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2008-09-25 00:13
 ここ数年、環境意識は日本中、世界中で高まっているように見えます。テレビや新聞では毎日のように環境問題が取り上げられ、環境関係の世界会議も頻繁に開かれています。企業も努力して色々取り組んでいるような事が宣伝されています。世界各国で色んな環境対策が推し進められているかのように報じられています。

 しかし、その殆どが、対症療法的であり、ギャグ効果(ギャグのように愚かな逆効果)としか思えないものばかりです。
 確かに民間レベルでは、無農薬有機農法や自然農法が見直されたり、使い回し(リユース)が進み、意識の高い地域では、使い捨ても減ってきてますが、大筋では世界の環境は年々悪くなっていく一方です。

 例えば、地球温暖化対策・・・私はCO2地球温暖化説には懐疑的ですが、炭化水素(いわゆる化石燃料)の使用は控えたほうが環境負荷が小さい事は明らかです。CO2だけでなく、NOx , SOx は、酸性雨の原因にもなるし、大気中などに増える事は大きな環境負荷です・・・使用を極力控える事・・・使わない事が一番の対策でしょうが、省エネも費用対効果も無視した、何より環境負荷がもっと増えるような代替エネルギーを使う事ばかりです。最悪の原発は言うまでもなく、バイオエネルギーも、今のところ石油の浪費を止められません。(バイオエネルギーを作って取り出す過程で、かなりの石油を使います。)太陽光発電や風力発電も、大規模なものは、今のところどうしようもないレベルで、やはり石油の浪費です。・・・挙句の果てに、二酸化炭素の地下貯留などを本気で考えているのだから、どうしようもありません。CO2温暖化対策に名を借りて、その手の企業に儲けさせるだけとしか考えられません。・・愚かなCO2温暖化対策については今までも繰り返し述べています(【COP13を終えて】、【CO2温暖化肯定派の権威へ】etc・・・)ので、このへんに致します。


 生態系を考えてみます。・・・生物はみんな繋がっていますから、生態系が豊かでなければ人類も存続出来ません。しかし、都市化などにより、生態系が年々破壊されて、自然領域が縮小されるばかりです。熱帯雨林の破壊の例を出すまでもなく、部分的に川の浄化や森林の回復などが為されていても、全体的には生態系は破壊が進んでいます。
 食物連鎖の出発点は植物ですから・・・・と言っても、植物も動物の糞尿や死骸などを利用しているから持ちつ持たれつの部分もありますが・・・植物の量と動物の量のバランスは大切です。しかし、現在はヒトという種が異常繁殖した為に、圧倒的な植物不足です。または、ヒト種の異常繁殖によって、他の動物が激減したり絶滅しています。人口増加は環境破壊の主要因の一つです。

 環境意識が進んだといっても、今のところ、環境破壊は年々進むばかりです・・・加速さえついている状況です。
 地球の環境負荷は、全人口の環境負荷の総和です。言い換えれば、
(人口一人当たりの環境負荷)×(全人口)
です。環境対策の基本は、一人当たりの環境負荷を減らして、人口も増やさない事です。(もうかなりのオーバーでしょう。)それなのに、日本は少子化対策という世紀の愚策をやっています。
 さらに、経済成長には、環境負荷を増やす方向に進むことが要求されます。
つまり、世界の経済レベルは、全人口の経済活動の総和、言い換えると
(人口一人当たりの経済活動)×(全人口)
です。
 経済活動は環境負荷と必ずしも比例は致しませんが、大体比例関係にある事は明らかでしょう。

 世界が脱成長路線にシフト出来ないのは、世界のほとんどの人が経済成長に洗脳されているからであり、そういう風に社会のシステムが作られてしまったからでしょう。。世界の国の指導者が、ほとんど産業界のまわし者であり、経済成長と云うカルト・・・メジャー過ぎるから『カルト』と言えそうにないのなら『経済成長ファシズム』と呼びましょう。・・・に頭が洗脳されているからです。
いまだに経済成長に四苦八苦している政治家たちのレベルの低さには辟易ですが、その周りの学者も産業界の御用学者ばかり・・・
 私は科学妄信ではありませんが、経済成長路線を肯定する御用学者たちは、もはや科学を放棄した・・・と考えるべきでしょう。

 科学的に考えれば、閉じた系・・・物質的には外部とのやり取りはなくて、エネルギーの交換のみの系・・・の地球では、外部から入ってくるのは太陽エネルギーだけで、外部に放出するのは熱放射だけと考えるべきでしょう。科学技術者達は、そこをしっかり踏まえて議論すべきです。(宇宙開発は、さらに愚かな人類の自殺行為です。)そうすれば、物質でもエネルギーでも地下資源は有限ですし、使えば汚染される・・・・エントロピーが増大するだけ・・・という単純な基本が見える筈です。そう、わからないのか知っていても目をつぶっているのか判りませんが、エントロピーの法則に規制された孤立系のガイア地球から考えなければならないわけです。そうすれば、経済成長は必ず環境破壊という代償を伴い、現在に至るほんの数十年だけ信じられた危険極まりない概念であることがわかるでしょう。

 現在、環境対策で、地球の環境は良い方向に進んではいません。良くなっているどころか、今年は昨年よりもエコロジカル・フットプリント(私はこれに環境エントロピーと名付けましょう)は大きくなって、人類はまた一歩破滅に近付いているのです。
まずはエコロジカル・フットプリントのマイナス成長・・・経済のマイナス成長を実現した段階で、
「環境負荷は昨年よりも今年は良くなった」
と言うべき
でしょう。・・・私は預言者じゃないからいつからとははっきり言えませんが
今世紀の早いうちにそれを実現しなければ、人類は悲惨な絶滅を遂げるでしょう。
嘘の環境プロパガンダ・・・
「エネルギーも物質も沢山消費して科学技術の力で経済成長しながら、環境問題を解決」のような愚かな環境対策がまかり通っている現代社会はかなりとんでもなく狂っているというべきでしょう。
・・・「科学技術と言う名の似非科学信仰による経済成長」が愚かな発想であったと言われる時代が近い将来・・・今世紀中に到来するでしょう・・・でも気付いた時には既に遅し・・・で、人類は滅んでしまうのでしょうか?
 もう一度基本に戻って、エントロピーをしっかり考慮した環境対策、環境負荷や意識の高い地域では意識の高い地域では代替エネルギー論などを訴える必要があるとの思いに至っています。・・現在、そのあたりコンセンサスが全く得られていないから無茶苦茶な愚かな環境対策が為されているからです。
 これからエントロピーを深く考慮した環境問題、対策について言及していくつもりです。


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【2008/09/25 00:13】 | 環境総論 トラックバック(0) |

一律削減の欺瞞
地下水
 鉄を造る時、中国では日本の8.5倍、ロシアでは18倍のエネルギーを使うそうです。日本が25%削減と言っても、日本ではもう十分削減しているので効果が無いわけです。中国やロシアがこれを批准して25%削減しても、日本の何倍ものエネルギーを捨てている事にかわりはありません。
 自動車の排ガス規制の様に、鉄工所も排ガス規制をするのが本当のやりかたです。同様に、このことから京都議定書の一律7%削減などと言うやりかたも欺瞞でしかない事が、明確にわかりました。

Re:一律削減の欺瞞
雑草Z
    地下水さん

 遡って、コメントが一つもない記事へのコメント有難う御座います。(内容的にはカテゴリー【CO2】の中の記事へのコメントですね。)


 特定の年との比の一律削減という方法は本当に変ですね。既に省エネ技術の進んでいた日本に大きく不利になった・・・とはよく指摘される事ですが、その通りだと思います。そんなやり方にひっかかった日本も馬鹿ですが(・・排出権購入せざるを得なくなりました。)そんな理不尽な取り決めを作るCOP会議も京都議定書も欺瞞ですね。
 一律削減というのなら、世界中同じ一定の値まで削減するほうがまだ公平でしょう。・・人口あたりにするか面積あたりにするかとか会議で相談すればいいのです。その結果、途上国と呼ばれている国の中にはますます排出する権利が生まれるところも出るでしょうけれど、もともと削減対象にはなっていません。・・・まあ理想的なのは国ごとのカーボンニュートラルでしょう。でも、二酸化炭素削減に躍起になるよりももっと遥かに深刻で優先して取り組むべき環境問題がありますね。

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2008-02-17 00:02
 一般の人が環境問題を語る時、地球規模の問題に関してのデータは、それなりの機関が出したものを使います。対策も概して専門家が出したものを元に考えます。個人なり小さな組織では地球規模のデータの収集は無理でしょう・・・。
 そこで見落とされる問題は、データの精度、および”専門家”が出した結論の信頼性です。この事についてはあまり論じられません。・・・だから大衆操作もしやすいのです。その気になればデータの捏造も簡単でしょう。確認は困難でしょうから・・・

 データや対策の内容以前に、しかるべき機関が出した統計データがどのくらい信頼が置けるかという事に関しても、もっと考慮すべきでしょう。

 例えば、森林面積のデータのアバウトさについては、このあいだ言及致しました。
【森林減少に関する軽卒過ぎる楽観論】
 森林面積のデータは、森林の質に関してはほとんど考慮されていません。樹齢数百年の木々の生えている手つかずの天然林が皆伐されて、そこに苗木を植えた場所でも、同じ森林面積としてカウントされるのです。さらに火事などで焼けた森林も、伐採された森林も森林面積に計上されているのです。
 森林の質は面積に比べて測定するのは難しい事は確かです。現在取られているデータで最良の方法は原生林の面積データで考える事です。そして、その面積は明らかに減っています。この非常に価値ある原生林もみるみるうちに他の用途・・・価値の低い植樹された森林や農地、放牧地、道路、工業用地、住宅地に転換されています。
 公式に保護されている森林は、約3億ヘクタールしかないと言われていますが、その書類上保護されている森林でさえ、組織ぐるみで不法伐採が行われています。そしてその消失分はデータには反映されていません。
 このように比較的統計を取りやすいと思われる森林面積のデータでさえ、正確にはわかりません。公式な森林面積の統計データはかなりいい加減です。出される数字は毎年かわり、どの数字が正しいかも結論が出ていないのです。つまり、森林の消失状態は正確には分かっていない・・・と言うのが実態です。

 過去の地球の気温はもとより現在の地球の平均気温についても、データを取る場所は偏っているし、小さな温度計では、局所的な偏りもがデータとして取り入れられてしまいます。

 私は、過去の気温もCO2濃度も、かなりアバウトな胡散臭いデータで、異常気象や温暖化が語られていると考えています。

 以上、地球に関する統計データは結構当てにならないものです。その信頼性についての議論なしに、都合の良いデータが疑いをもたれず使われ、対策が生み出されているのです。・・・

 環境問題に対して、統計データは諸刃の剣です。
 統計データから、対策をしっかりしないと間に合わないという議論から、対策をしなくともまだ十分間に合うという議論まで、色々な意見が出されます。それに伴い予防原則も都合のいい部分では採用され、都合の悪い部分では無視されます。

 データが不確実だからと言って対策をしないでいいと言える根拠もないのです。

 そう考えると、統計データに頼らずに、身近なところで森林が伐採されている、生体系が壊されている・・・と言うことから地球規模の危機を感じ取る事もあながち間違った方法ではないでしょう。
 例えば、森林消失、生体系の破壊に関して、統計データが不確実だから、環境危機を煽ってはいけない・・・などと言ったら、かなり自然の摂理に対する洞察力が欠如していると言うべきでしょう。
 
 地球規模の統計データは信頼の置けないものが沢山ありますが、環境問題はかなりシビアな事は間違い御座いません。

・・・・環境問題に対する楽観的なデータは疑ってかかって、シビアなデータは尊重すべきだ・・・という主張になってしまいそうなので、このへんで止めておきます(笑) 
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【2008/02/17 00:02】 | 環境総論 トラックバック(0) |

信憑性が全てか
解死塚
いつだったか、「朝までテレビ」の生放送で温暖化問題について熱い議論が交わされるということがありました。
今や有名な国立環境研究所の江守さんなど、温暖化に詳しい人たちが集まっていました。
その中で私が特に耳に残ったのは、調査・研究方法の正確さ、用いた情報が最も新しいか否かという議論でした。
しかし、一番感動したのは、司会の田原総一朗さんが視聴者に分かりやすいように、視聴者の為の議論をしようとしていたこと。研究者たちはなかなか田原さんの思うような議論をしてくれてはいなかったような気がします。

その番組の中でアル・ゴア氏の「不都合な真実」についての議論がありました。批判ばかりで、あれはよかったという人は一人もいませんでした。研究者として間違った表現をすることがゆるせないという事でしょう。
しかし、「不都合な真実」により、どれだけの人の意識が高まったか、それだけの人の関心が高まったか、そちらを評価すべきなのではないのでしょうか。

北極の氷が溶けるから海面が上昇すると思っている人はまだまだたくさんいます。だからといって、それは間違っていると指摘する必要は私は無いと思います。温暖化問題に対して興味はあっても、知識はないひとはたくさんいる。しかし、温暖化問題が悪いことだと、頭の中では誰しもが理解していると思います。それで充分だと思います。
映画、本、テレビといった全てのメディアにおいて、間違った表現、あるいは信憑性の欠けた表現があったとしても、それが人々をエコに駆り立てるものであるならばそれでいいのでは無いかと思います。

まともで有効な対策の為に
雑草Z
    解死塚さん

 ちょっと記事の内容とはずれたコメントですが、お返事致します。

 確かにアルゴアは、アメリカの能天気な人々をはじめ、多くの環境問題に関心のない人々に環境問題に関心を向けさせたという意味で功績はあるでしょう。
 しかし、「不都合な真実」にも沢山の不都合な真実が見え隠れします。アルゴアの発言等は、環境問題を長年研究してきた人とは思えぬほど表面的で、環境問題の本質を分かっていない薄っぺらな環境論者に見えます。

 アルゴアをはじめとするCO2温暖化対策とCO2削減にばかり躍起になる人の明らかな功罪は二つあると思います。

 先ず、原発やCO2地下貯留のような、CO2温暖化よりも酷い環境汚染を起こしそうなとんでも対策・・・これは実質CO2削減にならないというよりも、さらなるCO2発生をも促すとんでも対策です。そして、放射能汚染など、もっとシビアな問題を起こします。

 次にCO2温暖化対策ばかりで、他の切実で重要な環境問題から目をそらせてしまう事・・・「不都合な真実」はこの典型かもしれません。

「不都合な真実」で環境問題に目覚めた子供達が、環境問題をしっかり研究、考察し、アルゴアレベルでは話にならない事を悟って、本質的な環境対策に取り組む・・と言う風に進めばいいのですが・・・。

>間違った表現、あるいは信憑性の欠けた表現があったとしても、それが人々をエコに駆り立てるものであるならばそれでいい

 こういう部分での間違いが判明すれば、世界にまだまだ沢山いる経済優先を叫ぶ大多数の人に「無責任に環境危機を煽るな」と言われ、経済優先、開発優先の口実にされてしまいます。言いたい事はわかりますが、間違った認識で誤った対策をしても地球環境は改善しません。   
 
 

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2008-02-13 00:02
 前回は、世の中に蔓延っている軽率な環境問題軽視論の中から森林減少について言及させて戴きましたが、今回も前回に引き続き軽率な環境軽視論に反論させて戴きます。
今回は、食料生産に対する楽観論について、特に食料の中でも基本となる穀物生産に絞って論じさせて戴きます。


 穀物生産に対する楽観論は、世界の穀物生産はずっと増産されている事を根拠にしています。例えば1950年から2000年までの50年間で世界の穀物生産高は3倍以上に増加しています。その間の人口の増加は2倍を少し上回るほどです。人口増加率よりも食料増加率は上まわっているから、世界の飢餓はなくなるだろうという楽観論です。
 FAOは、もし全て耕作可能な土地を食料生産に使い、土壌浸食などもなく、天候も良好で、管理も万全な状態で耕作すれば、途上国の食料生産高を現在の16倍に出来るなどという報告も行っています。
 でもそれは極めて楽観的な理想的な状態の元でのお話です。そんなに簡単にはいきません。そんな事はほぼ無理でしょう。
 でも、それでもまだましなほうで、技術によって、土地の収穫率は無限に上げられるような事を述べている本なども存在し、売れてます。無限の収穫率なんて、疑いを持たないほうが変です。それだけで信頼出来る筈がありません。
 実際現在の食料は、全世界の人に適切に供給する事は理論上は可能です。しかし、それは、穀物を家畜のえさに回さず、かつ収穫から消費までの間に腐ったり害虫にやられて食えなくなる分がないとした場合です。
 実際には、収穫後に損失する穀物は10~40%もあり、食料の配分は公平というにはほど遠く、貧しい人々を飢えさせてまで肉を食べるための家畜のえさになるのです。当然、10kgの穀物を食べた家畜の肉は1kg分にしかなりません。
ここ20年ほどは、穀物増産率は、人口増加率も下回るようになってきました。つまり、人口一人当たりの穀物生産は1985年をピークに少しずつ減少しているのです。

 統計データに現れた表面的な事だけ読んでいては話になりません。

例えば、世界の作付け面積は15億ヘクタールで、ここ数十年ほとんど変わっていません。それに対して、地球上の耕作可能な面積は20~40億ヘクタールあるから耕地面積を増やして増産すれば大丈夫なんて楽観論が本やネットを駆け抜けるから始末に負えません。確かに食料増産分のほとんどは、農地の実質的な拡大ではなく、収穫率の向上によるものです。
 だからと言って、耕地が維持されているのではないのです。かつて生産力があった土地が、浸食や塩害、都市化、そして砂漠化によって失われて、それと同じくらいの新たな耕地が森林伐採などによって生み出されているのです。耕地に転換できる土地の面積は年々縮小しているのです。耕地の土壌の質の低下を補う為に化学肥料でドーピングして、収穫率を維持した上げたりしていますが、そんなものは問題の先送りでしかなく、問題をより深刻にするだけです。


 以上のような議論もしないで、表面的に統計データを捉えて、世界の穀物生産は増えていると楽観論を展開することは、軽卒というものでしょう。その軽さには、しっかりした洞察など微塵も感じられません。こんなレベルでよくもまあ環境問題を楽観視出来るものです。

 環境問題の本質を見極められない、すぐ流されてしまう土壌のような薄っぺらな似非楽観論を展開し、「環境危機を煽ってはいけない」などとのたまう輩は愚かで無責任です。
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【2008/02/13 00:02】 | 環境総論 トラックバック(0) |

お久しぶりです。
坂番
春休み、考える時間にしていきます。

理論上、地球で生産される食物で世界中の全ての人へ最低限の供給が可能という事ですが、現在それが出来ていないのは、それを実現する為のシステムが無いと言うことと、それを妨げるニーズがあるということかと考えます。
理論上は可能でも、結局世界はそんなことをする気はないのではないのでしょうか。
自分の身は自分で守らなければならないのだから当然と言えば当然か・・・

それを考えると、その理論は飽食という状態に“後ろめたい”と思う気持ちを払拭する為のバックグラウンドでしかないのではないかと思っていまいます。

ま、食料自給率39%の日本、高級和牛なんて食べてる場合なのかと思いますね。




春に、沢山考えてください。
雑草Z
     坂番 さん

お久しぶりです。・・100年振りくらいでしょうか?

