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2007-11-29 00:03
都市考2
 
 西洋に限らず、多くの文明は自然を破壊し続けてきました。都市が出来ると、広大な周辺の森林は切り払われ、禿げ山になって行きました。
 しかし、荒れ地と禿げ山を豊かな森林に戻した文明もあります。それが江戸時代の日本です。
 江戸時代の日本では「都市ができるとまわりは森林になる」とも言われても決して奇跡ではなかったのです。

 江戸時代以前の戦国時代までは、山に柴刈りに行って水田に撒いて肥料にしたそうです。柴とは木の枝先の部分で、リンなどの養分が豊富に含まれています。しかしこの柴刈りで山は養分が収奪され続け、農業の発達とともに日本の山はどんどん禿げ山になって行ったのです。 
 そんなこんなで江戸時代になる頃までには、山は荒れて禿げ山になり、洪水が頻発していたそうです。そして江戸時代になってから、砂漠化がますます進んだのかと言うとそうではありませんでした。全国に成立した都市が、逆に砂漠化を救ったというから驚きです。素晴らしいではないですか?
 
 江戸時代の日本の都市は、江戸に限らず生態系の循環をしっかり考えた循環型社会だったのです。
  江戸時代の町の人々の夜なべ仕事は安い魚の油が使われました。鰯などを茹でた煮汁からとり、その副産物で出来る煮干しを干鰯(ほしか)として農家が、田んぼや畑に肥料として投入したそうです。そして豊かになった田んぼから小魚や虫が沢山発生しました。それを鳥がとって里山に帰り、ひなを育て、その糞が養分になり、またその中に含まれていた植物の種が発芽し、山に森林が復活したのです。
 禿げ山に木を植えても栄養がなければ育たないのです。鳥は養分も植物の種も供給したのです。

 そして豊かになった山から川が流れ、その養分がまた田に流れ込むことになり、それが収穫の7割を保証したそうです。この川の水は最終的に江戸湾(東京湾)などに流れ込んで、豊かな漁場になりました。この豊富な魚を求めて、江戸湾にクジラまでやってきたと言うから凄いものです。

 この米や魚などを食べた人から大量の人糞が発生し、人糞は都市周辺の畑などに撒かれ、野菜などになって都市に再供給されたのです。
 完璧な循環ではないでしょうか?
やはり、生態系に循環するものばかりを使い、それを確実に循環させることが基本でしょう。特に糞尿は、汚物として処理するのではなく、絶対に肥料として使うべきでしょう。

 都市と言っても、自然の循環を無視しては、持続は出来ないのです。
石油などのエネルギーの投入による強制的なリサイクルではなく、自然に循環するその都市に合った生態系の循環を構築するべきでしょう。糞尿などの有機物自体、豊富なエネルギーを持っているのですから。
 こぎれいな都市ばかり目指して、糞尿や食べ残しを見えないように廃棄して自然の循環に回さなければ、その都市だけでなく周辺も持続出来ません。

槌田敦さんは、
「人が魚と鳥と人糞尿を利用して、新しい強制循環を発生させ、これにより自然の循環を育て、世界を豊かにすることが可能」と述べています。江戸時代の昔からのこの方法論はこれからの世界の都市の進むべき方向でしょう。


参考文献
  新石油文明論      槌田敦著   p105~114
  エコロジー神話の功罪 槌田敦著   p176~189
  熱学外論         槌田敦著   p147~153


 江戸時代などの循環型都市については、槌田敦氏が得意とする分野であり、複数の書物で繰り返し述べている部分でもあります。『新石油文明論』と『エコロジー神話の功罪』のこの部分は、書いてる事が文体までほとんど一緒です。

 ちょっと危惧するなら、
槌田氏は、現在も魚を肥料と考えているようですが、そんなに魚は現在ませんから、それは無理でしょう。若干残酷ですし・・まあ、人間が食べた残りの骨や皮はいい肥料として使うべきでしょう・・・
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【2007/11/29 00:03】 | 都市/文明 トラックバック(0) |

循環がいかに重要であるかが理解できます。
おかっぱ頭
 江戸という都市が出来た事によって循環の輪が大きくなり、自然を豊かに甦らせたという訳ですね。本当に完璧ですね。
肥料として大切な役目を果たす糞尿が今の時代は下水に流され、化石燃料を使って作られた化学肥料が田畑に撒かれているのですから、この循環が断ち切られて、結果様々な環境問題を引き起こしているのですね。

 昨夜のニュース番組で、50億円という税金を投入して、汚泥から火力発電所で使用可能な燃料を作り出す施設が都内に完成したという内容を偶然にも報道していました。
その事自体、下水処理がもうパンク状態であるという事の裏返しなのだと思いますが、その燃料で作られた電気がイルミネーションとして都会の夜を彩るというような話でした。
 この完璧な自然の循環からどんどん遠ざかってしまって・・
その事は、持続可能な社会からどんどん遠ざかっているという事ですね。

循環は基本中の基本の筈が・・・
雑草Z
 江戸時代は、都市が循環型社会を築き、砂漠化を救ったというから素晴らしいですね。現在の自然破壊の都市よりも遥かに優れていたという事でしょう。・・それに比べ、周りの環境まで破壊する現代の都市のシステムは愚か過ぎます。
 
 汚泥から火力発電所を、素晴らしい技術と思ってしまう現代人は、汚泥を厄介な廃棄物と見るからでしょう。
 汚泥にする前に自然の循環に回せば完璧なのに、不必要な迂回をさせて石油を沢山投入しているのですから、素晴らしいとは言えません。下水に流れるものは、それ自体、エネルギーを持っているのですから・・。人力程度以外他のエネルギーの投入がほとんど要らないシステム(=江戸時代のシステムなど)にすべきです。

 日本は江戸時代から第二次世界大戦あたりまでは、循環型と言えたのではないでしょうか?戦後にアメリカナイズが進んでだんだん酷くなって行ったのでしょう。肥溜めもアメリカの占領軍が「非衛生」だと言う理由で埋めさせたと言います。
 現代の非循環型の都市は、砂上の楼閣です。持続する筈がないでしょう。
 

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2007-11-27 00:02
都市考1
 
 例えば、都会で生まれ育った人の中には、都会だけで世の中が成り立つ事が出来ると考えている人がいるのではないでしょうか?そこまで愚かでなくとも、都市が成り立つためには、その都市の何倍もの広さの郊外の田舎;農地、森林、河川や海がなければならないことを理解していない人間が多いのではないでしょうか?
 エコロジカル・フットプリントの例を出すまでもなく、現在の都市は、その周りの多くの自然・・森林や農耕地や川や海などがあってこそ存在出来るのです。

 都市が周りの田舎から遮断されたら、空気だって、すぐに汚くなり酸素が減り二酸化炭素やNOx、SOxなどが増えて息苦しくなるでしょうし、食料も、すぐに在庫がなくなってしまうでしょう。廃棄物もすぐに溢れ、街はゴミだらけ、汚物だらけになってしまいます。・・実はこの廃棄の問題が結構深刻です。

 現在の日本の都市は勿論の事、世界中のほとんどの都市は、周りの環境におんぶにだっこをして成り立っているのです。周りの環境から資源を吸収し、廃棄物を出して、その存在を保っているのです。大都会が成立するためには、周囲の環境とのすみやかな物質の交換・・食料、製品などの有効な資源を周りから貰い、廃棄物を回りに出す為の交通網や、上下水道、その他の頻繁な物資、エネルギーのやり取りが必要です。その為に現在は多くのエネルギー、特に石油を大量に消費しています。この外部とのやり取りが途絶えたら、都市は、新陳代謝が出来なくなった生物のように、すぐに死を迎えるでしょう

 都市自体の生態系は、既に色々破壊されてしまって、ぽつんぽつんと分断された生態系が細々と残っているだけです。そして、その都市が物的資源やエネルギーを浪費することによって、周りの生態系もさらに破壊されていきます。

 現在の都市は、周囲の自然環境から資源を搾取し、周りの環境に(自然の生態系で循環しないものまで)廃棄物を放出することによって成り立っています。つまり周 りの環境を破壊しながら成立しているわけです。このような形態の都市は、いずれ周囲の環境も破壊して、持続出来なくなって滅びていくでしょう。
 
 江戸時代の日本の都市は、江戸に限らず生態系の循環をしっかり考えた循環型社会だったので、長く持続出来ました。持続可能な都市は循環型でなければなりません。(このことに関しては次回書きます。) 
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【2007/11/27 00:02】 | 都市/文明 トラックバック(0) |
2007-11-25 00:01
エコロジカル・フットプリント[Ecological Footprint]
とは、直訳すると「生態学的足跡」、つまり人間が生活活動をする時に、地球の自然環境、生態系をどれだけ踏みつけているかと言う目安です。人間が生活する上で消費する自然資源を面積で表した量です。あるエリアの経済活動などの規模を、食料のための農牧地や海、木材・紙資源やCO2吸収の為の森林などの面積に換算した値です。

