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2008-09-01 00:11
                     ~善意でわざわざ環境を破壊する人々~

 私の住む会津地方にも名水と呼ばれる清水が湧き出る場所が沢山あります。そのうち私が数年前から最も親しんでいる清水が博士山[はかせやま]の夫婦清水[めおとしみず]です。福島県から新潟県を流れて日本海にそそぐ阿賀野川の源流の一つです。
 その清水について、地元の無知な人々がボランティアでとんでもない慈善事業をした・・・とローカル新聞に載っていたと、知っている方から嘆きの声を戴きました。

 気が重いまま、その週末に、清水を汲みがてら、現場へ行ってみました。
現地に着くといつもの質素な小さな夫婦清水の紹介を書いた看板の横に、山に湧き出る清水にはとてもふさわしいとは思えない大きな看板が目に入りました。そこには

「青い空と緑の大地を守る」
と大きく書いてあり、下に
主催  会津宮川緑と水辺の里推進委員会
共催  会津美里町○○地域区長会
共催  会津美里町○○地域子供育成会
(・・・○○は、単に漢字変換出来なかったので伏字にしました・・苦笑)

と書いてありました。そしてその周りでは、草がきれいに刈り取られ、木の枝や小さな木までが無残に伐採されて、花壇に生えているようなこぎれいな花が、いかにも人工的に植えられていました。・・・酷いものです。
 山に木々や野草が自然に無造作に生えているのを「荒れている」とか「汚い」と感じるのでしょうか??・・かなり危険な感覚です。山の草を刈り、木を伐採して花壇の花を植えるという事が「緑の大地を守る」事だとでも思っているのでしょうか?こんな馬鹿なことを平気で提案する人も、それに反対もせずに推し進める人々もどうしようもありません。
こんな大人たちに『育成』されたら、子供たちも、自然の摂理に対する感覚を持てないどころか失っていくのでしょう。・・・願わくば、これに疑問を持ち、反面教師として異議を唱える、自然の摂理を理解した骨のある子供が育って欲しいものです。

その時の新聞記事の抜粋です。(後から戴いたもの)
「(前略)・・・清水周辺の環境を整えようと、初めて実施し、約十人が参加した。
清水は、博士山の伏流水が湧き出る場所。清水周辺のごみを拾い集め、草刈りを行った。さらに、花を植えて美しい環境を整えた。最後に、環境美化を広く呼び掛ける看板を設置した。参加者は一生懸命に作業し、地元の宝を守ろうと努めていた。」

 清水周辺のゴミを集めるだけで十分だったでしょう。それならゴミもほとんどないのでほんの数分で作業も終わりです。「草刈り」と書いてありますが、明らかに木を伐採していました。「清水周辺」と書いてありますが、清水を汲みに行くのに邪魔になる場所ではなく、あの大きな看板を立てる事と花を植える為に草を刈り、木を伐採したという感じです。・・・これらの木々が伏流水をきれいに保っている事を理解出来ないのでしょうか?
 高山植物と云うほどの標高ではありませんが、山には、野に咲く山の花がふさわしいし、生育にも適している筈です。あんなところに花壇に植えるような花を植えたら、後から手入れしなくてはならないかも知れません。植えた花の周りに除草剤でも撒いたら清水に毒が混入されます。(彼らなら除草剤を撒かないとも限りません・・こんな愚かなことをする人々ですから・・)花の土と一緒に持ち込まれたであろう雑菌が繁殖して、あの清水が飲めなくなるかも知れません。・・それらのリスクを考えられないのでしょうか?
 こんな無知な人々の『善意』によって、美味しい安全なきれいな清水が汚されたら残念でなりません。
「初めて実施」とありますが、もう2度と実施して欲しくありません。このまま手入れせずに花を枯れさせて、また山の草木が生えるのを待つのがいいでしょう。
 新聞の写真に写っていた9人の「善意の方々」は大体お年寄りでした。この年配の方々でも、こんな愚かなことを平気でする方が多い事に驚きです。
自然の摂理に対する感覚が欠如しているのなら、しっかり生態系を科学的に学ぶしかないのでしょうか?
 いくら善意の上からとは言え、山の草を刈って木を伐採し、花壇に植えるような花を植えて環境美化を訴えるようなお門違いな事をする人々がいることを残念に思いますし、危機を感じます。
小中学生が書いた説明文のようなこの記事の拙い文章は仕方ないとしても、こんな団体から呼ばれて、太鼓持ちの記事を書くだけで、注意もしないし、問題意識ももたない新聞記者にも困ったものです。
この団体や新聞社に抗議しようと考えています。

20080831144703.jpg
新たに立てられた大きな看板
・・・下の草は刈り取られ、花壇に植えるような花が植えられていた
・・これが「緑の大地を守る」こと??

20080831144701.jpg
草刈りされたあとに植えられた花
・・・花壇のような花を林の中に植える事が「緑の大地を守る」こと??


20080831144659.jpg
草刈りされた跡・・・・・・笹などが無残に切られている
・・・山に草が生えていると「荒れている」と感じるのでしょうか?


20080831144702.jpg
伐採された木・・・山の木を切って花壇の花を植える感覚???




   ××××   ××××   ××××   ××××   ××××


 余談ですが、この事件ですぐに頭をよぎったのが、ここのサイトによくコメントを戴くAnthony氏から以前戴いたコメントです。
(2008-6-5の記事【邪悪なコンクリート】へのコメント)

川のコンクリートの護岸に水草とか苔とかが生えているのを「汚れている」からと、そこに合成洗剤をかけてブラシで洗っている自称「川の番人」がいたとの事。
 こちらのほうが福島県の「清水の番人」よりも輪をかけてとんでもないかも知れませんが、根っこは一緒でしょう・・・自然の摂理を理解せずに自然に生えた植物を「汚い」とか「荒れている」とか考えて、生えてくる植物を抜いたり洗い流したりする事が環境保全、環境美化と考える非常に愚かな短絡思考。・・と云うよりも考えることを放棄したとしか思えない狂ったきれい好き、清潔好き・・・その行為が環境負荷を増やしているということに考えを及ばせる事が出来ない人々・・・。自然の摂理に対する感覚を持ち合わせていない人間がどこにでも身近にいるのです。こういう小さな地域でも、彼らは全く不要なエコロジカルフットプリントを増加させているのです。地球全体で考えなくとも、ローカルなことの積み重ねで、地球のエコロジカルフットプリントは、持続可能な限界をとっくの昔に超えてしまっているのです。こういう自然の摂理に対する感覚が欠如した人々がうようよいる現代社会は、本当に末期症状のような気が致します。
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【2008/09/01 00:11】 | 身近なエコ トラックバック(0) |

退院しました。
nao
以前に僕のエントリーでも書いたのですが、琵琶湖のブラックバスやブルーギルが問題になって、何故外来種の植物が問題にならないのでしょうか?街のタンポポなんて100%ダンデライオンで日本種のタンポポは、もはや高山に行かないと見られません。
雑草zさんの記事のように、行政や市民町民村民は、あまり深く考えていないようですね。伐採された植物には咲く季節ではない百合やホタルブクロや水引や、否、そもそも生きている日本人を殺して外国人を無条件で入国させるようなものです。
もちろん、僕も川の入水口として薮は刈ります。そして山の旅館で働いていた頃も花壇にケイトウやらの西洋品種を植えていた大馬鹿者でした。反省してます。 多分、雑草zさんの自治体の方々も大馬鹿者なのでしょう。反省してもらって下さい。自然は自然に生まれ自然に育ち自然に繁殖し自然に死んで行くのが自然です。我々の先祖は最低限の自然を破壊し畑を耕し生活してきました。
政府も自治体も一般市民も、そんなに環境が大事なら、先ずは祖先に学ばねばなりません。

>自然は自然に生まれ自然に育ち自然に繁殖し・・
雑草Z
    nao さん

>日本種のタンポポは、もはや高山に行かないと見られません。

 そうなんですか!?

