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2010-04-29 00:02
 去る4月16日金曜日から17日土曜日にかけて、全国的に冷えたようです。季節的には春の真っ最中の筈なのに、日本全国のあちこちで、季節外れの雪が降ったようです。東京でさえ降ったと言うことです。ここ会津地方でも、4月半ばとしては記憶にないような結構な雪が降りました。

 神社の雪景色はいいものですが、会津地方でも、ある程度標高の高い山に行かなければ、今年はもう雪景色は見られないだろうと思っていたら、4月17日土曜日早朝からの霙が朝から雪に変わり、午前中いっぱい雪が降りました。午後からは晴れたり雨が降ったりしましたが、午後に出掛けて行って神社の雪景色を見て写真に撮って参りました。

会津美里町の小さな限られた地域で、神社を10件くらい回ったのですが、そのうちの3つが熊野神社という名前でした。その同じ名前の熊野神社の、4月半ばの季節外れの雪景色の写真です。



先ずは、最初に見つけた永井野の諏訪神社
 「永井野」は会津美里町の中の旧会津高田町内の地名
 この場所は、「永井野農村公園」と立て看板があり
  鎮守の森の外側に児童公園もありました。↓
 田んぼに囲まれて建っています。

永井野熊野神社

永井野 熊野神社



 続いて、永井野地区と接している上戸原地区の
 小社 熊野神社 
 ・・古来、神社の社格を、大・中・小に分けた「小社」
 熊野大社・・というのもどこかにあるのでしょう。
 「中社」ってのはちょっと聞いた事がありません。↓
 神社の建物自体はとても小さいのですが、
 鎮守の森は奥行きがあり、3つの中で一番広く、うっそうとしてました。
 3つの中で一番山に近いほうに建っていました。

上戸原 小社熊野神社

上戸原 小社熊野神社


 最後は、他の二つの地区からは多少離れた安田地区にある 熊野神社。
 この神社が一番こじんまりしていました。
 横と裏は田んぼに囲まれていましたが、鳥居の側には寺院もあり、
 他の二つと比べれば若干町中の感じがします。
 鎮守の森の木もまばらで、林・・とも呼べない感じです。

安田 熊野神社


安田 熊野神社

 余談ですが・・・・、
   どの熊野神社もあんまり人が訪れるような気配はなく、
  ひっそりとしていましたが
  あの雪の中、やはりお詣りに訪れた方がいたのだと、
  雪の中の足跡を見て嬉しく感じました。
 ・・・雪の日ならではの痕跡です。・・・


 永井野 熊野神社 と 上戸原の熊野神社 の距離は500mくらい。
 その二つから3~4km離れて、安田地区の熊野神社がありました。
 よく観察すると、結構同じ名前の神社が互いに近くに建っているものです。

神社の雪景色は趣があっていいと思います。

 撮影:2010年4月17日 土曜日の午後 
  ・・・4月半ばに午前中雪が降った日の午後
  
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【2010/04/29 00:02】 | Economic Fascism トラックバック(0) |

春の雪景色
上々
4月にもなって雪景色というのは、今年は大変です。
石川県のほうでもついこの前まで、山沿いではスタッドレスタイヤの履き代えを待つように警察からお達しが出ていたそうです。

そこをあとに、今日は連休で熊本に帰省で今到着したところですが、暑いこと。出るときにはセーターにジャンパーを着ていたのですが、途中で脱ぎました。
しばらくはこちらでのんびりです。

四月半ばの雪
雑草Z
    上々さん

 会津地方では、4月初めの雪は珍しくありませんが、4月半ばの雪は記憶に御座いませんでした。

 桜の花も先週あたりからやっと咲き始め、まだ咲いています。ちょっと標高が高い場所はいまだにつぼみです。5月の連休に咲くかどうかでしょう。・・・石川の桜は如何ですか?

 熊本はもう夏のような感じですね。やはり暖かいところのほうがお好きですか?


 ・・・その後、「熊野神社」と言う名の神社が、写真を撮った3か所の近くにもう一か所ある事が分かりました。あまり聞いた事がなかった神社名なので、こんなにあるものだとは意外でした。驚きです。会津地方だけでもかなりあるのではないでしょうか。

  +  +++    +++++      +++++++

 いつも鎮守の森の記事へのコメント有難う御座います。神社の事については上々さんに色々教えて頂き感謝しています。

熊野神社
上々
熊野神社は紀州熊野が本宮ですが、全国に布教活動を積極的に行ったため、あちこちに熊野神社を名乗る神社がかなり多いようです。
どうも東北地方にもかなりあるようです。

神社の活動は、仏教の布教が盛んなためあまり今では印象が薄い感じがしますが、色々な系統の神社が競って各地に行ったようです。

石川県には当然のことながら白山神社が非常に多いのですが、その他に日吉神社、八幡神社というのも多く感じられます。

シェア争いというのもあったのかもしれません。

神社のシェア争い?
雑草Z
    上々さん

 東北から遠い、紀州熊野が本宮の熊野神社が東北にもかなりあるって面白いですね。

>神社の活動は、仏教の布教が盛んなためあまり今では印象が薄い感じがしますが、色々な系統の神社が競って各地に行ったようです。
>シェア争いというのもあったのかもしれません。

 それは初めて聴きました。いつの時代の事なのでしょう?
面白いのは、同じ名前の神社が、田んぼや道を挟んですぐそばにある場合も結構ある事ですね。

会津地方にも 八幡神社は結構見受けます。その他に多いのが、諏訪神社、大山神社(昨年上々さんに大山神社の事を教えて頂いた後、結構見つけました。)といったところでしょうか。・・今度調べてみたいと思います。一つ一つ回って調べるのが面白いでしょうが、かなり日数が必要でしょう。最近見つけたネットの地図で、「MAPPLEおでかけ地図」というのが、かなり小さな神社まで載っているので、(・・それでも載っていない神社もありますが・・)それで数えてみようかとも思います。


 最近私は神社に嵌っているのですが、神社の事はよく知りませんので、上々さんのコメントが大きな頼りです。これからも宜しくお願い致します。  

神道
上々
京都の皇室や公家が熊野詣を盛んに行ったのは平安時代に始まるのでしょうが、武家の世になりその勢力が弱まると神社側が民衆に布教活動を強めたのではないでしょうか。
荘園の寄進や直接的な寄付がなくなると経済的にも苦しくなってきたと思います。
御師(おし・おんし)や先達(せんだつ)と呼ばれる人たちが全国に向け活動していたようです。

熊野神社の系統では、この布教をした神官が実は「鈴木」という姓を名乗ったそうです。
そのため、現在でも鈴木姓が氏姓としては一二を争うほど多くなったということです。

その他にも各地に同じ名前の神社があるという例はかなり多いので、どの神社でもそのような活動が行われたんでしょうね。

神社
雑草Z
    上々さん

>京都の皇室や公家が熊野詣を盛んに行った

なるほど、熊野神社ってそんなに伝統のある神社だったのですね!全く知りませんでした。
 さらに、熊野神社の神官が「鈴木」と言う姓・・・と言うのも初耳ですし、興味深いお話です。「鈴木」性が多過ぎるので逆にその意味をあまり考えませんが、「鈴の木」というのは素敵な語感の苗字だと思っておりました。「鈴」ですから神社に由来すると言われればそのような感じが致します。・・言われてみれば、他の神社の神官も「鈴木」って多いように感じます。例えば八幡神社とか・・・。

 またまた大変面白く興味深い神社の情報有難う御座いました。今日はいつもより朝早くからのコメントですね。 

 それにしても、神社の数って物凄いですね。人が住んでいる地域には、1㎢ に1か所くらいありそうな勢いです。5件以上ある場所さえありそうです。会津地方が特に多いわけではないと思いますが・・・どうなのでしょう?。大きな都市部にも結構見受けますよね。 

鈴木さん
上々
熊野関係の鈴木氏は本姓穂積で後世鈴木を名乗るようになったようです。
もちろんすべての鈴木氏がその系統ではなく、他系統もあり、また神官が土地の信者の武家に鈴木姓を名乗ることを許したということもあったようです。

神社は社だけで氏子が無い場合もあるのでしょうか。そのため数が多いのかもしれませんが、本当のところはまだわかりません。

宗教史は有力なものはよく研究されている面もあるかもしれませんが、特に民間信仰のようなものはさほど力を入れて研究されていないような印象があります。
地蔵や道祖神など、目を留めると違う歴史が見えてくるのかも知れません。

神社の管理
雑草Z
    上々さん

 またまた鈴木姓に関する興味深い情報有難うございます。

>神社は社だけで氏子が無い場合もあるのでしょうか。そのため数が多いのかもしれませんが、

そうですね。・・でも管理している方がいる、またはかつて存在したでしょう。はじめは氏子は数人でもいたのではないでしょうか?
 現在は、一つの有人の神社の神主が、いくつかの無人の神社、祠などを管理しているそうです。一つの有人の神社で平均5社くらいだそうです。・・・と、地元の八幡神社の神主の鈴木さんから教えていただきました(笑)


>地蔵や道祖神など、目を留めると違う歴史が見えてくるのかも知れません。

興味深いですね。いつか調べてみたいと思います。



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2010-04-25 00:03
エントロピー経済学、石油ピーク論、ローマクラブ報告等、現代文明に警鐘を鳴らす書物を理解している人なら、現在の文明の状況をろうそくに例えると、燃え尽きる寸前の一瞬光が強くなった状態であると感じる人は多いでしょう。
炎は文明を維持する活動そのものです。ではロウは何に当たるでしょうか。私は、1、成長するために必要な空間(開発することが可能な森林を含む)、2、石油に代表される各種枯渇性資源(ゴミの捨て場、消耗品扱いの農地、森林も含む)、3、安定した環境(異常気象などの大規模な気候変動が起きないこと)等であると考えています。
この三つの要素が何の問題もなく満たされ続ければ、未来永劫ろうそくは消えることなく燃え続けるでしょうが、残念なことに地球の大きさは有限なのです。有限の容量の中で、有限の資源を利用した文明が、無限に存続することは不可能なのです。
一つ目の成長するための空間が枯渇すると、経済成長ができなくなりますし、排出したごみ(エントロピー)の捨て場と人の住む土地が重なってしまいます。人が生きるのに有害な物質の上に住むとどうなるでしょうか。有害物質がいろいろな社会問題を引き起こします。槌田敦氏の表現を借りれば「活動により排出されたエントロピーが文明内に逆流」します。当然成長速度が鈍ります。何らかの対策を取らない限り、成長を前提とした経済システムは破たんを免れません。そしてその対策とはエネルギーの流れを加速するように社会システムを組みかえることです。ジェレミー・リフキン氏は「文明内部にエントロピーがたまることに対応するため、エネルギーの流れを加速する」と表現していましたが。このエネルギーの流れを加速する政策として、過去にはニューディール政策があり、現在はすべての不況対策のための需要創設的な政策がそうでしょう。
この政策は、より大量の消費とより大量の廃棄を求めます。二つ目の枯渇性資源をより大量に消費してしまいます。そして枯渇性資源としての森林の消失は、気候を乾燥する方向に変化させます。三つ目の安定した環境を破壊することになります。
過去のニューディール政策の時代は、地球の大きさに対して経済の規模が小さかったので「エネルギーの流れを加速する」ことは簡単でしたし、効果も長く続きました。しかし現在は、地球の規模に対して経済の規模が大きくなり過ぎ、地球を押しつぶす寸前まで来ています。エネルギー流加速政策の効果も限定的かつ、短期間で効果が切れるようになりました。
その結果として、労力に対して得られる経済的な利益が少なくなり、人々(主に大企業)は、危機感や、飢餓感を持つようになっています。この思うように儲からないという強烈な飢餓感に突き動かされて手段を選ばずあらゆるものを儲けの対象にしようと画策し、一部はすでに対象になりました。また、他人の利益を自分に付け替えさせ自分の損失の穴埋めにしています。儲けの対象に変えた例として、日本では福祉をはじめとする公共サービスがそうですし、外国では上下水道があります。利益の付け替えは、バブル崩壊時の預金利息がありますし、最近の国民負担増の分をすべて大企業のための減税に回しているのがそうです。さらに絶望的なことは、ロウが尽きかけていると、漠然とした不安を覚える一般大衆の不安を煽りたて、かえってロウの消費量を増加させる政策を行っていることです。
このような本来、儲けの対象にすべきでないと考えられていたものまで儲けの対象として飾り立て、また嘘をついてまでエネルギーの流れを加速する現代の資本主義のやり口は、過去の滅亡した文明の断末魔の足掻きそのもので、まさしくろうそくの燃え尽きる寸前の一瞬の輝きに魂を奪われてしまっているのでしょう。
人類の歴史上、破滅の輝きに魅入られずに生き延びた文明もあります。文明は過去の歴史から学んで発達してきました。滅びた文明の歴史に学んで生き延びることが、現代の礎となった過去の文明に対する責任ではないでしょうか。


以上、いつもコメントを下さっている  guyver1092 さんに書いて頂いた記事です。
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【2010/04/25 00:03】 | 都市/文明 トラックバック(0) |

成長の限界
上々
いつもと少し趣が違う感じはありますね。

ローマクラブの成長の限界についての警告は当時は結構大きく騒がれたと思いますが、全くその対応はなされないままになっています。
その警告を信じていなかったのか、あるいは単に目を背けているだけなのか、不思議な心理です。

さて、成長の限界が来る(間違いないとは思いますが)ということと、経済は成長を求め続けるということは、同時に起こっていますが、違う要素を含んでいます。
なぜ経済は成長しなければだめなのか。去年と同じことをやっていてはいけないのか。と言う点については必ずしも明確な答えはないものと思います。

現状でこのあと成長率0%で行ってももはや手遅れですが、全世界の政治経済界すべてが成長を求めている以上、また成長しだすでしょう。
しかし、それは限界に達するまでの年月を短くしていくだけの意味でしかありません。
そういう意味では燃え尽きる前の蝋燭の炎の例えと言うのは極めて妥当ということです。

末期的症状を呈して来た社会
雑草Z
 guyver1092さんのおっしゃるように、
「現在は燃え尽きる寸前の一瞬光が強くなった状態」つまり末期的症状の最後の輝き・・・と捉えられない人が沢山いるから、世の中は破滅への加速を止められないのでしょう。
 こんな現代に、ニューディール政策のようなエネルギーの流れを加速するような政策を行えば、逆効果ですね。蝋燭の炎が消えるのを早めるばかりです。


>儲けの対象にすべきでないと考えられていたものまで儲けの対象として飾り立て、また嘘をついてまでエネルギーの流れを加速する現代の資本主義のやり口は、過去の滅亡した文明の断末魔の足掻きそのもので、まさしくろうそくの燃え尽きる寸前の一瞬の輝きに魂を奪われてしまっているのでしょう。

