん、公認カジノができても違法カジノの取り締まりは続けるのが行政の考えでしょうが。

この前のビルトッテンさんの著書に書かれていた「カジノ経済」という言葉を思い出します。
世界経済全体を巻き込むような賭博行為にはひれ伏しておきながら、チンピラの寺銭稼ぎはゆるさないと言う、まさに小役人の政治そのものでしょう。

このようなくだらない政府でもそれを選んだのは選挙民なんですが。

起源
guyver1092
 元々の株式会社の起源は、外国貿易という博打でした。単独で船を出すと失敗した時のダメージが大きいので、危険を分散させるため出資を募り、公平に分配するために会計が発達したそうです。
 博打で始まった資本主義は、高度成長時代はまっとうなものと認識されていましたが、成長の限界に達しつつある現在は、最初期の博打に原点回帰しているのですね。
 時代劇では、博打で身を持ち崩すシーンがよく出てきますが、社会を牛耳っているのが博徒では、人間社会が身を持ち崩すのも時間の問題ですね。

Re:カジノ
雑草Z
>この前のビルトッテンさんの著書に書かれていた「カジノ経済」という言葉を思い出します。

そうですね。この記事を書いたとき、確かに最近読んだ何冊かの資本主義の酷さに関する本が頭にありました。勿論ビルトッテンさんの書物もその一つです。(2冊と言うべきでしょうか。)

>世界経済全体を巻き込むような賭博行為にはひれ伏しておきながら、チンピラの寺銭稼ぎはゆるさないと言う、まさに小役人の政治そのものでしょう。

世界全体を巻きこむカジノ経済は本当に酷いもので、マネーの暴力は、アジアやアフリカを食いものにして来ました。彼らがギャンブルで大儲けする為に、貧困が作り出され、環境が破壊されます。

>このようなくだらない政府でもそれを選んだのは選挙民

民主主義と言う名の大衆政治、金権政治ですね。これが民主主義政治と言う物の限界なのでしょうか?


Re:起源
雑草Z
>元々の株式会社の起源は、外国貿易という博打でした。単独で船を出すと失敗した時のダメージが大きいので、危険を分散させるため出資を募り、公平に分配するために会計が発達したそうです

言われてみれば確かに株の起源は大航海時代の冒険航海の費用でしたね。この頃から金持ちの余った金を増やす為に資本主義が発達したのでしたね。

>博打で始まった資本主義は、高度成長時代はまっとうなものと認識されていましたが、成長の限界に達しつつある現在は、最初期の博打に原点回帰している

なるほど、興味深い分析です。確かにそう思えます。

>社会を牛耳っているのが博徒では、人間社会が身を持ち崩すのも時間の問題ですね。

guyver1092 さん一流のブラックジョークならいいのですが、現実に博徒、それも不公正な賭けを仕組む博徒が牛耳っているのですから笑えない恐ろしい現実です。


真善美の探究
阿頼耶
【真理と自然観】

《真理》

結論から言って, 真偽は人様々ではない。これは誰一人抗うことの出来ない真理によって保たれる。

“ある時, 何の脈絡もなく私は次のように友人に尋ねた。歪みなき真理は何処にあるのか, と。すると友人は, 何の躊躇もなく私の背後を指差したのである。”

私の背後には『空』があった。空とは雲が浮かぶ空ではないし, 単純にからっぽという意味でもない。私という意識, 世界という感覚そのものの原因のことである。この時, 我々は『空・から』という言葉によって人様々な真偽を超えた歪みなき真実を把握したのである。我々の世界は質感。また質感の変化からその裏側に真の形があることを理解した。そして我々はこの世界の何処にも居らず, この世界・感覚・魂の納められた躰, この意識の裏側の機構こそが我々の真の姿であると気付いたのである。



《志向性》

目的は何らかの経験により得た感覚を何らかの手段をもって再び具現すること。感覚的目的地と経路, それを具現する手段を合わせた感覚の再具現という方向。志向性とは或感覚を具現する場合の方向付けとなる原因・因子が具現する能力と可能性を与える機構, 手段によって, 再具現可能性という方向性を得たものである。

『意識中の対象の変化によって複数の志向性が観測されるということは, 表象下に複数の因子が存在するということである。』

『因子は経験により蓄積され, 記憶の記録機構の確立された時点を起源として意識に影響を及ぼして来た。(志向性の作用)』

我々の志向は再具現の機構としての躰に対応し, 再具現可能性を持つことが可能な場合にのみこれを因子と呼ぶ。躰に対応しなくなった志向は機構の変化とともに廃れた因子である。志向が躰に対応している場合でもその具現の条件となる感覚的対象がない場合これを生じない。但し意識を介さず機構(思考の「考, 判断」に関する部分)に直接作用する物が存在する可能性がある。