>伐採された植物には咲く季節ではない百合やホタルブクロや水引や

naoさんは、植物にお詳しいですね。
 お恥ずかしい話ですが、私は、10年以上前に『博士山ブナを守る会』に入った頃は、どの木がブナの木かもわかりませんでした(苦笑)

>山の旅館で働いていた頃も花壇にケイトウやらの西洋品種を植えていた

 ・・これは花壇に花を植えているのだから、まだ「大馬鹿者」ではありませんが、会津宮川緑と水辺の里推進委員会は、山の林を伐採して花壇の花を植えたのから、大馬鹿者達です。

  ++++   ++++++  + ++++

 退院おめでとう御座います。 

年寄りの 名水!
団塊おやじの遺言
今回は写真もあり良く判ります ひと目見て 似つかわしくない 名水を大切にしようと言う 気持ちは理解できます
お年寄りも何か社会貢献をしたい気持ちも判ります
しかし やつた以上管理が必要になります 何年ヶ後に草ボゥボゥに成っている気がします 一過性の行為がニュースになって あの時の記事は なんだったのか?と言う事にならない無い様に お願いします 今回は 直ぐに自然回帰する事が出来そうですが 自然に対し余りにも無知な大人が多すぎる この花壇に農薬など散布は絶対禁止 これだけは守って下さい 判りますよね・・

一過性の行為であって欲しいものです
雑草Z
     団塊おやじの遺言さま

 見た感じ、植えられた花は根付かないような感じが致しますが、それを無理に維持しようとすると、伐採や草刈りも増え、農薬、除草剤散布・・となるでしょう。

 この行為が逆に清水を汚染することにも繋がることがわからない愚かな人々には、ある程度厳しく説明する必要があるかも知れません。

 

悲しいですね。
天地 はるな
これを読んで、情けなくなりました。
日本人ってほんとうに、美に対する、意識がないのか間違っています。
これは、もう、このブログを新聞社に送りつけるしかないと思うのですが・・・。
きっと、同じ思いの方もいると思います。

今週末抗議に行く予定です
雑草Z
    天地 はるなさん

 この美里町の博士山ブナを守る会の知り合いの方で、有機農業をやっている町の議員の方と面識があったので、電話で尋ねたら、この
>会津宮川緑と水辺の里推進委員会
を知ってるとの事なので、一緒にこの会の方に週末会いに行く約束を致しました。
この会は、町からの補助金で釣り大会なども催しているとの事・・・よくある事でしょうが、こんな下らない事くらいしか思いつかないのでしょうかね?
それよりも、もしかして今回の件も補助金が出ているかも知れないとの事です。・・・調べてきます。
 勿論新聞社にも抗議しようと思いますが・・。

思い出しました。
BEM
こんな所にこんな花?
という事で、北海道の帯広市から札幌寄りの山道を走っていた時の事、学校だったかちょっと立派な建物がありました。周りはホント畑と森林のような場所です。その施設の前後は歩道もちょっと広く立派だったのですが、その歩道に都市部のような街路樹が植えられてありました。
その向かいは森林なのに、なぜ街路樹を植える?と違和感に驚き、無駄じゃないかと思いました。


Anthony
自然を愛でる。といことで、街中にある「菜の花 畑」(もちろん、人工の)に行ったら、農薬で苦しんだ...

馬鹿な僕...


森林の中に街路樹
雑草Z
    BEMさん

>その向かいは森林なのに、なぜ街路樹を植える?

全くですね。本当に愚かです。

 ・・そう言う事って、確かに見かけますね。
森の中の森林公園に花壇を作って花を植えているのもよく見かけます。・・・花壇だけじゃなくて、わざわざ人口の川を作って三面張りにしたりしています。本当にふざけたお話です。

 予算がついて税金が使えればいいんでしょうね。情けないものがあります。
 

 

菜の花畑は離れて見るもの?
雑草Z
     Anthony さん

 なるほど、町中にある畑は時として(・・と言うか大抵・・)町の建造物よりも危険なのですね。悲しいですね。 
 町の中にある畑や花壇の花は、離れて見て愛でるもので、近くに行って触れると農薬だらけ・・・現代社会の構造を端的に表していますね。

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2007-04-12 23:31
書き損じとかミスプリントなどで、紙をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に捨てる姿にはいつも非常な違和感を覚える。近頃は職場などでは裏紙利用の為に、印刷ミスを大きさ毎に分けてためておく場所もある。けれど、そう言う場所を利用せずに、単に紙をくしゃくしゃに丸めて捨てる輩がいる。こうやって経済成長や森林伐採に協力してきた輩が沢山いる・・・

 作家や漫画家なども、ちょっとでも失敗すると紙をくしゃくしゃに丸めて捨てる姿が、ステレオタイプとしてテレビや小説や漫画に描かれている。
  
 紙の使用量は文明の高さのバロメータなどと言う事も言われる。
私の父は、無駄遣いなどせず、質素に、物を大切に使う人物であったが、書く為の紙だけはいつも惜しまず贅沢に使うと言う考え方の人であった。だから私も小さい頃からきれいな紙を沢山与えられていたが、一方母は裏紙ばかり利用をしていた。そして私も、裏紙を利用するのが好きだった。学校などから配付される紙は非常に多いのでその裏紙だけ使っても結構使えるものだ。配付プリント類の裏に色々書いて裏紙利用した後でも、まだ勿体ないので、古紙屋さんに引きとって使って戴こうと、溜めておいたものだ・・。

 話を戻すが、書き損じやプリントミスの紙をくしゃくしゃに丸めて捨てる人たちは、昔からの習慣なのかも知れないが、どうしても戴けない。
 こうやって紙をくしゃくしゃに丸めて無駄遣いしている人々の中にも、熱帯雨林の伐採を危惧している人々もいるだろう。環境問題を危惧していても、平気でそう言う行為をしているのである。彼等は気づかないだけなのかも知れない。
 「徹底して無駄遣いしないように気をつける」等と言うと、窮屈な感じがするかも知れないが、物を大切に使う気持ちがあれば、簡単に出来ることであろう。 平気で書き損じやミスプリを丸めて捨てる習慣をもった人間の多い現代社会は、かなり病んでいると言わざるを得ない。もっと物がなかった時代の、物を大切にする習慣を、感覚として持っているべきである。こんなに無駄遣いが出来るドーピング社会は、ほんの一時的なもので、持続するわけないのだから。
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【2007/04/12 23:31】 | 身近なエコ トラックバック(1) |
2007-02-05 00:01
東京などでは、たまに大雪が降ると交通が大混乱し、電車がストップして、学校なども臨時休講になりました。大雪と言ってもそれは東京での話で、雪国であれば、大抵何の問題もない雪の量です。雪国の列車は東京の大雪ぐらいでは何ともありません。
それに比べ、雪国で大雪と行ったら大変です。電車の不通も雪崩などが原因で、雪の量も半端でありません。それでも北国では滅多に職場も学校も休みになりません。北国の人たちの雪に対する強さを物語っています・・・?
 電車が不通でもマイカー通勤です。大雪の日でも社会人は職場へマイカーで、そして通学の遠い高校生に限らず、通学距離1kmもない小 中生も車で送ってもらって学校に行きます。
ちょっとした大雪で休んでいたら、だらしがないと言われます。でも、マイカーで来て、「よくぞ頑張って来た」って話も変ではありませんか?

