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2010-06-29 00:01
 先月に引き続いて冬期間雪で行きにくかった、山の中にある大きめの神社をアップしたい・・・と思っていました。
しかしそんな折、平地の田んぼの真ん中に、気になる小さな鳥居を発見しました。田園風景の中に神社や祠がある事は珍しい事ではないでしょうが、四方を田んぼに囲まれて、小さな赤い鳥居だけ見えて、神社が全く見えない鎮守の森がとても印象的でした。どんな神社があるのか、祠があるのか、気になっておりました。6月27日の日曜日はあいにくの雨でしたが、出掛けたついでに行って参りました。


旧塩川町(・・現喜多方市・)かと思いきや、
ここは湯川村のようです。丁度境界線あたり・・。
↓北側を走る県道から、鎮守の森と赤い鳥居が見えます。
後ろには日橋川の堤防が見えます。
田んぼの中の稲荷神社1

赤い鳥居がはっきり見え始めました。

田んぼの中の稲荷神社2

鳥居の右前と左後ろに太い御神木らしき木がありました。
鳥居の左手前には、太い木が倒れています。


田んぼの中の稲荷神社3

写真では分かりませんが、雨が降っています。

田んぼの中の稲荷神社4



田んぼの中の稲荷神社5

鳥居をくぐると狐の置物が祀ってありました。
どうも、お稲荷さんのようです。
左側にカップ酒が供えてあります。

田んぼの中の稲荷神社6



田んぼの中の稲荷神社7



田んぼの中の稲荷神社8

鳥居の中の境内(?)には、桑の実が沢山実っていました。
勿論、撮影後に、しっかり熟した黒くなった実を頂きました。

田んぼの中の稲荷神社9

↓神社の中から鳥居の外を臨む。

田んぼの中の稲荷神社10

↓鎮守の森の西側から撮影

田んぼの中の稲荷神社11

↓後ろの南側の堤防の上から撮影

田んぼの中の稲荷神社12

↓同じく堤防の上、南西側から撮影

田んぼの中の稲荷神社13

どの地図にも載っていないくらい小さな祠でした。
(神社が詳しく載っているネットのマップル地図にも載っていませんでした。)
どうやら稲荷神社のようです。
神社ではなく、こんな小さな祠に、
結構大きな鎮守の森がある事が嬉しく思いました。

四方を田んぼに囲まれていましたが、
北東側に多少草地がありました。・・休耕田かも知れません。




6月27日 日曜日 午後1時過ぎに撮影。
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【2010/06/29 00:01】 | 森林木のある風景 トラックバック(0) |

原風景
上々
結構ちゃんとした鳥居とその割にかわいらしい祠の取り合わせが面白いですね。
ほとんど個人の所有のような気もします。
稲荷信心の方が作ったのでしょうか。
その一帯がまさに日本の原風景を形作っているのが見事です。

Re:原風景
雑草Z
    上々さん

 確かに、鳥居だけ見るともう少し大きい神社の建物があるような感じが致します。
 確かにお稲荷さんの置物が置いてある小さな祠は、個人の家の庭先などに置いてあるのに似ています。

>ほとんど個人の所有のような気もします。

なるほど、そこまでは考えませんでしたが、周囲の田んぼの持ち主かその先祖が作ったのかも知れませんね。

 お稲荷様自身は自然(動物)崇拝だから古いと思いますが、このような祠を作る人も現代もいるのでしょうか?

 私は個人の庭先などにあるお稲荷さんの祠は、昔からあったものを祀ったのかと思っていましたが、新しく作る場合もあるのでしょうかね?

>その一帯がまさに日本の原風景を形作っているのが見事です。

このような日本の原風景はずっと残って欲しいですね。
県道や堤防が、ちょっと宜しくない感じもします。

 ******   ******    ******    *

いつも鎮守の森シリーズにコメント有難う御座います。
元々は、冬に行けなかった、上々さんから教えて頂いた大山祇(山の上の本社)などをアップしようかと考えていたのですが、この神社が気になっていたので、この小さなどの地図にも載っていない稲荷神社にしました。


庭先の祠
上々
最近はないでしょうが、ちょっと前までは金持ちが自家の敷地内に信心する神仏の祠を作ると言うのは結構あったんではないでしょうか。
私の家内の親戚の家にも江戸時代か明治時代に建てたらしいお稲荷さんがあったのですが、その家が跡継ぎなく絶えたため家屋敷を売却しようと言うことになったのですが、そのお稲荷さんを撤去するのが大騒ぎでした。
一応、その地方の稲荷神社の元締めのような所にお願いして魂抜きの神事をしてもらってから取り壊したんですが、その後何も起こっていないのでまあ良かったんでしょう。

地域の住民が氏子となっている氏神様などは歴史も古いものもあるのでしょうが、こういったお稲荷さん、やお地蔵さん、お不動さんといったものは個人的に作ったものもあるかもしれません。

Re:庭先の祠
雑草Z
    上々さん

またまた興味深い情報有難う御座います。

 裏庭にお稲荷さんが祀ってある小さな祠がある親戚があるので、先ほど電話して聞いてみたら、、2代前(本人の祖父)が、家を建てるときに作ったとの事。だから全然古いものではなく、50年位前の物なのかも知れません。漠然と、昔からそこにあった祠を建て替えたのかな・?・・などと思っていたのでちょっと興ざめです。
ただ、昔,近所のそのような祠をいくつかみんなでお参りして歩く日があったという習慣があったと聞いていたので、もっと伝統があるものかどうかもう少し他の方に聴いてみる積りです。

お稲荷さん
上々
特にお稲荷さんは祟るとか言って、解体するにも業者が嫌がると言うことはあるみたいですね。

まあ建てる人は信心深かったんでしょうが、今となっては邪魔なだけかもしれません。何にも気にしなければ良いのでしょうが、やはり少し気になるし。

なお、魂抜きのお祓いは意外にお布施も低額でやって頂けたようでした。これは神社・寺社にもよるかもしれません。

考えてみれば、東京のど真ん中のビルの屋上などにも結構祠や社がありますね。工場などでもボイラーの機械の所には荒神様が祭ってあったりしますし。
そういった信仰心と言うものはなかなか無視できないものがあります。

その後談
雑草Z
>今となっては邪魔なだけかもしれません。

そう思っている人が、祟りを恐がっているのが面白いですね。
 後日談と言うか、昨日お稲荷さんが祀ってある祠がある親戚に電話したとき、彼が、もっと年上の母に聞いたほうが詳しく分かるとの事で、その後確認しました。
 家を建てるときに作ったのではなく、家を建てるときに、祠も建て替えたそうで、その前はもっと立派な祠があったとの事。
そして、以前は七所詣り〔ななどこまいり〕と言って、そのようなお稲荷さんの祠のある家を7か所お供えをしながら回って歩く習慣があって沢山お供え物もあったそうです。

 自然崇拝の神道っていいですね。
 自分の家にも小さな祠があったら、魑魅魍魎とした雰囲気があっていいなと思いました。

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2010-06-25 00:02
夜の電灯に集まる昆虫のごとく、多くの人間が都市に引き寄せられて集まります。都市には人間を惹きつける魅力があります。その魅力は、大勢の人によって作られた極めて人工的なものです。勿論都市に集まる理由は人によって様々でしょう。金もうけや人に認められる為の場合もあるだろうし、職を求めてやってきたり、大学や専門学校等にやってくる場合もあるでしょう。その場合、必ずしも都会が好きなわけではなく、仕方なく都会に来ている人も沢山いるでしょう。しかし一方、どのような目的の場合でも、大抵田舎にも選択肢がありますが、敢えて都会を選ぶ人が沢山います。都会の華やかさに「夢」を求めてやってくる人も沢山いるのでしょう。人が沢山いるところが好きな都会好きは寂しがり屋なのかも知れません。

 都会に惹き付けられる人が多い一方、都会が嫌いな人も沢山います。田舎に住んでいる人の中で都会には住みたくないと思っている人も沢山いますし、都会から田舎にIターンしてくる人も増えて来ました。都会に住みたくないと思っていても、はじめから住んでいる人もいますし、家族や本人の転勤で都市生活をせざるを得ない人もいるでしょう。悲惨なのは、元々田舎が好きで都会に住みたくない・・・と思っていた人の家の周りが開発されて都市化してしまった場合です。こんな事も日本に限らず世界中で、特別なお話ではなく日常茶飯事の事になってしまいました。
 私自身は田舎町で生まれ、自然を満喫して育ったので、都会に住みたいと思った事はありませんが、それでも20代の頃は都会に行って遊ぶのは好きでした。・・それまで理解出来なかった都会の魅力も色々味わいました。今でも年に数度東京などの都市に出掛けて行きますが、今は出来るだけ都会には長居したくないと感じています。・・・特に都市が存続不可能である事をわかってしまった現在は、都市には殆ど魅力を感じません。魅力を感じるどころか、早いところ解体してしまった方がよいと思っています。勿論、解体するにしても多くの問題点があります・・。


 昔から、都市は人間を惹き付けて止まない存在でした。町に人が沢山集まって活気づくと、更にそれを求めてどんどん人が集まり、都市はどんどん膨張していきました。そして、どんどん膨らみながら時間が経つと、持続出来なくなって崩壊していきました。崩壊の理由は古代都市によって様々な事が言われていますが、火山の爆発のような天変地異でもない限り、基本的には人間が増え過ぎて、人間の活動がその土地の定常性・・持続可能性・・を奪い、生態系を破壊して滅んで行った場合も多いようです。そして滅んだ古代都市の跡は大抵砂漠化しています。
 
 以上の事からも、都会が好きか嫌いか・・・と言う問題は、ただの好みの問題では済まされないのではないでしょうか?それは例えば、ある食べ物が好きか嫌いか・・とか言う問題ではなく、麻薬が好きか嫌いか・・・と言うようなシビアな話ではないでしょうか?つまり、都市に住む事を好きな人間は、人間の体をどんどん蝕んでいく麻薬が好き・と言うような話と同じレベル・・・いや、それより遥かにシビアな話ではないでしょうか?・・・都会好きが多いから、いまだに開発が続き、自然が破壊されていても無頓着な人が多いのではないでしょうか?(・・勿論自然破壊は利権が絡んでいる場合が多いのですが・・)
日本に限らず、世界中の町の多くが都市化し過ぎました。その結果、その都市の殆どで生態系が破壊されて、周辺の田舎の地域に存続を依存するような存在になってしまいました。これ以上の都市化は文明崩壊を引き起こしますし、今現在世界中に存在する都市だけでも、環境負荷が大き過ぎて存続は不可能です。これから持続可能な社会を目指すならば、・・都市を好きな人間が多い事は危険です。都会好きが麻薬好きだとすると、田舎好きは健康な自然食が好きな人に例えられるでしょう。

そう、都市は、周りの広大な郊外の田舎;農地、森林、河川や海・・が無ければ存続できなのです。その周りの郊外から絶えず食料やきれいな水や空気、資源を供給され、代わりに廃棄物を周りに出し続けてやっと都市は存続出来るのです。【都市の存続条件
都会は持続可能ではないのに、魅力がある存在なのです。・・・と言う事は都会は人類にとって麻薬のような存在とも言えるでしょう。

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【2010/06/25 00:02】 | 都市/文明 トラックバック(0) |

都会の魅力
上々
そもそも高校までは東京郊外で育ち、大学は東京の真中に通いましたがまったく東京になじめず、就職は田舎になりました。(別にこちらで選んだわけではないですが)
その頃からあまり東京に魅力を感じていなかったですね。