全く以てその通りだと思います。私とは違った表現が、洗練されていて新鮮です。
 一刻も早く、

>滅びた文明の歴史に学んで生き延びること

を実行する為に努力しなければならないのに、燃え尽きる前の派手な炎に心を奪われてしまった人々が本流ですね。流れを変えなければなりません。
 お互いその方法を考えていきましょう。
 

RE:成長の限界
guyver1092
>その警告を信じていなかったのか、あるいは単に目を背けているだけなのか、不思議な心理です。

 新聞だったと思うのですが、以前読んだローマクラブの報告に関する記事によると、発展途上国から自分たち発展途上国の経済成長は不可能と言われたと強烈な反発があったようです。少なくとも発展途上国は目を背けていたのでしょう。
 ほとんど覚えていないのですが、日本では、このままいくと全地球の陸地30センチ四方に1人の人間が立っているとの出だしで、NHKで放送されていた気がします。日本人の大多数が、絵空事と思うように番組が作られていたのかもしれませんね。

>なぜ経済は成長しなければだめなのか。去年と同じことをやっていてはいけないのか。と言う点については必ずしも明確な答えはないものと思います。

 過去の地球に対して経済が十分小さかった時代には、経済成長すればみんなが幸福になりました。(代償は見えていなかっただけですが)
 はじめは「幸福になるために経済成長しよう」だったのが「不幸にならないために経済成長しよう」に変わり、現在はさしずめ「経済成長のために経済成長しよう」ですね。

RE:末期的症状を呈して来た社会
guyver1092
>お互いその方法を考えていきましょう。

 社会が変わるためには、ある一定以上の人がそう考えなければならないというのは、過去のやり取りで意見の一致しているところですから、方法としてはやはり、教育でしょうね。
 ただ政府が社会を変える方向に教育内容を変更するとは、私も雑草Zさんと同じく考えられません。
 三者択一の中に、政府は自滅を画策していると入れたくなります。

Re:成長の限界
雑草Z
    上々さん
    guyver1092さん

 有限の地球で、産業革命以降、(超)指数関数的に成長してきた経済や人口は、成長の限界がやってくる事は、ローマクラブの報告を読むまでもなく、火を見るより明らかな事です。それに議論の余地を見い出し、反論して「成長の限界は来ない」と言う事は、理性の欠如だと思うのですが、世の中はそんな愚かな輩で溢れています。
さて、

>その警告を信じていなかったのか、あるいは単に目を背けているだけなのか、不思議な心理です。

確かに guyver1092 さんのおっしゃられるように、発展途上国 は目を背けたし、警告も信じなかったでしょう。・・・「先進国」が自分達の優位性を保つために「途上国」を発展させないのが狙いだ・・・なんても言われてました。
「途上国」というよりも、「先進国」に洗脳された途上国の指導者達や利権に群がったにわか作りの資本家などの人々が中心になってそのような方向に持って行ったのでしょうね。勿論、先進国の資本家達も裏で糸を引いていたのでしょう。

 じゃあ、当の「先進国」はどうであったかと言うと、資本家や財界人達は盛んに「成長の限界の予言は外れた」・・とプロパガンダ致しました。もともと「成長の限界」は予言書のようのものではなくて、あくまでもパターン別の定量的には不確実さの多い予測なのですが、それをステレオタイプに、「予言が外れた」と言って「成長の限界」を似非科学呼ばわりする手法は、財閥や金融資本家達、成長論者の常套手段でしょう。

 兎も角、この辺の「成長の限界バッシング」は、強欲な人々による問題のすり替えが多かったように感じます。
 成長の限界を超えた現在、
 「途上国の発展を妨げる」ではなく、
「先進国が、まだ発展していない国の経済レベルまで戻る」という方向に進まなければ、蝋燭が燃え尽きるのを防げないでしょうね。

 

世界の平均化
上々
成長が限界ということはある程度分かっている人でも、そのあとどうすれば良いのかと言うと、このままの状態を継続としか思っていない人も多いのではないでしょうか。

しかし、アメリカや日本が現状維持と言うことはそれだけで非常にまずい状態です。
その他の国々から見れば、あちらだけ高度に先進した状態で、自分たちもそこまでは進みたいと言う希望を退けることはできません。

先進国が今の状態を放棄して後戻りし、世界中を平均化しなければ「公平」ではないのですが、そんなことはできるわけがないので、このまま燃え尽きに向かって進むだけです。

おっしゃる通りですけど・・
雑草Z
    上々さん

>成長が限界ということはある程度分かっている人でも、そのあとどうすれば良いのかと言うと、このままの状態を継続としか思っていない人も多い

そうですね。そう言う人もかなり多いでしょうね。
guyver1092さんのように3パターンに分ければ、
1.警告から目を背けて聞く耳を持たぬ者
2.警告を聴いても信じない者
3.警告の意味を理解していても、どうすればよいかわからず、現状維持の者

 ですね。我々も3番に近いかも知れません。

>先進国が今の状態を放棄して後戻りし、世界中を平均化しなければ「公平」ではないのですが、そんなことはできるわけがないので、このまま燃え尽きに向かって進むだけです。

その通りかも知れませんが、何とか方策を考えていきましょう。
 多くの人々がその、「蝋燭が燃え尽きる恐怖」を実感すれば、方向転換出来ないとは言い切れないでしょう。
やはりプロパガンダも大切ですね。 

ReRe:成長の限界
guyver1092
 この方向に向かえば、良いと思われる道は見つかっている気がします。
 問題は、人類という集合体になったとたん、理性が消滅して、破滅以外の道を選べなくなるということですね。

確かに・・・
雑草Z
    guyver1092さん

 ここで私達が論じているように、大雑把に進むべき方向は見つかっていますね。

 人類という集合体でも、みんな兄弟のような友好関係があれば理性も働くでしょう。

「共有地の悲劇」・・・と呼ばれているものが、破滅への道を回避するのを困難にしているのでしょう。
 つまり、共有地の木を全部切り倒してしまえば、木はもう生えてこないで絶滅と言う条件で、生えている木は早い者勝ちで使った方が得・・とばかりに、他の輩に使われる前に先に使ってしまおう・・・とみんな考えて、木を全部切り倒してしまったら絶滅・・・と言うパラドックス。

 

具体的な行動に落とし込みたいです。
でなしNo.146
>人類の歴史上、破滅の輝きに魅入られずに生き延びた文明
とguyver1092さまは記事に書かれていますが、おそらく、生態系の保全(いわゆる経済成長主義からの脱却)に社会がシフトしたのだと思われますが、具体的にどのような運動や動きがあって、生き延びられたのかお聞きしたいと思いました。

もしよろしければ、もう少し詳しく教えていただけませんか?

例えば、指導者が命令を出して規制したのか、それとも一般市民などが何か組織を作って働きかけた結果なのか…などですね。

記事を読ませていただいて、私達がやるべきことを明確にして、うごいていかなければと感じました。

破滅はイヤですからね^^;

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2010-04-21 00:03
 みんなが住む家もなく、食べ物すら十分に食べられずに飢えているのであれば、みんなが貧しい・・・と考えられるかも知れませんが、そのような極限状態でもない限り「貧困」の感覚はかなり相対的なものではないでしょうか?

貧困率にも色々定義があるようです。

絶対貧困率は所得が貧困と認められる一定値以下の人口の割合です。
世界銀行の定義では
1日の所得が1米ドル以下に満たない国民の割合   とあります。
貨幣経済が定着してかなり経った、いわゆる先進国の国民から見れば、一日一ドル以下の生活はかなり貧困と映るでしょう。しかし、もしも彼らが農業なり狩猟採取なりで、あまり働かなくても楽に自給的生活が出来たなら、一日一ドル以下の生活でも、必ずしも貧しい生活とは言えないでしょう。
現在の世界を見渡して、貧しいと言われている国は経済圏に取り込まれてから間もない国、貨幣経済を導入してからほどない社会が多いようです。または、いまだに経済圏に取り込まれていないで残った数少ない特殊な地域です。
お金を持っていないから貧しい・・・という発想は、貨幣経済にどっぷりつかってしまった社会の洗脳でしょう。かつて【一日1ドル以下の生活】で言及しています。
悲しい事に、現実的には、途上国と呼ばれる国でさえこれだけ貨幣経済が発達してしまった現在、確かに1日1ドル以下の生活はかなり苦しい・・と考えらます。


一方相対貧困率とはその国の国民の中で相対的に貧困とみなされる層の割合で
OECDレポートの定義によると、(簡略化して書きます。)
所得の中央値[=メジアン・・国民を所得順に並べた時の丁度真ん中の人の収入]の半分に満たない国民の割合 です。
この定義では、国によって貧困のレベルはかなり違うでしょう。この相対貧困率の高さが、格差社会の一つの目安にもなります。殆どの国や地域で格差が拡大していると言われている現在、多くの国で相対貧困率も上がっている事でしょう。(・・相対貧困率が定義される以前の昔のデータはなかなか見つかりませんでした・・・。)


 物質的には、多くの家庭で昔よりも現在のほうが色々沢山持っているでしょう。(・・それを「豊か」とは表現したくありませんが・・)昔は無かった物が簡単に手に入る時代になりました。しかし、だから現在が幸福か・・・と言われればそうとも言えないでしょう。昔と変わらず貧しい思いをしている人が沢山います。それは主に相対的な貧困による部分も大きいでしょう。・・・一般の家庭に普通にあるものを持っていない、貯金が無い・・・心理的な貧しさであるばかりではなく、持っている事が普通になってしまうと、それが無いと不利になってしまう物事もどんどん出て来ます。・・携帯電話、パソコン、自家用車、・・・・それが無いと仕事にも勉学にも相対的に不利になってしまう場合が多い社会になってきました。
 つまり、人々がそれらの物資に依存するようになり、生活必需品になり、それらの物資に次第にドーピングされていくのです。
新しい物資を安くしていって皆に行き渡らせて普及すれば普及するほど、どんどんその物資が生活必需品になっていき、ますますそれらの物資に翻弄されていくのです。そう言う意味では、社会は物資によって貧しくなっていく・・・とも言えるでしょう。

 経済が成長していくからこそ、みんなが豊かになっていく・・・と云うさももっともらしい理屈に洗脳されてドーピング社会は進んでいきます。そしてますます人間はドーピング漬けで身動きが取れなくなって後戻り出来ないような錯覚に捉われていきます。・・・そればかりではありません。資源が枯渇に向かい、捨て場が無くなって、宇宙に捨てられないエントロピーがどんどん溜まっていき、環境悪化を招き、人類の存亡の危機に近づいていくのです。
 極限の状態を除いて、貧困は相対的なものですから、現在世界中で目標とされている物質的物の豊富さや経済発展で貧困が解消出来ると考えるのは、詭弁でしょう。洗脳と言うべきでしょう。経済成長や物資の生産増加では相対貧困率の解消にはなりません。
 あくせく働いても貧困から抜け出せない人が溢れている社会は、到底まともないい社会とは言えないでしょう。・・搾取社会です。
みんなで一気に「せーのっ」で経済成長路線から降りたほうがよっぽど、ゆったり暮せ、相対的な貧困感も無くなるのではないでしょうか・・・・現在は相対貧困が増えて、格差社会がどんどん広がっている嫌な傾向が世界中に蔓延しています。おそらくその傾向は続かず、大きな転換期を迎えていると言えましょう。
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【2010/04/21 00:03】 | 社会・経済 トラックバック(0) |

貧困と富の配分
上々
若いころから色々と考えていた問題でした。

当時は高度成長が達成された頃で、幻の中産階級が形成されていたと思われます。
一方、中国やアジア各国はまだ貧困(一応そうしておきます)の中にありました。

色々な思想にも触れ、中国春秋時代の管仲の「衣食足りて礼節を知る」という言葉も見直しました。

当時思っていたのは、周りも皆貧しければ、貧しいということにも思い至らないが、目に見える範囲に富んだ人がいれば自分が貧しいと思ってしまう。ということで、そのような富の偏在が起これば犯罪や革命など、社会不安が増大するのは当然でしょう。
中国など、よく持っているものと感心します。極めて不安定で、強権政治をせざるを得ないのも当然です。

現在は、情報交換が発達してしまい、世界でどこに富が偏在しているかも皆分かってしまった。そのために世界中の不安が増大しているのであって、テロの原因もそこにあります。

富の偏在を是正するうえでは、累進課税は不可欠であるにも関わらず、以前の政府は「経営意欲を削ぐから」と言って高額所得者の税率を下げました。
そんな連中が(私は入りません)税金が多いからと言って儲けるのは止めようなどと考えるわけはないので、その理屈は全く成立していないのですが、これが自民党を支えている連中のための政治だと再確認しました。
その自民党に投票し続けていた貧しい人々は何を貰ったのでしょう。

まあ「食べるだけで満足」しなければいけない時代がやがて訪れるでしょう。兵器を買う金も無くなればテロも無くなるかもしれないし。

経済的な飢え
guyver1092
 以前、ワーキングプアの記事で、つつましくとも家族が生活できればよいから派遣労働者で満足していたところ、派遣切りにあって・・・というのを読んだのですが、こういう人が(経済的に飢えていない人々との意味です)ある一定以上いれば経済成長路線から降りることも可能でしょう。
 でもこういう人が物を考えずに、感覚だけでこういう結論に達したいるのであれば、隙がまだまだあります。考えた結果、経済的飢えから解脱していれば言うことなしですが。

Re:貧困と富の配分
雑草Z
    上々さん


>高度成長が達成された頃で、幻の中産階級が形成されていた

 鋭い御指摘ですね。アメリカでも日本も、物質的にほどほどに豊かな「中産階級」が形成されて、国民の大部分が中流家庭・・・という時代がありました。(アメリカのほうが先に形成されて、先に消滅しました。日本のほうが中流家庭の割合が多く、「国民総中流」と言われました。)
 でもそれは過渡期の現象で、その後に格差社会がやってきました。


>周りも皆貧しければ、貧しいということにも思い至らないが、目に見える範囲に富んだ人がいれば自分が貧しいと思ってしまう

そうですね。それこそ相対貧困の本質ですね。現代「先進国」の大部分の人は、有り余る物を必要以上に持っています。・・それでも貧しいと感じている人が多い現実は、貧困の感覚が相対的な者に負うところが多いからでしょう。

>現在は、情報交換が発達してしまい、世界でどこに富が偏在しているかも皆分かってしまった。

そうですね。この情報を大衆が知った事はいい事でしょう。そして、だからなおさら格差是正は必須ですね。

>富の偏在を是正するうえでは、累進課税は不可欠である

全くその通りで、ある程度の金持ちからは、90%以上税にしてもいいと思います。

>「経営意欲を削ぐから」と言って高額所得者の税率を下げました。

これは本当に酷い論理ですね。そう言う強欲な人々は、経営意欲が無くなってくれた方が、社会の為ですし、資源の浪費もないだろうし、環境問題も深刻にならないでしょう。
 「滴下理論」なんて、金持ちをさらに特権階級化する格差を広げる身勝手な論理です。

