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2013-11-29 00:01
SLAPP[Strategic Lawsuit Against Public Participation 恫喝訴訟・・直訳;市民の社会参加に対する戦略的訴訟] とは、訴訟を起こしたり反対運動をしたり、政府や自治体の対応を求めて、公の場で発言したりしている権力を持たない比較弱者に対して、企業や政府など比較優者が恫喝、発言封じ、などを目的に起こす、報復的な訴訟の事です。
つまり、反対運動等を鎮静化する為に、若しくは報復措置として(民事)訴訟を起こす事です。名誉棄損や誹謗中傷、業務妨害、公務執行妨害、共謀等の罪で提訴されます。市民が自らの生存権や自然環境を守るために行う表現活動に対して、権力者側が司法を使って、時間的にも精神的にも、金銭的にも負担をかけて押さえつけるものです。
被告(ターゲット)にされるのは、個人や市民団体、ジャーナリストです。憲法で保障された権利・・・デモ、ビラ配布、新聞への寄稿、記事の執筆・・・をしただけで、不法行為の疑いがあるとして、訴訟を起こされます。アメリカ等では通常民事訴訟を起こされてきたので、SLAPPの定義に「民事訴訟である事」が盛りこまれていますが、日本の場合は事情が違うようです。公務執行妨害等の悪辣な刑事訴訟を起こされる事例が結構あります。
先日、東京を訪れた際に、丁度全国のスラップ訴訟の被害者の集会をやるとの情報を得て、他の用事を切り上げて顔を出してみました。スラップ訴訟を仕掛けられた何組かの方々のお話がありましたが、どの事例もあまりにも理不尽な例ばかりでした。いわゆる「いちゃもん」の類だと思います。その中でも酷い例だと感じた やんばる東村 高江の事例について書かせて頂きます。
沖縄県本島北部に位置する東村高江区は、わずか160人が暮らす小さな集落です。2007年から米軍ヘリパッド(ヘリコプター離着陸帯)建設が着工されました。「やんばるの豊かな自然を守り、自分の家で普通に暮らすため」に、高江住民をはじめとした人々が座り込みという形の抗議行動を通して、国に話し合いの場を求め続けてきました。
2008年11月に国は「座り込みは工事を妨害している」として、高江住民ら15名を相手に「通行妨害禁止仮処分」を那覇地裁に申し立ててきました。座り込みなどに参加していた沢山の人の中から、住所氏名を特定出来る15人に絞って仮処分対象者に選んだようです。その中に夫婦が4組含まれていました。「現場にいた人と背格好や服装が似た別人」も含まれていました。(これは他の日本の政府によるスラップ訴訟にもいくつかあった例です。・・非常に杜撰な訴訟です。)そして、反対運動のリーダーの一人は、本人と妻ばかりでなく、現場に行った事もない当時8歳の娘さんまで含まれていました。「国策に反対すれば、年齢に関係なく、家族まで弾圧する」と言う脅しとしか考えられません。
2009年3月に行われた仮処分申し立ての審尋で国(沖縄防衛局)は、
ブログを通して座り込みを呼び掛けている事
○ヘリパッド建設に反対する内容のイベントを開催すること
○高江の事を広く知ってもらう為のDVDを作成する事
○沖縄防衛局に建設反対を申し入れる事
などを「妨害行為」だと主張していました。
憲法21条で保障された「言論・表現の自由」は、権力に対して異論を唱える自由を保障しています。以上の行為は全て合法と言う事で訴訟の対象にするのはおかしい事ではないでしょうか。
2009年12月、那覇地裁が出した決定は、住民らの起こした行動は正当な表現行動だと認め、12名に対する申し立ては却下されましたが、(8歳の娘さんはそれ以前に直ぐに却下されていました・・当然でしょう。)同じ抗議行動をしていた2名は「ヘリパッドいらない住民の会」の共同代表に名前があったと言う事で、通行防止禁止の申し立てが認められてしまいました。この決定に不服があるとして住民と弁護団は、那覇地裁に起訴命令を申し立て、国は高江住民2名に対して本訴訟を提起しました。
那覇地裁では住民1名に対しては、妨害行動は認められないと国の請求を退けましたが、もう一名に対しては「数秒間手を挙げただけ」の場面を沖縄防衛局に撮影され、それが妨害と認められてしまいました。住民側の「国の訴えは恫喝目的のスラップ訴訟である」との主張は、「請求内容から直ちに恫喝目的がうかがわれるものではない」として認められませんでした。
このような不当判決を受け、住民側は福岡高裁那覇支部に控訴しましたが控訴は棄却されました。しかし判決の法的根拠や理由は説明されず、「妨害行為」の基準はあいまいなままです。2013年7月に住民の会と弁護団は控訴審での判決を不服として、最高裁に上告しました。
弁護側は「控訴審の判決は、憲法で保障されている表現の自由の根幹を揺るがす」
「スラップ訴訟を食い止める為にも、上告して判決を求めたい」とコメントしています。
日本の裁判所は、上に行くほど国の御用組織的要素が強く、とても三権分立がしっかり成り立っているとは言えない状態ですので、裁判で勝つ事は困難でしょうが、このようなスラップ裁判を許すわけにはいかないでしょう。

SLAPP訴訟に詳しい、自らもスラップ訴訟を仕掛けられた経験のあるフリージャーナリストの烏賀陽弘道氏は、 「私人と私人の紛争を解決する手段」である民事訴訟の原告が国と言うのも奇異なら、国が税金を使って納税者である国民を訴えたと言うのも奇妙だ」と言及していますが、全くその通りです。彼は自らのHP【SLAPPIC】も立ちあげています。スラップ訴訟によって、裁判コストが、被告にのしかかります。そして、大きな公的論争が、裁判上の(大して重大でない)論争に矮小化されてしまいます。高江のスラップ訴訟で争われていたのは「○年△月×日に、工事現場でA氏は通行を妨害したかどうか」と言う論点です。実に些細な事件です。この事で「高江にヘリパッドを建設していいのか」・・と言う「公的な論争」を封じ込めるのは如何なものでしょう。仮にこの裁判で住民側が敗訴しても「ヘリパッドを建設してもよい」と言う結論にはなりません。これは、SLAPPと言う概念を提唱した法学者の言うところの『論点すり替え戦略 Dispute transfer strategy』です。
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【2013/11/29 00:01】 | 社会・経済 トラックバック(0) |

まさしくいつか来た道
guyver1092
 昔、何かの本で読んだのですが、国家の経済が追いつめられるとその国の中の思想は必ず過激になると書かれていました。様は外国を食ってしまえということです。
 秘密保護法とこの訴訟で外国を食いに行くのが最終目標のようですが、実は日本の極右の目的は戦争することであって、外国を食うことは視野に入っていないようです。理由として、日本攻撃専用巨大原爆を未だにあきらめていないからです。

Re:まさしくいつか来た道
雑草Z
guyver1092さんも、現在の日本が戦前、戦争に突入していったころの日本に似ていると感じていらっしゃいましたか?

