資本主義の終焉=ろうそくの燃え尽きる瞬間
私の知る限り、資本主義の終焉を主張したのはローマクラブ、ジョージェクス・レーゲン等のエントロピー派経済学者たち、ラビ・バトラ等ですが、水野氏は証券会社出身で、バリバリの経済人であった筈が、資本主義=拡大再生産の限界が来るという結論を導き出したという点で画期的な人物と考えます。
彼がおかしいと最初に感じたのは、10年国債の利回りが2%を下回った1997年で、その後、ITバブルが起きても、小泉政権で戦後最長の成長を経験しても、利回りは2%を超えなかったことから、従来の景気循環と異なる資本主義の異変が始まったと感じたそうです。彼は、過去の歴史に着目し、過去の利子率が2%をきった時代と場所、その事態背景を分析した結果、資本主義の終わりが始まることを確信したそうです。
なぜ利子率が2%を切ると、資本主義が維持できなくなるのでしょうか? 理由は、利潤率が2%を下回ると、実質の利益が無くなるからだそうです。実質の利益がないということは、株主に配当を払えなくなり、配当を払えないということは、だれも出資してくれないということになり、ここまでくれば、会社は存続が不可能になるということです。
さて、その状況で資本が行うことは何でしょうか。過去の歴史からみると、新しい周辺を見つけることなのです。過去、2%以下の金利を記録したのは、16から17世紀のイタリアジェノバです。この当時、南米から銀が大量に流入していましたが、この銀の投資先が無い状態でした。具体的には、その当時の最先端の投資先はワインの製造でしたが、この当時のイタリアは、山の頂まで全てブドウ畑ばかりになっていたそうです。ヨーロッパで投資する先が無くなった後、覇権はイギリスに移ります。理由はイギリスの海運の能力です。優秀な海運能力により、ヨーロッパの外に周辺を作り出すことに成功し、ここに投資することにより、資本主義を存続させることに成功しました。
翻って現在は、すでに全地球に資本主義が広まっており、過去の海の外の世界に匹敵する、資本主義を維持できるほどの物質的周辺はもはやないのです。
その状況で資本家が行ったことは、新たな周辺としての電子・金融空間の創設です。具体的には、ITバブル、住宅バブルのためのCDSなどの金融商品、この金融商品を作り出すための、世界恐慌で禁止されたはずの、銀行と証券会社の一体化の許容等です。
しかし、新たな周辺とは言っても、作り出した空間は、現実にある世界を基礎に置いています。現実の何かから利益を吸い上げなければそれこそ絵に描いた餅となってしまいます。現実の社会で、電子金融機関の利益のために犠牲となったのは主に雇用者です。大部分の雇用者である中間層の取り分を、資本家の利益として付け替えたのです。これがアメリカでのサブプライム層、日本の非正規労働者なのです。また、国家としてはEUでのギリシャ、キプロスです。
また、水野氏は指摘していませんが、新たな投資機会として、官の行ってきた福祉や、水道のような公共の仕事の民営化等も新たな周辺の創出でしょう。
資本家は、資本主義を存続させるため、新たな周辺を作り出しましたが、やはりというべきか、無から有を作り出すことはできず、リーマンショックが起きます。
上記の知恵袋を読んで、当時の特集番組を思い出しましたが、永遠に土地が値上がりするとの前提の下、本来危険なサブプライム層に対する債権を、危険でないと思い込ませるトリックを使ったということなのでしょう。現実は、土地の需給、及びサブプライム層の返済能力という現実の世界の制限の前に、トリックは破綻ました。
結果、作り上げた電子・金融空間も縮小に転じてしまいます。この付けを、結局は政府に押し付けましたが、バブルを作っては、その付けを政府に永遠に押しつけ続けることは不可能です。政府が付けを負担できなくなったときに、世界の経済秩序は、完全崩壊するのでしょうか。
さて、この資本主義の死の前兆の利潤率の低下はいつから始まったのでしょうか。水野氏はこの始まりを、1974年と考えています。1970年代はオイルショックと、ベトナム戦争の終結がありました。この二つは、近代資本主義の大前提である、エネルギーコストの普変性と周辺の拡大、即ち、資本主義の及ぶ範囲の拡大が不可能になり始めたことを意味しています。
また、この時期は奇しくも、槌田敦氏の言う、最終財と資源の消費量の比例関係が崩れた=生産システムのエントロピーの増大が無視できなくなり始めた時期とほぼ一致しています。生産システムのエントロピーが増大するということは、技術革新による効率のアップが出来なくなったということでしょう。資本主義の前提の破綻と、技術革新の限界が同時に来れば、やはり、この時期に資本主義の終わりが始まったのは真実と考えます。
資本主義の後の経済システムについて、水野氏は明確には語っていません。ただ、このシステムを構築するには定常状態のシステムである必要は認識しています。私として残念に思うのは、水野氏は、日本の現在のレベルでの定常状態を前提に考えていることです。現在の経済レベルが、地球の生産力の範囲であればその通りでよいでしょうが、現在日本のエコロジカルフットプリントは地球の大きさを超えているのです。地球の中の日本という大きさは、現実世界の制限であり、絶対に無視してはいけない制限なのです。
私が以前、資本主義後の経済システムについて考えてみたのが、 【化石燃料のなくなった後の経済システム】
です。
私は、人類は過去に定常状態の社会システムで生活をしてきていたのですから、あまり考え込まずとも過去のシステムに近いものを作ればよいだけであると考えています。注意すべき点は、経済成長を前提とした、会計基準は、経済成長しないように設計したものである必要があると考えます。貨幣を固定出来た太陽エネルギーを基準に発行すれば、自然に正しいシステムになる気はしていますが。
どこで読んだかは記憶していないのですが、ラビバトラは、日本から資本主義の次のシステムが始まると予想したそうです。世界が破綻する前に新たなシステムが出来れば、文明崩壊は回避できるかもしれませんね。
****以上、いつもコメントを頂いている HNguyver1092さんに執筆して頂いた記事です。********
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