 自家用車を外に置く大抵の家では、大雪の日に車を出すのも一苦労です。雪に埋もれた自動車を掘り起こして、ドアを開け、エンジンをかけて暖気運転し、 その間に自動車の周りの雪を落とします。この作業に30分くらいかけている場合もざらみたいです。職場で仕事を終えてから帰る時も同じ作業をしなければなりません。つまり、往復合わせて、運転を始める前に1時間もアイドリングする人が沢山いるわけです。(実際こんなにアイドリングする必要は全くないと思いますけど・・。)

 通勤も大変です。自動車で夏は30分もかからない道のりでも、大雪の日は1時間でも着かない事は良くあります。雪で道幅が狭くなり片側2車線の道も1 車線しか使えないなんて日もあります。スピードを出すと危険だからノロノロ運転で渋滞になり、止まっている時間のアイドリングも大幅に増えます。 
 それだけではありません。吹雪の中の通勤は命がけです。風が吹いて、吹雪が舞うと、大げさではなく1m先も見えなくなる事もよくあります。車を走らせても危ないし、止めても追突されそうです。ノロノロ運転でもタイヤはスリップするし・・・こんな日は、自動車事故が頻発して後続の自動車が立ち往生している姿をあちこちで目撃致します。
 吹雪でなくとも、道が凍結して、直線の道でさえ道の横に落っこちている車もちょくちょく見かけます。

 結論です。雪国は、大雪の日や、道路凍結の日は仕事も学校も休みにすべきです。通常の倍のエネルギーを使って、命がけで通勤、通学することは、偉くもなんともありま せん。・・と、言うよりも社会にとっても環境にとっても決して良くありません
 当日の朝とかに、自治体ごとに「大雪による臨時休業です」とお知らせして、どうしても必要な病院だとか役場だとか、限られた職場以外を臨時休暇にすべきでしょう。
 さもなければ全員公共交通手段で・・・ゆっくり通勤、通学・・・。

 かく言う私も、去年までは命がけで通勤してしまっていましたが、この冬から、有給休暇をとろうと決意しました。有給休暇じゃなく、臨時休業がいいのですがね。・・でも今年は暖冬で、ほんとに雪が降らなくて、そんな日は結局ないかも知れません。(笑)

 本当はみんな職場がそんなに遠くなければいいのですがね。歩いても通えるせいぜい10km以内。これ法律化すべき
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【2007/02/05 00:01】 | 身近なエコ トラックバック(1) |


かっし~
お久しぶりです。

確かに、雪の日の外出ほど、危険で非効率なものはないですよね。
車の運転にしても、雪で滑ったり視界が悪くなる分、加速・減速がいつもより多くなる→燃費が悪くなる→排気ガスが多くなるなどなど・・・

昔の方々ってどうしてたのでしょう?イメージとしては、元々職場(畑)がすぐ近くなので、危険でもないし、雪が酷い時は、内職という感じなんですか・・・。

なので、極力車を使わない範囲で生活できるっていうのが、やはり本来の有り様なのでしょうね。交通の便が悪かった頃は必然的にどこもそうでしたが・・・

ところで、久々にまたブログを書かせて頂きました。
今回は、≪世界のトイレ≫がテーマです。調べてみると色々おもしろく、日本のように汲み取り式ではありませんが、世界各国で人糞利用のためのトイレが使用されていました。

またよろしければ、読んでいただけると嬉しいです。
今後とも、宜しくお願いします。

>極力車を使わない範囲で生活
雑草Z
 かっし~さんの仰るとおり、本来の職場は、歩いて行ける距離ですよね。これでかなりの省エネになりますからね。遠距離を冬に通勤なんて、最高にエネルギーの浪費&環境破壊です。
 持続可能な社会の為には、小さな社会に戻すことが必要条件ですね。そして、もうひとつ大切な必要条件が、糞尿を自然の循環に流す事です。その意味でも今回のかっし~さんの記事も非常に参考になりました。多くの人に読んで欲しいので、2月中ごろの記事にTBさせて戴きます。

 余談ですが、かっし~さんは「かっしー」でなくて「かっし~」だから、読むときは語尾を伸ばす部分は、こぶし(ビブラート)を効かせて『かっし~~~』ですか?(笑)

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2007-01-31 00:01
私は、100万年ほど前から、飲食店に限らず、割り箸や使い捨て容器の禁止を提案しておりますが、(一部誇大表現あり・・)経済成長にばかり目が向いている政治家の方々が法令化に持ち込むまでにはまだまだ時間がかかりそうです。
 そこで、数年前からは、(今度は誇大表現なし・・・)飲食店の方々に、割り箸や使い捨て容器をやめるように提案致しております。
 割り箸や紙おしぼりの代わりに、塗り箸やタオルのお絞りを出されて嫌だと感じる人は、割り箸やお絞り製造、販売業の方くらいでしょう。ほとんどの人は、嫌な感じどころかいい感じを受けるでしょう。経費節減にもなっていいでしょう・・・って顔なじみになった飲食店の方に、たまにちらりと言ってみるのですが、慎重なのか億劫なのか分かりませんが、聞き流されています。・・・でも、昔から、割り箸を使わずに黒っぽい塗り箸を箸立てに沢山入れて置くお店も有ります。そう言うお店は安くてうまいお店が多いと思います。最近、そういう取り組みをはじめたお店も有ります。チェーン店などでも割り箸を使わないお店を見かけるようになってきました。

 ・・それって普通に持つべき感覚で、特に宣伝する必要はないのですが、何となく踏み込めない飲食店の方々にご提案です・・。

 飲食店に使い捨て食器非使用ステッカー(「棄てっかー?」ではありません。お間違えのないように・・なんてつまらぬ冗談じゃなくて・・)なるものを作って 貼るのです。そう、「赤信号、みんなで渡れば恐くない」です。(・・とんでもなく不適切な例えですねぇ・・)自分のお店が先頭を切って始めるのが不安でも、地域の飲食店街とか商店街とかでみんなで始めれば、出来るのではないでしょうか?
 一部の面倒くさがりの飲食店(・・そんな飲食店には行きたくないですね・・。)を除いて、多くの飲食店は、経費削減の為にも、出来れば割り箸や紙タオルはやめたいのではないでしょうか?
 その飲食店街共通の『使い捨て食器非使用ステッカー』を作って、協賛店に貼る。デザインは商店街で公募してオシャレでシックなふさわしいものにする。使い捨て容器は広く定義し、箸、フォーク、スプーン、ストロー、食器、お絞り、ナプキン、コップ、皿・・・爪楊枝は、木もあまり使わないし、抵抗もあるでしょうから免除致しましょうか?
ステッカーの説明文として、「私たちのお店では、限りある資源節約の為、割り箸、紙お絞り、紙コップ、ストローなどの使い捨て食器は一切使用致しません。そのかわり、塗り箸、タオルのお絞り、等を洗いまして何度も使わせて戴いております。ぜひご賛同を!」などと書いておく。 

 この記事を読んでいらっしゃるあなた、若し飲食店関係の方でしたら、あなたの街で、使い捨て食器の非使用運動致しませんか?きっと話題になり、街に活気が出ます・・・資源を大切にし、勿論経費削減にもなります。 お客さんも増えこそすれ、あまり減ることはないでしょう・・・
 
 以上、この前、HN ”おかっぱ頭”さん から、このブログに戴きました素敵な提案を膨らませて御紹介させて戴きました・・・おかっぱ頭さんのおっしゃるように、ステッカー貼らなくても、みんな自主規制すればいいんんですけどね。・・・でも早く普及させるにはこの方法は悪くないと思います・・・
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【2007/01/31 00:01】 | 身近なエコ トラックバック(0) |

いつか街中にステッカーが!
おかっぱ頭
 こんばんは。
 先日の提案から具体案へと膨らませて頂き、大変嬉しく読ませて頂きました。ぜひとも飲食店の方々、手を携えて一歩踏み出して欲しいと思います。
 実現すればお店も、利用する人達もみんなが環境に関心を持つようになりますね。このステッカーが1つずつ増えていって、やがて街中ステッカーで溢れる、繰り返し利用が当たり前の事になる、決して不可能な事ではないと思います。
 その実現の第一歩のために、私達も積極的に呼び掛けていく事が大切ですね。 