>秘密保護法とこの訴訟で外国を食いに行くのが最終目標のようですが、実は日本の極右の目的は戦争することであって、

外国に喰われようとしている日本の状況を判断出来ないのでしょうか?
 戦争で負けた日本は、戦後高度経済成長時代には経済で外国を食っていましたが、それを再び・・・と言う考えはかなり危険です。喰われる可能性が大きいでしょう。広くない国土に17か所、50基以上の原発を抱えて戦争など狂気の沙汰です。

それにしても、日本政府等によって行われているスラップ訴訟は酷いものです。高江だけでなく、上関原発等でも、本当に酷いものです。富山市では瓦礫の受け入れに反対していた母親が市長に刑事告訴されました。日本でのスラップは、アメリカでの定義に反して、民事訴訟では無く、政府や自治体による刑事訴訟が悪質です。訴える側は利権に塗れて恥を知らないようです。


法律に基づいた弾圧ですね。
でなしNo.146
昔から「国」という組織は富裕層や政府上層部が権力を持ち、下の者がつけを支払う構造があります。

政府がない方が良いとは思いませんが、こういう「法律に基づいた弾圧」がシレッと行われる状況を変える必要はあると思います。

そして、裁判になると公的な議論が必要な問題が「妨害活動の有無」という矮小化された問題になるというふざけた現状も変える必要があると思いました。

こういう大事な問題をマスコミはスルーするという状況も良くないです。

この手のお話は裁判に限らず、力のあるものが統制を取るために下の者に強引に(法律に基づいて)言うことを聞かせるという状況、としていろんな分野に見られます。

なんとかならないか。考えて行かないといけないと思いました。
ともすると、こういう考え方すら「反社会的」なんて思われちゃうんですかね。

Re:法律に基づいた弾圧ですね。
雑草Z
>昔から「国」という組織は富裕層や政府上層部が権力を持ち、下の者がつけを支払う構造があります。

そうですね。昔と比べて段々改善されているように歴史の教科書では教えられていますが、本当に良くなって来たのでしょうか?

国や自治体は憲法で保障されている権利を、違法行為だとして訴えているのですから、本来は法律に基づいた弾圧ではなく理不尽な弾圧でしょう。それでも裁判所を使って脅すのは権力の乱用でしょうね。・・・日本の裁判では、国が訴えた場合は大抵国が勝つ率が非常に高いのですが、スラップの場合は、理不尽過ぎるので流石に国が勝つ率は少ないようです。
高江の場合も15人中14人は不起訴になったわけですから、国は14人には負けたわけです。しかし負けた国は、裁判費用も税金でしょうし、裁判に出席する連中も公務のうちでしょうから、ダメージは少ないでしょう。それに対し「勝った」住民は、弁護士費用も自分達で支払わなくてはならないし、仕事も休まなければならないし、運動に費やす時間は削られるしで、かなり疲弊したとの事です。それこそスラップ訴訟の狙いでしょう。・・酷いものです。

>こういう大事な問題をマスコミはスルーするという状況も良くないです。

地元のマスコミなどが小さく取り上げているようですが、もっと大々的に騒ぐべきですね。オリンピック誘致よりも遥かに重大な問題です。

>ともすると、こういう考え方すら「反社会的」なんて思われちゃうんですかね。

そうですね。特定機密保護法案が通ったら、こんな裁判の裏事情を暴露したり世間に知って貰おうと情報公開した公務委員やマスコミ、一般人も罰せられるというような理不尽な事が起こるかも知れませんね。



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2013-11-23 00:01
一般的に民主主義政治は、独裁政治よりも優れていると考えられています。民主主義は専制君主制から人々が勝ちとった権利であると言われています。そして、議会制民主主義はその国民から選ばれた代表から構成される議会を中心に行われる民主政治であると定義されています。
民主主義は多くの国民の合意に下で行われる政治であるので、意思の決定が平均化され、なかなか思い切った改革が出来ないと言う短所があります。それに対して独裁政治は独裁者の意志一つで、大きな改革も出来る訳で、「良い」独裁者なら独裁政治のほうが良いとも考えられます。

さて、今日の自由経済社会は、資本主義が支配しているので、様々な問題が次々に噴出しています。膨張の一途を辿って破綻直前ですが、その原因が議会制民主主義にある事を【循環の経済学】の中で多辺田政弘氏が言及しています。一瞬、「風が吹くと桶屋が・・・」みたいなイメージですが、そうでは無く、直接的な因果関係があり、なるほどと頷ける説明が為されています。それは経済の歴史から考察されています。
古典派経済学の時代は、「小さな政府」が理想であり、市場経済〔私的部門〕の自由則の活動の外的秩序を保障するという消極的禁止則の管理に留まっていました。その結果、無秩序に自己増殖し始めた資本主義によって引き起こされた貧困問題は解決出来ませんでした。そこで政府は「富の再分配」〔平等化〕の役割を付け加えて、その分だけ政府の役割は大きくなりました。しかしそれは、「均衡財政」と言う枠組みの中で膨張への歯止めを持っていました。
ところが、ケインズの財政学の登場によって、失業問題や景気対策としての「有効需要の創出」という新しい役割が出来、政府の経済は膨張を始めたのです。以降、政府の経済は拡大の一途を辿る事になります。
ケインズの『哲人政治』には、「経済の拡大と同時に縮小も決断し、実行しうる財政運営」が謳われているようですが、現実には政治力学は、縮小の決断は殆ど無く、自己拡張の方向に進んできました。
議会制民主主義という政治決定プロセスは、圧力団体とそれを利用する利益誘導型政治を生み出し、財政支出の拡大を常態化してしまったのです。その結果、自己増殖を続ける資本主義に政府の経済が更なる成長促進剤を投与し続けると言う「経済成長の自己目的化」をもたらしました。つまり、議会制民主主義によって、政府はそれまでの「自由則の為の禁止則の管理」を大きく逸脱して、「自由則による資本主義の拡張運動」を刺激し続ける役割を担ってしまったのです。
もう既に高度経済成長を終えた日本や西欧諸国でも、いまだに「需要の創出」をしようとあの手この手です。その典型例がアベノミクスでしょう。
当然のことながら、無限の拡大は不可能です。・・必ず破局が待っています。経済成長は指数関数的(等比級数的)ですから尚更です。・・・既に「恐慌」という形で破局は何度か経験していますが、これからやってくる破局はそんな生易しい破局ではないでしょう。経済的な事だけに留まる筈が御座いません。廃熱と廃棄物の拡大と拡散が生命系を攪乱し、地球規模に拡大してしまいましたから逃れる場所がなく、(エントロピー増大から熱死に至る)破局が迫っているのです。

