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2010-05-29 00:02
会津若松市の東山温泉は、古くからの歴史ある温泉地です。

 その、東山温泉には、温泉神社もありますが、ほかに、温泉街に大きな鳥居があり、その先は道を横切って裏山の上まで続く、羽黒山湯上神社があります。
その存在に気付いた去年あたりから、いつかここに登って、神社まで行って確かめてみたいと思っておりました。
雪も融けて暫く経った先日、登って参りました。

 大きな鳥居をくぐって道を横切った先の山への登り口に、石段は1225段、往復1時間・・と記されていました。・・実際写真を撮りながらゆっくり登って約30分で上の神社まで辿りつきました。
石段を数十段上がる度に反対側へ折り曲がるジグザグの道で、途中、石段沿いに観音像などが掘って、番号が付けられていました。ちょっと素人の作のような感じの観音像もありましたが、それはそれで味がありました。
あんまり人が登っていなくて、石段の上に去年の秋の枯れ葉が溜まって、それを掃きとっている方もおりました。


 ↓温泉街にある入り口の表示・・・登った後から見つけて撮影

東山;羽黒山湯上神社1

 ↓大きな鳥居・・・大きなしめ縄にぶら下がっている紐よりも人間のほうが低い
          これも下りてから撮影。
   後ろに見える裏山に石段が続き、上のほうに羽黒山神社があるのです。
   あの裏山全部が鎮守の森でしょうか??

東山;羽黒山湯上神社2


↓二つ目の鳥居の向こう側に、道を挟んで案内板。

東山;羽黒山湯上神社5



東山;羽黒山湯上神社6

 

東山;羽黒山湯上神社7

 ↓道を挟んで、山道の石段を登るとある3つ目の鳥居
 ここから長い山道がジグザグに続く

東山;羽黒山湯上神社8

 長い石段が続く・・・

東山;羽黒山湯上神社9



東山;羽黒山湯上神社11

 観音像に番号が書いてある。20ヶ所くらいはあったような・・
旅館の名前が書いてあったりするから、温泉街の寄贈かも知れない。

東山;羽黒山湯上神社12

石段はまだまだ続く・・・

東山;羽黒山湯上神社13



東山;羽黒山湯上神社14

 身代わり観音

東山;羽黒山湯上神社15

 ↓最初の祠・・・まだ本殿ではない。

東山;羽黒山湯上神社16

 ↓さらに暫く行くと本殿が見える。
  右側は手水舎

東山;羽黒山湯上神社17




東山;羽黒山湯上神社18

 入り口の扉が鍵が閉まっていなかったので、開けてみる。

東山;羽黒山湯上神社19

 中はこうなっているのです。
  使わないときは奇麗に白い布で覆ってある。
 賽銭箱がやたらと大きい。

東山;羽黒山湯上神社20

 ↓さらに裏山の4つに枝分かれした珍しい木

東山;羽黒山湯上神社21

 ↓下り道で、木の間の下の方に温泉街を臨む。

東山;羽黒山湯上神社23

 ↓冬の倒木と思われるこんな木の下もくぐりました。

CA331075.jpg



   2010年 5月15日土曜日夕方撮影


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【2010/05/29 00:02】 | 森林木のある風景 トラックバック(0) |

味がありますね^^
でなしNo.146
東山の奥にこのような場所があるとは思いませんでした。

清浄な気配や、あやしい雰囲気も伝わってくる写真も、素敵です^^

仏都会津と言われるようですから、探索してみるとかなりたくさんこういう場所が残されているのでしょうね!

ちょっとしたお寺好きの私としては、一度行ってみたくなりました。

裏山の奥の高いところにある神社
雑草Z
    でなしNo.146さん

>清浄な気配や、あやしい雰囲気

そうなんですよ。あんまり人が歩いていないで、石段には冬を越したと思われる枯れ葉が溜まっていて、ところどころにある観音像などは、下手な感じもあって、ほどほどに荒れた感じもいいです。

>ちょっとしたお寺好きの私としては、一度行ってみたくなりました。

是非機会があればおススメです。山寺の荒れ寺・・・って感じです。でも、一応神道の神社ですよ!!お寺ではありません。・・・と言いつつ、観音像などもありましたから神仏混合でしょうか?

>仏都会津と言われるようですから、

そうなんですね!?

>探索してみるとかなりたくさんこういう場所が残されているのでしょうね!

そうですね。昨年からどんどん見つけています。まだまだ沢山あるようで楽しみです。

会津
上々
地図で見ると会津若松市街から近くのようですが、こんな山奥のようなところがあるんですね。
羽黒山湯上神社と言うのは調べてみたら東京にも末寺があるようで驚きました。
出羽三山の羽黒山とは関係がないのでしょうか。

会津は直ぐに奥深い山がある。
雑草Z
    上々さん

 会津若松市は会津盆地内にあり、人口も十数万で、山に囲まれた地方都市です。特に東側は直ぐに山になります。・・その為、会津若松市内では、東の方向へ行く事を「上る」といいます。
 ネットの地図で見ると温泉街から続く長いジグザグの石段が分かりますね・・本当に長い感じです。
 石段の写真はもっと沢山撮りましたが、似たような風景が延々と続くので、あまり載せませんでした。


>出羽三山の羽黒山とは関係がないのでしょうか。

あるような感じもしますが、見当もつきません。それこそ上々さんに教えて戴きたいところです(・・当方が地元なのですがね・・・汗)

 


 

若松
上々
会津方面にはまったく土地勘がありませんので、なんとなく猪苗代湖からそのまま会津若松につながっているかのような気がしておりました。
その間に結構高い山があるんですね。

今、Google Earthでどのように見えるかを試してみました。
本当に便利になったものです。

土地勘
雑草Z
    上々さん

 殆ど行った事もない遠くの土地勘はなくて当然ですね。
私も九州でも長野県でも、どの市一つとして土地勘は全くありません。それに対して、上々さんの

>なんとなく猪苗代湖からそのまま会津若松につながっているかのような気がしておりました。

は、あながち間違いでもありません。猪苗代湖の北側を走る国道49号線などは、猪苗代湖から会津若松市内までは下って行くだけです。(標高差300~400mくらい)

 ちなみに猪苗代湖はおよそ、北半分が猪苗代町、南半分の東側が郡山市、西側が会津若松市です。

猪苗代湖と会津若松市内の間には(北部を除く)、東山などの山が連なっていますが、その代表が背炙山(せあぶりやま)です。名前も凄いですね。羽黒山神社の裏山からも見えまして、写真も撮りましたが、記事にはアップしませんでした。

 神社が結構しっかり記載されているMAPPLE地図を見ると、猪苗代湖の周りにも神社が結構あるので、そのうちいくつかを今年中に訪れてみようかと思います。

 石川県の金沢方面も結構沢山神社がありそうですね。熊本と比べてどうですか?

神社
上々
石川県には白山神社の本社の白山比(しらやまひめ)神社、以前に話題にした能登一之宮の気多大社を筆頭に、数多くの神社があります。
今住んでいるのは金沢市の隣町ですが、近くには日吉神社あり、八幡神社あり、大変な数です。
やはり、非常に歴史が古いところですので、そのためでしょうか。
熊本ももちろん古くから開けたところで、阿蘇神社系列など多いのですが、八代平野は干拓地で江戸時代以降に開けたところですので、数は少ないようです。
また、浄土真宗の門徒が非常に多い土地柄ですので、その影響もあるのかもしれません。

Re:神社
雑草Z
    上々さん

 伝統があって素敵なところにお住まいですね。
私は北陸には行った事がありません。昔から行ってみたいと思っていたのですが・・・
 金沢あたりは是非一度訪れたいなと思っています。
上々さんは、石川県に来られてまだそんなに経っていなかったと思いますが、冬の寒さを考えなければ、なかなかいいところに住んでいらっしゃる感じでしょうか?

>白山比(しらやまひめ)神社

なんて名前は全く聞いた事もありませんでした。


>干拓地で江戸時代以降に開けたところですので、数は少ないようです。

なるほど、今残っている神社の多くも江戸時代以前からあったと言う事でしょうか?

神仏混合が広く行われていても、やはり仏教が強い地域では、神社が少ないものでしょうか?




白山
上々
石川県に来るまでは白山についてもあまり知りませんでしたが、夏近くなっても積雪が残り、平野から見てもなかなか神々しい山で、信仰を集めたのも当然かなと思います。
北陸中部を中心に2000社以上の白山神社というのがあるそうで、一応現在はその総本社となっているようです。
東京の文京区白山というのもなじみのある場所ですが、そこも元は白山神社から名前が来ているそうです。

たまたま昨年秋に白山比め神社も訪れることがあったのですが、杉の巨木が茂る林の中の社でした。
すぐそばに加賀一の宮という北陸鉄道(ローカル私鉄)の駅があったのですが、鶴来と言う駅からそこまでの区間は初詣シーズン以外は一日数十人と言う客数だったために昨年末に廃止になってしまいました。
ちなみに、北陸鉄道石川線(金沢市野町駅から白山市鶴来駅まで)には昔東急や京王帝都で走っていた電車が走っており、鉄道ファンには嬉しいところです。井の頭線で走っていた電車もあるようで、大学時代の通学電車でした。

なお、熊本県八代平野の干拓は江戸時代もさることながら、明治以降も広く行われ、最後の干拓地入植は昭和も戦後になってからです。すでに神仏習合が終わった後になったせいかもしれません。

北陸と神社
雑草Z
    上々さん

「白山」と言う名前からの印象通り、白山と言うと、全体が真っ白の三角形の山の写真が直ぐに思い浮かびます。 なるほど、白山自体が神々しい感じで信仰の対象として、ふさわしい姿なわけですね。

>北陸中部を中心に2000社以上の白山神社というのがある

それは凄い数ですね。会津では見掛けた記憶が御座いません。

>杉の巨木が茂る林の中の社でした。

おお、それはいい感じですね。北陸石川県は是非訪れてみたいです。
 能登半島にも古い神社が多くありそうですね。


>昔東急や京王帝都で走っていた電車が走っており、鉄道ファンには嬉しいところ

古い車両が再利用されていると言う事ですか!?大学時代の通学電車にそんな遠くの地でまた乗れるなんて、セピア色のノスタルジーが蘇りますね。素敵です。

>最後の干拓地入植は昭和も戦後になってからです。

 なるほど、そのような土地なら神社も少なくて当然かもしれません。

 冬は寒くて雪の降り積る「裏日本」の北陸ですが、なかなか素敵なところですね。
 
 私は最近は旅行はあまりしませんが、する時も東北地方中心です。(東北が好きです。)でも、北陸は是非行きたくなりました。私の住む会津地方からだと新潟県を回って行くのが近いようです。

 



 

