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2007-05-30 00:01
SF映画によくあるパターンとして、宇宙人が地球にやってきて、地球を征服しようとする映画があります。地球に円盤や宇宙船でやってきて、地球を攻撃したり、地球人を虐殺したり、奴隷にしたり、騙したり・・・こう言う映画を作るのは、ハリウッドなどを中心に欧米諸国が得意としてきたところでしょう。(日本などでもそんな映画があったでしょう。)

 1、2年前にそんなハリウッド映画のCMをテレビで見かけたときふと思いました。この映画を作っているアメリカ人達は、自分達(の先祖)がやってきた事と同じような侵略を映画にしているのではないでしょうか?
 そう、宇宙船ではなくただの船でアメリカ大陸にやってきたヨーロッパ人、アフリカにやってきたヨーロッパ人、アジアにやってきたヨーロッパ人、自分達を文明人と呼んだ彼等が、「未開の地」にやってきて、原住民の土地を奪い、虐殺し、騙して奴隷にして本国に連れ帰り・・・・。アメリカインディアン(NA)にしても、アフリカの先住民族にしても、その他多くの原住民にとって、ヨーロッパ人が行った侵略行為はみんな、宇宙人の侵略と同じように悲惨な事が沢山あったのではないでしょうか?

 宇宙人の侵略から、自由と独立と平和を勝ち取る戦いに挑む映画を作って、見てきた欧米人達は、一方で自分達より弱い民族を虐待し彼等から略奪を繰り返してきました。

 このような映画を作っている欧米人、見る欧米人・・・彼等のうちどのくらいの人が、宇宙人の侵略映画は、自分達の過去のパロディーだって気付いているのでしょうか?
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【2007/05/30 00:01】 | 雑談 トラックバック(0) |


チルドレン
あなたの言っていることは正しいと思います。       これからもいっぱい宇宙人の話を書いてください。          応援してます。

オモロいコメントですね。
雑草Z
 ご訪問&応援有難う御座います。?
 真意を量りかねるコメントですね。若しかして本物のチルドレンですか?
宇宙人の映画の事を書いたのであって、宇宙人は勿論比喩で、残念ながら基本的に宇宙人のことはこれからも書かないでしょう。

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2007-05-27 00:01
地球は有限です。現在、人口のキャパシティや資源について地球を無限大と考える人はいないでしょう。(そう考えているとしか思えないような行動を取る人は沢山いますが・・)開発の地として、無限と考える事は到底出来ません。
 それに対し 宇宙は実際有限か無限かはわかりませんが、大きさ、広さという意味に於いては、永久に無限と考えて大丈夫でしょう。・・。しかし、資源とかエネルギーの利用、ゴミ捨て場と云う意味に於いては、宇宙から地球に降り注ぐ太陽光地球から宇宙に放出される熱(廃熱)など自然に行われているエネルギーのやりとり(これが重要です。)を除いて、利用できないと考えるべきでしょう。開発の地としては考えられないし考えるべきではないのです。これは基本ではないでしょうか。それを無視して宇宙開発とか本気で言っている人、科学者が大勢いることは驚き呆れます。

 時々、ゴミや廃棄物を宇宙に捨てろなんて、「超」がつく愚か者も結構います。物理的に、地球の重力から脱出させるためのエネルギーは途方もありません。これは技術の問題云々ではなくて、物理の基本です。エネルギー保存の法則です。(確かに核廃棄物は宇宙にでも捨てたくなるのはわからなくもありません。・・地球じゃ手に負えませんから・・)

 宇宙ロケットの打ち上げの時の映像を見て、もの凄いエネルギーを使っているのは明らかでしょう。(凄い大気汚染に怒るべきでしょう。)
 地球の脱出速度は、10km/secを越えます。
(内容と関係ありませんが、この宇宙速度のWikipediaの「よくある誤解」自体誤解してます。勘違いしているようです。)
10km/sec=36000km/h 。つまり時速3万6000km以上です。脱出速度とは、地球の重力に逆らって地球から飛び出す為の地上で与える初速度ですから、この速さの初速度でなくともその後エネルギーを与え続けて地球を脱出出来ますが、最低必要なエネルギーはこの脱出速度から計算出来るでしょう。(計算順序が逆ですが・・苦笑)単純に運動エネルギーを計算すると・・アバウトな計算なので、普通にニュートン力学の単純な式で計算しても1kgあたり 最低12960000J[ジュール]必要です。実際には廃棄物を搭載して運ぶロケットの重量もあるし、燃料も積み、地球の大気摩擦もあるので、さらに必要なエネルギーは1桁以上増えるでしょう、こんなエネルギーを使ってゴミを宇宙に捨てるのはお馬鹿と言うより、経済破綻でも済まされません。物凄い大気汚染を引き起こします。ちょっとの廃棄物を宇宙に捨てるために、それをそのまま地球で廃棄するよりも何倍(何千、何万倍)もの環境汚染を引き起こすことになるのです
(以上計算がアバウト過ぎますが・・・何百倍でも何億倍でも、廃棄物を宇宙にロケットで捨てる事の愚かさを分かれば十分と考えますので・・・資料を探して比較計算してもそれほど意味ないので、面倒なのでやりません・・)
 地球の重力場の負のポテンシャルエネルギーから脱出するのは、それ相応のエネルギーが必要な事は物理の基本です。

 宇宙の他の星から資源を持ってくる事に関しても同様です。
 例えて言うなら、富士山やエベレストなど高い山の頂上にご飯粒が1粒あっても、食料を求めてその米粒を食べる為に山に登る事は愚かだという事です。米一粒を食べる為に山に登る方がその何倍ものエネルギーを使い、お腹も空くのです。(何十倍か何万倍かは、大きな差の様でどうでもいい話です。空腹を満たす為にご飯粒一粒食べる為に山に登る行為が愚かな事が感覚的に分かれば十分でしょう・・・計算の為の資料を探したりモデルを作るのが面倒なので・・・苦笑)
 宇宙ステーションだとか宇宙に住むとか他の星に移住するとかそういう話は夢のある話でもなんでもなくて、地球の人間が住める環境を大きく破壊する行為なのです。

 こんな単純な事なのに、宇宙開発を押し進めるのは不思議です。原発行政のように愚の骨頂でしょう。宇宙開発は、地球の資源枯渇を早め、環境汚染を深刻 にし、地球を住めなくするだけです。・・・原発と凄く似ていますね。

