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2007-03-30 23:59
食料不足5

 一昔前までは、マグロの消費大国と言えば日本でしたが、最近はアメリカをはじめ世界各国での需要量が増えています。特に日本食ブームの中国での消費は、日本を抜く勢いのようです。
 最近、乱獲による、マグロの食料資源としての枯渇問題が心配されています。マグロ漁獲量の規制も議論になっています。

 しかし、それが、大変な問題でしょうか?

 マグロは、海洋における食物連鎖の頂点に近い部分に位置します。まあ、マグロの上に人間がいる訳ですが・・・一般に食物連鎖においては、1段階進むとエネルギーは10分の1レベルに下がると言われています。つまり、食う食われるの関係に於いて、食われる魚の10のエネルギーが、食う魚の1のエネルギーになると言うことです。食われる小魚なら10㎏食べれるところ、それを餌にした魚なら1㎏しか食べれないと言う事です。そう言う意味では、野菜や穀物など食物連鎖の一番はじめにある植物を食べるベジタリアンが、一番食物のエネルギー取得の能率がいいわけです。
 だから、マグロが食えなくなるのを大問題にして騒いでいるのは甘いと考えます。マグロが食えなくなるのは、日本人として寂しいことかも知れませんが、寂しいくらいのレベルです。もっと言えば、贅沢な食べ物が一つ食べられなくなるだけです。
 マグロが食べれなくとも、食物連鎖のもう少し下の段階にあるサンマやニシンや他の小魚だけでも食えれば十分幸福だと考えます。そういう小魚をペットや家畜の餌にさえしている日本は、異常ではないでしょうか?
21世紀の前半、と言うよりこれから10~20年の範囲で見ても、食べれなくなる魚がマグロだけなら、かなり幸運だと私は考えます。世界の人口爆発と食の肉食化(魚を含む)を考えると、マグロくらいで騒いでいるのは、かなり御目出度いと考えます。そう言う意味でも私は、マグロ危機についてはたいした問題でないと考えております。ただ、マグロという世界中の大洋を泳いでいる魚の種の絶滅や激減による(思いもかけない)生態系の破壊は、心配するところです。
 
 単なるエネルギー変換だけではなく生態系の繋がりの問題もあるので、必ずしも植物だけ食べればいいと言うことではないと思います。食物連鎖は、食う食われるの関係に重点を置いていますが、そのときの廃棄物、つまり糞尿の栄養も生態系に重要な働きがあります。陸上の栄養は、川によって海に流されています。陸上の栄養が失われていくのです。海の魚を獲って、陸に運んで食べることは、海の栄養を陸に上げる重要な働きもあると思います。しかし、現在は、折角海から戻した陸上の養分を、水洗トイレで流して、無駄に使ってしまうので、その働きはストップされています
 →【最もリサイクルすべきもの】  , 【重点目標はうんちやおしっこ】 

 話を戻しますが、現在、世界のマグロの需要が増え、世界中の大洋に生息していたマグロが減少して、日本でもマグロが食えなくなる日がくるのではないかと心配されています。
 しかし、私は、まぐろが食えなくなるくらいで騒いでいるようなお気楽なことでは、この国の食糧危機は本当に深刻になると考えます。マグロが食べれなくなる事をきっかけとして、そこからもっと考察を広めるべきです。水産資源が確実に枯渇に向かっている事、すでにかなり枯渇している魚と海域がある事・・・北海のタラなど、事例は沢山あります。・・・水産資源の枯渇はかなりシビアーな問題です。この、一方的に減る地下資源等とは違い、増やす事も可能な水産資源の枯渇を防ぐ事を考え、さらに水産資源だけではなく、食糧不足の問題についてしっかり考えるべきであると考えます。


 例えば何年か後に"マグロが食えなくなる日"が来ても、食料不足にならなければ、かなり望ましいシナリオだと考えます。私だったら特に文句はありません。マグロが食えなくなる事が、絶滅によるものでなく、規制によるものであれば、なお望ましいくらいでしょうか?
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【2007/03/30 23:59】 | 食料と人口 トラックバック(0) |
2007-03-27 07:12
食料不足4

 マルサスの人口論は、人口は等比数列的に増えるが、食物(マルサスは食物だけでなく、人間が生きていくために必要な生活物資・・生活資料全般をさしているようですが、ここでは、メインの食物のみに着目します。)の増産は等差数列に増えるから、人口の増加に食物の増産は追いつかなくなるという考え方です。高校の教科書あたりに書いてあるのを見て、人口は、抑制条件がはたらかなければ等比数列(指数関数)的に増えるのは、当然であると理解しましたが、食料の等差数列的増産というのは、納得出来ませんでした。・・・
 それは今でも同じです。そもそも自然現象で、自由落下の時間と速度の関係や、抵抗が一定のもとでの電圧と電流の関係のような物理実験的なことではなく、物質が増える現象で等差数列的に増えるという現象が、部分的近似を除いてあるのでしょうか?どういう仮定の下かは分かりませんが、食料増産が等差数列的に増えるというのは、生産ライン上での製品の生産みたいな特殊な話で、実際の食料生産現場では、ほとんど有り得ないでしょう。
 私は、マルサスの人口論には高校時代からのこのような疑問点を持っていますし、(その事を特に調べてもいませんが・・)この、200年ほど前の理論は、ひどく雑な理論だとも感じますが、
 
それは兎も角、マルサスの人口論は概ねの部分においては合っている部分が多いとも考えます。

 的を得ているのは、人口は、食物が増加するところでは常に増加し、人口の増加は、食物生産を必ず超えるという事でしょう。(人間の意志の介在によって変わりうるのですが・・)それは、こんなマルサスの人口論を持って来なくても、等比数列(指数関数)の特徴と地球の有限性を考えれば至極当然の事ですが。 
 
 さて、人口が食料生産を抜いてしまって不均衡が発生した時、どんなことが起こるでしょうか?
 マルサスは、それを是正する力が働くと述べています。すなわち、人口に対してその増加を抑えようとする働きが起こるとしています。
積極的な妨げ』は、貧困、飢饉、戦争、病気、退廃などです。
 (貧困や飢饉は、妨げと言うより当然の結果として起こるべき事と言うべきでしょう・・)
予防的妨げ』は、晩婚化、晩産化、非婚化による出産の抑制です。
また、人為的努力により、耕地拡大や収穫拡大も生まれ、生活資料の水準を高めようとする働きも起きると述べています。

 日本は、決して不幸中の幸いとは呼べませんが、今のところ強い経済力の為に、悲惨な『積極的な妨げ』、すなわち、目立った、貧困、飢饉、戦争、病気、退廃などは起こっていません。(兆しはあるので、政府はそれを敏感に感知し、謙虚に対処すべきです。)
 その代わり、明らかに『予防的妨げ』として上に記したもの・・晩婚化、晩産化、非婚化による出産の抑制・・が起こっています。これは、自然の摂理なのかも知れません。これから来るべき、悲惨な『積極的な妨げ』のカタストロフィーを和らげる為の自然の防御ではないでしょうか? 
 それに加えて、収穫拡大などの人為的努力も行われていますが、それが、、農薬、化学肥料の大量投入という、農業生産性を持続できない緑の革命と同じ一時しのぎの方法論なのです。
『少子化対策』をして人口を減らないように出産を奨励している日本は、将来にわたって日本の人口を養うだけの食糧確保出来る見込みがあるのでしょうか?日本政府はそんなところは、全く見通してはいないと思われます。
 ただ単に、戦後の混乱を過ぎてから、食糧自給率は落ちていったけれど、戦後60年以上顕著な食糧不足はやって来なかったと言う事実があるから安心しているだけでしょう。実際は、1993年の少しの日照不足による稲の不作であれほど騒ぐほど、日本の食糧は脆いのです。
こんなもんで済む訳はなく、このまま無策が続くともっと悲惨な『積極的な妨げ』が起こるでしょう。
それなのに日本では、逆行する対策をとっているわけです。


『少子化対策』はこれから発生するであろう悲惨な『積極的な妨げ』・・貧困、飢饉、戦争、病気、退廃をより悲惨な状態にさせることでしょう。世紀の愚策です。
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【2007/03/27 07:12】 | 食料と人口 トラックバック(0) |
2007-03-24 19:40
食料不足3

緑の革命[Green Revolution]
は、主として開発途上国の人口増加による食糧危機克服の為に、アメリカを中心に多収穫の穀物の品種を開発して、大量増産を達成した出来事です。
 第二次世界大戦後、1950年代あたりから小麦、トウモロコシ、イネなどで半矮性と呼ばれる背丈が低く作物が倒れにくく、肥料によく反応する品種、HYV種[High Yieldind Varieties 高収量品種]を開発して、導入し、食糧の増産を達成し途上国の飢餓を救ったとされています。この多収性品種の開発に努めたアメリカのノーマン・ボーログ博士は、歴史上どの人物よりも多くの命を救った人物として、ノーベル平和賞を受賞しています。

