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2006-08-31 23:43
子供の頃、物を捨てるのが嫌いだった。 強迫神経症的に、がらくたでも何でも取って置いた。片付かなくてどうしても捨てろと親に言われて捨てられた時、また資源として役に立つのだと自分を納得させた。当時分別回収なんてなかったが、きっと集めてから分別するのだと子供心に言い聞かせた。・・・だから、また資源に戻さずに、ただ燃やしたり埋めたりする事を知ったとき、唖然とした。私が行政に不満をもった初めての瞬間かも知れない。当時、くず屋さんと言うのもあったし、ぶたのえさとして残飯を集めてくれる人もいた。だから、まさか行政がそんな子供が普通に考えても大変な結果を生み出す事をやっているなんて思わなかった。
 当時、環境問題なんて言葉もなかったけれど、ちゃんと回収業者がいたのだ。それなのに、その回収業者のないゴミは、再利用どころか燃やしたり埋めたり・・何故か?それは高度経済成長時代と呼ぶところの『経済効率』。なんてこった!

中学に入って紙のリサイクルを中学校で試みた。回収してまとめた。先生に頼んで業者に連絡してもらったら、業者が引き取ってくれなかった。否、一部は引き取って貰ったのかも知れない。新聞紙だとか、均質の紙でないとダメと言われた。自分もそこでやめてしまった。そのゴミは私が卒業した後にゴミとして捨てられたのだろうか?当時は許されていた学校の焼却炉で燃やされたのだろうか?誰かが再挑戦してしっかり回収業者に引きとって貰っただろうか?途中でやめた自分の無責任さに、時々思い出して心が痛んだ。
  
 
 江戸時代はゴミで埋め立てなんかせずに、それこそそれぞれのゴミの回収業があったそうだ。今で言うところの分別回収があったのだ。それが普通なのだけれど、今から見れば、今よりしっかり進んでいたのだ。リユース、リサイクル率100%。明治以降も概ねそれは続いて、戦前までは、ゴミ問題は顕著化していなかったであろう。(明治から昭和初期までのゴミの分別回収について知っている人に教えて欲しい。)

 NA (Native American) もリサイクル100%だったそうだ。そう、我々黄色人種はどこでも自然と共存共栄する思想に満ち、白人社会の様に自然を開拓すべき対象とは見ていなかった筈だ。それがどうだろう!今は白人社会の方がリサイクルリユースに積極的で,(アメリカは最悪の部類)日本なんか、今だに形式だけだったり全く徹底していない。白人社会は確かに産業革命が早くて環境破壊が早く起こったからと言うのも一つの理由だけれど、白人から入った文化を鵜呑みにして、今だに悪い面を直さない。日本人も悲しい。そして、こんな日本を嫌っている筈の中国も韓国も、経済優先の点では悪い日本を見本にしている。
 黄色人種は素直で従順で疑う心が少ないのだろうか?植民地化されたから仕方がないのだろうか?植民地が終わった今でさえこんなに酷いなんて、征服されてる間に我々の思考のDNAが麻痺してしまったのだろうか?白人社会でもアメリカはいまだにひどいけれど。

 ゴミの事だけでなく、次第に悪くなる環境問題で、古き良き時代を懐かしむペーソスだけの世の中はフィクションであって欲しい。そうじゃなければ悲し過ぎてやるせない。そんな古き良き時代が来る様にオプティミズムを持って諦めないで取り組まないと・・中学時代の後悔を繰り返すのはまっぴらゴメン。
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【2006/08/31 23:43】 | 思い出 トラックバック(0) |

私も小さい頃
社枯
物を捨てるのが嫌いでした。割れてしまったペンケースやアメ・ガムの包み紙まで捨てられずに取って置いていました。
親に怒られて片っ端から捨てられましたが…。

今の時代でリサイクル率100%が実現できたらどんなに良いか…。
日本はこれまでで、経済的な面は豊かになったのかもしれませんが、そんなことよりもっと大切な事がどんどん失われていきますね…。

