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2011-02-23 00:01
マスコミ等に頻繁に登場する経済学者の話や文章等で参考になることと言えば、例えば今また流行しているNBOとはどんなことか?そのシステムとはどんなものか?・・というような、経済用語の内容やシステムの内容くらいです。彼らの経済論理は聞くに値しません。いかさまと言えましょう。その彼らの予測する今後の展望などは全く当てになりません。彼らの予測に関しては、的中確率が素人よりも高いとも言えません。彼らの言動が参考になるとすれば、彼らが予測する方向ではなく、提案した政策を政府が取り入れるかも知れないということくらいでしょう。大多数の経済学者は、大多数の政治家と、経済成長信奉者という意味で同じ穴のむじなと言えましょう。エコノミスト出身の政治家は沢山いますし、政治家や資本家達に都合のいい経済理論を展開する御用学者もごまんといます。為政者達は、彼らを「プロ」として大抵政策立案者の中に入れています。彼らは経済政策のオピニオンリーダーということになりましょうか。(・・皮肉を込めています・・。)経済学者は政治家にアドバイスし、政治家もそれを頼りに(・・かなり鵜呑みに)しています。彼らは持ちつ持たれつの蜜月の関係と言えましょうか。彼らの限定された狭い仮定の下での経済論理によって政治が進められるますから、彼らの期待した効果が得られない場合も多いし、期待した効果が得られたとしても、副効果としてしばしば更に大きな問題が起こります。例えば、「エコ替え、エコポイント」によって、予測されたように廃棄家電の不法投棄が増えただけに留まらず、スクラップが増え過ぎて、資源の浪費と環境汚染を深刻にしています。この例に限らず、彼らの提案する経済対策は、その見かけは斬新でも、中味はあまりにもステレオタイプの旧態依然としたものばかりです。その基本理念には全て経済成長至上主義が横たわっています。彼らは自分達の経済論理という都合のいい一面的な部分しか見ていないのです。だから実態とかけ離れてしまうのです。(例えば市場原理主義や滴下理論など・・)具体例を示しますと、物を作った後の廃棄物の処理は最初に一度処分するときのコストでしか考えず、後の事は切り捨ててしまっているのです。
 彼らの薄っぺらな論理で政治家も社会を動かしているから危険極まりありません。政治家達はこぞって経済学者の論理をそのまま振りかざします。それだけではなく、経済学者自身が政治家となり、その手の大臣に起用されています。だから彼らの論理で社会を動かしていれば文明崩壊が必ずや起こるでしょう。

 現状さえも彼らの理論とはかけ離れていますから、彼らの未来予測は当たる筈も御座いません。今でこそどうしようもないバブルと考えられているアメリカの住宅サブプライムローンでさえ、当初エコノミスト達は、金融工学の落とし子としてこぞって歓迎しました。こんなどうしようもない詐欺まがいのシステムの崩壊を予測したエコノミストが何人いたでしょうか?リーマンショックのわずか1年くらい前、住宅ローン会社が破綻した頃でさえ、その崩壊を予測したエコノミストは殆どいませんでした。日銀も、リーマンショックの前年に、次の年はアメリカ住宅市場の調整がついて、先行き安定成長を続け、日本経済も息の長い拡大を続けるだろうと予測しました。サブプライムローンが破綻しリーマンブラザーズが潰れた直後にも、日本の経済学者達はこぞってリーマンショックの日本経済への影響を実際よりかなり過小評価しました。「1980年代にバブルの崩壊を経験済みの日本企業は、その影響はそれほどでもないだろう。」と言っていたのです。彼らは間違った予測をしても、その反省をする代わりに、前の予測ミスを指摘されないように次々に新しい予測をしていきます。そしてときに当たれば大々的に宣伝して世紀の予言者のように振る舞います。


 だからまともな社会構造を考える上で、殆どのエコノミストは邪魔になるでしょう。現代資本主義の経済理論、経済システムを、そのシステムの範疇で考えていた人、完璧だと思ってきた人が経済成長社会そのものの是非を論じるには無理があります。現代経済システムの範疇で語る経済学者達は、現代資本主義社会の番人であり、現代経済学をしっかり学んで受け入れている分、その一般性のない狭い理論に固執し洗脳されていると言えましょう。

 エコノミストが経済構造の欠陥を論じる事は、例えは良くありませんが、化学者が化学変化の範疇で核反応を語るようなものでしょう。若しくは、ニュートン力学で相対性理論や量子力学を評価するようなものでしょう。

 エコノミストのみんながみんな経済成長に洗脳されたどうしようもない人達だとは思いませんが、彼らの持っている現代経済学の知識は、経済システムそのものを批判する上で大きな邪魔になるでしょう。彼らが他の人々・・現代経済学の素人達・・に比べて、現代社会の構造を語る事において卓越している事は無いでしょう。勿論、その狂った理論のどこがどのようにおかしいのか冷徹に考える事が出来れば、ポスト経済成長後の経済を中心に置かない社会構造を考える上で大いに役に立つでしょうけれど・・。カール・ポランニーのような洞察力のあるまともな経済学者は、ずっと異端児扱いされて不当評価されてきました。
 現状のように福祉も貧困問題も紛争も戦争も、まず経済から考える発想をまともな事だと捉えるべきではないでしょう。その為にも経済学者はあまり口だしすべきではないでしょう。これまで~ここ数世紀の間の世界は~経済を中心に動いていたのは、確かです。社会のシステムが(~金融資本家達によって~)そのように作られて来たから当然です。しかし、その結果、必要のないものまでどんどん作る浪費社会が出来上がってしまいました。そして地球の環境はグローバルに悪化し、戦争も経済が原因で起こるようになりました。
 経済中心に動いていく社会は非常に危険です。経済成長を推進する経済学ははじめから破綻が確定された理論です。その範疇でしか語れない経済学者の言うことに耳を傾ける必要は毛頭ありませんし、聞くべきではないでしょう。現代の膨張経済学抜きで未来を語るべきでしょう。これからシフトすべき永続可能な社会を構築するにあたり、現代経済学は必要無いでしょう。

