2008-02-17 00:02
 一般の人が環境問題を語る時、地球規模の問題に関してのデータは、それなりの機関が出したものを使います。対策も概して専門家が出したものを元に考えます。個人なり小さな組織では地球規模のデータの収集は無理でしょう・・・。
 そこで見落とされる問題は、データの精度、および”専門家”が出した結論の信頼性です。この事についてはあまり論じられません。・・・だから大衆操作もしやすいのです。その気になればデータの捏造も簡単でしょう。確認は困難でしょうから・・・

 データや対策の内容以前に、しかるべき機関が出した統計データがどのくらい信頼が置けるかという事に関しても、もっと考慮すべきでしょう。

 例えば、森林面積のデータのアバウトさについては、このあいだ言及致しました。
【森林減少に関する軽卒過ぎる楽観論】
 森林面積のデータは、森林の質に関してはほとんど考慮されていません。樹齢数百年の木々の生えている手つかずの天然林が皆伐されて、そこに苗木を植えた場所でも、同じ森林面積としてカウントされるのです。さらに火事などで焼けた森林も、伐採された森林も森林面積に計上されているのです。
 森林の質は面積に比べて測定するのは難しい事は確かです。現在取られているデータで最良の方法は原生林の面積データで考える事です。そして、その面積は明らかに減っています。この非常に価値ある原生林もみるみるうちに他の用途・・・価値の低い植樹された森林や農地、放牧地、道路、工業用地、住宅地に転換されています。
 公式に保護されている森林は、約3億ヘクタールしかないと言われていますが、その書類上保護されている森林でさえ、組織ぐるみで不法伐採が行われています。そしてその消失分はデータには反映されていません。
 このように比較的統計を取りやすいと思われる森林面積のデータでさえ、正確にはわかりません。公式な森林面積の統計データはかなりいい加減です。出される数字は毎年かわり、どの数字が正しいかも結論が出ていないのです。つまり、森林の消失状態は正確には分かっていない・・・と言うのが実態です。

 過去の地球の気温はもとより現在の地球の平均気温についても、データを取る場所は偏っているし、小さな温度計では、局所的な偏りもがデータとして取り入れられてしまいます。

 私は、過去の気温もCO2濃度も、かなりアバウトな胡散臭いデータで、異常気象や温暖化が語られていると考えています。

 以上、地球に関する統計データは結構当てにならないものです。その信頼性についての議論なしに、都合の良いデータが疑いをもたれず使われ、対策が生み出されているのです。・・・

 環境問題に対して、統計データは諸刃の剣です。
 統計データから、対策をしっかりしないと間に合わないという議論から、対策をしなくともまだ十分間に合うという議論まで、色々な意見が出されます。それに伴い予防原則も都合のいい部分では採用され、都合の悪い部分では無視されます。

 データが不確実だからと言って対策をしないでいいと言える根拠もないのです。

 そう考えると、統計データに頼らずに、身近なところで森林が伐採されている、生体系が壊されている・・・と言うことから地球規模の危機を感じ取る事もあながち間違った方法ではないでしょう。
 例えば、森林消失、生体系の破壊に関して、統計データが不確実だから、環境危機を煽ってはいけない・・・などと言ったら、かなり自然の摂理に対する洞察力が欠如していると言うべきでしょう。
 
 地球規模の統計データは信頼の置けないものが沢山ありますが、環境問題はかなりシビアな事は間違い御座いません。

・・・・環境問題に対する楽観的なデータは疑ってかかって、シビアなデータは尊重すべきだ・・・という主張になってしまいそうなので、このへんで止めておきます(笑) 
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【2008/02/17 00:02】 | 環境総論 トラックバック(0) |

信憑性が全てか
解死塚
いつだったか、「朝までテレビ」の生放送で温暖化問題について熱い議論が交わされるということがありました。
今や有名な国立環境研究所の江守さんなど、温暖化に詳しい人たちが集まっていました。
その中で私が特に耳に残ったのは、調査・研究方法の正確さ、用いた情報が最も新しいか否かという議論でした。
しかし、一番感動したのは、司会の田原総一朗さんが視聴者に分かりやすいように、視聴者の為の議論をしようとしていたこと。研究者たちはなかなか田原さんの思うような議論をしてくれてはいなかったような気がします。

その番組の中でアル・ゴア氏の「不都合な真実」についての議論がありました。批判ばかりで、あれはよかったという人は一人もいませんでした。研究者として間違った表現をすることがゆるせないという事でしょう。
しかし、「不都合な真実」により、どれだけの人の意識が高まったか、それだけの人の関心が高まったか、そちらを評価すべきなのではないのでしょうか。

北極の氷が溶けるから海面が上昇すると思っている人はまだまだたくさんいます。だからといって、それは間違っていると指摘する必要は私は無いと思います。温暖化問題に対して興味はあっても、知識はないひとはたくさんいる。しかし、温暖化問題が悪いことだと、頭の中では誰しもが理解していると思います。それで充分だと思います。
映画、本、テレビといった全てのメディアにおいて、間違った表現、あるいは信憑性の欠けた表現があったとしても、それが人々をエコに駆り立てるものであるならばそれでいいのでは無いかと思います。

まともで有効な対策の為に
雑草Z
    解死塚さん

 ちょっと記事の内容とはずれたコメントですが、お返事致します。

 確かにアルゴアは、アメリカの能天気な人々をはじめ、多くの環境問題に関心のない人々に環境問題に関心を向けさせたという意味で功績はあるでしょう。
 しかし、「不都合な真実」にも沢山の不都合な真実が見え隠れします。アルゴアの発言等は、環境問題を長年研究してきた人とは思えぬほど表面的で、環境問題の本質を分かっていない薄っぺらな環境論者に見えます。

 アルゴアをはじめとするCO2温暖化対策とCO2削減にばかり躍起になる人の明らかな功罪は二つあると思います。

 先ず、原発やCO2地下貯留のような、CO2温暖化よりも酷い環境汚染を起こしそうなとんでも対策・・・これは実質CO2削減にならないというよりも、さらなるCO2発生をも促すとんでも対策です。そして、放射能汚染など、もっとシビアな問題を起こします。

 次にCO2温暖化対策ばかりで、他の切実で重要な環境問題から目をそらせてしまう事・・・「不都合な真実」はこの典型かもしれません。

「不都合な真実」で環境問題に目覚めた子供達が、環境問題をしっかり研究、考察し、アルゴアレベルでは話にならない事を悟って、本質的な環境対策に取り組む・・と言う風に進めばいいのですが・・・。

>間違った表現、あるいは信憑性の欠けた表現があったとしても、それが人々をエコに駆り立てるものであるならばそれでいい

 こういう部分での間違いが判明すれば、世界にまだまだ沢山いる経済優先を叫ぶ大多数の人に「無責任に環境危機を煽るな」と言われ、経済優先、開発優先の口実にされてしまいます。言いたい事はわかりますが、間違った認識で誤った対策をしても地球環境は改善しません。   
 
 

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2008-02-13 00:02
 前回は、世の中に蔓延っている軽率な環境問題軽視論の中から森林減少について言及させて戴きましたが、今回も前回に引き続き軽率な環境軽視論に反論させて戴きます。
今回は、食料生産に対する楽観論について、特に食料の中でも基本となる穀物生産に絞って論じさせて戴きます。


 穀物生産に対する楽観論は、世界の穀物生産はずっと増産されている事を根拠にしています。例えば1950年から2000年までの50年間で世界の穀物生産高は3倍以上に増加しています。その間の人口の増加は2倍を少し上回るほどです。人口増加率よりも食料増加率は上まわっているから、世界の飢餓はなくなるだろうという楽観論です。
 FAOは、もし全て耕作可能な土地を食料生産に使い、土壌浸食などもなく、天候も良好で、管理も万全な状態で耕作すれば、途上国の食料生産高を現在の16倍に出来るなどという報告も行っています。
 でもそれは極めて楽観的な理想的な状態の元でのお話です。そんなに簡単にはいきません。そんな事はほぼ無理でしょう。
 でも、それでもまだましなほうで、技術によって、土地の収穫率は無限に上げられるような事を述べている本なども存在し、売れてます。無限の収穫率なんて、疑いを持たないほうが変です。それだけで信頼出来る筈がありません。
 実際現在の食料は、全世界の人に適切に供給する事は理論上は可能です。しかし、それは、穀物を家畜のえさに回さず、かつ収穫から消費までの間に腐ったり害虫にやられて食えなくなる分がないとした場合です。
 実際には、収穫後に損失する穀物は10〜40%もあり、食料の配分は公平というにはほど遠く、貧しい人々を飢えさせてまで肉を食べるための家畜のえさになるのです。当然、10kgの穀物を食べた家畜の肉は1kg分にしかなりません。
ここ20年ほどは、穀物増産率は、人口増加率も下回るようになってきました。つまり、人口一人当たりの穀物生産は1985年をピークに少しずつ減少しているのです。

