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2010-03-29 00:02
 雪国の冬にふさわしそうな神社を思い出して行ってみました。
そこは谷底の滝壺の近くにある神社です。谷底に向かって参道の階段を下りて行きます。谷底に着いてからも川に沿って長い参道を上流に向かっていきます。鎮守の森も、いつものこんもりした森と言うよりも、参道に沿って広い範囲に細長く伸びています・・・特に鎮守の森と言うよりも、河畔林と言う感じです。
 滝も前回(1月)アップの不動滝よりもずっと大きな白糸の滝です。そして、こちらにも不動尊も祀ってあっりました。神社と観音堂と不動尊を祀ってある3つのお堂がありました。更に稲荷を祀った小さな祠も幾つか並んでありました。
 白糸の滝とは言いますが、白糸の滝・・と呼ぶには幅広い滝です。岩肌に沿って枝分かれして糸のようになって落ちる滝なので白糸の滝なのでしょう。でも雪解けの頃は、白糸の滝と呼ぶには幅の広い滝になる事でしょう。

白糸神社1;道しるべ

   ↑雪の不動川林道をちょっと奥へ歩いて行きますと
   ↓不動尊の旗が立った参道が谷底の方へ伸びています。

   
白糸神社2;参道遠景


白糸神社3;参道降り口

   ↑ここから階段を谷底の方へ降りて行きます。雪道です。
   ↓谷底に着くと、手前に疣神様があり、奥に一番目の鳥居が見えます。
    ここからまだしばらく歩きます。

白糸神社4;参道疣神

   ↓一番目の鳥居

白糸神社5;参道1つ目の鳥居



白糸神社6;参道の倒木

   ↑倒木が参道をふさいでいます。上にまたがって越えました。
   ↓不動川の橋を渡る。谷の斜面には長いつららが生えていました。
    奥に白糸の滝と白糸神社が小さく見えます。

白糸神社7;不動川

   ↓2番目の鳥居の下の奥に3番目の赤い木の鳥居が見えます。

白糸神社8;参道の2つ目の鳥居

   ↓3番目の赤い鳥居の下の奥に4番目の鉄の赤い鳥居が見えます。

白糸神社9;参道の3つ目の鳥居

   ↓4番目の鉄で出来た赤い鳥居・・これが最後の鳥居・。

白糸神社10;参道の4つ目の鳥居

   ↓境内全景  手前右が手水舎、その左奥が白糸神社
          白糸神社より手前左側が休憩所、川と木を挟んで
          その左奥が不動尊のお堂
          一番左に半分見えるのが観音堂

白糸神社11;境内全景



白糸神社12;白糸神社遠景

   左←休憩所 と 右→手水舎 の間の奥↑に見えるのが白糸観音

白糸神社13;白糸神社

   ↓白糸神社の右横に 小さな北向稲荷の祠が並んでいました

白糸神社14;北向稲荷



白糸神社15;不動尊のお堂

   ↑↓不動尊が祀ってあるお堂。不動尊は見えませんでした。
     千羽鶴が沢山飾ってありました。

白糸神社16;不動尊と千羽鶴

   ↓観音堂;会津三十三観音の一つとの事

白糸神社17;御観音堂

          ↓不動川の白糸の滝を挟んで、
   手前 左←が不動尊のお堂 、  右→が白糸神社

白糸神社18;不動尊と白糸神社



白糸神社19;不動滝と白糸神社



白糸神社20;不動滝と滝壺


撮影:2月21日 日曜日午後 天気晴れ



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【2010/03/29 00:02】 | 森林木のある風景 トラックバック(0) |

寒そう
上々
白糸神社は残念ながらグーグルマップには記載されていないようです。
それにしてもまだ残雪がすごいですね。
しかし、赤い幟が全く痛んでいないようなので、きちんと管理されているのでしょうか。
参詣の人が多いようには見えませんが。
滝の見事さと相俟って、なかなか厳かなお社と拝見しました。

参拝者は他に見かけませんでした。
雑草Z
    上々さん

 鎮守の森シリーズに、この頃いつも、真っ先のコメント有難う御座います。

 この場所は会津若松市の、白虎隊で有名な飯盛山の裏のほうにあります。5年ほど前に近くの山に行ったときに見つけました。これが3度目ですが、いつも我々以外参拝者には誰にも遭いません(笑)。・・でも、お祭りの日もあるらしく、その日は参拝者も多いとか・・・。

 因みにグーグルマップでは、
「中小田代山甲」・・・(近くの地名です)・・・で検索すると出てきました。「中小田代山甲」と記された場所から南東に500mくらいのところにあります。倍率を調整すると「白糸神社」とも表示されました。
滝の名称は「滝沢不動滝」 、観音堂は「滝沢観音」のようです。この記事に写真をあまり載せなかった滝沢観音が、会津三十三観音第十八番札所として有名なのかも知れません。

 このシリーズを始めてから気付いた事ですが、情緒があり、歴史もありそうな地元の神社仏閣で知らないところが結構ありました。色々行ってみたいと思っております。

 

方向違い
上々
結構市街地に近いところなんですね。もっと山奥の方かと思い見当違いのところを探していました。

こういった神社での行事や、そもそも神社自体どこにあるのかも、地元のお年寄りの方は知っているのかもしれませんが、特にこういった知識はあまり伝承されなくなっていますね。
神頼みというのは今では半ば否定されるような言葉ですが、現代でも神に頼むしかないことはたくさんありそうです。


短歌の勝手な解釈をしてみました
路傍の石ころ
雑草Zさん

こんにちは。

 御地の福島県までお参りに行くのは大変なので、画面の写真に手を合わせて参拝させていただきました。静かそうな良いところを見せてくださいまして、ありがとうございます。

 御観音堂に合掌しまして、額に掲げてある和歌を観賞し、勝手な解釈をしてみました。
 特に流麗で上手いといえる墨痕ではありませんが、この短歌は字余りとかなく形式を踏襲していて、典型的な 「自然観照」 の歌です。「観照」とは観賞や鑑賞ではなく、どちらかと言うと 「直感に重きを置いた客観」 によりものごとの本質や現象の意味を捉えるというふうな意味だと思います。
 
 「変体仮名」 といわれるものが用いられているので、変体仮名を漢字に復元して書き表すと、たぶん次の通りだと思います。

 た支さわ能 
   於ちて奈かるる
        多きの水

 可かるすえすえ
    みろくなるらん

 「たきさわの」の 「の」 は能の字を徹底的に草体化したものです。現在の 「の」 は乃の字を崩したものです。江戸時代までは現在使われているひらがな以外のひらがなが使われていました。それを変体仮名と申します。数が多すぎて、不統一で、あまりに煩雑なので、明治政府が整理しました。そして現在の平仮名となったのです。
 意味を考えて現代表記に改めますと、多分次のようになると思います。

 滝沢の 落ちて流るる 滝の水
       掛かる末々 弥勒なるらん

 この短歌は、「かかるすえずえ」 が2通りに読めそうで難しいところですね。かくある状態が何時までも……、とも読めなくもないし、滝のしぶきの水が木の梢に掛かる……、とも読めます。和歌は余分な表現を削り落して、言外の意味を含ませる 「極小値の文学」 ですので、難しいものです。

 で、私の勝手な解釈です。

「苔むした老杉の生い茂るこの滝沢は素晴らしいところだ。ここの沢は夏でも干ばつでも枯れることはなく、清冽な真清水が常に流れている。その滝の水が岩をうがち、はね跳び、しぶきの水が流れのほとりの草を潤し、木々の梢をしっとりと濡らしている。本当にいいところだ。
 弥勒菩薩は五十六億七千万年の後に、この世界を浄土という理想の世界にしてくださるというけれども、この豊かな水資源の恵みをもたらせてくださるこの滝沢こそが、じつは浄土の世界ではなかろうか? そうだ、こここそが弥勒の浄土そのものなんだ」

「かかるすえずえ」 をかくある素晴らしい状態や環境が未来永劫よの末までと解釈した場合は、素晴らしい環境が破壊されることなく人類の続く限りいつまでも、という切なる願いを込めていて、深い意味のある短歌だと思います。

 額の左端に数名の名前のようなものが書いてあるのですが、観音堂建立の奉納者でしょうか? 判読できないのでわかりません。この和歌の作者の雅号なりがないので、詠み人知らずの作者不詳でしょうか? それはともかく、これはまさに「環境短歌」とも呼ぶべき素晴らしい和歌ですね。

良いものを見せてくださり、ありがとうございました。 

追伸、もし間違っていたらゴメンなさい。本当のところはどんな思いでどんな意味をこめて詠んだのかは、これを詠んだ作者に聞かなければ分かりません……。



正解者に拍手
上々
路傍の石ころさん 読解正解のようです。
会津三十三番札所のHPを見ると、各札所に御詠歌があり、18番滝沢のものはまさに御解釈の通りでした。

なお、そこで見たところ、赤い幟は神奈川の方から団体(講?)で多くの方が訪れ奉納していくそうです。
結構、広く信仰されているようで驚きです。

神社仏閣の伝承
雑草Z
    上々さん

 この場所は市街地から林道に入って少し行ってすぐのところを下りていく感じのところにあります。

 おっしゃるように、大きな一部の神社仏閣を除いて、このような場所の行事はあまり伝承されてなくて、知られていませんね。寂しい事です。・・・と言っても私も最近までそれほど関心ありませんでしたが・・・。

 神頼みも悪くないと思いますが、文化として伝承していきたいものですね。日本には、このような神社仏閣が高い密度で存在する事が素晴らしいと思う今日この頃です。


 調べてみると、不動尊も結構あるものですね。
 不動尊ばかりでなく、不動川、不動滝、不動湯・・・という地名も沢山ありますね。会津地方だけでも、お不動様関連の場所は沢山あると思います。神社、不動尊、会津三十三観音・・・巡ってみたいところは地元会津だけでも沢山あります。
 

解釈有難う御座います。
雑草Z
    路傍の石ころさん

>「たきさわの」の 「の」 は能の字を徹底的に草体化したものです。

なるほど、そう言う事ですか!・・私はこの字や他の変体仮名なども読めない字がありましたので、解釈どころか、まともに読めませんでした。(苦笑)私の苦手とする分野です。・・路傍の石ころさんが現代表記にして下さっても、御説明読まないと後半の意味が掴めませんでした。路傍の石ころさんの解釈を読んではじめてなるほど・・・と思いました。
 特に

>「かかるすえずえ」

の解釈に感動致しました。二通りの解釈を教えて戴き感謝いたします。私は二通りどちらも意味する深い掛け言葉なのかと思います。

>素晴らしい環境が破壊されることなく人類の続く限りいつまでも、という切なる願いを込めていて
>これはまさに「環境短歌」とも呼ぶべき素晴らしい和歌

なのですね。本当に深い意味です。ここのブログの主題にも通じますね。

 ここまで深く解釈して表現出来る為には、弥勒菩薩に対する知識など、仏教や和歌や歴史に造詣が深くなければ出来ない事ですね。流石、国文学を修めた方ですね。有難う御座いました。

 

歌詠み
雑草Z
    上々さん
    路傍の石ころさん

 昨年までは会津三十三観音詣りにはそれほど興味はありませんでしたが、こうやって馴染んでいくうちに、してみたいと思うようになりました。今年の夏あたりに時間を見つけて会津三十三観音を巡ってみたいと思います。


 他の地域にもあるのかどうか分かりませんが、会津では、亡くなった人の霊を弔う意味で、歌詠みと言う習慣があります。七日毎に近所の人が集まって、四十九日までみんなで三十三観音の歌を詠むのです。三十三観音には京都あたりの有名な三十三観音を詠む「西国三十三観音」とかもありますが「会津三十三観音御詠歌」もあります。1人の人の打つ小さな鐘の、ちーん、ちーん・・と言う音に合わせて詠むのですが、会津の地域によって、詠むイントネーションも微妙に違います。あの厳かで味わいのある歌詠みの雰囲気が昔から好きです。

歌詠み
上々
御詠歌と言う言葉は知っていましたが、実際に詠じる習慣というものが残っているとは知りませんでした。
一度その雰囲気を味わってみたい気はありますが、よそ者には難しいでしょうね。

東京近郊の私の実家では親戚も集まれないので四十九日までの七日毎の法要も告別式の後にまとめてやってしまったほどで、不信心も甚だしいものでしたが、九州の家内の実家では親戚もまとまっているせいもあるのか、七日ごとに集まって念仏を上げるようです。
北陸も信仰が篤い土地柄なので、色々あるんでしょうね。

歌詠み・・
雑草Z
    上々さん

 私が住んでいる町内では、まだ歌詠みの習慣が残っていますが、会津地方でも、歌詠みを省略する地域も増えて来たとの事です。
 歌詠みは正座して行います。三十三観音の歌を全て終わった後に「南無阿弥陀仏」も、小さな鐘を打ちながら拍子をつけてゆっくり唱えるのですが、その頃になると、足がかなりしびれます。その為に、腰の下に小さな座布団を折ってしいたり、あぐらをかいて歌を詠む人もいます。
 歌詠みの本は、町内会の人が何冊も持ってきて、2、3人ずつが同じ本に目を通しながら読みます。本ではなくて、筆で写本したものも沢山あります。だから、本によって微妙に歌詞が違っていたりします。各町内会にずっと伝わっている書物のようです。
 仏壇のある部屋やその周りの廊下などに所狭しとひしめき合って座って歌詠みをします。玄関から溢れ出てしまいそうなくらいの場面も何度か目にした事があります。
 ・・すたれなければいいなと思う、いい習慣だと感じます。

 北陸にも歌詠みの習慣あるかも知れませんね。お知り合いに尋ねてみて下さいませ。



 

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2010-03-25 00:01
自由競争社会が理想的だとは思いませんが、現在、世界の、自由経済、資本主義諸国 において、公正な自由競争が行われていると言えるのでしょうか?