 社会の中心に経済が居座って、何事にも経済が絡んでくることに現代人は慣れてしまっているようにも見えますが、これは極めて理不尽で不健全な事です。人々の経済格差が広がって不公平になり、社会も個人も病んでしまって庶民に閉塞感があるのは、金融資本家などの御用学者達が金持ちに都合のいいように経済理論を作り上げてしまったからでしょう。このような経済に支配された社会システムは、一度壊して根本から変えなければ駄目でしょう。経済学の素人たちが現代経済をリセットして自分達の理性に従って、永続可能性を最大限に考慮して社会を零から組み立てれば、もっとまともな社会になると考えるのは私だけでしょうか?
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【2011/02/23 00:01】 | Economic Fascism トラックバック(0) |

歴史から学ばないエコノミスト
guyver1092
 過去にITバブルがアメリカではじけた時も、やはり影響がないなどとエコノミストはのたまっていたような気がしますが、大きな影響がありました。アジア通貨危機も当然ありました。
 過去にあった影響が、今回はないなどとどういう脈絡で出てくるのかとても不思議です。
 エコノミストには記憶力がないのでしょうか。

 一番考えられるのは、彼らの目的が文明崩壊だとか。

Re:歴史から学ばないエコノミスト
雑草Z
>過去にあった影響が、今回はないなどとどういう脈絡で出てくるのかとても不思議です。

これはエコノミストが馬鹿だという部分もあるでしょうが、その他、株価などに影響して投資家の損失を招くから、御用学者達はこぞって大丈夫だというのでしょう。・・そしてその間に財閥達は先物とか売り逃げとかで儲けているのでしょう。

>一番考えられるのは、彼らの目的が文明崩壊だとか。


きっと彼等は人間社会の癌細胞なのでしょう。彼らの破綻している理論で政治経済が動かされて、理不尽な社会構造が助長されてきたのでしょう。本文にも書きましたように、害悪となる経済学者たち抜きで経済の素人たちが根本から社会を作り直す必要を感じます。




私もそう思います。
でなしNo.146
経済成長主義の経済学者はいりません。

経済成長主義者はまともな予想ができない人達がほとんどだと思います。
理論の前提が、地球を無限と仮定していることもおかしいですが、今の世相を見れば地球は有限として捉えなおさなければいけないはずなのに、前提を変えようとしません。

これは知的怠惰なのか、ここまで来たから最後まで行くしかないと思っているのかわかりませんが、どちらにしろ、もはや罪悪と言っていいと思います。

経済学者が経済と社会を壊すなんて、ものすごい皮肉です。
怪獣を倒そうと戦っているウルトラマンも街を壊している的な。
でも、ウルトラマン自身も変質していて、最初は人々を助けるためだったのが、怪獣相手に暴れたいだけだったり(欲求の充足)、目立ちたいだけ(社会的地位の確保)になっていた。というオチでしょうか。

社会を作り直すという言葉は印象的でした。
経済学者を抜きにした世直しをしたいものです。

その時のために、世界中の持続可能な社会を構築していた文化(江戸時代やネイティブアメリカンの文化など)を掘り起こしておきたいと思います。

主流の経済学者は御用学者ばかり
雑草Z
 経済学者に限った事ではありませんが、経済成長という膨張社会が限りなく続く、続けられる、と思ってい人達、主張している人達には困ったものです。(現代の主流派というところが脱力です。)

>知的怠惰なのか、ここまで来たから最後まで行くしかないと思っているのかわかりません

 両方でしょうね。資本家や政治家たちの要請に合っていればそれでいいと思っているのでしょうか、彼らの喜びそうな理論を提供し続けています。正に御用経済学者ですね。

>経済学者が経済と社会を壊すなんて、ものすごい皮肉です。

そうですね。本当に経済学者達は社会を壊す理論を次々に打ち立てていますね。guyver1092さんの
>彼らの目的が文明崩壊
というのもジョークの域ではなくて、リアリティがあるところが恐ろしいところです。でなしNo.146さんのウルトラマンの例え
>最初は人々を助けるためだったのが、怪獣相手に暴れたいだけだったり(欲求の充足)、目立ちたいだけ(社会的地位の確保)になっていた。というオチでしょうか。
も言い得て妙ですね。一か所違うとすれば、
>最初は人々を助けるためだった
という部分でしょうか?確かに人を助ける為に経済を考えていた人もいるでしょうが、一方最初から御用学者として資本家の為に理論を作っていった経済学者も沢山いますね。財閥のお抱え御用学者だった経済学者も結構いるようです。

 経済学は「社会科学」の一つと位置付けられているかも知れませんが、経済成長を基盤に置いた現代経済学は、疑似科学の類でしょうね。現代経済学は将来的に消えて無くなり、とんでもない愚かな経済学があったものだ・・・と言われるでしょう。・・・そのような未来がないとすれば、それはこの狂った経済成長主義が続いて人類社会が消えてなくなった時でしょう。ブラックジョークでは済まされません。


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2011-02-17 00:01

現代社会では、「人間には無限の可能性がある」のような価値観が人類の永遠の真理のように言われています。「やってやれないことはない。」「やる気になれば何でも出来る。」のような表現が好まれ、それがさも素晴らしいことのように言われています。それに対し「人間には限界がある」という表現はネガティヴなものとして受け止められる場合が多いようです。
「人間には無限の可能性がある」のような価値観は人類が古来ずっと持っていたと漠然と考えられているかも知れませんが、決して人類が昔より持っていた普遍の価値観ではないでしょう。それどころか、この膨張志向の社会が産み出した徒花とも言えるのではないでしょうか?
限界を乗り越える達成感のみが人間の幸福であるとすれば、そして限界を乗り越えられないことを敗北と考えて苦痛であるとすれば、人間はなんて悲しい存在でしょう。限界が存在するのは当然ですし、それで人間が不幸になるわけではありません。限りある範囲で工夫してやっていく事のほうが、やり甲斐も感じるのではないでしょうか?
限界をしっかりわきまえていない人間が今日の社会問題、環境問題を産み出したとも言えましょう。
これまで人間は数々の限界を乗り越えて上手くやってきたから、これからも十分にやっていける・・・といった楽観論も蔓延っていますが、それは認識ミスです。限界を乗り越えたのではなく、単にまだ限界に達していなかっただけです。今まで工業も経済も人口も膨張出来たのは、限界を超えて来たからではなく、まだ人間活動の規模が地球の許容量に比べて小さかったからに過ぎません。