《思考》

『思考は表象である思と判断機構の象である考(理性)の部分により象造られている。』

思考〔分解〕→思(表象), 考(判断機能)

『考えていても表面にそれが現れるとは限らない。→思考の領域は考の領域に含まれている。思考<考』

『言葉は思考の領域に対応しなければ意味がない。→言葉で表すことが出来るのは思考可能な領域のみである。』

考, 判断(理性)の機能によって複数の中から具現可能な志向が選択される。


《生命観》
『感覚器官があり連続して意識があるだけでは生命であるとは言えない。』

『再具現性を与える機構としての己と具現を方向付ける志向としての自。この双方の発展こそ生命の本質である。』


生命は過去の意識の有り様を何らかの形(物)として保存する記録機構を持ち, これにより生じた創造因を具現する手段としての肉体・機構を同時に持つ。

生命は志向性・再具現可能性を持つ存在である。意識の有り様が記録され具現する繰り返しの中で新しいものに志向が代わり, その志向が作用して具現機構としての肉体に変化を生じる。この為, 廃れる志向が生じる。


*己と自の発展
己は具現機構としての躰。自は記録としてある因子・志向。

己と自の発展とは, 躰(機構)と志向の相互発展である。志向性が作用した然としてある意識(現象)から新しい志向が生み出され, その志向が具現機構である肉体と意識に連動して作用する。生命は然の理に屈する存在ではなくその志向により肉体を変化させ, 然としてある意識, 世界を変革する存在である。

『志向(作用)→肉体・機構』



然の理・然性
自己, 志向性を除く諸法則。志向性を加えて自然法則になる。

然の理・然性(第1法則)
然性→志向性(第2法則)



【世界創造の真実】

世界が存在するという認識があるとき, 認識している主体として自分の存在を認識する。だから自我は客体認識の反射作用としてある。これは逆ではない。しかし人々はしばしばこれを逆に錯覚する。すなわち自分がまずあってそれが世界を認識しているのだと。なおかつ自身が存在しているという認識についてそれを懐疑することはなく無条件に肯定する。これは神と人に共通する倒錯でもある。それゆえ彼らは永遠に惑う存在, 決して全知足りえぬ存在と呼ばれる。

しかし実際には自分は世界の切り離し難い一部分としてある。だから本来これを別々のものとみなすことはありえない。いや, そもそも認識するべき主体としての自分と, 認識されるべき客体としての世界が区分されていないのに, 何者がいかなる世界を認識しうるだろう?

言葉は名前をつけることで世界を便宜的に区分し, 分節することができる。あれは空, それは山, これは自分。しかして空というものはない。空と名付けられた特徴の類似した集合がある。山というものはない。山と名付けられた類似した特徴の集合がある。自分というものはない。自分と名付けられ, 名付けられたそれに自身が存在するという錯覚が生じるだけのことである。

これらはすべて同じものが言葉によって切り離され分節されることで互いを別別のものとみなしうる認識の状態に置かれているだけのことである。

例えて言えば, それは鏡に自らの姿を写した者が鏡に写った鏡像を世界という存在だと信じこむに等しい。それゆえ言葉は, 自我と世界の境界を仮初に立て分ける鏡に例えられる。そして鏡を通じて世界を認識している我々が, その世界が私たちの生命そのものの象であるという理解に至ることは難い。鏡を見つめる自身と鏡の中の象が別々のものではなく, 同じものなのだという認識に至ることはほとんど起きない。なぜなら私たちは鏡の存在に自覚なくただ目の前にある象を見つめる者だからである。

そのように私たちは, 言葉の存在に無自覚なのである。言葉によって名付けられた何かに自身とは別の存在性を錯覚し続け, その錯覚に基づいて自我を盲信し続ける。だから言葉によって名前を付けられるものは全て存在しているはずだと考える。

愛, 善, 白, 憎しみ, 悪, 黒。そんなものはどこにも存在していない。神, 霊, 悪魔, 人。そのような名称に対応する実在はない。それらはただ言葉としてだけあるもの, 言葉によって仮初に存在を錯覚しうるだけのもの。私たちの認識表象作用の上でのみ存在を語りうるものでしかない。

私たちの認識は, 本来唯一不二の存在である世界に対しこうした言葉の上で無限の区別分割を行い, 逆に存在しないものに名称を与えることで存在しているとされるものとの境界を打ち壊し, よって完全に倒錯した世界観を創り上げる。これこそが神の世界創造の真実である。

