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2008-01-01 00:02
 自然崇拝は、人類の最も原始的な思想、哲学だと考えられています。しかし、最も原始的だからといって劣った思想と考えるのは、科学技術と合理主義を妄信した現代人の短絡的発想でしょう。

 それは、まだ人類が、森に住んで狩猟生活をしていた頃の長い歴史・・人類の歴史の99%以上・・・を通して経験した事から必然的に発生したものでしょう。人間は自然の一部だと言う当然の認識から発生した人間と自然の共存の思想、哲学です。人類は自然の力の偉大さを認識したからこそ自然崇拝が生まれたのでしょう。・・・そして自然崇拝は、日々の暮らしの思想、哲学から発展して宗教となっていったのではないでしょうか?

 自然崇拝は、縄文時代から続く日本の文化、アイヌの文化にあるだけではなく、アメリカ・インディアンやアボリジニの文化の中にも見いだせる古くからの世界共通の思想、哲学でしょう。


 近代文明から、自然を客観的に研究するという自然科学が生まれ、それをもって『合理的』の名の下に自然征服がはじまり、自然崇拝を前近代的な非合理的なものとして排除していきました。
 しかし、自然崇拝は、愚かな思想でしょうか?
人間は特別な存在で、自然は征服すべき対象だとみなす近代合理主義のほうが
人間は自然の一部だと言う認識から発生した自然崇拝よりも、優れているとはとても思えません。

 自然を征服する為の技術が行き過ぎて環境破壊をもたらしました。「行き過ぎて」・・・と書きましたが、そうなったのは、科学技術は自然を人間の生活に最適な方法で制御出来なかったと言うことです。非常に不完全な科学を信じて・・・盲信して、こんな人類の危機的症状を作り出してしまいました。この近代の科学技術文明によって、環境破壊だけでなく、モラルハザードも起こり、多くの人々の精神も自然から離れて崩壊してきているように感じます。
 
 西洋を中心に、自ら文明人と名乗る国の人々は、彼等が未開の国と呼んでいる人々よりもモラル的にも優れていると思ったら大間違いでしょう。そんな発想は、力の弱い文化を攻撃し支配する口実に利用されただけです。ただ単に、近代科学技術を持った国家のほうが、戦争において強かっただけで、凶暴性や残忍性は寧ろ近代文明とやらを持ったヨーロッパの白人のほうがずっと酷かったのではないでしょうか?。・・・そう、凶暴で支配欲の強い人々ほど、大きな科学技術を持とうとするものです。
 西洋近代化文明の、自然も他民族も何でもかんでも『征服する』と言う共通の野望は未開人より『野蛮』と言うべきでしょう。

 近代から現代にかけて、多くの人々は、生まれた時から自然から離れた生活をするようになり、自然の摂理に対する感覚を失ってしまったが為に、自然崇拝を馬鹿にし始めました。そのくせ、科学と言う名の唯物論、自然科学を盲信し、経済発展、開発という名の持続不可能な自然破壊に気付かず、我々は文明人だとばかりに、破局に向かって行進しているのです。

 二進法のマシン(コンピュータ)や巨大建造物、バイオテクノロジーやサイバネティクスなどをもって、人類の技術は素晴らしく、無限に発展すると考えている科学崇拝の方が遥かに危険で軽卒で愚かだと感じます。
科学崇拝は今世紀中に人類を滅ぼすかも知れませんが、謙虚に自然崇拝が行き渡った世の中だったら、今頃人類の危機はなかったでしょう。

 宗教とまでは行かなくとも、自然崇拝は、今こそ人類みんなが持たなければならない思想、哲学ではないでしょうか?   
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【2008/01/01 00:02】 | 思想 トラックバック(0) |


nao
あらためて。
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

今、朝日テレビのアレを見てます。
だんだん腹が立って来ました。

最近環境問題の特番多いですね。
雑草Z
こちらこそ、本年も宜しくお願いします。昨年度は沢山のコメント有難う御座いました。

コメントを見たら

>今、朝日テレビのアレを見てます。

との事だったので、「アレ」とは何かと見てみたら、環境問題の特番でしたね。

>だんだん腹が立って来ました。

とは、人間の愚行に関してですか?
それともこの番組の作りに関してですか?