>「食べるだけで満足」しなければいけない時代がやがて訪れるでしょう。

現在の流れでは、それは免れないでしょうね。それでも生きられればいい方かも知れません。本文の最後に書いたようにもっと別の潮流が必要ですし、やってくるでしょう。

 この手の問題を若い頃から色々考えてこられた上々さんは、理想主義者でいらっしゃったのでしょうね。

Re:経済的な飢え
雑草Z
    guyver1092さん

>こういう人が(経済的に飢えていない人々との意味です)ある一定以上いれば経済成長路線から降りることも可能

そうかも知れませんが、そういう人々が強欲な人々に利用されて疲弊させられる・・・というのも現実でしょうね。
上々さんのおっしゃるように
>「衣食足りて礼節を知る」
という事もある程度までは真実ですね。
 兎も角、
 物質的に他の人よりも遥かに多くの財産を独り占めしたいと言う強欲な者が権力を握った社会=資本主義社会 では、システム的にも大きな格差は埋められないでしょうね。


おっしゃるような「経済的飢えの感覚」をいかに克服するかというのは大きな問題ですね。洗脳の部分も沢山あるでしょう。

>経済的飢えから解脱していれば言うことなし

そうですね。そしてそれはかなり難しいでしょうね。
社会的に富の偏在を許さない風潮も大切でしょう。 

富の分配
上々
今、中国で起こっていることがこれまで日本も含め「先進国」でやってきたことを濃縮したようなことなんで、それをどうするかで将来も見えそうですが、まあ明るくはならないですね。

象徴的なのは、全体を底上げするには金持ちをさらに儲けさせるという論理で、アメリカはオープンですが、日本ではオブラートにくるんだ(死語の世界ですか)状態で推移していますが、中国ではさらに露骨なやり方で進行しています。

日本ではかなり社会主義的な政策で農村部に金を還元し、おこぼれにあずからせたと考えられます。まあ、農地整備や道路整備などに使っただけで、農業生産を直接支援したわけではないでしょうし、かえって農村環境の悪化に使っただけかもしれませんが。

遅れてきた中国の壮大な行動がどうなるか、もはや日本のような緩やかな移動はできないでしょうね。

日本も今後はこれまでのようなことはできないだろうし、やっても効果はないとすると何か手を打たなければならないでしょうが、政治には全く期待できません。




y.suzuki
 ご無沙汰していました。

>お金を持っていないから貧しい・・・という発想は、貨幣経済にどっぷりつかってしまった社会の洗脳でしょう。>

 おっしゃるとおりです。かつての「緑の革命」は結局、その地域の自給体制を崩壊させただけというのが実態です。

 貧困率とは、その地域の人々の市場化意欲をあおる指標に過ぎないと思います。これも、先進国へ搾取される構造に過ぎないという支配者側のだましなのですが、豊かになりたいと思った以上見えなくなってしまいます。

 日本(日本人)に求められるのは、経済的な援助ではなく、彼らに対して再び自給体制にもどるべきと提示することかと思います。

富の偏在
雑草Z
    上々さん

>今、中国で起こっていることがこれまで日本も含め「先進国」でやってきたことを濃縮したようなこと

なるほど、それは言い得てますね。いま中国で起こっている事は、酷い不公平、不正と感じますが、過去にはイギリスでもアメリカでも日本でも似たような事があったわけですね。場合によっては中国よりも酷かったようです。
 同様に、現在の中国の環境破壊はかなり酷いものですが、やはり、イギリス、アメリカ・・・でも同じように酷い環境破壊がありました。
 世界中の開発と発展の歴史は、環境や、労働者をはじめとする多くの人間の犠牲の上に築かれてきたものですが、その暗部はあまり脚光を浴びずに闇に葬られようとしています。・・しかし、これからどんどんその闇の部分がしっかり着目されるようになるのではないでしょうか?


>全体を底上げするには金持ちをさらに儲けさせるという論理

この、滴下理論[trickle-down theory]は、ほんとうに最低な理論ですね。政府や金持ちの御用学者が作ったのでしょう。以前記事に致しました。
http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-243.html



>農地整備や道路整備などに使っただけで、農業生産を直接支援したわけではないでしょうし、かえって農村環境の悪化に使っただけかもしれません

ほんとうにそれも酷いものですね。農業も土建業者と自民党の癒着に喰い物にされてきましたね。農民も、それに文句を言うよりも従った方が得・・・と考えて、日本の農業はおかしな方向に向かって行きましたね。

>政治には全く期待できません。

最近の自民党の動きを見ていると、もうすぐ自民党は崩壊かも知れませんね。自民党と民主党の2大政党ではなくて、民主党に対抗するのは別の新たな政党でしょう。以前にも言及しましたが、緑の政党系など既存の政党とは違った政党が伸びてくる可能性もあるでしょう。既存の経済対策を主に考える政党には期待は出来ませんね。 

貧困率導入の目的
雑草Z
    y.suzukiさん

 御久し振りのコメント有難う御座います。

>「緑の革命」は結局、その地域の自給体制を崩壊させただけというのが実態

その通りですね。高収量品種は土地の面積当たりの収穫はかなり上がりましたが、肥料も水も大量に投入して持続不可能な農業を展開した為に農地の砂漠化まで起こっています。農家の格差も作り出し、農家の借金も増えました。・・かなり酷いものでした。かつて記事に致しました。
【緑の革命がもたらしたもの】
http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-147.html


>貧困率とは、その地域の人々の市場化意欲をあおる指標に過ぎないと思います。

 鋭い御指摘ですね。貧困率を定義している組織を見ればなるほどと納得しますね。・・世界銀行、OECD・・確かに先進国の財閥などの搾取構造のだましの一環でしょうね。


>彼らに対して再び自給体制にもどるべきと提示すること

そうですね。提示だけではなく、ドーピングされてしまった彼らに対してドーピングを抜いて、彼らの伝統的な農業を復活させる努力、手助け(・・あくまで補助的役割で・・)をする方向で、農業の近代化・・という地域破壊を止める事でしょうか。


BEM
一日1ドル以下の生活・・・
改めて金額で考えてみました。
大雑把に1ドル約100円として、我が家は5人家族で500円。
一月30日で、15000円。年間18万円。
今の生活でみると水道光熱費、税金、教育、医療と絶対的に必要なお金があり、都市(一般の市町村も同様)で生きるためには一人一日100円ではどうしても無理があるように思います。

逆に日本で一日100円で生活するためには?
100円は無理でもできるだけそのような金額に近づけるためには、上で書いた水道光熱費、税金、教育、医療(他にもあるかもしれませんが)などこれらで必要以上に儲ける人(企業)を無くすってことかなと考えました。
車、携帯電話、ファッションなどは生きてく以上なくても良いもので、これらが儲けようが破産しようがどうでも良いのですが、日本はライフラインとも言えるものからとりわけ多く搾取されているような気もします。

電力会社は学生の人気企業ですが、そのウラで原発に依存し、その処理は税金が投入されて良いとこ取りで大儲けです。
政治家・役人は国がこういう状況にあるにも関わらず自分たちの取り分だけはしっかり抱え、退職してまでも受け皿を作り、家族、親族までひっくるめて税金を搾取しているとしか思えず。
試験で良い点を取る事を教える塾に踊らされていることを分っているのかお金を出し続ける親・・・
高校授業料無償化とは言え、教科書、教材、制服、ジャージetc. 新しく買わされる物がとても多くて、業者となんだか取引でもしてるのか? と疑いたくもなります。

考え出すとキリがなく、長くなってしまいとりとめがなくなり申し訳ないです(^^;
札幌校外にはまた新しいアウトレットモールができて、一日何万人もの人出だと聞くと本当に不況なの? なんて見えますが、自動車の製造台数は30年前の水準だとか、じわじわと経済は縮小にいっているのは事実のようで、私個人としては必要以上の贅沢から脱却して、ドーピングが抜けていく良い傾向では? とも考えてしまいます。

一日1ドル以下の生活
雑草Z
    BEMさん

 現代貨幣経済、さらに電子マネーも含んだ、マネー経済の下では、一日1ドル以下の生活はやっぱりかなりの「貧困」でしょうね。
 逆に、一日一ドル以下でも十分に余裕を持って暮らしていける社会なら、一日一ドルどころか、一日0ドル・・お金無しで暮らしていけるでしょう。それはマネー社会を脱していると言う事でしょう。昔の自給自足、狩猟社会はみんなそんな社会だったのでしょうね。
 動物もお金は要りませんね。そして、人間が環境破壊しなければ、それなりの寿命を全うするのでしょうね。
 起きている時間の大半を働かなければならないマネー社会が進歩した社会と言う発想が洗脳ですね。マネー社会がお金にとり憑かれた人間を作り出し、その為に多くの要らない産業と無駄と自然破壊と不正を作り出していますね。


>じわじわと経済は縮小にいっているのは事実のようで、私個人としては必要以上の贅沢から脱却して、ドーピングが抜けていく良い傾向では? とも考えてしまいます


 そうですね。私も不景気による景気後退はいい傾向だと思います。成長が限界に達したところで、これ以上成長政策を行う事は文明崩壊に繋がるでしょうね。今こそ経済成長路線からの脱却を図る時期ですね。

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2010-04-17 00:04
現在世間で使われている「エコ」と言う言葉には嘘っぽい響きがあります。テレビでもラジオでも新聞でも、恥ずかしくもなく「環境にやさしいエコ」などと言う言葉を、全然環境によくない物事に使っています。エコ替え、エコ住宅、補助金減税・・・みんなEcology の意味の積りで、その実態は Economy そのものです。経済中心の似非エコ、偽エコばかりです。その為に「エコ」と言う言葉には偽善ぽいイメージが出来てしまい、深く環境問題を考えている人の中には嫌悪感を抱いている人も沢山いる事でしょう。
 
エコロジー[Ecology]の本来の意味は「生態、生体環境」と言った意味です。これはヘッケルと言う生物学者が「生物の棲家の学問」と言う意味で名付けた事になっているそうです。つまり、本来エコロジーは、生物集団の学問と言う意味で、生物相互の関係を扱うものです。 環境問題の本質は、生物集団が作る生態系が安定するかどうかでしょう。

 動物の排泄物や死体はその動物の種にとっては汚染ですが、他の種の菌類や細菌類にとっては栄養、つまり、エネルギー源や体を作る物質になるのです。
同様に、枯れ葉や落ち葉、朽木のような植物の死骸はその種の植物にとっては汚染ですが、小動物や菌類、細菌類などにとっては栄養です。
 栄養として小動物の体の中で分解された植物の体は、次の生物に引き継がれ、その度に次々に中間生成物が小さい分子に分解されていき、最終的には無機質と水と二酸化炭素まで分解されて、また植物の栄養になるのです。
だから植物だけでも動物だけでも、菌類、細菌類だけでも生物は生きていけないのは勿論の事、少ない種類の生物だけでも、生物は生きていけません。生態系が豊かと言う事は多種類の生物が共生している状態であり、豊かな生態系でなければどの生物も存在できないのです。
そのような豊かな生態系を保つことを考える学問が本当のエコロジー[Ecology]です。
その本来の意味でのエコロジーには、全く嫌悪感を覚えません。嫌悪感どころか、謙虚に敬意を感じます。・・・これが自然崇拝の原点ではないでしょうか?

 現在の似非エコ運動では、環境問題は解決などする筈がありません。解決どころかますます悪化するばかりです。早く、本当の意味での エコロジー=生態系の共存 豊かな生態系を保つ事を考えたエコロジー運動に戻るべきでしょう。・・生態系が壊されて再生不能になる前に・・。

 関連記事 【生態系の維持


参考文献
近藤邦明 著  『温暖化は憂うべきことだろうか』  第1章 生きている地球   
槌田敦 著   『エントロピーとエコロジー』    第4章 生きている地球
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【2010/04/17 00:04】 | 生態系 トラックバック(0) |

強欲
guyver1092
 エコロジーに関心を持つ人が増えるということは、多くの人々が心のどこかでこのままでは危ないと感じているからと考えます。
 ただ上々氏がたびたび指摘されているように、多くの人は考えていないに等しいレベルでしか物事を考えていないようです。その隙間を強欲な者が突いているのが、現在のエコブームでしょう。ひょっとしたら安心したくて、自分をだますためかもしれませんが。
 この原因がものごとを考えないことならば、教育システムを変えていくべきでしょうし、自分をだましているのなら、右翼の大好きな言葉の「精神力」を鍛えるべきでしょう。(不幸や悲劇の迫ってくることを認められる力という意味で右翼が使っている意味とは違う気がしますが)

現状認識
雑草Z
    guyver1092さん

 おっしゃるように

>エコロジーに関心を持つ人が増えるということは、多くの人々が心のどこかでこのままでは危ないと感じているから

でしょうね。そのEcologyが政府や企業によって、経済発展という名の企業が儲ける為のEconomyにすり替えられているのが現状ですね。


>教育システムを変えていくべき

その通りですが、その為には文部科学省の方針を変えなければなりませんが、企業べったりの政府がどもまで改革出来るでしょうか?・・・文部科学省の方針など当てに出来ないのなら、草の根運動で教育システムを変えていかなければなりませんが、そのような意識のある教育者はどのくらいいるでしょうか?・・・現在の教育は企業戦士を育てる事に重点が置かれているようです。教育のスポーツ偏重なども企業戦士教育に結びついていると考えます。


>自分をだましているのなら、右翼の大好きな言葉の「精神力」を鍛えるべきでしょう。

これまたユニークな物言いですね!・・一つ前の記事【エコに踊らされる人々】へのコメント、<安心したい人々>の補足説明ですね?この辺、精神安定とのバランスが鍵ですが、現状をしっかり見つめなければなりませんね。
guyver1092さんのさらなる補足説明をお聴きしたいところです。


生物がいなければ環境もない?
上々
ちょっと話題がはずれますが、
エコロジーは生態学なんで、生物がいなければ生態もないですね。
さて、地球以外のほとんどの星には生物はいませんが、もしも月や火星に鉱物資源があるとして、それを掘り出して地球に運ぶようになれば、月や火星の環境破壊になるでしょうね。
そうすると月や火星の「エコロジー」って言うんでしょうか。

生物がいなくても、その星の「環境」と言うのはありますね。
そうすると「エコロジー」という言葉も適切ではないのかもしれません。

「生態」だけを考えると言うのも生物としての人間の思い上がりなのかもしれません。

ちょっと変な切り口で失礼。

勿論、生物がいなくても環境は存在するでしょうが・・
雑草Z
    上々さん

 私も、議論に於いて例外を考えるのは好きな方です。

>エコロジーは生態学なんで、生物がいなければ生態もないですね。

勿論その通りだと思います。


>そうすると月や火星の「エコロジー」って言うんでしょうか。

本来の意味での Ecology を使うのは不適切だと思います。本文に書いたのは

>エコロジー[Ecology]の本来の意味は「生態、生体環境」

という事ですから、月や火星に生態系が無い限りその本来の意味での「エコロジー」という表現を使うのは不適切でしょう。月や火星の「環境」という言葉は普通に使えると思います。