しかし真実は, 根源的無知に伴う妄想ゆえに生じている, 完全に誤てる認識であるに過ぎない。だから万物の創造者に対してはこう言ってやるだけで十分である。

「お前が世界を創造したのなら, 何者がお前を創造した?」

同様に同じ根源的無知を抱える人間, すなわち自分自身に向かってこのように問わねばならない。

「お前が世界を認識出来るというなら, 何者がお前を認識しているのか?」

神が誰によっても創られていないのなら, 世界もまた神に拠って創られたものではなく, 互いに創られたものでないなら, これは別のものではなく同じものであり, 各々の存在性は虚妄であるに違いない。

あなたを認識している何者かの実在を証明できないなら, あなたが世界を認識しているという証明も出来ず, 互いに認識が正しいということを証明できないなら, 互いの区分は不毛であり虚妄であり, つまり別のものではなく同じものなのであり, であるならいかなる認識にも根源的真実はなく, ただ世界の一切が分かちがたく不二なのであろうという推論のみをなしうる。



【真善美】

真は空(真の形・物)と質(不可分の質, 側面・性質), 然性(第1法則)と志向性(第2法則)の理解により齎される。真理と自然を理解することにより言葉を通じて様々なものの存在可能性を理解し, その様々な原因との関わりの中で積極的に新たな志向性を獲得してゆく生命の在り方。真の在り方であり, 自己の発展とその理解。


善は社会性である。直生命(個別性), 対生命(人間性), 従生命(組織性)により構成される。三命其々には欠点がある。直にはぶつかり合う対立。対には干渉のし難さから来る閉塞。従には自分の世を存続しようとする為の硬直化。これら三命が同時に認識上に有ることにより互いが欠点を補う。

△→対・人間性→(尊重)→直・個別性→(牽引)→従・組織性→(進展)→△(前に戻る)

千差万別。命あるゆえの傷みを理解し各々の在り方を尊重して独悪を克服し, 尊重から来る自己の閉塞を理解して組織(なすべき方向)に従いこれを克服する。個は組織の頂点に驕り執着することなく状況によっては退き, 適した人間に委せて硬直化を克服する。生命理想を貫徹する生命の在り方。


美は活活とした生命の在り方。

『認識するべき主体としての自分と, 認識されるべき客体としての世界が区分されていないのに, 何者がいかなる世界を認識しうるだろう? 』

予知の悪魔(完全な認識をもった生命)を否定して認識の曖昧さを認め, それを物事が決定する一要素と捉えることで志向の自由の幅を広げる。予知の悪魔に囚われて自分の願望を諦めることなく認識と相互してこれを成し遂げようとする生命の在り方。




Re:真善美の探究
雑草Z
    阿頼耶さん

 初めまして・・・長いコメント有難う御座います。・・・と言いたいところですが、記事の内容と特に関係の無い長文のコピペのようですね。御自分の文章でしょうか?
 スパムと見なしてそのうち削除しようかと思います。悪しからず。

バブルというカジノ。
でなしNo.146
バブルについて研究した近代経済学者の第一人者はガルブレイスだったと思ったのですが、彼は興味深いことをいくつか提言しています。

すごいざっくり言えば注意すべきことは、

1.レバレッジをかける仕組み
2.懐疑の排斥

この2つの点です。

この2つが組み合わさるとバブルがおきます。

つまり、(株式)資本主義(1.)と人間の欲望の暴走(2.)が組み合わさるとバブルが生成されるわけです。


そしてバブルはいつかはじけます。そのはじけることについて考察すると、

A.バブルを仕掛けた者
B.バブルに乗る者
C.バブルを壊す者

としたとき、AとCは同一団体(人物)であることが多いのです。

そして大損をするのは逃げることを知らなかったBの人達です。

つまり民衆です。


カジノはシステムがバブル的で、ほぼ仕掛けた人が勝つ仕組みになっていますが、金融市場のバブルも同じだと言えると思います。

ただ、違うことは、カジノには負けない方法があります。

「賭けない(参加しない)」という方法です。


一方、資本主義(経済)はゲームに参加しなければ、生活を営めないのが切ないところです。
金融市場に直接は参加しなくても、物価などで余波がくるあたりはもらい事故のひどい感じとでも言いましょうか。。。

そして、これからもどこかで大小さまざまなバブルが発生し、判断も付かないような、将来の予測もできないような人がバブルの泡となっていくんだと思います。
(あと、参加してないつもりでも余波を受ける人。私もその1人。)

自分は今、どのバブルに参加しているのか?
そしてバブルはいつ潮目が変わり、はじける流れになるのか?

