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2014-02-23 00:01
石油の可採年数は1940年には20年と言われ、枯渇している筈だった20年後の1960年には逆に増えて30年と言われていました。またもや枯渇している筈のそれから30年後の1990年には可採年数が更に伸びて2010年代の現在も40年くらいと言われています。20世紀から石油の可採年数は縮まらず、いつまで経っても30~40年のままであるのは、可採年数の算出方法の稚拙さを踏まえた未来予測の困難性があるのですが、それが主題では無いのでここでは触れません。石油は化石燃料では無いという無機起源説もあり、私もそれはあり得ると考えています。・・だから石油はいつまで経っても枯渇しないという人がいますが、石油が無機起源であろうが無かろうが枯渇はするでしょう。エネルギー保存則やエントロピーの法則を出すまでもありません。太陽光のエネルギーであれば人類の歴史に比して永遠と考えても不都合はないでしょうが、地球内部の資源に関してはそんな事は言えないでしょう。
それでも当分・・21世紀中くらいは・・・枯渇せずに現在のように湯水の如く使えるとしたら、それはそれで大問題です。石油起源の環境負荷に地球の生態系は破壊され尽くすでしょう。今日の大きな環境問題は殆ど全て直接間接石油に因るのです。現在、地球の環境負荷のフローが持続可能な限界を超えてしまったのは、他でもない石油が原因です。石油消費がこのままのペースでは、崩壊が始まるのは時間の問題です。
石油に代わるエネルギーとしてメタンハイドレートが注目されています。メタンハイドレートはメタンを中心にして周囲を水分子が囲んだ状態になっている個体の結晶です。天然ガスのように、石油や石炭に比べて二酸化炭素の排出量の少ないクリーンなエネルギーであり、環境汚染も少ない未来のエネルギーとの謳い文句です。然しそれを妄信してはいけません。
現在懸念されているメタンハイドレートの問題点を挙げてみます。
メタンハイドレートの多くは深海にあり、採掘は困難で高コストと言われています。高コストと言う事は費用対効果が低く、EPRも低い、即ち採掘に投入するエネルギーに対して、得られるエネルギーがあまり多くない事を示します。投入エネルギーのほうが多くなってしまうようでは無意味どころかエネルギーの浪費になるだけです。その場合、石油の浪費によって環境破壊の速度は増すでしょう。メタンハイドレートに関しては現在、技術的にその可能性が高いと言えましょう。(実は石油代替エネルギーと呼ばれているものの中には、そういう可能性の高い物が溢れています。)
深海海底にあるメタンハイドレートを採掘すると、その下層や周囲のメタンハイドレート層にかかる圧力が減少して分解し、大量のメタンガスが噴出します。これが連鎖反応を起こせば、大気中に大量のメタンガスを放出する事にもなります。また、メタンハイドレートの採掘により、地形が変形して地盤沈下や海底地すべりのような現象も懸念されています。
これらの懸念に対して、政府等からは、慎重に開発すれば問題ないというような見解が出されていますが、鵜呑みにするのは危険です。どんなエネルギーの推進者も殆どが致命的欠陥を軽視したり無視したり隠蔽するものです。・・・原発が典型例です。
海中の生物への影響も懸念されます。メタンハイドレ―トの採掘によって起こる海底地滑りやメタンガスの放出の連鎖反応が海中の生態系を破壊する可能性も否定できないでしょう。メタンハイドレートによって守られていた海底の他の何かが海中、大気中に出て来ないという保証もありません。この辺りは、まともに研究されているとは思えません。
2010年のメキシコ湾原油流出事故以上の環境汚染が起こる可能性も小さくないでしょう。

メタンハイドレートの開発は、石油、原発、に次ぐ新たなパンドラの箱になる可能性も否定出来ないという事です。エネルギー開発の落とし穴に落ちて人類は這い上がれなくなってしまいます。

石油の代替エネルギーには全くなっていないのに、推進者によってそのように語られている原発も、半世紀ほどの歴史の中で、巨大事故を何度か起こしています。原発は結局のところ、石油の代替どころか、石油を浪費すばかりか、処理不可能で、何万年も管理しなければならない放射性物質を世界中に放置したまま、人類に抱えきれない負の遺産を残してその役割を終える事になりましょう。勿論石油文明の中の一部としてです。原子力文明などやって来なかったのです。

メタンハイドレートのような、今まで利用していなかった新たな地下資源・・深海表面もかつては人類の手が及ばなかったという意味において、広義の「地下資源」と考えてもいいでしょう。・・が開発されても、元々その資源が持っていた内部エネルギーを使うだけの事であって、地球の「貯蓄」を切り崩して使うだけなのです。但し、投入する高度な技術、エネルギーが増えるという事は、費用対効果、エネルギー産出比を下げる事に繋がります。それだけならまだしも、地下資源の開発は必ず環境汚染を伴います。深海の開発なら尚更でしょう。
エネルギー危機を免れる最良の方法は、エネルギーの使用量を桁違いに減らして、再生可能エネルギーだけで賄えるほど低レベルまで落とすしか方法はないのです。そこを勘違いして、指数関数的に増えるエネルギー需要に対応してエネルギー開発を続け、限界に挑み続ければ、いつか必ず取り返しのつかない失敗をする事になりましょう。人類は既に原発事故や海底油田の事故で、取り返しのつかない環境汚染を経験しています。つまり石油文明は生態系を大きく破壊してしまったのです。それらを踏まえてもエネルギー開発を止められないのであれば、これからも巨大事故を重ねながら破局へ向かう事になりましょう。

破局までエネルギー開発に挑戦し続けるか、縮小に向かうかの二者択一です。
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【2014/02/23 00:01】 | エネルギー トラックバック(0) |

メタンハイドレートのコスト
guyver1092
 いろいろ言われているのは知っていました。私も同じく、エネルギー産出比が問題と考えます。検索したところ、以下のページを見つけました。

http://www.mh21japan.gr.jp/mh/06-2/

 このページによると、
>結果としては、2004年のガス価が23.8円/m3に比べ、生産期間中のガス生産価格は46円/m3となりました。ただし、2021年以降のガス価格がいくらになっているのかが分かりません。

と、普通のガス田の倍ほどのコスト、つまりエネルギー産出比は半分と言う試算が出ていますね。この46円/m3と言うコストをエネルギー産出比に換算した結果が、10以下となれば、文明を支えるエネルギーではないということになりますし、メタンハイドレート田の事故で起こる損害もコストに含めないことには、後で後悔してもしきれないという事態も十分考えられますね。

Re:メタンハイドレートのコスト
雑草Z
 メタンはイドレートの費用対効果に関するページのご紹介有難う御座います。

エネルギー産出比に換算した結果が、10以上になる可能性は低いと思います。もしもそのようなデータが出されたとしても、考慮外の投入エネルギーを検証しなければ(故意にも?)落としている可能性もありますね。

>メタンハイドレート田の事故で起こる損害もコストに含めないことには、後で後悔してもしきれないという事態も十分考えられますね。

そうですね。事故の期待値は加算されていないでしょうね。事故の可能性も考えればメタンはイドレートは開けないほうが良いパンドラの箱でしょう。


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2012-06-05 00:01
現代、21世紀のエネルギー消費量は、日本では明治維新の頃と比較して、欧米では産業革命の黎明期と比較して、数百倍です。その他の国々の事を考えても、世界全体のエネルギー消費量は2~3世紀前の数百倍のレベルです。
それを考慮すれば、指数関数的に増える浪費レベルのエネルギー需要に応えてはならず、先ずはエネルギー消費量を減らす事が先決です。【真のエネルギー問題】2012-5-29 で論じたとおりです。
しかし、現代世界の多くの国々が、エネルギー開発に躍起になって、エネルギー供給を増やそうとしています。
・・その結果どういうことが起こっているでしょうか・・・・。
ここ数年の間に、大規模な環境破壊を引き起こした世界的な大事故を考えて見ます。先ずは、昨年2011年の世界最悪の環境破壊の事故は言うまでもなく福島第一原発事故でしょう。そしてその前年の2010年の世界最悪の環境破壊の事故と言えば、メキシコ湾の原油流出事故でしょう。21世紀に入ってからこれまでの間で、これらほど環境負荷の大きい事故は見当たりません。この二つの事故は、21世紀に入ってからのワースト2の環境破壊事故と考えてもいいでしょう。・・・そして、この2つの事故の共通点が、「エネルギー供給」です。エネルギーの浪費の為に、無理して深い海の底の海底油田を掘ったり、たかが水を沸騰させてタービンを回すだけの為に、原子力などと言う大げさな核反応を利用するから、大事故に繋がるのです。「身の程知らず」と言えるのではないでしょうか?

