-------- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
←読んだ甲斐があったと思ったら、ここをクリック願います
(少しだけのときは片方、かなりのときは両方)

2013-04-29 00:01
 これまで、農薬の化学物質を売ってお金を儲けてきたモンサントをはじめとするバイオ化学企業は、その過去を反省せずに棚に上げて、今や農薬に反対する立場に翻りました。曰く
「殺虫剤や除草剤が環境に大きな負荷をかけながら食料生産を続けてきましたが、植物バイオテクノロジーが工業と化学物質の地球に対する汚染を抑制できると信じています。例えば、害虫に対する耐性を持った作物を産み出した事により、殺虫剤が殆どいらなくなったと言って過言ではありません・・。」

つまり、バイオテクノロジーで儲ける為に、これまでに自ら先頭に立って大量に地上に撒き散らして来た農薬、除草剤等の毒物を使う農業をやめようと主張しているのです。何とも身勝手な企業です。長年の検証もなく、バイオテクノロジーが工業と化学物質の地球に対する汚染を抑制できると本当に信じているのならば、かなり御目出度い人々です。信じていずにこのような美辞麗句を並べているならば、相当な偽善企業です。


遺伝子組み換え作物も、「従来の生態系の中に入り込んでくる新たな生物」と言う意味で、外来種による生物汚染と似ています。そして外来種よりも遥かに脅威があり、「遺伝子組み換え汚染」と言われています。

外来種による生態系への侵略問題には色々なケースがあります。もともとそこにいた生物を食べしまったり(ブラックバスやマングースなど)、在来の種から食べものや生息環境を奪ったり(タイワンリスなど)して、その土地の在来種を駆逐し生態系を壊してしまいます。また交雑によって、遺伝子汚染が起こり、種としての純血と病気等に対する抗体が失われる恐れもあります。(タイワン猿と日本猿の交雑など)。それまでその場所に存在しなかった他の地域の病気や寄生性の生物を持ち込む事も起こります。生物多様性の破壊や、農業漁業への影響、人間の健康への影響などが心配されています。
 しかし、これらの外来種は、その土地では外来種でも、地球のどこかに生息していた「地上の在来種」と考える事も出来ます。それに対し、遺伝子組み換え生物は、今まで地上のどこにも存在しなかった種です。地球の「在来種」とは言えません。生態系への影響は、外来種よりも遥かに大きいと考えて然りでしょう。モンサントなどのバイオ企業は、これから沢山の遺伝子組み換え生物・・・微生物から、大きな動植物まで・・・を野生に放とうとしているのです。その中で、ほとんどの・・・99.9%以上の遺伝子組み換え作物が安全だとしても、たった1種の危険な遺伝子組み換え作物が1つだけ世界に放たれただけで、生態系は取り返しのつかない状況まで追い込まれる可能性がある事は想像に難くないでしょう。非常に恐ろしい事です。
そこまで危険ではなくとも、例えば害虫耐性遺伝子が、交雑などによって雑草に移る可能性も十分にあり得るでしょう。そうなれば、害虫耐性も農業にとっては害悪に変わるのです。そして、その雑草を殺す為の更なる除草剤や別の害虫耐性遺伝子の開発など、多国籍バイオ化学企業が更なる商品を売り出して儲ける事になりましょう。・・・彼等ははじめからそれを目論んでいるのかも知れません。つまり、遺伝子組み換えは、バイオ化学企業のマッチポンプの繰り返しパターンを作るのに最適と言えましょう。

モンサントなどの多国籍バイオ企業は、「十分に安全性が確認されてから、栽培して売り出している。」と、言うでしょうが、そんな筈がありません。まともに安全性が確認されるまでには、長い年月を必要とされるでしょう。その作物自体も、人間をはじめとする他の生物への影響も、何世代も先まで見なければ結論は出せませんから、少なくとも10年単位の年月(数十年~百年以上)は必要でしょう。だから、本来遺伝子組み換え作物は、利潤を追求する民間企業でやるのは無理でしょうし、やるべきでもないでしょう。実験的農場も、かなりしっかりと隔離されなければ、在来種との交雑も十分に起こり得るでしょう(実際に起こっています。・・・)。
 

さて、化学物質による汚染と遺伝子組み換え作物とどっちが恐ろしいか考えてみます。
石油化学物質による広範な使用による汚染は、既に取り返しのつかない状況まで来ています。その意味では、現時点では化学物質の汚染のほうが深刻でしょう。しかし、化学物質による汚染の場合は、製造をやめて放出を止めれば、拡散はあってもそこで拡大は止まります。(薄められて濃度が下がったとしても拡散する事は、それはそれで問題ですが・・・)
遺伝子組み換え汚染の恐ろしいところは、たとえ環境への放出が少量だとしても、遺伝子操作された生物が自ら増殖して行くところです。最初は指数関数的に増加して行くと言えましょう。1年で10倍に増えたら、2年で100倍、3年で1000倍です。(彼等にとって増加の空間が無限とみなされなくなった途中からジグモイド関数的に増加は緩やかになります。)生態系への影響は計り知れないものがあるでしょう。化学物質のように、放出をやめたからと言って拡大が止まるわけではありません。増殖能力と生命力が強く、環境に大きな悪影響を及ぼす種が一つでも環境中に放出されただけで、生態系は大きく破壊され人類は存亡の危機に立たされることになるでしょう。その可能性を誰が否定出来ましょうか?バイオテクノロジーはそこまでのリスクを冒してやるべきことではないでしょう。
←読んだ甲斐があったと思ったら、ここをクリック願います
(少しだけのときは片方、かなりのときは両方)

【2013/04/29 00:01】 | 生態系 トラックバック(0) |

遺伝子組み換え汚染
guyver1092
 ネット上で検索したところでは見つけられませんでしたが、過去に新聞記事か何かで既に雑草への遺伝子汚染が確認されたというのを読んだ気がします。これが私の記憶違いなら良いのですが・・・・

Re:遺伝子組み換え汚染
雑草Z
    guyver1092さん

 雑草への遺伝子汚染が進んだら大変ですね。モンサントなどバイオ企業は、遺伝子に特許を取って、農家を訴えたりしているのだから、逆に遺伝子汚染が起こった場合、遺伝子を調べてバイオ企業に対して損害賠償を起こす権利もあると思います。・・・お金で解決のつく話ではありませんが・・。


コメントを閉じる▲
2010-04-17 00:04
現在世間で使われている「エコ」と言う言葉には嘘っぽい響きがあります。テレビでもラジオでも新聞でも、恥ずかしくもなく「環境にやさしいエコ」などと言う言葉を、全然環境によくない物事に使っています。エコ替え、エコ住宅、補助金減税・・・みんなEcology の意味の積りで、その実態は Economy そのものです。経済中心の似非エコ、偽エコばかりです。その為に「エコ」と言う言葉には偽善ぽいイメージが出来てしまい、深く環境問題を考えている人の中には嫌悪感を抱いている人も沢山いる事でしょう。
 
エコロジー[Ecology]の本来の意味は「生態、生体環境」と言った意味です。これはヘッケルと言う生物学者が「生物の棲家の学問」と言う意味で名付けた事になっているそうです。つまり、本来エコロジーは、生物集団の学問と言う意味で、生物相互の関係を扱うものです。 環境問題の本質は、生物集団が作る生態系が安定するかどうかでしょう。

 動物の排泄物や死体はその動物の種にとっては汚染ですが、他の種の菌類や細菌類にとっては栄養、つまり、エネルギー源や体を作る物質になるのです。
同様に、枯れ葉や落ち葉、朽木のような植物の死骸はその種の植物にとっては汚染ですが、小動物や菌類、細菌類などにとっては栄養です。
 栄養として小動物の体の中で分解された植物の体は、次の生物に引き継がれ、その度に次々に中間生成物が小さい分子に分解されていき、最終的には無機質と水と二酸化炭素まで分解されて、また植物の栄養になるのです。
だから植物だけでも動物だけでも、菌類、細菌類だけでも生物は生きていけないのは勿論の事、少ない種類の生物だけでも、生物は生きていけません。生態系が豊かと言う事は多種類の生物が共生している状態であり、豊かな生態系でなければどの生物も存在できないのです。
そのような豊かな生態系を保つことを考える学問が本当のエコロジー[Ecology]です。
その本来の意味でのエコロジーには、全く嫌悪感を覚えません。嫌悪感どころか、謙虚に敬意を感じます。・・・これが自然崇拝の原点ではないでしょうか?

 現在の似非エコ運動では、環境問題は解決などする筈がありません。解決どころかますます悪化するばかりです。早く、本当の意味での エコロジー=生態系の共存 豊かな生態系を保つ事を考えたエコロジー運動に戻るべきでしょう。・・生態系が壊されて再生不能になる前に・・。

 関連記事 【生態系の維持


参考文献
近藤邦明 著  『温暖化は憂うべきことだろうか』  第1章 生きている地球   
槌田敦 著   『エントロピーとエコロジー』    第4章 生きている地球
←読んだ甲斐があったと思ったら、ここをクリック願います
(少しだけのときは片方、かなりのときは両方)

【2010/04/17 00:04】 | 生態系 トラックバック(0) |

強欲
guyver1092
 エコロジーに関心を持つ人が増えるということは、多くの人々が心のどこかでこのままでは危ないと感じているからと考えます。
 ただ上々氏がたびたび指摘されているように、多くの人は考えていないに等しいレベルでしか物事を考えていないようです。その隙間を強欲な者が突いているのが、現在のエコブームでしょう。ひょっとしたら安心したくて、自分をだますためかもしれませんが。
 この原因がものごとを考えないことならば、教育システムを変えていくべきでしょうし、自分をだましているのなら、右翼の大好きな言葉の「精神力」を鍛えるべきでしょう。(不幸や悲劇の迫ってくることを認められる力という意味で右翼が使っている意味とは違う気がしますが)

現状認識
雑草Z
    guyver1092さん

 おっしゃるように

>エコロジーに関心を持つ人が増えるということは、多くの人々が心のどこかでこのままでは危ないと感じているから

でしょうね。そのEcologyが政府や企業によって、経済発展という名の企業が儲ける為のEconomyにすり替えられているのが現状ですね。


>教育システムを変えていくべき

その通りですが、その為には文部科学省の方針を変えなければなりませんが、企業べったりの政府がどもまで改革出来るでしょうか?・・・文部科学省の方針など当てに出来ないのなら、草の根運動で教育システムを変えていかなければなりませんが、そのような意識のある教育者はどのくらいいるでしょうか?・・・現在の教育は企業戦士を育てる事に重点が置かれているようです。教育のスポーツ偏重なども企業戦士教育に結びついていると考えます。


>自分をだましているのなら、右翼の大好きな言葉の「精神力」を鍛えるべきでしょう。

これまたユニークな物言いですね!・・一つ前の記事【エコに踊らされる人々】へのコメント、<安心したい人々>の補足説明ですね?この辺、精神安定とのバランスが鍵ですが、現状をしっかり見つめなければなりませんね。
guyver1092さんのさらなる補足説明をお聴きしたいところです。


生物がいなければ環境もない?
上々
ちょっと話題がはずれますが、
エコロジーは生態学なんで、生物がいなければ生態もないですね。
さて、地球以外のほとんどの星には生物はいませんが、もしも月や火星に鉱物資源があるとして、それを掘り出して地球に運ぶようになれば、月や火星の環境破壊になるでしょうね。
そうすると月や火星の「エコロジー」って言うんでしょうか。

生物がいなくても、その星の「環境」と言うのはありますね。
そうすると「エコロジー」という言葉も適切ではないのかもしれません。

「生態」だけを考えると言うのも生物としての人間の思い上がりなのかもしれません。

ちょっと変な切り口で失礼。

勿論、生物がいなくても環境は存在するでしょうが・・
雑草Z
    上々さん

 私も、議論に於いて例外を考えるのは好きな方です。

>エコロジーは生態学なんで、生物がいなければ生態もないですね。

勿論その通りだと思います。


>そうすると月や火星の「エコロジー」って言うんでしょうか。

本来の意味での Ecology を使うのは不適切だと思います。本文に書いたのは

>エコロジー[Ecology]の本来の意味は「生態、生体環境」

という事ですから、月や火星に生態系が無い限りその本来の意味での「エコロジー」という表現を使うのは不適切でしょう。月や火星の「環境」という言葉は普通に使えると思います。

 英語で「環境」は environment
「環境問題」は environmental problems

 です。その意味での「環境の破壊」は月や火星でもあるとも言えましょうが、本来のエコロジー[ecology]の問題ではないでしょう。 

 他の生物の事を考えずに人間の生存環境の事だけを考える事は「人間の思い上がりだ」・・と言われる事はあるでしょうが、(・・他の生物無しでは人間が生きられないのでおかしな発想ですが・・だからこそのEcologyでしょう・・)

>「生態」だけを考えると言うのも生物としての人間の思い上がりなのかもしれません。

とは全く思いません。生物がいるからその生存の為の環境が必要なわけで、生物がいなければ、無生物の火星や月(・・ガイアのように月や火星を生物と考えない場合・・)の環境がどうなろうと誰も何も不都合はないし、感じないし・・・「環境破壊」という概念事態が無意味です・・・というかありません。「環境問題」という概念はあくまで「人間にとっての」もしくは「生物にとっての」という事が無ければ、定義のしようがないでしょう。
 生物が棲まない無生物としての月や火星が何らかの原因でその形態を大きく変えられても、生態系の存在する地球などに影響が無ければ、Ecologyの問題ではないと思います。環境問題とも言えないでしょう。

 でも、これは「認識するものがいない場合の環境」のような哲学的領域の話かと思います。踏み込んでも仕方ないと考えます。



 関連して余談ですが
月や火星の資源を開発する・・というような事は、非常に愚かな人間の自滅行為だと考えます。

>月や火星に鉱物資源があるとして、それを掘り出して地球に運ぶようになれば、

 このような事は、それこそEPRが良くない風力発電や太陽光発電とも比べようもないくらいEPRがお話にならない事です。ただの地球の環境破壊です。例えるなら、エベレストの山頂におにぎり一個あって、または一握りの鉄鉱石のかけらがあって、それをわざわざ日本からヘリコプターに乗って取りに行くよりも遥かに愚かな「資源獲得」でしょう。
 技術の問題ではなく、重力場からの脱出という物理的根本原理で無理です。

 計算方向が逆ですが、地球からの脱出速度のデータを元に、他の星からの資源の持ち込み・・という事が如何に割に合わない愚行か・・などを論じた記事が
【宇宙開発を考える程のばかでなし】2007-5-17
http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-169.html  です。


Re:現状認識
guyver1092
 「強欲」でしたコメントはご指摘の通り、雑草Zさんが「エコに踊らされる人々」で指摘した環境問題に関心が高まっているのに、現実の環境に役立つ対策がほとんどされないことの原因となる、人々の認識を推測してみたものです。
 一つ目は、感情のみで現状を処理してそれらしいことを吹き込まれたら、それを信じ込んでしまう、悪い言葉でいえば馬鹿というのをオブラートに包んで言ったのが「強欲なものに隙を突かれる」という表現です。
 二つ目の「安心したくて、自分をだますため。」というのは、現在のエコ政策が役に立たないのを理解しながら、現在の自分の生活を変えたくないのでわざとだまされるという困った人々がいるのではないかと考えました。もしそうなら、これらの人は、認めがたい真実を認める心の強さが必要と考えました。この強さのあることの表現としては「精神力」なのでしょうが、この言葉はあまり好きではないので、「右翼の好きな」という茶化した表現にしました。
 じつは「惑星開発委員会」も入れようかと思ったのですが、あまりにしつこくなるのでやめました。

相変わらず非常に凝ってますね。底が見えないくらい深さです。
雑草Z
    guyver1092さん

>環境問題に関心が高まっているのに、現実の環境に役立つ対策がほとんどされないことの原因となる、人々の認識を推測

 例によって、タイプ別パターン分けですね。このシリーズいつも楽しめますが、最近深読みしなければならない部分が多々ありますね。

一つ目は   「強欲なものに隙を突かれる」
 勿論、環境問題を隠れ蓑にEcologyとは名ばかりで、殆どEconomy、自分達の利権、儲けの為に「エコ」を唱える強欲な者に踊らされている「善良な(お馬鹿な)市民」をオブラートに包んで表現したのですか!!