こういう視点もこれから一層大切になると思っています。

Re:バブルというカジノ。
雑草Z
興味深い提言の御紹介有難う御座います。ガルブレイスって知りませんでしたが、調べてみると、最初の脱物質主義者の一人と捉えられているのですね。その事からも彼の提言は読む価値があると感じます。でなしNo.146 さんは、彼のどんな著書を読まれたのですか?・・お薦めは?

>A.バブルを仕掛けた者 と C.バブルを壊す者
が同一団体(人物)であることが多い

と言うのも、興味深いですね。納得です。世界大恐慌も、金融財閥が仕掛けたと言う説もあり、一理ありますからね。
仕掛けるものと壊すものが同じと言う事は、完全に自分達の利益の為に社会を不安定にさせていますね。ある意味諸悪の根源と言う事も出来ますね。

>資本主義(経済)はゲームに参加しなければ、生活を営めないのが切ないところです。

そうですね。参加してない積りでも、間接的に参加させられています。本文にも書きましたが、彼等のギャンブルの対象が、企業であったり農業であったり為替相場であったりしているのですからどうしようもありません。違法カジノよりも、人間の生活に関わる部分を賭けの対象にしてはいけないと言う法律のほうが大切ですね。

>参加してないつもりでも余波を受ける人。私もその1人

私も、数年前から株やFXなどの投資は一切しない事にしていますが、それでも色々カジノ経済で搾取されている事実に気付くと、ふざけるなと言いたいですね。
 最近読んだ本に建築家のマルグリット・ケネディと言う人の事が描かれていました。彼女は「金融のシステムが大半の戦争の根であり、大半の対立、社会崩壊の根であるが、その事が伝えられていなません。その真の原因を理解したら、誰もがおかしくなる筈です。」と述べています。全くその通りだと思います。
現代社会は昔よりも住みやすくなったのではなく、とんでもないカジノ経済世界社会の真っただ中・・・そろそろ崩壊するところ・・・ですね。  
 

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2014-10-11 00:01
日本の食料自給率の低さの事に言及するとき、家畜の飼料の自給率の低さも大きな問題の一つとされます。日本の畜産物の自給率が高くとも、その飼料穀物の7割以上は輸入に頼っており、輸入飼料による飼育分を輸入畜産物と見なすと、畜産物の自給率はカロリーベースでたったの15%程度になるのです。
肉を食べると言う事は、その飼料となる穀物を直接食べる場合と比べ、カロリーベースでは桁違いに低くなってしまいますので、将来的には肉食はせずに、みんな穀物を食べなければ食糧不足になるだろうと言う見通しもあります。これは、現在食料自給率の極端に低い日本に限った事ではありません。世界の人口が増え続ければ、人類に飢餓を出さない為には食肉のカロリーの非効率が問題になります。
そもそも、家畜のえさとして飼料穀物を栽培して与える事に違和感があります。
最近読んだ本、『食べものとエネルギーの自産自消』に、しっかりと明記されていました。「念のために断っておくが、畜産は元来、人が食べられない草資源や残渣を人が食べられる肉や乳製品などに変換する営みである。こうした方法で生産された畜産物を少しずついただくことが本来の姿だ。」
 なるほどその通りです。食料の自給自足もままならない国が、飼料穀物を輸入して、それを家畜に食べさせて畜産をやってその肉を食べる事は、大局的に見れば非常に愚かな事でしょう。
最近では、ペットのえささえも、人間も十分に食べられそうな肉の缶詰を海外で作って、日本に輸入するようになってしまいました。
この本には更に以下のように書かれています。
「穀物を餌として与える近代畜産を前提とした高タンパクの食事は、環境への負荷も大きい。たとえば1kgの牛肉を生産するのに、牛に飲ませる水と穀物を育てる水で合計20トンも必要であると試算されている。また、アメリカ中西部のトウモロコシ地帯で施用した窒素肥料やリン酸肥料の一部がミシシッピ川を経てメキシコ湾に流れ出し、河口一帯の約15000haを死の海にしている。」

つまり、畜産の為に飼料穀物を栽培して家畜の餌として家畜を育て、その家畜の肉を食べると言う事は、穀物を直接食べることと比べ、人間が得られるカロリーは桁違いに低くなるばかりでなく(つまり養える人口も何十分の一になってしまうと言う事。)環境も汚染してしまうと言う事です。