いつかというより近いうちに・・・
雑草Z
 割り箸を使わない流れはもう出来ています。私の知り合いはマイ箸を持って歩く人が結構います。
 イベントなどでも、使い捨て容器を使わないよう、工夫する場合も見受けられるようになりました。
 世間一般ではまだまだでも、この流れは急速に広まるでしょう。
 流れに先行してどこかの飲食店街で始めれば効果抜群だと思うのですが・・
 そうですか?積極的に呼びかけますか!それは頼もしいですね。

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2007-01-25 00:19
現在マイ箸を持ち歩く人は増えてきました・・・と、言ってもまだまだ割合はごく僅かです。今月顔を出した環境関係の集まりには、200人ぐらい集まりましたが、立食形式で紙のトレイに紙コップに割り箸・・でした・・・これでは環境保護を訴える人の集まりでないでしょう・・・このうちマイ箸を持って来たのは私も含めて数人でした・・・

 かく言う私も、以前から職場にマイ箸は置きっ放しにして割り箸はほとんど使いませんでしたが、マイ箸を持ち歩くようになったのは最近です。マイ箸持参にあんまり賛成出来なかったからです。
 食べ物屋さんでは、ナイフやフォークのように普通の箸を置いて、何回も洗って使えば良いのです。・・マイ箸をいちいち持ち歩く必要はありません。
 ナイフやフォークまでプラスチック製の使い捨てにしている外食産業は以ての外です・・・そいうい店には私は二度と行きません・・・みなさんも不買運動致しましょう・・そう言う運動とかしないと動き出さない企業も政治家も情けないのですが・・・割り箸をはじめ、使い捨て食器を使うことを禁止すべきです。マイ箸を持ち歩く運動より、使い捨て食器禁止の方が効力があります。
 ・・と、ずーと以前から言ってますが、使い捨て食器禁止の法律はずーと出来ていません。以前飲食店でそんな事を話したら、店の人が「だって、他人が使った箸は汚いと言う人もいるし・・」とか答えました。そんな極端なきれい好きにも困ったもんです。ナイフやフォークは洗って何度も使ってますのに。なんでそんな事くらいで割り箸をやめないのでしょう?毎食ごとに箸を捨てるなんてなんと勿体ない!!!

 最近は普通の箸を置いて洗って使っている飲食店も見受けられるようになりました。こういうお店にはどんどん行って応援しましょう!!
 私は、多くの店が割り箸を使うのを止めるまでは仕方がないのでマイ箸を持ち歩く事にしました。
 私の知人は、マイ箸を出すと店の人が感心して一品サービスしてくれたり値引きしてくれたりした経験があるそうです。私はお店にマイ箸を忘れて帰ったとき、次に行った時にお店の方が箸入れを買って入れておいてくれました。そのとき戴いた箸入れは今でも使っています・・お店の方々もそんな賛同の気持ちがあるなら、思い切って割り箸をやめて、普通の箸を洗って繰り返し使えばいいのです。それでお店に来なくなる人はいないでしょう。逆にエコに気を使う客ならちょっとくらい味が落ちてもわざわざ来ると思いますよ(笑)
 でもやっぱり、マイ箸なんか持ち歩かなくてもいいように、割り箸というか、使い捨ての食器を禁止して、飲食店で箸は繰り返して使うべきです。
・・・ と、思っていたところ、前述の環境関係の集まりに行く時・・・・電車で郡山駅で乗り換える時は、いつも郡山駅のとある駅弁屋さんの山菜栗飯弁当が好きで昔からよく買うのですが・・・・この前も久しぶりに山菜栗飯弁当を買いました。買ったとき箸を店に返そうと思ったら、箸は箱の中に入っていて返せなかったのですが・・・そのときふと思いました。駅弁は、食べ終わってから箸を買った店に返すわけにいかんから、やっぱりマイ箸は持って歩くべきかな・・・駅弁にはマイ箸は必需品!!・・割り箸はつけないで欲しい!!・・でも駅弁は箱の方が資源の無駄だな・・・駅弁の箱は作りを丈夫にして全国共通にして、箸と共に500円くらい払って返す時にその500円も戻してくれるシステムがいい・・・・などと考えながら新幹線に乗りました。・・郡山駅で買った山菜栗飯弁当は以前のように美味でした・・・せめて箸を別売にすれば帰りに家族にもお土産に買うし、お店の名前も出して宣伝するんですけどね・・・
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【2007/01/25 00:19】 | 身近なエコ トラックバック(0) |

無駄ばかりですね。
おかっぱ頭
お店も、それを利用する側の人間も、使い捨て=清潔=安心、と云う共通した感覚があるのでしょうね。割り箸然り、紙おしぼり然り、そして理解に苦しむのは洗面所の紙手拭きです。わずか数秒で捨てられる運命ですよ。
「当店は地球環境の破壊に協力しております。」と言っているようなものですよね。

ちょっと質問ですが・・
雑草Z
 若しお近くの飲食店が「当店では、資源節約の為、割り箸、紙お絞り等、使い捨ての製品は一切使いません。悪しからず・・箸もお絞りも普通に洗って何度も使います・・」などと張り紙などしたら、どうされますか?
 繰り返し利用で、タオルのお絞りや塗り箸を出してくれたほうが絶対感じもいいですよね?
 私は進んでその店に行くことはあっても、行くことを控えはしないと思います。紙お絞りや割り箸を出さないからお店のサービスが悪いという人がいると思われますか?こんなこと、いくら意識の低い日本でも、市場調査しなくても明らかだと思います。
飲食店の経営者はみんなすぐ気づくべきだと思いますが如何思われますか?


のんびり屋
そうなんですよね。私も飲食店で働いてましたが、割り箸や紙ナプキンのゴミの量が多い。資源にも悪いし経費も・・・

繰り返し利用、大賛成です。
おかっぱ頭
 経営者の方が環境を意識して自ら実践されているのであれば、その姿勢には敬意を表します。利用するならぜひともそういったお店を利用したいですね。飲食店共通の森林の絵柄のようなマークを作成して入口に表示してもらえれば、私達が利用する判断基準にもなるかと思います。でも理想はマークの無い社会。
 雑草Z様のおっしゃる通り、例えばカレーを頼んで使い捨てスプーンを添えて出す飲食店は見た事もありませんし、苦情を言っている人も見た事がありません。逆にそんな物を出されたら食べたい気持ちも失せますし、二度と足が向かないでしょう。おかしな話だと思います。
 だから経営者の方は塗り箸にする事に何も躊躇する必要はないと思います。それでもどうしても嫌だと言う人がいたならば有料にすればいいと思います。タオルのおしぼりも手元にそっと差し出された方が真心を感じて嬉しい筈です。
 環境保護、経費節約、真心接客、そして家族連れでしたら教育にもなりますし、繰り返し利用への切り替えは不都合どころかいい事尽くしだと思います。
 最後に、利用する側の人間も頼んだ物は残さず食べる、これって礼儀だと思います。


使い捨て非使用マークいいですね。
雑草Z
のんびり屋 さま 
 はじめまして、ご訪問ありがとうございます。
ちょっとこぼしたり、テーブルを拭くのに紙ナプキンを使うのは本当に嫌ですねぇ。・・お店の人でもお客さんでも頂けません・・最近タオルのお絞りもレンタルになっていちいちビニールに入った「新品」のようにして使っているのも感心しませんね。使う度に軽く水洗いすれば汚れもこびりつかなくて十分だと思います。経費節約にもなるから、思い切って使い捨てをやめるお店が出て欲しいものですね。


おかっぱ頭様
 素晴らしい提案ですね。先ず、地域の飲食店組合、商工組合あたりから、使い捨て食器非使用マーク推進して欲しいものですね。箸、お絞り、ナプキン、コップ、皿など容器だけでなく広く「使い捨て食器」を一切使わないお店にマークをつける!凄くいいですね!!早速実行案出したいですね。
 食べられるだけ注文して食べるってのも、礼儀であるし、そればかりではなく食べ物に対する基本姿勢ですね。食べ物を何の抵抗もなく残す感覚は許せませんね。人間性の欠如にも繋がります。世界には飢え死にしている人が沢山いるのに。

ブログが企業をエコにする
安楽樹
ちょっと宣伝です。
そういった消費者からの声を企業へ届け、企業の環境活動を支援しよう!という団体の運営を手伝い始めました。

ブログミーツカンパニー/http://www.pc-lifeboat.com/waon/bmc.html

良かったら参加してみてください。

興味深い団体ですね。
雑草Z
 以前にどこかのサイトで見つけて以来興味があったのに忘れていました。よさげな団体の感じがします。今回安楽樹さんのお薦めもあったので、様子を見て参加を検討してみようかと考えます。
安楽樹 さんは、どのようなお手伝いをなさっているのですか?