 統計データに現れた表面的な事だけ読んでいては話になりません。

例えば、世界の作付け面積は15億ヘクタールで、ここ数十年ほとんど変わっていません。それに対して、地球上の耕作可能な面積は20〜40億ヘクタールあるから耕地面積を増やして増産すれば大丈夫なんて楽観論が本やネットを駆け抜けるから始末に負えません。確かに食料増産分のほとんどは、農地の実質的な拡大ではなく、収穫率の向上によるものです。
 だからと言って、耕地が維持されているのではないのです。かつて生産力があった土地が、浸食や塩害、都市化、そして砂漠化によって失われて、それと同じくらいの新たな耕地が森林伐採などによって生み出されているのです。耕地に転換できる土地の面積は年々縮小しているのです。耕地の土壌の質の低下を補う為に化学肥料でドーピングして、収穫率を維持した上げたりしていますが、そんなものは問題の先送りでしかなく、問題をより深刻にするだけです。


 以上のような議論もしないで、表面的に統計データを捉えて、世界の穀物生産は増えていると楽観論を展開することは、軽卒というものでしょう。その軽さには、しっかりした洞察など微塵も感じられません。こんなレベルでよくもまあ環境問題を楽観視出来るものです。

 環境問題の本質を見極められない、すぐ流されてしまう土壌のような薄っぺらな似非楽観論を展開し、「環境危機を煽ってはいけない」などとのたまう輩は愚かで無責任です。
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【2008/02/13 00:02】 | 環境総論 トラックバック(0) |

お久しぶりです。
坂番
春休み、考える時間にしていきます。

理論上、地球で生産される食物で世界中の全ての人へ最低限の供給が可能という事ですが、現在それが出来ていないのは、それを実現する為のシステムが無いと言うことと、それを妨げるニーズがあるということかと考えます。
理論上は可能でも、結局世界はそんなことをする気はないのではないのでしょうか。
自分の身は自分で守らなければならないのだから当然と言えば当然か・・・

それを考えると、その理論は飽食という状態に“後ろめたい”と思う気持ちを払拭する為のバックグラウンドでしかないのではないかと思っていまいます。

ま、食料自給率39%の日本、高級和牛なんて食べてる場合なのかと思いますね。




春に、沢山考えてください。
雑草Z
     坂番 さん

お久しぶりです。・・100年振りくらいでしょうか?

>それを実現する為のシステムが無いと言うことと、それを妨げるニーズがある

は、その通りですね。

>結局世界はそんなことをする気はない

という事は、世界を牛耳っているいわゆる先進国の為政者達にその意思がないという事でしょう。ならば、人口を増やさない方向に行かなければかなり危険です。結局政治家のほとんどは、ほんの目先の事ばかりしか考えていないという事です。

 日本人は人ごとのように言ってますが、ここにも頻繁に書いているように、食糧危機はすぐそこまで着ているでしょう。日本の食料政策は本当に愚策です。
 自給自足はこれからの独立国家の基本でしょう。道路特定財源なんてやってる場合じゃないです。

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2008-02-09 00:02
 最近、人々の環境問題に関する意識は高くなってきている(まだまだ話にならないレベルですが・・・)一方、「環境危機を煽ってはいけない」なんて本も流行っていて、環境問題に関する楽観論も論じられています。その手の本も沢山発行されています。確かに環境問題に対する認識や対策方法はとんでもないものが沢山あり、改めるべき部分も沢山ありますが、環境問題自体は、かなりシビア−なもので、楽観論を語っている余裕はないでしょう。
 それぞれ個別の環境問題で、安心出来るものがあれば安心したいものです。まだまだ大丈夫という裏付けがあれば、それはそれで結構です。
 だから、そういう環境問題に対する楽観論を書店で立ち読みなどもしたものですが、あまりの軽率な議論にがっかりするとともに、怒りも込み上げてきます。 買う価値がない本ばかりです。よくもまあこんな薄っぺらな内容の本を恥ずかしくもなく書くものです。そんな軽率な環境軽視論にいちいち目くじらを立てて反論しても時間の無駄だとも考えていたのですが、こんなとんでも議論を真に受けて、環境問題など大した事ない・・・という風潮は後を絶ちません。それが一種、ファッション化していて危険なので、ちょっと論じてみようと思います。

 環境楽観論と言っても様々な分野がありますが、とりあえず、森林減少に関する楽観論について、反論させて戴きます。彼らは統計データを一面的に捉えて、楽観論を展開しています。しかし、この楽観論には、しっかりした洞察など微塵も感じられません。こんな表面的なデータをかじったレベルで、よくもまあ環境問題を楽観視出来るものです。

×××× ×××× ×××× ×××× ××××
 
 統計データによると世界の森林の減少率は、年間たった0コンマ数%だ(0.7%とか)という楽観論があります。・・それでも十分に脅威となる数字ですが・・・。一時の乱伐は減って、植林も増え、このペースで植林が進めば森林は増加に転じると期待出来ると言う楽観論もあります。・・・本当にそうなら嬉しいのですが・・・
 森林の統計データもかなりいい加減です。例えば、1999年に出されたFAOの評価によると、森林の年間消失速度は、年間1130万ヘクタールという数字が出されていますが、それは農業や放牧、道路や居住用に転換した森林だけです。伐採された森林も山火事で燃えた森林も森林として計上されています
 天然林が伐採されて、集約管理型の植林に転換されていますが、天然林の森林の密度や生態系の多様性は同じ面積の人工林に比べて遥かに大きいのです。多くの国が発表している森林面積のデータにはこの違いを区別していません。天然林の伐採後に苗木を植えたばかりの土地も、同じ森林面積として統計データに載るのです。

 確かに1993年のFSC[森林管理協会]の設立など、健全で持続可能な森林管理の取り組みはなされています。
 しかしまだこの取り組みは持続可能な林業にはほど遠い状態です。

 地球全体では、森林消失は増えていて、残っている原生林は消失しつつあり、まだ残っている森林の質も劣化しているのです。

 こんな議論も出来ないで、表面的な公式データで、森林消失は年間たったの1130万ヘクタール(これだって多過ぎです。十分に脅威です。)だとか楽観論を言ってる人間に環境問題の本を書く資格はないでしょう。
 環境問題の本質を見極められない似非楽観論者に騙されないように・・!!!。
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【2008/02/09 00:02】 | 環境総論 トラックバック(0) |

砂漠の宗教
田中敬三
岸田秀さんと小滝透さんの対談本(『生きる幻想 死ぬ幻想』)を読んでいたら、小滝さんが、ヨーロッパでペストが大流行したころのことを語っていました。↓

……さらに森林伐採には宗教的な意味もあって、森を残しておくと、土着的な精霊信仰が生き残って、異端や異教が生まれるので、キリスト教を広めるという意味でも、森林を伐採した、そうしたらフクロウとか蛇とかがいなくなって野ネズミが大発生し、それにペスト菌を持ったノミが寄生したので、大流行を引き起こしたのです。……

うっそうと繁る森林を見ると、「こんなもの」と、敵意のようなものが湧いてきて、明るく切り開かないではいられなくなるような心性があるのかなー、と思いました。

キリスト教の独善
雑草Z
    田中敬三さん

>土着的な精霊信仰が生き残って、異端や異教が生まれるので、キリスト教を広めるという意味でも、森林を伐採した

 とんでもない奴らですね。キリスト教徒は選民思想の塊でしょうか?この排他性は、世界を征服するまで終わらないのでしょうか?

>うっそうと繁る森林を見ると、「こんなもの」と、敵意のようなものが湧いてきて

と言うのが彼らの開拓者精神[Frontier spirit]の本質かも知れませんね。
 Frontier の本来の意味は「アメリカ先住民の掃討の最前線」という意味だといいます。
 だから開拓者精神[Frontier spirit]の本来意味するものも異民族、異宗教者の掃討・・・
 かつて白人のキリスト教徒は、船に乗ってやって来て、巧みに近寄って、ある日突然牙を剥く・・・他民族にとっては悪魔だったのでしょうか・?。
 

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2008-02-05 00:01
 エコロジカル・フットプリントなどの観点からも、人類活動は1980年代に持続可能なレベルを超えて、現在は20%ほどオーバーしていると言われます。
つまり、例えば再生可能な資源・・森林だとか水産資源だとかの消費量が再生量を20%ほどオーバーしていると言うことです。
 私はこの手の数字はあんまり信頼していません。持続可能なレベルをオーバーしている量は、5%かも知れないし、50%かも知れません。定義の仕方によっても変わるでしょう。しかし、オーバーしていることは明らかです。実際に森林面積は減っています。水産資源も枯渇に向かっています・・既に枯渇してしまった漁場も沢山あります。

 そんな議論に対して、色々な限界はまだまだだと言う見解もさまざまな方面から出されています。産業界から発信されたり、政府や国際機関、研究所から発信されたり、「環境危機を煽ってはいけない」なんて軽率な本を書いている連中も盛んに述べています。比較的中立な立場の研究者からも発信されています。