 私は、このコメントに気づいてから、番組の最後のほうだけ見ましたが、他の民放のスポンサーのご機嫌取りのような環境問題の番組などと比べれば、しっかり出来ているように感じました。ただ、司会者や一部の出演者、CMがちょっと気に障りました。
 人類の愚行は酷いものです。 

人間の生活と寿命と空間
地下水
 私達は人間である。人間は、生き物である。生き物の幸せは、健康である。生き物が生きるには、生きて活動せねばならぬ。人間には生活が要る。
 健康の要素は、栄養、安眠、清潔、運動などである。栄養は、食糧からなる。食糧は農耕機器でつくる。農耕機器には工場や製鉄が要る。安眠には寝室のある家が要る。清潔には、風呂や洗濯機、トイレや下水道が要る。
 人間は、社会で役割分担をして、これらの生活物資をつくる。人間は、社会人である。
 人間はこの生活物資に生かされている。この生活物資に感謝が要る。この生活物資をつくる大人に対して感謝の念が要る。子供は大人を見習い、やがて大人となって、役割分担して、生活物資をつくらねばならぬ。人間は、社会人なのである。
 実際、山に登って見下ろすと、川が流れ、田畑が広がり、中程に町があり、道路と送電線が入っている。大人の仕事は、この生活の町をつくる事である。
 地球の外には、息の出来ない暗黒の死の空間が広がっている。この地球は何億年も太陽が照らし、森林やサンゴ礁が育っている。人間は、地球人である。地球には、地球の与える人間のきらめき、地球の花々の景色、地球の果物がある。人生八十余年、寿命には人生三万日余りの限りがある。これらの地球の贈り物を愛でて育てて、地球をよく見て限りある人生を送ろう。
 人間は、地球での健康な生活のための物資の生産の、この一点で、その目的を回帰し、協調し、分担し、共有する。

Re:人間の生活と寿命と空間
雑草Z
    地下水さん

 またまた、前の記事へ遡ってのコメント有難う御座います。

 自然崇拝とは、もともとこの限られた地球での豊かな生態系と物資の循環に感謝し、これを永遠に維持する為に長い世代間を通して作られていったものだと思います。決して迷信ではないと思います。

>これらの地球の贈り物を愛でて育てて、地球をよく見て限りある人生を送ろう。

このような生活が出来るのが、本当に余裕のある人間らしい生き方かも知れません。

Re:Re:人間の生活と寿命と空間
地下水
 今日もそうなのですが、大きな植物園のオープンテラスで、御茶をいただきながら、木々や花や涼やかな風を楽しんで来たのですが。
 そこへ行くのは車なのです。現代社会の矛盾です。公害を出しエネルギーを浪費して、その対極にある植物を求めるのです。心が求めているのは、植物であると、わかっているのに。
 こんなことなら、自分の町の中程に、相応の、心おきなく、安全で人目を気にせずゆったりできる、植物園があれば良いと、ときどき思います。町の顔として、近隣の町巡りの楽しみのはじめにあればと思います。
 ロンドンでも緑の回廊を何重にも設けてあるそうですから。
 大きなヒマラヤ杉の下のテーブルで和みながら、こんな大きな木を植えるのも有難い人の心、逆に他所の様に舗装して乾かして枯れさせてしまうのも困った事態だと思いました。

Re:Re:Re:人間の生活と寿命と空間
雑草Z
 おっしゃる通り、自然に親しむ為に遠出するときに車などを使って石油を消費して窒素酸化物や硫黄酸化物などを出す事は現代社会の矛盾ですね。
 私も地下水を汲んだり、田舎の秘湯に行ったり、鎮守の森を尋ねたりする時に車を使い、矛盾を感じております。

>こんなことなら、自分の町の中程に、相応の、心おきなく、安全で人目を気にせずゆったりできる、植物園があれば良いと、ときどき思います。

おっしゃる通りですね。地産地消は食べ物だけではなく、観光もゴミ処理も、殆どの物事を地産地消にする・・・昔に戻すべきですね。植物園でなくとも、歩いて、若しくは自転車に残しておくべきですね。

>舗装して乾かして枯れさせてしまうのも困った事

本当にそれは嫌な事ですね。日本ではもうこれ以上舗装をする必要はありませんね。現在でも舗装は過剰です。

「高度経済成長時代」と言われた1960年代、1970年代は各地で公害も発生し、大気も川も海も森林も荒らされましたが、それでも現在よりは遥かに自然が豊かだと思っております。そんな子供時代の自然の中で、現在失われてしまったものが色々あります。代償によって得たものは、失ったものに比べて殆ど価値がないと感じております。

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2007-12-31 00:03
 科学の時代といわれる現代は、その科学万能主義の根拠として唯物論があります。

 以前、中国の環境問題だったか社会問題だったかをネットで調べる為に検索していたら、大変興味深いサイトに出くわしました。・・残念ながらそのサイトをしっかりチェックしておかなかった為に、サイト名もわからず、その時流し読みしたきりアクセス出来ないのですが・・・このサイトに心当たりの方がいたら教えて下さい・・・・中国人が、日本語で日本人に向けて書いたような内容でした。今日の中国人が何故こんなにすさんでしまったかを中国共産党の軽率な唯物論などから説明していました。

