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2014-02-23 00:01
石油の可採年数は1940年には20年と言われ、枯渇している筈だった20年後の1960年には逆に増えて30年と言われていました。またもや枯渇している筈のそれから30年後の1990年には可採年数が更に伸びて2010年代の現在も40年くらいと言われています。20世紀から石油の可採年数は縮まらず、いつまで経っても30~40年のままであるのは、可採年数の算出方法の稚拙さを踏まえた未来予測の困難性があるのですが、それが主題では無いのでここでは触れません。石油は化石燃料では無いという無機起源説もあり、私もそれはあり得ると考えています。・・だから石油はいつまで経っても枯渇しないという人がいますが、石油が無機起源であろうが無かろうが枯渇はするでしょう。エネルギー保存則やエントロピーの法則を出すまでもありません。太陽光のエネルギーであれば人類の歴史に比して永遠と考えても不都合はないでしょうが、地球内部の資源に関してはそんな事は言えないでしょう。
それでも当分・・21世紀中くらいは・・・枯渇せずに現在のように湯水の如く使えるとしたら、それはそれで大問題です。石油起源の環境負荷に地球の生態系は破壊され尽くすでしょう。今日の大きな環境問題は殆ど全て直接間接石油に因るのです。現在、地球の環境負荷のフローが持続可能な限界を超えてしまったのは、他でもない石油が原因です。石油消費がこのままのペースでは、崩壊が始まるのは時間の問題です。
石油に代わるエネルギーとしてメタンハイドレートが注目されています。メタンハイドレートはメタンを中心にして周囲を水分子が囲んだ状態になっている個体の結晶です。天然ガスのように、石油や石炭に比べて二酸化炭素の排出量の少ないクリーンなエネルギーであり、環境汚染も少ない未来のエネルギーとの謳い文句です。然しそれを妄信してはいけません。
現在懸念されているメタンハイドレートの問題点を挙げてみます。
メタンハイドレートの多くは深海にあり、採掘は困難で高コストと言われています。高コストと言う事は費用対効果が低く、EPRも低い、即ち採掘に投入するエネルギーに対して、得られるエネルギーがあまり多くない事を示します。投入エネルギーのほうが多くなってしまうようでは無意味どころかエネルギーの浪費になるだけです。その場合、石油の浪費によって環境破壊の速度は増すでしょう。メタンハイドレートに関しては現在、技術的にその可能性が高いと言えましょう。(実は石油代替エネルギーと呼ばれているものの中には、そういう可能性の高い物が溢れています。)
深海海底にあるメタンハイドレートを採掘すると、その下層や周囲のメタンハイドレート層にかかる圧力が減少して分解し、大量のメタンガスが噴出します。これが連鎖反応を起こせば、大気中に大量のメタンガスを放出する事にもなります。また、メタンハイドレートの採掘により、地形が変形して地盤沈下や海底地すべりのような現象も懸念されています。
これらの懸念に対して、政府等からは、慎重に開発すれば問題ないというような見解が出されていますが、鵜呑みにするのは危険です。どんなエネルギーの推進者も殆どが致命的欠陥を軽視したり無視したり隠蔽するものです。・・・原発が典型例です。
海中の生物への影響も懸念されます。メタンハイドレ―トの採掘によって起こる海底地滑りやメタンガスの放出の連鎖反応が海中の生態系を破壊する可能性も否定できないでしょう。メタンハイドレートによって守られていた海底の他の何かが海中、大気中に出て来ないという保証もありません。この辺りは、まともに研究されているとは思えません。
2010年のメキシコ湾原油流出事故以上の環境汚染が起こる可能性も小さくないでしょう。

メタンハイドレートの開発は、石油、原発、に次ぐ新たなパンドラの箱になる可能性も否定出来ないという事です。エネルギー開発の落とし穴に落ちて人類は這い上がれなくなってしまいます。

石油の代替エネルギーには全くなっていないのに、推進者によってそのように語られている原発も、半世紀ほどの歴史の中で、巨大事故を何度か起こしています。原発は結局のところ、石油の代替どころか、石油を浪費すばかりか、処理不可能で、何万年も管理しなければならない放射性物質を世界中に放置したまま、人類に抱えきれない負の遺産を残してその役割を終える事になりましょう。勿論石油文明の中の一部としてです。原子力文明などやって来なかったのです。