二つ目
 >現在の自分の生活を変えたくないのでわざとだまされるという困った人々がいるのではないかと考えました

わざと騙される・・・というよりも、現状に目を背ける、目をつぶる・・・と言うニュアンスでしょうか。
それなら沢山いるでしょうね。
 現実の環境破壊に対峙すると、発狂しそうなくらい酷い現実がそこここにありますからね。騙されなくても、まだ大丈夫、何とかなる・・・というオプティミズムは持ちたくなりますね。

>認めがたい真実を認める心の強さ

これは確かに必要ですが、現状を把握すると逃避、退行したくもなりますね。
 

>この言葉はあまり好きではないので、「右翼の好きな」という茶化した表現にしました。

おお、なるほど、そう言う事でしたか・・・今回の御説明で、よくわかりました。その言葉が嫌いな guyver1092さんに非常にシンパシーを感じます。

 
guyver1092さんの表現は非常に凝っていますね。言葉のあやの妙ですね!微妙な意味を載せる簡潔な言葉の選び方が独創的です。
 

こちらに返答を
アルテミス^^
コメントが遅くなりまして失礼いたしました
こちらこそ宜しくお願いします^^

Re:こちらに返答を
雑草Z
    アルテミスさん

 遡ってこの記事への返答ですが、何故この記事だかよくわかりません(笑)この手のお気遣いなく。

コメントを閉じる▲
2010-04-09 00:04
現在、地球の生態系は各地で破壊されてぼろぼろです。これだけ生態系が破壊された現状は危機的です。生態系の回復が何よりも先に取り組まなければならない環境問題です。いつまでも役に立たない二酸化炭素削減などと寝ぼけたような事を言っている時ではありません。
年々壊されていく生態系を回復する方法を考えてみます。豊かな自然環境の中の豊かな生態系を回復していきたいものです。


生態系が完全に破壊され尽くす以前に人類が滅びてしまえば、問題なく生態系は回復するでしょう。人類は生態系の一部であるし、生態系が破壊されたら人類も生きていけませんが、人類がいなくても生態系は循環を保つ事が出来るし人類がいない方が生態系は豊かになると考えられます。(・・勿論数のバランスなどは大きく変わるでしょう・・・)こう考えると人間はつくづくガイア地球の癌細胞だと感じますが、人類も生態系の中でしっかり生きて、なお且つ破壊されてしまった生態系を回復する方法を考えてみます。・・人間以外の生物の為の地球、またはガイア地球を救う・・という考え方もあるでしょうが、ここでは、人類が共存している地球の生態系の回復を考えてみます。
これまでのように、生態系から離れていく事を進歩とするような科学妄信は終わりにしなければなりません。先ず、人間社会が生態系の一部になりきる事が必要条件でしょう。つまり、人間の生活で使うもの全てを、生態系の循環に回す事が基本です。生態系の循環に回らない物は使わない事です。外部からエネルギーの注入が無くても自然に循環するのが基本ですが、人間が手を加えて循環させる場合も、システムは出来るだけ簡単なものがいいでしょう。その場合、エネルギー供給源も大げさなエンジンを使うのではなく、人力で出来る範囲内がいいでしょう。とにかくシンプルな小さなシステムがいいでしょう。なるべく地下資源を使わない、特にプラスチックのような石油化学製品は使わない事です。

(人口)×(1人当たりの環境負荷)=(人類の地球に対する環境負荷)
ですから、人口が増え過ぎた現在では、人口も減らさざるを得ないでしょうし、1人当たりの環境負荷も減らさなければなりません。この積の値を一桁以上減らさなければならないでしょう。
この人口全ての環境負荷は、アバウトに経済規模と比例しますので、結局経済規模を縮小しなければならないと言う事です。当然の帰着です。
←読んだ甲斐があったと思ったら、ここをクリック願います
(少しだけのときは片方、かなりのときは両方)

【2010/04/09 00:04】 | 生態系 トラックバック(0) |


あがつま。
ほぼ、同感なのです。
可能性としては、不可能なのですが。
(人口の減少ではなく)人間の縮小化というのが、理想かもしれません。ドラえもんでいう、スモールライトとか、ガリバートンネルがあればなぁ、とか思います。
まぁ、もっとも縮小したことで、新たな危機が訪れるわけですが。緊急避難的にスモールライト・ガリバートンネルで、元の大きさに戻るのも手ですが。。。あくまでも私の妄想なので。。。

人間の縮小化
雑草Z
    あがつまさん

 初のコメント有難う御座います。

ドラえもんに出てくるアイテムに関しては、見ていないので分かりませんが、人間が小さくなれば、人間の数に関するキャパは増えるだろうな・・・とはよく考えたところです。ただ、それでも限界の数が増えるだけで限界に達する時期が遅れるだけでしょう。どの位の大きさかにも依りますが
(人類の地球に対する環境負荷)=(人口)×(1人当たりの環境負荷)
 ですから、指数関数的増加傾向があります。だから、限界に達するのは時間の問題です。
結局、本文の結論に書いたように、経済規模を全体として減らして低レベルで安定するしかないでしょう。

 また、あがつまさんも御指摘のように、他の問題もありますね。一番は生物どうしや地球との相対的な大きさの問題でしょう。そして、体を構成する細胞や分子、原子の大きさとの関係の問題。
その他、
【人類存亡のパラドックス・・・だから人類は滅びる。】
http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-262.html
に書いたような問題もあるでしょう。


期待できそうな実験
guyver1092
 英虞湾の水質改善のための大規模な実験がおこなわれるようです。

http://www.chunichi.co.jp/s/article/2010041090091128.html

 もともと干潟であったところなので、人工砂浜のようなことにはならないような気がします。この取り組みが成功すればよいのですが。
 私の希望としては汽水域産物の大生産地になればと思います。

Re:期待できそうな実験
雑草Z
    guyver1092さん

 御紹介のサイトのニュース、読ませて頂きました。
最近環境再生事業が流行りだしてきましたが、大きく工事してやる場合、それは新種の公共工事だと思って素直に賛同できません。警戒してしまいます。
 しかし、記事を読むと、今回の実験は、水門を開けるだけのようですから、是非ともやって欲しいですね。
 環境再生事業は、自然の再生能力を目いっぱい引き出すことであり、決して無闇に大きな工事をする事ではないですね。

一部の資本家がガン細胞?
BEM
私も人間こそが地球のガン細胞かと思っていましたが、考えると癌にも良性があるだろうし、細胞だけならなんの問題はない訳です。
一部変異した組織が地球を蝕んでいて、それこそが資本主義である。なんていうと共産主義がいいのか? なんて言われるとそれも違うのでしょうが(^^;

記事の石油製品、特にプラスチックの使用に関しては同感です!
陸地から流れ出したプラスチック製品が海に貯まっていて、それが途方もない量になっているそうです。
まず経済発展を止めないことにはゴミ問題も解決できませんね。

地球の癌細胞
雑草Z
    BEMさん

 丁度私も似たような事を考えて人に話していたところです。
昔、自然と調和して生態系の一部として活動していた人類は地球の正常な細胞と考えられたでしょう。
過剰なる物欲を持って、地下資源を掘ったり石油を使ったり開発に洗脳された人々が、がん細胞化した・・と言えるでしょう。恐いのは、がん細胞はどんどん増殖する事です。
 現在殆どの人間が地球の癌細胞と化している・・という見方も出来るでしょう。

 兎も角、経済成長主義は止めないといけませんね。経済成長こそ細胞の癌化でしょう。・・記事にしてもいいですね。

コメントを閉じる▲
2010-04-05 00:03
前回【悪い冗談】に書いたように
幼いころ身近にあった自然が破壊されてしまった・・・と言う経験は多くの人がしています。驚く事は、どの世代も経験している事です。つまり80代の人も60代の人も40代の人も20代の人も、子供の頃はもっと自然に恵まれていた・・・と感じているのです。
以前、10代や20代の人が、「子供の頃は自然に恵まれていた」・・と言うのを聞くとちょっと違和感がありました。・・・「君が子供の頃はもうとっくに自然は破壊されていただろうに」・・・。でも彼らの言った事は当たっていたのです。もっと上の世代から見れば、10年前はもう環境破壊されてしまったと見えても、それから現在に至る10年間で、更に環境破壊は進んだのです。逆に言うと、どの世代の人も、自分が子供の頃よりも、もっと上の世代の人が子供の頃はもっと自然に恵まれていたのです。つまり、環境破壊は年々進んでいて、局所的によくなった場所があたとしても、全体的には年々悪化しているのです。

子供の頃、親や上の世代の人から聞いた自然は生き物の宝庫で魅力的でした。川を裸足で歩くと魚を踏んづけてしまいそうで困った、雨の日は川からウナギが道にでて這っていた・・・そんな話を聞いて、そんなだった時代に戻って見てみたい・・・と思ったものです。
自分が幼い頃は、ホタルが庭まで飛んできました。田んぼの横の小川を網で救うと、フナやアブラハヤが沢山掬えました。子供にそんな身近な大自然を体験させてやりたいと思いました。
・・・現在10代20代の若者も、自分が小学生の頃は、身近に自然がもっと沢山残っていた・・と、確かに認識しているのです。20代の人々が子供の頃はもう既に自然はかなり破壊されて人工物に置き換わっていた・・と思っていたら、さにあらず、どの世代も自分の子供の頃よりも自然は無くなった・・と感じているのです。つまり自然は年々破壊されているのです。非常に危惧すべき事態です。もうそんな余裕はないでしょう。
せめてこれからは、現代の子供たちが大人になった時、「子供の頃はまだ自然が残っていた・・・」と懐かしむ状況にだけはしたくありません。・・・残念ながら世界中ではそんな状況がもうしばらくは続くでしょうが・・・自然もこれ以上破壊されたら再生能力の限界を超えてしまいます。・・・再生能力の限界を超えてしまったように見える場所も各地に現れています。
勿論人間も、つづれ織りのように繋がった生態系に含まれるのです。生態系の破壊は人間社会の崩壊に繋がるのです。
自然破壊はもうこれ以上進めてはなりません。自然に優先する価値のある開発など、どこにも存在しません。
←読んだ甲斐があったと思ったら、ここをクリック願います
(少しだけのときは片方、かなりのときは両方)

【2010/04/05 00:03】 | 生態系 トラックバック(5) |


yamakaji
はじめまして。絶滅危惧の動物について調べているyamakajiと申します。
自然が年々減っているということは、一般の人々の間でも自明のことのように言われていますが、果たしてそうでしょうか。彼らが接していた自然は人の干渉によって作り出された二次的なものであり、現在の日本では森林が伐採され、川や海岸がコンクリートでおおわれていくのと反比例し、人が手入れをしなくなった二次的自然が、植生の遷移という自然の働きによって原生林への道を歩み始めています。「人間の干渉という点だけを考えれば、それが少なくなった日本の植生は有史以来最も豊かだ」という植物学者もいます。ノスタルジーだけに立脚して自然を語ることは、自然を取り戻すことにはつながりません。一つ一つの環境と生物の変遷を腰を据えて見つめ、それが社会のどの動きと関連があるのか考えない限り、企業がコントロールしている里山ブームやエコブームに踊らされるだけで終わるでしょう。

今のところ、自明と言っていいと思います。
雑草Z
    yamakajiさん

 はじめまして。丁度いいタイミングでのコメント内容です。

>彼らが接していた自然は人の干渉によって作り出された二次的なもの

 人工の箱庭的自然と言う意味ではなく、人間と自然の共存は必要な事です。人間は自然の一部ですから生態系の循環に同化しなければならないでしょう。そう言う意味で全て人工的な都市は持続不可能で、どんな都市でも里山的自然との調和は必要な事です。

>人が手入れをしなくなった二次的自然が、植生の遷移という自然の働きによって原生林への道を歩み始めています。

 それは明るい兆しですね。しかし、残念ながら地域的にそのような場所もあるだけの事で、中国を見てもアフリカを見ても世界中を考えれば、破壊されている地域の面積のほうが遥かに多い事は明白だと思います。・・多くのデータもあります。


>「人間の干渉という点だけを考えれば、それが少なくなった日本の植生は有史以来最も豊かだ」という植物学者もいます。

 そう言う方もいるでしょうが、それは限られた地域でのお話でしょう。日本全体で考えればそのような事はないでしょう。昔と比べ、1人あたりの人間の環境負荷も、人口も遥かに増えた現在、生態系を循環しない地下資源や化学物質も地上にばら撒かれています。勿論解釈の仕方にも依りますが、日本の一部が原生林に戻っているとしても、ずっとそれ以上に日本の企業は海外の森林を伐採してきました。フィリピン、インドネシア、マレーシア・・・と次々に東南アジアの国々の木を切り尽くしてその後寒帯林の木を切って輸入して来ました。日本の小さな植生を守って(・・それはそれで大切な事ですが・・)海外のより大きな面積を伐採してきました。
 日本国内でも、最近やっと止まってきましたが、旧緑資源の広域林道の原生林などの破壊を知っていますか?現場を何度も観ていますが、あれだけ急速に破壊されてきたのよりも早く原生林が回復しているとは思えません。この道は森の中を縦貫していますので地図にさえしっかり示されていない可能性もあります。・・つまり、まだ原生林としてカウントされている可能性もあると言う事です。道路拡張やダム建設、河川工事等で破壊されている以上に自然が回復しているとは言う事は無理でしょう。

>反比例し・・原生林への道を歩み始めています。

では意味が矛盾しています。


>絶滅危惧の動物について調べている

との事ですが、絶滅を回避しているとでも言う事でしょうか?
 地域的には絶滅してしまったり激減してしまった種を沢山知っています。・・多くの人がそうでしょう。そして地球的にも最近も次々に絶滅している種の報告がなされています。

>企業がコントロールしている里山ブームやエコブームに踊らされるだけで終わるでしょう。

 かなり短絡的な発想です。他の記事などを見て頂けると分かりますが、決してそのような議論にはなりません。

  

 生態系の破壊が環境問題の本質です。それが世界的に回復している・・・と言う事であればそんなに嬉しい事は御座いません。是非とも、自然は年々回復して地球の自然は豊かになっている・・と言う事を信じるに足る根拠があればお示しください。
 世界が無理なら日本全体でもいいです。

   +++ +++ +++ +++++ +


 路傍の石ころさん、比較対象の丁度いいコメントが来ましたね。
 


鼻勝
おひさしぶりです。
うちの近辺のド田舎は河川敷辺りの開発? が、進んできてしまい、
御犬様の散歩の際に、防風林として有効だった竹林とか軒並み切り落とされ消えました。
田舎の自己再生能力? が減っていきそうですわ。

論点が全くすれ違っています
路傍の石ころ
 わたくしは、コメント欄から去ったのですが、「路傍の石ころさん、比較対象の丁度いいコメントが来ましたね。」などと仰り長い袖を引っ張るので(?)また出てきました。

 細かいことですが比較対照では? yamakajiさんはせっかく少数派の貴重な見方を提示されているのに、やや意味の通らない不用意な表現が混ざっていて、分かりにくい点があります。それで、おこがましいのですが評論家になったつもりで、yamakajiさんのお説に補足説明を加えながら、雑草さんのお説とを比較対照してみたいと思います。 まづ、yamakajiさんの仰ることはこうだと思います。文言を増やして分かりやすく敷衍したいと思います。長くてすみません。

         ……………………………………………………………………………

 かつての日本は自然が豊かだったと言われています。しかし、必ずしもそうではありません。80歳の老人が若い時に見ていた自然は、自然が豊かなと形容されますが、それは本来の自然ではないのです。
 太古の昔、たとえば縄文時代を考えてみましょう。そのころは人口も少なく、採集や狩猟で生活していました。道具と言っても原始的なものしかなく、遺跡などから推測して掘立柱の小屋程度のものとか、丸木船とかはあったでしょうが、それに使用する木材はしれたものです。大規模な森林伐採など無縁の時代でした。また古代人にとっては、自然は畏敬して崇めるものであって、収奪するとか破壊するとかはありえませんでした。
 そのため縄文時代には、日本列島は北から南までうっそうとした自然林に覆われていました。南のほうではシイ・カシなどの常緑の照葉樹林が広がり、北の方では夏緑樹林のブナ等の原生林が、また高い山や北海道ではシラビソ等の針葉樹林が覆い尽くしていました。もしタイムマシンがあって、縄文時代の上空を日本列島を縦断して飛んだら、見渡す限りの樹海が続いていることに驚くでしょう。
 この大樹海が日本列島の、真の本来の自然です。日本は雨量が多く樹木がよく育ちます。それで草本類は樹木に押されていました。樹木の育ちにくい痩せ尾根とか岩角地とか、あるいは「ギャップ」と言って老木が台風などで倒れて森林に出来た空隙に、細々と草が生えていました。このような姿が日本の本当の自然なのです。
 ところが、時代が下がって、農耕が始まり手っとり早い方法として焼畑が伝来し、また弥生時代になり稲作も始まりました。それで森林破壊が始まりました。青銅も伝わり鉄器の使用や精錬とか鋳造もはじまりました。それには火力が必要で、木炭が使われましたが木炭製造のため森林が切られました。もちろん炊事や暖房は薪しかない時代なので、どんどんと森林が伐採されるようになりました。
 歴史時代になって人口も指数関数的に増加しました。推定で奈良時代は人口800万とか1000万人とか言われ、江戸時代には3000万人程度とか言われています。人口が増えると、製鉄用にも家を建てるにも炊事・暖房にもどんどんと木が切られます。ちょっとした都市の周辺の山々はみな丸坊主です。昔の絵巻物などの絵画を見ると、山々の絵は細かな山の襞(ひだ)が克明に描かれています。そうです、山に木がないのです。
 このように本来の日本列島の自然つまり森林は、江戸時代ぐらいに奥山をのぞいてあらかた切り尽くされてしまいました。自然を護ろうなど言っても本来の自然はとっくの昔に破壊されているのです。本来の森林が残ったのは奥山と寺社林ぐらいのものなのです。
 その本来の森林が伐採された後には、陽光がさすので細々と生きていた草本がわが世の天下到来だと進出してきます。また陽樹といわれる種類の樹木の種が飛んできて生えてきます。マツが典型的な例です。マツの種子は軽くて風で飛びます。マツはそれまでヤセ尾根とか海岸の潮をかぶるようなところにしか生きられませんでした。原生林を作っていたのは陰樹と呼ばれる種類の木でした。つまり生える樹木の種類が違ってきたのです。もちろん本来の木の切り株からひこばえも生えてきます。
 このように本来の植生(潜在植生)が破壊されて、そのあとに形成される植生は、一般的に「代償植生」と言います。草地の場合もありますが森林になっていれば「二次林」と呼んでいます。この二次林が切られては、また生え、また切られては生えということを歴史時代の後半くりかえしているのです。「森林が破壊されている」と多くの人々が叫んでいますが、明治時代には山々ははげ山だらけなのです。証拠の写真がたくさん撮られています。森林破壊は昔の方がひどかったのです。残念ながら、この事実を多くの人は知りません。
 日本の自然は何百年に渡って徹底的に利用されてきました。まきや、たきぎに、また木炭用に、二次林の落葉落枝や下草まで堆肥用に熊手で採られました。およそ20~30年程度で伐採されました。山々は複数の区画に分けられて、今年はここを伐採し、来年は次のここというふうにして移動していきます。それで20~30年で一巡です。たくさんの区画があれば伐採後の二次林の回復程度はまちまちです。
 ですから昔の山々はパッチワーク状の風景でした。これが自然を護ろうと言っている人たちの自然の姿です。本来のものとは全く異なります。昔は里山もかなり奥のほうも、山々は「自然」ではありません。畑です。柴や木炭や堆肥材料を採るための徹底的に管理された「畑」つまり人為だったのです。
 ところが異変が起こったのは昭和30年代です。
 「燃料革命」が起こりました。薪や木炭から、石油やガスや電気へと燃料がパラダイム・シフトしたのです。生活様式も激変しました。山々は大事な「畑」から価値のない「雑木林」になりました。山々は捨てられました。山には誰も用はなくなりました。誰も山には入らなくなりました。
 そうすると、自然の偉大な摂理である「遷移」という現象の時計の針が動き出したのです。時計の針はすでに40年の経過を告げています。山々では年々樹木が生長しています。すでに陽樹から陰樹へと移りかけているところもあります。自然林に近づいているところもあります。本当の意味でのバイオマス(生物量とか生体量とか訳します)がどんどん蓄積されています。かつては20~30年で伐採されていた二次林が、30年を超えて生長しているのです。
 日本の山々の植生は「極相林」へと向けて力強く育っています。多くの植物の研究者が、「歴史上いまが最も日本列島の植生が豊かで山々が緑に覆われている」と言っています。日本地図をよくご覧ください。日本は山国です。平野は国の面積の2割しかありません。ヒトが住めるのは丘陵地帯や山裾を入れても、最大限3割です。 7割は山なのです。
 その7割の約半分が植林という用材を栽培する「畑」ですが、残りの半分の広大な面積で、力強く二次林が極相林に向けて生育しているのです。これはまさに、何百年とヒトが干渉し破壊してきた自然が本来の自然に還っていると言えるのです。

           …………………………………………………………………………

 yamakajiさんの仰っているのはこう言う当たり前のことなんですよ。植物の専門家だけでなく、調査に参加している熱心なアマチュアもみんな、このことには気づいています。
 日本の植生の歴史年代における変遷を捉えて、現在の山々の植生の状況を客観的に述べているだけなんですよ。客観的な事実を認識するのは大切です。植生調査をしている人々は「歴史を見る目」という視点で現状認識しているのです。yamakajiさんの見方はそっくりそのまま私の見方でもあります。
 