 記憶を辿って書かせて戴きますが、

 中国では、文化大革命の時に、迷信の撲滅運動のようなものがあり、唯物論の観点から、それまで語り継がれていた先人の知恵による言い伝えなどを、中国共産党員は馬鹿にして否定したそうです。軽薄な指導者達は理解出来ないものにはみんな迷信のレッテルを貼って排除し、破壊して行ったとの事です。そのくせ、共産主義だけは、無条件で信じるという、共産主義「信仰」であったと・・・
 それまでの儒教的考え方も仏教的考え方も否定し、笑い飛ばし、「因果応報」なんて事も全く信じなくなった中国人は、生きている現世を楽しむ為には何をしても構わないと思い、罪の意識もなく、見つからなければどんな犯罪をしても構わないという・・他の人に迷惑をかけられるようになった。現代のあの酷いモラルハザードに繋がったのだ・・・と。

 中国の人々全てをその範疇でくくるのは、お門違いです。しかし最近の中国絡みのとんでもない多くの事件を考えると、酷い事を平気でする人間が多く、かなりモラルハザー ドが広がっている事も実感致します。

 中国に限らず、多くの国で、科学の名の下に唯物論が蔓延し、それが真実のように捉えられています。・・・宗教に支配された社会も頂けるものではありませんが・・・・だからと言って唯物論も支持出来るものではありません。唯物論と言ってますが、自分の幸福のみを追求すると言う単なる利己主義でしょう。
 唯物論の名の下に利己主義が蔓延し、それによって多くの社会問題、環境問題が膨張しているのが現代です。

 今日の盲目的に愚かな経済成長主義も、唯物論という名の利己主義的解釈に依るところが大きいでしょう。これほど似非科学の蔓延った社会で、唯物論のみイデオロギーの根拠とする人々は、賢いとは言えません。・・・悪賢いとは言えるでしょうが・・。
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【2007/12/31 00:03】 | 思想 トラックバック(0) |

唯物論……
ハイパーポン太
 唯物論を支えてきた学者たちにも、苦労の歴史があるので安易に批判するのはやめますが、しかし、人間すら物で割り切る社会というのも、ある意味寂しい気がいたしますね。
 最近はやっているオカルトや、江原(霊師のインチキが発覚)や細木のようなインチキがのさばるのも、「心が物化」していく現状に対する反発の一種ではないでしょうか。視聴者だって、彼らの矛盾にはいい加減気が付いていたでしょう。でも、感情的には彼らを認めてしまいたくなる。そんなところではないでしょうか。
 まあ、自分の心が「あなたの思考は脳味噌の中の血流や電気信号の結果です」と言われて、はいその通りですと何の疑問もなく素直に認められる人間が、はたして文明人と言えるのか。

はじめまして
雑草Z
    ハイパーポン太 さん 
 
 いつのまにか沢山のコメント有難う御座います。
 面白いHNですね。何故にそのようなHNを?

今回の記事の趣旨は唯物論の利己主義的解釈への批判です。利己主義というのは、非常に感情的な作用で、唯物論とは、相入れないような概念なのに、唯物論を都合よく使って自己の欲望のために利用するという発想についてです。

>オカルトや、江原や細木のようなインチキがのさばる
のは、
>「心が物化」していく現状に対する反発
と言うよりも真偽眼の問題かと・・
もし、唯物論に対する反発ならば、もう少しまともと言うかハイパー(笑)な概念にいくかと思われます。

なるほど…
ハイパーポン太
 どうやら私の意見は趣旨からは外れていたようですね。
 具体的に、ハイパー(笑)な概念というのはどのようなものかを、参考までに教えていただけますか。

ちょっと臭いですが・・・
雑草Z
    ハイパーポン太さん


>「心が物化」していく現状に対する反発

 は、愛だとか正義だとか哲学だとか、そういう心とか精神とかいう概念を重んずる方向かと考えます。それが、

>オカルトや、江原や細木のようなインチキ

よりはかなりハイパーかと・・・

『ハイパーポン太』さんという『鉄の蝶』とか『鉛の飛行船』に通ずるようなHNのつけ方は面白いと思います。
上のコメントにも書かせて戴きましたが、このHNの由来を
参考までに教えていただけますか?