 経済成長が無理だと言う論に対して「地球上では未開の地がなくなっても、宇宙に経済成長出来る」
なんてお馬鹿な反論をよこす輩もいますが、以上の論の通りです。そういう経済成長論者は、基本的理系的素養、感覚がないと言うしか有りません。
 
 地球は物質に関してはほぼ閉鎖系であり、エネルギーに関しては解放系であると云う基本をしっかり理解し、
宇宙は、
資源としては、太陽など地球に降り注ぐエネルギー資源が利用可能。
(ほぼ無限と考えていいでしょうが、時間あたりの量は有限、つまり仕事率は有限と考えるべきでしょう。)

廃棄処理としては大気と水の循環によって高いエントロピーを廃棄する場所、つまり熱エネルギーの無限の廃棄場としての役割だけを考えるべきでしょう。

つまり人工的に作為的に宇宙を利用しようとするとずっと余計にエネルギーを使うだけでなく、環境汚染も凄まじいのです。地球外の宇宙に関しては、自然に宇宙から入ってくるエネルギー、自然に宇宙に出て行くエネルギーのみを邪魔をしないで有効利用すべきだという事です。隕石でもない限り、宇宙との物質のやり取りを意図的にやることは、大きな環境汚染を産むだけです。
 
 
 このような基本を考慮しない学者、エンジニアは非常に多く、彼等は
宇宙開発の名の下に地球を破壊しようとしているのです。

 余談ですけど、宇宙飛行士はヒーローでもなんでもなく、ただの巨大な環境汚染者の片棒を担ぐ非国民の類でしょう。一人の人間であれだけ環境汚染することは許されざるものです。宇宙旅行の時代なんて来るべきものではありません。最近ロシア(旧ソ連)などで大金持ち対象のそんなビジネスがありますが、すぐにやめさせるべきでしょう。金持ちだからって普通の人の何万倍も環境汚染していい筈がありません。
 多くの人が宇宙旅行する時代が来れば、地球には大気汚染をはじめとする汚染物質が溜まって、地球の生物にとっては、大変深刻な問題となるでしょう。ガイア地球が死滅してしまいます。

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【2007/05/27 00:01】 | 環境総論 トラックバック(0) |

私も思ってました。
天地 はるな
宇宙開発にかかるお金を環境保護に使えと、私も思っていました。
で、トラックバックしよと思ったのにできません(ノД`)
http://plaza.rakuten.co.jp/otegami/diary/200508120000/

お金の浪費だけではなく地球の環境汚染源。
雑草Z
 宇宙開発にお金をかけてはいけないと言う部分で同じ意見ですね。
 宇宙開発にお金を湯水のようにかけるのは、お金をドブに捨てるようなものであるばかりか、大きな環境汚染をもたらすと言うことを述べています。
 
 宇宙開発は、人類の夢なんかではなく、実現したら悪夢になると言う事です。
 人間が無理に宇宙と物体、物質のやり取りをする事は、地球には大きな環境汚染になると言う議論です。ロケットや人も勿論物体です。
 宇宙の無限性は、地球にとっては、定常性を維持するためにエネルギーをやり取りするところであるのです。

 人類の住むところは地球に決まってますね。

 PS
 TB出来ないなら、そうやって貼り付けてくださればOKです。
  

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2007-05-24 00:01
 最近、『CO2温暖化説は間違っている』 で有名な槌田敦氏の書物を愛読しています。定説を覆す大胆な内容の一部の真偽は別としても、非常に面白い内容です 。なるほどと目から鱗の落ちる素晴らしい発見も多々あります。

 この槌田敦氏は
エコファシズムと言う言葉を使っています。科学的妥当性はあまりないのに、大衆を扇動して危機を煽っている偽の環境問題やその有効ではない対策の奨励などを指します。更にCO2温暖化説懐疑派、否定派に対する弾圧などもさしています。
 確かにCO2温暖化説は、根拠が曖昧だし、議論もおかしいので、私も この問題は眉唾の部分がかなり大きいと思うし、本当にしては、その対策はいい加減過ぎます。
 しかし、実際云われ無き理不尽な攻撃を受けている槌田敦さん達には申し訳ありませんが、環境問題は、ファシズムと言うほどの狂信的暴力性、弾圧などは、それほどないと感じます。実際、訳の分からん人格攻撃をしてくる狂犬のような人物も若干いますが・・・・。環境問題の解決方法の多くは確かに間違った方向に進んでいますが、少なくともここ日本では、環境問題に無関心な輩の方がまだまだ多く、ファシズムと呼ぶほどではないと考えます。・・・・原発推進派はファシズム的かも知れませんが・・・
 
 私は、エコファシズムと言えば
槌田敦氏の言う
エコロジカル・ファシズム[Ecological fascism]」ではなく、
エコノミック・ファシズム[Economic fascism]
であると定義致します。
つまり、「環境ファシズム
ではなく「経済ファシズム」です。
このファシズムは、元祖、ドイツのナチズムよりずっと大組織でしょう。
 支持者は、世界中に沢山います。沢山と言うより、大半と言うべきかも知れません。あらゆる所に入り込んでいます。世界中の指導者もごく一部(ブータンやリヒテンシュタイン公国の国王など)を除いて大半が支持者です。最も信者の多い宗教、イスラム教の信者より数が多く、経済力も強大で(そりゃあ、経済優先論者だから当然でしょう。・・苦笑)世界を牛耳っています。これこそ、世界最強のファシズムではないでしょうか?

 槌田氏がエコファシズムと呼ぶところの
エコロジカル・ファシズム」も、
経済優先からくる
エコノミック・ファシズム」が背景にある場合に
シビアに狂信的になってくるのではないでしょうか?・・・その典型がCO2温暖化説であり原発であるでしょう。
だから、この定義を槌田敦氏も認めてくれるのではないでしょうか?きっと、彼は、エコファシズムは、エコノミック・ファシズムを背景に置いたエコロジカル・ファシズムとでも言ってくれるのではないでしょうか?

  ファシズム[fascism]とは・・・イタリアやドイツのファシズムから派生したファシズムを広義に解釈すると・・・権威主義の体制であり、一党独裁政治や政治的自由活動の抑圧行為等を包括的に指します。

 1932年版のイタリアの百科事典では、
「ファシズムでは、国家が自らの原理や価値観でもって個々人の意思や思想を律し、型にはめる為の権威であるばかりでなく、積極的に個々人の意思や思想を広く説き伏せていく強制力を持った機構となる」と、謳っています。

 まさに経済優先論こそ、現代のファシズムではないでしょうか?