都会の魅力とはやはり消費の魅力、「悪」の香りの魅力でしょうか。
本当の「悪」もあちこちにありますが、そこまで行かなくても少しだけその匂いがするものがあふれており、そこに特に若い人は引かれるのでしょう。
まあ田舎の田んぼや森の風景にはあまり「悪」は感じさせるものはなく退屈なものですが。

そういえば今でも残ってはいますが昔は東京でも小さな工場があちこちで操業していました。段々と減ってきているのでしょう。
そうなるとますます「生産」の性格を失い「消費」だけの地域になっていっているのでしょう。

アメリカでは大きな会社でも本社を地方に置いているところが結構ありますが、日本では大きくなるほど東京に出て行きたくなるようです。大阪や名古屋の本社の会社が東京に移ったと言うのはよくある話ですが、なぜなんでしょう。

都市の大きさ
guyver1092
 縄文時代の三内丸山遺跡のことも考えると、人間は狩猟採取文化の時代でも集まる性質があったのでしょうね。

 持続可能な規模の都市は江戸時代のことを考えると、百万人の都市は実現できるかも知れません。当然、現代人が今の消費を続けながらできるという意味ではありませんが。条件の一つは江戸時代並みな資源の節約社会になることですね。経済成長も当然ゼロです。そのほかにも環境を破壊しない生産システムを採用する必要がありますし(資源、栄養塩が域内で循環していて外部から補給する必要がない)、一番重要なのは、江戸時代と同じ人口抑制システムでしょう。
 北海道から魚を輸入していたことを考えると、もう少し少ない人口規模しか実現できない可能性のほうが高いでしょうが。

 現代人には不可能に思えますね。

Re:都会の魅力
雑草Z
    上々さん

 そうですかぁ!上々さんも東京に馴染めませんでしたか?
なんだか親近感持てますんね。

>都会の魅力とはやはり消費の魅力、「悪」の香りの魅力でしょうか。

「悪」の香り・・と言うか、デカダンの香りは若者にはちょっと魅力なんですけど、やっぱりあの塗り固められたコンクリートに囲まれたところにごちゃごちゃ人間がいる状態は、人間に自然の摂理に対する感覚を麻痺させるでしょうね。

>消費の魅力

は、本当に幻想ですね。朝にゴミ集積所にゴミ袋が山のように積まれ、臭い匂いが漂っている感じが嫌ですね。
 それこそ、石油によって周辺の田舎と物資の交換が出来るから、やっと存続出来ている「砂上の楼閣」でしょうね。

>田舎の田んぼや森の風景にはあまり「悪」は感じさせるものはなく退屈なものですが。

はっはっは・・・そうですね。刺激を求めて都会に行きたく成る事はありましたね。・・しかし、地方都市でさえこれだけコンクリートやアスファルトで塗り固められた現在、この退屈な田園風景は貴重な癒しでもあります。

>「消費」だけの地域になっていっている

そうですね。これは、いよいよ現代都市が崩壊して行く兆候なのかもしれません。

 いつもと違った観点でも、上々さんと感覚や意見が大体一致していましたね!?

 これだけの情報化社会なのだから、東京一極集中はだんだん意味が無いものになっていくでしょうね。

Re:都市の規模
雑草Z
    guyver1092さん

>人間は狩猟採取文化の時代でも集まる性質があったのでしょうね。

猿などの類人猿を見てもわかる事は、人間は基本的には集団生活する生物でしょうね。


>百万人の都市は実現できるかも知れません。

都市の面積にも因るでしょうけれど、百万都市はなかなかしんどいと思います。

>江戸時代並みな資源の節約社会になることですね。経済成長も当然ゼロです。そのほかにも環境を破壊しない生産システムを採用する必要があります

>一番重要なのは、江戸時代と同じ人口抑制システムでしょう。

ここの一連の御意見は、全くおっしゃる通りだと思います。 そして、現代社会はことごとく逆効果の対策ばかりしていますね。

>現代人には不可能に思えますね。

現段階では全くそうなのですけど、脱成長派が指数関数的に増えている現在、何年か後には、guyver1092さんの挙げられた方策が検討されるようになる期待も出来ない訳でもありません。


夜の都会
上々
まあ都会には夜も昼もあまり無いようにも思えますが。
新宿や渋谷で飲んだこともありますが、その辺にやけに詳しい連中について行くだけですけど、目的地以外の露地の先などちょっと覗くといかにも危なそうな臭いがしたものです。
致命的な危険性と言うのもありますが、そこそこ危険というのも魅力の一つなんでしょう。

田舎に危険がないわけではなく、それなりに危険が一杯なんですが、人間に関する危険というよりは自然から来る危険ですね。

都市の規模の件ですが、江戸時代は主要食料の米の生産流通がそれなりに全国規模で確立していたので江戸、大阪集中もなんとかやっていけたわけですね。
現代は米だけ食べていれば良いということではありませんので、かえって集中できる人口が減った可能性があります。
米は船でも運べましたので良かったのですが、野菜・肉魚は無理でしょう。

都会・・・
おから
私は、富山に住んでいますが田舎だと思います。
学生時代も、田舎でしたが、電車で1時間も行けば、都会で、よく飲みに行ったものです。
何か、興味があれば、一人でも、東京に行ったものです。
何でも、ありますから・・・。
息子が生まれてからも、東京に、何度も旅行に行きましたし、ディズニーランドや、ユニバーサルスタジオにも行きました。
でも、ここ数年、人ごみがイヤになり、都会にも、行きたくなくなりました。お祭りなどに行くと、いろいろな食べ物の不自然な匂いが、ダメになりました。
静かな自然のあるところはいいですね。
・・・とは言っても、山を切り開いた、公園とかが、多いかもしれません。不自然だけど・・・。
私の住んでいるところは、この10年で、どんどん田んぼが埋め立てられ、住宅地になりました。
家も、田んぼだったところを埋め立てた住宅地に家を建てたのですから、これ以上、家が増えないで~って思うのは、身勝手でしょうか・・・。
富山は田舎だからって、非行に走る子供が少ないと思っていましたが、すごく多いそうです。
田舎を窮屈に感じる子供たちが多いのでしょうか?


都会の危険&食料の空輸
雑草Z
    上々さん

 私自身、学生時代など、昼夜入れ替わった生活・・とまでは行かなくても、日が昇る頃寝て、お昼頃に起き出す生活は好きな時代がありました。

>目的地以外の露地の先などちょっと覗くといかにも危なそうな臭いがしたものです。

 そう言えば思い出しましたが、新宿の危ない街で、危険な目に遭った事があります。あの辺りで商売している店や客引きの中には、人を騙す事を何とも思っていない人が沢山いる事を身を持って知りました。あんな街で生活していると、人間性が歪んでくるのかも知れません。

>田舎に危険がないわけではなく、それなりに危険が一杯なんですが、人間に関する危険というよりは自然から来る危険ですね。

なるほど、・・・と頷きながら読みましたが、考えてみると、自然から来る危険も都会と田舎がどっちが多いかわからない状態になってしまいましたね。
 例えば集中豪雨などの自然災害もコンクリートで固められ尽くしている都会のほうが危険ですね・・・都会は低い土地にある事も関係していますが・・・。地震などの災害も、都会に住んでいた方が危険です。
 田舎のほうが危険なのは、熊に襲われたり蛇に噛まれる危険ぐらいでしょうか?・・・そう言えば小学校2年生の時、蛇に噛まれて家じゅう大騒ぎで医者に連れて行かれましたが、シマヘビだったので大した事ありませんでした。(笑)

>現代は米だけ食べていれば良いということではありませんので、かえって集中できる人口が減った可能性があります。

そうですね。人口一人当たりの物資の消費量が江戸時代の何十倍ですからね。・・現代は、高層ビルなど立体的に人を配置して集中度を高めていますね・・・危険性は高く、ほんとに砂上の楼閣です。

>米は船でも運べましたので良かったのですが、野菜・肉魚は無理でしょう。

野菜、肉類を冷凍して船で運ぶ・・・なんてなったら、エネルギーの浪費もいいところですね。

 しかし、もう、魚を空輸している場所もあるのですからどうしようもないですね。
 アフリカのヴィクトリア湖に、ナイルパーチを放して、元々の生態系を破壊し、食用として空輸してヨーロッパや日本に運んでいます。・・どうしようもない愚行です。


 

これから田舎の時代がやってきます。
雑草Z
    おからさん

>私の住んでいるところは、この10年で、どんどん田んぼが埋め立てられ、住宅地になりました。

【自然は年々減っている】2010-04-05
http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-488.html

などにも書きました通り、日本中でいまだに開発が行われ、都市化が進んでいる事は由々しき事ですね。土建屋と国、地方自治体の癒着を切らないと大変な事になりますね・・・もうかなり深刻な状況です。


>田舎を窮屈に感じる子供たちが多いのでしょうか?

そう言う子供もいるでしょうが、それよりも色んな情報が悪いと思います。子供の犯罪も携帯電話やパソコンのネットの犯罪が急増したようですからね。田舎でも都市化が進み、人々の心が荒んできたと言う面もあるでしょうね。 

都市の大きさ2
guyver1092
 都市の大きさを決めるのは、余剰食糧がどれだけ作れるかと、輸送能力だと考えています。(槌田氏の受け売りですが)
 過去の文明の未発達だった時代では、余剰食糧により食糧生産から解放された、ある一定以上の数の技術者を養い競わせるには、都市という選択は意味があったかと思いますが、文明(技術)の進歩に物理的な限界が見えてきた現代では、余剰食糧と輸送力の限界まで都市を大きくするのは無駄で無意味と考えています。
 現在、技術を競うとすれば、エネルギーとか資源の産出投入比の大きさと、環境を破壊しないなかでいかに最大の生産をするかの技術でしょう。

余剰食糧と輸送能力
雑草Z
    guyver1092さん

>都市の大きさを決めるのは、余剰食糧がどれだけ作れるかと、輸送能力

そうですね。確かに槌田敦さんの文明論か何かに書いてありましたね。そして、現在この余剰食糧は分配の不公平による「余剰」ですね。

>余剰食糧と輸送力の限界まで都市を大きくするのは無駄で無意味と考えています。

なるほど、これは非常に大切な洞察だと思います。確かにこの石油文明社会下では、余剰食糧と輸送力の限界はかなり高く、その限界に挑めば、大きな環境破壊があるでしょう・・・と言うよりも既に大きく環境破壊されていますね。
これ以上限界に挑む事は非常に危険ですね。
guyver1092さんのおっしゃるように

>技術を競うとすれば、エネルギーとか資源の産出投入比の大きさと、環境を破壊しないなかでいかに最大の生産をするかの技術

ですね。




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2010-06-21 00:02
最近、山や田畑を除いて、土が表面に出ている場所がめっきり減ってしまいました。それでもまだ次々に地面や河川がコンクリートやアスファルトで塗り固められています。公園さえ、土がむき出しているのは近代的でない・・・とばかりに表面が次々に塗り固められています。・・狂っているとしか思えません。公園に限った事ではありませんが、土が出ていた方が安全ですし、草も生える事が出来ますし、夏も涼しいでしょう。
 今年の夏もこれから蒸し暑くて過ごしにくい日が続く事になりそうです。そう感じるのは、地球上の二酸化炭素が増えたからではなくて、町中の地面がコンクリートやアスファルトで固められてしまったからです。
 Climategate事件を市民が調査したところによれば、地球上の気温が上がっているステーションの多くは、大平原や荒野に設置されている筈のステーションがいつの間にかアスファルトの駐車場やエアコンの排熱口の近くに移動されたものだっだそうです。だから気温が高くなった・・と報告されているのです。お話になりません。・・・まあ、今回はClimategate事件について書く積りは無いのでその話はこれで終しまいにしますが、これだけ固められれば、夏は照り返しで気温が高くなるのは当然です。そして冬には雪を捨てる場所にも苦労します。町中の用水路を、三面張りではまだ足りないようで、上まで覆って4面張りにしているからです。