自由主義経済の先鋒、アメリカを考えてみます。アメリカ人は「自由競争」と言う言葉に弱いと言われます。「自由[Freedom]」と言う言葉が理想として頻繁に語られるアメリカほど「公正な自由競争」と言う言葉に敏感な国は無いでしょう。言い方を変えれば「自由競争」と言う言葉に洗脳されている国民とも言えましょう。

しかし、そんなアメリカにおいて、「自由競争」を勝ち抜いて巨大化していった企業の多くは、その競争に「公正さ」があったとは思えません。「自由な競争」もあったとは言えないでしょう。アメリカ巨大産業の一つであったGMも、かなり強引で反社会的な方法で巨大化していきました。【GMはどうやって巨大企業にのし上がったか?】で述べました。GMに限らず殆どの大企業はよく調べると、公正とは言えない方法で巨大企業にのし上がっていったようです。財閥然りです。勝つためには手段を選ばない非情な方法、法律すれすれの方法や違法行為を隠して、政府との癒着などによって成り上がってきました。反社会的な方法をあたかも正義であるかの如く見せかける手法などお手のものです。・・とても公正な自由競争で勝ってきた・・とは言えない状況です。だからそこに市場原理は働かなかったのです。「不公正で不自由な競争で相手を陥れて勝ち抜いてきた」・・と言うべきかも知れません。

 経済が飽和してきた現在を見てみましょう。本来の需要、供給の関係で経済を進めれば、これからは経済成長は殆どないでしょう。成長の余地どころか、膨れ上がったバブルがはじけて縮んでいるのですから、自然に任せれば、もっと経済は縮小して然るべきでしょう。
 それに対してどうしているか?・・・不必要な消費を過剰に煽っている事も事実ですが、それだけでは経済を伸ばせなくなったので、政府との共同作業・・・癒着で経済を伸ばそうとしています。政府にロビイストを置いて、上手く政府と癒着出来た産業、企業が儲けています。それが自由経済の先鋒、アメリカの実態と言ったところでしょう。実は自由主義諸国の中で最も不公正な競争の行われている国かも知れません。
 市場原理主義による資本主義も無情な酷いシステムですが、市場原理の仮面を被って、さらには社会福祉の仮面まで被って政府と癒着して、社会主義国家でもないのに国営企業のような位置について、独占企業のように国の税金を過剰に吸収している巨大企業、多国籍企業が蔓延しているのがアメリカと言えましょう。市場原理どころか独占企業状態になって、国民の恐怖を煽って法外な料金を国民から吸い上げています。とても公正な競争をしているとは思えません。
 医療も医療保険も教育も、国家と癒着した産業に牛耳られています。刑務所さえ投資の対象として、政府と癒着した産業界に組み込まれてきています。軍事産業と政府の深い癒着は従来から指摘されている通りでしょう。軍事産業の売り上げを伸ばす為に、毎年多くの貧困層が戦場で命を落としています。


 まだ大不況を脱していないと言われている日本においても、企業努力で売り上げを伸ばしている会社もありますが、補助金と言う名の税金の投入を受けている、家電製品や自動車産業が売り上げを伸ばしています。そう、実質は税金を間接的に投入されているだけです。良い製品を作って売ると言う努力で売り上げを伸ばしているのではありません。努力しているとすればどうやって政府と癒着して税金を引き出すか・・と言う努力でしょう。エコ・・・と言うのなら公共交通手段、列車や連絡船を支援すべきですが、自動車産業に補助金や減税・・・環境汚染が進む方向に補助金を払っているのです。法に触れる触れないは別として、自動車産業と政府の癒着と呼ぶべきでしょう。

 今や実態はバリバリの資本主義諸国である中国でも、政府から秘密情報を早く聞きだしたり、積極的に事業計画を働きかけて国家予算を獲得した企業が大儲けしています。とても公正な競争とは呼べません。

 国家間の競争に関しても同様です。経済のグローバル化は公正な自由競争の為・・・とはただの建前になっています。WTOやIMF、世界銀行・・・は、公正な自由競争を守るふりをして、実質はアメリカを中心とする多国籍企業のビジネスを保護しているだけです。

 現在、世界中の多くの政府も,WTOや世界銀行などの国際組織も、公正な自由競争は建前のみで、多国籍企業などとの癒着構造による不公正な競争ばかりが行われ、強いものはより強大になり、弱いものから搾りとるシステムが確立されています。
公正で自由な競争がしっかり行われている場所がどこにあるのでしょうか?

あんまり不公正な競争が行われているので、スポーツの公正な競争が過剰な人気があるのかも知れません。でもスポーツも公正な競争とは思えませんが・・・スポーツには殆ど興味がないのであまり言及はしませんが・・・

 持続可能な社会と言う意味からも、公正で自由な競争と言うプロパガンダのもとに、不公正な弱肉強食社会である資本主義社会にはそろそろ終止符を打つべきでしょう。

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【2010/03/25 00:01】 | Economic Fascism トラックバック(0) |

ろうそくの燃え尽きる寸前その2
guyver1092
 燃え尽きる寸前の古代文明は輝かしい煌めきに彩られていたようですが、どんなに輝いていても、燃え尽きる寸前は寸前で、必ず燃え尽きます。この煌めきに心を奪われなかった古代文明は生き延びましたが、これにとらわれた文明は、すべて滅びました。現代文明の現在は、あらゆるものを投資の対象として飾り立て、燃え尽きる寸前の輝きを放っているのでしょう。

 ここで方針転換をできる者は生き延びる可能性もあるでしょうが、世界情勢を見ながら方針転換の時期を計らなければ、強欲な者に食い殺されてしまうでしょう。

>どんなに輝いていても、燃え尽きる寸前は寸前
雑草Z
    guyver1092さん

>この煌めきに心を奪われなかった古代文明は生き延びましたが、これにとらわれた文明は、すべて滅びました。 

う~ん、深い御指摘です。そして、現代の社会を動かしている多くの人々は、後者の「煌めきに心を奪われた人々」ですから、このままでは必ず燃え尽きて崩壊ですね。

>現代文明の現在は、あらゆるものを投資の対象として飾り立て、燃え尽きる寸前の輝きを放っているのでしょう。

この短いフレーズに現代の資本主義社会の本質をしっかり詰め込んで簡潔に表現していますね。現代文明の本質を突いてます。

 その軌道修正の方法、タイミング(・・もう急がなければなりませんが・・)が問題ですね。


 今回のguyver1092さんのコメントは、私の意図した記事の主題とは少し観点が異なりますが、これで一つの記事として載せたいような、非常に上手い例えの鋭いコメントです。この完璧なコメントを元にどんどん議論を深めていきたいと思いました。

>ろうそくの燃え尽きる寸前

と言うタイトルの記事載せたいですね。書きませんか?


ずる賢い白人
BEM
ま、ホントはただ“ずるい”だけなんでしょうが。
欧米人のやることはもうずっと昔から、海を渡ってアメリカ大陸に渡る前から続いていたことでしょうね。
バイキング然り、真面目に働くより収奪する人間の方が賢いという人種ですから、今に始まったことではないのでしょう。

スポーツでも自分たちが不利になってくると簡単にルール変更したり、都合の良い方にしてしまいます。

「北の国から」の中のセリフで一言で言うなら、
『ホント、オメーはきたねぇ奴だよ』ってとこで、
もうちょっと上品な言い方はないでしょうかね(笑)

国際会議の席でなんかで、ぼそっと言ってやるのはどうでしょうか。
「ホント、こいつらきたね〜な」って。
英語だと放送禁止になってしまうのかも。

ずる賢い人々
雑草Z
    BEMさん

 今回の記事は、自由経済、資本主義諸国 において自由で公正な競争は殆ど行われていなくて、大企業、資本家、財閥などお金のある人々に有利になるような不公平な社会である・・・と言う事を書いたのであって、欧米人に限定して描いたわけではありません。でも、アメリカをその典型例として最初に象徴的に描いた事も確かです。現在の不公正な資本主義のシステムを作ったのも欧米人ですし。

>真面目に働くより収奪する人間の方が賢いという人種

 そのような人々の代表が世界を動かしているから世界が酷い方向へ向かっているのでしょうね。そのような人々は白人に限らず、世界中の人種、民族の中に沢山いると思います。「その悪賢さを欧米流から学んだ」と言う側面もあるでしょうけれど。

 アメリカ社会に於いては、悪賢い資本家もアメリカ人なら、彼らに収奪されているのもアメリカ人です。収奪されて貧困層に落ちている人々の中には白人も多いし、彼らを救おうと努力している連中にも白人が多いですね。アメリカは極端な国ですね。
 日本も、アメリカ流弱肉強食の資本主義を追いかけるのは止めるべきですね。あんなに極端な格差社会は異常です。酷過ぎますね。 

主題
guyver1092
 雑草Zさんの主題から外れているとは思いましたが、見当はずれでもないので、私のより興味のある、文明崩壊としてコメントさせていただきました。(文明の断末魔の足掻きが現代の資本主義のやり口そのものと思っていますので)

>>ろうそくの燃え尽きる寸前

>と言うタイトルの記事載せたいですね。書きませんか?


 コメントするのと違って難しそうですね。自信はありません。
 現在行われている、断末魔のいろいろ矛盾を抱える政策を書くことになるのでしょうか。



文明崩壊
雑草Z
    guyver1092さん

>私のより興味のある、文明崩壊としてコメント

なるほど、よくわかりました。文明崩壊は私も非常に危惧する部分でありますし、ここの常連の方はみんな、グローバル化した世界全体の文明崩壊が起こるであろう事を予測し、危惧しているところと思います。そのタイトルに

>ろうそくの燃え尽きる寸前

はなかなかに示唆の富んだ表現ですね。

guyver1092さんのコメントをそのまま引用してその内容について私がコメントする形式でもいいですが、もう少し色々追加してくださった方が興味深いですね。
 宜しければ、記事をお書きになってメール下さい。

その際

>文明の断末魔の足掻きが現代の資本主義のやり口そのもの

と言うフレーズは是非ともお使いくださいませ。言い得ている鋭い御指摘だと思いました。

>現在行われている、断末魔のいろいろ矛盾を抱える政策を書くことになるのでしょうか

そうですね。それがいいですね。楽しみにしています。

>蝋燭が燃え尽きた後
雑草Z
    路傍の石ころさん

 こんばんは。なるほど、2人の併記ですか。それは興味深くもあるけれど、難しいかも知れませんね。・・・成り行き次第ですね。

>それにしても蝋燭が燃え尽きた後には、一体どんな風景が見えてくるのでしょうかね。

それはやはり蝋燭が燃え尽きるまでの人類の疲弊のレベルに依るでしょうね。地球の生態系が生きていれば物質文明とは違った意味での落ち着いた豊かな文明を築けるでしょうし、生態系がずたずたならば阿鼻叫喚で滅亡かも知れませんね。
現代文明の崩壊は必須でしょうけれど、後者の滅亡だけは避けたいですね。

 路傍の石ころさんや上々さんにも記事を書いて欲しいとも思います。・・路傍の石ころさんの長いコメントは部分的に使わせて欲しいと思います。上々さんの表現を使わせて戴いた事もありました。

民族の歴史
上々
(文明の断末魔についてはあまりにも大きすぎまとまりませんので、ちょっと見方を変えて)

以前にインドシナの情勢についての紹介を見たのですが、ラオスやカンボジアはベトナムとタイの圧倒的な進出に押されているというのを見て、ベトナム民族に対する印象が変わったことがあります。ベトナムは戦争でアメリカと渡り合い耐えきって勝利した民族ですが、それが侵略する側に回れば確かに相当強力な力を発揮するでしょう。
しかし、現存の民族と言うのはよほど未開の地で他と交渉せずに済んでいるわずかなものを除けば、みな延々とトーナメントを勝ち抜いてきたものばかりで、すべて進取の精神(侵略性)を持っているものでしょう。
ラオス民族といえど、やはりこれまでに周辺小民族を倒してきた歴史があるのではないでしょうか。
現在の強力な国家(民族)はその中でも特に侵略性の強い所ばかりです。そろそろ決勝トーナメントに入っているのかもしれませんが、優勝したからと言っても世界の王になる時代ではありません。
これが皆さんの言う断末魔の光なのかもしれません。

>そろそろ決勝トーナメント
雑草Z
    上々さん

 これまた非常に面白い観点から民族の歴史を考察されておりますね。興味深く読ませて頂きました。


>ベトナムは戦争でアメリカと渡り合い耐えきって勝利した民族ですが、それが侵略する側に回れば確かに相当強力

侵略されないように外敵と戦ってきた民族も、チャンスが回ればすぐに侵略者になり得るという事ですね。歴史を見るときにどうしても一方を侵略者、その相手を侵略されないように戦っているレジズタンスのように考えてしまいますが、どちらか一方には決められないと言う事ですね。


>現存の民族と言うのはよほど未開の地で他と交渉せずに済んでいるわずかなものを除けば、みな延々とトーナメントを勝ち抜いてきたものばかりで、すべて進取の精神(侵略性)を持っている

なるほどそうですね。現在生き残っていると言う事だけで、競争に勝ち抜いてきた・・・と言う判断はかなり妥当でしょうね。
 世界大戦は、ローカル線を勝ち抜いてきた国家どうしのインターナショナルな紅白戦・・とでもいいましょうか?。社会主義圏と資本主義圏の対立が最初の決勝戦だった・・とも言い得るでしょうか?


