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2006-11-30 00:01
最近私は農業に関心深いのですが、実践と言うと躊躇いたします。私は結構面倒くさがり屋です。そう言う意味でも、前回書いた福岡正信氏の自然農法は魅力を感じます。目標は、『何もしない農業』ですから・・
 思い返すと、私も、『何もしない農業』の体験があることに気付きました。「農業」とは呼べないかも知れませんが、確かに何もしないで素晴らしい果実の収穫を得た体験がありました。
 小学生の時、近くの同級生が、柿の種を小さな庭に蒔いたら出てきたという50cmほどになった木を貰って来て当時住んでいた小さな借家の庭の真ん中に植えました。はじめこそ水をくれてたりしたと思いますが、すぐに何もしなくなりました。枝が邪魔だと言われて切ったことがあるくらいでしょうか?高校生ぐらいになって実が2、3個成りました。何んと!柿と言われた木に梨がなりました。友達が間違ったのでしょう(笑)。大きくなるのをかなり待ちましたが、大きくはならず、みかんの大きさぐらいにしかなりませんでした。食べてみると・・何と香ばしくて美味しい!こんな美味しい梨は食べたことがありません。・・それから毎年なる梨の実の数も増えてきて、梨がなるのが楽しみでした。そう、何の手入れもしない1本だけ生えた梨の木になる小さな梨の実が頗る美味しかったのです。
 このような体験はまだあります。
 家族が福島県に引き上げてきて、庭に誰が植えたのか分からないけれど小さな桃ノ木があって、やはりあの梨の木になったくらいの大きさの、普通の桃よりずっと小さく、すもも位の大きさの桃がなったのですが、これまた市販の桃よりずっと香ばしくて美味い。一言で言うと、実が引き締まって味が濃いのです。

 学生時代、友達の親が趣味で作った痩せっぽちの貧弱なキウイも頗る美味く驚きました。 
 現在近くの親戚もやはりキウイを手入れせずに作っていて、やっぱり痩せて貧弱な見かけなのですがニュージーランド産等の売っているキウイよりずっと美味いのです。その見かけゆえ、彼の家の人が食べないのをいい事に、取りに行って沢山戴いてきて食べています。(笑) 
 
 思いました。沢山単一作物を育てていると、きっとその果物に特有な旨味成分が土の中からなくなってしまうのでしょう。1本くらいならその隠し味の成分がなくならないのでしょう。そして、過保護状態でなく、土を耕さずに放っておくとしっかりした子孫を残すために実の引き締まったうまい果実がなるのではないでしょうか?

 不耕起、無肥料、無農薬、無除草で確かに抜群に美味しい果物が育ったのです。
 化学肥料などで、果実は大きくはなりますが、本来の旨味成分は薄められるのではないでしょうか。

 昔の野生の果実の木は、梨畑や桃畑のような単一栽培でなく、色々な植物に混ざって点在していたわけです。そして、きっとその方がその植物固有の旨味成分が果実に沢山凝縮されるのでしょう。 
 単一果実栽培はやめて、いろんな果実の木を混ぜて育てた方がいいのではないでしょうか?。さらに、果実以外の色々な雑木や雑草も適度に生えていた方がいいのでしょう。
 『何もしない自然農業』が基本だと確信している今日この頃です。
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【2006/11/30 00:01】 | 農業 トラックバック(0) |

豊作貧乏
天地 はるな
今、ピーマンが、大根が、白菜が出来すぎて、捨てられています。
もったいない・・・。(ノД`)
効率のみを考えて作ったらこうなるんですよね。
いろんなものを、自分の食べる分とちょっと・・・。
余ったら漬物にしたり、干したり・・・。
そうありたいです。
やたらに、掘り起こさない福岡正信氏の農業は、「地球を傷つけない」農業ですね(^-^)

粘土だんご
hamakyo
雑草Zさんこんにちは。
この前は、ブログにコメントありがとうございました。
福岡正信さんの話は、以前から聞いたことがありました。
福岡さんの作る粘土だんごに興味があります。
いろんな、種をまいておくと、ほっといても、その中からその土地にあった作物や、植物が勝手に強く育っていくという。その農法なら、アフリカなんかの砂漠化を救えるかもしれないのに・・・って。でも、種を勝手に外国に出すのって法律で禁じられてるんでよね。他にも、いろいろ問題ありそうですしね。

野菜くらい自給/粘土団子
雑草Z
はるなさま 
 中国から野菜まで輸入して、日本の取れ過ぎた分を潰すのでは、日本の農業は育ちませんね。おっしゃるとおり漬物を作るなりして、野菜くらい自給率100%保たないと恐ろしい未来が待ってますね。野菜を輸入するということ事態、異常です。日本の農業政策は完全に間違いってます。

hamakyoさま
 私に、福岡正信氏の本を貸して下さった方は、粘土団子の事を教えて下さって、その事が書いてあると思って読んだ、『わら1本の革命』に『何もしない自然農法』の事が書いてあったのです。本当に素晴らしい本です。粘土団子の発想も素晴らしいですね。そこの砂漠に元々生えていた種を粘土団子に入れるとか工夫すればいいですかね。
 

「プロフェッショナル」
天地 はるな
こんばんわ。
今日、12/7、NHKで「プロフェッショナル」という番組があります。
雑草を生かした農業をしている方が出るそうですよ。

福岡正信氏の自然農法に魅せられた一人
雑草Z
 貴重な情報有難うございます。
 福岡正信氏の自然農法の本が映っていましたね。
 雑草は生やしたままのほうがいいと云う事をさらに確信致しました。
 あそこまで、散々やられても農薬をまかなかった彼の信念には感服ですね。

極端な話
楼主
極端な話になるが、農業とはつまり環境破壊だということは頭の片隅に置いておくといいかもしれない。本来そこになかった植物を持って来て植える、というのは環境破壊に他ならない。

>「農業」とは呼べないかも知れませんが、確かに何もしないで素晴らしい果実の収穫を得た体験がありました。
仰るとおりそれは農業ではなく、採集と呼ぶべきだろう。

砂漠周辺や草原など、降水量が不足しているところによけいな植物を植えると、砂漠化がよけいに進行してしまうので、ぜひ考えることすら止めていただきたい。

どれも答える必要性を感じませんが
雑草Z
先ず、
>極端な話になるが、農業とはつまり環境破壊だ
 そういう極端な意味ではそうかと誰でも思ってますよ。何の情報にもなりません。問題は「程度」です。このコメントの先にあるものは、「環境破壊だから、農薬を使っても除草剤を使っても、使わなくても同じ」と言うことでしょうか?まさかそんな愚かな話はしないでしょうね?
>頭の片隅に置いておくといいかもしれない
って、とんでもなく無意味に聞こえてしまいます。
次に
>「農業」とは呼べないかも知れませんが、
って、まあ「採集」ではなくて「採取」と言いたいのでしょうけれど、それはどうでも良く、
不耕起、無肥料、無農薬、無除草で確かに抜群に美味しい果物が育った事が言いたかった事は誰でも分かると思います。
全く手をかけないのは無理ですが、あまり手をかけずに安全な作物が作れる事は素晴らしいことです。
>砂漠周辺や草原など、降水量が不足しているところによけいな植物を植えると、砂漠化が余計に進行してしまう
その可能性は結構あるでしょう。でも福岡さんの作る粘土だんごは、砂漠に植えるのです。砂漠に井戸を掘ると砂漠化が進みますが、井戸を掘らずに植物が定着すれば、葉からの蒸散作用はありますが、水を固定する働きもあります。砂漠のままのほうが水の蒸発量は多いと思います。
「環境蘇生事業」を慎重に考えることは大切です。


揚げ足取りがお好きなようで
楼主
>「環境破壊だから、農薬を使っても除草剤を使っても、使わなくても同じ」と言うことでしょうか?
なにもしない農法で、日本の人口を養っていくだけの収穫を確保するにはどれだけの農地面積が必要なのか、ご教授願いたい。

砂漠に植えるという粘土だんごを検索してみたら、http://www.minohonosaru.com/tanbo1/tannbo.htmlがみつかった。写真を見る限りではかなり小さいようだ。これを砂漠に植えたら、水もない砂漠に植物が定着するというのはとても興味深い。その根拠を教えていただきたいものだ。

木を盲信してはいけません。
http://cruel.org/economist/notrees.html
は、あなたにとっては既知の内容かもしれない。

砂漠のように不毛なお話ですね。
雑草Z
  現在日本は食料自給率が低すぎるので、近代農法でも日本の人口を養っていくだけの収穫は確保は出来ていません。
 化学肥料や農薬を用いた農業が、一時的に土地の収穫を上げても、それが土地をやせさせ、土地の流出を増やしています。砂漠化の原因にもなります。投入した量に比べてそれほど収穫は上げていません。石油漬けの農業で持続性もありません。有機農法に自然農法を組み合わせた方法でないと土地が破壊されます。現在使われている不必要な物を出来るだけ排除せよということです。
 私も木の植林事業にはかなり懐疑的です。方法を慎重にすべきです。繰り返しますが環境再生事業は慎重にすべきです。しかし、最近まで森林だったところで、人間が破壊したところは上手くやれば森林に戻す事が出来ると考えます。泥団子やその1つの可能性があると思います。
返事を書くときは貴方の方策をしっかり書いてください。今までの貴方の方策は「砂漠に植物を植えることすら考えるな!」というだけですね。「何もしない農業」と似てるかも。主張がないと不毛かも

つまり
楼主
一:なにもしない農法で、日本の人口を養っていくだけの収穫を確保するにはどれだけの農地面積が必要なのか、ご教授願いたい。
答えられないということは、つまり試算さえできていない、と。

二:これを砂漠に植えたら、水もない砂漠に植物が定着するというのはとても興味深い。その根拠を教えていただきたいものだ。
答えられないということは、つまり根拠がない、と。

>貴方の方策は「砂漠に植物を植えることすら考えるな!」というだけですね。
全くその通り。あなたや我輩のようなド素人はヘタな対策は考えない方がよい。あなたや我輩のようなド素人がよけいなことをして砂漠化を進行させてきたのだから、専門家に任せておきなさい。

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2006-11-29 00:01
私は、最近まで農業にはあまり縁がありませんでした。日本や世界の食糧自給という大変深刻な問題を考えていくうちに、次第に農業や土に興味を持ちはじめました。

 特に今年から農業の本をいくつか読んで、とても素晴らしいと思ったのが、
自然農法の本です。  
     福岡正信 著 『わら1本の革命』
は、目から鱗の素晴らしい本です。環境関係で初対面の方から御借りして、あまりに素晴らしいので、後日拝み倒して譲り受けました。

 福岡氏の目指す自然農法は、
 『何もしない農業』です

4大原則は、
 不耕起;大地は植物の根や地中の動物、微生物に自然に耕される。
 無肥料;自然の動植物の生活循環を活発にし、土壌を肥沃化する。
 無農薬;不自然から病体の作物が出来る。健全な作物を作れば良い。
 無除草;機械や農薬で殲滅作戦をとらず、草は草で制する。
です。

 1つ1つ素晴らしい考え方で、各発想はしっかり繋がり、全体として一貫しています。
 つまり、自然の循環に逆らわない、最も効率の良い農法が自然農法でしょう。

 この農法で、近代農法よりも収穫率や収穫作物の品質が落ちても、農業機械や肥料、農薬等にコストがかかっていないわけですから、収支は、近代農業よりもいいわけです。しかし、驚くべきは、福岡正信氏によると、収穫率や品質も近代農法よりいいそうです。
 これって、実は今の経済優先社会、工業化社会の本質を突いていると感じました。つまり、農業機械や肥料や農薬を売り、農協や町や国の仕事を作る為の需要開拓から出来た思い込みと言うか、洗脳の一種があるから自然農法は無理だとか、近代農法に劣ると思ってしまうのでしょう

 福岡正信氏の思想は、農業だけでなく、全ての環境問題対策にも通じる画期的なものだと思います。私のProduce less の考えとも一致いたします。

       <続く>

 今回、雑草シリーズとして『無除草』について、かこうと思っていたのですが、夏前に読んだ『わら1本の革命』のインパクトを思い出しました。雑草の事はまたの機会にして、もう少し自然農法について書きたいと思います。
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【2006/11/29 00:01】 | 農業 トラックバック(0) |


竹馬
一応百姓をやっています。
田んぼは慣行農法ですが、野菜は無肥料、無農薬(種は購入種子で消毒されているのもあり)です。土の状態によっては耕します。部分的にどうしても硬くなる部分があるからです。除草は草削りかビニールマルチです(何度も使うつもり)。茅で草マルチができない事も無いんですが、なかなか大変。
 成長は遅めです。収量も少なめです。が、本当に「遅く、少ない」のかどうかは、判断しかねます。慣行の収量、生育スピードが異常なのかもしれませんから。
 あと農法ってよく話題になるようですが、それと同時に食べ方、量、質の方もチェックしないとだめでしょうね。
 自然農法の食材だ!と言って調味料かけまくって、夜中に食べたり、玄米じゃないとだめ!と十分噛まずに歯と胃腸にダメージを与えたりしていては片手落ちと思います。
 普通の市販の食材でもいいから、自炊して調味料も最低限、火を通すのも控えめに、など自分が面白がりながらできる事をやるのが必要と思います。
 おならの匂い、量、汗の匂い、尿の色、食後の呼吸の状態、うんこの切れのよさ、食後の舌に味が残っていないかなど自分なりにチェックする方法はいろいろあります。
 
 なんて書いてますが,お菓子は好きです...