物を捨てられない心。
雑草Z
 物を捨てるのが嫌いというのは、現在の日本では、物の整理がつかなくて大変みたいですが、そんな使い捨ての時代が続く筈がありません。本来、物を大切に使う事はいい心掛けに決まってます。 
>割れてしまったペンケースやアメ・ガムの包み紙まで捨てられずに
 と云うところがとてもいいですね。
そう云う部分、非常に共感出来ます。同志って感じが致します(笑)。私は、勿体無い精神と共に、強迫観念もあったのですが、この部分から想像するに、社枯さんも結構強迫観念あったみたいですね?(笑)
 「使い捨て出来るくらい物が溢れて経済面が豊かになった」なんて事は、素晴らしいどころか、心が貧しすぎますね。
 精神的な事ばかりでなく、今のゴミの大量放出は、大切な資源をどんどん失い、環境汚染が進み、生物が棲めない環境になって生態系破壊、人間社会崩壊をもたらしますね。
 ただ、リサイクルはエネルギーを使うので、全てのものをリサイクルするのがいい訳ではなく、リサイクル率100%には、条件があります。そこのところは、
【リサイクル再考】シリーズ(2007年2/13~2/21)などを見て下さいね。

 <雑草の言葉>を始めた初期の頃(字の大きさも一定で、色も付けていません・・笑)の、誰もコメントくれなかった頃の記事にコメント戴き、非常に嬉しく思います。この頃は、Yahoo!ブログにいて、訪問者も非常に少なかった頃の記事です。(移転しました)

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2006-08-30 23:43
人が生きて行く上での基本は衣食住だけれど、何と言っても基本は食。食料については自給自足が基本。国際分業は環境破壊の大本。じゃ自給自足の単位は?と、考えた場合、塩など特別なものを除き究極は家族単位。しかし家族では無理な場合、小さな自治体が単位であろう。その『小さな自治体』の規模については、まだ色々考察する必要がある。食物の運搬が人力、即ちリヤカーで運べる程度で、化石燃料等使わないで運べる範囲が基本。
 例えば、日本という単位は自給自足の自治体単位としては大きすぎるけれど、その中に多くの自給自足の自治体を含むとすれば、日本全体で考えても自給自足していなければならない。でも日本の食料自給率は30%程度。あの、飢えていると言われている北朝鮮でさえ70%を超えるのに・・・どうして日本人はそれが恐ろしくないのか分からない。これだけでも十分日本は砂上の楼閣だ。まして、隣の中国が食料輸入国に転じて、数年のうちに食料不足が日本の人口分以上になるというのに、日本に食料が入って来る筈がない。
 全ての経済政策の前に、食料自給率100%にする事が必須である。(食糧自給率に無駄に捨てる分等をどうカウントしているかにもよるけれど、自給率90%くらいあって配分が公平にいけば、飢え死にするまではいかないだろうけれど。)それで不景気になって外貨が入って来なくても食べれるんだから、大した問題ではない。私は、あと数十年後にも納豆とみそ汁位の食べ物を毎日食べれる社会であったら、嬉し過ぎ。普通に考えて、そうならない可能性が大き過ぎ。
 例えば少子化。そんなに問題か?世界全体から見れば人口爆発の方がよっぽど恐い。少子化は淋しい事かも知れないけれど、歓迎すべき事である。適切な人口の議論なしに少子化を危惧するのは愚の骨頂。では適切な人口の最低条件は何かと言えば自給自足であろう。今の日本の食糧自給率から考えて、日本の適正人口は4000万人程度であろう。急速な少子化は色々問題が起こるが、それでも自給自足出来る人数までは、自然に人口の減る少子化は適切な素晴らしい事だ。そうでなければ増え過ぎて餓死したり殺し合いになってしまう。このままでは食糧不足による暴動が起こるのも時間の問題であろう。農地を増やして食糧増やす事のサポートが少子化で人口が減る事。減反も愚の骨頂だ。食糧自給自足出来ずに耕地を減らすなんて考えられない。
 但し、農地を増やせといっても、諫早湾開拓などは勿論ダメ。あれはゼネコンに儲けさせる為だけのもの。環境破壊の事業以外の何ものでもない。それから、森林を農地にするのも危険。じゃあ、何処を農地にするかと言うと、減反された休耕地は勿論の事、ゴルフ場、テーマパーク等でしょう。それから新しい宅地造成地。少子化で人口減るのに新しい宅地はいらない。空き家も沢山増えている。
それからそれぞれの家の庭、ベランダでは、家庭菜園。これ、結構命綱かも。
 今世紀中にいつか全ての経済活動をストップしなくてはならない事態になるでしょう。その時にも続けなければならないのが食糧生産。こう言うのを非常事態と呼ぶのでしょうが、私はこう言う時が来ても、それで若し環境破壊がおさまり、人類が生き延びられるのならば嬉しい。寧ろ、こう言う非常事態を早く宣言した方が、助かる可能性は高いでしょう。そして、構造改革。