 雑草さんは、林道による破壊とか、外国から木材を輸入しているとか仰るのは、それはまた別の話なのですよ。論点が違うんです。自然の破壊とかは、そういう論点の議論として、たとえば 「破壊的な林道を是とするか非とするか」 の議題で論じるべきもので、おそらくyamakajiさんも私も雑草さんもここに来られる多くのかたも、意見はほぼ一致すると思いますよ。
 自然現象として起こる遷移の様子から学術的に見えることと、破壊や開発による人為現象をいっしょくたにしているので論点のすれ違いが生じているのです。

 それと絶滅危惧生物を調べるとか調査するとかいうのは、基礎データの作成なんです。護るべき自然は何か、その指標として絶滅危惧生物があるのです。それを調査したり、研究したりするのは、あくまでも基礎データをまとめているのです。何を護るべきか明らかにしなければ、やみくもに保護活動しても的外れになります。ちなみに私の観察・調査したこともわずかですが県版や近畿版のレッド・データ・ブックに反映されています。
 雑草さんの仰っている「絶滅を回避しているとでも言う事でしょうか?」というのは、環境活動家の言いがかりみたいなものです。基礎データの収集・作成と、環境を護る活動とは、別のものなのですよ。yamakajiさんは「調べている」と仰っているだけです。調べることが絶滅を回避することにつながるのか、とそういう言いがかりは変ですよ。

わたしは本当にこれをもちまして失礼いたします。ながながとすみません。
本当に、いろいろと、ありがとうございました。

 


 

あの頃 熊ん蜂は傍にいた・・
団塊おやじの遺言
最近思い出す事は・・昔川原や野山に寝そべっていると耳元に大きな音 密を採りに来る太った白と黒のブ~ンと大きな羽音を鳴らし びっくり飛び起きる! 当たり前に居た くまん蜂君の飛行だ  野山には必ず居た当たり前の昆虫です 草の香り そよぐ風 そして蜜蜂や様々な昆虫が居る 川にも様々な魚がいたよね 戦後生まれの私 子供の頃はおやつの無い時代 でも野山の木々には何かしらの実を見つけ 川からは小魚を採り立派なご飯のおかずに 山菜や川の恵み 八目うなぎやドジョウや小魚
が自然には溢れていた 貧乏は当たり前の世の中でしたね
何よりも自然には生き物や食べられる物が溢れていました 都会は兎も角 野山には人々を生かす力に満ち溢れて居た様な??
マグロやステーキは無かったが 生きるのには充分の恵みを私は自然から確かに受け取りました 戦後と今の社会情勢は比べるべきも無いが 豊かさとは何かを考えています


 


路傍の石ころ
追記です。

 まず、昔は自然が一杯で山々は豊かな緑で覆われていたと思いこんでいませんか?

 それは単に、そうに違いないと根拠なく信じている幻想なのです。歴史上、日本の森林が最も荒廃したのは明治時代の中期です。薪炭用や窯業用などで各地の森林が過度に伐採されました。特にひどかったのは瀬戸内海の中国地方側や、近畿の中央部や、濃尾平野周辺、関東の一部などで、山の表土が流れ去り、はげ山が広がりました。地質的には風化しやすい花崗岩の山は乾燥が著しく、はげ山化が進みました。はげ山でもかろうじて生育できるのがアカマツです。アカマツの分布の拡大を見て、有名な 『赤松亡国論』 が登場したのは明治33年です。
 太平洋ベルト地帯を中心にして日本各地に天井川 (てんじょうがわ) が存在しています。川の川床が周囲の平野よりも高いものを言いますが、その成因は上流の森林破壊です。大量の土砂が流出して川床に堆積するのです。川床が上昇すると堤防も高くする必要があるということで、後背の平野より川自体が高くなりました。ここで日本の森林荒廃やはげ山の成立要因を研究した素晴らしい書物を紹介しましょう。

千葉徳爾著, 『増補改訂 はげ山の研究』, 株式会社そしえて, 1991, です。環境問題の名著です。

 これは地理学・歴史学・生態学の3領域にまたがる学際的な研究書です。入手困難で、高価ですし、チョイチョイと読める本ではないのでお薦めはできませんが、大きな図書館 (国会図書館など) で閲覧できる機会があればぜひ目を通してください。巻頭に古い白黒の写真を3葉提示しています。この写真を見るだけでも考えさせられます。昔は、森林が豊かだったなどという幻想は、それこそ木っ端みじんに吹き飛びますよ。

 森林の各地での広範囲な伐採、薪炭を得るための日常的な伐採は、ずーっと昭和30年代まで続くのですが、その後は伐採は終息しています。先に申した通り燃料革命により薪炭が要らなくなったからです。いま全国の広大な面積で二次林が順調に生育しています。
 『理科年表』の平成21年版の環境部の65ページに、「全国植生自然度」という項目があります。これによると、国の面積に対する自然度ごとのパーセンテージをしめしています。 (旧版の引用で恐縮です。22年版は買いそびれました)
 自然林が17.9%、自然林に近い二次林が5.3%、二次林が18.6%、植林地が24.8%です。これらを合計すると66.6%で、これが日本の森林率ということになります。自然林は定常的な極相に達している森林なので、これ以上生育することはありません。しかし二次林は伐採されなくなったので、どんどん育っています。二次林は国土面積の23.9%ですから、ものすごい広さですよ。
 植林も間伐とか枝打ちの管理の手薄などありますが、順調よく育っています。次の資料は 『林業白書』 の参考付表です。1の林業関係基本指標のなかの⑥の森林蓄積という項目をぜひご覧ください。
http://www.rinya.maff.go.jp/j/kikaku/hakusyo/20hakusho/pdf/s_2.pdf
昭和55年に森林蓄積が25億立方メートルでした。それが平成19年には44億立方メートルに増加しています。30年弱で7割ほどの増加ですね。これは植林も二次林も順調よく生育し、毎年幹が太りバイオマスを増やしているためなのです。これは日本列島全体の広大な森林で起こっている現象です。

 植物の研究者が、「日本の植生は有史以来最も豊かだ」 と言っているのは、調査研究をもとにして裏付ける資料がきちんとあり、それで言っているのです。こんなことは植物調査に参加している人は素人でも皆知っています。ただ、言っても信じてもらえないから黙っているだけなのです。

 yamakajiさんのコメントは端的に表現しているので、理解しにくいのではないかと思います。しかし、yamakajiさんは客観的な事実を言っているだけで、けっして間違ってはいません。

>現在の日本では森林が伐採され、川や海岸がコンクリートでおおわれていくのと反比例し、人が手入れをしなくなった二次的自然が、植生の遷移という自然の働きによって原生林への道を歩み始めています。

 これは特に分かりにくかったと思います。反比例などの言葉を不用意に使っています。彼は(たぶん男性の方でしょう)こう言おうとした筈です。まことに僭越ながら翻訳してみます。

「現在の日本では、身近なところでは森林が伐採されて、自然がどんどんと破壊されています。また、川や海岸がコンクリートで覆われて小動物のすみかが奪われ、やはり自然が破壊されています。けれども、すこし目を転じると意外なことが見えてきます。ヒトの生活・生産環境から少し離れると、ヒトが入ることの途絶えた二次的自然があります。たとえば、二次林と言われる森林では薪炭用に木を切らなくなりました。すると遷移という自然の法則が働いて、原生林(極相林)に向けて、森林は力強く生長しているのです」

>企業がコントロールしている里山ブーム

 これは、企業というよりも、行政とかNPOなどが 「里山が荒れている」 などと叫んで整備事業を各地でやっています。そのために補助金という税金をかすめ取っています。そして必要もない遊歩道をつけたり、東屋(あずまや)を建てたり、つまらないことをしています。里山は荒れているのではありません。遷移が進行して自然に戻っているだけなのです。 なにが本質的なことか、本当にはなにが起こっているのかよく見据えないと、利権屋たちが喜ぶだけなのです。
 こういうことを述べているのだと、拡張すると解釈できます。

長くなったので、箇条書きにまとめます。

●yamakajiさんは、日本の二次林で起こっている自然現象を述べているだけです。
●その主張の核心は、二次林は生長し森林が豊になっていることです。
●その自然現象を理解しないと、インチキ環境運動にふりまわされる。

それに対して、雑草さんのお返事は、
●二次林で進行している自然現象の当否については疑っておられる。というか答えていない。
●人為現象の林道の自然破壊・木材の輸入・ダム工事・河川改修など、論点のすり替え・拡散を一生   懸命なさって、yamakajiさんのコメントを全否定されています。

 私の考えは、
●二次林が生長し森林が原生林に向けて育っているのは、学術的に正しい。
●しかし自然度が1・2・3のヒトの活動領域での、生物の生息環境の悪化は確かである。
●その悪化の人為原因は生息環境の物理的破壊、それと家庭排水などの垂れ流しが主たるもの。
●この2点を改善すれば見違えるように良くなる。
●林道は森林破壊を引き起こしているのは事実である。しかし、破壊面積は国土の24%の広大な面積  の二次林全体からすると、微々たるものである。
●林道破壊が大きく見えるのは心理効果。1000人の群衆の中に奇抜な服装の人が30人いたら、2割ぐ  らいいるように見える。実体は3%。目立つものは大きく見える。
●しかし破壊的林道を是とするのではない。断固として反対する。

 大変ながながと失礼しました。


研究者でもないのでおこがましいのですが
guyver1092
 近年、日本に生息するいろいろな生物が絶滅危惧種として認定されていると認識していましたのでyamakaji氏のコメントを読んで意外に思いました。その他、異様に頭の大きなツキノワグマを狩ったら餓死寸前のツキノワグマだったとか、近海漁業が振るわないのは山が痩せてしまったからだとかの議論も読んだことがあります。
  路傍の石ころ様、できれば、これらの真偽および合理的理由を説明してくださるとうれしいです。

 雑草Z様。自然と人間にとって好ましい豊かな生態系は別々に定義したほうがよいかもしれません。気候帯によっては原生林よりも人間の定期的干渉のある森(学問的に何と呼ぶのかは知りませんが)のほうが生態系が豊かだとも聞いたことがあります。

>田舎の自己再生能力
雑草Z
    鼻勝さん

 御久し振りのコメント有難う御座います。

>河川敷辺りの開発?

私の近辺でも進んでいますが、本当に酷いものですね。

>田舎の自己再生能力? が減っていきそうですわ。

そうですね。・・里山が持っている自己再生能力ですね。


>野山には必ず居た当たり前の昆虫
雑草Z
    団塊おやじの遺言さん

 御久し振りのコメント有難う御座います。

 里山に当たり前のようにいた昆虫や魚・・・動物が年々減っているのは悲しい事ですね。

>八目うなぎやドジョウや小魚

ドジョウやぼやっこ(・・アブラハヤの方言・)メダカやフナなどは身近に観ていましたが、ヤツメウナギは観た事がなくて、自然の川に泳いでいるところを見てみたいと思っているところです。
 
 人間の入らない地域の自然が保たれる事も大切ですが、里山の生態系が保たれる事も大切ですね。

 心の和むコメント有難う御座います。




 

 

淡々と的を得ていますね。
雑草Z
    guyver1092さん

 短いコメントの中に、非常に濃い内容が込められたコメントです。議論の応酬の本質を掴んでます。恐れ入りました。

>自然と人間にとって好ましい豊かな生態系は別々に定義したほうがよいかもしれません。

そうですね。鋭い御指摘です。今回の自分の記事をよみ返した時、タイトルが

生態系は年々貧しくなっている

とかしたほうが、 yamakaji さんや 路傍の石ころ さんのような記事の主題と違った御自分達の拘りの論の展開の場にならなかったのかな・・・と思っています。この記事で、『自然』と言う概念の定義、捉え方をはっきり示していなかったなと思いました。
 しかし、それはそれで、瓢箪から駒的な展開なのかな・・とも思います。

 兎も角 guyver1092 さんのこのコメントは鋭い一石を投じて下さいました。有難う御座います。シンプルで的を得ています。 

 

コメントを閉じる▲
2009-08-17 00:11
去る8月13日に我が家の庭の木のアメシロ・・・アメリカシロヒトリの駆除を行いました。・・・まあ。『駆除』なんて呼ぶほどの大げさなものではありません・・アメリカシロヒトリは年に2回くらい発生します。今回が今年2回目の発生でした。前回は6月頃発生しましたが、あまり発生してなくて木の枝を2,3取っただけで終わりでした。今回も当初は柿の木の枝の2,3箇所にアメシロが付いていると思いきや、よく見るともっと沢山の枝の葉にアメシロが付いていました。10箇所以上の柿の枝を高枝切りバサミで切り取って土に埋めました。

アメリカシロヒトリの駆除法】に書きました通り、私の家はここのところ何年も町内会によるアメシロ消毒は断っています。消毒はせずに、アメシロの卵を沢山産み付けられた葉から幼虫が分散する前に、その葉のついた枝を切り取って土に埋めるだけのシンプルなものです。
家の庭レベルの木を、町で日を決めて集団で消毒するのは本当に大げさで非効率です。生態系にも大きな打撃を与えます。【アメシロはただの毛虫】に書いたとおりです。

 散布した霧状の農薬が木の葉から滴になって滴り落ちるまで散布してます。アメシロが全然付いていない枝葉にまで農薬をたっぷりかけます。蝉が狂ったように泣き叫び木から逃げて飛び立ちますが、途中でぽたりと地面に落ちて、また何度か飛び立とうとしますが遂には力尽きて地面に転がります。どこかに潜んでいた蝶も力なく地面に落ちます。・・・アメシロ以外の多くの虫たちが犠牲になります。・・・鳥にも悪影響はあるだろうし、食物連鎖を考えればどこまで害が広がるかわかりません。人間にも悪影響はあるでしょう。

アメシロは戦後に入って来た外来種である事を考えると、根絶をしてもいいのかも知れませんが、農薬による根絶などは絶対に考えないほうがいいでしょう。町内でも何十年もの間、大げさな大砲のような噴霧器で殺虫剤を撒いてきましたがアメシロは根絶どころか余り減っていません。その為に沢山の他の昆虫が犠牲になり、蝶もトンボも蝉も減りました。・・・
レイチェル・カーソンの「沈黙の春」には、たった一種類の「害虫」(・・害虫と呼ぶのも怪しい場合もありました。・・)を根絶しようと農薬を広範囲に大量に空中散布して、小動物、鳥や川の魚達の命を大量に奪い・・・それでも目的の害虫は根絶出来ず、逆に数年後に大量発生した・・・と言う例が描かれています。「天敵」さえ無差別に殺す訳ですから・・・当然の結果かも知れません。

だから、アメシロの幼虫が分散する前にその葉のついた枝を切り取って土に埋める・・・と言う方法が考えられるベストの方法かと思います。

今回アメシロを駆除しながら、近くの木で蝉が鳴き、鳥たちもさえずり、アゲハ蝶がひらひら舞っていて嬉しくなりました。農薬散布は絶対に止めるべきです。

鳥たちの鳴き声を聞いていたら、彼らの食べ物の事が心配になりました。昨年【夜の光に集まる虫】などにも書きましたが、明らかに虫の数は減っています。アメシロも鳥達の餌になるでしょう。毛虫は芋虫に比べて鳥たちからは敬遠されるかも知れませんが、成虫も鳥の餌になるでしょう。
(・・・アメシロが何の餌になるか、毛虫と芋虫、成虫と幼虫、それぞれ、鳥はどちらを好むか知っている方がいらっしゃれば是非とも教えて下さい・・・)
だから、アメシロも見落としや高い枝の部分はそのまま残して鳥に食べて戴きましょう。・・・・そう思って作業はほんの10~30分ほどで切り上げました。
・・・でも2、3日後にその柿の木をじっくり観察しましたが、アメシロが残っている葉は見つけられませんでした。手作業でもこんなにきれいに駆除出来る・・・と言う驚きと、鳥の食べ物大丈夫かなあ・・・と言う心配・・・複雑な気持ちでした。

家は庭の木はあんまりいじらないので鳥は結構やってきます。巣もあるかも知れません。


アメシロ1

 ↑↓ 切り取ったアメシロがたくさん付いた柿の木の枝

アメシロ3

 ↓ コンポストの穴にアメシロのついた木の枝を入れるところ

アメシロ2

 ↓ コンポストを取り去って、
    スコップで木の枝を折って地面の穴に押し込だ状態
   ・・・これに土をかけて固めて終了。
     (一緒に切り取ってしまったまだ青い柿の実も・・)↓

アメシロ4

←読んだ甲斐があったと思ったら、ここをクリック願います
(少しだけのときは片方、かなりのときは両方)

【2009/08/17 00:11】 | 生態系 トラックバック(0) |


えりざべす
こんにちは,こちらではお久しぶりです.

なんか,昆虫の話題だったので思わずコメントしてしまいました.汗 といっても中身はあまりないコメントですが...失礼します.

あちらの生物はタフで勢いがあるから,市民は農薬くらいでしか対抗できないと思い込んでしまうのでしょうか...私も公園の桜などでときより見かけますが,君たちやりすぎだから,と思わず声をかけたくなってしまいます.笑

私は鳥が食べるかどうか正確にはわからないですが,この蛾も若齢時に群れる必要性があるのですから,誰かに食べられるんじゃないでしょうか.この蛾の成虫が大量発生しているところも見ない気がします.

環境に優しい駆除方法としては,土に埋めるというのはなかなかシンプルでいい方法だと思いました.

農薬はとばっちりの犠牲が大き過ぎますね。
雑草Z
    えりざべすさん

なかなか中味の濃いコメントですよ。有難う御座います。

>あちらの生物はタフで勢いがあるから

そうなんですか??・・・名前が、アメリカシロヒトリ・・・と言うのもタフな侵略者に感じるところですね。
 アメリカ人はNAの土地を侵略しましたし、日本も戦争で負けて占領されました。
 アメリカザリガニは、日本に瞬く間に広がり、川や湖、沼を占領しています。・・・・でもアメリカザリガニさえ棲めないような河川や湖沼も出て来ましたね・・・占領軍より悲惨です。

>この蛾も若齢時に群れる必要性があるのですから,誰かに食べられるんじゃないでしょうか.

おお、鋭い推理ですね。もしお分かりなら教えて欲しいのですが、群れると天敵から発見されやすいのですが、何故群れて集団防衛するのですか?・・・一匹当たりの喰われる可能性が減る・・・と言う事でしょうか??

>土に埋めるというのはなかなかシンプルでいい

そう、焼く必要はないと思うのですが、土の中から這い出してくる・・・と言う人が身近にいます。・・・確かにアメシロの幼虫が蛹になる時は、土の中に潜る・・・ようですが、蛹になるまえだったら土からは這い出てこれないと思うのですが・・土もある程度踏み固めますし・・・


えりざべす
雑草Zさん.