HNの由来は。
ハイパーポン太
 すいません、HNの由来を無視していたわけじゃあないんですが、書くのを忘れてしまって。
 うーん、由来といえるほどでもないんですが、うちにディフォルメな狸のぬいぐるみがありまして、まあ超(ハイパー)かわいいからということで。

 管理人様は、疑似科学にお詳しいので、私としては自信がないんですが、どちらかというと、今の「すべての精神活動は、脳が生み出している」とする脳科学には、どうもついていけないんですよ、わたし。どお知らかというと、ペンローズなどが語っている脳量子論の方が、まだしも未来性があるかな?とそう思っているんですね。一つ間違えれば、疑似科学につながりかねない雰囲気がある理論ですが、だが、「意識の解明には、量子力学と相対論の統合が必要(でしたっけ?)」とするペンローズの方に応援したくなるんですよね。
 もちろん、ハメロフなる怪しげな医者の言うことを真に受けて、マイクロチューブルなるもので意識が作られると主張するのはいただけませんが、やはり意識の解明には量子力学のさらなる発展が必要とするペンローズの言い分の方が好きなんですね、私は。
 まあ、脳量子論は現状では無視されているようですが、いずれにしろ、それを発展させた何かが出てくるのではないかと期待しているのですよ。
 そういう意味での唯物論に対する反発は、確かに私の中にありますが、だた、許せないのがインチキのくせに美辞麗句を並べ、さもさも自分は霊能力者であるかのごとくふるまっている連中ですね。そして、それを担ぎあげる連中も。
 管理人様のおっしゃる通り、江原にや細木にすぐはまるような軽率な輩は、ハイパーでも何でもないですね…。

唯物論に対するスタンスは、似ているかも知れません
雑草Z
    ハイパーポン太さん

>管理人様は、疑似科学にお詳しいので、

いえいえ、詳しくないです。疑似科学というジャンルがある事を知ったのは、件のThe Black Crowes と言うブログからです。脳科学もほとんどわかりません。
色んな新しい情報をご紹介下さり有難う御座います。

>ペンローズなどが語っている脳量子論

とかも聞いたことがありませんでした。

>「意識の解明には、量子力学と相対論の統合が必要」

と言う考え方も、私には十分唯物論に聞こえます。
そういう意味での唯物論に対する反発はハイパーポン太さんと同等かそれ以上にあるかも知れません。
 唯物論の研究って本質に迫った人類の幸福に繋がる結果を出すようには思えません。寧ろ混乱を招く結果をもたらすのではないでしょうか?

×××× ×××× ×××× ×××× ××××

 HNの由来は、予想よりもほのぼのとしてました。いい感じですね。
 

唯物論と魂は本当に相容れないものなのか?
ハイパーポン太
 思うんですけど、本当に唯物論と魂は相容れないものなのでしょうか?まあ、私程度の知識で脳科学を論じれば、それは間違いなく疑似科学に直行すると思いますんで、あまり詳しいことは書けないんですが。
 脳量子論が科学者たちに嫌われているのは、それが一つ間違えれば「オカルト的な」方面に結びつくからだと思います。結局、「脳がすべて」という科学者にしてみれば、ペンローズの考えはそれを崩しかねないものですから。

 唯物論だけでは人類全体の幸福を実現することは無理でしょう。私自身、輪廻転生の肯定者ではありますが、しかし、それは「量子力学や脳科学がさらなる発展を遂げれば、いずれそれは科学的に証明されるだろう」という立場であり、退行催眠で前世を思い出したとか、子供が前世を語っているとか、そんなのは信頼には値しないと思っているわけです。それはオカルトと同じですから。
 
 まあ、いずれにしろ、自分も、そして親兄弟もすべては単なる物質で、意識は科学信号と電気信号の結果に過ぎませんとしか考えられない人間ばかりになれば、もはや道徳律という概念も維持できなくなるのではないか、個人主義がさらに拡大し、人間(あるいは個人)に都合のいい解釈ばかりする人が増えていくんではないかと思います。

 まあ、科学万能主義を唱える人間ほど、「科学哲学」に関する知識は持ち合わせていないという話を聞いたことがあります。というか、まともな科学的思考ができる人であれば、そもそも科学万能主義者にはならないでしょうが。

魂と唯物論は、相容れなくはないでしょう
雑草Z
 今回のコメントの後半は、記事本文の肯定的ご賛同と捉えさせて戴きました。

>まともな科学的思考ができる人であれば、そもそも科学万能主義者にはならないでしょう

は私もその通りだと思います。理性的な科学的思考であれば、科学の限界もしっかり認識できる筈で、
 科学には無限の可能性があり、限界はないという、かつての軽率な流行文句を真に受けたりはしないでしょう。
科学万能論によって、環境問題の対策は技術だけで何とかなるという安易さは極めて愚かな危険な発想でしょう。 

