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2006-09-23 12:24
昨日、日本の自家用車保有率を調べた。ネットで検索にひっかかってきたのは、保有率の高い県の統計のホームページかなんかで、その高さを誇っている感すらあった。物量を誇る(一時の)アメリカのように本当におバカだ。
 
 それは兎も角、案の定、ショウモナイデータがどんどん出てきた。全国平均自家用車保有台数は人口1000人あたり330人。免許なんて持てない子供や赤ん坊をまぜてだ!
そして1世帯あたり 1.1台。・・夢の物量おバカアメリカに近づいて来たぞ!!
 保有率の高い(誇らしい)県は、福井や富山、群馬に茨城、岐阜・・と公共交通の不便な田舎に多い。逆に公共交通手段の整った、マイカーのほとんど必要のない、東京が最下位。それでも人口1000人あたり240台、1世帯あたり0.54台。2世帯に1台持っている。
電車で行った方が早くて安くないか・・?
 
 結論から言うと、、持続可能な社会には、今の化石燃料車では絶対に無理。燃費が半分のハイブリッドカーでもましな程度でまだ駄目。(でも、2者択一ならハイブリッド・・その話は機会があれば・・)
 自動車の使用は早急に消防車だとか救急車だとかごく限られたものにしないと
 CO2(NOx,Sox)排出オーバーで、The End.

 人間1人分のCO2 排出量は、ガソリン約0.05リットルの燃焼で出てくる。燃費10km/リットル のガソリン車で500m走るだけ。燃費30km/リットル のハイブリッドカーやバイクでも1.5kmしか走れない。アイドリングの分を考えなくてだ(アイドリングについてはただ今実験中)。逆に云うと人間の燃費はいかにハイレベルかがわかる。(この事についても近いうちに述べる)

CO2排出量を90%以上カットしなければならない日本としては、(世界中何処でもだけど)化石燃料の自家用車を使う事は不可能だ!単位時間あたりCO2排出量が人間の1000倍の自動車に乗るとは、CO2排出量で言えば1000人の大名行列や鼓笛隊パレードやっているようなもの。各家庭が毎日毎日通勤や買い物で1000人の鼓笛隊パレードやってたら大変だ!世界中がこのペースなら、今世紀中に熱暴走して、Point Of No Return を過ぎ、手がつけられなくなる。

では、代替えエネルギーの自動車はと言うと、充電式の電気自動車は話にならない。その発電は火力、水力、原発だ!それにエネルギーは変換するときのロスが凄く大きい。化石燃料を燃やして発電してその電気エネルギーで走るのなら、直接燃料を燃やして走った方が効率いい。
 じゃ、抜群のエネルギー効率で、最高の代替えエネルギーは何か
と言うと、間違いなく人力。・・だから、
代替え車は・・人力車=自転車ということになる。

 それだけでも生活圏はこじんまりとまとまらなければいけない。小さなコミュニティー。
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【2006/09/23 12:24】 | Produce less トラックバック(0) |
2006-09-20 00:22
 計画経済と言うとまた、共産主義か?って思われるかも知れないが、特に否定もしない(どっちでもいい・・というかどっちでもないというか・・)
 言える事は、マルクス経済は、無限の土地と経済成長を目標としているから、時代性を考慮しても愚かな社会科学である。(学生時代の教養のマルクス経済は面白かったけど・・) 
 
 それは兎も角、今の世の中、要らない経済活動ばかり。と言うより、やってはいけない経済活動が90%以上、いや、個人的には99%以上だと思う。わざわざ需要を作り出して、今でこそ必要に見える仕事も元々は必要がなかったものばかり。
   (このブログで、だんだん要らない仕事の例を書いていこうと思う。)