生物の群れというのはなかな面白いテーマで,考えていて飽きないものです.ただ,今回この蛾の幼虫に関して群れの明確な根拠があるわけではなく,一般的な生物の群れによる外圧対抗性のひとつとだろうという軽い気持ちで書いただけでした.すみません...

ちょっと推測ですが,,,一般的な野鳥というのは群れで狩をしないから,毛虫の集団がいたぞ,ということでそこにたくさんの鳥が群がってくるということもない...と仮定すると,毛虫はランダムウォークよりも,いちかばちか群れたほうがいいかもしれませんか...あと,例えば同じ昆虫の蜂なんかは,群れている虫の集団には突撃しないような気がします.どうだろう...私は単独行動の芋虫や毛虫が蜂に食べられているのは数限りなく見ていますが,群れに仕掛けているところはあまり記憶がないです.そういう意味では,群れて,しかも何らかのケミカルを実は分泌していたりするかもしれないですね.群れて,化学物質の力も使って,防衛していたりするかもしれません.以上,あくまで推察ですが...たぶん,現実はこういうことが複雑にからまっているんでしょうね.



松田まゆみ
古い本で恐縮ですが、伊藤嘉昭著「アメリカシロヒトリ」という本によると、若齢期の幼虫はクモなどにかなり捕食され、5齢になるころからは野鳥やアシナガバチによって捕食されるとのこと。とりわけ後者の時期の死亡率は98.6パーセントにもなるそうです。子育て中のシジュウカラはアメリカシロヒトリの集団を見つけると、同じ集団からばかり幼虫をとってくるそうです。野鳥は、天敵として大いに役立っていそうですね。

日本の場合は、天敵は原産地とは異なっているようですが、農薬が天敵を減らしてしまっているのは確かでしょう。

また、アメリカシロヒトリの幼虫を集団から引き離して飼育すると餌に食いつくことができす、餌の上で餓死してしまうことがあるそうです。一匹では容易に歯のたたないかたい葉でも、集団になることによって食いつきを容易にするのではないかとのことです。集団になっている秘密はこのようなところにありそうです。

ばかばかしい話でもよろしいでしょうか
guyver1092
 以前買った「虫の味」という本によると、この蛹をから揚げにして試食中、酒飲み友達がやってきて、残りを全て平らげたあげく、「このハチの子非常にうまかった。どこで手に入れた?」と聞いたそうです。蛹の段階ですべてから上げにしてハチの子として売るというのはどうでしょう。・・・


もちろん冗談ですが。


 松田まゆみ氏のコメントからすると、日本の生態系を乱しているとは考えられませんので、大騒ぎして、農薬会社を儲けさせるのはどうかという気がしますね。

色んな推理、有難う御座います。
雑草Z
>生物の群れというのはなかな面白いテーマで

本当にその通りですね。群れの中の個の振る舞い、心理も面白いですし、「群れ全体としての意思も」感じずにはおれません。統計力学的なシナジェティクス[協同現象]って動物にもありそうです。

>>何故群れて集団防衛するのですか?

と言う質問は、ここのアメシロの事に限らず一般的な事をお尋ねしたのです。ここの2年くらい前の2007年9月3日付の記事
【この夏一番印象に残った光景】
http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-211.html

の魚の群れの凄い光景などが頭にありました。

>単独行動の芋虫や毛虫が蜂に食べられているのは数限りなく見ていますが

に感動致しました。えりざべすさんは、昆虫観察沢山していらっしゃるのですね!!


8/19 急遽アップの後日談にも推理があればコメント宜しくお願い致します。
 

凄い本をお持ちですね!
雑草Z
    松田まゆみさん

 わざわざその本でお調べ頂き有難う御座います。

 クモの巣にかかったアメシロはよく見かけましたが、
やはり、鳥や蜂に捕食されるのですね。鳥にとって、毛虫より芋虫のほうが食べやすい感じはしますが・・。


>とりわけ後者の時期の死亡率は98.6パーセント

こんな事まで書いてある本って凄いですね。
ここまで定量化するにはどれだけの量を調べたのか見当が付きません。

>アメリカシロヒトリの幼虫を集団から引き離して飼育すると・・・・・集団になることによって食いつきを容易にするのではないかとのことです

面白いですね。非常に参考になりました。

明日8月19日アップの後日談も、何か想像がつけば、ご推測頂ければ幸いです。

ばかばかしいお話どころか・・・
雑草Z
    guyver1092さん

 害虫を美味しく毒なく食べる事が出来れば、最高の対策になりますね。

蛹の段階だったら十分に可能性はありますね。

東南アジアの国々には色んな昆虫を食べる国がありますし、
日本でもイナゴは美味しく食べています。
・・・そう言えばイナゴも稲を食い荒らす「害虫」と見なせますね。

 アメリカザリガニも食べて対策しているところもあるようです。

 食べる・・・と言うのは一石二鳥で本当にいい対策だと思います。

補足です
松田まゆみ
先のコメントに、死亡率が98.6パーセントと書きましたが、これは囲いをした1アールの実験地で調べたものです。近くに幼虫を食べる野鳥がいるかいないかでこの数値は変わってくると思います。また、大発生したときは野鳥も食べきれないでしょうから、発生量によっても違うでしょうね。

とはいっても、野鳥をはじめとした天敵がいればかなり捕食されそうですので、天敵の棲める環境を残すことが大切そうですね。殺虫剤の散布は野鳥の餌も減らしてしまいます。


BEM
鬼蜘蛛おばさんのブログを覗いたあと、こちらにお邪魔したらこちらには毛虫がぁ〜〜〜。
私も一匹や二匹の毛虫なんて平気ですが、これはちょっと大変ですねえ(^^;

先日、我が家の花にも大量の毛虫が出て、埋めるまではしませんでしたが、葉っぱをどんどんむしっているうちに居なくなっていました。(なんだったんだろ〜)

私も毛虫のうちなら除虫材など使わずに埋めるだけで駆除ができるのじゃないかと思っていましたが、雑草さんと同じ発想で嬉しくなりました。
〜ってこの状況は決して喜ばしいことではないですけどね(^^;

コメントを閉じる▲
2009-08-13 00:32
  いまだに日本の各地で森や林が伐採されて減っています。
 田舎町でも毎年毎年森や林は減っています。建物を建てたり、駐車場を作ったり、新たな道路を作ったりして、森林はだんだん減っています。
 それでも山間部では森林はまだ残っていますが(酷い伐採がなされているところも沢山ありますが・・・)平地部では、田舎町でも年々林が減っています。・・・大抵の人は、里山のちょっとした雑木林がいつの間にか伐採されて無くなっていた・・・と言う光景を何度か目にしているのではないでしょうか。そこに住んでいた小動物達はどうしたんでしょう?

 ・・・そんな田舎町の平野や盆地の平地部の街中で林が残っている所はどこでしょう?公園や学校、道路沿いの道にも木が植えられていますが、林と呼べるものは少ないでしょう。町中で、木が沢山生えていて、林と呼べるところは、主に神社と川岸ではないでしょうか?町の市街地の航空写真を見ても、林が残っているのは、細長く連なっている場合は河畔林、まとまってポツリポツリあるのは神社(・・・もしくは、公園、屋敷林・・)・・と言う場合が多く感じられます。

 神社は元来木がご神木で、そこに神様が降りてくると考えられていました。【森の崇拝】流石に神社の周りの木は残してあります。田舎町の平地で独立してポツリポツリと林が残っている場所の多くに神社があります。・・・お寺にも木は生えていますが、しっかり「林」と呼べそうなものは圧倒的に神社です。雑木林の中に清水が湧いている神社もよく見かけます。

 そして森が長く連なっているところは大抵川岸です。最近は堤防も広く作ってあるので、堤防の内側に河畔林(・・正確には河畔林と呼べるかどうかはわかりませんが・・)が連なっている場合が多いようです。


 最近は神社の神殿、社の建物のごく周りだけ残して神社の周辺の木さえ伐採されています。神社の鳥居の直前まで木を伐採して道を作っている例はよく見かけます。本当に酷いものです。
河畔林の木々でさえ簡単に切ってしまって、整備して河川敷にして運動公園にしたり河岸にしたり駐車場にしたりしています。酷い場合は堤防から河畔までコンクリートやアスファルトで固めて、木を生えさせる余地を残さないようにしています。・・・「川岸の有効利用」の名のもとにゼネコンに仕事をさせる事が主な目的でしょう。

 
 河畔林や神社の雑木林は町の中で生態系が残されて、やっと維持されている貴重な場所です。これらの雑木林では夏は蝉が鳴き、鳥がさえずり、昆虫や小動物が沢山住んでいます。・・町中で生態系が辛うじて守られている最後の砦と言えるでしょう。特別な場合を除いて伐採などは以ての外、出来るだけいじらずにそのままずっと残しておきたいものです。

以下の写真は、私の住んでる田舎町周辺に残る林の一部です。
いまだに町中の森林は色んなところで伐採されて、年々減ってきている事実には唖然とします。
町中の林もみんなで守っていきたいものです。
 
諏訪神社鳥居

町の中の諏訪神社 正面↑  と  裏から見た風景↓

諏訪神社の森
 諏訪神社の林を後ろから見たところ  ↑
手前の芝生にどうしようもないモニュメントと看板がありますが、以前はここも林でした。
芝生にして整備するより、林のまま残すべきでしょう。


湯川村の神社1
田んぼの真ん中の稲荷神社の林   遠景↑  と  その中の神社↓  
湯川の神社3

 昔は、神社の森・・・と言っていた記憶がありますが、今は「森」と呼ぶより「林」と呼ぶべきなくらい、森林が小さくなってしまいました。


河畔林1

 河畔林です。 ↑ ↓ 河畔林の伐採も進んで、このような河畔林も年々見られなくなってきています。この河畔林も町中・・・ではなくて、町中を外れた場所にあります。
昔はうじゃうじゃいた川魚もかなり減っています。

河畔林こそ色んな意味で残しておくべきでしょう。

CA330094_convert_20090809114835[1]



これからは、月末29日に<雑草目線>などで、街の中の神社などの林の残る風景をアップしていきたいと考えています。
←読んだ甲斐があったと思ったら、ここをクリック願います
(少しだけのときは片方、かなりのときは両方)

【2009/08/13 00:32】 | 生態系 トラックバック(0) |


Anthony
鎮守の森を残そうと、明治期にも南方熊楠らがかなり運動してたみたいです。

鎮守の森は残すべきですね。
雑草Z
    Anthonyさん

 なるほど!神社の周りの森を鎮守の森と呼ぶのですね。

 明治時代にも開発で鎮守の森が伐採されたのでしょうか?
森を伐採してまでやる必要のある開発なんてありませんね。

お盆の最中のコメント有難う御座います。

木を切ったら植林すればよいのか
guyver1092
 世の中には、木を切った後に植林をすればよいと思っている人が多いようですが、植林なら何でも良いというわけではありません。たとえばユーカリの木は、年をとって養分が少なくなったオーストラリアで進化した木なので、土地の養分の全てを吸い取ってしまうそうです。植林後のユーカリを切った後は、すべての養分を失った不毛の土地になるそうです。

 現代日本では、木を切ってごみにするのが商売として成り立っているのですね。嘆かわしいことです。

人工林より天然林
雑草Z
    guyver1092さん

 基本的に、人工林は間伐や下草刈りなどの手入れが必要ですが、天然林は放っておいてもよく、生態系の豊かさや光合成の量、保水作用、土地の保全性など天然林のほうが勝っている事を知らない人が多いようです。

おっしゃるように、木を切ってから植林しても原状回復が出来ない場合が多い事を認識すべきですね。

 木を切って木材として、家の柱や家具を作って永く使うのは認める部分があっても、すぐにゴミにするものを作るのは禁止すべきだと思います。紙も作り過ぎです。もっと大切に使うべきですね。

北海道も同じ
松田まゆみ
学生時代にはじめて北海道旅行をしました。当事は北海道には豊かな自然が残っているとばかり思っていましたが、私が北海道を旅行して驚いたのが、鬱蒼とした森林がほとんどないということでした。「緑の大地」といっても畑や牧草地、それにカラマツなどの造林地や防風林ばかりです。大雪山国立公園に行って、ようやく天然林を見ることができました。

北海道でも、平地で森らしきものが残っているのは、鎮守の森と河畔林くらいでしょうか。本州とまったく変わりありません。

河畔林さえ伐採されている現実
雑草Z
    松田まゆみさん

>鬱蒼とした森林がほとんどない

それは危機的状況ですね。これは森林が平野部にないと言う事でしょうか?・・・私の住む会津の地でも山に行けば森林が見られます。山もかなり伐採はされていますが、
会津盆地は森に囲まれている・・とも言えます。

鎮守の森と河畔林くらいは守って行きたいものですが、
最近はそれらの木々の伐採も酷いものです。松田さんのHPでもご指摘の通りですね。


>学生時代にはじめて北海道旅行をしました。

松田さんはもともと北海道の方ではなかったのですか?
それとも、北海道一周旅行とかをしたと言う意味でしょうか? 


Anthony
明治39年に「神社合祀令」というのが下って、全国の神社の整理が進められました。複数の神社を1つにまとめたりしたわけですが、三重県では大正までに9割が廃されたとか。

南方熊楠は「鎮守の森」が伐採されて生物が絶滅したり、また生態系が破壊されてしまうことを憂い、神社合祀反対運動を起こして、エコロジー運動の先駆けとなりました。

その頃に既にそのような反対運動があったのですね。
雑草Z
    Anthonyさん

 南方熊楠の情報有難うございました。とても有意義な情報です。

明治時代に沢山の神社が廃された事に驚きです。
しかしそれにもまして、

>南方熊楠は「鎮守の森」が伐採されて生物が絶滅したり、また生態系が破壊されてしまうことを憂い、神社合祀反対運動を起こして

って素晴らしい事ですね。生態系や環境破壊についての心配が、100年くらい前でも沢山あった筈だ・・・と思っていましたが、
南方熊楠は神社合祀反対運動を起こして、生態系を守ろうとした・・・って素晴らしいですね。

それから一世紀近く経って、こんな酷い環境になってもまた更に生態系を破壊する開発を続けている輩が沢山いる事には呆れます。
 日本人は南方熊楠の精神を受け継ぐべきですね。

 これから、時々鎮守の森を訪問して写真に収めてこのサイトに載せたいと思います。

 

お返事
松田まゆみ
北海道の場合、農地にできるような地形のところはほとんど農地になっているといっていいでしょう。周辺の里山は造林地か二次林です。ですから、平野部と里山には鬱蒼としたような森林はほとんどありません。ただし全くないというわけではなく、札幌の郊外(江別市)にある野幌森林公園には例外的に天然林に近い鬱蒼とした森林が残されています。

山地や国立公園・国定公園などには天然林もありますが、その大半は伐採が入っていますので原生林ではありません。天然林といっても原生林の面影もないような森林が多いのです。人手の入っていない原生林はごく僅かしかありません。

私は長野県の上諏訪生まれですが、4歳頃から東京暮らしで大学も東京です。学生時代に4回ほど北海道旅行をしました。北海道に移住してから30年近くなりますので、北海道暮らしの方が長くなりました。

北海道でも開発され尽くしていますね。
雑草Z
    松田まゆみ さん

 北海道でさえ、
>平野部と里山には鬱蒼としたような森林はほとんどありません。

と言うのは悲しい現実ですね。こんな日本でも、世界の国々と比べると、森林面積の割合が最上位に近いくらい多い・・・と言う事は、日本は山岳地帯の割合が多く、そこだけ比較的森林が残されている・・と言う事ですね。それから、世界の森林は、危機的状態にあると言う事も言えますね。
・・・会津地方のブナの原生林が世界一広い・・・と言う事を聞いた時も、嬉しいと言うよりもショックでした。もう世界にはこれだけ広いブナの原生林がないのです。(・・日本が伐採してしまった国も多いですね。・・)

 これだけ開発されつくした北海道に
 北海道開発局
は必要ないですね。税金の浪費でありかつ環境破壊の温床です。最低の組織です。即解体すべきですね。

   ++++++++     +++++    +++++   +++ 

 長野県も自然豊かなイメージですね。流石に長野県の山間部には森林もかなり残っているでしょう。
 日本の中でも有数の自然に恵まれた長野県で生ま育って、現在は、緑豊かな北海道で暮らしてる・・・と、言い切れるくらい自然が残っていればいいのですが、そうは言えないところが悲しいですね。開発は自然破壊なだけではなく、人々の心も大きく荒廃させますね。

 余談ですが、記憶では日本の温泉地の数は、多い順に
1位北海道 2位長野県 だったと思います。
そして、3位からのベスト10に東北地方の6県が全部入ったような記憶があります。(数え方によっても変わるでしょうけど・)

コメントを閉じる▲
2008-11-01 00:22
 この地上の生物の中で、一応人間が一人勝ちの状態です。(特殊な昆虫や病原菌などの微生物を揚げる方もいるでしょうが、今回はそこの考察は致しません。)生存競争と言う意味からも人類は一人勝ちの状態で増え続けている訳です。
 一人勝ちの者がその力を行使して勝ち続けたらどうなるでしょう?・・・自分たちが増え過ぎて、食料が不足し、やがて仲間同士で争ったりして全体で滅びるのです。
 養分の詰まった、天敵のいないシャーレの真ん中に置かれたほんの少しのバクテリアは、はじめは指数関数的に増加して、シャーレいっぱいに増えた後は、増加が止まり、養分を食い尽くして、共食いまではじめて、仕舞にはみんな滅んでいくのです。・・・そう、生態系の中で一人勝ちと言うのは必ずしも有利なことではなくて、寧ろ破局に向かう近道でしょう。
人間は他の多くの動物たちと比べて歴史がかなり浅いほうです。現代の人間のように、こんなに早く破局に向かっている動物も過去に例がありません。
 一人勝ちの状態の人間は、他の生物に自分たちの優位性を示している場合ではないでしょう。
 人間に本当に理性があると言うのなら、自滅しないように、自ら自制すべきです。
 具体的には経済成長を止める。開発を止める。人口増加を止める。地下資源の使用をやめる。再生可能な資源はその範囲内で使う。・・・・他の動物にはなかなか出来ないこう言う自制こそ、一人勝ちの生物、人間のとるべき生き残りの賢い方法でしょう。

『謙虚さ』と言う概念はモラルの意味だけではなく、つづれ織りのように繋がった生態系の中で生存していく為にも必要な概念なのでしょう。
←読んだ甲斐があったと思ったら、ここをクリック願います
(少しだけのときは片方、かなりのときは両方)