 例えば、
漁業資源も森林資源も、適切に管理すれば現在のレベル以上に供給可能だという研究報告も沢山あります。農業に至っては、まだまだ十分に増産可能だから、 現在の人口より遥かに多い人間の食料を生産出来るなどと強気の見通しも出ています。・・確かに当たっている議論もあるでしょう・・・適性に管理されれば・・・・
 その結果、世界の人口もまだまだ増えても大丈夫、100億人くらい十分に養うことが出来るなどと言う研究も溢れています。
 人口問題は、単純に数だけではなく、  (人口)×(一人当たりの消費量など)
 つまり全消費量が問題になる筈です。
 兎も角、限界はまだまだだと言う強気な意見があるわけです。人口が増えても技術で何とかなると言う楽観論に溢れています。
 まあ、多くの経済界や財界人の発想のように、限界の概念のないものと比べればずっとまともな議論なわけですが、これらの
「限界まだまだ説」   に対して私が言いたいことは
「限界に挑んでどうするの?」     と言うことです。
 
 地球規模の限界に関する情報は、かなり不確実です。地球自体の様々なデータも揃っていません。未知の部分も沢山です。それなのに予測なんて出来る訳は御座いません。
 例えば石油の枯渇の予測なんて、20世紀の中頃はあと30年と言われていて、それから何年経ってもあと30年前後で減りませんでした。もう何十年も前に枯渇するという予測だった筈なのに、現在も枯渇までは50年とか言われています。かなり研究されている、ただ埋蔵しているだけの石油ですらこのありさまです。まして動きのある再生可能な資源の予測なんて、かなりいい加減なものでしょう。そこをごまかすためにも逃げ口上の為にも、「適正な管理がなされた場合」と言う条件がつくのでしょう。(勿論、適切な管理は必要ですが・・・)

 世界の人口が60億を超えたと言うだけで十分危惧に値する人数だと思います。世界の人口は、有史以来ずっと増え続けています。一万年前は世界の人口は1千万人ほどと推定されています。2000年前の西暦の始まり頃で1億人、200年ほど前の19世紀初頭で10億人。それが21世紀初頭で60億人です。もうどこもかしこも人間だらけです。
 特別な昆虫とか微生物は別として、ある程度大きな動物、例えば哺乳類とか鳥類、爬虫類、あたりで、産業革命以降増えた動物なんて、人間とその食用の家畜類くらいではないでしょうか?地上にこれ以上何人の人口が養えるかなんて、誰もはっきり分かりませんが、人口増加は意識的に止めなければ危険極まりありません。

 不確実な限界が示されて、だからとそのキャパぎりぎりの限界まで増やして行こうと言う発想は非常に危険で愚かです。何事も余裕が大切です。


 船でも電車でもバスでも飛行機でも可能なぎりぎりの人数が乗ったら、能率がいいのは、(事故が起きなかった場合の)経営会社にとってのみです。座れる席はみんな座って、立っても沢山乗って搭乗率200パーセントなんて言ったら、乗っている人達も苦痛だし、運転の制御も難しいと言うものです。余裕をもって座れるくらいの乗車率が快適でしょう。

 もしもその限界に対する推測が正確だったとしても、各要因には揺らぎがありますから、限界ぎりぎりで押さえていても、限界を超える危険性はかなりあります。
 限界ぎりぎりと言いつつ、実際は限界を超えていて崩壊が始まったら取り返しがつきません。崩れはじめたら制御不可です。

 海の魚も、森の木も、人間に利用出来るぎりぎり限界量まで利用してやろうと言う人間の欲望は異常というべきでしょう。人間の利用の為に存在している訳でもないし、そんな事考えているから、実際には持続可能量を超えてしまうのです。

 分配の不公平の問題を解消すれば、人間は物質的にはもう十分です。これで十分でなければ、どこまで行っても十分じゃないでしょう
 
 もう既に限界を超えているという研究結果は十分正しいとは思いますが、もし幸いにもまだ限界に達していないとしても、まだ大丈夫だとかそんなを言って、限界に挑戦することは愚の骨頂と言うべきでしょう。限界を超えればストックが減るだけで、ストックがなくなれば破局です

 限界を議論することは大切な事ですが、まだ限界に達していないからまだ成長、開発、増産可能だと言う議論は、最高に危険で、結局限界を超えて破局をもたらすでしょう。

 既に持続可能な限界を20%超えていると言うのが一番確からしい見方でしょうが、それも確実ではありません。だからといって、たとえまだ限界に達していないとしても、さらに経済成長を続ける事がどんなに愚かな事か、みんな気付くべきでしょう。

 持続可能な限界に挑むなんて馬鹿な発想はやめるべきです。余裕があるうちにストップするのが賢い人間の知恵の筈です。

 限界に挑んでどうするのでしょうか
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【2008/02/05 00:01】 | 環境総論 トラックバック(0) |

なるほど
サイケデリックパパ
限界に挑もうとしているのは、この体制がこのまま続くことを願っている
「我が世の春」を謳歌している大金持ち達なんでしょうね。
で、限界に挑んで欲しいと願っているのは、それにぶら下がっている人達。

金持ち達は最後の最後まで金の力で生き延びようとするでしょうからね、
彼等にゃ畑仕事なんてあほらしいだろうし。
地球が駄目になっても金持ちは残り、お金の力でそれを乗り越えようとす
るんでしょうねえ。一度悪魔に魂を売って楽しちゃうとね、なかなかそこ
から出ることが出来ませんからね。
そんだけ人類が人をモノのように使ってお金を得て、それで生きて行ける
システムっていうのはすんごい発明だったって訳なのかもしれなくて。
でも、その発明によって自分で自分の首を締めてしまうのが、今の世界っ
て訳でして。

まあ地球がどうなろうが、我々個人はそれに合わせてなんとか生き延びねばならない訳でして、だからさみんな北海道においで!(笑
こっちは温暖化で最近はかなり住みやすくなってきとるよ。(夏がちょっと
暑いけどね..笑)

金はねえけど食い物や水、森なら沢山あるよ〜。原発はあるけどよ、泊だけだからさ東に逃げればなんとかなるべさ。




個人的には…。
ハイパーポン太
 石油枯渇に関しては、私はおそらく100年単位ではないかと思っている。いや、確実な証拠があるかといわれるとそうではないんですが。
 日本の少子化現象を見ていると、おそらく70億人くらいで、人口増加は頭打ちになるのではないでしょうか。その後減少の方へとベクトルが向けられる。経済が発展し、物には充足感がある日本人。いまでは少子高齢化は進む一方で、発展途上国のように多産というのはまれ。ただし、発展途上国も安定してくれば、日本のようにだんだん少子化に向かうとみられる。要するに、少子化が進むことでの減少です。かつての大戦争のような殺し合いによる減少は、多分そうないんではないか?と思います(局地的な戦争はありますがね)。
 そこから、世界の国々の力も平衡化していくんじゃないかなぁと、漠然と思っております。
 一番いいのは、世界が「江戸化」することですが、完全な循環型社会は、おそらく不可能。アルミ缶は「電気の缶詰」と呼ばれるくらいだから、リサイクルはかなり有効らしいですが、ペットボトルのリサイクルは、物質収支的には成り立ちうるが、エネルギー収支的にはマイナス面が多い。しかも劣化が激しいから、質が悪い者は皆、中国の人民に二束三文で売り払うことに。
 だから、循環できるものは循環し、消費量はなるべく抑える…というか、その頃になれば、多分ものに関する欲望も、かなり抑えれられているんじゃないかと、人類。否応なしに、消費が減少方向に傾いていくんじゃないかなぁ。
 そのきっかけは、やはり石油…なんだろうか。

行き過ぎからの破局は止められない
雑草Z
    サイケデリックパパ さん

 そう、全くおっしゃるとおり、
>限界に挑もうとしているのは、この体制がこのまま続くことを願っている「我が世の春」を謳歌している大金持ち達
 
 でしょうね。もうこれ以上儲けても、幸福感はあんまり変わらないでしょうが、財産を増やしていく事自体が目的になっていますから・・・他の事を冷静に見つめられないのでしょうね。

>地球が駄目になっても金持ちは残り、お金の力でそれを乗り越えようとするんでしょうねえ。

そう、そして、地球が駄目になっても生き残れると勘違いしているから質が悪いのです。
 彼らの巨大な、しかしちっぽけな財産で買えるものは、
最後に滅びる権利・・・他の人々よりほんのちょっとだけ生き延びる権利という事がわからないのです。
 愛だとか信頼だとか人望だとかはお金では買えないと云われていても・・実際には買えるじゃないか!?・・と思っている彼らは、地球の人間が住む環境が破壊されても自分達の住む環境もお金で買えると思うほどの拝金主義で、理性を失っているのですね。
 例えば世界で核戦争が起こったとして、核シェルターを自宅に持っていて、非難すれば生き延びられると考えるのはかなり浅はかと云うべきでしょう。シェルターの中でじわりじわりと苦しんで死ぬだけでしょう。
 現在の持続可能なレベルからの行き過ぎが続けば、破局=カタストロフィーが始まるでしょう。そうすればもう人間の手には負えません。そこのところを馬鹿な拝金主義者は分かっていないのですねえ。そして、自分達だけは生き残れると信じて環境カタストロフィーを起こしてみんな巻き添えに滅んでしまいます。
 生き残るかどうかなんて、ほとんどみんなサイコロをころがす程度の確率論で、金持ちでも、いかさまサイコロは手に入れられないでしょう。
 
 破局が始まる前だったら、北海道はかなりいいかも知れませんね!!
  