この破局の原因が今日の議会制民主主義の在り方にあると言う事です。
逃れる為には、議会制民主主義によって選ばれた議員達が、特定団体への利益誘導型政治を行わない事です。・・・「良識的な議員」(自己利益誘導をしない普通の常識的な議員)が多数派になる事です。政治家としてモラル、当然の事・・の筈ですが、今日の議員たちにそれを望む事が出来ましょうか?・・・残念ながら、それこそ社会主義国家を維持するよりも遥かに困難な事でしょう。

参考文献
  循環の経済学  第2章 自由則と禁止則の経済学   多辺田 政弘 著
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【2013/11/23 00:01】 | Economic Fascism トラックバック(0) |

経済成長の自己目的化
guyver1092
 なるほど、「経済成長するためにすべてを犠牲にしよう」の始まりはケインズだったのですね(循環の経済学届きましたがまだ第一章読了段階です。雑草Zさんとの議論は私も楽しみです)。
 ただこの議論の前提は、プラス金利かつ単一のお金ですね。マイナス金利かつ物質担保のお金の社会で、民主主義社会ならどうなるのでしょうか。手に入れた物質という制限がある限り(金本位制時代のように持っている金の何倍まで貨幣発行するという愚かなことをしないことが前提)、暴走はしないような気がします。

Re:経済成長の自己目的化
雑草Z
「経済成長の自己目的化」と言う非常に狂った事が正当化されて推し進められたのは20世紀以降、ケインズ経済学からでしょうね。ただし、本文にも記したように、
ケインズの『哲人政治』には、「経済の拡大と同時に縮小も決断し、実行しうる財政運営」が謳われているようです。
『循環の経済学』の2章の脚注には、このような内容に関するケインズのインタビューが記されています。それによるとケインズは「経済成長するためにすべてを犠牲にしよう」のような馬鹿な考え方はしてなかったようです。ケインズの財政学が、強欲な資本家達に利用されて来た・・・とも言えそうです。(「循環の経済学」今2回目読んでいますが、置き忘れて来たようで、今手元にありませんが、後日改めてその部分をご紹介させて頂きます。)まあでも、ケインズは「有効需要の創出」という、非常に重大な過ちを犯した事に違いはなさそうです・・?

>マイナス金利かつ物質担保のお金の社会で、民主主義社会なら

この事に関しては、guyver1092 さんの御想像通り、
>手に入れた物質という制限がある限り(金本位制時代のように持っている金の何倍まで貨幣発行するという愚かなことをしないことが前提)、暴走はしない

可能性が高そうですね。当方はしっかり想像出来ませんが・・・
 
『循環の経済学』の第一章;エントロピーと循環の経済学
は、室田 武さん著ですが、如何でしたか・・?
槌田敦氏の持論とかなりオーバーラップしますが、なかなか面白かった記憶です。当方が最も気に入ったのは
 第2章 自由則と禁止則の経済学 多辺田政弘著
で、2回目はこの章から読み始めました。
 





ケインズの論考
雑草Z
>『循環の経済学』の2章の脚注

ではありませんでした。第1章の第8節
自由貿易から関税の強化へ(・・この主張は第2章にもあり賛同していますので改めて記事に致します。)

1933年にケインズがカレッジで行った講演で
「私は、諸国家間の経済的な絡み合いを最大化しようとする人々よりも、寧ろそれを最小化しようとする人々にシンパシーを感じている」のように語っています。
 つまりケインズは、経済の拡大ばかりを志向していたのでは無いけれども、資本家達の都合のいいように、財政出動の絶え間ない拡大を説いているように、解釈されたのかも知れません。経済に疎い私などは、ケインズと言えば公共工事の財政出動・・ニューディール政策を想起します。

Re:強欲な資本家達に利用されて来た
guyver1092
 これはよくあることですね。たとえば二酸化炭素削減については、普通に考えたら「節約」と言う結論になるところを、使いたいだけ使って、その二酸化炭素をためて捨てるという選択肢を開発する等、本質を外して、逆効果の対策ばかりがもてはやされている現実がありますね。
 ケインズは「自己破壊的な金銭計算と言う同じ法則が時の一刻一刻を支配している。」とも言っていましたが(ご紹介のカレッジの講演の後ろに書かれているので同じ講演で言ったのかも)これは、私の言った会計法が思考制御していると同趣の発言ですね。私はケインズと同じことを考えたということになります。ケインズ自身は功罪あるのでしょうが、後の人間がケインズの想定を超えたところでケインズの考えを悪い方向に発展させたということでしょうね。

Re:Re:強欲な資本家達に利用されて来た
雑草Z
>二酸化炭素削減については、普通に考えたら「節約」と言う結論になるところを、使いたいだけ使って、その二酸化炭素をためて捨てるという選択肢を開発する等、本質を外して、逆効果の対策ばかりがもてはやされている現実がありますね。

全くおっしゃる通りです。二酸化炭素削減は原発推進の為に利用されて来た事も間違いないようです。

>「自己破壊的な金銭計算と言う同じ法則が時の一刻一刻を支配している。」とも言っていましたが

ここの件は、なかなかいい事を言っていますね。この後に続く言葉は名言です。記事に引用したいと思っていました。

>私の言った会計法が思考制御していると同趣の発言ですね。私はケインズと同じことを考えたということになります。

そうですね。本質的に同じ事を述べていますね。非常に鋭い真を突いた洞察だと思います。guyver1092さんのおっしゃるところの、思考制御している会計法は、生態系の破壊など未来に対する負の遺産の部分を無視している刹那的な会計法と理解して宜しいでしょうか?・・・これが即ちケインズの言う「自己破壊的な金銭計算」でしょうね。会計法をguyver1092さんのおっしゃるように根本的に変えなければなりませんね。