>それを実現する為のシステムが無いと言うことと、それを妨げるニーズがある

は、その通りですね。

>結局世界はそんなことをする気はない

という事は、世界を牛耳っているいわゆる先進国の為政者達にその意思がないという事でしょう。ならば、人口を増やさない方向に行かなければかなり危険です。結局政治家のほとんどは、ほんの目先の事ばかりしか考えていないという事です。

 日本人は人ごとのように言ってますが、ここにも頻繁に書いているように、食糧危機はすぐそこまで着ているでしょう。日本の食料政策は本当に愚策です。
 自給自足はこれからの独立国家の基本でしょう。道路特定財源なんてやってる場合じゃないです。

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2008-02-09 00:02
 最近、人々の環境問題に関する意識は高くなってきている(まだまだ話にならないレベルですが・・・)一方、「環境危機を煽ってはいけない」なんて本も流行っていて、環境問題に関する楽観論も論じられています。その手の本も沢山発行されています。確かに環境問題に対する認識や対策方法はとんでもないものが沢山あり、改めるべき部分も沢山ありますが、環境問題自体は、かなりシビア-なもので、楽観論を語っている余裕はないでしょう。
 それぞれ個別の環境問題で、安心出来るものがあれば安心したいものです。まだまだ大丈夫という裏付けがあれば、それはそれで結構です。
 だから、そういう環境問題に対する楽観論を書店で立ち読みなどもしたものですが、あまりの軽率な議論にがっかりするとともに、怒りも込み上げてきます。 買う価値がない本ばかりです。よくもまあこんな薄っぺらな内容の本を恥ずかしくもなく書くものです。そんな軽率な環境軽視論にいちいち目くじらを立てて反論しても時間の無駄だとも考えていたのですが、こんなとんでも議論を真に受けて、環境問題など大した事ない・・・という風潮は後を絶ちません。それが一種、ファッション化していて危険なので、ちょっと論じてみようと思います。

 環境楽観論と言っても様々な分野がありますが、とりあえず、森林減少に関する楽観論について、反論させて戴きます。彼らは統計データを一面的に捉えて、楽観論を展開しています。しかし、この楽観論には、しっかりした洞察など微塵も感じられません。こんな表面的なデータをかじったレベルで、よくもまあ環境問題を楽観視出来るものです。

×××× ×××× ×××× ×××× ××××
 
 統計データによると世界の森林の減少率は、年間たった0コンマ数%だ(0.7%とか)という楽観論があります。・・それでも十分に脅威となる数字ですが・・・。一時の乱伐は減って、植林も増え、このペースで植林が進めば森林は増加に転じると期待出来ると言う楽観論もあります。・・・本当にそうなら嬉しいのですが・・・
 森林の統計データもかなりいい加減です。例えば、1999年に出されたFAOの評価によると、森林の年間消失速度は、年間1130万ヘクタールという数字が出されていますが、それは農業や放牧、道路や居住用に転換した森林だけです。伐採された森林も山火事で燃えた森林も森林として計上されています
 天然林が伐採されて、集約管理型の植林に転換されていますが、天然林の森林の密度や生態系の多様性は同じ面積の人工林に比べて遥かに大きいのです。多くの国が発表している森林面積のデータにはこの違いを区別していません。天然林の伐採後に苗木を植えたばかりの土地も、同じ森林面積として統計データに載るのです。

 確かに1993年のFSC[森林管理協会]の設立など、健全で持続可能な森林管理の取り組みはなされています。
 しかしまだこの取り組みは持続可能な林業にはほど遠い状態です。

 地球全体では、森林消失は増えていて、残っている原生林は消失しつつあり、まだ残っている森林の質も劣化しているのです。

 こんな議論も出来ないで、表面的な公式データで、森林消失は年間たったの1130万ヘクタール(これだって多過ぎです。十分に脅威です。)だとか楽観論を言ってる人間に環境問題の本を書く資格はないでしょう。
 環境問題の本質を見極められない似非楽観論者に騙されないように・・!!!。
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【2008/02/09 00:02】 | 環境総論 トラックバック(0) |

砂漠の宗教
田中敬三
岸田秀さんと小滝透さんの対談本(『生きる幻想 死ぬ幻想』)を読んでいたら、小滝さんが、ヨーロッパでペストが大流行したころのことを語っていました。↓

……さらに森林伐採には宗教的な意味もあって、森を残しておくと、土着的な精霊信仰が生き残って、異端や異教が生まれるので、キリスト教を広めるという意味でも、森林を伐採した、そうしたらフクロウとか蛇とかがいなくなって野ネズミが大発生し、それにペスト菌を持ったノミが寄生したので、大流行を引き起こしたのです。……

うっそうと繁る森林を見ると、「こんなもの」と、敵意のようなものが湧いてきて、明るく切り開かないではいられなくなるような心性があるのかなー、と思いました。

キリスト教の独善
雑草Z
    田中敬三さん

>土着的な精霊信仰が生き残って、異端や異教が生まれるので、キリスト教を広めるという意味でも、森林を伐採した

 とんでもない奴らですね。キリスト教徒は選民思想の塊でしょうか?この排他性は、世界を征服するまで終わらないのでしょうか?

>うっそうと繁る森林を見ると、「こんなもの」と、敵意のようなものが湧いてきて

と言うのが彼らの開拓者精神[Frontier spirit]の本質かも知れませんね。
 Frontier の本来の意味は「アメリカ先住民の掃討の最前線」という意味だといいます。
 だから開拓者精神[Frontier spirit]の本来意味するものも異民族、異宗教者の掃討・・・
 かつて白人のキリスト教徒は、船に乗ってやって来て、巧みに近寄って、ある日突然牙を剥く・・・他民族にとっては悪魔だったのでしょうか・?。
 

植林、林間農法
地下水
 皆伐された広大な内陸の穀倉地帯は、保水力も弱く灌漑地下水位が下り、化学肥料で土壌が傷んで来ています。皆伐はし過ぎであり何割か残すべきでした。
 この穀倉地帯に縞模様の様に直線に植林する事で、地球の緑を飛躍的に増やし、保水力を上げ、落葉で土壌の劣化を遅らせる事ができると考えます。
 地下水位が下っている米国のトウモロコシ地帯、乾燥が進んでいるオーストラリアの小麦地帯、アラル海が干上がっている東の綿花地帯などに植えるべきだと考えます。

Re:植林、林間農法
雑草Z
    地下水さん

>穀倉地帯に縞模様の様に直線に植林する事で、地球の緑を飛躍的に増やし、保水力を上げ、落葉で土壌の劣化を遅らせる事ができると考えます。

それは大変いいアイディアですね。他の記事への地下水さんのコメントのように、植林も混植すれば強い林になる可能性が高いですね。穀倉地帯にこそこのような林を作って林業も起こし、里山を作るっていいですね。
「広大な穀倉地帯、綿花地帯」も現代人類の失敗作である事はもう証明されたも同然ですからね。
是非とも早く
>地下水位が下っている米国のトウモロコシ地帯、乾燥が進んでいるオーストラリアの小麦地帯、アラル海が干上がっている東の綿花地帯

でやって欲しいです。


Re:Re:植林、林間農法
地下水
 凡その統計値を調べますと、緊迫の度合いには凄まじいものがあります。

 過去50年間に、世界の人口は270%に急増しました。
 過去50年間に、世界のエネルギー消費量は300%以上に急増しました。
 過去百年間に、世界の森林の面積は30%も消失しました。
 過去50年間に、珊瑚礁の40%は消失するか劣化し、マングローブ林も35%が失われました。
 特に漁業や淡水資源の利用は、今後50年のうちに回復不能な状態に陥る危険があります。
 過去50年間に北京の地下水位は60メートル減少しました。地下水位の低下は、特に、中国、インド、アメリカの三大穀物生産国で顕著です。この50年間に地下水の過剰使用によって帯水層は干上がりつつあります。この水不足は食糧危機につながります。

 従って、一子制によって世界人口を減らす必要があります。乾燥地や皆伐された内陸の綿花地帯や穀倉地帯に、縞状の計画的な植林と林間農法によって、緑地と土壌と保水力と藻場を回復する必要があります。

Re:Re:Re:植林、林間農法
雑草Z
    地下水さん

 年明けはじめのコメント、記事を遡って昔のコメントに続けて頂いて有難う御座います。

 人口増加と1人当たりの環境負荷の増加は、環境問題の根本原因の大きな要因ですね。世界の人口は増え過ぎですから、望む望まざるに関わらず、何れ近い将来に世界は人口減少を経なければならないでしょう。
 欧米の指導者の間でも人口を減らす計画が立てられていると言うまことしやかな噂がありますが、過激な酷い方法が噂されています。そんな方法が実行される前に、人類は自らの意思で賢く人口を減らさなければなりません。その為にも、一子制はソフトで賢い政策と言えましょう。
 地球上の動物で独り勝ち状態の人類は、自らの意思で人口を減らさなければ、悲惨な将来が待っていますね。

 なお、以前コメントを頂いた次の記事もこの問題を論じていますね。

【人口圧】2008-05-01
http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-292.html



Re:Re:Re:Re:植林、林間農法
地下水
 米国は1845年には2千万人であった人口が現在3億人へと激増しており、米国主義による大戦や産業革命と思っていたより危険な相関が考えられます。地球の人口は1987年に50億人、1998年に60億人、2011年に70億人と激増していて、思っていたより危険である事がわかりました。僅か13年で10億人も増えています。10億人増えると森が7%減り、藻場が8%減ると言う危険な相関も考えられます。資本主義や産業革命や軍拡のパラダイムを修正し変更しないと危険過ぎます。
 地上は太陽から見ると緑が日光の低いエントロピーを受光して蓄積している非平衡系で、緑の蓄積以上の経済活動をするとエントロピーが増大します。ましてや低いエントロピーの根源となっている緑を破壊すると、元も子もなくなりますので、普段思っているよりも森が大切な事がわかりました。
 日光を受けた雑草も、その陰で新たな木の種を発芽させようと、きっと思っているようです。

Re:Re:Re:Re:Re:植林、林間農法
雑草Z
人口爆発は、いわゆる発展途上国で起きている現象のように言われていますが、実は先進国と言われる国は既に人口爆発を経験していますね。日本も江戸時代はおよそ3000万人で安定していましたが、明治維新から100年ほどで、約4倍の1億2000万人ほどまで増えました。恐ろしい頃です。
江戸時代の人口抑制策も、現代人から見れば「非人道的」と言われるかも知れませんが、人口増加による悲劇をしっかり認識していたところが賢いと思います。「少子化」を問題にしている現代日本人は本当に愚かだと思います。

>資本主義や産業革命や軍拡のパラダイムを修正し変更しないと危険過ぎます。

そうですね。確実に破滅に向かって行進していますね。

人類は太陽光の範囲でエネルギーを利用しなければなりませんね。・・・太陽光発電と言う意味ではありません。・・光合成主体で、あとはパッシヴソーラーくらいでしょうか。

この辺りは、以前記事にしています。例えば、

【太陽エネルギーの有効な使い方】2008-10-13
http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-339.html

とか

【光合成・神業!】2009-06-09
http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-406.html

とか、
カテゴリー【太陽エネルギー】の記事です。この辺りの議論は、地下水さんと意見が一致する部分でしょうね。




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2008-02-05 00:01
 エコロジカル・フットプリントなどの観点からも、人類活動は1980年代に持続可能なレベルを超えて、現在は20%ほどオーバーしていると言われます。
つまり、例えば再生可能な資源・・森林だとか水産資源だとかの消費量が再生量を20%ほどオーバーしていると言うことです。
 私はこの手の数字はあんまり信頼していません。持続可能なレベルをオーバーしている量は、5%かも知れないし、50%かも知れません。定義の仕方によっても変わるでしょう。しかし、オーバーしていることは明らかです。実際に森林面積は減っています。水産資源も枯渇に向かっています・・既に枯渇してしまった漁場も沢山あります。

 そんな議論に対して、色々な限界はまだまだだと言う見解もさまざまな方面から出されています。産業界から発信されたり、政府や国際機関、研究所から発信されたり、「環境危機を煽ってはいけない」なんて軽率な本を書いている連中も盛んに述べています。比較的中立な立場の研究者からも発信されています。

 例えば、
漁業資源も森林資源も、適切に管理すれば現在のレベル以上に供給可能だという研究報告も沢山あります。農業に至っては、まだまだ十分に増産可能だから、 現在の人口より遥かに多い人間の食料を生産出来るなどと強気の見通しも出ています。・・確かに当たっている議論もあるでしょう・・・適性に管理されれば・・・・
 その結果、世界の人口もまだまだ増えても大丈夫、100億人くらい十分に養うことが出来るなどと言う研究も溢れています。
 人口問題は、単純に数だけではなく、  (人口)×(一人当たりの消費量など)
 つまり全消費量が問題になる筈です。
 兎も角、限界はまだまだだと言う強気な意見があるわけです。人口が増えても技術で何とかなると言う楽観論に溢れています。
 まあ、多くの経済界や財界人の発想のように、限界の概念のないものと比べればずっとまともな議論なわけですが、これらの
「限界まだまだ説」   に対して私が言いたいことは
「限界に挑んでどうするの?」     と言うことです。
 
 地球規模の限界に関する情報は、かなり不確実です。地球自体の様々なデータも揃っていません。未知の部分も沢山です。それなのに予測なんて出来る訳は御座いません。
 例えば石油の枯渇の予測なんて、20世紀の中頃はあと30年と言われていて、それから何年経ってもあと30年前後で減りませんでした。もう何十年も前に枯渇するという予測だった筈なのに、現在も枯渇までは50年とか言われています。かなり研究されている、ただ埋蔵しているだけの石油ですらこのありさまです。まして動きのある再生可能な資源の予測なんて、かなりいい加減なものでしょう。そこをごまかすためにも逃げ口上の為にも、「適正な管理がなされた場合」と言う条件がつくのでしょう。(勿論、適切な管理は必要ですが・・・)

 世界の人口が60億を超えたと言うだけで十分危惧に値する人数だと思います。世界の人口は、有史以来ずっと増え続けています。一万年前は世界の人口は1千万人ほどと推定されています。2000年前の西暦の始まり頃で1億人、200年ほど前の19世紀初頭で10億人。それが21世紀初頭で60億人です。もうどこもかしこも人間だらけです。
 特別な昆虫とか微生物は別として、ある程度大きな動物、例えば哺乳類とか鳥類、爬虫類、あたりで、産業革命以降増えた動物なんて、人間とその食用の家畜類くらいではないでしょうか?地上にこれ以上何人の人口が養えるかなんて、誰もはっきり分かりませんが、人口増加は意識的に止めなければ危険極まりありません。

 不確実な限界が示されて、だからとそのキャパぎりぎりの限界まで増やして行こうと言う発想は非常に危険で愚かです。何事も余裕が大切です。


 船でも電車でもバスでも飛行機でも可能なぎりぎりの人数が乗ったら、能率がいいのは、(事故が起きなかった場合の)経営会社にとってのみです。座れる席はみんな座って、立っても沢山乗って搭乗率200パーセントなんて言ったら、乗っている人達も苦痛だし、運転の制御も難しいと言うものです。余裕をもって座れるくらいの乗車率が快適でしょう。

 もしもその限界に対する推測が正確だったとしても、各要因には揺らぎがありますから、限界ぎりぎりで押さえていても、限界を超える危険性はかなりあります。
 限界ぎりぎりと言いつつ、実際は限界を超えていて崩壊が始まったら取り返しがつきません。崩れはじめたら制御不可です。

 海の魚も、森の木も、人間に利用出来るぎりぎり限界量まで利用してやろうと言う人間の欲望は異常というべきでしょう。人間の利用の為に存在している訳でもないし、そんな事考えているから、実際には持続可能量を超えてしまうのです。

 分配の不公平の問題を解消すれば、人間は物質的にはもう十分です。これで十分でなければ、どこまで行っても十分じゃないでしょう
 
 もう既に限界を超えているという研究結果は十分正しいとは思いますが、もし幸いにもまだ限界に達していないとしても、まだ大丈夫だとかそんなを言って、限界に挑戦することは愚の骨頂と言うべきでしょう。限界を超えればストックが減るだけで、ストックがなくなれば破局です

 限界を議論することは大切な事ですが、まだ限界に達していないからまだ成長、開発、増産可能だと言う議論は、最高に危険で、結局限界を超えて破局をもたらすでしょう。

 既に持続可能な限界を20%超えていると言うのが一番確からしい見方でしょうが、それも確実ではありません。だからといって、たとえまだ限界に達していないとしても、さらに経済成長を続ける事がどんなに愚かな事か、みんな気付くべきでしょう。

 持続可能な限界に挑むなんて馬鹿な発想はやめるべきです。余裕があるうちにストップするのが賢い人間の知恵の筈です。

 限界に挑んでどうするのでしょうか
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【2008/02/05 00:01】 | 環境総論 トラックバック(0) |

なるほど
サイケデリックパパ
限界に挑もうとしているのは、この体制がこのまま続くことを願っている
「我が世の春」を謳歌している大金持ち達なんでしょうね。
で、限界に挑んで欲しいと願っているのは、それにぶら下がっている人達。

金持ち達は最後の最後まで金の力で生き延びようとするでしょうからね、
彼等にゃ畑仕事なんてあほらしいだろうし。
地球が駄目になっても金持ちは残り、お金の力でそれを乗り越えようとす
るんでしょうねえ。一度悪魔に魂を売って楽しちゃうとね、なかなかそこ
から出ることが出来ませんからね。
そんだけ人類が人をモノのように使ってお金を得て、それで生きて行ける
システムっていうのはすんごい発明だったって訳なのかもしれなくて。
でも、その発明によって自分で自分の首を締めてしまうのが、今の世界っ
て訳でして。

まあ地球がどうなろうが、我々個人はそれに合わせてなんとか生き延びねばならない訳でして、だからさみんな北海道においで!(笑
こっちは温暖化で最近はかなり住みやすくなってきとるよ。(夏がちょっと
暑いけどね..笑)

金はねえけど食い物や水、森なら沢山あるよ~。原発はあるけどよ、泊だけだからさ東に逃げればなんとかなるべさ。




個人的には…。
ハイパーポン太
 石油枯渇に関しては、私はおそらく100年単位ではないかと思っている。いや、確実な証拠があるかといわれるとそうではないんですが。
 日本の少子化現象を見ていると、おそらく70億人くらいで、人口増加は頭打ちになるのではないでしょうか。その後減少の方へとベクトルが向けられる。経済が発展し、物には充足感がある日本人。いまでは少子高齢化は進む一方で、発展途上国のように多産というのはまれ。ただし、発展途上国も安定してくれば、日本のようにだんだん少子化に向かうとみられる。要するに、少子化が進むことでの減少です。かつての大戦争のような殺し合いによる減少は、多分そうないんではないか?と思います(局地的な戦争はありますがね)。
 そこから、世界の国々の力も平衡化していくんじゃないかなぁと、漠然と思っております。
 一番いいのは、世界が「江戸化」することですが、完全な循環型社会は、おそらく不可能。アルミ缶は「電気の缶詰」と呼ばれるくらいだから、リサイクルはかなり有効らしいですが、ペットボトルのリサイクルは、物質収支的には成り立ちうるが、エネルギー収支的にはマイナス面が多い。しかも劣化が激しいから、質が悪い者は皆、中国の人民に二束三文で売り払うことに。
 だから、循環できるものは循環し、消費量はなるべく抑える…というか、その頃になれば、多分ものに関する欲望も、かなり抑えれられているんじゃないかと、人類。否応なしに、消費が減少方向に傾いていくんじゃないかなぁ。
 そのきっかけは、やはり石油…なんだろうか。

行き過ぎからの破局は止められない
雑草Z
    サイケデリックパパ さん

 そう、全くおっしゃるとおり、
>限界に挑もうとしているのは、この体制がこのまま続くことを願っている「我が世の春」を謳歌している大金持ち達
 
 でしょうね。もうこれ以上儲けても、幸福感はあんまり変わらないでしょうが、財産を増やしていく事自体が目的になっていますから・・・他の事を冷静に見つめられないのでしょうね。

>地球が駄目になっても金持ちは残り、お金の力でそれを乗り越えようとするんでしょうねえ。

そう、そして、地球が駄目になっても生き残れると勘違いしているから質が悪いのです。
 彼らの巨大な、しかしちっぽけな財産で買えるものは、
最後に滅びる権利・・・他の人々よりほんのちょっとだけ生き延びる権利という事がわからないのです。
 愛だとか信頼だとか人望だとかはお金では買えないと云われていても・・実際には買えるじゃないか!?・・と思っている彼らは、地球の人間が住む環境が破壊されても自分達の住む環境もお金で買えると思うほどの拝金主義で、理性を失っているのですね。
 例えば世界で核戦争が起こったとして、核シェルターを自宅に持っていて、非難すれば生き延びられると考えるのはかなり浅はかと云うべきでしょう。シェルターの中でじわりじわりと苦しんで死ぬだけでしょう。
 現在の持続可能なレベルからの行き過ぎが続けば、破局=カタストロフィーが始まるでしょう。そうすればもう人間の手には負えません。そこのところを馬鹿な拝金主義者は分かっていないのですねえ。そして、自分達だけは生き残れると信じて環境カタストロフィーを起こしてみんな巻き添えに滅んでしまいます。
 生き残るかどうかなんて、ほとんどみんなサイコロをころがす程度の確率論で、金持ちでも、いかさまサイコロは手に入れられないでしょう。
 
 破局が始まる前だったら、北海道はかなりいいかも知れませんね!!
  