自然農法に近い畑作をされてるのですね。
雑草Z
    竹馬 さん

 2度目のコメント歓迎致します。今度は、遡って古い記事へのコメント有難う御座います。

 私は実際に農業をやっていないので、実際にやっている方からのコメントは参考になります。

>野菜は無肥料、無農薬

 素晴らしいと思います。肥料も無しと言うのは、思いきってますね。

>土の状態によっては耕します。部分的にどうしても硬くなる部分があるから

と言う事は、基本的には不耕起と言う事ですね・。

>茅で草マルチができない事も無い

なるほど・・・
竹馬さんの畑作は自然農法にかなり近いですね。実践されている方法なので、重みがあります。
竹馬さんの畑で作られた作物は安全なだけでなく、香ばしくて美味しいでしょうね。

>慣行の収量、生育スピードが異常なのかもしれません

きっと、化学肥料などでドーピングしているからで、その代償として、土地が枯れてしまうのでしょうね。
 畑は早晩土地が枯れていくとも言いますが、竹馬さんのような無肥料、無農薬の場合も土地が枯れていくのでしょうか?・・勿論、同じ作物の連作は、土地から決まった成分だけ減らして、良くないとは思います。

>食べ方、量、質の方もチェックしないとだめでしょうね

 そうですね。私もそちらの考察はおろそかになりますね。
普段のご飯は粗食でも、お菓子は食べますし、カレーとかは好きで食べ歩きします。

あくまで近い農法です!
竹馬
>と言う事は、基本的には不耕起と言う事ですね・。
えーと、書き方が悪かったです。基本的には作業性を重視して、耕起します。不耕起にするとしても。表土数センチは鍬で整地,除草します。福岡さんのように徹底はしていません。半端者で、すいませーん。

>竹馬さんの畑で作られた作物は安全なだけでなく、香ばしくて美味しいでしょうね。   
 味、香りは比較的あっさりしています。人によっては物足りないと思います。が、この味に慣れて、普通の食べ物の異臭に敏感になりました。結果、食べる量、質が少しずつ変わりつつあります。

>畑は早晩土地が枯れていくとも言いますが、竹馬さんのような無肥料、無農薬の場合も土地が枯れていくのでしょうか?・・勿論、同じ作物の連作は、土地から決まった成分だけ減らして、良くないとは思います。
 自身の体験からはまだ断言できません。他人の現場(国内、海外問わず)を見る限り、無肥料栽培は連作するほどよくなるそうです。理由は無肥料栽培のHPか炭素循環農法のHPに大体の事は書いてあります。

無肥料栽培、自然農法の仕組みと、先日亡くなった甲田光雄氏の少食の本を比べるととても似ています。これがしっかり実証され、普及されたなら、食の問題の多くは解決しそうですが・・・まず、自分からですね。最近は1日2食に慣れてきました。 http://www.2shock.net/ こちらのサイトが非常に参考になりました。まさにproduce less の方法です。


produce less の方法
雑草Z
    竹馬 さん

 またまた沢山の興味深い情報有難う御座います。

>この味に慣れて、普通の食べ物の異臭に敏感になりました。
 なるほど、普段普通の食べ物の異臭には気が付きません。

>無肥料栽培は連作するほどよくなるそうです。理由は無肥料栽培のHPか炭素循環農法のHPに大体の事は書いてあります

 ええっ!! そうなんですか??・・・私の考えでは、肥料には入っていないその作物特有の成分が土の中からなくなるから連作は肥料をやろうがやるまいが良くないと思っていました。・・早速ご紹介の
>無肥料栽培のHPか炭素循環農法のHP
を探して見ます。

>無肥料栽培、自然農法の仕組みと、先日亡くなった甲田光雄氏の少食の本を比べるととても似ています。

興味深いですね。甲田光雄氏は知りませんが、調べて見ます。

>これがしっかり実証され、普及されたなら、食の問題の多くは解決しそうです

 それは凄い!! 『食の問題の多く』に食糧不足問題も含まれれば素晴らしいですね。ご紹介のサイトも見てみますね。

>まさにproduce less の方法

 書き始めの初期の頃の記事まで遡って読んで戴いたようですね。有難う御座います。

 これからも宜しくお願い致します。

自然農
ゆいまーる
BEMさんのエコキャップから飛んで参りました。

私は福岡さん経由で、川口由一さんの「自然農」に賛同し、行っています。
全国に拡大中。(ワタクシはひよっこですが)

「自然農」
     耕さず、肥料・農薬を用いず、草々虫たちを敵としない 
     生命の営みにひたすら沿う  
   
いのちに添い従い、応じ任せて、豊かなこの自然界の恵みを受け続けることのできる自然農。それを取り入れ、いのち豊かな幸福への道を見出し、農のある平和な暮らしを創造できる。環境問題は、環境に問題があるのではなく、私たち人間一人ひとりの内なるところに問題があって、根本解決はここを問い直すこと、との悟りから取り組まれているものである。

気軽に自然農
http://iwazumi2000.cool.ne.jp/
一度ご覧くださいませ。
川口由一さんの書籍もあります。

自然農
雑草Z
    ゆいまーるさん

 はじめまして、ご訪問有難う御座います。

 自然農の事、色々知りたいと思ってます。ご紹介のサイトも見せて戴きます。
私も自然農には賛同致しておりますが、自分が実行するのは躊躇しています。
 農業はやっていないのですが、現在は空いている農地が沢山あるので、農地はすぐに借りられるみたいですが。・・
 面倒くさい・・・と言う事もありますが、だからこその自然農でもあるわけですね。

>応じ任せて、豊かなこの自然界の恵みを受け続けることのできる自然農

こそが持続可能な農法でしょうし、環境問題にも大きな効力がある筈ですね。

今日・・・
おから
映画「降りてゆく生き方」を見ました。
自然農で、お米や、りんごを作っておられるかたの話もありました。
自然農について書かれている本があって購入してきたので、勉強してみようと思っています。



>降りてゆく生き方
雑草Z
    おからさん

 遡ってこの記事を発見しての関連のコメント、有難う御座います。

>映画「降りてゆく生き方」

の存在は、少し前に知り、興味を持っていました。
丁度ここのサイトの主題とも重なっていると思います。
・・・まだ見る機会はありません。

 人類社会が工業化されて、経済成長し過ぎた結果、持続不可能な領域に突入してしまいました。
 望む望まざるに関らず、近い将来、大部分の人々が降りて行く生き方をしなければ、人類社会は崩壊してしまうでしょう。

 その為には、自然農法も大切ですね。
 サツマイモは自然農法でも簡単に出来そうです。


アルテミス^^
こんばんは^^

早速拝見しました♪私がこの本に出会ったのが2007年頃だったので似たような時期に巡り会っていたのですね^^

ややこしいですが、自然農法と自然栽培は違うものらしいです。自然栽培は木村さんや須賀さん自然農法は川口さんが有名ですね

最近では動物にも遺伝子組み換えが入ってきましたし、酵母や菌類も人工的に都合の良い種類を純粋培養しているので、土や食べ物、作物などなど、水も含めてかなりの範囲で汚染や破壊が進んでいます。

地球温暖化がデマとかなんとか言っている方もいますが、青森でもシイラが釣れてしまう位、ひと昔とは環境が激変しているようです。環境を改善というか還元する方向へ一人でも多く舵をとってほしいなぁ・・・と最近は常に思っております。

自然農法と自然栽培??
雑草Z
    アルテミスさん

こんな以前の記事へのコメント、有難う御座います。

>自然農法と自然栽培は違うものらしいです。自然栽培は木村さんや須賀さん自然農法は川口さんが有名

有機農法と自然農法は明らかに違いますが、自然農法と自然栽培の違いはよくわかりません。宜しければ違いが分かるように御説明を・・・福岡正信さんは、自然農法でいいのですか?

>最近では動物にも遺伝子組み換えが入ってきましたし

とんでもないお話ですね。本当に現代社会も末期症状です。これほど愚かな時代は無かったと言えそうです。

>地球温暖化がデマとかなんとか言っている方もいますが、

二酸化炭素が温暖化の主因と言うのは全く証明されていませんし、二酸化炭素温暖化説を調べても、トリガーにはなっても主因とは言えないでしょう。生態系に必要な二酸化炭素を悪玉にしている時点でアウトでしょう。「低炭素社会」を目指す事事自体恥ずかしい事だと思います。

>環境を改善というか還元する方向へ一人でも多く舵をとってほしいなぁ・

そうですね。経済優先している限り人類は滅亡への道をまっしぐらでしょう。生態系の環境を守る事こそ最も大切でしょうね。

 

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2006-11-28 00:06
抜くのも、鎌で刈るのもチェインソーで切るのも大抵の除草作業には反対ですが、最も愚かな除草方法は除草剤でしょう。除草剤の使用は論外でしょう。
 殺虫剤や殺鼠剤などと同様、農薬の1つである除草剤は、もともと軍需産業の化学兵器からの転用です。だから、劣化化学兵器とでも言うべき、とんでもないものである事に間違いありません。
 選択的除草剤、例えば、広葉雑草には効力があるが、イネ科植物には効かない等の除草剤でも、植物組織を破壊したり、光合成を阻害したり成長を妨げる作用があるわけですから、植物や人体等大きく生態系には有害に決まっています。選択的除草なんてアバウト過ぎます。
 最近使われている除草剤は、散布後直ぐに分解されるように調合されていると言いますが、散布直後は、無差別的に生態系を破壊しているわけであるし、検知されにくい残留成分もあるでしょう。

 除草剤は、他の農薬同様、生態系を無差別破壊し、土の素晴らしい能力をなくし水を汚染します。 
農業用にも散布するのはよくないし、ましてや庭になど絶対に撒いてはいけません。

 余談ですが、最近問題になっている繁殖力のかなり大きな外来種の雑草も、除草剤の開発に頼る事なく、人海戦術の方が、いいと思います。人力は偉大です。(ゼネコン関係の人や国土関係者、商社マンの方々、環境破壊するより、こっちの人海戦術の一員になった方がよっぽど役に立ちます。)
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【2006/11/28 00:06】 | 植物 トラックバック(1) |

除草剤
satou-n
はじめまして、雑草という名前に惹かれてお邪魔しました。
私の暮らす小さな島でも、高齢化の理由を楯に除草剤が横行しています。
しかし、そんな人たちほど自分達の飼っているヤギの餌を確保できずに、毎日車で島中を走り回って除草剤のかかっていない草を探しています。
この愚かな矛盾を、できるだけ早く、本当に早く気づいてもらえたらと思っています。



ホタルの棲む美しい久米島に除草剤とは
雑草Z
 悲しいですね。自分達の飼っているヤギに、生えっぱなしの雑草を食べさせるほうが楽だと思うのですがね。除草剤は全て禁止にすべきだと思います。
 ご訪問有難うございます。
 HPを拝見して、いつか、(東北が寒い冬あたりにでも)久米島に家族で行って見たいと思いました。

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2006-11-27 00:01
 日本の社会で雑草や落ち葉をゴミ袋に入れて燃えるゴミと一緒に出すようになったのはいつ頃からでしょうか?雑草や落ち葉がゴミだと言う不自然な感覚を持っている人が増えた事はかなり危険な嘆かわしい事だと思います。

 子供が幼稚園の頃、奉仕作業で幼稚園に行ったとき、草取り担当だったお母さん達が、それをゴミ袋に入れてゴミとして出そうとしていました。幼稚園の主任の先生に抗議したら、「どうしたらいいか教えて下さい。」と言う事だったので、「敷地の端っこの並木の下に穴を掘って埋めましょう」と提案したら、素直にそうしてくれました。私が穴を掘って一輪車で運んで埋めました。

 子供の小学校では、堆肥置き場というのがあり、抜いた雑草や落ち葉はそこに運んで置いて腐らせ、花壇や学校の菜園等に堆肥として使うようです。大変いいことです。しかし、そう言えば、私の小学校時代もそんな場所がありましたが、こう言う事って、昔は小学校の先生方や用務員さんが、普通の事として指導して来たと思います。
 
 私の育った家は、農家ではありませんが生ゴミ等は庭に穴を掘って埋めていました。コンポストなど必要ありませんでした。その穴を掘るのは私の仕事でした。大きな穴を掘って驚かすのが私の楽しみで、近所の小さな子供がそこに降りて中に入って遊んだり、色んなものを持って来て放り込む度に、何を入れていいか悪いか教えていました。教えると言うよりも、こんな事はすぐに感覚として身につくものでしょう。

 大学生以降一人暮らしをするようになってから、部屋も何度か引っ越しましたが、何故かいつも1階の部屋で、私の部屋の庭という訳ではありませんでしたが、雑草の生えた土地が多少なりともありました。いつもそこに穴を掘って生ゴミ等を埋めていました。蠅が発生するとか大家を通して苦情も来ましたが、すぐに土をかける等の処理で、生ゴミはゴミ袋に入れて出した事はありません。近所や大家の苦情に屈した事はありません。[何か今はやりのゴミ屋敷の家主を連想しますね(笑)]  面白いのは、私が生ゴミを入れる場所は、そのときは穴を掘るために雑草も一緒に掘り返してなくなるのですが、その後雑草はすぐに生え、間もなく周りの雑草よりも一段と高くそびえ、2階まで達するくらい伸びました。生ゴミの肥料の効果恐るべし!!ときどき食べた色んな種類のメロンの種が芽を出して、つたを伸ばして、周りの雑草や敷地を囲った金網に巻き付いて、果実をつけましたが、楽しみに大きく育つのを待って食べても、甘味がなくキュウリみたいな味でした。メロンを甘く育てるには、過保護に育てる+α が必要なのかもしれません(笑)。
 
  抜いた雑草や落ち葉は、大切な資源だと云う感覚は、昔の人はみんな持っていた普通の感覚でしょう。自然の摂理に沿った持続可能な社会には絶対に必要な感覚です。
 小さい頃からしっかり体験的に体で覚えるべき感覚です。教育しなければわからならないのは、悲しい事ですが、そういう感覚の欠如した人間が増えて来ている現在はしっかり教育する必要もあるでしょう。
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【2006/11/27 00:01】 | 植物 トラックバック(0) |


天地 はるな
子どもの頃は、よく草を刈りにいってました。
牛や、ウサギ、鶏を飼っていたのです。
春になると、ヨモギを摘んでヨモギ餅を、
夏になるとヒユを摘んで、雑炊を・・・。
最近は雑草を許さない世の中なので、うちの家の裏庭は、雑草園です。
ヨモギ、スカンポ、ツクシ・・・いっぱい植えています。
手入れが悪いから、生えたとみんな思ってるみたいですが・・・。( ̄m ̄*)
ヨモギのテンプラは美味ですよ♪

小さい頃からしっかり体験的に体で覚えるべき感覚、絶対に必要ですよね。(実感)

うちの家の裏庭も、雑草園
雑草Z
 はるなさんところとの違いは、植えたのではなく生えたのです(笑)。手入れが悪いのかも知れませんが、あえて抜きません。あえて抜くのは、昔、父が植えた芝生です。芝生は本当に邪魔です。私は芝生嫌いです。でもほかの雑草に負けず劣らずの生存力です。

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2006-11-26 16:04
 私は、雑草を抜く事は、大抵反対ですが、今回は、様々な事情で抜いてしまった雑草や落ち葉の処理について書かせて頂きます。

 刈り払ったり抜いたりした雑草や落ち葉をゴミ袋に入れてゴミとして出す事は酷い話です。
        大反対
です。 
 近年は、ゴミ焼却発電なんかも盛んになり、雑草や落ち葉や生ゴミが、他の可燃物と一緒に燃やされてエネルギーになっています。カーボンニュートラルの考え方からは、合理的な処理の仕方でしょうが、私はこれにも賛成出来ません
(<カーボンニュートラル>関連のところでさんざん書かせて頂きました。【CNに物申す2】10/14とその前後に何回かに渡って論述しています)
 抜いた雑草や木から落ちた落ち葉は、原則として、その場に放っておくのが一番いい処理の仕方だと思います。若し、何らかの不都合があるのなら、穴を掘って埋めるとかすべきです。その場所が無理でも、行政のゴミ収集車が持っていくのではなく、小さな町内会ごとに堆肥置き場を作るべきでしょう。何故こんな素晴らしい肥料、生物のエネルギー源を、化石燃料を使って収集するような愚かな事をする必要があるのでしょうか?雑草をその土地に戻してやれば、腐る過程で土の中の様々な生物の栄養となり(それが『腐る』と言う事)そこの土地の生態系を豊かにし、生きた土にするのです。
  それをゴミとして出して、さらに新たな肥料を購入してその土地に入れるとい事はとても愚かな行為です。しかしそれが、「経済の活性化」なのです。
 