 英語で「環境」は environment
「環境問題」は environmental problems

 です。その意味での「環境の破壊」は月や火星でもあるとも言えましょうが、本来のエコロジー[ecology]の問題ではないでしょう。 

 他の生物の事を考えずに人間の生存環境の事だけを考える事は「人間の思い上がりだ」・・と言われる事はあるでしょうが、(・・他の生物無しでは人間が生きられないのでおかしな発想ですが・・だからこそのEcologyでしょう・・)

>「生態」だけを考えると言うのも生物としての人間の思い上がりなのかもしれません。

とは全く思いません。生物がいるからその生存の為の環境が必要なわけで、生物がいなければ、無生物の火星や月(・・ガイアのように月や火星を生物と考えない場合・・)の環境がどうなろうと誰も何も不都合はないし、感じないし・・・「環境破壊」という概念事態が無意味です・・・というかありません。「環境問題」という概念はあくまで「人間にとっての」もしくは「生物にとっての」という事が無ければ、定義のしようがないでしょう。
 生物が棲まない無生物としての月や火星が何らかの原因でその形態を大きく変えられても、生態系の存在する地球などに影響が無ければ、Ecologyの問題ではないと思います。環境問題とも言えないでしょう。

 でも、これは「認識するものがいない場合の環境」のような哲学的領域の話かと思います。踏み込んでも仕方ないと考えます。



 関連して余談ですが
月や火星の資源を開発する・・というような事は、非常に愚かな人間の自滅行為だと考えます。

>月や火星に鉱物資源があるとして、それを掘り出して地球に運ぶようになれば、

 このような事は、それこそEPRが良くない風力発電や太陽光発電とも比べようもないくらいEPRがお話にならない事です。ただの地球の環境破壊です。例えるなら、エベレストの山頂におにぎり一個あって、または一握りの鉄鉱石のかけらがあって、それをわざわざ日本からヘリコプターに乗って取りに行くよりも遥かに愚かな「資源獲得」でしょう。
 技術の問題ではなく、重力場からの脱出という物理的根本原理で無理です。

 計算方向が逆ですが、地球からの脱出速度のデータを元に、他の星からの資源の持ち込み・・という事が如何に割に合わない愚行か・・などを論じた記事が
【宇宙開発を考える程のばかでなし】2007-5-17
http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-169.html  です。


Re:現状認識
guyver1092
 「強欲」でしたコメントはご指摘の通り、雑草Zさんが「エコに踊らされる人々」で指摘した環境問題に関心が高まっているのに、現実の環境に役立つ対策がほとんどされないことの原因となる、人々の認識を推測してみたものです。
 一つ目は、感情のみで現状を処理してそれらしいことを吹き込まれたら、それを信じ込んでしまう、悪い言葉でいえば馬鹿というのをオブラートに包んで言ったのが「強欲なものに隙を突かれる」という表現です。
 二つ目の「安心したくて、自分をだますため。」というのは、現在のエコ政策が役に立たないのを理解しながら、現在の自分の生活を変えたくないのでわざとだまされるという困った人々がいるのではないかと考えました。もしそうなら、これらの人は、認めがたい真実を認める心の強さが必要と考えました。この強さのあることの表現としては「精神力」なのでしょうが、この言葉はあまり好きではないので、「右翼の好きな」という茶化した表現にしました。
 じつは「惑星開発委員会」も入れようかと思ったのですが、あまりにしつこくなるのでやめました。

相変わらず非常に凝ってますね。底が見えないくらい深さです。
雑草Z
    guyver1092さん

>環境問題に関心が高まっているのに、現実の環境に役立つ対策がほとんどされないことの原因となる、人々の認識を推測

 例によって、タイプ別パターン分けですね。このシリーズいつも楽しめますが、最近深読みしなければならない部分が多々ありますね。

一つ目は   「強欲なものに隙を突かれる」
 勿論、環境問題を隠れ蓑にEcologyとは名ばかりで、殆どEconomy、自分達の利権、儲けの為に「エコ」を唱える強欲な者に踊らされている「善良な(お馬鹿な)市民」をオブラートに包んで表現したのですか!!


二つ目
 >現在の自分の生活を変えたくないのでわざとだまされるという困った人々がいるのではないかと考えました

わざと騙される・・・というよりも、現状に目を背ける、目をつぶる・・・と言うニュアンスでしょうか。
それなら沢山いるでしょうね。
 現実の環境破壊に対峙すると、発狂しそうなくらい酷い現実がそこここにありますからね。騙されなくても、まだ大丈夫、何とかなる・・・というオプティミズムは持ちたくなりますね。

>認めがたい真実を認める心の強さ

これは確かに必要ですが、現状を把握すると逃避、退行したくもなりますね。
 

>この言葉はあまり好きではないので、「右翼の好きな」という茶化した表現にしました。

おお、なるほど、そう言う事でしたか・・・今回の御説明で、よくわかりました。その言葉が嫌いな guyver1092さんに非常にシンパシーを感じます。

 
guyver1092さんの表現は非常に凝っていますね。言葉のあやの妙ですね!微妙な意味を載せる簡潔な言葉の選び方が独創的です。
 

こちらに返答を
アルテミス^^
コメントが遅くなりまして失礼いたしました
こちらこそ宜しくお願いします^^

Re:こちらに返答を
雑草Z
    アルテミスさん

 遡ってこの記事への返答ですが、何故この記事だかよくわかりません(笑)この手のお気遣いなく。

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2010-04-13 00:05
 最近、環境問題に関心がある人が増えてきました・・・と言うよりも殆どの人が関心を持っているでしょう。・・その事だけ考えると大きな飛躍です。一昔前までは,環境問題に関心ある人が多くなかったし、環境問題に関心があっても、危機意識を持っていた人は少なかったようですが、最近はこのままでは大変だ・・と危機意識を持った人も増えてきました。・・ようやく・・・という感じです。しかしこの次の段階がよくありません。偽の環境対策に乗ってしまう人が非常に多いのです。企業なり経済界なりその傀儡であった政府の意向通りに、「環境対策」と言う名の「経済対策」に乗っかってしまっている人が沢山います。・・・残念ながらそういう人が現在の主流です。
例えば
 大量消費はそのままに、リサイクル運動に励む人、(エコキャップ運動とか・・・)
 現在使っている商品をスクラップにしてエコ商品に買いかえればいいと思っている人
 政府がやっているエコ対策(エコロジー対策の振りをしたエコノミー対策)で安心してしまっている人
 CO2温暖化のシステムも知らずに、CO2が最も環境に悪い気体とでも言うように、見かけの二酸化炭素排出量削減にのみ拘る人・・どう考えても、塩素系合成化合物、放射能のほうが危険ですが、そちらを増やしてまでも二酸化炭素排出量を減らそうと言う本末転倒な努力・・・

 環境問題に向き合って少しでも環境に負荷をかけないように・・・という発想は何もしない人よりは素晴らしいかも知れませんが、逆効果になってしまっている現実を考えるとちょっと情けないものがあります。環境問題をビジネスチャンスとしてしか捉えていない、金もうけに利用しようとして問題をすり替えている企業などの提唱する似非エコ対策に踊らされて、いいように利用されています。環境保全の意味でのエコ=エコロジー[Ecology]
ではなく、経済活性の意味でのエコ=エコノミー[Economy]でしかありません。
 
 その最悪の例が二酸化炭素削減です。これまでここのサイトで何度も言及しているように、本当にどうしようもないギャグ効果・・ギャグのような逆効果・・です。

 騙している企業なり政府が一番悪いのですが、人々も本当にエコか似非エコか、しっかり判断すべきです。判断がつきにくいものもありますが、明らかに似非エコであるものも世の中には溢れています。そんなものに踊らされるのは情けない事です。
 世の中には 似非エコ=エコノミーエコ が溢れていて、それに踊らされている人間が多い為に、真の環境対策がなかなか進んでいません。それどころか似非エコ対策で経済が活性化して儲けた企業は多々あっても、環境問題は悪化の一途を辿っています。極めて危惧すべき事態です。
 似非エコはその正体を暴いて駆逐していかなければなりませんが、それと同時に人々も似非エコに踊らされて偽の環境対策=経済対策 に乗らない事です。その為には地球の生態系から考えて、判断していく事が大切でしょう。
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【2010/04/13 00:05】 | Economic Fascism トラックバック(0) |

科学リテラシー
上々
疑似エコの蔓延というのは、人々の科学リテラシー不足(というか、「欠如」)が主因ですが、なぜそうなのか、もともと十分に科学リテラシーを持っている人がいる国などありはしないと考えると、「それを一般に広めようとする国ないしは組織のないこと」が問題と言うことでしょう。

政策を進める国と、科学技術を研究する大学等の研究者と、科学を応用した製品を作る企業を考えた場合、
まず研究者については、研究費の圧倒的な不足と成果主義なる政策のためにさらに拝金主義的研究への傾斜が避けられないことが見られます。
このため、どうしても金蔓である政府などの方針にすり寄った研究に走りがちでしょう。
また、温暖化論争に見られるように、すぐ近くの学界であっても隣の論争には口出ししないと言う風潮です。いくらおかしなことを言っていても我関せずで放っておく研究者が普通です。

企業については儲けが最優先ですので、同業他社がそちらに走って儲けている時に正しい科学知識などと言っている会社はありません。
自分たちもそちらに向け少しでもシェアを確保することに一所懸命です。

最後に最悪な政府ですが、もともと極めて限られた科学知識しか持っていない政治家が周囲に程度の低い「ブレイン」を集めても「三人寄っても屑ばかり」です。
さらに選挙で勝つだけが目的の政治ですから、民衆受けするような政策だけしか実施できません。

高速道路新料金にはあきれ果てました。その中で、瀬戸内海のフェリーだけは少しは考えて貰えるようで、橋の通行料金は別のようですが、それを言うなら全国の鉄道会社への配慮はないのでしょうか。
自民党もだめなら民主党もだめ。「雑草党」しか見込みがないのでは。

政府の責任
雑草Z
    上々さん

 現代は科学の時代・・・と言いつつ、偽科学が蔓延していますね。何故偽科学が蔓延しているかと言えば、上々さんの仰るように、

>科学リテラシー不足(というか、「欠如」)が主因

と、言えるでしょうね。そして、科学の力が無いくせに、と言うよりも、ないからこそ、「科学」と言う言葉に弱く、しっかりした検証もないいい加減な偽科学にころりと騙される人が多いのでしょうね。

>研究費の圧倒的な不足と成果主義なる政策のためにさらに拝金主義的研究への傾斜が避けられない

そうですね。大学のような研究機関の研究者ですら企業のおかかえ研究者のような方が沢山いますね。

>近くの学界であっても隣の論争には口出ししないと言う風潮です。いくらおかしなことを言っていても我関せずで放っておく研究者が普通

これはどうすればいいのでしょうね。研究者のモラル不足・・とも言えましょうが・・・。


>企業については儲けが最優先ですので、

このあたりの組織の論理・・というものは単なるエゴイズムの問題なのでしょうが、組織の論理なら堂々とまかり通るみたいなところがありますね。

>もともと極めて限られた科学知識しか持っていない政治家が周囲に程度の低い「ブレイン」を集めても「三人寄っても屑ばかり」

民主党には理科系も多く、しっかり勉強された筈なのに変ですねえ。二酸化炭素削減の為に原発を・・・なんて本気で言っているのだからどうしようもありません。

>自民党もだめなら民主党もだめ。「雑草党」しか見込みがないのでは。

 ははは・・・最近民主党の支持率が下がっていますが、それでも自民党の支持率は上がっていないので、自民党はこのまま政権を取り戻せずに弱体化していく可能性が高くなりましたね。ポスト民主党として、緑の党系の政党が出てきて支持を集め、そのうち政権奪取する可能性も出て来たように感じます。・・まあ、緑の党系の団体にもとんでもない偽エコが沢山ありますが・・・。
 海外で「グリンピース」と名乗る人達の中にもどうしようもない人達が溢れています。





安心したい人々
guyver1092
 真実は、場合によっては認めたくないほど厳しい場合があります。私も槌田氏の本を読んで現代文明の危機を理解した時、強い不快感を覚えました。
 ある小説の表現を借りると、「不幸や悲劇の迫ってくることは信じたくないし、おぼえていたくもないのが人類」ですから、安易な似非エコに飛びついて安心したいのでしょうね。
 そこで理性的な結論を採用できれば、過去の崩壊を免れた文明になれるでしょうが、現状の趨勢は、まだまだといったところですね。
 もし政治家が、安心したいというだけの理由で、似非エコを推進しているのであれば、政治家としての必要な理性力(造語です)が不足しているのでしょう。

かなりずれますが
上々
政治に対し求めるものがずれているのも壊滅的です。
政党がどうしようもないと言ってもそれを選んでいる国民がどうしようもないからで、この20年間常に「景気回復」だけを求めて政治家を選び続け、しかも何も回復させられず、国債だけを積み上げてしまったために動きが取れなくなった政治にさらにまだ「景気回復」を望んでいる国民が大半です。

このような状況下では一番怖いのは極端な政治姿勢に走ることで、閉塞感の強まるあまり極右極左や独裁政治などに付け込まれる可能性が非常に強くなっていると思われます。
一部の地方の首長など、そういった手法に傾いている者が出始め、それに拍手する傾向が見えています。

資源獲得戦争で壊滅する前に独裁政治で破滅する可能性も出てきたように思います。

景気回復ばかり
雑草Z
    上々さん

>この20年間常に「景気回復」だけを求めて政治家を選び続け

確かにバブル後の人々の関心の多くは景気対策中心ですね。そしてそれは現在まで続いています。

>何も回復させられず、国債だけを積み上げてしまったために動きが取れなくなった政治にさらにまだ「景気回復」を望んでいる国民が大半です

 これが悲しい実情ですね。一時的に景気が回復しているように見えても、実際には国からのお金の投入によるものでしたね。そしてそのお金は元を辿れば
 国民からの借金=国債の発行
でしたね。

>一番怖いのは極端な政治姿勢に走ることで、閉塞感の強まるあまり極右極左や独裁政治などに付け込まれる可能性

う~ん、第二次世界大戦前のドイツみたいな状況でしょうか?・・今のところ日本は考えにくい状況に感じますが、状況はもっと悪くなるだろうし、日本ばかりでなく、世界的に切迫した状況になる国家があらわれてくるでしょうからね。否定はできませんね。 

 