きっかけが石油の枯渇じゃ遅すぎる!!
雑草Z
    ハイパーポン太 さん

 石油の枯渇、または大きな不足から、
>否応なしに、消費が減少方向に傾いていく

という考え方は、ある意味極めて妥当でしょう。主流の考え方かも知れません。しかし、そこまで環境圧は破局を待てないでしょう。まして、ハイパーポン太さんの考えるように、100年単位などという余裕はありません。
本文に書いたように、既に持続可能なレベルからの行き過ぎが何年も続いていて、資源のストックも廃棄物の受け皿も、底を突き始めています。
 行き過ぎからの破局がはじまれば、人間に止められるものではありません。経済も工業生産も人口もまとめて、制御不可能な崩壊・・つまり文明崩壊を始めるでしょう。
 エネルギーの問題より深刻な問題は沢山在ります。
森林破壊、食料不足・・・
それらがトリガーになる可能性が高いでしょう。


saver
限界に挑んでどうすんでしょうか??
大賛成です!!!

限界に挑むとは命がけ!
雑草Z
     saverさん

はじめまして、賛同のコメントは有り難う御座います。

 地球の生態系の命をかけて限界に挑むのは、愚行以外の何ものでもないでしょう。
 

エコロジカル・フットプリント
ハイパーポン太
 このままでいけば、確実に地球のキャパシティを超えるかなあというのは、多分みんなが漠然と感じていることだろうと思う。しかし、エコロジカル・フットプリントなるものが、どこまで客観性がある指標なのかは、私にはわからない。

 ただ、石油枯渇否定論者にしてもそうだが、石油枯渇論が、彼らの言うとおり幻であったにせよ、今のままの資本主義が進めば、貧富の格差は広がっていくのは当たり前だし、環境も否応なしに悪化する。
 
 たとえば、中国を見てみるがいい。実際に文化的な生活をしているのは、せいぜい一億足らずだといわれている。つまり、それ以外はほとんど貧民層か、そこまで行かなくても中の下くらいの生活を強いられている人民ばかりである。

 これがもし仮に、先進国並みの生活を13億の人民が行うようになったとしよう。仮に石油が「無生物起源説」が正しくて、全く枯渇することがないとしても、一度に掘り出せる石油量には限界があるし、需要と供給のバランスから考えたら、結局石油の需要に供給が追い付かなくなることは必至である。

 また、環境破壊も深刻だ。現在でさえ、中国発の環境汚染を「環境テロ」とまで位置付けている論客もいるくらいである。これが13億全体に拡大したら、どうなるかは想像するに難くない。

 仮に、中国発の環境汚染が地球のキャパシティで何とかできるレベルだとしても、やはり今以上の異常気象やそれ以外の人体への悪影響は避けられないだろう。

 結論として、人類が持続可能型社会に移行するためには、ラビ・バトラが言うところの現在の「掠奪的資本主義」の崩壊、およびアメリカと中国の覇権の終焉が必要不可欠となるだろう。

 アメリカの覇権はあと15から20年くらいで終わるはず。一極集中の場は、北京オリンピックや上海万博を経て中国に移行するだろう。だが、その覇権が終焉するのも、それほど遠いことではないのではないか。おそらく、2050年前後に、今のような軍事大国を維持することはできなくなる可能性が高い。もちろん、それまでは台湾に武力進攻したり、日本へは親日政治家を通しての「平和を前提とした」侵略行為、アメリカのチャイナ・ロビーへの働きかけなどを積極的に行い、海外に向けては「13億の市場」という甘い餌をちらつかせて、実に老獪な中国らしいやり方で、世界の覇者を目指す可能性が高い。

 北京オリンピックや上海万博の熱に浮かされていた世界の人々も、いい加減その頃になれば、中国という国の本質に気づくだろうからだ。軍事力を背景に、恫喝を繰り返し、現在でさえ利己主義のためになりふり構わぬ行動を行っているなどを見れば、さすがにその時の投資家や富裕層も、この国が近代的な国家だとは思うまい。実際、19世紀の国といっても過言ではないだろう。まさかその頃になってまで、「13億の市場」などと騒いでいられるとは思えない。

 結果、世界平和への移行に必要な条件をまとめると、
1.唯物論的世界観の終焉
(これは現代科学に何らかのパラダイムシフト(特に脳科学や量子力学など、意識に関係してくるもの)が起こるか、あるいは科学以上の価値観を人類が見いだせるかによる)
2.アメリカおよび中国の覇権の終焉
(これは上で説明した通り)
3.掠奪的資本主義の終焉
(プラウト主義、ないしはそれを発展させた新たな経済学。一番可能性があるのが、社会主義と資本主義のハイブリッド+α)
4.文明と自然の共存
(これはどちらかに偏り過ぎていてもダメ)

 これが私が予測する未来像である。たぶん、21世紀は中国とアメリカに振り回されるだけの世紀に終わりそう。


>世界平和への移行に必要な条件 ですか? >予測する未来像ですか?
雑草Z
    ハイパーポン太さん

 いきなり文体が変わって違う人が書いたように感じます。

 覇権国家がアメリカから中国に移ると言うのは可能性の高い予想です。
 書いてあることが、
>世界平和への移行に必要な条件
 なのか
>これが私が予測する未来像である
のか不明瞭ですが
 経済学、国際政治学(よくわかりませんが・・)などからの発想としては、かなり的を突いた的確な予測と言われるでしょう。きっと・・。
 しかし、このような予測に大きく欠如していると思われるものは、環境問題のファクターの大きさです。成長の限界の影響の強さが十分に含まれていません。
そういう意味で、国際政治学者などの未来予測は、かなり外れていくと考えます。

>21世紀は中国とアメリカに振り回されるだけの世紀に終わりそう。
 
は、ご自身の予測と矛盾しませんか?アメリカの覇権は20年くらい、中国も2050年頃に衰退を始めると言う予測では?。

 21世紀中、中国とアメリカに振り回されるだけの世紀に終わりそうなら、その前に世界が終わりそうです。 
 

そうか!
ハイパーポン太
 ご指摘の箇所ですが、21世紀前半はと書けばよかったと思います。
 うーん、自分で書いていて突っ込みどころ満載の文章です。まあ、私の予測する未来像ということで、理解していただければと思います。
 文体の変化は…特に意味はないです。というわけで、何となく偉そうになってしまったので、元に戻そうと思います。ははは。
 世界平和の条件は、参考までにということで。

もう一度
雑草Z
 ハイパーポン太さんの 2/12 のコメント
「エコロジカル・フットプリント」読ませて戴きましたが、
読み応えのあるコメントでした。それほど突っ込みどころがあるわけではないと思いましたが、大きな突込みどころがありました。それは、タイトルです(笑)どう考えても、エコロジカル・フットプリントについては、はじめにちょっこっとついで程度にかいてるだけで、やはり、
「21世紀の予測&世界平和への移行に必要な条件」ですよね。
 >世界平和への移行に必要な条件を改良すると、
 「持続可能な社会への移行の必要条件」に出来そうです。 これらの条件は、興味深いですね。
3.掠奪的資本主義の終焉 ・・は本当に必要条件ですね。この掠奪的資本主義こそ世界を破局に導く大きな牽引力でしょう。
1.唯物論的世界観の終焉・・は、本当にユニークな発想です。大切な事かも知れません。
2.アメリカおよび中国の覇権の終焉・・のあとは、多極主義の方向へ向かうと考えますか?

石油「無生物起源説」が正しいとして、枯渇しない理由は何なのでしょう?地球内部でそんなに早く炭化水素が合成されるシステムは予測しにくいですね。・・・でも、あの黒い油分の石油が生物紀元説と考えるのも釈然としない感じはしています。

×××× ×××× ×××× ×××× ×××× 
 
 ハイパーポン太さんは、以上のような知識を本ではなくネットで得るのでしょうか?

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2007-12-13 00:03
 大きな発見と言われてるものは沢山ありますが、真に注目に値する20世紀の大発見は、相対性原理とDNAと量子力学と言われています。
 物理学者からすれば、量子力学こそ、最大の発見と主張する学者が多いかも知れません。相対性理論をも古典物理に押し込んでしまったのですから・・・しかし世間一般に広くインパクトを与えたと言う意味に於いては、量子力学は他の二つにかなり大きく溝を空けられるでしょう。多くの人々にとって量子力学は、どうでもいい発見、概念でしょう。

 だから、ここでは、一般大衆にも広く浸透していてかつ人類に及ぼしている影響も非常に大きな、相対性原理とDNAを世紀の大発見として考えます。・。大体異論はないでしょう。(実際今回の議論にはその方が都合もいいもので・・・笑)

 相対性原理 と DNA 
この2つの世紀の発見を聞いて共通点と言ったら何を連想するでしょう??
一見あんまり共通点もないようで、考えれば色々出てくるかも知れません。


 すぐに思いつく最も大きな共通点は・共に人類を・・・場合によっては地球全部の生き物を・・滅ぼしうる発見だと言うことではないでしょうか?。
これ以上に危険な発見は、なかなかないのではないでしょうか?

 先ず、相対性理論は、あの物質とエネルギーの等価性を示したあまりにも有名な【悪魔の方程式】      E=mc^2
 を導き出しました。そしてこの実際の証明が、原子力であり、核爆弾です。 (核分裂&核融合)

 DNA の発見は、バイオテクノロジーによる遺伝子組み替え技術を作り出しました。現在問題になっている遺伝子組み替え野菜も、細菌兵器もこの技術が使われています。

 原子力も遺伝子組み替え技術も夢のテクノロジーともプロパガンダされてきましたが、この二つがなければ、人類の滅亡の可能性はかなり減るでしょう。こ れらは完璧に開けてはならないパンドラの箱だったに違いありません。

 科学技術は使い方次第で、平和利用も戦争への利用も出来ると言われますが、
この二つの技術は、武器としても威力抜群で大抵の他の武器より圧倒的に勝ります。
そして、平和利用をしても(特に原子力について、そんな事は不可能と思いますが・・)ミスによっても世界全体を滅ぼし得る威力を持っています。
 共に対処を誤れば、すぐにも人類の制御不可能なレベルに達する可能性のある危険極まりないテクノロジーです。

科学技術が人間を最も不幸にする可能性が高い例が、この20世紀の最大の発見の2つであることは皮肉と言うには重すぎます。

 この事実からも、科学技術もどこかで止まらなければならない事を学ぶべきです。しかし、この2つの発見がなされてしまった後では、後の祭りかも知れません。人類は、どうやってもかかえ切れない大きな重荷を2つも背負い込んでしまったのです。      
 

××××××××××××××××××××××××××××××


 因みに今回の記事の趣旨とは全く関係のない余談ですが、DNAに関しては『発見』と言う言葉に違和感はありません。もしも、その実態が現在考えられている実態とかなり違っていても、そう言う物体(物質?)を見つけた訳ですから・・
 それに対し、相対性理論と量子力学は、『発見』と言う表現を使う事にはかなりの抵抗があります。『説を作った』の方が妥当ではないでしょうか?その理論によって現象をどんなに上手く説明出来ても、検証出来たように見えても、解釈の仕方であって、存在を証明した事とは別でしょう・・・
特に、量子力学の根本には「不確定性原理」が存在するのですから。

 例えば、
「リンゴが木から落ちるのを見て、ニュートンは万有引力を発見した」
と言う表現はおかしいのではないでしょうか?。万有引力はあくまで近似の説明であって、相対性理論によってその存在は否定された訳です。でも、光速よりも十分遅ければ、ニュートン力学は有効です。だから
「リンゴが木から落ちるのを見て、ニュートンは万有引力説を作った」
と言うべきでしょう。(まあ実際ニュートンはりんごが木から落ちるのを見て万有引力を発見したと言う逸話は作り話ですが・・・)
こう言う表現によって、万有引力を当然の存在と思ってしまうところで、科学は足踏みするのです。
・・・まあ、私の持論からすれば、科学はそんなに進歩しないである程度のところで止まってしまった方がいいのですが・・・
「ニュートンが万有引力を発見した」
と言う事が永遠の定説とされ、相対性理論が永久に封印されて登場しなければ、核の脅威はなかった訳です。
・・・・でも、エネルギーと質量の等価性、質量欠損の論理がなくても、核エネルギーに気付く可能性はあり得ます・・・・例えば太陽エネルギーを考察して・・
 
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【2007/12/13 00:03】 | 環境総論 トラックバック(0) |
2007-12-11 00:02
人類が開けてしまったけれど、絶対に開けるべきでなかったパンドラの箱はなんだったのでしょう・・・???このブログでは、これまで2度ほど述べています。
 パンドラの箱1では、産業革命での石炭、石油などのいわゆる化石燃料。そして石油よりもずっと危険なパンドラの箱として、原子力をあげました。
 パンドラの箱2では、それらをもっと総括して地下資源としました。

 そして今回さらにもっと総括して、科学技術の進歩そのものをパンドラの箱としたいと思います。ロナルド・ライト氏の言うところの、『進歩の罠』は、科学技術の進歩によるところが多大です。
 科学技術の進歩は、短絡的な目先の目的遂行の為に開発されてきましたが、その弊害は後から分かって来ました。・・・本当は予期出来る事もかなり多かった筈ですが、短期的な目標達成ばかり追い求められ、その結果起こるであろう環境問題からは目を背けられてきました。便利な道具になると期待されて、事実便利な道具になった物が、人類の首を絞めて来ている例は枚挙にいとまがありません。合成洗剤、農薬、科学肥料、・・・ビニールだって、プラスチックだって、処理の問題に困っています。産業廃棄物は言わずもがな・・・です。
 現代の環境問題は、科学が解決するのが先か、破滅が先かの競争のように言われていますが、それは大間違いです。先ずは進歩を止めるのが先です。先端技術も含め色んな技術を封印すべきときなのかも知れません。・・・例えば、最低でも原子力は封印しなければなりません。・・・つまり、ある意味時代に逆行するわけです。

 かといって、全ての技術を封印して、原始時代に戻るのはしんどい・・・とすればどこまでの技術を封印するのが丁度いいか議論して、環境に優しいと言う技術は残して環境に悪影響の技術は封印・・・・ってそんなに上手くは行かないでしょう。そこまで人間がストイックに出来るならば、エデンの園のりんごの実を食べなかったでしょう。『進歩の罠』の言葉どおり、技術は前進のみの一方通行なのです。科学技術に限らず進歩は中毒性のある相当に強い麻薬です。だから進歩の罠の本当の恐怖を人類全体で体験しなければその中毒からは逃れられないかも知れません.・・・その恐怖とは、封印出来なかった科学技術による進歩の罠・・・地球規模の大きな環境カタストロフィーでしょう。

 そのカタストロフィーで全滅するか、地上の人類のどのくらいかが生き延びて、愚かな失敗を繰り返さずに持続可能な社会を築けるか?またまた同じ過ちを繰り返すのか? 

 科学技術によらず、『進歩』と言う概念の危険性は、ほど良いところで止まらずに、どこまで行ってもさらに上を望み、破綻するまで暴走する本質を内包している点でしょう。
     
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【2007/12/11 00:02】 | 環境総論 トラックバック(0) |
2007-11-25 00:01
エコロジカル・フットプリント[Ecological Footprint]
とは、直訳すると「生態学的足跡」、つまり人間が生活活動をする時に、地球の自然環境、生態系をどれだけ踏みつけているかと言う目安です。人間が生活する上で消費する自然資源を面積で表した量です。あるエリアの経済活動などの規模を、食料のための農牧地や海、木材・紙資源やCO2吸収の為の森林などの面積に換算した値です。

 単位はグローバル・ヘクタール[GHA]で、1GHA は、生物学的生産能力が世界平均と等しい1ヘクタールです。
 エコロジカル・・フットプリントの試算方法もいろいろあり、計算式が不完全だとかの批判もあるようですが、有限の地球上での計算値ですから、誤差範囲は大きくとも、持続可能な社会の為に人間が生活活動をどこまでしていいかの目安になることは確かです。

 エコロジカル・・フットプリントは人口と一人当たりの資源消費量、資源効率によって変化します。これから未来は資源効率は向上するでしょうが、それは徐々にでしょうし、飛躍的な技術革新があったとしても限界は存在するでしょう。だから人口抑制と一人当たりの消費の抑制は必須です。

 例えば、エコロジカル・・フットプリントジャパンの試算では、日本人のエコロジカル・フットプリントは、一人当たり4.4GHAですが、日本の環境収容能力は、国土の広さから(海洋を含むかどうかは不明ですが)一人当たり0.7GHAしかありません。つまり、日本は許容収容能力の6倍の消費、5倍オーバーと言うことになります。今の消費水準(生活水準)では、6分の1の人口、2000万人ぐらいしか持続可能に養えないと言うことです。人口を現在の水準の1億2000万を保つなら、消費水準GDPを6分の1に下げよと言うことになります。
 この、許容量より5倍オーバーしている分は、海外の国からの輸入に頼って、間接的に海外の土地を消費したり、日本の環境を再生不可能なレベルまで過剰に荒らしていることになるわけです。
 エネルギーや資源の消費レベルは6分の1まで下げるのは可能ですが、食料を食べる量は、そこまで下げるのは無理でしょう。だから、たとえ消費レベルを落としたとしても、人口抑制は必要でしょう。
 早急に人口を2分の1の6000万、ひとり当たりの消費レベルを3分の1くらいにしなければならないでしょう。余裕を持たせて考えれば、それぞれ4分の1レベルってところでしょうか?