>これが皆さんの言う断末魔の光なのかもしれません。

とても面白い観点からの議論有難う御座います。このコメントも是非記事にしたいですね。・・もう既にしっかりまとまっていますね。

国と民族
上々
前の話ではあえて区別せずに簡単に述べましたが、実際は現在の決勝トーナメントに残っている強豪チームはどれも多民族国家です。
核となる民族は確実に存在し、その力が最も強いのは確かですが、その他の構成民族も強力に力を発揮しているものと言えます。特にアメリカやヨーロッパ各国はそうでしょう。
ロシアや中国は中核民族の力が強すぎて多民族国家としての利点が少なく欠点ばかり目立つようですが、それも力の源かもしれません。

混成チームになった時、単民族国家よりもさらに強力に邁進する。というのが特にアメリカの現状ですが、その邁進する方向というのが問題でしょう。民族の理念が無くなれば利益だけで集合するのは当然で、道徳すら失いつつあります。
まあ、そんなものが元々あったかどうか不確かですが。


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2010-03-21 00:02
前回の【使い捨て容器】の続編です。

 資源の枯渇は問題としてよく取り上げられますが、捨て場・・最終処分場の枯渇・・に関してはあまり取り上げられません。しかし、ゴミ、廃棄物の捨て場の問題は資源の枯渇以上に切迫した深刻な問題です。しかし、だからと言って、そこの住民が嫌がる最終処分場をもっともっとどんどん作るべきだ・・とは全く思いません。【最終処分場は必要か?】でも述べたとおり、対症療法的な最終処分・・処理し切れなかったものを最終的に捨てる場所を確保してそこに持って行って廃棄するだけ・・では根本的な問題解決にはなりません。それどころか、最終処分場の建設は、問題の先送りであり、この問題をもっと大きく深刻なものにするのです。
 その典型が原発で出てくる放射性廃棄物です。放射性廃棄物の最終処分場に名乗りを上げる自治体は普通に考えればありません。(・・名乗り出て、住民に反対運動された例はありますね。・)どんなに補助金をもらおうが、こんな危険なものを置いておく最終処分場を地元に作る事を同意するのは、愚の骨頂であり、地元民に対する裏切り行為であります。もしあるとすれば、電力会社なり政府と癒着しているとしか考えられないでしょう。放射能の危険性が十分に小さくなるまでには何万年もかかるのに、放射能が漏れ出すまでに数百年・・・と言う事は原発関係者も認めるところなのですから・・・このままでは、最終処分場はどこにも作られず、そのまま放置・・・と言う事態になるかも知れません。つまり原子力発電所があるその場所が最終処分場になると言う可能性も高いでしょう。放射性廃棄物の最終処分場など地球上に存在してはいけないのです。それははじめからわかっていた事です。だから、原子力発電ははじめからやってはいけない事だったのです。

 原発だけでなく、自然に循環しないプラスチックやビニールの最終処分も大変です。・・・だから燃やしてしまえ・・と言う方法も、最終処分場に埋めえ建てるよりはましかもしれません。
 話を元に戻しましょう。地球上の生態系は全ての物を循環させて来たから何億年も続いて来たのです。何一つ浪費されないし、最終処分もされて来なかったのです。全ての物質・・原子、分子は循環し再利用されて、新たなものの一部に生まれ変わっていたのです。だから、地球上には最終処分場は必要なかったのです。そしてあってはならないものなのです。それがここ100年以内の20世紀以降に、循環しないゴミがあちこちにばら撒かれ、対策としてゴミの最終処分場が作られました。それ以来いつも各地の最終処分場は足りなくなりそうで自転車操業状態です。
 昔の遺跡を発掘すると、貝塚のようなものが見つかりますが、現代文明が滅んで、後の世の新たな文明の人間が現代文明を発掘すると見つかる物は、循環しないゴミの山でしょう。有毒なものも沢山溢れているでしょう。・・洒落になりません。これでは滅びる筈だ・・・と言われる事でしょう。
 最終処分場を改めて作らなくても、地球上どこもかしこも最終処分場状態です。海の巨大ゴミ海域は日本の面積の数倍に達しています。循環しないビニールやプラスチックのゴミが落ちていない地域なんてもう、世界中どこにも見当たらないのではないでしょうか?このままでは世界中腐らないゴミだらけになってしまうのも時間の問題です。深刻な切迫した問題です。

 昔のように不要になったものをその辺に捨てておけば、直ぐに腐って分解して循環するほうがどんなに便利でしょう。腐って自ら分解していく事こそが理想的な処分方法ではないでしょうか?。
 金属などで出来た物は、長く大切に使って、最終的には仕方がないから人間の手でリサイクルするしかないでしょう。でもそれは特殊な場合であって、自然の生態系を循環しない物は生産しない、使わない・・が原則でしょう。その辺に捨てておいてもすぐに自然に生態系の循環をする物質だけを使って生活をして行くべきでしょうし、結果としてそれが一番便利でしょう
 自然の循環の範囲内で活動するのが、自然のつつましさ、優雅さを備えた豊かな社会と言うものです。そして、それ以外に持続可能な社会は作れないのです。
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【2010/03/21 00:02】 | ゴミ・廃棄物 トラックバック(1) |

リサイクル以外の捨て方の指定
上々
今使われている物はすべて元々地球の中にあったものを使って作られていますから、元に戻してやれば何の問題もないはずなんですが、鉱物のように地中深くから掘り出して精錬という濃縮をしてやったために元に戻し難いものもあれば、複雑な合成で戻し難くしてしまったものもあります。

リサイクル製品にはリサイクルの仕方を書いてあります。
リサイクル自体には疑問点が多くありますが、表示と言う点では他のただ捨てるだけの製品にも見習わさせるべきでしょう。

製造された商品にはすべて、使い終わった後の捨て方まできちんと決めて表示させる必要があります。単に燃やせばよいのか、分解して燃やすものと回収するものを分けるのか、その辺のところが製造者の義務であるはずなのに、全く触れずに自治体任せというのはおかしいですね。


捨て方、捨て場
雑草Z
    上々さん

>鉱物のように地中深くから掘り出して精錬という濃縮をしてやったために元に戻し難いものもあれば、複雑な合成で戻し難くしてしまったものもあります。

そうですね。これらは地下に戻しても元通りにはならないばかりか、有害な場合も多いですね。文明人は地下資源を安易に使い過ぎて来ました。

>使い終わった後の捨て方まできちんと決めて表示させる必要があります

そうですね。そして、使い終わった時の事まで考えて処理し易いように製品を作る事を考えるべきだと思います。・・そのような方向に徐々に進んでますが・・。
 ただ、本文にも書きました通り、自然の循環を回らない物をただ廃棄するばかりでは、資源の枯渇とそれ以上に捨て場の枯渇を招きます。循環しない物の廃棄・・・という行為は生態系の破壊であり、子孫に対する負の遺産ですから、出さない方向に進むべきでしょう。

 *  ***    *****      *******
 いつも複数の記事へのコメント有難う御座います。最近は休日のコメントも多くなりましたね。恐縮です。
 当方では昨夜もパラパラ雪が降って、うっすら積っています。そちらでは雪はすっかり消えたでしょうか?・・

江戸時代のゴミ
guyver1092
 江戸時代には、ゴミはほとんど問題にならなかったようです。税金の仕組み等をを何とかいじって、ゴミの出ない社会システムをつくれないかと考えています。
 ※ゴミとして捨てれば捨てるほど、税金がかかる、ただし回収システムのあるところへ分別して持っていけばお金が返ってくる。

 核のゴミについて一番最初に知ったのはGraceさんと同じく、室田武氏の「原子力の経済学」でした。それによると、軽水炉で一年間燃焼した燃料棒は、約千年で短寿命の放射性物資はほぼなくなりますが、長寿命の核物質はそれからじわじわと放射線量が増え続け、七十万年後に最大に達します。そして百万年後にほぼすべての放射性物質がなくなるそうです。
 ところでどこで読んだのかは覚えていないのですが、高度燃焼した燃料棒の放射線がこれと同レベルまで低下するのは、三億年と読んだ記憶があります。これれはたとえば、マントルの対流の一周が二億年だそうですので、マントルの中に捨てることができても、また地上に出てきてから一億年は放射線を出し続けることになるということです。
 例によって、彼らの考えを推測してみましょう。

一 科学が進んで、核物質の消滅ができるようになる。

二 科学が進んで、反物質炉の燃料にすることができる。

三 信仰心により核物質は消滅する。

四 すべての高等生物の死滅が目的である。

最終処分場が必要なものは作ってはいけませんね。
雑草Z
    guyver1092さん

 江戸時代は循環性のあるゴミが主であった事や、物を大切にする文化がしっかりしていて、経済的にも100%リサイクルが可能だったようですね。現代のごみ行政は、使う物質も含めて江戸時代よりも遥かに劣る事は間違いありませんね。


原発に関しては、やるメリットは何もなく(・・軍事目的だけでしょうか・・・)デメリットだけなのにやるのは狂っているとしか思えませんね。

>例によって、彼らの考えを推測してみましょう。

放射性廃棄物の処理法について、今度は4択ですね。
こんな理不尽なものは、guyver1092 さんの示されたようなありそうでない理由しか思いつきませんね。
実態は、放射性廃棄物の事はなるべき考えずに原発の事だけを考えている・・・と言う究極の愚か者なのではないでしょうか?・・・原発を促進するなんて、まともな人間の理性では考えられない事です。悪夢か最悪の冗談です。

 

消費財
上々
もう何十年も前に亡くなりましたが、明治生まれの祖父母たちはほとんど物を捨てると言うことなしに、過ごしていたようです。
端切れは言うに及ばず、紙切れでも何かに使おうととっていました。

本当は捨て方を決めると言うのもおかしな話なんですが、今はそう言わざるをえない程度の状況と思います。
せめてきちんと捨てて残らないようにするところから始めなければ。

****
石川は平地はほぼ雪は消えていますが、すぐそばの低い山でも上の方には残っています。白山は真っ白です。
休日も買い物に出るときはついでに事務所に寄ってメールチェックをしますので、さっと目を通します。

Re:消費財
雑草Z
    上々さん

>明治生まれの祖父母たちはほとんど物を捨てると言うことなしに、過ごしていたようです。

それが普通の事だったのでしょうね。・・今では理想です。次第に物が溢れて棄てざるを得なくなったのですね。使い捨てに慣れてしまった現代人は自然の摂理の感覚を失っていますね。滅びへの道をひた走っています。

>端切れは言うに及ばず、紙切れでも何かに使おうととっていました。

私も近いものがあります。これから望む望まざるにかかわらず、そうしなければならなくなるでしょうね。

 *  **   ***    ****     *****

 白山は高いですからね。東北地方には、白山より高い山はありません。でも家から見える飯豊山(いいでさん)は、夏でも消えない万年雪があります。
 裏日本にもそろそろ春が来ましたね。


ウランピーク
上々
石油ピークと同じように、ウランの埋蔵量にも限りがあり、ピークは間近、あるいはすでに過ぎているという話もあります。
この辺はウランの鉱石の質とも関係があり、石油と同様、質の良いものから採掘して使っているため、残っているのはウランの含有率の低い低質のものだそうです。
このような状況で、世界各国が原子炉建設を進めて行けばそう遠くはない未来に枯渇と言うことになるかもしれません。
それで最終処分の心配も少なくなるとは言えませんが。

また、含有率の低い鉱石から抽出するには当然大量のエネルギーが必要になりますので、EPRがますます下がると言うことにもなるようです。

****
白山の雪は6月頃まであるようです。
出ましたね、「裏日本」。こっちに来てからこの言葉はなるべく使わないようにはしていましたが、実際「裏」という感じを強く受けます。

Re:ウランピーク
雑草Z
    上々さん

 ウランの埋蔵量の事は気にかかっていましたが、

>ピークは間近、あるいはすでに過ぎているという話もあります。


>そう遠くはない未来に枯渇と言うことになるかもしれません 

ウランなど速く枯渇して欲しいものです・・・と言うよりも埋蔵していなかったらどんなに良かっただろうかと思わずにはいられません。

   * ***    *****    ***  *

>出ましたね、「裏日本」

はははっ・・・あんまりいい言葉ではなかったですね。まあ私の住んでいる福島県の会津地方は内陸ですが、どちらかと言えば、「表日本」ではなく「裏日本」です。

 私は日本海側の寂しい雰囲気が結構好きです。

資源確保
上々
昨日のニュースで政府が資源確保の方針を示したとか言ってましたが、どこまで本気で考えているのやら。
いくら本気で考えたくても前提となる情報の質が悪ければ、考えるだけ間違った方向に進んでしまいます。

ウランも取り合いになれば生産国に対する干渉など、現在の中東問題がそちらに移るかもしれません。
他にも金やプラチナやリチウムや、その他多くの元素など、火種は数知れずあります。
肥料用のリン鉱石やカリも同様です。
いよいよ本当に狼が来たというところでしょうか。

*****
それほど海岸を見に行ったわけではないですが、やはりなんとなく寂しいですね。人が全くいないと言う点では、南九州の海岸線の方が上かもしれませんが、明るさが違います。
それと冬の波の荒さは、ほとんど毎日海上暴風警報です。
あと一息で春の訪れですが。

Re:資源確保
雑草Z
    上々さん

 いくら資源確保しても、石油とかウランだとか、枯渇する資源を確保する事は問題の先送りで、結局問題をもっと深刻化しますね。

>ウランも取り合いになれば生産国に対する干渉など、現在の中東問題がそちらに移るかもしれません。

 深い読みですね。ウランの産地は、いわゆる未開の地が多いですから、開発援助に名を借りた略奪みたいな形になるかも知れませんね。

>いよいよ本当に狼が来たというところでしょうか。

やはり、地球に降り注ぐ太陽エネルギーの範囲で(・・勿論、太陽光発電とか言う意味ではありません。・・)慎ましく生活する社会に移行するしかないでしょうね。現代社会は無駄に大量のエネルギーを浪費しています。

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2010-03-17 00:01
使い捨て文化に関しては日頃より心を痛めています。ここのサイトでも【使い捨て時代】など何度か言及しています。日本古来の『勿体ないの文化』が見直されて久しいのに、21世紀になっても使い捨て社会は酷くなる一方です。特に生態系を循環しないプラスチック類の使い捨てゴミの問題は非常に深刻化しています。【アフリカの国花】などがその例です。

先日集会で、昼食に弁当が出ました。弁当の容器がプラスチック制で、割り箸が付いて、みそ汁も発泡スチロールのカップめんのような容器、その中に具やみそ汁が、ビニールの袋に入っていました。弁当は全て使い捨て容器に入っていました。・・これが現状です。
 最近、レジ袋が廃止され、飲食店でもリターナル箸(割り箸でない何度も使う普通の箸)が使われるようになり、それはそれで評価出来ますが、この手の食品の使い捨て容器は殆ど改善されていないようです。・・ちょっと薄くなったくらいでしょうか・・・
プラスチックゴミの分別回収は進んでいますが、そんな事では解決にならない事は何度も言及しています。【リサイクルには気をつけよ!