基本は、やはり家畜は自然に生える草や残滓を餌にするべきでしょう。わざわざ畑で作った穀物は人間が直接食べるべきでしょう。

 ×  ×××    ××××    ×××××    ××××   ××  ×

最後に、 『食べものとエネルギーの自産自消』 長谷川 浩 著
について書かせて頂きます。 [書評]です。

近くの町の小さな茶房で、「里山資本主義」の映像を見て、会津での里山資本主義の事などを論じるという集まりがあった時、そこの常連らしき、長谷川 浩 氏本人から買った書物です。彼は日本有機農業学会副会長です。彼から本書をを紹介されたとき、自分の興味のあるタイトルだったので、購入しました。しかし、タイトルから内容は大体想像出来ますし、自分の知らない新たな知識はあまりないだろうと、読まずに本棚に積んでありました。この秋遠出をする際に持って行き、電車の中で読みました。最初は普段考えている事と同じような事が述べられており。共感しましたが、途中からとっても変わった本になりました。この本は、日本の食べものとエネルギーに対する自分の主張を書いていると同時に、有機無農薬農業や再生可能エネルギーの供給システムに関する技術論が記されています。それも、混在して述べられています。
日本の食べものとエネルギーに対する主張には大局的に共感する内容でいい感じで読めたのですが、ところどころ、技術書に早変わりするのです。水田の稲作技術だとか輪作技術、家畜の飼い方などの技術論の単元になります。奇異な感じがしました。せめて前半と後半の2部に分けて書かれているのならば納得出来ますが、彼の文明論的農業、食の主張と、農業の個別の技術が混在しているのです。私は、有機農業の技術にも興味があり、それはそれで有意義な知識が書かれていましたが、頭の切り替えが面倒でした。日本の農業の在り方に関する講演を聴いている最中に突然話が切り替わって、個別の作物の育て方の授業が始まる・・・と言ったイメージです。
その意味で、2つの分野の全く異なった内容が混在する本と言えましょう。ちょっと混乱しましたが、私にとっては色々役に立つ名著でした。


著者、長谷川浩さんは、自ら会津の里山で自産自消の生活をしていますが、有機農業も教えていらっしゃいます。地元でこんな方に有機農法を習えるのは幸運です。自分は、今まで書物をかじったりしながら試行錯誤で細々と家庭菜園をやって来ましたが、来年あたり時期を見て、是非とも彼の有機農法の講座を受講しようと決めました。
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【2014/10/11 00:01】 | 農業 トラックバック(0) |

畜産
爽風上々
食料自給率をとやかく言う人でも絶対に触れないのは輸入の多くが畜産飼料用の穀物だということです。
肉食を止めてしまえというのはなかなか言いづらいことでしょうが、食料自給率を上げるだけだったら日本国内での畜産はやめて肉を輸入することにすればかなりの上昇は為し得ます。
結局、畜産農家が怖くて誰も口にできない話題になっているのでしょう。

アメリカなどでも日本向けの肉牛には牧草ではなく穀物を与えることが多くなっているようですが、これも牧草飼育だけにすればかなり環境改善になるでしょう。

ともあれ、近い将来には50年以上前のように肉は時々食卓に上がるかどうかということにはなりそうです。残飯を食べる鶏くらいは時々は食べたいものです。

家畜の種類
guyver1092
 どこで読んだかは忘れましたが、豚は人間と食料が競合し、牛やヤギはしないそうです。ただし、ヤギが多すぎると、環境を食いつくして破壊するそうですので、江戸時代の日本のように、牛を労働力として使い、最後に食べるのが正しいのでしょうね。
 現代は、食料の競合しないはずの牛に、穀物を与え、狂牛病が問題になるまでは、肉も与えていましたね。人間は肉を食べて進化したとのことですので、穀物のみを食べよとは言えませんが、現代社会は肉を食べすぎなのでしょうね。その結果として、生活習慣病の増加があるのですね。これも拡大再生産主義(資本主義)のマイナス面の発現ですね。

有機畜産への道
団塊親爺の遺言
 他人様の作った食べ物を永年に渡り食べて来た
様々なものがグローバル化とか近代的農法とかの金の懸かる
農法に切り替わり自然の恩恵を無視する様な植物工場迄が造られ
普及するのでしようね 行政関係は金の懸かるものに恩恵を与え
無農薬とか自然循環農法とかには支援はしませんね

今年故郷へ帰り有機畜産の仲間が自分たちで家畜の飼料を全て
堆肥を肥料に自然循環農法を実践していました大幅なコストダウン 輸入とか薬剤の弊害の無い自然農法で造られた牛乳の味は優しく しかし流通の価格は倍の値段に 様々な壁が在ります
太陽の下で育てる家畜たちは強く健康的です