運営してます。
安楽樹
昨年末より、運営委員に関わってます。

それまでは2人の姉妹のみで活動をしていたそうで、それに目を付けた私とこちらのブログ(http://blogdelohas.seesaa.net/)の方との策謀の末(笑)、有志を募って組織的に活動していこうという話になり、関わるようになりました。

CSRに詳しい方や、名古屋でスーパーなどを重点的に環境普及をしている方などが参加してくれて、とても参考になってます。

外食チェーン店でも、マルシェ株式会社は既に全店洗い箸にしており、最近ではジョナサンを始めとするすかいらーくグループも、徐々に割り箸を止める方向に動いているようですよ。
松屋なんかも、洗い箸の検討(建前ではなく実現に向けたもの)を行っているそうです。

そういった部分を考えると、少なくとも大手企業に関しては、しばらくすると割り箸を使わない流れが主流になってくると思っています。
むしろ今後は小規模店舗の普及が課題になってくるかもしれませんね。

いい話です。是非参加!の方向で!!
雑草Z
やっぱり、外食チェーン店では、割り箸やめる傾向ですね。レジ袋の有料化と共に普及まではもうすぐですね。嬉しく思います。・・・て、事は小規模店でも普及始まりますね。
「使い捨て食器非使用ステッカー」もすぐに始まるかも知れませんね。・・・飲食店街のみなさま!!
2007年は環境対策の好転機になるかも知れませんね。

 ブログミーツカンパニーが、そんな個人的な団体だったとは、驚きです。今度コンタクトとって参加の方向で行きたいです。アイディアはいくつか持っています。

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2006-12-21 01:31
 我が家では、暖房は炬燵のような「局所暖房」をなるべく使うようにしています。
 私の体験から言って、家で何かをするときは手が冷たくなって血の気が引き、鉛筆で字を書けないくらい冷たくなるまで(気温で云うと氷点下まで)は、部屋の暖房は必要なく、体温の保温や局所暖房で十分です。足下がしっかり暖かければ十分です。これって単なる「慣れ」です。
 まして、眠る時には布団さえしっかり掛ければ、部屋の温度がかなり低くても体温で十分です。
 私が育ったのは岩手県ですが、中学生の頃から、冬でも掛け布団1枚で寝てました。掛け布団は少し重いというか厚めでしたが・・(敷き布団も1枚。布団が短く、足が出たので、足元にタオルケットなどをかけて、敷布団の下に捲って入れておいたので正確には掛け布団2枚ですが。)小さい頃は親が布団にアンカを入れてくれましたが、ちょっと大きくなってから真冬にアンカなしで大丈夫かどうか試してみたら体温だけで十分暖かく思いの他大丈夫でした。流石に真冬日の風呂上がりに髪の毛が凍るくらい寒い夜は、寝る時刻が遅かったときなど、朝起きた時に、足の血が引いて感覚がないほど冷えていましたが、それも充実感であり、慣れるとなんてことありませんでした。今は体を鍛える気はありませんが、冬でも布団は2枚くらい重ねれば十分です。(足の分混ぜて3枚)暖房は必要ありません。寒かったり風邪をひいていても、さらに布団を多めに掛ければ十分です。敷き布団も2枚にすればさらに暖かくなります。北国で凄い寒波でもこない限り、眠る時に暖房は必要ないでしょう。 
(関係ありませんが、中学生の頃の私は、当時の日本人の平均エネルギ-使用量の何分の1レベルだったかと思います。)

 我が家では、父母を除くと
夜眠るときは原則暖房禁止にしています。
 日本もちょっと昔までは、どこの家庭でもこんな感じで眠るときにまであまり暖房は使わなかったのではないでしょうか?
    
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【2006/12/21 01:31】 | 身近なエコ トラックバック(0) |
2006-12-19 00:01
 人間は哺乳類ですから、恒温動物です。体内では絶えず発熱しているのです。その哺乳類の中で冬に暖房を使うのは人間だけです。確かに人間はほかの哺乳類のように体中が保温効果がある毛で覆われている訳ではありませんが、本当に暖房が必要なのはどのレベルでしょうか?
 前回述べたように全館暖房と対照的な省エネの暖房方法が、体の周りだけ暖める局所暖房です。そして、その究極が、人体の発熱だけで、ほかに発熱装置は使わないことでしょう。最もシンプルで効果的な暖房方法でしょう。つまり、冬の間、体の発熱を逃がさない着物を来たり布団に入ったりするだけです。十分効果的な方法でしょう。冬山登山用に開発された氷点下数十度でも防寒として使える素材や製品を使うまでもなく、熱を逃がさない方法は、「現代人の技術を持ってして」等という大げさな表現を使う必要もなく、簡単に出来る事です。

 寒さを我慢しろと云うつもりはありません。しかし、寒さに慣れる事は必要です。ごく最近、人間の文明が、寝るときすら暖房をつけないといられない体の人間を作ってしまったのです。人間は哺乳類で、恒温動物ですからある程度の寒さまでは、暖房なしに寒さに耐えられる能力を退化させるのは良くない事だと思います。From door to door で暖房に囲まれた生活をするのは、耐性のないひ弱な人間を作るのです。
 これから石油が枯渇する時代を迎えるにあたって、先ずは体温だけでどこまで保温出来るかと云うことの追求が大切でしょう。非常に簡単にかなりのレベルまで可能な筈です。体温の保温を追求した後で、それを補う暖房方法を考えることが物事の順序である筈です。
 この方法を追求することは、家庭で最もエネルギ-を消費する暖房方法の(新しくない)革新で、発熱のエネルギーは大きいですから、省エネ効果は莫大な筈です。しかし、経済効果が非常に小さいので企業も政府も推奨しないでしょうが、持続可能な社会を作る為にも外せないことです
 具体的な方法は提案するまでもないでしょう。
暖房より先ず、体温の保温を!!
 ・・・これって外を歩く時は基本ですが、家の中でも基本じゃないですか?
 私が実践から云えるそのレベルは、周りの温度が氷点下にならなければ、体温の保温で十分だと云う事です。(氷点下でもある程度大丈夫でしょう。)
 次回その自分の実践例を書かせて戴きます。<続く>
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【2006/12/19 00:01】 | 身近なエコ トラックバック(0) |

コメントありがとうございました。
安楽樹
私もお邪魔させて頂きました。
毎回ながら、雑草Zさんの知識の広さには頭が下がります。
ぜひ参考にさせて頂きます。
よろしければ、こちらのブログを私のブログでも紹介させて頂いてよろしいですか?