以下ここの記事【脱成長元年】に戴いたコメントです。(HN ピノコさんより・・)

「もう限界が来ていることは誰しも感覚的には知っていると思います。
でも、洗脳された旧い観念のつまった頭では、それに変わる可能性が見つからず捨象してしまうしかないのだと思います。だから、不安ばかりが募っていく。女が子どもを産まなくなった(産めなくなった)のも、その表れだと思います。」

現代の人々誰しもが、限界に達していると知っているとすれば、もう転換の期が熟したと言えましょう。・・・即ち、膨張を止めると言う人類史上初の大転換の時期を迎える準備が出来たということです。「大転換」と表現致しましたのは、このパラダイムシフトは、農業の発見や産業革命と並ぶ、若しくはそれらを凌ぐ大きな転換を意味するからです。
そう、現在多くの人々が、地球に対する人間活動の容量が限界に達したことを感じ取っているのです。「経済成長、限りない成長」なんて連呼しているのは、金融資本家や財閥、その傀儡である政治家達でしょう。・・・大衆もそのように叫ばれると、現状を脱したいという欲求から、経済成長政策に同調してしまう人は沢山います。「洗脳された旧い観念のつまった頭」とは膨張社会に慣れ切って、これからもまだまだ経済成長が可能だと考えているお目出度い人達の事でしょう。彼等は、もう既に限界に達している地球に気づかないのか、気づいていても、自分達の築いてきたものが崩れるのが嫌で、ずるずると膨張路線を引きずっている状態です。つまり限界が見えない愚か者、若しくは見えても見えない振りをして突き進もうとするドンキホーテが社会を動かして、大衆はそれにかき乱されて、社会は「成長」という名の崩壊路線をひた走っているのです。
困ったことに、社会を動かしている人々の殆どが経済成長フェティシズムであるということです。それは、経済成長が自分達にとって都合がいいからでしょう。経済成長を煽ることは更なる金儲けの手段なのです。投資家なんてまさに経済成長の落とし子と言えましょう。彼らは経済成長を煽って、無理に経済成長をしようと画策しています。その為に政府を操って公共事業だとか補助金だとかと税金を湯水の如く投入させています。その手法は、外見上は違っていても、使い古された方法であり、見せかけの経済成長を達成し、その結果国家を借金漬けにし、環境も社会も破壊しているのです。挙げ句の果てにそれでも成長出来なくなれば、株式などを売り抜けた後に、いきなり不況を作り出し、恐慌にして経済を一端ダウンさせてリセットし直して、そこからまた成長の階段を上り始めるというとんでもない事までやっています。・・そのような資本家、財閥などの金持ちの横暴が世界中で蔓延ってきました。そんな強欲な金融資本家達は、経済成長志向時代という 歴史の中の特異な時代=狂気の時代 の生き残りと考えていいのではないでしょうか? ・

努力すれば努力するほど大崩壊に近づいていく経済成長路線という名の膨張路線にずるずるしがみつく事はもう止めるべきでしょう。もう降りる時期です。そして、限界から目をそらして、逆効果になる対策=経済刺激策・・・をすることは、現実逃避ですし、状況を更に悪化させるばかりです。薬漬けのドーピング社会に、もっと有毒なドーピングを施しているだけです。そんな逆効果の対策は早くお仕舞いにして、地球の容量と現状をしっかり見極め、限界を認識すべきでしょう。そこから永続可能な社会への移行が始まるのです。
問題は…「出来るか否か」ではありません。「間に合うか否か」です。
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【2011/02/17 00:01】 | Sustainability トラックバック(0) |


ぴのこ
雑草Zさん、ありがとうございますe-266

>困ったことに、社会を動かしている人々の殆どが経済成長フェティシズムであるということです。
>彼らは経済成長を煽って、無理に経済成長をしようと画策しています。その為に政府を操って公共事業だとか補助金だとかと税金を湯水の如く投入させています。

本当に、現在社会を動かしている人たちに可能性はないですよね。。。
後は、私たちが本当に何を求めているのか?何を実現したいのか?をみんなではっきりさせて、みんなで実現に導く行動をしていくことe-420それしか道はないんだろうなぁと思いますe-53

私は、これからは、みんなが本当に心から笑い合える社会になったらいいなぁと思いますv-354お互いに信頼でき、安心でき、みんなに役割があり、どんなこともみんなの中で解決し、実現できる場をつくっていきたいv-344

雑草Zは、どんな社会にしたいですかv-278


間に合うか
guyver1092
 南十字星通信によるとロイター電が2028年(わずか17年後!)には世界市場に出回るアブラの量は現在よりも一日につき約3万バレル減り、7万バレルほどに減ってしまうだろうと伝えているそうです。すぐさま対策を打つべきでしょうが・・・
 洗脳された人間は考えることを放棄していますので、啓蒙の方法がない有様です。短期的な景気の話をしていてもどこかの『惑星開発委員会』のメンバーに経済を良くするためにと言われるとどんなバカげたことでもご無理ごもっともと、経済を悪化させることを主張します。ちょっと突っ込んで話したところ、経済のことをいう割には、需要曲線供給曲線のグラフと消費者の所得に関連があることを理解していませんでした。

期待半分
雑草Z
    ぴのこさん

>もう限界が来ていることは誰しも感覚的には知っていると思います。

このコメントを読んだ時、遠くない将来に、人類は成長経済を止める共通合意に達する事が出来るかも知れないと感じました。
勿論この『限界』とは今の景気対策の方法が限界であり、新たなニューディール政策のような景気回復方法がある・・・という意味ではありませんね。(そのような意味で言っている人はごまんといますがお門違いです。)
「地球全体で成長の限界にある」という認識ですよね?
その限界を感知している人はまだまだ少ないように思いますが、ぴのこさんがそう感じられたという事は、少なくともぴのこさんの周りの方々は誰しもそう感じているという事でしょう。・・きっとぴのこさんの周りの方々はしっかりした洞察力のある方々なのでしょう。・・・でも今はそれは特殊な環境かも知れませんね。非常に恵まれた環境と言えましょう。本当の意味で時代に必要な方向を知っていると言えましょう。
 私自身は結構楽観主義ですがそれでも脱経済成長が間に合うかという事に関しては(楽観的に考えても)かなりシビアな見方をしています。それでも、

>限界が来ていることは誰しも感覚的には知っている

というコメントにはインパクトがあり、この記事を書くきっかけになりました。有難う御座います。さらに続くコメント、

>洗脳された旧い観念のつまった頭では、それに変わる可能性が見つからず捨象してしまうしかないのだと思います。

は的を得た鋭い洞察だと感じました。こんな事で現代に経済成長フェティシズムが蔓延っているのでしょうね。

>雑草Zは、どんな社会にしたいですか?