  世の中に最低限必要なものは何かと言えば、贅沢にならない程度の 衣・食・住 であろう。特に、食は食品加工でなく一次的な食料生産。その必要最小限を安定供給出来るキャパををしっかり把握する。そしてその後に贅沢分として+αの量を地球のキャパシティを考慮して、持続可能な量にする。これを私は「計画経済」と呼んでみた。(「経済」と云う呼び名は耳障りだけれど・・。)

 地上にはこれだけ人が溢れ、それも、ひとりで必要最小限の何百倍、何千倍もの(エネルギー及び物質の)消費をする「先進国の文明人」がいて、今はこの地球のキャパシティーをかなり越えてしまっている。

 今の経済発展は必ず破綻する。だから、必ず「計画経済」に移行しなければならない時がくる。これが早ければ早い程、人類破滅を回避出来る。永続可能な社会へ移行するチャンスがある。社会の人々が気付くか気付かないか・・社会として実行するかしないか・・実行の前に Point Of No Return  が過ぎてしまえば実質上のゲームオーバー。
 
 「経済縮小」というとネガティブな響きがあるかも知れない(私には心地よい響き)。しかしそれは、あくせく働かずに、ワークシェアリングして、のんびりスローライフしようと言う事。
 これは絶滅かのんびりかの二者択一
  Point Of No Return が過ぎてしまうか、永続可能な社会へ移行するか?21世紀はこのどちらかに決まる世紀である。
 
 みんなで、このままでは終わりだ!と、声を大にして言い、早く経済活動をストップしよう!      

経済発展すれば絶滅
  経済縮小すれば、あんまり働かないスローライフ
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【2006/09/20 00:22】 | Produce less トラックバック(0) |


通りすがり
経済縮小したら雇用も縮小して失業者が増えませんかね?

それがまさに典型的ケインズ経済ですね!
雑草Z
 先ず、雇用だけの為の仕事は、必要のないものです。必要のないだけなら存在しても大して問題になりませんが、例えば大型公共工事の多目的ダム(別名無目的ダム)のほとんどは、明らかに環境破壊です。最大の目的は雇用と企業に儲けさせる為です。公共事業でなくとも、物を浪費するほど雇用が増えるのが現在の自由経済です。明らかに持続不可能です。何も作らずにお金だけ渡したほうがよっぽど社会の為でしょう。
 だからその分経済を縮小して、計画経済にしてワークシェアリングにして、1人あたりの労働時間を大幅に減らすなどしたほうがいいということです。社会のシステムを変えて国家で持続可能な社会の妨げになる事業は制限すべきという事です。
 
 GDPが豊かさの指標という洗脳から脱すべきです。 

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2006-09-17 02:04
ところで経済活動が10分の1って、そんなに大変だろうか?
日本で言えば戦後何年かして、1950年を少し過ぎた頃GDPは現在の10分の1くらいだった。
 その頃、日本はまだ貧しかったなどとも言っているが、ホントにそうだのだろうか?もうその頃は戦後のドサクサも終わって、食料自給率も100パーセント近くに戻り、まだ自然環境も素晴らしかった筈だ。古き良き時代としてその前後の頃の事が描かれている小説、映画の類いも多い。資源や食物の輸入だって、今の量の10分の1を遙かに下回っていた筈だ。様々な(凶悪)犯罪だって、現代病の多くだって同じ様に少なかったり全然なかった筈だ。

 きっと、その時の最大の過ちは、もっともっとがむしゃらに頑張って働いて、日本を再建して、(物質的に)もっと豊かになろうと思った事に違いない。

 身近な経済活動って言えば、お金を得る為に働く事。それって楽しい事だろうか?現代の日本人って(日本に限らず、いわゆる「先進国」全部か)「生き甲斐、遣り甲斐のある仕事」と云う固定概念に縛られて、逆に苦しんでいる人の方が多くないか?
 お金を得る為に働く事を楽しく思う事が実は環境破壊の大本ではないか?