きっかけが石油の枯渇じゃ遅すぎる!!
雑草Z
    ハイパーポン太 さん

 石油の枯渇、または大きな不足から、
>否応なしに、消費が減少方向に傾いていく

という考え方は、ある意味極めて妥当でしょう。主流の考え方かも知れません。しかし、そこまで環境圧は破局を待てないでしょう。まして、ハイパーポン太さんの考えるように、100年単位などという余裕はありません。
本文に書いたように、既に持続可能なレベルからの行き過ぎが何年も続いていて、資源のストックも廃棄物の受け皿も、底を突き始めています。
 行き過ぎからの破局がはじまれば、人間に止められるものではありません。経済も工業生産も人口もまとめて、制御不可能な崩壊・・つまり文明崩壊を始めるでしょう。
 エネルギーの問題より深刻な問題は沢山在ります。
森林破壊、食料不足・・・
それらがトリガーになる可能性が高いでしょう。


saver
限界に挑んでどうすんでしょうか??
大賛成です!!!

限界に挑むとは命がけ!
雑草Z
     saverさん

はじめまして、賛同のコメントは有り難う御座います。

 地球の生態系の命をかけて限界に挑むのは、愚行以外の何ものでもないでしょう。
 

エコロジカル・フットプリント
ハイパーポン太
 このままでいけば、確実に地球のキャパシティを超えるかなあというのは、多分みんなが漠然と感じていることだろうと思う。しかし、エコロジカル・フットプリントなるものが、どこまで客観性がある指標なのかは、私にはわからない。

 ただ、石油枯渇否定論者にしてもそうだが、石油枯渇論が、彼らの言うとおり幻であったにせよ、今のままの資本主義が進めば、貧富の格差は広がっていくのは当たり前だし、環境も否応なしに悪化する。
 
 たとえば、中国を見てみるがいい。実際に文化的な生活をしているのは、せいぜい一億足らずだといわれている。つまり、それ以外はほとんど貧民層か、そこまで行かなくても中の下くらいの生活を強いられている人民ばかりである。

 これがもし仮に、先進国並みの生活を13億の人民が行うようになったとしよう。仮に石油が「無生物起源説」が正しくて、全く枯渇することがないとしても、一度に掘り出せる石油量には限界があるし、需要と供給のバランスから考えたら、結局石油の需要に供給が追い付かなくなることは必至である。

 また、環境破壊も深刻だ。現在でさえ、中国発の環境汚染を「環境テロ」とまで位置付けている論客もいるくらいである。これが13億全体に拡大したら、どうなるかは想像するに難くない。

 仮に、中国発の環境汚染が地球のキャパシティで何とかできるレベルだとしても、やはり今以上の異常気象やそれ以外の人体への悪影響は避けられないだろう。

 結論として、人類が持続可能型社会に移行するためには、ラビ・バトラが言うところの現在の「掠奪的資本主義」の崩壊、およびアメリカと中国の覇権の終焉が必要不可欠となるだろう。

 アメリカの覇権はあと15から20年くらいで終わるはず。一極集中の場は、北京オリンピックや上海万博を経て中国に移行するだろう。だが、その覇権が終焉するのも、それほど遠いことではないのではないか。おそらく、2050年前後に、今のような軍事大国を維持することはできなくなる可能性が高い。もちろん、それまでは台湾に武力進攻したり、日本へは親日政治家を通しての「平和を前提とした」侵略行為、アメリカのチャイナ・ロビーへの働きかけなどを積極的に行い、海外に向けては「13億の市場」という甘い餌をちらつかせて、実に老獪な中国らしいやり方で、世界の覇者を目指す可能性が高い。

 北京オリンピックや上海万博の熱に浮かされていた世界の人々も、いい加減その頃になれば、中国という国の本質に気づくだろうからだ。軍事力を背景に、恫喝を繰り返し、現在でさえ利己主義のためになりふり構わぬ行動を行っているなどを見れば、さすがにその時の投資家や富裕層も、この国が近代的な国家だとは思うまい。実際、19世紀の国といっても過言ではないだろう。まさかその頃になってまで、「13億の市場」などと騒いでいられるとは思えない。

 結果、世界平和への移行に必要な条件をまとめると、
1.唯物論的世界観の終焉
(これは現代科学に何らかのパラダイムシフト(特に脳科学や量子力学など、意識に関係してくるもの)が起こるか、あるいは科学以上の価値観を人類が見いだせるかによる)
2.アメリカおよび中国の覇権の終焉
(これは上で説明した通り)
3.掠奪的資本主義の終焉
(プラウト主義、ないしはそれを発展させた新たな経済学。一番可能性があるのが、社会主義と資本主義のハイブリッド+α)
4.文明と自然の共存
(これはどちらかに偏り過ぎていてもダメ)

 これが私が予測する未来像である。たぶん、21世紀は中国とアメリカに振り回されるだけの世紀に終わりそう。


>世界平和への移行に必要な条件 ですか? >予測する未来像ですか?
雑草Z
    ハイパーポン太さん

 いきなり文体が変わって違う人が書いたように感じます。

 覇権国家がアメリカから中国に移ると言うのは可能性の高い予想です。
 書いてあることが、
>世界平和への移行に必要な条件
 なのか
>これが私が予測する未来像である
のか不明瞭ですが
 経済学、国際政治学(よくわかりませんが・・)などからの発想としては、かなり的を突いた的確な予測と言われるでしょう。きっと・・。
 しかし、このような予測に大きく欠如していると思われるものは、環境問題のファクターの大きさです。成長の限界の影響の強さが十分に含まれていません。
そういう意味で、国際政治学者などの未来予測は、かなり外れていくと考えます。

>21世紀は中国とアメリカに振り回されるだけの世紀に終わりそう。
 
は、ご自身の予測と矛盾しませんか?アメリカの覇権は20年くらい、中国も2050年頃に衰退を始めると言う予測では?。

 21世紀中、中国とアメリカに振り回されるだけの世紀に終わりそうなら、その前に世界が終わりそうです。 
 

そうか!
ハイパーポン太
 ご指摘の箇所ですが、21世紀前半はと書けばよかったと思います。
 うーん、自分で書いていて突っ込みどころ満載の文章です。まあ、私の予測する未来像ということで、理解していただければと思います。
 文体の変化は…特に意味はないです。というわけで、何となく偉そうになってしまったので、元に戻そうと思います。ははは。
 世界平和の条件は、参考までにということで。

もう一度
雑草Z
 ハイパーポン太さんの 2/12 のコメント
「エコロジカル・フットプリント」読ませて戴きましたが、
読み応えのあるコメントでした。それほど突っ込みどころがあるわけではないと思いましたが、大きな突込みどころがありました。それは、タイトルです(笑)どう考えても、エコロジカル・フットプリントについては、はじめにちょっこっとついで程度にかいてるだけで、やはり、
「21世紀の予測&世界平和への移行に必要な条件」ですよね。
 >世界平和への移行に必要な条件を改良すると、
 「持続可能な社会への移行の必要条件」に出来そうです。 これらの条件は、興味深いですね。
3.掠奪的資本主義の終焉 ・・は本当に必要条件ですね。この掠奪的資本主義こそ世界を破局に導く大きな牽引力でしょう。
1.唯物論的世界観の終焉・・は、本当にユニークな発想です。大切な事かも知れません。
2.アメリカおよび中国の覇権の終焉・・のあとは、多極主義の方向へ向かうと考えますか?

石油「無生物起源説」が正しいとして、枯渇しない理由は何なのでしょう?地球内部でそんなに早く炭化水素が合成されるシステムは予測しにくいですね。・・・でも、あの黒い油分の石油が生物紀元説と考えるのも釈然としない感じはしています。

×××× ×××× ×××× ×××× ×××× 
 
 ハイパーポン太さんは、以上のような知識を本ではなくネットで得るのでしょうか?