膨張社会が止まって、永続可能限界レベル以下まで下がる事が希望です。その後の価値観に関してはまた違う次元の話かと思います。

  + +++ +++++ +++++++ +++++ +++ +

コメントを使わせて戴いて、その旨ご連絡せずにすみません。<自然の摂理から環境を考える>にTBしようかとも思いましたが、ぴのこさんが書かれている記事を見つけられませんでした。そちらで、ぴのこさんはどのグループに所属されているのでしょうか?



Re:間に合うか
雑草Z
    guyver1092さん

 本文の締めに

>問題は…~…「間に合うか否か」です。

と書かせて戴きましたが、正確に書けば

「どの程度間に合うか」「文明崩壊をどの程度で食い止められるか」という事ですね。ここのサイトで何度か論じている事で、上のコメントのお返事にも使わせて戴きました。
guyver1092さんと共通認識の部分ですね。違いがあるとすれば、程度問題でしょう。どちらがより悲観的か・・・いい方を変えればよりシビアな現実を直視しているかという事でしょうか(笑)

>洗脳された人間は考えることを放棄していますので、啓蒙の方法がない有様です。

景気の事ばかり考えてそのものの良し悪しに関しては放棄してしまっているという事ですね。忙し過ぎるという事もありましょうが、成長時代の奴隷という事になりましょう。この崩壊にひた走る社会構造に対してはシビアな目が必要ですね。

   +  +++    +++++    +++  +

『惑星開発委員会』のメンバーとは、比喩ではなくて面識のある方々なのですか?・・どう云う実態なのでしょうか?


Re:『惑星開発委員会』
guyver1092
 以前にも書きましたが、『惑星開発委員会』とは小説『百億の昼と千億の夜』に出てくる敵の組織で、目的はヘリオ・セス・ベータ型開発という、宇宙を破壊し、消滅させるために、文明に滅亡の因子を加えて文明を発達させる開発を行った存在です。この結果、宇宙のすべての文明は滅び、宇宙規模の熱的死が起こり、宇宙が破壊されるという結末に至ります。
 この場合は比喩の表現で、資本家とか政治家を指します。
彼らの言うとおりに物事が進むと、文明崩壊は確実と考えていますので。


ぴのこ
雑草Zさん
コメント使っていただけてとっても嬉しいですi-237
ありがとうございますi-189

記事に引用いただいたコメントの背後にあるのは、現代の若者の意識潮流がすでに変わっていることから書かせていただきました。
例えば、無駄遣いに対する「もったない><」という意識が復活してきていると思います。それも、若ければ若いほど。
そして、お金じゃないものに価値を感じる人も増えています。こちらも、若ければ若いほど。

この若者の持つ感覚こそが次代の社会の主流になるんじゃないかと思います。その意味で脱成長を実現できる可能性が“ある”と思っていますi-189

そして、実現していくには、国民のそれに対する危機感の喚起と同時に、今の経済の価値指標であるお金以上の充足のカタチを見つけて提示していく必要があると思いますi-179

何事も、新しい可能性の提示なしに、古いものを捨てることはできませんから、可能性を感じる新しい可能性・ものを生み出せてこそ、みんながついてくる=世の中を変えられると思っていますi-80
私の実現したい社会というのは、その新しい可能性の部分ですi-87

PS
自然の摂理ブログは、みんなでやっているので誰の記事などはみんなあまり気にしていませんので、TBはご自由に貼って下さいねi-278
私は、火力発電を追求しているグループにいますi-185


Re:Re:『惑星開発委員会』
雑草Z
    guyver1092さん

 以前にも書いて頂いたときに比喩かと思ったのですが、先のコメントに

>経済のことをいう割には、需要曲線供給曲線のグラフと消費者の所得に関連があることを理解していませんでした。

と書かれていたので、直接『惑星開発委員会』のメンバーとお話されたのかと思ったのです。

>この場合は比喩の表現で、資本家とか政治家を指します。

という事は、直接資本家や政治家と話された時の事と理解して宜しいでしょうか?

>彼らの言うとおりに物事が進むと、文明崩壊は確実と考えていますので。

おっしゃる通りです。政治家と資本家にエコノミストも入れた方がいいですね。いわゆる現代社会の指導者一般でしょうか。guyver1092さんの比喩はブラックテイストで、ちょっと考えなければならない部分があったりしていいですね。


Re:現代の若者の意識潮流
雑草Z
    ぴのこさん

>無駄遣いに対する「もったない><」という意識が復活してきている

この辺りは歓迎すべきところですね。これは主に環境問題の提起の機会増による環境意識の高まりでしょうか?

>お金じゃないものに価値を感じる人も増えています。こちらも、若ければ若いほど。

この辺りも本当ならば歓迎すべきところです。これはぴのこさんが肌で感じる部分でしょうか?それとも統計のデータからでしょうか?・・また、いつの時代と比べての事なのでしょうか?