 ちなみにアメリカ人のエコロジカル・フットプリントは、一人当たり日本人の2倍以上の9.6GHAですが、環境収容能力は4.7GHAで、あの広大なアメリカでさえ、収容能力を超えています。

 2001年の世界のエコロジカル・フットプリントは、一人当たり2.2GHAです。許容収容能力は1.8GHA(公平な割り当て)ですから、地球の生物生産能力を20%以上回っています。この地球規模の超過は、1980年代にはじまり、それ以降ずっと拡大しています。この超過は、自然の再生能力よりも消費の速さが速いと言う事ですから、地球の再生可能な生物資源・・・森林や水産資源・・動植物を減少させ、枯渇に向かわせると言うことです。従ってこの超過は限られた期間しか続けられない事になります。
これが限界を超えたと言われるゆえんです。
 最近良く言われている地球何個分の消費量と言うのはこの事です。
世界中の人々が日本人や並の暮らし(浪費レベル)をはじめたら、地球が2.4個必要(4.3÷1.8)必要だとか、アメリカ人並なら5.3個 (9.5÷1.8)だとか言うものです。
現在の多くの国は、そんな事を無視して勝手にエコロジカル・フットプリントの許容能力を超えていたり、これから超えようとしています。

 数値的なものは、不確かだからかなりの誤差範囲があるとは思いますが、楽観的な予測でも、そろそろ持続可能な社会の限界は超えているでしょう。
限界ぎりぎりの生活でもかなり危険で恐ろしいではないですか!やはり、自然の再生能力の許容量内、限界の何分の一のレベルで押さえるべきでしょう。

だから、人口も経済も成長路線からは脱しなければならないのです。 
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【2007/11/25 00:01】 | 環境総論 トラックバック(0) |
2007-10-05 00:01
よく、
「科学技術で全ての環境問題を解決出来る」
という人がいます。そういうサイトも沢山あります。
『環境エンジニア』を名乗る人が「科学技術で環境問題を解決してみせる」と公言しています。
 私が、止めるべき様々な環境破壊の悪しき例の事を話した時、
「俺達は理系の人間なんだから、人間が築いた経済活動や科学技術の否定ではなく、科学技術で解決する方法を考えるべきだ・・・俺は、技術屋なんだから、それを否定されるのは不快だ!」と口から唾を飛ばしながら反意を表明した友人もいました。

 現在の経済発展を維持して、彼等の言うところの「持続可能な経済発展」を考える大多数の連中は、(・・・私は彼等を『経済ファシスト』と命名しましたが・・)科学技術、ハイテク技術で環境問題を解決出来るという立場でしょう。そうでなければ、こんなお馬鹿な経済成長を容認出来る御目出度さを持てる筈がありません。

 しかし、現在の科学技術の発展は、環境問題を解決するどころか、ほとんどの深刻な環境問題を作り出して来たのです。大気汚染、水の汚染、土壌汚染を引き起こす有毒化学物質はもとより、科学技術で作った人工物質の捨て場の問題も深刻です。大規模発電施設は、水力だろうが火力だろうが、大きな環境破壊です。原子力は愚の骨頂です。新しい科学技術が新しい環境問題をどんどん引き起こしています。既存の環境問題対策として生み出された新しい科学技術が新たな環境問題を生み出す事も多々あります。・・そうじゃない場合のほうが圧倒的に少ないのです・・下水処理施設、太陽光発電、プルサーマル・・・ 

 科学技術で何とかならなかった典型的で最悪の例が、原発の放射性廃棄物です。さすがに放射能の酷さを熟知していた原子核物理学者達が、「いつか科学技術で放射能を消滅させて解決する」との約束の元に、原発を見切り発進したけれど、結局それは不可能である事がわかっただけです・・・それでも、いまだに科学技術の進歩を信じてなのか?無知なのか? 原発も廃止になりません。 


 現在、環境技術という概念は、経済発展によるますますの環境破壊を容認する免罪符のようになっています
もし、万が一、環境技術で全ての環境問題が解決出来ると仮定しても(・・それは無理に違いありませんが・・)その方法を試行錯誤しているうちに環境問題の悪化で人類は滅んでしまいます。私は、全ての環境技術を否定するものではありませんが、かなりの環境技術に懐疑的です。
 百歩譲っても、予防として環境負荷を減らすこと・・・経済縮小・・のほうが、個々の環境問題が顕著化してからの対処療法的な環境技術より、有効で、安全で、簡単です。(実施上、経済ファシスト達の様々な妨害があると言う意味においては困難ですが・・)この事は、エントロピーの法則を持ち出さずとも明らかでしょう。
 多くの逆効果の環境技術よりも先ず先に、経済活動を縮小して、環境負荷を小さくすることが先決です。
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【2007/10/05 00:01】 | 環境総論 トラックバック(0) |


エコ猫
はじめまして。最近、環境について本気出して考え始めまして、興味深くブログを拝見させていただいております。

わたしも、たまにテレビから聞こえる「技術でエコに答えを出す」というフレーズに眉をピクっとさせていますが、やっぱり日本には高度経済成長後の技術妄信的な文化がまだあって、それが覆っても破綻しない倫理観みたいのを構築するっていうのもなかなか重要であって大変なのかなぁって思います。

これからも拝見させていただきますのでよろしくお願いします。

経済成長の呪縛から抜け出す倫理観の構築
雑草Z
はじめまして、ご訪問有難う御座います。
確かに、日本に限らず
>技術妄信的な文化
は、世界中に蔓延しています。高々200年程の科学技術の目覚しい発達が、永遠に続くと言う類推は愚の骨頂です。第一、この期間に深刻な環境問題が起こったのですから・・
>テレビから聞こえる「技術でエコに答えを出す」というフレーズ
は、似非科学的なものが非常に多く、詐欺っぽいですね。
経済発展を止めるのは容易ではありませんが、それが目的となっている事は、主客転倒でしょう。その前に持続可能な社会の為の方策優先に決まってます。


環境改善の具体的策
mao
雑草Z様のお考えは、私の考えと一致するところが多く、
私自身の表現力では表現できない気持ちを代弁
いただいているような気持ちで2日に
一度の更新を楽しみにしています。
ですが、経済成長をめざさない社会を実現したいとき、
一個人としてはどうすべきなのか、考えてもあまり有効と
思われる案が思いつきません。

経済成長をめざさない場合、
原子力発電にかかわっている人、緑資源機構の人、
さらには、製造業の人たちがしている大部分の仕事は
すべきでない仕事と分類されると思います。
しかしながら、お金が無いと暮らせないので、
これらの人は突然会社を辞めるわけにもいきません。
結局、経済成長が望みで無いとしても、環境を破壊しながら
その仕事を続けざるを得ないのではないのでしょうか?

そこで、お考えがあればご教授いただきたいのですが、
上記のような立場の人達はどのようにすると、
雑草Z様がえがかれるような社会を実現できると
お考えでしょうか?
それが分かれば、世の中さっさと変わっているのかも
しれませんが・・・。

そこが大問題と考えられるわけですが・・
雑草Z
 当然、経済成長を否定するならこの事は、いつか書かなければならない事です。今回はコメントのご返事と言う事で簡単に書かせて戴きます。 

 先ず大前提は、持続可能な社会です。このままでは人類は今世紀中に滅亡の道を辿ります。そのために、多くの仕事、経済活動を止めなければならない訳ですが、今の資本主義の自由競争社会の仕組みでは、おっしゃるような無理が生じます。
 もしこの社会の仕組みをある程度維持しようと考えるなら、国や自治体や国連が沢山の規制を掛ける必要があります。原子力の禁止だとか、多くの不要な職業の規制だとか・・・。
多くの企業の傀儡政権の政府では無理があるから、政権交代も必要です。
 それは現在の社会から見れば困難でしょうが、
基本に帰れば、人間に最低限必要なものは『衣・食・住』。それをみんなに平等に行き渡るようにし、それ以外の物は持続可能な範囲でしか生産してはいけない筈です。特に『食』。
 そこから来る発想は、個人による富の占有は、他の人の生きる余裕を減らすと言う意味で、禁止事項にしなければなりません。結局、ある程度、社会主義的な社会になるしかないでしょう。
 はじめに『職』ありきではなく、はじめに『食』ありきです。
 必要な仕事を決めて不要な仕事を排除していくには(「不要な仕事」と言うより、「社会の害毒」でしかない仕事も沢山あります)ワークシェアリングする必要があります。上手くやれば、人力以外のエネルギーを使わなくても、大人が1週間に4、5日くらいで、1日4、5時間くらい働けば十分でしょう。つまり、いらない仕事を排除すれば、不便と言うよりもゆったり暮らせるのです。社会の事を考える余裕も出来、社会活動にも参加しやすくなるのです。
 自給自足の小さなコミュニティに分かれた社会が一つの理想モデルでしょう。


 まだまだ述べるべき事はありますが、今回はこのへんで・・いつかシリーズとして書きます。

 環境問題は、それこそグローバル化してしまったので、世界全体で対処しなければならないわけで、その点でも社会主義的な発想が必要です。

 そういう世の中に移行するのに対抗する抵抗勢力は、資本家の金持ち連中を中心とした”エコノミック・ファシズム”に洗脳されてどっぷり浸かった大多数の「先進社会」と自ら呼ぶ人々でしょう。

××××××××

これだけでは、突っ込みどころは沢山あるでしょうから、いつでもどなたでも突っ込みのコメント下さい。答えは大体準備出来ているるつもりです。
 ひとつ恐い事をかけば、大きな環境カタストロフィーが起こり、非常に沢山の犠牲が出てからでないと本格的な改革は始まらないでしょう。問題はカタストロフィーのレベルです。人類の絶滅までいって終わるか、どのくらい残るか?といったレベルでしょう。


maoさんはじめまして、(nao氏とは別人物ですね?!)
 最近は奇数日に更新と言う事にしていますが、更新しない奇数日もあります。
同じ考えの方からの、この手の本質的なコメントは、大歓迎です。
今回のコメントの返事がmaoさんの意図された内容とずれてしまっていたらすみません。そこの部分などまたコメント下さい。  
議論致しましょう。
 

自給自足
mao
貴重なご回答ありがとうございます。

「非常に沢山の犠牲が出ないと本格的な改革は始まらない」
とのコメントに関し、悲しいことに私も恐らくそうだと思います。
お金の力や魅力は圧倒的で「人間」はそこから逃れることは
無理だと思うからです。しかし、無理と思いつつも、
なんとかその前に雑草Z様の描かれる社会を実現したいものです。
個人的には、できるとこから自給自足。地域コミュニティへの参加。
政治への参加。などが第一歩かなと思っています。

ブログ更新楽しみにしています。

P.S.
私はnao氏とは別人物で、有名人ではありません。
幸せ追及が趣味な会社員です。


自給自足のかたち
雑草Z
早々のコメント返し有難う御座います。
 
 mao氏のコメントを読むほどに同じ考え方なのだと感じ嬉しく思います。
 自給自足とは勿論食料だけではなく、資源もエネルギーも生活全てですね。そして、そのコミュニティーの大きさは小さければ小さいほどいいでしょうね。
 家族と一緒に過ごせる時間が多い事も幸せの形の一つでしょう。
 それで十分幸福な筈なのに、それ以上のかなり過剰な物的財産を望む人間が、大きく環境を破壊するのです。
 
 小さなコミュニティーは原始時代への回帰か?と言われればその部分もあるでしょうが、小規模なコミュニティでエネルギーをほとんど使わず廃棄物も出ない技術こそ、素晴らしい科学技術ではないでしょうか?
 
 これからも宜しくお願い致します。

環境破壊にまた莫大な税金が?
おかっぱ頭
 政府はロンドン条約の96年議定書に加入し、二酸化炭素海底下貯留を本気で考え始めたようですね。
 この技術開発の為に膨大な税金が投入され、また新たな二酸化炭素が生み出されるのでしょう。本来海洋の汚染を防止する為に採択された筈のこの条約が、結果、環境破壊を推し進めるものになってしまっては本末転倒だと思います。
 このような技術開発を科学者達は先端技術と言って胸を張りたいのでしょうけれど・・

 自然の循環システムに組み入れられずに廃棄されてしまっている物を上手くそのサイクルに乗せる事こそ、求められている技術なのではないかと思います。


環境対策というより景気対策ですね。
雑草Z
 そうですか?新たな情報有難う御座います。遂にそんな愚かな対策を本気で実行しようとして考え始めましたか?
 意見を募ったのは、形だけで、企業と癒着してどうしてもやりたいのですかね?大きな利権が絡む話でしょう。くしくもCO2による海水の酸性化が問題になっているのにそれにはなんと答えるのでしょうか?
「それはそれで、また対策をする!」でしょうか?
対策の対策の上塗りで、次々経済対策をして、税金をどぶに・・・海に捨てるのでしょう。

それを考えた企業は、勿論、儲ける為だし、その技術を考えた科学者というか技術者は御用学者で環境の事をしっかり考えていないだろうし、経済効果だけですね。それによる別の環境被害は、またビジネスチャンスと歓迎するのでしょう!悪質です。

>自然の循環システムに組み入れられずに廃棄されてしまっている物を上手くそのサイクルに乗せる事こそ、求められている技術なのではないかと思います。

その通りですね。そして、自然の循環システムに組み入れられない物質は生産しない事が鉄則です。


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2007-06-21 21:46
槌田敦 論考3

 前回、U字溝の愚かさについて述べました。U字溝に限らず、川や側溝の類いの,川底や側面ををコンクリートで固めるのは浅はかです。それは水を使う為に流すのが目的の用水路でさえ、言える場合が多いでしょう。

 どぶ、どぶ川と言うと、汚水の流れ込む淀んだ川を想像するでしょう。・・・・でも、槌田敦氏の定義するところの『どぶは、コンクリートなどで底や側面を固めていない、土を掘りっ放しの溝である「どぶ」です。生活排水などの汚水が流れ込む場所であることは同じですが、・・・


 槌田敦さんの主張はこうです。
 下水道を作って、液体廃棄物を全てまとめて末端の処理場で処理しようとするのが間違いの元である。生活排水は出来るだけ発生源の近くで処理すべきである。そして、いきなり川へ放流するのではなく、土壌に染み込ませる方法、すなわち「どぶ」を復活させることである。すると、ミミズなど土壌生物がこの汚染水を処理してくれるので、付近の土壌は豊かになる。蚊の発生を抑える為に、水溜まりが生じないようにするか、生じても短期間で消えるようにする。このようにして浄化された排水は地下水となり、河川や海岸の湧き水となる・・・。



 ・・なるほど!素晴らしい案ですね。私も大規模な下水道を作るのは愚の骨頂だと思います。台所、トイレ、風呂・・・と折角生活排水を分けても、また一緒にして大規模下水処理するのは、効率が良いようで非効率です。多くのエネルギーの投入をして、埋め立てくらいにしか使えないヘドロのような土を作るのです。肥料を作ったり、燃料を作ったり・・など工夫も認めますが、それにはさらなるエネルギーの投入が必要です・・・。大規模下水処理はやっぱり愚かです。
 蚊の発生を抑える方法は、鯉を放すなどの方法も良いでしょう・・・鯉は結構汚い水でも生きていられます。東京の汚いお堀にも逞しく泳いでいます。
 でも、さすがに、合成洗剤を流せば鯉に限らず、魚は勿論、土壌の生物もたまったものではないでしょう。やはり、洗剤の使用は、本当の自然の粉石鹸(脂肪酸ナトリウム、脂肪酸カリウム・・・このことについてはこだわりが有りますので、後日述べたいと思います。)を使用するべきで、石油などから作る合成洗剤は使うべきではありません。合成洗剤はとんでもない代物ですが、この事も後日一緒に述べたいと考えています。


 そう言えば、私が子供の頃は、住んでいた家の庭の真ん中にも、「ドブ」が通っていました。台所などからの生活排水が流れ出る場所で、お釜を洗った米粒なども底に沈んでいました。裏の公共の「どぶ」に繋がっており、父の話では、そこから小魚も沢山上がって来て米粒などをつついていたそうです。 ある日家の庭に来ていた大工さんだかペンキ屋さんがペンキのはけをそのドブで洗って、小魚がみんなドブに浮いてしまったそうです。そんなこんな魚に配慮のない行為が続いて、私の記憶にある頃には、そこは小魚はいなくなって、トノサマガエルの住処に変わっていました。ドジョウは棲んでいたような記憶もあります。そして、家を新築する時、そのドブは埋められて、代わりに庭の端にU字溝よりずっと小さなコンクリートの側溝が作られました。当時幼かった私は、ただ単に庭の真ん中を通っていたトノサマガエルの住処のどぶがなくなって、カエルはどうするのだろうか?と心配したり環境の変化を寂しく思ったものですが、そんな小さな事の積み重ねも、今日の大きな生態系の破壊、自然環境の悲惨な状態を招いた一因でしょう。・・・ゼネコン工事の縮図のようです。・・・
個人個人の家庭でこんな事が行われていることは、実は大変恐ろしい事でしょう・・・・

 
 「どぶ」と言うと何となく、臭くて汚い都会のどぶ川を想像してしまいますが、要するに、コンクリートなどで固めてない、生態系を循環する汚水を流す溝です。上手く利用すれば、豊かな生態系を作れるのです。生態系の汚物(生ゴミ、糞尿・・・)が多くても自然は処理能力があるものです。自然を循環しない石油をはじめとする地下資源などから作った人工物質は使わずに、生態系の循環物質を含んだ汚水を流す『どぶ』を復活させることは、持続可能な社会の条件ではないでしょうか?



 参考文献; 槌田敦著 新石油文明論 p123
 ・・『どぶの復活』は、タイトルからは想像がつかない内容ですが、
   そこが槌田敦さんの書物の意外性であり、面白さです。
   槌田さんは、タイトルによらず、
  環境問題に対するご自分の哲学をご自分の著書に盛り込ん出います。
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【2007/06/21 21:46】 | 環境総論 トラックバック(0) |

ネットストーカーではありません(笑)。
nao
山道のU字溝は特にヘビにとってはトラップと同じです。路肩の側溝でもドブ川でも早急に三面張りを破壊せねばなりません。

山道のU字溝は酷いですね
雑草Z
 3つ連続のコメント有難う御座います。
山道の側溝こそ、土を掘っただけのほうが生態系にいい筈ですね。落ちた生物も脱出出来ますし、山の水の保水力も利用出来るし、栄養循環にもいい筈です。
 U字溝をむやみにつけるのは本当に愚かです。

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2007-06-17 20:00
槌田敦 論考2


人類にとっての究極の資源
     
 (問)江戸文明の最大の資源は、川の水のほかには人糞尿と魚であった。これらは、今後の人類にとっても究極の資源である。これらを現代において利用する方法をまとめよ。

 (答)については、江戸文明と同様に水田による利用が最適である。これにより、水蒸気は大気に返して雨を作り、またそのまま海に流れる養分を陸地に
溜め、再び循環させることができる。
 人糞尿については、病原菌と回虫が問題であるが、加熱などで処理できる。このようにして処理した後は、汚いものではないから、そのまま肥料または池の魚などの餌として使用できる。しばしば、人糞に含まれる重金属を問題にする人がいる。しかし、これは少なくとも人体を通過しているのであまり大きな問題ではない。一般にネズミを何匹殺すかどうかで毒性テストしていることを考えてみるがよい。
 については、人間と家畜の食用にするものを除き、すべて肥料として考える。この場合、江戸時代のほしか(干鰯)の技術をそのまま応用できる。
 これらを人間が利用することにより、陸地には鳥が育って生態系を豊かにする。その結果は、沿岸も豊かになり、また魚が取れるようになる。ところで魚の
取り方については、釣は禁止すべきである。この針と糸は、生態系の重要動物である鳥にとって最大の敵だからである。



 どうですか?面白い問と解答例でしょう!?素晴らしく面白い内容なので、問と答えをまるまるそのまま引用致しました。
 これは、槌田敦著、『熱学外論』の最後の方、p174に載っていたものです。とても物理学としての熱力学の例題と答えとは思えない内容です。
 まあ、だから、『熱学論』でなく『熱学論』なのでしょうか!?