 単位はグローバル・ヘクタール[GHA]で、1GHA は、生物学的生産能力が世界平均と等しい1ヘクタールです。
 エコロジカル・・フットプリントの試算方法もいろいろあり、計算式が不完全だとかの批判もあるようですが、有限の地球上での計算値ですから、誤差範囲は大きくとも、持続可能な社会の為に人間が生活活動をどこまでしていいかの目安になることは確かです。

 エコロジカル・・フットプリントは人口と一人当たりの資源消費量、資源効率によって変化します。これから未来は資源効率は向上するでしょうが、それは徐々にでしょうし、飛躍的な技術革新があったとしても限界は存在するでしょう。だから人口抑制と一人当たりの消費の抑制は必須です。

 例えば、エコロジカル・・フットプリントジャパンの試算では、日本人のエコロジカル・フットプリントは、一人当たり4.4GHAですが、日本の環境収容能力は、国土の広さから(海洋を含むかどうかは不明ですが)一人当たり0.7GHAしかありません。つまり、日本は許容収容能力の6倍の消費、5倍オーバーと言うことになります。今の消費水準(生活水準)では、6分の1の人口、2000万人ぐらいしか持続可能に養えないと言うことです。人口を現在の水準の1億2000万を保つなら、消費水準GDPを6分の1に下げよと言うことになります。
 この、許容量より5倍オーバーしている分は、海外の国からの輸入に頼って、間接的に海外の土地を消費したり、日本の環境を再生不可能なレベルまで過剰に荒らしていることになるわけです。
 エネルギーや資源の消費レベルは6分の1まで下げるのは可能ですが、食料を食べる量は、そこまで下げるのは無理でしょう。だから、たとえ消費レベルを落としたとしても、人口抑制は必要でしょう。
 早急に人口を2分の1の6000万、ひとり当たりの消費レベルを3分の1くらいにしなければならないでしょう。余裕を持たせて考えれば、それぞれ4分の1レベルってところでしょうか?

 ちなみにアメリカ人のエコロジカル・フットプリントは、一人当たり日本人の2倍以上の9.6GHAですが、環境収容能力は4.7GHAで、あの広大なアメリカでさえ、収容能力を超えています。

 2001年の世界のエコロジカル・フットプリントは、一人当たり2.2GHAです。許容収容能力は1.8GHA(公平な割り当て)ですから、地球の生物生産能力を20%以上回っています。この地球規模の超過は、1980年代にはじまり、それ以降ずっと拡大しています。この超過は、自然の再生能力よりも消費の速さが速いと言う事ですから、地球の再生可能な生物資源・・・森林や水産資源・・動植物を減少させ、枯渇に向かわせると言うことです。従ってこの超過は限られた期間しか続けられない事になります。
これが限界を超えたと言われるゆえんです。
 最近良く言われている地球何個分の消費量と言うのはこの事です。
世界中の人々が日本人や並の暮らし(浪費レベル)をはじめたら、地球が2.4個必要(4.3÷1.8)必要だとか、アメリカ人並なら5.3個 (9.5÷1.8)だとか言うものです。
現在の多くの国は、そんな事を無視して勝手にエコロジカル・フットプリントの許容能力を超えていたり、これから超えようとしています。

 数値的なものは、不確かだからかなりの誤差範囲があるとは思いますが、楽観的な予測でも、そろそろ持続可能な社会の限界は超えているでしょう。
限界ぎりぎりの生活でもかなり危険で恐ろしいではないですか!やはり、自然の再生能力の許容量内、限界の何分の一のレベルで押さえるべきでしょう。

だから、人口も経済も成長路線からは脱しなければならないのです。 
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【2007/11/25 00:01】 | 環境総論 トラックバック(0) |
2007-11-23 00:02
 トリクルダウン[tricle down] とは、水などがぽたぽたしたたり落ちることです。高いところから低いところに滴り落ちる時に使います。

 トリクルダウン理論[trickle-down theory;滴下理論]とは、富める者が富めば、それが順々に滴り落ちて[tricle down]、社会を潤し、貧しい者にも富が行き渡ると言う理論です。

 この理論による具体的な政策としては、大企業や富裕層の経済を活性化させるために、所得税の最高税率を引き下げ累進課税を緩やかにして、金持ちの税金を減らすことなどがあります。・・それによって、間接的に福祉も増大すると言う理論です。
 格差を肯定する為に、格差が社会全体の利益になると言うご都合主義の理論と言えるでしょう。これは理論と言うにはお粗末な、御用学者による金持ち優遇策ではないでしょうか?
 現代の中国もこんな理論によって、億万長者が現れて、どこが共産主義国か分かりません。

 確かに水であれば、一番高い所・・山の頂上・・にでも十分に注げば、水は流れ落ちて、色んなところを潤し最後は海に注ぐでしょう。・・・でも、お金は、金持ちから貧困層にどんどん流れる性質などありません。そんな性質があったなら、とっくに貧困の問題は解決している筈です。今頃、格差問題が顕著になる筈がありません。 

 この理論を肯定する人々は、お金が富裕層から貧困層まで行き渡るから、どの層も得すると考えているのかも知れませんが、お金は回れば回るほどいいと考えるのは経済学者の浅はかな知恵です。
 普通、経済活動には環境負荷がかかるのです。お金の余った富裕層にさらにお金を持たせると、必要のない環境破壊も起きるのです。

 国民の福祉政策として、富裕層に投資して、それが拡大再生産されて貧困層までの福祉が増大するなんて云う滴下理論はかなりの詭弁でしょう。金持ちという大きな坪の中に水が溜め込まれて、本当にごく一部が下に落ちるだけです。そんなことするくらいなら直接それぞれの福祉に投資した方がよっぽど効果的でしょう。

 
ある英和辞典に
トリクルダウン[tricle down] とは、「おこぼれ式経済政策」と書いてありました。
これが一番近いニュアンスではないでしょうか?
 つまり、格差社会を肯定し、最初、金持ちにお金が注がれている間は、貧民は我慢して格差社会を支えていれば、金持ちが十分となったら、貧民もおこぼれにありつけますよと言う、貧しいものを馬鹿にする理論に聞こえます。金持ちは本来、物質的には既に十分持っている筈なのに、人間の欲望・・特に金持ちの財に対する欲望・・にはきりがありませんから、これで十分とは滅多にならないでしょう。・・・格差社会を容認し、あくまで富裕層優遇のとんでもない政策ではないでしょうか?貧困層にはおこぼれ・・?

 
 さらに、お金は、大抵金持ちから金持ちに流れます。貧乏人には出来るだけ必要最小限のお金しか渡さないようにしているのではないでしょうか?そうではない金持ちもいるでしょうが、金に執着しているから金持ちになるのです。世の中には能力が高く、努力する人間は沢山いますが(別にそれが偉いわけではありませんが、)その中で、金を貯める事に固執する者が、時に不正をしまでも金持ちになるのではないでしょうか?だから、富裕層にお金を落としても、自分で溜め込んで、自分の為に使った時に、たまたま、おこぼれが貧困層に流れると言うだけで、実際は貧困層から搾取していますから、貧困層はますます貧困になって格差が開くのではないでしょうか?・・・

 こんな滴下理論をさも、大した理論として実際の政策にまで移す政府って、誰の為の政府なのでしょうか?
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【2007/11/23 00:02】 | Economic Fascism トラックバック(3) |
2007-11-21 00:01
いわゆる高度経済成長時代と言うのがとっくの昔に終わった日本は、バブル経済を経て、それ以来経済は伸び悩んでいます。最近、2002年以来、戦後のいざなぎ景気を抜いて、好景気の最長記録を記録したなんて言ってますが、いざなぎ景気はGDPは毎年10%くらい伸びましたが、今回の好景気は、GDPの伸びが毎年1%とかです。いざなぎ景気の方が、よっぽど経済成長を実感していたでしょう。つまり今回の好景気は4,5年~10年でやっといざなぎ景気の1年分の経済成長ですから、まだいざなぎ景気の1年分くらいなものです。・・・個人的には現在の経済規模は大き過ぎて持続不可能だから縮小すべきだと言う持論ですから、経済が成長するにしても鈍い方が歓迎です・・・。
  
 日本だけではありません。いわゆる先進国と呼ばれている国々では、経済の低成長、または、停滞、さらにはマイナス成長も頻繁に起こるようになってきました。現在経済成長が著しいのは、NIEs諸国(韓国、台湾、香港、シンガポール、メキシコ、ブラジル、ギリシャ、ポルトガル、スペイン)BRICs諸国(ブラジル、ロシア、インド、中国)など、それまで、近代化が遅れていて、近年急成長をはじめた国々です。それらの国でももう伸び悩みをはじめた国もあります。