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2010-05-25 00:03
有限の地球で、無限の経済成長を続ける事は無理である事は当然の事です。現在、人口も経済レベル(GNP)も十分に膨らみ過ぎて、近い将来、経済は望むと望まざるとに関わらず、縮小せざるを得なくなるでしょう。経済成長をしようと対策を練って、あがきながら制御出来ずに縮小していく場合には、大混乱が起こるでしょう。それこそ文明崩壊レベルでしょう。このまま自動的に崩壊が始まるまで成長路線を進む事が一番愚かな選択肢ですが、現在の世界はその最も愚かな選択肢を選んでいます・・いつになったら気付くのでしょう?。
 経済成長主義の過ちに気付いて、人類自らの意思で、経済を縮小していく場合には、しっかりと文明が生き残る可能性も高いでしょう。

・・・その経済縮小の試算をしてみましょう・・・・
 環境負荷を 経済規模=GDP にほぼ比例すると考えて試算してみます。

 例えば、地球の環境再生回復能力を年間 a
現在の地球に対する環境負荷を年間 2a とします。
つまり、現在の地球の環境負荷は、地球の再生能力の2倍と考える訳です。(もっと詳しくやるのなら、環境負荷の部分も再生可能な部分と不可能な部分があるから区別するほうが良いでしょう。・・しかし、複雑にしても焦点がぼやけますので、今回はこの単純な仮定で押し通します。

例えば、現在は、差し引き、年間  2a - a = a  だけ環境が悪くなっていくと考えるのです。(・・この差し引きが持続可能な限界を超えた・・と言われる部分です。)

環境負荷が100aになったらゲームオーバー、つまり、地球環境が再生不可能になり、ガイア地球が死んでしまう・・即ち地球上の人類を含む生き物が死滅してしまうと考えましょう。もしくはそこまででなくとも、人類が生存出来ない環境になってしまうと考えてもいいかと思います。地球環境崩壊トリガーとでも呼びましょう。つまり、地球環境崩壊トリガーとは、この値まで環境負荷のストックが溜まれば、カタストロフィーが始まり、崩壊が止められなくなってくる値とでも定義しましょう。(実際は、もう、100aなんて残ってないかも知れません。)


 経済成長率を年3%として計算してみます。(方程式を立てても解けない方程式なので、数値を代入して調べました。 )
 38年後の環境負荷は、6.15aで、現在の2a のほぼ3倍にもなります。これが指数関数の恐ろしいところです。
 38年後までの環境負荷の合計は138.3aで、回復する分は38aですから、差し引き100aを超えてゲームオーバーになります。つまり38年で人類は絶滅と言う事です。



 次に 、経済縮小の合意に達し、経済縮小政策を始めると仮定致します。
 これから年3パーセントで経済を縮小させていくと考えます。
すると、23年後の一年間の環境負荷は、0.99aで、地球の再生回復能力aを下回り、これ以降環境は回復していく事になります。・・つまり、ここで人類は持続可能な経済レベルまで落とすのに成功した・・・と言える事になるでしょう。・・
 この23年後までの環境負荷の合計は、33.57a で、回復する分の23aを引くと、およそ10aとなります。つまり現在の地球の残された余裕の10%程度までしか環境を荒らさずに、それ以降環境は回復していくと言う事です。・・でも、年間 3%縮小しても、現在の年間の10倍の環境破壊まで達すると考えると、それもなかなか大変です・・他の条件は変えずに地球環境崩壊トリガーだけを 10a 以下にすると、23年以内に地球環境が崩壊し、人類が生存出来ない環境になってしまうと言う事です。・・その可能性も小さくないと考えます。
 さて、さらに計算を続けると、54年後の環境負荷は、0.19a で現在の5分の1くらいになります。
54年後までの環境負荷の合計が、53.79a で、それまでの環境回復54aとほぼ同じくなります。
これは、54年後にやっと現在の環境破壊レベルまで回復すると言う事です。 ・・経済縮小しても、道のりは遠いと言う事でしょう。
 まとめますと、この条件の試算では、年間3パーセントずつ経済縮小して行くと、23年までは環境負荷は増えて行き、10a になります。それから環境は回復をはじめ、54年後に現在のレベルまで回復し、それ以降もっと環境はよくなっていく・・・と言う事です。

 以上の簡単な試算でも分かるように、成長率が+3% と -3%では、雲泥の差が生じますね。
因みに年3%の増加で環境負荷が増える場合、環境負荷と回復の差し引きの値が環境トリガー 100a を超える38年後の1年間の環境負荷はおよそ6aでしたが
 逆に、年3%で経済縮小する場合、38年後は、年間の環境負荷はおよそ0.6aになり、年3%の増加の場合と比べて、10分の1です。環境負荷と回復の差し引きは、8aほどです。地球環境崩壊トリガーの8%ほどです。十分に余裕がある事になります。

 早急に経済成長を止めて、経済縮小を始めれば、文明崩壊を免れる可能性があると言う事です。・・若干希望の持てる試算結果になりました。

勿論、あくまでこれは一つの試算例です。成長率がマイナスになると崩壊までの時間が長くなり、地球環境崩壊トリガーに至らずに持続可能な社会を築く事が可能だと言う事で、その希望もあると言う試算例です。勿論要因はもっと沢山有り複雑でしょう。単純化し過ぎましたが、年3%の経済成長と経済縮小では、これほど大きな違いがあると言う事です。
 ここで論じている事は、世界中の大部分の経済人や経済学者が言うように、経済成長すれば、社会は幸福になる・・・と言うのとはまるっきり正反対です。経済成長は破滅への道であり、経済を縮小して行けば、持続可能な社会にランディング出来る可能性があると言う試算例です。

 用いた仮定や数値がかなりアバウトで、定量的な事は信頼出来る筈も御座いませんが、(・・でも信頼出来なそうな値ではないように感じます・・)定性的な本質的な事は結構説明出来ていると思います。

これ以上のシミュレーションを色々なパラメータを用いて計算する事もそれはそれで意味はあるでしょうけれど、基本的な事はこれでも十分感じ取れるでしょう。
 一刻も早く  経済縮小政策=環境負荷縮小政策  に同意して、経済縮小を始めれば、崩壊を免れる事が出来る可能性が高まるのです。

経済発展して、環境負荷を地球にかけている場合ではないのです。
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【2010/05/25 00:03】 | Sustainability トラックバック(0) |

はじめまして!
仙田
自然の摂理は最強と最近思いました。
自然の摂理に逆らって持続できるものはないかなと。。。
おからさんのブログから来ました。
新潟で「降りてゆく生き方」の上映をしている者です。
いつか観てくださいね。
新潟でもそのうちあると思います。


雑草Z
    仙田さん

「降りてゆく生き方」

と言う映画は多少興味がありましたし、新潟なら近くていいかとも思いました。あなたの自然の摂理に対する拘りも伝わりました。

 ただ、おからさんは、わざわざ昔の関連記事を探してコメントを下さいましたが、あなたのようにあまり関連のない(少し関連ありますが・・)最新記事に、「はじめまして!」と書かれて記事の内容とは別の宣伝文だけ書かれてもね・・。機会があれば・・とも思いましたが、ちょっとその気も失せました。
 

森林面積
guyver1092
 過去に森林の消失に焦点をあててコメントしたことがありますが、あまり変わらない結果ですね。指数関数的な経済成長を有限の地球上ですると、何を焦点にして考えても大して違わない結果になるのでしょうね。
 対策は、江戸時代と同じく、倹約(マイナス成長)と、更新世資源の回復といったところでしょうね。現代なら何が最も必要かということを理論的に数値化できるので、江戸時代よりも環境を早く回復させることは能力的にはあるでしょうが、実行に移すという点では、あまり期待できないですね。
 理由は相変わらず選挙となると、候補の口から出る言葉は、経済成長一本槍で、環境を主張するものは泡沫候補にもいないということです。
 日本の定員削減が始まったら、こういう人々から削減対象にしてもらいたいと思います。

関連のないコメント
仙田
コメントは、その記事に対してのものですものね。
伝えたいメッセージを関連の少ない記事に対してしてしまって失礼いたしました。


『降りてゆく』の意味
雑草Z
    仙田さん

 そうですね。ここのコメント欄は記事に関してのコメント及び、そのお返事の欄です。
 記事に関してのコメントの後に、ついでに別の事を書くのなら有りかも知れませんが、他の宣伝等のみのコメントなどはお断り致します。

 この地球上でこの人口でこの経済規模ならば、これからは、望む望まざるに関らず、殆どの人が、降りてゆく生き方をしなければならないでしょうね。
そう言う意味でここのサイトの主題と「降りてゆく生き方」は通じるものがありますね。
 まあ映画を見ていないので何とも言えませんが、『降りてゆく』の意味が、脱経済成長などを意味すると考えた場合です。・・・

>倹約(マイナス成長)と、更新世資源の回復
雑草Z
    guyver1092さん

>指数関数的な経済成長を有限の地球上ですると、何を焦点にして考えても大して違わない結果になる

その通りですね。単純な等比数列として考えても、スーパーコンピューターを使った二酸化炭素温暖化説の脅威よりも、ずっと遥かに脅威です。

>対策は、江戸時代と同じく、倹約(マイナス成長)と、更新世資源の回復といったところ

そうですね。それが大切なのに、全く逆効果の事しかしていない現代社会の各国政府です。

>候補の口から出る言葉は、経済成長一本槍で、環境を主張するものは泡沫候補にもいない

・・・いや、泡沫候補ではそろそろ出てきてますよ・・・地方自治体レベルでは・・・
でもまあ、今になっても
 経済成長戦略なんてばかり言っている人類は本当に愚かな存在なのでしょうか?? 

泡沫候補
guyver1092
 地方のレベルでは泡沫候補の中にいたのですか。私の近くでは、そのような主張を聞いたことはありません。
 私の近くは遅れているようですね。まあ日本の平均かもしれませんが。

当選者もいますよ。
雑草Z
    guyver1092さん

 私の近くの選挙区にもいませんが、政治参加を目指している脱成長を掲げる「緑の党」系の団体が日本にも存在します。・・泡沫候補・・と呼ぶのは失礼かと思います。
そして、その中から何人かが当選して地方議会の議員をしていますよ。
 地方選挙だけでなく、前回の国の参議院選挙にも1人立候補して、初当選致しました。・・・しかし彼は当選するとすぐに、その団体を脱退してしまいましたので、彼が「緑の党」系の団体に支援されて参議院議員になった事を知っている人は少ないようです。

頭がゲームオーバーです。
BEM
今回の試算は私には難しくて思考停止してしまいました(笑)

このままの経済成長が続いて人類が生存できない環境となる・・・。
現実的に考えると人間ってかなりしぶといものだから、どれだけ過酷な環境になったとしても数百年、数千年単位で絶滅することはないような気がします。
絶滅して欲しいのは現在の経済至上主義なんて人達なんですが。

ノギャルだとか、ケバケバな女の子達が農作業を体験しているとかありますが、妻に言わすと男以上に女は逞しいとか。
開拓の村に行った時、養蚕の様子を展示しているものを見ていた若い女性が「絶対ムリー!」と言って出てってしまいました。

数字だけを動かして儲けようとしている人間はどれだけの変化に耐えられるでしょうか。庶民は草を食べてでも結構生き抜くかもしれませんよ♪

失礼しました
guyver1092
 そうですね。失礼なことをしてしまいました。
 地方議員で当選している人もいるのですか! 国政に出て当選した人はなぜすぐにやめてしまったのでしょうか。
 絶対数ではまだまだ足りないですが、この傾向が進めばよいですね。