冷暖房に関しては、現在はかなり呆れた状態ですよね。
私自身、エアコンやガスストーブは苦手なので、オフィスというものが苦手でしょうがありません。

よく思うのですが、外界を自分に合わせるのではなくて、自分を外界に対して合わせるよう努力するべきなんだと思いますね。人間は。

是非宜しくお願い致します
雑草Z
  
 おっしゃるように冷暖房に関しても、現在はかなり呆れた状態ですね。省エネが甘すぎて発熱がざる状態です。
そしてご指摘の通り、現代人は外界を自分に合わせることを安易にやり過ぎですね。人体にも環境にもよくありません。このご指摘は環境問題、健康問題の大きな根本原因の1つかなと直感致します。素晴らしい題材でもあります。
 以前、Peacering と云うHNでコメント戴きましたよね?大きな理念を口先だけでなく実践なされているのは凄いと思います。ブログご紹介戴ければ頗る嬉しく思います。
これからも宜しくお願い致します。そちらもちょくちょく訪問させて戴きます。

その通りです
安楽樹(旧名:Peacering)
はい、mixiの方の名前と合わせるために改名しました(笑)。

大きな理念のためにこつこつ地道に活動しております。
何か面白い動きになってきたら、ブログでも紹介したいと思っています。

今後とも、宜しくお願いいたします。

凄い動きをされたばかりなのに
雑草Z
 何かもっと凄い動きがありそうですか?実行力見習いたいものです。発表楽しみに致しております。
環境問題がますます悪化して、偽環境技術の溢れる中、真の環境問題に取り組む人が確実に増えて、来年2007年は持続可能な環境中心の社会に大きく動き始める年かも知れませんね。期待致します。 

はじめまして
y.suzuki
 「自然の摂理・・ 」からきました。
人間は恒温動物であるということは環境を考える前提ですね。自然の摂理に則った体温調節機能も、退化の一途をたどっているように思います。かくいう私も、数年前まで、空手の合宿で山篭りつまり、滝に打たれて1000本突きなどと過激なことをしていたのですが、その後体が火照るぐらいでした。厳寒に冷水という荒療治が本来の体温調節機能を呼び覚ます一例だったと思います。

 始原人類は永年の洞窟生活(おそらく高温多湿)によって、体毛が抜け落ちたと思われますが、かえって環境適応能力(知能を含めて)を先鋭化させて進化してきた存在でもあり、その視点も含めて考えていきたいたですよね。



人間は恒温動物
雑草Z
と言う事を「環境を考える前提」とまで、言及されるとは賛同の域を超えて素晴らしいですね。本文のこの部分を大きな文字に変えさせて戴きます(笑)。普通の人はsuzukiさまほど、荒療治するのは、しんどいでしょうけれど、人間は恒温動物としての体温調整機能は鋭く保つべきですね。
 へぇ~なるほど、人間の体毛はそのような理由で抜け落ちたんですね。その視点を含めた発展内容を<自然の摂理から環境を考える>で、是非取り上げて下さい。期待しております。
<自然の摂理から環境を考える>は、人材の宝庫ですね。私がいつも訪れる貴重な良質の環境問題サイトです。これからも宜しくお願い致します。

まっっったくその通りです
社枯
ほんといつも思ってました。普通に服を着て靴下を履けば、真冬でも暖房は必要ないと思います。電気毛布とかもいりません。布団に入ってしばらくすると、勝手に暖かくなります。寒いときは上着を着たり、ひざ掛けを掛けたりすれば全然平気だと思います。
家族からは暑がりみたいに思われていますが、常にストーブとかをつけているから、ないと余計に寒く感じられるのだと思います。
ちょっと自分に厳しくすれば、いろいろ「強く」なると思います。

先ずは着る物で調節が基本ですね
雑草Z
 日本では、標高の高い山の上や緯度の高い北海道の北部などのごく一部を除くと、ほとんど暖房なしで、厚着と布団で冬も越せそうですね。先ずは、着る物で工夫すべきですね。
 人間は恒温動物で、体内で発熱している事を基本に、寒いときはその熱を如何に逃がさずに暖かく保つかを考えるべきです。
 夜冷たい布団に入って、体温でぬくもってくるのもいいものですね。
 本文にも書いたように、暖房の為の発熱エネルギーは非常に大きいので、これを節約する事は大きな意味があります。
おっしゃるようにあんまり無理をしないで、
>ちょっと自分に厳しくすれば、いろいろ「強く」
なりますね。自分の体にも環境にもよく、一石二鳥ですね。 


 3ヶ月近く前の去年の暮れの記事にコメント戴くと嬉しいものですね。ご賛同有難うございます。
  

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2006-12-17 00:49
 寒くなってきました。ここ東北の地では氷点下になる日も増えてきました。今のところ日本の家庭で消費するエネルギーのナンバーワンは暖房用です。冷房用ではありません。南の一部の都市は違うでしょうが、日本全国で考えればそうです。冷房のエネルギーが暖房のエネルギーを上回る時代がきたら日本も破綻でしょう。(来そうで恐いですね)

 さて、現在暖房の省エネというのはかなり論じられています。高機密住宅、建物の断熱性、2重3重サッシ・・・それも大切です。でも、どれも西洋的な、「建物の中を全て暖かくする」という発想です。発想そのものがバブリーではないでしょうか?「全館暖房」という発想自体が、エコではないと思います。学校や役場などの人が沢山集まる施設は多少の全館暖房は必要かも知れませんが、一般家庭では全館暖房は必要ないと思います。 公共施設の全館暖房にしても、その設定温度は15~18℃もあれば十分でしょう。役場等で、最近省エネとかいって、22℃くらいに温度設定しようという運動がありますが、そこまで必要ありません。そこまで必要な人は風邪をひいている人か、熱帯の住人でしょう。寒ければちょっと厚着をすればいいのです。同様に冷房の設定温度も26℃くらいでは低すぎます。30℃で十分でしょう。
 18℃といえば、種類にもよりますが、体温調節の出来ない変温動物の爬虫類や両生類でさえ、多くが十分活動出来る温度です。(冷血動物と比べるのはちょっと暴論ですかね?・・笑)まして、恒温動物の人間が、20℃以上の暖房が必要の筈がありません。そんな温度に設定していたら人間の体温調節の機能はますます衰えるでしょう。それなのに暖房機器についている設定温度は18℃~30℃くらいです。ふざけています。これではエネルギ-を沢山使わせようとしているとしか思えません。
 全館暖房の対極的な暖房方法が、体の周りだけ暖める局所暖房です。
 私は、日本の伝統的な局所暖房システム「炬燵」のほうが素晴らしい暖房システムだと思います。家の中全てを暖かくする必要があるのでしょうか?確かにその方が便利なことも色々ありますが、暖房した部屋の中の冷蔵庫で物を冷やして、冷たいものが食べたくなるといったしょうもない無駄が沢山行われているのではないでしょうか?
 炬燵は『頭寒足熱』の状態です。健康にも良く、頭も冴えます。そして、家族の団らんの場になります。昔のように練炭やまめ炭炬燵は、エネルギー効率はかなりいい筈ですが、安全性に問題があるでしょう。それでも私は炬燵にこだわります。
 電力を発熱装置として使うことはエネルギー効率としては最高に愚かな発想です。電気ストーブは1000wあっても、直接当たらないと暖かくなく、ちょっと寒い6畳の部屋すら十分に暖められません。しかし、炬燵は300wもあれば、何畳の部屋の中でも4,5人の家族全員たっぷり暖まれます。一般家庭で、部屋全部を暖かくするという発想は必要ないと思います。電気炬燵などに限れば電気で発熱も有りだ!と思います。
 私は今、暖房として電気ズボンなるものを履いてこれを書いています。私が中学生の頃、親が買ってくれたものです。足下が「電気スリッパ」になっていてそこから腰までズボンが伸びて防寒になっています。昔の製品で使用電力は分かりませんが、電気炬燵よりは少ないに決まっていますから100wぐらいでしょう。電球2.3個分の電力ってとこでしょうか?私はその後、背が伸びて、母が上に布を20cmくらい足してくれました。部屋の気温が氷点下になっても十分暖かく勉強できました。手が寒いときはスタンドの裸電球で手を温めました。そういえばそのスタンドも電球は何度か取り替えたと思いますが、現在私の手元を照らしてくれています。電気ズボンとともに30年以上も使っている訳です。その間に何度も引っ越しているのです。1970、80年代の電気製品はしっかり出来ていたし、シンプルなものは長持ちするものです。
 この「電気ズボン」の存在は知らない人が多いみたいです。、あまり売れなかったらしく、製造されたのはごく短い期間だったのでしょう。丁度、局所暖房から「家の中は全部暖かく」といった、企業の戦略にみんな嵌って行った時代だったのでしょう。
 昨年凄く変な工夫した暖房設備(設備と言うよりちょっとした道具ですね。)を見ました。曲げられるストローのように円筒形で側面が細かくひだになっていて、伸び縮みして長さや角度を適度に調節できる筒です。その一方の口をファンヒーターの熱気の出口の前において、反対側の口を炬燵にかけてある布団の中に入れて熱気を炬燵の中に送り込むパイプです。商品名を省エネダクトとかいうらしいのですが、1000円くらいの商品です。
 昨年それを使っている家で、ふざけたおバカな商品だなぁと、笑って見ていたのですが、今年は画期的な良心的な商品かも知れないと思っています。石油ファンヒーターは電気ストーブよりずっとエネルギー効率が良く、ストーブの中ではトップクラスのエネルギー効率でしょう。そして、なんとその熱気を電気炬燵の中に入れると、炬燵の電気スイッチをつけなくても十分暖かいのです。ファンヒーター1台で部屋の温度もそこそこに上げ、且つ炬燵の中をもっと暖かくするのは、効率がいいのかも知れません。その家では、以前からファンヒーターと電気コタツを併用していたのですから、そこの部分の暖房の使用エネルギーは半分以下に減った訳です。商品として、炬燵やストーブにくっつけて抱き合わせ商品的に売っていないのも良心的だと思います。悪くない商品かな?と思う今日この頃です。