実は…。
ハイパーポン太
 政治学に関しての知識は、井沢元彦「中国 地球人類の難題」や「そして中国の崩壊が始まる」、後は小室直樹「痛快!憲法学」そしてラビ・バトラ著作を数冊(今手元にはないですが)、後は「中国がひた隠す毛沢東の真実」、「共産主義が見た夢」、「ヒトラー共犯者(まだ上巻を読んでいる最中)」、「スターリン秘録」などでかき集めましたが、まあ、偏っているといわれれば、言い返すこともできません。左翼系よりも保守系の方ばかりですね。上の本を見れば。

 後は、エコロジーに関しては、こちらについてはネットによる情報収集が主になっております。「石油無機物起源説」に関しても、ネット上で知りえたものですが、でも主流派と呼べるとは言えそうもないですねぇ。どちらかというと、それこそ「疑似科学」に類するんじゃないかと個人的には思っておりますが、まあ無視することもないだろうと思ってあえて入れてみました。常温核融合だって、今じゃあ主流の科学者も認めているし、何が起こるかわかりませんから。

 結局、「石油無機物起源説」は、ロムボルグ(でしたっけ?)みたいな経済成長主義者には受けがいいみたいですが、どうなんでしょうね?私としては、「生物起源論」の方が的を得ている気がするのですが。

 私は、エコロジーに関しての知識はさほどではないので、もう少し勉強しようと思っております。

 多極主義というか…いずれ世界は均衡していくのではないかと漠然と思っておりますが、はっきりとした根拠を示すことは無理です。

なるほど・・。
雑草Z
    ハイパーポン太さん

政治学に関しては、随分勉強されてますね。私は、それらの本のどれも読んだ事がないばかりか名前すら知りません。

>偏っているといわれれば、言い返すこともできません

との事ですが、そんな事はないと思います。好きな分野からどうぞ・・・自分の趣味や教養の部分で、偏らずに満遍なく・・なんて事いう奴には、余計なお世話と言うべきでしょう。

 確かにハイパーポン太さんは、政治経済、近代史などと比べ、環境問題や自然科学にはちょっと疎いですね。(笑)

 「石油無機物起源説」は、私の愛読している槌田敦さんの本に書いてあったので、興味を持っていました。ブログ<自然の摂理から環境を考える>でも取り上げられた事がありました。さほど「疑似科学」に類するとは思いません。それよりも、社会が、「石油有機物起源説」を定説として受け入れていますけれど、本当にもう確定した定説としていいかどうか疑わしいと考える機会を戴いたと考えます。・・ただ、「無機起源」だから枯渇しないとは言えませんね。実際に無機起源の地下資源は殆ど全部枯渇するものですから、どちらかといえば、「有機起源」のほうが再生するのではないでしょうか?
 地球内部でどんどん生産される・・・という事なのでしょうかね?

 それよりも疑似科学なのは常温核融合だと思いますよ。

>常温核融合だって、今じゃあ主流の科学者も認めている

って、今さら誰が認めてるんでしょう?常温核融合なんて既にほとんど相手にされていないと思いますが・・・
仮に常温核融合が起こっていても、莫大なエネルギーを出す事は観測されていないわけですから、役に立ちません。
「常温核融合」のほうが、「石油無機物起源説」よりももっと似非科学だと思いますが・・。

>いずれ世界は均衡していく

と云う考え方は主流な考え方の一つかと思いますが、その前に
 世界の社会が破綻していなければ・・・・
という条件がつきますね。まあ、世界がみんな破綻していれば、完全に均衡だともいえますね。・・・ブラック・ジョークになってしまいます。 
 

いや、常温核融合に関しては…。
ハイパーポン太
 私も驚いたのですが、実は常温核融合が実際に確認されていることが、常温核融合のWIKIPEDIAに掲載されております。

 以下が引用文です。

 しばらく疑似科学扱いされてきた常温核融合だが、2005年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校で常温核融合から(検知可能と言う意味で)有効な熱エネルギーの発生が確認された。動力源として期待できる熱量ではないが、常温核融合は将来の可能性を残した。
              常温核融合 WIKIより引用

 まあ、確かに期待できるだけの熱量ではないんですが、UCLAでさえ、現象そのものは確認しているし、かつて疑似科学呼ばわりされていたことがまるで嘘であるかのように、再び注目を集めている模様です。しかも再現性はほとんど100%だとか。
 もちろん、これが将来のエネルギー源となるとはまだ言えませんが、UCLAさえも認めたということから、まんざら疑似科学といえなくもないと思います。

また連続投稿に。
ハイパーポン太
 また連続投稿となりましたが、どうも、常温核融合に関しては、水野忠彦氏が国際的なPreparata賞を受賞されているようですね。
 また、UCLAの実験に参加したセス・パターマンという博士は、エネルギー生成法としては十分とは言えないが、この方法は石油採掘業や国の安全保障に利用できるのではないかと語っております。
 この部分を持って、主流の科学者たちも認めざるを得ないと語ったわけです。
 確かに、エネルギー量は大したことはありませんが、将来、詳しい原理が解明されれば応用次第ではそれなりに発展させることも可能であると語る科学者も出始めておりますし、今後の技術革新次第でどう化けるかはまだ不透明と言って差し支えないでしょう。
 まあ、これが世界規模のエネルギー源となりえるかといえば、それはちょっときついんだけどね…。

なるほど・・その2
雑草Z
 今、そんな状態になってるのですか?・・・
核融合は、プラスの電気を帯びた原子核同士をぶつけなければならないので、かなりの高温(=大きな運動エネルギー)が必要だと考えていましたが・・・理論より実験が先に来て、理論は後から出来るというやつでしょうか?

>(検知可能と言う意味で)有効な熱エネルギーの発生が確認

核融合しても、たったそれだけのエネルギーと言うのは笑えますね。実用性あるんでしょうか?

>石油採掘業や国の安全保障に利用できるのではないか

って凄い話ですね。どういう事でしょうか?怪しさぷんぷんです。

実用性と理論はこれから…。
ハイパーポン太
 おそらく、まず先に理論の解明から始まり、それからエネルギー工学などへの応用になるんではないでしょうか。今のところ、せいぜいが「(検知可能と言う意味で)有効な熱エネルギーの発生が確認 」程度でしかありませんが、この常温核融合に携わった多くの科学者たちが、常温核融合の将来性を見越して取り組んでいるのは間違いないようです。
 もちろん、「所詮常温核融合で取り出せるエネルギーなんて大したものではない」というのが最終的な結論だったとしても、今はまだ理論すらできていない状態ですから現段階では否定し切ることもできないようですね。
 もっとも、1990年代前後(疑似科学呼ばわりされていた時期)には、投入した以上の熱エネルギー量が検知されたという話(33件)もあったようですし、より詳しい追試がこれからなされていくのは間違いないでしょう。

かなり眉唾な可能性もあります。
雑草Z
    ハイパーポン太さん

>常温核融合に携わった多くの科学者たちが、常温核融合の将来性を見越して取り組んでいる

 との事ですが、補助金目当てと言う事もままあることです。

>石油採掘業や国の安全保障に利用できるのではないか

 に感じた怪しさについてもう少し言及させて戴きますが
「国の安全保障」とは、軍事利用という事でしょうか?それなら危険極まりありません。ウランやプルトニウムの核分裂による原子爆弾ではなく、核融合の原子爆弾(水素爆弾)ですから・・・でも

>(検知可能と言う意味で)有効な熱エネルギーの発生

ならば、しょぼいですね。TNTよりも威力がなかったりして・・・(笑)

石油採掘業への利用って、どういう事なのでしょうか?・・とんでもない方法か、危険極まりない方法に感じるのですが・・・  

結局のところ
ハイパーポン太
 残念ながら、現時点では管理人様のコメントに足する有効な回答は見いだせません。それはおそらく、常温核融合の研究に携わっている科学者たちも同じことでしょう。

 私がなぜ常温核融合を取り上げたのかといえば、かつて疑似科学扱いされていたものも、その後正当な科学の一部として認められるようになったという実例を示したかっただけです。極端な話、常温核融合でエネルギー問題が解決するとは思っておりません(しかし、全く無意味とも思っておりません)。すなわち、問題にしている個所がずれているのだと思います。私にとって重要なのは、「かつて疑似科学扱いされていた常温核融合が、微弱なエネルギー量とはいえ、検知され、認可された」という部分です。エネルギー量がどうのこうのというよりも、そういう現象自体が確認されたことこそが重要なのです。それがエネルギー工学的に重要な要素になりえるかどうかは後から調べればよいことだ。それをこれから科学者たちが研究し、結論を出せばいい。

 錬金術を例にとってみましょう。今じゃあ錬金術はさすがに不可能でしょうが、でも、錬金術を研究し続けた者がいたからこそ、今日の化学の発達があるのは、誰も疑わないと思います。結局、錬金術そのものが失敗でも、そこから派生した化学は人類に大きな進歩をもたらした。

 私は常温核融合も、それに近いものではないかと思っております。少なくとも、現在までの化学のありようならば、当然ありえないのが常温核融合です。しかし、現実には確認されてしまった以上、そこからもしかしたら、新しい理論や発見があるかもしれない。要するに、本家(たとえば先程の例ならば錬金術)の方でエネルギー源としては不向きという結論が出ても、そこから派生した新しいものに、科学の進歩を促す何かがあるのかもしれない。私はこれこそが重要なのではないかと思っております。
 
