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2007-12-31 00:03
 科学の時代といわれる現代は、その科学万能主義の根拠として唯物論があります。

 以前、中国の環境問題だったか社会問題だったかをネットで調べる為に検索していたら、大変興味深いサイトに出くわしました。・・残念ながらそのサイトをしっかりチェックしておかなかった為に、サイト名もわからず、その時流し読みしたきりアクセス出来ないのですが・・・このサイトに心当たりの方がいたら教えて下さい・・・・中国人が、日本語で日本人に向けて書いたような内容でした。今日の中国人が何故こんなにすさんでしまったかを中国共産党の軽率な唯物論などから説明していました。

 記憶を辿って書かせて戴きますが、

 中国では、文化大革命の時に、迷信の撲滅運動のようなものがあり、唯物論の観点から、それまで語り継がれていた先人の知恵による言い伝えなどを、中国共産党員は馬鹿にして否定したそうです。軽薄な指導者達は理解出来ないものにはみんな迷信のレッテルを貼って排除し、破壊して行ったとの事です。そのくせ、共産主義だけは、無条件で信じるという、共産主義「信仰」であったと・・・
 それまでの儒教的考え方も仏教的考え方も否定し、笑い飛ばし、「因果応報」なんて事も全く信じなくなった中国人は、生きている現世を楽しむ為には何をしても構わないと思い、罪の意識もなく、見つからなければどんな犯罪をしても構わないという・・他の人に迷惑をかけられるようになった。現代のあの酷いモラルハザードに繋がったのだ・・・と。

 中国の人々全てをその範疇でくくるのは、お門違いです。しかし最近の中国絡みのとんでもない多くの事件を考えると、酷い事を平気でする人間が多く、かなりモラルハザー ドが広がっている事も実感致します。

 中国に限らず、多くの国で、科学の名の下に唯物論が蔓延し、それが真実のように捉えられています。・・・宗教に支配された社会も頂けるものではありませんが・・・・だからと言って唯物論も支持出来るものではありません。唯物論と言ってますが、自分の幸福のみを追求すると言う単なる利己主義でしょう。
 唯物論の名の下に利己主義が蔓延し、それによって多くの社会問題、環境問題が膨張しているのが現代です。

 今日の盲目的に愚かな経済成長主義も、唯物論という名の利己主義的解釈に依るところが大きいでしょう。これほど似非科学の蔓延った社会で、唯物論のみイデオロギーの根拠とする人々は、賢いとは言えません。・・・悪賢いとは言えるでしょうが・・。
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【2007/12/31 00:03】 | 思想 トラックバック(0) |

唯物論……
ハイパーポン太
 唯物論を支えてきた学者たちにも、苦労の歴史があるので安易に批判するのはやめますが、しかし、人間すら物で割り切る社会というのも、ある意味寂しい気がいたしますね。
 最近はやっているオカルトや、江原(霊師のインチキが発覚)や細木のようなインチキがのさばるのも、「心が物化」していく現状に対する反発の一種ではないでしょうか。視聴者だって、彼らの矛盾にはいい加減気が付いていたでしょう。でも、感情的には彼らを認めてしまいたくなる。そんなところではないでしょうか。
 まあ、自分の心が「あなたの思考は脳味噌の中の血流や電気信号の結果です」と言われて、はいその通りですと何の疑問もなく素直に認められる人間が、はたして文明人と言えるのか。

はじめまして
雑草Z
    ハイパーポン太 さん 
 
 いつのまにか沢山のコメント有難う御座います。
 面白いHNですね。何故にそのようなHNを?

今回の記事の趣旨は唯物論の利己主義的解釈への批判です。利己主義というのは、非常に感情的な作用で、唯物論とは、相入れないような概念なのに、唯物論を都合よく使って自己の欲望のために利用するという発想についてです。

>オカルトや、江原や細木のようなインチキがのさばる
のは、
>「心が物化」していく現状に対する反発
と言うよりも真偽眼の問題かと・・
もし、唯物論に対する反発ならば、もう少しまともと言うかハイパー(笑)な概念にいくかと思われます。

なるほど…
ハイパーポン太
 どうやら私の意見は趣旨からは外れていたようですね。
 具体的に、ハイパー(笑)な概念というのはどのようなものかを、参考までに教えていただけますか。

ちょっと臭いですが・・・
雑草Z
    ハイパーポン太さん


>「心が物化」していく現状に対する反発

 は、愛だとか正義だとか哲学だとか、そういう心とか精神とかいう概念を重んずる方向かと考えます。それが、

>オカルトや、江原や細木のようなインチキ

よりはかなりハイパーかと・・・

『ハイパーポン太』さんという『鉄の蝶』とか『鉛の飛行船』に通ずるようなHNのつけ方は面白いと思います。
上のコメントにも書かせて戴きましたが、このHNの由来を
参考までに教えていただけますか?

HNの由来は。
ハイパーポン太
 すいません、HNの由来を無視していたわけじゃあないんですが、書くのを忘れてしまって。
 うーん、由来といえるほどでもないんですが、うちにディフォルメな狸のぬいぐるみがありまして、まあ超(ハイパー)かわいいからということで。

 管理人様は、疑似科学にお詳しいので、私としては自信がないんですが、どちらかというと、今の「すべての精神活動は、脳が生み出している」とする脳科学には、どうもついていけないんですよ、わたし。どお知らかというと、ペンローズなどが語っている脳量子論の方が、まだしも未来性があるかな?とそう思っているんですね。一つ間違えれば、疑似科学につながりかねない雰囲気がある理論ですが、だが、「意識の解明には、量子力学と相対論の統合が必要(でしたっけ?)」とするペンローズの方に応援したくなるんですよね。
 もちろん、ハメロフなる怪しげな医者の言うことを真に受けて、マイクロチューブルなるもので意識が作られると主張するのはいただけませんが、やはり意識の解明には量子力学のさらなる発展が必要とするペンローズの言い分の方が好きなんですね、私は。
 まあ、脳量子論は現状では無視されているようですが、いずれにしろ、それを発展させた何かが出てくるのではないかと期待しているのですよ。
 そういう意味での唯物論に対する反発は、確かに私の中にありますが、だた、許せないのがインチキのくせに美辞麗句を並べ、さもさも自分は霊能力者であるかのごとくふるまっている連中ですね。そして、それを担ぎあげる連中も。
 管理人様のおっしゃる通り、江原にや細木にすぐはまるような軽率な輩は、ハイパーでも何でもないですね…。

唯物論に対するスタンスは、似ているかも知れません
雑草Z
    ハイパーポン太さん

>管理人様は、疑似科学にお詳しいので、

いえいえ、詳しくないです。疑似科学というジャンルがある事を知ったのは、件のThe Black Crowes と言うブログからです。脳科学もほとんどわかりません。
色んな新しい情報をご紹介下さり有難う御座います。

>ペンローズなどが語っている脳量子論

とかも聞いたことがありませんでした。

>「意識の解明には、量子力学と相対論の統合が必要」

と言う考え方も、私には十分唯物論に聞こえます。
そういう意味での唯物論に対する反発はハイパーポン太さんと同等かそれ以上にあるかも知れません。
 唯物論の研究って本質に迫った人類の幸福に繋がる結果を出すようには思えません。寧ろ混乱を招く結果をもたらすのではないでしょうか?

×××× ×××× ×××× ×××× ××××

 HNの由来は、予想よりもほのぼのとしてました。いい感じですね。
 

唯物論と魂は本当に相容れないものなのか?
ハイパーポン太
 思うんですけど、本当に唯物論と魂は相容れないものなのでしょうか?まあ、私程度の知識で脳科学を論じれば、それは間違いなく疑似科学に直行すると思いますんで、あまり詳しいことは書けないんですが。
 脳量子論が科学者たちに嫌われているのは、それが一つ間違えれば「オカルト的な」方面に結びつくからだと思います。結局、「脳がすべて」という科学者にしてみれば、ペンローズの考えはそれを崩しかねないものですから。

 唯物論だけでは人類全体の幸福を実現することは無理でしょう。私自身、輪廻転生の肯定者ではありますが、しかし、それは「量子力学や脳科学がさらなる発展を遂げれば、いずれそれは科学的に証明されるだろう」という立場であり、退行催眠で前世を思い出したとか、子供が前世を語っているとか、そんなのは信頼には値しないと思っているわけです。それはオカルトと同じですから。
 
 まあ、いずれにしろ、自分も、そして親兄弟もすべては単なる物質で、意識は科学信号と電気信号の結果に過ぎませんとしか考えられない人間ばかりになれば、もはや道徳律という概念も維持できなくなるのではないか、個人主義がさらに拡大し、人間(あるいは個人)に都合のいい解釈ばかりする人が増えていくんではないかと思います。

 まあ、科学万能主義を唱える人間ほど、「科学哲学」に関する知識は持ち合わせていないという話を聞いたことがあります。というか、まともな科学的思考ができる人であれば、そもそも科学万能主義者にはならないでしょうが。

魂と唯物論は、相容れなくはないでしょう
雑草Z
 今回のコメントの後半は、記事本文の肯定的ご賛同と捉えさせて戴きました。

>まともな科学的思考ができる人であれば、そもそも科学万能主義者にはならないでしょう

は私もその通りだと思います。理性的な科学的思考であれば、科学の限界もしっかり認識できる筈で、
 科学には無限の可能性があり、限界はないという、かつての軽率な流行文句を真に受けたりはしないでしょう。
科学万能論によって、環境問題の対策は技術だけで何とかなるという安易さは極めて愚かな危険な発想でしょう。 

ちょい異論あり
バッジ@ネオ・トロツキスト
唯物論の定義に異論あり。
唯物論は、タダ物論や物神崇拝思想と峻別しなければいけないと思いますよ。
この点でもマルクスの思想や理論は、20世紀的なエセマルクス主義と峻別されるべきだと思いますね。あと、機械的唯物論は物神崇拝思想化しますから、このへんも要注意。

それから、思想的立場の左右を問わず共有されている科学万能論は価値論不在の事実認識至上論ですから、科学万能論に対しては価値認識について問い詰めてやると面白いですね。

科学万能論者や実証主義者には、「価値からの自由」なる思想的立場がいかに非人間的なものであるか理解させる必要があると思います。

Re:ちょい異論あり
雑草Z
哲学的な議論はしたくありません。当方は、唯物論の定義とか哲学的な話は詳しくありませんし興味もありません。
バッジ@ネオ・トロツキスト さんは哲学にお詳しいようですね。哲学論議をされたければ、その手のサイトで為されて下さい。
 ここの記事はあくまで
 唯物論の利己主義的解釈の危険性、批判に留まらせて戴きます。 悪しからず。
 

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2007-12-29 00:02
 現代人は迷信深い人間なんてあまりいやしない・・・と思いきや
 TVなどに、自称、霊感のある人だとか霊視が出来るとか占い師だとか予言者だとかが頻繁に出て来て、正式な職業名は分からないけど、彼等、彼女らが人気を博している。彼らの出る番組の視聴率はいいらしい。
 そんな風潮にはかなり辟易・・・している人は結構いるだろう。
ギボアイコ、ホソキカズコ・・・エハラとかいう男もいたような・・・。
もしも万が一霊が存在したとしても、お前らには見えないよ・・・こんなのをTVなどに出すマスコミも、真実もモラルもありゃしない。マスコミが持ち上げなけりゃ彼らはただの街角のハッタリ屋・・