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2010-05-21 00:02
人間は、どんなに素晴らしいものに対しても、長く使っているうちに慣れるものです。・・いや、大して長く使わなくても、結構早く、数日で慣れてしまうものです。
どんなに文明の利器を開発して利便性を追及しても、慣れてしまうのです。そして、パーキンソンの法則よろしく、発明された文明の利器を目いっぱい使う事を工夫して(・・実は「工夫」と言う名の「無駄」)それが日常生活になっていくのです。そして、現在一時的に色々な物がどんどん手に入るから、打ち上げ花火のように、物を浪費しているだけです。

 お風呂を例に考えています。・・・「文明の利器」なんて呼べる程のものではありませんが・・・
薪を燃やして燃料に使っていた頃は、普通の一般家庭で、入浴は2~3日に一度でした。ガスで沸かす風呂が出来て、次第に毎日入浴する習慣になりました。そしてシャワーが出現して、朝シャンなんてお馬鹿な習慣も現れました。シャワーを浴びるのもお風呂の使用と考えると、一日に複数回お風呂を使用する人々が沢山出現しました。ドーピングと考えていいでしょう。根底には極端な清潔症などがあるようです。
では、一日複数回お風呂に入っていた人が、また2~3日に一度の入浴に戻るのは無理か・・・と言われればそんな事は無いでしょう。登山などで、2~3日山小屋やテント生活して風呂に入らなかった経験が何度かありますが、なんて事はありません。3日ぶりくらいに入るお風呂は気持ちのいいもので、感動があります。(・・それが山の温泉ならまた格別です。・・関係ありませんが・・)状況がそうなれば、2~3日に一度のお風呂の生活何て直ぐに慣れるものでしょう。

自家用車、電子レンジ、・・・みんなそんなものでしょう。・・まあ、携帯電話やパソコンのドーピングにはどっぷり浸かってしまった人が多いので(私もです。)なかなか抜くわけにはいかないと感じるかも知れませんが、それだって、そういう状況になれば、案外簡単に抜けるものでしょう。
そして、肝心な事は、そのような状況は早晩必ず来ると言う事です。例えば、消耗品である自家用車を現在のような状態で使って行く事は不可能でしょう。燃料の石油も有限ですし、材料の地下資源も有限です。共に枯渇に向かっています。ハイブリッドカーにしようが、燃料電池車にしようが、電気自動車にしようが、状況は変わりません。・・いや、かえって資源を浪費する可能性が高いのです。
エコロジカル・フットプリントが持続可能な限界を超えてしまった現在、望む望まざるに関らず、人類はある程度まで利便性を抜いて行かざるを得ない状況です。それに気付いている人が少ないのか、または経済界が口封じしているだけでしょう。
「文明の利器」と言うドーピングを続け、どんどん開発して慣れて行き、持続不可能になって滅びていくより、どんどん文明の利器を抜いて行って慣れて、十分に持続可能なレベルで社会を構築した方が人類ははっぴいに違いありません。経済成長なんてふざけた破滅への思想は早急に脱却しなければならないでしょう。

 これからの社会は利便性の追求ではなく、人間が慣れる事が出来るレベルまで文明の利器を如何に抜いて行くかを考える時代にシフトして行く事になるでしょう。
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【2010/05/21 00:02】 | Sustainability トラックバック(0) |


おから
一日一回ですが、いつの頃からか、毎日入るようになりました。
一日でも入らないと、なんだか、身体や、頭がかゆくなってくるような気がします。
毎日の入浴中、マッサージローラで、コロコロしてますが、そのおかげで、腰痛もかなり楽になりましたが、雑草さんのブログを読んでいると、考えさせられることが多いですね。


お風呂はドーピングか・・?
雑草Z
    おからさん

また、違う記事へのコメント有難う御座います。

>一日でも入らないと、なんだか、身体や、頭がかゆくなってくるような気がします。

便利な生活に慣れてしまったのですね。・・・私流に言うと、ドーピングされてしまったと言う事になります。
 私も現代社会に色々ドーピングされていますが、今の人口でのこの物質消費レベルでは、持続出来ずに破局へ突き進んでいる事が問題ですね。
 望むと望まざるとに関らず、世界中の先進国と自惚れている人々の今の生活は維持出来ないのですから、ドーピングは抜いて行くしかないですね。
・・・かと言って、お風呂がどれほどのドーピングか・・?と問われれば、場合にも依りますが、あまり大した事が無いとも言えなくもないですね。・・温泉の出るところに住んでいる人は、一日何度入っても、お湯の浪費にはなりませんし・・(かえって有効利用かな・・?)

できるだけ早いほうがよい
guyver1092
 現在の環境、資源の制約が限界に近い今、できるだけ早くから、贅沢ができなくなる時代を考えに入れて、経済縮小していくべきでしょうね。
 江戸時代の元禄のころの倹約令を参考にすべきでしょうね。

Re:できるだけ早いほうがよい
雑草Z
    guyver1092さん

 そうなんですよね。あんまり猶予はありませんね。
人間が自らの意思で経済縮小しなければ、制御不可な文明崩壊が始まるでしょうね。
 これから、年に数%ずつ経済縮小しても間に合わないかも知れません・・・その簡単な試算を次回アップ致しますので、guyver1092様のコメント、是非お待ち致しております。

風呂
上々
最近は毎日入るのが普通になりましたけれど、50年近く前、母の実家に行くと薪で焚く五右衛門風呂だったですが、毎日などは贅沢と言われ、2-3日に一度だったですね。

昨年より単身赴任の一人暮らしになったのですが、風呂が追い焚きできない構造で、毎回お湯を捨てることになり、もったいないので冬場は2日に1度にしました。
まあ、結構慣れるもんであまり気にならなくなりました。
(周囲の人は気がついたかどうか)

昔のヨーロッパでは労働者階級はほとんど風呂には入らなかったとのことですので、大丈夫なのかも。


岩蔵テルテル
お久しぶりです。おかげさまでTK大学1年生になってます(笑)

私は現在19歳ですが、テレビなどでも言われているように「最近の若者はクルマに興味が無い」というのは、私を含めて事実だと感じています。
友人などの間でも、旅行やアウトドアなど、必要な時にレンタカーすれば十分という意見が多数派です。クルマの個人所有が当たり前の時代は、そう長く続かないと思いますよ。

高度成長期やバブル期のような「派手な便利さ」が無くても、IT系の発達によりそこそこの便利さで楽しむことを私たちの世代は分かりかけているように思えます。確かに両方ドーピングではありますが、パソコンやネット文明を維持させるくらいの資源なら、大切に有効に使えば200年以上はあるのではないでしょうかね。


少し気になったことですが

>昔のヨーロッパでは労働者階級はほとんど風呂には入らなかったとのことですので、大丈夫なのかも。

とのコメントがありましたが、昔のヨーロッパの労働者階級の衛生状態は大変悪かったため、結核などの病気が蔓延していたという話を聞いたこともあります。決して大丈夫ではなかったのではないかと思います。(少なくとも私はダメです。毎日風呂は欠かせませんw)

Re:風呂
雑草Z
    上々さん

 50年前と比べ、人口も増え、1人あたりの資源やエネルギーの消費量も目に見えて増えて、持続可能性はますます遠のいて行きますね。
 風呂一つ考えても、薪と石油のどちらを使うのが環境負荷が少ないかは別としても、水とエネルギーの消費量はどんどん増えてきたわけです。
 一日複数回は入らないまでも(・・温泉では複数回入りますが・・笑)一日一回が普通になってしまいましたね。


>毎回お湯を捨てることになり、もったいないので冬場は2日に1度にしました。

このような感覚は結構大切だと思います。確かに冬場も毎日お風呂に入りたくなりますが、・・熱いお湯で温まって寝るのはいい気持ちですが・・激しい運動でもしない限り、一日おきでも十分でしょうね。

 これこそ「慣れ」でしょうね。
 現代社会のドーピングを考える上でお風呂の例は、適してましたね。

 日本でも海外でも、昔の人はそんなにお風呂に入らなかったのではないでしょうか?それに慣れると十分平気になるのでしょうね!

 それに、お風呂が無くても簡単に川で行水が出来たでしょうね。・・・ある意味今より贅沢です。

 

>ドーピングのレベル
雑草Z
    岩蔵テルテルさん


>「最近の若者はクルマに興味が無い」というのは、私を含めて事実だと感じています。

そうなんですよね。数年前にその話を耳にした時、不思議な感じが致しましたが、とってもいい傾向ですね。
 日本の車メーカーも若者の車離れ対策に躍起になっていますね。・・・エコ替えよりも十分にエコなのですけどね(笑)

>パソコンやネット文明を維持させるくらいの資源なら、大切に有効に使えば200年以上はあるのではないでしょうかね。

それは人口規模にもよりますが、200年で枯渇するならそれはそれで問題です。


>昔のヨーロッパの労働者階級の衛生状態は大変悪かったため、結核などの病気が蔓延していたという話を聞いたこともあります。

これが事実だとしても、お風呂の習慣よりも、トイレとかの問題のほうが大きかったのではないでしょうか?

>少なくとも私はダメです。毎日風呂は欠かせません

おおっ!・・現代人のスタンダードにドーピングされてますね?(笑)
いざ、断水したり、植物観察に(・・確か趣味でしたよね・・?)山に泊まり込んでみたりすると結構平気なものですよ!


 *  ***    *****      *******

 御久し振りのコメント有難う御座います。大学では何を専攻するお積りでしょう?