 経済成長が鈍化した国が多いのは何故か?答えは簡単です。・・・もうスペースも資源も目一杯使っていて、これ以上増やす事に無理が生じているからです。

 それを認めたがらない成長論者達は、色んな解決策を試みます。・・・作為的にインフレを作ったり、発展途上国と呼んでいる国のまだ開発が進んでいない地域、分野へ進出したり,そして国内需要の開拓を図ろうとしたり・・・なんで需要を作為的に作るのでしょう。こんな馬鹿なお話はありません。

  これらは全て経済成長の末期症状です。

 例えば、新製品の需要を作るために、最近は、共通規格をいじるという禁じ手に出ています。テレビの需要が飽和してきたので、画面の横縦の比を4:3から16:9に変更したのだけれど、賢くなった消費者はあまりそれに踊らされなかったので、今度は地上デジタル放送に完全切り替えと言う暴挙に出ました。これで、買い替えなければ(またはチューナーを付けなければ)テレビが見れなくなります。そんな暴挙を政府も公認です。
 
 財政が破綻しそうでも、不要な・・と言うよりも環境破壊にしかならない住民が望まない公共工事を続けています。道路、ダム、湾の干拓、河口堰・・・・

 先物取り引きなどのマネーゲームでプチバブル経済を作っていきます。
 挙げ句の果てに、人件費を減らすために、同じ仕事をしても給料の少ない保証も余りない派遣を増やして格差社会を作り、裕福層は、自分達だけでも経済発展・・収入拡大しようとしています・・・

 こんな末期的な症状を対症療法的な・・・『持続的な経済成長』という無理な対策で乗り切ろうなんて考えるべきではありません。そんな事しているうちに、間に合わなくなります。文明崩壊です。
きっぱりと脱経済成長を宣言するべきなのです。
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【2007/11/21 00:01】 | Economic Fascism トラックバック(0) |
2007-11-19 21:53
お好み焼きを作る時、・・・もんじゃ焼きでも卵焼きでもなんでもいいのですが・・・まあお好み焼きを鉄板で作ることを考えます。
 はじめ、材料を鉄板の中央にのせたときは、鉄板の全方向へ広げられます。どの方向へも自由に広げられるので、鉄板が無限に広いと考えて、自由にお好み焼きを大きく広げても大丈夫でしょう。(近代経済学)・・普通お好み焼きを作るときは、鉄板の広さがあれば十分でしょう。
 しかし、お好み焼きをどんどんどんどん大きくしようと考えたらどうなるでしょう?・・・・材料が鉄板の端まで到達したらその先までは広げられません。そこからは具は落ちてしまいます。もっとお好み焼きを大きくしたければ、具をお好み焼きの上へ重ねていくしかありません。・・・・そんな事したっておいしくないでしょうが、おいしいお好み焼き(=幸福な生活)が目的ではなくなり、お好み焼きをどんどん大きくする事(=経済成長)自体を目的にしたらどうなるでしょう?材料を上へ上へと厚く重ねていくしかありません。・・・勿論、下の土台の大きさが限られていますから、次第に縦長に細く伸びて行き(それってお好み焼きじゃないですね..笑)不安定になっていき、いつかはお好み焼きのバベルの塔は倒れてしまうでしょう。

 普通そんな馬鹿な事は考えないでしょうが、そんな馬鹿な事が、経済成長の本質ではないでしょうか?
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【2007/11/19 21:53】 | Economic Fascism トラックバック(0) |
2007-11-17 00:01
神話[myth]と言うと、ギリシア神話や古事記、日本書紀のように 神にまつわる様々な話であったり、自然や人間についての色々な事象を、神の作為 によるものだとした説話を想像します。神が出て来なくても、科学的ではなく、超自然の神秘的な力の作用として語り伝えられた話でしょう。
 
しかし「成長神話」の「神話」と言うと、ちょっとニュアンスが違いますね。
「成長神話」と言った場合の神話は、一般的な「神話」の意味ではなく「信仰」の意味が強いかも知れません。
 「信仰」とは、神仏など絶対の存在を信じ、その威徳にすがることです。「成長信仰」も、過去の実績をもとに「経済成長」を絶対的価値と捉えた、自然から隔離された想像力のない人々の盲信的な宗教でしょう。カルトよりも愚かな宗教ではないでしょうか?
これまで、ずっと成長してきた・・・と言う過去の実績、【短い経験・】を根拠にこれからも成長を続けるものだと言う「妄想」「楽観」「強迫概念」ではないでしょうか?
「これまで、ずっと成長してきた」という「過去の実績」も実はせいぜいほんの数百年です。ギリシア神話や日本の古事記、日本書紀の方がよっぽど歴史があります。
 例えば「経済成長」を産業革命以来と考えてもせいぜい2~300年、それでも途中で恐慌などもありました。
 「成長神話」と呼ばれた産業も、みんなすぐに頭打ちになっています。これは、長くとも数十年のスパンでした。ファミレス、学習塾、コンビニ、IT・・・・
 日本の製造会社の多くで、「成長神話」が崩れてきています。家電メーカー、自動車メーカー、パソコンメーカー・・・・買い換え需要しか期待出来なくなってきました。

 経済の「成長神話」は、飽和の時期、つまり行き詰まりを露呈しています。それに伴って経済は普通に成長するものから、しなければならないもの、させなければならないものと、次第に強迫的なものに変わってきたのではないでしょうか? 

 「成長神話」の「神話」たる所以は、「無条件に信じ込まされてきたもの」と言うニュアンスがあるからでしょう。・・・たったそれだけのものに現代の国家が振り回され、それによって、人々の生活は混乱させられているのです。自分達は科学的だと言いながら、こんな根拠のない神話に踊らされている人々は、やっぱり救いようがないのでしょうか?大自然の力を畏怖し、神やたたりや迷信を信じる人々の方が遥かにまともでしょう。 
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【2007/11/17 00:01】 | Economic Fascism トラックバック(1) |
2007-11-15 00:01
第三世界[Third World] とは、 アジア、アフリカ、ラテンアメリカなどのいわゆる発展途上国の一般的な総称でした。冷戦時代、自由主義諸国である西側陣営の第一世界、社会主義諸国である東側陣営の第二世界に対し、どちらにも属さなかった国々です。第一世界も第二世界もともに先進国(?)だとして、それ以外の発展・開発されていない国を第三世界と呼びました。でもこの分け方って、何か変ですね。第一世界と第二世界の区別は社会体制ですが、第三世界だけ、開発の程度(低さ)で分類しています。

 その後、ソビエト連邦の崩壊を経て、第一世界の人々をはじめ多くの人が、進歩には、自由主義しかないと結論づけ、気の早い単純思考の学者などは、資本主義と民主主義こそ歴史の最終到達地点だと結論づけてさえいます。随分と強引で短絡的発想です。キューバなどのように優れた社会主義国家も存在します。第一、資本主義と民主主義って、本来はセットの概念ではありません。  
 
 さて、これまでの先進国、途上国の区別ではなく、社会の形態として、第三世界を定義し直してみます。
 第一世界、第二世界というものも冷戦終結以降かな り変化してきて、第二世界は多くが第一世界に戻りました。中国も共産主義とはいい難くなっています。これまでいわゆる発展途上国と言われた第三世界の中にも、必ずしも途上国とは言えないほど開発された国もあります。だから、これまでのようにアジア、アフリカ、ラテンアメリカなどのいわゆる発展途上国の一般的な総称ではなく、新しく第三世界を定義し直してみます。
 自由資本主義の第一世界に対してその後現れた社会主義の第二世界は、理想郷とも捉えられ、社会の進む方向と考えられましたが、ソビエト連邦の崩壊以降、社会主義国家の多くが崩壊しました。この、第一世界とも第二世界とも違った形態の社会として、第三世界を定義し直してみます。

 第一世界の自由、資本主義社会も、第二世界の社会、共産主義社会も、どちらの陣営も、開発すればいくらでも存在すると仮定した無限の大地と無限の資源を前提として出発していますから、有限の地球上で、ここまで人口、生産、経済が大きくなると、かなりの歪みが生じます。持続可能な社会ではありません。
 それに対して定義する第三世界は、経済成長を前提としない脱経済成長主義国家です。
地球の環境問題を考えた場合、この脱経済成長の第三世界でなければこれ以上の社会の持続は無理でしょう。