例えば第二次世界大戦以前と比べれば現代のほうが明らかに「勿体ない」という意識はないでしょう。1970年代も今よりは勿体ないという意識はあったでしょう。・・・と、するとバブルの頃、若しくはほんの数年前と比べて潮流が見えてきた・・・という事になりましょうか?それはただ単に経済的に余裕があったかどうかの違いかも知れません。
 それにぴのこさんのおっしゃる事は日本など「先進国」と自負している国の中のいくつか限定ではないでしょうか?・・・例えば中国は、現代のほうが遥かに無駄遣いするし拝金主義になっています。

>今の経済の価値指標であるお金以上の充足のカタチを見つけて提示していく必要があると思います

これも現代はあからさまにお金の価値を煽る部分があるからでしょう。20世紀はもっとお金の話は下世話なものだという無言の共通認識みたいなものがありました。これは裏を返せば、お金に対する価値観が崩壊してきたとも見て取れますが、それならば提示する必要はもはやないでしょうね。

>みんなが本当に心から笑い合える社会になったらいいなぁと思いますお互いに信頼でき、安心でき、みんなに役割があり、どんなこともみんなの中で解決し、実現できる場をつくっていきたい

この辺りは、新しい価値観というよりも人間が昔から普遍に望んで来た事ではないかと思います。つまり、新しい価値観というよりも、ここ数十年の競争社会の中で置き去りにされてきた部分かも知れません。

Re:Re:Re:『惑星開発委員会』
guyver1092
 分かりにくい書き方をしてすみません。話をしたのは私と同じ一般人です。彼らの言うことは、新聞、テレビ等マスコミを通じて聞こえてくる、『惑星開発委員会』の主張とまるきり同じだったからです。洗脳されきっていました。需要曲線供給曲線のグラフから、消費税増税するとデフレが進むということが理解出来ないようでした。「いずれは消費税増税しなければならない」というのが、その人の結論です。

Re:Re:Re:Re:『惑星開発委員会』
雑草Z
    guyver1092さん

 こちらこそ読みが甘くてすみません。

>彼らの言うことは、新聞、テレビ等マスコミを通じて聞こえてくる、『惑星開発委員会』の主張とまるきり同じ

了解です。マスコミの報道、主張を鵜呑みにする人は多いですね。報道くらいはまともにして欲しいのですが、彼らの考えや立場があるから難しいのでしょうね。かなり体制よりの世論を作り上げていますね。アラブ諸国の反体制運動を見てもそうですが、やっぱりネットの力が大切ですね。・・ネットには加減な情報も溢れていますから真偽眼が必要ですね。

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2011-02-11 00:01
「低炭素 [low-carbon] 」と言う言葉が流行っています。マスコミや政府は好んでこの言葉を使い、様々な学会でも頻繁に飛び交っているようです。最近は「エコロジー」の言葉の代名詞のようにさえ使われています。低炭素社会[low-carbon society]から始まって、低炭素経済、低炭素技術、低炭素商品、低炭素サービス・・・そして、「発展途上国における低炭素投資」、等という完全にビジネスとしか思えない怪しい表現もどんどん作られています。・・・・。

「低炭素社会」と言う言葉を最初に聞いたときに違和感を覚えたのは私だけでは無いでしょう。
炭素は水素、酸素と共に、光合成など植物の同化作用によって、炭水化物を作る元素ですし、更に窒素原子も使ってアミノ酸からタンパク質を作る重要な元素です。生物界にとって大量に必要な元素です。生命活動の根本的な元素のひとつと言えましょう。炭素原子だけの循環を考えてもそれは即、生態系の循環に繋がります。エコロジー[ecology]とは元来「生態学」という意味ですから、生態系に必要な炭素の使用を減らすことを目標にした「低炭素 [low-carbon]」と言う言葉とエコロジー[ecology]と言う言葉は、近い意味どころか対立する言葉でしょう。
低炭素社会の意味についてネットで調べてみると、
炭素を減らすこと=二酸化炭素を減らすこと=温暖化防止
のように、三段論法などで述べられていたりします。非常に曖昧で様々に解釈出来る表現です。「地球温暖化防止の為に大気中の二酸化炭素を増やさない為に炭素を減らす。」というように、回りくどく聞こえます。何故直接、「低二酸化炭素」と言わないのでしょうか?「炭素の使用を減らす」ってどういう事かわかっているのでしょうか?
「炭素の酸化を減らす」と言うべきでしょう。もっと直接的に「石油など化石燃料の使用を減らそう」と言ったほうがわかりやすいでしょう。曖昧な表現を使うところが怪しいところです。

この、「低炭素 [low-carbon] 」と言う怪しい表現は、2006年にイギリス政府に作成を依頼された元世界銀行上級副総裁のスターンによって公表された「スターンレビュー」で、世界に伝播していきました。これは、二酸化炭素を新しい世界商品に仕立て上げる為の理論と見る事が出来ます。この文書は最初に挙げた「低炭素 [low-carbon] 」と言う形容詞のついた言葉で溢れています。これは環境対策に名を借りた、経済戦略の一環と言うべきでしょう。そして、その中で原子力も低炭素技術の一つとして明確に位置づけられています。


ここで、話を遡って、二酸化炭素温暖化脅威説がいつ頃から注目されたか見てみましょう。
大気中の二酸化炭素濃度の精密で長期的な観測を継続して、二酸化炭素濃度が長期的に増加していることを世界で最初に突き止めた人物はキーリングです。このキーリングの研究に、専門家以外で真っ先に着目したのは、当時アメリカ政府のエネルギー研究開発局[ERDA]傘下の研究所の所長であったワインバーグです。ERDAは、原子力を促進するアメリカ政府の組織です。ワインバーグはマンハッタン計画にも参加し、原子炉の開発を主導してきた人物です。ワインバーグがキーリングの研究成果であるCO2濃度上昇に着目したのは、多くの科学者が原発の安全性に疑問を抱き、原発批判の声をあげていた時期です。

「ワインバーグは、二酸化炭素の温室効果は、核エネルギーについて考えられる如何なる副次的効果よりも人類にとっては遥かに危険であって、今こそその危険性を探し出すべきである・・・と言う考えであった」とキーリングは自伝に書いています。温室効果の危険性をわざわざ「探し出す」と言っているのですから、作為的なものを感じずにはおれません。二酸化炭素の温室効果が核よりも危険という発想からして狂っていると言えましょう。今は世界の主流になっているその狂った発想は、ワインバーグから始まったと言えるかも知れません。
キーリングは自分の研究に着目してくれるのはありがたいとしても、それによって原発が推進される事に対しては非常に危惧していたのではないでしょうか。・・・科学者としての良心があるのなら、当然の事でしょう。