会計法等
guyver1092
 豊かな生態系は、食料を安定的に保証する人類社会の入れ物ですが、現在の会計基準ではこれらは二束三文です。そしてこの生態系を破壊し、たとえば原発を作ればとてつもない財産になりますね(会計上)。この方向に進めば、原発事故、放射性廃棄物等の問題がないとしても人類の食料不足に行き着きます。地球が人類にとって巨大な内はどこもかも丸く収まる、こたえられない快楽でしょうが、これはまさしく刹那的ですよね。

Re:会計法等
雑草Z
>豊かな生態系は、食料を安定的に保証する人類社会

全くその通りですね。

『循環の経済学』 で多辺田 政弘さんが執筆されている 第2章 自由則と禁止則の経済学
でもその事に触れています。例えば、ヘーゼル・ヘンダーソンは「産業社会の生産的構造」を「デコレーション付き三段ケーキの図式で示していますね。社会的基礎の土台に自然の層と言う生産部門を置き、それより上部の層はこの自然の層に依存しています。この「当然の事」を会計法に組み込まないのは欠陥ですね。
guyver1092さんの提唱する会計法を推し進めるべきですね。

>これはまさしく刹那的ですよね。
   
そうですね。この「付け」を支払わされるまでにもう猶予は在りませんね。今世紀中には付けが払えず人類社会は倒産するでしょう。・・・会計上の「倒産」では済みません。「生態系の破壊」は人類も生きていけないと言う事ですから・・。

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2013-11-17 00:01
既存の経済学(玉野井芳郎氏の定義するところの「狭義の経済学」)では、公害・環境汚染を「市場の失敗」であり、「外部不経済」と捉えています。そして、市場経済のシステムを上手く構築すれば「内部化」が可能であると主張して来ました。即ち、狭義の経済学の枠内で処理、解決出来ると主張してきました。果たして既存の経済の範疇で「外部不経済の内部化」は可能でしょうか?
『循環の経済学』では、「外部不経済の内部化」に意義を唱える何人かの意見を紹介しています。
先ず、玉野井芳郎氏は
「いわゆる外部不経済として説明される環境の破壊は、それがたとえ市場で解決されると主張されるにしても、現実には非可逆的な影響が生態系に加わりかねないと言う事は誰の目にもわかってきた」
と述べています。全くもってその通りでしょう。放射性廃棄物を典型例として、廃棄物の中には、処理しても無毒化出来ないものが色々あります。例え無毒化出来てもそれ以上に他を汚染してしまう場合が多いのも事実です。

槌田敦氏は
「廃棄物の問題は、循環の断絶したところから生ずるものですから、これを修復せずに、単に費用負担と言う従来の経済学の範疇で考えるだけでは解答がえられない、廃棄物の費用負担は経済の利潤追求と矛盾します。資源を消費し、廃棄物になってから廃棄物処理の費用が必要になるから、費用の負担の積み立ても無いまま、廃棄物だけどんどん溜まっていく事になるのです。原子力発電の放射能が正にその状態です。」と説明しています。全くもってその通りでしょう。現在の福島第一原発事故の後処理も結局政府が税金を使ってやる事になるでしょう。・・・東電は責任を放棄して逃げる・・・と言うよりも、もう手に負えない状況でしょう。はじめから廃棄物の処理の費用まで積み立てるのならば、費用対効果が破綻する事は目に見えていますから、どの電力会社も原発には手を出さなかったでしょう・・・そうならなかった事は。完全に現在の経済システムが狂っている証拠です。原発に限らず、諸外国でも、環境汚染の費用負担はまともに為されておらず、酷い鉱業企業などは、鉱物を掘り起こした後は、廃棄物、環境汚染の費用は負担せずに計画倒産して、責任逃れをした会社などもあるのです。

大崎正治氏は
「外部不経済(社会的費用)を計測して負担する事によって「内部化」するという事は、現実の経済では被害者が満足するほどには実行出来ないのです。実際に出来ないから、理論がいつまでもテストされないでかえって期待を抱かせるわけです。この理論に期待を抱かせる事によって、現実の経済システムの進行が図られていると考えていいと思います。」と述べています。
 これまた現代経済学の欠点をズバリ突いています。「外部不経済の内部化」は試されない理論であるのは、失敗する事が目に見えているからでしょう。それなのにこの「試されない理論」に期待感を持たせて矛盾だらけの現行の経済システムが続けられているのです。勿論アベノミクスもその典型的なお馬鹿な例の一つです。
こんな事で末期症状の現代資本主義の延命措置がなされているのです。
こうやって問題を先送りし肥大化させて行けばいくほど世界は絶望の淵に追いやられるのです。「外部不経済の内部化」する方策を考えるのではなく、コスト(汚染)の外部化を禁止、若しくは抑制すべきなのです。典型例は、放射性廃棄物のコスト(汚染)の内部化が出来ないのに原発を稼働させてはいけないと言う事です。
取り返しのつかない環境汚染状態になる前に(現在でも十分に酷い状況です。)一刻も早く現代経済システムを壊して、根本から脱資本主義を目指す広義の経済システムにパラダイムシフトすべきです。

参考文献
  循環の経済学  第2章 自由則と禁止則の経済学   多辺田 政弘 著
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【2013/11/17 00:01】 | 社会・経済 トラックバック(0) |

内部化
guyver1092
 外部不経済を貸借対照表に正当に乗せることは、不可能と言うことなののですね。税金をどう取るか(企業に正当な負担を負わせる)についても、文明破壊者がわめけば政治家は唯々諾々と言いなりになっているのが現状では、外部不経済を税金として内部化は不可能そうですね。
 地域ごとに、その地方の太陽エネルギー固定能力に応じて貨幣を発行するなら、江戸時代の日本のように、してよいこととしてはいけないことの区別がつくようになるのでしょうか? 付かなければ文明崩壊は不可避と言うことですね。

Re:内部化
雑草Z
    guyver1092さん

>外部不経済を貸借対照表に正当に乗せることは、不可能と言うこと
>文明破壊者がわめけば政治家は唯々諾々と言いなりになっているのが現状では、外部不経済を税金として内部化は不可能

言い得て妙な言い回しにして頂きました。有難う御座います。
原発に関しては、物理的にも外部不経済の内部化は不可能でしょうね。

>地域ごとに、その地方の太陽エネルギー固定能力に応じて貨幣を発行するなら、江戸時代の日本のように、してよいこととしてはいけないことの区別がつくようになるのでしょうか?