 もう昔の話になるのでしょうが、ケンタッキーフライドチキンに初めて入った時の非常に嫌な感触を覚えています。お店の中で食べるのに、フライドチキンが紙の箱に入ってきて、スプーンやフォークまでプラスチック製で、飲み物の容器まで使い捨てのプラスチックでした。食べもの以外全て使い捨てでした。挙げ句に客も店員も、ゴミとしてプラスチックの容器と一緒に生ごみである食べ残しや鳥の骨を同じゴミ箱に捨てていました。・・・生ゴミとプラスチックを同じところに捨てても平気な感覚・・・自然の摂理に対する感覚が壊れてしまっています。【現代人の壊れた感覚】で述べたとおりです。
 その後、アメリカ旅行した時の使い捨て容器の消費の多さにも閉口でした。普通に飲食店の容器が使い捨て・・と言うのがざらでした。安い店に限って、人件費削減の為か、使い捨て容器のオンパレードでした。いちいち心を痛めていたら、神経が持ちません。・・・最悪の使い捨て文化の国であったアメリカの例をこれぞとばかりに見せられました。
・・それ以来ケンタッキーフライドチキンには入ってませんが(・・日本の手羽先などのほうが美味いですし・・)、気がつくと、日本でもケンタッキーに限らず、ハンバーガーチェーン店も列車や航空機の食事や飲み物サービスも、コンビニや弁当屋の弁当も、みんなプラスチックの使い捨て容器が主流になってきました。
 そんな中、弁当の仕出しが、再利用のおひつやお椀に入っていたりすると、ちょっとほっとします。・・・一昔前まで普通であった事・・・敢えて『良識』と呼ぶべき事でもない普通であった事が、現代の目先の経済効率の中で駆逐されていくのを見ると胸が痛みます。

 使い捨て容器の使用により、資源の枯渇も大いに懸念されるところですが、それよりもプラスチックのように自然に循環しない物質をどんどん撒き散らして、生態系を破壊する事のほうが、より切実な問題です。二酸化炭素温暖化問題の陰に隠れてあまり表に出て来ませんが、二酸化炭素温暖化説のように曖昧で因果関係もはっきりしない問題ではなくて、プラスチックのごみを中心とする因果関係の明らかな大きなゴミ問題が世界中に噴出しています。非常に深刻な環境問題です。猶予はありません。
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【2010/03/17 00:01】 | ゴミ・廃棄物 トラックバック(0) |

仕組みを換えればなくなりますが・・・
guyver1092
 以前、廃棄食料品についてでも書きましたが、使い捨てすると税金が多くかかるように税制を変えればなくなるでしょう。企業が営利目的である以上、税制を変えれば、世の中が動きます。
 政府が本気で二酸化炭素削減を考えるのなら、当然使い捨て容器の禁止も政策に入ってきて当然ですが入っていないのは、二酸化炭素削減は口実であって目的ではないのでしょう。
 目的は何かって?
 推測してみましょう。

その一
 二酸化炭素削減を口実に、無駄に物を買わせて景気をよくする。

その二
 本気で現在の政策が二酸化炭素削減に役立つと思っている。

その三
 二酸化炭素削減を口実に、無駄に資源を消費して、環境を破壊しつくし、文明崩壊が早く来るようにする。

ハラン
雑草Z
    路傍の石ころさん


>植物の葉で食品を包むという素晴らしい文化がありました。

そうですね。本当に素晴らしい文化です。そして、ほんの数十年前までは、それが当然の事でした。植物の葉ならば、その辺に捨てておいても自然に枯れて自然の循環に戻りますからね。笹の葉はよく使われますが、
ハランと言う植物の名前は知りませんでした。御紹介のサイトを見たり検索してみますと、寿司などに使われる葉ですね。お寿司屋さんでは、葉蘭の葉の上に寿司が出される事もありますね。見覚えのある葉でした。いい植物を知る事が出来ました。有難う御座います。

>庭や公園にはこのハランを栽培し、プラスチック類を追放しましょう。

なかなか素晴らしいご提言ですね。賛同いたします。


>買い物をしたら風呂敷につつむとか。

私も買い物袋(・・エコバック・・という言葉はあまり使いたくはありませんが・・)は買い物するときは従来より持ち歩いていましたが、数年前に風呂敷を頂き、その色々な素敵な使い方を教えて頂き、気に入って、時々使っています。風呂敷を畳んで小さくして持ち歩くのも何かと便利ですね。

>缶入りのコーヒーとか清涼飲料は禁止

缶とペットボトルですね。早く禁止にすべきですね。本当にプラスチックのゴミ問題は深刻ですね。

 +   +++++++ +++++++++    +++++  +

 私は山国育ちですので、ワカメやヒジキを採って食べた事はありませんが、どちらも好物です。ワラビ採りは小中学生の頃よくしました。大人になってからも時々見つけては採っています。・・ワラビは大好物です。

>自給自足に加えて、「採集自足」 も目指しています。

サツマイモ栽培以外にも色々されていらっしゃるのですね。
かなり自給率が高いのではないでしょうか・・?あんまりお金で食べものを買わなくても済むくらいなのではないでしょうか?
 もしよろしければ、少しずつ教えて頂ければ有難いです。
自給自足的生活は理想、目標とする部分ですので、多少とも御指南頂ければ幸いです。路傍の石ころさんを自給自足の師と仰ぎたいと思います。
 「採取生活」が出来るくらい地球の恵みが残り続けて欲しいものです・・・勿論今の人口全部は無理でしょうけれど・・・これ以上地球の生態系は破壊されないように運動して行きたいですね。

葉蘭の御紹介や、自給自足、採取生活など貴重な素敵なお話有難う御座います。

出ましたね!!
雑草Z
    guyver1092さん

>使い捨てすると税金が多くかかるように税制を変えればなくなるでしょう。

そうですね。法律でしっかり禁止するか、重税を課すべきですね。


>目的は何かって? 推測してみましょう。

いいですね!この前の記事【二酸化炭素温暖化対策の大罪】での「二酸化炭素の排出増加を推進する彼らの環境破壊に対する認識」に次いで、3つのパターンですね。

その一 と その二 の両方が多いでしょうね。人によってその割合が その一寄りだったり、その二寄りだったり・・

その三 は、ブラックジョークとか揶揄の類で、例の
>惑星開発委員会 
・・ですね!?。・・流石にそんな人はいないでしょうけれど・・・ 

例によって、その一、その二、その三、どれも冗談のレベルで笑って済ませないところに問題の深刻さがありますね。・・多くの人が洗脳され切ってますね。

石油の用途
上々
象徴的な意味では石油をプラスチックにして使い捨てというのはいけないことなんですが、量的にはそれほど多くはありません。
というより、いかに大量の石油を燃料用に使っているかと言うことなんです。

プラスチック原料としてはナフサが当てられますが、一応燃料にも使える分子量らしいんですがその割合は5%程度だそうです。

あと、ゴミが散乱するのは中途半端なリサイクル意識のせいもあり、全部回収して燃やしてしまうのが現状では間違いのない処理方法だと思います。

なお、guyver1092さんの例示のうちではやはりほとんど1、若干2なんでしょうが、今の「理系内閣」も基礎知識は大丈夫なんでしょうか。

十分に大量です。
雑草Z
    上々さん

>量的にはそれほど多くはありません。

石油の用途としては、おっしゃるように割合は少ないかもしれませんが、(・・そういう意味ですね?)プラスチックゴミの問題は【アフリカの国花】に書いたようにアフリカでは非常に深刻です。アフリカに限らず世界中で深刻ですね。海洋汚染も深刻です。生態系を循環しない腐らないゴミの問題は深刻です。生態系にとって脅威です。象徴的な意味の範疇では済ませられないでしょう。
 ゴミとして放置したりリサイクルするより燃やして燃料にしたほうがまだまし・・でしょう。槌田敦さんの本にもそう書かれていました。ただその為には分別をしっかりする必要がありますね。

アーミッシュ
上々
アーミッシュの人達の暮らし方の本当のところを見たことはないのですが、非常に参考になります。
まあおそらく否応なしに全世界的にそういった生活にそのうちなるとは思いますが。

ただ、宗教の力を借りなければできないとすると情けない話で、人間の理性を基にそのような社会を作り出すべきだと思います。
そのような社会を選べる人と、浴びるほどに石油を使い、使い果たして自滅する人と分かれて別の未来を選べれば良いのですが、できなければ道連れにされます。

プラスチックの分別には個人的に恨みがあり、過剰反応のバカな自治体のゴミ収集で、プラスチックも分けてかなり離れた集積場まで運ばされております。
しかも食品包装のものなど、油を洗い落とすのに手間もかかるし、その洗浄廃水は下水処理をしているというのもバカな話です。食品包装プラスチックは洗わずにそのまま一緒に燃やすというのが最良と思います。

難題
雑草Z
    路傍の石ころさん

 いつも長い中味の濃いコメント有難う御座います。今回のお返事はいつもより熟慮しなければなりません。


>政治家も官僚も国民も、「経済成長の病」に洗脳され、呪縛されています。

本当にこれは酷いものです。人間の理性と言うものを疑ってしまします。大多数の人間が洗脳されていますし、「経済優先」なんて事が言われる事自体、「経済ファシズム」と呼ぶべき事態でしょう。ここの一番上のタイトル<雑草の言葉>のところにも書いているように、経済ファシズムは、人類史上最大最強最悪のファシズムでしょう。


アーミッシュに関しては、存在を知っている程度で、具体的には何も知らなかったので、今回、御紹介のサイトなどをしっかり読ませて頂きました。

>ノーベル賞はIPCCやゴア氏よりも、アーミッシュの人々に授与すべきですね。

そうですね。それから槌田敦さん・・・ノーベル賞も政治がらみで、人選が変なものばかりですね。かつての佐藤栄作元総理が平和賞に選ばれた時点で、どうしようもない賞だと思ってます。アメリカの経済学者の受賞者の大部分がどうしようもない人達です。・・そう言う意味ではノーベル賞もらった人は信頼出来ないかも知れません。
 話が逸れましたが、贅沢せずに質素に暮らす・・と言うのは、モラル的な意味ばかりではなく、環境問題の意味からも社会の持続性からも、必須の事になりますね。
 その意味で、アーミッシュの人々の暮らし方は参考になりますね。ただ、修行僧ではありませんので、禁欲的な生き方を戒律にする事には賛成出来ません。広義で、人生は楽しむ事も目的とも考えられます。
アーミッシュの戒律は
>原則として快楽を感じることは全て禁止
との事ですが、
お金や物量的な事による快楽を求める事を禁止しても、一般の快楽全てを禁止するのには賛同できません。


>宗教とか信仰の凄さ
としてアーミッシュの例を挙げられたのでしょう。

>宗教は、狂信に走り誤った方向に進むと恐ろしいものですが、正しい方向に行くのであるのならば、宗教的信仰による信念や洗脳も、また良きかな

は、私も賛同致します。しかし、キリスト教などよりも日本古来の神道や、世界の先住民族の自然崇拝により共感致します。

 
 
 北国の東北もそろそろ雪も消えてきて、春になりました。そろそろ土いじりをして、だんだん作物も植える事が出来そうです。
路傍の石ころさんのことは、自給自足の師と仰いでおりますので、サツマイモ作りをはじめとして、自然農法的なものを色々御指南頂ければ幸いです。

 当方は、この前路傍の石ころさんに御指摘されたように、ここの記事を書くばかりでなく、行動を再開しなければならないかなと思っております。この週末、東京に行ってきました。ある団体立ち上げの話に混ぜて頂いてもらいました。
 これまで入っていた団体は活動すると思うと納得がいかなかったりレベルが低かったりで、団体に所属するのもどうかと思っています。

 この辺の事は改めて書かせて頂きます。最後、中途半端ですが、取り敢えずお返事まで。

一蓮托生は理不尽
雑草Z
    上々さん

>まあおそらく否応なしに全世界的にそういった生活にそのうちなるとは思います

そうですね。物質的には望む望まざるの話ではないですね。・・物理的にそうせざるを得なくなるまでに、人間が自らそうする理性があるかどうかですね。自ら出来るようなら、絶滅は免れますね。

>そのような社会を選べる人と、浴びるほどに石油を使い、使い果たして自滅する人と分かれて別の未来を選べれば良いのですが、できなければ道連れにされます。

グローバル化社会ですから、残念ながら道ずれですね。理不尽です。

>食品包装のものなど、油を洗い落とすのに手間もかかるし、その洗浄廃水は下水処理をしているというのもバカな話

リサイクルするものを洗剤で洗うと言うのは本当に馬鹿げていますね。「エコキャップ運動」と言うペットボトルキャップを回収して送る運動がありますが、たったあれだけの物をリサイクルする為に洗剤で水を汚して、運送のエネルギーをかけてリサイクルするのはギャグ効果・・ギャグのような逆効果ですね。どうしようもありません。

採取、栽培、自給自足
雑草Z
    路傍の石ころさん

 山菜もいいですね。幸い、会津地方は山菜の宝庫です。ただ、会津では山菜採りはまだですね。ふきのとうがそろそろでしょうか?
こちらはワラビは5月くらいからです。ワラビがもう採れるとはやはり瀬戸内は温暖ですね!そして、栽培ではなく自生のシイタケが沢山採れるなんて、淡路島は自然豊かなのですね!!海藻もあるから、山よりも採取出来る食べものは多いですね。

>島に自生する山菜はすべて利用

>フキ、タラの芽、~……枚挙にいとまがありません~・・・これらは野菜としても通用するものばかりです。


そうですかあ。当方は殆ど山菜採りはしていなかったので、今年は是非したいと思います。路傍の石ころさんが挙げられた山菜の中でも、 "ハリギリの芽" って知りませんでしたし、キノコ類は毒キノコの区別がつかなかったのでずっと手を出さないできました。シマサルナシも初めて聞きましたが、頗る美味しそうです。とても食べてみたいです。
 是非採取生活の師も宜しくお願い致します。採取生活は頭になかったので、瓢箪から駒の嬉しい展開です。


 米は最近関心があって好きですが、・・・槌田敦さんの著書によると、麦などの畠と違って塩害が防げるから持続可能な農業が出来るとの事ですが・・・芋も好きですし・・・サツマイモだけでなくジャガイモやサトイモもあれば味がかなり違いますから楽しめますね。・・路傍の石ころさんのコメントからも、米よりもずっと芋の栽培のほうをやってみたいと思っています。
・・と、言う事で自給自足のほうも師と仰がせて頂きます。宜しくお願い致します。

>飢饉などという言葉は、歴史上の古語だなどと思っていたら、大きな認識誤りだと思います。

 その通りだと思います。・・その飢饉のときに、芋、特にサツマイモが有効だと言う事を路傍の石ころさんに教えて頂きました。

>主食はイモ、副食にはマメから蛋白質を、緑の菜っぱからビタミン類を、それが理想的

参考にさせて頂きます。豆と菜っぱがいいとは私の親も言ってました。

>私もそう厳格なわけではなく、教義を破ることはよくあります。

路傍の石ころさんは、芋を主食として食べるのはどの位の割合なのですか?また、自分で作られたり採取したりする食料自給率はどの位なのでしょうか?・・食料品を買う場合、何をどの位の頻度で買われるのでしょう?・・色々興味深いものがあります。宜しければ教えて下さいませ。




少し前に戻りましょう
BEM
雑草Zさん、こんにちは!
リクエストしておいて、コメントが遅くなってすみません(^^;
さすが雑草さん、分かりやすくて痛快ですね!
私はケンタッキーじゃなくて、ロッテリアでそのゴミの量の多さに閉口しました。
それまで、たまにハンバーガーも食べることはありましたが、改めてこれは何だ! と感じました。
(お店で食べるのに、紙コップやほとんどが再利用しないものばかりでした。モスバーガーなどはマグカップでコーヒーを出されるのでそれほど感じなかったというのもあります)
それ以来ファストフード、コンビニやスーパーの弁当、ほか弁の類いは一切購入しなくなりました。