 抜いた雑草や落ち葉がゴミという感覚は、非常に不自然で危険です。こう言う自然に対する普通の感覚の欠如は大変恐ろしい事です。そのような感覚が欠如して、さらにモラルも失った人々が行政に携わって来て、ひどい環境破壊を起こす一端を担っているのでしょう。
              
   <続く>
 抜いた雑草や落ち葉が、資源かゴミかという感覚について次回(明日)アップさせて頂きます。 

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【2006/11/26 16:04】 | 植物 トラックバック(0) |
2006-11-25 10:33
 海外の事は分かりませんが、日本人は雑草取りが好きです。 「庭に雑草を生やしたままにしておいて・・」と言うのはそこの家のだらしなさを非難するときの言葉でした。
 
 でも、雑草はそのまま生やして置いた方がいいに決まってます。
 『草も生えていない庭』のほうが問題です。

 田舎町に住んでいれば、都会よりは土地も広く、多少とも庭がある家も多いでしょう。
 そこをコンクリートで固めたり、石を敷いたりして駐車スペースにしたりする家が多い事は悲しく思います。そんな事をせず、草を生やしておけば、光合成をして、二酸化炭素を吸収して酸素を出してくれるのです。4~10平方メートルの雑草が十分光を浴びれば、人間1人分のCO2を吸収してくれるのです。植物による空気や水の浄化作用も素晴らしいものです。 

 私は、土地の所有と言う概念には無理矛盾があって賛成ではないのですが(いつか機会があったら書きます)、それは置いといて、ある程度大きな土地を所有している家は、その何%以上に植物を植えるとか、自分の家族達の排出するCO2を吸収するだけの植物を生やさなければならないという法律を作るべきだと思います。こうする事によって、かなりのCO2削減は出来ると思います。 コンクリートで固めるならば、そのまま雑草を生やしておいた方が、水吐けもよく、なお且つ土地がしっかり固定されていていい筈です。雨の日にぬかるむのは、雑草も生えてなくて、乾いた日は砂埃の立つような土地です。それに若し、ぬかるんだっていいではないですか!! 
 食用か観賞用の植物を植えないのならば、雑草を生やしておいた方がいいに決まってます。私個人的には、花もクローバーや露草のような手入れも要らない雑草の小さな可憐な花のほうが、花の美しさを誇っているすぐに折れそうな人工的な大きな花よりも好きです。(花を愛でる気持ちはあんまりありませんけどね・・)
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【2006/11/25 10:33】 | 植物 トラックバック(0) |

なんだか・・・
天地 はるな
雑草さん、他人に思えない( ̄m ̄*)
私も以前、雑草を大切にというチラシを近所にまいたことがあります。( ゚∀゚)人(゚∀゚ )
地道をアスファルトにという議員がいて、それに反対したのです。
けっか、近所から総すかんでしたけど _| ̄|○
今から25年以上前のことですけどね( ̄▽ ̄)
雑草、大好き。


雑草Z
 歩く道端に様々な草、つまり雑草がある風景っていいですね。時々木の芽も出ていたりして・・水吐けを考えたって、夏の猛暑対策を考えたって雑草の生えた土の道がいいに決まってます。〔雑草を抜かない会〕または、もっと積極的に〔雑草を生やす会〕って作りたいですね。
 そんな事を言っているうちに私は雑草と呼ばれるようになりました。

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2006-11-24 00:01
 草取り、雑草取りと言うと、色々な場所があります。田んぼや畑、公園、堤防、河川敷、歩道、道沿い、学校の校庭、花壇、庭、庭、・・・・
私はその全てに反対ではありませんが、大抵反対です。
理由は
 1. 雑草は勿論緑色植物ですから、光合成をします。CO2を吸収してO2を出すのです。今、世界のCO2が過多になって、温暖化の問題などを引き起こしています。何の手入れの必要のない雑草を生やしておくだけでCO2が削減出来るのです。植物は最高のCO2削減対策であるのです。
これが最大の理由です。
 2. 雑草は、土地を耕します。光合成をして無機物から有機物を作り出し、土の下の色々な生命の営みを支えています。
 3. 雑草は、根をしっかり張って土地の流出を防ぎます。

 
 他にも細かい理由は色々ありますが、
 私は大抵のシーンで雑草取りに反対致します。
色々問題のある外来種等もあるようですが、詳しくは長くなりますのでこれからシリーズで描いてゆきます。    
 
 ちなみに私のHNの<雑草>は、雑草を抜いてはいけない旨をみんなに熱く語っているうちに、そう呼ばれるようになったのであって、特に気に入ってつけた訳でも『雑草のように強く逞しく』みたいな意味でつけた訳でもありません。このブログも、ブレインこーき氏が作ってくれて、タイトル<雑草の言葉>も彼がつけました。ちょっと宗教の教祖様の『お言葉』みたいなイメージには抵抗がありまして、<雑草の思想>や<雑草の独断>、<雑草の独り言>何かでもいいとも思いますが、彼が作ってくれなければ始まらなかった訳だし、まあ気に入ってますのでしばらくこのまま続けようかと考えています。〔雑草〕というHNも馴染んできましたので、そのまま使いますが、こーき氏がつけてくれた本当のHNは、〔雑草32〕とからしいです。まあ、同じ〔雑草〕と云うHN使う方がいるよやも知れませんので、これから〔雑草Z〕にします。ZはMZのZではありません?
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【2006/11/24 00:01】 | 植物 トラックバック(0) |

雑草だって生態系の中にあります
スモールイズビューティフル
田舎で隠居している私の父は、時々シルバーセンターに頼まれて雑草取りをするそうですが、刈り払った雑草はごみ袋に入れて焼却場に持っていかれるのだそうです。これは田んぼがいっぱいある田舎での話でから、大抵の自治体がそうなのでしょう。

こんなおろかなことを(生態系を無視した愚挙)している行政に怒りさえ感じます。昔の農民もせっせと雑草を刈り払っていましたが、これは家畜に食べさせたり堆肥にするためでした。雑草氏の論でゆけば、今の行政はCO2を消費してくれる草を取り除いて、わざわざCO2を生産していることになります。

私は、雑草については様々な事情により取らなければいけないこともあると思いますが、せめて堆肥にするなりバイオマスの原料にするべきだと思います。

日々大量に出される残飯や廃棄食材についても全く同じです。一刻も早く行政が着手すべき問題だと思っています。もちろん、食料の廃棄については、まず食べ切るなり使い切るなりすることが大事ですけどね。


もうひとつ思い出したので書きますが、最近は雑草を取るのが手間なのか、除草剤をまいて枯らしたり、ひどいのはコンクリートで覆ったりするのも見られます。

青葉の美しい季節なのに、一面に広がる枯れ草や、醜いコンクリートで覆われた斜面を見ると、とても悲しい気持ちになります。

まさに仰る通り!その内容をこれから・・
雑草Z
 とった雑草の処理の仕方、除草剤、コンクリートで覆うこと・・・みんな仰るとおりです。
本文に書いた通り、詳しくこれからシリーズで描こうとしたことの半分くらいは、スモールイズビューティフルさんが非常に上手く描いて下さいましたので、これから描く内容は重複するにしても吟味しなければなりません。(笑) 

草刈
mao
近日、団地の草刈りがあります。
公園が雑草が生えすぎていて、公園が公園の役目を果たせない
状況なので反対では無いのですが、
刈った雑草は車に積まれて、焼却処分されるのだろうなぁ・・・と思うと
悲しくなります。
少しでもと思い、草刈日の前にひとりで草刈をして、
家で堆肥を作ることで気を紛らわすことにしていた今日このごろ。
近所から変人扱いされると困るので、本当に少しだけですが・・・。

私は都会育ちで、自然に触れ合う機会があまりかった
生い立ちですが、そんな私でさえ雑草を焼却処分することに
抵抗を覚えるのに、多くの方々が抵抗を感じないことを不思議に
思います。
雑草Z様が、「雑草は抜いてはいけない」等の話を熱弁(?)される
時、聞く人の反響はどのような感じなのでしょうか?
すごく興味があります。よかったら教えてください。

仕方がないと抜いている人もいる訳で・・・
雑草Z
 本文に書いた理由を一つ一つ説明すればわかってくれる人のほうが多いようです。時々、「でも雑草は、邪魔だから抜かなければ・・」と言う人もいますが、「そんなレベルの話ではない」旨を述べれば、反論はしませんね。

 数年前、幼稚園の奉仕作業で、抜いた校庭の雑草をビニールのゴミ袋に入れて捨てようとしていたので、主任の先生に、「植物をゴミ袋で捨ててはいけません。」と抗議したところ、「じゃあどうすればいいですか?」と聞いてきたので、「校庭の隅の木の下に穴を掘って肥料にしましょう。私が穴を掘りますから」と言たら、彼女は素直にその提案を受け入れてくれて、全部のゴム袋をあけて草を出して、私が掘った穴に埋めてくれました。
そして「こういう事は知らなかったので、また何かいい方法があったら教えてください。」と言ってくれました。私の押しが強かった事もあるかも知れませんが、多くの人は、自然を愛し、勿体無い精神も持っているので、しっかり説明するとわかってくれる場合が多いと思います。
雑草や生ゴミをゴミ袋に入れて出すなんてはじめた輩が愚かで、【割れ窓理論】http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-141.html
でそんな悪しき習慣が広まっただけで、こんな習慣はしっかりプロパガンダすればなくなると思います。

maoさんも是非、上の説明の他、
○公園の雑草は、土をしっかり固め、地震の時の地割れも防ぎ、火事のときの避難場所としては、火を防ぐ事(阪神大震災のときは、木の水分で火事の被害を免れた方もいたと聞きます。)
○雑草を根から抜くと埃が立つこと。
○雑草があれば、子供が転んでも怪我をしにくい事。
○オオバコなど多くの雑草が子供の遊び道具になる事
などを説明して、なるべく背の高い雑草だけを抜く提案をなさって下されば嬉しく思います。木があれば、是非とも木の肥料にと穴を掘ってくださいませ。
ちなみに雑草が、ぎっしり敷き詰められて、真上から見ると緑だけの場合、条件にも拠りますが、アバウトに6畳くらいの面積で、人間一人分の二酸化炭素を吸収して、酸素を出してくれますよ。
 私は、CO2温暖化説は懐疑派ですが、植物は、SOx や NOx などの、酸性雨の原因ともなる有毒ガスも吸ってくれます。都会の子供にこそ、外で少しでもいい空気を吸ってもらうべきですよ!!!!この台詞は、決め手になるかも・・


 古い記事へのコメント有難う御座います。遡って記事を読んでくださったのですね!!!!


 

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2006-11-23 00:21
 多くの企業戦士が言います。「自分には大切な仕事がある。」     
 
 官僚や企業戦士に言わせますと、自分達が日本をしょって立っているということでしょう。でも、それは逆の可能性が高いとは思いませんか?貴方方のお仕事は、持続可能な社会から見るとないほうがいいと考えませんか?お仕事なされない方が社会の為だと思いませんか?貴方だけでは有りません。総合商社、広告代理店、証券会社、プロスポーツ・・・。大抵のお仕事がそうです。
 「否、必要だ!!」とおっしゃりたい気持ちはわかります。しかし若し必要としても、それは自分が所属する組織や家族に一時的に役に立っているように見えるだけです。「一時的」と言うのは、結局長い目で見れば、その環境破壊により、みんなが生存を脅かされる事になるからです。
 今回は特定職種を攻撃するつもりはありません。日本を初め多くの国の社会構造が駄目だといっているのです。こうやって一生懸命働いて、自分は大した仕事をしていると思って仕事すればするほど、環境を破壊し、社会の持続を可能ならしめるのを困難にするのです。
 最近、環境問題はこういう意識との闘いのような気がしています。個人の価値観に干渉したくはありませんが、人類の滅亡がかかっているなら話は別です。
 経済成長に盲信している人々と別の切り離された世界に住めるのならそうして、彼等が勝手に滅ぶのは自由ですが、残念ながら地球と云う同じ船に乗っているからには彼等に意識の変換を求めるしかありません。

 あなたの『大切な仕事』は地球を破壊し、人々を不幸にします。あなたは働き詰めで、そういうことも考える時間がないのでしょうか?立ち止まって環境や社会構造のことを考えて見て下さい。
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【2006/11/23 00:21】 | 社会・経済 トラックバック(0) |
2006-11-22 00:01
現在の私の家の居間のTVは、私が学生時代から20年以上も使っている小さなものです。4:9 のワイド画面でないのにブラウン管が古くなり、画面の上下が切れてワイドテレビのような縦横比です(笑)。
 そろそろ寿命で代えようかと思いながら10年以上が立ちました。

・・・これが大切です。何でもじっくり考えているうちにもっといい製品が出るものです。だから
迷った時には買わないに限ります
10年前に買い替えていたら今頃後悔していたでしょう。

 それは兎も角、最近大きなTVが流行っています。昔はホテルのロビーなど、遠くから沢山の人が見るような場所に設置していたような大きなTVが家庭用に販売されています。こんな大きなTVはかなり資源が勿体ないと思います。
 大きい方が映画館のように迫力があるとかいいます。私の家のTVも小さい画面で字幕が見えないときがあるのですが、そのときはTVに近づきます。そして思います。極めて単純なことです。大きいテレビを見るかわりに近くに行けばいいのです
 TVまでの距離が半分になればテレビの画面は2倍の大きさに見えます。(長さが2倍だから面積は4倍です。)
 視野の広がりが同じなら、目に感じる迫力も同じでしょう。特にTVの画面は平面で立体ではないのでなおさらでしょう。あまり近くでTVを見ると目を悪くするといいますが、TVの単位面積辺り同じ電子線を出すと仮定すれば、小さなTVをある距離から見るのとその2倍の大きさのTVを2倍の距離から見るのとでは、目に対する悪さも見た迫力も同じでしょう。ステレオ出力だったら近くで見た方がステレオ効果は大きい筈です(笑)。
 遠くから見た方が音量でも光のエネルギー(単位面積あたり同じエネルギーと仮定して)でも距離の2乗に比例して出力しなくてはならないので、エネルギーも無駄遣いです。
 映画を見る時、一番前の席ではあまりに視界が広すぎて見にくいから少し後ろの席がいい席と言われます。それと全く同じことで、TVも大き過ぎると離れて見なければ疲れるでしょう。TVはその大きさによって適当な鑑賞距離があるわけですから、家族全員でTVを見る場合でも40インチとか50インチ以上の大きなTVは家庭には必要ないでしょう。疲れるし邪魔なだけでなく、資源やエネルギーもかなり勿体ないと思います。あんな大きなものが壊れてしまって廃棄する場合のことを考えると心が痛みます。やはり大きなTVは1度に沢山の人が見る温泉センターの休憩室などだけに置けば十分でしょう。
 
 を兼ねません。

スモール イズ ビューティフル です。

  ・・なんて、大きな字で書いたら矛盾ですか??
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【2006/11/22 00:01】 | 身近なエコ トラックバック(0) |
2006-11-21 01:30
『豊かさ』という概念は個人的、社会的な価値観で、数値化して量で計ったら矛盾が生じるに決まっています。まして、物質やサービスの生産量や消費量で計ったらお笑いです。     
 GNP[国民総生産] とか GDP[国内総生産]のような、資本家や官僚に都合のいいようにに利用されている指標が、『国民の豊かさ』を計る指標だったら悲し過ぎます。このように概念自体が大きな矛盾を含む指標が、いまだに『国民の豊かさ』のスタンダードな指標にに使われていることは愚かで嘆かわしい事です。
この指標は、Highway To Hell に取り付けられている道しるべでしょう。
(宗教的な表現をしているのではなく、交流直流的な表現。)