【2008/11/01 00:22】 | 生態系 トラックバック(0) |
2008-09-21 00:12
 現在、生物の種の絶滅のペースは、一日あたり何十種類とか何百種類とか言われています。・・・年に数万種・・。人間に命名されていなかったり発見されていない種も沢山あるので、正確なところは誰にもわかりません。人間に認知されずに何百、何千万年も生きてきて、最近になって人間が知らぬ間に滅んでしまった種も沢山あるでしょう。
 生物の種は絶えず滅んでは新たな種が生まれているから危惧すべきかどうかはわからない・・・などと現在でも言ってる輩がいますが、現状認識の甘さにもほどがあります。・・産業革命以前は、年に1種も滅んでいなかったと言われていますし、人類が地上に現れる以前は、何十、何百、何千年に一種の割合だったと考えられています・・・・私は、この辺の数字はかなりアバウトでいい加減だと考えていますが、現代の種の激減は恐ろしいほど極端に多いことに変わりありません。完全に絶滅してしまわなくとも、激減している種は数えきれません。・・・と言うよりも、食用など人間が育てている特別な種を除いてほとんどの種の数が激減している事は身近に感じられます。そしてその原因が人間であることも明らかです。
 直接の人間の乱獲によって激減している場合は言うまでもなく、森林破壊、開発による都市化、農薬の散布・・などによって直接、間接に確実に激減しています。・・・この辺は規制が厳しくなって良くなってきている・・・とは、ごく限られた地域の限られた種についてのみで、プロパガンダによる思い込ませの部分が大きいのです。生物の種、数の激減は歯止めが効かない状態です。
 生物はお互いにつづれ織りのように繋がっています。・・・現在、多くの種が絶滅しているけれど、人類は増えているから大丈夫・・・という発想は、短絡的にもほどがあります。

 私は、生態系の繋がりをピラミッドに例える事には抵抗があります。それぞれの生物の繋がりは持ちつ持たれつで、上下関係ではないからです。・・・しかし、人類は、生物のピラミッドの頂点にいると考えている尊大な人間が沢山います・・・ピラミッドの先がこんなに沢山いたらアンバランスで倒壊してしまうのですが・・・人類は一応食物連鎖の頂点にはいるわけです。そう、ピラミッドに例えれば、一時的にアンバランスなピラミッドの頂点にいて、このアンバランスをもっと不安定にしているのです。
 色んな生物が激減しているという事実は、そのピラミッドの底の部分が・・・少なくとも人間より下にある部分が欠けてきている・・・と言う事でしょう。・・・人間の食物連鎖系の下にいない生物は関係ない・・・と言うかも知れませんが、生物どうしの複雑な繋がりは、人間に解明されていない部分が沢山あります。・・・だから、一見、「風が吹けば桶屋が儲かる」・・・の論理が生態系では成り立つ場合が無数にある筈です。

 そのピラミッドの最上部に乗っかって文明社会・・とやらを謳歌している人類ですが、この生態系のピラミッド・・・やはりピラミッドという表現には抵抗がありますが・・・のピースがあちこちで抜け落ちてきている現在、いつこのピラミッドの大崩壊が起こってもおかしくない状態ではないでしょうか?・・・これを否定できる人は誰もいないでしょう。この可能性を下げる為には、一刻も早く生態系の破壊をやめて豊かな生態系を取り戻す事です。それは人類が特定の生物や地域だけを過剰に保護する事でも、DNAを保存することでもなく、開発、経済活動を大幅に縮小すること以外に方法はないでしょう。
←読んだ甲斐があったと思ったら、ここをクリック願います
(少しだけのときは片方、かなりのときは両方)

【2008/09/21 00:12】 | 生態系 トラックバック(0) |

100年後は?
BEM
子供の頃に読んだ本に、昔アボリジニがオーストラリアに住んでいた時、頭の大きなドードーという鳥や、ダチョウよりもっと大型なモアという鳥、牙がもの凄く大きいサーベルタイガーという動物がいたということを読みました。(確か、ドードーやモアという名前だったと思います)
それが白人が入植してアッと言う間にそのような動物は捕り尽くされ、アボリジニも結局絶滅させました。
今も貴重な動物ばかりでなく身近な生物まで殺しているとは。
「侵略の世界史」という本に白人が世界で何をやってきたかを紹介しています。人間に対してかくも残虐なことをする人達ですから、動植物に関しては何とも思わないのでしょう。
自然を大事にしていた日本人も昔の話しなのかもしれませんが。

残酷な人間達が開拓の歴史を作る
雑草Z
    BEMさん

 私は、実際に滅んでいった大型の生物の事を読んだのは結構最近の事です。オーストラリアの独自の生態系で進化してきた生態系も白人の入植で滅茶苦茶にさせられましたね。アボリジニ達は何万年も動物たちとしっかり共存していたのに、ヨーロッパ人の開拓者精神・・・と言う名の征服欲は、残忍ですね。白人に限らず、この手の残忍な人々が開拓の歴史を作ってきました。現在の「開発途上国」、「遅れた地域」と呼ばれる地域への開発行為も似たようなものでしょう。地元の人々がほとんど望んでいなくても強制的に行われる侵略行為ですね。


ゆいまーる
雑草Zさま

私も同じ思いです。
あと、最大の環境破壊(心も破壊・負のスパイラル)である、
戦争を終わらせることが大事だと考えます。

まず、猫もしゃくしも『経済優先』の先進国をどうしたら方向転換できるのだろうかと、ない知恵をぼちぼち絞り、たった一人では微力すぎなので、同志を探しているところです。
みんなが、生きものが、本当に幸せに生きるために。

>どうしたら方向転換できるのだろうか
雑草Z
    ゆいまーるさん

>猫もしゃくしも『経済優先』の先進国

 いわゆる先進国だけでなく途上国と呼ばれる国もみんな
『経済成長』と言う根拠のない目的に洗脳されていますね。
 
 私もこのままでは破局に突き進んでいると思いますし、この『経済優先』という愚かな思想が幅を利かせている世の中はどうしようもないと思いますが、希望もなきにしもあらずです。・・・破局の恐ろしさを実感出来て、回避しようと言う理性は人間には残っているでしょう。どうしようもない人間もいますが、大抵は、しっかり話せばわかるでしょう。

 望みは捨てられないでしょう。

コメントを閉じる▲
2008-09-17 00:03
 近年、毎日多くの生物が絶滅していると言われています。生存能力の高いと言われている昆虫の数さえめっきり減って来た事を実感致してます。
この夏は、家の網戸に蝉、蛾、黄金虫・・・大きめの昆虫が付いているのを見つけませんでした。・・夜の街頭の下にゲンゴロウやタガメも見つけませんでした。かつて、つい数年前(・・昨年?)まで毎年夏には沢山現れてうっとおしいくらいだった昆虫達が、今では恋しい限りです。沢山いたから目障りだったかもしれないけれど、あの大きな色鮮やかな蛾さえ素晴らしかったと思います。いまでもきっと郊外の田園や山間部に行けば沢山いるに違いない・・・と思いたいのですが・・・。そういえば、毛虫もいも虫もめっきり見なくなってきました。いまの子どもたちは、植物の葉につく昆虫の幼虫を見たことがあるのでしょうか?蛾の幼虫は大抵毛虫で、蝶の幼虫は芋虫が多い・・・って事を知っているのでしょうか・・アゲハの幼虫のように小さい頃(1齢の頃)は毛虫で、大きくなるにつれて(終齢)いも虫になる場合もありますが・・・…この夏は、アゲハ蝶が家の庭にやって来たのを見なかったような・・・家の山椒の葉にアゲハの幼虫もいた筈なのに、今年は・・・。

 さて、今年の夏は早く暑くなりましたが、涼しくなるのも早く、ここ東北地方では、8月下旬には秋の気配を感じ、秋の虫が鳴き始めています。そう、秋の虫はまだ頑張っています。草が生え放題で殺虫剤も撒かない家の周りには虫が鳴いています。・・・・・・草を生えっぱなしにしておけば虫まで育ってくれるのだから、自然は素晴らしいものです。秋の虫が盛んに鳴いています。
 エンマコオロギの声が一番大きく聞こえます。この、コロコロコロコロって鳴き声は、幼いころから聞き慣れていて、一番耳に親しみがあります。昔はあちこちで鳴いていて大合唱でしたが、今はどこで何匹鳴いているかが分かるくらいなのが寂しいところです。
 鈴虫は、私が幼い頃から草むらにはいなくて、近所で買って飼ってた鈴虫の鳴き声が聞こえてきたものです。
 キリギリスってお洒落な響きの名前ですが、鳴き声は無粋でイメージと違ってた・・・と言うのが子供の頃からの印象です。
 9月半ばの今、家の周りの草むらでは、4種類ほどの虫が鳴いています。虫の種類はエンマコオロギ以外あんまり判明出来ませんが(苦笑)。秋の夜長に虫が鳴かなくなったら、寂しいを通り越して・・・悲し過ぎます。


  現在の動物の絶滅は目を覆いたくなるレベルです。ペットにしたり家畜にするような一部の動物を人間が世話をして餌を与えて人工的に増やすのは、付け焼刃どころか何の対策にもなりません。・・しかし、それ以外に増えている動物って人間以外にいるのでしょうか?・・・シビアな悲しい現実と対峙しなければなりません。
 地上の生物はつづれ織りのように繋がっています。人間だけが生き残ることは不可能です。このままでは人間の絶滅も時間の問題でしょう。それなのに生物の急速な激減に対する有効な対策はほとんど為されていません。・・捕まえて保護するなんてのは以ての外です。生物の生存環境をしっかり保持すべきです。つまり、生態系の循環を破壊しない事です。
いまだに『経済優先』なんて事を言ってるのですから人類は本当に身勝手で愚かです。
・・もう駄目だろうという悲壮感を打ち消すように虫の鳴き声が聞こえます。この虫たちの声が聞こえる秋がやってきている間は、まだかろうじて生態系は繋がっているのでしょう。秋の虫の鳴き声が聞こえている間に、生態系の循環を豊かにする方向に方向転換すれば、人類の歴史も幕を下ろさなくて済むかも知れません。・・わずかな可能性でも・・・
←読んだ甲斐があったと思ったら、ここをクリック願います
(少しだけのときは片方、かなりのときは両方)

【2008/09/17 00:03】 | 生態系 トラックバック(0) |

同感です。
菊の助でござる^^
急速に虫の種類は減っています。逆に一つの種類が異常発生したりしております。明らかにバランスが壊れています。特に高速道路やバイパスができると急激に生態系が壊されてしまいます。道路の建設が最も自然を破壊しているのではないでしょうか。明らかに山林を削って作るのが道路ですから。うちも近くを高速道路が通り、雨の降り方まで変わりました。農業をしているのでその変化は敏感に感じます。

>道路の建設が最も自然を破壊
雑草Z
    菊の助でござるさん

 道路建設はもう必要ありませんね。田舎ではあまり使われていない道路が溢れています。必要ないと言うよりも、作っては駄目ですね。・・明らかに造ることが目的で造られて、造ってしまったから使おう・・・と言うどうしようもない自然破壊の悪循環に陥ってますね。
 おっしゃるように道路の建設が最悪の自然破壊でしょう。生態系がズタズタです。日本に限らず20世紀最大最悪の公共工事が道路の建設でしょう。

>高速道路が通り、雨の降り方まで変わりました

うーん、道路は気象も変えてしまうのでしょうね。敏感に実感出来るくらいのレベル・・と言うのは凄いですね。
 

 

コメントを閉じる▲
2008-09-13 00:14
【誘蛾灯】の続きです。

 昆虫採集や誘蛾灯は、昆虫の数を減らすほどの影響は与えないという人がかなりいます。
確かに、化学的に無差別に地域一帯の生態系を破壊する農薬の殺虫剤の散布よりはましでしょう。物理的に局所的な昆虫を減らすだけ・・・とも言えなくはありません。しかし、私は昆虫採集も誘蛾灯も、生態系への影響は大きいと考えます。物理的に手とか網とかで昆虫を採集しても、ある程度長く時間をかければ人間は、何種類かの昆虫を絶滅まで追い込むことは可能だと思います。・・・実際、人類は、化学的農薬などを使用する以前に、物理的方法で絶滅させた動物は沢山いると考えられています。・・・


 家の近くのコンビニ・・・こんな田舎町でもいつの間にかコンビニが沢山出来ました。・・・の誘蛾灯に集まって来た昆虫を観察して、殺される昆虫の数を考察し、誘蛾灯が生態系に影響を与えるかどうか考えてみたいと思います。
 ・・・という事で、夏も後半の8月18日(月)夜に、近くのコンビニの誘蛾灯で、感電する虫の数を数えて、何匹くらい虫が殺されるか計算しました。
 下調べの段階では、ここのコンビニの誘蛾灯は、他の場所の誘蛾灯と比べて集まる虫の数は少ないほうでしたが、誘蛾灯の下にトレイがなく、感電した虫はトレイに溜まらず下のコンクリートに落ちてくるので、虫の種類も見分けられるので、ここの誘蛾灯を選びました。
 さて、19時前にコンビニへ行って待機していると、丁度19時にコンビニの店員が誘蛾灯の電源を入れました。もう既に日が沈んで暗くなっていた事もあってか、虫が一挙に集まってきました。予想より遥かに多く、誘蛾灯に触れて感電する昆虫の数が1分間に60匹以上になりました。これを数え続けるのも大変だと思ったので、試行錯誤して、30分のうち中間の2分間だけ数を数えることにしました。
その結果は・・意外な興味深い結果になりました。
例えば19時15分の感電した虫の数 [匹/分] は、19時14分から19時16分までの感電した虫の数を2で割った値です。[匹/30分]はその30倍の値。

時刻     虫の感電ペース[匹/分] →  [匹/30分]
19時15分   69.5            2085
19時45分   30.5            915
20時15分   15             450
20時45分   5.5             165
21時15分   4              120
21時45分   2               60
22時15分   3               90
22時45分   2               60
23時15分   1               30
23時45分   2               60
 

はじめの6回、3時間ほどは、半減期が30分の放射性元素の崩壊のように、感電した虫の数は30分ごとにほぼ半減していきました。
・・・これは何を表わすのか・・・・
昆虫一匹当たりが30分で誘蛾灯で感電する確率が 1/2 = 50% 
と考え、はじめに一挙に昆虫がすぐに集まったと考えればいい訳です。
つまり、誘蛾灯に集まってくる昆虫は一晩を通して徐々に集まるのではなく、誘蛾灯の点灯とともに一挙に4000匹ほど集まって、30分毎に半数が感電すると考えれば、このような指数関数的減少になるでしょう。誘蛾灯の青い光はある程度遠くの虫も一斉に呼び寄せるのかもしれません。 
22時以降、感電する虫の数が減らなかったのは、測定数が 1~4匹/分 ですから、誤差の範囲かも知れません。よその電灯が消えて、そこから集まってきたのかも知れません。意味をつけて解釈をするならば、この時間帯は常に1~4匹/分のペースで、昆虫が集まってきて、誘蛾灯にぶつかる数と平衡状態になった・・ということでしょう。
 いずれにせよ、日付が変わる夜中の0時頃には、誘蛾灯の周りを回っている昆虫は数えられるほど少なく、ほとんど感電して下に落ちてしまっていました。感電して落ちた昆虫の数はおよそ4000匹。
あとは明け方まで観察しても、せいぜい1、2割しか増えないと思い、観察は中止しました。
下見の段階は22時頃でしたから、その段階で誘蛾灯の周りを飛んでいる虫が少ないと感じたのは、すでに大量虐殺が為された後だったのです。

この晩一晩で昆虫が4000~5000匹殺された事になります。一か所の誘蛾灯でです。
誘蛾灯の青いライトは、比較的遠くから虫を集めるといっても、このペースで虫が殺されたら、ひと夏で軽く10万匹は感電死させられるわけです。1か所のコンビニでです。
 町に住んでる虫の数の母体数はわかりませんが、これだけ虫を殺していたら、生態系に影響がない筈がありません。
一か所の誘蛾灯で殺す虫の数は、小鳥の数十匹分の餌にもなるでしょう。川に落ちれば魚の餌になるわけです。土に帰っても植物の栄養になります。
 箒で掃いて、ビニール袋に捨てて燃えるゴミに出すって、最低であると思います。
やっぱり誘蛾灯なんて廃止すべきです。光に集まる虫が困るなら、夜は店を閉めればいいのです。しかし、愚かな経済が、パーキンソンの法則で・・・
 この調子では、あと数年もすれば、誘蛾灯を使っても集まる虫がいなくなってくるのではないでしょうか?

・・勿論一回の観測ですので天候や、時期など日によって揺らぎはあるでしょう。
しかし、アバウトにここで挙げた数値のオーダー位は合っているでしょう。


 誘蛾灯の生態系に与える影響、昆虫採集コレクションによる生態系への影響、道路による生態系の影響(これは比較的為されていますが、工事側が行うどうしようもない環境アセスの場合が多いように感じます。)、などはもっとしっかり研究されるべきでしょう。予算なんて、道路建設と比べれば、ほとんど只同然で出来るのですから・・・・。
←読んだ甲斐があったと思ったら、ここをクリック願います
(少しだけのときは片方、かなりのときは両方)

【2008/09/13 00:14】 | 生態系 トラックバック(1) |

夜の高速道路にて
天地 はるな
夜、高速道路を走っていたら、小さな虫がいっぱい飛び交っていました。
虫たちは、フロントガラスにぶつかって、死んでいました。
もし、これが鳥だったら、運転上危ないので問題になるのですが、大騒ぎになりますが、虫だと無視。
_| ̄|○


鳥でも哺乳類でも、虫でも・・・
雑草Z
>運転上危ないので問題になるのですが

 人間の身勝手な言い分ですね。道路は生態系を分断するので生態系に悪影響をもたらしますね。
 私の住んでいる周辺でも、猫だけでなく、ムジナやイタチがよく道でひかれています。そのたびに胸が痛みます。
 芋虫や毛虫やミミズが道を横断していると、「急げ、頑張れ!」・・と応援したくなりますね。自転車や徒歩の場合、見届けるか、私が手で移動させちゃいますね。

 地方の道路は、空いているところが多くて、非常に無駄だし、生態系にも悪いから、これ以上一つも作るべきではないと思います・・・山間部や田舎の里山の道は、舗装しないと、生態系への負荷も減るでしょう。

TB成功!
天地 はるな
コメントに書いたことを書きました。

「おしゃれ手紙」の方は、TB成功しました(^▽^)/


虫だと無視
雑草Z
    天地 はるなさん

 TBのお知らせ有難う御座います。
人間の開発行為は行き過ぎばかりですが、道路、特に高速道路などの自動車専用道路はその代表例でしょう。

この偽装社会の中で あなたは・・
団塊おやじの遺言
虫は鳥や魚の大切な食物 この大地にも・・食物連鎖の中で行われる自然の行為 やはりそちらでも虫の数も減っているのですか 自然に任せば 天敵関係などでバランスの取れた生態系が維持出来るものが 今 人間の造ってきたシステムや環境が根底から崩れ 他の命なんか関係無い それも人の行為によって この豊かな生態系に生かされてきた事を知らない人が世界中に・・
小さな生き物がいなくなり生命の連鎖が切れる そんな事、全く意に介さない 儲けに走る人間が多すぎる今の社会 虫の観察 大変ご苦労さまでした あなたの様な人こそ環境大臣にしたいと思う 今日 この頃です・・


東京珈琲
最近、偶然ながら僕も走光性について調べたんですが、よく分かりませんでした(笑)
火に飛び込み、自ら死んでいくなんて美しいと思いましてね

夜間コンビニでアルバイトしているんですが、たまに蝉なんかが店内を飛び回っています
僕はそれを笑いながら見てるんですが、蝉にとっては辛いでしょうね

外では、光に誘われて来たデカいカミキリムシが潰れてたりします。それも卵がいっぱい詰った雌だったりします
可哀相です

こちらのコンビニは店内に誘蛾灯があります。なので、あまり機能していません
消してしまえばいいのにと思います


こんどは大学での話になりますが、授業中、教室の中をトンボが飛び回ってたりします
もう、どこもかしこも虫にとってはトラップだらけですね

アブなんかも教室の中を飛んでいたんですが、先生はアブないからと言って叩き潰してました。こちらが何もしなければ、あちらも何もしないのに。

もうクレイジーワールドです
徳川綱吉を見習って欲しいですね


…しかし、雑草さんの行動力には感服いたします
僕は夏休み中引き籠もりでしたので、そんな雑草さんを尊敬いたします

…夜中コンビニの外でずっと誘蛾灯を見つめる雑草さんを想像すると笑えます。
変人と間違われないように気をつけて下さい

言われてみれば…
BEM
都市に関してだけでなく、昆虫などの大量発生は見かけなくなった気がします。
また子供の頃の話しで恐縮ですが、町のスポーツセンターがありまして、その壁にビッチリとテントウ虫が発生していたり、そのもっと昔には川岸にイナゴが大量にいて、母親が佃煮にできるんだよと家族で獲った記憶があります。食べた覚えはないんですが(笑)
しかし最近ではアリの巣コロリとか、ワラジ虫なんとかとか、やたら家の周りの虫を絶滅させたいようで、こりゃ畑にミミズもいなくなりますよ。
一方で絶滅危惧種がどうのこうのってパラレルワールド?ですか?