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【2006/08/30 23:43】 | 環境総論 トラックバック(0) |
2006-08-28 23:41
『引き返しの効かない点』・・環境問題では、もう人がどうしようとも、手のつけられない点と言う意味。かなりオプティミストの私も、Point Of No Return はもう越えてしまったのではないかと思う。物理的にさえ・・。
 
 Point Of No Return とは、例えば、南極大陸の氷が融けて大地が顔を覗かせた時、今まで白い氷と雪が太陽光を反射していたのに大地の黒い色が光を吸収し、融ける速さに加速がついて止められなくなる。・・・南極の2~3000mの厚さの氷が融けて大地が顔を覗かせた段階でもう終わりか?春の雪解けの雪崩のように、氷の底が融けて滑り落ちて、巨大津波が起きてももう終しまい。考えれば考える程恐ろしい。
 「人類は将来滅びる」という人は数多い。しかし、そのオーダーが甘い。この前話したおじは、何万年後(何百万年後)だろうと言っていた。それに対して、数百年後だ!と、答える人は沢山いる。でも、それも甘すぎる。今世紀が最も危ない。最近になって、あと100年で大変になると言い出している科学者は多い。100年後には平均気温5℃上昇して、森が消滅して、オゾン層が破壊されて、日中太陽に当たれなくなって・・・となる前に人類はオシマイでしょう。
 世の中私より楽観的な人ばかりだとは思わない。それなのに今だに「経済成長」だとか言っている人が多いのには唖然とする。きっと彼等は、無知なのだ。経済は何十分の一に縮小するしかないだろうし、そもそも『経済成長』と言う言葉が崩壊への階段である。自由主義経済も、マルクス経済も、無限の大地を仮定し『成長』する事を前提に話している。経済を速く小さく縮小して行けば行く程助かる可能性は反比例して増えてゆくでしょう。

 これからの環境問題は Point Of No Return との闘い。物理的にさえ、もうダメかもしれないのだから、これから提言してゆく事は、人間がそんな事を出来る筈ないとか、経済的である方法だとか、そう言うレベルではなくて、こうすれば助かるかも知れないと言うレベルの話になると思う。絵空事に聞こえるような構造改革をしないときっと無理だろうし、それを絵空事と言う余裕があるのだろうか・・・・??

 昔"Point Of Know Return" と言う曲があった。邦題「帰らざる航海」。 KANSAS というアメリカンプログレバンドの曲で、あまり心に響かない曲で曲の印象は残ってなかった。何故 ”No " でなくて ”Know " なのか分からない。”Know "では、意味も妙だ。でも、『引き返さなければならない地点は知っている筈でそこを越えたらきっと後悔する地点。』って今は聞こえる。
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【2006/08/28 23:41】 | 環境総論 トラックバック(0) |
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