 しかし、実際はアメリカの食糧戦略の一環としての効率の高い農法の研究から始まったもので、中国の赤の革命の、農村で農民が農地を取り戻そうという運動に対抗するためのものだったとの説もあります。
 HYV種[高収量品種]の導入により、土地の面積あたりの収穫は上がりましたが、在来種より肥料や水も大量に必要だった為に、大量の化学肥料と灌漑用水が必要になりました。
 つまり、灌漑施設、農薬など、工業(製品)の投入が行われ、多額の投資が必要になりました。小農には不利になり、富農と貧農の2極化をもたらしました。
 この緑の革命で生産性が向上して穀物が余り、市場価格が低下して、農家は資金繰りの悪化などから累積債務が増え、その国で作られる農作物が自国の人々が食べれずに、飢餓が広まったり、そのほか様々な社会問題も引きおこされています。
 そして、一時的に途上国の食糧自給率を上げましたが、化学肥料の輸入など、農業でさえ先進国への依存がどんどん増える結果になりました。農業を資金のかかるものに変貌させてしまいました。農村に市場経済を浸透させました。
 この、一時的な高収量の代償として、土壌から大量の栄養分が失われ、土壌流出しました。農薬汚染や大量の地下水使用による塩害も発生しています。最終的には農地の砂漠化も起こっています。

 現在では緑の革命を失敗とみなし、それぞれの土地条件に合った在来品種の見直しも行われています。自然農法に変えようという動きも見られます。
 緑の革命は、産業革命の農業版と考えることも出来るでしょう。つまり、農業における工業化による大量生産です。

 大量の農薬により、水は汚染され水田などでの淡水魚の繁殖が妨げられ、生態系は破壊されていきました。稲藁が使用されなくなり、プラスチックなどの石油化学製品が購入させられました。その結果在来種などによる循環形農業が破壊され、農業生産とともに、不必要なゴミ類も出るようになり大きな環境汚染ももたらしています。

 緑の革命で、一時的な飢餓を救った事は、紛れもない事実です。
しかし、より大局的な見方をすれば、緑の革命による農業は、禁じ手ではなかったでしょうか?緑の革命は、土地に麻薬を打ったのです。
 一時的に食糧の著しい増産に成功し、飢餓を救って、さらに食糧の余剰を生み人口爆発を大きく加速しました。しかしこの農業は、近代的農薬付けの農法で、栄養が流出して、生産性がぐっと落ち込んだのです。生産が落ち込まないためには、対症療法として、農薬をますます過剰に投与し、ますます土地を不毛の地に変え、この悪循環は最後には土地を砂漠化してしまうのです。
この先には、大きな飢餓が待ち受けているです。引き延ばされればされただけ悲惨な飢餓です。 


 持続可能な食糧増産でなく、一時的な食糧増産は、人口爆発を加速し、食糧不足によるより悲惨な飢餓を引き起こすのです。
 今からでもその土地に合った、循環型の農業に戻して、持続可能な食料生産を図って行くべきでしょう。しかし、緑の革命の一時的な食糧増産により、過剰に増えてしまった人口の問題は非常に深刻な問題です。
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【2007/03/24 19:40】 | 食料と人口 トラックバック(0) |
2007-03-21 01:46
食糧不足2

世界は人口問題に関して非常に無策です。特に日本では少子化対策などと云うとんでもなく逆行する対策が政府によって行われています。マスコミもこぞって少子化対策を論じています(以前書かせて頂きました。↓)
【少子化問題】  2006/11/2 http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-64.html
【少子化のススメ】2006/11/3 http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-65.html
こんな、ほんの目先の事しか考えられない政府やマスコミは、思考停止しているとしか思えません。

せっかく減りつつある人口を増やしてどうするのでしょうか?
その結果どういうことが起こるのでしょうか?

 人口は指数関数的に増えますから、条件さえ整えば2倍増に50年もかかりません。実際、ここのところ40年間で人口は約30億から約60億とおよそ2倍に増えています。
 現在世界では10億人前後の人々が飢えていると言われますが、食料を公平に分配すれば、まだ地球の人口は養える分だけ生産可能だとも言われます。
 世界の食料生産可能量については、色々云われていますが、持続可能な食料生産料は、もう限界に近付いているのではないでしょうか?土地の負荷を考えると限界を超えているかと思います。水産資源は明らかに枯渇しつつあります。地球上での食料生産が養える人口は、動物タンパク質の割合によってもかわります。(さらに動物の中でも、食物連鎖の中での何次の動物かによって、1次につき10倍くらい違いますが・・)
 世界の持続可能な食料生産が100億人分であったとしても、たとえその倍の200億人分あったとしても、指数関数的に増える人口から見れば、40年くらいの違いです。だからたとえ公平に分配出来たとしても、今世紀中に絶対量としての世界の食料不足はやってきます。(実際には、今世紀の前半中・・・と言うより数年でやってくる可能性が高いでしょう・・・最も差し迫った大きな危機だと思います。)

だから、今世紀中に、最低でも世界の人口増加は止まらなければなりません。(実際、現在の世界の人口で十分過剰でしょう・・)
その、止まり方は、次のどちらかでしょう。
 1.自然にとまる。
 2.人間の意志で調節する。

 多くの国では、1.自然に止まる  のを待っているようにしか思えないほど無策です。と言うより、もっとどうでもいい事に躍起になり、人口問題はほったらかしです。
 『自然に止まる』と言う場合どんな事を意味するのでしょうか?
 生物学的に実際産まれてくる子供の数が減るなどの現象もあるかも知れません。環境ホルモンのために産まれる子供が減る可能性もあるでしょう。
 しかし、現実の可能性として最も高いのは、
 『食料供給量を人口が上回り、多くの餓死者が出て人口増加が止まる、または減る』事ではないでしょうか?

 過去の多くの文明が、地域的な人口の過剰により食料不足を引き起こし、大量に餓死者を出しました。人口過剰状態の時に、耕地で過剰生産をしたり、家畜を小さいうちから食べてしまったりしてしまい、全滅やそれに近い状態までなっているのです。イースター島やアメリカのアナザシ遺跡などでは、最後は人肉食まで至ったとの説が有力です。

 現在の世界の多くの政府は、結果として、その餓死者が出る事を待っているようにしか思えません。
安定した余裕のある食料供給でまかなえる人口で押さえないと、悲惨な餓死者が大量に出ます。緑の革命のように、食料生産を上げられるだけ上げれば、それに伴って人口も増えれるだけ増えて、そのうち無理をした事により、一気に食料生産が落ちて、大量の餓死者が出る・・・人口増加が止まるだけでは済まず、滅りはじめる・・・
そして、食料の争奪戦がエスカレートして・・戦争が始まる・・・この戦争は、領土を取ったり相手を征服したり、が目的でなく、「食べる人口を減らすこと」自体も目的になりますから、悲惨極まりないものとなるでしょう。まさに地獄絵です。(過去の文明だけでなく、現在既にアフリカなどでは似たような地獄絵は起きているのです・・・)
・・これを、『食料の絶対量不足による連鎖カタストロフィー』とでも呼びましょうか。私にはどうしてもこういうシナリオが頭を過って仕舞います。
 つまり、そうなって仕舞ってからの対策は、『人口調整の為に人を殺せ』と言う議論まで発展することになってしまいそうです。

 食糧不足による餓死者の増加で人口を調節するなんて、そんな悲惨な事を文明人は求めているのでしょうか?
 既に、政府の意志で、人口調節をはじめた国・・中国・の一人っ子政策は、ある程度は成功していますが、人口の増加率を低く押さえる程度で、人口増加をストップさせたり減らすレベルには至っていません。(実際は、戸籍を作らない子供が増えているだけと言う話も・・)
 
 もう少し縛りのある方法で、人口増加は止めてゆくべきでしょう。一人っ子政策のようなものをもっと徹底するか、別の方策か・・・このような議論はもっともっとされるべきことでしょう。人類の意志で、できるだけ悲惨でない方法で人口を増やさない事を探らなければならない時代になったのではないでしょうか?・・もうタブーでは済みません。人間の増加は、生物学的にも異常繁殖の部類でしょう。
国際会議を開いてもなかなかまとまらないことでしょうが、不確実なCO2削減の為の国際会議よりもずっと優先すべき議題です。

 
「人口増加は自然に止まるのを待っていろ」って言う事は、異常繁殖したネズミやバッタのように、食べ物を求めて一斉に大移動しながら生態系を破壊し、遂には食いつぶして、共食いまでして絶滅するまで待て・・・と言っているようなものではないでしょうか?。
 自然に減り始めているのを食い止めようと少子化対策を躍起になって考えている日本の人々は分かっているのでしょうか?
 少子化対策は、すぐ後の世から見ての世紀の愚策の一つになることでしょう
 人口調節はかなりシビアーで繊細な問題ですが、避けて通れば大変なことになるのではないでしょうか?。
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【2007/03/21 01:46】 | 食料と人口 トラックバック(0) |