 第三世界というよりも、第三社会と云うべきかも知れません。

 現在脱成長を支持する人々は徐々に増えています。ヨーロッパにも日本にもそんな政治家も現れ始めています。いわゆる緑の政党です。20世紀も終わりに近い頃に出現したこの政党は、歴史を遡ると脱経済成長と言うよりは、環境第一の市民派の政党だったようですが、脱経済成長も掲げるようになってきています。

 経済成長路線の自由経済世界は、破綻の滝つぼへと突入しています。グローバルに合流して大きく一つになった文明と言う船が、崩壊の滝壷へ加速運動しているのがこの浪費文明世界です。滝つぼへ落ちる前に舵を切って、この崩壊の滝つぼへの急流から脱して脱経済成長としての第三社会への移行が出来るかが問題です。非常に大きな抵抗のある難関山積みの舵切りでしょう。
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【2007/11/15 00:01】 | 社会・経済 トラックバック(0) |


nao
食品の偽装があれこれですが、これこそが経済成長の破綻の始まりでしょう。正直に言って偽装や不正でもしない限り、これ以上の売上高の前年度比のクリアは無理です。ありえません。これ以上売上高を伸ばすには「不正、偽装、破壊」以外になすすべがありません。そんな歪みが、まずは根本である「食」の分野から出てきたのでしょう。真面目な方々だけに残念でなりません。


nao
あ、それと西側がチャドで逮捕されたようです。http://www.google.com/gwt/n?u=http%3A%2F%2Fdarfur-news.seesaa.net%2Farchives%2F20071105-1.html&hl=ja&mrestrict=xhtmlchtml&inlang=ja&client=ms-kddi-jp&q=%E3%82%BE%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%81%AE%E6%96%B9%E8%88%9F

経済成長の何でもありの悪あがき
雑草Z
    naoさま 

その通りですね。経済成長はかなりの


>偽装や不正でもしない限り、これ以上の売上高の前年度比のクリアは無理

 ですね。

>これ以上売上高を伸ばすには「不正、偽装、破壊」

これも、地球のキャパが飽和した現在は、本当にその通りだと思います。
そこまでして経済成長しなくてはならないと言う感覚は、信仰でしょうか?
 nao氏のコメントと似たような事を「経済成長の末期症状」とでもタイトルをつけて、近く記事にする予定でいます。

 でも食品偽装で思う事は、材料などの虚偽の記載は許されませんが、賞味期限の改ざんや引き伸ばしの理由の、「勿体無い」と言う部分は言い訳かも知れませんが理解できます。それで、食中毒を起こした人が出たら問題ですが、そうでなければ、日本の食糧は輸入に頼っているくせに賞味期限を厳しくしてすぐに捨てるのもあまり賛成できません。


>西側がチャドで逮捕されたようです。

このニュースは数日前ラジオで聞きましたが、その時はあまり詳しい内容でなく変な事件だなと思いました。ご紹介の記事を読みますと、この団体は、フランスのNGOとの事ですが、いかがわしい団体のようですね。子供救済の慈善団体のふりをした誘拐団体と言うところでしょうか?まだ良くわかりませんが、目的は何だったのでしょうか?。 

 

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2007-11-11 00:42
GDP[ Gross Domestic Product 国内総生産] は何を表す指標として適しているでしょうか?
 経済活動の総量をお金で計った量ですが、その経済活動の大きさが、人間の生活、社会の何の目安になるか?と言うことです。つまり、このGDPが何と最も相関関係が強いか、GDPの数値が表すものは、何の指標と考えるのが最適かを考えてみます。

 一般に、言われることは、「景気の良さ」でしょうか。しかしこの言葉自体、
 ”景気がいい=経済活動が盛ん”  と言うことが『良い、好ましい』というGDPが高い事が好ましいと言うを肯定する表現です。「好景気」なんて言葉も同様です。まあ、かなりの昔であれば、経済活動が盛んでも、生産物も廃棄物もほとんど自然を循環するものでしたから、経済活動が環境破壊には現在ほど深刻に結びつかなかったかも知れません。・・・乱獲、乱伐採くらいでしょうか?・・・でも現在は、経済活動に伴って、大きな環境破壊が行われています。
 だから、経済活動の大きさを示す言葉に、好ましく肯定的な『良、好』などの表現を使うのはそろそろ改めるべきでしょう。こう言うところにも経済成長至上主義の洗脳があるのです。

 『国民の豊かさの指標』と言うにはあまりに杜撰でお粗末なこの概念は、その本質に反して、今でも国民の豊かさの指標として、ほとんどの国の政府がこのGDPの伸び、すなわち経済成長を目標にします。
 そんな成長至上主義者達の経済ファシズムの洗脳に頭を占領された愚かな経済学者や財界人や政治家達の示すところの「豊かさの指標」に関してはいくらでもそのへんに転がっているでしょうが、そんな陳腐な議論は致しません。

 GDPが本質的に示すことは、「物やエネルギーの浪費レベル」でしょう。
 同じ事をするのに、エネルギーや物的資源を沢山使った方がGDPが増えます。資源的効率で言えば、「効率の悪さ」と言うことになります。つまり「浪費レベル」です。
 同じ一人の人間が生きていくのに、一人当たりのGDPが大きいと言うことは、効率が悪いと言うことになります。つまり、「浪費レベル」です。
  そこから帰着するGDPのもう一つの指標は、「環境破壊レベル」でしょう。物やエネルギーの浪費が環境を破壊します。・・・「環境破壊レベルとGDP」では相関関係がピッタリ一致しないと言う反論はあるでしょうが、少なくとも「豊かさとGDP」の相関関係よりは、ずっと相関関係がいいでしょう。勿論ここで言う「豊かさ」とは、物質的な豊かさの事ではありません。・・・・物質的な事を除いた「真の豊かさとGDP」は、”負の相関関係”があるかも知れません(笑)


 兎も角、GDPは、豊かさの指標というには程遠い代物ですが
GDPは浪費レベルの指標として大変優れた指標
と言えるでしょう。


※以前書いた関連記事 【GNPに代わり得る指標】
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【2007/11/11 00:42】 | Economic Fascism トラックバック(0) |

確かにGDPは、一偏的見方です
aguri
雑草さんの考えが少し理解できて来たと思います。GDPとか言うものは、物質的富を、お金でのみ測ったものです。衣食住もこれで裕福さが測られます。ただ、この測り方で人間が幸福であるかどうかは別物ですね。ヒルズ族の人が本当に苦福か??

GNH(Gross National Happiness) この考え方は、ブータンの人たちの考え方でしたっけ?この考え方が根底にあれば、環境破壊も起きないのは確かであると考えます。

これは、人間の哲学的生き方と言うより、元々人間が持っていたライフスタイルであると思います。残念ながら人類は、進化と富を、地球の自然を破壊しても、ことの重大性を認識せず、勘違いしながら進んでいるようです。

GDPが豊かさの指標では心が貧し過ぎです。
雑草Z
 
「GDPが豊かさの指標」は、経済至上主義者の洗脳ですね。ヒルズ族なんて、持続不可能な社会の典型的な人種かも知れません。
GNH(Gross National Happiness)に対する私の考え方は、本文最後のリンク【GNPに代わり得る指標】に書いておきました。もし、暇があればお読みください。

>これは、人間の哲学的生き方と言うより、元々人間が持っていたライフスタイルであると思います。

 そうですね。自然とともに生きていた時代の人間は大体共通に持っていた概念かも知れません。普通に考えられる普遍的な幸福でしょう。

GNPを伸ばす、すなわち経済成長することの代償が

>地球の自然を破壊しても、ことの重大性を認識せず、勘違いしながら進んでいるようです

 ですから、とんでもないですね。地球の自然を破壊してまでやることではないですね。どっちが大切かなんて議論するまでも無いのに、経済成長が大切だと考える輩が沢山いるから困ったものです。それが現在の環境危機の元凶でしょうね。GNPを伸ばすことを目的にするなんて、非常に愚かなお話です。

 経済 

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2007-11-09 00:01
 第三世界、いわゆる「開発途上国」とか「発展途上国」とか呼ばれている国の人々の多くは、色々なところからの情報に煽られて、先進国の生活水準に憧れます。先進国や国連の様々な開発関連の機構は、様々な開発によりその夢が達成されると途上国の人々を誘惑します。そう、自国や自らの利権の為に途上国を誘惑するのです。

 「環境危機をあおってはいけない」などと成長神話を信じている人々は、途上国の環境対策に躍起になるより、その費用対効果を考えれば、その国を援助して開発して先進諸国並な生活が出来れば、様々な環境問題も解決し、途上国の人々も幸せになれると論じています。

 人類史の中でも産業革命以降の特異なほんの200年ばかりの時代を挙げて、「人類は経済成長し続けたのだから、人類はこれからもうまくやっていけるだろう」などと、経済、統計学者が太鼓判を押します。

 先進諸国だけでも、現在の物質的生活レベル(浪費レベル)を維持していくのは不可能なのに、途上国の巨大な人口が先進国の生活水準に達してそれを維持する資源は地球上にはありません。途上国の開発は人類全体の自殺行為です。先進国は、自国の中で資源を自給自足してるのではないのです。自国だけでなく途上国の資源までもを食いつぶして、さらに廃棄物なども途上国に押し付けて今の生活水準を保っている状態だからです。
 いわゆる途上国に経済成長するな!と言うばかりでなく、先進国も経済レベル(浪費レベル)をこれから桁違いに落としていかなくてはならないでしょう。

 『途上国の開発』は、人類の破滅への道を加速します。いわゆる途上国が先進国並みの生活を出来るようにするのではなくて、先進諸国が、物質、エネルギー的な生活水準を下げて途上国に合わせるべきなのです。

 
余談ですが 
 かつては、低開発国[Less Developed Countries] ,
後進国[Undeveloped Country]などと呼ばれていた第三世界の国々が、「成長しない国」、「未開国」の意味が含まれ差別的だとして、開発途上国[Developing Country] と呼ばれるようになったといいますが、
開発途上国[Developing Country] のほうが、よっぽど間抜けな呼び方に聞こえるのは私だけでしょうか?
 