>不幸や悲劇の迫ってくることは信じたくない
雑草Z
    guyver1092さん

確かに地球の現状は、

>認めたくないほど厳しい場合

でしょうね。深刻だからこそ、私も悪夢やエイプリル・フールであって欲しいと思ってしまいます。

guyver1092さんは、

>槌田氏の本を読んで現代文明の危機を理解した

のですね!・・・私はおそらく槌田敦さんの本を読み始めたのはguyver1092さんよりもずっと後の事で、ここ5年以内の事です。(「地球環境読本」の槌田さんの記事は、1990年頃に読んでましたが、槌田敦・・という名前は覚えていませんでした・・・)だから現代文明が破局に向かっていると思い始めたのは何がきっかけか定かではありませんが、ベルリンの壁が崩壊した直後にドイツを1人旅した辺りかと思います。(【Produceless】2006-9-7 に書きました。)
槌田敦さんの本には、寧ろこれからの解決策のヒントを見つけようとしている感じです。・・・確かに槌田敦さんの書かれる原発の実態を直視すると、悲愴感が漂いますが・・・

>政治家が、安心したいというだけの理由で、似非エコを推進しているのであれば

政治家の多くはそこまで愚かではなく、ただ環境問題の本質的現実が分からないだけでしょう・・・ってその方がもっと愚かですね。
 政治家はもっとシビアな現実を直視して対峙しなければなりませんね。



独裁政治
上々
私はそれほど安心していません。
数年前の小泉の郵政選挙や去年の政権交代を見れば、有権者が何も考えずにムードだけで動くのは明らかです。
さらに、某都知事やその他の知事などの乱暴な政治手法と、それをかえって応援する民衆を見れば、極めて危ういものと感じられます。

また、この前の検察暴走にも見られるように、公務員の服務意識の欠如も激しいもので、これが自衛隊や警察だったら(実際にそのような事例もあるようですが)どうなるでしょう。

バカな民衆による民主政治もひどいものですが、それでも軍部独裁や独裁者による政治よりはまだましでしょう。

政治形態
雑草Z
    上々さん

どのような形態の政治でもリスクはありますね。

>バカな民衆による民主政治もひどいものですが、それでも軍部独裁や独裁者による政治よりはまだまし

う~ん、確かに、大抵の独裁国家は押しつけが多過ぎて、生きにくいですね。・・・しかし、独裁政治に近くても、キューバの政治は好感を持っています。少なくとも日本やアメリカ、中国など殆どの経済大国よりはいいと感じます。

 民主政治は、決断が遅く、中庸的にならされた方向に行きますが、独裁政治は極端な方向へも簡単に行き得る・・という意味で、ハイリスクハイリターン的なのでしょう。仏様みたいな独裁者ばかりなら独裁政権もいいのでしょうけれど、そんな事はないでしょうし、やはり民主主義でしょうかね?・・でも、アメリカが「独裁政権を倒して民主化を・・・」と叫んで干渉しようとしている国は、殆どアメリカが傀儡政権を目論んでいるとしか思えずに、民主プロパガンダアレルギーになっている人も結構いるでしょうね。

どんな政治形態がいいのでしょうね。

理性的な民主主義
上々
理性ある国民であれば民主主義が一番良いと答えておきます。

実はこれは答えになっていないこともお分かりと思います。

難問山積
雑草Z
    上々さん

 そうですね。難しいですね。
ニュアンスが微妙ですが、禅問答的かも知れません。

 

 

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2010-04-09 00:04
現在、地球の生態系は各地で破壊されてぼろぼろです。これだけ生態系が破壊された現状は危機的です。生態系の回復が何よりも先に取り組まなければならない環境問題です。いつまでも役に立たない二酸化炭素削減などと寝ぼけたような事を言っている時ではありません。
年々壊されていく生態系を回復する方法を考えてみます。豊かな自然環境の中の豊かな生態系を回復していきたいものです。


生態系が完全に破壊され尽くす以前に人類が滅びてしまえば、問題なく生態系は回復するでしょう。人類は生態系の一部であるし、生態系が破壊されたら人類も生きていけませんが、人類がいなくても生態系は循環を保つ事が出来るし人類がいない方が生態系は豊かになると考えられます。(・・勿論数のバランスなどは大きく変わるでしょう・・・)こう考えると人間はつくづくガイア地球の癌細胞だと感じますが、人類も生態系の中でしっかり生きて、なお且つ破壊されてしまった生態系を回復する方法を考えてみます。・・人間以外の生物の為の地球、またはガイア地球を救う・・という考え方もあるでしょうが、ここでは、人類が共存している地球の生態系の回復を考えてみます。
これまでのように、生態系から離れていく事を進歩とするような科学妄信は終わりにしなければなりません。先ず、人間社会が生態系の一部になりきる事が必要条件でしょう。つまり、人間の生活で使うもの全てを、生態系の循環に回す事が基本です。生態系の循環に回らない物は使わない事です。外部からエネルギーの注入が無くても自然に循環するのが基本ですが、人間が手を加えて循環させる場合も、システムは出来るだけ簡単なものがいいでしょう。その場合、エネルギー供給源も大げさなエンジンを使うのではなく、人力で出来る範囲内がいいでしょう。とにかくシンプルな小さなシステムがいいでしょう。なるべく地下資源を使わない、特にプラスチックのような石油化学製品は使わない事です。

(人口)×(1人当たりの環境負荷)=(人類の地球に対する環境負荷)
ですから、人口が増え過ぎた現在では、人口も減らさざるを得ないでしょうし、1人当たりの環境負荷も減らさなければなりません。この積の値を一桁以上減らさなければならないでしょう。
この人口全ての環境負荷は、アバウトに経済規模と比例しますので、結局経済規模を縮小しなければならないと言う事です。当然の帰着です。
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【2010/04/09 00:04】 | 生態系 トラックバック(0) |


あがつま。
ほぼ、同感なのです。
可能性としては、不可能なのですが。
(人口の減少ではなく)人間の縮小化というのが、理想かもしれません。ドラえもんでいう、スモールライトとか、ガリバートンネルがあればなぁ、とか思います。
まぁ、もっとも縮小したことで、新たな危機が訪れるわけですが。緊急避難的にスモールライト・ガリバートンネルで、元の大きさに戻るのも手ですが。。。あくまでも私の妄想なので。。。

人間の縮小化
雑草Z
    あがつまさん

 初のコメント有難う御座います。

ドラえもんに出てくるアイテムに関しては、見ていないので分かりませんが、人間が小さくなれば、人間の数に関するキャパは増えるだろうな・・・とはよく考えたところです。ただ、それでも限界の数が増えるだけで限界に達する時期が遅れるだけでしょう。どの位の大きさかにも依りますが
(人類の地球に対する環境負荷)=(人口)×(1人当たりの環境負荷)
 ですから、指数関数的増加傾向があります。だから、限界に達するのは時間の問題です。
結局、本文の結論に書いたように、経済規模を全体として減らして低レベルで安定するしかないでしょう。

 また、あがつまさんも御指摘のように、他の問題もありますね。一番は生物どうしや地球との相対的な大きさの問題でしょう。そして、体を構成する細胞や分子、原子の大きさとの関係の問題。
その他、
【人類存亡のパラドックス・・・だから人類は滅びる。】
http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-262.html
に書いたような問題もあるでしょう。


期待できそうな実験
guyver1092
 英虞湾の水質改善のための大規模な実験がおこなわれるようです。

http://www.chunichi.co.jp/s/article/2010041090091128.html

 もともと干潟であったところなので、人工砂浜のようなことにはならないような気がします。この取り組みが成功すればよいのですが。
 私の希望としては汽水域産物の大生産地になればと思います。

Re:期待できそうな実験
雑草Z
    guyver1092さん

 御紹介のサイトのニュース、読ませて頂きました。
最近環境再生事業が流行りだしてきましたが、大きく工事してやる場合、それは新種の公共工事だと思って素直に賛同できません。警戒してしまいます。
 しかし、記事を読むと、今回の実験は、水門を開けるだけのようですから、是非ともやって欲しいですね。
 環境再生事業は、自然の再生能力を目いっぱい引き出すことであり、決して無闇に大きな工事をする事ではないですね。

一部の資本家がガン細胞?
BEM
私も人間こそが地球のガン細胞かと思っていましたが、考えると癌にも良性があるだろうし、細胞だけならなんの問題はない訳です。
一部変異した組織が地球を蝕んでいて、それこそが資本主義である。なんていうと共産主義がいいのか? なんて言われるとそれも違うのでしょうが(^^;

記事の石油製品、特にプラスチックの使用に関しては同感です!
陸地から流れ出したプラスチック製品が海に貯まっていて、それが途方もない量になっているそうです。
まず経済発展を止めないことにはゴミ問題も解決できませんね。

地球の癌細胞
雑草Z
    BEMさん

 丁度私も似たような事を考えて人に話していたところです。
昔、自然と調和して生態系の一部として活動していた人類は地球の正常な細胞と考えられたでしょう。
過剰なる物欲を持って、地下資源を掘ったり石油を使ったり開発に洗脳された人々が、がん細胞化した・・と言えるでしょう。恐いのは、がん細胞はどんどん増殖する事です。
 現在殆どの人間が地球の癌細胞と化している・・という見方も出来るでしょう。

 兎も角、経済成長主義は止めないといけませんね。経済成長こそ細胞の癌化でしょう。・・記事にしてもいいですね。

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2010-04-05 00:03
前回【悪い冗談】に書いたように
幼いころ身近にあった自然が破壊されてしまった・・・と言う経験は多くの人がしています。驚く事は、どの世代も経験している事です。つまり80代の人も60代の人も40代の人も20代の人も、子供の頃はもっと自然に恵まれていた・・・と感じているのです。
以前、10代や20代の人が、「子供の頃は自然に恵まれていた」・・と言うのを聞くとちょっと違和感がありました。・・・「君が子供の頃はもうとっくに自然は破壊されていただろうに」・・・。でも彼らの言った事は当たっていたのです。もっと上の世代から見れば、10年前はもう環境破壊されてしまったと見えても、それから現在に至る10年間で、更に環境破壊は進んだのです。逆に言うと、どの世代の人も、自分が子供の頃よりも、もっと上の世代の人が子供の頃はもっと自然に恵まれていたのです。つまり、環境破壊は年々進んでいて、局所的によくなった場所があたとしても、全体的には年々悪化しているのです。

子供の頃、親や上の世代の人から聞いた自然は生き物の宝庫で魅力的でした。川を裸足で歩くと魚を踏んづけてしまいそうで困った、雨の日は川からウナギが道にでて這っていた・・・そんな話を聞いて、そんなだった時代に戻って見てみたい・・・と思ったものです。
自分が幼い頃は、ホタルが庭まで飛んできました。田んぼの横の小川を網で救うと、フナやアブラハヤが沢山掬えました。子供にそんな身近な大自然を体験させてやりたいと思いました。
・・・現在10代20代の若者も、自分が小学生の頃は、身近に自然がもっと沢山残っていた・・と、確かに認識しているのです。20代の人々が子供の頃はもう既に自然はかなり破壊されて人工物に置き換わっていた・・と思っていたら、さにあらず、どの世代も自分の子供の頃よりも自然は無くなった・・と感じているのです。つまり自然は年々破壊されているのです。非常に危惧すべき事態です。もうそんな余裕はないでしょう。
せめてこれからは、現代の子供たちが大人になった時、「子供の頃はまだ自然が残っていた・・・」と懐かしむ状況にだけはしたくありません。・・・残念ながら世界中ではそんな状況がもうしばらくは続くでしょうが・・・自然もこれ以上破壊されたら再生能力の限界を超えてしまいます。・・・再生能力の限界を超えてしまったように見える場所も各地に現れています。
勿論人間も、つづれ織りのように繋がった生態系に含まれるのです。生態系の破壊は人間社会の崩壊に繋がるのです。
自然破壊はもうこれ以上進めてはなりません。自然に優先する価値のある開発など、どこにも存在しません。
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【2010/04/05 00:03】 | 生態系 トラックバック(5) |


yamakaji
はじめまして。絶滅危惧の動物について調べているyamakajiと申します。
自然が年々減っているということは、一般の人々の間でも自明のことのように言われていますが、果たしてそうでしょうか。彼らが接していた自然は人の干渉によって作り出された二次的なものであり、現在の日本では森林が伐採され、川や海岸がコンクリートでおおわれていくのと反比例し、人が手入れをしなくなった二次的自然が、植生の遷移という自然の働きによって原生林への道を歩み始めています。「人間の干渉という点だけを考えれば、それが少なくなった日本の植生は有史以来最も豊かだ」という植物学者もいます。ノスタルジーだけに立脚して自然を語ることは、自然を取り戻すことにはつながりません。一つ一つの環境と生物の変遷を腰を据えて見つめ、それが社会のどの動きと関連があるのか考えない限り、企業がコントロールしている里山ブームやエコブームに踊らされるだけで終わるでしょう。

今のところ、自明と言っていいと思います。
雑草Z
    yamakajiさん

 はじめまして。丁度いいタイミングでのコメント内容です。

>彼らが接していた自然は人の干渉によって作り出された二次的なもの

 人工の箱庭的自然と言う意味ではなく、人間と自然の共存は必要な事です。人間は自然の一部ですから生態系の循環に同化しなければならないでしょう。そう言う意味で全て人工的な都市は持続不可能で、どんな都市でも里山的自然との調和は必要な事です。

>人が手入れをしなくなった二次的自然が、植生の遷移という自然の働きによって原生林への道を歩み始めています。

 それは明るい兆しですね。しかし、残念ながら地域的にそのような場所もあるだけの事で、中国を見てもアフリカを見ても世界中を考えれば、破壊されている地域の面積のほうが遥かに多い事は明白だと思います。・・多くのデータもあります。


>「人間の干渉という点だけを考えれば、それが少なくなった日本の植生は有史以来最も豊かだ」という植物学者もいます。

 そう言う方もいるでしょうが、それは限られた地域でのお話でしょう。日本全体で考えればそのような事はないでしょう。昔と比べ、1人あたりの人間の環境負荷も、人口も遥かに増えた現在、生態系を循環しない地下資源や化学物質も地上にばら撒かれています。勿論解釈の仕方にも依りますが、日本の一部が原生林に戻っているとしても、ずっとそれ以上に日本の企業は海外の森林を伐採してきました。フィリピン、インドネシア、マレーシア・・・と次々に東南アジアの国々の木を切り尽くしてその後寒帯林の木を切って輸入して来ました。日本の小さな植生を守って(・・それはそれで大切な事ですが・・)海外のより大きな面積を伐採してきました。
 日本国内でも、最近やっと止まってきましたが、旧緑資源の広域林道の原生林などの破壊を知っていますか?現場を何度も観ていますが、あれだけ急速に破壊されてきたのよりも早く原生林が回復しているとは思えません。この道は森の中を縦貫していますので地図にさえしっかり示されていない可能性もあります。・・つまり、まだ原生林としてカウントされている可能性もあると言う事です。道路拡張やダム建設、河川工事等で破壊されている以上に自然が回復しているとは言う事は無理でしょう。