>バランスの取れた生態系の維持
雑草Z
     団塊おやじの遺言 さん

 日本中どこでも虫の数は減っているようです。虫に限らず魚も鳥も両生類も爬虫類も減っていますね。・・日本中どころか世界中でしょう。・・・恐ろしい事です。・・・こんな中で唯一極端に増えている人間も、一時的なドーピングによるもので、食物連鎖から考えても、生態系から考えても、人間だけが増える事は不可能でしょうね。・・・現在の人口も維持出来ないでしょう。

>人間の造ってきたシステムや環境

は本当に愚かで滅びのシステムですね。・・科学的でもありません。ただのエゴと欲。

>生命の連鎖が切れる そんな事、全く意に介さない 儲けに走る人間が多すぎる

 本当にそうですね。愚かで強欲な金の亡者が多過ぎます。

走光性
雑草Z
    東京珈琲さん

 走行性に関しては2回前の記事【誘蛾灯】に書かせて戴きました。(東京珈琲さんもそこの記事やコメントに対する反応ですよね?)
そこでのえりざべすさんのコメント

>昆虫は光のやって来る方角を指標に飛ぶ向きなどを決定しているらしい
>視野の一定方向から光が来るように常に飛ぶ方向を修正

という説で考えられる昆虫の飛ぶ道の渦巻の軌跡は
等角螺旋というようです(・・・言葉ののまんまですね!)
生命の螺旋によくみられるようです。・・・よく見かける巻き貝などのきれいな螺旋です。

>火に飛び込み、自ら死んでいくなんて美しいと思いましてね

・・・危ない美学です!(笑)

>こちらのコンビニは店内に誘蛾灯があります。なので、あまり機能していません

あまり機能しないと言うよりも、名前の如く、逆に虫をお店の中に誘うのではないでしょうか?・・まさにギャグ効果!

>消してしまえばいいのにと思います

 あなたが消して下さい。店員が消す分には大丈夫でしょう。

>アブなんかも教室の中を飛んでいたんですが、先生はアブないからと言って叩き潰してました。こちらが何もしなければ、あちらも何もしないのに。

 その認識は間違っていますよ。
・・蜂ならば、そう言えるでしょうが、アブは蚊と同じように吸血昆虫ですから、こちらが害を与えなくても、血を吸う為に体に針を刺します。・・蚊よりずっと太い針なので、刺されただけでかなり痛いですよ。
私は蜂は怖くありませんが、アブは厭ですね。・・・でもアブだからと言って『アブない』って表現は少し大袈裟かも・・


>もうクレイジーワールドです

そこは同感です。

>僕は夏休み中引き籠もりでしたので

 私は引き籠りは環境負荷が少なくて悪くないと思います。
少なくとも、海外旅行したりドライブしたりマリンスポーツやゴルフをカッコイイと思ってやっているお馬鹿達よりずっと素敵です。

>夜中コンビニの外でずっと誘蛾灯を見つめる雑草さんを想像すると笑えます。

当初の予定はそうでしたが、本文にも書いているように、30分に一回、2分だけ数を数えたのです。このコンビニは家から自転車で一分位のところだったので、家から通って数えてましたし、店員さんにもその旨断っていました。

繰り返しますが、変人と思われてもお店の中の誘蛾灯は消して下さい。
 理由はここ3回の記事を読めは色々言えるでしょう!?

>絶滅危惧種がどうのこうのってパラレルワールド?
雑草Z
    BEMさん

>また子供の頃の話しで恐縮ですが、

いえいえ、参考になるし、重要な事ですから、子供のときの豊かな生態系のお話は沢山教えてくださいね。

>川岸にイナゴが大量にいて、母親が佃煮にできるんだよと家族で獲った記憶があります。食べた覚えはないんですが(笑)

 本当にイナゴは沢山いましたね。イナゴと赤とんぼの大量発生が秋の風物詩でした。
 小学校の秋の大運動会では、校庭は赤とんぼだらけでした。・・これを古き良き時代、失われた自然・・・として振り返る時期がくるなんて思ってもみませんでした。・・悪い冗談でしょうか・・?
 私は自分で捕ったイナゴは料理に出来なくて、みんな放していました・・・そのくせ他の家で作ったイナゴの佃煮などは、戴いて沢山食べていました。

>一方で絶滅危惧種がどうのこうのって

 絶滅危惧種を保護することも大切かも知れませんが、
そうやってレッドデータがどうのこうのって、一部の種だけ人間が飼育して過保護に育てるよりも、生態系全体をそのまま残す事に力を注ぐべきですね。
 環境アセスでは、イヌワシ、ナキウサギなど、絶滅危惧種がいれば工事の見直しが出来ますが、そんな貴重な生物が見つからなくても、自然の山、森を残す事こそが大切だと思います。
 それから、人間の生活圏にある里山を守る事が非常に大切だと切実に感じています。 

コメントを閉じる▲
2008-09-09 00:13
前回【誘蛾灯】の続きです。

 近頃、夏の夜、明かりに集まってくる虫が減ったなあ・・と感じます。以前夏の夜は、街灯などには煩いほどの虫が集まってきて、真下には行けないほどでした。ところが、近頃は、電灯の下にもそんなに虫はいない所が多くなってびっくりです。・・・夜に町中至る所に光が溢れ、【田舎まで不夜城】虫が分散されていることもあるでしょう。・・・でもそれにしても、数も少なく、大きな昆虫・・・カブトムシやクワガタは、私が小さい頃から町場の電灯にはあまり来ませんでしたが・・・カミキリムシやコガネムシ、蛾や蝶、が沢山集まりました。水に棲むゲンゴロウやタガメなども集まって来て、彼らも飛べる昆虫であることを子供の頃に分かって驚いたものです。 外に出なくても、家の網戸に沢山虫がへばりついて、そのうち小さめの何匹かは、網戸の破れ目や隙間などから家に入り込んだものです。私が住んでいた岩手県の小さな住宅は、近くに田んぼや藪があったので、ツマグロヨコバイ(ウンカ)が網戸に沢山張り付いていました。ヨコバイや羽アリが枕元のスタンドの周りなどを数匹飛び回ったものです。時々カミキリムシやコガネムシや大きなガやセミが入ってくると、捕まえて外に逃がしたものです。

 今住んでいる福島県の会津の田舎町でも10年くらい前まではもっと沢山の虫が、網戸にへばり付いていましたが、近頃はめっきり減りました。少子化で人口が減っているにもかかわらず宅地造成が進み、道路が新たに造られたり拡張されたりして、雑木林や原っぱ、田畑が減っているからでしょう。土や、三面張りでない底や側面が土の川、雑木林や草地がないから、昆虫が繁殖できないのは当然の事です。卵を産む場所もあまりないし、幼虫も繁殖できません。挙句にいまだに殺虫剤を散布し、各家庭でもちょっとした虫に大げさに殺虫剤を使っています。田畑にさえ、虫が少なくなって来ました。2,30年前はどこにでもいたようなゲンゴロウやタガメが絶滅の危機にあるというから驚きとともに寂しい限りです。大きめの蛾や蝶もかなり数が減りました。


 確かに虫が夜の家の中・・・特に夕飯の食卓や眠る布団についていたりするのは気持ちのいいものではないかも知れません。しかし、そこまでデリケートな人間が増えた事は嘆かわしい事でもあります。人間の生活圏から昆虫をすべて追い出してしまおうと言うのは狂った発想でしょう。

   生物はつづれ織りのように繋がっています。昆虫などの虫が住めない土地に人間が住めるものでしょうか。これ以上すべての開発類は人類にとって命取りになる危険性を孕んでます。

 
←読んだ甲斐があったと思ったら、ここをクリック願います
(少しだけのときは片方、かなりのときは両方)

【2008/09/09 00:13】 | 生態系 トラックバック(0) |

たった30数年前
BEM
私の田舎でも今の時期ならガムシや、ケラが道端に這い出ていたり、夏になると農家の用水路のコンクリートには八つ目ウナギがびっちりとくっついていました。夜は近くの草むらからカエルの大合唱が聞こえていました。
それがたった数年で姿を消したような気がします。造成と農薬のせいだったのでしょうか、分かりませんが、そういった動物を取り戻すにはホタルより難しい事なのでしょうか。寂しいですね。

取り戻せたらいいですね。
雑草Z
    BEM さん

 失ったものは大きいですね。

>そういった動物を取り戻す

生態系を破壊してしまってから取り戻す事は大変でしょうね。
よく、開発か環境か・・・と言う議論がありますが、生態系を壊したら、生物の一種である人間も生きていけませんね。人類は後悔する日が来るでしょう。(開発に反対する人は着実に増えてますね)開発って結局はただの生態系の破壊活動ですね。
 BEMさんの田舎(北海道でしたよね。)も生態系が豊かな里山だったのですね。
『ガムシ』って何だかあまり聞いたことがなくてネットで調べてしまいました。・・・ああ、そうだったのか!・・って感じですね(笑)
 それに対して『ケラ』は私は大好きでした。幼い頃、あのぷくぷくした肉感的感じが、虫には思えませんでした。昆虫に分類されている事を知ってびっくり・・・の記憶があります。・・・だから夜の光に集まってくるのも意外でした。・・・そう言えば最近見かけません・・・寂しい限りです。
 一番意外だったのは『八つ目ウナギ』・・・そんなにいるものだったのですね。私が住んでいた地域では見かけた事がありませんでした。びっちりくっついているところを見てみたいものです。

 先ず、かけがえのない里山から取り戻したいものです。

本当に減りました・・・
菊の助でござる^^
初めまして、拙者、大分県の山間部で農薬や化学肥料を使わず農業を営んでおります。菊の助と申します。
拙者の住んでいるところは、都会から見れば緑の多い山間部ですが、実際、カブトムシもクワガタもいません。椎茸栽培が盛んな大分県ゆえ(原木栽培では日本一の生産量)クヌギは山にたくさん栽培されているにもかかわらず、ほとんど見ることはありません。拙者が子供の頃(40年ほど前)は、大分市の都市部でも近郊の野山から、町の灯り目がけてカブトムシやクワガタが飛んできたものでしたのに。
大型の甲虫も少なくなりましたが、田んぼのカエルも小型化して、殿様ガエルなどの大型のカエルはほぼ全滅に近い状態です。数年前、拙者の田んぼで殿様ガエルを見かけた時は小躍りしたものですが、それ以来一度も目にしておりません。13年農業をしてきて1度しか殿様ガエルを見ていないのです。
レイチェル・カーソンの「沈黙の春」はすぐそこにきております。
初めて伺って長々とコメント、失礼いたしました┏(<:) ペコッ


やはり全国的傾向ですね。
雑草Z
    菊の助でござる^^さま

 はじめまして。初のコメント有難う御座います。

 町中だけではなく、山間部でも動物は減っているのですね。
 そして、おっしゃるように昆虫だけではなく、様々動物が身近な場所からいなくなってきていますね。
 田んぼにかえるがいないって、深刻な話だと思います。
 昔は水を引いた田んぼの中や周りの川には無数のプランクトンがいましたが、それもいなくなって来ました。特に肉眼でも確認できるミジンコが見当たらなくなってきてびっくりです。イナゴも赤とんぼも・・・・
 生物がうようよいない静かな田んぼになって来ているのですね。非常に危惧すべき事ですね
 私が住んでいるのも盆地ですが、久しぶりに行った海岸で、生物があまり見当たらなかった事も悲しい事実でした。私の記憶では、海岸は、いたるところ生物だらけ・・・だった筈です。
 動物だけでなく、植物もかなり減少してます。
日本だけではなく世界的な傾向でしょう。

>レイチェル・カーソンの「沈黙の春」はすぐそこにきております

 本当にその通りですね。
いまだに開発をしようとしている人類は本当に愚かだと思います。人類を含めた生物はまとめて滅んでしまいますね。
先ずは生態系をしっかり守る事でしょう。
 

このくらいの中味の濃いコメントは大歓迎です。長々としたコメントには感じません。これからも宜しくお願い致します。

 

コメントを閉じる▲
2008-09-05 00:12
 誘蛾灯の存在を知ったのは、中学生くらいの頃だったでしょうか?・・・農家の友達が、カブト虫が誘蛾灯の下のファンに吸われて小学校の頃沢山取っていたとか言って、そんなものがあるのかと強く印象に残っています。・・・その頃の誘蛾灯は、虫を青い電気で誘うことは今と一緒だったけれど、それを下に設置したファンで吸い取ると友達が言っていた記憶があります。ファンで虫が怪我したり死ぬこともあると聞いて、無差別で残酷なものだと思った記憶があります。・・・と言っても、友達から聞いただけで、想像の域で実際にはなかなか見たことがありませんでした。その後、農家の軒先に青白い光が見えて、ああ、誘蛾灯だなって思った記憶も有りますが、何故か近くまで見にいった記憶がありません。私は、誘蛾灯は、田んぼや林に囲まれた農家が使っていると言うイメージがありました。

 いつ頃からでしょうか?・・・誘蛾灯を普通の店先に見かけるようになりました。夜でも開けているコンビニなどの軒先によく見かけます。
 (昔からあったのかも知れませんが、)現在の誘蛾灯は、青い光の横に電気を通した鉄線が張ってあって、虫を電流で感電死とか焼き殺す仕組みになっています。虫が接触するたびに、電気がスパークし、ビリビリ音をたてて、気持ちのいいものではありません。

 夜の光に集まってくる虫が減った事を感じていた私は、もう少し詳しく調べる為に、先日夜、明るい場所を求めて自転車で住んでいる町を回りました。いくつかのコンビニなどの店先で誘蛾灯を見つけました。夜の9時過ぎでしたが、誘蛾灯の周りを飛んでいる虫が意外に少ない事に気付きました。セブンイレブンの誘蛾灯は、下にトレイ等がなくて、電気で感電した虫が、下のトレイに溜まるのではなく、直接地面(駐車場のコンクリート)の上に落ちていました。・・・・日を改めて、このコンビニの誘蛾灯を点けてから、消すまでにどのくらいの虫が集まってくるか・・・感電するか調べようと考えました・・・・その観察結果については次回以降にアップします。

 コンビニに集まってきた虫の様子を多少ここで書かせて戴きます。感電した昆虫は、下に落ちてきますが、羽が焼けたりしています。大きくぶつかって激しくスパークした虫は、胴体が焼けてしまって、両方の羽が取れてひらひら落ちてきました。電極にくっついて死んでいる虫もいました。・・・やはり残酷なものでした。ちょっとだけ感電したのか、下に落ちて生きているバッタが、大きなダメージを受けてふらふらで立ち上がるボクサーのように、またふらふらと飛んで、誘蛾灯の外の覆い(人間が間違って手を触れないようにした目の粗い金網)にやっとのことへばりついて、青い光を目指して上って行く姿には居たたまれなくて、そっと手で掴んで遠くの街頭の下まで持っていって放しました。
  誘蛾灯ってやっぱり残酷なものです。・・・まあ、殺虫剤なんかよりはマシでしょうが・・・・

 ++++++   ++++++++      +++++++++
 さて、切り替えて、かわいそうだとかセンチメンタルな事を言わずに、冷徹に書かせて戴きます。
 この誘蛾灯の下の昆虫の死骸は、大抵、翌朝店員が掃いて設置してある燃えるゴミのゴミ箱の中のゴミと一緒に袋に入れて燃えるゴミとして捨てるようです。以前にも書きましたが、【アメリカシロヒトリの駆除方法】、【恐ろしい?アメシロは、ただの毛虫】生き物の死骸を袋に入れてゴミとして出す感覚は異常です。・・・雑木林とか草地かなんかに撒いて、土に返すべきでしょう。蟻が運んだり、微生物が分解してこれが動植物の次の生命の栄養になるのです・・・魚がいる川に捨てれば魚のえさになります。・・・生態系の循環に流してやらなければ大変なことになります。
 提案ですが・・・・誘蛾灯自体あんまり好きではないので積極的な提案では有りませんが・・・誘蛾灯に集まった虫の死骸を回収して有機肥料として使えばいいと思います。売る事も可能でしょう。・・・かなりいい肥料になるでしょう・・・それに農薬で殺した虫ではないから安全です。

 余談ですが、誘蛾灯に集まってくる虫は、殆ど全部昆虫であると気付きました・・・つまり、羽があるのは昆虫だけ・・・ではないでしょうか?(そうではないとお分かりの方がいれば、是非ご一報を!)つまり、一応、無脊椎動物の外骨格系の動物の進化の最先端に属する動物の昆虫と言う事で、もしかしたら、誘蛾灯如きでは、絶滅しないのかも知れません(笑)。人類の後に繁栄するのは昆虫だ!!とも言われていますし・・・でも誘蛾灯は実際調べてみると種の存続に影響を与えるレベルであると考えます。(後日アップ)

 それからこれは昔からの疑問ですが、どうして正の走光性のある昆虫って多いんでしょうね??蚊とかゴキブリのように負の走光性で光を嫌う昆虫は、生存の為にその方が有利と言うことがわかりますが、光に集まる正の走光性って何の役に立つのでしょうか?特に夜光に集まると言う性質は、「飛んで火に入る夏の虫」の如く、圧倒的に悪い事のほうが多いと思うのですが・・・蛍のように雄が雌を呼び寄せるわけでもないと思いますし・・・それとも昆虫も人間のように夜の溜り場で出会いがあるのでしょうか(笑)・・・何せ、ポスト人類ですから・・・でも夜の溜り場で退廃しているようなら、人類のように先は長くないです
ね!!(笑)・・・・冗談はさておき、これも知っている方がいればお知らせ下さい。
 次回から2回も関連記事を書かせて戴きます。コンビニの誘蛾灯での観察した事・・・誘蛾灯に集まった虫の種類、数、誘蛾灯が殺した虫の数などについて報告致します。
←読んだ甲斐があったと思ったら、ここをクリック願います
(少しだけのときは片方、かなりのときは両方)

【2008/09/05 00:12】 | 生態系 トラックバック(0) |


えりざべす
雑草Zさま!