メタンハイドレートのような、今まで利用していなかった新たな地下資源・・深海表面もかつては人類の手が及ばなかったという意味において、広義の「地下資源」と考えてもいいでしょう。・・が開発されても、元々その資源が持っていた内部エネルギーを使うだけの事であって、地球の「貯蓄」を切り崩して使うだけなのです。但し、投入する高度な技術、エネルギーが増えるという事は、費用対効果、エネルギー産出比を下げる事に繋がります。それだけならまだしも、地下資源の開発は必ず環境汚染を伴います。深海の開発なら尚更でしょう。
エネルギー危機を免れる最良の方法は、エネルギーの使用量を桁違いに減らして、再生可能エネルギーだけで賄えるほど低レベルまで落とすしか方法はないのです。そこを勘違いして、指数関数的に増えるエネルギー需要に対応してエネルギー開発を続け、限界に挑み続ければ、いつか必ず取り返しのつかない失敗をする事になりましょう。人類は既に原発事故や海底油田の事故で、取り返しのつかない環境汚染を経験しています。つまり石油文明は生態系を大きく破壊してしまったのです。それらを踏まえてもエネルギー開発を止められないのであれば、これからも巨大事故を重ねながら破局へ向かう事になりましょう。

破局までエネルギー開発に挑戦し続けるか、縮小に向かうかの二者択一です。
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【2014/02/23 00:01】 | エネルギー トラックバック(0) |

メタンハイドレートのコスト
guyver1092
 いろいろ言われているのは知っていました。私も同じく、エネルギー産出比が問題と考えます。検索したところ、以下のページを見つけました。

http://www.mh21japan.gr.jp/mh/06-2/

 このページによると、
>結果としては、2004年のガス価が23.8円/m3に比べ、生産期間中のガス生産価格は46円/m3となりました。ただし、2021年以降のガス価格がいくらになっているのかが分かりません。

と、普通のガス田の倍ほどのコスト、つまりエネルギー産出比は半分と言う試算が出ていますね。この46円/m3と言うコストをエネルギー産出比に換算した結果が、10以下となれば、文明を支えるエネルギーではないということになりますし、メタンハイドレート田の事故で起こる損害もコストに含めないことには、後で後悔してもしきれないという事態も十分考えられますね。

Re:メタンハイドレートのコスト
雑草Z
 メタンはイドレートの費用対効果に関するページのご紹介有難う御座います。

エネルギー産出比に換算した結果が、10以上になる可能性は低いと思います。もしもそのようなデータが出されたとしても、考慮外の投入エネルギーを検証しなければ(故意にも?)落としている可能性もありますね。

>メタンハイドレート田の事故で起こる損害もコストに含めないことには、後で後悔してもしきれないという事態も十分考えられますね。

そうですね。事故の期待値は加算されていないでしょうね。事故の可能性も考えればメタンはイドレートは開けないほうが良いパンドラの箱でしょう。


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2014-02-17 00:01
生物の[bio-]+塊、量[mass]を意味するバイオマス[biomass]は、ここのところ、生物由来の資源、特にエネルギー資源を指す言葉として使われています。再生可能エネルギーの代表の一つとして注目されています。再生可能エネルギーと言う意味では、20世紀末から目にするようになったから真新しい言葉のようでもありますが、有史以来(有史以前から?)人類はエネルギーとしても、物の材料としてもバイオマスを利用してきました。「バイオマスエネルギー」って要するに木や草を燃やして煮炊きに使っていたのです。それこそまさしくバイオ燃料[biofuel]です。石油や石炭よりも遥かに古い歴史があります。
日本では古来、バイオマスで家屋を作り、煮炊きし、製鉄を行い、戦国時代までに木を切り過ぎて各地に禿山が出来ました。江戸時代に、厳しい管理の元に何百年もかけて森を再生出来た事は世界に誇れる事でしょう。
ヨーロッパでも木を切り過ぎて各地で森が消滅し、仕方が無いから木の代わりに石炭を掘り出して燃料代わりに使用するようになったという歴史があります。
つまり、日本もヨーロッパもバイオマスを使い過ぎて枯渇して来た歴史があるのです。他の地域も似たような歴史を持っています。・・・今では禿山や砂漠になってしまったところが、かつては森であった場所が沢山あります。ギリシャ、エジプト、アラブ諸国・・・古代文明の跡地・・・枚挙に暇が御座いません。つまりバイオマスはこれまでにも局地的に何度も何度も枯渇を繰り返して来たのです。
現代の技術は昔よりもエネルギー効率がずっと良くなったとは言え、現代の人口は当時よりも遥かに多いし、一人あたりのエネルギー使用量も比べものにならないくらい多いのです。つまり現在の人類のエネルギー使用総量は、バイオマスエネルギーを中心に使っていた、19世紀までのエネルギー消費レベルよりも桁違いに大きいのです。木炭以外に紙や糞尿、食品廃材、建築廃材、生ゴミ等の廃棄物系廃材をバイオマスエネルギーとして利用したとしても、現代のエネルギー消費を全てバイオマスで補ったら、バイオマスは直ぐに枯渇し、生態系に深刻な影響を及ぼす事は明らかです。つまり、エネルギー消費量を桁違いに縮小しなければ何の解決にもなりません。発電よろしくエネルギー供給の「ベストミックス」的考え方は、エネルギー総量の問題を曖昧にしているだけで、結局のところ現代のエネルギー消費レベルでは、バイオマスに限らず、全ての再生可能エネルギーの総量でも足りないのです。