 詳しいことは、WIRED VERSIONの2007年8月27日に掲載されております。題名は、「常温核融合会議、MITで開催」というものです。もちろん、今後の追試によっては、また間違いだったという結論も、ありえなくはないですが、それはその時に判断すればいいことです。今の時点では、疑似科学と笑って済ませておけばいいようなものではなくなってきたというわけですね。

疑似科学でなくとも・・。
雑草Z
    ハイパーポン太さん

 常温核融合に関しては、疑似科学でなくなった可能性についてはわかりました。その上で質問しているのですが(上のコメントで2回)

>石油採掘業や国の安全保障に利用できるのではないか

とは、どういう事か教えてください。非常に怪しいと感じたもので・・・。是非とも知りたいのです。お答え下さい。


 それから、錬金術の例は、やはり疑似科学というべきですね(笑)まあ、核融合や核分裂の核反応で金でないものから金を作り出す事は、理論的には可能でしょう・・。
 さて、同じように常温核融合を捉えるのは危険でしょう。
常温核融合でなく普通の核融合の場合、反応を閉じ込めるのも難しいほどの高熱になるのです。核融合の実験は、エネルギーやお金の浪費であるばかりか非常に危険です。核融合は、一応放射能は出ない事になっていますが・・・例えば水爆はそのあまりの高温状態を作って、核を衝突させる為に、ウランなどの核分裂反応(いわゆる原爆)を先に起こして、それを起爆剤にするのです。
常温核融合はそれ程危険ではないでしょうが、・・エネルギーを殆ど出さないなら、人畜無害に近いかも知れません。(笑)核反応は、人間が手を出すのは控えるべきパンドラの箱だと思っています。
 
>疑似科学と笑って済ませておけばいいようなものではなくなってきた

とも言えるでしょうが、
 危ないから近づかないほうが賢明かとも感じます。

  

この点に関しては…。
ハイパーポン太
 上で申し上げた通り、現時点では管理人様のコメントに対する有効な回答は見いだせません。
 
>石油採掘業や国の安全保障に利用できるのではないか

とは、どういう事か教えてください。非常に怪しいと感じたもので・・・。是非とも知りたいのです。お答え下さい。

 この点に関しては、直接それを語ったパターマン博士に聞いてくださいというほかないです。私程度の頭脳では、彼がどのような構想を練っているかなんてわかるはずもないですから。もちろん、この博士の思い違いの可能性もありますが、やはりいまのところ何とも言えません。というより、WIRED VISIONでも、これしか語られていない以上、やはりすべては博士の頭の中というほかないでしょう。

 ただ、危険性があるから触れてはいけないというのは、いささか過剰反応だと思いますがね。たとえば人工知能。よくSFなんかでは、人間が最終的に、より優れた人工知生体により支配されたり滅ぼされたりする話が多くありますが、結局、人間が人間以上のものを作り出すというのは、ある意味核融合よりも危険なことであるともいえます。私個人としては、人工知能は多分動物レベルまでならば可能としても、人間とほとんどたがわぬ機械を作り出すのは不可能ではないかと考えている。いや、ある意味人間にきわめて近いエミュレータを生み出すことはできるかもしれないが、実際に社会に出て彼らを生活させていけば、決定的な人間との差が浮き彫りになるんではないかと思う。ペンローズあたりも、計算以上のことができない機械が知性を得るのはあり得ないと語っているし、少なからず疑問視する声もあるのは事実。そもそも、人が人の心を生み出すという行為自体が、既存の宗教や倫理に反する可能性だってある。当然、さまざまな社会問題が出てくるのは避けられないでしょう。下手をすれば、それこそSFでよくあるように、人間と機械との存亡をかけた戦いもあるかもしれない。

 要は、一見すると優れたテクノロジーでも(もちろん、程度の差もありますが)何らかの危険性があると考えて対処するべきでしょう。ITERに見られるように、もはや普通の核融合でさえ、技術の向上をだれも止めることはできないはず。となれば、我々が求められているのは、いかに危険性を抑えつつ、うまくコントロールしていくかではないでしょうか。危険だから触れてはいけないというのでは、いつまでたっても技術は向上しないし、ある意味探究心の阻害、学問の自由の侵害にもなりかねません。

核反応は別格です。
雑草Z
 程度問題は非常に大切です。同じ犯罪でも、パン一個の万引きと快楽殺人では全く違います。

 原子力というのは、今のところ人間の手に負える代物ではありません。原発でも、制御なんてしきれていません。大きな原発事故・・・チェルノブイリ級の事故では一国が滅びます。
 核融合だって、現在のように重水素の融合からエスカレートして、ヘリウムフラッシュ、(ヘリウム原子核融合)カーボンフラッシュ(炭素原子核融合)、マグネシウムフラッシュ(マグネシウム原子核融合)・・・といったら、一つの失敗が人類どころか地上の全ての生物を滅ぼしかねません。

>いつまでたっても技術は向上しないし、ある意味探究心の阻害、学問の自由の侵害にもなりかねません。

とのことですが、人類の存亡をかけて技術を発展させるほど、人間は技術信奉になってしまったのでしょうか?
それはマッドサイエンティストのやる業でしょう。
そういう場合には

>探究心の阻害、学問の自由の侵害

なんてあって当然です。天秤にかける事自体間違っています。

 例えば、細菌兵器の開発は、止めてしかるべきです。

横から失礼します
5.2のために17
はじめまして。
雑草Zさんとハイパーポン太のやりとりを興味深く拝読しております。

うろ覚えですが、槌田敦さんがどこかで、
原子核の安定性が物質の安定性基盤である、それ故に原子核をいじってはならない、
と書かれていたと記憶しています(資源物理学入門か、それ以前の著作です)。

また日本物理学会誌に寄稿した「核融合発電の限界」では、

”ところで,重水素が自然界に大量に存在することは,核融合炉にとってあまり本質的な意味を持っていない.それは,可燃剤や炉材料が不足している時,空気中に無尽蔵に存在する酸素を資源とは呼ばないのと同じことである.”

と述べられています。これは至言だと思います。


人間関係で、環境問題に妥協しないで下さい
雑草Z
    ハイパーポン太さん

 原発は、人類の発明した技術の中でも最悪のものですから、友達が原発関係で批判しにくくても、しっかり批判して下さい。・・・事故を起こさなくても、人類の手に負えない放射性廃棄物を量産しています。・・これは核兵器よりも酷い事です。(核兵器は製造過程で放射能を出しても、保存しているときは放射能を排出しません。)それにここで原発批判しても、そのお友達は見ていないでしょう(笑)

 かく言う私もゴルフ批判していますが、【ゴルフをする人へ】http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-39.html
私が幼い頃からかなり親しくしている人がゴルフ好きで、このブログもときどき読んでいます。それでも私はゴルフをする人間は、能天気でエゴイストで人間の屑みたいな書き方をしています。彼はこの事で何も言ってきませんが、それで彼との人間関係が壊れたらそれだけの関係だと思うだけです。この程度のしがらみで批判出来ないようなら、はじめから環境問題の本質を語らないでしょう。何せ経済成長を批判しているわけですから・・・
 親しくしている別の方は、私の批判を受けて最近ゴルフをやめました。(私のお奨めでヘヴィーなロックを聴いているようです。)
 

>原子核の安定性が物質の安定性基盤
雑草Z
    太字の文5.2のために17さん

 はじめまして。  コメントに戴いた

>原子核の安定性が物質の安定性基盤である、それ故に原子核をいじってはならない

が、核開発の愚かさの本質をしっかり的確に語っていますね。5.2のために17さんのお言葉を借りれば至言ですね。
 昔は核分裂発電(いわゆる現在の原発)も「夢のエネルギー」などとプロパガンダされました。その後それが、放射能を出さない核融合に変わり、核分裂(原発)はそれまでのつなぎと言われて、進展がほとんど無く現在に至ります。「人類究極のエネルギー」などというキャッチフレーズが、普及させられましたが、「人類究極の危険なエネルギー」というべきでしょう。
 核融合は50年以上も研究開発されて、成果を上げないどころか、予算と資源の浪費し、危険性をエスカレートさせています。多くの人間が責任を取るべきでしょう。

 ×××× ×××× ×××× ××××

 5.2のために17 さん。初めてのコメント有難うございます。

>日本物理学会誌に寄稿した「核融合発電の限界」

まで読んでいらっしゃるのですか!?物理関係の方でしょうか。
<5.2のために17>というHNは、不可解ですが、どのような意味でしょうか?
 また機会があれば的確なコメント宜しくお願い致します。 