 暖房の省エネ論はここで終わりません。やっぱり私のテーマは「人力」です。人力暖房というごく普通の考え方が最も大切です。そのことに触れずして何を書きましょう?次回アップいたします。乞うご期待!(ってごく当然のこと書くだけですけどね。)
    <続く> 
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【2006/12/17 00:49】 | 身近なエコ トラックバック(0) |


U-RIVER
「電気ズボン」は電気屋と服屋どっちに売ってるんでしょう?あ、電化製品だから当然電気屋ですよね!
電気ズボンに省エネの効果もあったなんてちょっと驚きでした。

暖房今昔
天地 はるな
昔は、寝る時の暖房は、湯たんぽと炬燵(火種を入れたもの)でした。
昼間は火鉢のみ。
家にいても寒いので外で「おしくらまんじゅう」なんかをしながら遊んでいました。
時々、大人がやってる焚き火にあたっていました。
今の暖房は暖かすぎです。
百貨店の店員などは、年中半袖ですもん。
私は、お店に入ったら、必ず暖房の温度を下げてと言っています。
先日、神戸の地下のお店に入ってあまりに暑さに、
「暖房を少し下げてください」といいましたが、地下単位でコントロールしているので、下げられないんだそうです。(ノД`)



媽湮
こんばんは。どうしても聞きたいことがあったので書くことにしました。
予備校の地理の先生が貧困問題についておっしゃっていたことです。結局世の中を救えるのは金だと。確かに解決法はお金しかないと思います。じゃぁそのお金はどうするのかと考えた時に思ったことは経済の発展でした…。他に方法はないのでしょうか?貧困問題はどうお考えですか?

私も使っていました。
おかっぱ頭
初めまして、雑草Z様。
記事を読ませて頂いて子供の頃を思い出しました。
「電気ズボン」って、私が中学生の頃は「足温器」と云う名前でした。足元の板が電気で温まり心地良いのですが、なにせ腰までの袋型なので動くにはすごく不自由でした。脱げば歩けるものを面倒くさがりやの私は、穿いたままの状態で部屋の中を這いずり回る事もしばしば・・。でもズボン型ならいいですよね!きっと数年あとの改良型なのでしょう。
あとは上に綿入れ袢天を羽織れば全身温々ですね。そう云えば、祖母も冬には綿入れ丹前を愛用していましたし、綿入れって素晴らしい衣の文化だと思います。
それにしても雑草Z様は随分と物持ちが良くいらっしゃるのですね。感心致します。


4者4様の異なるタイプのコメント、ご質問有難うございます
雑草Z
U-RIVER さま
 何、とぼけてるんですか?私の電気ズボンのように使い古しです。でもそれだけでは、あまりにお間抜け(ほんとにしょうもないコメントだと思いましたよ)だからと、1日くらい経ってから2行目を追加するところが君の人の好さです。

はるなさま
 暖房して半袖なんて感覚はウォームビズ精神にも反しますね。
暖房の温度を下げてとお店に言うとは素晴らしですね。そのデパートだって、コスト削減になる筈です。私が支配人だったらデパートの商品券をお礼にお渡し致します。

媽湮さま
 HNなんて読むのですか?初めてのご訪問ですね。来年度から環境問題でどんどん活躍して下さいね。とてもいいご質問です。
 これは、いわゆる南北問題です。その貧困問題は、欧米諸国の植民地化から始まっています。もともと、「南の楽園」とは言わないまでも、食べ物が豊富にあり、毎日あくせく働かなくとも済んだ赤道付近の原住民を奴隷にし農地をプランテーション化し、貨幣経済を持ち込んだのは、欧米諸国です。その、「力の原理」で欧米諸国や日本など、いわゆる先進諸国が自分達のルールを押し付けて大きな負債を負わせ続けてきたのが、現在の発展途上国の貧困です。人口爆発して過剰な焼畑農業して貧困なのは、実は原因ではなく結果です。私もその因果関係は今年知りました。元々の自給自足を植民地化で単一嗜好作物に変えられ、貨幣経済に変えられたことが貧困の根本です。
 今、その国々の政府も欧米諸国のルールに従っているので、確かに早急な対症療法はお金でしょう。しかし、それは根本解決にはならず、構造を改革しなければ、グローバル化の波は防げません。欧米諸国の物質的繁栄はそういう国の犠牲の上に成り立っているのです。
 プランテーションで換金食物を育てるのではなく、穀物や野菜を育て、自給自足にしなければ飢餓の問題は解決しないでしょう。
 そのためには、欧米諸国の経済支配をやめることです。欧米諸国がそういう他愛精神を持てばいいのですが、今の現状ではなかなか困難です。キューバのように強い意志を持たなければなりません。9/5【発展途上という言葉】など参照してください。又いつか関連内容をアップ致します。

おかっぱ頭さま
 正式名称は「足温器」かも知れません。「電気ズボン」は我が家だけの呼び名かも?・・でも、確かに足はちゃんと二股に分かれていて、コードを抜けば歩けます。「物持ちよい」と思ったら、この記事をアップした日にズボンの中のつまさきを入れる部分が裂けました。でもまだ使えます。ずっと使い続けていた訳ではなく使わなかった年もあります。でも確かに、我が家にはかなり長い間使っているものが沢山あります。
 HNもコメント内容も古き良き時代のノスタルジーを想起致しました。またいらっしゃって下さいね。

ありがとうございました。
媽湮
途上国は『お金がないから子供を産む』という考えなんですよね。地理の授業で知りました。
やっぱりお金が先ですが確かに根本的な考えを直さない限りそのお金も無駄になってしまうのだろうと思いました。世界中の農業事情を知ると先進国の身勝手さに呆れます。私もその中の一人ですが。
やっぱり自分はまだ甘いですね~(`Д´;)文章にしたら冷静になれました(笑)
来年また来たいと思います!