自然災害と戦争を除けば、近年の本当に大きな事故は、エネルギー供給に関する事故が大部分でしょう。炭鉱の事故、油田の事故、そして原発事故・・・・チェルノブイリ原発事故が20世紀で最大最悪の事故でしょう。
20世紀までには、火薬による大事故も多々あったようですが、戦争目的の火薬を除けば、火薬の事故もエネルギーの事故の一つと言えましょう。
「戦争と自然災害を除けば・・・」と表現しましたが、戦争の武器とエネルギーは密接に関係しています。火薬と原子力では爆弾を作ります。石油は軍事兵器の主たる動力源です。・・それどころか、今日の戦争の原因は資源の奪い合い、特にエネルギー資源の奪い合いに起因するものがメインです。

過去に滅んだ文明は、資源の過剰な浪費や自然の循環を断ち切ってしまった事によって、環境が破壊されてエネルギー不足や食料不足が起こったのが原因で、砂漠化して滅んでいきました。
しかし現代文明は、エネルギー不足と言うよりも、エネルギーの過剰な浪費によって危機が作り出されています。浪費の為のエネルギー資源の採掘の失敗や利用時の暴走によって、文明崩壊の危機に直面しています。エネルギーの過剰な使用によって、エネルギー資源の枯渇の危機がくるずっと以前に、無節操に開発された、本来使ってはいけない筈のエネルギー資源をとんでもなく過剰に使って、大事故を起こしたり、廃棄物によって身動きが取れなくなるような大きな環境破壊を引き起こしているのです。(・・勿論その後にエネルギー資源の枯渇も起こるでしょうが、その前の段階で大きな危機に遭遇しているという事です。)古代文明にはなかった種類の危機と言えましょう。古代文明は資源の枯渇によって滅びましたが、現代社会は、資源の枯渇以前に、廃棄物の問題や事故が起こって自滅しようとしているのです。本来は必要のない浪費レベルのエネルギーによって、文明が成り立たなくなろうとしているのです。原発はその愚行の典型例です。
現代文明のほうが、古代文明よりも遥かに愚かな選択をしていると感じるのは私だけではないでしょう。
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【2012/06/05 00:01】 | エネルギー トラックバック(0) |


みしぇぽん
原発は仰るとおりですが
過剰な自動車は原発に匹敵する危機ではないでしょうか。
しかもクルマは地球市民が受け入れてどっぷり漬かってしまっています。まさにわれわれの文明はやみくもに暴走しているように見えます。

ワインの作り方
guyver1092
 まず辛口ワインの作り方です。壊れやすい環境に文明を発生させます。大概の人間は馬鹿ですから更新性資源を限度を超えて消費し、資源不足で人間は死滅します。
 次に甘口ワインの作り方です。壊れやすい環境と、人間には使いきれないほどの量の枯渇資源を用意し、文明を発生させます。大概の人間は馬鹿ですから枯渇性資源を大量消費し、自分の出す毒物で、枯渇性資源、更新性資源ともに残った状態で人間は死滅します。

Re:
雑草Z
    みしぇぽんさん

初めましいて、初のコメント有難う御座います。面白いHNですね。どのような意味なのでしょう?

さて、私も現在のクルマ社会は狂気に感じます。通勤、通学(子供の送り迎え)近くに買い物でさえも自動車を使う・・。こんな社会が持続可能な訳がありませんね。それは燃料が石油から電気に移っても変わりません・・もっと酷いかも知れません。自動車に関して、原発と同くらい危機感を持っている みしぇぽん さんには、非常に共感を覚えました。

Re:ワインの作り方
雑草Z
    guyver1092さん

いつものブラックとは一味違った、隠喩的なブラック、一瞬考えてしまいました。一種独特の(辛口、甘口の)味がありますね。流石です。
 現代社会は、辛口ワインが恐れられていますが、実は甘口ワインの危機が先にやって来そうだというこの記事ですが、guyver1092さんもそうお思いですか?・・即ち、人間は、自分の作りだす出す毒物で絶滅しそうだという事です。原発の放射性廃棄物が典型例ですが、化学物質の廃棄物もかなり危険ですね。みしぇぽんさんのおっしゃるところの自動車
はある意味辛口ワインでもあり甘口ワインでもありましょうか?

Re:Re:ワインの作り方
guyver1092
 元ネタは槌田氏の本です。古代文明のほとんどは辛口ワインのようですが、メソポタミア文明は塩を地下から滲みださせた点で甘口ワイン的でしょうか。
 現代日本の状況をみる限り、甘口ワインの可能性は高いですね。日本の指導者が考えを改めるには福島事故の損害は少なかったようです。
 自動車(トラック)は大量消費文明を支えるには必要不可欠なものと考えています。排ガス規制等の結果でしょうか、排気ガスによる死者は文明を崩壊させるほどにはなっていないようですので、辛口ワインの出来上がりを促進する役割と考えます。


Re:Re:Re:ワインの作り方
雑草Z
>元ネタは槌田氏の本です。

言われてみれば、辛口ワインとか甘口ワインとか読んだ記憶があります。本のタイトルは何でしたか??

>古代文明のほとんどは辛口ワインのようですが、メソポタミア文明は塩を地下から滲みださせた点で甘口ワイン的でしょうか。

なるほど、その解釈で行くと、砂漠化は辛口ワインだけではなく甘口ワインの結果でもありますね??

>現代日本の状況をみる限り、甘口ワインの可能性は高い

そう、大部分の人は辛口ワインを恐れて、エネルギー開発やらエネルギー源確保を考えていますが、その前に甘口ワインでやられてしまいそうですね。原発なんて甘口ワインの典型でしょう。

>排気ガスによる死者は文明を崩壊させるほどにはなっていないようですので、辛口ワインの出来上がりを促進する役割

う~ん、上手い解釈ですね!・・でもやはり、自動車は、みしぇぽんさんのコメントのように、一般の問題意識よりも遥かに深刻な社会問題を起こすでしょうね。

>辛口ワインの出来上がりを促進する役割

はかなり言い得て妙な表現ですが、ちょっと甘口で自然発酵したやや甘口のスパークリングワインと言うところでしょうか??

限定的輸送なら
みしぇぽん
自動車による輸送は限定的なものにできるかどうかでしょう。そういう文明の型をまったく選択できないところが深刻な危機なのではないでしょうか。まさに人類は根こそぎ破局へと突進してしまっているのです。
フクシマが格好なモデルのように、野放図な自由と民主主義に酔いしれる便利な生活は、いくところまでいくしかないのでしょうか。

Re:限定的輸送なら
雑草Z
    みしぇぽんさん

 追加のコメント、有難う御座います。

>そういう文明の型をまったく選択できないところが深刻な危機

現在のように、一家に数台の自家用車があって、日々の買い物や通勤の足に自家用車を使う社会を異常、持続可能でないと考えられない人々は、破局に向かって行進していると言えましょう。

>野放図な自由と民主主義に酔いしれる便利な生活は、いくところまでいくしかないのでしょうか。

初めてのコメントを読んだ段階では、みしぇぽんさんがどのようなお考えか定かではありませんでしたが、このコメントを読んで、みしぇぽんさんが、我々と近い考え方だと知って嬉しく思います。
 経済成長主義に洗脳された人々が主流の現代社会で、それは破局へ向かう狂った思想だから脱するべきだと考える人がどんどん増えて、政治を変えられる勢力にならない限り、この文明は今世紀中にも崩壊すると考えています。みしぇぽんさんもそのようなお考えですね?・・・これからも宜しくお願い致します。

Re:Re:Re:Re:ワインの作り方
guyver1092
 何冊もの本で見た気がします。とりあえず「石油と原子力に未来はあるか」にもありました。
 ちなみに私の自動車(乗用車を含めて)に対する認識は、拡大再生産至上主義(資本主義、現代共産主義を含む)の過剰な生産力を使いきる装置と考えています。自動車を使用することによる無駄な消費がないと、拡大再生産至上主義は自らの生産物に埋もれて潰れるでしょう。
※具体的には、作った生産物が売れず、生産活動の継続が出来なくなる

Re:Re:Re:Re:Re:ワインの作り方
雑草Z
    guyver1092さん

 件の記事の御紹介、有難う御座います。すっかり忘れていた内容でしたが、
 ワインボトルを地球と考え、酵母菌が人類と言う比喩ですね。ワインの出来方も知らなければ、比喩の意味が通じませんね。即ち、ワインが出来あがる頃には、酵母菌が死滅しているという事。その死滅の仕方が、辛口ワインでは、酵母菌が繁殖し過ぎて糖分が無くなって(=資源不足で)死滅。甘口ワインでは、酵母が糖分を食べて排泄して作ったアルコールの毒で死滅。・・この辺を踏まえないと良くわからない比喩になってしまいますね。
 兎も角、辛口ワインになる心配ばかりしている現代社会ですが、甘口ワインになってしまう可能性のほうが高そうです。そうならないような対策をもっと検討すべきです。脱成長路線しか考えつきませんが、guyver1092 さんは如何ですか。