 では、代わりに使うべき概念は?、と言えば、
やはりGNH[国民総幸福量]でしょうか。まだ研究段階で、はっきり定義されていない概念です。私も用心しながらこの概念を調べてみましたが、GNPのように出発点の仮定から狂っている概念とは違って、まともな良心的な概念のようです。  
 『幸せ』は、極めて個人的な価値観で、量で計ることは出来ないものですから、GNHは、GNPのように単純に数値化出来る量ではなく指標にするには困難な概念です。と言うよりも、数値化は出来ないものでしょう。私も統計は好きですが、将来的に数値化することは、単純に賛成出来ません。
 でも、その理念はGNPよりは遥かに素晴らしいものです。こういう概念から豊かさを考察すべきであることは、ごく普通に理性的に考えれば当然でしょう。
 この、ヒマラヤの小さな仏教国、ブータンで生まれたGNHという概念は、まだまだ論理的枠組みは確立していませんが、成長の限界を越えて矛盾の噴出している社会が、盲信していた『開発理念』『経済成長』を脱して、
 今後進むべき方向の指針となりうる理念だと思います。


 GNH[国民総幸福量]について↓
 http://www.gnh-study.com/index.php
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【2006/11/21 01:30】 | 社会・経済 トラックバック(0) |
2006-11-20 00:01
私は、経済学と言うものを軽蔑している。もうとっくに矛盾が生じてなくなってしかるべき経済概念が21世紀にもなってまだ使われていることに唖然とする。
 例えばGDP(国内総生産)。同じ事をするのに低コストで簡単に出来てしまう場合GDPは下がるという矛盾はずっと指摘されているのに今だに国の豊かさの指標として使われている。経済学者が愚かだと言うよりも、それを指標にする事によって得をする(ように感じる)人達が世の中を動かしているからである。 経済成長はこのGDPの増加率で計るからとんでもない指標である。経済の活性化と言うのもこのGDPを上げる事である。ほんとにとんでもない。資本主義国だけでなく社会主義国までこの経済指標に取り憑かれたようにやっきになっている。ほんとにとんでもない。 だから同じ事をするのに、特に個人のお金でなく税金を投入する場合、よりコストの掛かる方が選択される事が多い。公共の建物もそのまま使うよりリニューアル、リニューアルより立て替え・・・。公共工事も予算の範囲で出来るだけ大型化。ゴミ問題も、やっと使い捨て時代が間違いだとわかったら、生産中止よりも減量よりも再利用よりもリサイクル。生産縮小をしたくないからだ。リサイクルは、捨てる前の最後の手段なのに、これを環境政策の中心に置いている。とんでもない。
明らかに経済活性、言い換えると無駄な物を増やしているだけである

 GDP、経済成長、経済活性化・・・地球は有限であるからこれらの概念はいずれ大きな矛盾にぶつかって後からはとんでもない破滅の概念だとみんなが気付くのだろうけれど、問題はいつ気付くか・・・やり直し出来るうちに修正出来るか?多くの人々が気付いているのに、まだそれで美味しい汁を吸っている連中やそのルールで成功しようと言う洗脳された連中が変える気がない・・・実は彼等だけ生き残る事は出来ないくらい環境破壊はグローバル化してるんだけど・・・
本当にいまの経済の仕組みはとんでもないとんでも経済。  
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【2006/11/20 00:01】 | 社会・経済 トラックバック(0) |
2006-11-19 00:54
 数年前まで在宅看護を受けていた父は、最近は介護施設に入りっぱなしです。毎週末にそこに子供と洗濯物の交換等にいきます。(近くなので勿論自転車で・・)はじめは面倒でしたが、今は毎週の習慣となっています。昨日も、日中に行って来たところです。
 老人介護施設は老人ホームのように老人達が生活していますが、老人ホームとの違いは、介護施設ですので、自分で歩いて生活するには不自由な方ばかりです。色々なことを忘れてしまって、あまりホームシックにもならず、家に帰りたいという方も少ないように感じます。

 それは兎も角、この施設の人たちが集まる広間の大きなTVで、時折、ニュース番組などで、諫早湾干拓だとか不正株取り引きの裁判だとか沖縄普天間基地移設問題とかやっているのを目にします。
 不思議な感覚です。ここにいる人達も昔はこんなことであくせくしたのでしょうか?老人ホームに入らなくとも、人は年老いると、幼少時代のように活動範囲も思考範囲も狭まります。広大な敷地も豪邸も株券も権力も必要ありません。ただのんびり余生を暮らせれば十分でしょう。淋しいことと感じるかも知れませんが、これを淋しいと感じることが現代人の捕らわれなのかもしれません。それで十分ですし、それが自然の摂理です。それなのに社会をわざと複雑に見せ、世の中をかき乱す無茶苦茶な人間達の営みのニュースをやっているのです。
 人間は年老いるからこそ若いうちに大きな花火を打ち上げたいのかも知れません。しかしとんでもない暴発をする花火を打ち上げる人々が沢山います。人の虚栄心や功名心を否定するつもりは御座いません。しかし、高々100年足らずの人生の為に自然が何億年もかけて作り上げた完璧な系を破壊し、ダムや原発や基地など巨大事業をして、戦争を仕掛けて人々の生活をかき乱して不幸に陥れ、何をしたいのでしょうか?こんな環境破壊をしてまで、栄華を極めるという目的、満足するという価値観は、自然の一部である人間の本質ではないような気がします。高々数百年の歴史の経済成長と云う価値観の中でそれが人生の目的と思い込んでしまった人々が増えてきたのでしょうか?こんなとんでもない事をした人々も年老いて、今までやってきた事が必要なくなるのでしょう・・というより始めから必要なかったのです。しかし後には大きな負の遺産が残されるのです。動物として持ち合わせている自然のバランス感覚が鈍り、等身大の自分達の姿が見えなかったのでしょう。彼らは他の人々の営みを邪魔して、時には絶って、自分の人生を総括せずに亡くなっていくのでしょうか?
 昔は老人ホームにペーソス等を感じていましたが、最近は、老人介護施設を訪れる度に、自然の摂理から外れたとんでもない愚かな事をし続ける経済界などが存在している事が不思議に感じます。
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【2006/11/19 00:54】 | 雑談 トラックバック(0) |
2006-11-18 00:02
ODAとは、いわゆる「先進国」がいわゆる「発展途上国」に援助する事業です。建前上は,相手国からの要請にもとづいて事業がおこなわれるのでが、現実には,先進国側から事業をもちかけている場合ばかりです。
 プロファイとは、 project finding の業界用語です。「事業探し」つまり「案件探し」です。日本の商社、事業コンサルタントが、世界中で事業を捜しているのです。捜していると云うよりも、勝手に事業を作り出していると言うべきでしょう。そして、政治家に口利きして貰い、ODA事業にして行く・・・

 いわゆる「先進国」は必然的にゆきずまった『成長の経済』のしわ寄せを先進国が勝手に『発展途上国』と呼んでいる国々に持って行ってるのです。現地を助けようと言う気は全くなく、自国では無理になった肥大化した企業の成長原理を支える為に援助を考えついているのです。それを捜しているのが事業コンサルタントや商社達です。 自国で出来なくなったからと(日本国内ではまだやる気らしいですが・・)先進国が勝手に『後進国』と呼んでいる国々に同じ過ちをわざとさせているのです。それで、自分達が潤う為に・・・。

 その実態は酷過ぎて目を覆うばかりです。
 
 巨大開発計画は、始めから地元の住民の要望ではなく企業の要望です。地元の住民は、今まで先祖代々住んでいた土地を立ち退かされたり、営んでいた自然農法を破壊させられたり散々なのです。挙げ句は都会に出てスラム街に住むしかないなんて例は特別ではなく、数え切れない程です。
 そしてまとまって反対運動をすると、地元の人々を分裂させ結束を弱める為に一部の住民にのみ経済的に潤わせます。それでも駄目なら軍隊を出動させて強制移動させたり、指導者は暗殺です。今年もフィリピンで日本の巨大ダム(完成してしまった。)に反対運動していた住民のリーダーが暗殺されました。(日本が直接手を下したと言うのではなく、日本の作り出した利権に群がる現地人の仕業か・・)
 
 案件を作った事業コンサルタント達は、建前は、援助という事ですが、こんな酷い事をしていて心が痛まないのでしょうか?彼等のいい訳は、「私がやらなくても誰かがやる」、「人間は経済成長しないと死ぬ」、「会社(商社)の為」・・・もっと強気に「日本の為だ」「こうやって私たちが働いているから、資源のない日本の国民が生きていけるのだ!」とくるのでしょうか?
 いや、貴方たちが働いているから、日本の国民の税金は浪費され、国の借金は膨らみ、発展途上国の環境を破壊し、現地の人々を不幸にしているのです。日本の評判も最悪に落としているのです。これが地球全体の破滅にも繋がるのです。
 ただ貴方たちがお金を儲けるだけの為に、こんな酷い事がなされていくのです。 
 貴方たちは、凶悪犯より酷い事をしています。   
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【2006/11/18 00:02】 | 社会・経済 トラックバック(0) |
2006-11-17 00:01
近年人間が行った巨大な開発、山、河川、海岸・・全て巨大開発は失敗に終わっています。ごく短期的に有効に見えても長い目で見ると失敗です。失敗どころか大きな不幸をもたらしています。

 1992年のモントリオール国際環境会議で国連開発計画のチェリー氏が、
「不幸な開発もあったが、そうでない開発もあった。」
と発言し、それに対してなされた
「では、不幸でなかった巨大開発はどれか」
との質問に答えられなかったそうです。(高木善之 地球村宣言より)

そう、確かに巨大開発で誇れる成功例はないのです。
  
 地球の自然は、知れば知る程、調べれば調べる程完璧なのです。奇跡と言うに相応しいシステムなのです。山でも川でも海でも湖でも、それぞれが素晴らしいシステムであるばかりでなく、全てが完璧に繋がって地球全体で1つのシステムになっているのです。だから、何億年もの間持続しているのです。それを最近出て来た人間が大きくいじってことごとく失敗しています。人間の行った巨大開発は何億年どころか、100年以内に大変な環境破壊を引き起こすのです。つまり、それだけ大きな系が、地球の完璧な系を断ち切ってしまうからです。 少なくとも現在の人間の科学力では、問題のない巨大な系は作れないのです。
人間と自然のシステムの関係はチンパンジーと精密機械の関係みたいなものでしょう。チンパンジーが精密機械をいじっても、壊すだけで、性能アップは出来ないのです。

 人間は、自然をしっかり観察して、自然の摂理にそった生き方をすべきです。自然が作っている大きなシステムをいじる必要はないのです。完璧な系なのですから。人間が工夫するのは自然のシステムを有効利用する自然の流れに逆らわない小さな系で十分でしょう。

 近年の巨大開発は全て失敗です。これからも当分成功しないでしょう。
現在の”巨大開発”は”巨大破壊”
 の何ものでもありません。
 今だに巨大開発を推進しようと言う事は、愚かと言うだけでなく、ある意味凶悪犯罪よりも罪が重い筈です。  
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【2006/11/17 00:01】 | 環境総論 トラックバック(0) |
2006-11-16 00:23
 現在原発を推進している数少ない愚かな国の1つ日本。いかに愚かかは今までかなり述べてきましたが、まだ述べきれてはいません。でも、それを述べていると、対策を述べるのがかなり後になってしまうので、ひとまず日本で原発をやめる方法を述べたいと思います。日本でも脱原発するのは、実は大した事はないと思います。
       
 18年くらい前、千葉県柏市のカルチェ5で、学生時代に同じ塾で社会の先生のバイトをしていた彼(すいません匿名でなく本当に名前を忘れました。)にばったり遭いました。彼はそのとき、千葉県の県立高校の教師になったばかりで、社会の授業で生徒に脱原発を教えていく事は社会の教師としての最大の使命だと言いました。立ち話でしたが脱原発の方法を熱く語ってくれました。その方法は、原発がなかった時代、1970年頃の生活レベルに戻ると言うものでした。具体的に、その頃なくて現在(1988年頃)普及しているもの、24時間のコンビニの深夜営業や電子レンジの使用などをやめれば、それだけで脱原発出来ると言っていました。当時の原発依存率はまだ低かったのです。私は彼に感銘を受けたものの、当時は脱原発運動をやるつもりもなく、彼の名前も忘れてしまいました。今彼と凄く連絡をとりたいのですが、同じ昔の塾仲間に聞いても、教室が別だったので、彼を特定出来ません。千葉県の柏市か松戸市あたりの出身で「ヤスヒロ」君とか言ったような記憶が・・・

 あれから、18年・・・日本の電力の原発依存率は40%程に上がりました。しかし、それでも脱原発は国民と政府の意志さえあれば難しくないと思います。
 方法として、その40%を別なエネルギーで補う方法は良くありません。 当時の千葉の彼の言うのと同じ、原発を使わなくて済むくらいまで省エネする方法がいいと確信します。そしてそれは今でも可能です。
 やはり、原発は深夜電力の要(と言うより深夜に出力を弱くしようとすると事故の恐れが出てくるどうしようもない設備)ですから、原発を始めてから日本中に拡散したコンビニ、ファミレス、ゲームセンター等娯楽施設の深夜営業停止から始めて、オール電化住宅の禁止や熱効率の悪い電気ストーブや電気温水器の使用停止、実は電力を食うエレベーター利用の制限、待機電力のストップなどの実施。夏のエアコン温度設定は30℃で十分。人が出来る分は人がやる。(【人力のススメ】で描かせていただきました)・・・こんなもんで40%はクリア出来ます。
 大部省エネが進んだ企業は40%省エネは大変なところもあるでしょうが、ならして40%削減。
 取りあえず原発を早急に止めて、バックアップ発電所の発電に切り換えてその間に全体で40%削減の割り当てを考えましょう。 
 電力会社は「しっかり補給を考えるまでは原発は止められない」と言うでしょうけれど、最も危険な廃棄物である核廃棄物の処理方法も考えぬまま見切り発車で原発をはじめた電力会社にそんな事言う権利はない筈。今でも大量に出続けている核廃棄物の排出をストップするのが何よりも先ではないでしょうか?