経済優先」と言う言葉は、その前に「多少の犠牲はあっても・・」と言う言葉が想定されます。そして「多少の犠牲」とは、実は開発される地域の経済力のない多くの人々の非常に大きな犠牲、住むところを追われるだけではなく、生存にも関わる大きな犠牲の場合も多々あります。
 経済ファシズムによって、破壊された環境、国家、虐げられた民族はいくらでも例があるでしょう。
そして、このエコノミック・ファシズムこそが人類を滅亡の危機に追い込んでいるのではないでしょうか?

 各国の首脳は経済人の息のかかった人物ばかり・・・というか現在のほとんどの国家は経済人の傀儡政権と言うべきでしょう・・・ GATTを使ってむりやり自由貿易させ、いわゆる発展途上国を多重債務国にして苦しめ、人類の存続に関わる環境問題よりも「経済優先」・・・これはファシズムと呼ぶしかないでしょう。

エコノミック・ファシズムは、ドイツナチ党のファシズムよりも、とんでもなく根深く恐ろしいものではないでしょうか?史上最大のファシズムでしょうが、これを打倒しなければ、人類は滅亡するでしょう。 

 
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【2007/05/24 00:01】 | 社会・経済 トラックバック(0) |

世界を覆うエコのミーイズム
TheorySurgery
市場経済は左右の壁を越えるイデオロギーかもしれませんね。すでに、中国のありさまといったらマルクスも腰を抜かすほどであり、中国全土が資本主義の獰猛な部分で覆われている気がします。

グローバリズムとか言われて久しいですが、これこそイデオロギーの最たるものだと思います。共産主義のインターナショナルも似たようなものでしょう。いまだに未開の地に文明開化の音を響き渡らせるつもりなのかもしれません。

一度、その彼らの歯車に乗ってしまえば、到底のことではそこから抜け出すことはできません。価値観の違いは最終的には戦争へと至るしかないのだろうか。グローバリズムという欲望は、その反動もどれだけ大きなものになるか覚悟しておかないと混沌たる世界になるだけではないだろうか。

そういえば、私はイスラムについてほとんど無知だ。彼らについて、あまりにも情報はないし、身近にもあまり接する機会もない。彼らの価値観いついて少し学んでみたい気もする。

中国の市場経済は無法地帯ですね
雑草Z
 小平の「先に豊かになれるものからどんどん豊かに」とか言う共産主義とは考えられない不公平な政策によって、中国の市場経済は、無法地帯になっています。中国の投資家は、完璧に政治家との癒着で、情報を教える政治家は、完全な汚職でしょう。今や中国がアメリカに並ぶ経済至上主義かも知れません。

 グローバリズム、自由貿易は、かつてこのブログに書かせて戴きましたが、本当にエコ(ノミック)・ファシズムの典型でしょう。おっしゃるように、早晩悲惨なグローバリズムの反動はやって来るでしょうね。

 

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2007-05-21 00:01
持続可能な経済成長とか 持続可能な開発  とか
最近、経済発展と地球環境を両方とも手に入れられるかのような怪しい概念が使われています。非常にうさん臭い言葉ですが、
「持続可能な開発のための地球サミット」なんてのも開かれました。世界各国の指導者達もこの言葉を使うのをよく耳にします。


 どんな概念なのか改めてネットで調べてみると、想定していた
「持続可能な社会を維持した経済発展、すなわち人間の住める地球環境を維持した経済発展、開発」
と言う意味以外にもう一つ単に、
「経済成長を持続させる」と言う意味だけでも使われていました。

どっちも、視点が狭く、矛盾だらけの論法です。

 先ず、私が想定していなかった、
(1)「単なる経済成長をずっと持続可能ならしめる」という発想の「持続可能な経済成長」は、新しくも何ともない愚かな発想でした。

 例えば、
「インフレなき経済成長は、今までやっていた仕事の仕組みを抜本的に変えて、例えばネットワーク社会で知恵を絞って、10人で行っていた仕事を2人で行うようにし、8人が新しく創出された仕事にシフトする」
なんて事を本気で書いています。ワークシェアリングとは逆行する個人の仕事が増えるのも大いに嫌なことですが、「新しく仕事を創出する」って、経済が行き詰まった先進国の常套手段だろうし、地球の有限性からそれに行き詰まったから、別の手段を考えているのではないでしょうか?
「消費を喚起して内需主導型の成長に移行」なんてのもありましたが、どこが新しいのでしょう?どこが持続可能な成長なのでしょう?
ある方法で行き詰まったから次の方法でってだけで、本質的に従来どうりの、対処療法ではないでしょうか?
 根本的に、経済を発展させる未開の人々、未開の土地がなくなってきた・・・という認識は合っているのに、
だから内需拡大って、言い方を変えれば、必要のない無駄な仕事を無理に作り出せって事でしょう。

こんなのばかりで、結局不要なニーズを作り出す」という発想をより姑息に行う、新しくも何ともない提案ばかりでした。なのにこれを
ニューエコノミーと呼んでいるとの事です。笑ってしまいます。あまりにもお粗末です。


「○○経済研究所」なんてとこの提案もこんなのばかりで、調べる意欲もなくなりました。


 さて、もう一方の、想定していた、

(2)「持続可能な社会を維持した経済発展、すなわち人間の住める地球環境を維持した経済発展、開発」
 というのも、(1)ほど馬鹿馬鹿しいものではありませんでしたが、私の予想したのよりもさらに低レベルなものでした。

省エネや環境保全技術の導入・普及 とか成長方式の転換とか
環境にダメ-ジを与える製造業に関わる活動と環境を保全する活動環境ビジネスを共に発展させていこうと言うようなとんでもないものもありました。
 やはり時間の無駄だったので、色々調べるのはやめました。


「持続的安定成長を目指す、地球環境にやさしい経済発展」
なんてやはり、矛盾した考え方
でしょう。
要するに、彼等の言うところの持続可能な経済発展とは
今や外部領域に新たに拡大できない消費拡大を、内的需要拡大や、環境ビジネスと共に発展させようと言う、工夫のない(工夫してなんとかなるものでもありませんが・・・)ばか丸出しの政策でしょう。

 仮にそんな可能性があるとしても、現在試行錯誤している訳ですから、環境被害が大きくなる前に一旦開発をやめ、脱成長して持続可能な社会に移行してから、そう言うたわごとを議論すればいいのではないでしょうか?今の経済成長を続ければ続けるほど、その反動としての環境カタストロフィーは凄まじく、人類は滅んでしまう可能性が高くなる一方です。