>私の自動車(乗用車を含めて)に対する認識は、拡大再生産至上主義(資本主義、現代共産主義を含む)の過剰な生産力を使いきる装置と考えています。自動車を使用することによる無駄な消費がないと、拡大再生産至上主義は自らの生産物に埋もれて潰れる

なるほど、よくわかりました。だからこそ、

>辛口ワインの出来上がりを促進する役割

となるのですね。納得致しました。本質的な深い洞察です。破局へひた走る拡大再生産至上主義から脱却する為にも、自動車社会を止めて、地産地消のローカル社会に戻す事が必要ですね。


PS.先のguyver1092 さんのコメントで、重要な箇所に対するお返事、落ちていました。

>日本の指導者が考えを改めるには福島事故の損害は少なかったようです。

福島原発事故でも、速やかに脱原発へ以降出来ない日本は、本当に原子力邑が強大になっていたのですね。原子力邑の住人達は、自ら福島第一原発事故を小さく見せようと努力して、その虚構を自ら信じてしまっているようです。事故以前の根拠のない「安全神話」から脱却していないようです。彼等に相応の刑事罰を科して一掃しなければなりませんね。

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2012-05-29 00:01
 現在、エネルギー問題と言うと、
「増え続ける需要に対応してどうやってエネルギー源を開発し確保するか」・・・という問題と捉えられています。しかしそれは現代の経済成長必要論の上に立った消費文明の洗脳でしょう。破滅へ向かう思考と言えましょう。
 需要は「増えている」というよりも、「増やしている」と言った方が現実に合うでしょう。欧米では産業革命以降、日本では明治維新以降、ここ数百年ほどの間は、【パーキンソンの法則】よろしく、エネルギー供給が増えれば増えるほど、それに従ってエネルギーの需要も作られてきた・・と言うべきです。
日本の場合、明治維新以降、第二次世界大戦までの70年間ほどで、消費エネルギーが指数関数的に増え、10倍以上になっています。1940年代半ばに第二次世界大戦で敗戦した後数年間は、使えるエネルギーの量もがたっと減りましたが、それでも1930年代レベルまで落ち込んだだけです。また1950年頃から「高度成長時代」の名のもとに、エネルギー消費量は第二次世界大戦より速いペースで指数関数的に右肩上がりで増え続けました。1970年代のオイルショックや1980年代のバブルの崩壊で、エネルギー消費量の指数関数的拡大傾向は鈍りましたが、それでも、1950年から2000年までの50年間にもエネルギー消費量は、10倍以上に膨らんでいます。つまり日本は、明治維新後百数十年で、消費エネルギーは100倍以上に膨らんだのです。
「需要」といいつつ、その実態は、多くが浪費レベルで膨らんでいるとも言えましょう。それまで必要のなかったエネルギーの使い方をさせて、「需要」と呼んでいるのです。その典型例はそこら中に転がっています。例えば交通手段・・・遠距離通勤を可能にして、電車通勤から新幹線通勤、自動車通勤へ・・・同じ距離なら確かに時間は短縮されましたが、その分通勤距離が長くなりました。そして一回の通勤に使うエネルギー量もどんどん増えたのです。これが「利便性」の正体です。実体は「浪費」と呼んでも否定できないでしょう。
エネルギー消費量が十倍、百倍に膨らんだからと言って、日本人が50年前の10倍、明治維新時の100倍以上に幸福になったと思っている人はいないでしょう。・・もし本気でエネルギー消費量に比例して人類は幸せになった・・と信じている御目出度い人がいるのならば、明治維新以降の政府の似非プロパガンダに騙され、洗脳された人と言えましょう。
 最近の政府や大企業、エネルギー開発会社などによくあるプロパガンダの一つに
「無理に省エネをしないで、技術で解決しよう」
のようなものがあります。マスコミでもよく見かけます。
これぞ現代消費拡大主義の、典型的な洗脳ではないでしょうか?この表現には、
「技術で省エネを達成して、その分もっともっと他の事にエネルギーを使おう!」と言う含みを持っています。

エネルギー問題は、現在言われているような、増え続ける需要に対応するエネルギーをどうやって開発するか?・・が問題ではなくて、需要が増え続ける事が一番の問題なのです。
 
 科学技術の力を妄信する事が問題の本質の一つでしょう。本当に科学技術が素晴らしいものならば、エネルギー消費レベルを50年前や100年前のレベル…現在の十分の一から百分の一レベル・・・まで下げて、なお且つ快適な生活が出来るようにする事でしょう。・・・勿論それは、現在のハイブリットカーのように、使用時のみの燃費などと言う表面的な事ではありません。ライフサイクル全てを考えてのお話です。それが可能であっても不可能であっても、兎も角エネルギー消費レベルを十分の一以下に下げる事が先決です。そうすれば、原発が必要などと馬鹿な事をのたまう必要もないでしょう。(原発は、やればやるほどエネルギーの浪費ですから、元々論外ですが・・・)
 「環境に優しい」、「省エネ」なんて言葉が頻繁に使われ出してだいぶ経ちますが、いまだに消費エネルギーは増え続ける傾向にあります。
「エネルギー効率の向上」だとか「燃費の向上」だとかばかりに目を向けて、全体的にはエネルギー消費レベルが増えているのが現代社会の病んだ部分です。大きな問題です。社会全体のエネルギー消費レベルそのものの縮小をすべきなのです。
浪費レベルのエネルギーは、使えなくなったら使わないだけです。現代社会の「エネルギー需要」はパーキンソンの法則に因るもので、根本的には要らないものばかりです。本当のエネルギー問題は、膨らみ過ぎたエネルギーの消費(浪費)です。真の解決法は、代替エネルギーの開発よりも、エネルギーを使わない社会にシフトしていく事でしょう。
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【2012/05/29 00:01】 | エネルギー トラックバック(0) |

食料とエネルギーもね…
ST
食料生産にも多くのエネルギーを使ってますので加えて問題です。手っ取り早いのは畜産で牛肉は10倍、豚肉5倍、鶏肉は4倍でしたっけ、穀食よりも効率が悪いのです。さらに魚も獲るのに石油資源を大量に消費してます。最終的にはジニ係数を下げる事が目標となるのではと思ってます。

誰の陰謀か
guyver1092
 有限の世界で無限を目指すのは愚かなことです。現在、オイルピーク論がヨーロッパではかなり話題に上っているそうですが、石油の成因が有機質ならオイルピーク論は正しく、増え続ける需要を満たすためにエネルギー開発は正しいということになります。ただし、これは科学技術に限界はないと仮定した話で、現実は科学技術には物理的限界があり、石油の次のエネルギー源がないことはエントロピー的に証明されています。
 即ち、新エネルギーの開発ということは限りある石油の浪費でしかありません。何の目的でこのような主張をするのでしょうか。私には人類に希望を持たせておいて、突然何の準備のないままに石油が無くなるとの事態を期待しての主張に思えます。(笑)
どんな勢力が言っているのかは見当がつきます。人類を不幸のどん底に突き落とすのが目的の集団に違いありません。キリスト教徒のいう悪魔崇拝の連中に決まっています。(大笑)


Re:食料とエネルギーもね…
雑草Z
STさん、コメント有難う御座います。初のコメントでしたね?

 確かにおっしゃるように、食料生産に使うエネルギーも、
それまで必要のなかったエネルギーの使い方をさせて、「需要」と呼んでいる典型例の一つですね。いつも感じる事は、食料は太陽エネルギーを体に取り入れる方法ですが、そのエネルギーよりも、食料生産に費やすエネルギーのほうが大きいのではないかと言う事です。日々の食卓に並ぶものが、世界中から集められた「食材」と言うのもとんでもない事だと思います。やはり、地産地消が原則でしょうね。

>最終的にはジニ係数を下げる事が目標となるのでは

と言う論理の飛躍が興味深いですね。・・その事は否定はしません。

Re:誰の陰謀か
雑草Z
またまたguyver1092さんらしい、スパイスの効いたブラックっぽいコメント、有難う御座います。

>石油の次のエネルギー源がないことはエントロピー的に証明されています。

そうなのですか?・・現在の石油代替エネルギー開発は、多くが実質的には代替にはなり得ませんが、証明までされていたのですか?・・・驚きです。

>新エネルギーの開発ということは限りある石油の浪費でしかありません。

これも、断言できるレベルの事でしたか??