現在、バイオマス発電は注目されていますが、移行措置としては多少有効かもしれませんが、やはり現在の総電力使用量を全部バイオマス発電で置き換えようとしたら、バイオマスが枯渇し、やはり生態系に深刻な破壊をもたらすでしょう。バイオマス発電が有効としても、廃材利用等の小規模なものに限るべきでしょう

21世紀に人類に降りかかるエネルギー不足よりも遥かに深刻な問題は、食料危機です。だからバイオマスは優先的に食料として使われるべきです。(トウモロコシのバイオ燃料は食料供給を圧迫する事で既に問題になっています。)エネルギー使用量は桁違いに減らすしか方法はありませんが、その条件のもとで、食料とエネルギーを一気に供給する方法は、人力、畜力の利用です。光合成ほど太陽光を有効に蓄積する方法はありません。(だからバイオマスエネルギーが注目されているわけですが・・。)バイオマスを工業的に処理してエネルギーを取り出すのではなく、人間(動物)がバイオマスを食べて、人力(畜力)で、仕事をするのです。光合成によって作られた炭水化物は、窒素と化合する事によって体を作るたんぱく質(アミノ酸)になります。・・・ここまでを植物が体内でやってくれるのです。完璧な神業です。【光合成・神業!】その植物を、食料として、動物の体内に取り入れれば、タンパク質は体の一部となり、炭水化物はエネルギー源となるのです。その炭水化物のエネルギーによる人力(畜力)を有効利用するのです。【人力のススメ】に描いた通りです。現代のように食べ過ぎてスポーツクラブに行って無駄にエネルギーを消費するような愚かな事は止めるべきです。バイオマスは、人間や動物が摂取する事が優先です。その後、人力、畜力を利用するのです。糞尿や食品廃棄物、生ゴミ等は、バイオマスエネルギーとして利用するのも否定はしませんが、作物の肥料にするのが優先です。バイオマスエネルギーを工学的に利用したいのならば、作物が肥料として利用出来るレベルまで分解する段階で、バイオマスを利用する・・と言う、あくまでも福次的な利用法が理想でしょう。(そのエネルギーさえも、生態系にあれば菌類や細菌類など微生物が使うかも知れません。注意が必要です。生態系は完璧に近い形になっているので安易に人工的にエネルギーを取り出すのは良くないでしょう。)
まとめますと、バイオマスエネルギーの工業的利用は、生態系を壊さない程度の小規模でのみ行うのが理想です。バイオマスは、基本は食料として人間(動物)が摂取し、その活動のエネルギーを有効利用すべきなのです。本当に人類の為に役立つ科学技術とは、生態系の循環を壊さず寧ろ積極的に循環を促進する技術でしょう。基本的に、昔(19世紀以前)のバイオマスの利用法のみに限定すべきであり、科学技術は、限られたエネルギーの効率を高めるとかそのような役割を担うべきです。エネルギー大量消費の科学技術は、人類を破滅に導く禁じ手です。

バイオマスは、人間(動物)が食べて人力(畜力)にするのが最高の利用法でしょう。


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【2014/02/17 00:01】 | 人力 トラックバック(0) |

バイオマスエネルギーに関する誤解
guyver1092
 世の中の人は、ほとんどがバイオマスエネルギーに関して誤解している気がします。
 誤解その1
 バイオマスエネルギーを現在の石油と同じように使いたいだけ使える。

 雑草Zさんの言うように、バイオマスエネルギーを使うなら、産業革命以前の生活をしなければならないことが理解できていない人が多すぎる。

 誤解その2
 バイオマスエネルギーでは、現代文明を維持できない。したがって、原子力発電頼るのが正義である。

 気の狂った似非科学者ですね。バイオマスエネルギーが現代文明を支えられないのを理解しているのは良いのですが、原子力文明が可能とは、エネルギー産出比を全く理解できていないようです。

Re:バイオマスエネルギーに関する誤解
雑草Z
    guyver1092さん

>誤解その1
 バイオマスエネルギーを現在の石油と同じように使いたいだけ使える。

地上に降り注ぐ太陽エネルギーのフロー全体で考えれば現在の人類のエネルギー使用量よりも遥かに多くなりますが、それがバイオマスエネルギーの限界ではありません。そのエネルギーは生態系や大気、水の循環等自然の循環に使われるのが本来の姿であり、低い効率で工業的に使うのは間違ってますね。工業的に使ってもいい部分は、排熱の部分でしょう。