 しかし、それとは全く質の違う昔から言われている、現在”迷信”と呼ばれているものの中には、全否定すべき事ではなく、しっかり受け止めるべき部分もかなりあるように思う。

×××× ×××× ×××× ×××× ×××× ××××

 学生時代の同級生に埼玉の秩父の奴がいて、人好きするタイプのカッコイイ好青年だった。彼の秩父弁が気に入って、自分も真似してちょっとばかり使ってみたもんだ。
 彼があるとき、
「秩父の山には狐が棲んでてさ、人間を観察したり見守ったりしてるんよ。何かが起きるときは、そっと現れて知らせてくれることもあるんよ。・・・俺はガキんときからお稲荷さんを信じてるんさ。・・・」
みたいな事を言った。実際の、狐との不思議な体験談も語った。・・・お婆さんか誰か身内が亡くなった時も狐が知らせてくれたみたいな・・・具体的なことは忘れてしまったが、それを聞いていたこちらは、 
「ふうーん」
と頷いてみせてはいたものの、よくあるただの偶然が神秘的に感じただけ・・・柄に似合わず、迷信深いところもあるもんだ・・・・・ってなくらいだったか。

 でも一方、その話している様子は、妙に好感の持てるものがあり、そんな事で彼を馬鹿にするような感情は沸かなかった・・・同じ内容でも話す人物と話し方によるもんだ・・彼自身実際どのくらい信じていたのだろうか??

 ・・・彼がそんなことを話したのが、意外なようでもあり、逆に妙に自然な感じもして、深く記憶に刻み込まれた・・・


×××× ×××× ×××× ×××× ×××× ××××

 環境問題も酷い症状を呈しはじめたこの頃、彼の言っているような事を信じるのも悪くないと思っている。・・それはアイヌやアメリカインディアンの『自然崇拝』にも通じる思想かも知れない。

 そう言う迷信を笑い飛ばして、森や林や海を開拓していった者達が、こんな酷い自然破壊を作り出した。もう少し”迷信”を尊重し、自然崇拝していたら、自然破壊もこんなに酷くはならなかっただろう。
 先人達の言い伝えを『迷信』と言って切り捨て、『経済と開発』を無条件で信じている現代人。それが合理的だと思っているのだろうけど、その合理主義が、世界の人類をまとめて破局に突進させている・・・、『経済と開発』は、迷信に遥かに劣る最も愚かな信仰であろう。


 秩父の山の中にはまだ狐達がちゃーんと棲んでいて、お稲荷さんも崇められていれば嬉しい・・・
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【2007/12/29 00:02】 | 思想・価値観 トラックバック(0) |


mao
江原さんが本当に霊が見えるかはわからないですが、癒し効果をいただけるので、私は結構好きです。迷信でもその話を聞いて、多くの人が幸せになるための力を生むことができるなら良いかなと思ってます。雑草様は人気の霊感者はお嫌いでしょうか。

本人の尊厳
雑草Z
    maoさんお久しぶりです。

>迷信でもその話を聞いて、多くの人が幸せになるための力を生むことができるなら良い

 は、反対しません。今回の私の記事の主題に通じます。


 しかし、TV等に出てくる霊視が出来ると言う輩は、詐欺の部類だと思います。亡くなった本人がいない事をいい事に、その人が言ってもいない事を、その人の霊だと言って、出鱈目を話す事は本人に対する名誉毀損にもなるでしょう。本人に成りすまして話す行為は完全な詐欺行為でしょう。詐欺師は話が上手いものです。人を騙すのが商売ですから。

 江原って奴は、テレビ等でほとんど見た事がありませんでした。私が行く髪切り屋さんが、
「その手の霊視する人の中では、エハラという人の話は、癒される」
と言ってたのでエハラの存在を知りました。(その髪切り屋さんこそ、癒される感じがするから、そこに行くのですが・・霊とは無縁な世間話です・・。)

「江原」で、検索したらこんな記事を見つけました。↓

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1050757.html

詐欺師の金儲けと売名。TV局の視聴率確保という構造ですかね。



mao
リンク先拝見させていただきました。雑草様の言われる内容が真実である可能性が高いわけですね。世の中真実を知ることは悲しいことが多いですね。勉強になりました。

迷信そのものをなくしてしまえば…。
ハイパーポン太
 迷信その物をなくそうとすれば、それだと毛沢東の文化大革命になってしまいますね。

 ついでに言うと、江原が詐欺師なのはもう決定事項でしょう。とある女優の父親を霊視して、霊界からの言葉を伝えていたわけですが、実はその父親が生きていました!という落ちですから。細木とともに、このインチキも永久追放してほしい限りです。

先人の知恵
雑草Z
>迷信その物をなくそうとすれば、毛沢東の文化大革命になってしまいますね

その通りだと思います。【唯物論】http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-257.html
で言及した通りです。
 文化大革命で彼らが「迷信」として切り捨てたものの中には、偉大な先人の知恵が沢山あったのです。
例えば、「森の木を乱伐すると祟りがある」とかは、昔の賢人が鋭い直感で、生態系の事を考えて、でも説明するよりも「祟り」と言ったほうが、当時の人には効果があったからそう云ったのでしょう。・・・そして実際木を乱伐して、祟りがありました。・・・迷信ではありません。
寧ろ科学信奉のほうが迷信かも知れません。

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2007-12-25 01:01
 かなり以前から、日本ではクリスマスを祝っていました。キリスト教でもないのに変ですねえ・・・でも神仏混合の例もあるように、無節操なのが日本の宗教で、それが悪い事とも言えません。自分達の神こそ唯一とばかりに宗教で戦争するよりはずっとましでしょう。・・って、日本のクリスマスを、宗教の観点から語るのは、お門違いですね。商業や経済で語ったほうが現実に則します。

×××× ×××× ×××× ×××× ××××

 幼い頃、クリスマスは普通の子供の例に漏れず、サンタクロースからのプレゼントが楽しみだったような気がします・・・きっと2,3回しか貰ってないと思いますが、そのプレゼントで覚えているのはたった一つです。・・・それは、テレビです。当時家には白黒テレビが1台、1階の居間にありましたが、2階の部屋にも欲しいなと幼い頃・・・自分で言ったのか母がそうしろと言ったのか定かではありませんが、何日か前から母とサンタさんにお願いしていました。 前の日あたりになって
「やっぱりテレビはいらないから、別な○○が欲しい」
と言ったら、母は
「・・同じものをずっとお願いし続けなければサンタさんはくれないよ。・・」
って、テレビをお願い続けさせました。・・その甲斐あって、クリスマスの朝には、テレビが2階の寝ていた部屋に置いてありました。とっても小さな白黒テレビです。別に私のものという訳ではなく、家族で見ました。
・・・そう、サンタクロースにお願いするものは、家族みんなで使うものがいいのです。・・特に母がいいと言った物がいいのです・・・そして、直前に変えてはいけないのです。



 家の子が幼いときにクリスマスの朝、下げておいた靴下の中を見て言いました。
「サンタクロースも、字を読み間違えるんだね・・・『おてがみセット』と書いたのに、『おりがみセット』が入っている。サンタさんもダイソーから買うのかな?これダイソーに売ってるやつと同じだよ・・・」
 きっとそのサンタはクリスマスプレゼントなんて習慣やりたくなかったけど、どこから覚えて来たのか、子供が靴下を下げたので、仕方なくダイソーから買って来たんだな。

 まあ、前置きの思い出話はこれくらいにして・・・


×××× ×××× ×××× ×××× ××××

 アメリカあたりではかなり以前からクリスマスの頃に個人の家を電飾するなんてあったみたいですが、日本ではバブルの時代でも個人の家が夜に家の周りを電飾するなんてなかったように思います。少なくとも私の住んでいた田舎ではありませんでした。・・せいぜい家の中を飾るくらいではなかったでしょうか。それが今では、クリスマスの電飾は、年々派手になっています。個人の家で競って派手な電飾をして、名物になっている街もあるようだし、私の住んでいる田舎町でさえ、チョッとしたお店や個人の家でも派手に電飾しているのを見掛けるようになりました。
 ・・・省エネなんてありゃしない・・・。


 日本でのCO2削減計画は、企業努力はかなり進んでいるけど、個人の家の排出量は無節操に増え続けていると言う事で、政府は、個人の家の削減を目標に掲げました。それなら、クリスマスの電飾なんて禁止すればいいでしょう。禁止しないまでも、炭素税でも沢山取ればいいでしょうに。結局経済効果のあるものは何も禁止出来ないならCO2排出削減目標なんて無理でしょう。
 実際は政府も既にノルマ達成は諦めて東欧諸国から排出権を買う契約を始めています。・・・それも破綻しかけている財政からの支払いです。愚策もいいところです。

 因みに深夜電力は余っているからいいだろう・・・と言う方がいますが、それは、フットワークの重い、発電量を変えると事故に繋がりやすい原発を止められないからです。夜の電飾を派手にする為などに原発を続けるなんて、狂った政策としか言い様がありません。

×××× ×××× ×××× ×××× ××××


 クリスマスは、アフリカなどの多くの国でも祝うと言うから驚き呆れます。まさにグローバリゼーションの賜物でしょう。どこの国でも経済効果としてクリスマスを利用しているのでしょうが、こんな事に躍らせられて資源の浪費をするのもそろそろ止めにしましょうよ。
一週間前に閉幕したCOP13ってなんだったのでしょうね。

 
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【2007/12/25 01:01】 | 思想 トラックバック(0) |

公共の電飾
天地 はるな
私もクリスマスイルミネーションには、反対です。
でも個人の家には、なかなか言えないですよね。
公共の土地にクリスマスのイルミネーションを見ると、「ご意見箱」に書くようにしています。
言わないと分からないんですよね。
言っても分からないか・・・ 。_| ̄|○


省エネの意識
雑草Z
 環境問題に関する意識が高まって来たのも事実ですが、省エネの意識は、家計費の圧迫以上に考えられない家庭も沢山あるのだと思います。そういう意味で、深夜の電力を安くする必要はないでしょう。(深夜電力こそ、無駄遣いの場合が多いのではないでしょうか?・・・本文にも書いたように深夜電力が安いのは主に原発によるものです。)
 個人が個人の家にクレームしても親しい間柄でもないと、軋轢が生じます。クリスマスイルミネーションなんて法律で禁止してしまえばいいのに、逆に、役所の前や街路樹も電飾する自治体が増えてきている始末です。
無駄遣いしてまで経済効果・・・という発想はなくなってません。と言うより、
無駄遣い=有効な経済効果
という図式が出来上がっています。


Anthony
派手なパチンコ屋の電飾も、消滅して欲しい...