 Less Developed Countries=低開発国 , 
 Undeveloped Country=後進国 
では、日本語訳があまりよくありませんが、直訳して

 Less Developed Countries=あまり開発されてない国 , 
 Undeveloped Country =開発されていない国 
 と呼べば、

 先進国[Developed Countries]などよりも優れている響きではありませんか?
持続可能な社会に感じます。

 「発展途上国」と言っているけれど、その住民全員がもともと「発展」したかった訳ではありません。先進国が、「開発」の名の下に資源を略奪したり、開発の援助金が目的であったり、自国で需要が頭打ちになったので、途上国に消費者をもとめて、その為に途上国を「開発」しているのです。原住民の多くは、自らを先進国[Developed Countries]なんて呼ぶ不遜なずるい国々に開発なんてして欲しくないでしょう。
 開発途上国[Developing Country] なんて嫌らしい言葉は使いたくないですね。
 このブログでも、仕方がないから使っていますが、「いわゆる途上国」とか「先進諸国が呼ぶところの途上国」とか使ったりして、「私は使いたくないよ」
と、多少アピールしています。
同じような内容は、このブログの初期の頃にも記事に致しました。
 → 【発展途上国という言葉】  
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【2007/11/09 00:01】 | Economic Fascism トラックバック(0) |

おなじように・・・。
天地 はるな
田舎に道路や家が建ってくると、
「開けてきた」といった言い方をします。
この言い方も私は嫌いです。
開けてきたのではなく、自然が壊されたというべきだと思います。



aguri
Undeveloped Country と言うと物質的に貧困を意味し当該国に失礼と考えられ、国際的には死語になりつつありますね。世界の富はほんの一握りの人たちにより基準が一定しない富、紙のお金、株、条約、契約書などで動いています。

世界経済は実体経済とは別物になっています。これが問題です。資源や健康な環境が約束あるいは無制限にあるという前提。そして生産・消費が自転車操業のようにペダルをこぎ続けるかのように行われているからです。まだ経済活動が、金、銀、銅などの限られた価値に基づいていた経済の時は、無制限な生産・消費に歯止めがあったのですが。今は違います。

これはアメリカ型消費経済が招いた大きな罪です。実体のないクレジットで借金、消費する社会。使い捨て。これらに歯止めをかけることが大変困難になっています。その意味で銀行も実際に言うと実体のない金利を伴うお金(本当の金属でない紙幣)を扱っている詐欺組織とも言えなくはありません。国家も同罪、紙の国債を発行してます。考えるに、このようなシステムを作ったユダヤと金利を認めないイスラムの対立は、このようなところにもあるかも知れません。

さらに、Developing Countries 特に大きな人口を有する中国、インド、さらに将来、人口爆発を起こしているアフリカ諸国。これらの国々、地域の人たちが、俗に言う、Developed country 並みの生産・消費社会を求めるようになるとどうなるか・・・・・・・地球規模のTurning Point であることは間違いがないようです。

開発は素晴らしい事か?
雑草Z
    天地 はるな さま

 そうですね。「開けてきた」という表現は「開発された」と言う事とおなじで、好ましい意味で使う人が大多数だったでしょうね。 でも、それはおっしゃるように
>自然が壊されてきた
 と言うべきですね。”開発”ってホントに酷い自然破壊です。開発業者なんて無くなればいいですね!
考えてみると、そんな言葉を何の躊躇もなく使う人は、御目出度いのかもしれません。

 しかし、現在は、
「この辺も開けてきて自然が壊されて住みにくくなった。」
と言う方も少ないですが徐々に増えて来ました。

 【身近な環境は破壊されていないって】で述べたように、久しぶりに・・何十年ぶりに懐かしの場所に行ってみたら、すっかり開けてしまって、昔の自然が壊されて悲しく感じる人も増えてきているようです。
 開ける=開発される 
 を悪い意味に捉えるよう社会意識を作っていきたいですね! 

Undeveloped Country =Unwasted Land
雑草Z
    aguriさま

 経済についての色々なご意見&情報有難う御座います。

>世界経済は実体経済とは別物になっています

そうですね。バブル経済も実態の無いマネーゲームで実態よりずっと膨らんで破裂したわけですね。

>金、銀、銅などの限られた価値に基づいていた経済の時は、無制限な生産・消費に歯止めがあったのですが。今は違います。
 
 なるほど、限られた価値に基づく経済でも十分環境汚染はあるのに、実態の無い部分もある経済活動が、現実の環境を破壊していく訳ですか!?酷いもんですね。

>このようなシステムを作ったユダヤと金利を認めないイスラムの対立

 やはりユダヤがこのようなシステムを作ったのですか?ユダヤは世界の経済を牛耳っていると言われますが、実態はどのようなものでしょう?このようなシステムを作ったのなら、酷い事です。金利を認めないイスラムってある意味堅実ですね。でもオイルマネーでガッポリもうけて、欧米型の価値観、生活にドップリのアラブ人もいますね。これもアメリカやイギリスの戦略でしょうか?

*************************

本文にも書きましたが、
Developing Country [開発途上国]って表現は、持続不可能な愚かな Developed Countries[先進諸国]に乗せられて、後ろを追いかけさせられているように感じます。この軽率な表現は騙しているようで嫌いです。

それに対し、
 
Undeveloped Country は「後進国」と訳すよりも直訳して「未開発国」と訳した方がイメージが合うと思いますが、
そう呼ぶことが、失礼な差別用語だと感じる、自らを
Developed Country[開発された国]と呼ぶの人々の感覚こそ、経済成長神話によって、自然の摂理に対する理性を失っているのではないでしょうか。
  開発されていない国=荒らされていない国
ではないでしょうか!。 

被搾取国
えこマッキー
100%共感いたします。いわゆる途上国は、先進国による経済搾取により、貧困におかれているのであり(もちろん、地主制度など、当事国内にも問題の根はあるが)、被搾取国と言うべきかと思います。中国が経済的に発展しつつあるのは、国内に搾取と被搾取の関係を作り出すことによるものであり、アメリカの中にも貧困層は数千万人いますし、日本にも増えつつあります。単純に、先進国だとか途上国とか区別することには、ほとんど意味がなくなってきていますね。

被搾取国という言い方も出来ますが・・
雑草Z
    えこマッキー さま

 はじめまして、共感のコメント有難う御座います。
 自ら先進国と名乗る国々が 開発途上国[Developing Country]などと言う呼び方をして、自分達の都合のいいような援助をして借金漬けにしています。だから「非搾取国」とも言えますね。しかし、それではあまりにも、自分達を先進国と呼んでいる勝手な国への従属的な呼び方ですから(実際そういう面は沢山ありますが)
 ここは是非ともプライドを持って、『もう開発はして貰わなくても結構です。開発はせずに持続可能な社会を目指します。だから、Undeveloped Country [開発されていない国]と名乗ります・・・』と言って欲しいものです・・・ブータンのように・・・でも、多くの国・・・先進国と自ら名乗っている国々もそれを見習わないと持続可能な社会の構築は不可能でしょうね。世界はグローバルに繋がってしまいましたから・・・ 

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2007-11-05 06:46
”環境への配慮は、先進国の気楽な金持ちにだけ許される贅沢で、貧困にあえぐ第三世界の住民にそういうものを押しつけるべきではない”
という意見はよく聞かれます。