関係者以外の殆どの人が望んでいないこんな工事が何故行われるか・・・理由は明白だから、多くの人が認識しているところです。・・一部の人々に儲けさせるため・・・ゼネコンとそれにまつわる利権構造です。・・・国、県、市町村などの自治体は工事の必要性を色々並べ立てますが、それが利権の為である事は、まともな市民は、大抵知っているところです。折角事業仕分けで縮小されてきた公共工事も、国がやらないなら県、市町村などの自治体がやる・・・と言う感じで、いまだにどんどん続けられています。
「雇用の為」の名目で、実際は土木会社や自治体の為政者の利権目的の公共工事です。・・それで、土も川も何でもコンクリートやアスファルトで塗り固める工事・・が次々に行われています。
これが民間事業でしたら、とっくに多くの事業は破綻しているでしょう。最近の公共工事は、費用対効果もお話にならないレベルのものばかりです。「公共事業」の名の下に一部の利権の為の税金の無駄遣いであるばかりでなく、環境破壊の公共事業が延々と続いてきたのです。

石油の精製の段階で出てくるアスファルトは、この石油文明下では次々に出て来ます。だから、無理にでも使っているという側面もありましょう。・・数多くある石油文明の負の側面の一つです。【石油ピーク説と現代社会について (1)

治水の為・・という名目で河川や湖沼を塗り固めていますが、これもかなり危険な状態です。コンクリートで塗り固める事は、治水どころか洪水などの危険性を増す場合が多々あります。
そして何より生態系に大きな影響を及ぼすでしょう。コンクリートやアスファルトで塗り固めるときは、地中の生物は生き埋め、生き塗り固めです。そして、塗り固められた後は、植物の生えるのを邪魔し、動物の棲む場所や生活圏を破壊します。毎日車に轢かれる動物も数えきれないくらい沢山いるでしょう。生態系を分断し、生き物の生息域を狭めます。生態系を破壊するのです。

航空写真を見るまでもなく、もう地上は過剰にコンクリートで塗り固められられてしまいました。これ以上塗り固める事は非常に危険です。税金を湯水のごとく投入して効果の無い、逆効果の二酸化炭素温暖化対策なんてやる以前に、地上を塗り固める作業を早急に止めるべきです。・・さもなければ取り返しのつかない事態になるでしょう。
 コンクリートやアスファルトの過剰な舗装作業に違和感を感じない人が多い事も憂慮すべき事態です。
 舗装作業で生物の生息域が塗り固められると言う事は、人間の生活や社会も塗り固められている事になる事をみんな気付くべきです。震撼すべき恐ろしい事態が進行しているのです。社会の持続可能性が塗り固められてしまった後に気付いて、後の祭りになってしまうのでしょうか?
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【2010/06/21 00:02】 | 公共工事 トラックバック(0) |

治水
guyver1092
 そういえば、東京あたりの三面張りの河川でにわか雨の後、一気に増水して、人が流され水死した事件があったことを思い出しました。
 高速道路の防音壁に植物を植えることのできるようにした商品の開発もテレビで見たことがあります。
 思考の根本が間違っていますよね。コンクリート、アスファルト舗装をやめればいいのにと思います。もしこれをやめると経済システムが瓦解するからやめられないというのなら、これはすでに文明の暴走です。もうすでに破滅的な未来は確定したということです。破滅が確定していないというのなら、発想を転換して、舗装をやめ、暴走でないことを証明してほしいです。

>思考の根本が間違っていますよね。
雑草Z
現在の舗装工事や護岸工事は、必要性ではなく、まだ舗装されずに残っているところを探しだしてきては、塗り固める・・・と言うとんでもない事をしていますね。


>思考の根本が間違っていますよね。コンクリート、アスファルト舗装をやめればいいのに

全く以てその通りだと思います。どんどん固めまくってその中で緑地化する・・・って発想事態が狂ってますね。無駄遣いもいいところで、効果は殆どありません。効果が無いどころか逆効果で生態系はどんどん破壊され、人間が住めない環境に着実に近づいていますね。

>もしこれをやめると経済システムが瓦解するからやめられないというのなら、これはすでに文明の暴走です。もうすでに破滅的な未来は確定したということです。

その愚かな文明は暴走を止めるどころか加速している状態ですね。経済成長の仕組みはそれほどに社会を破壊に導く洗脳でしょう。経済成長の洗脳を解く方法は、その結果来るであろう破局の恐ろしさをしっかり感知してもらうしかないのでしょうか?


人の見る目は駄目
団塊おやじの遺言
コンクリート、アスファルトで塗り固められた東京!!
その他にも様々な化学製品で造られている現代社会・・

昨年、中古のビルを買った客がいまして5階建ての建物・・
2~30年前に建てられ1億円で購入しかしガタガタなんですね 
水漏れや壁を剥がすとカビだらけ・・ベランダは何時、崩壊しても
不思議では無い状態 これを直すと更に5000万円の費用

悔やんでも後の祭りです この様なゴミにしか成らない建物が
到る処に見受けられます 売り手と買い手 必ず形のある物は
壊れると言う事です 買い手は我々・・見る眼が余りにも無い
と言うより雑草さんの言うとおり駄目なんですね!これらは・・

自然に還る素材や資材でないと・・自然と伴に暮せる素材
東京のビルたちが人類の墓石に見えるのは私だけかな・・

〉塗り固められた東京
雑草Z
    団塊おやじの遺言さん

 東京はかなり以前から本当に塗り固められ過ぎですね。
コンクリートやアスファルトで塗り固められた後に東京のような大都会で生まれ育った人々は、それが自然だと錯覚を抱いてしまうのではないでしょうか?・・つまりあそこまで塗り固められている状態が普通で、土が出ている土地が不自然に感じてくるのではないでしょうか?そして、そんな状態が永続出来ると漠然と感じてしまうのではないでしょうか?
・・実際は輸送手段、交通機関がストップすれば直ぐに大パニックに陥るでしょう。

 問題なのは、そんな都市が東京だけに限らず、日本中に存在する事です。政令都市は言うに及ばず、10万人以上の都市の大部分も既に地面の大半が固められているにもかかわらず、いまだに塗り固める工事が行われて東京に近付いてきていると言う事です。
 そして世界中至る所で都市化が進み、これでもかっ!ばかりにコンクリートで塗り固められる工事が行われています。

 早く『塗り固め禁止』を法律家するべきでしょう。


Anthony
土を拒否する年寄りが多いのにビックリしてます。

高速道路の下や公園の隅っこに地面があると、汚いから舗装しろとか苦情を言ってくる人が多い。

唖然・・・・




自分達の未来が塗り固められている
雑草Z
    Anthonyさん

 御久し振りのコメント有難う御座います。

 高度経済成長時代以降に育った人間に限らず、お年寄りにも土を否定する人が多いのですね。自然の摂理に対するまともな感覚が壊されてしまっていますね?

そんな事を何度も続けていると、世界は破滅でしょうね。

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2010-06-17 00:02
前回に続き、石油ピークに造詣の深い、ここに沢山コメントを頂いている HN 上々さんに書いて頂いた記事の続きです。


(1)で述べた、このような石油社会の存立自体に暗雲がかかってきました。石油供給の不安です。
普通の常識人なら、石油は未来永劫いつまでも取れ続けるということは否定します。「限りある資源を大切に」と言う文句は広く流れていますが、それに異論を唱える人はあまりいません。誰でも石油はいつかはなくなるだろうということは理解できるはずです。
しかし、それが自分が生きている間にやって来るとは思っていない人が大半のようです。
正確な数字は前記の石井先生のHPやASPOを見ていただくとして概数だけ示しますが、いろいろな存在形態はありますが石油分として考えて、すでに人類はこれまでに原油換算で約1兆バレルを使ったそうです。
そもそも最初にどの程度の石油分があったかというのは、さまざまな説と観測がありますが、一番悲観的な(そしておそらく一番妥当な)観測では2兆バレルという数字があります。
2兆バレルのうち、すでに1兆バレル使ってしまったとすれば、まさにすでに石油ピークを迎えており、今後は生産量は決して増やせず、徐々に減っていくと言うことになります。
別の数字では7兆バレルという話もあります。これならまだ今まで使った量の6倍残っていることになり、まあ今生きている人間の寿命がある間は使い放題していても残りそうです。
しかし、この7兆バレルというのは実は石油分なら何もかも入れた数字のようです。
石油を含んだものには、現在使われている良質原油のほかに、重質原油、オイルシェール、オイルサンドなどいろいろのものがあります。高揮発性のガソリンなどが多く含まれている原油がもっとも使いやすく、砂に浸み込んでいるオイルサンドなどは非常に使いづらいものです。
実は原油だけではせいぜい2兆バレルというのが本当のところのようです。オイルシェールオイルサンドは現在でも若干は掘り出されているようですが、掘り出すのにトラクターやトラックなどを用い、さらにそこから石油分を取り出すのに蒸気を使って熱するというものです。
石油分を取り出すのに、燃料や蒸気を使うというのですから、それを差し引くと実際に使える石油分はごくわずかです。これを「EPR(Energy Profit Ratio)が低い」と言い、取り出すために投入するエネルギーの割りに出てくるエネルギーが低いということです。

つまり、石油分とみなせる資源は7兆バレルあったとしても、エネルギー収支的に全く引き合わないものが大半というのが本当です。
エネルギー収支と言う言葉を使ったので誤解を受けそうですが、単に金額的にコストがかかると言うなら、販売価格が上がれば元が取れるのですが、エネルギー収支と言うとエネルギー自体の収支が悪いと言うことですので、いくら高く売ったとしても元は取れません。

さらに、液体で取れる原油にしてもこれまでの油田というのは地表近くにあり、パイプを埋めていけば原油が噴出してくる(自噴)ようなものでした。昔の映画で石油を掘り当てると黒い原油が噴出してきて、皆が原油まみれになって喜ぶというシーンは見覚えがあるでしょう。
自噴してくるような油田ならば採掘にほとんどエネルギー投入の必要はありません。このような油田ではEPRが100以上ということもあったようです。すなわち、投入エネルギーの100倍の原油が得られたということです。
しかし、この前のメキシコ湾での海底油田の事故に見るように、海底1500mもの深海から原油を掘り出すのでは、相当な装置も必要となり、EPRはかなり低下します。
最近の油田はこのようなものばかりになってきています。
さらに、中東の巨大油田でも原油の噴出圧力が低下してきて、海水をどんどん注入しなければ石油が出てこなくなっているところが多くなっています。
海水注入もただではできません。相当のエネルギーを使っているので、EPRもどんどん低下していきます。