実際この本は2部構成で、
 第I部 基礎編は、開放系の熱力学
 第II部 応用編は、自然環境と人間社会
となって、この(問)と(答)は、第2部の最後の方に載っていたものです。
この答えでも、例えば
「魚について人間と家畜の食用以外はすべて肥料」
と言う提言には賛成できませんが、(現在、魚は肥料にするほどいません・・・それどころか水産資源は確実に減っています。)非常に面白い、なるほどと思
う解答例です。江戸時代の(ただの”サイクル”と言うべき)リサイクルは、ほんとに素晴らしい完璧に近いものでした・・。そして、槌田敦氏が、究極の資源が、川の水人糞尿と、ここまでずばずば言い切れるところも凄く面白いと感じました。

 この本の1部についても画期的に面白いなるほどという部分と一部賛成できない部分がありますが、それは兎も角、この本は今年、2月に読んだ本ですが、その時点でこの本が今年のマイベストだと感じました。この後に読んだ何冊かの槌田敦氏の著書もどれもこの本に迫る面白い本でしたが・・・

 私は、この『熱学外論』に学生時代に出会っていれば、進んでいた方向が今とはかなり違っていたかも知れません。それが残念な気も致します。

 物理学としての熱学にはあまり関心がないけれど、地球環境問題と社会のあり方に関心のある方は
 第II部 応用編:自然環境と人間社会

 だけ読んでも十分に面白く、環境問題の本質とその根本的な解決法の提言がてんこもりです。これは槌田敦氏も言及いたしております。

 この本のスタンスとして、
「自然科学と社会科学を通俗的には区別しても、本質的には区別しない」
というのがありますが、そこは抵抗を感じます。しかしそのような抵抗を差し引いてもこの本は魅力で十分に輝いています。


 参考文献;・・・と言うか、出典
  熱学外論 ー 生命・環境を含む開放系の熱理論 ー 
                         槌田敦著
 
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【2007/06/17 20:00】 | 環境総論 トラックバック(0) |
2007-06-15 00:01
槌田敦 論考1


今年はじめに槌田敦氏の
“CO2温暖化説は間違っている”
を読んだら非常に面白く、買ってきた東京の紀伊国屋書店からの帰りのの新幹線の中ではまり、一気に読みました。
それから槌田敦さんの本にはまっていきました。
一緒に買ってきた
“熱学外論”
は読むのにもっと時間がかかりました。仕事の合間をみて2月いっぱいで読みました。
一部賛成できない部分はあるものの、目から鱗の部分の多い、非常に面白くて優れものの本でした。この段階で、この“熱学外論”が今年のマイベストであると確信致しました。
その後槌田敦さんの著書がもっと読みたくて、通販で(一冊古本屋で)
”エコロジー神話の功罪”
”環境保護運動はどこが間違っているのか”
”新石油文明論”

 を手に入れて次々読みすすめるうちにだんだん槌田敦アディクションに陥りました。タイトル以上に内容は素晴らしいものがありました。
槌田敦さんの環境問題に対する洞察は素晴らしいものがありますが、それ以外にもこれらの本は、エッセイとしても、非常に面白い内容と文調です。
“熱学外論”が今年のマイベストであると断言したものの、その後に読んだ3冊も、目から鱗の“熱学外論”に迫る面白さ、環境問題の本質、素晴らしい環境問題の解決策の提言に溢れていました。
槌田敦氏のまだ読み終えていない本が手元にないとちょっと不安の感じがする時期がありました(笑)。

 現在の時点で持っている槌田敦氏の本で読んでいないのは
”資源物理学入門”
だけになってしまいました。この本はいろんな意味でもっと後に読もうかと考えています。

 つまり、槌田敦氏の著書は6冊手に入れて、5冊読んで、1冊読んでいない状況です。ネットなどで調べると槌田敦氏の著書は20冊以上あるようですので、
 槌田敦氏を論じるには、もっと著書を読むべきかとも思われますが、他の本はどれもみな廃刊になったものなど入手困難な物ばかりです。先日5月に東京の神保町の古本屋街で半日探しましたが、1冊も見つかりませんでした。(古本屋街には環境問題の本が少ないようです。)どなたか槌田敦氏の他の書物をお持ちの方、お譲り出来ませんか?・・・コメントかメール下さい。


 しかし、槌田敦氏の書物の根底に流れているテーマは同じで、内容も重複している部分もあり、手に入れた本は比較的最近の本なので、彼の総括的な環境論は大体分かりました。まあ、彼の反原発関係の本も1冊は読みたいところです・・・・。

 と、言うことでこれからこのブログでしばし、槌田敦論を描きたいと思います。
『槌田敦論』と言うと、
「槌田敦氏を論ずる」
と言う意味に取られるでしょうが、その意味もありますが、それ以外に主として
「槌田敦氏の論理」
と言う意味でそのご紹介とそれに対する意見コメント等
をかいていきたいと考えます。

今年は是非とも槌田敦氏にお会いしたいと希望致しております。 
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【2007/06/15 00:01】 | 環境総論 トラックバック(0) |

マナー知らずな詐欺の一種ですね。
雑草Z
 似たようなスパムコメントが2つ来てたので、2つとも消そうと思いましたが、1つ残しておきます。
 私が愛読しているHPでも全く同じ文の貼り付けを見つけました。人気ブログのカテゴリー[環境問題・保護]の上位のほうのHPのコメントに、べたべた無差別に貼りましたね。あたかも風俗の宣伝を町の色々な所に無差別に貼るが如く・・・。 2つのスパムのうち、最初一寸はまともかと思われたほうですが、実はこっちは最低ですね。
「エコな暮らしを楽しみたい」
なんてのはポーズで、ただ太陽光発電やオール電化の売り込みの宣伝ですね。姑息なやり方です。これが戦略ですか?
 特にオール電化や太陽光発電の虚構性をかいている当ブログのまさに太陽光発電のインチキ性を指摘している槌田敦氏の記事のところに載せたのはあさはかでしたね。
 どうせ返事は読まないでしょうけれど、このコメントと共に載せときますね。

深追いする気はありませんが・・
雑草Z
 スパムコメントの主と一々バトルしていては、時間が勿体無いのですが、今回のスパムコメントは、いやらしさを感じたので、もう一度載せて置きますね。コメント返しを受けて消したようですが、コマーシャルでもマナーとしてちゃんとコメントすれば、また対応も違いましたよ・・他のHP上の全く同じ貼り付けも同様です。

そのスパムコメントは以下です。


 「エコな暮らしを楽しみたい」
そんな仲間たちがつどうブログを立ち上げました。
「エコイストCLUB」編集長 幹


 幹氏に質問ですが、本気でオール電化って、環境にやさしいと思っているのですか?電気は2次エネルギーですよ。
【電気エネルギーの正しい使い方】
http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-136.html

太陽光発電も同様、エネルギー算出比をしっかり計算してください。
【石油代替エネルギ-システム】
http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-111.html


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2007-05-27 00:01
地球は有限です。現在、人口のキャパシティや資源について地球を無限大と考える人はいないでしょう。(そう考えているとしか思えないような行動を取る人は沢山いますが・・)開発の地として、無限と考える事は到底出来ません。
 それに対し 宇宙は実際有限か無限かはわかりませんが、大きさ、広さという意味に於いては、永久に無限と考えて大丈夫でしょう。・・。しかし、資源とかエネルギーの利用、ゴミ捨て場と云う意味に於いては、宇宙から地球に降り注ぐ太陽光地球から宇宙に放出される熱(廃熱)など自然に行われているエネルギーのやりとり(これが重要です。)を除いて、利用できないと考えるべきでしょう。開発の地としては考えられないし考えるべきではないのです。これは基本ではないでしょうか。それを無視して宇宙開発とか本気で言っている人、科学者が大勢いることは驚き呆れます。

 時々、ゴミや廃棄物を宇宙に捨てろなんて、「超」がつく愚か者も結構います。物理的に、地球の重力から脱出させるためのエネルギーは途方もありません。これは技術の問題云々ではなくて、物理の基本です。エネルギー保存の法則です。(確かに核廃棄物は宇宙にでも捨てたくなるのはわからなくもありません。・・地球じゃ手に負えませんから・・)

 宇宙ロケットの打ち上げの時の映像を見て、もの凄いエネルギーを使っているのは明らかでしょう。(凄い大気汚染に怒るべきでしょう。)
 地球の脱出速度は、10km/secを越えます。
(内容と関係ありませんが、この宇宙速度のWikipediaの「よくある誤解」自体誤解してます。勘違いしているようです。)
10km/sec=36000km/h 。つまり時速3万6000km以上です。脱出速度とは、地球の重力に逆らって地球から飛び出す為の地上で与える初速度ですから、この速さの初速度でなくともその後エネルギーを与え続けて地球を脱出出来ますが、最低必要なエネルギーはこの脱出速度から計算出来るでしょう。(計算順序が逆ですが・・苦笑)単純に運動エネルギーを計算すると・・アバウトな計算なので、普通にニュートン力学の単純な式で計算しても1kgあたり 最低12960000J[ジュール]必要です。実際には廃棄物を搭載して運ぶロケットの重量もあるし、燃料も積み、地球の大気摩擦もあるので、さらに必要なエネルギーは1桁以上増えるでしょう、こんなエネルギーを使ってゴミを宇宙に捨てるのはお馬鹿と言うより、経済破綻でも済まされません。物凄い大気汚染を引き起こします。ちょっとの廃棄物を宇宙に捨てるために、それをそのまま地球で廃棄するよりも何倍(何千、何万倍)もの環境汚染を引き起こすことになるのです
(以上計算がアバウト過ぎますが・・・何百倍でも何億倍でも、廃棄物を宇宙にロケットで捨てる事の愚かさを分かれば十分と考えますので・・・資料を探して比較計算してもそれほど意味ないので、面倒なのでやりません・・)
 地球の重力場の負のポテンシャルエネルギーから脱出するのは、それ相応のエネルギーが必要な事は物理の基本です。

 宇宙の他の星から資源を持ってくる事に関しても同様です。
 例えて言うなら、富士山やエベレストなど高い山の頂上にご飯粒が1粒あっても、食料を求めてその米粒を食べる為に山に登る事は愚かだという事です。米一粒を食べる為に山に登る方がその何倍ものエネルギーを使い、お腹も空くのです。(何十倍か何万倍かは、大きな差の様でどうでもいい話です。空腹を満たす為にご飯粒一粒食べる為に山に登る行為が愚かな事が感覚的に分かれば十分でしょう・・・計算の為の資料を探したりモデルを作るのが面倒なので・・・苦笑)
 宇宙ステーションだとか宇宙に住むとか他の星に移住するとかそういう話は夢のある話でもなんでもなくて、地球の人間が住める環境を大きく破壊する行為なのです。

 こんな単純な事なのに、宇宙開発を押し進めるのは不思議です。原発行政のように愚の骨頂でしょう。宇宙開発は、地球の資源枯渇を早め、環境汚染を深刻 にし、地球を住めなくするだけです。・・・原発と凄く似ていますね。

 経済成長が無理だと言う論に対して「地球上では未開の地がなくなっても、宇宙に経済成長出来る」
なんてお馬鹿な反論をよこす輩もいますが、以上の論の通りです。そういう経済成長論者は、基本的理系的素養、感覚がないと言うしか有りません。
 
 地球は物質に関してはほぼ閉鎖系であり、エネルギーに関しては解放系であると云う基本をしっかり理解し、
宇宙は、
資源としては、太陽など地球に降り注ぐエネルギー資源が利用可能。
(ほぼ無限と考えていいでしょうが、時間あたりの量は有限、つまり仕事率は有限と考えるべきでしょう。)

廃棄処理としては大気と水の循環によって高いエントロピーを廃棄する場所、つまり熱エネルギーの無限の廃棄場としての役割だけを考えるべきでしょう。

つまり人工的に作為的に宇宙を利用しようとするとずっと余計にエネルギーを使うだけでなく、環境汚染も凄まじいのです。地球外の宇宙に関しては、自然に宇宙から入ってくるエネルギー、自然に宇宙に出て行くエネルギーのみを邪魔をしないで有効利用すべきだという事です。隕石でもない限り、宇宙との物質のやり取りを意図的にやることは、大きな環境汚染を産むだけです。
 
 
 このような基本を考慮しない学者、エンジニアは非常に多く、彼等は
宇宙開発の名の下に地球を破壊しようとしているのです。

 余談ですけど、宇宙飛行士はヒーローでもなんでもなく、ただの巨大な環境汚染者の片棒を担ぐ非国民の類でしょう。一人の人間であれだけ環境汚染することは許されざるものです。宇宙旅行の時代なんて来るべきものではありません。最近ロシア(旧ソ連)などで大金持ち対象のそんなビジネスがありますが、すぐにやめさせるべきでしょう。金持ちだからって普通の人の何万倍も環境汚染していい筈がありません。
 多くの人が宇宙旅行する時代が来れば、地球には大気汚染をはじめとする汚染物質が溜まって、地球の生物にとっては、大変深刻な問題となるでしょう。ガイア地球が死滅してしまいます。

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【2007/05/27 00:01】 | 環境総論 トラックバック(0) |

私も思ってました。
天地 はるな
宇宙開発にかかるお金を環境保護に使えと、私も思っていました。
で、トラックバックしよと思ったのにできません(ノД`)
http://plaza.rakuten.co.jp/otegami/diary/200508120000/

お金の浪費だけではなく地球の環境汚染源。
雑草Z
 宇宙開発にお金をかけてはいけないと言う部分で同じ意見ですね。
 宇宙開発にお金を湯水のようにかけるのは、お金をドブに捨てるようなものであるばかりか、大きな環境汚染をもたらすと言うことを述べています。
 
 宇宙開発は、人類の夢なんかではなく、実現したら悪夢になると言う事です。
 人間が無理に宇宙と物体、物質のやり取りをする事は、地球には大きな環境汚染になると言う議論です。ロケットや人も勿論物体です。
 宇宙の無限性は、地球にとっては、定常性を維持するためにエネルギーをやり取りするところであるのです。

 人類の住むところは地球に決まってますね。

 PS
 TB出来ないなら、そうやって貼り付けてくださればOKです。
  

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2007-02-15 00:02
リサイクル再考2

  リサイクルは、回収して融かしたりして処理して、資源に戻すまでにかなりのエネルギーを使い、実はその方が資源の浪費になり、さらに環境汚染になる場合も結構あるのです。・・・自治体は、勿論その辺まで計算してリサイクルしているのかと思いきや、さにあらずです。資源の有効利用など考えずに、税金を使って形だけリサイクルしている感が否めません。酷いものです。本当は許されざるべき事です。税金を湯水の如く投入しております。

 では、リサイクルした方が資源の浪費、環境汚染になるものは、リサイクルしない方がいいのか?と言う議論になるかと思いますが、結論から言えばそうです。リサイクルしない方がいいのです。
 それなら、そういうゴミは、ゴミとして放置したり、埋めて置け!という事か?と言えばさにあらず・・・・リサイクルすべきでない物は、はじめから使っても作ってもいけないのです。それが自然の摂理に沿った持続可能な社会の鉄則です
 これは、昔はずっと守られてきたことです。植物である木材や草など、最もリサイクルに適した有機物が使われていたのです。産業革命で禁断の地下資源を使い始めて、さらにそこから人間が有害物質を合成して、環境汚染を引き起こしたのです。デュポンをはじめとする化学会社などが、その鉄則を破って来た為に、今日の環境汚染が起こったのです。
  【パンドラの箱】【パンドラの箱2】↓
http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-76.html 
http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-130.html
 そして、人類は最もリサイクル出来ないもの・・原子力発電の放射性廃棄物まで生み出してしまったのです。プルサーマルという見せ掛けのリサイクル(MOX燃料)が、遥かに高濃度で危険な放射性廃棄物を生み出している事実をしっかり知るべきです。これをリサイクルと称することは、本当の詐欺行為です。(プルサーマルについては、いつか書かなければなりませんね。)

          <<続く>>
 
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【2007/02/15 00:02】 | 環境総論 トラックバック(0) |

またお便りします。
スローライフ・スローリッチ ヒロ
こんばんは。この記事はまた、本格的に興味もそそられますし、私も全く同じことを言いたいという内容です。全くその通り、プルサーマルなんてリサイクルなんかじゃないですよね。鹿児島に川内(せんだい)原発というのがあって、その建設反対運動の末席にいた頃を思い出します。30年近く前の事。こんなにきちんと文章で書けるように、勉強しとけばよかったなぁ・・と思うところです。今後の記事も期待してます。

連日のご訪問有難う御座います
雑草Z
 ずっと仕事で出掛けて先ほど帰って来た所です(ブログはタイマーでアップしてました。)
 原発反対運動にも行かれていたのですか?興味深いですね。政府のやり方は酷いものでしょう?本当にプルサーマルは詐欺ですね。何せ、処分の仕方が分からず、まだはっきり決まってないのですから・・・絶対やってはいけないことですね。今後も有効な対策は出てこないでしょう。・・・結局一刻も早く止めることが最善策という結論になるでしょう。結論を先延ばしして企業に儲けさせるだけの目的でしょう。とんでもない話です。 
 京都精華大学細川弘明氏の授業公開で、プルサーマルについてわかり易く述べられています。
https://www.kyoto-seika.ac.jp/hosokawk/class/2002/assessment/lecture_12.html#04

ぜひアップお願い致します。
おかっぱ頭
 こんばんは。
 原子力発電のCMは、発電時に二酸化炭素を出さない、燃料のリサイクルが出来る、その点だけを強調して危険性については一切触れられていません。雑草様が「リサイクルには気をつけよ!」でおっしゃられた通り、資源の乏しい日本にとって、〝リサイクル″と云う言葉には大量消費を煽る恐ろしい洗脳力がありますね。
 リサイクルした後に残る高レベル放射性廃棄物を処分する為に国は何十億と云う大金をちらつかせて、地層に埋設する為の調査地を公募していますね。その埋設も安全、確実な方法だと言っています。酷い話だと思います。
 電力消費量が原発3基分に相当すると云われています日本の自動販売機。スーパーの前にさえずらりと設置されていますね。こう云ったものには全く規制がなされず、国の政策はどうなっているのでしょう?

 プルサーマルについては私はまだまだ勉強不足で、詳しく知りたいと思っていました。いつかアップ宜しくお願い致します。



プルサーマルのやばさ
雑草Z
 プルサーマル計画は、正常な神経の持ち主では考えられません。プルサーマルの『プ』はプルトニウムの『プ』です。使用済みウラン(核燃料)から出るプルトニウムと新しいウランの混合物を原発に使うのがプルサーマルです。(これを電力会社と国は「リサイクル」と呼んでいるのですが・・)このプルサーマルで出てくる使用済みプルサーマル燃料の放射能は非常に高く、さらに人間の手に負い切れないとんでもない代物です。つまり、プルサーマルを実行したら、今まで以上の強力な放射性核廃棄物が出てくるのです。事故も起こりやすくなり、事故が起こったときの被害も普通の原発以上です。 詳しくは、近いうちにアップ致したいですね。

 結果として自動販売機なんかの為に原発やっている日本は狂ってますね。飲み物の自販機は廃止するべきですね。省エネで原発は止められる筈です。

 ところで、朝の4時過ぎに「こんばんわ」というご挨拶は、エキゾチックですね!・・・こちらこそ「こんばんわ」

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2007-02-11 02:35
愚かな人類が開けてしまったパンドラの箱は数あれど、最も開けるべきでなかったパンドラの箱は一体何だろう?という事で、【パンドラの箱(1)】では、化石燃料と原子力を揚げさせて戴きました。↓
http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-76.html
 もっと広く、パンドラの箱の中身の共通点を考えてみると・・
・・それは、自然の循環系で処理しきれない物』と云う事で、大きな共通点がありました・・・『地下資源』という事です。(それ以外に『人工物質』もありますが、大抵地下資源である石油などから作られますし、自然の循環系で処理しきれないと言う理由で地下資源と共通です。)・・・化石燃料は明らかですし、(核分裂の)原子力のエネルギー源のウランやプルトニウムも地下資源です(核融合発電のエネルギー源は地下資源ではありませんが、まだ実用化されてないし、別な問題もありますので、ここでは触れません。・・・いつか論じたいと思います。)それ以外の鉱物資源、アルミだろうが鉄だろうが、亜鉛でも、みんな地下資源で、様々な環境問題を引き起こしています。
 では何故地下資源が自然の循環系で処理しきれないで環境問題を引き起こすか?・・・その答えは、簡単です。地上にほとんど存在しないからです・・・笑・・それじゃ答えになってませんか?・・ならば言い換えて・・・。生態系を循環しないのです。つまり、生物はその進化の過程で、回りにあるものを利用して生きて行けるように進化したのでしょう。そして、そこに地下資源はほとんど存在しなかったのです・・否、きっと存在した地下資源はそれなりに利用して、自分達が利用しやすい形に変えて行ったのでしょう・・そして生物たちは気の遠くなるような年月・・数億年をかけて、海や湖も含めた地上を自分達のすみやすい場所・・・自分達が利用出来る有機物で溢れた場所・・・に作り変えていったわけです。土だって、腐葉土ならずとも、植物の根や動物が地上を掘って、岩を砕いて出来ていったのです。・・・だから、地表付近のもの・・・せいぜい地表から1m位の生物の活動範囲の物質を利用していれば環境汚染は問題にならなかったのです。

 パンドラの箱は、地球自身(大気を除く固体部分)であり、地表がその蓋で中身が地下資源だったのです。 
 人間が地下資源をどんどん使いはじめた産業革命は、同時に地上の生態系にない物質、すなわち生物が処分出来ない地下資源を地上にばらまいたのです。 これが環境汚染の始まりであり、本質的な問題点でしょう。
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【2007/02/11 02:35】 | 環境総論 トラックバック(0) |

どうもご無沙汰でした。
スローライフ・スローリッチ
 さっそくのコメントありがとうございました。雑草さんのブログはいつも刺戟になり、参考になり、読んでると、ために成り、ああ、また何とか自分も書いてみようという気になりました。地球温暖化はCO2が原因ではないという記事、とても興味深く拝見いたしました。もっと読みこんでみます。私のほうは時間を戻して書いたり編集しなおしたりしてます。今後とも宜しくお願いします。

スローライフ・スローリッチ っていい思想ですね
雑草Z
 スローなライフを送り、スローなリッチになっていくのですね?(または、スローにリッチになっていくのですね?) 私は、地球環境が破壊されていかなければリッチにならなくても十分ですが、「スローリッチ」というのは、只の金持ちとは根本的に違って魅力があります。スローライフ・スローリッチ氏は、「スローリッチ」をどのように解釈されてHNにされたのでしょうか?
 記事のアップのペースもスローがいいかも知れません。
私も始めの頃は毎日アップしていましたが、検証も大切だし、毎日アップでは、読まれずに過ぎてしまう記事も多いと思い、今は1日置きです。それでもペースは速いかも知れません。3日に1回くらいが丁度良いかも・・否、もっとスローペースで週1や月1でも、無理がなく、検証のしっかりしたものがいいですね。

管理人のみ閲覧できます
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2007-02-07 00:43
テレビなどの大自然を撮った番組を見ると、壮大な手つかずに近い自然が映って、まだこんなに大自然が残っているところがあるのだ、こんな大自然がずっと残って欲しい。この自然を守らなければ・・・・などと多くの人が感動します。でも本当にそんなに手つかずの自然が沢山残っているのでしょうか?