夜景がなくなるのは淋しいですが・・
雑草Z
 パチンコ屋に限らず、色んな電飾は止めるべきときでしょうね。
 新宿、渋谷、ラスベガス、ニューヨーク、パリ、上海・・・世界中の繁華街の夜のネオン街がなくなれば、きっと淋しくなるでしょうけれど、そんな悠長な事を言っている場合じゃない事を人類は近いうちに思い知るでしょう。

 ×××× ×
 
Anthony さん。ようこそ、nao氏ではなく、今回は Anthony氏なのですね?!


mao
クリスマスの電飾を見ると、その美しさへの感動と、(短絡的ではありますが)豊さを感じます。環境保護の観点からすると無駄なわけですが、楽しみの排除は世論を動かすにあたり有効な手段とは思えません。イルミネーション規制の前に危険な原子力発電をやめ、結果的にイルミネーションの意味を考えざるをえない状況を得るほうが、分かりやすいかもしれません。

電飾すら止められないようなら、望みなしでしょう。
雑草Z
 私も、夜空の星よりも、街のネオンのほうが好きですし、都会で夜通し遊ぶのも好きでした。
 しかし、そういう生活が持続不可能な破滅への道なら話の次元が違います。現在ですら、放射性廃棄物の捨て場はありません。原発やってまで発電する必要のあるものなんてありません。クリスマスのイルミネーションなんて問題外でしょう。
 そう意味でも、確かに、原発を先に止めてしまうほうが、有効な方法ですね。


 現在の環境問題は、地域の環境保護なんていうレベルのものでは済みません。
 私は予言者でも霊能者でもありませんから、はっきり「いつ」とは言えませんが
現在の世界の繁栄や経済やスポーツの馬鹿騒ぎは、滅びる前の花火のようなものでしょう。今までこのブログに書いている通りです。

 世界が完全に隔離出来るなら、
経済発展を目指し、クリスマスには盛大に電飾する事が好きな人々だけで世界を作って勝手にやっていれば・・と言いたいところですが、世界はグローバルに繋がっています。一蓮托生です。
 クリスマスの電飾ですら止めないで、省エネとかCO2削減とか言っても効果は知れたものでしょう。それでいてCO2排出権を外国から買う政府を認める訳にはいきません。
 

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2007-12-23 00:01
 インドネシアのバリ島で開かれた国連の気候変動枠組み条約第13回締約国会議(COP13)が去る12月中旬に閉幕しました。

 CO2温暖化説の詳しい内容を知る以前は、アメリカが京都議定書にサインしなかった事などに、怒りなどを感じたものですが、最近はこの手の会議の内容が、馬鹿らしい感じがして、積極的にこの会議の内容を知ろうとは思いません。・・・知るほどにやるせなさと人類の愚かさを思い知ります。・・・

 私はCO2温暖化論否定派ではなく、懐疑派ですが・・・CO2温暖化の真偽をいくら論じたところで、この複雑系カオスの因果関係の連鎖の証明は当分不可能なので、ここではCO2の温暖化説が本当だと仮定して議論します。

これまでも何度も述べていますが、世界のCO2対策はかなり狂っています。CO2温暖化の脅威をかなり煽っているのに、その対策がほとんど効果がありません。・・・というよりギャグ効果(ギャグのように愚かな逆効果)です。こんな無効なお門違いな事に10年以上も費やしてきたのです。

 今回もCOP13の会議で、数値目標とかいわゆる途上国と先進国の対立だとか色々あったようです。1990年の排出量から何パーセント削減とか言うのも、その時点で省エネ対策が進んでいた日本には不利だとか色々言われていますが、1990から何%減らすとかそういう議論自体を今でもやっている事がかなり悲しいものがあります。

 物質についてはほぼ閉鎖系の地球では、炭素原子Cの総数は一定です。炭素原子Cは、酸素原子2個と結びついて安定した分子であるCO2になって温暖化に寄与するのです。カーボンニュートラルの考えからすれば・・・この考え方も少し眉唾だけれど・・【カーボンニュートラルに物申す1】・・地下資源の石油や石炭、天然ガスを使わなければ、大気中のCO2の量は長い目で見れば変わらない事になります。・・・・私は、大木や木材のなかに炭素原子Cを固定することも非常に有効な方法だと思いますが・・

 先ず当たり前の発想として、元を断つ事が基本でしょう。地下資源の炭化水素(いわゆる化石燃料・・・石油や石炭)がCO2になってしまったら、ニュートラル分以上のCO2が発生するわけです。その分は基本的には木に閉じ込める事(木の栄養にすると言うこと)くらいしか有効な方法はないでしょう。・・だから、地下資源の石油石炭の使用をやめるしかないのです。・・・もっと言えば石炭、石油の採掘を止めることです。採掘後の排出量を下げる為の技術や排出権云々などは、長い目で見ればあまり効果があるとは言えません。さらに言えば、石油の消費を減らす有効な手段は、脱経済成長しかないでしょう。だって、石油や石炭を使わないでエネルギー消費量を減らさなければ、バイオマス燃料の使用が増え、それこそ食糧危機や森林破壊が加速されます。理性的に考えれば、地上に出回っている炭素原子Cの数を増やさなければCO2ニュートラルも達成しやすいでしょう。
 それを、持続可能な経済成長とか、経済の為にもCO2削減を!とか、とても危機感を持った会議とは思えないお気楽さです。


 1990年の排出量と比べて何%削減とか言う議論も非常におかしな議論であります。大気中のCO2は、収支結果として近年だんだん増えて累積していってるわけですから、その増加をなくするには、いつの時代かとの相対的な比ではなく、最終的に真のカーボンニュートラルを実現する(収支結果としてのCO2排出量をゼロとする事)しかないでしょう。
 つまり、CO2の排出量だけ、光合成をする事が基本です。収支からすれば、地下資源の炭化水素を燃やした分だけ木を増やさなければならないということです。そして、国ごとにカーボンニュートラルを実現することが最も公平な義務でしょう。→【真のCO2ニュートラル】


  CO2削減計画として、CO2の地下貯留だとか、原発を考えるのは論外です。原発と火力発電がどっちが危険で、環境負荷が大きく、コストもかかるかは、明らかです。(ついでに実質CO2排出量も削減出来ない・・)こんなとんでも議論を平気でするような輩をCOP13の代表にしないで欲しい・・・と言いたいところですが、COP13の代表が、実質各国の産業界の代表になっている事も十分あり得る話なので、期待するほうが無理ですね。
   →【CO2温暖化肯定派の権威へ】

 どの国もカーボンニュートラルを達成するという最終目標の合意も明確化せず、1990年比何%削減だとか・・・・経済成長優先だとか、政治家も科学者も低レベルな議論をしているCOP13って、かなりお門違いじゃないでしょうか?

 なんだか各国の代表達は、本質を知らないで議論しているような気が致します。

・・・将来、愚かな議論で残された時間を浪費していた・・・ってな事になるんでしょうか?・・・CO2削減よりもっと先にやるべき事があった。・・・という事になるんでしょうか?・・そんな反省の前に現代のグローバルな文明は崩壊してしまうのでしょうか?
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【2007/12/23 00:01】 | CO2 トラックバック(1) |

温暖化対策って?
おかっぱ頭
 地球の危機的な状況を前に、「温暖化ビジネス」とか「排出権ビジネス」とか、この「ビジネス」という言葉にとても違和感を覚えます。結局は企業の経済対策というところでしょうか。
 先日発表されました日本の来年度予算を見ましても、
  省エネ製品買い替えPR  3億円
  CO2排出枠購入  308億円
  CO2海底下貯留などの技術開発  629億円
驚いてしまいます。
廃棄物汚染、中国での原発建設計画、生態系への悪影響とそれぞれに環境破壊を推し進める政策だと思います。

 COP13が行われたインドネシアに目を向けてみましても、森林伐採だけでなく、それに伴って泥炭層からの大量の温室効果ガス放出という問題を引き起こしてしまったようで、先進国の温暖化対策が、またまた地中で眠っていたものを揺さぶり起こしてしまったようです。本当に今ブレーキをかけなければならないと思います。     

全く同感です。
雑草Z
    おかっぱ頭 さんへ

いつも適切なコメント有難う御座います。

日本の来年度の予算はそんなものだったのですか!?
どれもCO2削減には効果がないばかりか、さらなる環境破壊の増大をもたらしそうですね。

1990年の段階で省エネ技術の進んでいた日本は、どうせノルマを達成出来ないから、排出権は購入させられる・・・と前から言われていましたが、本当に大した努力もしていない東欧諸国から排出権を購入するみたいですね。

省エネ品買い替えPRって笑えますね。・・・そんなの企業にまかせろって・・・。第一買い換えしないで長く使うほうが、環境負荷が少ない場合が多い筈です。
【買い換えは環境対策ではなく、経済対策】ですね。
http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-229.html

CO2海底下貯留などの技術開発も同様で、さらなる酷い環境破壊をもたらすでしょうね。憂鬱。

CO2をどんどん無節操に排出させておいて、そんなお金のかかる対策をするって、どういう神経してるんでしょう??環境対策も大企業優先の経済政策ですね。
こんな対策だったら何にもしないほうがましですね。
 現在の政府って、企業や資本家の傀儡政権で、どうしようもない愚策ばかりやってます。このままではイースター島です。

 
貴重な情報とご意見有難う御座います。非常に参考になりました。
  

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2007-12-19 00:02
私の住む町の周辺では、また今年も恒例の、年末というか年度末の不愉快な道路工事があちらこちらで始まりました。どこへ行っても道路工事だらけです。全国の都道府県でも同じようなものでしょうか?

 公共工事の無駄が叫ばれて久しい筈ですが、そんな事はものともせず、ゼネコン大国ニッポンの名にふさわしい本当に無駄としか言い様のない工事です。

 工事による道路の渋滞で怒っている市民の声はよく聞きますが、そんな事は、税金の無駄遣いや環境破壊と比べるとまだ大した事がないでしょう。 みんながわからない林道工事ではなく、町の中で堂々と無駄な環境破壊の工事が行われているのですから、みんなもっと怒るべきです。
 
 大して破損していない道路のアスファルトを全部剥がして塗り直すと言う大げさな工事があちこちで行われています。ちょっと穴が空いたりひび割れしたところにアスファルトを埋める補修工事で十分な筈です。それだったら一日二日で終わるような場所のアスファルトを全部剥がして塗り直すから、1ヶ月近くもかかるのです。お金も数十倍、数百倍かかるのではないでしょうか?こんな事やらなければ工事する道がないと言う事は、もう道路工事はほとんど必要ないという事に他なりません。

 膨大な借金は、国だけでなく地方の自治体も抱えている筈です。多くの市町村が財政破綻した夕張市を目標にでもしているのでしょうか?