そう願いたいところです。

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2013-11-11 00:01
社会主義、共産主義国家の『計画経済』に対して、資本主義国家は、『市場経済』であると言われます。市場経済における行動原理は自由則であり、「需要と供給の価格メカニズムで資源を最適に分配するシステムである」と言われています。この意味で市場経済は計画経済よりも優れているとも言えそうですが、この市場経済と資本主義を同一視してよいのでしょうか?
商品の交換の起源について、アダム・スミス以来の常識化されている見解は、
初めは社会内部での物々交換、それから外部へ向かって貨幣や信用を媒介とする市場交換、この過程で分業と技術進歩がさらに進んで、今日のようなボーダレスな市場社会が出現する・・・というものです。
 これに対し、カール・ポランニーは、
商品交換の真の出発点は遠隔地取引であって、市場は共同体経済の内部ではなく、専ら外部で機能する制度なのである・・・・と通説の順序を逆転させています。そして、地域市場(ローカルな市場)は本質的に非競争で、地域の生活の一付属物であり、競争的な全国市場への出発点ではないと、交換の起源とその意味を明らかにしています。つまり貿易は地域市場とは別個の歴史的起源を持っているという見解です。・・・なるほど、と思ったのは私だけではないでしょう。


市場経済とは、市場のメカニズムに従ってモノやサービスが交換される世界であるので、ある程度の競争が作用して価格メカニズムが働きます。しかし、個人、若しくは企業は、与えられた条件のもとで日常的な一定の活動をすればよいので、積極的に「資本」を蓄積して投資して、事業を拡大することには拘らなくてもいいのです。市場経済はある一定の地域規模での日常的な需要と供給を、市場を通して充足させる経済社会であるから、定常系を想定することも可能です。

それに対して資本主義は、資本を増やすことが目的ですから、企業が絶えず新たな利潤を求めて蓄積した資本を積極的に投資していきます。その結果、社会全体の物質的な富の拡大も伴うことになるのです。つまり、資本主義とは、人々の欲望を拡大し、それに対して物的な形を絶えず与えていく運動です。その意味で「経済成長」の目的化も、資本主義と表裏一体と言えましょう。
 局地的な市場は、その地域の一定の地域資源のもとで、ある程度の定常系の経済活動を前提にして行われてきたと言えるのです。だから市場経済は自己増殖する必要はないのです。基底にある共同体の『共』的世界が「欲望」の自己増殖を抑制する機能を内在させていたのです。
勿論実際問題として、市場経済と資本主義は重なり合う部分もあり、きれいに分離する事は困難でしょう。資本主義活動は、多くの場合、市場を通して為されるからです。
しかし、「計画経済」に対抗する経済は「市場経済」であり、「資本主義」になる必要はありません。
資本主義は[Capitarist Society]の訳です。直訳すれば「資本家の社会」です。資本家が主役で、労働者は生産の要素の一つ、若しくは商品の一つとして扱われます。資本家が余剰資金を投資し、資本を増やそうする活動は、いわゆるマネーゲームです。だから「資本主義」はマネーゲームをやるギャンブラーの為の社会と言う事になりましょう。・・とんでもない事です。
現在、資本家の為に、指導者と呼ばれる人々はかなり行き過ぎた振舞いをしています。日本に限らず、世界中で資本主義の延命の為に行き過ぎた政策が為されています。経済のグローバル化・・・アベノミクスもTPPも、資本家を更に儲けさせる為の政策と言えましょう。「経済のグローバル化」と言う名のもとに資本家の為の政治が為されているのが実情です。市場経済を肯定しても、資本家の更なる金儲けの為の手段の為に地球環境を破壊する資本主義は肯定できるものではありません。資本家のプロパガンダに踊らされずに、「市場経済」と「資本主義」は、別物として考えるべきでしょう。



 参考文献
  循環の経済学  第2章 自由則と禁止則の経済学   多辺田 政弘 著
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【2013/11/11 00:01】 | 社会・経済 トラックバック(0) |

証拠
guyver1092
 「ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか」で紹介されていた遺跡研究から考えても、定説が誤りで、カール・ポランニーが正しいのでしょうね(物証の存在)。
 シルビオゲゼル入門によると、資本主義と市場経済を混同している人が多いと紹介されていました。市場経済は資本主義が出来るはるか以前から存在していて、資本主義の原型は17世紀の東インド会社であるとあります(他の何かでも読んだような記憶があります)。
 地球の物理的制限を無視して成り立つ資本主義は人類文明にとっての破滅の因子です。これをモアイのごとくあがめたてまつっている限り破滅は必ずやってくるのでしょうね。


Re:証拠
雑草Z
    guyver1092さん

 またまた、目から鱗のコメント有難う御座います。

>遺跡研究から考えても、定説が誤りで、カール・ポランニーが正しいのでしょうね(物証の存在)。

物証が存在したとは驚きです。どんな物証だったか御紹介願います。・・想像がつきません。

>資本主義と市場経済を混同している人が多いと紹介されていました。

そうですね。沢山いるでしょう・・・と言うよりもそれが大半かも知れません。共産主義に対抗する資本主義のプロパガンダでは意図的にそれが為されていますね。資本家達は資本主義の非常に利己的な側面は隠しておきたいのでしょう。

(今回のタイトル「市場経済と資本主義」でしたが、タイトル付け忘れていたので、急遽書き加えました。)

>地球の物理的制限を無視して成り立つ資本主義は人類文明にとっての破滅の因子です。これをモアイのごとくあがめたてまつっている限り破滅は必ずやってくるのでしょうね。

貪欲な資本家達に世界が滅ぼされていくのは耐えられませんね。資本家による無茶苦茶なプロパガンダをしっかり論破して、ネットを通じて世界中の人に知ってもらう必要がありますね。破滅は近いと感じている今日この頃です。


Re:物証
guyver1092
 p114あたりから書かれていますが、トバ火山による急激な寒冷化の直後あたりから黒曜石が遠隔地で多く見つかるようになったそうです。生存戦略として始まった助け合い(時間差による交換)の証拠として注目しているそうです。ちなみにこの研究をしているのは、イリノイ大学のスタンレー・アンブローズ博士と言います。

Re:Re:物証
雑草Z
    guyver1092さん

 物証の想像がつきませんでしたが、そのようなものだったのですね!なるほど、

>生存戦略として始まった助け合い(時間差による交換)の証拠

ですか。社会内部での物々交換が外部へ向かう市場交換に発展する必然性は無いと言う事ですね。カール・ポランニーの洞察はユニークで鋭いですね。

ところで、書評に関する内容の続きですが、guyver1092さんは、カール・ポランニーの書物を読まれた事はありますか?