<以下、日本語の達者な素敵な凄腕ギタリスト、Marty Friedman の口調で・・>
 不景気が困るのは、相対的な不景気だからじゃん。必要のない環境破壊の仕事をして不景気だって言っているのがおかしいじゃん。みんな不景気でもみんな自給自足していれば、家族でゆっくり、ゆったり、ゆとり、ゆずりあい・・・これって交通標語にしておくのは惜しいじゃん。
 
 経済が発展しなくたって、全く不幸でないじゃん。
それどころか経済を縮小すればあくせく働かなくったていいんだよ。 本当に必要な食料生産などの仕事を今までの何倍もの人数でワークシェアリングすればいいのだから・・。
 
 発想の転換が必要ですよ!

 こういう頑張らなくってもいい世界ってよくない?
 
 そう言う世界って好きだけどなあ!

 
<ここんとこ数年、ちょっとだけマイブームのMartyが経済の事でコメントするのは聞いたことないけれど、こんな事言ってくれたら嬉しい。>
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【2006/09/17 02:04】 | Produce less トラックバック(0) |

拝金主義
t_de6
ブログの移転おつかれさまです 管理人様は
HM/HRが好きなんですね 私も同じなんですよ
この現在の拝金主義&経済最優先はもう止めることが出来ないのではないかと個人的には思います あきらめの境地ですね
それに対して環境問題に真正面から立ち向かう管理人様は尊敬します。

感激しました
雑草
 移行前のブログに続き、移行後も励ましのコメントありがとうございます。伊藤政則氏の口癖を借りればコメントを読んで『背筋に電流が走るくらい勇気付けられました』おっしゃる通り現実は酷すぎますが、『そのとき』が来たら耐えられませんから、意気込まずに頑張るしかないですよね。お互い。

頑張りましょう
t_de6
今はひとりでも多くの人に環境問題の重大さを知ってもらい
意識を替えてもらうことが必要かと思います
一人一人の力は微々たるものですが
管理人さまと供に頑張っていきたいものです。


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2006-09-17 00:28
 
シャーレの中でバクテリアを培養すると、バクテリアは、始めは時間の指数関数的に増えてゆく。シャーレいっぱいに増えると、食べ物がなくなって、そのとき途端に絶滅を始める。絶滅が始まればカタストロフィー的に瞬間的に大量滅亡に向かう。
 
 以上が、経済成長してはいけない理由の本質である。

 経済や人口が指数関数的に増えたのは有史以来の事だが、特にこの 二,三百年。産業革命以後は指数関数にさらに加速がついて増えた。そして、このまま行けば絶滅が始まるのは今世紀中。もう前兆は20世紀から数え切れないほど起きている。

 具体的な例をあげよう。CO2排出量はほぼ、経済に比例している。
 みんなさんは現状のCO2排出量は、地球の吸収能力、すなわち植物等が光合成で、酸素や炭水化物等に同化できる量などをどのくらい上回っているかご存じだろうか?IPCC(気候変動に関する政府間パネル)によると、3倍以上である。つまり、現在のCO2排出量を66パーセント以上は削減しなければならない。このままの二酸化炭素排出量が続けば、今世紀中に、地球は熱暴走して、手がつけられなくなる。(実は国連の環境部門では、京都議定書のお粗末さからも、温暖化防止はもはや手遅れと報告されている。)
 IPCCが報告している各国の必要削減量は、環境先進国が多いEUでさえ、90パーセント程、つまり現在の10分の1以下である。いわゆる「先進国」はみなそうである。最悪のアメリカに至っては96パーセント削減、つまり、25分の1以下にしなければならない。
 じゃ、この基準が達成出来ている国はあるのかと言うと、ちゃんとある。アフガニスタン、マダガスカル、コンゴ、ソマリア・・・つまりまだ「発展していない国」。国によってはあと数倍排出しても基準以下の国もある。(そう言う国をODAが「開発」して、CO2大量排出国に仕立て上げている・・話が拡散するのでこの話はまた別の機会・・)