 税金の無駄遣いも酷いものながら、剥がしたアスファルトはどうするのでしょう?この手の産業廃棄物を捨ててもいい場所なんかある筈がありません。捨てる為にまた別な場所の環境破壊をしているに違いありません。
剥がしたアスファルトの捨て場の問題はかなりシビアでしょう。このような工事はすべきではありません。みんなもっと怒れ!!
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【2007/12/19 00:02】 | 公共工事 トラックバック(0) |


名乗らず
先日、休耕で遊んでいる畑の目の前で道路工事をやってました。 市民を怒らせる為にわざとやっているのかと思いました。
政府は「道路工事は雇用の為にやっている。」と言いますが、元々農民を道路工事に狩り出したのは政府ではないでしょうか? アスファルトを剥してアスファルトを張るエネルギーがあるなら、アスファルトを剥して耕し、畑に変えるエネルギーにせねばなりません。
ましてや食料自給率が最貧国のバングラディシュより低い日本の事。
今でも日本国内で飢えて渇いて自殺に走る人々(僕は餓死者と呼んでます)が三万人もおられるのに、マスコミも政府も、そして役人も、ただひたすらに己の金儲けに走るばかりです。
一体、貧しさを美徳とする日本人の美しさは何処に消えてしまったのでしょうか。

雇用の為だからこそ役に立つ事を!!
雑草Z
 そうですね。
>政府は「道路工事は雇用の為にやっている。」と言いますが、
 それは、ゼネコンの経営者の為、そして彼らと癒着した政治家や官僚自身が税金を懐に入れる為にやっているのを正当化しているだけですね。
 【トリクルダウン理論】という、金持ちに、より儲けさせる為のとんでも理論です。おこぼれだけ貧しい農民に・・と言うふざけた考え方です。
http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-243.html
 
 税金をどぶに捨て、かつ、環境破壊を生む道路工事などではなく、
雇用拡大と言うのなら、
 要らない道路や成金趣味のゴルフ場や犬の糞のようにそこらに転がっている失敗したテーマパークを人力で、自然農法の田畑にして、食糧自給率を高める努力をすべきですね。
 ただ、そのような土地はかなり死んでいて、そう簡単に田畑としては利用出来そうに無いのですが・・・

>貧しさを美徳とする日本人の美しさ

が死語になっては悲しいですね。


 コメント有難う御座います。無記名でしたが、URLからすると、いつものnaoさんでしょうか?いつもの文体とちょっと違うような・・・・Anthony氏でしょうか?
  


nao
ごめんなさい、僕です(笑)。
記名してもちょくちょく消えてしまいます(苦笑)。

へぇ~、そうだったのですか!
雑草Z
    naoさん

 最近簡潔な短いコメントが続いたnao さんは、今月もお忙しいとの事だったので、今回のようなちょっと長めのコメントは、ひょっとして、nao氏ではないのではと思いました。
 このコメントで、nao氏の新たな面を垣間見られた感じです。例えば最後の一行。
 色々参考になるコメントでした。また宜しくお願い致します。
 
 ×××× ×××× ×××× ××××

 しかし、お役所に、コンクリート剥がさずに、ひびや穴だけ塗って終わりにしよう!とか言う役人はあんまりいないのでしょうか?・・どうせ自分のお金でなくて税金だし、あわよくば自分もその利権で甘い蜜を吸えるとか思っているのでしょうか?
 現代にも絵に描いたような典型的な悪代官みたいな役人が沢山いますね。守屋は氷山の一角。 
   


くまくま
雑草様 

こんばんは!
私の住む北海道は日本人口の4.5%程?しかいないのに、
国の公共事業費の内、9%ちょっとは北海道だそうです…。しかも、北海道自体、5-6年後には夕張と同じ再建団体になるかもしれない財政状況の中、未だにお上頼みの公共事業に頼る化石のような人達が沢山います…。

やはり、役人、それにぶら下がる人達の頭の中の構造改革をしない限り、無駄な税金の使い方は永遠に無くならないと思います!その為には国民はもっと怒るべきですね!

私の払った税金が、(小額ですが)意味の無いコンクリートに化けているかと思うと腹が立ちます!


北海道の自然と農業こそ、日本の要
雑草Z
    くまくまさん

 お久しぶりのご訪問歓迎いたします。

 食料自給率に於いて、100%を楽に超す北海道は、自給率の極端に低い日本の農業の要です。自然もまだまだ沢山残っている・・・のに、北海道の自然は目に見えて破壊されているようで心が痛みますね。
 北海道の道路工事はそんなに酷かったのですか?!確か北海道は、道路事情はかなりよくて、道もすいていて、一日で数えるほどしか車が通らない道も結構あるとか・・・もう道は要らない筈なのに、高速道路も大規模林道もジャンジャン計画されているようですね。ふざけたお話です。そうですか?北海道全体が夕張市のようになりそうですか?懲りない無責任な土建屋と政治家達ですね!!

 私は、福島県に住んでいて、東北地方を愛していますが、北海道なら将来棲んでみたいと思います。・・・そう言えば、北海道に行ったのは、中学時代の修学旅行だけです。差し当たって、近いうちに旅行に行きたいと思いつつ・・・何年も過ぎてしまいました。
 やっぱり北海道は夏ですか?・・それとも冬こそ北海道?


耳痛いっす
NEO
私は土木屋ですので耳がいたいです。官公庁は一度付いた予算を使い切ることが仕事ですから・・・。最近、公共事業と言うと悪と思われるので、社会資本整備と言い換えています。
●農業・・・日本国民は、食の安全に対する関心が高いのに食の知識が低過ぎませんか?(うまく表現できません。すいません。)
●林業・・・日本以外の先進国では、コンクリートを使わずに、木材で作った橋(近代木橋)が既に実用化(1000例以上)され、健全な森林を維持するとともに、景観にも配慮しています。建設コストは割高ですが。
●漁業・・・日本に近接する国々がごっそり魚を獲って、日本に売りつけるというのは本当ですか?なんとかならんかね?魚がいなくなりますね。

貴重な現場のお声有難う御座います
雑草Z
    NEOさん。

 はじめまして、現場の土建屋さんからの、コメント有難う御座います。
 なるほど、
>社会資本整備と言い換えて
ですね。
 土建屋さんに関しては、田中角栄あたりが、増やし過ぎたのが諸悪の根源でしょう。
 土建屋さんに限った事ではないのですが、政治家や官僚が政策として開発業者や工業を増やし過ぎて肥えさせて行った結果、現在の持続不可能な、破滅へ突進する社会構造になってしまいました。
 安定した持続可能な社会になる為には、大局的に、個別の産業攻撃ではなく、(それも書きますが・・それぞれの生活もありますし・・)社会全体で経済成長、開発と言う名の破壊行為を拒否しなければならないと思います。(それがこのブログの大きな主題です。)

●農業・・・食の安全も大切ですが、近いうちに食料不足になるでしょう。自給率のアップが非常に大切です。自給自足が独立国家の基本でしょう。
●林業・・・FSC(Forest Stewardship Council、森林管理協議会)は、健全な持続可能な森林管理を目指して設立された国際的な非営利組織です。FSCに認定された木材を使うことも大切ですが、やはり、木材使用量を減らす事が大切でしょう。
橋に関しては、コンクリートの橋よりもいいかも知れませんが、もう少し考慮の余地があるでしょう。

●漁業・・・漁業資源の枯渇は森林の減少と並んで非常に深刻ですね。研究によると、適切に管理すれば、世界の漁獲は現在のレベル以上の高さで持続可能といわれているようですが、各国が競って乱獲している状況があるので、世界の色々な水産資源の量が目に見えて減っています。FSCのように、MSC(Military Sealift Command;海洋管理協議会)も設立されましたが、まだまだ公海の水産資源の争奪戦は続いてますね。

 本物の構造改革というのは、持続可能な社会構造にする為の社会システムの抜本改革だと考えます。

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2007-12-17 00:02
ロナルド・ライト[Ronarld Wright] は、その著書 『暴走する文明』[A Short Story Of Progress] で、以下のように述べています。[第2章 p47]

 ・・・文明は危なっかしい。私たちは進歩の階段を登りながら、下の段を蹴落としてきた。後戻りすれば破局が待っている。文明が嫌いで、それが倒れて傲慢な顔が潰れるのを期待している人たちは、現在の私たちのような人口や生活状態にある人類を支えるのに、ほかの方法などないということを心に止めるべきだろう。私たちは全員この虎の背中にまたがっており、生きて飛び降りられる人はいそうにもない。 

 この部分は愛読したこの本の中で、私が最も同意出来ない部分かも知れません。

私たちは進歩の階段を登りながら、下の段を蹴落としてきた
と言うのは事実として同意するところです。

 しかし、後戻りすれば破局が待っていると言うのは、経済成長を基本原理と考える人々の脅迫概念ではないでしょうか?
 破局は、今までどおり下の段を蹴落としながら進歩の梯子を登り続ければ、その先に確実に待っているのです。

 考えてみて下さい。バベルの塔でも、タワーでも、どんどん上に上に積み上げながら高くしていけば、不安定になり、いつかは崩れるのです。崩れないためには、富士山のような成層火山みたいに裾野もどんどん広げなければなりませんが、地球は有限ですから、裾野はどんどん広げられません。かなり以前から「グローバル化」の言葉が頻繁に使われていると言う事からもわかるとおり、もう裾野が世界規模にいっぱいいっぱい広がっているのです。もう限界を超えて、不安定になり、崩れはじめているといった所でしょうか・・・・。
 確かに、現在の人口や生活レベルは、エコロジカル・フットプリントの観点から考えて見ても、地球の持続可能な容量を既に超えています。・・・このまま、人口と生活レベルをドーピングのような科学技術に頼ってもっと上げようと言う事こそ破局へ向かうことでしょう。・・・・じゃあどうするか?・・確実な方法は一つでしょう。下へ向かってまた梯子をかけるのです。つまり、人口を徐々に減らして、生活レベルも下げる・・・それは困難な事かも知れません。・・・しかし、破局を出来るだけ小さく押さえる為には、梯子を下に向かってかけて上手く下りる事以外には見つからないでしょう。・・飛び下りる必要はないのです。持続可能な高さまで梯子をかけてみんなで降りるのです。


「文明が嫌いで、それが倒れて傲慢な顔が潰れるのを期待している人たち」
ってそんなにいないような気がしますが、ロナルド・ライトはどういう人たちを想定したのでしょう?いわゆるディープ・エコロジスト達の事でしょうか?
 原始的な生活を送っている先住民達;自然破壊の文明に反対するインディアンなどの人達については、彼は大きな理解者の筈です。南北アメリカの先住民の迫害史を白人側で初めて深く掘り下げた『奪われた大陸』を書いたのですから・・・同じ自らの著書『暴走する文明』の中で進歩の罠の危険性を警告しているロナルド・ライトの意図がよくつかめません。・・No Way Out・・・どう進んでも 出口無し・・と言う事を言いたいのでしょうか?確かにどの方向に進んでも困難な道でしょう。しかし、本書で解決策に触れていない彼でも、下に梯子を掛ける道を否定しないで欲しいと思います。これを否定する事は、そこらの経済成長主義者と変わらないか、もしくはもう絶望しているという事でしょうか?(理性が十分ある人が考えれば、悲観的にならざるを得ない部分は十分にありますが・・)