・・・・OECD[経済協力開発機構]による貢献も始まっているそうです。
 OECDは、持続可能な開発の進捗を測る指標の開発、市場ベースの手法の開発や環境に有害な補助金の除去を阻む障害の克服、持続可能な開発の社会的側面の研究、経済・社会・環境の3側面の政策一貫性の向上へ取り組み、これらの知見を活かして世界各国及び地球規模での持続可能な開発の実現に貢献していく。
・・・なんか色んな良い事を言っているようですが、抽象的にぼかして中身のない事を研究しているのではないでしょうか?OECDが出るあたりでもう終わってますね。
「単なる経済成長」
を続ける事がかなり怪しくなってきたから
「持続可能な経済成長」
って言い出した
カルト集団
です。
たちの悪い事に、これはカルトと言うには信者の数があまりにも多過ぎます。
     
 
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【2007/05/21 00:01】 | 社会・経済 トラックバック(0) |


ham
カルト集団っていう表現が面白いです!v-218
結局エライ人たちがお金への幻想を一瞬でも疑えるくらいの尋常さを持ってくれん限りなんも解決しないですよね…
まったく子供だましの会議はやめていただきたいです。。


信者が多すぎるけれど、やっぱりカルトでしょう
雑草Z
 根本的な公理とは絶対に言えない「経済成長」を盲目的に基本原理と信じ、それを大前提にしか物事を考えられないのですから、やはりカルトでしょう。
 普通のカルトとの違いは、メジャー過ぎる事でしょう。何せ現代社会の世界の主流ですから・・・これだけ大勢力になると、カルトと呼ばせない自己正当性を作り出してしまうところがカルトの危険なる由来でしょう。

 カルトでよく使う「子供騙し」的稚拙な方法が、国際的に通ってしまうところが怖いところです。
 いつか愚かだった事に気付くでしょうが、その時はもう既に遅し・・・となる事を大いに危惧致します。 

そのために国の借金を増やしているなんて!!
かっし~
お久しぶりです。
いつもブログへのコメント、ありがとうございますv-291

【持続可能な経済成長】を持続させるために、今まで通りでは難しいから、国が借金してまで市場にお金を投入する・・・

その裏には、『経済は成長して当然=GDP信仰』

ほんと、矛盾してますよねv-293


>国が借金してまで市場にお金を投入する・
雑草Z
  
 本当に狂ってますね。借金で日本の財政も破綻しそうです。
>『経済は成長して当然=GDP信仰』
は、本当にカルトですよね。
先ず最初に考えるべきは、
「人類が心豊かに暮らせる社会」
でしょう。今だったらそういう方向に転換出来るのに、GDP信仰によって、世界は地獄への道を加速をつけて突き進んでいます。
 経済成長を考えてもいいけれど、それが目的では狂ってます。


お久しぶりです。
『自然の摂理から環境を考える』のこの後の展開楽しみにしております。

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2007-05-18 00:01
ずばり、経済成長の本質と言えば、消費拡大に在るでしょう。それがどんなに矛盾を帯びたとんでもなく酷いものか多くの人がわからないのは不思議です。
洗脳されているとしか思えません。

 経済成長を続けなければ、沢山の不都合が生じ、色んな事が破綻するから経済成長を止めるのは非現実的だと言う財界人や経済学者は沢山います・・と言うよりそれが主流ですが、それは、経済成長を前提に社会を作ってしまったからです。別な仕組みにすればいいのです。矛盾だらけの経済成長を何の説明もなしに前提として考えている世界は、洗脳されているとしか思えません。

 消費拡大は、企業は勿論、政府までも煽りますが、虚業の大手、巨大広告代理店もその役割は大きいでしょう。
 その代表、電通が1970年代に社内で提唱していた戦略十訓を載せます。


 1.もっと使わせろ
2.捨てさせろ
 3. 無駄使いさせろ
 4.季節を忘れさせろ
 5.贈り物をさせろ
 6.組み合わせで買わせろ
 7.きっかけを投じろ
 8.流行遅れにさせろ
 9.気安く買わせろ
10.混乱を作り出せ

  実際の電通の戦略だったというから呆れるばかりです。
 本当にとんでもない、酷い戦略です。電通ってとんでもなく嫌らしい会社ですが・・・それはさておき・・
これが消費拡大の戦略の本質でしょう。
本当の生活必需品がとっくに出揃ってしまった現代は、(と、言っても30年以上前からでしょうか?)こんなことが、消費拡大の戦略になったのです。現在はこの「戦略十訓」は使われなくなったと言っているかも知れませんが、広告代理店の本質は今でもこんなもんでしょう。消費拡大を煽り続けて花火を打ち上げ続るのが仕事の本質でしょう。・・・そして、人々はこんな事で踊らされて消費拡大していくのです。こんな事の為に人類の住みやすい環境は破壊され、環境汚染され、人間は絶滅の危機に瀕しているのです。
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【2007/05/18 00:01】 | 社会・経済 トラックバック(1) |


プードル
本当ですね…汗


環境を壊している人間という動物が環境保護を呼びかけている…叫んでいる…
矛盾デスねv-356
破壊するだけ破壊してあとは自然を守ろうなんて…
都合がイィデスねv-292

「環境保護」という言葉は
雑草Z
「環境保護」という言葉は人間が使うと滑稽ですね。保護というより、自分たちが生活できる環境を維持する事ですから・・・軽率に使っているへんな言葉かも知れません。

 プードルさんお久しぶりの歓迎です。この記事は、消費拡大の愚かさについての記事なので、その内容のコメントを戴きたいですね。広告代理店の「煽り」についてとか・・・

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2007-05-15 00:01
 山や森、川や湿原など、自然が残された場所では、ゴミ箱が設置されていない所が多く、ゴミの持ち帰り運動が定着しています
 私は以前より、このゴミの持ち帰り運動には疑問を持っていました。いや、普通にゴミ箱を設置せよという積もりは毛頭ありません。人がこんな所まで持ってきたゴミを、わざわざ税金を使って回収する必要はないでしょう。それなら自分達で持ち帰るべきです。
 私の疑問は、こういう場所からゴミを持ち帰る事が、果たしていい事だろうか?という事です。根本的な解決策になっていないどころか、余分な環境汚染を作り出しています。