>産業革命以前の生活

その時との人口比を考えますと、一人あたりの使用量は、更に低くなりますね。

>誤解その2
 バイオマスエネルギーでは、現代文明を維持できない。したがって、原子力発電頼るのが正義である。

これを主張している原発推進派は本当に悪ですね。ただの利権の為に、地球の生態系を大きく破壊し、抱えきれない負の遺産を増やしているのですから・・。

>原子力文明が可能とは、エネルギー産出比を全く理解できていないようです。

全く同感です。理解出来ないのか刹那的利益に目が眩んでいるのか・・・?

ところで、guyver1092さんは、本文の私の主張、
>バイオマスは、人間(動物)が食べて人力(畜力)にするのが最高の利用法

に関してどうお考えですか?・・自転車だったり、ゼンマイだったり、階段だったり・・・ ”小さな”人力をどれだけ有効活用するかが、真の科学技術の見せどころかと考えています。

同感です
不屈の
バイオマスは基本的に地域(田舎)のエネルギーです。その地域で再生可能なレベルで熱エネルギーとして利用されるのがベストだと。薪炭、せいぜい未利用材でのペレットあたりまでかな。雑草様の「人畜力」?は判断保留です。牛を飼っていた経験もありますが、う~ん、大変な生活のような・・・。農機具が入る以前の農業もかろうじて記憶にありますが・・・、食べて、働いて、寝てという暮らしだった記憶が・・・。

バイオマスの利用法
guyver1092
 バイオマスの利用は何が最適かは、「大江戸エネルギー事情」の米の生産あたりが参考になるのではないかと考えます。江戸時代の米作りは、エネルギー産出比が15程で、現代の機械化、農薬、化学肥料利用農法が1.5ほどですので機械化より、10倍効率が良いと考えます。

Re:同感です
雑草Z
    不屈のさん

久々のコメント有難う御座います。

>バイオマスは基本的に地域(田舎)のエネルギーです。

そうですね。エネルギーだけでは無く、地域の再生可能な道具でもありますね。
バイオマスでの大規模発電などをしたら、生態系への影響は深刻でしょうね。

>牛を飼っていた経験もありますが、う~ん、大変な生活のような・・・

実践されていた方のコメントには重みがありますね。確かにかなり大変そうです。・・でも、バイオマスは、食料として使う事が主で、基本、食料とエネルギーの両立をさせるべきだと考えます。人力はエネルギー的に少ないかも知れませんが、人力にしないで発電などにすればもっとエネルギーに変換出来る量は減るでしょう。食料も不足します。自転車や手動、足踏み式のミシンや農機具のようにてこや回転を利用して、人力を利用する以上に有効なエネルギーはなかなかないと考えますが如何に?

>食べて、働いて、寝てという暮らし

人間も動物ですから、このような生活が基本でしょうが、そこまでの暮らしに戻る事には大きな抵抗がありますね。
やはり
これからの科学の役割とは如何に小さな投入エネルギーで、色々な事が出来るか…だと考えます。
 農業で言えば、不耕起栽培とか、水を張りっぱなしの水田だとか・・・。難しいですが、それこそ真に役に立つ科学の挑戦かと考えます。

Re:バイオマスの利用法
雑草Z
    guyver1092さんも、石川英輔のファンでしたよね?・・「大江戸えねるぎー事情」は名著ですね。

>江戸時代の米作りは、エネルギー産出比が15程で、現代の機械化、農薬、化学肥料利用農法が1.5

現代の米作りのエネルギー産出比1.5はかなりヤバい状況ですね。石油で米を作っていると言っても過言ではないでしょうね。
・・ guyver1092さんも、人力の活用に賛同頂けるという事でしょうね?

 
 石川英輔の書物のお話が出たので石川英輔の著作物に関して言及させて頂くと、やっぱり、大江戸○○事情シリーズの江戸文化の検証シリーズが興味深いですね。
石川英輔はSF作家としてデビューしたようですが、フィクションの、大江戸神仙伝シリーズは何冊か購入しましたが、最初のほうを読んであまり面白くなく、どれも最後まで読んでいません。フィクションで面白いと感じたのは、今のところ「2050年は江戸時代」だけです。
ノンフィクションの大江戸事情シリーズは、江戸文明論として、名著だと思います。非常に興味深く一気に読めます。
guyver1092さんの石川英輔作品評は・・?