 確かに私自身も、文明の便益を十分享受致しておりますが、それがこのまま続けられるとは考えられません。理性的に考えれば誰でもそういう結論に達するのではないでしょうか?いわゆるディープ・エコロジーというレベルでなければ解決出来ないでしょう。
 下向きに梯子をかけ直して、十分安全な高さまでみんなで下に下りる事より安全で確実な方法は思い浮かびません。これまでこのブログでしつこく繰り返している部分です。技術的には何ら困難な事はありません。あとはその手の欲望を抑えられるかどうかでしょう。・・・既に禁断の実を食べてしまった人類の事ですから、その欲望を抑えられるかどうかが問題です。・・人々の意志による政治的な決断がいつ出来るかでしょう。

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【2007/12/17 00:02】 | Economic Fascism トラックバック(0) |

戻る事が持続する事
おかっぱ頭
 「蹴落としてきた」という表現は、今日の経済成長がいかに破壊行為や弱者切り捨てという犠牲の上に成り立っているかという事ですね。
増え続ける人口、贅沢という贅肉を身にまとった生活、そして廃棄物等々・・。この進歩の梯子は倒壊寸前で、これ以上登り続ける事の方が破局だと私も思います。

 全く話が逸れますし、内容も噛み合っていないかとは思いますが、ヘンゼルとグレーテルという物語の一部を思い出しました。
両親に森の奥に連れて行かれて捨てられる、と死を予感した兄妹が知恵を働かせて、森へと進んで行く途中途中に白い石を落として、それを目印にまた家に戻って来るという部分です。

 過去の文明崩壊が地球規模という大きさで目の前に迫りつつある今、この破局を避ける為には、これからは梯子を下にかけ直して行くという事=脱成長、雑草様の意見に納得させられます。


みんなで一緒に梯子を下に掛けて降りられたらいいですね。
雑草Z
    おかっぱ頭 さん

 賛同のご意見有難う御座います。嬉しく思います。このような考え方を広める事こそこのブログの大きな目的です。
 はやく梯子を上向きに掛けるのをやめて、下向きに掛けて持続可能な高さまで降りる事が何より優先でしょう。
 崩れるより先に下に降りられるか・・が問題です。
 もっと高く上りながら、現在の技術を使って、足元を固めて環境問題にも対処しようと言う方策は、既にかなりの負担が生じてあちこちで崩れ始めています。無理と言うべきでしょう。そんな事にも気づかないほどに人間は開発と成長神話の虜になっているのでしょうか?
『人間は、便利さを知ってしまったら過去には戻れない』なんて詭弁です。甘く見ているからそんな事を言えるのです。

ヘンゼルとグレーテルってそんなお話でしたか!?暗示的ですね。彼らのように、過去への目印はしっかりつけて置くべきですね。人類も過去からの梯子を外さないで置けば良かったのですがね・・。

 このブログでも梯子を下向きに掛けて降りる事についてもそろそろ描きはじめようかと思います。それは、早ければ早いほど困難も少ないでしょう。達成できれば、きっと辛い世界でもなく、現在より幸せな社会だと思います。・・その記事を描いた際には、またご意見等宜しくお願い致します。  

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2007-12-13 00:03
 大きな発見と言われてるものは沢山ありますが、真に注目に値する20世紀の大発見は、相対性原理とDNAと量子力学と言われています。
 物理学者からすれば、量子力学こそ、最大の発見と主張する学者が多いかも知れません。相対性理論をも古典物理に押し込んでしまったのですから・・・しかし世間一般に広くインパクトを与えたと言う意味に於いては、量子力学は他の二つにかなり大きく溝を空けられるでしょう。多くの人々にとって量子力学は、どうでもいい発見、概念でしょう。

 だから、ここでは、一般大衆にも広く浸透していてかつ人類に及ぼしている影響も非常に大きな、相対性原理とDNAを世紀の大発見として考えます。・。大体異論はないでしょう。(実際今回の議論にはその方が都合もいいもので・・・笑)

 相対性原理 と DNA 
この2つの世紀の発見を聞いて共通点と言ったら何を連想するでしょう??
一見あんまり共通点もないようで、考えれば色々出てくるかも知れません。


 すぐに思いつく最も大きな共通点は・共に人類を・・・場合によっては地球全部の生き物を・・滅ぼしうる発見だと言うことではないでしょうか?。
これ以上に危険な発見は、なかなかないのではないでしょうか?

 先ず、相対性理論は、あの物質とエネルギーの等価性を示したあまりにも有名な【悪魔の方程式】      E=mc^2
 を導き出しました。そしてこの実際の証明が、原子力であり、核爆弾です。 (核分裂&核融合)

 DNA の発見は、バイオテクノロジーによる遺伝子組み替え技術を作り出しました。現在問題になっている遺伝子組み替え野菜も、細菌兵器もこの技術が使われています。

 原子力も遺伝子組み替え技術も夢のテクノロジーともプロパガンダされてきましたが、この二つがなければ、人類の滅亡の可能性はかなり減るでしょう。こ れらは完璧に開けてはならないパンドラの箱だったに違いありません。

 科学技術は使い方次第で、平和利用も戦争への利用も出来ると言われますが、
この二つの技術は、武器としても威力抜群で大抵の他の武器より圧倒的に勝ります。
そして、平和利用をしても(特に原子力について、そんな事は不可能と思いますが・・)ミスによっても世界全体を滅ぼし得る威力を持っています。
 共に対処を誤れば、すぐにも人類の制御不可能なレベルに達する可能性のある危険極まりないテクノロジーです。

科学技術が人間を最も不幸にする可能性が高い例が、この20世紀の最大の発見の2つであることは皮肉と言うには重すぎます。

 この事実からも、科学技術もどこかで止まらなければならない事を学ぶべきです。しかし、この2つの発見がなされてしまった後では、後の祭りかも知れません。人類は、どうやってもかかえ切れない大きな重荷を2つも背負い込んでしまったのです。      
 

××××××××××××××××××××××××××××××


 因みに今回の記事の趣旨とは全く関係のない余談ですが、DNAに関しては『発見』と言う言葉に違和感はありません。もしも、その実態が現在考えられている実態とかなり違っていても、そう言う物体(物質?)を見つけた訳ですから・・
 それに対し、相対性理論と量子力学は、『発見』と言う表現を使う事にはかなりの抵抗があります。『説を作った』の方が妥当ではないでしょうか?その理論によって現象をどんなに上手く説明出来ても、検証出来たように見えても、解釈の仕方であって、存在を証明した事とは別でしょう・・・
特に、量子力学の根本には「不確定性原理」が存在するのですから。

 例えば、
「リンゴが木から落ちるのを見て、ニュートンは万有引力を発見した」
と言う表現はおかしいのではないでしょうか?。万有引力はあくまで近似の説明であって、相対性理論によってその存在は否定された訳です。でも、光速よりも十分遅ければ、ニュートン力学は有効です。だから
「リンゴが木から落ちるのを見て、ニュートンは万有引力説を作った」
と言うべきでしょう。(まあ実際ニュートンはりんごが木から落ちるのを見て万有引力を発見したと言う逸話は作り話ですが・・・)
こう言う表現によって、万有引力を当然の存在と思ってしまうところで、科学は足踏みするのです。
・・・まあ、私の持論からすれば、科学はそんなに進歩しないである程度のところで止まってしまった方がいいのですが・・・
「ニュートンが万有引力を発見した」
と言う事が永遠の定説とされ、相対性理論が永久に封印されて登場しなければ、核の脅威はなかった訳です。
・・・・でも、エネルギーと質量の等価性、質量欠損の論理がなくても、核エネルギーに気付く可能性はあり得ます・・・・例えば太陽エネルギーを考察して・・
 
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【2007/12/13 00:03】 | 環境総論 トラックバック(0) |
2007-12-11 00:02
人類が開けてしまったけれど、絶対に開けるべきでなかったパンドラの箱はなんだったのでしょう・・・???このブログでは、これまで2度ほど述べています。
 パンドラの箱1では、産業革命での石炭、石油などのいわゆる化石燃料。そして石油よりもずっと危険なパンドラの箱として、原子力をあげました。
 パンドラの箱2では、それらをもっと総括して地下資源としました。

 そして今回さらにもっと総括して、科学技術の進歩そのものをパンドラの箱としたいと思います。ロナルド・ライト氏の言うところの、『進歩の罠』は、科学技術の進歩によるところが多大です。
 科学技術の進歩は、短絡的な目先の目的遂行の為に開発されてきましたが、その弊害は後から分かって来ました。・・・本当は予期出来る事もかなり多かった筈ですが、短期的な目標達成ばかり追い求められ、その結果起こるであろう環境問題からは目を背けられてきました。便利な道具になると期待されて、事実便利な道具になった物が、人類の首を絞めて来ている例は枚挙にいとまがありません。合成洗剤、農薬、科学肥料、・・・ビニールだって、プラスチックだって、処理の問題に困っています。産業廃棄物は言わずもがな・・・です。
 現代の環境問題は、科学が解決するのが先か、破滅が先かの競争のように言われていますが、それは大間違いです。先ずは進歩を止めるのが先です。先端技術も含め色んな技術を封印すべきときなのかも知れません。・・・例えば、最低でも原子力は封印しなければなりません。・・・つまり、ある意味時代に逆行するわけです。

 かといって、全ての技術を封印して、原始時代に戻るのはしんどい・・・とすればどこまでの技術を封印するのが丁度いいか議論して、環境に優しいと言う技術は残して環境に悪影響の技術は封印・・・・ってそんなに上手くは行かないでしょう。そこまで人間がストイックに出来るならば、エデンの園のりんごの実を食べなかったでしょう。『進歩の罠』の言葉どおり、技術は前進のみの一方通行なのです。科学技術に限らず進歩は中毒性のある相当に強い麻薬です。だから進歩の罠の本当の恐怖を人類全体で体験しなければその中毒からは逃れられないかも知れません.・・・その恐怖とは、封印出来なかった科学技術による進歩の罠・・・地球規模の大きな環境カタストロフィーでしょう。

 そのカタストロフィーで全滅するか、地上の人類のどのくらいかが生き延びて、愚かな失敗を繰り返さずに持続可能な社会を築けるか?またまた同じ過ちを繰り返すのか? 