お久しぶりです.

昆虫の光走性の部分ですが,ちょっと私の拙い知識の範囲でコメントさせてください.

どうやら,昆虫は光のやって来る方角を指標に飛ぶ向きなどを決定しているらしいんですが,太陽や月の光はほぼ平行な光なので,それが可能になるようです.どんなに移動しても,常に同じ方角から光が来るので.視野のある方角に常に光を感じるように飛べば,真っ直ぐに飛ぶことができるわけです.

一方,電灯の光は一箇所から四方に広がる光なので,これを平行の光と間違えて飛ぶ際の指標にしてしまうと,視野の一定方向から光が来るように常に飛ぶ方向を修正し続けるので(昆虫としては,それが真っ直ぐに飛ぶことだと勘違いしている状況です),自然と光源に近づいていくことになるようです.たぶん,蛾が遠くから一直線に電灯に近づいてきて,そのまま激突というのはないでしょう.徐々に旋回などしつつ近づいてくると思いますが,そういう理由だと思われています.

おそらく長い間,平行な光だけを頼りにこの地球上で生活してきたのでしょう.平行と非平行の光を見分ける能力はほとんど必要なかったんでしょうね.もし,その能力を昆虫が獲得すれば,おそらく電灯には近づいてこなくなるのではと思います.

ところで誘蛾灯ですが,あの惨状はちょっと複雑な気持ちになります.
確かに有機肥料はいいかもしれないです.身勝手とはいえ,死を無駄にしないという意味でも...ただ僕もあまり積極的にはなれませんね...××


私の頭の糧
団塊おやじの遺言
天然成分×害虫=大地の糧 私もお亡くなりに成った虫たちは大地に還す事に大賛成です それが自然ですよね・・
でも正の光 負の光 また勉強になり ボケている暇は無くなりました‼害虫だ益虫は人間が勝手に区分けしているだけ自然界では皆 共生しているわけで人間の様に勝手な行動をして天下を取って自然の破壊者は見られない この光や火に寄って来る虫たちは害虫か益虫か?非常に興味があり楽しみです でも雑草さんの頭は枯れない名水のよう 日々 勉強になります

面白い説のご紹介有難う御座います
雑草Z
   えりざべすさん

 お久しぶりのコメント有難う御座います。確か、2度目のコメントですよね?・・・一度目は半年ほど前に、経済成長路線は限界である・・と言う事に対するご賛同と、それにヨーロッパは気づいている・・とかの内容でしたね?印象深く覚えています。

  +++++  +++++   ++++++++

 さて、今回のコメント、 えりざべす さんご紹介の興味深い説に関して考察させて戴きます。

 先ず、昆虫は、真っ直ぐ飛ぶものですか?・・そこから疑問です。蝶々や蛾は真っ直ぐ飛んでいるとはあまり思えません(笑)・・・夜に光に集まる・・と言うのは、光を太陽と勘違いして夜にも活動するからでしょうか?・・これはすぐに実験で確かめられますね。暗闇の昆虫と光を当てた昆虫の活動を比べればいいわけですね。・・・人間もそうですが、夜の明かりが、夜行性のない生物に夜の活動を発生させるのでしょうね。

さて、えりざべす氏のおっしゃるように
進行方向に対して右側でも左側でも、
>視野のある方角に常に光を感じるように飛ぶ
と致しますと、
90度未満の方向に光を感じて飛んでいる昆虫は、
  光源に渦を巻くように近づいてきて
90度の方向に見て飛んでいる昆虫は、
  ずっと同じ半径の円を描くだけ(笑)。
90度より大きな方向(後方)に見て飛んでいる昆虫は、
  光源から離れるように渦を巻いて飛ぶのですね。
・・・光によって活動するとすると、光から離れる方向に飛んでいく昆虫はあまりいないかも知れませんね。

 さて、これも実験で検証出来そうですね。・・・
ミツバチなどの、巣に帰る昆虫ならば、光源の近くに蜜が出る花でも置いておけばいい訳です。
 帰りは180°反対方向に光を見ながら進むとすると そこまで来た蜂は帰りには、同じ渦を戻るように巣に帰ることになりますね。つまり、帰りは回転方向が逆・・と言う、エリザベスさんご紹介の説でなければ説明が難しい行動をとりますね。
・・まあ、フェロモンなどを軌道に撒いてくるとも考えられていますが・・・それは鏡などを使えば区別出来ますね!?是非とも実験してみたいものです。
 渦の形は自己相似な渦ですね。私は幾何が好きではなかったのでわかりませんが、一点に対して常に同じ角度で進行する曲線の軌跡って名前がありそうな曲線ですね!。
(因みに光源が大きさのない完全な点ならば、軌跡はいつまでもフラクタルな図形を描いて、直進して突入してくる場合を除いて光源にはぶつかりませんね。)

 生物実験は面白いですね。・・・曲ったコースを直進と感じるなんて、相対性理論みたいです。
 何れにしても、夜の光を太陽と勘違いして、『飛んで火に入る』ならぬ、『飛んで誘蛾灯にぶつかる』夏の虫は哀れですね。青い光に反応しやすいのは(太陽の)紫外線に反応しやすいと言う事でしょうか?

 私はかつて、物理系で、理論好きで実験は好きでありませんでしたが、生物実験は面白いですね?!

 興味深い説のご紹介有難う御座いました。・・・この説は当たっている可能性が結構高いと感じます。
 

>大地に還す事
雑草Z
    団塊おやじの遺言さん

 誘蛾灯は残酷ですが、もしそれを認めたとしても、昆虫の体は生態系の循環に回す事が当然すべき事ですね。
団塊おやじの遺言さんの天然成分も、害虫の体を土に戻す事が基本でしたね?それが何より優れた部分で大切ですね。
 
>光や火に寄って来る虫たちは害虫か益虫か?

 かつて大量に電燈に集まってきたツマグロヨコバイ(ウンカ)はイネの害虫でしたが、短絡的に害虫だと決めつけて駆除するのも危険でしょうね。
 生物の多様性は大切だと考えます。・・・現在、毎日何種類もの生物が絶滅している事は、非常に憂慮すべき事でしょう。

 

 


nao
山に住んでいたいた時はね。蛍光灯に無数の蛾が舞ってくるんですよ。Anthonyが気絶するくらい(笑)。
んで蛾が耳やら鼻やらに入るのを我慢して、耳をすませば、クワガタの音が聞こえるんです。
一時間程度で雄雌あわせて十匹程度でしょうか。
クワガタを捕るだけ捕って後はほったらかしです。多くは山に帰り土に還るのでしょう。

皆で夜のドライブをしている時に、喉が渇いた女の子が、自動販売機に近づけないのが、僕の密かな楽しみです(笑)。サーティワンアイスクリームとか(爆)。
虫と人との関係については、後日ゆっくりと(笑)。

山じゃなくても・・・
雑草Z
    naoさん

 田舎町でも以前は、・・・夏の夜は無数の昆虫が電燈に集まって来て、下に行くのが大変でした。・・・いつ頃から減って来たのでしょう。・・・私の町でも大きな蛾が少なくなって来ました。・・この事に関しては本日(9月9日)アップの記事にも書きました。


 クワガタが10匹って多いですね!・・一つの蛍光灯ですか?何箇所か回ったのですか?

>自動販売機に近づけない

と言うのも、わかりますねえ。自動販売機って夜は結構明るくて、沢山虫が集まって来てましたね・・・
 naoさんが、山に住んでいた頃って何年くらい前の事ですか?・・そこには今でも・・今年の夏も・・沢山の昆虫が集まって来ていればいいですね。


コメントを閉じる▲
2008-01-21 00:02
 ガイア説とは、地球を1つの生命体と考える説です。私もその考え方に賛同いたします。地球を実際の地上の生物に例えますとマリモでしょうか?(笑)・・・もうそんなに緑ではありませんが・・(苦笑)
 それはさておき、地上の生物をガイア地球の細胞の一つ一つと考えると人間はガン細胞に違いありません。

 細胞とは、生体の細胞がコントロールを失って、無制限に増殖するようになったものです。その特徴は

 ・無制限に栄養を使って増殖するために生体は急速に消耗する。
 ・正常な組織の細胞を圧迫しガン細胞に置き換え臓器を機能不全に陥れる。
 ・異常な内分泌により正常な生体機能を妨げる。
 ・全身に転移することにより、多数の臓器を機能不全に陥れる
 ・・・・・・・・・
 生体 → ガイア地球
 栄養 → 資源
 臓器 → 地球の各部、大陸など
 組織 → その大陸などのさらに各部分
 機能不全 → 生態系の破壊
 異常な内分泌 → 人工の化学物質

 などと置き換えれば
完璧に人間は地球のガン細胞にほかならないでしょう。
では、置き換えて、癌細胞の特徴を書き直してみます。

 ・無制限に地球の資源を使って増殖するために地球は急速に消耗する。
 ・各地に住む生物を圧迫し、人間が住む為に開発し、各大陸の生態系を破壊する。
 ・人工の化学物質により正常な生体機能を妨げる。
 ・全地球上に転移することにより、多数の大陸の生態系を破壊する。
 ・・・・・・・・・

どうです?違和感ありませんね!?。

ちなみに、健康な細胞とは、その種類によって存在する場所が決まっていて、細胞数をほぼ一定に保つために、分裂、増殖し過ぎない制御機構が働いています。・・人間以外の動物にはほぼ当てはまっていますね。
 地球の健康な細胞であった様々な動物達が、癌細胞である人間に滅ぼされていったのです。そして、癌細胞である人間が無節操に増えてきたのです。
 人間の中でも特にたちの悪いのは、異常な内分泌(化学物質)を出す、自ら文明人と名乗る民族です。先進国の人々ですね。
 つまり、先進諸国は、癌細胞に冒された末期器官、いわゆる発展途上国はガン細胞が転移して活性化した状態と言えましょうか。

 地上に人間が現れる以前の何千万年、何億年は、外的要因・・・太陽活動や地殻の変動以外は、地上の生体系はかなり安定していました。つい最近、百万年ほど前、このガイア地球に人類の祖先が現れましたが、それから現在に至る99%以上は、癌細胞である人間の存在が小さすぎてガイア地球も気にならなかったでしょう。
 最近・・ここ千年ばかり、癌細胞が指数関数的に増えはじめ、ガイア地球も嫌な感じがしたでしょう。産業革命以降癌細胞は特に活性化し、悪質になりました。異常な内分泌も出しはじめました。・・合成した化学物質・・そして、最悪の放射性物質・・・特に20世紀になって、ガイア地球は相当苦しみはじめたに違いありません。
 21世紀に近づくと、癌細胞人間も、善玉細胞になろうとする細胞が現れはじめましたが、口先だけで、悪玉細胞である癌細胞のままです。 22世紀を確認する前にガイア地球の殆ど全ての細胞が滅んでしまう・・・すなわちガイア地球が死滅してしまうかも知れません。
 
 人間が本当に健康な善玉細胞になろうと思うなら、不健康な自己増殖する遺伝子を放棄し、他の生物と共存出来る遺伝子を持つべきです。つまり、成長主義から脱却して、持続可能な安定した細胞になる遺伝子を持つべきでしょう。
←読んだ甲斐があったと思ったら、ここをクリック願います
(少しだけのときは片方、かなりのときは両方)

【2008/01/21 00:02】 | 生態系 トラックバック(0) |

何かが 変?
団塊おやじの遺言
最近の 豚インフルエンザですが・・
健康な若者が狙われている 農薬の歴史が50年位
我々の年代は10歳位までは無農薬の食べ物で 体は造られて来たが今の子供たちは 農薬の恩恵(疑問)の食べ物を食べ続けて来たそして孫達の年代 有って当然の抵抗力が備わっていないのでは・・ウィルスが突然 降って湧いた訳じゃなかろうに 自然環境を壊し 自分達の都合の悪い虫たちを殺し そして儲かれば良い 金になればと ここ50年の歴史を見ても 改める時期! 人間は自分で自分の首をしめている 例えばこのネットの害虫相談を見てもその答え100%に近いのが農薬や殺虫剤だ 子供でも買えるこれらの毒薬
本当に いい社会と言えるのか・・自然は何とか 今の所 持ちこたえてくれているが 蜜蜂がいい例かもしれない 

かなり変ですね。
雑草Z
    団塊おやじの遺言さん

 こんな前の記事へ遡ってのコメント有難う御座います。

 現代の人間社会の構造は持続する事は不可能ですね。酷い自然破壊を平気でする人々で溢れています。かなり変で異常な社会でしょう。

>例えばこのネットの害虫相談を見てもその答え100%に近いのが農薬や殺虫剤

天敵を使う方法など色々あるのに、農薬ばかり・・・と言うのはかなり洗脳されてますね。


>自然環境を壊し 自分達の都合の悪い虫たちを殺し

そうですね。そして殺虫剤はそれほど選択性はありませんから、都合の悪い虫だろうが益虫だろうが、まとめて殺す無差別殺虫ですね。・・・虫だけでなく、魚や鳥も直接、間接に殺してしまいました。たった1種類~数種類の害虫を絶滅させようとして、多くの種類の動物を巻き添えにしてきました。馬鹿ですねえ・・・その結果、駆除しようとした虫がもっと増えた・・・という例も枚挙に暇がありません。・・・人間は愚かです・・・と言うか、農薬会社と癒着した政府や自治体がガンなんでしょうね。

 農薬の害が騒がれてからも50年くらい経ちます。それなのに未だに農薬べったりの社会。・・・私たちはもっとしっかり農薬の恐ろしさを認識するべきですね。

コメントを閉じる▲
2007-07-07 18:00
このあいだアメシロの駆除方法などについて述べさせて頂きました。
【アメシロの駆除方法】はじめの部分だけ繰り返させて戴きます。

 アメシロ駆除の消毒は酷いものです・・・散布した霧状の農薬が、木の葉から雫になって滴り落ちるまで散布致します。せみが狂ったように泣き叫び、木から飛び出して逃げていきますが、途中でポタリと地面に落ちて、また飛び立とうとしますが遂には力尽きます。どこかに潜んでいた蝶もひらひらと落ちてきます。アメシロ消毒のうるさい散布機の音が去ったあとは、虫たちの死の世界が訪れ、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」の世界の一節を連想致します。

 × × × × × × × × × × × × × ×

 その後、先日書かせて戴いたように、勿論、殺虫剤の散布はせずに、ときどきアメシロのついた1枚の葉や葉が何枚かついた枝をとって土に埋めています。先週は、忙しさと雨で木を見なかったので、アメシロにやられた葉がちょっと増えていたので、今日は、300~500匹くらい葉や枝ごと取って土に埋めました。多いようですが、卵からかえって、まだ産みつけられた葉から分散する前の段階なら、その葉1枚で100匹くらい一網打尽です。
 しかし、大きくなって枝中に分散して広がったアメシロを駆除するのはちょっと大変です。
 幼虫が吐いた糸だらけになって繊維だけ残って透け透けになった葉だらけの枝には既にアメシロはもぬけの空の場合も結構あります。 
 やはり、マメに観察して、1枚の葉だけが糸で巻かれた状態になった時が、産みつけられた卵からかえったばかりで、一網打尽にしやすいでしょう。

 
今回再びアメシロの話題を出したのは、コメントは頂きませんでしたが、前回の記事を読んだ家族や知っている方が、
「アメシロって、本当に土に埋めただけで大丈夫?焼かなくていいの?」
って、まじめに聞いてきたからです。アメシロに木をやられた経験のある人は、アメシロの猛威を恐れているのです・・・大砲のような大げさな機械を持ってきて、薬剤散布することも一因かも知れません。近くにいたセミやトンボやチョウも一緒にやられる程すごい薬剤を散布しないと退治出来ないと考えてしまうのでしょうか?
「埋めても、土の中から這い出して来て、また木に登るのではないの?」
って本気で聞いてくるのです。
 アメリカシロヒトリ蛾の幼虫は毛虫です。クワガタの幼虫の芋虫やミミズでもあるまいし、土に埋めた毛虫が土から這い出る可能性はまずないでしょう。まして、土に埋めた後足で踏み固めれば、クワガタの幼虫だって、潰れてしまうでしょう。(ミミズは大丈夫か??)どうして焼く必要があるでしょう??まして、殺虫剤なんてとんでも御座いません。


 確かにアメシロにやられて葉がなくなったり、枝中クモの巣の糸だらけのようになった木は、悲惨に見えます。でも、その木を食い荒らしたアメシロの幼虫も、はじめは1枚の葉に一緒に産みつけられた卵から孵ってある程度成長してから分散したのです。卵が産みつけられた葉が1枚だけでなくとも、数枚から、せいぜい数十枚の葉でしょう。
 その、卵を一緒に産みつけられた数枚の葉を取って、土に埋めれば御仕舞の獅子舞です。卵が見つけにくくても、幼虫が孵って繭の糸見たいなものを吐いた後は、簡単に見つけられます。まだ産みつけられた葉にまとまっているアメシロを、葉ごと摘んで土に埋めるのは非常に簡単な作業です。
その方法は、「けむしの会」のHPにも書いてあります。(ゴミ袋に入れて捨てるのはよくありませんが・・)

 農薬、殺虫剤の使用は、生態系に非常に悪影響であることは、よく言われていることです。私も同じ意見で、何度か述べています。生態系の為にも殺虫剤の使用は、特別な場合を除いて禁止にすべきです。