 


岩蔵テルテル
>200年で枯渇するならそれはそれで問題です。
石油は200年程度かもしれませんが、天然ガスは地球の脱ガス作用により、ほぼ無限に近く産出し続けるという説もあります。
資源が枯渇するならそれまでで諦めるしかありませんが、枯渇しない場合、際限なく汚染がまき散らされる恐れがあるので、そちらのほうが怖い気がします。
どちらにせよ、ドーピングのレベルを段階的に下げていく方法を早急に考案しなければならないことに変わりはありませんけどね。

石油について、ネタですがこんなブログ記事も見つけました↓
http://d.hatena.ne.jp/goito-mineral/20100325
こちらの記事と比較してみていると何が幸福で何が不幸だか、考えさせられます。。。


>お風呂の習慣よりも、トイレとかの問題のほうが大きかったのではないでしょうか?
言われてみれば確かにそうですね。
でも、毎日工場労働してまったく風呂に入らないというのはいかがなものかとも思いますし、たまには風呂に入って体温を上げたほうが健康にいいとも言いますし。。。


>断水したり、植物観察に(・・確か趣味でしたね・・?)山に泊まり込んでみたりすると結構平気なものですよ!
ええ、何度かキャンプや林間学校で2,3日風呂なしの生活を経験したりしてます。髪がゴワゴワになるとか、汗臭くなるとか、問題が無いわけじゃないですが、みんなが同じ状況なら結構何とかなりましたね(笑) まぁ、東京に住んでいるとそうもいきませんけど。


* *** ***** *******
大学の学科振り分けは2年進学時ですが、地球科学を学ぶつもりです。もともと鉱物や岩石に興味がありましたし、TK大には例の件(笑)で一般の方にもすっかり有名になったM教授などもいますので。


天然ガスピーク
上々
アメリカではすでに天然ガス生産も減少していると言う話もあり、天然ガスの生産量減少は気体のためか石油よりも急激のようです。
天然ガスは石油よりは長く持つという期待があったのですが、どうやらそうも行かないようです。

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2010-05-17 00:02
 石油可採年数は何度も訂正されてきました。1960年代に、「石油は30年で枯渇する」と言われていましたが、それから半世紀以上経っても石油は枯渇していません。しかし、たとえ石油が無機起源だとしても、埋蔵量は有限で、消費を続ければいつか枯渇するでしょう。
 現在、そのいつか枯渇するであろう石油に人間社会はどっぷりとドーピングされてしまいました。
石油は、エネルギー資源としては勿論の事、(石油化学)製品の原料として広く使われています。現在の産業界で、全く石油を使わない業界を探す事は不可能に近いでしょう。農業にも大量の石油が使われています。そう、近年の農業生産の増加は、石油による、持続不可能な一時的な大増産です。遠距離大量輸送を可能にしたのも石油であるし、都会にこれだけ集中して住む事が出来るのも石油あっての事でしょう。現在、石油の代替エネルギーの開発さえも、石油が無ければお手上げの状態です。そして、経済成長も石油あってのお話になっています。はじめから石油が無ければ、現在の世界のGDPは一桁レベルで現在よりも小さかったと思いますし、世界の人口も一桁レベルで少なかったのではないでしょうか?


 人類は、近年、【パンドラの箱】、石油の扉を開けてしまい、石油漬けになってしまったのです。現在のエネルギー消費レベルを維持して、他の代替エネルギーシステムに移行する事はほぼ無理でしょう。

 そして、このままの状態で(・・実際には更に経済が成長して・・)石油が枯渇して行けば、現代社会の様々なシステムが維持出来なくなるでしょう。・・・そう、様々な文明のシステムが壊れ、至る所で社会混乱が起こるでしょう。様々な施設、設備が廃墟となり、荒んでいくでしょう。つまり、文明崩壊に近い状態を引き起こすでしょう。
 石油文明のつけ・・は現在、人類に重くのしかかってきているのです。人類は背負い切れないような重荷を背負って行かなければならないのです。

これに対処する手段は、一つだけでしょう・・・少なくとも私はそれしか思いつきません。
それは、敢えて自ら、システムを縮小するのです。・・・経済縮小です。

これからの時代、いかに経済を縮小していくかを第一に論じるべきで、他の事に取り組んでいる余裕はありません。まして、経済成長の方策を練るなどと言う事は、逆効果であり、「ふざけた愚行」と言うべきでしょう。
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【2010/05/17 00:02】 | 都市/文明 トラックバック(0) |

石油文明の付けは大き過ぎて・・・
ワタル
石油ピークを言う人は多い。だが、石油の需給量や無機起源も含め埋蔵量など、従って今後の経済も現状維持できるのか、長期低減かあるいは急激な混乱かもよくわからない。
これまでの石油危機、温暖化騒ぎ、金融経済危機などと経済成長、石油需要などを並べてみると、意外と資源制約が基調にあるような気がしてくるのだが、これもよくわからない。
精神論も必要だが要注意でもあるだろう。



石油生産コスト
上々
石油ピークを信じたがらない人でも石油の生産コストがどんどん上がっているのは理解できるでしょう。
昔の油田は油層までパイプが届けば自噴して原油が噴き出してきた。
それが今では、汲み上げ装置が壊れてメキシコ湾に原油を撒き散らしている事故が示すように、多大なコスト(エネルギー・貨幣両方とも)を費やして掘り上げなければいけません。

あと半分か、これまで使用量の2倍あるかと言っても、このようなコストを計算に入れなければ残余数量が変わってきます。
完全にコストを無視してとにかく石油分がどのくらい残っているかと言えばこれまで使った分の10倍以上というのも間違いではありません。
しかし、その最後の方では使う量より掘り出すためのコストの方がはるかに大きくなるでしょう。

とにかく、これから先は石油にかかる費用がどんどん高くなっていくということ、それが石油ピーク論の本質です。

なお、無機生成論というのもありますが、それが本当かどうかはここでは問わないとしても、現在まで枯渇していった油田がみるみる間に再生してきたという例はない以上、少なくとも短時間で生成するものではないのは間違いなく、結局当面の石油需要という問題に対しては何の意味もないことは確かです。

不確実さはかなりありますね。
雑草Z
    ワタルさん


>だが、石油の需給量や無機起源も含め埋蔵量など、

このあとに、「よくわからない」とか「不確実である」とかを書き落とした・・と考えて宜しいでしょうか?

それならば、確かに、未来予想なんて不確実な事だらけで、はっきり予測は出来ませんが、

>今後の経済も現状維持できるのか

は地球の有限性を考えれば無理でしょう。

>精神論も必要だが要注意でもあるだろう。

これは、記事に対してではありませんね?・・記事では精神論は論じていませんから。

コメント全体に、 ちょっと、いいたい事が伝わらない部分があります。主張もよく分かりません。
 「これからどうなるかはよく分からない」と言う事でしょうか??

 次の上々さんのコメントも、かなり参考になると思います。

石油も有限
雑草Z
    上々さん

 このあたりは上々さんの得意とされる分野ですね。

今回のコメントは、先のワタル氏にもお答えになっている・・と考えて宜しいですね?

>これから先は石油にかかる費用がどんどん高くなっていくということ、それが石油ピーク論の本質です。

なるほど、上々さんが前々からおっしゃっていらっしゃるところですね。

>現在まで枯渇していった油田がみるみる間に再生してきたという例はない以上

枯渇していった油田に石油が溜まっていた・・と言う例はあるようです。ネットで読んだ事もありますし、最近知りあった方もおっしゃってました。
 しかし、隣の油田から漏れて来た・・と言う可能性もありますね(笑)。
上々さんのおっしゃるように

>結局当面の石油需要という問題に対しては何の意味もないことは確か

だと思います。私も本文に書きましたように、無機起源だろうが有限ですね。地球内部で石油が作られているとしても、そのエネルギーと材料は必要なわけで、エネルギー保存則とエントロピーの法則から考えても、石油が地球内部で作られ続ける事は無いでしょうね。

油田
上々
石井吉徳先生も繰り返し書かれているように、地下の油田と言うものはステンレスの地下タンクのようなものが埋まっているのではなく、多孔質の岩盤に油分がしみ込んでいるようなものです。
したがって、油層の圧力が一定以下に下がり採掘不能となった場合でも残りの油分が徐々に浸み出してきて溜まってくると言うことはあり得る話です。
それが無機生成説の論拠とはならないでしょう。

とにかく、現在の石油使用量は大変なもので、一年で中程度の油田地帯を使ってしまうほどのものです。わずかずつ無機から生成したところで、間に合うわけがありません。

Re:油田
雑草Z
    上々さん

 流石、ピークオイルにはお詳しいですね。

>残りの油分が徐々に浸み出してきて溜まってくると言うことはあり得る話です。それが無機生成説の論拠とはならないでしょう。

その通りだと思います。無機起源質の根拠とされている事は、生物の堆積物が殆どないと思われる非常に深い地点(深さ5000m以上)で油田が沢山見つかっている事などでしょうね。でもよくわかりませんね。

 最近お会いした方のお話によると、一端採掘不能になった油田が暫くすると、石油が増えて採掘可能になるような油田が結構あるそうです。その理由は上々さんがおっしゃるように

>残りの油分が徐々に浸み出してきて溜まってくる

と言う可能性が高いでしょうね。無機起源で新たに生成されると言えるわけではありませんね。・・でももう少し調べてみたい感じもします。

>現在の石油使用量は大変なもので、一年で中程度の油田地帯を使ってしまうほど

それは大変ですね。枯渇する以前に環境破壊が大いに心配です。


自滅したい人のための経済成長
guyver1092
 石油を使った結果の汚染、及び環境破壊、その結果の食料危機を意識の外に追いやっている人が人類の指導者層に多いのはまったく困ったことですね。
 
 地球が人類の経済規模に対して十分に大きかった時代の認識のままでは、大混乱を起こしてしまうのは間違いないでしょうね。

 ドバイショック、ギリシャショック等の経済危機の結果、経済システムのみ打撃があり、環境が保全されるという都合のよいことが起こらないかなあと見果てぬ夢を見る今日この頃です。

Re:自滅したい人のための経済成長
雑草Z
    guyver1092さん

>石油を使った結果の汚染、及び環境破壊、その結果の食料危機を意識の外に追いやっている人が人類の指導者層に多いのはまったく困ったこと

そうですね。世界の指導者の大部分が、経済成長路線を維持するために石油の確保に躍起になっていますね。そんなことやっていたら人類は滅びますね。

>地球が人類の経済規模に対して十分に大きかった時代の認識のままでは、大混乱を起こしてしまうのは間違いない

全くその通りですね。いまだに経済成長路線を維持しようととんでもない対策ばかりやっているのが大多数の国ですね。人類はそれほど愚かな存在なのでしょうかね?


>経済システムのみ打撃があり、環境が保全されるという都合のよいことが起こらないかなあと見果てぬ夢を見る今日この頃です。

シビアな現状を認識しているからこそ、そんな『夢』を思い描くのですね。・・分かります。そんなミラクル起こったらいいですね。
 

資源採掘と環境破壊
上々
石油と言うものが極めて取扱しやすいものだったために、これだけの原油採掘をしていても油田近辺の環境破壊が少なかったのは稀な例でしょう。
その他の資源(金属等)の鉱山の周辺環境の破壊はひどいものです。これはどのような資源でも非常に希薄な状態で産出するために精錬する必要があるので、その残渣を廃棄するのが主因でしょう。

原油の場合は石油精製と言う過程は必要ですが、それ以前に濃縮する必要はなかったということです。

しかし、メキシコ湾での事故を見ても、またタンカー事故による流出事故を見ても、危険性は増しているのかもしれません。
それだけ、採掘にも輸送にも無理が出てきているでしょう。

石油に先行き不安が広がったために、電気自動車と言う期待が高まっていますが、電池の原料はどうするのでしょう。リチウム鉱山での環境破壊のひどさは指摘されています。
自動車での移動と言うこと自体を縮小しなければいけないのに。

Re:資源採掘と環境破壊
雑草Z
    上々さま

石油に関して、お詳しいですね。参考になります。

>石油と言うものが極めて取扱しやすいものだったために、これだけの原油採掘をしていても油田近辺の環境破壊が少なかったのは稀な例でしょう。


なるほど!石油は濃縮の必要のない稀な例なのですね。


>自動車での移動と言うこと自体を縮小しなければいけないのに。

全く以てその通りですね。それで確実に石油の消費量が減りますね。更なる石油の浪費に繋がりなねない電気自動車や燃料電池車の開発を進める事よりよっぽど確実で効果的な筈ですのに、しょうもない対策ばかりやってますね。。

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2010-05-13 00:02
 安全はタダではない・・・。
 安心して飲める水が只で手に入ると思ってはいけない・・・。
・・・などと、まことしやかに言う、したり顔の輩がいます。
特に経済評論家などに多いようです。

・・ふざけたお話です。・・・そんな事を常識にしなさんな!