このように、現在の石油採掘現場では油田がどんどん「劣化」しています。採掘にかかるエネルギーも増加し、費用も上がっていきます。
石油ピーク説反対論者のお得意の論拠で、「これまでコストが合わないから採掘せずに放って置いた油田も石油価格が上昇すれば使える」というのがあります。これこそまさに、どんどん石油の価格が上昇していくという論拠そのものです。
石油ピークのあとは、石油価格がどんどん上がっていくということです。これが石油ピーク後の社会の一番の怖い点です。
社会が石油に依存しているほどその影響が強くなります。そしてアメリカほどでないとはいえ、日本もかなり石油に依存していると言えます。
ここでもう一度数年前の石油高騰の時を思い出してもらいましょう。ガソリン価格が税込みで最高1リッター180円程度まで上がりました。(2008年8月)
その少し前には100円に届かなかったのですから、倍近い値上がりでした。小型自動車ですと大体空のタンクに満タンで入れて50リッターくらい入ります。
それでどの程度走れるかは人それぞれですが、ほとんど近所の買い物程度しか使わなかった我が家では大体1ヶ月に一回程度の給油頻度でした。一回5000円払っていたのが、9000円程度まで上がったことになります。
長い距離を走ったり、通勤で毎日使ったりする人にとってはこの頻度はかなり上がります。月に何回も万札が飛んでいくことになります。しかもそれでガソリンスタンドや石油業界が儲かるということでもありません。強いて言えば産油国に多くの金が流れるのですが、産油国も石油生産量自体が減るのでさして儲かるわけでもありません。
自動車を遊びに使っている人なら少し我慢で済みますが、仕事で使う人にとっては大変な影響です。運輸関係は言うまでもなく、あらゆる業種で石油高騰の影響は出てきます。ここの価格が上がればすべての商品価格も上がるでしょう。政財界が待望久しいインフレの到来です。
石油価格がいくらまで上がるかという予測は全くわかりません。需給バランスがどの程度崩れるかによって相当変わってくると思います。
ガソリン価格で一時リッター180円(税込)まで上がったものがその後の世界不況で下がったもののまた上昇基調です。すでに130円を越えて140円に近づいています。
これは中国インド等の新興国の景気回復のためと言われていますが、実は原油供給不安に遠因があるということは上記で述べたとおりです。
このまま行けば新興国でも基盤が弱いところはある程度石油価格が上昇したところで成長不能となるでしょう。しかし早い時期に経済成長競争から降りる方がそれらの国民にとってはかえって幸福かもしれません。
もはや降りるに降りられない先進国では最後まで付き合わなければいけません。
ガソリン価格でリッター200円という状況はすぐ近くまで迫っているかも知れません。それが300円となることもありえます。500円になることも考えられます。ガソリンスタンドに行って満タンに給油したら25000円。想像できるでしょうか。

今まさに取り組まなければならないこと、それは温暖化対策などという変な理屈付けの二酸化炭素発生対策などではなく、ストレートに「石油依存体質からの脱却」です。
早ければ早いほど傷が浅くて済みます。
特に自動車依存の社会体制は転換が急がれます。ハイブリッドや電気自動車ではごまかせません。燃費が半分以下になっても石油価格が倍以上になれば一緒です。
徹底的に無駄を省くこと、政府の事業仕分けと同様ですが、あのような格好だけのものではどうしようもありません。多くの人が仕事を変えたり、住居を変えたり、大変な変革が必要になってきます。
しかし、それを今やっていかなければ、5倍にも10倍にも石油価格が上がった時にまったく動きが取れなくなった社会でじっと飢えるのを待つだけになるでしょう。
社会の仕組みを基礎から変えて行くような激動になりますが、その痛みを耐えなければ破滅的な将来が待っているものと思います。
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【2010/06/17 00:02】 | 資源・エネルギー トラックバック(0) |

石井先生
guyver1092
 最近石井先生の「石油ピークが来た」を読みました。過去に槌田敦氏の本を読んだ時と同じ焦燥感を感じました。言っていることも結論は同じことを言っています。
 本当に日本の指導者たちは何をやっているのかと思います。相変わらず、経済成長のためには消費税を上げて社会保障を充実させるとかないと嘘を言っています。いや、半分は本当でしょうね。消費税の値上げはするから本当になるでしょうが、社会保障は削られるでしょう。その差額の金はすべて大企業のばくちの資金に流れるでしょうね。

ピーク以降
上々
ピーク以降の社会をどうしていくか、大変な時代になるのは間違いないでしょうが、このような時によく政権を担当したいと思えるなと政治家の皆様方には感心します。

たぶん誰からも評価はされない政策を次々とやっていかなければならないでしょう。
それでも歴史家が評価してくれればよいと思っても選挙民が評価してくれなければ当選しませんし。

まあ勘違い政治家が多いのですが。

となると…
でなしNo.146
相当アバウトなオーダーになりますが、20年後くらいには、石油は暴騰しており、車を持ってなければ成り立たない仕事をしている人は仕事を変えなければならない時代がくるということですよね。

しかも、長距離&大量輸送の手段がなくなっているので、手に入る食材は地元産のみということになりますね。

国民皆農時代とでも言いましょうか…(キューバがいいお手本になりそうですね^^)
付け加えれば、その中でも農薬や化学肥料などに頼らない、ハウスにも頼らない農業を成立させなければならないわけですね!
もちろん、水田と畑の両方において…

簡単な将来の展望が組みあがった気がします。
大変タメになる記事をありがとうございます!!

オオカミが出た~狼おやじ
団塊おやじの遺言
後、何十年も今の様な生活を続けると環境の変化に耐えられない
生き物の相当数が絶滅しかねません 既にこの日本から狼や鷺
が絶滅しましたね 眼に見えるものも大切ですが見えないもの
ウィルスや細菌を抑える生き物が絶滅すると人類は滅亡です

狼がいた時には猿や猪・鹿・外来生物の被害はこんなにも酷くは
無かった筈です 自然界の生物コントロールが狼から
人間に代わって何をするか? 被害が酷いので駆除だ駆逐と毒餌でも撒くのが
人間界 取り返しのつかない事をするのも人間界 そして誰も居なくなる世界に・・
金を求める今の世界のシステムには個人だけでは太刀打ち出来ない 
手遅れになる可能性が高いのでは・・

ちなみに狼は自然界では生き物を絶滅させていないし秩序の頂点にいたんですね 
今日も何処かの畑が荒らされている・・

狼がでたぞ~と叫んでみたくなる 今日、この頃です・・



細かい話では
上々
今回は石油が暴騰した際の影響について細かくはしておりませんが、食料生産という問題は非常に問題が山積しております。
まず、海外から輸入ができなくなるから国内でと言う話では、実は国内で作る方が石油をたくさん使っている状態かもしれません。
農業生産あたりのエネルギー消費率では日本は悪い方から3番目で、日本と同程度なのは北欧だけです。
アメリカでも日本の1/5だそうです。

また肥料は実際に製造するのに大量のエネルギーが必要なので、エネルギー高騰の際には価格高騰するのはやむを得ないのですが、現在の農業で化学肥料がなくなった場合の生産量低下はちょっと考えられないほどです。(生産崩壊と言えるかも)
したがってどんなに高くなっても使わざるを得ないかもしれませんが、そうなると農作物の値段も高騰すると言うことになるでしょう。

漁業・畜産業については運送業以上に石油依存かもしれません。まさか今の時代に手漕ぎの船で魚を取れるわけもありませんね。

石油高騰になった場合、自動車を中心とした産業が打撃を受けると言うのは分かりやすいですが、本当に怖いのは食料品の供給に関する部分です。

あまり評価されない政策
雑草Z
guyver1092さんのおっしゃるように、日本の指導者達はまだまだですね。

>経済成長のためには消費税を上げて社会保障を充実させるとかないと嘘を言っています。いや、半分は本当でしょうね。

経済成長を目的にしている時点で終わってますね。そして、そんなに嘘をついている積りはなく、経済成長なくして社会は豊かになれないと思っているのでしょう。強い洗脳ですね。ただし、やはりそれは企業優先の考え方で、

>社会保障は削られるでしょう。その差額の金はすべて大企業のばくちの資金に流れる

と言う guyver1092 さんの鋭い読みは当たっているでしょう。

愚かな経済成長政策は、現在、日本ばかりでなく世界の殆どの国で行われていますが、やはり、経済成長と言う洗脳から解き放たれなければなりませんね。
丁度時期的にも石油文明とともに経済成長路線は確立していった・・とも言えますね。

上々さんのおっしゃるところの

>たぶん誰からも評価はされない政策を次々とやっていかなければならないでしょう。

は、脱石油政策の事でしょうが、同時に脱成長政策でもありますね。以前にも書いたように、経済成長路線に疑問を持つ人はどんどん増えていますから、

>誰からも評価はされない政策

ではないでしょうけれど、かなり抵抗される政策で、それを実行しようとすると様々な妨害が入るでしょうね。それでも強行して文明が残れば、後の世からは最高に評価される事になるでしょうね。
 
今のところ、石油無しでは経済成長も出来ないでしょうから、脱石油政策が脱成長政策にもなりますね。・・・早く石油が使えなくなった方が大きな目で見れば社会の為でしょう。




脱成長は、脱石油、脱化学農業、脱人口増加・・
雑草Z
でなしNo.146 さんのおっしゃるように、望む望まざるに関らず、近い将来(・・遅くとも今世紀中に・・)

>手に入る食材は地元産のみ

に近い社会には、成らざるを得ないでしょうね。
そして、農薬、化学肥料も丁度よく使えなくなってきますから、無農薬有機農法、若しくは自然農法になるでしょうね。
これはここのサイトの主張の一つでもあります。

さて、問題点は、上々さん御指摘の通り、

>食料生産という問題は非常に問題が山積しております。

ですね。

>海外から輸入ができなくなるから国内でと言う話では、実は国内で作る方が石油をたくさん使っている状態かもしれません。

前の記事でも上々さんから御指摘あった部分ですが、殆ど石油を産出していない日本が農業さえ石油漬けで、自給自足も石油無しには出来ない・・・と言うのは非常に皮肉な状態です。このような政策を推し進めて来た戦後の政府や農協はどうしようもないですね。早急なる農業の構造改革が必要ですね。

>現在の農業で化学肥料がなくなった場合の生産量低下はちょっと考えられないほどです。(生産崩壊と言えるかも)

これも本当にシビアな問題ですね。要するに農薬や化学肥料を使って農地で持続不可能な過剰生産を助長してきたわけですね。
 ・・・日本に限らず、世界の人口も化学農業による農業増産に合わせて増え過ぎました。・・その典型が「緑の革命」ですね。人口も少子化対策・・・なんて言ってないで少子化を進めるべきですね。

 つまり、現在早急にすべき対策は、脱石油と脱化学農業、そして人口縮小政策でしょう。・・・そうすれば自ずと経済も縮小して行きますね。
 




>「石油依存体質からの脱却」
雑草Z
    団塊おやじの遺言さま


>後、何十年も今の様な生活を続けると環境の変化に耐えられない

そうですね。もうこれ以上経済が成長しなくても、今の状態を続けていく事は不可能ですね。

人間は生態系を破壊し過ぎました。環境破壊は進む一方です。まともな対策が取られていません。

その為には、先ずは石油依存からの脱却が必要ですね。

もう少し悲観論
上々
肥料に関しもう少し悪い話を書いておきます。
畜産廃棄物(糞尿)を堆肥化し土壌に返すことについて、日本では地域的にすでに過剰になり水圏の富栄養化の原因となっていますが、実はこれを使用できるのは畜産業が盛んな主に先進国だけであり、穀物などを作っている途上国ではそもそもほとんど畜産業が無いため無理なんですね。
これらの国ほど化学肥料に依存しています。
そしてもちろん化学肥料の価格高騰の際にはもっとも悪影響を受けるのは間違いありません。