密飼い状態で薬漬けの肉や卵や野菜等しかスーパーに並ばない今
知らない内に病気は私たちに蔓延し医療費や薬剤費が年々増えるシステムに 行政は確実に税金の採れる大企業を応援

健康は食に在り と言っても周りには無いに等しく農家は自分たちが食べるものは無農薬 市場に出すものは薬剤を懸けたものしか出さないと言う 今の行政は何をしているのか・・・

Re:畜産
雑草Z
>食料自給率を上げるだけだったら日本国内での畜産はやめて肉を輸入することにすればかなりの上昇は為し得ます。

なるほど、そういう発想もありますか。それでかなりの食料自給率が上がるとは意外です。確認ですが、日本国内の畜産を止めるだけでは、日本の食糧生産は増えませんが、(肉の分だけ減りますね。)食料自給率が上がると言うのは、飼料作物の輸入が減って相対的な食料自給率が上がると言う風に捉えていいのでしょうか?

>近い将来には50年以上前のように肉は時々食卓に上がるかどうかということにはなりそうです。

そうですね。食肉のブラックマーケットが出現しそうですね。兎も角、カロリーベースでの食料の自給自足が出来なければ、肉食はかなり減らさざるを得ませんね。



Re:家畜の種類
雑草Z
>豚は人間と食料が競合し、牛やヤギはしないそうです。ただし、ヤギが多すぎると、環境を食いつくして破壊するそうですので、江戸時代の日本のように、牛を労働力として使い、最後に食べるのが正しい

なるほど、納得です。やはり江戸時代は考えることが素晴らしいですね。現代よりも遥かに合理的です。
ただし、豚はかつての日本や東南アジアのように残滓や残飯、人糞(病気の管理が大変ですが)などを与えれば、豚も飼えますね。同様にヤギも環境を食いつくくさない(植物の根まで食べてしまうと言う事等ですね。)程度に管理は可能でしょう。牛はエネルギー圧縮的にも一番贅沢な肉だと思っていましたが、牧草を与え、労働力としても使い、牛乳も頂けば、かなり効率がいいですね。(そこまで人間の為に使って最後は食べてしまうのは、酷い感じもしますが・・)

>食料の競合しないはずの牛に、穀物を与え、狂牛病が問題になるまでは、肉も与えていましたね

自然の摂理に反する行為のしっぺ返しですね。「ばちがあたった」とも言えましょう。

>現代社会は肉を食べすぎ

これまたドーピングの一種でしょうね。

>拡大再生産主義(資本主義)のマイナス面の発現

資本主義の矛盾がこんなところにも顕著に現れるのですから、資本主義は何から何までとんでもないですね。悪魔主義の黒魔術のようです。

Re:有機畜産への道
雑草Z
>グローバル化とか近代的農法

これらは結局、大富豪の金融資本家達が更に金儲けする為の手段だったのでしょうね。

>有機畜産の仲間が自分たちで家畜の飼料を全て堆肥を肥料に自然循環農法を実践していました

う~ん、素晴らしいですね。徐々にでもそのような農業をする農家が増えつつあるのは嬉しい限りです。近い将来、日本もそういう農業が主にならなければなりませんね。

>自然農法で造られた牛乳の味は優しく しかし流通の価格は倍の値段

そこが自然農法の長所であり短所ですが、あまり遠くまで輸送せずに地産地消に近い形で消費もすれば、流通価格の問題はクリア出来そうですね。品質は明らかにいいのですから・・。

>農家は自分たちが食べるものは無農薬 市場に出すものは薬剤を懸けたものしか出さないと言う 今の行政は何をしているのか・・・

ホント、農政は駄目ですね。グローバリズム対応を時代の流れだと思っている馬鹿者ばかりです。

食料自給率
爽風上々
39%という数字だけが有名な食料自給率というものは、「カロリーベース自給率」というもので、生産カロリー÷供給カロリーで計算されます。

実はこのような計算方法を取るのは日本だけだという話です。諸外国ではそのような計算はしていないということです。
生産額ベースの自給率では現在は69%だということで、ことさら食料自給率を小さく見せたがる農水省の策謀ということです。

それはさておき、輸入する飼料穀物はすべてが食肉となるわけではなく、牛肉の場合では10%以下、鶏肉でも20%程度だけです。残りの部分は排泄物などとなって消費されますが、それでも食料輸入分に算入されることになります。
したがって、畜産をやめて食肉輸入にすれば排泄分の穀物の分は輸入分が減るということです。