原発
かんちゃん
表題の「人口調節」とは関係ありませんが、度重なる原発の重大事隠しに腹が立つのでコメントしました。
制御棒の脱落による臨界事故は大変なことです。1978年にすでに起きているというじゃないですか。待ったく何を考えているのだ!! ばれたから発表する、いい加減にしろ!!
臨界事故が原発にとっては致命的だととのことは電力会社は良くわかってるだろう。チェック機能が働かない担当行政もこれで全く当てにならないこともよ~く解った。いまさらとは思いますが。もう政治を変えるしか原発は止められない。
来週から選挙のシーズンですが、このサイトをご覧になっている皆さん必ず投票しましょう。もちろん反与党で。ああでも民主系もだめか。選択肢はとりあえず社民系か共産系か。
ごめんなさい。激情にまかせた滅裂な文章で。

表題との接点は・・?!
雑草Z
 制御棒が外れて、臨界状態になるって、酷い話ですね。あと少しで核爆発かも知れませんでした。これが北朝鮮の話じゃなく日本の話なんですから・。
 実際、投入したエネルギーは回収されるどころか、やればやるほどエネルギーの浪費になり、廃棄物の安全な処分も不可能で事故が起これば桁違いの大惨事になる原発は、人類にとって恐怖の技術以外の何物でもありませんね。

 しかし、かんちゃん氏のこのコメントは、カテゴリー『原子力』のどこかにして欲しかったですね(苦)
と、言う事で
 『食糧不足』と『原発』の接点、共通点は、
 ○日本で云うと、共に政府の愚策と言うより、完全なる失策によるものと言う点でしょう。
 ○世界的に云えば、原発事故、放射性廃棄物汚染と、食料不足による飢餓、動乱が最も差し迫った危機と言う事でしょう。
少なくともCO2温暖化等という不確かな絵空事のような危機とは違い、現実に差し迫った危機でしょう。どう思われますか?
食料不足対策に関する考えもお聞かせ下さい。
 
 表題と関係ない事のついでに、丁度気になっていた事をかかせて戴きますが、私もフェアトレードコーヒーを買うようにさせて戴こうかと考えています。基本的考え方は、07/2/25【フェアトレードは望ましい事だろうか】およびそのコメントにかいた通り変わりありませんが、コーヒー飲むならフェアトレードでしょうか。   

尊厳死も
ラグナロク
少子化ももちろん人口抑制に効果があることは認めます。
 しかしそれに付け加えて今よりも尊厳死をもっと肯定する社会に変える必要もあると考えます。

 自分自身は、痴呆になってぼけたりするのなら楽にこの世を去りたいです。

 またクビから下が麻痺してしたいことも出来ないしなによりなんでも人の手を借りないと生きられない身体になるぐらいなら死んだほうがましです。

 現在では自殺を助けたら「自殺ほう助罪」に問われたりすることがありますが、わけが分かりません。

 少子化に加えて今よりも尊厳死を肯定する社会になれば人口抑制効果も上がるのではないでしょうか。

繊細な問題ですが、人口抑制は出産の抑制で
雑草Z
 まだ、生まれてくる前の人間というか、存在しない人間を、この人口過剰な世の中に(無理に)沢山存在させる事に関しては反対です。だから、排卵誘発剤の使用も反対です。
 しかし、既に生まれて来た人間に関しては、それぞれ尊厳があります。首から下が麻痺していても大抵の方は生きたいだろうと考えますし、痴呆老人にも動物的生存本能はあります。おっしゃるように尊厳死問題も考えるべき大切な問題かも知れませんが、私の環境問題の議論の対象外とさせて戴きます。
 ただ、人口過剰の食料不足から、弱い存在から先に犠牲になって欲しいという究極の状態を避ける為にも、人類自ら、人口抑制、つまり出産の抑制すべきだと考えます。


ラグナロク
 もちろんそれもあると思いますが、死にたい人がいるのも確実です。
 そう言う人の自殺を助けただけで、罪になる悪法は変えるべきと思います。
 雑草さんの環境問題の対象外とのことなので、この変でやめにしましょう。 失礼しました。


ラグナロク
この変×
この辺● 
失礼しました。

社会問題、哲学的側面
雑草Z
そういう自殺ほう助罪に関しては、私も概ねラグナロク氏のおっしゃる通りだと考えます。法律には融通の効かない部分が多々ありますね。別な危惧もあるからなのでしょうが。
 これ以上は哲学的な話になりますので、やめますが、
 最近、このブログでかく内容も社会的カテゴリーが増えてきました。
 CO2温暖化虚構説のあたりは科学的な議論、検証が中心ですが、人口問題になりますと、社会科学や哲学的側面も避けて通れない部分があると、書きながら感じております。

こんばんは!
kumacom
人口調節について、私もずーーと思っていました。
このまま人間だけ増え続けていくのでしょうか…。
中国の一人っ子政策くらいで、
どこの国も人口増加を止めようとする論議は余り?殆ど?されていないようで…。

私は女性ですが、子供は産まないと決めています!


世界は既に人口過剰
雑草Z
 人類は、既に経験したことのない数の人口爆発を続けています。自然に止まるまで待つと言うのは、飢餓を待てと言うようなものです。この異常繁殖は、確実に破滅に向かっています。近年の絶滅している動物の種の異常な多さは、人類の代わりの絶滅であり、人類の破局も意味するでしょう。
 現在の60億以上と言う人口は、もう過剰であるから、増えないことを真剣に議論すべきです。

 『子供は産まないと決めている』
と言う姿勢は、徹底していて、凄いことだと思います。頭の下がる思いです。まだ、考慮の余地は・・等というのは余計なお世話でしょうか?
 でも、これから生まれてくる子供は、食料、人口問題以外でもこのまま無策が続けば、悲惨な未来が待っていることも事実でしょう。
 夢の未来どころか、地獄の未来にならないためにも、この異常な人口増加が止まらなければなりません。経済成長に洗脳された世の中も変わらなければなりません。
 非常にシビアな問題です。  

お詫び
かんちゃん
カテゴリーが違うのは判りつつ、つい怒りに任せて書きなぐってしまいました。大人気ないことだと反省しつつお詫びします。削除されてもかまいません。原発に関してはまた改めてカテゴリー上で書かせてもらいます。
食糧不足対策に関しては次のように考えます。
1993年の米騒動を覚えておられますか。この年は日照不足により大変な不作で、東北地域では収穫皆無のところも続出しました。米の値段は高騰し、古米、古古米といった政府備蓄米もすっかり放出され、外米の輸入まで行われましたね。僕はこの時二つのことを同時に思いました。
まず、ザマーミロということ。3K、つまり米、健康保険、国鉄が国家財政の足を引っ張る3悪だと散々言われてきた頃です。(国鉄はすでに民営化されていましたが)農家や農業をないがしろにするとどういうことになるか思い知ったか、と溜飲を下げました。
次、でも金持ちは金さえ払えばこの程度のことはどーてことないのか、さらに金さえ払えば海外からいくらでも調達できるのかという思いです。
僕は1hばかり田んぼでお米を作っていますが、それでもこれで農業は見直されると期待しました。が、あれから14年この国の農業は惨憺たる状態です。大半の農家、特に中山間地域に暮らす人たちはほとんど農業を見限っています。田舎は都会以上に少子化が進んでます。ものすごいスピードで高齢化が進み耕作放棄の農地がこれまた大変な勢いで原野に還ってるのです。国はやる気のある大規模農家や法人農家に援助するといってますが、これらの農家は山間の不便な農地や大型機械の入らない狭い農地は見向きもしないのです。ですから、食糧問題は重要だとは判りつつ、考えるところは色々あるのですが素直にこの問題に向き合えないのです。



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2007-03-18 16:09
食糧不足1 

 あまり歴史に関心のなかった私が、昨年あたりから滅びた文明の事を書いた文献を読んでいるのは、これまで、歴史の中から消えていった文明の、その滅びた原因を知りたかったからです。・・・・・
 そして、案の定、戦争などで他国に滅ぼされた場合などは別として、歴史から消えて行った文明の多くが食糧不足で滅んでいったのです。人口が増え過ぎて、過剰に耕地を増やしたり、過剰な灌漑事業によって土地が痩せてしまったり、過剰な森林破壊や砂漠化が進んで農作物が育てられなくなったり・・・・
 食糧不足が起こって人口が減っても、既に土地が痩せて取り返しがつかない状態になってしまっているのです。・・・

 実はこんなことは、歴史を学ばなくても明らかなことではないでしょうか?。
シャーレにバクテリアを培養すれば、バクテリアの生存条件に適する条件・・温度、水分、食物、等・・・が適えば、バクテリアは指数関数的に増えて、たちまちシャーレの中は一杯になり、その後食料不足から突然絶滅をはじめるのです。そして、絶滅を始めれば、あっという間です。途中で止まれば幸運です。・・でも、もう安定に供給される食料は残っていないのです・・。