 安心・安全ビジネスと言う言葉が出て来ました。子供たちを犯罪から守るためのビジネスや、食品の安全性を確認するビジネスなどです。・・これら安心、安全を売るビジネスが繁盛する条件は、社会が安心、安全ではない事でしょう。子供たちが沢山犯罪に巻き込まれたり、食品に危険な物が色々混入されればされるほど、これらのビジネスは流行るのです。

 保険業も広い意味で安心・安全ビジネスの一つとも考えられるでしょう。リスクを感じなければ、保険には入らないでしょう。・・やはり、社会にリスクが溢れている(・・と思わせられる・・)ほど、流行るビジネスでしょう。最近は様々な物事に保険が掛けられるようになってきました。そして、保険に入れば税金の控除までされると言う・・官民一体の安全ビジネス全盛です。

 ここのところ数年、アメリカやイギリスなどからインフルエンザの恐怖が流布されて、日本も追随しています。世界中にインフルエンザパニックを引き起こし、ワクチンを作っている製薬会社はぼろ儲けのようです。(結局大した事のなかった今年など、どうも製薬会社の陰謀に感じましたが、製薬会社では、みんながワクチンの予防接種を受けたから大事に至らなかった・・・と言う事でしょう。)これらも安心・安全ビジネスと呼べそうです。

 物資が溢れてしまった後の経済成長は、まだまだ使える物資をスクラップにして新しいものを買わせる・・・などと言う酷い手法が出て来ましたが、一方、このように、特別な場合を除いてそれまで商品の対象で無かったタダであった物事を有料にする方法も出て来ました。
昔は経済活動の対象外だった物事が、タダじゃ無くなって、有料になれば、確かに経済は成長するでしょう。・・案外こんなどうしようもない事が、経済成長の本質だったりします。【経済成長の本質】で論じました。・・

 こうやって日常生活にどんどんどんどんお金がかかる社会構造が出来てきて、お金が無ければ生きられない社会になって、その必要な金額もどんどん膨らんでいます・・現実に社会起こっているのです。はじめから安心、安全な社会ではなく、お金を払わなければ安心・安全が買えない社会こそが、安心・安全ビジネスを展開し、経済が成長するのです。いたちごっこのように次々に別な危険が出現したほうが経済が発展していくのです。・・こんな愚かな事が経済成長の本質なのです。
 経済成長主義は狂気の領域に突入したと言うべきでしょう。
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【2010/05/13 00:02】 | Economic Fascism トラックバック(0) |

一言で言うと
guyver1092
 一言で言うと、マッチポンプが一番近い言葉でしょうか。

以下Wikipediaよりコピー

 マッチポンプとは「マッチで火をつけておきながら、それをポンプで消す」というように、自分でわざわざ問題を作り出しておきながら、そ知らぬ顔で、自分がそれを解決することで賞賛や利益を得るような、偽善的な自作自演の手法を意味する和製英語である。マッチ(match)は元は英語、ポンプ(pump)は元はオランダ語である。

 直接自分で危機を作り出しているのではないですが、間接的にはやっていると考えています。

>マッチポンプ
雑草Z
    guyver1092

 確かに、「マッチポンプ」が近い言葉ですね。
過剰に成長してしまった経済を更に成長させるには、安心、安全ビジネスに限らず、殆どの経済刺激策がマッチポンプ的かも知れませんね。本当に、自分達で放火しておいて、お金を貰って火を消しているようなものですね。
 本文に書いたように、経済成長路線も、狂気の領域に突入しつつあると感じるこの頃です。一刻も早く、脱成長路線にシフトするべきですね。

インフルエンザ
おから
インフルエンザ騒動、異常でしたね。ニュースも新聞も、恐怖をあおるようなものばかりでしたね。
予防接種で、亡くなった方もおられたし。タミフルを飲んでも、飲んだから?亡くなった方もおられたし・・・。
ちなみに、うちの息子は、予防接種してませんよ。
去年、冬休みになってから、高熱を出しました。足や腕や頭が痛いと言ってましたけど・・・。だるそうに寝てましたが・・・。頭には、大根おろしの汁をガーゼにひたしてあててあげたら治りました。
あと、ホメオパシーっていうのを使ってるので、病院にも行かず、1,2日で治ってしまいました。
普段から、食生活などに気をつけているので、大したことがなかったようです。


Re:インフルエンザ
雑草Z
    おからさん

 この冬は、あれだけ危機が叫ばれていたのに、結局例年よりも大したことはなかったですね。

>うちの息子は、予防接種してませんよ。

おお、毅然とされていますね。あれだけ騒がれると不安はありませんか?

>頭には、大根おろしの汁をガーゼにひたしてあててあげたら治りました。
>普段から、食生活などに気をつけているので、大したことがなかったようです。

素晴らしいですね!見習いたいものです。

>ホメオパシー

って知らなかったので、ネットで調べてみました。興味深い事が載っていましたのでもう少し調べてみようかと思いました。

インフルエンザ
おから
少し不安はありましたが、大丈夫だと思いました。食生活、自然療法、ホメオパシーで、息子は8年も、診察には行っても(診断書がいる場合あるので)病院の薬を飲ませたことはありませんよ。
ただ、接骨院と歯医者には行きますが・・。
たまたま、近くの歯医者が、ホメオパシーの知っておられ、麻酔や、薬品など身体に害の少ないものを使っておられます。私も、2本親知らずを抜いたとき、薬はもらってきませんでしたよ。痛み止め、止血剤、抗生物質など飲みませんでした。
ホメオパシーおもしろいのでぜひ見てみて下さい
http://www.homoeopathy.co.jp/index.html

>食生活、自然療法・・・
雑草Z
    おからさん

 ホメオパシーは分かりませんが、

>食生活、自然療法、

で、なるべく薬を服用しない事は大切ですね。現代人は薬にもドーピングされています。(・・「ドーピング」の本来の意味に近いですね・・笑)

 親知らずを抜いたときに、痛み止めなど飲まなくて済むのですから、ホメオパシーは、興味ありますね。まだよくわかりませんが、御紹介のサイト見て判断してみます。御紹介有難う御座います。

 

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2010-05-09 00:01
環境問題に関して、よくある議論が、
「豊かさを犠牲にしてまで、環境に配慮する必要があるのか?」・・と言う議論です。 
曰く
「環境に配慮して工業生産を止めて物資が不足したら大変だ!」
「地域の人の生活を圧迫してまでも、環境の為に開発をストップするのはいかがなものか?」

 この、「犠牲にされる」と言われる「豊かさ」について考えてみます。

この「豊かさ」とは、物質的な「豊富さ」や交通などの「便利さ」などを指すのでしょうが、物が有り余っている現在、精神論の範疇を超えても、もはや「豊かさ」とは呼べるものではなく「過剰」のレベルでしょう。便利さについても同様です。
売る側ばかりでなく、買う方も・・大抵の人が・・有り余る物の処理に時間と労力を費やしている事でしょう。物を捨てるのが嫌いな私などは、大して物を買わなくても次々に増えてくる現実に、強迫神経症で気が狂いそうなレベルです。(ちょっと大げさか?)
 産業界は、物が有り余って買う人が減ってきたので、あの手この手で無理やり物を買わせようとしています。エコ替え、エコポイント、減税、補助金・・・どれも国の税金を投入してまで物を売りつけようとしています。買わない人が馬鹿を見るようなシステム作りに励んでいます。挙げ句の果ては、地デジ切り替えと言うモラル破壊の「規格変更」で、アナログテレビを使いものにならないスクラップにしてまで新製品を買わせようと目論んでいます。
その結果、廃棄物が増えて、処分場の問題は常に自治体を悩ませています。


そもそも、「豊かさ」と「環境」は対立する概念ではないでしょう。
例えば、森林を切り開いて開発して、リゾートを作ります。そのリゾートのゴルフ場でゴルフをしたり、人工的な施設で遊ぶ事が豊かな事でしょうか?その森林に入って遊ぶ方がよっぽど楽しいと感じます。・・そう感じるのは私だけではないでしょう。・・・それは個人の価値観だ・・と申しますなら森で遊ばなくても、その中で育まれている生態系が人間の生活を豊かに保つのです。水も空気もきれいにしてくれます。・・開発される前の森や林がある状態のほうがよっぽど豊かと言えるでしょう。現代人が、お金を払って人工的な施設で遊ぶ事が楽しい・・・と感じるのなら、それは洗脳と言えましょう。「豊かな心」と言うよりも「貧しい心」と言えるかも知れません。・・・これも個人の価値観でしょうか?


「豊かさを犠牲にしてまで環境を守るのか?」・・・と言う議論は産業を発展させたい人、開発を続けたい人の詭弁もいいところでしょう。
これは
「豊かさ」=「産業活動が活発で産業物資が溢れている状態」=「環境負荷」
と言う図式になろうかと思いますが、
「豊かさ」=「産業物資が溢れている状態」
と考える事自体が非常に貧しい発想でしょう。多くの人が冷静になって理性で考えれば、こんな発想はおかしいと、誰でも気付くと思うのですが・・。
死活問題となる極限状態では、環境を犠牲にしなければならない場合もあるかも知れません。・・・産業界が、たいした事のない問題を「死活問題」と言って騒ぐ場合も多々ありましょう・・・それは検討を要する特殊な場合です。
「豊かさを犠牲にしてまで環境を守るのか?」
のような「豊かさ」と「環境」を対立概念のように言う論法に騙されてはいけません。

「環境を守らなければ、豊かさも犠牲になる。」
「環境を守れば豊かになれる。」
・・これがまともな理性的な論法でしょう。
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【2010/05/09 00:01】 | Economic Fascism トラックバック(0) |

犠牲にしているものは何かを解っていない
guyver1092
 今の豊かさというものは、自分の未来を食いつぶしているということが分かっていない人間の愚か極まりない主張ですね。
 きっとイースター島の人々もこのように言いながら、自滅したのでしょうね

本当に豊かというか過剰です。
でなしNo.146
物質的に見ればもうウンザリするほどモノが溢れている世の中ですし、これ以上何をして「豊か」になるのか意味がわかりません。

何度も言われるように、本来必要ではなかったものを便利だからなどといってなくてはならないものにする手法にもウンザリです。
>規格変更
などは本当に頭にきます。

また、環境と豊かさは対立する概念ではないという視点は非常に大事だと思います。
環境が壊れて元に戻らなくなれば、それこそ豊かさ(というか人類の未来)は永遠に失われることになりますよね。