もちろん、これはあまりにも自給率だけを取り上げて云々する風潮に嫌気がさしただけの言葉遊びですので、そうすれば良いなどと考えているわけではありません。


Re:食料自給率
雑草Z
なるほど、輸入飼料穀物を家畜に食べさせた中で、大部分・・・質量の1割程度しか家畜の肉にはならず、9割近くは排泄物等になるのでしたね。納得です。

さて、主題とは別の部分ですが、食料自給率は、生産額ベースとカロリーベースはどちらが優れた指標でしょうか?
どちらも一長一短ですが、私はカロリーベースのほうが、食料自給率をより分かり易く表していると考えておりましたが、如何でしょう?

さらに食料自給率
爽風上々
生産額ベースというのは、農業を産業として育てて儲けたいという人達にとっては良い指標なのかもしれないので、カロリーベースという指標自体は悪いものではないのかもしれません。
一部の評論家などにはカロリーベース自給率をぼろくそにけなす人も居ますが、それはそれで何らかの下心があるのでしょう。

しかしとにかく、その指標を強調する目的が農水省の役人どもの思惑によるというのは明らかなので気に入らないだけです。
各国のカロリーベースの自給率というものも、それぞれの国では発表していない(計算もしていないかも)ので、日本の農水省が勝手に計算して発表しているだけのようです。

なお、カロリーベース自給率の問題点としては、家畜飼料のように一応無駄にはならずに家畜に食べさせるというものと、年間数百万トンにもなるという食品廃棄がまったく区別されないと言う問題もあるようです。
また、畜産業の原料は計算に入るのに、肥料はどれだけ輸入してもまったく考慮されていないのも気になります。輸入肥料まで考えれば自給率はさらに低下しそうです。
この辺のところも、自国の農業推進に不利なことはできるだけ伏せたいという農水省の意図ではとかんぐってしまいます。


Re:さらに食料自給率
雑草Z
単純に考えて、自国の食料生産の、食料消費に対する割合としての食料自給率はカロリーベースのほうが妥当かと考えておりました。
 爽風上々さんは、農水省の役人達の利権がらみの思惑をよくご存知のようですから、農水省の発表が気に入らないのでしょうけれど、兎も角日本の食料自給率に対しては危機感を持って、早急に挙げる必要があると思います。
 その意味で、他国がそれぞれ発表しないので、勝手に計算して発表するのもありだと思います。
以上、現在の日本が食糧の自給自足が困難な事には間違いがなく、食料危機も迫っております。だから食料自給率は100%に近づけるべきだと考えますので

>自国の農業推進に不利なことはできるだけ伏せたいという農水省の意図

はあっても仕方ないと考えます。


年間数百万トンにもなるという食品廃棄が、食料消費として人間が食べた分と区別されない点に関しましては、私もおかしいとは思っておりましたが、それはカロリーベースでも生産額ベースでも同じではないのでしょうか?


 

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2014-10-05 00:01
現代の金融システムでは、お金を借りた人が、当然のことのように利子を払います。これをおかしいと思う人はまずいません。しかし、それに異を唱えたのがシルビオ・ゲゼルです。彼は「ロビンソン漂流記」のパロディーを描き、利子問題に関する根強い臆断・・・貸したお金には報酬として利子が付いて当たりまえ・・・と言う固定観念を取り除こうとしました。
その内容をごく簡単に紹介致します。

漂流して無人島に流れ着いて生活していたロビンソン・クルーソーは、3年間で運河を建設する計画を立てます。その3年間分の食料や衣服などを貯蔵しているところへ、メンサナと名乗る男がやって来ます。彼の船もまた難破してこの島へやって来たのです。彼もこの島で原野を開墾して、最初の収穫が得られるまで、ロビンソンの蓄えを貸して欲しいと頼みます。しかも自分の信仰上の理由から、無利子で貸して欲しいと言います。ロビンソンは、「何故無利子で、大切な蓄えを貸すと思うのか」と尋ねると、メンサナは、それはロビンソンの私利の為、ロビンソンは十分に儲かるからだと答えます。
そしてその理由を説明します。
服は、衣装棚にしまっておいても衣魚やネズミが入り込んで傷んでしまいます。食料も腐ります。長持ちする小麦などの穀物でも何割かは駄目になります。それをメンサナに貸し付けて、3年後に新品同様の新たな服、新たな小麦を返されれば、十分にロビンソンの得になると言うのです。納得したロビンソンは、衣服も食料も鋤や荷車、工具をも無利子で貸す事にします。