>キリスト教徒のいう悪魔崇拝の連中に決まっています。(大笑)

そうですね。本当に大笑いのレベルのお話ですが、これが現実だと考えると恐ろしいですね。キリスト教の「開拓者精神」のお話ですよね?(大笑)



Re:Re:誰の陰謀か
guyver1092
>石油の次のエネルギー源がないことはエントロピー的に証明されています。

 槌田氏や、石井氏の本で読んで、証明されていると思い込んでいましたが、証明とは書いてありませんでした。エントロピー的な話は、槌田氏の本で、天然ガスは気体から液体まで圧縮しなければ運ぶのに不便で「この変換過程でエントロピーが発生し、石油文明より小さい文明しか不可能であろう」との記述だけですね。
 しかし、天然ガスのエントロピー発生の例から考えて、石油の完全代替できるものは、常温で運びやすい液体の物質という条件を満たさないと代替物にはなりえませんので、ないと言い切れると考えています。

>新エネルギーの開発ということは限りある石油の浪費でしかありません。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC

 新エネルギーの定義を法律上の物として、法律上の目的を達成しようとしても不可能と断言できると考えています。理由は、現在の石油の使い方の代替をするには、存在する量から考えて、更新性資源では絶対量が不足していると認識しています。たとえば森林等のバイオマスを枯渇性資源のように消費すればごく短期間は石油の代わりになるでしょうが。また、江戸時代の米はエネルギー産出比は15倍(大江戸エネルギー事情)だそうですが、石油は100倍ほどもあります。この差を技術で埋めるのは絶望的なものと考えています。

Re:Re:Re:誰の陰謀か
雑草Z
>天然ガスのエントロピー発生の例から考えて、石油の完全代替できるものは、常温で運びやすい液体の物質という条件を満たさないと代替物にはなりえませんので、ないと言い切れると考えています。

なるほど、鋭い洞察です。石油のように大量消費文明を支える事の出来るエネルギーの代替は無いという事・・と考えて宜しいでしょうか?
 そうすると、やはりこの文明の終末は近いという事でしょうね。現代文明は砂上の楼閣、風前のともし火・・・。

>新エネルギーの定義を法律上の物として、法律上の目的を達成しようとしても不可能と断言できると考えています。

 これまた深い洞察です。なるほど、guyver1092さんの説は説得力十分です。

>更新性資源では絶対量が不足していると認識しています。

私も以前からそう思っておりました。幾ら昔のエネルギー効率が良くなかったとはいえ、エネルギー消費レベルが現在より遥かに小さかった昔のヨーロッパでも、木が枯渇したから石炭に手を出したという歴史があるのですからね。

>この差を技術で埋めるのは絶望的なものと考えています。

納得致しました。結局、本文に書いたように、エネルギー消費レベルを桁違いに減らす事が先決ですね。


石油の不完全代替
guyver1092
 天然ガス、石炭は、石油ほどではないけれども、それらの持つ潜在的な能力(少し表現的におかしいとは感じますが)の範囲内で大量消費を支えることはできるでしょうが、強欲な人間は石油の減少が現在の大量消費を支えられる限界点を超えるあたりで資源争奪のための大規模戦争を起こすかもしれないと考えています。ギリシャの経済危機でユーロ圏離脱→経済崩壊→大量消費不可能、となった場合のギリシャの状況は、石油資源の減少等の限界点を超えたあたりの人類の反応を予測する材料になるかもしれませんね。

 以前にも議論しましたが、消費税を変更し、生産活動等の迂回度を上げれば上げるほど不利になるような経済システムを採用するべきでしょうね。

Re:石油の不完全代替
雑草Z
確かに、石油以外に「化石燃料」と呼ばれている石炭や天然ガス等は、不完全ながら石油の代替になり得るでしょうね。

>強欲な人間は石油の減少が現在の大量消費を支えられる限界点を超えるあたりで資源争奪のための大規模戦争を起こすかもしれない

恐ろしいけれど、現実味のある予測です。現在のように、経済成長、発展を是とした社会、大量に消費出来るエネルギーの確保が非常に大切だと洗脳されている世界のままでは、おっしゃるような戦争の可能性は小さくないでしょうね。

>ユーロ圏離脱→経済崩壊→大量消費不可能、となった場合のギリシャの状況は、石油資源の減少等の限界点を超えたあたりの人類の反応を予測する材料になるかもしれません

なるほど、それも言えますね。ただ、ギリシャ一国なら回りの国が助けたり干渉したりできますが、世界中がその状況に陥った時のパニックは大変なものでしょう。それがパニックにならない為にも、脱成長、脱大量消費社会に移行する事が早急の課題でしょうね。

 経済成長主義の終焉も近づいてきて、複合崩壊の前兆をあちらこちらで観測するようになってきました。

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2010-09-17 00:01
現代社会は石油依存社会です。その石油などを使って作られる2次のエネルギー(・・数え方によっては、3次、4次・・のエネルギーとも言えるでしょうが、兎も角1次のエネルギーではなく、2次以上のエネルギーです。)の中でメインとなるエネルギーは電気エネルギーでしょう。現在電力は石油による火力発電ばかりでなく、水力、原子力、太陽光や風力でも発電されています。エネルギー開発という場合、一次のエネルギーは石油をはじめとして様々なものが使われ、検討されてていますが、それらの一次のエネルギーを使って産み出される2次エネルギーと言えば、大体電気のエネルギーに集約されるでしょう。
電気エネルギーは、エネルギー効率は決していいものではありませんが、制御し易く、色々なエネルギーへの変換も簡単です。電子機器のように電気でなければ制御出来ないものも沢山あります。非常に贅沢な高品位なエネルギーと言えます。【電気エネルギーの正しい使い方】で述べた通りです。

その為、色々な一次エネルギーを用いた発電所が世界中で次々と作られてきました。そして、どんどん発電所の種類と規模と数を増やし、電力の大量安定供給を確立してきた結果、【パーキンソンの法則】よろしく、必要以上に大量の電気エネルギーを使う社会が出来上がってしまいました。そしてはじめは不必要だった電力も、使っているうちにだんだんと依存するようになり、無いと困る存在になってしまったのです。これは現代社会の構造を象徴しています。
その典型的な例がオール電化住宅でしょう。例えば、オール電化住宅では、料理する熱源もお風呂を沸かす熱源も暖房の熱源も電気から作りますが、電気エネルギーを発熱源として使うことは非常に無駄な事です。【オール電化住宅】に描きました。
オール電化住宅は、ある意味非常に脆弱な住宅です。何らかの原因で電気の供給が止まってしまったら、その家での生活は不便極まり無いものになるでしょう。
オール電化住宅に象徴されるように、現代の電気依存社会は、電気の供給が止まってしまった場合、大変な事になってしまいます。例えば、都会で数時間停電したら、信号は止まって交通は大渋滞するでしょうし、殆どの職場で仕事が出来なくなって仕舞います。直接機械の原動力が電気である場合は勿論の事、たとえ電気以外の燃料だとしても、制御するシステムが電気の場合運転出来ません。パソコンが止まっただけで全く仕事にならないオフィスが大部分でしょう。そして真夏であればエアコンが効かなくて熱中症患者が続出するだろうし、冬であれば、燃料を燃やして暖を取る分にはいいのですが、やはり制御の為のコンピュータは電気で動かしている為に制御不可になって使えない暖房機器も沢山あります。・・・単純な機械をコンピュータ制御などしない方がいいのではないでしょうか?
勿論、バックアップの小型発電機とか充電器は働くでしょうが、それを動かすエネルギーが無くなってしまえば動きません。
実際、最近でも世界の様々な都市で大停電が起こり、たった数時間程度の停電で大パニックに陥ってしまった例は沢山あります。たった数時間の停電でも、パニックにならない都会は珍しいでしょう。・・・100年前には無かった事です。大地震などの災害で停電した場合、それによって大きな2次のパニック、災害が起こるでしょう。

 そう、電気エネルギーに現代社会はどっぷりと麻薬のように依存しているのです。危機管理能力が麻痺していると言えるのではないでしょうか?