 確かに残された大自然を大切にするべきです。現在の形態のゴミを山や森、川や湿原に置いて来たら、それこそ不法投棄現場のように、すぐに酷く荒れた状態になってしまうでしょう。
 しかし、その特殊な場所・・・壮大な自然の残された場所だけをサンクチュアリーとして、ゴミは持ち帰って別の場所に捨てる・・・っ て、ゴミ問題から言えば何の解決にもなっていません。ゴミの絶対量は減らないどころか増やしています。・・あちこちにばら撒くよりはいいでしょうが・・・。こう言う手法は、環境問題対策とは言えないと考えます。
 それだけではありません。地上の栄養分は重力によって下へ下へと落ちていきます。程度問題では有りますが、山の上へ生ゴミを置いてくるのはあながち悪くもないことではないでしょうか?
 缶やペットボトル、ビニール袋などの人工物質は持ち帰るべきでしょうが、生ゴミ、糞尿は、目立たぬように置いてくるのも決して悪いことではないと考えます。・・・自然に腐る過程で、ほかの生き物の栄養になっていくのです。

 例えば、最近携帯トイレを登山口とかで売って、山でした便の持ち帰り運動がなされていますが、私はこれには反対です。それならば、バイオトイレの方がずっといいでしょう。自然の循環に流せる糞尿を、携帯トイレの容器に入れて麓に帰ってから捨てれば、その容器は人工物質で、自然に循環はしませんから、折角の栄養分たっぷりの糞尿を自然の循環から隔離して、結果として余分なゴミを増やすのです。

 - かつて、5年ほど前「東北自然保護の集い」とかに出席してみた時、この携帯トイレを推進している方がいて、この携帯トイレ推進運動を大会アピールの一つとして採択する事に私が一人で反対して、採択が流れた事があります。(その時以来もうその集会には出ていませんが・・)
採択しようと言う方達は、
「赤ちゃんの紙おむつと同じようなものだから、山を汚さずにいいではないか・・・」
と言ってましたが、私は、「だからこそ駄目だ!」と反対しました。紙おむつは、利便性だけ求めて家庭をきれいにして、環境汚染物質を増やしているのです。まさに、携帯トイレは紙おむつと同様に、局所を汚すのを防ぐ代わりに、もっと広域を環境汚染するのです。


 犬の糞の持ち帰り運動も同様です。確かに犬の糞を道ばたや玄関先に置いていかれたら酷いと思うだろうし、マナー知らずだと思うでしょう。しかし、家に持ち帰った糞は、大抵ゴミとして袋に入れて出すそうです。極端な場合は、化学物質で固めて燃えないゴミに出すと言うのを聞いたことがあります。

 こんな事がマナーになったのも、どこもかしこもコンクリートやアスファルトで鋪装したり、側溝までもU字溝を使うからです。犬の糞くらい、土をちょっとかぶせるくらいが適当な処置でしょう・・・そんな余裕のない都市部は、人口過剰過ぎるのです。森で犬が糞をしても目くじら立てて騒がないでしょう。
 余談ですが、私が育った岩手県の田舎では、通学路などに馬や牛の大きな糞が落ちていたものですが、誰も文句は言いませんでした。

 こう言う局所的な環境保護運動は、地球規模と言わずとも、もう少しマクロに見れば、環境汚染を増やしているだけの事だと思います。こんな事は環境問題対策と呼ぶべきではありません。

 山で便意をもよおしたら、「花摘み」と言って、木陰などで用を足して、土を少しかけてくる・・・そういう大らかな伝統が、下方の海に流れてしまう栄養を山の上に戻していたのでしょう。、山の上から、ずうっと下って下の地区までの栄養供給にもなるのです。

 確かに過剰な場合は山の生態系に影響はあるので良くないでしょう。
尾瀬の水芭蕉も人間の捨てた生ゴミで肥大化しています。人間の糞尿は栄養分が強すぎて、低い養分で生きている高山植物に過分な養分を与えると言う危険性もかなり有ります。しかしそれも程度問題でしょう。オーバ ーユースを制限すればいいのです。万年雪の残る山とかを除けば、
多少の「野グソ」は、生態系にとっては「恵み」ではないでしょうか?


 - 以上、昔からの私の持論は、槌田敦氏の以下の文献が後押ししてくれました。

『熱学外論 ー 生命・環境を含む開放系の熱力学』
・・・これが、物理の熱力学の本だと言うからびっくりです。本書については後日また色々書きますが、こんなに面白い熱力学の本を書く槌田敦さんは、それ
だけでも素晴らしいと思ってしまいます。

『エコロジー神話の功罪 ー サルとして感じ、人として歩め』
・・・槌田氏の得意とする似非環境保護についての本です。サブタイトルもGoooo!!
     
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【2007/05/15 00:01】 | ゴミ・廃棄物 トラックバック(0) |
2007-05-12 00:07
 最も多いゴミは何でしょう?・・・ゴミ収集所で出されたゴミ袋の中を見ると、袋の中は、容器や袋だらけなんてことはよくあります。つまり、特に「使い捨て」にする必要のない容器や袋包みなどの「使い捨ての入れ物」が、最も多いゴミではないでしょうか?

 日本でも過剰包装の勿体無さが叫ばれて久しい筈ですが、過剰包装はなくなるどころか余計に増えています。パッケージ専門店なんてのまで現れる始末です。
 なくならない過剰包装一つとってみても、日本のゴミ行政の、対処療法しかやっていない事のいい加減さ、無策を感じます。日本の過剰包装は本当に情けなく、とんでもないものまで包装していますが、その中でも最もどうしようもないものの一つが、ゴミの過剰包装ではないでしょうか?


 最近人々は極端なきれい好きになって、公共施設も会社も各家庭も、ゴミ箱の内側に、ゴミ袋をすっぽりセットして置く事が当たり前の事のようになってしまいました。・・・回収しやすいように・とか、ゴミに残っていた液体がゴミ箱を汚さないように・・・等が理由と考えられますが、その為にゴミの量が一段と増えました。
 回収用ゴミ袋の中に、各家庭用のゴミ箱につけるビニールゴミ袋、そのビニールゴミ袋の中にレジ袋、レジ袋の中に空の容器や袋が沢山入っていて、その袋の中にキャンディーやせんべいを一つ一つ包んでいたビニール袋・・・・・・なんてのは、よくある光景です。結局、禅問答ではありませんが、容器の中身は容器で、そのまた中身も容器・・・と、辿っていっても入れ物の中身は、入れ物自身であって中身がない・・・・。ゴミ袋をさらに大きなゴミ袋に入れていけば、当然の事ですが、ゴミがどんどん増えていきます。ゴミ袋でどんどんゴミを増やしているのです。まさにゴミバブルです。
 見方を変えれば、ゴミを捨てるだけの為にゴミを過剰包装しているのです
ゴミの回収にさえ、使い捨ての「ゴミ袋」を使う必要はないでしょう。ちょっとくらい不便でも、ゴミ箱が汚れようと、ゴミ袋は使わずに、家庭では直接ゴミ箱に、ゴミの回収では備え付けの容器に、ゴミを入れるシステムに戻すべきでしょう。