人間が想像するものは、いずれ実現する…。
ハイパーポン太
 誰の言葉かは知りませんが(たぶんSF関係)、「人間が想像するものは、いずれ実現する」というものがありますが、前に人工知能を批判した私でさえも、それはかなり的を得ているのではないかと思います。
 私が人工知能を批判したのは、まあ唯物論があまり好きではないからという感情的な部分が強かったのですが、でもよく考えてみれば、ロボットが仮に知能をもったからと言って、それで「唯物論が正しい」という証明にはならないんですよね。
 私がペンローズの量子脳理論(彼の量子脳理論自体は、眉唾なところが多い)を持ち出したのは、「物の見方は、その時の科学の範疇によって決まる」ということを示したかったわけで、たとえば、現時点において神経生理学の示す通り、人間の精神活動はニューロンの発火や電気信号によるものという結論は、全く正しい。しかし、ペンローズの言うように今後量子力学や相対性理論あるいは、全く別の新しい物理学が起こったりして、変化があれば、「物の見方」が変わって、今の時点では、「人間の精神活動はニューロンの発火や電気信号によるもの」であっても、後の時代にはそれ以上の「科学的意味」を見いだせるかもしれない。仮にロボットが人格を持つようになっても、それだって、まあ例としてはオカルトじみておりますが、それは「霊界(みたいなもの)?から意識を受信する条件を備えることに成功したからだ」というふうに解釈されるかもしれない。ニュートン力学では、時間や空間がゆがむなんてことは考えられなかったが、相対性理論ではそれが当たり前になり、量子力学にいたっては、「神はサイコロを振る」わけです。要は、モノの見方が変わることが重要なわけです。
 そして、「人間が想像するものはいずれ実現する」ということ。
 まあ、話がかなりずれてしまっておりますが、原発を擁護しているのは、何も友人との人間関係のためだけではないということです。「ものの見方の変化」と「人間が想像するものはいずれ実現する」この二つを考慮に入れると、もちろんそこに行くまでに様々な過程はあるでしょうが、いずれ「夢のエネルギーとして、クリーンでかつ危険性が極めて少ない核融合」という実に人類に都合がいい(笑)物が出来上がる可能性があります。科学といっても、まだ150年くらい?の歴史でしょう。錬金術は正確には科学とは言わんし。まあ、管理人様のおっしゃる通り、理論的には錬金術も(核融合や核分裂の過程で)可能ですが。せいぜい150年の歴史なんです。今後人類が存続することができるとすれば、あるいはもっと科学が発達して実に人類の都合がいい核融合炉が出来上がるかもしれないのです。
 蒸気機関はなぜ発達しなかったのか。そこで研究をやめたからです。もし研究を途中でやめず、続けていれば、もしかしたら、現在と違った科学が発達したのかもしれない。こちらの世界では発見されていない法則があるかもしれないし、逆にこちらにはあって向こう側では見つかっていない法則もあるでしょう。
 そういう意味で、私は仮に危険性が高いとしても、原発そのものをやめるべきだとは思いません。現時点においては「人類科学最悪」のものであっても、今後の核融合炉の精度の向上や、また物理理論等の発展次第(ものの見方の変化)では、全くクリーンで安全なものに化ける可能性もあるからです。そして、原発支持者も「クリーンで安全な原発」を想像し、望んでいることでしょう。だからそれはきっと(それがどれだけ先のことかは不明ですが)実現すると考えます。
 まあ、こんな考え方をする私は、やはりひねくれているのかも知れませんが(笑)。

SFにお付き合いする積もりはありません
雑草Z
    ハイパーポン太さん

>人間が想像するものは、いずれ実現する

 筈がありません。
タイムマシン、テレポーテーション・・・・ここはそんなお話の実現性や空想を話すサイトではないので、その手のお話はよそでやって下さい。
 そんな言葉はよくロマンがある言葉として使われますが、ある意味かなり危険な言葉です。
 こちらの世界あちらの世界(ifの世界)・・の手のお話にも興味ありません。
 小型の核融合原子炉を積んで宇宙旅行・・・などと言う話も夢のあるお話ではなく、ただ浪費と地球環境の破壊で、実現しないお話です。こういうことを本気で実現しようとしているマッドサイエンティストも少なくない事を危惧しています。
 
>原発支持者も「クリーンで安全な原発」を想像し、望んでいることでしょう。だからそれはきっと(それがどれだけ先のことかは不明ですが)実現すると考えます。

の手のお話も反論する気にもなれませんのでSFやアニメの同好のサイトででも存分にやって下さい。

>こんな考え方をする私は、やはりひねくれているのかも知れません

ひねくれているのではなく素直すぎて真偽眼がないのでしょう。そして、バーチャルな世界に片足を突っ込んでいるのかも知れませんよ。(笑)
 冗談の域なら笑えますが、このようにSFと現実と想像が錯綜した人間が増える事に危惧を抱きます。
 
 ハイパーポン太さんの社会や政治のお話は面白い部分がありましたが、科学のお話は、これ以上お話しても話の土俵が違うでしょう。

SFとバカにするなら…。
ハイパーポン太
 基本的に、科学の世界にはブレークスルーがあります。それは、全く世界観が一変するということです。ニュートン力学から相対性理論へ、そして量子力学へという発展の仕方を見れば、それは一目瞭然です。だから、それまで不可能(あるいは危険)とされてきたことも可能(まあ昔よりは安全)になりえるし、逆にエーテルのように、存在を否定されたものもあります。
 
 なお、タイムマシンや量子テレポーテーションにしても、決して少なくない科学者たちが大真面目に研究しており(タイムマシン研究者ではプリンストン大学物理学者リチャード・ゴット、キップソーン、またロジャー・ペンローズも「回転するブラックホール」を用いてのタイムマシンの存在を示唆している。テレポーテーションにしても、WIRED
VISION2001年10月1日号にそれが掲載されていますし)、それを安易にSFやアニメの世界と片付けることこそナンセンスです。まさか彼らがアニメおたくというわけでもないでしょう。マッドサイエンティストと言いますが、色眼鏡で判断する姿勢はかえって視野を狭くすることだってあるのです。
 
 原発否定派にはどうも、チェルノブイリとかそういう過去のネガティブな部分ばかり前面に押し出して否定する姿勢が見られますが、ではITERなどに将来性を期待する先進国や科学者の意見は本当に認めるに値しないものばかりなのか。彼らは本当に後先を考えない危険な連中ばかりなのか。ネガティブな部分も、今後の技術革新やブレークスルー、あるいはものの見方によっては変わりうるものだと(たぶん、先進
国や原発推進派の多くがそう考えているし、理論物理学者でもそういう意見を持つ方もいると思いますが)考えるのが本当に「マッド」なことなのか。
 
 まあ、管理人様が議論をここまでにするというので、ここら辺でやめておきますが、なぜ原発は単純に否定されるべきではないのかについてはいずれ歴史が証明してくれることでしょう。

 日本のデモンストレーション炉の調査員によれば、核融合発電所はおそらく2030年には実現可能としており、どんなに遅くとも2050年には可能であるとしている。
                            ITER WIKIPWDIAより引用


 最後に、パンドラの箱について。
 パンドラの箱には確かに人間の醜悪な部分ばかりが詰まっていますが、その中には希望というひとかけらの光が入っている。だからこそ、その箱を開くことに意味がある。これが全くの裸で、神が作り上げた楽園の中に引きこもり、ろくに苦痛も味わわずにただ飼われているだけの世界であるならば、いっそ知恵の実でもかじらせて外に放り出した方がよっぽどよい。そういう考え方もできます。
 

お返事遅くなりました
5.2のために17
>雑草Zさん

レスありがとうございます。

私は一介の化学系サラリーマンで、物理関係ではありません。
「核融合発電の限界」はCiNiiで閲覧できます。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110002073791/

HNは、三原順の中編漫画「Die Energie 5.2☆11.8」の主人公のモノローグ
"人々が購入した5.2の電気を生む為には17のエネルギーが投入されたと"
から採りました。

これからよろしくお願いします。


意味深なHNですね
雑草Z
    5.2のために17 さん

なるほど、HNはそういう意味でしたか?
三原順という漫画家も
中編漫画「Die Energie 5.2☆11.8」も知りませんでしたが、いつか探して読んでみようと思います。

 電気エネルギーは高品位で贅沢な2次エネルギーですね。食べ物で言えば、肉ですね。私もそれに似た事はかつて書かせて戴きました。
【電気エネルギーの正しい使い方】
http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-136.html
 
 槌田敦さんの論文の掲載サイトのご紹介有難う御座います。私は槌田さんの文章を読むのが好きですが、廃刊になったものも多いですね。現在手に入る本は5、6冊・・10冊になりませんね。

 <5.2のために17>というHNは、ここのサイトスペシャルに今回作られたのでしょうか?いつもお使いでしょうか?
 また色々ご示唆下さい。宜しくお願い致します。
  

 
  