>反比例し・・原生林への道を歩み始めています。

では意味が矛盾しています。


>絶滅危惧の動物について調べている

との事ですが、絶滅を回避しているとでも言う事でしょうか?
 地域的には絶滅してしまったり激減してしまった種を沢山知っています。・・多くの人がそうでしょう。そして地球的にも最近も次々に絶滅している種の報告がなされています。

>企業がコントロールしている里山ブームやエコブームに踊らされるだけで終わるでしょう。

 かなり短絡的な発想です。他の記事などを見て頂けると分かりますが、決してそのような議論にはなりません。

  

 生態系の破壊が環境問題の本質です。それが世界的に回復している・・・と言う事であればそんなに嬉しい事は御座いません。是非とも、自然は年々回復して地球の自然は豊かになっている・・と言う事を信じるに足る根拠があればお示しください。
 世界が無理なら日本全体でもいいです。

   +++ +++ +++ +++++ +


 路傍の石ころさん、比較対象の丁度いいコメントが来ましたね。
 


鼻勝
おひさしぶりです。
うちの近辺のド田舎は河川敷辺りの開発? が、進んできてしまい、
御犬様の散歩の際に、防風林として有効だった竹林とか軒並み切り落とされ消えました。
田舎の自己再生能力? が減っていきそうですわ。

論点が全くすれ違っています
路傍の石ころ
 わたくしは、コメント欄から去ったのですが、「路傍の石ころさん、比較対象の丁度いいコメントが来ましたね。」などと仰り長い袖を引っ張るので(?)また出てきました。

 細かいことですが比較対照では? yamakajiさんはせっかく少数派の貴重な見方を提示されているのに、やや意味の通らない不用意な表現が混ざっていて、分かりにくい点があります。それで、おこがましいのですが評論家になったつもりで、yamakajiさんのお説に補足説明を加えながら、雑草さんのお説とを比較対照してみたいと思います。 まづ、yamakajiさんの仰ることはこうだと思います。文言を増やして分かりやすく敷衍したいと思います。長くてすみません。

         ……………………………………………………………………………

 かつての日本は自然が豊かだったと言われています。しかし、必ずしもそうではありません。80歳の老人が若い時に見ていた自然は、自然が豊かなと形容されますが、それは本来の自然ではないのです。
 太古の昔、たとえば縄文時代を考えてみましょう。そのころは人口も少なく、採集や狩猟で生活していました。道具と言っても原始的なものしかなく、遺跡などから推測して掘立柱の小屋程度のものとか、丸木船とかはあったでしょうが、それに使用する木材はしれたものです。大規模な森林伐採など無縁の時代でした。また古代人にとっては、自然は畏敬して崇めるものであって、収奪するとか破壊するとかはありえませんでした。
 そのため縄文時代には、日本列島は北から南までうっそうとした自然林に覆われていました。南のほうではシイ・カシなどの常緑の照葉樹林が広がり、北の方では夏緑樹林のブナ等の原生林が、また高い山や北海道ではシラビソ等の針葉樹林が覆い尽くしていました。もしタイムマシンがあって、縄文時代の上空を日本列島を縦断して飛んだら、見渡す限りの樹海が続いていることに驚くでしょう。
 この大樹海が日本列島の、真の本来の自然です。日本は雨量が多く樹木がよく育ちます。それで草本類は樹木に押されていました。樹木の育ちにくい痩せ尾根とか岩角地とか、あるいは「ギャップ」と言って老木が台風などで倒れて森林に出来た空隙に、細々と草が生えていました。このような姿が日本の本当の自然なのです。
 ところが、時代が下がって、農耕が始まり手っとり早い方法として焼畑が伝来し、また弥生時代になり稲作も始まりました。それで森林破壊が始まりました。青銅も伝わり鉄器の使用や精錬とか鋳造もはじまりました。それには火力が必要で、木炭が使われましたが木炭製造のため森林が切られました。もちろん炊事や暖房は薪しかない時代なので、どんどんと森林が伐採されるようになりました。
 歴史時代になって人口も指数関数的に増加しました。推定で奈良時代は人口800万とか1000万人とか言われ、江戸時代には3000万人程度とか言われています。人口が増えると、製鉄用にも家を建てるにも炊事・暖房にもどんどんと木が切られます。ちょっとした都市の周辺の山々はみな丸坊主です。昔の絵巻物などの絵画を見ると、山々の絵は細かな山の襞(ひだ)が克明に描かれています。そうです、山に木がないのです。
 このように本来の日本列島の自然つまり森林は、江戸時代ぐらいに奥山をのぞいてあらかた切り尽くされてしまいました。自然を護ろうなど言っても本来の自然はとっくの昔に破壊されているのです。本来の森林が残ったのは奥山と寺社林ぐらいのものなのです。
 その本来の森林が伐採された後には、陽光がさすので細々と生きていた草本がわが世の天下到来だと進出してきます。また陽樹といわれる種類の樹木の種が飛んできて生えてきます。マツが典型的な例です。マツの種子は軽くて風で飛びます。マツはそれまでヤセ尾根とか海岸の潮をかぶるようなところにしか生きられませんでした。原生林を作っていたのは陰樹と呼ばれる種類の木でした。つまり生える樹木の種類が違ってきたのです。もちろん本来の木の切り株からひこばえも生えてきます。
 このように本来の植生(潜在植生)が破壊されて、そのあとに形成される植生は、一般的に「代償植生」と言います。草地の場合もありますが森林になっていれば「二次林」と呼んでいます。この二次林が切られては、また生え、また切られては生えということを歴史時代の後半くりかえしているのです。「森林が破壊されている」と多くの人々が叫んでいますが、明治時代には山々ははげ山だらけなのです。証拠の写真がたくさん撮られています。森林破壊は昔の方がひどかったのです。残念ながら、この事実を多くの人は知りません。
 日本の自然は何百年に渡って徹底的に利用されてきました。まきや、たきぎに、また木炭用に、二次林の落葉落枝や下草まで堆肥用に熊手で採られました。およそ20~30年程度で伐採されました。山々は複数の区画に分けられて、今年はここを伐採し、来年は次のここというふうにして移動していきます。それで20~30年で一巡です。たくさんの区画があれば伐採後の二次林の回復程度はまちまちです。
 ですから昔の山々はパッチワーク状の風景でした。これが自然を護ろうと言っている人たちの自然の姿です。本来のものとは全く異なります。昔は里山もかなり奥のほうも、山々は「自然」ではありません。畑です。柴や木炭や堆肥材料を採るための徹底的に管理された「畑」つまり人為だったのです。
 ところが異変が起こったのは昭和30年代です。
 「燃料革命」が起こりました。薪や木炭から、石油やガスや電気へと燃料がパラダイム・シフトしたのです。生活様式も激変しました。山々は大事な「畑」から価値のない「雑木林」になりました。山々は捨てられました。山には誰も用はなくなりました。誰も山には入らなくなりました。
 そうすると、自然の偉大な摂理である「遷移」という現象の時計の針が動き出したのです。時計の針はすでに40年の経過を告げています。山々では年々樹木が生長しています。すでに陽樹から陰樹へと移りかけているところもあります。自然林に近づいているところもあります。本当の意味でのバイオマス(生物量とか生体量とか訳します)がどんどん蓄積されています。かつては20~30年で伐採されていた二次林が、30年を超えて生長しているのです。
 日本の山々の植生は「極相林」へと向けて力強く育っています。多くの植物の研究者が、「歴史上いまが最も日本列島の植生が豊かで山々が緑に覆われている」と言っています。日本地図をよくご覧ください。日本は山国です。平野は国の面積の2割しかありません。ヒトが住めるのは丘陵地帯や山裾を入れても、最大限3割です。 7割は山なのです。
 その7割の約半分が植林という用材を栽培する「畑」ですが、残りの半分の広大な面積で、力強く二次林が極相林に向けて生育しているのです。これはまさに、何百年とヒトが干渉し破壊してきた自然が本来の自然に還っていると言えるのです。

           …………………………………………………………………………

 yamakajiさんの仰っているのはこう言う当たり前のことなんですよ。植物の専門家だけでなく、調査に参加している熱心なアマチュアもみんな、このことには気づいています。
 日本の植生の歴史年代における変遷を捉えて、現在の山々の植生の状況を客観的に述べているだけなんですよ。客観的な事実を認識するのは大切です。植生調査をしている人々は「歴史を見る目」という視点で現状認識しているのです。yamakajiさんの見方はそっくりそのまま私の見方でもあります。
 
 雑草さんは、林道による破壊とか、外国から木材を輸入しているとか仰るのは、それはまた別の話なのですよ。論点が違うんです。自然の破壊とかは、そういう論点の議論として、たとえば 「破壊的な林道を是とするか非とするか」 の議題で論じるべきもので、おそらくyamakajiさんも私も雑草さんもここに来られる多くのかたも、意見はほぼ一致すると思いますよ。
 自然現象として起こる遷移の様子から学術的に見えることと、破壊や開発による人為現象をいっしょくたにしているので論点のすれ違いが生じているのです。

 それと絶滅危惧生物を調べるとか調査するとかいうのは、基礎データの作成なんです。護るべき自然は何か、その指標として絶滅危惧生物があるのです。それを調査したり、研究したりするのは、あくまでも基礎データをまとめているのです。何を護るべきか明らかにしなければ、やみくもに保護活動しても的外れになります。ちなみに私の観察・調査したこともわずかですが県版や近畿版のレッド・データ・ブックに反映されています。
 雑草さんの仰っている「絶滅を回避しているとでも言う事でしょうか?」というのは、環境活動家の言いがかりみたいなものです。基礎データの収集・作成と、環境を護る活動とは、別のものなのですよ。yamakajiさんは「調べている」と仰っているだけです。調べることが絶滅を回避することにつながるのか、とそういう言いがかりは変ですよ。

わたしは本当にこれをもちまして失礼いたします。ながながとすみません。
本当に、いろいろと、ありがとうございました。

 


 

あの頃 熊ん蜂は傍にいた・・
団塊おやじの遺言
最近思い出す事は・・昔川原や野山に寝そべっていると耳元に大きな音 密を採りに来る太った白と黒のブ~ンと大きな羽音を鳴らし びっくり飛び起きる! 当たり前に居た くまん蜂君の飛行だ  野山には必ず居た当たり前の昆虫です 草の香り そよぐ風 そして蜜蜂や様々な昆虫が居る 川にも様々な魚がいたよね 戦後生まれの私 子供の頃はおやつの無い時代 でも野山の木々には何かしらの実を見つけ 川からは小魚を採り立派なご飯のおかずに 山菜や川の恵み 八目うなぎやドジョウや小魚
が自然には溢れていた 貧乏は当たり前の世の中でしたね
何よりも自然には生き物や食べられる物が溢れていました 都会は兎も角 野山には人々を生かす力に満ち溢れて居た様な??
マグロやステーキは無かったが 生きるのには充分の恵みを私は自然から確かに受け取りました 戦後と今の社会情勢は比べるべきも無いが 豊かさとは何かを考えています


 


路傍の石ころ
追記です。

 まず、昔は自然が一杯で山々は豊かな緑で覆われていたと思いこんでいませんか?

 それは単に、そうに違いないと根拠なく信じている幻想なのです。歴史上、日本の森林が最も荒廃したのは明治時代の中期です。薪炭用や窯業用などで各地の森林が過度に伐採されました。特にひどかったのは瀬戸内海の中国地方側や、近畿の中央部や、濃尾平野周辺、関東の一部などで、山の表土が流れ去り、はげ山が広がりました。地質的には風化しやすい花崗岩の山は乾燥が著しく、はげ山化が進みました。はげ山でもかろうじて生育できるのがアカマツです。アカマツの分布の拡大を見て、有名な 『赤松亡国論』 が登場したのは明治33年です。
 太平洋ベルト地帯を中心にして日本各地に天井川 (てんじょうがわ) が存在しています。川の川床が周囲の平野よりも高いものを言いますが、その成因は上流の森林破壊です。大量の土砂が流出して川床に堆積するのです。川床が上昇すると堤防も高くする必要があるということで、後背の平野より川自体が高くなりました。ここで日本の森林荒廃やはげ山の成立要因を研究した素晴らしい書物を紹介しましょう。

千葉徳爾著, 『増補改訂 はげ山の研究』, 株式会社そしえて, 1991, です。環境問題の名著です。

 これは地理学・歴史学・生態学の3領域にまたがる学際的な研究書です。入手困難で、高価ですし、チョイチョイと読める本ではないのでお薦めはできませんが、大きな図書館 (国会図書館など) で閲覧できる機会があればぜひ目を通してください。巻頭に古い白黒の写真を3葉提示しています。この写真を見るだけでも考えさせられます。昔は、森林が豊かだったなどという幻想は、それこそ木っ端みじんに吹き飛びますよ。

 森林の各地での広範囲な伐採、薪炭を得るための日常的な伐採は、ずーっと昭和30年代まで続くのですが、その後は伐採は終息しています。先に申した通り燃料革命により薪炭が要らなくなったからです。いま全国の広大な面積で二次林が順調に生育しています。
 『理科年表』の平成21年版の環境部の65ページに、「全国植生自然度」という項目があります。これによると、国の面積に対する自然度ごとのパーセンテージをしめしています。 (旧版の引用で恐縮です。22年版は買いそびれました)
 自然林が17.9%、自然林に近い二次林が5.3%、二次林が18.6%、植林地が24.8%です。これらを合計すると66.6%で、これが日本の森林率ということになります。自然林は定常的な極相に達している森林なので、これ以上生育することはありません。しかし二次林は伐採されなくなったので、どんどん育っています。二次林は国土面積の23.9%ですから、ものすごい広さですよ。
 植林も間伐とか枝打ちの管理の手薄などありますが、順調よく育っています。次の資料は 『林業白書』 の参考付表です。1の林業関係基本指標のなかの⑥の森林蓄積という項目をぜひご覧ください。
http://www.rinya.maff.go.jp/j/kikaku/hakusyo/20hakusho/pdf/s_2.pdf
昭和55年に森林蓄積が25億立方メートルでした。それが平成19年には44億立方メートルに増加しています。30年弱で7割ほどの増加ですね。これは植林も二次林も順調よく生育し、毎年幹が太りバイオマスを増やしているためなのです。これは日本列島全体の広大な森林で起こっている現象です。

 植物の研究者が、「日本の植生は有史以来最も豊かだ」 と言っているのは、調査研究をもとにして裏付ける資料がきちんとあり、それで言っているのです。こんなことは植物調査に参加している人は素人でも皆知っています。ただ、言っても信じてもらえないから黙っているだけなのです。

 yamakajiさんのコメントは端的に表現しているので、理解しにくいのではないかと思います。しかし、yamakajiさんは客観的な事実を言っているだけで、けっして間違ってはいません。