ちょい異論あり
バッジ@ネオ・トロツキスト
唯物論の定義に異論あり。
唯物論は、タダ物論や物神崇拝思想と峻別しなければいけないと思いますよ。
この点でもマルクスの思想や理論は、20世紀的なエセマルクス主義と峻別されるべきだと思いますね。あと、機械的唯物論は物神崇拝思想化しますから、このへんも要注意。

それから、思想的立場の左右を問わず共有されている科学万能論は価値論不在の事実認識至上論ですから、科学万能論に対しては価値認識について問い詰めてやると面白いですね。

科学万能論者や実証主義者には、「価値からの自由」なる思想的立場がいかに非人間的なものであるか理解させる必要があると思います。

Re:ちょい異論あり
雑草Z
哲学的な議論はしたくありません。当方は、唯物論の定義とか哲学的な話は詳しくありませんし興味もありません。
バッジ@ネオ・トロツキスト さんは哲学にお詳しいようですね。哲学論議をされたければ、その手のサイトで為されて下さい。
 ここの記事はあくまで
 唯物論の利己主義的解釈の危険性、批判に留まらせて戴きます。 悪しからず。
 

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2007-12-25 01:01
 かなり以前から、日本ではクリスマスを祝っていました。キリスト教でもないのに変ですねえ・・・でも神仏混合の例もあるように、無節操なのが日本の宗教で、それが悪い事とも言えません。自分達の神こそ唯一とばかりに宗教で戦争するよりはずっとましでしょう。・・って、日本のクリスマスを、宗教の観点から語るのは、お門違いですね。商業や経済で語ったほうが現実に則します。

×××× ×××× ×××× ×××× ××××

 幼い頃、クリスマスは普通の子供の例に漏れず、サンタクロースからのプレゼントが楽しみだったような気がします・・・きっと2,3回しか貰ってないと思いますが、そのプレゼントで覚えているのはたった一つです。・・・それは、テレビです。当時家には白黒テレビが1台、1階の居間にありましたが、2階の部屋にも欲しいなと幼い頃・・・自分で言ったのか母がそうしろと言ったのか定かではありませんが、何日か前から母とサンタさんにお願いしていました。 前の日あたりになって
「やっぱりテレビはいらないから、別な○○が欲しい」
と言ったら、母は
「・・同じものをずっとお願いし続けなければサンタさんはくれないよ。・・」
って、テレビをお願い続けさせました。・・その甲斐あって、クリスマスの朝には、テレビが2階の寝ていた部屋に置いてありました。とっても小さな白黒テレビです。別に私のものという訳ではなく、家族で見ました。
・・・そう、サンタクロースにお願いするものは、家族みんなで使うものがいいのです。・・特に母がいいと言った物がいいのです・・・そして、直前に変えてはいけないのです。



 家の子が幼いときにクリスマスの朝、下げておいた靴下の中を見て言いました。
「サンタクロースも、字を読み間違えるんだね・・・『おてがみセット』と書いたのに、『おりがみセット』が入っている。サンタさんもダイソーから買うのかな?これダイソーに売ってるやつと同じだよ・・・」
 きっとそのサンタはクリスマスプレゼントなんて習慣やりたくなかったけど、どこから覚えて来たのか、子供が靴下を下げたので、仕方なくダイソーから買って来たんだな。

 まあ、前置きの思い出話はこれくらいにして・・・


×××× ×××× ×××× ×××× ××××

 アメリカあたりではかなり以前からクリスマスの頃に個人の家を電飾するなんてあったみたいですが、日本ではバブルの時代でも個人の家が夜に家の周りを電飾するなんてなかったように思います。少なくとも私の住んでいた田舎ではありませんでした。・・せいぜい家の中を飾るくらいではなかったでしょうか。それが今では、クリスマスの電飾は、年々派手になっています。個人の家で競って派手な電飾をして、名物になっている街もあるようだし、私の住んでいる田舎町でさえ、チョッとしたお店や個人の家でも派手に電飾しているのを見掛けるようになりました。
 ・・・省エネなんてありゃしない・・・。


 日本でのCO2削減計画は、企業努力はかなり進んでいるけど、個人の家の排出量は無節操に増え続けていると言う事で、政府は、個人の家の削減を目標に掲げました。それなら、クリスマスの電飾なんて禁止すればいいでしょう。禁止しないまでも、炭素税でも沢山取ればいいでしょうに。結局経済効果のあるものは何も禁止出来ないならCO2排出削減目標なんて無理でしょう。
 実際は政府も既にノルマ達成は諦めて東欧諸国から排出権を買う契約を始めています。・・・それも破綻しかけている財政からの支払いです。愚策もいいところです。