 CO2排出量だけで「経済発展」は十分恐ろしい事は分かって戴けたと思う。
「科学の力」で解決出来る問題ではない。それは、科学の力の過信。少なくとも現在の科学力では無理だ。 
 では、どうすればいいのか?それは、経済活動の縮小のみ。"produce less"  
CO2排出量だけでなく、エネルギー消費、資源消費・・ほとんどの経済活動を10分の1以下に下げなければ、人類は生き残れない。

 
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【2006/09/17 00:28】 | Produce less トラックバック(0) |
2006-09-09 23:47
ゴミ問題の根本的解決法は ”Produce less” しかない。
 よく言われる4つのRのうち、Refuse が 最も大切 。そして Reduce も極端に実行しなければならない。極端とは今の10分の1以下と言う事。以上2つを極端に実行する必要があり、それが”Produce less”。その後に Reuse がきて、Recycle はホントにホントに最後のごくわずかの対処療法。

 Recycle は、かなりエネルギーを使う。資源として回収するのに運搬するエネルギー、また、資源に戻す為に解体したり溶かしたりするエネルギー。かといって、資源に戻すのではなくゴミなんかで別のものを作るのは、やらないよりはましな程度。例えば牛乳パックでリサイクル工作と言って、さらに塗料や接着剤を使う。そして出来てもしばらくするとゴミになる場合が多い。勿論同じ工作をするなら、新しい材料ではなくゴミを使った方がいい。しかし、作らないのが一番よい。

 何か今の日本を見ていると、4つのRの最も最後に来るリサイクルに熱心で、さも素晴らしいゴミ対策の様に宣伝して運動し、その前の3つのRは、経済に逆効果と言う事で、あまり考えられていない。「ゴミの減量」も「生産の減量」無くしては無理な事が誰にだって明白。リサイクルすら考えない意識の低い民族だから、先ず「リサイクル」と言うのでは間に合わない。


 さて、私に、「Produce less が唯一の方法。」と言った、当時のドイツの学生。今でも私同様変わり者扱いされているかもしれないけれど、こう言う意識をもった若者が指数関数的に増えてくれるのが私の希望である。それが、ゴミ問題だけでなく、全ての環境問題の解決に繋がる。私は、青少年にこういう現状に対する知識を持たせる事が大切であると考え、微力ながら、実行している。

 今マスコミがもてはやしている青年実業家など一人もいらない。いや、いらないどころか、そんな青年実業家達が人類の滅亡へのカウントダウンを速めている。

 Produce less は、かなり大きな構造改革になるであろう。いつかそうしなければならないのは明らかであるが、本当は、環境問題が『公害』と呼ばれていた1970年代から始めるべき事であった。子供の頃、そう言う対策はしっかり論議され始めていると思っていた。それから、30年以上も過ぎて、Point Of No Return も迫っている。(まだ、過ぎていないと考えよう!)全ての政治政策で、すぐに実行すべき事である。

 『人類は、便利な事を覚えてしまったら、もう元へは戻れない』なんてのはかなりの詭弁。それは、環境問題を甘く見ているからに過ぎない。例えば、ダイオキシンで日本が汚染されて(事実ダイオキシン汚染は抜群に世界一だけど)これ以上都市部に住む事は不可能です。住んでいたらすぐに死にます。山間部に避難する人は、込み合うので、住む人々の環境確保の為、自動車やパソコン等文明的なものを全て持ち込まず、移住しても家は建てない事・・・って言われても、大多数の人はパニックを起こしながら、都市部に残らずにほとんど移住するに違いない。。今の話は極端のようだけれど、こう言う措置をしなければならない時がきっと来る。
 これは、予言者の言葉ではなくて、普通に考えれば当然の結果。信用置けないなら、普通に信頼の置ける国連なんかのデータを見てみれば、当然予測がつく。ベルリンの壁の崩壊が予測がつかなかったとしても、これは明らかだ。さらに、こう言う措置で今の話との違いは、No Way Out って事だ。つまり、山奥や海外に逃げれば済むと言う話ではない。そんな逃げ場などない。この地球が壊れるのだから逃げ場なし。勿論宇宙なんてSFだけの世界。加害者も被害者もみんな滅んでしまう。