 それとは別に、意外と簡単なアメシロの手作業の駆除をしていて、大げさな殺虫剤の散布と比べて感じた事ですが、殺虫剤での害虫の駆除って、能率がいいようで、実は恐ろしく能率の悪いことではないでしょうか?
 大砲のような殺虫剤散布機械は、面倒で、簡単にいつでも出せませんから、ある程度大量発生しはじめた時に散布いたします。これって実は、アメシロがある程度大きくなって、1枚の葉から周りの葉に分散してから散布する事になるのです。分散してしまったから、丸ごと木1本全体に散布するのです。でも実際は、散布機でも高いところには届きません。ジェット噴射で届かせるなんて、高い位置で拡散するからとんでもない事です。・・・枝を切って埋めるのなら高枝バサミで簡単に切れます。・・・大砲のような散布機で殺虫剤を撒かなければならないと言う発想は、農薬会社の戦略、洗脳でしょう。

  

 殺虫剤の大規模散布は、生態系の破壊というそれだけの理由でも十分禁止するに値します。
 しかしそれだけではなく、実は殺虫剤の散布は、能率も悪く、効果も薄い対症療法ではないでしょうか?
 だいぶ以前から殺虫剤散布により、殺虫剤に強い遺伝子を持った害虫が現れて問題になっていますが、これさえ実は農薬会社では、喜んでいるのかも知れません。害虫は滅びず、毎年ニーズを作り出し、次々に強い殺虫剤を開発していけばいいわけですから・・。
 殺虫剤を作っている農薬、製薬会社は実はアメシロの恐ろしさを大げさにプロパガンダして危機意識を煽り、毎年毎年対症療法的に対処しているのではないでしょうか?。
 ・・・それに比べ、葉に産みつけられた卵から孵ったばかりの頃の葉を手で取って土に埋めるのも、対症療法かも知れませんが、たったこれだけで効果も高く、アメシロのみ選別して駆除出来るし、土に埋めれば生態系の循環も完璧でしょう。

 アメシロの駆除の消毒を何十年も続けた割に、アメシロはあまり減っていませんが、セミやトンボやチョウは目に見えて減っています。こんな愚かなことを続けてはなりません。 

 生物学者や農学者、農協の職員、研究員は、殺虫剤の散布など止めて、生態系に沿った害虫の駆除法を考えるべきです。卵を何処に産みつけるか?広がる前に駆除するのはどの段階が効果的か?人間が手で駆除するか、天敵を利用するか? ・・・きっとそういう研究もなされているのでしょうが、農薬会社の力が強く農薬依存にさせられているかも知れません。何せ、農薬会社はもともと軍需産業、化学兵器を製造していたわけですから・・・情けなく、愚かなことです。

 ちなみに、害虫、益虫って、人間のご都合で、人間に有害か役に立つかで決めていますが、木や農作物を食い荒らす毛虫も、結構生態系の循環に役に立っています。例えば鳥の餌になり、鳥が山の木の巣のヒナのもとに運びます。そこで糞などが、山の微生物や植物の栄養になるのです。下に下る栄養を高いところに戻す働きもあり、この働きもかなり重要です。(槌田敦氏の文献に載っていますので、中途半端になっている 槌田敦論-考 でいつか書かせて戴きます。)

 単純な発想ですが、アメシロに限らず、毛虫はたいていクモの糸のような糸を吐きますが、蚕の繭のように繊維に利用出来るのではないでしょうか?

 21世紀にもなって、科学の時代だとか言って、毛虫を駆除するのに、他の虫まで巻き添えにする、無差別殺虫の生態系まで破壊する殺虫剤を使うなんて、あまりに野蛮で非科学的で愚かな行為です。
←読んだ甲斐があったと思ったら、ここをクリック願います
(少しだけのときは片方、かなりのときは両方)

【2007/07/07 18:00】 | 生態系 トラックバック(0) |

「あまりの内容の正確さに驚いてます。」
nao
はじめまして。アンソニーズカフェのnaoと申します。よろしくお願いいたします。それにしても、こちらのサイトは他の環境ブログと違い、物凄く的確な内容ですね。僕もhttp://anthony3b.blog108.fc2.com/?mode=m&no=176こんなのやhttp://anthony3b.blog108.fc2.com/?mode=m&no=40&photo=trueこんなのを書いてます(笑)。こちらの記事はまだ全部は読んでないのですが、時間の許す限り早急に読破をしたいと思います(笑)。それでは長文、失礼しました。取り急ぎご挨拶まで。

自然の摂理に対する感覚を大切にかいています
雑草Z
 はじめまして、ご訪問&コメント有難う御座います。
 自分の主張中心に感覚でかいている部分もありますので、正確さが犠牲になる部分もありますが、環境問題は、科学の一面も大きいので、なるべく正確さには気をつけています。
 nao氏の貼り付けてくれた2つの記事も興味深く読ませて戴きました。ただ、氷の記述に関しては、ちょっと違う部分もありますので、時間を見つけてコメントしておきますね。 

北極の氷について
雑草Z
 先ず、
>「氷は、空気を含んでいるから体積が大きい」
と言う部分
 確かにそういう事もあるでしょうが、水の分子の構造上の特徴から、固体になったほうが、隙間が大きくなるのです。(その隙間に空気が入ると言う意味ではありません)つまり、水は元々特徴として固体のほうが体積が増え、密度が低いのです。

次に
 「北極の氷が融けると海面が上がるか、下がるか」
と言う事ですが、北極の氷は水に浮いているので、naoさんもかかれている、アルキメデスの原理により、融けた氷はその氷の水面下の部分と同じ体積になるので、海水面は、基本的に上昇も下降も致しません。
 ただ、氷はあまり食塩を含まないので、融ける事によってその海域の食塩濃度は低くなって、密度は減ります。それから温度上昇によってほんの一寸海面が上がる程度です。(4℃が、密度最高で、それより温度上昇した場合)
 海面が上昇するのは、南極とか、グリーンランドとか、大陸の氷が海に落ちるときです。落ちた段階で、氷が融けようが融けまいが、海面は上昇します。まあ、大した量ではなく、それよりは、巨大な氷が落ちたときの津波が危険でしょう。
南極とかグリーンランドでは、周辺でしょっちゅう氷の崩落は起こっています。そうでなければ降水により氷が増える一方です。

 結論としては、nao氏の言うように、氷が融ける事による海面上昇の危険性は杞憂に終わる可能性が高いですね。
 
 

薬剤散布の日は憂鬱です。
おかっぱ頭
アメシロの消毒って虫達にとっては死の雨ですね。
私の住んでいる町内でも年に2回、早朝からモーターの音が鳴り響き作業が行われます。散布の必要の無い、何とも無い木にさえも薬剤がかかって、駆除作業とは到底思えないところがあります。
家の近辺は狭い住宅地ですので、一軒だけ断っても両脇の家が希望すれば、結局は散布したのと大して変わらない状態です。
家の庭の木はアメシロの口に合わないのか、幸いにも被害に遭った事は無いのですが、事実、薬剤が飛んで来ます。僅かばかりの家庭菜園にも袋を被せたりと憂鬱な日です。
実家には昔梅の木が植えてあって、それには頻繁に発生して、父がその部分を切り落としては長靴で踏み潰していたのを思い出します。雑草様がされている様に踏み潰さずに土に埋めてくれていたら、私も少しは手伝いが出来たのではないかと今思います。
土に帰すという自然の摂理に沿った方法ですね。

アメシロと薬剤散布どっちが恐ろしいでしょう?
雑草Z
 アメシロよりその駆除の薬剤散布のほうがよっぽど恐ろしいですよね?!。アメシロの怖さって、きっと作られたイメージでしょう。
 本文に書いたように、成長して沢山の葉に拡散する前に手で取ればOKでしょう。
 アメシロの消毒を拒否して、周りの家にかける迷惑より、消毒の薬剤散布をして、近所の家に薬剤を飛ばすほうが悪いですよね!

 お父さまが、長靴でアメシロを踏み潰していたとの事ですが、それもいい方法だと思いますよ。家でもそんな事もしてました。その後で土に埋めてもいいし・・・
 その他、自然の循環に回すと言うのなら、やってくる鳥やそのヒナの餌や、川や池の魚の餌にするのもいい方法だと思います。

 小さな庭程度のアメシロの駆除に薬剤を散布するのは愚かなことだし、本文の方法で、タイミングよく3,4日に1回の駆除を数回やれば、それでお仕舞いの獅子舞です。
 逆に、葉についたアメシロを観察してると、かわいいもんで、殺すのがちょっと忍びないくらいです。
 アメシロの成虫は小さな蛾ですし、幼虫はただの毛虫ですし・・。

コメントを閉じる▲
2007-07-03 22:32
 河畔林とは、読んで字の如く、河川の周辺、河畔にある林です。上流の狭い谷底や斜面にあるものを渓畔林、下流の氾濫原にあるものを河畔林と区別するようですが、ここではそれらを合わせて、河川の周辺の森林を「河畔林」と呼びます。

 ずっと昔は、河川は、護岸工事や河川改修工事などは行われていなかったから、森林に流れる川の流域は絶壁でもない限り全て河畔林だったでしょう。(絶壁にさえも逞しい木が生えています。)
 日本でいえば、江戸時代以前からも護岸工事などは行われていましたが、コンクリートで固めたわけではないでしょうし、昔は本当に必要と思われる地域で工事が行われたでしょう。
 それに比べて、最近の護岸工事、河川改修工事はどうでしょう?実質は、増え過ぎて太り過ぎたゼネコンを支える為だけとしか思えない護岸工事、河川改修工事の方がほとんどだと思われます。いまだに護岸工事がされていなくて、河畔林が茂って生態系の豊かな部分がターゲットにされています。
 昔は、本当に必要だった護岸工事も、最近は、護岸工事されていない河川の地域を探してきて、ゼネコンの為に順々に護岸工事しているとしか思えない部分が沢山あります。
 
 最近は、全く堤防のない、河畔林が堤防で分断されることなくそのまま森に続いているような美しい風景の場所は、激減しています。道路工事と護岸工事、河川改修工事がセットにされて、どんどん工事されています。

 河畔林や葦は、水面を覆って日陰をつくり、魚の隠れる場所をつくります。葉や葉についている虫などが水面に落ちて、水中生物のえさとなり、水草の養分となります。洪水の時危険だと言われる倒木も、川の中の生物の生息環境を豊かにします。木は逆に洪水時の土砂の流出を防ぎます。
 
 最近は、護岸工事や河川改修工事に慎重になってきたと言われますが、それは注目されている一部の場所の話で、今でも地方の至る所で、工事のメリット、デメリットを十分比較検討せずに、無節操にどんどん河川改修工事が為されています。
 河畔林の生態系での役割は、まだはっきりわからないと言っても、陸の生物も川の生物も他の場所より多く、生態系が豊かである事は明らかです。生態系の物質循環にも大きく貢献していることは最近明らかにされつつあります。それも、その河畔林の周辺だけではなく、ずっと下流の河口、さらには海、逆に上流の山の生態系にまで影響していることが、最近の研究でわかってきています。

 河川改修工事などで河畔林が失われると、そこで生活している沢山の生物に直接大打撃になる事は明らかですが、そればかりではなく、その川の全ての流域や、もっと広範囲の海や山の生態系、物質循環にも打撃を与えるでしょう。
 そのくらいの事は、環境アセスなどしなくても明らかでしょう。しかし逆に環境アセスしても、確実な証拠は示せないのが現状です。
 生態系への配慮もなくどんどん河川改修工事をするゼネコン、させる自治体(最近は形式的な配慮はするようです。)・・・彼等はとんでもなく無知なのでしょうか?それとも愚かなほどに強欲なのでしょうか?・・・生活の為と割り切っているからなのでしょうか? 
 
 護岸工事されて、周りは堤防があって、並木が整然と植えられている川は、いかにも人工的で、箱庭のイメージです。 
 それよりも、護岸工事などされてなくて、中州もそのままで、川の水の中から続いて草木が生い茂り、周囲はワイルドな雑木林の河畔林があることが生態系にとって大切な事でしょう。素晴らしい事です。

 現在残された河畔林を潰す大義なんてほとんどない筈です。
←読んだ甲斐があったと思ったら、ここをクリック願います
(少しだけのときは片方、かなりのときは両方)

【2007/07/03 22:32】 | 生態系 トラックバック(0) |
2007-06-19 22:00
 幼い頃雑魚取りが大好きだった事もあり、昔から川や沼・・・特に小川や用水路、側溝まで・・・があると必ずと言っていいほど魚を中心に、水中生物がいるかどうか確認致します。汚い川にでもいるザリガニがいてもあまり嬉しくありませんが・・・いないよりは嬉しいですが・・・やはり魚がいると嬉しいものです。メダカはめっきり見なくなってきましたが、フナやもっと細いアブラハヤとかいると嬉しいものです。でも、最近の小川の類いには、めっきり小魚の数が減って淋しいものがあります。一見水がきれいでも、水草が生えていても、魚の姿は見受けられなくなってきました。悲しいものがあります。

 魚を探していると、いろいろな人とコミュニケーションが取れます。こちらから聞く場合もありますが、よく地元の人が話しかけてきます・・・・昔は鮎が上ってきたもんだ/雨の日はウナギが川から上がって道を這っていたもんだ/ナマズもとれるぞ/・・・

 ・・そして、よく聞く耳にしたくないセリフ・・・・(最近まで沢山いたけれど)U字溝になったからもういなくなった・・・・・・

 そう、それまでの自然の小川、または土を掘っただけか少し石を敷いた程度の小川をU字溝にしてしまった為に、魚がいなくなったと言う話をよく耳にします。逞しい水中生物はU字溝になっても頑張って生きている場合もありますが、それでも数は激減してしまうようです。魚だけではありません。沢ガニ、川エビ、ホタル・・・など見つけると嬉しくなった水中生物も、ゲンゴロウ、ミズスマシ、タニシ、ドジョウ、など、珍しくもなんともなくどこにでもいた生物も・・・ほんと、いつの間にかあまり見かけなくなってしまいました。一時期ほど酷い農薬は使わなくなったと言われていますから、やはりU字溝が大きな原因のひとつでしょう・・。
水中生物だけではありません。トカゲや蛇やおケラやコガネムシもU字溝にハマってどんどん死んでます。 

 U字溝をはめる工事なんてひと昔前に終わってしまった事のようですが、さにあらず。田舎では、未だにU字溝ではなく、もともとの自然の小川や土を掘っただけの側溝が結構あるのです。そして、そこには、飲めそうなほど結構きれいな水が流れている場合が多いのです。何の必要もないのに、というよりそのままの方が絶対いいのに、その小さな小川、側溝にU字溝をどんどんはめていっているのです。ちょうど不要な農道や林道工事、鋪装工事に連動させたりして、U字溝がはめられていることもよく見かけます。単に不要な公共工事でゼネコンに儲けさせる事が目的でしょう。

 ところで、なんでU字溝にするかと考えると、(勿論ゼネコンに儲けさせる事が第一かもしれませんが)水を速く流す為でしょうか?・・・現在、それでなくとも地面をコンクリートで固めて、どんどん水を早く流して海に直行させています。それが洪水を防ぐと言うのが誤りであることは近年かなり証明されています。すなわち、地面や森林の保水作用を使わないからです。こんな事をするから下流は大洪水になるのです。もっともっと自然の保水力を利用すべきです。自然の保水機能は、生態系も潤すのです。それなのに、不要な道路工事とセットでU字溝をどんどんはめていくのは愚の骨頂です。不要な道路工事やダム工事のように大きくないのでつい見逃してしまいそうなU字溝工事ですが、生態系を壊し、土地の水分を減らすのです。U字溝は、井戸水や清水が枯れてきている原因の大きなひとつでしょう。

 そんなことは昔から予測出来た筈です。U字溝が、そんな色々な環境破壊をもたらすことが予測出来なかったなら、なんと愚かなことでしょう?・・・そんな事はない筈です。これは昔からただ単に景気対策、工事会社、製造会社に設けさせる事が主たる目的だったのでしょう。・・・そんな事で、里山の生態系、水系が破壊されてはたまりません。
←読んだ甲斐があったと思ったら、ここをクリック願います
(少しだけのときは片方、かなりのときは両方)

【2007/06/19 22:00】 | 生態系 トラックバック(0) |

こんにちは。
たびけん
そうですね。そのへんの土手を覗けばいつでも見れた生き物が見られなくなるのは残念でなりません。最近は、農学部の学生でもゲンゴロウを知らないだとか・・。驚いてしまいます。

ゲンゴロウさえ絶滅危惧種
雑草Z
 源五郎が見られなくなるとは信じられません。水に棲む源五郎(面白い字です。まるで人の名前ですが、源五郎を観察すると確かに人みたいです・・)は、走光性があり、夜は蛾などと同じようによく電灯に集まったものです。もう東京などでは絶滅したとの事ですが、心配になって、夜街灯に行って見ても、全然見つけられませんでした。まだ6月だからかも知れませんが、真夏になっても田舎でさえ源五郎も見られなくなったら世も末ですね。・・ 今年の夏は、源五郎や蛍などの生物がどのくらいいるか、捜したいと思います。
 源五郎を知らない農学部の学生って、都会の人でしょうか?

そうだと思われます。
たびけん
知っていて当たり前だと思われている生き物を、「え、何それ?」と言う学生は小学校時代、どんな遊びをしてきたのでしょうか。自然に住む生き物を知らずに育った農学部生が、環境問題に取り組んでいる、とは何ともおかしな話です。実際に目で見て、感じ取って、そこから考え始めて欲しいと思いますが・・。まぁ人によってアプローチの仕方が違うので、偉そうなことは言えません。

毎日沢山の種が絶滅
雑草Z
 昔は種の絶滅は珍しい事で、人類の文明が現れる前、1万年以上前は、何百年に1種くらいが絶滅したと考えられていますが、現在は1日に百種くらい絶滅しているそうです。
 現在、生物の絶滅のペースは人類の文明以前の何百万倍といえるのです。人類が増加し、経済が発展すれば、他の多くの生物が激減し、やがて人類も激減するか滅びるのは自然の摂理から考えて当然の結果でしょう。愚かな人間の為に、地球は急速に死の惑星に近づいているのではないでしょうか?


東京珈琲
僕の通ってた幼稚園の近くに幅1m程の小川があったんです。そこにはザリガニやタニシがいっぱいいたんですが、今ではコンクリートに固められ何もいなくなりました。
汚い小川ですが、小さい頃から遊んでいた思い出のある場所です。なぜこんな無駄なことをしなければいけないんだ!!!

子供の自然と触れ合う機会を奪ってはいけないですね。
雑草Z
    東京珈琲さん

 はじめてのコメント、それも、遡って1年ほど前の記事へのコメント有難う御座います。

 小川などをコンクリートで固める工事は、生態系の事なんか何も考えていない業者と行政で、業者に儲けさせるために勝手にやっているのですよね。税金を使って生態系を壊してしまうのは本当に許されざる行為です。
 平気で平地も小川も小山もみんなコンクリートで固めるのは、もうすっぱりと止めないと、そのうち人間も生きていけなくなるでしょう。

コメントを閉じる▲
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。