1979年にアメリカのスリーマイル島の原発で炉心溶融事故が起こると、その年に世界気象機構[WMO]と国連開発機構[UNEP]が気候と気候変動に関わる研究を開始します。
1986年にソ連のチェルノブイリの原発で核爆発事故が起こると、WMOとUNEPの総会で、「気候変動に関する政府間パネル」[IPCC]構想が提案され、翌年WMOとUNEPが協同でIPCCを設立しました。このIPCCの報告書は年を追う毎にCO2を主とする温室効果ガスが地球温暖化の主因という主張を強めてきました。そして、原子力発電もCO2削減技術の一つとして位置づけています。IPCCなど地球温暖化脅威論を発信する組織が原発を推進しているわけではないという方がいますが、IPCCははっきりと、二酸化炭素削減の技術の一つとして原子力発電を推奨しているのです。

以上のように、原発の危険性が憂慮され、脱原発の動きが盛んになった時期に、二酸化炭素温暖化説を強力に押しつける団体=IPCCが出来て、原発が息を吹き返したのです。つまり、二酸化炭素温暖化説は、原発推進派の切り札、起死回生の手段だったのです。世界中で原発が白紙撤回されたり、中止されたりして原発産業が斜陽になった20世紀末期に二酸化炭素温暖化脅威説を布教するIPCCが現れて、斜陽になった原発計画がまた浮上して現在に至ります。原子力推進派の大きな後押しがなければ、二酸化炭素温暖化説とその対策はここまで大げさにはなり得ませんでした。二酸化炭素温暖化対策には原発利権が絡んでいることは明らかです。以前【二酸化炭素温暖化説と原発推進の関係】にも書きました。
多くの国が  環境問題=二酸化炭素地球温暖化説  と言う単純矮小化した図式を作り上げて、ものが溢れて売れなくなったので、新たなビジネスとして「低炭素商品」を作って売りまくっているのです。言い換えれば「温暖化防止のための低炭素社会」と言う構想は、「低炭素 [low-carbon] 」と言う形容詞のついたビジネスを立ち上げて、新たな利権構造を作り上げているのです。そして、最悪の原発まで復活させて、確実に社会を放射能で汚染させているのです。


参考文献;エントロピー学会 基調演説 原稿 
  『低炭素社会という名の高ウラン社会を問う』 室田 武  
  2010年10月16日、17日 京都 同志社大学
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低炭素
guyver1092
 初めて接した時、何と思ったかはもう覚えていませんが、確かにあいまいですね。生態系の処理能力を超えるとどんなものでも毒にはなりますが、実際に地球の生態系を乱しているのは二酸化炭素だけではないということは少し考えれば誰でもわかりそうな気がします。「二酸化炭素より、もっと害のある毒物はどうする?」と聞きたくなる主張です。
 文明崩壊を目指しているのなら「低炭素社会」と騒ぎ立てるのも解りますが。

おっと
guyver1092
 二酸化炭素は確かに増えていますが、生態系を乱しているとは証明されていないのでした。炭素の循環の量から考えるに、おそらく二酸化炭素自身は生態系を乱していないと考えられるでしょう。問題なのは、石油の消費に伴い(経済活動に伴い)排出される各種重金属、毒物等でした。

二酸化炭素の生態系への影響
雑草Z
    guyver1092さん

 海が酸性化して大変だ・・・なんても言いますが、まだ証明されていませんね。もしそれが大変なら二酸化炭素の地下貯留なんてやったら、海に二酸化炭素が漏れ出して海が酸性化する可能性を心配するべきですね。

 二酸化炭素は大切な光合成の原料ですから、植物にとっては二酸化炭素が多いほうがいいでしょうね。実際農家が温室で石油を燃やすのは、暖かくするだけではなく、二酸化炭素を沢山排出して光合成を促進する狙いもありますからね。
 二酸化炭素は生態系を乱す事どころか地球温暖化の主因である事も証明されていませんね。
 放射能や有機系塩素化合物は勿論のこと、二酸化炭素よりも有毒で危険な物質は他にあります。・・と言うよりも二酸化炭素は危険ではなくて生物に必要な物質ですね。

>問題なのは、石油の消費に伴い(経済活動に伴い)排出される各種重金属、毒物等

おっしゃる通り!

>文明崩壊を目指しているのなら「低炭素社会」と騒ぎ立てるのも解ります

いつもの guyver1092 さん一流のブラックジョークですね。本当に「低炭素社会」って言葉は「低レベル啓蒙社会」の象徴です。

law, low
@sitesirius
はじめまして。
law-carbon というのは、意味深ですね。
炭素の掟という感じでしょうか。

低炭素社会、低炭素人間、低炭素生物、低炭素食品…いろいろ出てきそうですね。生命は炭素なしては生きられません、生命そのものですから。

Re:law, low
雑草Z
御指摘有難う御座います。
単なるミスです。
low-carbon ですね。
直させて戴きました。

>生命は炭素なしては生きられません

その通りですね。だから「低炭素」と言う表現は生態系にとっても社会にとっても歓迎されるものではないでしょう。

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2011-02-05 00:02
~降りた後の楽しみはいくらでもある~

登山では登るときの方が降りるときよりも遥かに体力が必要です。物理的に考えても、登る時は重力に逆らって上に登って位置エネルギーを貯えるわけですから、エネルギーを必要とします。体力の消耗も登りのほうが大きいでしょう。自動車や自転車で走れるいい道であれば、登りはそれなりにエネルギーを要しますが、下りは殆どエネルギーの投入は必要ありません。登りに対して下りは時間も掛かかりません。同じ道なら下りは上りの半分以下の時間の場合もよくあります。
危険という意味では登りと下り、どちらが危険かは一概には言えません。時と場合によるでしょう。降りるときは、崖から足を踏み外さないように、斜面を滑り落ちないように、転ばないように注意することが必要な場合もありましょう。でも、一端下まで降りてしまえばあとは危険もありません。ひと安心で楽チンです。