大きな代償
雑草Z
    guyver1092さん

>今の豊かさというものは、自分の未来を食いつぶしているということが分かっていない人間の愚か極まりない主張

全く以ておっしゃる通り、地球の資源を浪費しているだけですね。愚かさの極みでしょう。こんなことで自滅したくないですね。


環境と豊かさは対立する概念ではない
雑草Z
    でなしNo.146さん

>これ以上何をして「豊か」になるのか意味がわかりません。

豊かさを求める・・と言うよりも、大多数の人は経済成長の強迫に追い回されている感じですね。それをもって豊かとはいえないでしょう。

>環境と豊かさは対立する概念ではないという視点は非常に大事

これは絶対的な事で、環境あっての豊かさである事を忘れてはいけませんね。この点は強調していくべきだと再認識した次第です。

人は 余計なことばかりしている
自称 詩人
おっしゃるとおりです
問題は、この まともな論法が、多数決では通らないところなんです。
自分さえ良ければ、自分さえ良ければと、他人は蹴落とすし、環境は破壊するし(特に、山へゴミを捨てる...なんとか取り締まれませんか.厳罰にするべきです!) 
テレビでは、政治も経済も、
土台が崩れているのに、屋根の見栄えを議論している!そんな構図ばかりです。
ほんとに、人は、余計なことばかりしております。


なんて゛抵抗力が無い
団塊おやじの遺言
いつも読み応えの在る問題提起 そして様々な方たちの考え方
ありがとう御座います この錆びかけた脳細胞にも清流の様に
雑草の言葉はいつも流れてきます さておやじ流の豊かさですが
口蹄疫で家畜が何万頭も処分される問題が発生しています
人間の都合に合わせた飼い方で病気が増えている ウィルスや細菌は何処にでもいる物だ 野生の生き物や家畜が土を食べる処を何度も見てきました 人間には理解出来ない 私たちが病気をした時は医者だ薬だと考えますが生き物は本能的に体調維持の物を
知って居る様な気がします 食べているものが化学肥料や農薬を
使った金の掛かった飼料 本来土地さえ有ればそこに放し飼いで
育つものがコストの高い飼料や薬で狭い畜舎で飼っています
合理化だ近代化と言ってもそれは人間の勝手 そして病気に成れば殺処分!害虫の様に目に見えるものは死ぬ迄、薬を掛け続け
目に見えないウィルスや細菌に遣られる迄、薬剤使用だ
ついこの間も果樹畑がウィルスに遣られ根こそぎ処分の記事を見た 莫大なコストと労力を掛けて最後はこれだ・・家畜も早く大きくしたり太らしたりしなくても良いのではと、いつも思う・・のんびりとコストの懸からない家畜たちにストレスの少ない本来の生き方に近づいた飼い方にするべきでは・・何万頭もの家畜が無駄死します 自然環境の良い処に棲む野生だったらこんな事にはならない想うし何より健康で安心の出来る食べ物を求められるのが今の社会 現実は上からの指示で農家は同じ経営形態をしている者が多すぎる 自然の野山に家畜を放牧してやるとまるで公園の様な風景が広がる 自然の恵みに合う生き方が良い   

Re:人は 余計なことばかりしている
雑草Z
    自称 詩人

 二度目のコメント有難う御座います。今回の自称 詩人さんのコメントタイトル

>人は 余計なことばかりしている

は、環境問題の根本原因の一つをしっかり表現致しておりますね。人間の生活にとって本来必要のない事をやろうとして環境を破壊していくのは、本当に愚行だと思います。

>特に、山へゴミを捨てる...

これ、本当に酷いですね。森林破壊の要らない林道を作って、そこに産業廃棄物を捨てられています。先週末もそんな現場を目の当たりにして来ました。おっしゃるように厳罰に処するべきだと思います。

>土台が崩れているのに、屋根の見栄えを議論している!そんな構図ばかり

流石は詩人さんです。上手い巧みな例えです。本当にそんな議論をしている場合か・・・といつも感じております。



>自然の恵みに合う生き方が良い
雑草Z
    団塊おやじの遺言

 御久し振りのコメント有難う御座います。ずっと読んでいて下さって有難う御座います。

>口蹄疫で家畜が何万頭も処分される問題が発生しています

 このニュース、詳しくは知りませんが、非常に気になっていました。酷い「処分」のし方だな・・・とも・・。

>人間の都合に合わせた飼い方で病気が増えている

なるほど、その可能性は大いにあると思います。

>食べているものが化学肥料や農薬を使った金の掛かった飼料

人間のアトピーも同じような症状なのかも知れませんね。家畜も人間もその手の新しい病気が出ていますね。おっしゃるように、薬漬けの牧畜は早くやめるべきだと思います。


>自然の恵みに合う生き方が良い

全く以てその通りだと思います。最近の人間は自然をいじり過ぎて、自滅に向かっていると言う愚かな事をしている事に気付くべきでしょう。とても参考になる御意見でした。 

口蹄疫
上々
口蹄疫は牛・豚等の蹄(ひづめ)を持つ動物のみに感染するウイルス性伝染病で、極めて伝染性が強くまた病原性もかなり強いものです。
ただし、感染した家畜が実際に死亡すると言うまで行くのは少ないようです。(成畜の場合)
しかし、強い伝染性のために現在世界各国では発病した家畜と同じ場所で飼われている家畜すべてを殺処分することが実施されています。
宮崎の状況も現在83例が確認されているとのことですが、その同じ農場の家畜もすべて処分対象になっていますので、数万頭と言う対象数になっているようです。

宮崎は大変な状況になっているそうです。処分をしても安全な場所に埋設しなければならず、その場所が見つからないと言うことです。なんとか封じ込めるために関係者は大変な努力をされているようです。

動物自身の抵抗力とはあまり関係のない話です。殺処分数が莫大な数に登るのは一箇所あたりの飼育頭数が大きくなっている経営上の問題が関係していますが。
しかし宮崎の地域経済には大きな影響が出そうです。

なお、繰り返し強調されていますが、人間には感染せず、また感染した肉などを食べても全く影響はありません。

どうでもいいことですが。
アが妻。
「○×に優しい」という言葉に疑問を持つんですが。
優しくされたほうは、その分こう、なんていうか「よわくなるる」んですよ。最近流行の「殺菌」なんてまさしくそうで、殺さなくてもいい菌まで、きっと殺せるんでしょう。。。元々、耐性のあったものが、きっとこんな過程で、なくなっていくんじゃないかと思います。(ガイアとしての)地球自体は常に脅威なわけで、その脅威を取り払うための技術で、ヒトは「弱く」なるんじゃないかなぁと思います。まぁ、その代償として「豊かさ」と呼ばれるものを手に入れたわけですし、それ自体によって人類存亡の危機におちいるのは、当然のことかと。それを自覚したうえで所謂「経済的豊かさ」を享受することは、それはそれでまた勇気のある行動だとも思います。ポトラッチ的な消費は、「明日への活力」であるということも忘れてはいけないような、別の方向で「豊かな生活」を送るために大切なものだと、思ったり思わなかったりします。
誰が、誰に対して税金を払ってるかを考えれば自明の理だとは思いますが。
まぁ、どうでもいい話ですが。

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2010-05-05 00:02
昔は貧しかった・・・とよく言われます。人類は常に進歩を続けていて、貧困解消の為に努力して、次第に豊かになってきた・・・だから、大雑把に言えば、昔は今よりも貧しかった・・と。
でも、本当にそうでしょうか?・・・「今になって思えば、物質的には現在よりも昔は貧しかったと思える」・・・と言うだけで、20年前でも、50年前でも、100年前でも、200年前でも、自分が貧しい・・・と感じていた人の割合は、現在よりも多かった・・とは言い切れないでしょう。貧しいと感じる人は、今も昔も、自分の見える範囲に自分よりも富んだ人が(何人か)いて、相対的に自分が貧しい・・・と感じる場合が多いでしょう。【相対貧困】で論じた通りです。だから、経済格差の開いた現在のほうが、「貧しい」と感じている人の割合は遥かに多いのではないでしょうか?
 自家用車、テレビ、携帯電話、パソコン・・・それぞれ、「ある時点」以前は無かったものです。その便利さに慣れてしまった現代人は、それらのなかった時代を「不便だった」・・・と感じ、それを本来意味の違う「貧しい」と言う言葉に置き換えて混同しているのではないでしょうか。つまり「文明の利器」にドーピングされて中毒になってしまった人々の多くが、「昔は貧しかった・・」と言っているに過ぎないのではないでしょうか?
 40年前だろうが、200年前だろうが、さらにもっと以前の時代の事だろうが、現代ほど便利な物が溢れていなかった「昔」の人が、現代の文明の利器が無いからと、嘆く筈が御座いません。使った事も見た事も、存在すら知らないものが無いからと、不便さを感じる人は滅多にいないでしょう。そんな不用な「物」が無くても、昔の人はそれなりに楽しく過ごしていた筈です。

「昔は貧しかった」と言う表現は、政府のプロパガンダかも知れませんし、経済成長主義の権化のような広告代理店かなんかが、物を沢山売りつける為に使った戦略的言葉かも知れません。

 貧困は相対的な感覚がかなりあります。過分に搾取でもされていない限り、昔の人々が貧しかった・・と言う発想は、様々な物質にドーピングされた現代人の驕りであり、ドーピングによって物質に支配されてしまった状態の現代人ほうがより悲惨な現実があるわけで、それこそ「貧しい状態」と言えるのではないでしょうか。
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【2010/05/05 00:02】 | 社会・経済 トラックバック(0) |

何年前を基準にするか
guyver1092
 お金の出納だけをとって考えてみれば、バブル真っ最中と現在を比べると、かなりの人が昔のほうが豊かだったでしょう。バブル崩壊後は、政府が大企業に利益を付け替える政策をとっているのでかなりの人々が貧しくなっています。さらに高度経済成長のころと比べると文明の利器という点では劣るでしょうが金銭的な展望という点では段違いに高度経済成長時代のほうが上でしょう。

 生活の快適さを考えてみると、バブルのころより、文明の利器の数は増えているでしょうが、快適さは変化なしなのではないでしょうか。劇的に生活を変えるような新製品は出ていなかったと記憶しています。高度経済成長の時代は、家電製品が生活を激変させていますね。

 現在の多数はバブル心より搾取されていると考えますので「昔は貧しかった」は過去の高度経済成長やバブルのころ(の労働分配率)を思い出させないためのプロパガンダなのかもしれませんね。

貧しさかスローライフか?
雑草Z
    guyver1092さん

>お金の出納だけをとって考えてみれば、

 guyver1092 さんのおっしゃる通り、バブル真っ最中や高度経済成長期のほうが豊かだったと言えるでしょうね。
 それでも、「豊かさ」は相対的に感じる部分も多く、バブルなり高度経済成長の恩恵を受けたくてもあまり受けられなかった人は、貧しかった と感じたでしょうね。それにやはり「貧しい、豊か」の感覚は、心の問題も多い事は、guyver1092 さんも思うところでしょう。