高品位で贅沢なエネルギーである電気エネルギーは、使わなくてもいい部分には出来るだけ使うべきではないでしょう。いざという時に大変なことになってしまいます。エレベータや自動ドアがいい例でしょう。暖房だけではなく、発動に電気を使うことも非効率です。人力、手動で動かせるものを安易に電動にするのは控えるべきです。電気エネルギーは、コンピュータをはじめとする電子機器や照明機器など、電気でなければ出来ない部分にのみ使用して、出来るだけ発熱や発動などには電気を使わないようにすべきでしょう。

 社会はこれ以上発電所を増やす愚はやめて、脱電力の方向に進むべきです。
先ずは原発の廃止でしょう。無駄な電気エネルギーを使うために、世界を滅ぼす可能性のある原子力発電を行う事は愚の骨頂です。一基でも大事故になったら国が滅ぶレベルです。事故が無くても危険極まりない放射性廃棄物を排出し続け、末代までも管理しなければなりません。たかが発電で、社会がそんなリスクを背負い込むことは非常に理不尽なことです。・・・現在使われている電力の半分以上は浪費のレベルと言えるでしょうから原子力発電を廃止しても十分にやっていける筈です。・・やっていかなければなりません。

 電力に限ったことではありませんが、これからの社会は、エネルギー供給を増やす事を考えるのではなく、現在ある安全なエネルギーを、使える範囲で工夫して節約しながら使うべきでしょう。もっともっと節約して有効利用するべきなのです。

 数時間でも停電になれば大パニックになるような電気に依存した社会は非常に異常な脆弱な社会と考えるべきでしょう。砂上の楼閣です。停電しないように努力する事よりも、停電しても大丈夫な社会であることが重要です。云い方を変えれば電気にどっぷりと依存しない社会であることが遥かに大切な事でしょう。
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【2010/09/17 00:01】 | エネルギー トラックバック(0) |

電力依存
上々
会社で社内LANが不調になり止まった時のことを思い出しましたね。
部下の人達は結構作業があるので仕事ができたのでしたが、管理職や係長クラスはLAN依存でしたので全く仕事にならずボーっとしていました。

かなり前になりますが、関東に住んでいた時に珍しく豪雪になり、送電線が倒れてしばらく停電ということがありました。うちはまだ当時は灯油を燃すだけのストーブを使っていたので寒さだけはしのげましたが、弟の家は石油ファンヒーターだったので動きませんでした。

今の我が家はリスク回避の意味でもガスコンロを使っていますが、オール電化住宅は停電時にはどうするんでしょうね。



Re:電力依存
雑草Z
    上々さん


>会社で社内LANが不調になり止まった時のことを思い出しましたね。

実は私も職場でLANが壊れた時の事の経験をもとに記事を書きました。(笑)

>石油ファンヒーターだったので動きませんでした。

そうでしたね。コンピュータ制御で無くとも、ファンを電気で回していたら停電で動きませんね。発熱には電気エネルギーを使っていないのに、停電で動かないのは馬鹿みたいですね。

>オール電化住宅は停電時にはどうするんでしょうね。

停電を想定外にするのは危ないですね。・・・だからと言って非常事態の為に石油ヒーターなどを用意して置くのなら、ランニングコストの安い石油ヒーターを使った方がいいですね。予備の火力発電所を近くに用意している原発みたいな馬鹿げたお話です。停電になったら不便すぎるオール電化住宅には住みたくないですね。

停電
guyver1092
 最近は本当に少なくなりましたが、私が子供のころは今より停電の回数が多かったのを覚えています。その時、水道の水は蛇口をひねると出ましたし、ガスも燃やすことが出来たのを覚えています。おっしゃるように危機管理という意味でも電気に頼りすぎるのはまずいことと思います。
 ただ現在の電気依存社会は、まだまだ安く燃料が使えるからとですので、オイルピークにより燃料が貴重になってくれば必然的に終わるであろうと考えています。
 国家が本当に日本の繁栄を考えているのなら、正確に未来を予測し、その予測される事態から導き出される最良の方向に国民の生活を導いていく必要があると考えますが、どうも国家が予測する未来はことごとく我々の予想の逆をいくようです。

Re:停電
雑草Z
>最近は本当に少なくなりましたが、私が子供のころは今より停電の回数が多かった

そうですね。特に突然の停電は無くなって、予告して工事などで電気を一時的に切る停電が多くなりましたね。それでも、事故で電線が切れたりする停電もありますから、全てのエネルギーを電力で賄うのは危機管理能力もないし、エネルギーの無駄遣いでもありますね。

>オイルピークにより燃料が貴重になってくれば必然的に終わるであろう

実際はその可能性が高いでしょうけれど、風力発電とか太陽光発電とか原子力だとかEPRの怪しい代替エネルギーでの発電が盛んに検討されていますね。

 +++    +++++      +++++++

>どうも国家が予測する未来はことごとく我々の予想の逆をいくようです。

そうですね。我々の予測の正当性云々の前に、国家の予測はあまりに近視眼的な対症療法で逆効果のものが溢れていますね。
 その理由について考察した事を近々記事にしたいと考えています。また、このような国家の予測するあり得ない未来予測とその為の愚策は近い将来終焉を迎えると思います。その理由も描きたいと考えています。経済成長路線からの脱却も遠くない将来にやってくると予測しています。現代は大転換期なのかと感じています。 

 

停電の思い出その2
上々
10年ばかり前ですが、熊本地方を強い台風が襲った時の話です。(宇土半島の不知火町で高潮で数十人の方が亡くなった台風です)
熊本県南部地方では特に風の被害が大きく、電柱がほとんど倒れたため停電状態が長いところでは1週間近く続きました。

それで一番困ったのが、井戸水を使っている家庭でのモーターの停止による断水でした。町の中心部から復旧工事をしていったので、郊外の農村部では水が使えず風呂は言うまでもなくトイレが使えないのが大問題でした。
当時我が家は市の上水道でしたので割と早く水だけでも出るようになったのはありがたかった。

とはいえ、復旧してしまえばすぐにその苦労は忘れて電気頼りの生活です。


Anthony
省エネ製品が増えてきて、電力需要が若干ながらっ減ってきているのに、なんで、発電所を増設しなきゃいけないのかなぁ?

オール電化にして、需要を増やそうとしている努力(笑)の結果を見越してのことかなぁ?




Re:停電の思い出その2
雑草Z
    上々さん

 またまた、実体験の思い出話、有難う御座います。

>郊外の農村部では水が使えず風呂は言うまでもなくトイレが使えないのが大問題

台風と言えば水害ですが、その後に水に不自由するって可笑しいお話ですね。
 確かに井戸水のポンプは電力ですね。
 停電で水も使えないのは異常な状態ですね。
 トイレの水程度は雨水等を利用したいものです。
 地下水の汚染に気を遣う井戸水を使う事は賛成です。ただ、電力で汲み上げるのはよくないですね。ポンプであっても昔のように人力の手動がいいですね。
 手動を不便と思わない方がいいですね。井戸水で無くとも、ドアや窓の開け閉めに電力を使うのはやり過ぎですね。人力を使うものの方がいざと言う時も使えていいですね。

 リスクは分散しい然るべきであるし、そのような事を散々言われている現代社会ですが、実際はリスクもグローバルになっって、集中していますね。エネルギーも経済も・・・社会全体のリスクが繋げられています。対岸の火事が対岸まで飛び火するのがグローバル化でしょうか。




省エネになってきたか?
雑草Z
    Anthonyさん

 例えばテレビは省エネの液晶テレビが増えましたが、それは同じ大きさのテレビを比べた場合で、買い替えで大きなテレビに変えている家庭が多いので、消費電力も増えている場合が多々あるようです。それでエコポイント貰ってホント、ふざけた政策です。

>電力需要が若干ながらっ減ってきているのに、なんで、発電所を増設しなきゃいけないのかなぁ?

そうですね。原発とかやってその手の大企業に儲けさせるのが目的でしょうね。

Re:省エネになってきたか?
地下水
>それでエコポイント貰ってホント、ふざけた政策です。
 エアゴンやエゴカーにエゴポイントが付いていましたけど、大電力や排気ガスを出す物を販促するのはもう止めてぇ。
 もっと身近な、自転車や家庭菜園や市民農園に同じ規模のエコポイントが付いたら、まずほとんど無料で普及できたのに、残念です。
 もっと身近な本当にエコなものにポイントを付けて欲しいです。

Re:Re:省エネになってきたか?
雑草Z
>大電力や排気ガスを出す物を販促するのはもう止めてぇ。

本当にそう感じます。それに、今回の補助金、減税、エコポイント政策で、家電製品や自動車の廃棄物が大量に出されました。資源の無駄遣いでもあり、廃棄によって地球の汚染を促進しましたね。環境には逆効果であった事は間違いありません。

>自転車や家庭菜園や市民農園に同じ規模のエコポイントが付いたら、まずほとんど無料で普及できたのに、残念です。

 おっしゃる通りです。
 補助金制度などには基本的に反対ですが、今月はじめに底をついて早く終わってしまったエコカーの補助金を、自転車や家庭菜園や市民農園に回していたらかなり普及出来ましたね。そんなに高くないものですから、同じ金額でもっともっと長く補助金に回せたでしょう。そして本当のエコでしたでしょう。そうしなかった理由は、家電メーカーや自動車業界のように大企業がなく、経済効果が少ないからでしょう。つまり、政府の言うところの「エコ」は明らかに、Ecology ではなく、Economy だからですね。それも「節約」の意味のEconomy ではなく「経済」の意味、もっとはっきり言えば「金儲け」の意味ですね。