 科学技術によらず、『進歩』と言う概念の危険性は、ほど良いところで止まらずに、どこまで行ってもさらに上を望み、破綻するまで暴走する本質を内包している点でしょう。
     
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【2007/12/11 00:02】 | 環境総論 トラックバック(0) |
2007-12-09 00:03
 現在環境問題の解決に向けて様々な技術が開発されています。地球を救えの大合唱のもとに、国も企業も省エネ技術や代替エネルギー、新素材などの開発に躍起になっています。そして、省エネ製品や環境にやさしいとされる製品、新素材が次々に開発されています。

環境破壊、環境汚染で地球が住めなくなる前に、その環境破壊、環境汚染を解決する新たな環境技術を開発しなければならないと言う論理は一見当然の事のようですが、それは必要条件ではありません。逆に科学技術に対する妄信は危険です。かつて、その妄信によって、様々な環境問題が引き起こされ、放置されてきたのです。
 確かに新たな技術の開発も有効な場合もあります。しかし、そこから予期出来ない(本当は予期出来たが、気付かぬ振りをしているものも多い・・)問題が起こる場合もあります。
 そして、実際にさらなる環境汚染や社会問題を引き起こしている技術も沢山あります。最悪とも言える原子力は言うまでもありません。原子力については、プルサーマルのように新たな技術が最悪の記録を塗り替えています。

 現在の環境問題の全ては人類が生み出したものです。だったらその解決方法の最も簡単で最も確実な方法は何でしょう?・・・私はこれ以外に考えつきません・・・それは、発生源を絶つことではないでしょうか?これは、対症療法的な科学技術より遥かに優れた確実な方法です。

 新たな科学技術で解決出来る可能性もゼロではないでしょうが、新たな科学技術だけでは限りなくゼロに近いのではないでしょうか?何故なら、エントロピーの法則を主とした、物理の根本法則は超えられないからです。
 百歩譲って、新たな技術で解決可能だとしても、その技術が開発されて、さらにその環境問題の解決を確実に保証出来るまで、その発生源を絶つ事が本来の予防原則でしょう。

 人類の存亡が掛かっているのに、当てにならない環境技術の開発に人類の未来を託すほど、人間は愚かなギャンブラーなのでしょうか?確実な方法で崩壊を回避しておいて、その後いくらでも別な方法を探ればいいでしょう。・・・そう簡単に別の方法が見つかるとは考えられませんが・・・だからこそ現在考えられる唯一の確実な方法を実行すべきです。そこに新たな技術の導入は必要ありません。

 実際に個別の事では色々な汚染物質の排出規制は確実に効を奏しています・・・。それをもっと広く大きく実行するのです。・・・社会が持続可能なレベルまで・・・

 つまり、この現在の深刻な環境問題を解決するのに必要なのは、
新たな科学技術ではなく、人々の意志・・政治的な決断なのです・・・・じゃあ何故それが出来ないか・・・経済成長の強迫概念がそれを邪魔するのです。私はそれをエコファシズムと呼びます。
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【2007/12/09 00:03】 | Economic Fascism トラックバック(1) |


nao
物凄く眠いので一言だけ。
「最初から汚染商品を売らなきゃいーじゃん」


hiro
代替エネルギーや新素材の開発は、汚染の発生源を絶つための努力の一つなのではないでしょうか?もちろんそれが確実に環境問題を解決するものではないかもしれませんが、そこまで否定することでしょうか。
ここで言うような、環境問題の解決方法は具体的にはどのようなものでしょう?
私は、車に乗らなければいいとか、電気を使わなければいいとか、もっと言えば人間がいなくなればいいとか、そういう方法をおっしゃっているのか?と思ってしまいましたが、実際どのようにお考えでしょうか??


そう、努力のひとつですね。
雑草Z
    hiroさん

 現在の新たな技術の開発は、その名のとおり、開発と経済成長を続ける為になされている場合が多いと思われますが、それだけでは環境問題はほとんど解決されないと言ってるのです。それは、努力のひとつであって、現在のようにそれが環境対策の主流であっては、破局に向かっているだけだということです。

 そんな事よりも技術は現在あるものでも十分ですから、早急に政治的決断・・・森林伐採など色んな開発をやめ、経済成長を目的としない社会に成る事が先だという議論です。

  脱グローバル化による小さなコミュニティなど、持続可能な社会に移行することです。

 具体的には、各論になって、話が拡散してしまいますが、例えば
 素材に関しても生物が作り出す生態系を循環するものを出来るだけそのままの形で使用するのが有効です。だから、自然に循環するものは全て循環させ、循環しない地下資源などの使用は控えるなどは、新素材の開発よりも先です。
 人口も消費も(人口×平均消費量)を適正なレベルまで減らす政策が必要です。
 

 環境問題は、環境技術の開発で何とかなると信じて、経済成長と開発をしっかり抑制しない現在の世の中はかなり危険な状態で、社会破綻にまっしぐらに向かっているという主張です。



    naoさん

 眠いところコメント有難う様。でも、眠いとちょっと議論がかみ合わない場合がありますね。そういう時は、ぐっすりお休みになって下さい。
 「最初から浪費と思える品は、取引禁止にするべきだ」
という論点なら主張に沿ってますか?


nao
これから僕も書きますが、現在の環境問題の一つにやはり縦割り行政の弊害があります。
問題なのは環境省と経済産業省の議論がまったくちぐはぐな上に、環境省事態が実は環境問題について無知、あるいは興味が無い点に現在の環境問題の歪みがあると考えます。
地球環境レベルの問題は地球環境レベルで考えねばならない問題なのに、どうしてペットボトルのリサイクルについてはみんな「出来る事からコツコツと」なんて言うのでしょうね。その意味で「だったら最初から汚染物質を売らなきゃいーじゃん。」です(笑)。

お返事ありがとう
hiro
なるほどそういう意味でしたか!
勘違いしてましたね(汗)
噛み付いちゃってごめんなさい

みんなが持続可能な社会に必要な意識を持てるようになるまで、あと何年?何十年?かかるかわかりませんが、一刻も早く多くの人が、周りの人を、自然を地球を、次世代を愛せるといいですね☆

経済優先の対策
雑草Z
    nao さん

 確かに環境省の方々は、環境問題に対して無知だったり興味がなかったりで、経済発展のほうがより興味がある人が多いのではないでしょうか。だから、環境問題の解決に、お金のかかる新技術の導入を薦めるのでしょう。
 もっとしっかり考えている人物が対策をしないと、間に合わないでしょう。
 「出来る事からコツコツと」と言うのも、庶民が言う分には悪くないと思いますが、環境省などが力を入れて奨励する事ではありませんね。
 戦時中の
「欲しがりません。勝つまでは」
 みたいなイメージです。
 環境省は、ペットボトルのリサイクルを奨励するのではなく、使い捨て容器の使用禁止を法律化すべきですね。
売る前に「最初から作るな!」ですね。 



持続可能な社会に以降出来ればいいですが・
雑草Z
    hiroさん

 以前からそう思っていましたが、世界のエコロジカル・フットプリントが再生の限界を超えていたり、世界の多くの国がいまだに経済成長を唱えているニュースを耳したり、コストばかりかかって有効性の疑わしい環境対策ばかりやっている世界を見るにつけ、世界が持続可能な社会に移行する前に破局がやってくるのではないかと思います。
 私は水晶玉を持っている預言者ではありませんから、(そんな人がいてもただのインチキですが・)いつとは言えませんが、破局はかなり早くやってくるでしょう。

 ××××××××××××××××

hiroさんは、今回が初めてのご訪問ですよね?・・以前スローライフ・スローリッチと言うサイトのヒロと言う方からコメントを戴いていましたが・・・はじめまして?。 
またご訪問くださいね。


 
 

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2007-12-07 00:03
 マンモスを1頭でなく2頭を一度に殺すことを覚えた旧石器時代のハンターたちは進歩を成し遂げた。しかし、群れ全体を断がい絶壁から追い落として二百頭をいっぺんに殺すことを覚えたのは進歩のし過ぎだった。彼らはしばらく羽振りのいい生活を送ったが、そのあと飢えてしまった。
・・・・・ ロナルド・ライト[Ronald Wright]
       暴走する文明[A Short History Of Progress]    第1章から


 旧石器時代に滅んだとされるマンモスやその他の巨大動物・・毛サイ、ジャイアントウォンバット、大きな陸ガメ、ラクダ、大型バイソン、大ナマケモノ・・・の絶滅原因は、色々な説があります。気候変動も有力な説です。
 しかし、人間が新しい土地に現れると間もなく大型猟獣が姿を消しはじめています。人類の関与を示す証拠も圧倒的にあります。銃などの武器が沢山存在した近代ならいざ知らず、まだ石器時代の人類の乱獲によってマンモスなどの大型動物が滅びた可能性が極めて高いことに驚きました。しかし同時に納得致します。・・きっと人類が大きな原因でしょう。・・こんな古代から人類は生物を絶滅させていたのです。
 ほかの動物のように必要最小限の動物の捕獲に満足せず、必要以上に動物を乱獲したからです。

 規模が大きいことは効率がいい事として、大量生産がなされる事によって、大量消費も進みました。でも、規模が大きい事は、効率がいいようで、非常に無駄が多く、かつ、その社会の存続に関わる大きな問題を生み出すのです。

 現代の大量生産大量消費文明は、ほんの2百年ほど前の産業革命以降に始まりました。マニュファクチャリングで、同じ製品を1個でなく10個作ることを覚えた現代の製造業者は進歩を成し遂げたように見えました。しかし、石炭、石油をエネルギー源として使っての、大量製造ラインで同じ製品を何千何万と作ることを覚えたのは進歩のし過ぎだったのです。その結果、自らを文明人と呼んで、羽振りのいい生活を送っていますが、その後の反動は旧石器時代の比ではないでしょう。
 飢えるだけではありません。廃棄物による汚染の問題、原子力の恐怖・・・みんなグローバル化で世界規模に膨れ上がり逃げ場がなくなってきました。かつては規模の悪魔によって社会が崩壊しても、まだ他の地に逃げることが可能性として残っていました。しかし、現在の規模の悪魔は、『グローバル』の言葉通り、遂に地球規模になってしまいました。崩壊は世界規模で、逃げ道なし・・・です。
 宇宙に逃げるなんて不可能なことを探るのではなく、地球上で生き残ること・・「規模の悪魔」を止める事を考えるべきでしょう。

 規模の悪魔は、人間の限りない欲望から生まれた人間ならではの悪魔でしょう。規模の悪魔は現代社会を蝕み、確実に破滅へと導いているのです。




  参考文献  :暴走する文明[A Short History Of Progress]
  ロナルド・ライト[Ronald Wright]著 星川淳 訳 
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【2007/12/07 00:03】 | 都市/文明 トラックバック(0) |

暴走する文明読了
guyver1092
 狩猟採取の時代の分明の暴走の形が食べられる以上の乱獲で、現代文明の暴走のひとつはやはり食べきれないほどの食糧生産と、廃棄食料品かと思われます。狩猟採取文明の乱獲の結果、狩る獲物の消失なら現代文明の食べ過ぎの結果は、農地及び森林の消失でしょう。地球の耕地可能面積を年間消失面積で割れば、文明崩壊までの時間も計算できるのではないでしょうか。農地の消失は指数関数的でしょうから、単純な割り算にはならないでしょうが・・・
 槌田氏は、私にとっては、現代文明に対する狂信を打ち砕き、世界の実態を見せてくれた人物です。過去に間違ったこと言っていたこともありますし、ひょっとしたら将来的に今言っていることを訂正したりする部分もあるかもしれませんが、本質のところは正しいのではないかと思っています。
 「石油と原子力に未来はあるか」はアマゾンで検索したら、まだありました。
 本当に進むべき道として江戸時代は参考になると思いますので石川英輔氏の大江戸エネルギー事情等はどうでしょうか? 読み応えとしては、かなり落ちますが・・・
 

素早いですね。
雑草Z
    guyver1092さん

 「暴走する文明」もう購入されて読んでしまったのですね。行動が素早いですね。コメントでご紹介したのが7月30日の夜です。・・それから3日後には購入して読み終えてしまったのですね。びっくりです。