ゲーム(・・ギャンブルやスポーツなども含んで広い意味での『ゲーム』・・)の場合を考えてみましょう。ゲームをやり続けて勝ち続けることは難しい事ですが、ゲームから降りる事、即ちゲームの参加を止めることは非常に簡単です。ただ、抜けて止めればいいだけです。負けている場合は、勝たなければ借金を払えない、勝っているときはもっと勝ちたい・・・もっとゲームを続けたい、と勝っていても負けていても、もっと続けたいと精神的に止めたくない理由は色々あるでしょうけれど、物理的には非常に簡単なことです。精神的に止めることに抵抗感があるのは、麻薬のような依存性 [addiction]があるからでしょう。その精神は経済成長を続けようとする精神に共通するものでしょう。

ゲームによって大儲けをする主催者や胴元、ゲームが強い人、団体がゲームから抜けようとする人を、飴と鞭を使い分けてゲームに踏みとどまらせようとします。曰く、
「ゲームから抜けたらもう戻れないぞ、ゲームは面白いぞ、今は負けていても、我慢して粘り続ければ勝てるぞ、さあ、勝つ為の方法を教えよう・・だからゲームを続けましょう・・。」・・・どれもこれも実際は主催者や胴元自身が儲ける為の方策です。経済成長志向にも似たような事が言えるでしょう。
経済成長の為には新たな製品を昨年よりは今年、今年よりは来年と、より多く買わせ続ける策略を練り、努力を続けるのです。その為には現在使っていてまだまだ使えるものさえ廃棄させる努力をするのです。他の会社の製品よりも魅力があってコストパフォーマンスもある製品を開発し続けようと努力するのです。自分の会社なり個人が経済的に成長(=膨張)を続けようとすることは、大きなストレスがあるのです。それに比べて降りる事は何の努力も要りません。ただ止めればいいだけです。・・・降りると困るのは、生活していけなくなるからです。そしていわゆる「負け組」という烙印を押されるのです。負け組の烙印を押されない為、そして、いわゆる“いい生活”をしていくために人間はひたすら経済という山の、より高いところを目指して登り続けようとするのです。
経済成長で儲ける金融資本家や、彼らに洗脳されて経済成長が大切だと考えている連中が、経済成長が止まること、経済が後退することの危機を煽り続けているのです。
でも、資源に限りのある有限な地球では、当然山の高さにも限りがあります。そして、既に経済の山の山頂に近づいているのです。これから先、もっと高い位置まで登る為には、山を高く積み上げてから登るという、とんでもない労力をかける必要があるのです。それが、国家が行ういわゆる「経済刺激策」の本質でしょう。もしももっと簡単に更に上に登る余地があるのなら、国家が経済対策などを行う必要はありません。国家が経済対策を行った時点で、自由資本主義経済の理念に反する事になりましょう。

そんな無理な努力をするよりも、山を下って、持続可能な平らな土地まで降りて、そこに落ち着いたほうが遥かに楽でしょう。つまり、無理のない高さまで降りて、そこで定常状態を保つのです。そう、山もゲームも経済も、降りることは辛くはないのです。無理しなくても理性で考えれば明らかです。
「人間は常に成長を続ける生き物だから、そんな同じレベルの場所にずっと留まってはいられない。人間は目標に向かって成長を続けるものだ・・・」と言うステレオタイプの反論は沢山あるでしょう。
でも、経済成長の実態は経済膨張です。膨張が素晴らしい事とは言えないでしょう。ただ漫然と食べ続けてぶくぶく太ることが目標なんて愚かな発想です。同じ事をするのに、より少ない資源、より少ないエネルギー消費で行うことのほうが、よっぽどやり甲斐のある挑戦でしょう。
経済成長路線を降りる事がさも大変に感じるのは、そのように思わされている事と、そのような仕組みに社会が作られてしまったからです。そんな構造を改革することこそが、永続可能な社会への真の構造改革と言えましょう。

そう、難しく考えなくても、山だろうがゲームだろうがギャンブルだろうが経済だろうが降りることは全然難しいことでは無いのです。成長し続けなければならないと言う膨張志向の強迫観念を捨て去ればいいのです。登り続ける事が目標とされた洗脳時代が終わりを告げようとしています。その後に来るべき時代のほうが遥かにまともで住みやすい社会でしょう。降りた後の楽しみ、気楽な生活はいくらでも考えられるでしょう。
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【2011/02/05 00:02】 | Sustainability トラックバック(0) |


y.suzuki
 ご無沙汰していました。(多忙&体調不良のた)
そして、ブログのコメントありがとうございました。

 ちょうど、いま取り組み始めたブログテーマとも重なっているテーマだと思います。洗脳と気づかないように洗脳させられてしまっている=常識あるいは定説が崩れ始めだ時代になりつつあるのを感じています。そういう洗脳を解くのは可能性がありそうな事実です。

 ツイッターなどでも環境、政治の矛盾に対してのつぶやきが多く、世界適にもウィキりークスの外交文書暴露事例があるように、普通の人が事実に基づく認識を構築できる基盤ができてきたようです。

 この普通のひとのまともな実感を集積していく仕組みができれば、つまり知の結集ができれば可能性はもっと多高くなると思います。 


草の根的なネットの情報網
雑草Z
    y.suzuki さん

 お久し振りのコメント有難う御座います。

>普通の人が事実に基づく認識を構築できる基盤ができてきた

 鈴木さんがこのコメントを投稿した丁度その頃、私もそちらの記事のコメントに、草の根的なネットの情報網の大切さを書き込んだところです。お互い同じ事を考えていて、ほぼ同時に相手にコメントしたわけです。
 そう、ITの発達によって、マスコミでなくとも一般の人々が情報を発信できる環境になり、マスコミとは違って検閲やタブーのない情報を発信できるようになりました。勿論それだけいい加減な情報も溢れていますから、今こそ情報の本質を見抜く眼が大切ですね。

>この普通のひとのまともな実感を集積していく仕組みができれば、つまり知の結集ができれば可能性はもっと多高くなると思います。

その通りだと思います。そして、その仕組みはもうあちこちに出来ていますね。 るいネット こそまさにその重要な先駆者のひとつですね。期待しております。 


y.suzuki
ありがとうございます。多次元中継のようでそこが空間を越えたネットのすごいところですね。

 この「ゲーム」をおりることは、全方位的に自然の摂理に則った生活がもとめられますので、そこを創っていく楽しさというか、充実がまた可能性の一つになるのだろうと思います。