 製品を買う時に過剰包装して買い、その過剰包装の容器や包み紙が主なゴミとなり、さらにそのゴミを捨てる時にも何重にも包装して捨てるわけです。とんでもないお話です。ゴミがゴミを呼ぶというか、小さなゴミが大きなゴミを作り出しているのです。

 ゴミまで過剰包装・・・・こんなふざけた事をずっとやってきているのです。

 最近定着してきた、山や海や観光地、または地域社会でのでのボランティアによるゴミ拾い運動も同じ問題があります。ゴミを拾う人それぞれに袋を渡してゴミを拾い、一人一人の袋はいっぱいにならずとも、その個人の袋ごと、さらにまとめて大きなゴミ袋に入れて回収・・・なんて事もよく見かけます。ゴミ袋が勿体ないだけでなく、明らかに「ゴミ袋」というゴミを増やしています。そして、集めたゴミをよく見ると、枯れ草や木の枝、生ゴミや虫の死体・・・なども多く、ゴミ袋にさえ入れなければ、自然の循環に戻れるものも沢山あります。それを酷い時には、他の種類のゴミ・・・金属やプラスチック、と混ぜてしまっています。・・・しかし、混ぜなくともビニールなどの袋に入れれば混ぜたことと同じでしょうが・・。

 ゴミ行政で切迫した問題は沢山ありますが、その大きな一つが最終処分場の問題でしょう。こんな善意のゴミ拾い運動が、最終処分場の寿命を縮め、生ゴミなどを生態系の循環にもどすチャンスも奪ってしまうのです
 だから、こんなゴミ拾い運動はやるべきではないと考えます。・・・じゃあ、ゴミだらけになって困るじゃないか・・・?と言う人がいるでしょうが、現実を直視して困るべきです。困ったら、お役所も企業も、そんなゴミを出さないように、過剰包装をやめ、生態系で循環しないものの製造はやめるという方向を本気で考えるのではないでしょうか?
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【2007/05/12 00:07】 | ゴミ・廃棄物 トラックバック(0) |
2007-05-09 00:01
私は物をあまり捨てません。・・・まだ使える物・・・ペットボトルや食品トレイなどしか思い浮かびませんが・・・を捨てる時、罪悪感があります。 一瞬なんとも嫌な気持ちがします・・・・

 しかし一方、ほとんど罪悪感を感じない場合があります。
それは例えば、食べ忘れて腐ってしまったもの・・・腐らせてしまうまで食べ忘れていた事には、失敗したと罪悪感がありますが、これを捨てることには罪悪感がありません。
・・・これをゴミ袋に捨てれば、きっと罪悪感がありますが、私の家では、生まれたときから(何度か引っ越しましたが、いく先々で)庭と言うか土の部分に穴を掘って埋めていますので、また土の栄養になって、野菜や木の栄養でなくとも、雑草の養分にでもなると思うので、気持ちは楽です。
 ・・それよりも、水洗トイレで糞尿を流すほうが、折角の肥料が勿体ないと感じます・・

 食べ残しでも・・・これも私は滅多にしません・・、エビのしっぽから、茄子のへたまで食べてしまいます。(笑)・・・猫や雀や小魚や蟻の餌にしたり・・・土の微生物に有効活用して貰って、形を変えて巡ってくれば、それでいいと感じます。
 廃棄物が自然の循環に回ればいいのです。・・・人為的なリサイクルでは駄目です。外部からのエネルギーや別の物資の投入が必要だからです。

 最近は犬の糞の持ち帰り運動もすっかり定着してしまいました。これは、道でも側溝でも何でもかんでもコンクリートで固めて、土を露出させていないからです。人や動物の密度の大きさも問題です。しかし、生ゴミでも糞尿でもその辺に放って置けばすぐに腐って小動物から微生物の餌になって土に帰って行く自然の完璧な仕組みを大いに利用すべきでしょう。
 
 使っているものがみんな生態系の循環に乗るもので、道ばたや身の回りに土が露出し、捨てたものを腐らせて、二酸化炭素や水や無機物質に分解するまでエネルギーを多くの生き物が有効利用するような自然の循環に囲まれた生活をしたいものです。
 そういう環境では、物を捨てても罪悪感はないでしょう。

 江戸時代のように、生態系の物質・・糞尿や体そのものを完璧な自然の循環に戻せる仕組みをしっかりさせて、生態系の物資を使い捨てしても何の環境汚染にもならない生活に戻りたいものです。

 使い捨ての出来る生活 = 使い捨てしても環境汚染の起こらない生活 
= 使い捨てしたものが生態系の循環を回る生活・・・それが、持続可能な社会の最低条件でしょう。
そのような意味での、使い捨ての出来る生活をしたいものです。
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【2007/05/09 00:01】 | ゴミ・廃棄物 トラックバック(0) |

土に感服!
おかっぱ頭
10年程前から庭にコンポストを置いて生ごみ処理に使用しています。が、失敗談を。
生ごみをただポイポイ入れるだけで堆肥に変えてくれる優れもの、と思いきや、蓋を開ける度にすごい悪臭!すごい虫!それでもごみとして出したくはなかったので、息を止め、目をつぶって数年間入れ続けていました。
後で判ったのですが、中央にだけ生ごみが山の形に固まって発酵、分解が進まず、ただ腐敗した状態だったからのようです。
発酵促進剤なる物もあるようですが、それよりも何よりもこれを解決してくれるすごく簡単な方法、それは ~生ごみを平らに広げて入れたらその上に土をかぶせる、たまにスコップでかき混ぜる、その繰り返し~ たったこれだけで微生物が発酵と分解を早めてくれて・・以来悪臭からも虫からも解放されました。土の威力には感服します。
堆肥になった部分は家庭菜園に使用し、古くなった土はまた生ごみにかぶせると云う風にうまく循環が出来ています。秋には落ち葉を一ヶ所に集めておくのですが、これも有効利用しています。
楽しいから継続出来ているのだと思います。
犬の糞も今の時代は持ち帰らざるを得ませんが、トイレに流さず各家庭でうまく工夫がなされれば理想的ですね。