>バブル崩壊後は、政府が大企業に利益を付け替える政策をとっている

>現在の多数はバブル心より搾取されていると考えますので

そうですね。資本主義社会の断末魔でしょうね。現代資本主義は本当にとんでもないですね。


>劇的に生活を変えるような新製品は出ていなかったと記憶しています。高度経済成長の時代は、家電製品が生活を激変させていますね。


そうですね。家電製品が人々の暮らしを楽にした・・とも言えますが、「慣れ」の問題も多分にあるでしょうね。炊飯器や洗濯機が無ければ、家庭の仕事が多い・・とも言えますが、みんな持ってなければ、その分の労働時間なども配慮された社会であり、それこそ現在流行りの「スローライフ」かも知れませんね。

豊かさと貧しさ
kk0638
はじめまして。このブログは以前から拝見しておりますが、はじめて書き込ませていただきます。
「昔は貧しかった」とは、言い換えれば「現在は豊かである」ということになります。「現代は物質的には豊かになったが、精神的には貧しくなった」とはよく言われることですが、豊かな事はいい事でしょうか。
経済規模を拡大し、利便性の向上を追求するために、人類は何をしてきたでしょうか。地下資源を掘り返し、森林を伐採し、海や大気を汚し続けてきたのではないでしょうか。その結果、地球環境に深刻な危機が迫り、人類の生存が危ぶまれる可能性さえあります。
現代の石油化学文明は、自分で自分の首を絞めているように思えてなりません。
それとは逆に、貧しい事は悪い事でしょうか。確かに、経済的な規模は小さく、文明の利器の恩恵に預かる事ができなくなれば、それは不便だし、GNP等の指標からすれば「貧困」の烙印を免れないかもしれません。
しかし、経済規模が小さくても、自給自足等で豊かな生活を送る事は可能で、それはGNP等の経済指標から、「貧困」の烙印を押されても、決して不幸であるとは限らないという事です。
「貧しかった」昔は、文明の利器がなく不便な事もあったかもしれませんが、その分、家族や隣人間で助け合って、絆を育んできたはずです。
また、環境への負荷も現代に比べれば各段に小さく、地球環境と調和しながら人類が存続していくヒントが、「貧しかった」時代にあると思えてなりません。
「昔は貧しかった」とは、言い換えれば「現在は豊かである」ということになり、「豊かであり続けたければ、貧しかった昔に戻りたくなければ、現在の社会システムを維持せよ」という脅迫じみたプロパガンダにも思えるのは、私の考えすぎでしょうか。
人類が存続していくためには、人類が自ら進んで「貧しく」ならなければならない、と私は思うのです。


自称 詩人
雑草Zさんのブログ、1年ほど前から読ませていただいておりました。地球環境への警鐘、先進国(軍事大国)の経済グローバル化への疑問、、、ブログの姿勢に..拍手.賛同しておりました。貧しい=ゆとりがない現実は、そこここに見られます「老親を1週間あずかれない現実」「新築の家に居るのは、眠るとき位」職場でも、車に乗っても、一本道を後ろから追われ、降りることのできない人生ゲーム。人生80年なんて威張れる国じゃありません。地球は人間のものじゃありません。文明社会の人間の方向性に、疑問.反対してる人は、ここにも おります!雑草Zさんの、具体的行動 おおいに注目しております。

人類が自ら進んで「物資的に貧しく!」
雑草Z
    kk0638さん

 はじめまして、初のコメント書き込み有難う御座います。
コメント内容が、私と殆ど同じお考えで、嬉しく思います。

勿論コメントで論じている「豊かさ」、「貧しさ」とは「物質的豊かさ(物資が沢山手に入る事)」、「物質的貧しさ(物資が不足している事)」と言う意味に於いてですね。


>経済規模を拡大し、利便性の向上を追求するために、人類は何をしてきたでしょうか。地下資源を掘り返し、森林を伐採し、海や大気を汚し続けてきたのではないでしょうか。その結果、地球環境に深刻な危機が迫り、人類の生存が危ぶまれる可能性さえあります。

この辺りの認識も殆ど一緒ですね。結局のところ、かけがえのない地球環境を代償にして、一時的な物質的豊かさを手に入れただけで、その手に入れた物よりも代償のほうが遥かに大きかったでしょう。・・そのしっぺ返しが、着実にやってきています。許せないのは、このしっぺ返しは、地球の破壊行為を率先して行ってきた輩だけでなく、全員にやってくる、特に貧しい人々に先にやってくる可能性が高い事でしょう。

>現代の石油化学文明は、自分で自分の首を絞めているように思えてなりません。

 全くその通りで、石油にどっぷりとドーピングされている現代社会は、石油が枯渇する頃には、悲惨な状態になっていることでしょう。・・この事は近々記事にしようと思っていました。


>経済規模が小さくても、自給自足等で豊かな生活を送る事は可能

これも全くその通りですね。社会が目指す方向であると確信しています。


>地球環境と調和しながら人類が存続していくヒントが、「貧しかった」時代にある

これは確実にありますね。そのような物資的貧しさは、本来、貧しい事でもなく、持続可能な社会の為の当然のスタンスでしょうね。

>「豊かであり続けたければ、貧しかった昔に戻りたくなければ、現在の社会システムを維持せよ」という脅迫じみたプロパガンダにも思えるのは、私の考えすぎでしょうか。

いえ、考え過ぎではないと思います。そしてそのプロパガンダは、搾取階級が、もっと搾取して儲けようとして行っているのでしょう。


>人類が存続していくためには、人類が自ら進んで「貧しく」ならなければならない

そう、これも必須条件でしょうね。経済を縮小して、自然の摂理に則した社会構造を目指す事がこのブログの大きな目的です。そのような、同じ考えの方からのコメント頂き、非常にうれしく思います。
ここのコメントの常連さんはみんな大筋で同じ考えです。

 *******      *****    ***  *


  HNの KK0638 とはどのような由来があるのでしょうか?
これからアップする何回かの記事も KK0638 さんの今回のコメントに関連する内容も含まれています。 ・・またのコメント期待しております。  


>文明社会の人間の方向性
雑草Z
    自称 詩人さん

 初めまして、そして初のコメント有難う御座います。

>職場でも、車に乗っても、一本道を後ろから追われ、降りることのできない人生ゲーム。

 何だか個性的な上手い比喩ですね。・・そう、かなり昔であれば、仕事を辞めても、狩猟採取や自給自足で簡単に生活出来る豊かな自然環境(・・「豊か」と言う言葉は本来こういう事に使うべきですね・・)がありました。それが現在は、かなりな現金収入が無ければ、首が回らない社会になってしまいました。物質的に豊かになったと言いながら、一部の特権階級を除いて、余裕がある社会とは言えませんね。


>文明社会の人間の方向性に、疑問.反対してる人は、ここにもおります!

 それは嬉しい事です。本日は、同じような考えの方が2人も初のコメント下さいました。
 現代文明社会の過ちは、科学妄信と経済成長と言う馬鹿げた破局への主義でしょう。早く軌道修正しないと人類は滅びるでしょうね。


>雑草Zさんの、具体的行動 おおいに注目しております。

おお、プレッシャーですね。・・実はこれまでいくつか環境の団体に所属しましたが(・・一応まだ名前は所属している団体もあります。)今一つ入り込めない感じでした。今年また一つのきっかけがあったのですが・・どういう方向へ進むか定かでありません。

 *******      *****    ***  +

 自称 詩人 さんは、どのような詩をお描きになるのでしょうか?
 またのコメントお待ちしております。
 
 

昔の豊かさ、今の豊かさ
上々
豊かか貧しいかと考えると、何がどうやらいろいろ難しいことがありそうです。

夏のさなかに氷を食べるということを考えました。今では誰でもそれほど高いものを食べるという感覚は無く普通に食べれるものですが、江戸時代以前では冬に降った雪を山の洞窟などに貯めておいて少しずつ夏に使うということがあったようです。
もちろん大変贅沢なものでした。

ここに今の贅沢と昔の贅沢の本質的な差があるのではと思います。
雪を山奥に貯蔵し、それを掘り出しておそらく馬を走らせて運び溶けずに残ったわずかなものだけを食べる。そこにはそれに携わった数多くの人々の費やした時間がかかっていたわけです。
今の氷にはそのような他の人の費やした時間という贅沢はほとんどありません。
その代わりに石油を代表とするエネルギーを費やして製造した冷蔵庫を使い、電気を使って運転し、作った氷を食べているわけです。すなわち現在では非常に安価と見られている化石エネルギーを費やして作られているわけです。

昔の豊かさは他人の時間を使うという豊かさ、今の豊かさは本来使ってはいけない化石エネルギーを使うという豊かさと言えるのではないでしょうか。

この今の豊かさというものを勘違いしている人から見れば、エネルギーを使っていなかった昔というのは非常に貧しく見えるのでしょう。

人の時間、再生不能エネルギー
雑草Z
    上々さん

 なかなかユニークな鋭い視点ですね。言われてみれば、そうだな・・とも思いましたが、これは今回私が考慮しなかった観点でした。記事の内容とはちょっと外れますが、この観点について考察してみたいと思います。

 先ず、昔の人の労力について考えます。氷を運んだ人々がそれが仕事だとしたら、(氷などを支配者に運ぶ事の是非は別として・・)労力を売って代価を得ている訳です。再生不可能な資源ではなく、人力などのエネルギーで仕事をしているのですから、光合成で合成した炭水化物のエネルギーとそれを使った発動機関である人力を最高のエネルギーと考えている私としては、望ましい労働の方向かも知れません。(・・氷を夏まで保存して、遠くまで運ぶのは割に合わない愚行だとは思いますが・・)
【人力のススメ】に描きました。
http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-51.html

さて、現代の仕事も、サービス業をはじめとして、人々の労力、時間を使っています。どうでもいいような無駄な事、さらには環境破壊行為に労力と時間を費やして、「仕事」にしていると言う意味では、江戸時代の真夏に氷を江戸の町中まで運ぶ仕事よりも遥かに愚かな酷い仕事で溢れていると思います。
 その上で、更に(再生不可能な)エネルギーをどんどん消費・・「浪費」と呼ぶべきレベルで・・しているのですから、今の物質的豊かさを支えている代償は、得ているものよりも遥かに大きいと言えましょう。
 この「物質的豊かさ」の恩恵に預かる人々と「代償を払う人」が同じで無いところが大きな問題でしょう。環境問題の本質の一部かも知れません。

この意味で、上々さんのおっしゃられる

>今の豊かさというものを勘違いしている人

で溢れているのが現代社会でしょう。


心の問題
guyver1092
 心の問題を言えば、経済成長主義では完全に考慮の対象外になっていますね。すなわち、飢えて強欲なほどより経済成長のために努力するでしょうから、他人の事情を考慮している余裕など入り込む余地はないということですね。

 その結果、自分のよって立つ環境まで食いつくすという事態になってしまっているわけですね。

Re:心の問題
雑草Z
    guyver1092さん

 経済成長と言う言葉が頻繁に使われるようになったのは、20世紀後半かと思いますが、経済成長と言う言葉と、使い捨てがプロパガンダされた事は明らかに相関がありますね。20世紀後半は、物質豊かさの追求が極端過ぎます。「洗脳」のレベルかと思います。