>現在の日本では森林が伐採され、川や海岸がコンクリートでおおわれていくのと反比例し、人が手入れをしなくなった二次的自然が、植生の遷移という自然の働きによって原生林への道を歩み始めています。

 これは特に分かりにくかったと思います。反比例などの言葉を不用意に使っています。彼は(たぶん男性の方でしょう)こう言おうとした筈です。まことに僭越ながら翻訳してみます。

「現在の日本では、身近なところでは森林が伐採されて、自然がどんどんと破壊されています。また、川や海岸がコンクリートで覆われて小動物のすみかが奪われ、やはり自然が破壊されています。けれども、すこし目を転じると意外なことが見えてきます。ヒトの生活・生産環境から少し離れると、ヒトが入ることの途絶えた二次的自然があります。たとえば、二次林と言われる森林では薪炭用に木を切らなくなりました。すると遷移という自然の法則が働いて、原生林(極相林)に向けて、森林は力強く生長しているのです」

>企業がコントロールしている里山ブーム

 これは、企業というよりも、行政とかNPOなどが 「里山が荒れている」 などと叫んで整備事業を各地でやっています。そのために補助金という税金をかすめ取っています。そして必要もない遊歩道をつけたり、東屋(あずまや)を建てたり、つまらないことをしています。里山は荒れているのではありません。遷移が進行して自然に戻っているだけなのです。 なにが本質的なことか、本当にはなにが起こっているのかよく見据えないと、利権屋たちが喜ぶだけなのです。
 こういうことを述べているのだと、拡張すると解釈できます。

長くなったので、箇条書きにまとめます。

●yamakajiさんは、日本の二次林で起こっている自然現象を述べているだけです。
●その主張の核心は、二次林は生長し森林が豊になっていることです。
●その自然現象を理解しないと、インチキ環境運動にふりまわされる。

それに対して、雑草さんのお返事は、
●二次林で進行している自然現象の当否については疑っておられる。というか答えていない。
●人為現象の林道の自然破壊・木材の輸入・ダム工事・河川改修など、論点のすり替え・拡散を一生   懸命なさって、yamakajiさんのコメントを全否定されています。

 私の考えは、
●二次林が生長し森林が原生林に向けて育っているのは、学術的に正しい。
●しかし自然度が1・2・3のヒトの活動領域での、生物の生息環境の悪化は確かである。
●その悪化の人為原因は生息環境の物理的破壊、それと家庭排水などの垂れ流しが主たるもの。
●この2点を改善すれば見違えるように良くなる。
●林道は森林破壊を引き起こしているのは事実である。しかし、破壊面積は国土の24%の広大な面積  の二次林全体からすると、微々たるものである。
●林道破壊が大きく見えるのは心理効果。1000人の群衆の中に奇抜な服装の人が30人いたら、2割ぐ  らいいるように見える。実体は3%。目立つものは大きく見える。
●しかし破壊的林道を是とするのではない。断固として反対する。

 大変ながながと失礼しました。


研究者でもないのでおこがましいのですが
guyver1092
 近年、日本に生息するいろいろな生物が絶滅危惧種として認定されていると認識していましたのでyamakaji氏のコメントを読んで意外に思いました。その他、異様に頭の大きなツキノワグマを狩ったら餓死寸前のツキノワグマだったとか、近海漁業が振るわないのは山が痩せてしまったからだとかの議論も読んだことがあります。
  路傍の石ころ様、できれば、これらの真偽および合理的理由を説明してくださるとうれしいです。

 雑草Z様。自然と人間にとって好ましい豊かな生態系は別々に定義したほうがよいかもしれません。気候帯によっては原生林よりも人間の定期的干渉のある森(学問的に何と呼ぶのかは知りませんが)のほうが生態系が豊かだとも聞いたことがあります。

>田舎の自己再生能力
雑草Z
    鼻勝さん

 御久し振りのコメント有難う御座います。

>河川敷辺りの開発?

私の近辺でも進んでいますが、本当に酷いものですね。

>田舎の自己再生能力? が減っていきそうですわ。

そうですね。・・里山が持っている自己再生能力ですね。


>野山には必ず居た当たり前の昆虫
雑草Z
    団塊おやじの遺言さん

 御久し振りのコメント有難う御座います。

 里山に当たり前のようにいた昆虫や魚・・・動物が年々減っているのは悲しい事ですね。

>八目うなぎやドジョウや小魚

ドジョウやぼやっこ(・・アブラハヤの方言・)メダカやフナなどは身近に観ていましたが、ヤツメウナギは観た事がなくて、自然の川に泳いでいるところを見てみたいと思っているところです。
 
 人間の入らない地域の自然が保たれる事も大切ですが、里山の生態系が保たれる事も大切ですね。

 心の和むコメント有難う御座います。




 

 

淡々と的を得ていますね。
雑草Z
    guyver1092さん

 短いコメントの中に、非常に濃い内容が込められたコメントです。議論の応酬の本質を掴んでます。恐れ入りました。

>自然と人間にとって好ましい豊かな生態系は別々に定義したほうがよいかもしれません。

そうですね。鋭い御指摘です。今回の自分の記事をよみ返した時、タイトルが

生態系は年々貧しくなっている

とかしたほうが、 yamakaji さんや 路傍の石ころ さんのような記事の主題と違った御自分達の拘りの論の展開の場にならなかったのかな・・・と思っています。この記事で、『自然』と言う概念の定義、捉え方をはっきり示していなかったなと思いました。
 しかし、それはそれで、瓢箪から駒的な展開なのかな・・とも思います。

 兎も角 guyver1092 さんのこのコメントは鋭い一石を投じて下さいました。有難う御座います。シンプルで的を得ています。 

 

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2010-04-01 00:03
今日の酷い自然破壊の現状を考えると、目をそむけたくなるような事だらけです。悪い冗談であって欲しいと感じる事ばかりです。
そんな事例は多過ぎて枚挙に暇がありませんが、多くの人が似たような経験をしている事例を書いてみます。

私は岩手県の内陸で育ちました。いわゆる山国育ちに入るでしょう。少年時代、ごくたまに、遠足やら家族旅行やらで、海岸に行くと大きな驚きがありました。海岸の生態系の豊かな事、豊かな事・・。海岸には動物がうようよいたので、海は、砂浜の海岸で泳ぐ事よりも岩場の海岸のほうが遥かに好きでした。岩場に足を踏み入れると、気が狂うほどに沢山のカニやらフナ虫やらが、いっせいにどっと逃げはじめました。そして、海の水には、様々な小魚が群れていて、軟体動物も沢山いました。水底には貝やヒトデがびっしりいました。巻貝は水面近くの岩一面にびっしりと付き、巻貝かと思うと、足を出して歩き始め、ヤドカリだったりしました。イソギンチャクもあちこちの岩にくっついていて、指で触ると、小さなミサイルのような毒の嚢を沢山指に撃ち込みます。あのくっつくような感触が結構気持ちがいいものでした。岩から無理に離そうとすると、小さく縮んで水を噴き出します。軟体動物は海水にも沢山浮かんでいました。クラゲ、アメフラシ、ウミウシ・・・よくもまあ、こんなに沢山の生き物が棲んでいたものです。・・山にも沢山の生物が棲んでいましたが、海の生物は見かけが派手で、物珍しさも手伝って、存在感がありました。非常に密度が高く共生していたように感じました。海岸は物凄く多くの動物がひしめき合って棲んでいる・・という強烈な印象がありました。

 数年前の夏の日に、あの大量にいる海岸の動物を確かめたくて、子供にも見せたくて三陸の海岸に行って見ました。先ずは福島県から近い松島の海岸に行きました。ウミネコが沢山いて、遊覧船ではみんなで餌をやってなかなか楽しい感じでした。しかし、松島の海岸にはカニを見つけられませんでした。・・このままでは帰れない・・・・もっと北の岩井崎まで行けば、まだ海岸も荒らされてなくて、カニも沢山いるのではないか。カニだけではなくアメフラシもヒトデも沢山いるだろう・・。そう思ってリアスス式海岸である三陸海岸を北上しました。岩井崎は、中学生時代に遠足で行って1,2時間滞在しただけでしたが、その海岸生物の多さにみんなはしゃいだ思い出の場所でした。
・・岩井崎に着くと、印象が変わっていてなんか静かな雰囲気です。素晴らしい海岸が整備されて自然破壊されていました。海岸には山のように土が盛られて見晴らし台になっていました。生物の躍動が感じられません。あのうじゃうじゃいたカニもイソギンチャクも小魚もアメフラシも、やっと探して一匹二匹見つかった程度でした。
これは何かの間違いだ、悪い冗談かなんかだ、こんな工事が平気でなされていい筈がない・・と思わずにはいられませんでした。

・・・「悪い冗談でした。」、「ドッキリカメラでした」・・・と岩陰に隠れていたカニやイソギンチャクやヤドカリがどっと出てきてくれたら・・・と願わずにはいられませんでした。「今は夏ですが、エイプリル・フールです!」・・・と。


 このような体験は他にも色々ありました。幼いころ遊んだ川エビの沢山いる沼も埋められてしまいました。フナやアブラハヤが沢山泳いでいた川もコンクリートが被せられて、魚も住まなくなってしまいました。庭に飛んできたホタルもいつの間にやら来なくなりました。・・・どんどん自然が荒らされて生態系が縮小しています。

 日本中、世界中の人々がこのような体験をしているのではないでしょうか?・・もっともっと自然に恵まれた大きな生物の楽園が思い出の地で、そこが破壊されてしまって心が痛んでいる人も沢山いることでしょう。自然が破壊された代償は、ノスタルジー的な意味だけではなく、生態系の問題としても計り知れなく大きいのです。

 子供の頃遊んできた生態系豊かな自然が壊されている現状を見る度に悪い冗談であったらいいのに・・と感じます。「今日もエイプリル・フールです」・・・と。
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【2010/04/01 00:03】 | 思い出 トラックバック(0) |


路傍の石ころ
雑草Zさん

こんにちは。

 岩井崎というのはどこかなと、地図をみると気仙沼の近くですね。「海岸には山のように土が盛られて見晴らし台になっていました」 とのことですが、建設残土でも捨てたのでしょうか。けしからんですね。もしかしてその残土に紛れて産業廃棄物も混ぜ捨てているかもしれません。そしてその痕跡を隠すために表面だけ綺麗な土をかぶせ、公園にする……、ということはよくあることですね。表面上は、観光客誘致のため見晴らし台が要るのだと地方議員が動いていて、その真意を探るとその議員の関係業者が廃棄物を不法に捨てようともくろんでいた……、などと、つい想像してしまいます。
 よくあるんですね。私の住む島でもこのようなことが起こっています。ひどいのはビルを解体したコンクリート片などを大量に沖の海底に捨てています。ときどき発覚して事件になっています。漁場が破壊されて島の漁師さんたちがカンカンに怒っています。

 日本中の海岸が、主に建設業界の餌食になっています。やたらと護岸工事をするし、消波ブロックを並べたがります。海岸の生態系を護ろうと自然保護団体が護岸工事に反対すると、行政や業者は離岸堤に変更します。反対運動を受け入れて海岸は護る代わりに、100メートルほどの沖に堤防をつくるのです。しかし離岸堤を作ると潮流の流れが変わり、護った筈の海岸の生態系が砂で埋まってしまいます。行政や業者のやっていることを見ていると、その工事が必要でしているのではなく、工事がしたくて工事をしているのは、ほぼ間違いありませんね。こうして豊かな多様な生き物をはぐくんでいる自然海岸が破壊されつづけています。こまったことですね。

 ちょっと気になったところがあるのですが、何回か三陸海岸を観察された際は、大潮のときの干潮時に行かれましたか? 大潮の時には、干潮と満潮の潮位差が、太平洋沿岸では2メートル、瀬戸内海西部では3~4メートル、九州有明海では5メートルもあります。(日本海側では30~40センチ程度で常に満潮状態みたいな感じがします)
 観察した際の潮位によって、観察できる生物の様子は一変します。大潮の干潮時の観察では、海岸の生物相の豊さにはおどろかされます。しかし小潮の時には何もいないなと生物相は貧弱にみえてしまいます。

 大潮の満潮の潮位を高潮線と言い、大潮の干潮の水位を低潮線と言って、その間 (潮間帯) を普通4帯 (上部・中部・下部・最下部) に分けています。それぞれの分布帯に特有な生物が、見事な垂直分布をみせて棲み分けています。それで大潮の潮位が最低になったときには、4帯に加えて高潮線より上の飛沫帯と低潮線よりも下の漸深帯の6帯に生息するたくさんの海藻や動物が観察できます。
 これはちょうど3000メートルの山を登るとき、ふもとから丘陵帯→低山帯→山地帯→亜高山帯→高山帯と植生が変化していくのによく似ています。それで大潮の時でないと海岸生物の多様性や豊かさが十分に観察できないのです。

>松島の海岸にはカニを見つけられませんでした
ということですが、観察された時の潮位が関係しているのでは? という印象を強くうけました。

 子供のころから島や四国・岡山県あたりの海岸や磯を40年あまり見ていますが、埋め立て・護岸工事・開発などで磯や干潟がどんどん破壊されてはいますが、破壊を免れた自然海岸はいまでも生物相は驚くほど豊かで生物多様性に富んでいます。

 昨日は大潮だったので、破壊から免れた磯へ行きまして、サザエと 「ながれこ」 をたくさん採ってきました。アワビやトコブシは漁業権の問題で無断で採ってはいけないのですが、実質は同じなのに名前を変えて「ながれこ」 は獲ってもよいということに私の地方ではなっています。京阪神という人口密集地帯の至近距離のところで、破壊の魔の手にさらされやすいのですが、自然海岸の磯は昔と変わらぬ豊かさです。

 雑草さんに反論するような形になり恐縮ですが、埋め立てや開発や廃棄物投棄などで、多様な海岸生物の生息地の根こそぎの破壊はなんとしてでも阻止すべき事と思います。しかし自然のままの海岸は生物の豊さはそう変わっていません。大阪I大学の某教授の男が、島の東南部の磯の生物の変化のモニタリングを5年ほど前からやっています。そして生物多様性が破壊されていると騒ぎたてています。私のみたところこの教授の男は研究費を得る為に、事を大きくしているのだなと見ています。自然保護活動をする運動家と環境問題にとりくむ研究者には、その主張を額面通りに受けてはいけない面があると、私は考えています。

またまた、長文、すみませんでした。

 
 