個人的には割り箸は間伐材を使っていればいいのでは? とも思うのですが、実際お店で販売しているものは中国産でわざわざ森林を伐採して作っているというものがほとんどのようなので、割り箸も一切家からなくなりました。

どちらにしても慣れてしまうと、全然困らないんですよ。これが♪
多分、その欲求をくすぐるのはテレビのコマーシャルなのでしょうね。
マクドナルドなどはホントに宣伝上手で、子供にはオモチャで釣ったり、大人には安さと芸能人でしょうか(笑)

そのゴミの量たるや、一体ファストフードの1店舗でどのくらいのゴミが出ているのか。
是非公表して欲しいです。
guyver1092さんのおっしゃる通り、使い捨ての容器に課税するというのも大賛成です!!
また、そのゴミに対する税金もかけて欲しいところです。
そういったゴミになるようなモノを購入しない我々にしてみれば、税金によってゴミの収集することは非常に腹立たしいものがあります。

なんにしてもたった4、50年で日本人の食生活も変わり、使い捨てが横行し、大量の消費大国になってしまったことにため息が出てしまいます。

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2010-03-13 00:01
資本主義社会[Capitalist Society]において、一般の企業の目的は利益を上げる事です。そして、企業の最優先事項は、その利益を社員に還元する事ではなく、ましてや社会に還元する事でもありません。あくまでも投資家に利益を還元する事です。従業員の生活安定や豊かな生活は会社の安定の為です。従業員にいい給料を出すのは、企業が大きな利益が得られた報酬、またはこれから大きな利益が得られる見込みがあるからでしょう。企業の社会的貢献、社会還元・・なんて事も言われますが、それはあくまで企業のオプションであって、目的は 資本家=株主 に利益を還元する事です。


経済成長も、何だかんだ言っても資本家が利益を増やすのに都合が良いから導入された概念ではないでしょうか?・・・高度経済成長期をとっくに過ぎてしまった先進国では、バブル経済のような見せかけの経済成長をしてまでも投資家の利益を増やそうとしてきました。
弱肉強食の経済思想である新自由主義に基づく、小さな政府、福祉・公共サービスの縮小・・・などによる市場原理主義、資本主義のなれの果ての姿は、資本主義の総本山アメリカの例を見れば想像がつきます。アメリカの企業は『会社は株主の利益の為に存在する』・・・というような事を公言してはばからず、直接、間接、表明しています。(日本にも真似して同じような事を言うマネーゲーマーが増えて来ましたね。)断末魔のアメリカ型の資本主義は、末期症状を呈して、暴走を始めて荒れ狂っています。いまだにアメリカンドリームを庶民に夢見させて、隙あらば搾り取って、資本家の利益を上積みしようと企てています。資本家の利益を上げる為なら何でもアリのような状態です。モラルハザードの詐欺に等しい、貧困ビジネスや戦争ビジネスでも利益を上げようとしています。サブプライムローンは貧困ビジネスの典型でした。貧困層から搾れるだけ搾りとれ・・とばかりに巧妙に騙して低所得者層に住宅を買わせて無理なローンを組ませて破綻させてきました。アメリカ企業は本音と建前の使い分けが非常に上手い国です。疑うことを知らない善良な市民でなくとも、ころりと騙されてしまいました。
 アメリカでは20世紀半ばには、豊かな中流家庭が沢山存在しましたが、富豪に断然有利な「自由競争」の結果、ほとんどの中流家庭は、貧困層に転落したと言います。

話を元に戻せば、(アメリカ型の)資本主義体制下での企業の目的は、利益を投資家に出来るだけ多く、還元する事です。日本の企業も、無法地帯と化したアメリカの企業を追随しようとしています。人間は平等だ・・・と言いながら、資本家の利益しか考えていないのが、資本主義の実態です。
 このまま新自由主義と言う名の無節操な資本主義が続けば、格差は益々広がり、わずかの大富豪者と、大多数の貧困層と言う図式になり、貧困層は大富豪の資本家に搾取され続けると言う、古代奴隷制度みたいな世の中になってしまうでしょう。

 たとえある程度、自由経済を肯定したとしても、投資家にとってのみ都合が良い不公平なシステムである資本主義は肯定出来ません。崩壊して然るべきでしょう。
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【2010/03/13 00:01】 | 社会・経済 トラックバック(0) |

市場原理
上々
市場原理なんて偉そうなことを言わなくても、結局売り買いする人間が一番有利な取引ができるということはすでに何千年も前からの原則だったのでしょう。

江戸時代にも商業者がすぐに力を得てしまうのを幕府は必死に抑えようとして、身分制で一番低くしたり、あれこれと定期・不定期に運上金として取り立てたりしましたが、結局その勢いは抑え切れなかったと言うことだと思います。

江戸幕府の政策など、現代の政治原則から見れば稚拙なものだと見られるのでしょうが、商業対策から見ればまだ当時の方がましだったと言えます。
野放しにして以降、経済暴走が始まり全く制御の利かなくなった現状を見れば、幕府のやり方の方が理性的だったと考えられるほどです。

おや? 記事変更しましたか?
BEM
朝の記事と違うような気がしますが・・・勘違いだったらすみません(^^;

日本はいつまでアメリカを追っているのでしょう。
確かに50年、60年代のアメリカの映画を見ると豊かだったな〜と思いますが、今ではおっしゃる通り、わずかの大富豪者と、大多数の貧困層でしょうか。

まだメディアもアメリカの良い面しか伝えていないような気がします。
失業者が2ケタであるとか、健康保険にも入れない社会ってどうなっているのか? すごく気になります。
反面ヨーロッパを始め外国で成功している国(ほとんどないかもしれませんが)の事もほとんど知る機会はないですよね。

アメリカがどうだとか、韓国、中国にも経済で抜かれたとかそんなことより、もっと日本がどういう生き方をするか考えたほうが良いですよね。

もっと言うと、少数でも国や経済成長にまったく影響されないような自然な生き方をしていく方向を考えるべきかとも考えます。

資本家
雑草Z
    上々さん

>商業対策から見ればまだ当時の方がましだったと言えます

そうですね。上々さんが色々例示されたように、

>身分制で一番低くしたり、あれこれと定期・不定期に運上金として取り立てたり

と言うのは、現在より遥かに頑張ったと思います。現在は、資本家の傀儡政権みたいですね。民主党政権がどの位資本家を抑えられるでしょうか?

>野放しにして以降、経済暴走が始まり全く制御の利かなくなった現状を見れば、幕府のやり方の方が理性的だったと考えられるほど

その通りだと思いました。格差を拡大して貧困層を大量生産しているこの暴走型市場原理システムを早く止める為にも、財閥や大資本家達の悪行をしっかり知るべきですね。

・・・アメリカなんて日本よりずっと酷い状況ですね。

アメリカの追随は止めよう!
雑草Z
    BEMさん

 現在のアメリカの大富豪達は、大多数の国民の犠牲の上に贅沢三昧をして暮らしています。日本がアメリカの後を追い続ければ、現在のアメリカのような大多数の国民が悲惨な状態になってしまうでしょうね。

>まだメディアもアメリカの良い面しか伝えていないような気がします

そうですね。貧困層は、特別・・みたいな扱いですが、実際は貧困層は多数派になりつつありますね。
いまだにマスコミではアメリカの金持ち層の露出が高いですね。
貧困層はオバマに医療保険改革とか福祉政策をかなり期待していた筈です。だからオバマが大統領に当選したのでしょう。それなのに・・

 
 + +++ +++++ +++++++

>朝の記事と違うような気がしますが・・

今回の記事はそのまま13日に日付が変わるとアップしましたが、
この記事の上に、ちょっとの間、もうひとつ記事をアップしてしまいました。実は、次の記事を予約投稿しようとして、間違って公開してしまったのです。数分後に気付いて、予約投稿に戻しました。・・まだ誰もコメント付けていなかったのに、BEMさんに見られてしまいましたね(汗)・・その記事【使い捨て容器】は3月17日にアップしますので、コメント頂けるなら(BEMさんの関心のある内容ですよね?)その後にお願い致します。御免なさい。



良かった(^^
BEM
大変興味深い記事だったので、もう読めないかと焦ってしまいましたが、ホッとしました♪
お待ちしております(^^

失礼いたしました。
雑草Z
BEMさん

朝のほんの数分間の事でしたが、不信感を持たせてすみません。これからも宜しくお願いします。


正雄
>一般の企業の目的は利益を上げる事です。

>投資家にとってのみ都合が良い不公平なシステム
利益を上げる事はあてはまると思いますが、

企業は投資家に還元しようなんて思ってないとないと思いますよ。企業の利益を上げる事だけだと思います。

日本は格差はよその国と比べてそれほど無いけど、
これから、どうなるか。


投資家
雑草Z
    正雄さん

>企業は投資家に還元しようなんて思ってないとないと思いますよ。

日本ではまだまだそう言う部分がありますが、本文に書いたようにアメリカでは投資家優先です。大株主と言う事ですね。そうしないと経営陣はすぐに交代させられます。


>日本は格差はよその国と比べてそれほど無いけど、

いつの時代の事を言ってるのでしょうか?格差の定義にもよりますが、日本は数年前にアメリカに次いで世界2番目の格差社会になったと言われます。世界2番目の実感があるかどうかは兎も角、一億総中流の意識のあった時代はとっくに過ぎました。


正雄
そうですね、本文はアメリカことですね。
僕が言ったのは日本のことです。
言葉が不足してました。すいません。

>いつの時代の事を言ってるのでしょうか?格差の定義にもよりますが、

現在です。基準とか定義は収入とかではなくて、
低所得だからといって
みんな餓死とかしないし、
よその国と比べて
生活に差が少ないと思ってます。
中国とかものすごい差があるし。

>不公平なシステム

これからどう変えたら公平みたいになるのか、
雑草さんの
意見があれば聞きたいですね。

ろうそくの燃え尽きる寸前
guyver1092
 「暴走する文明」によると、滅びたは文明崩壊の寸前、例外なくけばけばしく飾り立てた後、矛盾が一気に噴出して、崩壊したとか。
 今の資本主義(中国が共産主義を名乗る以上、拡大再生産主義と言ったほうがよいのかもしれませんが)の華々しい部分は、過去の文明と同じく、矛盾を糊塗するために精一杯の努力で演出しているのでしょう。
 末路は、過去の文明と同じく、文明の基盤の崩壊、それに続く虐げられたものによる反乱で全てが灰燼に帰すでしょう。

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2010-03-09 00:01
 現在、人類が地球に及ぼしている環境破壊は致命的です。
 人類が地球に加えてきた環境負荷は、(超)指数関数的に増加して、20世紀の後半に持続可能な限界を超えたと考えられています。そして21世紀に入った現在でも、更に環境負荷は増え続けています。地球環境が、持続可能な限界を超えた事は、地球の生態系が年々破壊され、縮小されているのを見れば明らかです。人間や家畜を除く殆どの動物や、農作物や園芸植物などを除く殆どの植物も・・森も、陸の野生動物も海洋生物も年々減少しています。・・生態系の繋がりを考えれば、一部の増え過ぎた種(=人類)が減り始めるのも時間の問題でしょう。

 現代の人間社会が環境にかける負荷(・・エコロジカル・フットプリント・)を過去と比べてみます。いつの時代と比較してもいいのですが、ほんの100年前と比べても、その差・・・倍率に驚きます。紀元前と比べれば物凄い倍率になります。
紀元前の世界の人口や環境負荷の推定値などはかなりアバウトなもので、一桁違い(10倍や10分の1倍)くらいの誤差は当然でしょうが、そんな違いも気にならないようなアバウトな試算を行ってみます。


 先ず、100年ほど前の西暦1900年頃と現代(西暦2000年ちょっと過ぎ・・)を比べてみます。
 西暦1900年の人口は16億~17億と推定されています。(1900年でさえもそんなに正確な数値は出せません。)現在の4分の1以下です。また、1人当たりの環境負荷は、10分の1から100分の1と考えられます。(・・当時はまだ、いわゆる「未開」の民族が沢山いました。彼らの環境負荷は紀元前の人々とそれほど変わらないでしょう。)
地球に対する人類の環境負荷は 
(人口)×(一人当たりの環境負荷) 
と考えられますから、現在の人類の 環境負荷=環境破壊 の速度は、1900年当時と比べて現代を小さ目に見積もっても
(人口)4倍×(1人当たりの環境負荷)10倍=40倍
です。たった数世代(・・3~6世代・・)前の1900年頃の人類が1年かけて消費していた資源を、現在は10日以下で 消費=浪費 しているのです。
 まあ、20世紀の100年間は、人口も経済も超指数関数的に増加した”特異な世紀”でしたので、ほんの100年でもこれだけ物凄い倍率になりました。・・その意味で20世紀は、異常なまでに破局への加速度を増大させた世紀と言う事になりましょう。そして、その延長線上に21世紀があるのです。

次に紀元前と現代とを比べてみます。

 紀元前1万年くらいの世界の人口は100万人から1000万人くらいの間と推定されています。(・・相乗平均を取って、300万人くらいとしてもいいでしょう。・・指数関数的なお話ですから平均も相乗平均が理に適っているでしょう。・・)
 そうすると現在の人口は当時の人口の700~7000倍です。
現在の人間が一人当たり消費している資源やエネルギーは、当時の人間の100倍から1000倍と考えられます。
 以上から、現在の人類の 環境負荷=環境破壊 の速度は、紀元前10000年と比べて、少な目に見積もっても
(人口)700倍×(1人当たりの環境負荷)100倍=70000倍
です。
 現代の人類が1年で破壊する地球の自然環境は、紀元前1万年の人類は7万年以上もかかたのです。(このくらいの数値になると、1桁くらいの誤差は気にならなくなるでしょう・・)言い換えれば、
 紀元前1万年くらい前の人類 7万日=200年 分 の環境破壊を、現代の人類は1日もかからずに破壊するのです。(計算のアバウトさを考え、小さ目に見積もれば、現代の人類は、たった1時間で破壊するとも計算出来ます。)

 かなり恐ろしい事を現代の人類は行っている事になりましょう。こんな単純な計算でも十分に現代人類の無節操な暴挙がわかるというものです。だから、昔の人間が無限に大きいと考えても大丈夫であった地球に対する環境負荷も、20世紀に持続可能な限界を超えてしまったのです。そして、その負荷は全然減っていません。減るどころか、いまだに増えているのです。流石に20世紀のような超指数関数的増加は物理的にもう無理でしょう・・・もう資源が枯渇しつつありますから・・それなのに、不足している物を無理に消費し続け、経済成長を続けようとすればどうなるか・・・それは破局しかないでしょう。指数関数的特徴から考えて、【地球の再生能力】はこれから100年は持たないでしょう。だから21世紀は文明崩壊の世紀なのです。人類も含んだ地球の生態系を全体で考えた、ガイア地球は、21世紀中に、生態系の活動の停止を始めるのです。人間の(経済などの)活動も制御不可能な崩壊を始めるでしょう。もうその兆候は世界の至る所で現れています。