そうですね。土に感謝です。
雑草Z
 土をコンクリートやアスファルトで覆ってしまうのは、本当に愚かな事ですね。生ゴミでも糞尿でも土に混ざって土に帰せば、養分の高い土になるのです。こうした土の土地は化学肥料や農薬と違って、砂漠化の心配もありません。

 なるほど、生ゴミを平らに広げて土をかければいいのですね?確かに生ゴミは十分空気があって広げておけば、嫌な匂いはあまりしないそうです。早速試してみようと思いますが・・・
 家では、現在の家に住むまでは、コンポストを使った事がなく、大きな穴を掘って埋めていました。そこでは、雑草もかなりの背丈に大きく生えました(笑)
 コンポストは、母が町から買わせられたようですが、コンポストって、本当に必要なのでしょうか?確かにコンポストでないとハエなどの虫は沢山集まって大変かもしれません。でも家のコンポストの中も下の隙間から入り込むのか、ハエなどの虫だらけになります。家では穴を深く掘ってコンポストをかぶせてます。穴が周りの土の高さぐらいになると埋めて、場所を移動していますので、家では本来のコンポストの使い方ではなくて、穴の蓋として使っているのかも知れません(笑)

 確かに発酵促進剤などは出来るだけ使いたくないですね。
いつも役立つ情報有難う御座います。

PS
 犬の糞の持ち帰りについてはもっと申したい事があるので、5/15にアップ致します。 
  

コンポストの正しい使い方初めて出来たようです
雑草Z
 家のコンポストも、上のコメントにかいたように、ただ穴の蓋みたく使っていて、生ゴミを捨てるときは、おかっぱ頭さんの家のように蓋を開ける度にすごい悪臭で、物凄い勢いで沢山の虫が飛び出してきて脅威でした。
 上のおかっぱ頭さんのコメントを読んで、やってみようと考え、先月に前の穴を埋めて、新たに穴を掘って試しています。生ゴミを捨てたときには、スコップで捨てた生ゴミを切りながら穴の側面の土を削ってかけるようにしてならしたています。悪臭もしなくなり、虫もほんの小さな虫が底のほうに少しだけになりました。本当に使い方によってこれだけ変わるのですね。正しい使い方のご指南有難う御座いました。
 
 沢山の虫が発生して、鳥の餌が増えて鳥が集まってくるのもいいかも知れません(コンポストから沢山の虫と一緒にすずめが飛び出てきた事もあります。)が、そこまでは我慢できず、スプレー式の殺虫剤を使ってしまうことになりかねません。

 コンポストも使い方一つなんですね!コンポストの意味も分かったような・。

お役に立てて嬉しいです。
おかっぱ頭
実践して下さったのですね!きっといい堆肥が出来る事と思います。
スコップで生ゴミを細かく切ってらっしゃるのもすごくいい事かと。その分早く分解しますね。

私も知り合いから教えてもらい上手くいってからは、逆にコンポストの蓋を開けるのが楽しみになった位です。

これからも気長に楽しみながら、そして何より土をかぶせる時は感謝を込めて、ですね!

羽虫はコンポストの外に出しましょう
雑草Z
 つい最近、去年までというより、一月ほど前までは、コンポストの中の沢山の虫を外に出したのでは自分の家にもハエ等の羽虫が増えるだけでなく、近所迷惑かとも思っていましたが、槌田敦氏の本を読んで、こういう虫の大切さを再認識しました。
 私の家の庭には沢山の色々な鳥が集まるのですが、これも庭の木の実だけでなく、生ゴミを庭に捨てているからでしょう。腐る前の生ゴミを食べたり、その腐りかけの生ゴミに集まる虫を食べに集まるのでしょう、(横からか、コンポストの中にまで入り込みます。)。
 コンポストに虫が沢山発生しなくなった今、コンポストを開けるときは虫を退治しないで、外に出して見ようかと思います。本当は槌田敦氏の提案に沿って、鳥を使って、山に木を育てる実験もしたいのですが、そんな山は近くにありませんし、かなり時間もかかります。

 槌田氏の森の再生の提案に関しては近々アップしたいと考えています。大変面白い素晴らしい提案だと思います。

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2007-05-06 00:01
 かつて使い捨て時代などと言われた時代がありました。ひと昔以上前、1970年代頃でしょうか?「消費は美徳」とさえ言われたとんでもない時代です。
 経済優先の考え方から、大量生産・大量消費・大量廃棄が行われ、数々の公害問題が起きた時代です。
 子供の頃この言葉を聞いたときは、なんとも嫌な気持ちにさせられたものです。
日本には、「勿体ない」と言う言葉があるのに、経済優先の悪しき流れに乗って、こんなコピーフレーズを流行させたのは、大手の広告代理店でしょうか?酷いものです。
消費は美徳」のフレーズを考えた人間は最低だと思います。

 その頃の時代の人は、使い捨てによって起こるゴミ問題などの環境汚染を考えつかなかったなどと言う人が結構いますが、それはかなりのお門違いでしょう。 その頃は、地球の有限性はみんな知っていたし、ゴミの処分場にも困っていたでしょう。公害なども問題になっていました。それまで質素倹約を美徳として生きていた日本人の多くは疑問に思った筈です。その証拠に日本では1973年に、「使い捨て時代を考える会」という会が結成されています。・・・経済優先の論理で企業がそれを奨励し、政府も奨励したので、何となく大丈夫ではないか?と思ってしまったのではないでしょうか?

 現在の21世紀を、いまだに使い捨て時代が容認されていると思っている人はいないでしょう。しかし現実は、明らかに使い捨て時代は続いていて、さらにもっと酷くなっています。 
 使い捨て時代と言われた20年以上前には、使い捨て商品は、割り箸や紙コップ、食品トレイとか色々ありましたが、使い捨てはやめようと言われて久しい現在も、その時代の使い捨ての商品はなくなるどころか消費量は増え続けています。

 そして、「消費は美徳」と言われたその時代でさえも、さすがに使い捨てにするには忍びなかったような商品が、現在では使い捨て商品として出回っているものが沢山あります。
 カメラ、コンタクトレンズ、おむつ、カイロ、手袋・・・混浴温泉での使い捨て水着なんてのもある始末・・・ふざけています。エレキバンなんて永久磁石を使い捨てにする健康商品もありました。永久磁石をどうして使い捨てにする必要があるのでしょう?