 原発の底知れぬ恐ろしさと天秤にかければ、

 40%程の 省電力は全く大した事ない   のです。
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【2006/11/16 00:23】 | 原子力 トラックバック(1) |
2006-11-15 00:25
 最近、件の友人大推薦の 『京都精華大学環境社会学科細川弘明氏の授業公開』に嵌ってます。ここの原発関係の部分を見て、今まで自分が書いた内容でちょっと間違った部分も発見しました。お詫び致します。書き換えるかそのままにするか考慮中です。私は原発についてはある程度知識はあると思ってました。 ・・が、そうでもありませんでした。結構凄い事(北朝鮮並に非人道的なこと)をこの公開授業ではじめて知りました。その事を書かせて戴きます。
 
 原子力発電所での作業は、非常に最先端のコンピュータ制御で行われていて、人間はその制御室で仕事を行い、被曝の恐れのある部分ではロボットなり機械が作業していると漠然と思っている人は多いのではないでしょうか?私もその一人でした。電力会社等のパンフレットなどもそんな写真しか載っていません。しかし、現実は随分酷い許されざるものでした。
 原子力発電所は被爆する労働者なしに1日、いや、1時間たりとも稼働できないのです。漏れた放射能を雑巾で拭き取るなどの前近代的な被曝労働が毎日行われなければ稼働出来ないのです。そして、細川氏によれば、原子力の場合、これは本質的な部分で、いくら技術が進んでも、向こう100年くらいは誰かが放射線を浴びなければ原発は動かせないのだそうです。 
 作業時に防護服はしっかり着ますが、放射線(中性子線やガンマ線)は防御服を通り抜け人体も通り抜けます。その時に人体の細胞を切って破壊して通り抜ける訳です。これが被曝です。防護服は放射線を出す物質(放射能)を体内に入れないようにし、体内被曝をしない為のものです。放射能が体内に入らないだけで、放射線は浴びているのです。被曝しているのです。

 電力会社の正社員は中央制御室などの安全な部屋で働いて、危険な原子炉内部の作業は下請け会社や孫請け会社、そのまた下の曾孫請け会社の社員が点検、清掃するのです。その被曝手帳は電力会社が管理し、本人に十分に知らされない事が多く、場合によっては本人は被曝している事をわからないかも知れません。

 原発は発電の為に、必ず被曝する者が出て、必ず死者の出る非人道的な発電なのです。
 若し、電気会社の人がそんな事はないと言うのなら、被曝労働者の人達と一緒に原子炉内部に防御服を来て入って作業してみせて、被曝労働者の方々と同じ量だけ放射線を浴びてみせて欲しいと思います。それが出来ないのなら、こんな非人道的な発電システムは即刻廃止すべきです。(それ以外でも沢山の廃止理由があります。)

 電気を浪費している日本では、30~40%程度の電力節約は大した事ない筈です。それに、細川氏によると、原発には必ず事故で停止した際に稼働させる予備の発電設備としてバックアップ発電所があるので、仮に全部の原発が一斉に停止しても、暫くは大丈夫だそうです。民間の工場や病院などにも非常用の自家発電もあります。 
原発こそすみやかに『せーのっ』でやめるべきです。
その下地は出来ています。
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【2006/11/15 00:25】 | 原子力 トラックバック(1) |

「原発ジプシー」
天地 はるな
原発の掃除など、被爆する人たちは、使い捨てられていますね。
「原発ジプシー」を読んで、電力会社の非人道的なやり方に腹がたちました。

これは、ひどすぎますね。
雑草
 ちょとした人権で大騒ぎする人が多い最近の日本、世界で、こんなことが許されているなんてどう考えてもおかしいですね。この事実を知っている人のパーセンテージってかなり低いかも知れませんね。
 原発は酷いことは知っていましたが最近調べれば調べるほど、もっと酷いという事実がわかってきました。

ついでに私も・・
かんちゃん
僕は20代の頃、非破壊検査のアルバイトをしていました。
そこで見聞きしたことで原発に関係することをお話しましょう。ちなみに非破壊検査というのは簡単に言いますと金属で出来た物の内部をX線とか超音波で調べることです。当時僕はH造船やM重工などの工場に仕事に行き、原発の原子炉やキャスクという放射性廃棄物の入れ物なんかの検査をしていました。こういったものは内部を分厚いステンレスで作るのですがその内部や溶接部分を主に超音波測定器でキズやひび割れ、異物の混入等がないか調べるのです。社員数人に我々のような下請けが混じって作業をするのですが、いつも不思議に感じていたのはこんな重要なことを何の専門知識のないアルバイト風情がやっても良いのだろうかと言うことです。検査技師には確か2級から特級までの資格試験があったはずですが、現場で資格を持っているのは1,2名程度だったはずで特級資格者は名前貸しのような状態だったように思います。当然僕も無資格で、最初は補助的なことから始め2,3ヶ月もすると驚くべき事に簡単な検査報告書を書いていました。検査はするのですが100箇所やって不具合が数パーセントの範囲であればOKの感じでした。0になるまで厳密にやるべきなのですが、工程に無理が来るのと現場の溶接工たちの不満などでそこまではやれといわれませんでした。
あの時僕が関わった製品特にキャスクはどこの原発で使われているのでしょう。原発労働者の存在やこんないい加減な製造過程を考えると原発って本当に怖いですよ。

貴重な情報有難うございます
雑草Z
 最もしっかり品質管理すべき原発の原子炉や放射性廃棄物の入れ物がそんな杜撰な管理という事は恐ろしい事ですね。そんな事だから、原発で沢山の放射能漏れがあるのも当然ですね。放射性廃棄物など、処理の仕方がまだはっきり決まってなくて、どれだけ保存するのか分からないのに、そこから放射能漏れも続いているわけですね。
 私は(核分裂の)原爆1つあるより、原発一基のほうが嫌かも知れません。毎日核廃棄物を出すし、放射能漏れも日常ですし、大事故になったら、被害の規模も桁違いですし・・。
 原発は、一刻も早く廃止すべきですね。

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2006-11-14 00:01
 愚かな人類が科学技術で開けてしまったパンドラの箱は沢山あるけれど、(ほとんどの科学技術かもしれない・・)最も開けるべきでなかったパンドラの箱は一体何だろう?

 産業革命のときに空けてしまったパンドラの箱は化石燃料。 (それ以前から使われていた石油はパンドラの箱を開けたのではなく、隙間からこぼれた程度だろう・・・)
その名の通り燃料として使ってCO2 の増加による地球温暖化、NOx , SOx の排出による酸性雨や人体への影響が出た。さらに腐らない材料として、プラスチック、ビニール、発砲スチロールなどが作られ、腐らないゴミや、それを処理しようと燃やして、ダイオキシンなどの自然に存在するあらゆる毒を遙かに越えた環境ホルモンが出てきた。
 このパンドラの箱は最悪で、かなりの環境破壊がなされた。20世紀までの環境破壊の原因の大部分を作り出したと言っても過言ではない。巨大公共工事も化石燃料がなければあんなに大きく酷くなかったに違いない。・・しかし化石燃料は枯渇し始めた。この量でもかなり危険で、地球が熱暴走したらお仕舞いだ。・・でもパンドラの箱にもっと入っていなくて良かった若しかしたら助かるかも知れない・・。時が解決出来るかも知れない・・。

 しかし20世気の半ばに人類はもっと最悪のパンドラの箱を空けてしまった。・・・原子力・・・これはもう絶対絶命だ!。たとえ原子爆弾を使用しなくても原子力発電で出た放射性核廃棄物は人間の歴史の長さと比べて半永久的になくならない。今だに処理の仕方がはっきり決まらずにどうしていいか分からないでいる。政府は処理の仕方が分からないままに稼働を続けているのだ。廃棄物の処理や事故の危険性を考慮すれば、どう考えても水力や火力より遙かに高い発電施設。いや、経済コストなど大したことはない。 もう消せない危険。人類の滅亡の可能性・・余りに最悪な廃棄物だから宇宙に捨てろとなっってもこれまでに貯めた放射性廃棄物が多過ぎて無理。パンドラの箱には二度と戻らない膨大な量。そして、なくならない・・・この事を思うと真っ暗だ!!
後にも先にも人類の歴史上最悪のパンドラの箱を空けてしまった。太陽で行われていることを地上で行っている訳である。それこそ天罰が下る・・これより酷いパンドラの箱の可能性は・・ウランやプルトニウムの核分裂や水素やヘリウムの核融合以外のもっと強力な核反応くらいか・・つまり核反応である事に変わりない。これから人類が出来る、このパンドラの箱の対策は、早急に閉めて、これ以上増やさない事のみ出てしまった放射能は、気の遠くなるような半永久の時間のみが解決出来る・・出した放射線の分だけ弱まっていくだけ・・つまりこれからの人類の歴史とともにずっと残り続ける・・・それでもまだ使い続け、放射性廃棄物を増やし続ける愚かな行政・・・神話の中のパンドラの箱より現実のパンドラの箱のほうが遙かに酷い・・・核反応から希望なんて出て来やしない。昔は「夢のエネルギー」と言ったらしいけれど、当時からこの抜群の酷さは分かっていた筈。悪夢の始まり・・・

本当にこれだけは 悪い夢であって欲しい と思う。
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【2006/11/14 00:01】 | 原子力 トラックバック(0) |
2006-11-13 00:52
 廃棄物の海洋投棄について定めたロンドン条約に基づく議定書の締約国会議がロンドンで開かれ、海底下の地中に投棄可能な廃棄物に二酸化炭素を追加する議案が採択されました。

こちらのブログ↓ に仕組みと関連記事もリンクされています。
≪自然の摂理から環境を考える≫
http://www.sizen-kankyo.net/cgi/mt-tb.cgi/49
↑のブログの意見と重複もありますが、このCO2の海底投棄に関し、反対意見を述べさせて戴きます。

 何故実際のCO2の削減をしないで、こういう事をするのかは明らかです。つまり、現在の化石燃料の浪費は改めないで、企業に削減努力をさせる代わりに、さらに新たな産業、ビジネスを生み出して、経済効果を上げようという事です。今までの環境行政の踏襲です。さらに地中からの漏れや、それによる生態系への影響など色々な問題点が起きる度にお金を使い、原発行政のように当初の見込みの何倍(何十倍)かの出費がされる事は事前に明らかです。政府はきっとそこまで見込んで景気対策と考えているのでしょう。とんでもない話です。

 これは、CO2の削減という本来の目標に逆行するものです。
 CO2を海底の地層に送って、貯留する為の施設建設とその施設稼働の為に更なるエネルギーを使い、更なるCO2が排出されます。大変馬鹿げた話です。(このエネルギーに原子力を使ったらもっと大変です。)
 現在はCO2過剰ですから、炭素原子CはCO2の状態ではなく炭水化物やタンパク質等の有機化合物の状態に出来るならその方がいいに決まっています。

それを実行する事は現在の科学ではまた大変な事ですが、

植物は完璧な神業システム”光合成”で素晴らしい能率で行えるのです。
こんな対策をするくらいなら、植樹した方がずっといいに決まっています。化石燃料で多く排出してしまった分のCO2は、大木のままや重要文化財の柱にでもしてずっと木の中に固定しておく方がいいに決まっています。自然が素晴らしいシステムを持っているのに、不完全で危険なシステムを導入してはいけません。
 
  CO2対策は植物の光合成!! に決まっています。  

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【2006/11/13 00:52】 | CO2 トラックバック(0) |

物質循環という視点と植物資源再生
びん
ブログの紹介をしていただき、有り難うございました。

地球全体の物質循環という視点で捉えれば、植物資源再生という考え方に得心します。人類の歴史において、西洋型の農業・牧畜・遊牧は植物資源を収奪するかたちで地球にダメージを与えてきました。一次生産者(=植物)を二次生産者(=動物)が食し、人類はその双方を食するわけですが、西洋型の肉食偏重は東洋型の菜食偏重以上に植物界にダメージを与えます。(←:http://www.new-agriculture.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=132439)それだけに、植物資源の再生に心しないと、大いなるしっぺ返しを受けることに成りかねませんから。

物事の是非判断は、そのような「自然の摂理に照らして、どうか?」と問わなければ、目先の損得勘定に劣化してしまう恐れがあります。そのような意味で、社会問題を常に吟味していく「雑草」さんの姿勢に賛同します。

PS. 毎日欠かさずエントリーして、充実した記事の溢れる「雑草の言葉」さんのグログに敬服しました。クロスオーバーできるテーマにつきましては、積極的にやり取りさせていただければ幸甚です。


<自然の摂理から環境を考える>
雑草
 びん氏さん達のHPのタイトルの的確さ素晴らしさは最近改めて痛感しております。この頃、土や農業関係の本を読んだり、大気や水の循環を調べたり考察していると、地球の非常に素晴らしい奇跡のシステムに驚きます。このような<自然の摂理>中心に環境を考えなかったので、巨大事業はことごとく失敗してきたのは当然です。びん氏さんのおっしゃるとおり西洋型の農業・牧畜・遊牧は地球にダメージを与え続けていますね。ご紹介のHPも非常に参考になりました。ありがとうございます。
<自然の摂理から環境を考える>は、検証もしっかりなされており、関連記事もしっかりリンクになっており、一般のブログの域を超えた素晴らしいHPです。私のブログは、私見を述べることに重きが置かれて、毎日更新することにも拘って、古い記憶でかいたり検証がおろそかになったりしている部分があるのでそこはしっかり改めるべきだと思いました。
抜群のHP<自然の摂理から環境を考える>は、これからもどんどん参照させていただきます。宜しくお願い致します。
PS 《るいNETWORK》ってそちらのブログで知ったのですが、素晴らしいHPが多そうですね。関心をもっています。

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2006-11-12 00:29
 局所的な海水や湖水等の酸素不足の問題は、環境問題として取り上げられていますが、地球の大気中の酸素不足が心配されていないのは問題ないからでしょうか?
      
 現在大気中に20%程含まれている酸素ですが、今後、大気中の酸素の量が減ってゆく予測はないのでしょうか?

私はそれを危惧致します。
大気中にある酸素と海水等に溶けている酸素との平衡で、大気中の酸素が不足する分を海洋が供給するとか、CO2濃度の増加により光合成も盛んになるからO2生産も増えるなどの理由しか酸素不足にならない理由がないとすれば全く安心できません。その平衡はたかが知れてます。余りに危険ではないでしょうか?海藻等の水中の藻類の光合成は、植物の光合成としてかなり多いとのいう話は聞いていますが・。
 植物の光合成のみが、有効な酸素供給源ならば、酸素不足は深刻になると予測されませんか? 
地球上の酸素原子の数は一定と考えていい訳ですから、問題はO2状態のO原子の数です。O2状態でないO原子は、炭水化物やタンパク質などの有機化合物やCO2,NOx,SOx,数々の酸化金属のように酸化物として存在しているでしょう。そして、植物でも化石燃料でも何を燃やしても酸素分子は酸化物になり、酸素分子O2状態の0原子は減る一方じゃないでしょうか?
現在、何かを燃やすと云う事は過剰に行われていると思いませんか?