 ジャレド・ダイアモンドは、その著書『文明崩壊』で、
こう言う意見は、おもに第三世界の実情を知らない先進国の気楽な金持ちたちの口から聞かされてきた
 と述べています。さらに彼は、環境問題と人口が増大しつつある第三世界の国々で過ごした経験から、
地元の住人たちが、人口増加や森林破壊、魚介類乱獲などのもたらす害について熟知しているという印象を受けた。彼らは身をもって、家を建てるための木材の不足、多量の土壌浸食の罰を受けている
と述べています。自然とともに生きている、「未開」に近い人々は、自然の摂理を熟知しています。森林破壊や魚類乱獲の害について、先進国のほうが科学的に研究しているからよく知っていると思うのは、先進国の自称知識人達の「驕り、勘違い」ではないでしょうか?アメリカインディアンやアイヌの例を出すまでもなく、西洋文明に蝕まれていない「未開」に近い人々は、自然の摂理を熟知して生きてきたのです。(乱獲や乱開発した古代文明はことごとく滅んでいます。)人口増加に対してさえ、シビアな問題として捉える理性を持っていたのです。 
 しかし実際、途上国の森林の方が、無秩序に伐採されているのは、日本をはじめ、先進国の身勝手な需要があるからです。ジャレドはそのことを
それでもなお伐採されるのは、腐敗した政府が村人の(ときに激しい)抗議を無視して命令を下したか、あるいは村人たちが泣く泣く、子供たちの養育費を捻出するために伐採契約に署名したという事情による
と、述べています。
 贅沢やレジャー施設のために森林伐採したり、クルーザーでフィッシングを楽しんでいる先進国の金持ちたちのほうが、よっぽど脳天気でしょう。とんでもないのは、自然破壊が原因で起こる自然災害という『罰』を受けているのは、大きな環境破壊活動を行った先進国の脳天気な人々ではなく、途上国の貧しい・・貧しくさせられた・・・人々なのです

 ジャレドの言うような、先進国の気楽な金持ちだけでなく、途上国の中でも、先進国のようになりたいと思って先進国と癒着した政府や民間の人々、逆に先進国からの借金で首が回らなくなっている自治体の人々、そして、先進国に「あこがれさせられた」先進国のような生活をしたい人々が、
「途上国に環境対策を押し付けるな!」
と、言って経済優先とばかりに乱開発して環境破壊しているのではないでしょうか?


 話は変わりますが、最近CO2温暖化対策として、途上国に原発を!!という議論が盛んになされていて、事実そういう方向で話が進んでいる例もありますが、これは全くのとんでもない話です。
それこそ、先進国の企業が巨大な利権をちらつかせて、それぞれの政府と癒着して自分達の利権のためにやっていることです。
 実質のエネルギーを産み出すとは言えない原発は世界中どこでも必要ありませんし、事故を起こさなくても確実に危険なものです。先進国でも持て余している核廃棄物を途上国で、安全に処分出来る筈がありません。途上国で原発が行われたら、処分のために先進国の補助金が出て、そこまで先進国の企業が吸収すると言う、先進国の企業を中心にした、一部の利権構造の強化が起こるだけです。途上国は取り返しのつかない事になります。原発をはじめとして途上国に押しつける CO2温暖化対策は、ほとんど先進国の利権だけのとんでも対策です。
 
 だから、この手の、似非環境対策(その問題自体が「似非」かどうかは別として、「対策」が「似非」なもの。)は、その言葉どおり
「途上国に対する非常に迷惑な押しつけ」
以外の何ものでもありません。

しかし、森林伐採、魚類の乱獲、地下資源の採掘などに対する途上国の住民の意識は決して低くはなくて、寧ろ先進国よりも高いのです。それはその深刻な被害を「身をもって」体験しているからです。

そういう途上国の環境破壊に対して原住民の人々の多くはそんなことはしたくないのに、先進国に、乱開発されているのです。

  先進国の気楽な金持ちが、
「途上国の貧しい人々は環境への配慮をする余裕がない」
と言うのは、非常に身勝手な言い分
で、先進国が多くの環境問題をかかえながら不自由のない生活を送る事が出来るのは、その問題を途上国の人々に押しつけているからに過ぎません。先進国はゴミでさえ途上国に輸出しているのですから・・

 原発などのニセ環境対策は、論外として、途上国に押しつけてるべきでないものは、
『環境への配慮』というよりも、『先進国の環境破壊のつけ』と言うべき
でしょう。
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【2007/11/05 06:46】 | 未分類 トラックバック(1) |

環境問題
yutakarlson
はじめまして。ピザテンフォーのyutakarlsonです。ジャレド・ダイアモンドの言い草、軍事問題や領土問題になると先進国的な口ぶりとなり、環境問題になると、中国はまだ後進国だからという、中国の高官のようです。ピザ宅配というと、環境問題からは縁遠いと思われがちですが、私達は紙のピザボックスそのものを、なくす運動を展開中です。詳しくは、私のブログをご覧になってください。
ピザテンフォー全店で、紙のピザボックスをなくしたとすると、年間500トン以上のCO2削減効果があります。削減量はわずかなものですが、長期的に見た場合確実にコスト削減になります。先進国の企業など、このようなことを見出しどんどん実施していくべきです。

脈絡がないですね
雑草Z
 はじめましてじゃなくて、一度、後半は似たようなコメント戴いてますよ。ほとんどスパム状態で、コメントしたことも覚えてないんでしょうね。ジャレド・ダイアモンドの言い草も何からそう思ったのでしょう?この脈絡のなさは、ナンセンスのセンスでしょうか?ただピザを売りたいだけでしょうね。こういうやり方は良くないですよ。まずいと思ったら削除して下さい。こっちで削除しようか?

 


はすざわ
↑の人(もちろん雑草Zさんは飛ばして)、CO2温暖化否定論(懐疑論)に対する否定論(懐疑論)は時々見かけますが、こういうコメントは自分は初めて見ました。
 なんか、ブログ主の言ってることとは全然違うこと&ジャレド・ダイアモンドの言ってもないことにコメントつけてて、webの世界でいう「シャドーボクシング」のお手本みたいなコメでしたね(笑)。

スパムとして削除しなかった理由
雑草Z
    はすざわさま

 本人は、適当に選んで記事もろくに読まずにコメントしているから覚えてないんでしょうけど、こちらは彼の「シャドーボクシング」(なるほど、そういう表現があるのですね)2度目なので、覚えています。
 すぐに削除しようかとも思いましたが、コメント返しして、ちょっとだけ様子みてから削除しようと思ったところ、思いがけずに、はずざわ氏の貴重なコメント戴けたので、これがこのコメントを削除しなかった結果論的な理由になりました(笑)こういう存在理由もあるんですね。

先進国、特にアメリカの搾取(少し主題から離れますが)
aguri
アメリカはオイル利権を確固とするため、以前イラン・イラク戦争時代、イラクのフセインに軍事援助をしていました。フセインがクゥエートに攻め入ると今度は、ブッシュの親父が国連に働きかけ、オイル安定供給確保のため(実際はブッシュ親子、オルブライトチェイニー副大統領、ウオルフォウィッツなど全部オイル利権企業との関わりがある)、イラク軍事攻撃をやりました。そして結果イラクの軍事能力は鎮圧され、カルザイ傀儡政権をアメリカは作ったわけです。

しかし、イスラム世界の中では、このような先進欧米諸国に反感を持つアルカイダ組織などもあり、アフガニスタン攻撃を境に、9.11テロでWTCが米国本土での初めて攻撃を受けた後、ブッシュの息子に至って、イラクのフセインを失脚させたのですが、これは中東でのパンドラの箱を開けたようなものです。テロの脅威は世界中に広まる結果となり、イランも核保有を宣言。米国との強い対立が生まれています。

さて、このような経済発展至上主義によるオイル利権確保闘争のようなものは、更なる国際紛争や戦争を引き起こしかねません。したがって、日本の立場は国際社会で大変に微妙な立場となっています。テロ特措法の問題もその一つです。

そこで、これからの人類の未来を考えた場合、このような経済発展至上主義がいつまで可能なのかだと思います。中国やインドの巨大な人口が、物質的豊かさを求めるようになっている世紀ですが、更なる環境・資源問題がエスカレートするのは確実だと思います。

したがって、日本自身が地球環境に配慮したエネルギー・資源消費効率や汚染に対する高度な技術を開発するような産業の育成の範を世界に示す必要があると考えます。そんな簡単なものじゃないとの意見は当然だと思います。ですが、今のままで世界の物質的経済発展至上主義が続くと、人類自ら自分の首を絞めることになると危機感を感じます。


nao
ピザですか(笑)。まだまだ環境を商売のネタにする人々は増えるんでしょうね(笑)。

Re: まだ先があったとは!
★文筆、部屋主**雑草---------☆管理&映像**こーき&坂番
>全く驚きの新技術ですね。

このような研究が行われてしまった事も残念ですが、それを商売にしようと言う強欲で自然の摂理を理解出来ない酷い輩がいる事が嫌ですね。それを国家も容認する勢いですから、如何に国家は大企業の傀儡かが分かりますね。