Re:Re:バイオマスの利用法
guyver1092
 すみません。根拠のみを書いて、結論を書いていませんでしたね。石油を直接利用した農業でさえ、バイオマスを人間の燃料とした農業より効率が悪いのに、バイオマスを石油の代替として変換して、石油と同じように利用した場合、石油利用以下の効率しかありえないですね。バイオマス利用は、変換過程の少ない、生物の食料として利用するのが最も効率が高いと考えています。

 私の石川英輔体験は、SFが最初でした。Gライヤーシリーズだったと思います。他の作家より面白いと感じました。一番好きだったのはSF西遊記です。
 現時点でのすべての作品からの評価は、「すこし考えが甘いところがあるが、おおむね正しいです。甘いと感じるところは、技術革新は無限と考えている節があるのです。(江戸・キューバに学ぶ"真"の持続型社会p54)

Re:Re:Re:バイオマスの利用法
雑草Z
 結論は想像以上に鋭い洞察であったので、改めて書いて頂いて、良かったと思います。

>石油を直接利用した農業でさえ、バイオマスを人間の燃料とした農業より効率が悪いのに、バイオマスを石油の代替として変換して、石油と同じように利用した場合、石油利用以下の効率しかありえないですね。バイオマス利用は、変換過程の少ない、生物の食料として利用するのが最も効率が高いと考えています。

これをそのまま本文に使いたい感じです。わかり易い御説明です。

guyver1092 さんの石川英輔体験はかなり豊かなものですね。

>Gライヤーシリーズ

>SF西遊記
>江戸・キューバに学ぶ"真"の持続型社会
も知りませんでした(苦笑)
・・・と言うよりも、石川英輔氏の作品は、フィクションもノンフィクションも「大江戸・・・」シリーズ以外で読んだことあるのは、「2050年は江戸時代」だけです。・・・石川英輔マニアとは言えませんね。
ここのところ、フィクションはあまり読む気がしないのですが、「2050年は江戸時代」は、面白く感じたので、

>Gライヤーシリーズ
も面白く読めるかも知れません。

>大江戸神仙伝シリーズ

も、また新たに読み直してみると面白いかも知れませんね。

>江戸・キューバに学ぶ"真"の持続型社会

も読んでみたいです。

>すこし考えが甘いところがあるが、おおむね正しいです。

は、私も全く同じ評価です。
>「2050年は江戸時代」

は、フィクションであるとはいえ、理想的スローランディングを描いていますからね。
彼の甘さは、本当の甘さと言うよりも「期待を込めた甘さ」なのかと思います。

guyver1092さんの石川英輔のお薦めを是非教えて下さい。

石川氏の本
guyver1092
 アマゾンで見たところ、GライヤーシリーズもSF西遊記も売っていませんでした。Gライヤーシリーズは、もう無くなったソノラマ文庫という、ジュブナイル小説専門のレーベルで出版されていました(私が子供のころに読んだ本です) 。SF西遊記は講談社文庫で出ていましたが、絶版になっているようです。江戸・キューバに学ぶ"真"の持続型社会は2009年発行の共著の一人が石川氏の本です。

Re:石川氏の本
雑草Z
  guyver1092さんは、子供の頃から石川英輔を読んでたのですね!驚きです。そのコメントから、guyver1092さんは、読書量はかなり多いと想像しておりましたが、既に幼少の頃からかなりの読書家だった事は、想像の域を出ておりました。
 石川英輔が、少年向きのSFを描かれていた事も初めて知りました。(確かにSFは少年ものが多いのですが・・ついでにジュブナイルjuvenile と言う単語も初めて知りました。・・笑)

>江戸・キューバに学ぶ"真"の持続型社会

は、お奨めですね!・・興味があるので読んでみたいと思います・・・私は購入した大江戸シリーズで、まだ読んでいないものもあるのですが・・。
「大江戸えねるぎー事情」はかなり名著だと感じております。

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2014-02-11 21:30
数年前から、日本の都市周辺の街の衰退が目立つようになったと感じます。何年か前、結構好きだった街を十数年振りに訪れて見たら、その変わりように寂しい感じが致しました。ゴミゴミして(学生時代は気にならなかった面もあるでしょうが・・)街が古くなって、壊れ窓現象もあちこちに見られ、「スラム化」と言う言葉が頭をよぎりました。
「街が古くなって」と言っても、古都や昭和以前の古いレトロな街並みならば大歓迎です。そうではなくて、1970年代の高度経済成長期から1980年代のバブルの時代まで、急速に人口が増え、無秩序な開発優先によるスプロール現象によって「都市化」した街が、衰退して荒れてきた感じがしたのです。日本でもいよいよ都市の衰退が始まった・・・と肌で感じました。中心部から廃墟化してくるこの現象は文明崩壊の予兆とも感じました。