現在森や林が急激に減少しています。特に光合成の能率のいい熱帯雨林が激減しています。今世紀中頃までに森林が消滅すると云う恐ろしい予測も今の森林破壊のペースではかなり信ぴょう性があります。酸性雨によってこれからますます植物が枯れて行く事も予測されます。世界中の植物の量が減っているのです。
だから、大気中の酸素分子は減ると予測出来るのではないでしょうか

 地球の大気中の酸素不足では、今のところあまり危惧されていませんし環境問題としても取り上げられていません。こんな事を云うと笑われ、馬鹿にされる事を承知でいいます。酸素不足はこれからの環境問題のかなりシビアな問題の一つになるのではないでしょうか
酸素の供給源で有効なものは植物の光合成以外に何がありましょう?
今のところ私だけくらいしかこの問題を憂慮しないのは、O2不足にならないしっかりした理由があるからでしょうか?誰かご存じの方、私の問題提起にしっかり反論出来る方、是非とも納得のいく説明をしてそれは杞憂だと言って下さい。私も安心出来ます。
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【2006/11/12 00:29】 | O2 トラックバック(0) |

杞憂
杞憂
化石燃料
>化石燃料の埋蔵量は多く見積もっても大気中酸素の0.5%を消費する分しか存在しないからです。
http://www.nies.go.jp/kanko/news/25/25-3/25-3-04.html

植物
>バイオマスを燃焼すると、化石燃料と同様に二酸化炭素(CO2)を発生するが、植物は、成長過程で光合成によりCO2を吸収しており、ライフサイクル全体でみると大気中のCO2を増加させず、収支はゼロであると考えられる。このように、CO2の増減に影響を与えない性質のことをカーボンニュートラルと呼ぶ。
http://eco.goo.ne.jp/word/ecoword/E00104.html

化石燃料も植物も無かったら?
→酸素不足の前に飢え死にします。

もう少し杞憂ならしめていだだけますか?
雑草
 サイトの情報及び杞憂の説明有難うございます。
なるほど、大気中の体積比(=モル比)はO2の21%に比べて CO2は0.035%ですから、CO2増加のほうが、酸素減少よりパーセンテージで数百倍の変化があるのでずっとシビアーですね。
 植物が激減した場合も炭水化物、たんぱく質等(食料)の供給源としての減少のほうが酸素供給源としての減少を無視できるくらいシビアーというご指摘ですね。
 地球上の酸素原子Oの量とそのうち酸素分子O2になっている量、及び全ての植物の年間の光合成によるO2生産量、全ての動物の年間のO2消費量、化石燃料使用によるO2年間消費量(これは簡単にわかりますね。)を知りたいのですが・・。つまり、色々な活動によって、生産、消費されるO2の量が、大気中のO2の量と比べ無視出来るくらいでなければまだ完全に杞憂は消えません。
 私の調べ方が甘く、そのデータを見たことがありません。ご紹介の国立環境研究所のデータ算出法もかなりアバウトで、場合によっては、1桁くらいはオーダーが変わりうると思います。地球規模の計算で、まだわからない要因もありますからそれは仕方がないことだとは思います。
 例えば、食料以外の植物がほとんどなくなって(海中の藻類の光合成はかなり多い筈です)。全体として植物が激減したとき(バイオマスを奨励していると起こりうることだと思います。)酸素不足が起こるまでの年数はどうだとかそういうことまで言及して戴ければ杞憂が大体消えるかと・・。確かにCO2増加の影響のほうがよりシビアーでしょうが・。
情報、ご指南お待ちしております。


杞憂
>例えば、食料以外の植物がほとんどなくなって(海中の藻類の光合成はかなり多い筈です)。

この時点で人間が生きていける環境だと思いますか?

>全体として植物が激減したとき(バイオマスを奨励していると起こりうることだと思います。)

まず、バイオマス燃料の原材料を調べることからお勧め致します。そしてその原材料の製造方法、エネルギー需要を賄うにはどれだけ必要なのかなども。
世界最大の木材輸出国である米国の森林面積が年0.3%の勢いで増えているようにバイオマス燃料の活発化が森林面積の激減に繋がるとは一概に言えません。

世界森林白書などのデータをあたると良いでしょう。

カーボンニュートラルの妄信は危険だと思います。
雑草
 バイオマスの原料はだんだん増えていますね。菜の花や生ゴミや糞尿の糞のほう(大)などの場合の使い方はいいかなとも思いますが、生ゴミや糞尿などは肥料として使うほうが有効かとも考えます。例えば木はそのまま長い間、木(木材としても数百年は持つ)の中にCを固定しておくことには意味があるし、腐ってCO2になる場合(分解者の微生物が利用できる)と燃やしてCO2になる場合とでは、生態系的に違うと考えます。カーボンニュートラルに対する私の懸念は10/11,10/14~17に載せていますからそこをお読みになって反論等あれば(私も少しミスをかきましたが・・笑)対応するところにコメント下さい。私はこの猫も杓子もカーボンニュートラルのはしゃぎように懸念致しております。でも、カーボンニュートラルやバイオマスのことは大体概念は分かっていて警告しているつもりですので、O2に関して質問の情報を教えてくださいませんか?
>この時点で人間が生きていける環境だと思いますか?
本文で述べたように、今世紀半ばに森林がなくなってしまう予測もあるし(あくまで1つの予測ですが・・)これからCO2を海底に埋めたりしたら生態系が崩れて海の藻類が大きな被害を被る可能性を考慮したわけです。だから、そのときの酸素バランスを考えたわけです。・・・植物が気の遠くなるような時間をかけて光合成で作りあげた大気中のO2が、供給がかなりとまってしまった場合、動物や人間ががどれだけで消費してしまうかの試算をお聞きしたわけです。そこまで試算しないとO2に関する杞憂は消えませんので・・。ここでは、先ずそのことだけを分かる範囲で結構ですので教えてください。確かにCO2増加や食料のほうが危機ですが、有効なO2供給源は植物しかないと思いますので。

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2006-11-11 13:46

 救急車や消防車など以外に交通機関に化石燃料を使う価値があるのでしょうか?
当分の方策として一部の公共交通機関は、化石燃料もやむを得ないかも知れませんが。

 化石燃料50g燃やすと人間1人分の1日のCO2排出量になります。
燃費のいい自動車でもたった1km程度進む距離です。ガソリンと電気のハイブリッドカーでも2kmは走れません。たったこれだけのCO2を吸収するのにある程度大きな木が1本で1日がかりです。
 CO2ばかりでなく、酸性雨の原因となるNOx,SOxも排出します。
  

 企業戦士に言わせますと、Time is money とか言って、移動に時間をかけるほど暇ではない!という事になりましょう。
「時間は何ものにも変え難い大切なものだ!移動のための時間を遣いたくない」
 こういう考え方から、乗り物の高速化が進みました。
新幹線、リニアモーターカー、ジェット機・・・でも、貴方のお仕事は、持続可能な社会から見て本当に必要なのでしょうか?。長い目で見るとお仕事なされない方が社会の持続の為になるのではありませんか?

 移動手段に化石燃料などの資源を使うだけの価値のある仕事なんてほとんどないと考えます。

 Time is money を合言葉に、価値のある仕事をしていると思いこんでいる企業戦士や旅行者、それを利用している交通会社、道路公団、自動車会社、旅行会社・・・この構造では、社会は持続できません。この構造にほとんどメスが入っていない日本などの国は、大変愚かであると断言いたします。 
このような構造を早急に改革するか、滅ぶか。 
Time is money の交通手段は Highway To Hell!   ジャンジャン♪
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【2006/11/11 13:46】 | 社会・経済 トラックバック(0) |


U-RIVER
「運転免許は取らない!!」と意地を張っていましたが、周りの人のすすめと、突然なぜか家にやってきた自動車学校の人の勧誘に負けて、免許を取るコトにしてしまいました。ゴメンなさい。後になってこのブログを読んで少し後悔です。。
でも、自転車精神は忘れないでいようと思います。

公務員は自転車通勤にすべし
天地 はるな
というのが、私の持論です。
また、いつか詳しく書こうと思ってますが( ̄▽ ̄)
ところで、TB出来ません、何回やっても・・・。
「少子化のススメ」のとこにTBしたかったのは↓です。
http://plaza.rakuten.co.jp/otegami/diary/200607110000/

自動車不必要なのは公務員より先ず学生
雑草
 自転車や公共交通機関で通え!ということですね。特に学生。生活の為に仕方なく働くわけではないのだし・・周りの人等のせいにしてはいけない。免許とっても運転するな!最低学生は自家用車持つべからず!甘い。うかわれている。(←ミス・・でない)
 何で公務員なんですか?別に反対しませんが・・
私の持論は、職場は人力車(自転車)通勤できる範囲で!IT時代と言うなら在宅の仕事も沢山作れるはずだし・・まあ、この辺は移行措置ですが・・私もいつかアップ致すつもりです。

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2006-11-10 00:01

  最近、隣町くらいまで、距離で言うと片道十数キロメートルくらいまでは天気の悪くない日はよく自転車を利用しています。
 近頃チョット寒くなってきたけれど、登山用の合羽などを着れば、結構大丈夫です。
 でも、雨の日はちょっと躊躇。悪天の日は、出かけないのもスローライフ
 
 時間的な事を自転車と自動車を比較してみます。
 町場で1km以内の移動であれば、自動車を車庫から出しているうちに着いてしまいますから、自転車のほうが速く着きます。
 1km~4kmくらいまでなら、いい勝負。
 隣町などの10~15kmの距離なら自転車は自動車の2倍程度の時間。
 片道30km程度で信号も余りない田舎道でも、自転車の時間は3倍まではかかりません。
 自動車の3倍以上になるのは疲れて休みたくなる距離からで、個人差もあるでしょうが平地で言うと50km以上の距離でしょうか。

 でも以上の比較は私の住んでいるような田舎町でのお話。自動車の渋滞する都会で通勤時間帯だったら、【自転車 vs 自動車】のところで述べたように、自転車のほうがずっと速いのです。休まずに行ける距離だったら、自転車の方が速いのです。だから都市部での昼間の移動は自転車の方がずっと能率的でしょう。 
     
 本来、持続可能な社会の為には何の議論もなく、たとえ時間がかかっても化石燃料の自動車は使ってはいけないのです。2~3倍時間がかかっても、自転車を利用すべきです。

 30分くらい余計に時間が掛かってもいいではないですか!

 いい運動になって移動しながら体力もつくから、一石2鳥です。

 化石燃料を使う代わりに

  時間と体力(人力)を使うべきです。

 
 スローライフとはこのように、

環境負荷をかけずに時間をかける事なのだと

私は解釈しております。
 

  

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【2006/11/10 00:01】 | 人力 トラックバック(0) |
2006-11-09 00:15
自然の摂理、自然の循環に反するので、経済成長と言う概念はいつかは否定されるでしょう。
 問題は、経済成長からの脱却が、間に合うかどうかです。地球環境が破局へ暴走を始める前の引き返しの可能な地点でなければなりません。あまり猶予はありません。
(【Point Of No Return】で述べた通りです。)
 差しあたって早急に経済を10分の1以下まで縮小すれば、持続の可能性はかなり増えて色々猶予が出てくるでしょう。
その方法の一つを提言します。
 『せーのっ!』
    でやめるのです。徐々にではなくて、
 『せーのっ!』
躊躇していたら時間がなくなるでしょう。ちょっと混乱しても
『せーのっ』
って・・。

 「何ふざけているんだ?」と、思うかも知れませんが、ふざけているのはこの21世紀にきても経済成長に躍起になっている人々です。自分たちが滅びるのは自業自得ですが、みんなを巻き添えにするのですから・・。
 じゃ、どうするか?って言えば、先ず国際会議を開き、取りあえず必要最小限の活動以外の経済活動を『せーのっ!』でやめるのです。原子力発電、化石燃料使用・・・話のついたものから次々に『せーのっ!』で廃止していくのです。

 何処までが必要最小限かで揉めるでしょう。各国の思惑があって分裂するかも知れません。京都議定書ですら経済優先という国(アメリカ・カナダ・オーストラリア・日本)がごねて拘束力を弱くされ、脱退国(アメリカ)も出たのですから・・・。でも、だからこそ、例外を作らず抜け穴も作らず「せーのっ」でやめるのです。
 
 だからそんな事は無理だ!って反論は百も承知です。合意への道は厳しいでしょう。でもそれはみんな無知からくるものだと思います。理性的に判断してみんなが『絶滅』の恐怖を実感すれば可能な筈です。経済成長をやめなければ多少の時間差があろうともみんな破滅です。

  二者択一なのです。
 
 「技術でなんとかなる」と言う発想は、かなり甘いと思います。何百年も猶予があれば若しかして技術で何とかなるかも知れませんが、その為にも先ずは『せーのっ』でやめなければなりません。 
 『せーの!』でやめて、立ち止まって、冷静に考えてみましょう。今までなんと愚かな事をして来たのか見えてくるでしょう。
 そして暫くスローライフをすると、つらくはなく結構楽かも知れません。きっと今よりいい社会になるでしょう。

 有限の地球では経済成長はいつまでも続けられるものではありません。どうせいつかはやめなければならないものだから、滅びる前に、余裕をもって自らやめるのが楽にきまってます

 『せーのっ』って
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【2006/11/09 00:15】 | 環境総論 トラックバック(0) |

せーのといえば
スモールイズビューティフル
そういえば70年代のオイルショックのときは、政府の掛け声でネオンの消灯や深夜番組の休止が国を挙げて行われましたね。今の政府は京都議定書のCO2削減目標にもかかわらず、増え続ける状況すらほったらかしにしているように思えます。環境省のやってることって、クールビズと風呂敷と打ち水くらいのもんですかね。当時よりはるかに状況が深刻なのに、全くひどいものです。

ランキング
天地 はるな
「人気ブログランキング」のボタンをつけていただいてありがとうございます(*^ー゚)b
ところで、今日みたら17位と27位!!!!
どうして???