 食料生産を世界的に見ると、食料の分配さえ公平に行われれば、現在の世界の人口は養える、と言われていますが、それは、現在の食料生産が続いた場合の話です。
 しかし現在の食料生産は、石油依存の、農薬、化学肥料依存の持続不可能な農業です。石油の枯渇の話より先に、もっと別な大きな問題があります。・・・農薬、化学肥料による農業は、生産された作物の危険性も大いにありますが、それ以前に、農薬、化学肥料は人工物質で、生態系に存在しない物質ですから、農地を駄目にします。ゴルフ場のように、農地を殺すのです。アメリカの農地がかなり痩せて流出していることは有名な話です。だから、これから生産性の下がってゆく農地は沢山あるのです。
 それだけではありません。今まで、農作物輸出国だった、中国なども工業に力を入れて、食料輸入国になろうとしています。

 アメリカは食糧政策で、自国の過剰な小麦などの輸出先確保の為に、日本などの食糧自給率を上げさせないという暗黙の話がありますが、これから食料輸入国がどんどん増えるにあたって、日本に輸出する必要はなくなるどころか、いざ、食料不足になった場合、日本に食料を売ってくれるかどうかも分かりません。と言うより、アメリカでさえ食料自給率100パーセント確保もままならなくなるかも知れません。アメリカの食糧戦略に気を使っている余裕がないことだけは確かです。 
 
 環境問題は、これから、複合した形で我々にどっと跳ね返って来ますが、先ず差し迫った危機は、食糧問題でしょう食糧不足は、かなり悲惨な状態を引き起こすでしょう。
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【2007/03/18 16:09】 | 食料と人口 トラックバック(0) |

悲惨
プードル
食糧問題…
今日本は飽食の時代???私は今居酒屋でバイトしていますがお客さんが残したたくさんの食べ物が捨てられているのを目にします…全く手をつけてないのも捨てられるコトが多いのデス(^_^;)
世界にはまともに食べ物が食べられない人がいるのに…それを考えると、そのコトを思うと胸が痛みます( ̄○ ̄;)
世界が平等に食糧があれば…と思うのデスがそうでないのが現状なんですね…とても悲しいコトデスね(-"-;)

さらに深刻な食料の絶対量の不足
雑草Z
現在は、食料の分配が上手くいかない事が飢餓の大きな原因です。本来は、各国、各地が自給自足すべきところを、(アメリカなど先進国の多国籍企業などが)そうさせない事が根本原因です。悪しきグローバル化による深刻な問題です。
 しかし、これからさらに、このグローバル化による、もっと深刻な「食糧の絶対量の不足」が起こります。
 食糧問題については、今までも何度か取り上げましたが、
今回はもっと悲惨なところまで掘り下げて何回かのシリーズで書こうと考えています。シリーズの最後まで読んで、またコメント戴ければ嬉しく思います。
>世界が平等に食糧があれば
 これこそ、地産地消、自給自足で実現出来るのではないでしょうか?
  

食べ物を捨てるという感覚
おかっぱ頭
私もこれには一番憤りを感じます。
食料自給率が40%という低さで輸入に頼りながら、年間2千万トンという想像もつかない量の食べ物が捨てられている日本という国は異常だと思います。
例えば大豆。日本やヨーロッパ、中国への輸出の為にアマゾンの熱帯林が犠牲になっています。健康志向で大豆製品は注目されていますが、私達の食料事情が環境を破壊し、先住民の生活を脅かしているという現実に目を向けなければならないと思います。
食べ物を粗末にするというのも、経済優先型社会になり第1次産業が蔑ろにされ、大人が生産の現場に携わったり、子供がそれを手伝ったり見たりする事が無くなった事が大きいと思います。
食料は生産する物からお金を出せば買える物、という誤った意識に変わり、口に合わないものは残したり捨てたりする事に罪を感じない人が多くなったのではないでしょうか?
ある農家の方が本の中で仰しゃっていました。
 野菜は太陽と水と土があれば育つ独立栄養体
 人間は食べ物に頼らなければ生きられない従属栄養体
 命を頂く立場の人間がうまいまずいで食べ物を粗末にしてはいけない、と。
人間が生きていく基本は「食」だと思います。雑草様のこのシリーズを最後まで読ませて頂いて、また深く学びたいと思います。



食べ物を粗末にする事
雑草Z
 悪しき自由経済、自由貿易の元では、他の物と同様、食料も沢山取引されれば経済は上がるわけですから、食料が無駄になろうが粗末に扱われようが、気にしない人が多過ぎるのではないでしょうか?気にしないと言うよりも、無駄になっても沢山売ろうと言う企業がほとんどでしょう。
 日本では、大豆などの穀物は、健康食品という以外に家畜の餌として輸入されるわけですから、とんでもない話だと思います。
 私は迷信深くありませんが、明らかに自然の摂理、循環にあわない食料の粗末な扱いは、ばちが当たる(=自然のしっぺ返しがある)と思います。
 おっしゃるように、農林水産業の第一次産業は、どんな場所でも身近にあるべきです。そういうものが排除された都市部と言うのは異常なだけではなく、周囲への環境負荷も非常に大きいことを認識するべきです。
 自分の家が農家でなくとも、子供にはそういう生産現場を身近に触れさせるべきですね。コンピュータゲームの代わりに・・・
 このままでは、いつでもお金で食べ物を買える時代は続かないでしょう。
 食べ物を大切にすることは、家庭で学校でしっかり教えるべきですが、おかっぱ頭さんのおっしゃるように、食料生産現場が身近にあり、それに関わる事もとても大切ですね。とても参考になるご意見でした。


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2007-03-15 21:05
最近、花火を打ち上げるイベントが増えています。町興しだとか何だとか、花火大会も増えました。スポーツ大会等の開会式や閉会式等でもよく花火を打ち上げます。高校や大学での学園祭の閉めでも花火を打ち上げる始末です。
 こんな冬に季節外れの話題のようですが、そうとも限らず、現在花火の打ち上げは、あまり時期を選ばず、所もあまりかまわずに、どんどん行われています。 夏の花火大会は、その大会まるまる、不必要な資源の無駄使いと環境汚染を起こしています。
 私も子供の頃から、花火大会は普通に見に行っていましたが、いつの頃からでしょうか、花火大会は、、経済成長の為の環境破壊の象徴だなって思いはじめました。
 そういう目で見ると、本当に花火大会は、余分なエネルギーを浪費し、環境汚染し、環境を破壊する全く必要のない無駄な行為であることを思い知りました。花火を打ち上げる事そのものだけでなく、花火大会の為の仮の設備、駐車場、そこに集まる人々の為に起こる自動車の渋滞、アイドリング・・・・出店の過剰な使い捨て容器のゴミ・・・「無から有をつくる」と言う言葉は、こんな事の為に使う言葉ではないでしょうが、花火大会は全く必要のない環境破壊を作り出しているのです。
 「この日一日だけだから・・」と言う言葉を免罪符に行われているのです。
そして、見に行く方も、一年で1回の楽しみだから・・と見に行くのです。確かにその場所そのお祭りでの花火大会は1回かも知れませんが、そんな花火大会が至る所で行われ、今日東の方で花火が上がっていたら、明日は西の方で、明後日は、東と南同時に・・・なんて夏になってしまいました。珍しかった花火大会も、この頃は、見たくなくても、通勤の帰りや家で年に何度も目にします。

「花火の打ち上げ」と言うイベントの事で話しましたが、花火がなくても同様です。各地で行われているイベント、フェスティバルの類は、ほとんどが不必要で、その日限りと言うことで、ゴミをどっと出して嵐のように去っていくのです。こう言うイベントは多すぎてもう食傷ぎみな筈です。その証拠に、そう言うイベントは最近大概大赤字で、それを取り繕う為に、自治体は、あの手この手の裏の手で、見かけの収支を取り繕っています。
 そして相変わらず陳腐なイベントが次から次へと企画されていきます。
 「環境フェスティバル」なんて言うイベントさえも、資源をどんどん使って環境汚染して、沢山のゴミを出して閉幕するものが多いのです。

 そんなイベントを「不必要」とかきましたが、必要だと思っている人もいるのです。そのステレオタイプが「経済成長」に洗脳されている人々です。
 地球の有限性から経済成長は不可能になりつつあるのに、無理して成長しようとして、環境破壊の打ち上げ花火が次から次へと打ち上げられ続けているのです。
 
 経済成長を前提として作られたねずみ講のような経済システムに翻弄され、花火を打ち上げ続けて、気付いた時には既に遅し・・・と言うシナリオから果たして我々は逃れられるのでしょうか? 
この、花火を打ち上げたい輩の多い中で、妥協せずに
花火の打ち上げに反対する人々が沢山出てくる事を願わずにはいられません。

 
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【2007/03/15 21:05】 | 社会・経済 トラックバック(0) |

はじめまして
みゆ
初めましてこんばんわ!
私はかなり昔から戦争や核問題について考えてきました。
最近になってようやく、地球温暖化と密接につながっていることを知りました。
年々、気温があがってきているのを肌で実感します。
イベントの件ですが、私の住むところは千葉県です。
先月観光誘致の為に機関車が走りました。
とても無駄な資源とお金を使って環境破壊をしていると思わされました。