化学肥料ができる前の国々は肥料の調達で大変な苦労をして、ヨーロッパでは墓場を荒らして人骨を持って行って肥料にしたこともあるそうです。

循環型社会というのが流行りになっていますが、この辺の肥料成分の循環をしっかりと考えてほしいですね。

Re:もう少し悲観論
雑草Z
 またまた参考になる有意義な情報有難う御座います。
 確かに日本では糞尿は過剰だから、鶏糞や牛糞肥料も安く買えるわけですが、
 いわゆる途上国で、穀物など家畜の肥料を作っている国々は、おっしゃるように糞尿は不足しているでしょうね。どんどん土地も痩せてきているでしょうね。

>これらの国ほど化学肥料に依存しています。

そうなんですか?・・・日本よりもでしょうか?
それなら由々しき事ですね。それもこれも「緑の革命」がもたらした負の遺産でしょう。

>ヨーロッパでは墓場を荒らして人骨を持って行って肥料にしたこともあるそうです。

そうなんですか?・・まあその行為も理解できないわけではありませんね。

>循環型社会というのが流行りになっていますが、この辺の肥料成分の循環をしっかりと考えてほしいですね。

全くその通りですね。その意味でも、食料の貿易は禁止にすべきですね。そして小さなコミュニティ毎の自給自足にするべきですね。それによっていわゆる途上国でも化学肥料の使用を減らせるでしょう。
 化学肥料を使わずに農作物をしっかり育てる方法を探る事も、れっきとしたこれからの科学でしょう。


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2010-06-13 00:01
 今回から2回連続、石油ピーク説にお詳しい、ここのサイトにコメントを下さる HN 上々 さんに書いて頂いた記事です。

 石油ピークという仮説についてはご存じない方も、数年前に石油価格が急激に上昇し日本でも仕方なく自動車に乗るのを控えたり、漁船が出漁を見合わせたりとさまざまな影響が出たことはだれの記憶にもまだ新しいものと思います。
この原因については公式には産油国の生産設備の不備とか、新興国の石油需要の上昇とかいろいろ言われていますが、石油ピーク説を知っている者から見れば世界全体が石油供給能力の限界になり、ちょっとした需要増加で敏感に市場が反応する結果であり、これからも繰り返し起きるであろう現象の走りであるのは明らかです。

 石油ピーク説とは、世界の年間の石油生産量がピークを迎えたということです。「地球にあった石油の存在量の半分を使ってしまった」ということとほぼ同じ意味になります。もちろん存在量の半分を使ってしまったからといって、さらに増産していけばまだ生産ピークには達していないことになりますが、それでは本当の「石油枯渇」を早く迎えるだけです。

 石油の枯渇と石油ピークを意識的に混同させるような宣伝をして否定的に紹介する(何十年も前からあと●●年で石油が無くなると言っているけれどまだあるじゃないか)人もいますので、注意が必要ですが、石油ピークはいわゆる石油枯渇とは全く違います。この石油ピーク説は最初にアメリカの石油会社に勤めるハバートという研究者がアメリカ合衆国の石油生産の年間生産量の経緯を研究していて、アメリカの石油生産はピークを迎えることを見つけ出し、1956年に発表したのがはじめです。その当時は石油関係の業界・学会すべてがハバートの主張を否定しました。しかし、その後のアメリカの生産量推移を見ればハバートの説が正しかったことは明らかです。

 その後、石油生産の主産地はアメリカから中東へと移り、世界中が本格的な石油文明の真っ只中に放り込まれました。そして、いよいよ地球全体の石油生産がアメリカで起こったのと同様に生産ピークを迎えたとと考えられる状況になったわけです。
この辺の事情については世界的にはASPO(Association for the study on Peak Oil & Gas)という団体が研究し、一般に広報しています。日本では前東京大学教授で、今は「もったいない学会」の代表を勤めておられる、石井良徳先生が精力的に啓蒙活動をしています。石井先生のホームページにはわかりやすい図やグラフを使った説明がありますので、ぜひごらんになることをお奨めいたします。

 さて、現代は石油がすべての産業の隅々にまで入り込み、石油のない産業は何も想像できない状況です。しかし、それはいつから始まったことでしょうか。
 江戸時代の日本では石油はほとんど使われていなかったことは誰でも想像できるでしょう。明治時代になり、化石燃料としては最初に石炭が使われ、ボイラーで炊いて蒸気を発生させ、それを使うという形で汽車や汽船が使われ、産業革命が起こりました。
化石燃料と言うことでは同様ですが、この燃料が石油に変換していき、さらに自動車が使われだしたことにより、変化のスピードは格段に上がってきました。それが始まってからまだ100年も経っていないのです。

 石油は今、何に使われているのでしょうか。
原油は日本へはタンカーに積んで運んできます。大規模な原油基地がいくつもあり、供給不安への対応として備蓄も進めていますが、それでも日本全体の使用量からいえば備蓄量は177日分(2007年時点)でしかありません。石油は炭化水素という炭素と水素が結合した有機化合物ですが、さまざまな種類の化合物の混合物です。ガソリンのような分子量の小さく揮発性の高いものもあり、アスファルトのような高分子のどろどろしたものもあります。これらを揮発性によって分ける精製という作業が石油コンビナート内の工場で行われます。揮発しやすいガソリンは自動車の燃料に、少し分子量の大きい軽油はディーゼルの燃料に、もっと大きい重油はボイラーの燃料に、もっと大きいアスファルトは道路舗装用になります。そのほかに化学工業の原料となってプラスチックになるものもあります。ほとんど捨てるものはないようにいろいろ利用されているのが現状です。

 化石燃料使用の主流が石炭から石油に代わったということの一番の利点は、「内燃機関で使えること」です。石炭はボイラーで燃やし蒸気を発生させて使うという装置なので、なかなか小型化が難しく数人乗りの自動車のようなものに利用するのは困難でした。しかし、石油を使う「エンジン」が生まれたことで、自動車が普及し、社会のあり方がそれまでと全く変わってきてしまいました。一人ひとりが、ほぼ個人単位で数十キロから数百キロ簡単に移動できるということは人間の在り方自体にも大きな影響を与えたと言えます。

 自動車社会というものは、石油を使い出した時代よりさらに遅れてスタートしています。ちょっと年上の人たちはまだ自動車がそれほど走っていない時代の記憶があることと思います。以前はどこかに行くと行っても列車程度しか利用できず、まず鉄道の時刻表を見ることから始めなければ動きが取れませんでした。
 会社や学校に行くのも列車などの公共交通機関を利用するのが前提で、実は住居の選択もそれを考えて行なっていたわけです。
 これらの条件は自家用車を使うようになり変わってしまいました。どこか遠くに旅行する場合も時間を考える必要はありません。好きな時間に出ればよいのです。住居を選ぶのにも駅から歩いて何分なんていうことをあまり考えなくなりました。少しは頭にあるとしても、昔のような絶対条件ではありません。かえって今では幹線道路へ出やすいかどうかのほうが問題です。

 現代社会は個人主義化が過度に進みいろいろの点で問題化していますが、実はその遠因は人間社会が自動車社会化したためではないかと考えています。まあここではそれについては深くは述べません。

 さらに直接石油を使っているわけではないのですが、主に電力による生活利便性向上の恩恵はすべての先進国民が受けています。
現代では家庭生活の隅々まで機械化が進んでいるので意識されなくなりつつありますが、50代の私としては子供のころの電化製品がほとんどなかった頃の生活の記憶もあります。
食べる、着る、掃除をするといった生活の何もかも手作業でやらなければなりませんでした。当然、母は働きに出ることなど不可能で、一日中家事に追われていました。
富裕な家だと女中さんを雇って家事をさせるということもできたようです。もちろん、我が家の周りにはそのような知り合いも居らず、話に聞くばかりでしたが。
 それが、徐々に家電製品が家の中に入り込んできて、テレビが入り、洗濯機が入り、冷蔵庫が入り、炊飯器が入り、掃除機が入り、どんどんと家事は楽になってきました。
 今では「女中さん」を雇ってもさせることもほとんどありません。もっと言えば、結婚する必要性もなくなってきたようで、非婚化というのが問題になっています。
 まあ、ほとんどすべての家事をボタンひとつで済ませられれば、やっかいな人間関係を作る必要もないと思う人も多いでしょう。
 これらの「電化社会」もやはり石油社会から発展して出来上がってきたものと言えます。

 このように、現代社会は石油の利用を基礎に、電力も使って極めて利便性を高めた社会と言えるでしょう。
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【2010/06/13 00:01】 | 資源・エネルギー トラックバック(0) |

石油の価格。
でなしNo.146
大変興味深い記事ありがとうございます。

約3年前のガソリン価格の上昇は先物取引屋などファンドがからんで価格を吊り上げていたというマスコミの報道や記事を読んだことがありますが、本質はやはり、石油生産能力の頭打ちだったのですね!
(ほとんどの場合、ファンドは必ず儲かることにしかカネは動かしません。つまり、今以上の石油増産は極めて難しいという予測の下に、石油の買占めに走ったのでしょう)

また、生活に浸透した石油とこれからどう付き合っていくべきなのかを考えさせられました。

次回の記事も早く読んでみたいですね^^

大企業にサヨナラ~
団塊おやじの遺言
いつの間にか大きなうねりに流されて気がつくと 皆同じ様な
生活をしているんですね・・世界の人口が60億人を超え・・
寒いとか暑いとか言って60億人の人たちがこの資源に群がると
あ~っというまに無くなりますよね・・その時には大企業は天然ガス等に
移行するんですかね アメリカで大きな事故が在り対処出来ない原油事故 
大企業に頼らず有機物の発酵に依るガス利用
排泄物・生ゴミ・家畜の堆肥などでのエネルギー利用が良い様に
思われます そして利用され尽くしたものは大地へ還元し肥料に
もう便利な生活と言うものに根本から取り組む事ですね
大企業にはこれ以上勝手はさせない決意が必要ですね

いつも勉強させて頂き ありがとうございます
多少、論点がずれるのは 歳なのでお許しください

10年後はどうなっているでしょう。
BEM
若者の車離れが進む日本ですが、全世代で車の利用を少しでも減らすことになればいいのにといつも考えておりますが、石油はガソリンだけでなく様々な事に利用されていますから、まだまだ先進国では石油に頼らざるを得ないんですね。

それに中国、インドのような国々が爆発的に車を持ち出すとすれば、石油消費は爆発的に増えそうです。
そうなったら温暖化防止のため云々など言ってられなくなりそうですが、同時にまたガソリン価格の急騰も考えられます。

40代の私は物心ついた頃にはとりあえずテレビと冷蔵庫と洗濯機はありましたね。今思うと家電と言えば他に蛍光灯があるくらいで、ミシンも足踏みだったし、電気炊飯器もなかったし…って、かなりシンプルな生活ですね(^^;
裕福な家庭ならもうちょっと進んでいたのかな? でも商品自体が少なかった時代ですからね。

未だに新製品が登場する毎日ですが、もっとシンプルな生活に戻れないもんでしょうかね。

ご意見ありがとうございます
上々
中国インドなどの新興国の需要急増は確かに危険な引き金になる可能性が強いのですが、それで値段が急騰したらその国々はすぐに「降りてしまう」可能性があります。
元に戻るだけで大して社会的にも打撃は受けません。
しかし、日本はもう降りるわけにはいきません。

破滅に向かって進むか、なんとか持ちこたえるか、大変なかじ取りが必要になります。

脱石油
雑草Z
    でなしNo.146さん

>生活に浸透した石油とこれからどう付き合っていくべきなのか

石油ピークがいつ来るかに関らず、早く脱石油の方向へ進まないと人類はとんでもない事になるでしょう。石油依存から一刻も早く脱却すべきですね・・・かといって代替エネルギーに頼るのではなく、大量にエネルギーを使う事から脱却すべきでしょう。

便利な生活を見直す
雑草Z
    団塊おやじの遺言さん

アメリカでの海底油田の事故は最悪ですね。被害額よりも、きれいな海の広大な面積が石油で汚染された事で、この油田がこれからどんなに利益を上げても取り返しがつきませんね。海底油田は封印すべきだと思いました。

>大企業にはこれ以上勝手はさせない決意が必要ですね

大企業の多くは、酷い事をして成り上がってきたし、無い方がよっぽど世の為でしょうね。

おっしゃるように、「便利な生活」は根本から見直す必要があるでしょう。


石油ピーク説
guyver1092
 石油ピーク説で、全地球規模での石油の産出の減少は予測できているのでしょうか。できていれば、その減少に合わせて、脱石油を進めてゆかねば、資源戦争勃発という事態が考えられますね。
 以前にも冗談で政治家が文明崩壊する方向に社会を誘導していると言う類いのことを書いた記憶がありますが、政治家の能力によっては、解っているのに文明崩壊に突き進むという事態になりかねないですね。

どこまで酷くなるのでしょう?
雑草Z
    BEMさん

>まだまだ先進国では石油に頼らざるを得ないんですね。

現代は、石油文明と言ってもいいほどで、頼るどころか、現代文明の状態を決めて、根底から支えていると言えるでしょうね。でも、この石油文明は20世紀から21世紀にかけての瞬間的な打ち上げ花火で終わるのでしょうね・・・後には汚染物質と廃墟が残るのでしょうか??