日本人は言われたことは、
雑草
しっかりやるから政府もしっかり音頭をとるべきですね『せーのっ』って・・。
 クールビズの、掛け声の前はネクタイをしないのはだらしないとか言ってがんがんエアコン効かせてネクタイして仕事していた人々もすぐにクールビズ始めたのはホントに従順ですが馬鹿みたいです。私は昔からクールビズでした。ネクタイって凄くお馬鹿な習慣で、文明開化とかで日本が真似することなかったんです。『ネクタイごときのつまらない事が地球温暖化の原因になる』ということ笑えません。現在の環境問題のほとんどがどうしようもない事が原因になっています。
 >私も昨日ランキングに2つ≪雑草の言葉≫を見つけて焦りました。以前から左下に地味にあった「Blog Ranking」のリンクを私が知らせなかったので気を利かせた”こーき氏”が別のIDで各記事毎に着けてくれたのでした。でもあっというまにに直してくれました。

せーの!っていいですね
NAOママ
環境問題、地球のこと、考えている人たちって、あちこちにいっぱい居るような気がします。でも、ホントにみんなで!世の中を引っ張っていける偉い人たちにこそ、せーの!!ってやってほしいと思います。
本当は「少子化のススメ」に意見したかったのですが・・・
ここでちょっと言ってもいいですか?
私は、急激な少子化にはちょっと反対です。雑草さんのお話を聞いて、時間がない!ことは十分わかりました。でも・・・現状を見て下さい。日本の第1次産業は、ちょっと厳しいと思います。主力は、おじいちゃん&おばあちゃん♡まだまだ後継者不足は否めないのではないでしょうか?ここは是非、今注目のニートのみなさんに是非是非、生産者としてお仕事に就いていただき、生まれくる選ばれた少ない命にそれを継承していってもらわなければならないと思うのです。それにはまず、この米ナイズされた教育システムをなんとかしないと・・・それと、日本も国際社会の一員なので単独であまり急に優しい国になってしまっては、お隣の国とかに侵略されてしまったりは、しないでしょうか?だからこそ米も北朝鮮も、みんなで「せーの!♡」が一番だと思いました。って、すみません!野菜も作れない私が、長々と・・・



自然農法の農業を促進いたしましょう。
雑草
 大企業はやってはいけない環境破壊を繰り返して成長した会社ばかりなので、彼らとそれに癒着した政治家に『せーのっ』はなかなか望めないかも知れませんので、リーダー交代ですね。『環境再生事業』はやる気満々でしょうけれど(後日アップします)。
 確かに日本の近隣国は環境なんか考えずに自国の経済のことしか考えない国ばかりですが、それをリードしてきたのは日本です。日本は列強時代の欧米諸国並みの酷いことを今でも東南アジアなどでは平気でやっています。そうやってこの日本人に飽食させ贅沢させています。単独でやさしい国になったら、信用回復には最高にいいと思いますが、今はその逆ですね。NAOママ さんの心配されることもよくわかりますが、自給率は100パーセントになるまでは少子化対策すべきでありません。今でもその分を他の国に飢えさせているのですから。【動乱】で書いたような危機が起こります。
 ニートの方々に農業やって戴くのは大賛成です。それから、ニートよりもずっと環境破壊の酷いゼネコン関係の人にも転職して農業に取り組んで欲しいと思います。(元々農家の出稼ぎの方も多い筈です)産業の要は農業ですね。日本の高度成長と呼ばれるものは、農業を犠牲にして築いてきた砂上の楼閣です。おっしゃるとおり米も北朝鮮もみんなで『せーのっ』ですね。
 久々の満を持された素晴らしいコメント有難うございます。


 

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2006-11-08 00:01
 地球を完全に2つに分けられるなら---- 
-------完全にとは、分子もエネルギーも何の交流もなくという意味です。2つの地球を存在させると考えてもいいと思います。----
----今すぐにでも分けて欲しいと考えます。


1つは、今のまま経済成長続ける地球。

もう一つは、

経済成長をストップし、ひたすら持続の可能性を追う地球。

 全ての人にどちらへ行きたいか決めてもらって、移動し、そこで交流を絶ちます。子供は親に決めさせるかとか、動物はどうするかとか、いままで築き上げたものはどうするかとか--化石燃料と核燃料はすべて経済推進地球へあげます--細かい問題もあろうけれど、兎も角2つの世界に分けるのです。

 その場合大半の人がこのままの経済成長推進地球に残るでしょうか?
 しっかり説明すると、経済成長ストップ持続可能な地球に来る人も多いのではないでしょうか?
 そう、内容が分かれば、きっと気付く筈です。経済活動など優先していれば、環境破壊によって絶滅する事を・・・

 地球を2つに分ける事は勿論不可能です。でも。そのような仮定のもとでもいいからしっかり考えて貰い、理性的に二者択一を考えれば、過半数の人が経済成長ストップの方を選ぶのではないでしょうか。
地球は破局の暴走をはじめて、後戻り出来なくなりそうです。
 もうすぐです。100年後は終わっているかも知れません。50年後でも手遅れでしょう。きっと2、30年後でも遅過ぎるに違いありません。ここ数年のうちにも何とかすべきです。
(そのことは、【Point Of No Return】や【未来予測】で書かせて戴きました。)

  立ち止まって考えてみませんか?

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【2006/11/08 00:01】 | 環境総論 トラックバック(0) |
2006-11-07 00:26
 お腹が空いている時に、食べると旨い。特に高級なものでなくても、納豆にみそ汁、白いご飯・・・粗食と云われている物や庶民的なものの方が実はおいしい。毎日空腹を満たす程度に美味しいものを食べているだけでも幸せな筈です。
 世界中には満足に物を食べれない人が10億人以上います。お腹一杯食べれるだけで本当に幸せです。他に何の贅沢を・・・

 自分の生活に必要な衣・食・住 しか望まない人は愚かでしょうか?
 
 現代人、自分達を先進国と呼んでいる不遜な人々は、
 『人間は、パンのみに生きているのではなく、人生には他の目的がある。』 
なんて言葉で夢とロマンの物質を求め、地球を破壊してきたのではないでしょうか?
必要な 衣・食・住 
 +α のためにとんでもない事をしている人
が沢山現れてこの悲惨な環境破壊が起きたのです。
 
 現代の絶滅の危機が『ある種の夢の達成』の結果です。
リゾート開発、大型公共工事・・・こんなとんでもなく酷い事をせずに、ただご飯を有り難く美味しく戴いて欲しかったと思います。 

 私の目標は、いつまでもみんなが美味しくご飯を食べれる事。差しあたって何十年か先にも、家のまわりに雑草が生い茂る草むらがあり、虫の声が聞こえ魚が泳ぐ里山があり、納豆とみそ汁でご飯が食べられる世の中だったら、満足
 そうならない可能性を大いに危惧しています。
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【2006/11/07 00:26】 | 雑談 トラックバック(0) |
2006-11-06 00:01
 ガソリンと電池のハイブリッドカーは環境に優しいと言う事で買う時に政府から補助金が降りるそうです。
 その審査は厳しいそうです。補助金を出すのに厳しく審査するのは当然です。しかし、非常におかしい条件です。どう言う条件かと言うと、従来のガソリン車等から買い替える場合のみ補助金を出すと言う事です。初めて車を買う人がハイブリッドカーを購入する場合には補助金が出ませんが、その人も次に買い替えるときハイブリッドカーにすると補助金が出ます。
 これは、自分の車を持っているのに、環境に配慮して買い替えてまでハイブリッドにするから、 補助しようと言う事でしょう?一見合理的ですが、環境を考えたら逆ではないですか?かなりふざけています。自動車は排気ガスでCO2をはじめとして NOx , SOx などの有毒ガスを沢山排出しますが、最も排出するのは自動車を作る時です。ハイブリッドカーが、いくら燃費が良くてCO2削減と言っても、作る時には普通のガソリン車よりCO2も沢山排出するのです。だから、ある程度の距離、10万km以上とか乗らないと、ハイブリッドのほうが、CO2削減とは言い切れません
 よっぽど燃費の悪い車やディーゼル車でない限り、
買い替えるくらいなら、そのまま乗っていた方が、環境にはいいのです

「勿体無い」という意識は環境問題では結構本質を突いていると思います。待っていれば性能のいい車も出来るのです。あと数年待てば、ハイブリッドよりずっとCO2排出の少ない(走っているときはCO2排出ゼロ)燃料電池車も大衆価格で買えるようになるでしょう。さらに私の提案する人力と電力のハイブリッドカー(【人力車】で書かせていただきました。)も出来るかも知れません。    

 この補助金制度は、自動車を沢山買わせるための、自動車業界と政府の癒着の1つではないでしょうか?補助金制度なんてこんなものだらけでうんざりします。 
 
 まだ乗れる車は、買い替えるくらいならそのまま乗ろう!! 
 例外もあるけれど、大抵

 勿体無い=環境に良い
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【2006/11/06 00:01】 | 社会・経済 トラックバック(0) |

補助金制度
天地 はるな
こんばんわ。
また来ました( ̄▽ ̄)
ところで、補助金制度があるんですね、ハイブリッドカーを買うと・・・。
私は免許を持っていないから、なんだか複雑な気分です。
そんなとこに回す金があったら公共交通の値下げしろって言いたい。
これから紅葉を見にあちこち行くのにほんと、交通費って高くつくんですよ(ノД`)
ところで、ブログランキングを♪と押そうと思ったのに、ボタンがないんですが・・・。 _| ̄|○

ハイブリッドカーに補助金出すなら
雑草
 車を持っていない人にはもっと沢山補助金出すべきですね。自転車を只でくれるとか、車一台分の公共交通費を補助してくれるとか・・車を持っているといないとでは環境破壊の度合いも大違いですから・・・
 補助金制度と言うのは大抵どこかの業界に儲けさせるための政官業癒着のひとつですね。
 連日のご訪問有難うございます。すみません。ブログランキングのボタンはまだ付けてません。(こーきなんとかして・・)左下のリンクのブログランキングが、そのボタンに相当します。(笑)

ガソリン税
まぐろの赤身
補助金や税制によって環境改善に仕向けるというのは僕も大いに賛成ですね。
今ガソリン税、自動車税などの道路特定財源(道路整備にだけ充てられる税金)も、さすがに公共事業の見直しで余っているそうです。関連の業界からは税率を下げるよう大合唱が始まってるけど、この際だからこのまま「環境対策税」にしてしまったらどうですかね。かなりいい案だと思うんだけど。

そうですね。
雑草
ガソリン税、自動車税などの道路特定財源を残していたらまた『本来』のどうしようもない道路を作る費用に回されてしまう恐れも多いですね。道路公団にだけは使わせないようにしなければ・・。
 差しあたってガソリン税や自動車税はもっともっと
がんがん上げて沢山とるべきです。環境コストで考えれば当然です。

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2006-11-05 12:23
 福島県では前知事のゼネコン汚職事件を受けて新知事の選挙が始まりました。また、例によって選挙カーでの名前の連呼も始まりました。こんな選挙運動を恥ずかしく思わないのでしょうか?
 政策を話すのならまだしも、名前を連呼して、「お願いします」。の繰り返し・・。時々、やる気や熱意のある事をアピールする・・。立候補するくらいですから、善くも悪くもみんなやる気はあるのです。
 問題は、政策の筈です
 名前の連呼をすると言うのは、「サブリミナル効果」に近い狙いなのではではないでしょうか?「サブリミナル効果」は法律で禁じられています。多くの人が変だと思っている筈です。私などは、いつもエネルギーの無駄遣いだなと思っています。選挙カーでの名前の連呼は禁止にしたらどうでしょうか?騒音でやかましいと思っている人も多いでしょう。それくらい我慢出来るかも知れませんが、化石燃料は勿体無いし、若しこんな事で当否が決まるとすれば、不合理です(政治は不合理だらけですけれど)。選挙公報や、政見放送などだけでも十分な筈ですし、お金の掛からない選挙で公平です。
 財力のない候補は、県内隅々までは選挙カーによる名前の連呼は出来ませんし、ポスターも満足に貼れません。 

 昨日、とってもユニークな知事候補が、一人で軽自動車を運転して私の住む町に選挙運動にやって来て、色々ユニークな政策をスピーカーで訴えながらゆっくり走って行きました。かなり変わった事を言いながら走って行くので(しっかりした意見も沢山入っていました。)人が外に出て笑って見送ったりしていましたが、ずっと政策を話していました。
名前とやる気と「お願いします」の連呼よりもよっぽどいいと思いました。
 ちなみに彼は、TVの政見放送では、「♪だぁれのためでもありゃしない。みんなあんたのためなのさ♪」なんて古いアニマルズの曲を替え歌にしてところどころ挿入しながら、大変ユニークな政策を次々に述べていて楽しませて戴きました。賛成出来ない変な政策も沢山ありましたが、あまり政策を話さずにやる気と経歴などばかり話す候補者と比べるとずっといいと思いました。   
 
 去年のいわゆる郵政選挙の時、車で赤信号待ちのときに、この地区の自民党系の候補者の自動車が後ろからやって来て、しつこく候補者の名前を連呼しながら隣の車線に車を止めました。停車しても隣でがんがん名前を連呼してうるさかったので、その車のいる右側の窓を全開にして、丁度持ち合わせていた中で最も激しい JUDAS PRIEST の「名曲」をカーステレオのボリュームをフルにして、がんがん掛けました。すると、隣の車は、連呼をやめておとなしくなりました。こちらの車に危ない人が乗っていると思ったのではなく、きっと「名曲」に聞き入っていたのでしょう(笑)。ちなみに私は郵政民営化には反対だったわけではありませんが、車で名前の連呼だけをするような候補者には勿論投票しませんでした。(そうじゃない候補が、あんまりいないのが淋しいと思います。)そのとき掛けたJUDAS PRIEST は、”Painkiller "(鎮痛剤)という曲です。シチュエーションバッチリでした。


 今回の福島県知事選挙で最も残念な事は、
持続可能な社会を目差す事を目標に掲げた人が一人もいない事です。
日本はそういう意識が非常に低いと思います。国会議員には一人もいません。

しかし、各地方の議員の中にはポツリポツリですが
持続可能な社会を目指す方が現れている 
             事も嬉しい事実です。
 
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【2006/11/05 12:23】 | 雑談 トラックバック(0) |

私もそう思ってました!
社枯
確かにあれは、サブリミナル効果を狙ってるのではないでしょうか?!でなければ、名前と「よろしくお願いします」の連呼は何なんでしょうか?
正直うるさいだけです。もはや選挙活動と呼べるかどうかも危うい行為だと思います。名前の連呼だけだったら、燃料を浪費してまでやらなくていいです。
候補者たちは、何回名前を連呼できるかで競ってるのでしょうか。「よろしくお願いします」とか、「頑張ります」で人を簡単に納得させられると思ったら、大間違い……!ではないでしょうか??

名前の連呼を恥ずかしいと思わない輩
雑草Z
 名前の連呼で票を獲得しようと言うのは、何ともレベルの低い事です。それも、候補者が乗っていない車で、雇われたりした人が、ただマイクで名前を連呼するだけではなく、窓から手を振っている場合も多々あります。
 そんな行為を恥ずかしいと思わないような候補者に政治家になる資格は有りません。有権者は、最低、名前の連呼だけしている候補には投票しない姿勢を持つべきです。

 ところで社枯さんは、結構以前の記事にコメント下さいますね。古い記事まで読んでくれて有難う御座います。 

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2006-11-04 00:12
 この予測は、ブログアップすべきかホンのちょっと躊躇しますが、このブログが世の中に与える影響なんてあんまりないし(香港で蝶が羽ばたくと、アメリカで突風が吹く等と云う影響論もあるけど・・)持論はかくべきだと考えてますのでアップします。

 このままの経済成長が進めば大きな動乱は世界中で今世紀中に必ず起こるでしょう。日本も例外ではありません。と云うより、日本でこそ必然的に起こる筈です。 

 何故かと云えば話は実に単純で、この世の中の経済システムが持続可能なシステムではないからです。それどころか【ねずみ講のような経済】で述べさせて戴いたように、この経済システムはカタストロフィーのエネルギーを破滅に向かってひたすら貯めているからです。

 今の人口や経済規模からして、破綻がどんなに遅くとも今世紀中に来る事は確実でしょう。その破綻の時に、食料や飲み水、安全に住める場所をめぐって大きな動乱が起こるでしょう。食料や安全な水の取り合いによる殺し合いや内乱です。今のイラク以上のような感じで、無政府状態にまでなるでしょう。


 以上は私の予想ですが、お気楽な御用官僚国家日本ではそんな予測はまだ出来ていないかも知れませんが、欧米の多くの国ではシュミレーションや対策 (といってもたいして有効策ではないに違いないでしょうけれど)まで済んでいると思います。おそらくCIA(アメリカ中央情報局)ではとっくの昔にシュミレーションまで出来ていて、どの段階で日本を見捨てるかも決まっている事でしょう。日本等はさっさと見捨てるでしょう。(そりゃそうです、自分の国民の事を救う方が優先に決まってます!)