 20年ほど前に、海洋調査船に乗って調査の手伝いをした事があります。東京湾から出向して北回帰線あたりまで行って、使い捨ての大きな温度計を海に投げ込んで(勿体無い!)海の表面から深海までの水温変化を測定したり、海洋深層水を汲み上げて分析したり・・事実だけ列記すると面白そうでもありますが、私は色んな理由から、この世界には入らないぞ!・・と、決意した海洋調査の旅でした・・・
 まあ、それは兎も角、この時、昼間にトビウオが次々に飛んでいる姿や、乗組員が釣った大きなシーラ(初めて耳にした魚の名前でした・)夜のライトに集まる大きなイカなどを凄いと思う反面、色々な場面にいきなり海のゴミが出現致しました。酷いものでした。調査船が、浮いているいくつものゴミの横を通り過ぎたり、突然海の底の方から大きなエイが浮かんで来たかと思ったらゴミだったり・・・
・・・そのとき悟りました。大自然の、魚が群れているような海の映像の番組では、決してゴミは映りませんが、それは敢えてゴミを映らないように撮影しているのだ・・・と・・・そう、本当はもう、至る所ゴミだらけなんだ・・・と。
 あれから20年近く経ちました・・状況はもっと酷くなっているに違いありません・・・。

 これは海に限った事ではないでしょう。大自然の中の動物も、実は背後に見える都市や工場を映らないようにしているのかも知れません。大自然ではありませんが、南米などの先住民の大昔からの生活様式を移した映像も、実は保護区の中であり、近くを通っている舗装道路の自動車は意識的に映していないのでしょう。
 映像を撮って編集する人たちが、敢えて人工的なもの、ゴミや近代建築物、自動車等を映さないのは、当然でしょう。「大自然の映像」を見せることが目的ですから・・「いかさま」とは言い切れないでしょう。癒しの自然を見せる番組で、現実を見せてがっかりさせるのは、忍びないでしょう。・・・でも、もっと現実を知らしめるべき時期でしょう。現在毎日のように沢山の生物が絶滅して(1日百種とか・・)、熱帯雨林が消失し、ツンドラの森も失われている現実をもっともっと広く世に知らしめ、映像の中の大自然の多くが実際は人工物に囲まれた箱庭であることを実感するべき時です。そうして、回復する事の出来る可能性の残された時間の短さに気付くべきです・・・取り繕われた大自然に騙されて癒されている余裕はないのかも知れません。
  
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【2007/02/07 00:43】 | 環境総論 トラックバック(0) |

仰る通りです
ケンストック
はじめまして。ブログランキングから訪問させてもらいました。

私も以前釣り雑誌の仕事をしたのですが、普通に写真を撮ろうとしても、足元や海に浮かんでいるゴミが邪魔なので、いちいち片付けてから(フレーム内での話ですけど)撮影していました。なので、雑草さんの仰っているレベルの映像だと(特に日本では)相当に大変なことだと思いますよ。

砂浜にはペットボトルやプラゴミなどの漂着物、港は釣り人が投げ捨てたゴミが醜いほどに散乱しています。大量のゴミに地元の人がたまりかねて、釣り人立ち入り禁止になっている港もあるほどです。(もっとも漁師も無頓着に海にゴミを捨てますけどね)

海に限ったことではないですが、平気で捨てられるゴミひとつとっても、この国の人たちはいったいどうなってしまったんだろうと、暗澹たる思いに駆られますね。



こんにちは
kumacom
本当にそう思います!
私の好きな番組のプラネットアースでさえ、
自然破壊が行われてるという表現には、
いつも番組後半に控えめなナレーターで、
若干触れるだけに終わってしまっています。
映像も壮大なスケールで撮られていますが、
私はいつもその画面の映像だけに囚われないよう、
気をつけて見るようにしています。

見たくない物、都合の悪いものには蓋をして、
綺麗な所ばかり見せていたのでは、
大衆の殆どはその情報を信じてしまい、
いっそう危機感を持てなくなりますよね。。。


こんな騙しの映像さえ撮れなくなったらお仕舞いでしょうね。
雑草Z
 例えば、日本の小さな湖や沼で、大自然の映像を撮るのが困難な所は、もう沢山あるでしょうね。・・世界中のあらゆる場所がそんな危機にさらされていますね。

ケンストックさま
 はじめまして?日本の沿岸は写真撮影でも大変ですか?海外のゴミもどんどん流れ着いていますからね。と言うことは、海外の海岸もこんなもんなのでしょうか?日本はやっぱり海外と比べてかなり酷いのでしょうか?


kumacom さま
 大自然を紹介する番組は、やはり何と言っても、自然のみ映して、人口物質は映したくないでしょうから、現実の自然破壊は避けるんでしょうね。カメラマンのすぐ背後に迫っていても・・
 でもやっぱり、その大自然のどこまで人間が入り込んで、侵しているかみんな知るべき時期ですね。目を逸らしている猶予はないでしょうね。



ドイツの知り合いが
ケンストック
海外の状況は詳らかな見聞がないので、よく分かりませんが、
ドイツ人の知り合いが日本の川にゴミが捨てられているのを見て、
「ドイツでは考えられないことで~す」と言ってました。
もう20年近く前の話です。
ヨーロッパ、中でも北欧は環境への関心が強いのではないでしょうか。何となくアジアは全般に意識が低いような気がします。

それと、日本の海岸のゴミは、多くが川から流れ込んで漂着したもののようです。
もっとも日本海側だと北朝鮮あたりから変なものが流れてくるようですけどね。

ところで雑草さん、私のことを外人だと思ってません?
私は日本人ですよ。

自然と共生がアジア人だったのに・・・
雑草Z
 そうですか?海岸のゴミは川からの漂着物が多いのですか?
 昔は、アジア系、黄色人種のほうが自然との共生の考えはしっかりしてて、決して自然を開拓してやろうとかは考えなかったのですがね。自然を征服してやろうという欧米人、白人の思想に洗脳されたアジア人は本当に愚か者ですね。

 「ケンストック」って、どう考えても英語圏のイギリスあたりの在日人の本名かな?と・・・ 



RYO
すごくはっとしましたね。僕も他の大部分の人と同じように、まだまだ地球にも自然があるんだな!と思っていました。

一見大自然のような所で・・
雑草Z
 アフリカのサバンナや南米のジャングルの中の野生動物の映像も、実は近くに都市が出来たり、すぐ近くまで道路が出来ているなんて所が多く、映らないようにしているとの事です。
 淋しく悲しいものがありますね。

記事を遡ってのコメント有難う御座います。

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2007-01-15 00:30
「地球温暖化は憂うべきことだろうか? - CO2温暖化脅威説の虚構」
        近藤邦明[著] 不知火書房
 - 考 - 番外編2

 私は、本書で最も共感した部分は、近藤邦明氏の環境問題の本質に関する洞察とそのスタンスです。
 前回は、持続可能な生命活動の条件を簡単にまとめました。今回はそれをもとにした環境問題の本質を簡単にまとめたいと思います。
これも本質は開放系の熱力学ですが、その表現は使わずに簡単に説明致したいと思います。


 環境破壊とは、自然の循環を破壊、劣化する事です。
 環境汚染とは、自然の循環の能力外の部分に廃棄物を捨てると発生するのです。
 環境汚染物質とは、生態系の循環の中で処理しきれずに、環境中に残って、深刻な汚染をもたらす物質です。
 もともと地球の生態系になかった地下資源を掘り出したり、生産過程で合成した毒物を地球環境にまき散らし、生態系の物質循環を狂わせるのです。
 工業化社会は、生態系によって地球環境に蓄積された有用な生物物質を、生態系の再生能力を超えた速さで分解して、生態系の物質バランスを不安定にするのです。
 ダムや堤防のように地球上の大気、水循環を断ち切ることも環境破壊です。
 
まとめると、
 工業化社会資源を一方的に消費したり物質循環を止めて、生態系の物質循環を狂わせてる事が環境問題です。
 そして、これは科学技術ではどうしようもない事です(エントロピーの法則)。環境技術は基本的な工業生産構造をそのままにして、さらに工業技術でなんとかしようと言う対症療法ですので、さらに環境問題を悪化します。
 問題の解決の為には、
工業生産構造そのものを生態系の循環に合わせなければなりません

  
 以上の環境問題の本質を踏まえて、環境問題に対する対処法
先ず、
生物としての人間の存在に必要のない工業製品の製造中止して、
工業生産のシステム全体の規模を縮小すると同時に、その工業の廃物が
生態系の物質循環で処理出来ないもの、環境汚染するものをもたらす工業システムの廃止
人間社会の物質循環を生態系の物質循環に無理なくつなげて行く
事です。
農業も、生態系の物資湯循環の中で営まれる開放型の農業に戻す事です。

 この、近藤邦明氏の環境対策法は、私の " Produce less " にも通じる、環境問題に対する明瞭な答えです。
 全面的に賛同致します。

こういう事を判らない者(とんでもなく愚かな対策を推し進める環境省の役人たちなど)が、環境問題のプロを名乗る資格はないと思います。


以上で、
「地球温暖化は憂うべきことだろうか? - CO2温暖化脅威説の虚構」
        近藤邦明[著] 不知火書房
 - 考 - 
は、一旦終了致します。〔また、CO2温暖化説反対の本を買い込んで来て読んでいますし、近藤邦明氏や猫田氏のサイトも訪問致しておりますので、・・コメント下さる方が入れ替わって一新してしまいましたが(笑)また懲りずにこんなシリーズやりたいですね・・・今度は槌田敦氏の事中心にでも・・・CO2温暖化説がザルな説である事も判りましたし・・・〕
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【2007/01/15 00:30】 | 環境総論 トラックバック(0) |


asaoka
雑草Zさん、こんにちわ。

私も、槌田敦氏と同様に、近藤邦明氏の環境に対する見識には影響を受けています。

「文明の跡地は砂漠になる」という世界史が示すように、環境問題は現代的問題ではなく、約5千年の文明史の積み重ねで、その果てが市場主義から工業化社会だと思います。
だから、約5千年前に大転換した人類の価値観が、環境問題の本質なのかもしれませんね。

それを踏まえ、懐古主義でなく文明史の誤った価値観を改め新しい認識を創造すること、
そのうえで科学は環境問題をどのように克服していくのかが、現代・将来にわたる人類が創造していくべき課題だと思います。

雑草Zさんの投稿拝見して、同じ問題意識を感じ、嬉しく思っています。
今後とも、よろしくお願いします。


環境問題の本質は非平衡の熱力学
雑草Z
asaokaさん、本質を突いたコメント有難う御座います。
全くおっしゃるとおりです。この、市場主義から工業化社会の流れは破滅へのハイウエイですね。はやく方向転換すべきです。
 約5000年前に大転換したという人類の価値観についてはよく分かりませんが、20世紀に入ってから、非常に酷くなったのではないでしょうか?
 とんでもなく間違った環境対策が横行しています。自然の摂理に沿った物質循環とエネルギーの流れをしっかり考える為にも開放系の熱力学は大切ですね。
 槌田敦氏の「熱学概論」は購入してぱらぱらと飛ばし読みしかしてませんが、本当に名著だと思います。しっかり読んでいこうと思います。非平衡系の熱力学が、こんなにわかりやすく説明していることに感動です。熱力学は開放系でこそ、非常に有用なのかも知れませんね。
 ただ、熱力学の本に「経済のエントロピー」などの概念が馴染むかどうかは、読んで見なければわかりません。
 物理の法則は例外があってはならず、1つでもあれば、その法則は間違いでしょうが、「経済のエントロピー」と言う概念には例外もあり得そうで、納得出来なさそうな気もします(・・頭固いですか?笑)asaoka氏はいかがですか?
 槌田敦氏の環境に対する洞察は本質を突いていて、ホントに共感できますね。
asaokaさん、こちらこそ、宜しくお願い致します。

 槌田敦氏は、物理の偉人、良心か、パラノイアか?(笑)

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2007-01-13 00:01
「地球温暖化は憂うべきことだろうか? - CO2温暖化脅威説の虚構」
  近藤邦明[著] 不知火書房
 - 考 - 番外編1

 私が、本書で最も共感した部分は、タイトルの内容ではなく、近藤邦明氏の環境問題に対するスタンスと、本質の洞察です。
 持続可能な社会の為の条件と環境問題の本質を、[開放系の]熱力学的にずばり明瞭に説明しています。そう、私が今までずっと言おうとしていた環境問題の本質は、[開放系の]熱力学で説明するべきだったのです。これが一番の目から鱗の部分です。
 この熱力学的説明の要は、
定常性エントロピーの法則
ですが、その説明は定義から説明すると今回の趣旨に届くまで長くなりますので本書または下記の近藤邦明氏のHPにお任せするとして、(いつか簡単に説明したいと思います)
持続可能な生命活動の条件を簡単に説明させて戴きます。  
 
 もし地球が、物質的にもエネルギー的にも閉鎖されていれば、有効なエネルギー (エントロピーの低いエネルギー)や有効な資源(エントロピーの低い資源)が枯渇して、生命活動は維持できず終息します。(熱平衡状態になっておしまい。)
 
 しかし地球は、物質的にはほぼ閉鎖されていますが、エネルギーについては開放系で、太陽から有効な光のエネルギーの供給を受けて、同じ量の廃熱のエネルギーを宇宙空間に放出しているのです。
 だから、地球の生命活動(地球の定常性)を維持するためには、この、太陽エネルギーの範囲内でエネルギーとして使い、同じだけの熱エネルギー(廃熱)を地球の外に放出してエネルギーのバランスをとるのです。
 そして物質は地球の外からほとんど入ってきませんから、生命活動の物質は全て循環させなければならないのです。

  
 持続可能な生命活動の条件を出来るだけ簡単にまとめます。
○地球の(生命の)活動のエネルギーは太陽から地上に入ってくる分でまかなう。
 さらに、地球に入ってくる太陽のエネルギーと地球の外に放出する熱エネルギーがつり合う。

 ○地球は物質については閉鎖系だから、生命活動の物質は全て循環させなければならない。その為には、生態系の物質循環の枠内で資源を獲得し、廃棄も生態系で有効に処理されるように廃棄する。


大切な本質的部分は、 地球に入るエネルギーと地球から出るエネルギーは量的に収支は釣り合わなければなりませんが、エネルギーの質は落ちるのです。地球に入る太陽の光のエネルギーは(エントロピーは低く)有効活用出来ますが、宇宙に捨てられる熱エネルギーは(エントロピーが高く)有効度が低くなって廃棄されるのです。廃棄物が有効に循環するのは、生命活動の廃棄物を太陽からの入力エネルギーが有効化(低エントロピー化)し、その分(以上に)エネルギーは無効な熱となって、宇宙に廃棄されるからです。こうやって地球の生命活動を維持するのです。(地球のエントロピーが増えないで済んでいる理由。)
 
 なんだか、こんなところで自分の高校生時代からの大きな課題を一気に解決された感じです。これが槌田敦氏の熱力学でありましょう。大変合理的な素晴らしい論理です。環境問題の本質は、[開放系の]熱力学で語るべきです!!


詳しくは・・↓・・『環境問題」を考える 
 HP管理者/近藤邦明氏 
http://env01.cool.ne.jp/ss02/ss021/ss0213/kondoh01.htm

↑の2-1環境総論の  生きている地球 ~環境問題を見る視点~
 
 環境問題の本質も、以上の点を考察して、説明出来ますので、次回にそれを述べます。
 
  (スイマセン!また<<続く>>です)
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【2007/01/13 00:01】 | 環境総論 トラックバック(0) |
2006-12-07 21:41
 古代に栄華を誇った文明が滅んだ直接の原因は様々でしょう。戦争、天災、政治腐敗、・・・でもその多くの、根本的な原因が、土の荒廃にあるるのです。
 エジプト文明は、ナイル川の氾濫を制御しようとして、巨大な治水、灌漑を行いました。その結果、下流流域の生態系を壊し、循環を断ち切った為に土地が劣化して砂漠化したといわれています。あのエジプトがもともとは砂漠ではなかったのです。ナイル川流域は豊かな土地だったのです。そう、文明が砂漠を作ったのです。
 メソポタミア文明もインダス文明も黄河文明も衰退の理由は大筋で似た様なものです。つまり、4大河文明はみんな治水工事によって自然の循環を断ち切ったことによって生態系が破滅されて、砂漠化してゆき、その結果文明が崩壊していったのです。
 ギリシア文明は当初は自給自足の農耕から始まりました。都市型文明が花開いて、主食の穀物を周辺の植民地で安く作らせ、自国の畑ではより商品価値の高いオリーブオイルをとる為のオリーブやワインを作るためのブドウ等を栽培しました。その結果土壌浸食が速くなり、生態系の破壊がすすみ、食料不足や社会不安が起こって滅びました。ローマ文明の盛衰もギリシャ文明と似たようなものです。
(商品価値の高いオリーブやワインを、工業製品に置き換えると、まるで日本ですね。)
 いずれも、自然の循環を無視して土を荒廃させたことが原因です。
 現代文明は、石油と科学技術があるだけ、古代文明よりも、自然の循環の破壊の、速さと質がずっと大きいので、古代文明のように滅亡まで数千年も続く筈はありません。もう滅亡の兆しは始まっています。
 持続せずに滅んでいった古代文明に学ぶどころか、模範としているかのように、同じ道をもっと速くずっと大きな破壊をしながら辿っている自称「先進諸国」は、日本に限らずかなりの愚かものです。現代の文明を優れているとは、とても思えません。
 
参考文献;『地球環境を土から見ると』 松尾嘉郎、奥薗壽子 共著 
 
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【2006/12/07 21:41】 | 環境総論 トラックバック(0) |
2006-12-03 00:58
「人間が地球上の動物として最低限果たすべき事」と言うと、何かモラルの話みたいです。大きい目で見ればこれも生態系モラルと言える事だと思いますが、生態系の循環に於いて、動物として最低限すべき事は何かと言う事です。
 呼吸の廃棄物、二酸化炭素と水を地球に戻すと言う事も重要です
 そしてなにより、地球の大栄養循環の一部として、生産した糞尿を生態系の循環に流すと言う事が非常に基本的な最低限すべき動物としての人間の使命だと思います。
 完全に自然の中で生きていた時代の人間のように、他の野生動物同様、野や林で糞尿をするのが最もいい方法だと思いますが、現在そこまでは無理でしょう。
 しかしだからといって、水洗トイレで下水処理して、陸上生態系から断ち切って海洋投棄するのは愚の骨頂です。
 人間の糞尿は、野生動物の糞尿のように、小動物や微生物の呼吸(生命活動のエネルギーを得る事)に利用されて無機物の二酸化炭素や水まで分解されてから、再び光合成に利用されるべきです。こうやって何億年もの間陸上生物の栄養循環が続いてきたのです。
 糞尿をこの循環に乗せる事が、人間が動物として果たすべき最も重要な事である筈なのに、最近の人間は、人間以外の野生でない動物、家畜やペットの糞尿まで生態系に戻していません。ペットの糞尿を化学的に固めてゴミに出すなんて本当にばか者のやることです。この糞尿のところで循環をストップさせたら、生態系の栄養の大循環は止まってしまって、生態系は破壊されます。勿論、人間も例外ではありません。 
 糞尿をバイオマス燃料にする事が、最低仕方がなく許せるレベルの処理法だと思います。(小動物、微生物等の分解者を飛ばす事が問題です。)

 人間が動物として、確実に果たすべき役割は、糞尿を栄養大循環に乗せる事です。意識的に循環に乗せると言うよりも、意識的に循環から切り離す愚かな行為だけは即刻やめるべきです。

〈関連記事〉自然の摂理から環境を考える。kasiさん2006/11/19
『地力問題3:下水道の普及って良いことづくめ??』
http://www.sizen-kankyo.net/blog/2006/11/3_1.html
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【2006/12/03 00:58】 | 環境総論 トラックバック(0) |