海岸の生態系
雑草Z
    路傍の石ころさん

 こんばんは。 

>子供のころから島や四国・岡山県あたりの海岸や磯を40年あまり見ていますが、

なるほど、私は山国育ちですが、路傍の石ころさんは、海国育ちなわけですね?・・・詳しい方からの大変参考になる長いコメント有難う御座います。

 海岸に山のように土が盛られて見晴らし台になっていたのは、土建業者が儲ける為にやった事だとは思っていましたが、

>もしかしてその残土に紛れて産業廃棄物も混ぜ捨てているかもしれません。

なるほど、その可能性は高いでしょうね。建築廃材でも埋めたのでしょうか。

>日本中の海岸が、主に建設業界の餌食になっています。やたらと護岸工事をするし、消波ブロックを並べたがります。

本当にそうですね。酷いものです。海岸に延々と並んでいますね。それが無いと海岸が浸食される・・・と言って・・

>自然保護団体が護岸工事に反対すると、行政や業者は離岸堤に変更します。

なるほど、そう言う訳で、あの 離岸堤 というのも沢山あるのですね。

 工事で破壊されてコンクリートを乗せられる下の岩場は悲惨でしょうね・・・いつもそう思います。


>小潮の時には何もいないなと生物相は貧弱にみえてしまいます 

なるほど、そう言う可能性もあるのですね。するともしかして、

>大潮のときの干潮時

に行けば、沢山の動物が見つかるかもしれないのですね!・・少し可能性が出て来ました。

>雑草さんに反論するような形になり恐縮ですが、

いえいえ、動物が沢山いる海岸を確認出来れば万々歳です。多少希望も出て来ます。

 松島の海岸・・・と言っても島の一つ一つを見たわけではなく「松島」の地の水族館の近くの(島ではない)一つの護岸工事された海岸の内側の磯の部分を見ただけです。

>破壊を免れた自然海岸はいまでも生物相は驚くほど豊かで生物多様性に富んでいます。

それは嬉しいですね。今年の夏にでも是非確認してみたいと思います。でも、破壊された海岸が多過ぎませんか?東北地方でさえ、破壊を免れた海岸はあまりないように感じてしまいます。・・・私はあまり海岸に行ってないのではっきりとは言えませんが・・。

>そして生物多様性が破壊されていると騒ぎたてています。

山を見ても生態系はかなり破壊されていますが、海が大丈夫だとは思いません。

 議論に関係ありませんが、私はカニが大好きです。沢でも海でもカニを見つけると、生態系がまだしっかりしている・・・と感じてホッとします(笑)




路傍の石ころ
すみません。コメントする場所をまちがえました。

ほんの10年前まで…
でなしNo.146
最近、小学校に上がるものが家族にいましたので、自分の母校(小学校)を見てきました。

私が小学生の頃、ザリガニやメダカがいた池は、現在、濁りきってミドリ色になり、アメンボがやたらと目立つ池になりはてていました。

池の水が循環しなくなったのが原因だと思いますが、うまく循環していたものに手をくわえることで、崩れてしまうものは多いという事を知りました。

やはり、私もそのとき「ウソだろ…」と思いました。

このまま生き物の住みかを奪い続けたら、子ども達の時代にはどうなっているのだろう…本当に心配になりました。

自滅の道を加速度的に突き進む人類にどうやったらブレーキをかける事ができるのか?
最近、よくそういう事を考えます。


雑草Z
    路傍の石ころさん

 私も<シイタケの味>と言うタイトルのコメントを間違えてここに書いてしまい、【使い捨て容器】のほうにコピー&ペーストして、こちらのコメントは削除しました。
・・路傍の石ころさんもそのお返事をここに書いたら、私の記事は削除された後だったのかも知れません。すみません。
 路傍の石ころさんのコメント、
<「美味い・美味くない」考> も【使い捨て容器】のほうにコピー&ペーストさせて頂き、そちらでお返事させて頂きます。投稿日付は一日遅くなりますが、悪しからず。


 *シイタケについてのコメントも、【使い捨て容器】の記事からは大分離れているのですけどね(笑)流れですね! 

目に見えるものだけではないかも
guyver1092
 過去に三重県熊野市に勤務していたことがあるのですが、あの辺りは、護岸等はないのですが、やはり生物は減っているようです。
 理由の一つに、合成洗剤を挙げる人もいました。また他の人は、ダムを挙げる人がいました。
 現代人のすることは、どうもすべてが生物の生息に悪影響を与えるようです。

自然破壊は年々酷くなっている現状
雑草Z
    でなしNo.146さん

私と同じ悲しい体験談ですね。・・・自然を愛する気持ちを持っている現代人なら大抵の人は感じた事がある「嫌な体験」でしょう。

>ザリガニやメダカがいた池は、現在、濁りきって

悲しいですね。メダカはもう絶滅危惧種になってしまって、会津地方でさえ珍しくなってしまったようです。


>うまく循環していたものに手をくわえることで、崩れてしまうものは多いという事

全くその通りですね。酷い事に自然観察・・・の名のもとに川に工事をして「川の学校」とか名前を付けて自然破壊している現場も沢山あります。そっとしておくか、あくまでも自然の循環を手伝う程度でなければかえって逆効果ですね。

>このまま生き物の住みかを奪い続けたら、子ども達の時代にはどうなっているのだろう

そう、自然破壊は年々酷くなっていきます。その事については次の記事にしています。・・実は でなしNo.146 さんの今回のコメントは次の記事のコメントにぴったりです。
 



海岸に動物がうじゃうじゃいるところ
雑草Z
    guyver1092さん

guyver1092さんもやはり海岸の動物は減っているように感じていらっしゃるのですね。
 私は海にはあまり行かないのですが、ここ10年以内に行った何回かの海岸は、どこも昔のように気が狂うばかりの海岸の動物がうじゃうじゃいるところはありませんでした。あちらに一匹、こちらに一匹・・と言う感じで非常に寂しい感じでした。
 合成洗剤もダムもプラスチック製品も・・・

>現代人のすることは、どうもすべてが生物の生息に悪影響を与える

本当に今は歯止めが効かない状態ですね。非常にヤバい状態だと思います。エコ技術・・・なんて開発している場合じゃなくて、経済活動も工業も一端止めて行かなければ間に合わないでしょうね。

 植物・・・海藻はまだまだいっぱいあるようですが、海岸に生物がうじゃうじゃいるようなところは本州の海岸ではどこにあるのでしょうか?・・一抹の不安を感じます。今年の夏にまた行って確認したいと思います。

 私は、カニをはじめ、海岸の動物は大好きでしたが、guyver1092 さんは如何ですか?
 


路傍の石ころ
雑草Zさん

こんばんは。

 良いニュースととらえるか、悪いニュースと解釈するかは、その人の立場や自然観により評価の分かれるところですが……、よろしければ次のニュースをご覧ください。
http://news.biglobe.ne.jp/animal/394/km_100402_3944983673.html
 和歌山県中部のある漁協で漁師さんたちが、ヒジキが減って困っているという話です。水産試験場が調査したらウニ類(ウニにもたくさん種類があります)がうじゃうじゃ。駆除しなければいけないほど、うじゃうじゃ。海藻が生育できないほどウニや魚がうじゃうじゃというのは嬉しいことですね。
 巻貝でも二枚貝でもウニ類・アメフラシ類……など、うじゃうじゃいるところには、いるんですね。そんなところはたいてい海岸に道路がないところです。道路がないということは、ヒトがあまり来ないとか、家がないから生活排水等も流れ込まないような「自然海岸」です。
 私の住む島でも島の南部に数キロにわたってそんなところがあります。そこはサザエやアワビやタコ・ナマコ・ウニ・ギンポという魚が一杯います。四国の海岸を歩いてみても太平洋岸にはそんなところが沢山あります。

 でも大きな町のあるところの海岸はかなりひどいものです。

 それと台風の後とか、海が大しけのあとは磯にはなにもいませんよ。磯の動物は沖に退避したのか岩の下に隠れたのかわかりませんが、目につくところにはいなくなります。極端な大雨のあともそうです。陸地から大量の土砂が海に流れ込み、その影響か、しばらく磯の動物がみられなくなります。
 
 この問題は感覚的に捉えたら見誤ります。きちんとした調査が必要な話だと思います。

 磯に鉄棒などの標識を打ち込んでロープを張り、たとえば100平方メートルぐらいの調査区をあちこちに沢山つくり、できれば四季おりおり年4~5回ぐらい大潮の際に調査が必要です。調査項目は主にそこで確認される生物種の個々の名前と個体数です。
 実はこれは大変な調査です。大潮で磯が引いているのはわずか2時間ほどで、厳しい時間制限があります。生物の分布というのは一様分布は少なく、ランダム分布が普通ですから1メートル四角の調査では小さすぎます。10×10メートルは欲しいところです。しかし小動物は無数にいますから途方もない調査になります。
 まず沢山の生物種を正確に見分けて同定するのは、大変なことです。大勢の専門家と協力者の人手が必要です。その協力者もそれなりの知識が要求されます。石の下などに隠れている動物や泥の中にひそんでいるものもいますから、その調査区に生息する生物をすべて記録するのは不可能でしょう。可能なのは、沢山の生物のなかから10種とか20種とかを抽出して、それを重点的に調査するのであれば可能かもしれませんが、それでも大変なことです。
 いろいろ問題もあって、人為が加わるといけないから、調査区周辺の磯は立ち入り禁止の措置も必要となってきます。
 そしてそういう克明な調査を毎年30年も40年も続けて、膨大なデータを積み上げ、解析して初めて、その調査区の生物群集の動態が分かります。そこまでして、ようやく海岸の生物(動物)が減ったか減っていないかが分かってくる話ではないでしょうか? すくなくともそこまでしなければ定量的に減ったとか減らないとか言えないのが、自然科学の方法というものではないでしょうか。
 いろいろ調べているんですが、海岸の磯の動物の数十年にわたる克明な観察・調査記録は私の捜した範囲では、見当たりません。私も感覚的に情緒的に言っていますが、多くの人々も感覚的にしか言っていないのですね。そう思います。

 理科系の方に申すのは、ほんとに釈迦に説法ですが、もっとデータをふまえて定量的なことを主張したいものですね。大阪I大学の某教授を批判しているのは、理系の専門家なのに彼も感覚的な言い方で、世論を煽るようなことを主張してやたらと新聞記事にしようとしているからです。






過去の定量調査データが無い場合・・
雑草Z
    路傍の石ころさん

 こんばんは。いつも長いコメント有難う御座います。

 例えば私の家の前を流れる川・用水路兼排水路・・などの魚は、詳しく調べた定量調査などはしていませんが、10年前、20前、30年前と比べて段々減った事は十分に分かります。それは昔からずっと観察し続けているからです。昔は土だったところに三面張りを施したりして、うじゃうじゃいた魚でしたが最近は殆ど見かけなくなりました。最近はヘドロが溜まって排水溝と化してます。
 でなしNo.146 さんの池の例もguyver1092さんの三重県熊野市の海岸の例も人々が観察して感覚的に言っている事だと思いますが当たっていると思います。
 その理由は洗剤であったりダムであったり水の循環の破壊であったり、路傍の石ころさんのおっしゃるような道路工事であったり・・でしょう。

 きっと岩井崎とかも護岸工事やら何やらで土砂が盛られて磯の動物が減ったのだと思います。・・ただしそこは近所の川と違って何度も観察したわけではなく、数十年前と数年前と2回行って観た感じですから断言は出来ません。毎日観察していれば変化は少しずつですが、数十年振りに同じ場所を訪れて、あまりの変わりように驚く・・と言う事はよくある事でしょう。その自然破壊の悲しみを記事にしました。路傍の石ころさんのおっしゃるように潮位の関係もあるのかも知れません。大潮のときの干潮時に行けばもっと磯の動物がいれば、嬉しい事です。
 確かに私が海岸の生物が減った・・と思った全ての場所は路傍の石ころさんの御指摘のように道路工事や護岸工事の進んだ場所でした。そのような場所では海岸の生物が減っている・・・と言ってもいいのではないでしょうか。
 路傍の石ころさんが御指摘のように海岸に道路が無い場所ではまだ生態系がしっかりしているのかも知れません。それなら嬉しい事です。場所によっては幾つかの種が以前よりも増えたりもしている事でしょう。海辺に住んでいないので確かにそういう場所にはなかなか行く機会がありませんでした。だから、そのような場所についてははっきり言及は出来ません。でも、想像するに、汚染や周りの環境悪化でそのような場所でも昔よりは減っているところのほうが多いのではないかとは思います。

>そしてそういう克明な調査を毎年30年も40年も続けて、膨大なデータを積み上げ、解析して初めて、その調査区の生物群集の動態が分かります。

それはそうでしょうが、そこまでしなければ論じてはいけない場面は限られているでしょう。感覚で話してもいい場面のほうが普通でしょう。
 漁師が感覚的に昔よりも魚が減ったとか、私の家の周りにもホタルが飛んできたのに今は来なくなったから明らかに私の地域のホタルは減った・・とか、その手の話でも、多くの人が明らかに感じている事なら信頼に足ると思います。

>この問題は感覚的に捉えたら見誤ります。きちんとした調査が必要な話だと思います。
>海岸の磯の動物の数十年にわたる克明な観察・調査記録は私の捜した範囲では、見当たりません。

 定量的な話が出来ればそれに越した事はありませんが、
過去の定量的なデータが無いのだから、減っているとは言うな・・・では土建業者のようですね。路傍の石ころさんがそんな事主張しているとは思いませんが、観察して感覚的に明らかに減っている・・と感じた事は主張して何ら問題が無いと思います。何パーセント減った・・と言う研究論文なら、克明な調査が必要でしょうが、今回の記事の性格からしてもその必要はないと思います。自分の体験談ですしカテゴリーも【思い出】です・・。

 路傍の石ころさんも、荒らされていない生物がうじゃうじゃいるところを知っていて、そう言う場所はまだまだあるとお考えでも、(日本の)海岸全体で考えれば、様々な環境破壊により磯の動物が減っていると感じていらっしゃいますよね?
 路傍の石ころさんは島中まわって生物を観察しているのですから、どこのどの種が減っているようだとか増えているようだとか観察して感覚的に話す事もおありでしょうし、それは何ら問題のない事でしょう。
 
 磯の動物がうじゃうじゃいるところがまだまだある・・・と教えて下さって有難う御座います。落ち込んだ気持ちが救われます。この夏にでもこの目で確かめられればいいなと思います。

 余談ですが、内陸の沢ガニの生息地もどんどん減っています。・・これも定量的なデータは取っていませんが、観察して十分に感じているところです。・・・そんな折、2年ほど前に沢ガニが沢山いるところを紹介して頂き、その方や地元の子供たちと一緒に行って獲ってみたら、100匹以上獲れました。・・これだけ沢山の沢ガニがいる場所が地元に残っていて非常にうれしく思いました。・・・獲った沢ガニは、自分の家で飼いたいと言う子供2,3人が、雄雌1つがいずつ持ち帰った以外は全て元の沢に戻しました。

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