 因みに深夜電力は余っているからいいだろう・・・と言う方がいますが、それは、フットワークの重い、発電量を変えると事故に繋がりやすい原発を止められないからです。夜の電飾を派手にする為などに原発を続けるなんて、狂った政策としか言い様がありません。

×××× ×××× ×××× ×××× ××××


 クリスマスは、アフリカなどの多くの国でも祝うと言うから驚き呆れます。まさにグローバリゼーションの賜物でしょう。どこの国でも経済効果としてクリスマスを利用しているのでしょうが、こんな事に躍らせられて資源の浪費をするのもそろそろ止めにしましょうよ。
一週間前に閉幕したCOP13ってなんだったのでしょうね。

 
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【2007/12/25 01:01】 | 思想 トラックバック(0) |

公共の電飾
天地 はるな
私もクリスマスイルミネーションには、反対です。
でも個人の家には、なかなか言えないですよね。
公共の土地にクリスマスのイルミネーションを見ると、「ご意見箱」に書くようにしています。
言わないと分からないんですよね。
言っても分からないか・・・ 。_| ̄|○


省エネの意識
雑草Z
 環境問題に関する意識が高まって来たのも事実ですが、省エネの意識は、家計費の圧迫以上に考えられない家庭も沢山あるのだと思います。そういう意味で、深夜の電力を安くする必要はないでしょう。(深夜電力こそ、無駄遣いの場合が多いのではないでしょうか?・・・本文にも書いたように深夜電力が安いのは主に原発によるものです。)
 個人が個人の家にクレームしても親しい間柄でもないと、軋轢が生じます。クリスマスイルミネーションなんて法律で禁止してしまえばいいのに、逆に、役所の前や街路樹も電飾する自治体が増えてきている始末です。
無駄遣いしてまで経済効果・・・という発想はなくなってません。と言うより、
無駄遣い=有効な経済効果
という図式が出来上がっています。


Anthony
派手なパチンコ屋の電飾も、消滅して欲しい...



夜景がなくなるのは淋しいですが・・
雑草Z
 パチンコ屋に限らず、色んな電飾は止めるべきときでしょうね。
 新宿、渋谷、ラスベガス、ニューヨーク、パリ、上海・・・世界中の繁華街の夜のネオン街がなくなれば、きっと淋しくなるでしょうけれど、そんな悠長な事を言っている場合じゃない事を人類は近いうちに思い知るでしょう。

 ×××× ×
 
Anthony さん。ようこそ、nao氏ではなく、今回は Anthony氏なのですね?!


mao
クリスマスの電飾を見ると、その美しさへの感動と、(短絡的ではありますが)豊さを感じます。環境保護の観点からすると無駄なわけですが、楽しみの排除は世論を動かすにあたり有効な手段とは思えません。イルミネーション規制の前に危険な原子力発電をやめ、結果的にイルミネーションの意味を考えざるをえない状況を得るほうが、分かりやすいかもしれません。

電飾すら止められないようなら、望みなしでしょう。
雑草Z
 私も、夜空の星よりも、街のネオンのほうが好きですし、都会で夜通し遊ぶのも好きでした。
 しかし、そういう生活が持続不可能な破滅への道なら話の次元が違います。現在ですら、放射性廃棄物の捨て場はありません。原発やってまで発電する必要のあるものなんてありません。クリスマスのイルミネーションなんて問題外でしょう。
 そう意味でも、確かに、原発を先に止めてしまうほうが、有効な方法ですね。


 現在の環境問題は、地域の環境保護なんていうレベルのものでは済みません。
 私は予言者でも霊能者でもありませんから、はっきり「いつ」とは言えませんが
現在の世界の繁栄や経済やスポーツの馬鹿騒ぎは、滅びる前の花火のようなものでしょう。今までこのブログに書いている通りです。

 世界が完全に隔離出来るなら、
経済発展を目指し、クリスマスには盛大に電飾する事が好きな人々だけで世界を作って勝手にやっていれば・・と言いたいところですが、世界はグローバルに繋がっています。一蓮托生です。
 クリスマスの電飾ですら止めないで、省エネとかCO2削減とか言っても効果は知れたものでしょう。それでいてCO2排出権を外国から買う政府を認める訳にはいきません。
 

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2007-07-17 20:58
前回、【アメリカ インディアンの言葉】でもかいたように、自然の摂理に対する的確な感性を持っている民族は、他の生物に対しても、他の民族に対しても共存共栄の思想があり、包容力がある分、好戦的でなく自然の摂理に対する感覚が欠如しているエゴの強い、征服欲の強い民族に滅ぼされて来た歴史があります