大江戸トイレ事情
天地 はるな
「舗装と下水道の歴史」岡並木
この本は、25年ほど前、私がはじめて読んだ環境本です。
オススメです。
トイレのこと、私も書きました(^▽^)/↓

http://plaza.rakuten.co.jp/otegami/diary/200606210000/


江戸時代でさえ
雑草Z
 糞尿が栄養循環の大切な柱であることは、経験的、感覚的に分かっていたわけですね。江戸時代のリサイクルは本当に完璧ですね。江戸時代のほうが、廃棄物もリサイクルしやすかったということは、材料が現在より優れていた訳です。藁、竹、灰、みな太陽エネルギーの有効利用で蘇っていたわけですね。こういう感覚が現代人の多くからどうやって欠如してきたか考察すべきですね。
 私は、トイレの事は描いていません(笑)。タイトルを見て下さいな。生態系の循環で人間が絶対守るべきことを描いたのです。結果としてトイレの在り方は非常に大切ですが。 


かっし~
雑草Z様

いつも、『自然の摂理から環境を考える』へのコメントありがとうございます。
そして、今回は、記事まで引用して頂き、ありがとうございます。一緒に、考えていてくれる人がいると思うと毎回、心強いです。

近々、下水道の続きをアップする予定なので、またぜひご覧下さい。
今後とも宜しくお願いします。

自然界への負荷について
satou-n
こんばんわ、雑草さん。
今回の人糞を、昔のように肥料とするには、
昔のような山や森がなくなっていること、
生物がいないこと、人口比率を考えているのかなぁと、
ちょっと疑問に思いました。
人糞も腐葉土もサトウキビのバカスも酒かすなども皆、微生物分解を経て肥料となります。
そのままだと、ただの廃棄物ですし、
土壌や河川にそれらをたれ流すことは、現状の生きもの達の数では、とても分解することはできません。
かえって、汚染になって死滅してしまいます。
赤潮などの富栄養化状況も、良い例です。
まして、ゆっくりと醗酵させるための貯蔵する場所となると今度は、私達の生活空間でさえウサギ小屋と言われるほどのスペースしかないのです。
気持ちは、解らないことも無いのですが、
現状の生態系を考えると、その下水処理に対する発想は人間のためにこれ以上の負荷を益々、自然界にかける事になる危険性のほうが大きいと考えます。
他にも、私達が食べたり、薬として服用している物質は、
多量のホルモン剤なども多く、これらを自然界へ放ち、循環させることのほうを危惧してもいるのです。
私達人間が、自然界へ最低限のことを果たすには、それらの処理を含まなければならないほど、
単純ではなくなっていることを
どうか、その辺りの方向からも考えてみてはいかがでしょうか。

循環させることは基本です
雑草Z
  繰り返しますが、私の主張は糞尿を生態系で循環させなければ破局するという事です。循環させないでどうするのですか?「そのままだと、ただの廃棄物」とおっしゃっていますが、それこそ循環させていないことですよ。循環させてそれぞれの生物が利用しながらCO2やH2Oのレベルまで分解するのです。「生態系に流す」の「流す」は川や海に流すではありませんよ。念のため(すみません。そんなこと思いませんよね。)
 腐葉土や人糞にまで化石燃料等のエネルギーを大量に使って処理するのは大変愚かなことです。このような循環を止める大規模下水処理施設こそが環境破壊です。(天地さんのおっしゃる江戸時代のような)もっと小さな設備で生態循環に乗せるものでなければ破局を迎えます。生物に処理させ(食べさせ)ないから生物は減るのですよ。微生物は、栄養(糞尿)さえあれば指数関数的にかなり増えます。一日で何十万、何百万倍のオーダーでしょう。satou-n さんのおっしゃるように人間過剰なのは、食物の輸入や一時的な化石燃料や化学肥料の使用によるものです。日本は自給自足していないので糞尿過剰になるのです。その余分な栄養は貧しい国のものです。さらにこの貧しい国まで日本のような下水処理したら生態系は滅茶苦茶です。栄養循環から考えて、糞尿を肥料にした場合、家畜も含めその土地の動物の糞尿の養分で育った植物だけを食べていたなら、肥料として処分しきれない量になることはないでしょう。食べ物をよそからもってくるから処理しきれないのです。自給自足出来ない人口を持ってはいけないのです。植物も含め生物が糞尿を処理出来ない程いなくなったら生物同士のつながりの観点からもそこで生態系は絶滅でしょう。次回の記事(12/6分)とカテゴリーの【食料】の部分をみて下さいな。それから、かっし~ さんの記事も。


satou-n
雑草さん、ありがとうございます。
微生物が雑草さんのおっしゃるように増えるのは解りますが、その還元の方法を昔のように肥溜め方式にするということですが、全国民がその処理をして暮らすには、居住システムの問題はどうすればよいのでしょうか?
また、現在は、鳥インフルエンザに見られるように家畜を媒体にした病原体の進入も出てきてしまいました。
基本的には、雑草さんのおっしゃるように循環させなければいけないのですが、私達人間は、残念なことにある時点から自然界への生態系の循環が複雑になってきていることを、コメントしたかったのです。
すいません、おっしゃりたいことが、自国の自給率を上げるということや、他国の生産物と共に土地のエネルギーまで奪っていることを啓発なさっているのでしたら、私もほんとうに同感です。
ただ、そのための方法は、もっともっと、いろんな方々と考えていかなければならないだろうなぁと思ったのです。





肥溜め式は理想ですが
雑草Z
確かに現代の日本、特に都市部にそれを設置する余地も賛同もないでしょう。理想論ばかりでは上手く行かないかも知れません。しかし一方、それは現在の都市が異常だからで、周辺に超高エントロピーを放出して存在し続けようとしている現在の都市の在り方に無理があるからです。こういう人工都市は昔滅びた伝説の都市よりずっと短命に終わるでしょう。
 下水道処理施設にしても、エネルギーを使わない、もっと小規模でシンプルな設備で、小動物や微生物を最大限に利用したものにすべきです。そして、しっかり肥料として使うべきです。「現代の肥溜め」ってところでしょうか。
「自然への生態体系の循環が複雑になっている」の「複雑」というのが曲者です。複雑ではなく「不十分」ということで、その理由は、人間が循環に相応しくない不用な色々なものを付加しているからです。つまり、資源をゴミに変えているのです。さらに埋め立てたりして隔離さえしているのです。
 一見シンプルで、実は緻密な自然の完璧な循環系をいい加減にいじって「色々な方法を考えていかなければならなくしている」のが現在の経済優先の環境技術です。それらは対処療法です。構造を改革して根本を変えなければ駄目でしょう。





satou-n
雑草さん、丁寧にお話していただき本当にありがとうございます。
ネットでのやり取りは、お顔を合わせて話すよりもずっと
気心を図るのに時間がかかることもあります。
わずらわしい想いをさせていたとしたら、本当に申し訳ないのですがこうして、つたない私の疑問に答えていただけたことにとても感謝しています。
このやり取りのおかげで、雑草さんのお考えを、いままでよりも深く知ることができました。
今後も、楽しく読ませていただきます。




こちらこそ感謝いたします
雑草Z
 現在環境問題は、目を背けたいくらい、かなりシビアーになってきています。このままでは、破滅への道をまっしぐらでしょう。それは、人間が自然の摂理、循環を無視したとんでもない開発をしているからです。経済効果を狙った似非環境技術もはびこっています。
 私のスタンスは、理想論と云われようとも、本質的、根本的に環境問題を考え、解決する方法を考える事です。自然の循環をしっかりさせることです。
 それには、経済と生産の縮小をして、経済とは対立する別の価値観による持続可能な社会への転換を図るべきです。これこそが真の構造改革だと思います。そんなこと出来ないと云われても、出来なければ破滅ですから、やるしかないと云う事です。
 12月から、毎日アップするのをやめて、1つの記事をもっと充実させるとともに、読んで戴いた方のレスポンスを待とうと考ました。だから、satou-n さんとのやり取りはとてもいいタイミングで非常に有意義でした。それに、satou-n さんの常識的なご意見に賛同なされる方のほうが多いと思いますよ。今後もよろしくお願いいたします。
 

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2006-11-17 00:01
近年人間が行った巨大な開発、山、河川、海岸・・全て巨大開発は失敗に終わっています。ごく短期的に有効に見えても長い目で見ると失敗です。失敗どころか大きな不幸をもたらしています。

 1992年のモントリオール国際環境会議で国連開発計画のチェリー氏が、
「不幸な開発もあったが、そうでない開発もあった。」
と発言し、それに対してなされた
「では、不幸でなかった巨大開発はどれか」
との質問に答えられなかったそうです。(高木善之 地球村宣言より)

そう、確かに巨大開発で誇れる成功例はないのです。
  
 地球の自然は、知れば知る程、調べれば調べる程完璧なのです。奇跡と言うに相応しいシステムなのです。山でも川でも海でも湖でも、それぞれが素晴らしいシステムであるばかりでなく、全てが完璧に繋がって地球全体で1つのシステムになっているのです。だから、何億年もの間持続しているのです。それを最近出て来た人間が大きくいじってことごとく失敗しています。人間の行った巨大開発は何億年どころか、100年以内に大変な環境破壊を引き起こすのです。つまり、それだけ大きな系が、地球の完璧な系を断ち切ってしまうからです。 少なくとも現在の人間の科学力では、問題のない巨大な系は作れないのです。
人間と自然のシステムの関係はチンパンジーと精密機械の関係みたいなものでしょう。チンパンジーが精密機械をいじっても、壊すだけで、性能アップは出来ないのです。

 人間は、自然をしっかり観察して、自然の摂理にそった生き方をすべきです。自然が作っている大きなシステムをいじる必要はないのです。完璧な系なのですから。人間が工夫するのは自然のシステムを有効利用する自然の流れに逆らわない小さな系で十分でしょう。

 近年の巨大開発は全て失敗です。これからも当分成功しないでしょう。
現在の”巨大開発”は”巨大破壊”
 の何ものでもありません。
 今だに巨大開発を推進しようと言う事は、愚かと言うだけでなく、ある意味凶悪犯罪よりも罪が重い筈です。  
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【2006/11/17 00:01】 | 環境総論 トラックバック(0) |
2006-11-09 00:15
自然の摂理、自然の循環に反するので、経済成長と言う概念はいつかは否定されるでしょう。
 問題は、経済成長からの脱却が、間に合うかどうかです。地球環境が破局へ暴走を始める前の引き返しの可能な地点でなければなりません。あまり猶予はありません。
(【Point Of No Return】で述べた通りです。)
 差しあたって早急に経済を10分の1以下まで縮小すれば、持続の可能性はかなり増えて色々猶予が出てくるでしょう。
その方法の一つを提言します。
 『せーのっ!』
    でやめるのです。徐々にではなくて、
 『せーのっ!』
躊躇していたら時間がなくなるでしょう。ちょっと混乱しても
『せーのっ』
って・・。

 「何ふざけているんだ?」と、思うかも知れませんが、ふざけているのはこの21世紀にきても経済成長に躍起になっている人々です。自分たちが滅びるのは自業自得ですが、みんなを巻き添えにするのですから・・。
 じゃ、どうするか?って言えば、先ず国際会議を開き、取りあえず必要最小限の活動以外の経済活動を『せーのっ!』でやめるのです。原子力発電、化石燃料使用・・・話のついたものから次々に『せーのっ!』で廃止していくのです。

 何処までが必要最小限かで揉めるでしょう。各国の思惑があって分裂するかも知れません。京都議定書ですら経済優先という国(アメリカ・カナダ・オーストラリア・日本)がごねて拘束力を弱くされ、脱退国(アメリカ)も出たのですから・・・。でも、だからこそ、例外を作らず抜け穴も作らず「せーのっ」でやめるのです。
 
 だからそんな事は無理だ!って反論は百も承知です。合意への道は厳しいでしょう。でもそれはみんな無知からくるものだと思います。理性的に判断してみんなが『絶滅』の恐怖を実感すれば可能な筈です。経済成長をやめなければ多少の時間差があろうともみんな破滅です。

  二者択一なのです。
 
 「技術でなんとかなる」と言う発想は、かなり甘いと思います。何百年も猶予があれば若しかして技術で何とかなるかも知れませんが、その為にも先ずは『せーのっ』でやめなければなりません。 
 『せーの!』でやめて、立ち止まって、冷静に考えてみましょう。今までなんと愚かな事をして来たのか見えてくるでしょう。
 そして暫くスローライフをすると、つらくはなく結構楽かも知れません。きっと今よりいい社会になるでしょう。

 有限の地球では経済成長はいつまでも続けられるものではありません。どうせいつかはやめなければならないものだから、滅びる前に、余裕をもって自らやめるのが楽にきまってます

 『せーのっ』って
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【2006/11/09 00:15】 | 環境総論 トラックバック(0) |

せーのといえば
スモールイズビューティフル
そういえば70年代のオイルショックのときは、政府の掛け声でネオンの消灯や深夜番組の休止が国を挙げて行われましたね。今の政府は京都議定書のCO2削減目標にもかかわらず、増え続ける状況すらほったらかしにしているように思えます。環境省のやってることって、クールビズと風呂敷と打ち水くらいのもんですかね。当時よりはるかに状況が深刻なのに、全くひどいものです。

ランキング
天地 はるな
「人気ブログランキング」のボタンをつけていただいてありがとうございます(*^ー゚)b
ところで、今日みたら17位と27位!!!!
どうして???

日本人は言われたことは、
雑草
しっかりやるから政府もしっかり音頭をとるべきですね『せーのっ』って・・。
 クールビズの、掛け声の前はネクタイをしないのはだらしないとか言ってがんがんエアコン効かせてネクタイして仕事していた人々もすぐにクールビズ始めたのはホントに従順ですが馬鹿みたいです。私は昔からクールビズでした。ネクタイって凄くお馬鹿な習慣で、文明開化とかで日本が真似することなかったんです。『ネクタイごときのつまらない事が地球温暖化の原因になる』ということ笑えません。現在の環境問題のほとんどがどうしようもない事が原因になっています。
 >私も昨日ランキングに2つ≪雑草の言葉≫を見つけて焦りました。以前から左下に地味にあった「Blog Ranking」のリンクを私が知らせなかったので気を利かせた”こーき氏”が別のIDで各記事毎に着けてくれたのでした。でもあっというまにに直してくれました。

せーの!っていいですね
NAOママ
環境問題、地球のこと、考えている人たちって、あちこちにいっぱい居るような気がします。でも、ホントにみんなで!世の中を引っ張っていける偉い人たちにこそ、せーの!!ってやってほしいと思います。
本当は「少子化のススメ」に意見したかったのですが・・・
ここでちょっと言ってもいいですか?
私は、急激な少子化にはちょっと反対です。雑草さんのお話を聞いて、時間がない!ことは十分わかりました。でも・・・現状を見て下さい。日本の第1次産業は、ちょっと厳しいと思います。主力は、おじいちゃん&おばあちゃん♡まだまだ後継者不足は否めないのではないでしょうか?ここは是非、今注目のニートのみなさんに是非是非、生産者としてお仕事に就いていただき、生まれくる選ばれた少ない命にそれを継承していってもらわなければならないと思うのです。それにはまず、この米ナイズされた教育システムをなんとかしないと・・・それと、日本も国際社会の一員なので単独であまり急に優しい国になってしまっては、お隣の国とかに侵略されてしまったりは、しないでしょうか?だからこそ米も北朝鮮も、みんなで「せーの!♡」が一番だと思いました。って、すみません!野菜も作れない私が、長々と・・・



自然農法の農業を促進いたしましょう。
雑草
 大企業はやってはいけない環境破壊を繰り返して成長した会社ばかりなので、彼らとそれに癒着した政治家に『せーのっ』はなかなか望めないかも知れませんので、リーダー交代ですね。『環境再生事業』はやる気満々でしょうけれど(後日アップします)。
 確かに日本の近隣国は環境なんか考えずに自国の経済のことしか考えない国ばかりですが、それをリードしてきたのは日本です。日本は列強時代の欧米諸国並みの酷いことを今でも東南アジアなどでは平気でやっています。そうやってこの日本人に飽食させ贅沢させています。単独でやさしい国になったら、信用回復には最高にいいと思いますが、今はその逆ですね。NAOママ さんの心配されることもよくわかりますが、自給率は100パーセントになるまでは少子化対策すべきでありません。今でもその分を他の国に飢えさせているのですから。【動乱】で書いたような危機が起こります。
 ニートの方々に農業やって戴くのは大賛成です。それから、ニートよりもずっと環境破壊の酷いゼネコン関係の人にも転職して農業に取り組んで欲しいと思います。(元々農家の出稼ぎの方も多い筈です)産業の要は農業ですね。日本の高度成長と呼ばれるものは、農業を犠牲にして築いてきた砂上の楼閣です。おっしゃるとおり米も北朝鮮もみんなで『せーのっ』ですね。
 久々の満を持された素晴らしいコメント有難うございます。


 

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2006-11-08 00:01
 地球を完全に2つに分けられるなら---- 
-------完全にとは、分子もエネルギーも何の交流もなくという意味です。2つの地球を存在させると考えてもいいと思います。----
----今すぐにでも分けて欲しいと考えます。


1つは、今のまま経済成長続ける地球。

もう一つは、

経済成長をストップし、ひたすら持続の可能性を追う地球。

 全ての人にどちらへ行きたいか決めてもらって、移動し、そこで交流を絶ちます。子供は親に決めさせるかとか、動物はどうするかとか、いままで築き上げたものはどうするかとか--化石燃料と核燃料はすべて経済推進地球へあげます--細かい問題もあろうけれど、兎も角2つの世界に分けるのです。

 その場合大半の人がこのままの経済成長推進地球に残るでしょうか?
 しっかり説明すると、経済成長ストップ持続可能な地球に来る人も多いのではないでしょうか?
 そう、内容が分かれば、きっと気付く筈です。経済活動など優先していれば、環境破壊によって絶滅する事を・・・

 地球を2つに分ける事は勿論不可能です。でも。そのような仮定のもとでもいいからしっかり考えて貰い、理性的に二者択一を考えれば、過半数の人が経済成長ストップの方を選ぶのではないでしょうか。
地球は破局の暴走をはじめて、後戻り出来なくなりそうです。
 もうすぐです。100年後は終わっているかも知れません。50年後でも手遅れでしょう。きっと2、30年後でも遅過ぎるに違いありません。ここ数年のうちにも何とかすべきです。
(そのことは、【Point Of No Return】や【未来予測】で書かせて戴きました。)

  立ち止まって考えてみませんか?

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【2006/11/08 00:01】 | 環境総論 トラックバック(0) |
2006-11-04 00:12
 この予測は、ブログアップすべきかホンのちょっと躊躇しますが、このブログが世の中に与える影響なんてあんまりないし(香港で蝶が羽ばたくと、アメリカで突風が吹く等と云う影響論もあるけど・・)持論はかくべきだと考えてますのでアップします。

 このままの経済成長が進めば大きな動乱は世界中で今世紀中に必ず起こるでしょう。日本も例外ではありません。と云うより、日本でこそ必然的に起こる筈です。 

 何故かと云えば話は実に単純で、この世の中の経済システムが持続可能なシステムではないからです。それどころか【ねずみ講のような経済】で述べさせて戴いたように、この経済システムはカタストロフィーのエネルギーを破滅に向かってひたすら貯めているからです。

 今の人口や経済規模からして、破綻がどんなに遅くとも今世紀中に来る事は確実でしょう。その破綻の時に、食料や飲み水、安全に住める場所をめぐって大きな動乱が起こるでしょう。食料や安全な水の取り合いによる殺し合いや内乱です。今のイラク以上のような感じで、無政府状態にまでなるでしょう。


 以上は私の予想ですが、お気楽な御用官僚国家日本ではそんな予測はまだ出来ていないかも知れませんが、欧米の多くの国ではシュミレーションや対策 (といってもたいして有効策ではないに違いないでしょうけれど)まで済んでいると思います。おそらくCIA(アメリカ中央情報局)ではとっくの昔にシュミレーションまで出来ていて、どの段階で日本を見捨てるかも決まっている事でしょう。日本等はさっさと見捨てるでしょう。(そりゃそうです、自分の国民の事を救う方が優先に決まってます!)