 具体的にどんな生産を減らすかについては、『ほとんど』なんだけれど、『物』の生産に限らずサービスの生産もほとんど減らさなければならない。世の中は『需要』を無理に作り出しているだけで、ほとんどなくていいものばかり。と言うか、それを作っているばかりに、人類は破滅に向かっている。『痛みを伴った改革』というのは、こう言うところでやるべきだ。
 具体的にそれぞれの生産に対して、しだいに述べていきたいと思う。いま、誰もクレームつけていない芸術やスポーツについても。そういう領域をタブー化したり神聖化してはならない。
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【2006/09/09 23:47】 | Produce less トラックバック(0) |


mao
いつも過去の記事へのコメントですみません。最新の記事を読みつつ、ふと思った時にコメントを書かせていただいています。
Produce lessは良いことだと思いますが、生産するのは製造業の企業の社員です。社員はそこでお金をもらって生計をたてているわけですから、会社で「もったいないので生産量を減らしましょう」とは言えないでしょう。私はProduce lessを実現できるもっとも簡単な手段は、消費者が買わないことだと思っています。消費者は買わなくても上司に怒られるわけではありませんから。なかなか雑草Z様がご提示された消費量1/10にすることは私から見ると仙人の域かもと思ってしまいますが、今あるものを長く、平均の倍の期間を目標に使うようにしようと思います。たとえば乗用車は11.1×2=22.2年。カラーテレビは9.4×2=18.8年。パソコンは4.6×2=9.2年。という風に。少しお茶を濁した対策かもしれませんが、具体的な対策を個人が打つことが大切だと思うので。雑草Z様のご指摘は、そもそも車に乗るな、テレビを買うなということでしょうけど正直辛いかも…。環境問題は言うは安し行うは難しと思う今日このごろです。

政府レベルでやるべきでしょう。
雑草Z
    maoさん

 まだ、誰もコメント下さらなかったころの初期の記事へ遡ってのコメントも大歓迎です。まあ、この頃はちょっと間違った事も書いているのですけれど・・・

 経済成長は、前年度比何%で示すように、指数関数的指標です。(社会の殆どの現象・)

>消費量1/10にすることは私から見ると仙人の域

とおっしゃいますが、未開の人々(もう世界にいなくなってきましたが、)は、日本の1/100以下ですし・・・貨幣経済がない場所では、1/1000以下と考える事も出来るでしょう。
 それではぴんと来なければ、今から50年以上前の日本の消費レベルは、1/50ほどでした。1950年頃です。・・1/10レベルなら、1970年代でしょうか?・・・それは仙人レベルでなんかありゃしません。十分に浪費レベルです。まあ、消費レベルと経済レベルは、必ずしも正比例でないとしてもそれが簡単でかなり相関関係の深い指標でしょう。
 現在の浪費レベル、過剰競争の元での浪費は酷いもので、個人の消費レベルを半分に抑えるなんていとも簡単でしょう。それが出来ないのは、経済優先の社会だからです。
 
 確かに企業の主体性に、生産縮小は望むべくもありません。maoさんのおっしゃるように、消費者の意識改革も必要でしょう。
 でもそれだけではやっぱり無理でしょうから、政府がそういう対策をすべきです。今の殆どの国の政府は産業界の傀儡ですからそれは望むべくもありませんが、現在の世界が破局への道を辿っている事とその恐ろしさをしっかり認識すれば、そうせざるを得ない事がわかるでしょう。しっかり立ち止まって現状認識すれば明らかなのですが・・。
 
 私の提案は、出来る出来ないではなく・・・物理的には十分に出来ますが・・・やらなければ破局から、やるしかないという事です。

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