もっとシンプルな生活に戻らなければ社会は永続出来ないでしょうが、自らの意思でそうすれば可能性も高いでしょうが、石油ピークが過ぎて、石油が使えなくなって突然衰退するのであれば、制御出来ない崩壊スパイラルに陥るかも知れませんね。

 現在の環境対策は殆ど効果が無いばかりか逆効果のものも沢山ありますから、10年後の環境はもっと酷い状態になりそうです・・・それを考えると憂鬱です。

ピーク後の石油生産
上々
石油ピーク説の生産量予測の代表的な推移は釣鐘型の減少、すなわち最初は徐々に減って行き、そのうちに急激な減少の時を迎え、最後はだらだらと枯渇に向かうというものですが、実際にはこうなるかどうか分かりません。

産油国と消費国の思惑、産油国と言っても最後まで残りそうな中東の数カ国とその他の国々、消費国でもヨーロッパとアメリカ、日本、新興国のそれぞれで思惑と戦略が異なるためそのなかで実際にどうなるかと言う難しいことになります。

産油国では徐々に値が上がりつつも爆発的な高騰は回避しなければ消費国の石油離れが進むので不利でしょう。今のような増産はしないという対応が続くのでは。
ただし、本当の残っている石油埋蔵量は自国しか分かっていない最高機密でしょう。以前に産油国内での勢力争いの影響で各国が埋蔵量を多めに修正してしまったという話もあります。

消費国側も本当に石油生産量の減少が避けられないことがわかれば対応は決まりますが、まだ半信半疑のところもあるようです。特に日本は疑いの方が強そうです。
アメリカなどでも軍の関係者は軍用燃料確保の必要性からかなりシビアに予測して対応を考えているようです。(石井先生HP)

とにかく世界でも先進国は石油文明が直接現在の世界経済を支えているので経済崩壊を招く石油転換に踏み出せない段階でしょう。
いつまでその我慢が続くのか、まあ今の状態でじゃんじゃん使っても40年は持つそうなので、自分たちが生きている間は大丈夫と腹を括って何もしないと言う最悪パターンをする国も(日本をはじめ)ありそうです。


Re:石油ピーク説
雑草Z
    guyver1092さん
    

>全地球規模での石油の産出の減少は予測できているのでしょうか。できていれば、その減少に合わせて、脱石油を進めてゆかねば、資源戦争勃発という事態が考えられますね。

 ここの部分、非常に大切な部分だと思います。どこまで正確かは別として、各国しっかり予測は立てているでしょうね。
 しかし、脱石油の方法がどうしようもないのもばかりですね。石油代替エネルギーが石油から独立していませんし、地球が現在の人口の規模、経済の規模から考えて、無限と近似出来ない事や、ほぼ閉じた系である事を考えると、石油の代替エネルギーを開発するのではなく、エネルギー消費の縮小・・・太陽エネルギーの範囲まで・・・と、言う方向に持って行かなければならないでしょうね。
 guyver1092 さんはいかがお考えですか?
 このあたりは上々さんにも是非御意見を御伺いしたいところです。


>政治家の能力によっては、解っているのに文明崩壊に突き進むという事態になりかねない

 政治家が産業界との慣れ合いを絶ち、経済成長路線に決別しなければ、望んでいなくとも、形として

>解っているのに文明崩壊に突き進むという事態

になるでしょうね。
経済成長路線と言うのは本当に狂った洗脳です。 

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2010-06-09 00:01
大不況で失業率も高くなった現在、国、県、市町村などの自治体は、雇用の創出に躍起になっています。雇用の創出は、国や県、自治体の基本政策の一つにさえなっています。世界中で昔から雇用の創出の為なら様々な無駄も黙認され、環境破壊も見逃されてきました。大型公共工事の大義名分にもなっています。道路工事、河川工事、干拓事業、原発・・・枚挙に暇がありません。利権構造と雇用の為の公共工事の区別はグレーゾーンでかなりあいまいですが、利権の為の公共工事が非難されても、雇用創出の為の公共工事は非難されるどころか、多くの市民からも歓迎される場合が多々あります。

 しかし、多くの自治体の財政がひっ迫し、生態系も破壊されて環境問題が顕著になっている現在、雇用の創出の為の不必要な公共事業を税金を使って行う必要があるのでしょうか?雇用の創出は、公共工事の錦の御旗なのでしょうか?

 勿論、その雇用によって創出される仕事が、費用対効果をしっかり考慮しても、社会にとって有意義であれば話は別ですが、税金を使っての補助金付きの雇用の創出は、費用対効果の視点からも、ほとんど無駄と言わざるを得ないでしょう。・・費用対効果がちゃんとしている事業であれば、民間企業が主催するでしょう。民間企業が補助金無しでは手を出さないような事業は、殆ど費用対効果が有意ではないでしょう。

 雇用創出と称して、無駄で環境破壊になる事業を作り出して、さらにその事業によって破壊された環境を取り戻すという名目で、更なる環境破壊が行われて来ました。それを、雇用創出の連鎖だ・・なんて考えている愚かな役人や民間人も沢山います。
 例えば、山の中に道路を作る為に森林伐採し、がけ崩れ防止の為に斜面を塗り固め、土砂が流出するからと今度は砂防ダムを次々に作り、砂防ダムを作った谷の護岸工事をし・・・と、次々と自然破壊を行って雇用を創出しています。こんな自然破壊の連鎖を雇用の創出の連鎖と歓迎さえしているのです。・・・これは、特別な話ではなく、日本中至るところでよくあった話です。
「失業」が個人や家族にとって大変シビアな問題であることは確かです。しかし、だからと言って、無駄なばかりでなく、環境まで破壊する雇用の創出は、行うべき事ではありません。もう断ち切らなければならない事でしょう。無駄な仕事を作らなければ、困る人間が出てくる社会のシステムに欠陥があると考えるべきでしょう。
 人間の不必要で過度な活動によって、環境問題が深刻になってしまった現在、雇用の創出の為だからといって、環境破壊の公共工事などを行うことは、社会にとって非常に有害で、生態系が破壊され、人間社会も存亡の危機に立たされてしまいます。
不必要な仕事を創出するのではなく、必要最小限の仕事をワークシェアリングして行うべきでしょう。

雇用創出の為の公共事業とは、資本主義社会の矛盾の代表例の一つと考えていいのではないでしょうか?
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【2010/06/09 00:01】 | Economic Fascism トラックバック(0) |

明日は我が身・・
団塊おやじの遺言
本当に今の社会は弱者切捨ての世界に・・
大企業は利益を海外に求め外国は日本に様々な圧力だ 
多くの人たちがホームレスになるのは時間の問題ではないでしようか? 
その前に家庭崩壊・虐待などの事件が後を絶ちません
多くの耕作放棄地等で食料の自給を目指す! 農業の高齢化や
薬剤農法で弱った農地を職を失った人たち皆で原点に立ち返って
自然農法の取り組み 家畜の飼料も自給する これらで生産した
ものは自由に販売が出来る体制 決して今の組織に任せてはいけません 
コンクリーから人へ・・職を失い収入が絶たれても住む
処が在り家族が一緒に食べていける場所さえ在れば生きられる
こんな再出発の出来る施設が各地に在れば倒産も失業も怖くは無い
兎に角、生きる何かが求められている時代ではないでしようか・・
生きる為に稼ぐ 金を求める 私たちには生かさず殺さずの金しか得られない 
今の世界の仕組みに目を覚まさなければ・・人は家畜ではないのです

庶民が生きにくいシステム
雑草Z
    団塊おやじの遺言さん

 ちょっと記事の内容とは外れますが、
 雇用の創出は、本来弱者の為のものの筈ですが、現在の雇用の創出は、実質、企業経営者側の事業拡大や新規事業の参入などにも利用されていますね。結局それによって得をするのは、本来雇用の創出の恩恵に預かるべきではない、経営者であったり、資本家であったりします。酷いものです。

>多くの耕作放棄地等で食料の自給を目指す!

このような方々の支援をした方が、雇用の創出よりも遥かに有意義でしょうね。

>住む 処が在り家族が一緒に食べていける場所さえ在れば生きられる

そのような原点に帰って、雇用について考えるべきでしょうね。 

雇用を創出する必要性
guyver1092
 雇用を創出する必要がなぜあるかといえば、職にあぶれる人が増えているからですね。

 なぜ増えるかといえば、職を追われる人が増えているからですよね。少なくとも現代日本では。

 なぜ職を追われるかといえば、企業の儲けのために、庶民を切り捨てているからですよね。

 その対策として環境を破壊するということは、人類の将来を最終的に企業の儲けに変換しているということになりますね。

 ということは、企業の儲けなければならないという至上命令こそが、文明崩壊の推進力そのものでしょうね。

有意義な活動に参加するご要請
Jill Deng(トウ)
こんにちは、私は台北に住んでいるトウと申します。
唐突の連絡で、大変失礼致します。

ちょうど雑草さんが最近書いた新着記事、“雇用の創出”と二年前に書いた“環境対策は進んだか”をみて、いろいろなことを考えさせました。文章を読んだ後、とても厚かましいと存じますが、ぜひともある国際的な有意義な活動に参加していただきたいのです。

よろしければ、詳細は私信にて、説明いたします。
また 活動の詳細は、ホームページに掲載しています。どうぞご覧ください。

初めての連絡、乱文乱筆でどうかお許しください。



Re:雇用を創出する必要性
雑草Z
    guyver1092さん

>雇用を創出する必要がなぜあるかといえば、職にあぶれる人が増えているからですね。

少なくとも、建前上はおっしゃる通りです。・・しかし、雇用創出にも利権が存在し、それみ群がっている構造もありますね。

>なぜ職を追われるかといえば、企業の儲けのために、庶民を切り捨てているからですよね。

このあたりの guyver1092 さんの三段論法は、ごもっともな事だと思います。
そして、その後の

>その対策として環境を破壊するということは、人類の将来を最終的に企業の儲けに変換しているということになりますね。

は、非常に鋭い御指摘だと思います。確かに現在の企業は、環境を企業の儲けに変換しています・・・愚かで恐ろしい事です。

>ということは、企業の儲けなければならないという至上命令こそが、文明崩壊の推進力そのものでしょうね

企業の論理を環境の面から鋭く洞察していらっしゃいますね。全くその通りだと思います。・・そんな企業の論理は認めない社会に移行しなければなりませんね!?