・・・こんな預言はしたくはないですね。だから最後に文明崩壊しなくてすむ方法をかきます。・・・それは勿論、脱成長、縮小路線です。人口も経済も工業も・・人間活動の殆どを縮小して、十分に余裕のあるところで、安定するのがいいのです。
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【2010/03/09 00:01】 | 都市/文明 トラックバック(0) |

森林面積
guyver1092
 現在の年間森林消失面積で世界の総森林面積を割ると大体200年でほぼ零になるようです。森林消失面積も当然指数関数的に増えているはずですが、増加率のデータを見つけることができませんでした。
 仮に消失面積の増加率が7%とするとあと50年かからずに零になります。

 森林がなくなると、失われた農地を補うために開発する森林がないということになりますので人口を養うべき農地が年々少なくなっていくと言うことになります。すなわち、地球の定員削減です。

 成長などと寝言をいっている場合ではないところまで追い詰められているのに、なぜ支配者にはわからないのか私には解りません。世界最大の謎です。

こんばんは♪
BEM
>紀元前1万年くらい前の人類 7万日=200年 分 の環境破壊を、現代の人類は1日もかからずに破壊するのです。

いや全く(--; ホント計算は苦手ですけど、もっと言えば紀元前の人類なら、地球の環境はは永遠だったはずです。
現代の生活はもう破滅にまっしぐらですよね。
かといって一気に紀元前の生活はできないのですが、現実に日本でも自給自足に近い生活をしている方も居る訳で、もっと質素に暮らして行く方法はいくらでもある訳です。
パソコンの前に居る私が言うのも説得力はないのですが、最近ますますそのような生活に憧れます。

北海道は厳しい冬もありますが、太平洋岸は結構温暖で、雪も少ないのです。終の住処としてはどこがいいのかな? なんて考えるようになって来ました(笑)
地方に行けばいくほど時間は今でもゆったり流れている気がします。
マスコミなんかに流されなければ結構脱成長は可能なんじゃ?って気がします。

学生の頃、歳をとったら皆でじじいの国を作ろうぜ! なんて言ってた友達がいましたが、今から真剣に考えるべきかもなんて思う時があります。
私も友達も今は札幌に住んでるんですけどね(^^;

薪を使わずに住めるところ
上々
おぼろげながら気が付き始めた人が持続可能な社会なんてことを言っていますが、燃料を使う社会は持続可能ではありません。
それはさておき、温暖化が進んでいるとの与太話の割には今年の冬はひどく寒いようです。慣れない初めての北陸生活ですが、雪のすごさもさることながら、あまりの寒さに毎日震えています。最高気温が3℃、4℃なんて言うのが普通で、去年までの九州生活が夢のようです。
たとえ燃料に限りがあろうが、この寒さでは暖房を入れざるを得ません。
この電気も原発製かと思いながらエアコンを稼働させております。

海の環境破壊
Grace
今日は本当に寒いですね。鹿児島でも雪が降っています。。。
 先日、脱原発学習会で鹿大の生物学者・佐藤正典教授と南方新社代表・向原(むこうはら)祥隆氏のお話を聞きました。
 温排水による海の環境破壊、生態系の異常のお話でした。最近川内(せんだい)原発付近の浜ではサメやウミガメの死骸がたくさん上がっているそうです。この数は、九州のほかの浜辺よりも異常に多いということ。それなのに、市や県でさえ原発の影響とは認めないんです。向原さんたちの調査によって、温排水の流出範囲がごまかされていることも判明しました。それでも原子力保安院も「あ、そう。」的な反応だそうです。。
 川内川の源流は宮崎県の山奥で大きな河川だから、河口付近はとても栄養豊富で、海の生物にとってはよい場所だそうです。だけど、今は熱帯性の魚がいたり、温排水排出口あたりでは大きな魚が連れる、といって釣り人の人気スポットだそうです。・・私はそんなところで釣れた魚、絶対に食べたくないですけど・・でも、サーファーにとっては「サメが出る場所」として有名で、誰も来ないそうです。
 佐藤教授が「取水口で撒く次亜塩素酸ソーダは極めて有害だ」というと役人は「水道水にも入っているんですよ。そのくらいの濃度なんだから、危険とは言えない。」と言ったそうです。佐藤教授もおっしゃっていましたが、「人間が基準ではない。魚の稚魚やゴカイなど海の小さい生物はそのくらいの濃度でも問題なんです。」と。うちの子供が金魚を飼っていますが、急な水温変化、塩素などの水質変化には気をつけて水換えします。。。うちの子供でも分かっているのに、市や県の職員は生き物のことなんて分かっていないんです。取水口から取り込まれた水は、7℃上昇し排水されます。そこでプランクトンや稚魚の7割がショック死か瀕死の状態で出てくるそうです。(でも「瀕死状態」は「生きている」としてカウントされるので、7割以上が死んでいる可能性がある)
 また、上げ潮時と下げ潮時では温排水の流れる方向が違うのですが、上げ潮時にはどう考えても排水した「温排水」を再び取水口から吸い込み、さらに水温上昇をしているようです。それらデータも捏造で隠しているみたいですが。
 このような環境破壊は今に人間に返ってくるのに、本当に愚かな連中です!

>シグモイド関数
雑草Z
    路傍の石ころさん

シグモイド関数を教えて頂き有難う御座います。

 指数関数増加は、制限のないところで、一個体当たりの増加率が一定・・つまり増加率がその時の存在量に比例する物の特徴的増え方です。地球上での増加の例で言えば、地球を無限の広さと考えた場合の増加の仕方ですね。
 それに対し、実際は有限の地球では、指数関数のように増加率を増しながら増えて行ったものが、限界が見えてくる途中から増加率減少に転じます。そのような増え方をする関数に名前はあるのかな?どんな式で表されるのかな・・・と、漠然と思っていましたが、特に調べようとは思いませんでした。
それを突然、「シグモイド関数」・・・と、教えて頂いて有難う御座います。数十年のもやもやが消えました。

>始めはゆっくり、中盤は爆発的、やがて頭打ち

ですね。現象としては、 路傍の石ころ さんが例示されたように、
>外来種の植物の個体群の動態など
に現れるでしょうね。


私が、「指数関数的」と表現したのは、キャパシティがまだ無限に広がると仮定出来る部分についてです。
シグモイド関数 のグラフの真ん中の変曲点までに達していない増加の部分の近似・・と言うべきでしょうか?・・でも今回の例は明らかに変曲点を超えてますね(苦笑)

 サツマイモの栽培や収穫率の事、このシグモイド関数の事と、長年求めていたものを教えて頂き、非常に感謝しています。
 人類の人口増加も経済成長も20世紀には異常な超指数関数的に増加してきたように見えましたが、
>「シグモイド関数」的
に増加してきて、とっくに変曲点を過ぎていますね。いつの間にか成長が出来なくなってくるのは、「シグモイド関数」的でしょうけれど、その後、制御不可能な減衰を始めるのは、カタストロフィーの理論でしょうね・・?


>雑草Zさんの過去の記事で拝見しました。

過去の記事まで遡って読んで頂き有難う御座います。
【指数関数的増加】http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-283.html
【対数関数感覚】http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-284.html
ですね?

路傍の石ころ さんは、漠然と生物系が得意なのかと思っていましたが、数学系や物理系(流体力学とか)も得意なのですね。今回のような御指摘は大歓迎です。有難う御座います。これからも御指南宜しくお願いします。 

>地球の定員削減
雑草Z
    guyver1092さん

地球が有限であるだけでも、無限の成長は不可能な愚かな事なのに、森林消失のような事が起こっていると、guyver1092さんのおっしゃるところの
>地球の定員削減
つまり、地球自身がその上に住める人間の数の限度を下方修正する・・と言う事ですね。相変わらず表現が上手いですね。・・それこそ、持続可能な限界を超えた・・・と言う証拠の一つでもあるわけですね。


地球の再生能力内での変化
雑草Z
    BEMさん

 紀元前の人類が何万年もかかった自然破壊と同じ事を、今の人類は一日もかからずにやってしまう・・・と言う事は非常に恐ろしい危惧すべき事ですね。
BEMさんのおっしゃるように

>紀元前の人類なら、地球の環境はは永遠だった

ですね。つまり、地球の再生能力内での変化だったと言う事ですね。

>もっと質素に暮らして行く方法はいくらでもある

その通りですね。そして、経済は縮小安定の方向に行かなければならないでしょう。

暖をとる方法
雑草Z
    上々さん

もし、持続可能な範囲で薪を使うのなら、日本の人口レベルは100万人以下くらいでしょうかね?
 雪国でも人口密度1人/km くらいだったら永続可能ではないでしょうか?
 ヨーロッパでも石炭を使い始めたのは、薪として木を切り過ぎたからと言いますね。

 先ず、先に改めるべき事は、家の中を全部暖かくする全館暖房はやめて、炬燵やあんかのような局所暖房にするべきですね。・・・そして、目指すべきは体温発熱・・・体温を逃がさないで、それで温まる方法ですね。
 私の家でもなるべくそうしてるのですが、私は兎も角、家族が駄目ですね。

 

原発が一番の憂鬱の種
雑草Z
    Graceさん

 どんどん脱原発の勉強が進んでいらっしゃいますね。そう言う方がどんどん増えていって欲しいものです。

>温排水による海の環境破壊

これは相当酷いでしょうね。何せ原子炉では、核分裂で数万℃まで上がりますが、蒸気タービンを回すために熱しなければならない温度はせいぜい1000℃ですから、大部分の熱を海に捨てる・・・それが冷却ですね・・・と言う愚かな事をやってるわけですよ。地球が温暖化しているとしても、原発による部分も大きいでしょう。


>市や県の職員は生き物のことなんて分かっていない

どうしようもないですね。市や県の職員にも良識的な人は沢山いるでしょうけれど、組織として駄目ですね。原発を安全だなんて言っている連中は、「原発産業界の犬」 ですね。県民、市民のほうを見ないで、最低最悪の原発関連企業などの味方をするのは、県民、市民に対する背任行為ですね。

色々な示唆
雑草Z
    路傍の石ころさん

 またまた、興味深い長いコメント有難う御座います。

 路傍の石ころさんが国文学専攻だったなんて、ちょっと意外で面白いです。素敵ですね。
 私は確かに理系で、物理を専攻していました。あんまり勉強しませんでしたけどね。生物や農学を専攻していた方が面白かったかな・・・などと思う事もよくあります。

 今の時代、ネットが発達していて、わざわざ大学や研究室で学ばなくとも、(知識面は)ネットで十分ですね。

>植物地理学や個体群生態学

私もとても興味があります。

>宮城県の金華山のシカの生息数の消長

ざっと拝見させて頂きました。週末にじっくり見てみます。有名なグラフなんですね。
おっしゃるように

>個体群生態学の分野で、人類の今後を考える参考になりそう

ですね。実は統計は大好きです。

>自然界でも普通に起こるこういう現象が、人類の場合ドーピングの反動で強烈に破滅的にくるのじゃないかと、わたしは想像しています。

私もそう思います。金華山のシカの大量死も異常かも知れませんが、それとは比べ物にならないでしょうね。

週末の楽しみな課題が出来ました。

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2010-03-05 00:01
 二酸化炭素(酸素原子と炭素原子)は、普通に生態系を循環する物質の代表です。生態系にかなりの量必要な物質です。酸素原子と炭素原子は、水素原子や窒素原子と並び、生体を作る主要な原子です。
最近、クライメートゲート事件や、IPCCの「ヒマラヤ氷河が2035年までに消滅する」との予測のミスの報告などによって、地球温暖化説の虚構がますます取りざたされています。
 二酸化炭素に「温室効果」(・・・というよりも原理から言えば「吸赤外線効果」と呼ぶべき・・)があるのは確かで、地球の温暖化に全く関与していない・・という事はないでしょうが、二酸化炭素が地球温暖化の主因か・・・という事に関しては、科学的には全く証明されていません。例えばヒマラヤやキリマンジャロなどの氷河、万年雪が急速に融けているとしても、二酸化炭素よりも、工業化による、排煙の黒いすすが氷や雪に落ちて、太陽熱を吸収しているから・・・というほうが主因に感じられます。その他にも要因は色々考えられます。

 さて、その不確実な二酸化炭素温暖化説に対する懐疑論は他の方に任せるとして・・・私は【CO2温暖化説への見解】で、取り敢えずの結論は出しています。・・今回は、二酸化炭素などの温室効果による地球温暖化説が、環境問題としてどのくらい重要か・・・という事と、二酸化炭素温暖化説が如何に社会の害悪か・・・という事を論じたいと思います。

 マスコミを見ても、政府の対応を見ても、現代社会の最大の環境問題は二酸化炭素地球温暖化・・のように言われています。毎日毎日新聞でもテレビでも二酸化炭素削減が叫ばれ、二酸化炭素排出量が目標通り削減されれば地球温暖化が止まり、地球の危機が回避されるような妄想を抱かせます。
 確かに、二酸化炭素削減という名のもとに、工業生産を減らし、経済活動が縮小すれば環境は改善されるでしょうが、目先の二酸化炭素にのみ着目した削減では、環境問題は改善されないどころか、ますます酷くなるばかりです。それが現在の環境対策の主流です。目先の二酸化炭素削減とは、火力発電の代替としての原発、(EPRが1以下の)風力発電、太陽光発電、それから、二酸化炭素地下貯留、エコ替え、二酸化炭素排出権の取引・・・などです。どれも実際は二酸化炭素の削減になっているかも疑わしいものばかりです。これらは明らかに二酸化炭素を悪玉に仕立てて、飽和した石油製品をスクラップにして新たな物を買わせよう・・・と言う新興産業でしょう。環境対策ではなくて経済対策です。


 そもそも環境問題の本質は 生態系の問題 です。環境破壊=生態系の破壊 です。【生態系の維持】で論じました。温暖化によっても生態系が大きく破壊されると言われていますが、もっと直接的な生態系の破壊行為が沢山あります。・・・森林伐採、哺乳類や魚類の乱獲、合成物質の自然界への放出・・・工業廃棄物や合成洗剤の河川への流出、地下資源の採掘による周辺の環境破壊・・・これらの問題が全て、二酸化炭素温暖化問題の陰に隠れて、優先順位が後回しにされています。【二酸化炭素への換算・・】でも論じました。