 作者のロナルド・ライトは歴史家で、文系の人物です。小説やエッセイも書いているようです。
槌田敦さんやジャレド・ダイアモンドのように科学者ではないので、読み応えがないかな・・・と思いきや、非常に面白く読めました。・・・小説家らしい表現の比喩の類は、知識を得る為の参考文献として読むときには、時として鬱陶しいものですが、本書の表現の妙は非常に気に入りました。・訳者も上手いのですね。
  guyver1092 さんは、ここのコメントからはそれほど名著とは感じなかったのかも知れませんね。・・・是非書評を書いて欲しいですね。この記事の一つ前の【進歩の短い歴史】に私の書評も書いてますので・・・もしよろしければ、お互いに読んだ「文明崩壊」と対比した書評を簡単にそこに書いて戴ければ幸いです。

 「石油と原子力に未来はあるか」は、購入出来れば是非読んでみたいと思います。ご紹介有難う御座います。・・・まあ、槌田敦さんの主張は本書を読まなくとも他の書物から十分にわかりますが、彼の著書は文章としても非常に面白いので読む価値は十分にありますね。

guyver1092さんのおっしゃる通り、槌田敦さんは

>本質のところは正しい

と思います。読み応え十分ですね。

石川英輔氏の「大江戸エネルギー事情」も検討させて戴きます。
他に文明論のお勧めがあれば教えてください。


 +++++    ++++    ++++

>現代文明の暴走のひとつはやはり食べきれないほどの食糧生産と、廃棄食料品

そうですね。これも規模の悪魔の典型ですね。おっしゃるように食料不足が文明崩壊の大きな要因になるでしょうね。

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2007-12-05 00:02
近代文明は、進歩と言う名の開発、経済成長で崩壊の方向に進んでいる。進歩は刹那的なものである・・・この文明に対する危惧を、過去の史実、考古学的な検証で、しっかり簡潔に、しかも非常に読みごたえのある引き付ける論法で論じている本に出会いました。

 
 ロナルド・ライト[Ronald Wright]著 星川淳 訳 
       暴走する文明[A Short History Of Progress]
 です。
 一挙に読んだ後、つい最近もう一度読み見直し、さらに折を見て色んなページを拾い読みしています。今年の後半・・夏以降読んだ本で最も読みごたえがあってインパクトのあった本です。
 著者は、歴史学者であるばかりでなく、小説家でありエッセイストであることもあってか、例えや言い回しが非常に巧妙で面白く、このブログの記事のタイトルとして盗みたいような名表現が沢山あります。・・・実際はちゃんと断って使わせて戴きます(笑)が。・・勿論、彼のオリジナルの表現ばかりではないでしょうが、言いたいことを的確に、しかし、機械的ではなく、機知に富んで、いい得て妙な言い回しなのです。訳者も原文を熟知し、原文のニュアンスを損なわない名訳をしているに違いありません。例えば「規模の悪魔」も気に入って次回の記事のタイトルに戴きました。他にも「進歩という罠の記念碑」とか「つづれ織りのように多彩な非西洋文化の数々」「分別のある寄生生物なら厳守すべき第一の掟」「歴史は繰り返すたびに値段がつり上がる」「自然が気前のいい補助金を与えてくれた 」「滅びの前の高価な花」など枚挙にいとまがありません。本書を開くたびに名表現を目に致します。
 
 日本語のタイトルである『暴走する文明』も悪くありません。著者の意図を汲み取り上手くつけたタイトルだと思います。しかしタイトルは原題のままの方がさらにいい得て妙、深い意味を含んでます。内容を的確に表して、そこに込められた意味を考えるとゾッと致しますが共感するタイトルです。
 原題 ”A Short History Of Progress”は直訳すると『進歩の短い歴史』
・・・となり、一見なんのインパクトもありません。直接的な意味は、人類の進歩の歴史は、文明としての都市の発祥を5千年前だとしても、農耕牧畜文明の始まりが1万年前だとしても、短い歴史ですよ。・・石器時代からの250万年の人類の歴史と比べたら、たった1%にも満たない短いストーリーですよ・・・という意味でしょう。
 しかし、そこに含ませた著者の意図する意味は、
進歩の罠にかかった人類の歴史は短く終わる
と言うことでしょう。そう、『規模の悪魔』などに捕われた人類は、この調子で経済成長を続けていると、前進のみの一方通行と思い込んで『進歩の罠』に捉えられ、間もなくその歴史を終えてしまう・・・。と人類に警鐘を鳴らしているのです。
文明はそれ自体暴走する性質を秘めた短命なものだ・・・制御は非常に難しい・・・
と言うことをタイトルに込めているように感じます。  

 
 先に読んだ、科学者・・生物学、生理学、生態学者であるジャレド・ダイアモンドの、分厚く、さらに上下巻のある『文明崩壊』も、タイトルからも想像出来るように、内容も本書と共通点も多い名著で、興味深く読めました。

 どちらもお勧めですが、どちらか一方と言われれば、私は迷うことなく『暴走する文明』を推薦致します。ロナルド・ライトの『暴走する文明』は私にとって、遥かに惹き付けられる、共感する内容でした。
 内容を知らずにどちらかを読めと言われれば、私は、科学者であるジャレドの著作の方を選んだかも知れません(事実先に読みました・・苦笑)。・・それに対して、科学者でない歴史家の文章がこんなに面白く、本質を突いていると共感出来たのは初めてです。(って、歴史ものってほとんど読みませんが・・・)著者の専攻や肩書きよりも、その本人の洞察力や文章力が決め手です。

 枝葉末節的な部分ですが、この本ははじめに画家のゴーギャンの事から入るのが、私にとってはマイナスポイントでした。気取った芸術家の価値観から入る事が『食わせ物』に感じました。でも、書店で立ち読みしたとき、そこで止めずにもう少し読んでみたら、先が読みたくなり、購入いたしました。危うくゴーギャンでこの名著を読み落とすところでした。(笑)


 本書でロナルド・ライトは解決策を示してはいません。訳者は、「読者へ解決の知恵を絞るように求める」・・・と述べています。
 その解決は非常に困難なので書けなかったのかも知れません。近代の進歩は破滅へ加速しながら突き進む暴走列車であり、構造的なものであるからです。解決には苦行のような困難を伴うと感じているのかも知れません。・・・私自身それは修行僧のような生活かと思った時期もありますが、そうでないと感じる部分もあります。解決策についてはまだみんな混乱しているのだと感じますが、その事についてはだんだん書いていきたいと思います。


 文明論は、私の範疇外の事かも知れませんが、本書は、文明の本質を突いた頗るつきの名著です。
 これからの記事で色んな箇所をつまんで引用させて戴きます
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【2007/12/05 00:02】 | 都市/文明 トラックバック(0) |

暴走する分明の感想
guyver1092
 とても共感できますし、読みやすい本ではありましたが、インパクトとなると、「石油と原子力に未来はあるか」には劣りました。(洗脳が解けた衝撃以上のインパクトのある本は、洗脳するための本に洗脳されない限りないのではないかと。)知識としては、それぞれの文明の燃え尽きる寸前に何が起きていたかが書かれており、このあたりは面白く読めました。
 不満としては、人類の進むべき方向が示されていないのが、あります。(各自が考えるようわざと書かなかったのでしょうか。)
 
 ということでとりあえず、現代日本の問題のひとつ、廃棄食料品の解決方法について考えてみました。現在の会計法上、廃棄商品の原価は、いったん粗利益に計上され、後に経費として利益から差し引かれるとのこと。以前テレビで見た番組では、商売人は一番儲かるように行動しており、その結果、廃棄食料品が発生するとか。だから廃棄食料品が発生すれば儲からないような会計法にすればよいと思います。具体的には、経費として差し引けないことにすれば、無駄に仕入れて、廃棄という商売上の慣習がなくなるのではないかと。
 

書評有難う御座います。
雑草Z
    guyver1092さん

>洗脳が解けた衝撃以上のインパクトのある本は、洗脳するための本に洗脳されない限りないのではないかと。

なるほど、よく解ります。確かに槌田さんの書物より面白いとは言い切れません。槌田さんの書物は何冊読んでも面白いですね。金太郎飴状態なので、やはり初めの一冊のインパクトは凄いですね。
 一冊目ではありませんが、
熱学外論
は彼の書物としては読むのに時間がかかりましたが、非常に面白くて読み終えるのが惜しいくらいでした。

 さて、私にとっては「暴走する文明」は、槌田さんの書物とは多少違った意味でも非常に面白かったと思います。表現の妙に嵌りました・・・若干文学手法の技巧的するきらいはあるでしょうが・・・。まあそこが文明論として邪魔と言う方もいるでしょうが、私はそこも大好きです。


>不満としては、人類の進むべき方向が示されていない

との事ですが、普通に考え得る一般論

進歩の罠から脱し、持続可能な社会システムにパラダイムシフトしなければならないが、
進歩の梯子を登りながら、下の段を蹴落としてきたから非常に困難である・・・

などと言う事しか言えなかったから描かなかったのではないでしょうか。勿論過去からの事実を自分の視点で分析し、文明の暴走を状況把握する事がこの本の目的でしょう。
だから、


>各自が考えるようわざと書かなかった

とも言えましょう。



私はジャレド・ダイアモンドの
「文明崩壊」
より面白く入り込んで読めました。
guyver1092 さんは、「文明崩壊」のほうを評価しそうですね?

   ++++++++   ++++   +++++++  +++++

>廃棄食料品が発生すれば儲からないような会計法

は参考になりました。確かにそうすべきですね。

似たような事で
タクシーやトラックの長時間アイドリング(アイドリングしてエアコンつけっぱなしで寝たり・・)の解決法は、燃料代は定額支給で、自分の運転する車の燃料は自分で支払うようにすればよいと思います。
・・・でも今のところ、自腹でも平気でアイドリングしてエアコンつけっぱなしで寝てる人沢山いますね。


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2007-12-03 00:04
 過去最高を記録している最近の原油高は、これからもまだ続きそうです。
その事自体は、必ずしも悪い事とも言えないでしょう。原油が高くてみんなもっと省エネして節約した方が、環境にはいいでしょう。「環境税」と言うことを考えたなら、もっともっと高くてもいいでしょう。・・しかしこの原油高って、先物取引きなど投資家たちの投資、マネーゲームで上がっている部分が大きいのが嫌ですね。資本主義社会の常ですが、投資家の金儲けのために一般庶民の生活が苦しくなるのは酷い話です。公正ではありません。社会福祉にも反します。そう言う意味で、原油に投機して原油の高騰を招いている連中は皆、損をすればいいですね・・・。


 原油の需要がまだまだ下がっていないと言う事からは、石油の代替エネルギーがほとんど威力を発揮していないと言う事も見えてきます。バイオマス燃料も風力発電もソーラー発電もエネルギー算出比が本当に1を十分に上回っている・・つまり、そのシステムを作るため、及び運転するために必要なエネルギーの量以上に十分にそのシステムがエネルギーをに生み出しているかと言うことに関して、怪しいものばかりで、結局は石油のエネルギーを浪費して、代替になっていないのかも知れません。
・・・原発は論外です。何せ後処理にどれくらいのエネルギーを投入すればいいか未だに分からないくらいだし、半永久的に管理しなければならない厄介物です。事故を起こさなくても危険性もこの上なく原発をやるのは、人類の自殺行為です。