まったくジャンル違いなのですがうちのブログに勝手にリンク貼らせていただきましたので、ご報告させていただきます。
<(_ _)>
このような素敵なブログがいっぱいになることを願っています。
更新無理ないようにやっていってください!
長文失礼しました。

畑違いの「はじめまして」
雑草Z
 初めましてこんばんわ。・・・最近は、朝の4時半頃でも「こんばんわ」って方が増えましたね。(笑)ご訪問有難う御座います。
 おっしゃるように、地球温暖化が起こっているとしても、CO2の増加が主因ではなく、その原因は、戦争であったり核実験であったり、原発であったりするわけです。(原発ではCO2を出さないから温暖化防止というのは嘘です。)あとは森林破壊が大きいですね。それらの複合作用が原因であるのに、CO2等の温暖化ガスのせいにのみしているのが、政府や企業の現状です。
 観光誘致のために機関車を走らせるなんてイベントも愚の骨頂ですね。税金だからと、そんな無駄なことを平気で出来るんですね。そういう役人はやめさせるべきです。
 これからは「観光誘致」なんて悠長な事を言ってられる時代ではありません。まもなく食糧危機が大きな問題になるでしょう。
 
 畑違いながら、リンクに貼っていただき有難う御座います。

 >更新無理ないようにやっていってください!
は、タイムリーですね。他の事に割く時間をもっと作るために、更新の頻度は減らそうとしていたところです。ご自分もきっと、そう思われていたのでしょうか?
 

ルワンダ人から見た花火大会
おかっぱ頭
こんばんは。(今回はズレていないでしょうか?)
打ち上げ花火と云うと思い出す事があります。
数年前、内戦が続くルワンダから逃れてきた親子を受け入れた自治体が、親子を元気づけようと花火大会に招待したと云う話がありました。勿論、親子にとっては初めて見るものでした。
しかし、花火が打ち上げられるや否や表情は見る見る曇り、子供は恐怖の余り、母親にしがみついたと云う事です。
その理由を知って、私は胸が潰れそうになりました。
花火の音が銃声や爆弾の音と重なり、母国の地獄の光景が蘇ったのだそうです。
支配の為に虐殺が繰り返されている現実。
一瞬の儚さが美しいのだと、空を見上げ歓声を上げている現実。
両極端の愚かさをその時感じました。

一瞬の儚さは桜の花で十分です。
雑草Z
 こんばんわ。(何かズレましたでしょうか?)
 そんなことが、あったのですか?何故、難民を励ます為に花火大会なんか開くんですかね?無神経と言うより、花火で励ますと言う発想が先進国の驕りですね。
 ちょっと古い話になりますが、湾岸戦争の時、夜中にアメリカ軍がイラクに攻撃を開始した時の爆撃の嵐の映像も、花火や電飾のように見えました。
 それが爆撃だとわかれば怖くて、それが花火とわかればきれいだと思う感覚が、現代人の侵された感覚なのでしょう。
 勿体無い精神を持ち、火薬の浪費だと言う感覚を持つ人が花火を見ると、勿体無い、酷いもんだと思うのです。紙吹雪をきれいだと感じる現代人は、その紙がお札だと判れば、勿体無いと思うでしょう。
 花火、紙吹雪、クス玉、風船飛ばし・・・これらを勿体無い、資源の無駄使いだと感じる感覚が大切だと思いますが、こんなに省資源が叫ばれている現代でも、そういう感覚を持つ私などが、変わり者だと言われる時代です。でも、これは感性と言うよりも価値観の問題でしょう。
 一瞬の儚さが美しいのだと言う感覚は、散る桜の花びらや沈む夕日のような、自然の風物で十分ではないでしょうか?
 そこに余計な花火を打ち上げるのが、まさに現代の経済成長の洗脳です。

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2007-03-12 00:01
小学生の頃でしょうか?親が見ていた、旧ソビエト連邦を取材したTV番組で、集合住宅に住むソ連の家族が、水道の水が勿体ないからと、食器洗いは汲んで溜めた水で一回だけ洗い、風呂の水もかなり少なめに汲んで無理して大勢入っている様子を取材していました。この家族の主婦は、「国民として当然の事です。」みたいな事を言っていた記憶があります。
 番組を見ていた母は、「だからソ連は洗剤の付いたままの食器で食事を食べるから体に悪い」とか「政府に監視されているから、ああ言わせられるのだ」等と言ってた記憶があります。確かに政府によるプロパガンダの意味もあったろうし、TV取材と言う事もあったのかも知れません。でもその家族の様子は、ごく自然ないつもの姿に見えました。
 社会背景は分からなかったにしても、私自身は、こう言う心掛けは大切だと感じたものです。

 自分が中学生になると、お風呂に入るのが家族の中でもダントツに最後になりましたが、水がかなり減っていても、ぬるくても、(みんなに続いて入ればそんなにぬるいなんて事はなかったのでしょうけれど・・苦笑)ソ連の家族の映像を思い出し、冬には寒くてなかなか上がれないお風呂に入ったものです。・・・。無駄使いに対する罪悪感とは少し違ってたかも知れません。体を鍛えるためにやっていたのか、意地でやっていたのか、強迫観念でやったのかは、定かでありませんが、慣れれば大した事はなく、習慣化しました。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 現在読んでいる 『文明崩壊』の作者 ジャレド・ダイアモンド は、アメリカ人ですが、この本のプロローグに興味深いことを書いていました。

  - 私たちは、ほんの二、三十年前の自分達と比べても、環境被害に対する意識が格段に高くなっている。ホテルの部屋に掲げられた注意書きまでが、環境に優しくすることを呼びかけていて、宿泊客は、新しいタオルを要求したり、お湯を流しっ放しにしたりすることに罪悪感を覚える。今日、環境を損なう行為は、倫理的に非難されるべきものとみなされているのだ。- ・・(上巻 p22)

 現代の最高の環境破壊国アメリカの人々でさえ、こう言う意識が定着してきているのです。(でも、一方アメリカは、二、三十年前より一人当たりの環境破壊はずっと増えている筈ですが・・苦笑)
もっと環境意識の進んだヨーロッパの国々では、さらに意識がしっかりしている筈です。
 それに比べて日本ではどうでしょうか?ホテルでのサービスはさらに細かいところまで行き届くようになりましたが、その分不要な勿体ないサービスがさらに増えたのではないでしょうか?。宿泊者に対して環境に配慮する呼びかけなども、あまりしていないでしょう。
「何でもお申し付け下さい。サービス致します。」とか言って、畳に落ちた割り箸でも「新しいものとお取り替えいたします」と持ってくるのがサービスの常識・・・
 ・・・新しいタオルを要求したり、お湯を流しっ放しにしたりすることに罪悪感を覚える客がどのくらいいるでしょう?「どうせ料金が同じだから、ホテルではお湯をたっぷり使って、タオルもいつも新しいのを使おう!」という客の方が圧倒的に多いのではないでしょうか?
 日本人の場合、個人レベルの無駄遣いによる環境破壊に対する意識は非常に低いのではないでしょうか? 二、三十年前と比べて意識が高くなっているとは思えません。
 日本固有の言葉『勿体ない』の精神の欠如、いろいろなモラル意識の低下との関連もあるのだろうけれど、政府や企業の姿勢も酷いものがあります。つまり、『勿体ない』よりも、経済優先で環境問題さえビジネスに結び付けて、実は資源の無駄遣いになる事の多いリサイクルなどで『消費縮小』から目をそらし、『消費拡大』を続ける姿勢です。
 でも、そのような政府、企業の意識を許しているのは国民です。
無駄遣いに対する日本人の意識の低さはかなり恥ずかしい事です。
 
 ハリウッド スターがハイブリッドカーに乗って環境に優しい事をアピールする一方で自家用ジェット機に乗ったり、CO2排出削減を大々的に呼びかけている元副大統領の家が、普通の家庭の何十倍の電力を浪費していた・・・なんて言うアピールと行動との不一致もアメリカらしいけれど・・・そう言うアピールが増えて支持されると言うことは、環境破壊に対する意識は高まったと言うことでしょう。



 余談ですが、
 文明崩壊  - 滅亡と存続の命運を分けるもの
 COLLAPSE - How Societies Choose to Fail or Succeed
    Jared Diamond 著     楡井浩一 訳   
 は、アメリカのベストセラーで、上、下巻のあるぶ厚い本です。
 私は、通常ベストセラーはほとんど読みませんが、この本は昨秋、本屋の店頭で気になって購入致しました。
 読むに際し、他に優先して読みたい本が次々に現れて、そちらから繰り上げて読んでいったので、本書は未だに上巻の半分までも読んでません。作者は、生物学者だった事も有り、そういう立場からの文明崩壊論は、店頭でぱらぱら拾い読みした時は、かなり期待出来そうでしたので、購入いたしました。しかし、期待した程素晴らしい内容ではないかも知れません。アメリカの農家が日本の農家と共通する境遇で、意識もかなり共通していたりする事は、とても参考になりましたが・・・ハイブリットカーに乗るハリウッド スターや、電気を浪費するCO2温暖化脅威論者みたいなアメリカンウエイである香りもする本です(笑)。興味深く読めている部分も多いので、読み終わらないとまだ、評価は言えませんが・・・
 この本より先に優先して読んだ近藤邦明氏や槌田敦氏の本は、期待を遥かに超える素晴らしい書物でした・・・。
 