近代都市計画は、数十年後の人口増加や工業化、経済成長などの予測にもとづき、都市成長を前提として、道路・宅地・公共施設などの需要を計算して都市のインフラがつくられました。このときの「予測」が曲者です。国の官僚も自治体の役人も、等比数列的「予測」をし、それに基づいてインフラを整備してきました。その中心が土木公共工事です。それこそ、土地には「限界」があるのですから、等比数列的(指数関数的)成長など続く筈がありません。勿論インフラ整備が追い付かないくらい「成長した」時代も短期的にはありましたが、バブル期の末期にさえ「過剰な需要予測」をしていた官僚達は、税金の無駄使いをしていた「確信犯」でなければかなり無能な連中です。本来ならば責任追及されて然るべきでしょう。責任追及されなかった事もあって、現在でも膨大な税金を投入して巨大な再開発事業が為されている都市も結構見受けられます。そして、箱ものを沢山作る再開発事業の多くが失敗に終わっています。膨張を止めて縮小し始めた都市は、巨大に膨らんでしまって膨大な費用のかかるインフラを抱えてしまい、その管理が大きな問題となっています。

人口増加、経済成長を前提に拡大の為の器を作る都市計画は既に時代遅れです。(アベノミクスはそれを狙っているから愚の骨頂です。)都市への人口集中が薄らぎ、都市の成熟を目指した都市型時代に入ったと言われて久しいですが、現在の日本は、さらに人口減少が進み、都市を縮小し、都市部を広げていった郊外から撤退する時期に来ています。縮小、撤退を前提とする時代に入ったのです。『都市の縮退』と呼ばれています。「縮退」と言う用語は、国交省の造語と言われますが、響きがネガティヴなので(・・統計力学用語の「縮退」[degenerate]を想起しますが、個人的にはネガティヴな感じは致しません。・・)最近ではコンパクトダウン、コンパクト・シティ政策、市街地のダウン・サイジング・・と言った言葉が使われるようになったようです。都市のダウンサイジングは必要な流れであると思いますが、巷で言われているダウンサイジングはまだまだ甘過ぎると感じています。
このサイトではかなり以前に『都市考』としてシリーズで論じてきましたが、・・【都市の存続条件】,【循環型都市 】・・・現代の都市は、周りの遥かに大きな地域の環境(田舎、山、海、森林・・)に依存して成り立っています。周りの環境から資源を吸収し、廃棄物を出して、その存在を保っているのです。外部とのやり取りが途絶えたら、都市は、新陳代謝が出来なくなった生物のように、すぐに死を迎えるでしょう。・・・
都市はどのくらいまで縮小すべきかと言えば、ずばり、自給自足出来る規模にまででしょう。即ち、コンクリートで固められた、いわゆる「都市化地域」はあまり無く、生態系もしっかり維持された田園地帯や森や林もある都市にまで縮退すべき・・と言う事です。・・・「それはダウンサイジングでは無く、逆都市化、田舎化だ!」・・と言うのならば、否定しません。今流行りの、ただコンパクトに縮小しただけで、生態系と調和せず、自給自足も出来ないような「コンパクトダウン」しただけの都市ならば、その都市は滅びる事でしょう。・・・定量的な未来予測は「禁句」としている私ですが、周りの環境に依存し収奪する現代型の都市は、21世紀の早い時期に終焉を迎えるでしょう。


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【2014/02/11 21:30】 | 都市/文明 トラックバック(0) |

縮小の目安
guyver1092
 アマゾンて見つけたのですが、「滅亡へのカウントダウン」と言う本の書評で、地球の定員は20億人ほどとの記述があるようです。これからは石油が使えなくなっていくのは確実ですから、都市を維持する輸送力の低下は不可避です。あとは、農業のエネルギー産出比がどの程度になるかですね。この比率により、農村に必要な人口と農民が支えられる人口が計算出来ます。あと、気をつけなければいけないのは、地力を収奪していないかをかなり厳しく見積もらなければならないと考えます。理由は、古代文明は地力を収奪しすぎて自滅しているからです。ちなみにその跡地はほとんどが砂漠だそうです。
 いずれにしても、現在のドーピングされた頭で思考する現代の指導者に任せておいては、碌なことにならないでしょうね。

Re:縮小の目安
雑草Z
>地球の定員は20億人ほどとの記述

これは、guyver1092 さんとこれまで何度か議論しましたが、生活の仕方にも拠るでしょう。今のアメリカや日本並みの生活なら、それこそ10億でも過剰でしょうね。