 私は、ポランニーに興味をもったきっかけは良く覚えていませんが・・・『大転換』と言う言葉に惹き寄せられたのかと思いますが・・・・大転換は古くて厚くてちょっと敷居が高そうで購入を渋って、代わりに彼の論文などの著作集である「経済の文明史」を購入して読み始めましたが、中断してかなりの時間が経ちました。(つまらなくて中断したのでは無く、物理的に中断してそのままです・・・内容はかなり興味深く読め、引き込まれます。)本書を読み終えたら、新訳の出た『大転換』を読みたいと思っています。
 経済学にはあまり興味はありませんが、カール・ポランニーや「循環の経済学」の著者達の書物には関心があります。彼らの主張は理に適っているので信頼が置けます。

経済の文明史
guyver1092
 買ったのは「経済の文明史」のみです。これも少し拾い読みをしたところで積んである状態です。
 本格的に読んだ本はありません。

Re:経済の文明史
雑草Z
guyver1092さんも「経済の文明史」を持っていらっしゃったのですね!?そして読んだ量も私と大差ないかと思います(笑)
「経済の文明史」は、「循環の経済学」の一部ともかなりオーバーラップしています。・・・「循環の経済学」の著者の参考文系なのですから当然ですね。・・・あまり読みやすい本とは言えないかも知れませんし、10篇の論文集で、当たり外れはあるやも知れませんが、単なる「経済学」の範疇を越えた名著であると思います。読み切りたいものです。
 ところで、これまで読まれた経済関係の書物の中で、guyver1092さんお薦めの本は何ですか?

お薦め
guyver1092
 確かに読みづらいですね。買った以上はいつかは読みたいですが。
 これまで読んだ経済書の中(狭義の経済書)では部分的には参考に出来る部分はありますが、人に薦められるものはないですね(エントロピー派の物を除く)。

Re:お薦め
雑草Z
    guyver1092さん

 そうですか!?・・・やっぱり
>(狭義の経済書)
の中には、読む価値のあるものは殆ど無いようですね。・・反面教師として読む価値のある経済書はごまんとあるでしょうけれど・・(笑)
一昨日の土曜日、東京の大きな書店で経済書のコーナーを見てみたら、ポランニーの『大転換』がありました。ぺらぺらめくって見ましたが、かなりの大作です。一冊で、『文明崩壊』上下巻2冊分のボリュームのイメージです。・・・ちょっと買う気がしませんでした。・・・『経済の文明史』の内容とかなりオーバーラップするようですし、『経済の文明史』だけで足りるかも知れません。『経済の文明史』を読み終えてから検討しようと思います。

経済関係の書物からもっと広げて、政治・経済、文明論まで;社会科学系一般まで広げた場合・・・お薦めの書物は何ですか?

一般まで
guyver1092
 鵜呑みにするのは危険かもしれませんが、「ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか」は価値があると思いますし、「エンデの遺言」等、「シルビオ・ゲゼル入門」(これは経済書に近いものがあるかもしれません)、あと、まだ途中までしか読んでいませんが、室田武氏の「地域・並行通貨の経済学」が私の推薦書です。


雑草Z
    guyver1092さん

 ご回答有難う御座います。

>「ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか」

は購入してみようと思います。

>「エンデの遺言」等、「シルビオ・ゲゼル入門」

も検討してみます。

室田武氏はかなり好きなので、これまた購入してみようと思います。かれはまだまだ多くの著書があるようです。

それから、『循環の経済学』を戴くきっかけとなった、著者の一人、多辺田 政弘氏もかなりお気に入りですので、彼の著書も欲しいと考えています。・・・あんまり買い過ぎると。『経済の文明史』のように買って何年も読み切れなくなって仕舞いますが・・・guyver1092 さんと共通の書物を読んで議論したいと考えております。宜しくお願い致します。

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2013-11-05 00:01
今年の5月の連休に、親しくさせて頂いていた方が1冊の本を貸して下さいました。その本を貸して下さった方は、その書物の著者の一人である多辺田政弘さんとお知り合いで、昨年丁度道で出逢ったときに多辺田さんを紹介して下さいました。その多辺田さんとは、その後も何度か集会等で出逢うことがあり、挨拶程度の面識だけありました。その後彼の言動を知るに従いシンパシーを感じていました。紹介して下さった方が、多辺田さんは、槌田敦さんとも共著で書物も執筆されていると教えて下さいましたので、機会があればお話してみたいと思っていたところです。

本書、「循環の経済学」をお借りしたときにその本に、多辺田政弘氏の他、私が著書を読んだことがある2人が執筆者に加わっていたので期待が高まりました。手に入る著者はほとんど読んでしまった槌田敦氏、槌田敦氏の明快な原発論と同じくらい(ある意味それ以上に)興味深く読めた名著「原子力の経済学」の著者、室田武氏です。・・・余談ですが、「原子力の経済学」は1981年に発行された書物ですが(私の持っている「新版」は1986年発行)今読んでも非常に参考になるかなりの名著であると評価しています。定量的なことも納得のいくように記述されています。3.11以前・・20世紀にここましっかり原発の経済性を正確に書いていた書物は殆ど無いのではないでしょうか?原子力関係者は真摯に読むべき本であったと思います。
本書は、章ごとに上の3人を含む5人の方が一人ずつ章を担当して執筆しています。(室田武氏は二つの章を執筆されています。)はしがきも多辺田政弘氏が書かれていて、そこには「エントロピー学会の有志による循環経済学グループ、3E会[Entropy , Ecology , Economy 研究会]の3年あまりの研究成果である」と述べられています。(この研究会には他にも3人の方が参加していたようです。)
本書を多辺田氏が著した「はしがき」から読み始めて、室田武氏の著した第一章に入った直後には、この本が痛く気に入り、この本を貸して下さった方に頼み込んで、本書を譲り受けました。(お礼は要らないとのことで頂戴した形です。)この場をお借りして再度御礼申し上げます。)
「循環の経済学」という響きは悪くありませんが、上述のような形で本書に出逢わなければ、そして著者が誰か分からなければ、敢えて本書を読むことは無かったと思います。今日「循環の経済学」という言葉からは、「経済に関する循環」即ち、お金に関する循環、若しくはせいぜいリサイクル程度の事という印象を拭いきれません。私の興味関心のある自然の循環;大気の循環・水の循環・生態系の循環・養分の循環・・・を考慮した経済学ではないのではないか・・と感じてしまいます。しかし、本書は正にその自然の循環を考えた「循環の経済学」でした。