 二酸化炭素削減ばかりに力を入れてプロパガンダする政府とマスコミは、それによって経済的に潤う・・・と言う経済界の御用組織のようなものです。(・・意図的かどうかは判りませんが・・)そして、二酸化炭素削減にばかり注目しているうちに(・・実際には大して削減もしていません・・)他の環境問題は悪化の一途を辿り、生態系は破壊されていくのです。二酸化炭素削減の努力をしながら文明が崩壊するさまは、モアイ像を作り続けて文明が崩壊してしまったイースター島よりも遥かに愚かと言うべきでしょう。

 不確実な二酸化炭素温暖化説にばかり気を取られて、二酸化炭素排出量削減を、【予防原則】と称して、巨額の費用を投じて対策している現代の世界各国は狂っていると断言出来るでしょう。

 工業活動、開発、経済活動を縮小していく事が、本当に効果のある、真の環境対策です。
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【2010/03/05 00:01】 | CO2 トラックバック(0) |

全く同感
上々
路傍の石ころさんのお説の通り、私も以前からLCAやEPR等、いろいろ見ておりますが、全く納得のいく資料は見られません。
そうそうたる企業・研究者も参加している分野でもそうですので、まさに意図的というのが当たっていると思います。

近藤邦明さんはその中で苦闘されていて、辛うじて出てくる金額的な情報から推測しておられますが、やはり間接的な結果になるようです。

すべて同じ尺度でLCAを出させるような基準制定ってできないですかね。

>ライフサイクル・アセスメント(LCA)でエネルギー算出/投入比や二酸化炭素排出削減効果を評価
雑草Z
    路傍の石ころさん

 二酸化炭素地球温暖化のみのプロパガンダは酷過ぎて、他の(・・もっと大切な・)環境問題がおざなりにされている状況は、本当に由々しき事で、危機的状況ですね。だから、

<二酸化炭素温暖化対策の大罪>

と言うタイトルを付けさせて頂きました。ただ

>たとえ地球温暖化説が崩れたとしても、CO2削減運動まで否定する必要はないとも思います。

とは思いません。本文でも言及しました通り、確かに

>二酸化炭素の排出量は経済活動の動向とピタリと相関関係があるようです

は事実だと思いますが、因果関係は明らかに、経済活動の『結果』がCO2排出量増加であって、逆ではありません。
CO2にのみ着目した削減運動は他の環境問題を大きく悪化する可能性を孕んでいます。
 路傍の石ころ さんの言おうとしているところは、
「経済活動や工業活動が縮小されれば、結果として二酸化炭素削減に繋がる」と言う事で、その通りだと思います。しかしやはり、
石油石炭天然ガスなどの消費の縮小、森林破壊の禁止・・・と言う風に具体的に表現しないと、誤魔化そうとしたり、原発のようなもっと遥かに危険なものに利用される危険性を孕んでいると思います・・・現にCO2削減対策として、そのような物に利用されています。

 やたらに何でも燃やすと言う行為も良くないのでその意味ではCO2削減は意味があるとは思います。

まあ、路傍の石ころさんもそこのところは十分に心得て述べているのでしょう。

>M重工で研究職

の興味深い内部の事情、教えて下さって有難う御座います。
槌田敦さんも言及してますが、原発(・・新たな核融合炉なども含む・・)を研究している人達の多くは、原発やプルサーマルには疑問を持っているのでしょうね。

M重工に限らず

>発や風車がダメなことは知りきっていて、お金儲けのために

でしょうね。

>ライフサイクル・アセスメント(LCA)でエネルギー算出/投入比や二酸化炭素排出削減効果を評価すれば、

そうですね。当然やらなければならない作業ですね。


>探してもそれらの納得のいく資料が見つからないのも事実

確かにそうですね。意図的にその手の評価をしないか、評価して、エネルギー算出/投入比 が1以下だったので公表しなかったのでしょうね。

 + +++ +++++ +++++++

いつもいつも興味深い読み応えのある長いコメント有難う御座います。

>LCAやEPR等
雑草Z
    上々さん


>近藤邦明さんはその中で苦闘されていて、辛うじて出てくる金額的な情報から推測しておられます

この近藤邦明氏の推測は素晴らしいと思います。


>すべて同じ尺度でLCAを出させるような基準制定

そうですね。企業がいい加減な数字を出したり誤魔化している現状を見れば、これは絶対に制定すべきですね。


 * **  ***   ****    *****

 件の二酸化炭素温暖化説の大嘘!・・・の掲示板の過去ログで、上々さんの書き込みを偶然見つけました。遡って探してみたところ、あの掲示板の初期の頃からの常連メンバーだったのですね。・・それ以前のどこかのサイトより移動されて行ったようですね?[No166]   少し書き込んでいた程度・・のような印象だったので、意外でした。二酸化炭素温暖化説はかなり研究されていらっしゃるのですね!?

本心を推測してみました
guyver1092
 実際は二酸化炭素の削減と言いつつ、二酸化炭素の排出増加を推進する彼らの環境破壊に対する彼らの認識について幾つか推測してみました。

1 経済が活性化することにより技術も進歩するので、環境がどれだけ壊れても人類は経済発展を続けることができる。

2 環境破壊が進むと、人類は(少なくとも拡大再生産主義経済は)破局を迎えるが、破局を避けるための対策を採れば、経済が混乱し、やはり破局を迎えるので、幻想を振りまいて現在の体制を維持せざるを得ない。

3 人類破滅が目的なので、実際は二酸化炭素の削減と言いつつ、二酸化炭素の排出増加を推進する最近の政策は、破滅に至る最後の仕上げである。

ゆりかごから墓場まで
上々
guyver1092さん、ちょっと深読みしすぎでは。単に技術者たちが、自分の専門分野以外のことには恐ろしいまでに無知であるだけのような気がします。

さて、原発は最終処分にかかるエネルギーを算入していないのでEPRが高く出ているというのは明らかなようですし、太陽光発電でも計算されているのがパネルの製造エネルギーだけだったりして、本当の値は全く検討されていません。もしかしたら検討されていても公表されていないのかも。

すべてのエネルギーを計算し、それよりも高いエネルギーを獲得できるシステムだけを許すべきで、将来の技術開発を当てにして続けられる段階ではなくなってきています。

***
雑草Zさん
あちらの掲示板は二酸化炭素温暖化の理論的な組み立てには非常に高度なものがあったので、ちょっとついて行けなかったということもあり、またそれよりも石油ピークの方が大問題であるということにも気がついたのでそれ以降は書き込みはしておりません。まだ時々チェックはしていますが。


どれもありそうですね。
雑草Z
    guyver1092さん

 いつも独創的な発想、面白く、興味深いものがあります。

1について
 科学妄信論者には困ったものです。科学をしっかり知らない人に限って科学って万能だと思ってしまうのでしょうね。こういう単純思考の人は多いでしょうね。

2について
 ある程度賢い現実主義者はこのような事を考えるでしょうね。でも、結局、その破局をどこか遠い未来での出来事のように捉えて、日々の雑事に追われているのではないかと思います。

3について
 ちょっと、ブラックジョーク的なニュアンスで書いたのでしょうか?  それとも、人類の大部分に滅亡してもらって、自分を含めたわずかの人間が生き残って持続可能な社会を作る・・・と言う選民思想でしょうか・・・欧米の支配階級などには結構いそうですね。


 1 , 2 , 3 どれも一見パロディーみたいで、よく読むと本質を突いた鋭い洞察に感じました。
 当初は、この3つのうちどれが一番可能性が高いと感じるか言及しようと思いましたが、どれも可能性は大きいですね。う~ん。。恐れ入りました。

 
現在は主流の 1 から段々 2 にシフトして行ってる状態、悪賢いものは、3 に至ってる・・・と言うところでしょうか?
1→2→3 と考えが発展(?)していくのでしょうね。

guyver1092さんは、どのパターンが多いと推測されますか?

許されざる代替システム
雑草Z
    上々さん

>単に技術者たちが、自分の専門分野以外のことには恐ろしいまでに無知であるだけのような気がします。

無知もあるでしょうが、様々な理由(・・職場でのしがらみや、単に日々の雑事や無関心等・・)で大局的な見方をしていないのでしょうね。
 私は guyver1092さん に上のお返事を書くときに考慮した事は、

>二酸化炭素の排出増加を推進する彼ら

とは、どういう人々か・・・と言う事で、質問しようかとも思いましたが、一応、為政者(政治家)や彼らを操っている資本家、財閥等世界を動かす力の強い人々を想定しました。上々さんのように、技術者と捉えれば、また別の見方も出来ますね。


>原発は最終処分にかかるエネルギーを算入していないのでEPRが高く出ているというのは明らか

全くその通りですね。ただ、原発の場合「最終処分」はないですね。人類の歴史と比べて半永久的に管理、再処分しなければなりません。そこまで考慮すればEPRは遥かに1を下回るでしょう。原発は危険性だけでなく、コスト的にも未来の人間が大きな代償を払わなければなりませんね。最高に恐ろしい愚の骨頂です。


さて、今回のコメントの要点は

>すべてのエネルギーを計算し、それよりも高いエネルギーを獲得できるシステムだけを許すべきで、将来の技術開発を当てにして続けられる段階ではなくなってきています。

ですね?・・・全く同感です。路傍の石ころさんや上々さんが上のコメントでも言及されているように、全てのライフサイクルを考慮した(原発は、上に述べたように、廃棄後半永久的に考慮した・・) LCAやEPRを出して検討するのが当然の義務ですね。それを考慮しない、または隠したり誤魔化したりした石油代替システムは、全て眉唾で、石油の更なる浪費ですね。
 * **  ***   ****    *****

 全ては読んでいませんが、あちらの掲示板での上々さんの書き込みはなかなか深いものがありました。 No166で 初期に話題に出てくる移転前・・とはどのようなサイトなのでしょうか?

Re:本心を推測してみました
guyver1092
 雑草Zさんの感じられたとおり、私の言う彼らとは支配者たちを指しています。

 1についてGraceさんの出会った議員等、意識にもない者も含みます。ですので現実にこの類型の者は存在しているでしょう。崩壊した過去の文明の最後の支配者もこの類型と思っています。

 2についてこの類型の者はかなり少ないのではと考えています。もし、この類型の者が少しでもいれば、現在のような対策ではなく、LCAやEPR等を考慮した対策も混じってくると思います。

 3については御推察のとおりブラックジョークとか揶揄の類です。以前にも言った惑星開発委員会です。
 ただ理性では、いないと考えていても、湧き上がる未来に対しての不安から、どうしても心の中からぬぐえない選択肢ではあります。

お答えのみ
上々
あの掲示板は今でも続けられていますが、その前にほぼ同様のメンバーが集まっていたところがありました。
それは気象予報士の方が開いていたところだったのですが、残念ながら管理する時間が取れなくなったとのことで閉鎖しました。
その受け皿として今の掲示板に皆で移動したという経緯です。

深読み
雑草Z
    guyver1092さん

 私はどの類型の人物も結構いると考えます・・・書いた本人よりも、この類型支持していますね(笑)

1について
 現在、1番多いだろうと言う事で、意見の一致を見ますよね?・・・彼らは、現在行われている地球温暖化対策などの環境対策は、非常に有効だと考えている事でしょう。このような軽率な現代の主流派によって、地球環境はますます悪くなっていきますね。

2について
 いや、私はこの手の類型の方は結構いると思います。支配者ではなく技術者や科学者が主になりますが・・路傍の石ころさんのお知り合いの方のように、本音では駄目だとわかっている人が多いのではないでしょうか?・・しかし自分の立場や生活を考えて仕方なく建て前で、環境を立て直す素晴らしい技術だ・・・と幻想を振りまいて・・・

3について
 ブラックジョークでしたか?・・でもジョークでは済まないと思います。2の類型の科学者、技術者が沢山いる以上、為政者や支配者にも率直に意見を求められて答える事もあるでしょう。・・だから地球の環境問題の深刻さをよく知っている為政者や支配者は意外といるのではないでしょうか?・・彼らは選民思想を持っていて、能力のある者、財力のある者など一部の人間を残して、滅んでしまった方がいい・・と考えているかも知れません。・・・欧米の政府の要人や財閥が、人口を15億に減らして、持続可能な社会を築こう・・と「余計な人間の抹消」を計画している・・・と言う話を国際的な活動をしている方から聞いた事があります。
人口を減らして持続可能な社会を築く事に異議はありませんが、その方法が・・・。
 

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2010-03-01 00:01
 人間を作っている細胞の過半数が、バクテリア、菌類、酵母菌などの微生物です。その微生物は人間と共生していると考えられますが、その微生物を含めて、その一個の人間と考える事も出来ましょう。生命体としての人間は、それらの微生物の集合体として、相互に関りあいながら、全体として一人の人間の生命を維持しているのです。

 ガイア理論とは、地球を一つの生命体とみなす説です。人間の体と同様に、地球上の生物が地球と相互に関係しながら、地上の生物が生きるのに適した環境を作って維持していく・・という仮説です。

 ホメオスタシス[恒常性]とは、外部の環境が変化しても、その生体の状態を一定に保つ機能の事です。生物は、自分で自分の体調を物理的、化学的に調整する力を持っていると言う事です。生物が持つ大きな特徴です。

 地球の大気組成や海水の量や塩分濃度は数十億年も安定して保たれてきたと想像されていますが、それは、地球と地球上に存在する全ての生物の生態系が、「自己統制システム」を持っているから・・即ちホメオスタシスが機能しているから・・とも考えられます。

 ガイア説を信じるかどうかは別問題として、地球に自己再生能力がある事は確かです。
 20世紀から、地球環境は非常に大きく破壊されてきましたが、この地球の再生能力によって、地球環境はある程度守られてきました。・・それをもってして、地球環境はまだまだ大丈夫・・とみなすのは軽率というものでしょう。この地球を守ってきたエコシステム[生態系・・環境と生物の相互関係] は、非線形(・・比例みたいな関係ではないと言う事・・)です。地球の環境破壊が続けば、ある日突然、その環境負荷に耐えきれずに、地球のエコシステムは破壊されるでしょう。・・・それがガイア地球が死ぬ・・という事でしょう。地球の再生能力で地球が回復出来るのは、地球全体が蝕まれる以前、地球が生きている間だけです。

 地球上の局地一つ一つを生き物と考えた場合、人類が死滅させてしまった場所は沢山あります。森林、湖、川、山、平野・・・・砂漠化してしまった古代文明の跡地などもその一つでしょう。それらを地球の器官の一つ一つと考えれば、地球の再生能力で復活するかもしれません。文明人とは、実は地球にとってはがん細胞のようなものでしょう。