 非常に愚かで酷い、補助金、減税、エコポイント制度でした。


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2008-10-25 00:11
 『エネルギー効率』とは、投入したエネルギーの量に対する利用できるエネルギーの量の比の値です。投入エネルギーの量が同じなら出来る仕事量が多いほど効率がいいわけです。
同じ仕事をするなら、投入エネルギーが少ないほどエネルギー効率はいいわけです。
 
日常生活で「効率がいい」って言葉は、
「同じことをするのに投入エネルギーが少なくて済む」
という上記の意味以外に、
「同じことをするのにお金がかからない」
「同じことをするのに手間がかからない」
「同じことをするのに時間がかからない」
などの意味で使われますが、
このうち、
「同じことをするのに時間がかからない」
と言う現代のグローバル化社会を代表するような「効率」の概念は、
「同じことをするのに投入エネルギーが少なくて済む」
という「効率」の概念と相反する「概念」になっています。
つまり、「時間の効率化」を図れば図るほど、大抵「エネルギー効率」は悪くなっていきます。(必ずしも比例関係ではありませんが・・・)


 例えば、移動手段。エネルギー効率が一番いいのは、勿論、人力による徒歩や自転車の利用等でしょう。
「時間の効率化」の為に自動車を使えば「エネルギー効率」は悪くなります。
さらに「時間の効率化」の為に飛行機を使えば、もっと「エネルギー効率」は悪くなります。

でも
「人間が歩いては行けないような遠い所には車や飛行機で行くしかないではないか。ビジネスの為に遠い所に何日もかけて歩いたり自転車で行くのは非能率ではないか?」
と言う方がいるでしょう。(確かに緊急時や救急車などは必要かも知れません。)でもそんな仕事は殆ど必要ないのです。大局的には環境破壊です。
「パーキンソンの法則」よろしく、自動車が出来てビジネスの範囲が広がりました。飛行機が出来てさらにビジネスの範囲が拡大して、グローバル化が進みました。その結果、外国のいい製品が安く手に入るとかメリットが沢山あるようですが、ビジネスも忙しくなって競争も激しくなりストレスも増えました。メリットがデメリットを上回るなんて軽率には言えないでしょうし、環境は確実に破壊しています。
「Time is money」と言う格言を、移動手段の事だと解釈するのは、大量生産、大量消費、が一時的に可能だった石油文明の馬鹿な解釈でしょう。

 移動手段に限らず、何かを作る場合も早く大量に作るために大げさな機械が導入されエネルギー効率は悪くなっていく一方です・・・若干、技術革新で良くなる部分があったとしても・・・・

 さてここのところ数回の記事に書いたように、石油の、有効で再生可能な、持続可能な代替エネルギーは太陽起源のエネルギーだけです。そして、太陽から時間当たり地球に降り注ぐエネルギー量は有限で、エネルギー密度も低く、拡散しているのです。
だからこの打ち上げ花火のようなはかない石油文明の時代のような「時間の効率化」の為にエネルギーを浪費すると言う事は不可能になります
つまりこれからは、同じことをするのに、エネルギーをより多く使ってスピードアップを求める選択肢はなくなります。
再生可能なエネルギーを使って「エネルギー効率」を求める事が重要視される時代になるでしょう
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【2008/10/25 00:11】 | エネルギー トラックバック(0) |

共感しまくりです。
でなしNo.146
初めてコメントさせていただきます。

人が歩いて行けないような遠いところに行かなければ成立しない仕事などはほとんど必要ない。

という部分に「たしかに。」と共感しました。

私も、必要ない仕事が多すぎると思っています。
(もちろん、必要なものもありますが)

企業は売らなきゃ、売らなきゃと必死になり、利益追求のため無茶苦茶なことを労働者に求めますし、消費者をだますような売り方もしています。(例えば「エ○換え」を謳う会社)

「エコ」をマーケティングワードに選ぶのは正解ですが、やってる事は環境汚染。


こう考えると、できるだけ早く資本主義に自壊してもらった方が地球の、ひいては人類のためでしょう^^


ちなみに、巨大都市から地方の小コミュニティー中心になる説(前回の記事のコメント)を、私も支持しています。

同じ思想
雑草Z
    でなしNo.146

 はじめまして。
  同じ考えの方の共感のコメントには心強いものがあります・・・。

 遠くまで早く行ける交通手段を整備して、エネルギーを浪費してわざわざ遠くまで通勤するのって、愚の骨頂ですよね。そこまでして仕事をするより、家で休んでいた方がよっぽど世の為、環境の為というものです。


>「エコ」をマーケティングワードに選ぶのは正解ですが、やってる事は環境汚染。

 言い得てますね。
「エコ換えするより長く使おう!!」
と声を大にして言いたいですね。
この事に関しては、一年ほど前に記事にしています。
【買い換えは環境対策ではなく、経済対策】
http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-229.html


>できるだけ早く資本主義に自壊してもらった方が地球の、ひいては人類のためでしょう

 私の関心事は、経済成長と言う愚かな洗脳に人類が全体としていつ気が付いて方向転換するかと言う事です。
 人類の生存環境、社会がかなり崩壊するまで気がつかないような気がしてますが、
 でなしNo.146 さんのようなコメントを戴くと、言い続けて広めていくと、否応なく崩壊して行く前に人類は気づいて、自ら脱成長する理性を持っている・・かも知れないと希望を見出せます。
 お互いガンガン言っていきましょう。


   +++++++ ++++    ++++++    +++

ところで、
’でなしNo.146’
って変わったHNですね?!どのような意味でしょう?宜しければ教えて下さい。
これからも宜しくお願い致します。
 

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2008-10-05 00:02
 歴史の中で、その時代時代のエネルギー環境が文明の骨格を作り上げてきた・・・と言う洞察は、近年様々な人が行っています。「エントロピーの法則」のジェレミー・リフキンが元祖でしょうか?日本では槌田敦さんの「新石油文明論」もなかなか鋭い指摘で興味深い面白い内容です。

 人力の利用だけから、畜力(馬力、牛力・・・)を取り入れ人力の十倍以上の力を出せるようになりました。かつては人力、畜力、木(主に燃料)が利用できるエネルギーでした。・・全て再生可能な自然のエネルギーを使っていました。内燃機関が人の体であったり、家畜の体であったり、はたまた木を燃やす暖炉やストーブ・・・と違えども、燃料は植物の光合成による太陽エネルギーの蓄積・・・炭水化物などでした。だからこの時代は簡単に言えば生物のエネルギーの文明、もう少し根本を辿れば太陽エネルギーの文明・・と言う事になりましょう。
・・・・・・・・・・・
 燃料の薪の使い過ぎで森林破壊が進んで、石炭を使うようになり、石炭文明の時代に突入します。
 そして、石炭よりも扱いやすく便利な石油文明の時代の現代に続きます。・・・勿論その間、生物のエネルギーはずっと併存していきます。

 時代のスパンを考えてみます。人力、蓄力、木 の生物のエネルギーの時代が数千年、石炭エネルギーの時代が数百年、石油エネルギーの時代が数十年、ってところでしょうか?・・・エネルギーがシフトする度に間隔が桁違いに短くなってきています。現代の石油文明はまだ数十年・・なのです。石油はエネルギーとしてだけではなく、様々な物も作られています。(それらも大きく考えればエネルギーとも言えましょう)現代はまさに石油漬け・・・ですが、この石油漬けの石油文明は、始まってまだ数十年、高々百年くらいで終わりを告げるであろう刹那的な文明なのです。

 それぞれのエネルギーのシフトは、それぞれのエネルギーの危機や必要に迫られて上手くシフトして来た、と言う人が沢山いますが、それは浅はかな洞察と言うものでしょう。人類は石炭、石油と言う(人類の歴史の長さと比べて)再生不可能な資源にシフトした時点で、パンドラの箱を開けてしまったのです。「エネルギー開発」などと言う言葉を使いますが、単にエネルギーのストックを浪費したに過ぎません。そして、それだけではありません。それによって、地球は大きく汚染されたのです。
 そして石炭、石油などの炭化水素による必ず無くなる再生不可能な地下資源によって、人間社会はドーピングされ、人口もエネルギー使用レベルも持続可能な限界を超えて増え続けているのです。エネルギーのシフトの度に、より大きなエネルギーを使うようになり、エネルギーの浪費が始まったのです。同じことをするのに、時間は速くなりましたが使用するエネルギーの量は極端に増えました
 「環境危機を煽ってはいけない」のロンボルグのように、「人類は今までもエネルギーシフトをして上手くやって来たのだからこれからも経済成長しても大丈夫」などとぬかす人達がでかい顔をしていますが(このような事を鵜呑みにしている知識人ぶった軽率な人達にも困ったものです。)彼らはエントロピーの本質も考察できない愚か者でしょう。
 人類は、石炭・石油に手を付けた時点で破滅への道を進み始めたのです。エネルギーのシフトに成功したと言うよりも、破局へ加速度を早めたと言うべきでしょう。 自立出来ない原子力は、石油の代替になる筈もありません。危険性の観点からも論外です。
 人類は、エネルギーシフトに成功してきたと言うよりも、前のエネルギーの枯渇などにより、より大きなエネルギーを求めて、再生不可能な刹那的な石油エネルギーにシフトし、それに合わせて文明を築いたのです。非常にもろく、必ず破局がやってくる砂上の楼閣を築いて、沈みゆくタイタニックのような文明を謳歌しているのです。
 