 総じて現在、日本人の環境意識はアメリカ人より低いようですが、
 日本人の書いた環境問題関連の本の中には、かなりレベルの高い本物があると実感しています。
 
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【2007/03/12 00:01】 | 未分類 トラックバック(0) |


ラグナロク
記事とは関係ない話題で恐縮ですが、今日近藤さんのHP、環境問題を考えるを見たら「雑草の言葉」がバナー付きでリンクされていました。

私も恐縮です。驚きました。
雑草Z
 年末年始に、
『温暖化は憂うべきことだろうか・・・』-考
 をシリーズで書くにあたり、現在、悪質なヴァルフリート坊や達の荒らしなどの為にコメント書き込みを中止されているアンケートのコメント欄に、
 この<雑草の言葉>で、この本を取り上げたとこを書かせて戴きました。(確かラグナログさんはそれを見て訪問して下さったのですよね。!?)
 その後、この記事などの事で近藤邦明さんに何度か質問等のメールをさせて戴きましたが、その度に非常に素早く的確なご返事を下さいました。その後、こちらのHPにリンクさせて戴く事も快く了承くださいました。

 すると、いつの間にか近藤邦明さんもこの<雑草の言葉>をバナーまで付けてリンクして下さったと言うわけです。
 早速御礼のメールを差し上げたところ、邦明氏もこの拙ブログを読んでいて下さっているとの事で、恐縮致しておる次第です。

 ところで、ラグナロクさんは、
 HP<『環境問題』を考える>は、
 どのくらい読まれましたか?
 私も、訪問は致しておりますが、この、沢山の窓の多いHPは、まだ読んでいない記事がかなり多いのです。
 多くのお門違いや似非の環境問題のHPが多い中で、これだけ質の高い環境問題のHPはないのではないかと思います。

 と、言う事で、この春は
<『環境問題』を考える>
 のリンクなどの部分を除いて、本文は一通り読破してみようと考えています。当方の拙ブログ<雑草の言葉>でも、その内容を参照させて戴いて、記事を書こうかと考えています。

 またまた、『文明崩壊』を読むのが遅れてしまいそうです(笑)。『文明崩壊』も決してつまらない本ではありません。・と、云うより興味深く面白く読める本ですが、やや冗長なのが、欠点かも知れません。・・と云うか、
 『文明崩壊』は、最近出た環境問題関連の本の中でも名著なんだと思いますが、近藤邦明氏や槌田敦氏の書かれたもののほうが、さらに、素晴らしい発見があると云うべきでしょうか!?
 HP<『環境問題』を考える>は、
 本『文明崩壊』よりも
 厚い内容で、奥が深いのでしょう。
 比較するべきものではないでしょうけれど・・  


ラグナロク
<この<雑草の言葉>で、この本を取り上げたとこを書かせて戴きました。(確かラグナログさんはそれを見て訪問して下さったのですよね。!?)

■はいその通りです。
近藤さんのホームページも例の学力の高い大学のお坊ちゃまをはじめとする輩達の荒らしにより、書き込みを遮断してしまいましたが、それも仕方ないでしょう。
近藤さんも要らないストレスに惑わされずに記事の更新をどんどんと進めていただきたいと思います。
 やはり近藤さんと連絡されていたのですね。

 さすがに近藤さんの記事全部ははっきりとは読んでいませんが、大分目を通してはいます。
 それではまだまだ理解出来ていませんが


真偽眼
雑草Z
 近藤邦明氏の<『環境問題』を考える>は、本当に数少ない真の環境問題を扱ったサイトだと思います。そんなページの閉鎖要求をする輩は、具体的にどこが矛盾しているかと言う反論なしに追い詰められたカルト教団のようにヒステリックに閉鎖要求していますね。ときどき反論する人もあまりにお門違いだったり、こじつけっぽいと感じます。
・・かく云う私も、
<『環境問題』を考える>
 の全部の内容は鵜呑みに出来ない部分もあり、どこまで信頼できるか(全部信頼出来るか)出来るだけ検証致したいと思う次第です。
 この考察はかなり時間がかかると思います。
 でも一方、環境問題総論や、公共事業等に関しては、近藤邦明氏の言うことが正しいと思っております。素晴らしい考察だと思います。
 

ダイエット・カー
TheorySurgery
ハリウッド・スターがハイブリッド・カーを乗り回すのも、なんだか、ダイエットしたい人がダイエット・コーラをがぶ飲みしているのと同じくらい違和感のある光景ですね。ファット・フリーだけどシュガーたっぷりのお菓子とか、なんてアメリカンな発想なんだろうか。本当にダイエットしたいのなら運動しましょって感じです。ゴアにもそんなアメリカンなにおいがプンプンします。しかし日本でもヘルシー系産業は盛んですな。

近藤さんのサイトは私も全部は読んでいませんが、非常に示唆にとんだ考察がなされていると思います。雑草Zさんの評を読んで『文明崩壊』も読みたくなりました。日本は「右へ倣え」でいったん空気が醸成されると思考停止に陥り、がむしゃらに突き進む悪い癖があると思います。温暖化ヒステリーはその表れかもしれませんね。近藤さんや槌田さんのような時流に流されない人たちの存在は非常に貴重だと思います。流れに乗って暴徒とかしたものに歯止めをかけるのは非常に困難なことですから。

研究にしても論文になりやすいだとか、共同研究のためとかで、大風呂敷を広げる機会が増えていると思います。応用は大事なことかも知れませんが、科学的な厳密さという点で隙ができる要因にもなると思います。企業研究や特許では怪しい言説が飛び交っているのもそのためだろうか。

アメリカンな匂い・・
雑草Z
 アメリカ人の環境対策も、多くがインチキの臭いプンプンですが、新しいタオルを要求したりお湯を流しっぱなしにすることに対する呵責を感じる人も増えて来たのも事実でしょう。アピールだけの人も沢山いる事も事実ですが・・。

 『文明崩壊』は、確かに面白く、興味深い新たな知識も得られました。それぞれ検証の方法もしっかり書いてあるのも科学者らしく好ましい点です(多少冗長になってしまうきらいはあります。)この作者のジャレド・ダイアモンドもアメリカンな香りプンプンです。

 面白いのは、ジャレドはこの本のはじめのほうに、釣りを趣味にして楽しんでいる事を書いていますが、一方槌田敦氏は、釣りは生態系を壊すから禁止にすべきだと言っています。釣りくらい・・・と思うかも知れませんが・・・私は個人的には、魚は網で取るのに賛成です。喉に針を引っ掛けて釣るのは残酷で好きではありませんので、釣りは致しません。(魚は痛みを感じないとの説も有ります・・こんな事で動物愛護を訴えている訳ではありません。)

 そんな理由でもありませんが、槌田敦氏の
『熱学外論』は、至極の名著だと感じます。『概論』でなく、『外論』である理由も素敵です。
 2部構成で、
 第2部の「応用編;自然環境と人間社会」
は、大胆な書き方ですが、環境問題の本質を突いていて目から鱗です。非常に興味深く面白く読めました。
年が明けて、まだ年のはじめのほうですが、私が今年読んだ本のベストに早くも決定でしょう。
 因みに昨年のベストは、近藤邦明氏の
 『温暖化は憂うべきことだろうか・・』です。
 『文明崩壊』は、上下2巻のまだ上巻を読んだだけですが、この1巻分より薄くて高い(ベストセラーでないので、大量印刷できないからでしょう・・笑)『熱学外論』は、一押しです。近いうちにこの本の内容もアップしたいと考えています。出来れば槌田敦氏の了承を得てから・。
 槌田敦氏の大胆な説の数々は、素晴らしい反面、疑問に思う部分もいくつかありますので、そこを確かめてみたいものです。 

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2007-03-09 22:59
 例えば、オゾン層がかなり破壊されて、紫外線BやCが増え、失明の危険性があるからと、サングラスが生活必需品になったり、肌を露出すると皮膚が壊死するからと、体を被って外出しなければならなくなる事は、歓迎される筈がありません。
  生きていく上で必要な物事は多くない方がいいに決まってます。それこそ「必要最小限」がいいでしょう。
 しかし、現在の世の中では、「ニーズを作り出す」と言う言葉が、死語にはなっておらず、それどころか堂々と企業戦略のひとつの手法になっています。
 運転免許証にマイカー、携帯電話、女性の様々な化粧品・・・・一昔前の「あったら便利」という商品が、現在の雇用条件、社会形態などから、必需品になりつつあります・・・
 最近は消費者も賢くなって、財布の紐も緩くはありませんから、ニーズを作り出す事も失敗に終わる場合も増えてきました。しかし、一方ニーズを作り出す側も巧妙になって来ました。環境問題さえ逆手に取って利用して、無駄なニーズを次々に作り出しています・・
 