御紹介のページは、私が参考文献として挙げた
安田節子著  「自殺する種」

の内容をほぼそのまま掲載しているようです。
そして、

>これはもう損害賠償ビジネスである。

と書かれていますし、それを受けてguyver1092さんは、

>かってに飛んだ花粉による受粉で他の作物を汚染し、盗んだといちゃもんをつけて金をせびりとるための技術のようです(皮肉です)。

とコメント下さいましたが、残念ながらこれは皮肉でもブラックジョークでもありません。本書には、モンサンが、損害賠償をビジネスとして展開して、お金を沢山儲けててきたと書かれています。こんな無茶苦茶なモンサンに損害賠償を払えと判決する米司法界も多国籍大企業に牛耳られています。情けないものです。
>かってに飛んだ花粉

と言うよりも、「勝手に飛ばしている花粉」と言った方が実情に合っているでしょうね。

身勝手なシャドーボクサー達
雑草Z
    naoさま & はすざわさま


 紙のピザボックスをなくす事は悪いことではないかも知れません。でもこのピザ屋さんは身勝手で失礼ですね。記事をろくに読まずに似たようなコメントを2度もよこしたのですから・・・。

 スパムコメントは時々あり、大体削除してますが、典型的なスパムではなく、このような、内容を読んだふりして、自分の仕事の宣伝でしかない迷惑コメントは、あと数人よこしてます。

 これもその代表↓ 
【CO2温暖化が疑わしい証拠】2006-12-29
http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-107.html#comment178
の最初のnakamura という方のコメントです。
やはり、全く述べていない内容にコメントした、ふざけたようなシャドーボクシングで、ある意味笑っちゃいます。

 ちょうどそこの下のほうにある ヴァルフリート という狂犬のようなコメントも、この後の記事にもいくつかきて、
自分で勝手な議論を作って シャドーボクシング しまくってます。
【気候シミュレーションは有効か?】2006-12-31
http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-108.html#comment

 こんなアホな無礼者のコメントを削除しない私も・・遊んでますかね?

 でも、つい先日きた
「新井泉さんが虐待されているどうのこうの・・・」という迷惑コメントは削除しました。不気味で訳わからんし、被害妄想で自分を神と思っているパラノイアのようです。「新井泉」で検索すると・・・事実が見えてきますが・・時間の無駄です。

 シャドーボクサーは無視するか、相手をしてもほどほどに・・・(って、普通相手にしないでしょうね。) 

今日も気象異常です
aguri
日本でも気象異常ですが、今日の報道によるとメキシコのタバスコ州、80%が洪水で壊滅的らしいです。

人間の物欲は、歯止めが利かないほど不公平で、天井知らずです。しかし、私は共産主義(計画経済)を肯定しているわけではありません。明らかにベルリンの壁崩壊、ソ連邦の崩壊、そして北朝鮮など、共産主義を掲げる経済モデルは破綻しています。

ですが一方、アダム・スミスの純粋資本主義、あるいは市場主義が人類の富と環境の問題をうまく解決してくれるかと言うと、これも全くの間違いです。現実的に人類は愚かで行き着くところまで行き、痛い目に合わなければ、わからないかも知れません。

ただ一つの問題緩和要因があるとすれば、セイの法則、生産は需要を生むみたいな、無駄なものを生産する単純経済サイクルからの脱却は早急に考え直さなくてはならないでしょう。

それと雇用の形態、これも問題です。18世紀の産業革命以来、人は工場、会社での労働対価として、価値の裏づけのない、紙切れの紙幣で給与をもらい生計を立てるようになりました。しかし、この経済構造は非常に不安定でもろく、人の安定生活をもたらさなくなっていることにも気が付くべきでしょう。

発展?幸せ?
スモールイズビューティフル
発展とは、人々が物質的に豊かになった、とも言い換えられますが、

それで、本当に幸せになったのか、
考え直してみる必要があると思います。

欲しい物を手に入れても、そのうち満足できなくなり、次の物が欲しくなる。
どこまでも行ってもキリがありません。

企業がそのようなサイクルを作って、私たちを煽っているからです。

加速度的に膨張する生産活動に労働者が組み込まれて、精神をすり減らし、生活と安らぎを犠牲にしているのですから、
豊かさと引き換えに失ったものは、あまりにも大きいと思います。

そう考えると、私が子どもの頃の貧しい時代の方が、
今よりもずっと幸せだったと思います。

そもそも豊かとか貧しいとかは相対的なものですから。現代の状況だって、このまま「成長」が続けば、貧しかったってことになるんですから。

環境の話に戻れば、企業が作り出している膨張のサイクルに歯止めをかけることです。

そのためには消費者が「企業の煽りにだまされない」ことが大事じゃないですか。本当に必要なものだけ消費することです。

政治も企業がコントロールしていますから、やはり私たちがしっかりチェックしなければならないと思いますね。

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2007-11-03 01:43
私は統計学が好きです。統計にはかなりな拘りがあります。
統計学の専門家が書いたという、世界的にセンセーショナルな反響を呼んだとプロパガンダされている
 ビヨルン・ロンボルグの『環境問題を煽ってはいけない』
には、うさんくささとともに、期待するものもありました。
 
××××××
 
 うさん臭いといえば、はじめに眉唾だと思った本に
 近藤邦明氏の
『温暖化は憂うべきことだろうか・・CO2温暖化脅威説の虚構』があります。
 はじめてタイトルを見たときは眉唾かと思いましたが、先入観に反して、なかなかどうして、大変素晴らしい内容で、CO2温暖化の虚構部分もしっかり説明していて、納得出来る部分が沢山ありました。CO2温暖化の部分は置いておいても、環境問題の本として、その本質に迫る内容です。

 その後に読んだ、やはり環境運動に懐疑的なタイトルの
 槌田敦氏の『エコロジー神話の功罪』や
      『環境保護運動はどこが間違っているのか?』
 も、環境問題の本質を突いた素晴らしい内容で、興味深く一気に読めた名著です。

どちらの本も、若干賛成出来かねる部分もありますが、エントロピーの法則をフルに考慮した環境問題の本質を突いた内容です。先入観に反して、非常に面白く、科学的な鋭い洞察に納得致します。

××××××

 それに対し、ビョルン・ロンボルグの『環境問題を煽ってはいけない』は、評判倒れのように感じました。と言うより、この本、本当に、世界の多くの人々が評価しているの?って感じです。

 仙台に行って大きな本屋に出かけて行って見た、何冊も重ねてあった本書は、厚くて高くて、買おうかどうか躊躇致しました。・・・そして実際何か所か選んで読んでみると買う気が失せました。書いてある内容は、新しい統計データをふんだんに使った(?)というだけで、よくある経済成長主義者の論点と変わりありません。内容に賛成出来ません。 まあ、読むにしても古本屋で安くなってからで十分。その前に優先して読むべき本はいくらでもある・・安くなってから購入して反論してやろうか・・と結論致しました。


 それからしばらく経ち、未だにまだ古本は安くなっていませんが、もう100円になっても買うつもりは失せました。最近また仙台の大きな書店で立ち読みして、本の厚さに比べ内容があまりにも薄っぺらだと感じました。
 
 この時代にあんまり論じてないような事を書いているから、新鮮と感じた輩もいるようですが、世界的ベストセラーになった1972年の「成長の限界」が出た時に、多くの経済成長主義者から出た反論のひとつといってもいいような内容でしょう。統計データを非常に多用して、持論の根拠としていますが、統計データを、自分の結論に合わせて加工することも、または、そういう風に読み取ることも結構簡単です。何せ、彼は統計学のプロですから・・・彼は、ただの環境問題を握りつぶそうと言う経済界の回し者にしか感じません。評価している人達も実はそんな人達ではないでしょうか?