登るための努力
guyver1092
>これから先、もっと高い位置まで登る為には、山を高く積み上げてから登るという、とんでもない労力をかける必要があるのです。

 同感です。現在の政府の行っている経済対策はまさにこれで、最も素晴らしい比喩ではないでしょうか。
 この山は無理して積み上げたものですから不安定で、積み上げる努力を止めれば特に努力もしなくても自然に崩れていくでしょう。気をつけなければいけないのは、大規模な崩壊です。一番良いのは崩れる前に、降りることでしょうが、登っているのが60億人ですから簡単ではありません。
 以前にも書きましたが、準備を行ってから降りる必要があるでしょう。余裕はあまりないでしょうが。

>この「ゲーム」をおりること
雑草Z
    y.suzukiさん

 経済成長政策は、もう限界に近いところまで上り詰めているます。さらに高いところに登ろうと苦しい挑戦をしてますが、その挑戦する事自体が社会を崩壊させる原動力になるのですから、これから降りる道を選ぶべきである事は、火を見るより明らかでしょう。

>「ゲーム」をおりることは、全方位的に自然の摂理に則った生活がもとめられますので、そこを創っていく楽しさというか、充実がまた可能性の一つ

人々は、降りる事の恐怖を煽られ続けていますが、それは愚かな洗脳である事を認識し、登り続ける事の恐怖をもっと認識するべきでしょうね。

降りた後の生活は無理のない生活ですから、登れないところを無理に登ろうとする暴挙よりも遥かに楽しく、充実させる事が出来るでしょうね。

Re:登るための努力
雑草Z
    guyver1092 さん

>この山は無理して積み上げたものですから不安定で、積み上げる努力を止めれば特に努力もしなくても自然に崩れていくでしょう。

そうですね。現状はもうあちこちで崩れ始めているのを応急修理しながら、(登っている場合ではないのに)更に高いところまで登ろうと山を積み上げている状態です。その積み上げる為の材料を山の下の方から取っているから、下部はもっと不安定になる・・と言う悪循環・・

>気をつけなければいけないのは、大規模な崩壊です。一番良いのは崩れる前に、降りることでしょうが、登っているのが60億人ですから簡単ではありません。

そうですね。お互い今までにも何度も論じたように、崩壊は免れ無いでしょうが、その崩壊を最小に食い止めるように降りなければなりませんね。沢山の人間がみんな精一杯高いところまで登っているので、みんなで安全に降りる事は至難の業です。降りてしまえば楽なのですが、下りる途中に崩れる恐怖が大きく横たわっています。 

降りることの大切さ
power
雑草Zさん


経済成長だけでなく、勝ち続けることを止めることが必要ですよね。

人間は本能的に競争意識を持つせいか、完全なる趣味のスポーツであっても勝敗を物凄く気にする人が多い様に感じますが(以前は私もそうでした)これも気にしない様にすることが必要です。

プロスポーツ選手ならともかく、完全なる趣味のスポーツまで勝敗をいちいち気にしていたらそれだけでストレスが増えます。

これぐらい楽?にならないと、行き着く先は「破滅」でしょうね。

完全なる趣味のスポーツほどではないですが、生涯学習(ここでは、通信制大学や趣味としての資格取得を指します)であっても試験の成績(ABC評価や点数など)を物凄く気にする人もいるほどですからね・・・



Re:降りることの大切さ
雑草Z
    powerさん

>勝ち続けることを止めることが必要ですよね。

そうですね。なかなか核心を突いていると思います。私もその通りだと思います。
確かに勝つことに拘るのは、人間、動物の本能の部分も大きいと思いますが、みんなが勝つことばかりに固執し過ぎると生きにくい世の中になるでしょう。他人は大部分敵になってしまいます。勝ち負けは相対的なものですから、勝てば必ず負けるものがいます。そして負けるものがいるからこそ勝ったものが光る事が出来る訳で、敗者の存在と言うのも大切ですよね。現代社会は、名誉などばかりでなく、経済的にも勝者と敗者の格差が大き過ぎますね。天国と地獄ほどの差があるものも沢山あります。
自由経済と言う名の資本主義社会の弱肉強食の本質でしょうね。プロスポーツの中にもこの競争社会の本質が見えますね。人々も極端な勝者賛美は止めるべきだと思います。
競争は全否定は出来ませんが、極端な競争社会は決していい社会とは言えませんね。
 


ぴのこ
(上の方々に続けて・・)
そもそも何をもって、勝ちなのか?
何のための勝負なのか?というのも、疑問です。

例えば、お金(経済)もその指標のひとつですが、みんな、それだけを求めているのか?
本当に求めているのは何なのか?

勝負する、闘う、その目的と本当に得たいものが、大衆レベルの実感ではお金ではなくなっていますよね。

それをもっと、社会の場で明らかにしていきたいな~って思います♪


真の構造改革。
でなしNo.146
>経済成長路線を降りる事がさも大変に感じるのは、そのように思わされている事と、そのような仕組みに社会が作られてしまったからです。そんな構造を改革することこそが、永続可能な社会への真の構造改革と言えましょう。

まさにその通りだと思います。
経済成長路線を支えている一つの大きな要因が石油ですが、現在では石油なしでは1ヶ月も生きれないような社会だと思います。

最近、ガソリンもジリジリと値上がりはじめましたね^^
食品の値段も上がってますし。

年始に予想してた事態が早くもやってきたかという感じですが、これで終わりではありません。

早く石油に依存しない仕組みを作る必要があると思います。

何もしなければ事態は悪い方向(いや、むしろ気づき始める人が増えるからいい方向?)に行くでしょう。

「なんでガソリンがあがってんのか?」という問いに行く前に「高くなった!」と煽るマスコミのせいで思考停止に陥らないように注意ですね。

原因は石油だけではありませんが、現実を見てみると今の世の中の雰囲気は閉塞感が加速してると思います。
新しい価値感が浸透する下地が整ってきているのではないでしょうか^^

古い構造を廃して、本当の意味で持続可能な社会となるような構造改革を進めていきたいものです。

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