・・・以上、かなり内容を端折って凝縮しました。話には更に続きがあり、貨幣はマルクスの言う「単なる購入した商品の価格を支払うと言う働き以上の働きをしていると言う事まで言及しています。詳しくは、こちら→【ゲゼルの「ロビンソンクルーソー物語」】をご覧ください。

お金の問題を考えてみるとき、お金が存在しない状態を先ず想像してみる事により、その問題が浮き彫りになるのです。お金の無い世界でのモノの貸し借りの取引が一定期間維持される契約関係を考えれば、蓄えを持つロビンソンのほうが不利になるのです。ものは朽ちて劣化する性質・・・減価があるからです。だから、返す時には、物の減価分、更には保管費用も差し引いて返済しても、貸した方は損にはならないのです。貸した時と同じ状態のものが戻ってくれば十分に得なわけです。
しかしそこにお金が介在すると事情は変わります。お金は、いつまで持っていても、原則、価値が変わらないので、自然界にはない、不自然な事、不平等な事が起こるのです。お金が無くて物を売りたい人は、物は劣化するので早く売りたいのに対して、お金を持っている人間は、取引が有利になるまで待っていればいいのです。お金持ちとそうでない人では、取引に際して立場が違い過ぎるのです。だからお金を貸すに当たって利子を取って当たり前と思うようになるのです。


余談ですが、この物語の最初の部分で、メンサナは、無利子で貸して欲しい理由を、自らの信仰上の理由にしています。曰く、「私の信仰は利子を取る事も、支払う事も禁じているんです。」
かつて、イスラム教もキリスト教も利子は禁じていたと言いますからその事を指しているのでしょうか。利子を禁じた理由は、利子が無くても貸す方も十分に得であると言う、ゲセルの理論のような事を理解していたのかどうかは分かりません。そうでは無く、困っている人から利子を取るなんて非人道的な事はするなとの教えだったのかも知れません。兎も角、利子を禁じた昔の宗教は、気高く道徳的で、なお且つ賢かったと感じます。それを現代まで順守していれば、金融による様々な深刻な問題・・・環境問題さえも酷くならなかったであろうと思います。
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【2014/10/05 00:01】 | Economic Fascism トラックバック(0) |

貨幣と資源
guyver1092
 少し前に、極限まで単純化した社会を考えてみました。人は二人しかいません。1人は資源のみ、もう一人は貨幣のみ所有しています。交換がないなら貨幣を所有している者は最終的に飢え死にし、資源を持っている者は資源の再生産が出来る限り、生き続け、貨幣のない人と無主の貨幣が残ります。
 現実の社会は、複雑に交換を行いながら資源の再生産を行っていますが、ゲゼルの言う貨幣の特権により、常に貨幣を持っている者の有利な交換が行われています。先の単純な社会でこれを当てはめてみると、貨幣を持っている者に資源がそっくり移転され、資源を持っていたものは飢え死にするのでしょうね。現実の社会もこのような傾向がはっきりしてきました。
 これも、人々が不滅の貨幣という幻想にとらわれて自縄自縛に陥っているのだと考えます。どこかで読んだ気がします。思い出しました。古代ギリシャ人ですね。貨幣は資源価値の乗り物であることを理解し、くだらない偽物の価値にしがみつくのをやめれば、文明崩壊を防げるのではないかと考えます。

Re:貨幣と資源
雑草Z
ゲゼルの「ロビンソン・クルーソー物語」は、最近読んだ本に載っていましたが、ゲゼル主義に詳しいguyver1092 さんは、おそらく以前から知っていたお話でしょう。

今回のguyver1092 さんのコメントの

>極限まで単純化した社会

のお話は、ゲゼルのロビンソンクルーソーのお話のように面白く、目から鱗の内容です。

>人は二人しかいません。1人は資源のみ、もう一人は貨幣のみ所有

の状況では、確かに資源を持っている者が遥かに有利ですね・・・と言うよりもお金は何の役にも立ちませんね。

それにも関わらず、

>貨幣を持っている者に資源がそっくり移転され、資源を持っていたものは飢え死にする

のが、お金に支配された現代社会の不合理ですね。おっしゃるように

>人々が不滅の貨幣という幻想にとらわれて自縄自縛に陥っている

のですね。

>貨幣は資源価値の乗り物であることを理解し、くだらない偽物の価値にしがみつくのをやめれば、文明崩壊を防げるのではないかと考えます。

これこそ、今回の記事の結論に相応しいですね。是非ともその内容を描いて下さい。

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