>自分のよって立つ環境まで食いつくすという事態になってしまっている

物資的豊かさの追求で自滅するのは本当に愚かですね。この辺りの価値観は転換しなければなりませんね。

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2010-05-01 00:01
「万国博覧会」と言う言葉を久々にテレビや新聞で頻繁に見掛けるようになりました。「まだやっていたんだ」って感じです。
「博覧会の成功」って、一概には定義出来ないでしょうけれど、一応盛り上がりとか入場者数とかそんな俗世間的なものを基準にして、日本の例を考えた場合、高度経済成長時代の真っ只中で行われた1970年の大阪万博は、一応の成功でしょう。その後、何度も行われた博覧会は、直接「万国博」と言う名前は付いていなかったようですが、次第に成功しなくなっていった印象です。20世紀末には、万国博に限らず、地方でも様々な博覧会が行われましたが、どれも食傷気味で、あんまりぱっとしなかった印象です。丁度テーマパークも乱立し、博覧会もテーマパークも税金を浪費し、地元の環境を破壊し、負の遺産を残してきました。その為に財政破綻したり、破綻しそうな自治体も沢山あります。失敗の連続だったのではないでしょうか?・・そう、日本ではいまどき博覧会は時代錯誤でしょう。(・・・と言いつつまだやろうとしている自治体はあるようですが・・・)見本市のようなものだったらまだ意味はあるのでしょうけれど、現在、博覧会の開催意義は殆どないと思うのですが・・。

 さて本日開幕となる上海万博に目を移してみましょう。・・と言っても上海万博関係のニュースなどは殆ど観てなくて知識に乏しいので、ネットでHPを見てみました。日本語のホームページで最初に目に入ったコピー文句は・・・えっ・・「より良い都市、より良い生活」です。いまどき、このベタなコピーには驚きです。数十年前の高度経済成長時代の日本のようです。中国は現在高度経済成長期である事は分かりますが、思考、発想も数十年前の日本のような感じなのでしょうか?人口の多い中国の事、万国博になど関心のない国民も沢山いるだろうとは思いますが、一方、多くの中国人が楽しみにして、万国博に出掛けて行くのでしょうか?
日本に限らず世界の人々はどの位見学に出掛けて行くのでしょうか?・・あんまりいないのではないかと思うのですが・・・

今朝、テレビで、日本館は環境技術を沢山展示する・・・みたいな事を言っていましたが、この博覧会を開催しなかった方が、よっぽど環境の為でしょう。上海万博は環境破壊も甚だしいと思います。次の万博あたりでは「失われた自然」が売りになるかも知れません。パビリオンの中に自然を再現・・・なんて言うお馬鹿な企画が為されるかも知しれません。

上海万博は、中国政府の経済発展、国力をアピールする為に開かれた・・・とも見られているでしょうけれど、それだけではなく、大きく利権が絡んでいる事でしょう。利権に群がる中国の実業家達と政府との癒着でしょうか?ぼろ儲けを企んでいる人、既にぼろ儲けした人達が沢山いるのではないでしょうか?


 以後、もし、日本で万博開催・・・と言う話が持ち上がったら、私に限らず、日本国民の多くは、真っ先に事業仕分けの対象にして欲しいと思うのではないでしょうか?

 博覧会の意義は、20世紀期には大体無くなったのではないでしょうか?
21世紀中に、博覧会が無駄な事業として、すたれて行くのではないでしょうか?・・この大いなる無駄、自然破壊は、是非とも無くなって欲しいものです。
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【2010/05/01 00:01】 | 都市/文明 トラックバック(0) |

デジャヴ
上々
1970年の大阪万博のときは高校1年だったんですが、自分は行かなかったものの周りには行ってきたという人が数多く、噂は聞きました。
ここまでの日本はあそこで示された未来図が実現したということが言えるのかも知れません。

上海万博の熱狂振りを見るとあの当時の日本そのままのようなデジャヴ感がつきまといます。
まあそれはいいんですが、その後の進展が日本の跡を辿れるかというと、さすがにもはや無理でしょう。
資源制約が常につきまとい、それは中国ではさらに10倍の人口を抱えていることを見れば影響が強く現れるでしょう。
石油はまったく下がらず、鉄の値段も高騰しているようです。
中国が需要を増やし購入を増やせばすぐに資源が高くなりブレーキがかかります。
そういった経過をたどっていくんでしょうね。

1970年の日本?
雑草Z
    上々さん

 1970年の大阪万博は、当時の日本の中では画期的なイベントであり、時代背景的にも、国をあげて盛り上がった事でしょう。大阪万博に行く事が、大人も子供も海外旅行に行く以上の大きな楽しみであったであろうと思います。
 冷めた目で見ていた人はよっぽどの人でしょう。

 上海万博は、日本では一部のテレビ局などが無理に盛り上げている感もありますが、中国の盛り上がりは1960~1970年代の高度経済成長時代の日本の盛り上がりを彷彿とするものでしょうか?上々さんが
>デジャヴ
と表現されるほどですからね!

>その後の進展が日本の跡を辿れるかというと、さすがにもはや無理でしょう

そうですね。おっしゃる通りです。あの人口12億以上の中国が、これ以上高度経済成長すると言う事は、今までの何倍もの環境負荷を地球に与えます。今でさえ酷い環境状態なのに、非常に末恐ろしい状態です。
 この上海万博は、これからの発展の象徴ではなく、これからさらに酷くなる環境破壊、破滅の前の宴でしょう。歴史に証明されるでしょう・・・そのときに「もう手遅れ」とならなければいいのですが・・。

万博
guyver1092
 万博とは土地ころがしの別名というのを聞いたことがあります。大阪万博前、会場は見渡す限りの森だったとか。いまは見渡す限りの団地ですね。安い森を切り開いて高く宅地で売る、というぼろい商売だったとか。
 愛・地球博も海上の森を切り開いて団地として売ることが計画にあったようです。(主催者にとっては)残念なことに、環境破壊して会場を作ることは万博のテーマにそぐわないとの大反対を受けて、計画の大幅な変更を余儀なくされたそうですが。
 上海万博は土地ころがしの点でどうなんでしょうね? 万博後、大阪万博の後の日本のように高度経済成長するとは、上々氏、雑草Z氏と同じく私にも考えられないですね。経済成長の毒に侵されていない人なら当然の結論でしょうが。

上海の熱狂
上々
テレビ報道ではかなり力を入れて流されていますが、デジャヴ感が強いのは見る側の熱気です。
大阪万博の映像と重ねて報道している番組もあるように、その雰囲気は似たものがあるのかも知れません。

しかし、中身は相変わらずロボットですか。40年前のロボットは夢だったかもしれないけれど、今見せるものではないでしょう。
少なくとも20年先の社会を見せるものではないのでしょうか。

ということは皆20年先は無いものと思っているということなんでしょうか。

>万博とは土地ころがしの別名
雑草Z
    guyver1092さん

>大阪万博前、会場は見渡す限りの森だったとか。

そうですか!?さもありなん・・・ですね。結局、利権に群がる人々が推進したものなのでしょうね。

上海万博も結局利権で開催のほうに進んだのでしょうね。中国では土地の所有に関してはまだはっきり認められていないのでしょうが(一応共産主義国ですから・・)それでも土地ころがしに準ずるような利権構造はあったのではないでしょうか?

 環境技術を展示しようが、環境保護を訴えようが、兎も角、万博は環境破壊ですね。中国の経済成長政策は、地球環境を致命的なまで破壊しそうな勢いです。地球のキャパから考えても高度経済成長は、近い将来頭打ちに成らざるを得ないでしょうね。

Re:上海の熱狂
雑草Z
    上々さん

 上海の熱狂は、大阪万博を凌ぐ勢いに見えます。利権構造で儲けようとしている連中にいとも簡単に踊らされているのでしょうか。日本のテレビも太鼓持ちしなくてもいいのに、乗っかってますね。

>ということは皆20年先は無いものと思っているということなんでしょうか。

・・なかなかの皮肉ですね。彼らは20年先がないとは考える余地もないのでしょうが、結果的にそんな感じになるのでしょうか?これも一つの預知でしょうか?(・・・預言の『預』の字を使わせて頂きました。・・)20年後に万博を開いている余裕はない可能性が高いですね。・・・これは「預言」・・かな?


大阪万博
上々
テレビでは盛んに大阪万博当時の映像を流しています。
NHKでやっていたのでは、当時の入場者の半分は国内からの団体で、特に中高年の団体が多かったようです。
その当時50歳位としても今存命でも90歳くらいという年代ですが、興味深いのは男性は皆一張羅の背広にネクタイ姿(ほとんど農家の人でも)女性は中年以上の人達は和服という服装であったことです。

そういえば、自分が子供の頃の年寄り、ちょうど祖父母の年代の人達はみなそういったいでたちだったなと懐かしく思いました。

それからの40年ですが、その半分はバブルに向けての成長、あとの半分はバブルがはじけたあとの不況です。もはや景気循環の中での不況でもなく、世界の中で競争力が衰えての不況でもなく、成長の限界を迎えての不況と言うことが判らないと言うこの不思議。
そういえばローマクラブの成長の限界も奇しくも大阪万博とほぼ同時期の発表でした。

構造不況
雑草Z
    上々さん

>もはや景気循環の中での不況でもなく、世界の中で競争力が衰えての不況でもなく、成長の限界を迎えての不況と言うことが判らないと言うこの不思議。

全く以て仰る通りだと思います。成長の限界での不況・・・と判って然るべきですね。これからさらに経済が成長を続けたらより大変な事態をもたらすでしょう。


>ローマクラブの成長の限界も奇しくも大阪万博とほぼ同時期の発表

言われてみればそうですね。あんな時代でしたから、成長の限界を真摯に受け止める人は少なかったでしょうね。
 その成長の限界に達するのは、確か今頃・・2012年頃でしたよね?


BEM
北海道だけでも『北海道博覧会』『小樽博覧会』『世界食の祭展』というものがあって、若気の至りで3つとも行ってみました(^^;

食の祭典というのはもう北海道の汚点とも言うべき、巨額の赤字を生んでしまい、衆院議長である元横道知事の退陣にも繋がった愚の骨頂の博覧会でした。
私は無料になった最終日に出掛けるついでに行ったのですが、赤字の理由が一目瞭然のしょうもないものでした。

インターネット時代の現代、上海万博が見せる新しい技術はどんなものがあるんでしょうね。
中国バブル崩壊に一歩進んだだけでしょうか。

日本で博覧会の話が出たら絶対にやめさせなければいけませんね!

かつて地方でも沢山の博覧会
雑草Z
    BEMさん

 北海道だけでも、3つもあったのですね?・・どれも20世紀の終わりの頃(1980年~2000年)でしょうか?

 同じ頃、東北地方の各県でも色々あったようです。
全国では、一つ一つ覚えていないくらい沢山あったのでしょうね。そしてどれも「地域の活性化」などの名のもとに利権がらみで推進されたのでしょう。その「利権」は税金が大部分でしょう。税金が沢山無駄に消費され、一部の人の手元に流れ、会場となる場所の森林伐採などの自然破壊も沢山なされたのでしょうね。

「博覧会 開催するほどの 馬鹿じゃなし」

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