>石油が使えなくなっていくのは確実ですから、都市を維持する輸送力の低下は不可避

日本の政府も都市の行政も、この点をしっかり把握してないからいまだに縮小を無視した都市の再開発のような事が為されています。将来重いお荷物になる事は目に見えてます。

>地力を収奪していないかをかなり厳しく見積もらなければならない

その通りですね。アメリカはかなり地力を落として表土が流出してますね。このアメリカの指導の元、戦後日本の農業も地力を落とす方向に来てしまいましたね。アメリカのアグリバイオ会社は最悪です。

>現在のドーピングされた頭で思考する現代の指導者に任せておいては、碌なことにならない

経済成長時代の遺物は一掃しなければなりませんね。

 * *** ***** *** *

センセーショナルなタイトルにちょっと警戒しつつ

『滅亡へのカウントダウン』の書評観てみましたが、まともな内容の本のように感じます。しっかり『成長の限界』を踏まえているようです。

guyver1092さんは、読まれる御予定ですか?


Re:センセーショナルなタイトル
guyver1092
 『滅亡へのカウントダウン』は買うつもりです。この本は最近、『文明崩壊』の類の検索ワードを検索した時に引っかかったのをカートに保存してあるのです。

 話は少しずれますが、以前に『古代日本の超技術』というタイトルの本が引っかかったことがあります。本の説明とか、書評を読んだところ、まともな本でした。少し迷って、結局買いましたが、それなりに楽しめました。特に二章の日本古来の木造加工技術と、三章の"呼吸する"古代瓦は、技術の退化を論じていて、唸るものがありました。

Re:Re:センセーショナルなタイトル
雑草Z
 センセーショナルなタイトルと書きましたが、このくらい書いても気がつかない人の何と多い事!!ノストラダムスの予言の類とは違って理性で考えれば大きな確率で起こり得る恐ろしい差し迫った現実なのですが・・・

 ・・では、私も購入致しましょう。書評も書く事になるかも知れませんね。・・ guyver1092 さんが書かれたほうが説得力があるかも知れませんね。

その前に、この本の前提となる「成長の限界」三部作の最初の一冊も最近読み終わりましたので、書評を描く予定です。

>『古代日本の超技術』というタイトルの本

も読む価値がありそうですね。槌田敦さんの本を大体読んでしまった後は、次に読むべき物が無いような、一瞬残念な感じでしたが、そんな事は無く、読むべき名著は沢山あって、時間が足りないですね。


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2014-02-05 00:01
生きる上での生活必需品の種類は少なければ少ないほどいいでしょう。衣食住に必要な最低限のみでいい筈です。あれもこれも生活必需品と考えさせられている現代社会は、「便利」と言うよりも、「作り出されたニーズによってがんじがらめに縛られている」といったほうがいいかも知れません。20世紀頃から「快適で便利な生活のために・・・」と言う謳い文句で、社会に導入されてきたものが、いつの間にか生活必需品と考えられるようになって仕舞いました。照明器具、洗濯機、掃除機、自家用車、携帯電話、ヘアドライアー・・・(ちなみに私はヘアドライアーを使いませんが、そのことを珍しがられました・・・)・・・枚挙に暇が御座いません。個人のものでなければ、色々なインフラが生活必需品と考えられてきました。上下水道、道路、駐車場、発電所、ゴミ処理場・・・・導入当初から、「将来は生活必需品」になると言われたものまであります。
過去に記事にしています。【ニーズを作る愚かさ】2007-3-9 ,【ニーズ開拓なんてするよりも】2009-1-21
実際本当に必要なかったものを「ニーズの開拓」によって「必需品」に仕立てられて仕舞ったとんでもない例をいくつか挙げてみましょう。

先ずは自動車。
アメリカは、広大で鉄道が発達しなかったので、自動車が普及し始めた当初から自家用車が生活必需品のように思われていたようにも見えますが、そうではありません。実は自動車会社によって無理矢理作られたニーズだったのです。昔の西部劇などには鉄道を敷く作業風景や鉄道を走る列車が良く出てきます。かつてアメリカの人口2500人以上の都市には全て電車が走っていて、庶民の足の中心は電車だったのです。そこで、大手自動車会社が車を売るために鉄道を買収して鉄道網を破壊して、自動車を生活必需品に仕立て上げたのです。【GMはどうやって巨大企業にのし上がったか?】2009-6-13 で述べました。つまり、電車に乗られては自動車の販売が伸びないからと、公共交通手段である鉄道を破壊したのです。・・・・これを「公正な自由競争、需要と供給の適正な関係」と呼べるでしょうか?・・「需要を無理やりに作った」というべきでしょう。ここまであからさまに酷くはありませんが、現在の日本でも似たような事が行われてきました。田舎町では、鉄道やバスなど公共交通機関がどんどん廃止されマイカー社会に移行してきました。ハイブリットカーだろうが電気自動車だろうが、家庭ごとに自家用車を持つ事は持続可能ではありません。一家一台でも持続不可能なのに、田舎では、大人一人一台の時代に突入しています。自動車がなければ通勤も買い物もままならない構造に社会が作りかえられて来たのです。自動車によるエネルギーと資源の消費は半端では御座いません。資源の枯渇の一因にもなりましょうし、酸性雨をはじめとした様々な環境汚染の原因にもなっています。