具体的内容が見えません。
雑草Z
    Jill Deng(トウ) さん

 はじめまして、2年前のコメントまで読んで戴き、有難う御座います。

>いろいろなことを考えさせました。

どんな事を感じられたか、もう少し具体的に述べて頂くと有り難いです。


ホームページを見てみましたが、中国語で今一つよくわかりませんでした。

>国際的な有意義な活動

と言われましても、抽象的過ぎて内容が見えません。

宜しければもう少し具体的に教えて下さい。

簡単な説明
Jill
実は私は国連NGO世界市民総会のボランティアです。

今回、国連NGO世界市民総会及び国連NGO台湾区世界市民総会は“2010年世界市民人権サミット”を4月1日に台北で無事に開催し、当日は人権と地球を守るために学者、教授、各業界のリーダーたちを含む方々に集まり、人権への重視と環境への保護について、セミナーを行いました。また、現時点では全世界147カ国の9000箇所以上の団体や組織を含む2万通以上の人権に関する論文や手紙が届きました。雑草さんの文章を読んだ後、とても厚かましいと存じますが、ぜひとも今回の地球のために、文章をかくという活動に、参加していただきたいと思っています。
活動内容は人権、健康と環境問題を含む世界の人権状況や人権尊重について、内容の形と長さはご自由です。締め切りは6月30日です。もちろん雑草さんのお友達にもぜひこの活動に参加していただきたいと思っています。

以上、簡単な説明で、失礼します。



雑草Z
    Jillさん

 簡単な御説明有難う御座いました。
Jill さんは日本語がお上手ですね。

>いろいろなことを考えさせました。

の具体例も書いて戴きたいところです。

ただ、宗教関係の団体ならば、ご遠慮させて頂きます。


Jill
こんばんは、早速のご返答ありがとうございました。
日本語は台湾の大学で勉強したもので、実の生活ではほとんど使っていません、平日は日本語を忘れないように、よく日本語のプログ、ニュースのサイトで新聞や文章を読んでいるだけです。今回書き込みの内容について、本当に言うと、ちょっと時間がかかりました。失礼しないように、一言一言を配慮しなければいけないからです。でも、褒めてくれて、とてもうれしいです。

うちは、宗教団体ではないです。かえって宗教、党派、民族、言語、国境をこえて、世界各国の人々に声をかけて、 一緒によき文章を書きながら、文字の力で世界の人々の善意とその行動力を動かしたいのです。各国への要請は6月末なので、各国への文章の数はどんどん増えるでしょう。どうぞご遠慮なく、お考え、ご意見、或いは貴国での実例などを書いてください。

( 現在、ワールドカップのアルゼンチンの試合を見ているので、遅い時間の書き込み、すみません。



雑草Z
    Jillさん

 素早いお返事有難う御座います。
コメントの書き込みは、その時対応する必要が無いので、いつ書かれても迷惑ではないですよ。

 日本語を何年くらい学ばれたのですか?これだけ日本語を使いこなせれば、日本人とのコミュニケーションは十分に取れますね。


 さて、そちらの団体についてですが、
その団体はもしかして、日本が本部ではありませんか?
ネットで調べたところ、日本では有名な宗教団体であり政治団体である団体が運営しているのではないかと思われました。

Jillさんはその事を御存じかどうか分かりませんが、もしそうであれば、今回のお誘いは辞退させて頂きます。
間違っていれば失礼。

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2010-06-05 00:02
これまでの人類の歴史の進歩と呼ばれてきた物事は、成功と言う名の一方通行ではありませんでした。成功よりも圧倒的に多い失敗を経て、数多くの試行の中に数少ない成功の道を発見し、その成功の道を辿ってきました。つまり、試行錯誤[try&error]の上に成り立ってきました。・・ここで注意しなければならない事は、成功だと思われて来た道も、実はその先で失敗だったと気付く可能性も大いにあると言う事です。

 失敗をしない秘訣は何か・・・と言えば、それは何もしない事でしょう・・・つまり何事にも挑戦しない事です。現在的価値観では、何事にも挑戦しない事は、往々にして敗北を意味します。曰く「失敗を恐れていたら何も出来ない・・・。」
でも人間の活動が大きくグローバルになってきた現在、これまでのような、「自由な」・・・別な言葉で言えば、「安易で軽率な」、試行錯誤は・・・非常に危険と言うべきでしょう。一歩間違えば、文明崩壊を招きますし、人類の絶滅さえ引き起こす可能性も否定出来ません。だからこそ、これからの社会は、新たな技術の開発や試行に関しては極めて慎重にするべきでしょう。危険な可能性がある新たな物事の導入は、安全性が保障されるまで(・・誰が保障するかの問題点もありますが・・)見送るべきなのです。見切り発車よりも「失敗を恐れて実行しない」ほうが、社会にとって危険回避になる場合が圧倒的に多いでしょう。

 失敗を恐れずに見切り発車した最悪の例が、原子力発電でしょう。原発一基だけでも大事故を起こせば、一国が滅ぶほどの被害を及ぼします。危険性の回避や放射性廃棄物の処理の方法もしっかり確立する前に見切り発車した原発は、軽率な開発&試行の代表です。人類はそこまで愚かな存在だったのです。それは歴史が証明する事になるでしょう。原発は封印すべき悪魔の技術だったのです。

 現在も先を争うように様々な分野で技術開発競争が繰り広げられていますが、この現状は極めて危険な状態と言うべきでしょう。何故なら、新たな技術は、成功よりも圧倒的に失敗のほうが多いからです。人類の存亡を代償に技術開発合戦を繰り広げるなんて、愚の骨頂と言うべきでしょう。一見、日々進歩を重ねているように見える現代社会は、一歩間違えば文明崩壊の危機を孕んだ綱渡りをしているのです。その証拠に、環境問題は回復どころか、毎年毎年深刻度が増しています。・・そんな綱渡りをしてまで新たな技術が必要でしょうか・・?
新しい技術の導入が必要ないとは申しませんが、これからの社会では技術開発や新たな技術やシステムの導入には、石橋を叩いて渡るような慎重さが必要でしょう。人間社会の破局の可能性を孕んだせっかちな新技術の導入は、慎むべきです・・・法でしっかり規制するべきでしょう。これからの時代は、技術の進歩を急ぐ事は非常に危険です。「環境対策の為にも、早急な技術の開発が必要である」・・・とよく言われるところですが、それは経済発展の為の口実でしかない・・・と感じるのは私だけではないでしょう。・・環境対策の為には新たな技術は必要ないのです。止める事が一番の対策なのです。

 余談ですが、地球が温暖化している事が事実として、地球温暖化に対してはどう対処すべきか・・?・・・と問われれば、二酸化炭素に限らず、温暖化に関係すると思われる行為を全て控えるべき・・と答えましょう。ヒートアイランドを防ぐために、地面をコンクリートで固めるのはやめるとか、物をなるべく燃やさないとか、自家用車を使わないとか・・・勿論石油の使用をしない・・・これが正しい地球温暖化に対する対策でしょう。
二酸化炭素の地下貯留だとか、代替エネルギーシステムだとか、原発だとか・・・新しい技術の導入だけを考えて経済活動を野放しにしても逆効果でしかありません。・・そう、現代の二酸化炭素温暖化対策は、逆効果であり、別な環境問題、社会問題を発生させる危険を孕んだ世紀の愚策と言えましょう。

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【2010/06/05 00:02】 | 都市/文明 トラックバック(0) |

なぜ進歩した技術を使わないのか
guyver1092
 現代の進歩した技術では、いろいろシュミレーションとかの事前評価技術が発達しているはずなのに、なぜ使わないのか不思議ですね。
 少なくとも新エネルギー開発などは、エネルギー産出投入比を計算すれば一発でトライする意味がないのがはっきりするでしょうに。
 目的が違っているのでしょうね。

試行錯誤以前
雑草Z
    guyver1092さん

 おっしゃる通りですね。シミュレーションは場合によってかなり信頼度は怪しいものがありますが、

>少なくとも新エネルギー開発などは、エネルギー産出投入比を計算すれば一発でトライする意味がないのがはっきりするでしょうに

は、その通りですね。現代に於いてまさかエネルギー産出投入比が1になるかどうかも怪しい技術を導入するなんて、思いもよりませんでしたが、そんなものが横行している現状には、溜息も出ませんね。試行錯誤以前の愚行ですね。

>目的が違っているのでしょうね。

そうですね。その暴走を止めなければなりませんね。特に二酸化炭素温暖化対策。




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2010-06-01 00:01
『欲』には色々な種類があります。支配欲、所有欲、自己顕示欲、金銭欲、名誉欲、食欲、性欲、睡眠欲、生存欲・・・
その中で、殆どの動物が持っている『欲』は、生存欲でしょう。その生存欲と関連して、食欲、性欲、睡眠欲・・などが、動物の基本的な欲と言えましょう。動物に共通するそれらの基本的な欲に対して、人間特有の欲が、所有欲、支配欲、金欲、名誉欲などでしょう。・・・まあ、これらのうち、支配欲や所有欲などは、群れて生活する哺乳類、人間に近い猿類などにも有るものですから、厳密には人間特有とは言えないでしょが、兎も角、食欲、性欲、睡眠欲のような動物の基本的欲とは違った、支配欲、所有欲、金銭欲などを、一応人間特有の欲と考えることと致します。それは、普通、動物の基本的な欲が満たされた後に強くなる欲望でしょうから、人間的上乗せの欲・・と呼ぶ事にします。

さて、人間1人当たりの動物の基本的欲・・食欲、性欲、催眠欲などは、たかが知れています。限りがあります。時が来れば欲求し、それが満たされれば収まります。少なくとも物質的には人間の等身大なものでしょう。・・・それに対して、人間的上乗せの欲望は限界がありません。等身大を超えて際限なく膨らむものです。動物の基本的な欲だけでは、環境問題はこれほど深刻にならなかったでしょう。環境問題や社会問題がこれほど深刻になったのは、明らかに人間的上乗せの欲望を実現しようとする人間の行為があったからでしょう。

さて、どちらの欲望が人間にとって強いか・・・と問われれば、殆どの人は動物的基本欲と答えるでしょう。これは人間の生存にかかわる事ですから欲に対する実現願望も遥かに大きく、実現して満たされた感覚もこちらの欲望のほうが遥かに大きいでしょう。そう、議論の余地はなく、動物的な基本欲求は遥かに大きな欲望であり、人間にとって必要な欲望です。
 それに対して、人間的上乗せの欲望は、動物の基本的な欲が満たされた後で強く湧きあがってくる欲望であり、基本的には無くても生きていける欲なのです。あってもほんの少しでいいでしょう。ところが、そんな人間的上乗せの欲求が強くなって際限なく求める者が現れて、環境問題は悲惨な状況になってしまいました。人間的上乗せの欲望の場合、何か一つが実現しても、それで満足にならない場合が多く、次々に欲望が助長されていくのです。欲望は際限なく膨らんでゆくのです。