農業だけでなく、工業ももっと酷いですね。
雑草Z
 いわゆる「発展途上国」の色んな工業原料の鉱物採掘現場も酷いものですよ。かなり無責任です。日本のODAの援助も現地に対する援助じゃなく、自国の企業の為です。
「発展途上国」の中でいくつかの国が「先進国」に追いついて来たから「先進国」の企業は、自国の労働者を派遣社員にしたりして、労働力を安く買い叩いて、Working Poor の問題を国内に起こしています。
 また、「発展途上国」に優位を持つために環境問題さえ利用しています(偽環境技術は今のところ先進国の専売特許です・・どういう風に偽かもいつかアップします。)。『悪徳』『富、資源の不平等分配』という側面も大いにありますが、根本には地球の許容範囲を越えた経済成長のしわ寄せが有ります。
 ・・遊びほうけていたり、体制から教えられたことを何の疑問もなく受け入ている学生が沢山います。そっちのほうがずっと甘いと思います。貴方は甘くありませんよ。あんまり根を詰めずに頑張って下さいね。


しまさん
私も冬はエアコンの暖房をつけないで、炬燵にしてます。よくよく考えると炬燵というのはよく考えられた暖房道具ですね。
何でもかんでも西洋式のものが便利だと、目先の快適さだけに飛びつき、昔の人の知恵とか工夫とかいろんなものが忘れ去られているような気がしますね。



勿体無いの知恵
雑草Z
 炬燵のように、熱源を布団で覆って、「熱を逃がさない」と言うのは、昔からの日本人の勿体無い精神が流れていますね。おっしゃるように昔の人の省エネの知恵とか工夫とかいろんなものは大切にしたいですね。
 ご訪問有難うございます。しまさんは、全く初めての方かと思いましたが、あの<自然の摂理から環境を考える>のsimasanなのですね。これからも江戸時代など昔の人の知恵のご紹介して行って下さいね。

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2006-11-22 00:01
現在の私の家の居間のTVは、私が学生時代から20年以上も使っている小さなものです。4:9 のワイド画面でないのにブラウン管が古くなり、画面の上下が切れてワイドテレビのような縦横比です(笑)。
 そろそろ寿命で代えようかと思いながら10年以上が立ちました。

・・・これが大切です。何でもじっくり考えているうちにもっといい製品が出るものです。だから
迷った時には買わないに限ります
10年前に買い替えていたら今頃後悔していたでしょう。

 それは兎も角、最近大きなTVが流行っています。昔はホテルのロビーなど、遠くから沢山の人が見るような場所に設置していたような大きなTVが家庭用に販売されています。こんな大きなTVはかなり資源が勿体ないと思います。
 大きい方が映画館のように迫力があるとかいいます。私の家のTVも小さい画面で字幕が見えないときがあるのですが、そのときはTVに近づきます。そして思います。極めて単純なことです。大きいテレビを見るかわりに近くに行けばいいのです
 TVまでの距離が半分になればテレビの画面は2倍の大きさに見えます。(長さが2倍だから面積は4倍です。)
 視野の広がりが同じなら、目に感じる迫力も同じでしょう。特にTVの画面は平面で立体ではないのでなおさらでしょう。あまり近くでTVを見ると目を悪くするといいますが、TVの単位面積辺り同じ電子線を出すと仮定すれば、小さなTVをある距離から見るのとその2倍の大きさのTVを2倍の距離から見るのとでは、目に対する悪さも見た迫力も同じでしょう。ステレオ出力だったら近くで見た方がステレオ効果は大きい筈です(笑)。
 遠くから見た方が音量でも光のエネルギー(単位面積あたり同じエネルギーと仮定して)でも距離の2乗に比例して出力しなくてはならないので、エネルギーも無駄遣いです。
 映画を見る時、一番前の席ではあまりに視界が広すぎて見にくいから少し後ろの席がいい席と言われます。それと全く同じことで、TVも大き過ぎると離れて見なければ疲れるでしょう。TVはその大きさによって適当な鑑賞距離があるわけですから、家族全員でTVを見る場合でも40インチとか50インチ以上の大きなTVは家庭には必要ないでしょう。疲れるし邪魔なだけでなく、資源やエネルギーもかなり勿体ないと思います。あんな大きなものが壊れてしまって廃棄する場合のことを考えると心が痛みます。やはり大きなTVは1度に沢山の人が見る温泉センターの休憩室などだけに置けば十分でしょう。
 
 を兼ねません。

スモール イズ ビューティフル です。

  ・・なんて、大きな字で書いたら矛盾ですか??
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【2006/11/22 00:01】 | 身近なエコ トラックバック(0) |
2006-09-22 21:35
 前にも述べたけれど、自動車通勤して、ガソリンを消費して二酸化炭素を排出するという代償を払ってまでしなければならない仕事なんてほとんどない。
 
 私も様々な事で、エコ生活を心掛けている。しかし、片道約30kmの道のりをマイカー通勤している事で、日本人1人あたりの平均のCO2排出量、則ち環境破壊度を上回っているに違いない。消灯や風呂の水や熱の節約、エアコンや暖房の非使用などで節約しても、自動車で1往復すれば、その節約を軽く上回る。環境破壊のオーダーが違う。自家用車にばんばん乗っていて、環境保護運動家を名乗るのは気が引ける。
 
  『通勤は徒歩や自転車でいける距離にすべき』
 と云うのが私の持論。そうすれば、移動のためのCO2排出はほとんどなくなるわけで、かなり大きなパーセンテージのCO2削減になる。

 私の通勤距離は遠すぎる。しかし、主義は若干でも貫きたい。
だから、少々遠いが自転車通勤を考える。
と、云う事で今日、降水確率が少なかったので自転車通勤してみた。8月の2回の試みに続き3度目だ。

 私が本年度から通っている猪苗代町は、私の住んでいる町より最短で28.4km。標高で100m以上は高い。行きは4割くらい登りだ。往路2時間、復路1時間半の目安だ。
 
 私の自転車は、町内の自転車屋さんから買った6段切り替え。
距離メーター兼時速メーターも付けた。これが目安になり、励みにもなる。
 
 平地は20km/h くらい。登り坂は10km/h以上が目安。勿論急な登りは、歩く早さ7km/hくらいまでスピードが下がってしまう。 
 逆にそんな坂は、帰りは下り坂となり、40km/h を超える位のスピードまででる。ブレーキをかけないと50km/hを超える事もあった。ちょっと恐い。

 私の自転車通勤のモットーは、
 頑張らないでチンタラ漕ぐ。』
 まあ、登り坂などで降りて歩いたりすると、もう漕ぎたくなくなるから、そこそこは頑張るが、目的は体を鍛える事でも、精神力をつける事でも、筋力・持久力を自慢する事でもなく、あくまで
   『省エネ』
 まあ、確かにその副産物として、目的意外のいいこともいろいろあるが・・。
 
 1往復で4リットル余りのガソリンを節約出来る。CO2 をはじめとして、NOx ,SOx など、10kg ほどを排出しないで済む。これは、CO2の排出量で云うと、人間1人の80日分の呼吸に相当する。

 道は車道を通ったり、歩道を通ったりまちまちだが、歩道の整備は良くない。
でも、整備はして欲しくない。これ以上道を、田んぼや林に広げて欲しくないし、歩道のコンクリートの隙間から目一杯伸びている雑草を刈ってもらっては困る。
 まあ、確かにスピード出てると危ないけれど、私の通る歩道の雑草だけで何人分もの二酸化炭素を吸収して酸素を出している筈だし、すれ違いざま体に触れる雑草も心地よい。何より、コンクリを割って出てくる雑草の生命力に、文明を否定して自然に戻ろうとする意欲を実感出来る。

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【2006/09/22 21:35】 | 身近なエコ トラックバック(0) |
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