次に農薬と化学肥料
作物の害虫駆除の為に投入された農薬は、戦争中の化学兵器(毒薬等)会社が、戦争が終わって使いものにならなくなったその技術を虫殺しに応用し、ニーズを作り出したものです。化学肥料も化学会社が儲ける為に作り出したものでしょう。どちらも農業の「必需品」にされて来ました。その為に生態系が破壊され、農地が流失し、毎年広大な農地が農業不可能な不毛地帯に変わって砂漠化を始めています。【農薬は本当に必要であったのだろうか?】2013-8-29

そして、最悪のニーズの創造が、【原発ニーズ】2011-6-11です。原子力発電は現在行われている発電方式の中で最も危険な事は誰でも知っていますが、そればかりでは無く、最も非効率で、資源の浪費に繋がる愚方式です。国策として用地買収から地元民の懐柔策まで税金を大量に投入されて来ました。原発ニーズを作り出す為に、本来電力には向いていない非効率な発熱や発動のエネルギーにどんどん電力が使われるようなシステムが出来上がってしまいました。オール電化住宅を推進したり深夜電力を利用させたり、電力を浪費的に使うニーズを作り出して来ました。それでも現在、原発が無くても電気は足りる状態です。・・確かに現在原発が無くとも電力は足りています。そして、再稼働なんて言っているどころでは無いのです。日本中の原発の燃料プールの使用済み核燃料はほぼ満杯状態なのですから、これから再稼働すれば日本は非常に危険な状況に追い込まれるだけです。

日本では第二次世界大戦後、様々な「不要な」ニーズが作られてきました。消費を美徳とプロパガンダする広告代理店が企業の要望(ニーズ)によって、どんどん「不要な」ニーズを開拓してきたのです。国内最大手の広告代理店は、「もっと使わせろ、捨てさせろ、無駄使いさせろ・・・」という事を社訓として、(【消費拡大の本質】2007-5-18)
本来全く生活には必要ない代物を「生活必需品化」して、ニーズを作り出してきました。現在これらの作られてしまったニーズの呪縛によって、経済成長が必要だと洗脳され、洗脳された愚かな人々は経済成長が経済の閉塞状況をも打開すると信じているのです。残念なことにこれがいまだに現代社会の主流派です。(国によっては、そろそろ主流では無くなってきていますが、日本ではまだまだ主流です。・・・この典型例のアベノミクスがいまだに多くの国民に支持されています。嘆かわしい事です・・・。)

現在無責任で強欲な広告代理店や資本家、財界によって無理矢理作り出されてしまったニーズによって社会は呪縛状態にあります。非常に大きくて深刻な、抱えきれない重荷を背負わされて仕舞いました。
いつか支払わせられる事が明らかであったこれらの付けは、経済優先策の過去の政府によって先送りされ、より深刻化して来ました。そしてついに先送り不可能となり支払わせられ始めているのです。これからの子孫はこれらの付けを支払い続けなければならないのです。
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【2014/02/05 00:01】 | Economic Fascism トラックバック(0) |

文明の暴走
guyver1092
 なぜ、ニーズを作るのかと言えばそれをしないと、資本主義が維持できないからでしょうね。
 困ったことに、せっかく作っても効果は持続しませんから、しばらくするとまた新しいニーズを作らなければならなくなります。これをしないと、失業者が増えて、場合によっては、社会が維持できなくなります。支払う代償は、子孫の生命です。具体的には、子孫が生きていくために必要な生態系が劣化します。地球の定員削減です。なんのことはない、子孫の命を今の人間が使いきっているだけです。今死ぬか、将来死ぬかの違いです。将来死ぬのを選択するしかないと考えるのは、文明の暴走といいます。


Re:文明の暴走
雑草Z
    guyver1092さん

 しっかり簡潔に、「ニーズの創出」の本質をまとめて戴き、有難う御座います。このまとめで必要十分ですね。

>せっかく作っても効果は持続しませんから、しばらくするとまた新しいニーズを作らなければならなくなります。

これが経済成長主義の特徴ですね。理性で考えれば十分に愚かな事は明らかなのに、いまだにこの手法が主流ですね。その酷い典型例がアベノミクスですね。

>将来死ぬのを選択するしかないと考えるのは、文明の暴走といいます。

なるほど、面白い定義です。言い得て妙です。


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