あれだけCO2温暖化とか不確実な事を騒いで、石油に代わるエネルギーを開発している筈なのに、未だにエネルギーの中心は石油であり、石油より有効なエネルギーは開発されていません。石油文明はまだまだ続くのかも知れません・・人類の歴史の終わりまで石油文明が続くとしたら悲しいものがあります・・?・

やっぱり石油に変わり得るエネルギーは炭水化物の内燃機関である人力だけと言うのは極論でしょうか?・・・
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【2007/12/03 00:04】 | 社会・経済 トラックバック(0) |


田中敬三
松尾嘉郎・奥薗壽子『絵とき 地球環境を土からみると』(農文協)に、狩猟採集、人力農耕、畜力農耕、機械農耕の、それぞれの獲得エネルギー:投下エネルギーが出ています。狩猟採集=4、人力農耕=10、畜力農耕=4、機械農耕=3.5ということで、人力農耕が一番エネルギー効率が高いのだそうです。機械農耕が最低。
日本で生産されるコメの場合、収穫されるコメのカロリー:投入されるエネルギーは、約1、野菜の場合は3だそうです。現状、コメや野菜を食べるということは、石油を食べているようなものなのです。石油がないと食べていけない今の人類の食料生産のやりかたは、非常にあやういです。
この危機の、おそらく唯一の脱出口は、人力農耕です。それを実現するには、人類のほぼ全員が食料生産にたずさわらなくてはならなくなります。
自分が食べるものを他人(国内外の農民)に作らせるという、人類がやってきたことが、そもそも間違っていたのでしょうね。


はすざわ
 いつも参考になるエントリーありがとうございます。

『やっぱり石油に変わり得るエネルギーは炭水化物の内燃機関である人力だけと言うのは極論でしょうか?・・・』

 全然極論じゃないと思いますよ。まあ、私も現代文明にどっぷり浸ってて、車だって乗り回してますから、あんまり大きなこと言えませんけど。

 残念ながら、石油文明は天然ガスを含めてこれからも相当長期にわたって続くでしょうが、その結果として人類は捨て場の枯渇に悩むことになる、いや、もう悩んでいるんですよね。
 
 雑草zさんがしばしばご指摘の通り、原発はあらゆる意味で人類最悪の選択だったのですが、これにしたってあくまで石油文明のなれのはて(『末期的石油文明』=槌田敦「石油と原子力に未来はあるか」による)なのであって、実は原子力が主役では決してないのですね。石油と独立して動くものではありませんから。

 槌田さんがおっしゃっていた通り、本当は「石油がなくても困らないように、石油を使って準備しておく」ことが大切なのですが、現代社会はむしろ石油を使えば使うほど、石油が必要になってしまっている状態で、あまり悲観的には考えたくはないけれど、ちょっと手遅れではないか、という気さえしてきます。

 この石油文明の遺産が前回のエントリーにあった、コンクリート砂漠というのでは、ちょっとシャレになりませんよねぇ。

 現代文明に浸りきっている自分が言うのもアレですが、やはり、人類が長生きするためには、経済圏を狭くすることと、特に食糧についてはその狭い地域での自給、それしかないんでしょうね、きっと。

人力農耕
雑草Z
    田中敬三さま

>この危機の、おそらく唯一の脱出口は、人力農耕です。

 実際に農業をされている方からのこのようなコメントは心強いものがあります。
 農薬、化学肥料、石油使い放題の大規模農家の方で
「自分で農業してないから、そんなことが言えるんだ」という反論する方もいるでしょうが、実がともなうとしっかり言い返せますね。

>それを実現するには、人類のほぼ全員が食料生産にたずさわらなくてはならなくなります。

 現在実現する事は、なかなか大変な事かも知れませんが、それが本来の人類のあるべき姿でしょう。持続可能な社会の条件かもしれません。

>自分が食べるものを他人(国内外の農民)に作らせるという、人類がやってきたことが、そもそも間違っていたのでしょうね。

 私も自給自足論者で、その単位は国家単位などと言う大きなくくりではなく、小さなコミュニティ単位がいいと言う持論ですが、敬三さんのおっしゃるように、家族単位が理想でしょうね。・・といいつつ私の家族自身は現在自給自足いたしておりません・・(汗)

 ×××××××× ××××××××

松尾嘉郎・奥薗壽子『絵とき 地球環境を土からみると』は、私も昨年図書館から借りてきて、隅々まで読みました。確か奥薗壽子さんは松尾嘉郎の娘さんで、絵を担当していましたよね?非常に読みやすい本で、このブログの参考文献にも何度かしています。その度に借りてきて、ちょっと汚してしまいました(汗)。しっかり購入して子供にも読ませたい本ですね。
 

人力-派
雑草Z
    はすざわ さま

>残念ながら、石油文明は天然ガスを含めてこれからも相当長期にわたって続くでしょうが、

 石油の予想埋蔵量は、だいぶ以前からいつも大体30年前後分であまり減ってませんからねぇ。まあ、いつか枯渇するものでしょうが、槌田敦氏も言っているように、生物起源の化石燃料説も少し怪しいようですし。100年くらい持つかも知れませんが、そのときの環境汚染を考えるとぞっとしますね。

>人類の歴史の終わりまで石油文明が続くとしたら悲しいものがあります

 と言うのは、勿論それで人類の歴史が終わって仕舞うと言う意味です。・・ブラックジョークで済めばいいのですが・・

同様に

>石油文明の遺産が前回のエントリーにあった、コンクリート砂漠という

もはすざわさんの言うとおりブラックジョークで済まされなくなってきています。

>あまり悲観的には考えたくはないけれど、ちょっと手遅れではないか、という気さえしてきます

と言うのに同感です。

>人類が長生きするためには、経済圏を狭くすることと、特に食糧についてはその狭い地域での自給、それしかないんでしょうね、きっと。

 それが私も環境問題を解決し持続可能な社会を作る為の、今のところ考え得る最善の方法と思っています。その事をプロパガンダするのがこのブログの大きな目的の一つです。

×××× ×××× ××××


 人力利用に対する賛同?有難う御座います。

 私は、人力推進派です。宜しければ左のカテゴリーの『人力』の部分を見てくださいね。

* 
 人力の事が主でない記事にも関わらず(・・と、いいつつ「人力だけ」の部分に色を着けて強調してますが・・)お二人続けて人力活用賛成のコメントを戴き、嬉しく心強い次第です。
 

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2007-12-01 00:04
都市考3
 
 コンクリート砂漠なんて比喩があります。都会の殺伐さを表現した例えです。
でも近い将来、比喩ではない実際のコンクリート砂漠が登場する可能性があるのではないでしょうか?

 砂漠と言うと、一般的には砂砂漠を想像しますが、砂漠にはまだ色々な種類があります。土砂漠、礫砂漠、岩石砂漠・・つまり、砂漠とは不毛の荒野を指すのです。 日本語で「砂漠」と言うと砂ばかりで水が少ないところという感じですが、英語で「desert」で荒野、荒れ地、不毛の地と言う意味です。
 勿論コンクリートも不毛ですから、コンクリート砂漠が存在しても不思議ではありません・・・って言っても詭弁とは言えないでしょう。

 否、実際砂漠の多くは、元々はそれなりの生態系があった土地だったのが、人間の開発によって、最後に砂漠になってしまったところが多いのです。そして、雨が降らなくなったから砂漠化したのではなく、砂漠化したから雨が降らなくなった場合が多いのです。
(槌田敦著 新石油文明論 p53~55)

 さて、都市は人間の開発行為の典型的な産物でしょう。
都市自体を一つの生物と考えると、生物どうしのつながりから考えて消費者としての動物でしょう。

 周囲の田舎から資源を搾取し、周囲の環境に廃棄物・・自然の循環をしない廃棄物も沢山です。・・・を排出しています。その物質のやり取りが出来なくなった時点で、または周囲の環境が汚染物質で溢れた高エントロピー状態で廃棄が不可能になり、その時点で都市は滅びるでしょう。つまり、現在の都市は、その名の通り、「砂上の楼閣」です。そして、滅んだ後の都市にはビルの廃墟、道路など一面にコンクリートが残るでしょう。・・・それがコンクリート砂漠です。
 
 現在のコンクリートのビルディングは、耐用年数を過ぎれば大きな廃棄物になります。
高度経済成長時代あたりから建てられたビルは今世紀中にみんな耐用年数が過ぎて、取り壊しても捨て場がなくなるのではないでしょうか?巨大都市のあれだけの摩天楼のビルの残骸をどこに廃棄するのでしょうか?想像しただけで身の毛もよだちます。
最近それを海に撒いて、海底山脈を作って漁場を作るとか言ってますが、場当たり的な対症療法で、大規模にやるべきではないでしょう。(どうして次から次へとこんな馬鹿みたいな対策が考案されて実行に移されるのでしょうか?)

 余談ですが、数年前に騒がれたビルの耐震強度偽装事件で、多くのビルが建て替えられましたが、壊したビルの廃棄物は膨大だったでしょう。その廃棄物についてはほとんど論じられませんでしたが、その膨大な廃棄物を出した事だけでも耐震強度偽装の罪は、大罪というべきです。 

 コンクリートジャングルなんて比喩もあります。都市の危険さを例えた比喩です。
 コンクリートジャングルがだんだんコンクリート砂漠になっていくのが現在の持続不可能な都市の成長と言うべきでしょう。


参考文献 

       新石油文明論;槌田敦著
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【2007/12/01 00:04】 | 都市/文明 トラックバック(0) |


nao
アイロニーとして思うのですが、特に先進国は人口が多すぎて文句が多すぎます。 いつからでしょう、人間はもっともっと神に感謝し、大地や天空に感謝する唯一の生き物だったのですが。 お金は確かに生きて行く上で大切なツールです。しかしながら、お金のために「情緒」って感覚を失ったのもまた事実です。

自然崇拝は失ってはいけない心でしょう。
雑草Z
 現代社会では、お金は必要ですが、必要最小限+α の+αを限りなく望む人が増え過ぎました。貧しい人の何千、何万人分もの財産を所有している個人が存在するなんて異常です。一方では、その+αさえなくて飢え死にする人も世界には10億人以上いると言われています。一握りの金持ちの人間が権力を持って世の中を支配している現代は、古代より野蛮かも知れません。
  

  自然崇拝とか輪廻思想とかを持った民族のほうが、環境破壊などもなく、社会に永続性がありますね。そして、幸せでしょう。
 
 『科学万能と進歩の時代』なんて、産業革命がもたらした幻想でしょう。実際にはとんでもない似非科学に踊らされて、疲れ果てて思考力が麻痺しているのが現代人ではないでしょうか。だから、破滅に導かれているのも気付かないのかも知れません。

 私も神に対する信仰心は持ち合わせておりませんが、現代の唯物論はあまりに危険です。 
 

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