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【2008/10/05 00:02】 | エネルギー トラックバック(0) |

破滅の道へまっしぐら?
BEM
石炭・石油がパンドラの箱とは、恐ろしいけれど納得ですね。
石炭、石油、原子力ときて、もう残されたエネルギー資源は地球にありませんよね?太陽、風力、地熱…なんでもいいのですが、今の生活を維持するにはまったく無力なものばかりで、本当にそれらが無くなった時どうなるのでしょう。
今、焼け石に水のように省エネだエコだと騒いでいますが、武田邦彦教授は「境問題はなぜウソがまかり通るのか」の中で、今のうち石油をドンドン使って次世代エネルギーの開発を研究・開発するべきだと言っていました。ある意味なるほどな~と思いました。色々反論される事も多い武田教授ですが、基本的に物を大事にすることを訴えているので、私は好感がもてます。
自給率も上げなければと今また農業が見直されていますが、農業生産までも石油に頼ってしまっているのですから、農業生産者人口を増やす政策でもない限りなかなか難しいのではと思います。
また50年、100年前に戻って牛や馬の力を借りて農業や輸送なんてできたら面白いだろうな~なんて考えながら口元が緩んでしまいます(笑)大量生産、遠方への輸送などがなくなれば小さい集落で、自分たちと周辺の街の分の農作物を作ることができればエネルギーも小さくて済み生きていけるし、ゆくゆくは北海道独立もできるなあ~なんてどんどん変な方へ考えが行ってしまいました。
変なコメントをしてしまい申し訳ありません(^^;
でもたまにテレビで自給自足をしている家を見ると正直、羨ましいって感じるようになってきたこの頃なんです~。

先の展開までコメントされてしまいました(笑)
雑草Z
BEMさん

>石炭・石油がパンドラの箱とは、恐ろしいけれど納得ですね

 自然の循環をしない地下資源はパンドラの箱ですね。石油石炭を燃やしたときの水や二酸化炭素などは循環しますが、全く循環しない放射性廃棄物を出す原発は最悪のパンドラの箱ですね。

>もう残されたエネルギー資源は地球にありませんよね?

 天然ガスとかメタンハイドレードだとか色々やってますが、地下資源は何を開発しようが、本文にも書いたようにストックの浪費であり、汚染になりますね。

>武田邦彦教授
>基本的に物を大事にすることを訴えている

は賛成ですが

>今のうち石油をドンドン使って次世代エネルギーの開発を研究・開発するべき

は研究内容にもよりますが、石油の開発、浪費は生態系に色々な悪影響を及ぼしますから、あまり賛成出来ません。武田氏は「環境危機を煽ってはいけない」の軽率なロンボルグみたいな事を言ってますね。受け売りかもしれませんが・。核エネルギーの開発などは、核融合発電であってもやるべきではありませんしね。

>変なコメントをしてしまい申し訳ありません

 いえいえどうして、今回の記事は布石で、次回から数回の記事を見て戴くとわかりますが(とりあえず2回分ストックしてますが)今回のBEMさんのコメントの後半はこれからの記事の内容を先取りしたコメント内容ですよ!(笑)
後半のコメント内容は私の意見そのままです。望む望まざるとに関わらず、そうせざるを得ないと言う事を書いていきますのでまた読んで下さいね。


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2007-02-23 00:01
電気エネルギーの特色をわからずに、使用法を間違えて使っている人が沢山います。省エネの為にも本来は国でしっかり指導すべきです。最近見かける電力会社の省エネのCMも、本当に省エネを考えるなら、もっとしっかりした電気エネルギーの使い方を教えるべきでしょう。しかし電力会社は、電気エネルギーを使うべきでない所にまで使えと言うコマーシャルさえしている始末です。それで、形だけ省エネを呼びかけるのは、偽善と云われても仕方がないと思います。

 ・・・と言う事で、電気エネルギーの特徴を知って戴いて、正しい電気エネルギーの使い方を覚えて戴きたいと思います。

 先ず、電力は、典型的な2次エネルギーです。つまり、石油、石炭などの化石燃料や水力、太陽光、地熱などの自然から直接得られる一次エネルギーを変換して得られるエネルギーです。
 エネルギーの大きなロスが起こるのは、変換時と輸送時です。だから発電所で一次エネルギーを変換して、さらに長い距離を送電線を通って送られてくる電力は、ロスが大きく効率の悪いエネルギーなのです。
 基本的には電力化は、環境問題を悪化させるのです。
 それでもエネルギーを電力に変換するのは、それなりの利便性があるからです。幅広い用途に利用可能で、電気エネルギーでなければ駄目な部分も沢山あります。
 つまり、電気エネルギーは、贅沢な高品位エネルギーなのです。エネルギーの形態としては非常に質の高いものです。電気は電流、電圧を制御しやすく、いろいろな用途に幅広く使えます。簡単に、熱、運動、光に変換出来ます。
 コンピュータ、テレビ、ステレオ、等には絶対必要で、照明機器としてもやっぱり、松明やロウソクの火ではなく、電灯でしょう。
 つまり、電子機器や照明機器には欠かせない高品位のエネルギーなのです。そのような電気エネルギーでなければ難しい部分にのみ電気エネルギーは使うべきなのです。

 電気エネルギーの最も間違った使い方は、発熱のための利用、つまり、お湯を沸かしたり、暖房をしたりです。石油やガスを直接燃やして発熱させた方が、ずっとエネルギー効率はいいのです。まあ、電気こたつや電気アンカは局所暖房と言うことで、エネルギーもあまり使わないし、安全面からも、ある程度許容出来るでしょう・・・。
 オール電化住宅は愚の骨頂です。エネルギー資源の浪費です。オール電化住宅でなくても、電子機器や照明機器には電力を使う訳ですから、結局オール電化住宅というのは、発熱にも電気を使おうと言う事になるでしょう。クリーンなのは使用する場所でのみの話で、火力発電所では、化石燃料を燃やしているし、原子力発電所ではウランやプルトニウムの核分裂で放射能を出しているのです。
以前 【オール電化住宅】
 http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-52.html
で書かせて戴きました。
 政府や電力会社がちゃんと言わないので、かわって書かせて戴きました。

 電気エネルギーは、発動力、つまり乗り物などのエネルギーとしても不適切です。発熱の場合ほどではないでしょうが、他の方法のほうが省エネになるでしょう。電気自動車などはほとんど普及していませんし(愚かにも普及させようとしたら、反対いたします。)掃除機や扇風機や洗濯機などは、消費電力もそれほど大きくなく、「制御」という意味で電気が適している部分もありますので、今すぐ反対は致しません。(基本的には別な手段はありますが・・・また別な機会にでも・・)


 まとめます。電気エネルギーは、贅沢な高品位の2次エネルギーです。食べ物でいうと、穀物等の一次農産物(こんな言葉あるかどうか分かりませんが)を食べて育った二次農産物である動物の肉に相当するものでしょう。
 だから、使い方、作り方、生産量も慎重にしなければならないわけです。電気でなければ制御の難しいパソコンやテレビ、ステレオなど電子機器、スタンドや蛍光灯などの照明機器でのみ使うべきです。
 発熱機器や発動機器には原則として使ってはいけません。エネルギーの浪費です。
 
 参考
 「地球温暖化は憂うべきことだろうか? ー CO2温暖化脅威説の虚構」
   p132~134            近藤邦明[著] 不知火書房
 
 どうです?この本は、CO2温暖化虚構説以外に、こんな素晴らしい事も沢山書いています。!!素晴らしい本です。・・・・勿論あくまで「参考」で私の持論や独自解釈をかなり含ませて書きましたが・・・
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【2007/02/23 00:01】 | エネルギー トラックバック(0) |

分かりやすい
ラグナロク
僕も近藤先生の「温暖化は憂うべきだろうか」を読んでオール電化のことを書いていて、え?と思いましたが、よく理解できませんでした。
 雑草さんの説明は分かりやすいですね。