ニーズを作り出す』という言葉には、現在の経済優先の社会の端的な愚かさ、歪みが如実に表現されているのではないでしょうか。
 作り出された数々の『ニーズ』のなんて愚かな事でしょう・・・そんなもの本来は必要でもなんでもない・・と言う事がどんなに多いことでしょう。
 ビジネスマンの必需品だったネクタイも「クールビズ」のかけ声とともに、一瞬にして、邪魔ものになったみたいです。しかし、それは元々不必要な「邪魔もの」だったのでしょう。
 
 これからの社会は、その会社の生み出す製品、サービスが本当に必要か?と言う話まで遡らないと、人類の存亡の危機に関わります。
 存続不可能な世界になってきている現実をしっかり認識しなければなりません。
 社会的ニーズが増えることは、世の中が住みにくくなっている事の指標のひとつと考えるべきでしょう。そんなニーズは、作り出すものではありません
 人類は『ニーズを作り出す』なんて言っているうちに、滅びゆくほど愚かな存在なのでしょうか?
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【2007/03/09 22:59】 | 社会・経済 トラックバック(0) |
2007-03-06 21:50
 「割れ窓理論」”Broken Windows Theory”は、「壊れ窓理論」とも呼ばれます。言葉のとおり、建物やビルの窓ガラスが割られて、そのまま放置しておくと、外部から、その建物は管理されていないと認識され、割られる窓ガラスが増える。建物やビル全体が荒廃し、それはさらに地域全体が荒れていく・・という理論です。 
 もともと環境犯罪学上の理論で、治安の悪化の原因がはじめは些細な軽犯罪から始まると言う理論です。
 しかし現在は、教育現場等でも応用されています。そして、ネット社会では、掲示板あらしなどにも応用出来る理論でしょう(笑)。

それは、兎も角
 私は、この理論が環境破壊についても言えると常々考えております。

 環境破壊の始まりを産業革命まで遡って考えると、この時も、色んな意味で壊された窓があったのではないでしょうか? 
 地下資源の利用も窓を割った一つでしょう。石炭を使うことによってヨーロッパでは、公害の問題が起こりました。石炭を使うことにはじめは抵抗のあった人も多かったのではないでしょうか? 熟練職人のやっていた仕事に機械がとって変わったときも、機械打ち壊し運動がおこったくらいだから、反対の人も沢山いた事でしょう。大量生産大量消費が始まり家内制手工業も崩壊していきました。
 これらの事に対する反対は、新しいことに対する抵抗や生活が脅かされる事だけではなく、本質的に、やってはいけない事だと、感覚的に気付いていた人も実はこの時代から多かったのではないでしょうか?地球規模の破壊でなくとも、自分の住んでいる地域の環境破壊だけでも、やってはいけない事だと気付いた人は多い筈です
 そんな事を、気にしないで窓を割っていった人がいて、その人が儲けて、社会から咎められない姿を見て、みんな、自然環境と言う窓、小さなコミュニティと言う窓、自給自足と言う窓、持続可能な社会の為に必要な色々な窓を壊していったのではないでしょうか?
 熱帯雨林の伐採も、環境ホルモンの蔓延も、産業廃棄物の不法投棄の問題も、
みんな割れ窓理論を適応出来るでしょう。



 環境犯罪学上の「割れ窓理論」では、治安を良くするためには軽微な犯罪もしっかり取り締まる事が有効とされていますが、環境問題でも同じことが言えるでしょう。自粛などと言ってるだけでは、窓を割ったもののやり得になってしまうことが多いと思います。社会には割るべきではなかった窓を割って、財を築いた人のなんと多い事でしょう!環境を破壊した人が財を築く世の中では、モラルハザードを引き起こします。しっかり法律化して、取り締まるべきです。

 最後になりますが、最も割るべきでなかった窓は何かと言えば、やはり原子力でしょう。何せ、核廃棄物の危険性は、
Only time will tell (時しか解決しない)と言うのが、物理の常識です。・・・それも、何百年単位の途方もない時間です。 核廃棄物の安全な処理法が決まらないのに・・と言うより無理なのに、原子力発電を始めるのは愚業に他なりません。

 未だに核分裂発電(現在の原子力発電)が行われて、しっかり処理(無毒化)出来ない放射性核廃棄物がどんどん溜まっているのです。(かといって、核融合発電ももっと危険かも知れません。)
 日本も、アメリカやフランスなど海外の他の国がやってなかったら、踏み止まっていた事でしょう。
 そう、相当危険だけれど、他の国もやっているから安全だと言ってやってしまえ・・・まさに「割れ窓理論」の典型です。

 

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【2007/03/06 21:50】 | 社会・経済 トラックバック(0) |


プードル
そうですね♪

環境破壊をする人とその影響を受ける人は別…
どうしても被害を被るのは社会的弱者…
こんな悲しい事はないですね><;
ちゃんとした法律を作ることによってこの問題が少しでも解決されれば…どんなによいか…

世の中そんな簡単には行きませんよね…汗



法律をしっかり確立すべきですが・・・
雑草Z
 残念なことに、為政者も窓を割りたい人が圧倒的に多いのです。だから、日本に限らず割ってはいけない環境の窓が今でも世界の各地で次々に割られているのに、法律が手ぬるすぎるのです。
 そして、おっしゃるように被害を最初に被るのは社会的弱者からですが、一旦環境カタストロフィーが起これば、少しの時間差で、無差別に人を襲うでしょう。
 簡単にはいかないのも仰る通りですが、無知な彼らも環境カタストロフィーの恐ろしさを身を持って知れば、変われるでしょう。それまでに手遅れになるか?・・・間に合うか?・・です。
 
 プードルさんは初めていらっしゃいましたが、はじめ知らない方かと思いましたが、そうでもなさそうですね?


環境活動家
環境より、経済活動が重要だと思っていて、
経済活動をささえている経営者が一番偉いのは当然だ
という考えが多い人が多いのではないでしょうか?
彼らは傲慢さゆえに、一般大衆は経営者の下だからと彼らの意見など邪魔でしかたないんでしょう。
環境に対する意見などとんでもないと感じているんではないでしょうか?
過去では4大公害などで企業のバッシングにあってきました
しかし、現在はインターネットにより、危険なしで企業による環境破壊を知りやすくなり、環境に対する認識が人々に広がりやすくなりました。
我々環境活動家は企業によるバッシングにも負けずに立ち向かい、地球を救わなければならないと感じる次第です


プードル
そぅですね( ̄∀ ̄)


あちこちでいろ②な取り組みがなされてマスがまだ一般の国民にそんなにしれわたってない現状…悲しいコトデス(-_-#)

法律をつくるコトによりこの状況が少しでも変わるのでは…と思う。

いろんな人のちょっとした取り組みや行動が社会的弱者を救うコトにつながるのではないかと思いマスがどぅでしょうか?

経済活動は私利私欲のため
雑草Z
環境活動家 さま

 ここまで環境破壊が進み、人類の滅亡が迫っている21世紀に、経済活動が優先だと思っている無知な経営者があまりにも多いですね。元々環境を破壊する事によって、成り上がってきた輩だらけでしょうね。差し当たって経済成長しないと色んな事が困る状況になる仕組みを作ってしまったのも彼らなんですがね。

>現在はインターネットにより、危険なしで企業による環境破壊を知りやすくなり、環境に対する認識が人々に広がりやすくなりました。

 そうですか?ネットにより身の危険を感じずに告発出来るようになって来たのですね!こういうネットの使い方は本当に好ましい事ですね。
 是非知らせるべき企業による環境破壊等御座いましたら、ご一報下さい。
 
    
プードルさま
 環境問題に関心が高まっている一方、無関心を決め込んでいたり、他の人任せの人も沢山います。でも、感じからして2007年には大きな動きがありそうです。
 多くの人の意識の高まりは大切ですが、やはり、法の規制が有効です。法がしっかりすれば、「少しでも」ではなく、大きく変わります。大きく変えるように政治家を動かすのが国民ですね。
 >ちょっとした取り組みや行動
 から初めて下さいね。行動する事が大切です。期待しています。
 

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2007-03-03 17:09
地元で作ったものを地元で消費する地産地消。主に農産物などの食料品に使われる言葉ですが、その他広くいろんな商品にも使われています。
 最近地産地消の意識が高まり、ここ会津の地でも、地産地消の学校給食を行っている村もあるとの事です。でもそれって、ある程度昔は、普通の事だったでしょう。
 特にここ会津の地では、今でも食糧自給率が100%を超えますから、地産地消した後、残りは他で消費という形に出来るでしょう。