・・・そして、現在、広告でも
『使い捨て出来る○○○』なんて台詞がキャッチコピーになっています。
とても使い捨て時代が終わったとは思えません。
 その結果、ゴミの量も、使い捨て時代と言われた時代よりも何倍も増えています。
 最近日本の各地で力を入れているリサイクルも、使い捨てを助長しているとしか思えません。
【リサイクルには気をつけよ!】
   
 そして、人間まで使い捨ての時代になってしまいました・・・

 少なくとも日本に於いては使い捨て時代は実質終わってないどころか、酷くなっています。 20年以上前に終わらせるべきだとみんなが思った使い捨て時代は、いまだに続いています。そしてより酷くなっています。・・やはり、法律化しないと効力がありません・・。
それによって起こる環境汚染・・・ゴミ問題は最も深刻な環境問題の一つです

 
       ・・・・・・・・・・・・次回は、今回の内容に一見矛盾するようなタイトル・・・・・
         【使い捨ての出来る生活】   を描かせて戴きます。 
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【2007/05/06 00:01】 | ゴミ・廃棄物 トラックバック(0) |
2007-05-03 11:26
 かつて恐竜は、地上の王者のようにふるまっていたにも拘らず、滅びてしまいました。恐竜は体が大きかったけれど知能が低くて滅びてしまった愚か者のように言われます。恐竜が滅びたとき、すでに地上に現れていたという哺乳類は生き延びて、恐竜に生存競争で勝ったと言われています。そして、その頃はまだ出現していなかった人類は、その恐竜に勝った哺乳類の頂点に君臨しているつもりですから、恐竜とは違って賢いと思っている人が多いでしょう。誰が言い出したのか、一般にそう言われている事はよく耳にします。しかし本当にそう考えていいのでしょうか?

 恐竜と人間を客観的に比べてみたいと思います。
 人類は、恐竜が滅びたと言われる白亜紀末期(約6500万年前)にはまだ姿を現していません。どこから人類と呼ぶのかは、議論のあるところでしょうが、類人猿から人類が別れたのが1000万年前というところらしいです。現生人類である「ホモ・サピエンス・サピエンス」が誕生したのが、15万年前と言われています。さらに人間らしい歴史を持ってからは、せいぜい1万年と言うところでしょうか?
 まあ、多めに見積もって、15万年を人類の歴史と考えてみます
 その間に人類は体も少しだけ大きくなったようですが、特にここ100年くらいで一人当たりの消費エネルギーが一気に何百倍にも増えました。つまり恐竜ほど体が大きくないので、必要な活動のエネルギー(食料)は少なくて済む筈なのに、実際は活動に使うエネルギーは異常に増えています。異常繁殖して人口も持続可能な地球の許容量以上に増えています。


 恐竜は、三畳紀の始め(約2億5000万年前)から白亜紀末期(約6500万年前)まで存在したと言いますから、恐竜の時代は1億8000万年ほど続いたことになります。現生人類の歴史はせいぜい15万年ですから、人類の歴史はまだ恐竜の1000分の1程度です
 そして、環境破壊、環境汚染によって、人類が滅びる危機はこれから100年くらいが正念場ですから、結局人類の歴史は恐竜の歴史の1000分の1ほどで終わってしまう可能性がかなりあるわけです。
 楽観的に考えても、人類の歴史があと1万年続くとはなかなか考えられません。つまり、恐竜の歴史の長さの 0.1%を越えるのは、ほぼ無理でしょう。


 恐竜が滅びた原因もいろいろ考えられていて、まだ定説はないようですが、
隕石衝突説、彗星遭遇説、温度低下説など、外的要因によるという説がほとんどです。恐竜自らが原因を作ったと言う説はあまり見当たりません。周りの環境の変化についていけなかったから、順応性がなく、愚かだとも言われています。
 しかし、あれだけ巨大な動物が、人類の1000倍の期間生き延び、その間に、数が過剰になって食料不足になったりしたという話はあまり耳にしません。(勿論、揺らぎの範囲で、短期的、地域的には何度もあったでしょう。)。・・・それに比べて人類は、地球のキャパシティを越えて異常繁殖しています。食料分配も非常に偏っていて、飢えている人が10億人もいると言われています。このままいくと間違いなく食料不足は深刻になります。ここまで来て、本来なら絶滅の恐れを感じて早急な対策をするところでしょうが、まだ経済成長などと言うカルトまがいの事をのたもうている人類は、とても賢いとは思えません。と言うよりかなりの愚か者と言うべきでしょう。

 人類が滅ぶとすれば、この21世紀が最も危険です。滅ぶ原因も自ら作り出した環境問題によるでしょう。・・核戦争、核廃棄物汚染、森林伐採や化学物質の農薬などによる砂漠化等からの食料不足、・・・
 
 恐竜は、体ばかり大きくて、知能が低くて滅んでいったと言っている人類は、より小さな体なのに、恐竜よりも資源やエネルギーを浪費して環境を破壊しています。
 自らの作り出した環境問題によって、恐竜の生存年数の歴史の千分の一未満の歴史で幕を終えようとしている人類は恐竜より遥かに愚かと言わざるを得ないでしょう。

 

 ※過去の地上の歴史、地球の年齢だとか、恐竜の生存期間だとか、人類の誕生だとか、は、かなり大雑把な概数ですが、それでも私はあまり信じていません。これらの数字を、本当のこととして扱うのは抵抗があります。年代特定法は、厳密なようで実はいい加減です。だからこれらの数値は、一桁くらい違う可能性が十分にあると考えます。
・・・・それでも、人類は恐竜の歴史の長さを超えることは不可能でしょう。恐竜の歴史の1%も無理でしょう。
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【2007/05/03 11:26】 | 雑談 トラックバック(0) |

はじめまして。
RYO
ランキングからやってきました。僕は最初は経済発展なんかやめて、原始時代の生活に戻ればなんとかなるだろうと思っていました。でも本を読んでみると、「継続可能な経済発展」という言葉が出てきました。確かに今ある優れた技術は経済発展なしではありえなかったと思います。



環境問題の本質を掴んで下さいね。
雑草Z
 ご訪問とコメント有難う御座います。
「原始時代の生活に戻れば」と言うのは、中々大変ですが、持続可能なレベルまでは経済レベルを下げるべきでしょう。現在の経済成長神話はとんでもないものです。
「持続可能な経済成長論」は、今盛んに世界で論じられていますが、それは本質的に矛盾を内包しています。調べてみて下さい。このブログでも近いうちに取り上げる予定です。
環境問題は、かなりの似非科学が出回っていますので、それを見極める事が大切でしょう。


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