 前回は白人が、アメリカ・インディアンを滅ぼした事について書きましたが、日本人もアイヌを滅ぼしたと言われています。
 どこから先住民と呼ぶかは、解釈に議論の余地があるところですが、一般に先住民と呼ばれる人々は、長い歴史を生きて来ただけあって、他からやって来た征服好きな民族に滅ぼされない限り、持続可能な社会を築いて来ました。アメリカ・インディアンもアイヌも戦争したと言うよりも、侵略者に一方的に攻撃されたと言うべきでしょう。それを滅ぼした白人、日本人は戦は強かったかも知れませんが、自然の摂理に対する感性を失い、自然の一部として生きなくても大丈夫と勘違いする人間が沢山現れて、確実に破滅への道を辿っています。

 自然と共生する気持ちの強かった日本人が、アイヌと共生して、その生き方に学ぼうと言う者が少なかった事は、重ね重ね残念です。当時の指導者が悪かったのでしょう。

 アイヌの人々は、地球規模の環境破壊なんて起こる以前の、豊かな生態系が残っていた時代に、しっかり生物どうしのつながりを大切にし、自然の摂理を大切にした生活を実践していたのです。

 アイヌの里二風谷に生きて (アイヌ・・・萱野茂 の言葉)
 を読むと、なんと自然の摂理をしっかり理解して生活していたか、驚きます。食べ物を採取するときも全部は採らず、植物は根から掘り起こさない・・・現代の乱獲と比べると理想的な採取です。
 自然の摂理から学んだ生活の知恵を小さな子供に教えるときは、昔話と称して、代々伝わっている民話を教える・・・現代で言うところの迷信でしょうが、これは経験から得られた素晴らしい感性に裏打ちされた、ある意味、しっかりとした科学です。これを迷信といって切り捨てたなら、現代科学のなんと愚かなことでしょう!現代の似非科学とは比べ物にならない先人の知恵が詰まっています。

 生存競争もある意味自然の摂理でしょう。そして、先住民をあまりに理想化する必要はないかも知れません。
 しかし、平和だとか、協力だとか、共存共栄とか言う言葉を安っぽく使う現代の似非指導者達よりも、今こそ真摯にアイヌの生き方に学ぶべきでしょう。
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【2007/07/17 20:58】 | 思想 トラックバック(0) |

いつも愛読させてもらっています。
debater in the making
今回の記事に対するコメントとしては少々不適切なのですが、最新の記事ということで、このブログに対する意見(感想?)を書かせて頂きます。

今回始めてコメントをさせていただきますが、このブログはいつもとても参考にさせて頂いています。
僕はEnglish debateをやっているのですが、、English debateの議題では
We should abolish nuclear power plant
等といった環境などに関する議題が往々にして出ます。
そして、debateではよく大雑把に言って環境が大事か経済(今の生活など)が大事か・・・という論点になります。
debateの論点としておかしくは無いのですが、このサイトを見ていると、どちらが大事なのかは一目瞭然なのになあ・・・とよく思います。

もし機会あれば、こちらのブログの意見を参考にdebateしてみたいと思います。
「原発を全面廃止し代わりの発電手段は設けない。人間が生活水準を落とせばよい」という風に。
(実際のdebateでは「原発の代わりに〇〇を使ってまかなう」などが多いです。)

ところで、柏崎の原発事故があった今、もっと多くの人が原発という物により大きな不信感を抱いてくれればいいものですね。
そしてそれが別の手段を模索するという愚かな行為の切欠になりませんよう・・・





原発は、世紀の愚行である事を是非ディベートで主張して下さいね。
雑草Z
 はじめまして。いつもご愛読とのこと、有難う御座います。

debater in the making氏が、このコメントを書いているとき、偶然にも次の柏崎の原発の記事をアップしたところでしたね!

>「原発を全面廃止し代わりの発電手段は設けない。人間が生活水準を落とせばよい」という風に

ディベートして頂くのは結構な事ですが、
「生活の水準を下げる」
と言う言い方ではなく、
「無駄なエネルギーの浪費レベルを下げる」
と言う風に言って下さいね。
現在日本、世界中で消費しているエネルギーの半分以上が必要のない浪費レベルのエネルギーです。
エネルギーの浪費が生活水準に比例していると言う考え方は、いかにも「GDPが豊かさの指標」と言うプロパガンダに洗脳されている言い方です。
 因みに、原発のあるところには必ず補助の火力発電所があるので、原発稼動停止してももっと有効にエネルギーは使えます。
 仮に原発が稼働中に事故を起こさないと考えても、