 地産地消自給自足と表裏一体の関係にあります。
 究極の地産地消、自給自足は、食べる時に家の周りの畑から野菜や芋を採って来て食べるという形態でしょう。・・・そこまでではなくとも、農作物を収穫してから食べる人のもとに渡るまで、調理の前の段階まで、人力以外の石油などのエネルギーを使わないのが理想です。
(勿論、生産の段階でのエネルギー投入が問題ですが、それは別な機会に・・)
 私が子供の頃、夏場には農家の方々(特に女の方々)が朝リヤカーを引いて、各家をまわって野菜や果物を売って歩いたものです。その日の朝に収穫したものをそのままリヤカーに積んで売りに来た訳です。朝早く「おはよーございます」と次々に来るので、母が「小さい子供(私)が起きるから静かにしっせ!」
などと玄関で言っていた事を懐かしく思い出します。勿論、特に声がうるさいなんて感じた記憶はありません。
 八百屋さんよりずっと安くて新鮮な野菜や果物でしたが、日が高くなってくると・・8時頃でしょうか?もっと後でしょうか?その頃になると、リヤカーに余った野菜をかなり安く投げ売りしていたものです・・余った・スイカにトマトとキュウリと茄子と全部まとめていくらとか・・懐かしいですね。

 これこそ、収穫してから食べる人のもとに渡るまで、人力以外のエネルギーを使っていません。理想の形だと思います。
 田舎のこういう形態、今だからこそ、戻れればいいと思います。・・こう言う昔の日常生活を今はスローライフなどと言って、贅沢な感じさえある訳です。
 その為には生産者だけでなく消費者の意識も大切でしょう。
 
 今回は、社会形態の考察で書くつもりが、思い出になってしまったようです(笑)
 こういう考察をしているとつくづく、(日本の)大都会は駄目だと感じます。自給自足の地産地消は無理だし、それだけでなく、回りの地域に多くの廃棄物
を放出しています。このような都市の在り方についても、近々書きたいと考えています。
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【2007/03/03 17:09】 | 思い出 トラックバック(0) |

こんばんは 
kumacom
私も幼い頃は道内の田舎にいたので、
祖父が作った沢山の野菜をいつも食べていました。
形が悪くても今の売られている野菜より、
味が濃かったように思います。
今年はベランダで何か作ってみようかと思います。

日本のスーパーでも「フードマイル」表示を始めたら良いですよね!今度又、ポスフールに意見してきます♪

味がいいだけでなく、健康にも良かったでしょうね。
雑草Z
 おじいさまが作ってくれた野菜は農薬もあまり使っていなかっただろうし、栄養もたっぷりだったでしょう。形のいい野菜を求める今のスーパーや消費者もへんですね。
 フードマイレージと言うか、
「○○産、ここから□□km」
くらいがいいと思います。でも、「○○産」で産地ブランドしか意識しない消費者ばかりでしょうね。
「こんな遠くから持ってきてるんだ、勿体無い!」
という意識になるにはまだまだですね。

だいぶ前の記事へのコメントですが・・
たびけん
こんにちは。最近知った話を少し・・。

私の地元は人口が1万に満たない、小さな田舎町です。

そんな町でも、小中学校は、わずかながらありまして、お昼には給食が出ます。
人口が少ないといっても、給食で使われる野菜などは結構な量です。
そして、その野菜はもちろん地元産のものだろう、と思っていました。
ところが、現場で働いている人にお話を伺ったところ、実は、冷凍野菜を使っているとのことでした。
地元に大量生産しているところがなく、小売店からの仕入れだと、お金が高くつくからです。
だから、使われている野菜(冷凍野菜)は、地元のものどころか、遠く離れた、静岡産だったりするのです。
さらに、あくまで『地元』にこだわるために、大きな店があっても、地元の商店組合に入っていないために、仕入れることができないそうです。

では、なぜ「冷凍野菜」は許されるのでしょうか?

残念ながら、その方は、そこまでご存知ではありませんでした。

大都会どころか、地方の田舎ですら、地産地消ができていないのです。
これからきちんと、流通システムを見直していかなければいけないと強く思います。


そういう時こそ農協の出番の筈が・・・
雑草Z
 >地元に大量生産しているところがなく

って凄くいい事だと思います。大規模農業なんて農薬付けの場合が多いですから・・・
だから、そういう時こそ農協、JAが音頭を取って小さな農家から野菜を集めて地元の小中学校の給食に食材を提供すればいいと思います。
 JAも農薬の殺虫剤や除草剤や化学肥料ばかり売ってないで、そう言った事を積極的にやるべきでしょう。
 丁度、中国製のとんでも野菜なども問題になっている今こそ、JAは、全国展開などやらずに、地域密着型の有機農法の地産地消を進めれば、再評価されるのではないでしょうか? 

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2007-03-01 06:00
 
 狭くて資源の乏しい日本は、原料を輸入し工業製品にして輸出する加工貿易で成り立っている技術立国です。工業製品を輸出し、食料を輸入しています。
 ・・・これって現代日本の常識となっていますが、本当にそれでいいのでしょうか?
 私はそんな時代は近い将来に終焉を迎えると考えます。
 日本の、工業偏重で農業軽視の政策はかなり酷いものがあります。そして、多くの人が農業を離れて工業に流れ、農業人口は減り、戦前は100%近かった食料自給率も40%を割ってしまいました。かなり危険な事です。
 工業偏重は日本に限った事ではありません。いわゆる先進国でもアメリカをはじめ、やはり工業優先です。そして、いわゆる工業の新興国と言われるNIEs諸国もBRICs諸国も、みんな工業偏重です。そして、その結果食料の自給率は多くの国で落ちています。地球は温暖化危機より食料危機の方がずっと早く深刻になるのではないでしょうか?
 工業の新興国は、日本の工業立国、技術立国としての地位を脅かしはじめています。日本が技術的に勝っていても、コストの点ではかなりシビアです。・・
技術的にも既に抜かれていっている分野もあります。
 ・・・仮にシビアな販売競争に勝ち続けても、世界の食料は不足するでしょう・・・その時、食料は確保出来るのでしょうか?出来るとしても、それはほかの国の犠牲の上に成り立つことです・・・それに、お金だけでは食料を手に入れられない時代になるでしょう・・・
 日本の工業国としてのアドバンテージは確実になくなりつつあるのです。企業や国は躍起になって技術立国日本のアドバンテージを保ち続けようとしていますが、必ずしもうまくいっていないでしょう。戦後の日本がそうであったように、新進工業国内でも、自国製品を優先的に買う人が増えてくるでしょう。勿論、工業立国を目指している国の政策としてもそうする事でしょう。

 じゃあ、どうするか?・・・発想の転換が必要です。工業立国を脱し、食料自給率を100%にして自給自足出来る国になることです。自給自足出来れば恐れる事はないのです。 日本だけでなく、本来世界の国々がそうならなければ、国は滅びてゆくでしょう。
 世界の国々はそれに気付くべきです。(気付いていてもその方向に向かわせない力も働いていますが・・・)

 これから、国家が自立してゆく為、及び持続可能な社会建設の為には、自給自足が大切です。食料自給率の低い工業偏重国は、これからの時代には生き残れないでしょう。  
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【2007/03/01 06:00】 | 社会・経済 トラックバック(0) |

この記事を読んで
社枯
恥ずかしながら、食料自給率の低下がこんなにも
深刻な問題であるということを今初めて知りました。
私がのん気に生活している間にも地球規模の問題が
どんどん深刻化しているのですね。

お金だけでは食料を手に入れられない時代。
このままだと、争い、犠牲、我欲などで溢れた
地獄のような時代になってしまうのでしょうか。

工業国としてのアドバンテージがなくなりつつある今、
雑草Z氏の仰る通り、日本は工業立国を脱し自給自足を
できるようになるべきだと思います。

ですが、自給自足のために私にできる事は何か
ということを考えてみましたが…思いつきませんでした。

工業偏重である日本という国の体質自体を変えなければ、
農業人口を増やすことは、難しいのではないでしょうか。

いらっしゃがいませ。
雑草Z
 現在の食料は、世界でしっかり配分すると、全員食べていける分は十分あるんです。でも、日本のように食糧を輸入してまで食べ残して捨てる人々がいるので、飢えている人も何億人といるのです。そして、現在の大規模石油農業は農地を枯れさすので土地の生産性は低くなってしまいます。また、本文に書いたように、新興工業国、例えば中国などが食料自給率が急速に下がって、大量の食料輸入国になる見込みなのです。
 食料問題については、カテゴリーの〔食料と人口〕を見てくださいね。
食料をめぐっては日本を含め、大きな争いになるでしょう。

おっしゃるように、国の体質を変えるべきです。そして大規模農業でなくて小農を沢山作るべきです。
以上の事もいつかアップしたいと考えています。

『社枯』って、社会環境問題を反映したような素敵なHNですね。切ない感じで洒落たHNです。今私が読んでいるイースター島の衰退を想起致します。
 なんて、読むんですか?まさか『しゃがれ』?・・・ってことは、ハスキーボイスですか?ハスキーボイスとくれば私の大好きなDavid Coverdale です。私はGのフレーズを中心にHRを聞くのですが、David Coverdale の声は別格です。歴代の層々たるGに引けをとらない彼のVoにはうっとりです。・・って何の話してんでしょうね?失礼!!
これに懲りずにまたいらっしゃいませ。

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