馬鹿にするのではなく、危惧いたします。
雑草Z
    ハイパーポン太さん

 一度御返事書いたのに消えてしましました。誤って消したのかも知れませんがレス遅くなりました。書き直します。

 人間は、想像だけなら何でも想像いたしますから

>人間が想像するものは、いずれ実現する

という事は、(考え得る事は)何でも実現するという事でしょう。つまり、「人間に不可能な事はない」と同じ意味という事になります。・・そんな無茶苦茶ないでしょう。それに、そこにロマンを求めるのは非常に危険です。
極端な科学信仰・・科学妄信です。
 そんな事は無理である例として、タイムマシンやテレポーテーション(人間が想像するテレポーテーションは、量子テレポーテーションなどと言う微小粒子の世界ではなく、人間など、もっと遥かに大きなものでしょう。)の例で十分かと思いますが、それで納得されないのなら、いくらでも例は挙げられます。・・・漫画やSFには、実現不可能な事が沢山あるでしょう。

 例えば、人間が小さくなって人間の血管などの中に入り込んで病気を治すとか、逆に巨大になって怪獣と戦うとか・・
 ハイパーポン太さんなら、それも不可能ではないとおっしゃるでしょうか?それならお尋ねいたしますが、
 例えばウルトラマンが大きくなる時に、彼の体を作る分子、原子はどうなるのですか?それぞれが大きくなるのですか?周りから取り入れるのでしょうか?質量保存則に反しませんか?同じ体重のまま大きくなったら風船のように軽く(密度が小さく)なってしまいます。(笑)
 それに、突然大きくなったら、そこにもともとあった(空気などの分子をつくる)原子と核反応いたしませんか?
それは、タイムマシンでもテレポーテーションでも同じでしょう。核爆発を起こします。全くの無から有を作り出すのは無理ではないでしょうか?・・・こんな突っ込みはいくらでも出来るでしょう。・・笑い話にはいいけれど、不毛な議論です。ハイパーポン太さんもそんな事は本気で考えていないでしょう?

 ここは、環境問題や持続可能な社会を考えるサイトです。

無限の時間を仮定すれば100%否定出来ないかも知れない事の可能性を論じるサイトではありません。

>チェルノブイリとかそういう過去のネガティブな部分

これらの事故だけで原発を否定する理由に十分なります。逆にこれでも続ける人間は狂っていると思います。

>デモンストレーション炉の調査員

とかいう方の言う事を鵜呑みにするのでしょうか?それこそ補助金目当てかも知れません。核融合発電は、当初、20世紀中には十分実用可能という見通しが出されたと思います。それがだめなら今度は21世紀前半ですか?随分無責任です。

どれだけ資源とエネルギーをつぎ込んだ事か・・・?
 実用されても、今まで投入されたエネルギー(や資源)以上に発電しないとトータルで浪費です。そうなる事はほぼ間違いないでしょう。

>原発は単純に否定されるべきではないのかについてはいずれ歴史が証明してくれることでしょう。

 のご自信の根拠は?

 どんなに権威のある人が言う事だろうが、研究や実験が、人類を破滅へ導く可能性がある場合にもそれを続ける事は許されざる事でしょう。そこを敢えて行おうとする科学者をマッドサイエンティストと呼ばせて戴きます。


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2007-12-13 00:03
 大きな発見と言われてるものは沢山ありますが、真に注目に値する20世紀の大発見は、相対性原理とDNAと量子力学と言われています。
 物理学者からすれば、量子力学こそ、最大の発見と主張する学者が多いかも知れません。相対性理論をも古典物理に押し込んでしまったのですから・・・しかし世間一般に広くインパクトを与えたと言う意味に於いては、量子力学は他の二つにかなり大きく溝を空けられるでしょう。多くの人々にとって量子力学は、どうでもいい発見、概念でしょう。

 だから、ここでは、一般大衆にも広く浸透していてかつ人類に及ぼしている影響も非常に大きな、相対性原理とDNAを世紀の大発見として考えます。・。大体異論はないでしょう。(実際今回の議論にはその方が都合もいいもので・・・笑)

 相対性原理 と DNA 
この2つの世紀の発見を聞いて共通点と言ったら何を連想するでしょう??
一見あんまり共通点もないようで、考えれば色々出てくるかも知れません。


 すぐに思いつく最も大きな共通点は・共に人類を・・・場合によっては地球全部の生き物を・・滅ぼしうる発見だと言うことではないでしょうか?。
これ以上に危険な発見は、なかなかないのではないでしょうか?

 先ず、相対性理論は、あの物質とエネルギーの等価性を示したあまりにも有名な【悪魔の方程式】      E=mc^2
 を導き出しました。そしてこの実際の証明が、原子力であり、核爆弾です。 (核分裂&核融合)

 DNA の発見は、バイオテクノロジーによる遺伝子組み替え技術を作り出しました。現在問題になっている遺伝子組み替え野菜も、細菌兵器もこの技術が使われています。

 原子力も遺伝子組み替え技術も夢のテクノロジーともプロパガンダされてきましたが、この二つがなければ、人類の滅亡の可能性はかなり減るでしょう。こ れらは完璧に開けてはならないパンドラの箱だったに違いありません。

 科学技術は使い方次第で、平和利用も戦争への利用も出来ると言われますが、
この二つの技術は、武器としても威力抜群で大抵の他の武器より圧倒的に勝ります。
そして、平和利用をしても(特に原子力について、そんな事は不可能と思いますが・・)ミスによっても世界全体を滅ぼし得る威力を持っています。
 共に対処を誤れば、すぐにも人類の制御不可能なレベルに達する可能性のある危険極まりないテクノロジーです。

科学技術が人間を最も不幸にする可能性が高い例が、この20世紀の最大の発見の2つであることは皮肉と言うには重すぎます。

 この事実からも、科学技術もどこかで止まらなければならない事を学ぶべきです。しかし、この2つの発見がなされてしまった後では、後の祭りかも知れません。人類は、どうやってもかかえ切れない大きな重荷を2つも背負い込んでしまったのです。      
 

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 因みに今回の記事の趣旨とは全く関係のない余談ですが、DNAに関しては『発見』と言う言葉に違和感はありません。もしも、その実態が現在考えられている実態とかなり違っていても、そう言う物体(物質?)を見つけた訳ですから・・
 それに対し、相対性理論と量子力学は、『発見』と言う表現を使う事にはかなりの抵抗があります。『説を作った』の方が妥当ではないでしょうか?その理論によって現象をどんなに上手く説明出来ても、検証出来たように見えても、解釈の仕方であって、存在を証明した事とは別でしょう・・・
特に、量子力学の根本には「不確定性原理」が存在するのですから。

 例えば、
「リンゴが木から落ちるのを見て、ニュートンは万有引力を発見した」
と言う表現はおかしいのではないでしょうか?。万有引力はあくまで近似の説明であって、相対性理論によってその存在は否定された訳です。でも、光速よりも十分遅ければ、ニュートン力学は有効です。だから
「リンゴが木から落ちるのを見て、ニュートンは万有引力説を作った」
と言うべきでしょう。(まあ実際ニュートンはりんごが木から落ちるのを見て万有引力を発見したと言う逸話は作り話ですが・・・)
こう言う表現によって、万有引力を当然の存在と思ってしまうところで、科学は足踏みするのです。
・・・まあ、私の持論からすれば、科学はそんなに進歩しないである程度のところで止まってしまった方がいいのですが・・・
「ニュートンが万有引力を発見した」
と言う事が永遠の定説とされ、相対性理論が永久に封印されて登場しなければ、核の脅威はなかった訳です。
・・・・でも、エネルギーと質量の等価性、質量欠損の論理がなくても、核エネルギーに気付く可能性はあり得ます・・・・例えば太陽エネルギーを考察して・・
 
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【2007/12/13 00:03】 | 環境総論 トラックバック(0) |
2007-12-11 00:02
人類が開けてしまったけれど、絶対に開けるべきでなかったパンドラの箱はなんだったのでしょう・・・???このブログでは、これまで2度ほど述べています。
 パンドラの箱1では、産業革命での石炭、石油などのいわゆる化石燃料。そして石油よりもずっと危険なパンドラの箱として、原子力をあげました。
 パンドラの箱2では、それらをもっと総括して地下資源としました。

 そして今回さらにもっと総括して、科学技術の進歩そのものをパンドラの箱としたいと思います。ロナルド・ライト氏の言うところの、『進歩の罠』は、科学技術の進歩によるところが多大です。
 科学技術の進歩は、短絡的な目先の目的遂行の為に開発されてきましたが、その弊害は後から分かって来ました。・・・本当は予期出来る事もかなり多かった筈ですが、短期的な目標達成ばかり追い求められ、その結果起こるであろう環境問題からは目を背けられてきました。便利な道具になると期待されて、事実便利な道具になった物が、人類の首を絞めて来ている例は枚挙にいとまがありません。合成洗剤、農薬、科学肥料、・・・ビニールだって、プラスチックだって、処理の問題に困っています。産業廃棄物は言わずもがな・・・です。
 現代の環境問題は、科