 これから持続可能な社会を目指すにあたり、この、人間的上乗せの欲望の実現には制限を加えて然るべきでしょう。少なくとも、現在のように「夢の実現」などと美化して理想化するのではなく、「誇るべき価値観ではない」、さらには「恥じるべき価値観」・・・・と社会通念を変えていかなければならないでしょう。
 人間的上乗せの欲望を極端に膨張させ過ぎた人間達が、地球の環境負荷を肥大させ、大きな環境問題を引き起こしてきたと言えましょう。こんな不必要な選択肢・・・贅沢の範疇で、人類は危機に立たされていると言えましょう。
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【2010/06/01 00:01】 | 社会・経済 トラックバック(0) |

環境問題の解決へ
でなしNo.146
今回の記事を読ませていただいて、環境問題の解決には人類の欲(心)の問題を解決することも必要と思いました。

世界中の人が、環境に危機意識を持ち、足ることを知り、争うことをやめたとき、住みやすい世界になってくると思います。

増幅装置
guyver1092
 拡大再生産主義(資本主義)は、欲望の増幅装置とどこかで読んだ気がします。 当然ですが、これが増幅するのは、雑草Z氏のおっしゃる、上乗せの欲望のみです。

 考えてみると、貨幣経済というものは欲望を数値に変換する装置という気がします。貨幣経済で欲望を数値に変換し、資本主義で欲望を増幅すれば、無敵の破壊力を示すでしょうし、実際、地球の生物の住める環境を破壊しつくそうとしています。

 結論はいつもと同じく、経済の縮小しかないでしょうね。

足る事を知る
雑草Z
    でなしNo.146さん

 人間にとって、決して必要ではないあんまり重要でもない「人間的上乗せの欲」 によって、人類をはじめとする地上の生き物たちが追いつめられているという事実は、人類の愚かさを思い知るには十分ですね。こんなどうしようもない事で滅びたくはないものです。・・人間はもっと理性を働かす事が出来る筈です。

>環境に危機意識を持ち、足ることを知り、争うことをやめたとき

こうならないと、持続可能な社会には持って行けず、人間は滅びるしかないでしょうね。

>欲望の増幅装置
雑草Z
    guyver1092さん

>拡大再生産主義(資本主義)は、欲望の増幅装置

全くその通りですね・・・出来ればその本を思い出して教えて下さいませ。この増幅こそ、経済成長の本質で、人類破滅への仕掛けですね・・・こんな明らかな仕掛けに引っ掛かるようじゃ人間も愚の極みですね。

>貨幣経済というものは欲望を数値に変換する装置

>貨幣経済で欲望を数値に変換し、資本主義で欲望を増幅すれば、無敵の破壊力を示す

う~ん、上手い事をおっしゃいますね。全く以てその通りですね。guyver1092さんは独特の面白い例えで、社会を洞察されるのが巧妙ですね。本質を突いた独創的な言い回しですね。


無限に肥大化する欲望
kk0638
資本主義の下では、人間の欲望が無限に肥大化し続けるのが問題だと思います。仮に個人の欲望の肥大化が止まっても、カネの流れを滞らせないため、モノが大量に作られ、廃棄される。それが「誰のためか」「何のためか」ということが軽視されがちです。環境問題は「地球のため」「生態系のため」などの視点で語られることが多いですが、私は「人間のため」だと思います。人間が生存可能な環境を保つということです。環境が変われば、棲む生物も変わります。このまま環境破壊が進めば、生命力、適応力が優れた生物しか生き残れなくなる可能性もあります。そこに人類の姿はあるのでしょうか。資本主義の下では、欲望は物質的豊かさを求めて無限に肥大化し続けます。一方で、地球環境や資源は有限です。「人間のため」と考えれば、環境問題への対応は不経済なことではありません。しかし、対策のためのコストや利益を優先する点から、真剣に取り組まれてはいないように思います。経済成長を第一とする資本主義の下では、環境問題の解決は難しそうです。

Re:無限に肥大化する欲望
雑草Z
    kk0638さん

 二度目のコメント有難う御座います。

>資本主義の下では、人間の欲望が無限に肥大化し続けるのが問題


そうですね。自由主義経済と言う名の資本主義経済によって、富の限りない所有が認められて、それによって、人間の欲望が無限に肥大化していますね。
『動物の基本的欲』のように生きていく上で必要な欲ではないのですけどね。

>カネの流れを滞らせないため、モノが大量に作られ、廃棄される。

この、経済優先の発想を変えなければ人類は滅んでしまうでしょうね。

>環境問題は「地球のため」「生態系のため」などの視点で語られることが多いですが、私は「人間のため」だと思います。人間が生存可能な環境を保つということです。

そうですね。そして、その為には豊かな生態系を保たなければなりませんね。

>「人間のため」と考えれば、環境問題への対応は不経済なことではありません。

それも一理ありますね。

>経済成長を第一とする資本主義の下では、環境問題の解決は難しそうです。

そうですね。21世紀にもなって経済成長策を本気で論じている現在は、洗脳されて、ドーピングで薬漬けの社会になってしまったと感じるところです。・・この流れを早く止めなければなりませんね。
 

マズローの欲求5段階説を思い出しました。
でなしNo.146
動物が基本的に持っている、食欲、○欲、睡眠欲は満たせば不満は取り除かれます。
そして、一つの個体あたりで限界があります。
食欲はいきなり10倍ものご飯が食べたいとは思いませんし、睡眠欲だって24時間全部寝てる個体はありません。
○欲は若干、微妙なところもありますが、やはり肉体的な限界はありますよね(笑)

しかし、マズローが最後にもってきた自己実現欲求は満たしても次から次へと肥大していきます。

しかも、現代の場合、目標を設定し達成しても、その達成した目標が、自分が本当にやりたかったことではないというケースが多く見受けられるような気がします。

例えば、100万円自由になるお金がほしいと思った人がいて、実際に100万円手に入ると、次は100万円以上を狙いたくなります。
しかし、本当に100万円手に入れたから、自分が考えていたように幸せになっているかというとそうでもない。だから次はもっと大きなお金を手に入れれば幸せになれるだろう…といった感じですかね。


また本来、自己実現欲求は他者から認められたいという気持ちを突き抜けた欲求であり、自分の信じる道を行くという欲求だと思うのですが、経済成長賛成派のほとんどが承認欲求と自己実現欲求の間(どちらかというと、前者の中でも、支配欲、所有欲などが強めですかね…)で、とりあえず金儲けに走っている、という感じがしています。
(金持ちになれば人生のスゴロクが上がりというわけではないんですが…)

経済成長を止めるには、私達が刷り込まれてきたお金をいっぱいもっている=スゴイという意識をさらに薄くしていく必要がありますし、動物的な三大欲求が満たされていれば十分幸せだということを理解しておく必要もありますよね。

余談ですが、100万円より、仲良しな彼女がいる方が何倍も素敵だと思います。

単純に考えても、○欲を満たすために風○に通ったら100万なんてすぐなくなりそうです。
そうなれば、財布も心もさみしいですね^^


農業生産者は悲しい
団塊おやじの遺言
農家を廻って話を聞くと 皆、右向け右なんてすね・・
野菜や果樹は相変わらずに農薬や殺虫剤の使用です
虫の時期ですからね 樹は弱り 土は疲弊・・

焼き肉も脂身の刺しが入っているのが旨いと言う我々
濃厚飼料を船便で海外から輸入し全国の畜産農家が家畜に
与えている 乳が多く出る 太りが早い 誰もが早く金に
したい その餌は本当に安全なのか疑問が???

日数が掛かり腐敗したり ロスを無くする為に使用される
薬剤はかなりの種類になる筈です 本来、草で生きてきたものに
栄養価の高い薬剤入りの飼料が永年に亘り与え続けられている

様々な病気はどこの畜産農家でも この飼料を与えてから発生
それらを薬で抑えてきた 人間の思い上がりでは・・と思う

今、とんでもない しっぺ返しを食らったのは人間たち・・

一部の畜産農家が無農薬の飼料つくりに取り組んで来ている
利益は少ないが 自然の飼い方をすれば 永い事 利益を
生み出してくれる 誰がこのシステムを決めたのか・・
食料は自給自足こそが 必要と思います

Re:農業生産者は悲しい
雑草Z
    団塊おやじの遺言さん

>農家を廻って話を聞くと 皆、右向け右

各農家が、共同でしなければならない事もありますが、大半の農家が国や農協の指導のままにやってきて、現在の酷い状況になってしまった面は大きいですね。
 農薬や化学肥料、農業機械への投資が大き過ぎて赤字になる場合も多々ありますね。

>ロスを無くする為に使用される 薬剤はかなりの種類になる筈

これはかなり酷いようですね。輸入農作物の薬剤添加の現場を見たら、食べる気がなくなるでしょうね。あんなことして大丈夫なのか?・・と言うのが沢山ありますね。

>本来、草で生きてきたものに 栄養価の高い薬剤入りの飼料が永年に亘り与え続けられている

人間の糖尿病のような、過栄養による病気が家畜にも沢山出てきているのではないでしょうか?・・危険な状況でしょうね。

>今、とんでもない しっぺ返しを食らったのは人間たち・・

おっしゃる通りです。これからもっと大変な事がどんどん発生するでしょうね。

>食料は自給自足こそが 必要と思います

地産池消、脱化学農業による自給自足的農業に戻る方向に舵を取るべきですね。

団塊おやじの遺言様のおっしゃられるように

>利益は少ないが 自然の飼い方をすれば 永い事 利益を
生み出してくれる

が現在進むべき方向だと思います。

自己実現欲求という縛り
雑草Z
    でなしNo.146 さん

>マズローの欲求5段階説

と言うのは知りませんでしたが、ここで私の定義した
>動物の基本的欲
が、最低位の「生理的欲求」など、
>人間的上乗せの欲
が最上位の「自己実現の欲求」など
に相当し、その間をさらに細かく欲求を分類した形ですね。

本文にも書きましたが、この最上位の「自己実現の欲求」
が、現代社会では美化されて、「人間として生まれたからには目標とすべきもの」みたいな固定概念が形作られました。
そして実施には必要のないこの目標の為に地球の生態環境が破壊されて、人類が存亡の危機に立たされているのだと思います。

>マズローが最後にもってきた自己実現欲求は満たしても次から次へと肥大していきます。

と言う部分ですね。そして、でなしNo.146がおっしゃる

>現代の場合、目標を設定し達成しても、その達成した目標が、自分が本当にやりたかったことではないというケースが多く見受けられる

 が問題ですね。大して満足出来ない自己実現要求によって、社会環境が破壊されていくと言うどうしようもない事が起きています。

>経済成長賛成派のほとんどが承認欲求と自己実現欲求の間(どちらかというと、前者の中でも、支配欲、所有欲などが強めですかね…)で、とりあえず金儲けに走っている、という感じがしています。

そんな事で金儲けしようとして、失敗すれば落ち込み、成功すれば一時の満足の後、直ぐにさらに儲けようと・・・結局ギャンブルみたいな感覚ですね。

>経済成長を止めるには、私達が刷り込まれてきたお金をいっぱいもっている=スゴイという意識をさらに薄くしていく必要があります

昔から、金儲けに走る事は卑しい・・と言う社会風潮、文化もあった筈ですが、最近のマスコミは、セレブだとか、勝ち組だとか、そんなお金だけで人間の価値を判断するような風潮を助長させている傾向があります。 「本音」とかそういう事ではないのですが、マスコミが軽薄なのでしょうね。


>動物的な三大欲求が満たされていれば十分幸せ

これが基本ですね。

 

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