 地球の再生を目指す人類が心しなければならない事は、あくまでも人間は地球の自己再生能力の補助をする・・・という事でしょう。間違っても人類が自然を無視して科学の力で自然を征服する・・・と考えては失敗するでしょう。完璧な自然を人間が変えようとしてきた事が環境問題をここまで大きくしてきたのですから。
地球の自己再生能力が残っているうちに早く自然の摂理に則した、生態系に合わせた社会にシフトしていかなければならないでしょう。


 余談になりますが、ガイア地球が死んでしまった後でも、もっと大きな宇宙を生命体と考えれば、その生命体の一つの器官としての地球の再生は不可能ではないでしょう。・・・『地球の復活』・・・と、言えましょうか・・? でもそれは現在生きている我々とは関係ない未来の話であり、我々が滅んでしまった後の事に言及しても仕方ありません。

 更に余談ですが、人間も多くの微生物の集合体、その人間の器官も微生物の集合体、地球も我々生物の集合体、・・・と考えて行くと生命体とは色んなレベルの大きさの生物の集合体であって、生命体はマトリョーシカのような入れ子構造なのかも知れません。・・・その意味でも生物はつづれ織りのようにみんな生態系で繋がっているのでしょう。
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【2010/03/01 00:01】 | Economic Fascism トラックバック(0) |


路傍の石ころ
雑草Zさん

こんばんは。

>地球に自己再生能力がある事は確かです。
>地球の自己再生能力が残っているうちに早く自然の摂理に則した、生態系に合わせた社会にシフトしていかなければならない

 全くその通りだと思います。賛同いたします。この記事のテーマである「生態系の自己再生能力」ですが、それはどの程度のものであるのか考えてみました。

 たとえば、愛媛県の別子銅山は、江戸時代に発見され300年近くにわたって採掘・精錬が行われた鉱山です。しかし足尾銅山と並んですさまじい環境破壊や公害問題を起こしたことでも有名です。精錬の際に亜硫酸ガスなどの煙害で、銅山周辺の草木は枯れ果て、植生が破壊尽くされました。かつては銅山周辺では永久に樹木は育たないと言われたそうです。
 ところが意外にも、閉山して銅山から人が去って数十年が経過した今、丸裸のはげ山だったものが緑に覆われ、精錬工場跡や居住地区の廃墟が木々に埋まろうとしているそうです。旅行好きの方のブログを閲覧させていただきました。この方も「かつてここがはげ山だったなんて信じられないと」おっしゃっています。
http://blogs.yahoo.co.jp/syumatsunotabibito/folder/1509709.html

 また、火山の噴火というのは自然現象ですが、途方もない破壊や被害を及ぼします。富士山は今は噴煙を上げていませんが、歴史年代になってからも何回も噴火しています。西麓にある青木が原樹海はうっそうとした見事な大原生林です。しかし1200年ほど前に噴火した溶岩流の上に成立した植生なのだそうです。噴火の時には溶岩の高熱であらゆるものが燃え尽き、火山灰が降り積もり、それ以前の植生や環境は破壊され尽くした筈です。千年もすれば植生は見事に再生すると言えます。

 この2つの例で言えることは、鉱毒・煙害や火山噴火で植生や環境(いいかえれば生態系)がメタメタに破壊されても、数十年とか数百年の時間をかけて、ヒトが余計な干渉をしなければ、意外に生態系は復元されるのでは?? という気もします。ただし元の生態系と異なる別のものに遷移しているかもしれませんが……。

 しかしこれは日本が降水に恵まれた気候条件があるからこその話で、少雨地帯で植生(生態系)を破壊していったん砂漠になってしまえば、何百年かけても二度と元には戻らないかもしれませんね。

 という風なことを考えてみたのですが、当たっているのか見当はずれなのか、自分でもよく分かりません。 いずれにしても、ヒトが自然の摂理に反して、自然界を循環しないものや、自然の力で分解できない廃物を大量に出すなど生態系に大きな負荷をかけている以上、人間が大繁殖し過ぎているのが根本問題なのではと思います。日本列島に無理なく生存できるのは、せいぜい1000万人ぐらいでないでしょうか。3000万人余りの江戸時代でも、山々ははげ山だらけだったみたいですよ。
 




生物多様性
上々
政府が生物多様性維持のための施策を発表したようですが、相も変わらず勘違いのようで。
路傍の石ころさんの指摘の通り、江戸時代の3000万人も過剰と思います。人間が住み、食べるだけでも相当の自然が失われます。
マツタケが取れなくなったと言って山林の荒廃等と言う人もいますが、マツタケはかなり人間の関与するもので、下生えや枝を取り去った松林でなければ生えてきません。本当の日本の自然状態では少ない環境です。

まあ少なくとも環境負荷の大きいものはアウトにしなければ。

再生能力の差
guyver1092
 地域によって、再生能力に差が有るようです。たとえばメソポタミアは、古代文明が滅びた後、現在でも回復していませんね。塩化した土地を再生するには、塩分を洗い流さなければいけないところを、人間の破壊によって雨を呼ぶ森林が消失してしまっていますので、現在に至るまで再生していません。
 ここが再生するには、大陸移動で大きな気候変動が起きなければならないのではないでしょうか。

 現在の日本は、自然の再生能力の高い地域だそうです。過去の政府の政策によって再生能力がかなり削られている気がしますが。

>生態系の自己再生能力
雑草Z
    路傍の石ころさん
 
地球上の全ての生き物は、生態系の自己再生能力の範囲内で活動しなければならないのは自明の理ですが、人間はそれを破ってる事が環境問題の本質でしょう。


>足尾銅山
鉱毒事件は、田中正造で知っていましたが(・・こんな時代から、田中正造のように環境問題に警鐘を鳴らしていた人物がいるのに、100年以上経ってもそれほど状況が改善されていませんね・・・それどころか状況は悪くなるばかりです。)


>愛媛県の別子銅山
は知りませんでした。御紹介のブログなども見せて頂き、生い茂っている木々に囲まれた別子銅山廃墟、廃線跡、「産業遺跡」を見せて頂きました。地球の 生態系の自己再生能力 も素晴らしいものがありますね。

 杉をはじめとした針葉樹を中心に植林したようですが、やはり人工林の感は拭えません。もっと広葉樹を植えるべきではないでしょうか?・・植林しないで自然に生えるのを待っていれば、もっと広葉樹が多いのではないでしょうか?
 植林事業によって、緑深い自然の山へ戻った との事ですが、植林しなかったら、自然に戻る時間がよりかかるのでしょうかね。
 機会があったら、是非、別子銅山跡を訪れてみたいと感じました。


>鉱毒・煙害や火山噴火で植生や環境(いいかえれば生態系)がメタメタに破壊されても、数十年とか数百年の時間をかけて、ヒトが余計な干渉をしなければ、意外に生態系は復元されるのでは?? という気もします。

きっとそうですね。人が余計な干渉をしない・・・というところが大切ですね。
 最近流行りだした環境再生事業は、余計な事を計画し過ぎてあるようです。
 例えば、河川工事で川岸がコンクリートで固める事は良くない事ですが、一端コンクリートで固められても、そこに苔や藻がついて、自然に馴染んできますから、それを人が掃除したりしなければ、風化して自然に帰っていくでしょう。それを環境再生事業と称して、壊して川筋をつけ直して・・・なんてやる行為はまた自然破壊でしょう。税金の無駄遣いでもあります。・・・環境再生事業についてはいつか記事にしようと思っていました。


>ただし元の生態系と異なる別のものに遷移しているかもしれませんが……。


>少雨地帯で植生(生態系)を破壊していったん砂漠になってしまえば、何百年かけても二度と元には戻らないかもしれませんね

昔の大河文明・・エジプトのナイル川やメソポタミアのチグリス、ユーフラテス川の文明跡地は千年以上経っても砂漠のままですね。


>ヒトが自然の摂理に反して、自然界を循環しないものや、自然の力で分解できない廃物を大量に出すなど生態系に大きな負荷をかけている

化学物質や放射能ですね。・・・CO2排出より遥かにシビアな問題です。


>日本列島に無理なく生存できるのは、せいぜい1000万人ぐらいでないでしょうか。

 日本の食料自給率から考えると5000万人くらいは大丈夫かとも思いますが、今の人間の環境負荷の大きさを考えると、おっしゃるように1000万人がいいところでしょうね。

以上、路傍の石ころ さんの洞察は非常に参考になりました。いつも長めの読み応えのあるコメント有難う御座います。



>生物多様性
雑草Z
    上々さん

>政府が生物多様性維持のための施策を発表したようですが

その具体的内容は知りませんでした。どのように

>相も変わらず勘違いのよう

なのですか?・・まあ、まともではなさそうですが、民主党政権になってからの施策でしょうか?


>少なくとも環境負荷の大きいものはアウトにしなければ

全くその通りですね。具体的には、先ずは放射能、そして、合成化学物質(・・特に塩素系・・)でしょうね。それから巨大公共工事の全て・・・ですね。

  + ++ ++++ +++++

こちらの記事へもコメント有難う御座います。石川の雪は消えて来ましたか・・・当方も雪はかなり減ってきましたが、まだ林の中や庭には沢山積っています。・・今朝もうっすら積るくらいは降りました。

Re:再生能力の差
雑草Z
    guyver1092さん

 確かによって、地域によって再生能力の差がありますね・・・破壊の種類によっても地域との相性もあるでしょう。

>塩化した土地を再生するには、塩分を洗い流さなければいけないところを、人間の破壊によって雨を呼ぶ森林が消失してしまっています

1000年以上も砂漠のままですからね。このような過去の教訓には謙虚に学ばなければなりませんね。

>ここが再生するには、大陸移動で大きな気候変動が起きなければならない

それも言えるでしょうが、これこそ人間の手で環境再生の手伝いをすべきかもしれませんね。・・・と言ってもなかなか難しいですね。
 具体的には、糞尿を巻いたりするところから始めて、周辺部から、小さな植物から増やしていくのがいいのでしょうかね?・・・科学の力を信じるなら、試行錯誤で方策を見つけられるのではないでしょうか・・如何でしょう?

>現在の日本は、自然の再生能力の高い地域だそうです。

路傍の石ころ さんのおっしゃるように、降水量の多いことなどが幸いしているのでしょうね。この恵まれた自然を破壊する前に、しっかり自然と共存出来る社会に変革していくべきでしょうね。


>過去の政府の政策によって再生能力がかなり削られている気がします

過去の公共工事の殆どが、自然の再生能力を壊す方向のものでしたね。・・たとえ「自然保護」の名の元だったとしても・・


生物多様性国家戦略
上々
環境省からの発表ですが、生物多様性国家戦略は平成7年に最初に出され、今回のものが民主党政権になってから初めてですが基本的には以前の路線と変わってはいないと考えられます。
今年10月に名古屋でCOP10が開かれるようで、その主導権を取っていきたいのでしょうが、その危機意識が人間活動と開発は良いとしても、里地里山の荒廃や外来種持ちこみ、地球温暖化と来てはね。
里地里山は人間活動そのものでしょう。その荒廃という方が自然に戻っているように思いますが。
まあ温暖化はこの後に及んでもまだ信じているのかと。

あとは動物園的な希少生物保存活動やらです。石川県のニュースではトキの石川県動物園での分散飼育も絡めて報道されていました。

Re:生物多様性国家戦略
雑草Z
    上々さん

 情報有難う御座います。早速 生物多様性国家戦略 で検索してみましたが、意見募集とか、抽象的な表現で、具体的な全貌の見えない感じでした。・・上々さんの上のコメントのほうがわかりやすいですね。

>里地里山の荒廃や外来種持ちこみ、地球温暖化

確かに脱力感がありますね。まあ、もっと具体的でなければはっきりは分かりませんが・・・

>里地里山は人間活動そのものでしょう。その荒廃という方が自然に戻っているように思います

確かにそうですね。森でも何でも、人間が手入れしないと
「荒れる」という考え方は、見直す必要がありますね。


>動物園的な希少生物保存活動やら

これは無くてもいい・・とは言えませんが、もっと自然の生態系を大切にすべきですね。

 人口を減らす方向で、開発も行わない、1人当たりの環境負荷を減らす・・・のほうが、単純明快な戦略・・対策でしょう。


外来種
上々
前にも書いたかもしれませんが、どんなに多く見積もっても10万年前には日本列島には居なかった人間が一番の外来種で、しかも一番環境を悪化させております。
まあ、そんなことを言わなくても数億年に一度はほとんどの種が絶滅するんで、それが明日起こらないとも限らないんですが。

トキやメダカの絶滅も農薬のせいと言う人もいるようですが、トキの場合は乱獲、メダカの場合は用水路の整備(コンクリ化)によるのは明らかで、証明もされているようです。
河川の整備は水害対策として仕方ない面がありますが、それなら取ってつけたようなことを言わなきゃいいのに。

生態系の破壊
雑草Z
    上々さん

 確かに人間は多過ぎますね。少子化は多い人口に対応した自然の摂理に則した方向なのに、少子化対策として人口を増やそうとしている事は、世紀の愚策ですね。


>トキやメダカの絶滅

確かに三面張りは魚にとっては大きなダメージですね。(これまでここでも記事にしています。)
 ただ、魚の減少は、河川の化学物質などによる汚染も大きな原因です。化学洗剤や油分、鉱毒などは、明らかに川の生態系を破壊します。
 それに対し、現代の農薬は「選択毒性」がかなり進んでいて、他の生物への害は無視出来るほど・・・と言う事でしょうか?「選択毒性」は、本当に他の生物に害がないのでしょうか?そんなに現代の農薬は安全なものなでしょうか?
「沈黙の春」に書かれた農薬とは比べ物にならないくらい安全な農薬が開発されてきた・・・と言う事でしょうか?
・・もし仮に他の生物にとって無毒でも、農薬で昆虫が激減すれば、それを餌にしていた鳥や魚も減るでしょう。

・・この辺に関しては、まだまだ検討する必要がありそうです。現代の農薬の危険性&安全性について、もう少し把握してみたいと思いました。



>河川の整備は水害対策として仕方ない面がありますが

これも現在は、道路工事と同様で不要な整備事業ばかりだと思います。大袈裟な工事で二重三重に川を囲って固めています。「水害対策」とは、工事の為の理由付けですが、河畔林があったほうが、水害対策にもいい・・と言う実験結果も出ています。洪水対策でなくとも、生態系にとっても、河畔林は出来るだけ残す方向であるべきだと思います。


>取ってつけたようなことを言わなきゃいいのに

どのような事を取ってつけたような事と考えていらっしゃいますか?


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