 この動乱に備えよ!!とは、言いたくありません。 
 経済破綻は必ず起こるとくりかえし断言しますが、動乱による被害を小さくするには他の破局が起こらないようにする為に経済や生産規模を早急に右肩下がりにして、安定ランディングさせる事しか方法はないと思います。
 早急に10分の1が目安。大した事ではありません。今までの量が10倍以上バブリーなだけなのです。(個々の事項についてどんなにバブリーかは、次第に述べてゆく所存です。)

 右肩下がり!!
    
 をこれからの当分の合い言葉にいたしましょう!!!!
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【2006/11/04 00:12】 | 環境総論 トラックバック(0) |
2006-11-03 00:16
 前回少子化を肯定する意見を書かせて戴きました。前回に限らず、このブログでは一貫して少子化対策の愚かさを食料自給など環境の観点からかいています。
 食料の自給自足は、独立国家として成り立つ為の根幹です。食料の自給自足が出来ない日本は一人前と言えないだけでなく、国家基盤が非常に危うく、かつ環境破壊大国で、世界に多大な迷惑をかけています。(これも今までに何度も述べています。)

 最近日本の人口がピークを過ぎて減少に転じましたが、どうしてその事に多くの人が、危機感を持つのでしょうか?、私はほんの少しだけほっとしています。適正な日本の人口を考慮の上で危機感を持っているとは思えません。同様に、出生率が1.25になったからと云って、出生率を増やせと言う前に、食料自給率を増やすべきでしょう。完全に自然とは言えないまでも、強制的に減らしているのではなく自然に出生率が減っているのはいい事です。このまま人口が減らなかったら、食料不足で、悲惨な事が沢山起こりますそれこそ、生きている人間を減らせとなったら大変です。
 だから、少子化は、対策せずにほうっておくべきです。寧ろもっと進めるべきです。

 簡単なシュミレーションを考えてみます。
 出生率が1まで下がったとします。夫婦二人で1人の子供の割合だから、1世代下がると同じ世代の人口は半分になります。この状態が続くと、1世代下がる毎に各世代半分になる訳で、そのとき現在生きている世代が3世代と仮定しても4世代と仮定しても、何世代と仮定しても統一すれば1世代過ぎる毎に、全人口は半分になります。でも今から日本の出生率が1に下がっても、今までの出生率が高いので、1世代、つまり25~30年くらい後でも人口は半減しません。(環境の破局でもっと減っている可能性はかなり大です。)それに対し、25年後は海外から食料は入って来ていないと考えるべきです。私は入ってこない根拠をこれまで、【食料自給】の所で示して来ました。
 だから、少子高齢化の大変さはあっても、食糧自給率100%になるまでは、少子化はすべきなのです。勿論食糧生産も増やすべきです。

 食糧自給率30~40%の国家で生まれた赤ちゃんが、これからしっかり食べていけるかどうかはかなり疑わしい事です(はっきり言えばこのままではその見込みはほとんどありません。)
 この日本(世界も)で、食糧自給率を上げること無しに、対策によって意識的に出生率を上げる事は非常に愚かな事です。

 このままの出生率が続いたら日本は人がいなくなって絶滅だという事を言っている人もいるようですが、そんな事で絶滅する筈はなく、絶滅するとすれば環境破壊よるものと断言いたします。環境ホルモンによって子供を産めなくなったり子供が育たないことは起こり得ますが、それこそ環境問題によるものです。
 さっきのシュミレーションのように出生率1が続いて、2世代下がったら、つまり現在生まれたばかりの赤ちゃんが丁度おじいちゃん、おばあちゃんになる頃、21世紀の後半ですね。人口4分の1。3000万人。今の日本のキャパはこのぐらいかも知れません。でもそれまでに、持続可能な環境が整って食糧自給も100%近くになっていれば、何の対策もしなくても出生率は上がるでしょう。その前に地球温暖化や森林伐採で日本の、否、世界の食糧自給がもっと下がる可能性の方がよっぽど高いし、その時に人間や他の生物が普通に生きていられる環境が存在するかどうかのほうがよっぽど心配です。
 

 少子化対策はせずに、

  食糧生産をしっかりし、
       
   持続可能な社会を目差しましょう
!!

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【2006/11/03 00:16】 | 食料と人口 トラックバック(0) |

少子化大賛成
天地 はるな
はじめましてm(_ _)m
おっしゃるとおりです。( ゚∀゚)人(゚∀゚ )
少子化、大賛成です。
なぜ少子化対策をするのか私には分かりません。
TBささせていただきます。


TB有難うございます
雑草
 初めまして!少子化推進を唱える人もあまりいないので、反論かと思いましたら、思いがけなく大賛成して戴き、さらにTBまでして戴き感謝致します。少子化対策は、年金浪費の尻拭いから来ていると思われますが、本当に日本政府の政策は、その場しのぎで、やってはいけないことばかりしていますね。
 ただ今、はるなさんのHP訪問させて戴きました。同じお誕生日で趣味も似ている方を昔家庭教師していましたが、彼女は大阪には住んでいないと思います(笑)。
 ひょっとして、いつか、持続可能な社会を目指す集まり等でお会いするかも知れませんね。


かんちゃん
そうです!僕も少子化に危機感はまったくありません。
25年後に3000万人。適正人口です。江戸時代はこれぐらいじゃなかったっけ。問題は日本列島に満遍なく人が住むことじゃないかな。大都市に人口が集中してることがろくでもないことを生み出してるのでは。環境破壊、エネルギーの大量消費、田舎より罪深いと思います。東京100万、名古屋70万、大阪神戸あたりで100万、北九州70万で後は適当に散らばって合計3000万人(笑)。
・・・今日このブログを拝見し面白いのでいろいろ書き込みをしました。管理人さんごめんなさい。
ちなみに2児の父です。

かんちゃん様に色々書き込んで戴くのは大歓迎です
雑草Z
 しょうもない忘年会から帰ってきたら、初めての「かんちゃん」様に3つもコメント戴き嬉しく思います。特に世間一般の風潮に反旗を翻す「カーボンニュートラルに対する危惧」や「少子化のススメ」に賛同戴きまして、最も嬉しいコメントです。これからもどんどんコメントお願いいたします。
 残念な事は、今の低い出生率でも、25年後どころか、40年後の今世紀半ばでやっと日本の人口は1億人を切る見込みです。出生率を1まで下げてシュミレーションしても、2世代60年くらいでやっと適正人口3000~4000万ですからね。食料対策のほうが先ですね。大都市を持つ都道府県の食料自給率は、ここんところずっと、東京1%、大阪2%、神奈川3%でワースト3ですから、ふざけてますよ。怖いですね。食料自給出来ない国は、少子化すべきだし、現在日本が一番誇れる環境対策は、「少子化」かも知れません。

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2006-11-02 00:01
 日本ではここ数年少子化問題が騒がれていますが、それは元々社会保険庁の悪徳役人達が年金として集めたお金を湯水の如く使ってしまって、年金制度が破綻しそうだから、下の世代の多くの人数からもっとお金を集めようと思ったのが始まりです。
 普通に考えれば、個人が年金として支払ったお金を積み立てて(政府の援助も上乗せしても)年金として貰うのなら人口が減っても何の問題もないのに、集めたお金を「また下の世代から集めればいいから使ってしまえ」と浪費した尻拭いです。
 年金問題はみんな知っているので、ここで長々と論じませんが、
 一言、
 使ってしまった官僚達が、退職してようが、法律がなくても特別措置で、彼等から財産没収して、さらに天下り先の(年金が使われた)財団法人の財産を売却清算してから次の方策に移るべきです。でないとモラルハザードが助長されるし、みんな年金を払う気持ちになれないでしょう。 

 こんな変な理由から目をそらす為か、少子高齢化の危険性を長々と色んな場面で論じて、世間もすっかりその気になって、マスコミもこぞって少子高齢化対策に踊らせられています。
 その為に危険な人口増加政策をやってはなりません。
 私は現在の日本には少子化は最高にいい事だと思います。高齢者人口が増える事は確かに危険ですが、これは前回論じた【痛みを伴った改革】のひとつなのです。
 人口増加はいつか止まらなければなりません。まして、食料の自給自足も出来ないような日本は、最低でも
 自給自足出来るレベルまで人口を減らさなければなりません。それも早急にです。何故なら食料が豊富に外国から入ってくる時代はもうすぐ終わるからです。この事については【食糧自給】のところで述べました。


 少子化は問題ではなく、歓迎すべき事です。
日本が持続可能な社会に移行するための避けては通る事の出来ない通過過程です。
     
 それを、新内閣は「少子化対策大臣」とか言うどうしようもないポストをつくり、特別無能で日和見的な人物をそのポストにつけました。その能力に相応しく、対策が功を奏しなければいいのですが、変に張り切って、持続可能な方向に反する環境破壊をしないで欲しいと切に願います。出来るだけ何もしないでいて下さいな。 
 
 年金問題や変な大臣の話で行数を稼いでしまったので、もう少し少子化のレベルや速度、役割などについて次回書かせて戴きます。
<<続く>>
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【2006/11/02 00:01】 | 食料と人口 トラックバック(0) |
2006-11-01 00:01
 
  今の日本の政府の言う「痛みを伴った改革」はしっかり将来を見通したものではなく、愚かな政策です。「痛みを伴った改革」によって構造改革するのは反対ではありませんが、現在の政府の目標とする構造は、全く持続可能ではないからです。
 この21世紀に構造改革と言ったら、
徹底的に持続可能な社会を目指すもの
でなければ話になりません。

 環境先進国と言われているヨーロッパの国々でさえ、まだまだ持続可能なレベルではありません。

 私は本当の「痛みを伴った改革」は、有限の(無限だったらそれも恐い!)地球上では絶対に使ってはいけないねずみ講の経済学、
 ケインズ理論からの脱却
であると確信します。

これを引き延ばせば引き延ばす程、
 環境問題とリンクして絶滅のカタストロフィーが起こる可能性が高まっていくでしょう。

 もうかなり以前から、ケインズ経済学に依るよころの公共工事の肥大化は、自国内では無理になり、他のいわゆる「発展途上国」にまで拡大させています。それらの国でも、既に『No』の言葉が出て来て、日本は訴えられたりもしています。政治家の読みはかなり甘過ぎます。その場しのぎです。
(理不尽な経済学だけで理系的素養がないからでしょうか?それよりも、知識がなくとも自然に備わっているべき大切な感覚の欠如によるものだと思います・・・この事については近いうちに書かせて戴きます・・・アメリカの恐いところは、この肥大化を軍需産業にシフトしていって外国に戦争をしかけている事です。)
 どう頑張ってもそろそろ飽和して拡大出来なくなってきているのです。これを無理に拡大しようとすれば今までにない規模のカタストロフィーが起こります。今世紀中に大破綻します。
 これは私の予言と言うよりも、理性的に状況把握すればわかる筈です。
その回避方法は【カタストロフィーの理論】のところで述べたように、
 経済縮小して、カタストロフィーのストレスを抜いていく事であると確信しています。 

 ねずみ講 痛みがあっても 
               今すぐやめる 
 経済拡大 ケインズ経済

 
 一応、経済発展をやめることを「痛みを伴った改革」と言ったけれど
 そのまま経済成長すれば必ず起こるであろうカタストロフィーと比べれば、大した痛みではないし、
うまくシフト達成出来れば
 新しい持続可能な社会に生まれ変わります。
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【2006/11/01 00:01】 | 社会・経済 トラックバック(0) |

ノーベル賞経済学者のお話。
でなしNo.146
2008年度ノーベル経済学賞を受賞した某経済学者は、この不況は長引き、脱するためには、60兆円規模の公共事業をする必要があるとネット新聞に載っていました。

とりあえず、
まさか、ダムとか道路なんて作らないよね?

と聞きたいです。
(たぶん、作るんだろうけど…)


60兆円を公共事業に投入するならば、

例えば、過激かもしれませんが、

「石油をまったく用いない世界を創造する事」や、

「一斉に雇用を解除して、必要のない仕事をなくし、経済収縮させるための費用」
(存在理由が「浪費」の仕事の排除&労働時間の短縮とねずみ講経済の廃止)

などに使ってほしいものです。
(要するに、資本主義からシフトするためのお金にするべき)


話は変わりますが、
雑草さんが、これほど前から、予言的な記事を書かれているとは、驚愕しました^^


本当に、アメリカ式資本主義はすでに崩壊寸前ですね。


ただ、
資本主義の歴史を見ると、世界恐慌や急激な経済の変動があった場合、その後に世界大戦になるパターンがあるようです。


カンタンな話、自分の国で「フツー」にものを生産していたら金儲けできないから、武器とかいっぱい作って、戦争に勝った後、他の国の資源とか搾取すればOKというもの。


歴史は繰り返されるとは言いますが、そろそろ、こういうバカらしい戦いと経済の螺旋を終わりにしてほしいと思います。


最後に、
>うまくシフト達成出来れば
 新しい持続可能な社会に生まれ変わります。

との事でしたが、持続可能な社会(脱資本主義社会?)を待っている人は多いと思います。

(潜在的に。だっておかしいですもん。こんな忙しくて、お金に縛られて、ストレスまみれの社会w)


何故そんな人が・・・じゃなくて
雑草Z
    でなしNo.146 さん

 私の知らない情報の提供有難う御座います。

 ノーベル賞を受賞した人が何故そんな愚かな事を・・・?
なんて考えがちですが、ノーベル賞自体、かなり政治色が濃く、現代の経済成長路線を肯定するような浅はかな選考者が、愚かな学者を選ぶのだから、ノーベル賞受賞者のとんでもないお話なんていくらでもあるでしょうね。
 ノーベル経済学賞受賞者なんて一人も知りませんが、平和賞の受賞者も、日本の佐藤栄作元総理とか、最近では「不都合な真実」のアル・ゴアとか、どうしようもない人達が貰っています。

 >60兆円規模の公共事業をする必要

この時代にケインズ経済路線を主張する既成概念から抜け出せない人間がノーベル賞ですから本当に情けない賞ですね。

>例えば、過激かもしれませんが、
 ~
>要するに、資本主義からシフトするためのお金にするべき

でなしNo.146 さんも私と一緒で、夢想家・・・と言われそうですね(笑)でも、こう言う発想でパラダイム・シフトが出来なければ人類はお仕舞いでしょうね。

>雑草さんが、これほど前から、予言的な記事を書かれているとは、驚愕しました^^

有難う御座います・・・と言いたいところですが、本文にも書いているとおり、これは予言ではなく、しっかり状況判断して理性で考えればわかる事でしょう。・・・いつまでも続く成長はあり得ないし、環境問題をはじめとする現代の社会問題の多くは、成長の限界によるものでしょう。


>そろそろ、こういうバカらしい戦いと経済の螺旋を終わりにしてほしいと思います。

 全くその通り。そろそろ終わりにしないと人類社会がお仕舞いになりますね。

>だっておかしいですもん。こんな忙しくて、お金に縛られて、ストレスまみれの社会w

 そうですね。経済が成長して不況を脱すれば上手くいく・・・と言う社会の搾取階級の洗脳に乗せられてはいけませんね。社会は発展したと言われて、だんだん住みやすくなったとは思えませんね。
 脱経済成長路線に賛同する人はどのくらいいるのでしょうね?

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