前置きが長くなってしまいましたが、ここから少し、本書の内容に関して書かせて頂きます。
はしがきから引用させていただきながら本書の主題をまとめさせていただきますと、
今日「市場の失敗」と呼ばれている公害や環境問題等の「外部不経済」を市場経済に内部化しようとの試みがなされてきましたが、それは単なるコストの問題であって、不可逆性を伴う環境破壊は、容易に内部化できません。本書はこのような問題意識のもとに、物質循環を回復し、豊かにしていくには、どのような条件を社会システムに埋め込んでいけば良いのか、どのような禁止則を市場経済に設定していけばいいのか、経済行為における自由則を生かしながら、どうやってその自滅から救うのか、と市場経済の扱い方を研究した論文集です。自然の循環を経済学に取り入れて脱市場を指向する真の「環境経済学」と言えましょう。
本書の初刊が発行されたのは、1995年ですが、内容は全く古さを感じさせません。・・・と、言うよりも寧ろ現状はまだまだ本書の内容に追いついていない状況です。既に崩壊の危機に瀕している現代社会に於いて、本書は非常に示唆に富んだ内容にも関わらず、残念ながら現代社会はまだ本書の内容を検討できるくらいにもなっていません。手遅れになる前に(・・既に手遅れの感は拭いきれませんが・・)今こそ本書を検討吟味する時期でしょう。猶予はありません。どうしようもなく薄っぺらな内容の市場経済に関する経済書が、次々とベストセラーになる一方、このような真を付いた環境経済学の書物がまだまだ脚光を浴びていないのは、現在世界を牛耳っている指導者達が、成長経済で儲けようとしていて、いまだに環境破壊に繋がる経済理論が重要視されているに過ぎないからでしょう。しかし、市場中心の「狭義の経済学」は破綻目前です。そして、生命系を含む循環を中心に据えた「広義の経済学」としての「循環の経済学」が必要な時であるのです。欲望を地域共同体から解放してしまった為に肥大化して社会から突出してしまった経済をもう一度社会に埋めもどす必要があるのです。・・私が数年前から関心をもって著書を購入しましたがまだ途中までしか読んでいないカール・ポランニーの考え方です・・・この、私が最も興味関心を持っている経済学者、カール・ポランニーの名も本書には随所に出てきて引用されている点も非常に気に入っています。(・・・本書の著者も、カール・ポランニーにはかなり影響されているようです・・・・ポランニー・に関してもいつか記事として取り上げたいと考えています。)

本書の6つの章と著者は

1.エントロピーと循環の経済学    室田  武
2.自由則と禁止則の経済学      多辺田政弘
3.市場経済と資源リサイクル     鷲田 豊明
4.ごみ発電の経済学         室田  武
5.経済循環と地域通貨        丸山 真人
6.物質循環による持続可能な社会   槌田  敦


です。タイトルだけ見ると魅力を感じない章もありましたが、どの章もタイトルから期待できる以上には読み応えのある内容でした。(槌田敦氏と室田武氏の記事に関しては、期待通りというべきでしょうか・・・。)

本書の内容に関して、今回はさわりだけ簡単に書かせて頂きましたが、特に興味深かった章を中心に、内容の紹介やそれに対する見解、スタンスなどをこれから何回かに渡って論じたいと考えています。
←読んだ甲斐があったと思ったら、ここをクリック願います
(少しだけのときは片方、かなりのときは両方)

【2013/11/05 00:01】 | 書評 トラックバック(0) |

持っているはずでしたが
guyver1092
 読んだはずですし、持っているはずですが、中身を覚えていません。どこかにしまいこんで見つかりません。気長に探すことにします。

アドレス変えましたね!
東京珈琲
ご無沙汰しております。
メール送ったらエラーで返ってきましたのでこの場を借りてメールの内容を記します。

下記のURLブログにて、微生物が放射性物質を無害な物質に変えるとありますが、僕はこういうのまだ疎いので分からないのですが信じてもよいのでしょうか?
http://golden-tamatama.com/?no=1192

返信はメールにてお待ちしております。
確認したらコメント削除願います。秘密コメントは受け付けないようでしたので。

微生物が放射性物質を無害な物質に変える可能性について
雑草Z
    東京珈琲さん

 お久し振りです。お元気ですか?
一応この場で御返事します。確かに今回の記事とは関係がないので、削除してもいいかも知れませんが、そちらにメール出来ないかも知れないのでこの場で御返事します。

微生物が放射性物質を分解、消失させるから、福島の除染に効果がある・・・の類の事は、3.11の直後から色々なところで話に出るようになりました。

物理学の常識からは、放射性物質の放射能は放射線を出して崩壊しなければ無くならず、放射性物質の崩壊は確率論的に時間だけの関数として現れます。
 放射能とは、原子核の中性子等が安定状態よりも多くある状態ですから化学変化では変わらないもっと小さな原子核の話です。微生物がどんな酵素を持っていたとしても、彼らが出来るのは化学変化・・分子の分解・合成ですから、分子の構成要素である原子の原子核の内部まで変化を及ぼす事は普通に考えれば不可能です。