有難うございます。
雑草Z
 昔は電気で暖房と言うのは、囲って局所を暖房する電気コタツや電気アンカなどに限られていました。電気ストーブなんて電気が勿体無くて、コストもかかるから、あまり使われなかった筈なのに、原発による深夜電力が余るので、電気の発熱利用という禁断の使い方を推し進めるようになったのですね。

 近藤邦明氏や槌田敦氏は、数学が得意のようで、厳密性を持たせる為に数学で説明しているようですが、逆にそれによって、わかりにくくて見失いそうになる部分がありますね。
 発電効率ηとかちゃんと式を追うと嫌になるので、飛ばして読んだほうがいいみたいです(笑)
 私も出来るだけわかり易い言葉で説明するよう心掛けたいと思います。 

 ラグナロクさん、お久しぶりです。CO2温暖化虚構説のとき以来いらっしゃらなかったので、淋しく思っていたところです。ラグナロクさんのお勧めで、環境省にも抗議の駄文も送らせて戴きましたが、環境省はそんなの無視してCO2地下貯留を推し進めるみたいですね。なんか環境省って滅茶苦茶なところですね。
 また色々ご助言、宜しくお願い致します。  

ありがとうございます。
ラグナロク
<ラグナロクさん、お久しぶりです。CO2温暖化虚構説のとき以来いらっしゃらなかったので、淋しく思っていたところです。ラグナロクさんのお勧めで、環境省にも抗議の駄文も送らせて戴きましたが、環境省はそんなの無視してCO2地下貯留を推し進めるみたいですね。なんか環境省って滅茶苦茶なところですね。
 また色々ご助言、宜しくお願い致します。  

■いえいえありがとうございます。 ほぼ毎週、週に一回は、このブログ見ていますよ。 環境省に意見を送ってくださりありがとうございます。 最後の日にFAXでも送ろうとしましたが、残念ながらエラーが返ってきました。 番号は何度も確認したのですけどね。 

これからも宜しくお願いします。
雑草Z
 そうですか。ほぼ毎週のご訪問有難う御座います。

 ところで、矢沢潔氏の「地球温暖化は本当か?」は、読まれましたか?
 槌田敦氏の「CO2温暖化は間違っている」とは、かなり違った切り口で、別の新たな知識も沢山入りました。
 しかし、将来の展望がかなり軽率な感じです。
 「夢の無限のエネルギー核融合発電」で、地球温暖化問題がなくなる(p220)とか、
 地球の上空に太陽エネルギーの入射をコントロールする巨大スクリーンやミラーを広げる(p221~226)とか
 結構本気で紹介していますが、かなり軽率で危険な発想だと感じます。
 特に核融合発電は、放射性核廃棄物は出さないでしょうが、もっと別な問題が沢山あります。所詮原子力ですからかなり危険だと思います。このことに関しても、槌田敦さん達の著作も参考にいつか書きたいと考えてます。

読みましたよ
ラグナロク
 お久しぶりです。 読みましたよ。 説明の分かりやすさに関しては、近藤先生や槌田先生よりも評価できると思います。 イラストまで使っていて、ボーリングマシンとはこういうことだったのか?とも思いましたし温暖化論を言い出したハンセンの写真も載っていてハンセンとはこういう顔だったのか?とも思いました。
 
 しかし、やはり第8章だけは、いただけません。
核融合だの「気象コントロール」だの、あれは、マッドサイエンティストみたいだな。と思いました。
 年から年中、春にされても困ります。


 

ほぼ、私も同じ感想です。
雑草Z
 おっしゃるように、矢沢潔氏の本書のほうが分かりやすかったですね。写真やイラストも多かったし・・。槌田さん達と違うアプローチと言うのもいいですね。
 それが、第8章になると確かに「マッドサイエンティスト」と言う言葉が似合いそうな感じさえします。(笑)

 それに対し、近藤邦明氏や槌田敦氏は、CO2温暖化虚構説以外の環境問題に関する見解、スタンスにも、素晴らしいものがありますね。
 槌田敦氏がどういう人物か非常に興味があります。
 CO2温暖化説だけでなく、オゾン層破壊など様々な環境問題に疑問を呈し、エコファシズムと言う言葉を使っています。
 彼の大胆な発言は非常に凄く、全部本当だったら、真偽眼を持った世紀の学者、救世主だと思う反面、一概に納得出来ない部分もあります。どうなんでしょうか?
槌田敦さんには是非ともお会いしてみたいですね。

こんばんは
kumacom
電気製品の多くは、贅沢品ですよね。
最近のマンションではお風呂の床にも
床暖が引いてあったりしていて、ビックリしました。

最近、相次ぐ電力会社のデーター改ざん報道に、
電力会社が勧める【オール電化】が胡散臭く見えて仕方ありません・・・。



無節操に電気で発熱
雑草Z
 こんばんは・お久しぶりです。
なるほど、まさに、贅沢品の電気製品多すぎますね。
>お風呂の床にも床暖
 って呆れますね。かえってひ弱な体を作りますね。
【オール電化住宅】でもかいた様に、これは、原発依存度を高めます。エコキュートとか何とか言っても、電気での発熱は、トータルなエネルギー効率は悪くて、電気代も馬鹿になりません。発熱器具の併用でブレーカー落ちた経験って、多くの家庭であるのではないでしょうか?
 節電のコマーシャルやるならしっかり、
「お湯を沸かしたり暖房したり、発熱に電気を使わないで!」
 と言うべきです。

 宜しければ、kumacomさんも「オール電化」についてかいてくださいね。 


たびけん
ずっと疑問に思ってたんですけどハイブッリドカーを動かすために使用する電気を作るのと、普通の自動車からの排気ガスってどっちが環境に対する負荷が大きいのですか?どっちもどっちですか?

使用時の環境負荷は小さいのですが・・
雑草Z
「電気自動車は、エネルギー効率に優れ、排気ガスを出さない・・・地球に優しい・・・・」
 なんて事を平気で言うお馬鹿なサイトがかなり有りますが、本文にも書いたとおり、電気エネルギーは、典型的な2次エネルギーですから、はじめの1次エネルギーの段階で排ガスなども出すし、1次エネルギーから変換するときにエネルギーの大きなロスがあります。だから、電気自動車は、エネルギー効率も良くないし、排気ガス(原発だったら、もっと酷い核廃棄物)を発電所で出した電気エネルギーを、「蓄電」というかなり非効率なエネルギー蓄積システムに貯めて行うものです。本文で述べたように、自動車に限らず発動に電気を使うのは、非効率です。

 さて、件のハイブリッドカーですが、ハイブリッドとは、「混成」と言う意味で、ハイブリッドカーは異なる2種以上の動力源を持っている自動車です。現在の主流は大体ガソリンエンジンと電気モーターの組み合わせです。
 ガソリンで発電してさらにバッテリーで蓄電している訳で、その時点でエネルギーのロスがかなり大きく、自動車自体に内蔵している発電、蓄電システムの重量も重いので車体も重くなって非効率な感じです。

 しかし、燃費がいいという事は、排ガスも少ないと言う事です。ハイブリッドカーは状況に応じて、ガソリンエンジンと電気モーターをを使い分けて燃費を向上させているのです。
 エンジンは、低速走行時に非効率なので、停止状態から加速するときは、モーターのみを使って効率を上げるのです。停止時はエンジンを使わないので、モーターは止まり、勿論アイドリングがストップする訳です。(個人的にはこれが大きいと感じます。)また、ブレーキのエネルギーをバッテリーに蓄電し、これも電気エネルギーに使うわけです。
 そして、ある程度のスピードでの安定した走行時は、勿論ガソリンエンジンで走るのです。

 そんなわけで、完成品に関してはハイブリッドカーのほうが、環境負荷は少ないのです。ハイブリッドカーは、停止することの頻繁な都市部でガソリン車よりずっと燃費がいいでしょう。

 しかし、これにも実際はメーカーの言わない落とし穴がありまして、ハイブリッドカーは、作るときの環境負荷が、普通の乗用車よりかなり大きくて、1台あたりガソリンに換算すると、数千ℓは、エネルギーを余分に使うそうです。(私は技術屋でないので、この辺りは、不確実な数値です・・)だから、ハイブリッドカーは、新車の時点で同じくらいのランクのガソリン車よりずっと排ガスを出しているので、燃費が良くても、10万km以上とか走らないと環境負荷のアドバンテージは発揮できないのです。

 だからと言って、ハイブリッドカーだから敢えて遠出するなんて以ての外です。どこかのブログでハイブリッドカーでかなり遠出して、素晴らしい燃費を達成したなんて自慢しているのを見かけたことがありますが、馬鹿としか言い様がありません。環境に配慮するなら遠距離は電車などの公共交通手段を使うべきでしょう。

 

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