>「原発の代わりに〇〇を使ってまかなう」

と言う代替案は、必要ありません。それは「エネルギー算出比」を検討すればわかります。以前の記事でも触れていますが、次の記事(明日7月21日アップ予定)で書きますので、読んでくださいね。



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2007-07-15 21:04
 前回、自然の摂理の感覚が麻痺した人々が増えていることを指摘いたしました。
 持続可能な社会を考える場合の問題点は、自然の摂理の感覚を持っている人間のほうが、持っていない人間より強いとは限らない事でしょう。いや、往々にして、自然の摂理に対する感覚が欠如している人間の方が、強く、悪賢く、自然の摂理に対する感覚のある人間を滅ぼしてきました。有名な例が、アメリカ・インディアン(NA) を滅ぼした白人達でしょう。


 自然の摂理を感覚でしっかり身につけたアメリカインディアンが、白人に滅ぼされる前に白人に言った言葉は圧巻です。

 シアトル首長のアメリカ大統領への手紙(1854年)
 

 シアトル酋長の言葉(同上)
 父は空、母は大地

父は空、母は大地〈解説)

 こんな100年以上も昔に環境問題の本質をズバリ言い当てているのですから、アメリカ・インディアンのほうが白人より賢いと言えるでしょう。自然の摂理に対する感性の鋭さは素晴らしいものがあります。持続可能な社会の条件も当然の如く知っています。意識的な自然との共生という考え方よりも、もともと人間は自然の一部に過ぎないことを悟っています。自然を畏怖する心があるから、こう言う感覚は文化とともに伝わっていたのでしょう。アメリカ・インディアンは常に七世代先を見ながら行動していたといいます。先進国と言われている国の人々で、さすがに次の世代の事を考えている人はいるでしょうが、二代以上先の事を見据えて行動している人がどれだけいるでしょう?

 賢いけれど、ずる賢くはなかったので、ずる賢く強いキリスト教徒に滅ぼされてしまったのでしょう。
   
 現代の環境問題がなんとかなると言うオプティミズムは効きません。だって、実際白人たちは、卑劣な残酷なやり方で、インディアンを滅ぼしたのですから、自分達が滅ぼされないと言う漠然とした楽観主義は、愚か者のたわごとでしょう。

 大地を害すれば、必ずその者は滅びるだろう。』
という酋長の言葉は、脅しでもなく、迷信でもなく、自然の摂理を感覚で知っている賢者の言葉でしょう。

 経済成長に洗脳された愚かな世界の指導者たちは謙虚に
アメリカ・インディアン(NA)の言葉をしっかり学んで欲しいものです。
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【2007/07/15 21:04】 | 思想 トラックバック(0) |

マヤ文明
天地 はるな
今日、NHKでマヤ文明の特集を見たのですが、彼らは、自然をうまく利用し自然と共存していました。
中には、人口が膨れ上がった国家もあったみたいですが、そんな国家は、消滅していました。
2000年も自然と共存した彼らを絶滅状態にしたのは、ここでもキリスト教徒の国、スペインでした。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/070715.html


歴史に学ぶとは
雑草Z
マヤ文明は、やはりアメリカ大陸(中央アメリカ)ですね。先住民はインディオと呼ばれてますね。北米のアメリカインディアン(NA)が滅ぼされた経緯とかなり共通点がありますね。

 私が今年の春にかけて読んだ
『文明崩壊 滅亡と存続の運命を分けるもの』
             ジャレド・ダイアモンド著
にもマヤの崩壊の原因が、
 過剰な人口増加による戦争と旱魃などと著者が分析していましたが、その後のスペインの占領の事はあっさりとしか触れられていません。主題との趣旨が違う事もあるのでしょうが、著者がアメリカ人であることから、白人をあまり悪役にしたくないのかも知れません(苦笑)。

 キリスト教は、宗教の中でもストレートに多産を奨励する宗教で、ヨーロッパでの人口増加を新大陸への移民政策で解決しようとし、また、新大陸を植民地化していきました。そこには先住民に対する配慮がありません。ただの征服の対象で、悪役でさえあります。酷いものです。
 日本の神道のような多神教のほうがずっと寛大ですね。

 歴史を学ぶとは(私は高校時代、世界史は赤点だったような・・・)いつ何があったなどという史実を覚える事ではなく、「歴史に学ぶ」つまり、歴史で起こった事を現代に生かす事でしょう。何故文明が滅びたかしっかり分析し、同じような誤った道を辿らないようにするのが人間の知恵でしょう。
 マヤ文明の崩壊原因は、人口増加による食料不足とキリスト教徒の進出というグローバル化でしょう。
 まさに現代の世界の社会、環境問題を大きく反映している筈です。
 

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