 数か月前、私の職場の同僚から、御紹介のHPのように、微生物を使って福島県の除去に成功した方の著書を戴いたので一応読みました。その内容は荒唐無稽と言うよりもある程度の説得力はあって、全否定は出来ないかと感じました。・・・即ち、初めて地上に現れた微生物は放射線等を活動のエネルギー源として取り入れていた・・・とかそんな内容です。
 次にその本を下さった同僚は、放射能除去の現地見学会と説明会があるから、是非出席して欲しい・・・とお誘い下さいましたが私は行きませんでした。
 するとその方は微生物を使った放射能除去作業等を録画したDVDを貸して下さったので、観てみました。その内容は、ご紹介の記事にもありますように「最大90%除去」のような事を言っているのですが、最初の測定値と菌を散布後の測定値がアバウト過ぎました。
 実際放射線量の測定をした事があればわかりますが、放射線量は、測定地がちょっとでも…1mでも・・・ずれれば大きく変わることなどよくある事です。それなのに、微生物散布前の測定場所に目印も置かず、それどころか、散布前のデータはその地域の発表されている平均値を使ったりしていました。
対照実験もしっかり為されていませんでした。即ち、近くの線量が同じくらいの値の場所の、一方には微生物の繁殖した液体を撒き、もう一方には微生物の入っていない液体(ただの水とか・・)で実験して比べる必要があるのにされていませんでした。非常に杜撰な実験で、恣意的に測定値や方法を変えれば、「最大90%除去」・・実際は、「測定値が最大90%減った」というだけの事・・は簡単に達成できると思いました。
 ご紹介の記事のデータも怪しい・・・眉唾の可能性も低くないと思います。

 以上、否定的な事を書かせて頂きましたが、もしも厳正な実験のもとで誰が行っても、放射性物質が顕著に減った・・・と言うデータが得られるのであれば、理論は後から来るかもしれません。放射性物質に関する現在の常識も間違っているかも知れません。

 あまり効果が無いとしても、現在行われているゼネコンによる、一軒当たり何百万円もかかる放水による除染作業とか草刈りよりは、微生物を撒くほうがましだと思います。

Re:持っているはずでしたが
雑草Z
実は、今回の書評及び本書は、guyver1092さんに最も読んで頂きたいと思って書いたのですが、そうでしたか・・・既にお持ちで、読んでいたとは吃驚です。・・・相変わらずguyver1092さんの読書の量と質は共に半端じゃないですね。
 私は本書の存在を、今年頂くまで知りませんでした。guyver1092さんは、どう言うきっかけで本書を読まれたのでしょうか?
 そう言えば、本書を読んでいる最中にもところどころにguyver1092さんの記事や議論に出てきた事のある内容が何箇所もあり、その内容に関してguyver1092さんと議論したいものだと思っていました。議論の内容を想定しながら読んでいました。

私はこれに勝る経済書は殆どないと考えていますが(・・経済書自体、馬鹿にしてあまり読んでいませんが・・、そうそう、ポランニーの著書は同じくらいいいかも知れません・・)guyver1092さんは、他に本書に匹敵すると思う経済書は存在しますか?

眉唾ものですか。
東京珈琲
今回の記事とは関係のない内容なのですが、コメントを返して頂きありがとうございます。

これが本当なら物理学、医療、仰るようにゼネコンも、色々な所でおまんまの食い上げになりますね。なにかしらの力が研究を妨害していてもおかしくないと思います。
常温核融合を微生物がしていたらワクワクするのですけれどね。
無理な話でもないと僕は思います。この世界全てがエネルギーですし、今の人間の科学もまだまだ未発達です。
その内分かる時が来ると思いますので、気長に汚染されながら待つとします。

Re:眉唾ものですか。
雑草Z
    東京珈琲さん

お元気なようで何よりです。
「微生物で放射能除去」と言う発想そのものが物理学の常識を逸脱していると思いますが、それでも厳正な実験で「結果」が得られたのであれば、検討に値すると思います。これが本当に出来たら非常に素晴らしい事ですからね。人類の歴史を通しての大発見だと思います。
 しかし、前述のように、私が見せて戴いたビデオを見る限り、実験があまりにも杜撰で、「科学的な実験」とは到底言えないようなものでした。私も実験は得意ではありませんが、あれでは「検証」に値しません。よくも恥ずかしくも無くあんな実験を公開するものです。
 ご紹介のページの謳い文句も、「最大90%除去」のようなものでしたが、その手の宣伝文句は、詐欺的商法と似ているとさえ思えます。本当に「効果」があるのなら、もっと厳正な実験を行うべきです。

>これが本当なら物理学、医療、仰るようにゼネコンも、色々な所でおまんまの食い上げになりますね。なにかしらの力が研究を妨害していてもおかしくないと思います。

それよりも遥かに素晴らしい世紀の大発見です。これが本当なら、世界の救世主です。

>常温核融合を微生物がしていたらワクワクするのですけれどね。

そうですね。この場合、「常温核融合」ではなく、「放射線の吸収とか、中性子の吸収による核の安定化」というべきでしょう。文章にすると客観的に、ますますあり得ない事ですね。(笑)

兎も角、現代の原子核物理学が間違っていればあり得ない事ではないですし、その可能性は否定出来ません。  



Re:Re:持っているはずでしたが
guyver1092
まだ見つかりませんし、内容も覚えていないので何とも言いようがありません。もう一度買うことにします。

Re:Re:Re:持っているはずでしたが
雑草Z
    guyver1092さん

本書「循環の経済学」に関しては、guyver1092 さんと議論したい部分が沢山あります。丁度、ジャレド・ダイアモンドの「文明崩壊」のように、本書を引用しながらguyver1092さんと議論する事を楽しみにしております。
 ・・ジャレドと言えば、ジャレドの「昨日までの世界」はもう読まれましたか?・・・当方はそこまで手が回らなくて購入もしていません。
 guyver1092 さんとは、同じ良書を読んで、共通認識のもとで議論したいものです。
 ・・・楽しみにしております。
 

 

 

昨日までの世界
guyver1092
 上巻の90ページぐらいまでしか読んでないです。何となく面白くないですので・・・
 ここぐらいまでの内容は、「ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか」の人類祖先の生活のあたりに近いでしょうか。


Re:昨日までの世界
雑草Z
    guyver1092さん

 そうでしたか。それは残念です。すみません。
「銃・病原菌・鉄」のほうが面白いかも知れませんね。もしかするとジャレドは「文明崩壊」以外はそれほど面白くないのかもしれませんんね!?
guyver1092さんとしては、「ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか」のほうがお薦めでしょうか?

先にも書きましたように、guyver1092 さんとは、同じ良書を読んで、共通認識のもとで議論したいと思っております。

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