 対策に優先順位をつけて、費用対効果なども考えて対策をするべきだ・・なんて事は、彼に言われなくてもある意味当然のことだし、彼の偏見による費用対効果は酷いものに感じます。 

 原題は、”The Skeptical Environmentalist ・・”
で、直訳すると『懐疑的環境主義者・・』だけれど、訳者の山形某は、『環境危機をあおってはいけない』と、あえて挑発的な邦題をつけたようです。・・・本を売るためにもセンセーショナルなタイトルを考えたのでしょう・・・だから、訳者だけが野心的で挑発的なのかと言えばさにあらず、著者のロンボルグと翻訳者の山形某は、同じ考えのようです。
彼等コンビは、環境保護団体の反論は論理的でなく、実際のデータに基づいていない感情的なものが多いと決めつけていますが、彼等の論法こそ、科学的センスがかなり欠けています。
 ロンボルグの論点の欠陥は、熱力学的な視点がないと言うことです。エントロピーの視点からの発想が出来ない。だから、有限の地球でも成長の限界とかそう言う心配もないと楽観的に脳天気に考えていると言うことです。彼の洞察力は多くの経済学者のように浅いものでしょう。だから、ばりばりの資本家の成長主義者のような『土地の生産性は資本と科学の投入によって無限大に増大可能』見たいな事を平気で言えるわけです。

 本書は拾い読みしただけでも突っ込みどころが多過ぎて、ストレスだらけになる本です。
 
 「本書を読まずして環境問題を語る無かれ!」
みたいなレビューをいくつか見かけましたが、何をか言わんやです。
 「知ったかぶりして無責任に『この本を読まずして環境問題を語るなかれ』なんて言う無かれ!」
 です。これよりも環境問題の本質を突いたまともな本は日本にも海外にもいくらでもあります。・・と言うよりもこの本はとんでも本の一つです。
 こんな本を読まなくて環境問題を語ってもなんの支障もありません。
槌田敦氏の本を読むほうがずっと環境問題の本質に迫っていてずっと有意義です。

 「巻末の参考文献の分厚いリストだけでも十分に価値がある」とかいうレビューもありましたが、これもふざけた話です。
 ロンボルグが恣意的に選んだ膨大な資料など読みたくもありません。そうじゃなく、無作為に選んでそこからデータを得たと言うのなら、今はネットで簡単に検索できます。そんな膨大なデータ元集なんて本が厚くなって邪魔です。必要な分野のデータだけ検索して拾ったほうがよっぽど有効です。

 レイチェル・カーソン『沈黙の森』以来の環境問題の衝撃作!!なんていうレビューだか宣伝コピーもありましたが、同じレベルで語る本ではありません。真摯に環境問題に取り組んだレイチェルに失礼です。それを言うならデヴラ・デイヴィスの
『煙が水のように流れるとき』でしょう。 
 
 このぶ厚い本は、時間とお金と資源の無駄遣いです。2度ほど本屋で立ち読みして疲れました。(その大きな本屋は親切にも座って読むベンチも用意してあって、2回併せて3~4時間は読んだでしょうか・・だから「立ち読み」ではなく「座り読み」でしょうか?・・笑・・・そして、別の本を何冊か購入してきました。)少なくとも私はこれからこの本を購入して読むことはないでしょう。
 
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【2007/11/03 01:43】 | Economic Fascism トラックバック(0) |

大変難易度の高いテーマですね
aguri
京都議定書でのCO2による温暖化問題が今日もNHKテレビの中で扱われていましたが、今の地球経済は、地球資源の有限さを無視する形で、永遠に発展し続けるがごときの幻想を与えているところに問題があるように感じています。

特にニクソンがドル金本位制度の廃止を実行して以来、ギャンブル的なヘッジファンド(禿鷹ファンド)の暗躍により実体経済を越えて紙切れのお金が国境を越えて動くようになりました。そこに為替相場や天然資源価格が振り回され、国際経済の不安定さを招いていると思います。

このような中で統計学的手法が多用されますが、過去の投資会社破綻、LTCMやエンロンに代表されるように、ノーベル賞をもらった経済学者さえ将来を予測できない複雑な経済環境になっていると感じています。

統計学だけでは環境問題を語れない
雑草Z
  aguriさま

私の疎い経済分野の貴重な情報有難う御座います。   

 統計的手法は、現状分析には非常に力を発揮する場合がありますが、複雑系カオスの地球の未来予想には、コンピュータシミュレーションを使っても、かなり不確実なものしか出来ません。ロンボルグは、優れた統計の手法を編み出したわけでもなく、膨大なデータを利用して、経済成長主義者の立場でその方向をプロパガンダしているように感じます。

>今の地球経済は、地球資源の有限さを無視する形で、永遠に発展し続けるがごときの幻想を与えているところに問題がある

 まさにその通りですね。『無限の可能性』と言う言葉は、破滅と表裏一体ではないでしょうか?

>ギャンブル的なヘッジファンド(禿鷹ファンド)の暗躍により実体経済を越えて紙切れのお金が国境を越えて動くようになりました。

と言うのもきっとその通りでしょうと思いますが、経済に疎い私はヘッジファンドとか投資信託とか言う投資機関についてはシステムとかよくわかりません。(笑)簡単に説明していただけば・・

CO2による温暖化説自体も不確実ですが、その対策は、ギャグ効果(ギャグのようにふざけたような逆効果)とも言うべき酷いもののオンパレードです。  

経済、経営学にも統計学が使われますが・・
aguri
私もそんなに詳しいわけではないのですが、経済学、経営学分野にも統計学は多用されます。統計と言えば確率なんですが、この確率はどんな高速のコンピュターで演算したとしても、サンプルデーターの量、範囲、またその適切な関連性による質によって、出てくる数値も大きく左右されるのではないかと思います。

世界の経済はヘッジファンドとか投資ファンドにより振りまわされる言うのは、このファンド(紙のお金)は投資家から多額の投資を募り、例えば現時であれば、中国などが大量に原油を消費し、世界の原油生産の供給が追いつかず価格の暴騰を招いていることをご存知だと思います。オイル産油国は意図的に供給能力を抑えているかも知れません。

そのようなところへ、集中して国境を越え投資、市中金利では考えられないほのどの30%~40%などの運用利回りを得ます。これはとうもろこしからできるエタノールと言う車の燃料が先物としての投資対象として存在します。したがってとうもろこしの価格も暴騰しています。

で、このような投資は統計学で求められた数値をもとに投資先決定方針を定めるのですが、経済は生き物で常に変化をしていますから今出た数値が次の瞬間に適合するかと言うと間違うことが多いのです。したがって、scattered daiagram plot上での線引きの傾向で見るのがむしろ現実的なのかも知れません。

先に述べたLTCMはノーベル経済学者が、絶対に儲けるという統計学上の公式を用い、最初は投資家にも大もうけさせ、会社も大企業並みになったのですが、このようなファンドの目的は金持ちにより儲けさせることですから、儲からないと判断すると一度に投資先ファンドを引き上げ、次の儲け先に資金を動かします。ヘッジとはリスクを予測し避けながら動き回ると言う事です。

したがって、産業や経済をじっくり育成するとか環境問題がどうのこうのってことは、統計学上のデータに入れていないのが現実であろうと思います。しかし現代では経済環境があまりにも複雑化し、環境問題も無視できなくなっています。不確実、不確定要素が多くなり、したがって投資環境もハイリスクになりがちになり、統計学上の数値が必ずしも信頼できるものではなくなったと言う事です。

なるほど禿鷹ファンドですね。
雑草Z
    aguriさま

 簡潔明瞭なご説明有難う御座います。大雑把にどんなものかイメージ出来ました。
 この資本主義自由経済は、その(不完全な)構造から、

>世界の経済はヘッジファンドとか投資ファンドにより振りまわされる

 というわけですね。儲ける事だけが目的ですから、産業の育成も環境負荷もないわけですね?本当にハゲタカみたいですね。
 村上ファンドもその手のファンドですかね?。結局投資家達の限りない欲望に振り回されて、持続可能な社会が破壊されていくわけですね?

 余談ですが、日本でも、この頃アメリカを見習って「株主のための会社」なんて事が正論のように言われますが、そんな投資家が会社の中心なんて酷い話だと思います。
 それなら、会社にお金を貸した銀行がその会社の主体というのと大差ないのではないでしょうか?やはり会社はそこで働いている従業員みんなのものではないでしょうか?そして勿論社会の為のもの。
 資産家の投資家が世の中を動かすなんて、まさに自由主義経済社会の暗部ではないでしょうか?本当に不良な社会の仕組みです。

 ところで aguri さんは、元経済畑の方ですか?

元経済畑?
aguri
いえ、ただの自然と日帰り温泉大好きの自営業者でございます。今は、農作に興味を持っています。v-116

そうですか!私もひなびた温泉好きです。
雑草Z
  aguri さま

 私は、秘湯に宿泊するのが好きでしたが、最近は年に1回位ですね。
 日帰り温泉もいいですね。町や村でお金をかけて作った小奇麗な公共施設にも行きますが、ちょっとおんぼろな民間の温泉を応援しています。

 宿泊施設もない、ただ沸いている自然の露天風呂や、村などの共同浴場(温泉)も好きです。私の住んでいる会津地方の奥のあちこちにぽつりぽつりあります。管理人も常駐せずに、例えば100円以上の志を鉄の箱に入れてくるような温泉です。ひなびて趣があるお気に入りの共同温泉がいくつかありますが、少し遠いので年に何度かですね。

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