 この動乱に備えよ!!とは、言いたくありません。 
 経済破綻は必ず起こるとくりかえし断言しますが、動乱による被害を小さくするには他の破局が起こらないようにする為に経済や生産規模を早急に右肩下がりにして、安定ランディングさせる事しか方法はないと思います。
 早急に10分の1が目安。大した事ではありません。今までの量が10倍以上バブリーなだけなのです。(個々の事項についてどんなにバブリーかは、次第に述べてゆく所存です。)

 右肩下がり!!
    
 をこれからの当分の合い言葉にいたしましょう!!!!
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【2006/11/04 00:12】 | 環境総論 トラックバック(0) |
2006-10-24 00:01
 私のような環境問題に対し、きわめてシビアーな警告
 (これでもそんなにシビアーでない)に対して、
まだ、現実に起こっていない色々な危機感を煽っているだけ」と思っている人達が結構いる。
 彼等は言う。「以前から酸性雨が日本に降る降るといってるのに、いつから降っているのだ?森や林は大丈夫ではないか?日本の食料だって、自給率が50%を割って久しいのに、食料不足になっていないではないか?地球温暖化だってまだ大した事ない」・・・などなど。
 
そういう人達に対し、
『カタストロフィー理論』をしっかり理解して欲しいと
  思う。

 カタストロフィー[Catastrophe ] は
 日本語で『天変地異』または、『大変動』、『破局』とか訳す。
 比例関係のような変化が崩れて
いきなり大変動する現象である。
 
 例えば、地殻にゆっくりと時間をかけて貯められたエネルギーを一挙に吐き出す地震は、カタストロフィー現象の典型のひとつである。

 例えば、酸性雨は日本でもかなり降っている。(その事実を知って、御目出度い人達は、「それでも大丈夫ではないか?」という。)植物も土も本当は共にかなりの被害を受けている。しかし、土はかなりの緩衝能力をもっているので、被害をはっきり現していないのである。木だって被害が蓄積されているけれど、はっきり現れていないのである。その緩衝能力が限界を超えれば、ドイツの”黒い森”のように一気に森が枯れ始めるのだ。これが森林のカタストロフィー。
カタストロフィーが始まってからでは、
止められない
  のである。

  右肩上がりの現象は、無限に続く筈はなく、いつかポキッと折れて下がる。それが『カタストロフィー』。上に上がれば上がるほど折れた時の衝撃は大きい。
 バブル経済の崩壊などもカタストロフィーの一種だろうけれど、そんなの大したカタストロフィーじゃない。
 
 経済成長はカタストロフィーのエネルギーを貯めるので、カタストロフィーが起こらなければ起こらないほど、そのエネルギーが増えてゆき、大災害の被害度も大きくなってゆく。 
カタストロフィーになる前に、
経済縮小してこのエネルギーを減してゆく事が、
 カタストロフィーを防ぐ方法
である。
 
 「科学の進んだ」現代は、一国やひとつの島の滅亡に留まらず、一挙に地球全部の破局を招くようなとんでもない量のカタストロフィーのエネルギーが貯えられている。そして、世界中の各地でその予兆がポツリポツリ吐き出し始めているのだ。     
 
 実は私は、カタストロフィー理論はまだしっかり読んでいない。学生時代、とても興味があり、同じ研究室の人から本を借りたのだが、後回しにしているうちに読まずじまいで返してしまった。
 概念は分かっているつもりなので、独自の解釈を加えてよく口にしている。ここに載せたことも自己流解釈だ。
 やはり、しっかりした本を1冊読んでおく必要性を感じる。本来ならその後にブログにアップするべきであるが、カタストロフィーの理論的発想が出来ない為に問題のシビアーさが分からない人達(特に政治家)が多く、はじめに書かせて戴いたようなお門違いの御目出度い発言をする輩があまりに多いので、取りあえずアップさせて戴いた。
(数学的でない・・感覚的で読みやすい)カタストロフィー理論のしっかりした本を読んだ後、若し追加訂正等あれば、またアップさせて戴く。
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【2006/10/24 00:01】 | 環境総論 トラックバック(0) |
2006-09-30 04:03
 明日の天気予報だってよく外れる。日本が誇るアメダス(AMeDAS ; 自動気象データ獲得システム)が完備され、膨大な計算量で、コンピュータで計算しているうちに当日になってしまうと言われていた、気象予報の大気の状態方程式(?用語忘れました、失礼!)も、コンピュータの性能のアップで即座に計算可能になったここ日本でさえ、天気予報はよく外れる。
 
 ベルリンの壁の崩壊やバブルの崩壊でさえ、顕著な兆しが始まるまで、ほとんどの専門家やアナリシストも予測出来なかった

 未来予測なんて、こんなもの。21世紀になったが何十年か前に人々が考えた夢の未来なんて来なかった。その代わり深刻な環境問題で絶滅の危機にある。

 未来予想はかくも難しいが、それは当然。『揺らぎ』があるからだ。『揺らぎ』とは、ほんのわずかの要因、パラメータの変化で結果が大きく変わること。こう云う不確定性要素は現実の未来予測には沢山含まれているから、よく外れるし、当たってもまぐれが多い。

 だから、私は基本的には、不確定性論者。ちょっとやそっとでは、未来予測は信じない世の中に数多く存在する経済評論家の予測なんてその代表。
しかし、
環境問題に関しては『このまま行けば人類は絶滅』との予測は
確実であると断言出来る
。それは、例えば、大きな円錐形のロートに無造作に放り込んだビー玉が、はじめは揺らいで色々不確定な動きをしても、結局円錐形のロートの中心の穴に落ちるという予測と似ている。
 
 もっと具体的な近い例で云えば、沢山の金魚が泳いで小さな水槽から、光合成をする水草を平衡状態から70% ほど取り去って、酸素の泡が出てくる機械を止めてしまえば、しばらくして金魚は、酸素を求めて水面近くで口をパクパクさせて、まあ1週間もすれば、ほぼ絶滅だろう。
 
 これは、誰でも予測出来る。これとあまり変わらないくらい簡単に地上の人類の絶滅は予測出来る。国連の作ったIPCC(気候変動に関する政府間パネル)も、有名な理論物理学者ホーキンス博士も、その他多くの人が予測と云うよりも断定している
 
 皆さんは、イラク戦争を始める前に、アメリカのCIAが、ブッシュ大統領にイラク戦争をやっている猶予などはないと提言したのをご存じだろうか?ブッシュはそれを握りつぶしてイラク戦争の泥沼に突入したのであるが、CIAが、何の猶予がないと提言したのかと云うと、ズバリ、『地球温暖化』。あの、CIAが、地球温暖化に、全世界全力で取り組まないと間に合わないと、提言したのだ!凄いことだけれど、ごく、当然の事。そりゃそうだ。
世界のCO2排出量は許容量の200% 以上も上回っている
のだ。そして、人々は温暖化がもう始まっていることを肌で実感している。

 みんな普通に理性で現状を考えれば、そんな結果は自ずと見えて来る筈。

 この、断定的な私の予測も揺らぎの範囲で外れてくれれば凄く嬉しいのだけれど、不確定論者の私にさえ、躊躇なく断言出来る。他力本願ではいけない。みんなで、現状をしっかり見据えて、経済活動を縮小しなければならない。

 そして、差しあたって、経済活動を10分の1にすることは、大変な窮乏生活を強いる事になるように感じる人が多いと思うが、そう辛くはならず、実はより楽なスローライフ・・なのだが・・
 
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【2006/09/30 04:03】 | 環境総論 トラックバック(0) |

地球環境再生への道
t_de6
本文に書かれているように環境問題は待ったなしの状況なのですがそれに対して雑草さまはどう行動していったら良いと思われますか?

管理人のみ閲覧できます
-


ご質問ありがとうございます
雑草
『どう行動して』というのは、
『人類が』と言う意味では、いつも書いているように経済を10分の1以下に縮小すること。『Produce less』 が、さしあたっての大目標です。
 そんなこと出来るのか?って話ですが、出来なければ滅亡です。多くの人が死活問題と気づけば出来筈です。だから、現状の酷さをしっかり認識して貰うためのひとつの手段がこのブログです。これが、『私の』行動の小さな一歩です。
 環境問題の現状だけでもまだまだ書くことは沢山ありますが、だんだん対策法も提案してゆきたいと思います。
その他、仕事の手を抜いてでも環境問題優先にしたり、『緑の党』など経済縮小が前提の政党を積極的に応援したりと言う事を心がけて実践しています。まだ、ホンの小さなたわごとですが、これからも宜しくお願い致します。

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2006-09-10 23:49
今、特に日本では、直接、間接、石油を消費していない仕事はほとんどない。農業、漁業、製造業、医者、教師、その他のサービス業・・・

 ひとつひとつ具体的に説明する気はないけれど、例えば私は現在住んでいる町から30km 程離れた場所に自動車通勤している(自動車通勤はすべきでない・・この事についてはまた別の機会があれば・・)そこそこ燃費のいい私の車でも1往復約60kmで、5リットル弱のガソリンを消費している。アバウトに計算してこれで排出される二酸化炭素の量は15kg。人間一人の呼吸による二酸化炭素の排出量のおよそ100日分だ。通勤だけでだ。その代償を払うだけの仕事を私はしていない。断言する。仕事に行かずに休んで迷惑かけても、大きな目で見れば世の為人の為(笑)。じゃ何故仕事を辞めないかと言うと、自分を含めた家族の為となるーそして、これが、今の(日本の)経済のシステムの本質だ。

 農業だって、今の日本やアメリカは土と太陽と水が作物を育てると言うより、石油で育てているって感じの農業が多い。季節外れの野菜や果物なんか、温室で石油をたいて栽培したりしている!法律で規制しないのが歯がゆい。
 それで日本のエネルギー自給率は、10パーセント以下。まあ、自給率が高ければ、石油を使っていいかと言う話ではないが・・。
 
 ほとんどの職業がそれだけのCO2を排出してまで、する必要がない。というかすべきでない。
 日本で、ネパールやソマリヤの原住民並のCO2排出レベル、即ち人間の呼吸で排出する量の数倍程度しかCO2を排出しない人はどんな人々か考えると、ホームレスの人々などであろう。(特別な金持ちのホームレスは除く)。ホームレスの人々は町を汚すなどととんでもない事をいう人もいるけれど、そんな文句を言う人の方が、よっぽど、町だけでなく、地球を汚している。「ホームレス」とは、その名の通り家がない。住処はその辺から拾ってきた段ボール等。貴重な木材資源をほとんど使わない。家を作る為に東南アジアやツンドラ地帯の木を切り倒さなくて済む。望む、望まざるにかかわらず、自由人で、究極のエコの形に近い。彼等ほど、迷惑をかけてない人が他に日本に何人いるであろうか?・・・
 ニートだって、他の職業人より、資源を浪費していないであろう。頑張って働いている人の方が偉いという発想は危うい。
 
 私は、ホームレスになるほどの達観や勇気がないから今の仕事を続けている。ニート対策よりも、石油を始め、エネルギーを使わない職業の再編成が必須。ーそれは、小さなコミュニティ単位の自給自足であろう。
 近代の「経済」を知っているという固定概念の持ち主は「ホームレスばかりだったら外貨を稼げないから、日本は終わりだ。」と言うであろう。確かにそうかも知れない。けれど、そんな、食料もエネルギーも外国に頼っている事が最も悪い根本原因。外貨を稼いでも、こんな石油漬けで稼いでいては、やっぱりオシマイ。他の国を巻き添えにしている分もっと酷い。食料自給率は100パーセント以上に、エネルギー消費は10分の1以下に。これ早急の課題。それまで経済活動お休み・・すべきだけれど食料自給率30パーセントでは、それさえ出来ない。
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【2006/09/10 23:49】 | 環境総論 トラックバック(0) |
2006-09-05 09:46
自分達の国を『先進国』と呼ぶ人々が、昔のままの生活から余り変わっていない環境破壊していない国々を『後進国』と、呼んでいたら失礼だ!と言うわけで、『発展途上国』と呼ぶようになったと言う。けれど、「後から進む」でも、「途上でも」目標はその「先進国」である。一見大して変わりない。しかし実は、『発展途上』のほうが確実に恐い。こんなに恐い話もない。
 今、『先進国』は、『発展途上国』の犠牲の上に成り立っている。プランテーションし、鉱物等の資源を安く買い叩いて加工して千倍の値段で売り付け、膨大な負債を負わせている。食料も森林も安く買い叩いている。奴隷扱いみたいだ。その国の自然を目を覆いたくなるほど破壊して・・・現在『発展途上国』の人々も『発展』して、砂上の『いい』生活をしたがっている。しかし、それはあくまで他に犠牲になる国があってのこと。残念ながら科学は今の人口では『先進国』ばかりで成り立つ方法を可能にする程万能ではない。『エントロピーの法則』もそれを示唆している。第一現在の10億人を越えた『先進国』の人々は、いわゆる『未開』の人々の100倍の環境破壊をしているから、今でさえ環境破壊は致命的だ。『発展途上国』が『先進国』になったらまかないきれないどころか、瞬時にパンクして破滅するのはもうみんなが知っている明白な事実。
 だから『先進国』は、『滅亡途上国』と呼ぶべきで、『後進国』のうち『先進国』を目指している国は『滅亡途上予備国』、『発展』を拒否している数少ない国だけが、『循環型社会国』であろう。しかし、『滅亡途上国』は『循環型社会国』の指導者や実力者にプレッシャーをかけたり、欲望をそそったりして『滅亡途上国』にしてきた。または欧米諸国のようにその国を乗っ取ってきた。(日本もか?)そんな事をやってきた欧米諸国の最高の後継者が日本。昔滅んだメソポタミアやエジプトやインダスの文明は当時の『滅亡途上国』だけど、現在よりはかなりましで、数千年続いたし、遠くの国を巻き添えにしなかった。現代の『滅亡途上国』は、ほんの100年のオーダーで、巻き添えは地上の全世界。
 『発展途上国』という呼び方は危うい!『発展』を拒否しているわずかな気高い国『循環型社会国』(あって欲しい)に乾杯!その国のようになる事が唯一半永久的に生き残る道
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【2006/09/05 09:46】 | 環境総論 トラックバック(0) |
2006-08-30 23:43
人が生きて行く上での基本は衣食住だけれど、何と言っても基本は食。食料については自給自足が基本。国際分業は環境破壊の大本。じゃ自給自足の単位は?と、考えた場合、塩など特別なものを除き究極は家族単位。しかし家族では無理な場合、小さな自治体が単位であろう。その『小さな自治体』の規模については、まだ色々考察する必要がある。食物の運搬が人力、即ちリヤカーで運べる程度で、化石燃料等使わないで運べる範囲が基本。
 例えば、日本という単位は自給自足の自治体単位としては大きすぎるけれど、その中に多くの自給自足の自治体を含むとすれば、日本全体で考えても自給自足していなければならない。でも日本の食料自給率は30%程度。あの、飢えていると言われている北朝鮮でさえ70%を超えるのに・・・どうして日本人はそれが恐ろしくないのか分からない。これだけでも十分日本は砂上の楼閣だ。まして、隣の中国が食料輸入国に転じて、数年のうちに食料不足が日本の人口分以上になるというのに、日本に食料が入って来る筈がない。
 全ての経済政策の前に、食料自給率100%にする事が必須である。(食糧自給率に無駄に捨てる分等をどうカウントしているかにもよるけれど、自給率90%くらいあって配分が公平にいけば、飢え死にするまではいかないだろうけれど。)それで不景気になって外貨が入って来なくても食べれるんだから、大した問題ではない。私は、あと数十年後にも納豆とみそ汁位の食べ物を毎日食べれる社会であったら、嬉し過ぎ。普通に考えて、そうならない可能性が大き過ぎ。
 例えば少子化。そんなに問題か?世界全体から見れば人口爆発の方がよっぽど恐い。少子化は淋しい事かも知れないけれど、歓迎すべき事である。適切な人口の議論なしに少子化を危惧するのは愚の骨頂。では適切な人口の最低条件は何かと言えば自給自足であろう。今の日本の食糧自給率から考えて、日本の適正人口は4000万人程度であろう。急速な少子化は色々問題が起こるが、それでも自給自足出来る人数までは、自然に人口の減る少子化は適切な素晴らしい事だ。そうでなければ増え過ぎて餓死したり殺し合いになってしまう。このままでは食糧不足による暴動が起こるのも時間の問題であろう。農地を増やして食糧増やす事のサポートが少子化で人口が減る事。減反も愚の骨頂だ。食糧自給自足出来ずに耕地を減らすなんて考えられない。
 但し、農地を増やせといっても、諫早湾開拓などは勿論ダメ。あれはゼネコンに儲けさせる為だけのもの。環境破壊の事業以外の何ものでもない。それから、森林を農地にするのも危険。じゃあ、何処を農地にするかと言うと、減反された休耕地は勿論の事、ゴルフ場、テーマパーク等でしょう。それから新しい宅地造成地。少子化で人口減るのに新しい宅地はいらない。空き家も沢山増えている。
それからそれぞれの家の庭、ベランダでは、家庭菜園。これ、結構命綱かも。
 今世紀中にいつか全ての経済活動をストップしなくてはならない事態になるでしょう。その時にも続けなければならないのが食糧生産。こう言うのを非常事態と呼ぶのでしょうが、私はこう言う時が来ても、それで若し環境破壊がおさまり、人類が生き延びられるのならば嬉しい。寧ろ、こう言う非常事態を早く宣言した方が、助かる可能性は高いでしょう。そして、構造改革。

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【2006/08/30 23:43】 | 環境総論 トラックバック(0) |
2006-08-28 23:41
『引き返しの効かない点』・・環境問題では、もう人がどうしようとも、手のつけられない点と言う意味。かなりオプティミストの私も、Point Of No Return はもう越えてしまったのではないかと思う。物理的にさえ・・。
 
 Point Of No Return とは、例えば、南極大陸の氷が融けて大地が顔を覗かせた時、今まで白い氷と雪が太陽光を反射していたのに大地の黒い色が光を吸収し、融ける速さに加速がついて止められなくなる。・・・南極の2~3000mの厚さの氷が融けて大地が顔を覗かせた段階でもう終わりか?春の雪解けの雪崩のように、氷の底が融けて滑り落ちて、巨大津波が起きてももう終しまい。考えれば考える程恐ろしい。
 「人類は将来滅びる」という人は数多い。しかし、そのオーダーが甘い。この前話したおじは、何万年後(何百万年後)だろうと言っていた。それに対して、数百年後だ!と、答える人は沢山いる。でも、それも甘すぎる。今世紀が最も危ない。最近になって、あと100年で大変になると言い出している科学者は多い。100年後には平均気温5℃上昇して、森が消滅して、オゾン層が破壊されて、日中太陽に当たれなくなって・・・となる前に人類はオシマイでしょう。
 世の中私より楽観的な人ばかりだとは思わない。それなのに今だに「経済成長」だとか言っている人が多いのには唖然とする。きっと彼等は、無知なのだ。経済は何十分の一に縮小するしかないだろうし、そもそも『経済成長』と言う言葉が崩壊への階段である。自由主義経済も、マルクス経済も、無限の大地を仮定し『成長』する事を前提に話している。経済を速く小さく縮小して行けば行く程助かる可能性は反比例して増えてゆくでしょう。

 これからの環境問題は Point Of No Return との闘い。物理的にさえ、もうダメかもしれないのだから、これから提言してゆく事は、人間がそんな事を出来る筈ないとか、経済的である方法だとか、そう言うレベルではなくて、こうすれば助かるかも知れないと言うレベルの話になると思う。絵空事に聞こえるような構造改革をしないときっと無理だろうし、それを絵空事と言う余裕があるのだろうか・・・・??

 昔"Point Of Know Return" と言う曲があった。邦題「帰らざる航海」。 KANSAS というアメリカンプログレバンドの曲で、あまり心に響かない曲で曲の印象は残ってなかった。何故 ”No " でなくて ”Know " なのか分からない。”Know "では、意味も妙だ。でも、『引き返さなければならない地点は知っている筈でそこを越えたらきっと後悔する地点。』って今は聞こえる。
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【2006/08/28 23:41】 | 環境総論 トラックバック(0) |
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